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    ☆  東洋的視座・陰陽相対の世界観から見る智恵   3   不二 ( ふに )

    Category : 東洋的視座・陰陽相対の世界観
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    ピンクのマンタが撮影される、世界でおそらく唯一

    ピンクのマンタ by kristian laine

    (PHOTOGRAPH BY KRISTIAN LAINE)
    > NATIONAL GEOGRAPHIC
    ナショナルジオグラフィック日本版





    みなさま、ご無事でおすごしでしょうか?

    はや、10月。
    目まぐるしく移り変わる地球の気象環境から、
    ウイルスに影響された我々の生活環境まで
    今年は、我々の手では負えない事ばかりが起こったように思います。


    年初より、いつのまにか気が付けば、
    武漢から始まったコロナウイルスが、世界中に猛威をふるって、
    未だに収まらず、
    ワクチンも特効薬も、依然我々の元には届かない中、
    コロナの魔法に巻き込まれたかのように、
    今までと違った時空に迷い込んで、
    我々は、今までの日常を否定されて、さ迷っています。


    このウイルスが、
    「海鮮市場・コウモリ発生物語」から生まれたウイルスであれ、
    あるいは、生物兵器として作られた人工ウイルスであれ、
    いずれにしても、
    ウイルス自体は自然を自然たらしめている力に出自をもち、
    それは同時に、我々の命、あらゆる生物の命と同根なのです。
    つまり、
    我々とウイルスの命の根は同じ、同根なのです。

    同根という事は、
    我々とウイルスの命は、まったく別物のようで一つと謂う事です。

    えっ! あら、いやだわ。
    そんなことアリエナイ、 とかおしゃらないで!     ほほっ。


    真面目なおはなしなんですから、


    この、あらゆる存在の根は一つ、全ては帰一する。

    むずかしいでしょうか?


    さあ、今日のテーマは、


    東洋的視座・陰陽相対の世界観から見る智恵 3  不二 ( ふに )


    はて? ふに?  ふふっ。


    これが東洋の世界観、
    東洋的視座・陰陽相対の世界観から見る世界観です。

    この、”元は一つ” と行った処で、
    目に見える景色ではありませんよっ。   ほほっ。


    『陰』『陽』における、『陰』の世界は、
    我々の顕在意識ではとらえられない世界、無意識界です。
    しかし、厳として「ある」世界です。

    これが、東洋の世界観です。



    これに引き比べ、
    西洋の世界観は、これに真っ向逆だから、
    現代文明を生み出した近代合理主義には、この世界観が分かりません。

    どういうことかと謂うと、
    西洋の現代文明に続くキリスト教理における世界観は、
    あらゆるものは、キリスト教の神が造作した「物」です。
    だから、
    わが心だ! Love だ! 愛だ! と
    見えない精神性を持ち上げるように見えるキリスト教ですが、
    その世界観を母体として生まれた思想は、
    資本主義にしろ共産主義にしろ、物質主義、唯物思想です。
    お互いの関連性なくバラバラに存在する「物」でしかない。
    しかも、
    二元論においてあらゆるものは対立します。


    いわゆる反対語と言われるこれら、

    神と悪魔
    善と悪
    愛と憎しみ
    男と女
    などなど

    あら、待って!
    キリスト教はそうかもしれないけど、
    現代の科学文明は、それよりも進んでいるんじゃなくって?

    という声が聞こえてきそうですね!?      ほほっ。


    残念でした!!!

    現代の我々が、その恩恵に浴する科学文明は、
    17Cの科学革命を経ても、この古い世界観を背負ったままなのです。
    それは、そのまま、
    今の地球上に栄える近代合理主義の欠点になります。



    えっ、欠点って? 
    これについて簡単に説明をしますと、
    これは過去ブログで何度も記事にしてきた事ですが、
    科学のできた出発点、そこからのお話になります。

    現代の科学の発端は、
    中世のキリスト教理に覆われた
    17C のヨーロッパ、
    今に連なる科学の先駆者たちが、
    大航海時代に発達した羅針盤、望遠鏡などの機器による観測から
    神の真理(天動説)を否定した処からです。

    天動説=神が作ったこの世界(地球)が中心のはず、
          だから、太陽が地球を回っているんだ。


    地動説=いや、違う!地球が太陽の周りを周っているんだよ!



