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    家庭 2/4 川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。    

    Category : いのちの継承
    コスモス2






    ご訪問ありがとうございます。---+"*☆★  

    今日は、前々回の " ○○○ " から、ですね。

                                      

    まず疲れた体と心に、

    癒しのオルゴール (9分59) をどうぞ!






    前々回masumienさん、natyururu33さん、マグcupさん、

    ありがとうございました。 


    実際、その頃私も花の20代でしたから、(笑い) 

    最初、母親の『 育て方 』 かな?

    父親の 『 人生観 』かな?


    それが子供の学力の土台かな?と捉えておりました。

    しかし姿は見えないですが、その両親を形作って間接的に生徒へ

    オーラを与えているのは,

    両祖父母の道徳性ではないかしらと思い至りました。



    今、多くの方の運命を鑑定しておりまして、

    益々その認識を深くしています。


    進学塾といえば、進路、学力、点数という目で見える評価で、

    道徳とは、如何に? 

    と驚かれるかもしれません。
     

                                                      

    当時、道徳から縁遠い若い私が、そう思い至ると云うのは、

    出会うべくして出会っていた子供たち、

    彼等から教えられた事が、実は私を運命学へと誘い、

    人の心の深い部分と、子供の育ち方や学力を含めた能力との関係性に、

    非常に興味をそそられた事象が多くありました。




    当時、心がけていたのは、

    どの生徒の忘れ物も必ず自宅まで届けに行くことでした。

    そうすればご家族に会えますから。                                    


    成績が目立つ存在として "自立して伸びていく生徒" という存在は

    確かにいます。

    注意や、叱る事もない生徒たちです。

    通常のテストでは、難なく100点満点を取ってきますから、

    単に学力だけではない、何か他の力を感じさせる生徒です。


    まるで自分の登る山、その登山道を知っているかのように、

    前に進むことができる生徒です。

    そういう力は、どこから来ているの? いつもそう思って接していました。



    おそらく、

    お育てになっている親御さんも一緒だったのではないかと思います。                                                                                            





    あるひとつのエピソードが記憶に残っています。  
                                                         

    小学5年生のA君とします。ある日、母親から電話がありました。
                                                   

    「 先生、○○市内で日蓮上人のお寺、ご存知ないでしょうか?」                


    私: 「 さぁ~? 」 ( とっさに質問の意味が分らなくて、

    又、A君の自宅がある○○市については詳しくなく、

    A君の受験の話に移ってしまったのです。

    それから数週間後、電話があった時に、
                                                               

    母親 「 先日の日蓮系のお寺の事、突然すみませんでした。

    電話帳で捜したら見つかりました。 」                                         



    私: あぁ、そうですか、よかったですね。ありましたか。                               


    母親 「 えぇ、急にAが、家は何宗?と訊くんですよ、

    ○宗だと答えましたら、

    お母さん、仏教では法華経が最高の教えだ、と

    日蓮上人が、言われているよ。

    "なんみょうほうれんげきょう"という題目を広めたんだって、

    僕の家は何? 

    え? なむあみだぶ? 違う。  変わった方がいいよ。

    お釈迦様の教えのなかで法華経以外のは役に立たないって

    書いてあったよ。法華経に変えよう! と言い出しまして、、、                                                         


    私: え!、そうだったのですか~                                              


    母親 「漫画偉人伝を読んだらしいのです。」                                   


    私: え~っ! それで、正しいのをって!?                                 


    母親 「 ええ、変えなきゃいけない事だと言い張るので、

    Aに反論もできないし、

    わかった! じゃぁ、そうしようと、電話帳で調べて、

    我が家の宗旨を変えたのですよ。(笑い) 

    もう、ご迷惑をお掛けしました」 





    今でもこの会話は、いろんな意味で覚えています。 
                               

    彼は自分の計画で受験校を決め、灘中に入学。

    まるで目標を生まれる前から持って来たように、

    その目的に必要な当たり前の事として受験を通過しました。

    自分の目標だから、誰かに頼り、甘えるのはおかしいという風に。




    子供らしい彼の中に、これだけの行動を生み出すもの、


    それは、家庭内の価値観、人生観、それらを形作るもの、

    何を最上の価値として置くかという秩序。

    その整然とした体系を自然に自分のものにしているかのようです。






    こういう子に会うたびに、

    いつから彼らは、これらを吸収し積み重ね、覚えたのだろう?