    地動説への「コペルニクス的転回」

    この、パラダイムシフト
    地球が宇宙の中心であるという聖書の記述のウソを見抜き、
    神が創った世界が宇宙の中心ではない、と否定したのです。


    それまで神の真理であった天動説から
    人間が機器を使った観測で発見した地動説への転換は、
    端的に言うと、
    神の説く真理は実際は間違って信用できないから、
    中世ヨーロッパの一大哲学であり、
    その世界観の中心である神、キリストを神坐から脇にどけて、
    信用できるのは、人間の意識、認識に拠った実証実験しかない、として
    真理を追究する根本に
    神の説(聖書)よりも、人間の意識を中心に置く事になったわけです。


    人間の意識の探求よる真理こそが正しい! と

    それが、今、隆盛する科学のスタート地点であり、
    人間の意識が実証できないものの存在を認めないという
    近代合理主義という思想が生まれた依処なのです。

    (ここでも、近代合理主義は、2つのエラーをしています。)
     1つ目は、人間の意識を中心に置くこと。
     2つ目は、それによって無意識界を否定しています。



    たしかに、キリスト教理のおとぎ話のような天動説を否定し、
    人間の意識中心の合理(地動説)へパラダイム転換をした処迄は、
    聖書に書かれたキリスト教の神の真理よりも、
    当時の勃興してきた科学者たちの方が正しかった!!!

    しかし、、、 言いにくい事を言わせてもらえれば、

    現代科学も、近代合理主義も、
    神の真理の天動説を否定しただけで、
    そもそものキリスト教理の世界観は、そのまま
    何の疑問も何の検証もせずに、引き継いで仕舞っている事です。


    つまり、今なお、科学が対峙する全ての存在は、
    神の造作された「モノ」であり、
    その存在における二元論の対立は、科学的に検証もされず、
    これはそのまま科学の世界観として引きずっています。


    17Cのヨーロッパにおいて、
    このこと自体は、致し方ないでしょう。
    道具、羅針盤や望遠鏡で確かめられる事じゃないし、
    まずもって、これは、
    東洋を知らない西洋の科学者では克服することは不可能だった
    と言っておきましょう。




    今、ここから眺めてみるに、
    もう当たり前と思って受け入れている近代合理主義という思想の母体は、
    キリスト教理であり、現代の科学文明からもたらされる知識も、
    キリスト教理の風土から生まれたもの、由来のものでしかないのです。


    それは、どういった事かと謂うと、

    ここで、問題なのは、

    そういった科学革命に端を発した合理主義が
    今や、実証実験の科学の世界だけに留まらずに、
    科学者たちだけでなく、科学者でもない我々の身近に
    科学文明として、生活の真理、経済戦争の利権として、迫り来ています。
    それなくして生きられない。
    ただ便利なものとしてでなく、
    自分を助ける道具をこれしか持っていない。
    これがなければ生きていけない。
    今に続く私たちの命や生活、世界観にまで浸食し染め上げています。






    これで、問題ありませんか?
    これは、みなさまへの問題提起ですからね、、、 あはは。
    よく、お考えになってくださいね。

    厳密にいえば、自分はキリスト教徒ではないのに、
    いつの間にか、
    キリストの説く聖書の世界で生きさせられているのですよっ。

    OK?

    まぁ、そのおかげで物質文明を享受させていただいているから、
    どうでもいいよ。

    とか、いろいろあるでしょうが、、、


    しかし、それでなくても、この近代以降の思想的ちぐはぐさは、
    おもしろいと思われませんか?


    西洋も、自らの世界観を科学的に検証する事もなく鵜呑みにし、
    東洋も、まるで足元は東洋で、頭が西洋で、とか?
    そう、和足洋頭の化け物みたいで、  あはは。



    恐らくですが、
    近代合理主義のいい加減さを知らずに享受している現代の我々より
    平安時代の中国からの文物を受け入れた人々、
    江戸時代の鎖国を解いて明治維新、
    西洋の文物を取り入れ学ぼうとした我々の祖先たち、
    当時の日本の先駆者達は、
    足と頭がチグハグな化け物にならないように、
    この事を、弁えていたのではないかと思います。


    まず、平安中期の「和魂漢才」 という思想。
    わこんかんさい/ やまとだましいからざえ

    御存知ですか?
    中国渡来の漢文や書籍、東洋的思想の知識(漢才)を取り入れる時に
    日本社会の常識に通じる人柄(和魂)が重要であるとする思想です。




    明治維新の「和魂洋才」という言葉を御存知ですね?

    平安以来の「和魂漢才」を踏んで、
    森鴎外は、
    西洋の技術や制度、学問を取り入れるのなら、
    自らの国の日本文化の神髄をそれに融合する事を説いたのです。



    このように、日本民族の先祖たちは、過去の日本人たちは、
    外国の文物を取り入れる時に、
    大和魂、やまとだましい、日本人の精神的支柱を外さぬように、
    きちんと自分の国柄を守って来た訳です。

    誰のために?
    自分に続く、日本の子孫のために、私たちの為でしょう。


    今、愚かにも、
    グローバリズムだから、いいんじゃない?   あはは。

    表面的な自由主義経済の余波を受けて、
    言葉の本当の意味も分からずに、語感だけが躍っているようですが、
    世界に国際人なんて民族はいないし、
    国際人を国民に持つ国家なんて、ありません!
    グローバリズムを国を挙げて本気な国家ってありませんよっ。
    これらは、国境がない方が自由に金儲けができる国際金融資本家が
    言い出したものと思えば間違いないでしょう。


    いずれにせよ、
    現代の日本人の我々は、
    全ての存在に命を認め、自然を育んできた先祖の眠る国土に居ながら
    自分の意識の対象を「モノ」と捉えて簡略化し、
    その思考は、二元論の範疇を越えられないのです。


    二元論とは、こういうものです。


    愛 憎
    生 死
    善 悪
    戦争 平和


    子供のころから、生の反対は? 死。
    正解!
    この対立を、絶対の答えであるかのように思い込まされていますね!?

    戦争と平和の対立は、どれくらいのディスタンス?
    永遠に、絶対に戦争と平和が、離れていて正反対なら、
    そりゃ、絶対に戦争がある処に平和は訪れませんわ!    

      ほほっ。





    最後になりましたが、
    今日の記事のテーマである東洋の叡智、不二について

    二而不二 (二 にして二 ならず)

    簡単に言うと、二のようであるが、二でない。  
    つまり、一つである。


    この思想は、インド哲学、仏教に限って議論されたもので、
    仏教において、『不二』の法門という思想があります。

    現象的には相容れない二者が、
    本質的には同一であるとする普遍的な真実在・実相が具える特性として
    仏典等に説かれています。
    具体的には、
    中国、唐の時代の妙楽大師は、仏教の中でも法華経の教説を、
    十の不二の法門として整理しています。

    次の例えは分かり易いと思いますよっ。
    愛と憎は二つの対立するものではなくて、その本質は同一である。と

    生と死も同様、

    善と悪も同様、

    戦争と平和も、そうです。

    そうかーと領解するまでには、多少の修業が要るかもしれませんが?


    あはは。



    我々の意識が捉えられる顕在意識の世界を『陽』の現象界と謂い、
    顕在意識の世界で2つに分かれて見える現象も、

    『陰』の世界では、それが不二、一つで同一なんだという事です。
    『陰』の世界は、我々の意識では捉えられない潜在意識(無意識)の
    世界であり、本質、実相の世界なのです。


    科学は、
    本質が幾つにも分かれて見える顕在意識の世界=『陽』の現象界を
    対象にしている活動になるというのは、

    お分かりですね?

    近代合理主義もそうです。
    厳密に言えば、科学にも近代合理主義にも、
    真理を見極める力量はありませんのよ。        ほほっ。


    えっ、じゃぁ、あれはなに?
    あはは。 人間の意識が決めた法則。




    しつこいようですが、
    最後に確認いたします。
    近代合理主義は、もともとキリスト教理の世界観のままですから、
    西洋の土壌に根を持つ西洋(欧米)の人々にすれば、
    一つの思想の根から伸び尽くした姿として、
    それはそれで、それなりに筋は通っています。

    それなりにですよっ。     あはは。

    西洋にすれば、自らが招いたこの現実ですが、

    日本人である我々は、
    良きにつけ、悪しきにつけ、
    席巻する近代合理主義に基づいた文明に巻き込まれている、、、 
    東洋の民は、借り物のキリスト教理の地図上でさ迷っている、、、

    この地図では、決して行きたいところへはいけないと思います。


    このように、
    この現代は、東洋も西洋もニセのダミー世界観を抱いて、
    その両者が、それぞれの立場で、
    そろそろ限界になってきていると云う証拠でしょう。



    そして、この問題を考えるに、
    西洋よりも、東洋の方が罪が深い。
    具体的には、唯一の東洋の地になってしまった日本、

    それは、東洋的思想がそのまま温存されている地が、他に無い、
    と云う事です。
    例えば、中共はキリスト教を母体に産まれた共産主義の国であり、
    北を含む半島国家は、同じく赤化しつつあります。
    仏教発祥の国であるインドは、ヒンズーの国であり、
    他もイスラム化した国々が多くなっています。
    そういう意味で、東洋思想の片りんを温存させている日本において、
    日本人の罪が多少とも大きいと申し上げておきましょう。
    あるいは、使命があるとも言えるかと思います。
    なぜなら、足先を東洋に少しだけ突っ込んで、あとは全身が西洋みたい?
    だなんて頭が思い込んでる和足洋頭のバケモノだから。

      あはは。


    これは、現代の我々日本人の問題、課題なんだと思います。
    日本人が抱える諸問題、その根は、ここなんでしょうね!?


    大きい処で、少子化、経済力の低下、
    反日、売日、 etc.   




    さあ、これで終わります。

    今回も、10ヶ月分の長さ? の記事を最後まで
    お読みいただきまして、ありがとうございました。

    みなさま、お体を大事に、日々お暮しくださいね。
    では、又、次回、なるべく早々に記事を更新いたしたく思います。




















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

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    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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