    私は観察する中で、学力という見える形に育つ基になるものは、

    親のじゃなく、親までの道徳観ではないかしらと

    思うようになりました。 
      
                       


    いわゆる今の時代は、" 父親の経済力が、" 云々のように、

    道徳のようなものとは遠い処で学歴や進路の現実的な物差しが

    闊歩しています。

    道徳なんて古臭い、合理的じゃないわ!という風にね。                                 

    しかし、いろんな生徒や父兄、今も鑑定の依頼人を見て、

    実相はそんな所にあるわけではない、ということを

    心底、感じております。

    物事の原因結果は、

    どの位の時間の巾で見るかと云う事でその推移はまるで違ってきます。



    目の前の因果関係だけを見ると、

    先ほどの " 父親の経済力・・"云々と学歴の関係はあるかもしれません。

    しかし、長い長いスパンで物事の因果関係を見て行きますと、

    本当の原因結果と言うものはそんな皮相的な事柄で左右される程、

    この世は甘くはないですね~。


    お金もちになる為にいい学校へ行く、偉くなる為に勉強をする。

    そういう皮相的な動機付けではなく、

    どういう魂を持った人間になるか? と言う事(道徳観)が、

    一大事なのです。

    あとは、すべて枝葉です。  
                                                                             



    家庭や、社会で、道徳的な価値観が崩壊している環境で、

    頑張って学力をつけようとして、塾に通い、模試を受け、

    テストにいい点をとるための目的は達成できても、

    時のスパンを大きくして望遠とズームで眺めてみると、

    それはどこかでおかしくなるのですね。



    道徳的ヒエラルキーがきれいに受け継がれていれば、

    自然に時の経過と共に、おのずと親と子の間や、

    夫と妻との間に信頼関係や生活がしっかりと築かれていますから、

    この世の気持ちのいいシステムの中で、

    子供も自分の前方へ自信を持って歩めるのです。

    そして、環境の成長するエネルギーを素直に吸収します。 






    理想的な運命(学力もそのひとつ)の前提にあるものは、                                    

    本人の学力や、道徳的素養の高い低いと云うよりも、                                   
    継承された命の川上に遡らないといけないかもしれません。

                             

    川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。                                      



    それは、日々刻々と、

    過去の膨大な時間の中で受け継がれた陰徳が、

    今、ここに居る、本人自身の努力の積み重ねによって、

    引き出され、

    養分となって血肉となり、

    変化進歩、成長していくのだと思います。






    よい一週間をお過ごしください。



































    ----------------------------*・・+"*☆★☆." 

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    テーマ : 中学受験
    ジャンル : 学校・教育

            

    家庭 4/4 どうして母親(妻)は、家族から遊離して、自分だけの世界に閉じこもってしまうか?  

    Category : いのちの継承
    那須高原1

     
     
    先週の那須高原の紅葉のようすです。

      今は、もうきっと紅葉でいっぱいでしょう・・・
      
      11月の末には、すべての葉が散ってしまいます・・・・

      ☆秋は大地が感動しているようで、とても優しくなれます(*^.^*)
     



    今日は、ジョンレノンのウーマン 
    (3分36) を どうぞ!






    前の記事のつづきです。Wのおはなし。  

    家庭にいながら、 結婚の形を利用して、心は夫からも、家族からも

    遊離をしているW・彼女のお話です。

    どうして、母親・妻であるWは、夫を受け入れず、家庭から遊離して、

    自分だけの世界に閉じこもってしまうのでしょうか?

    子供は、自分の分身として、認めていますから、

    単純な理由は、結婚相手に不満があったということになりますね。

    なぜでしょうか? 

    封建時代の結婚のように親が決めたわけでもないでしょうし、

    Wは、子供の頃から自由に、自主性を重んじられて育ったはずです。

    そして、年頃には、もう親の言う事も聞かない娘になっていたはずです。

    だから、当然、自分の結婚も自分で決めたはずです。

    しかし、その結果が、結婚してしまえば不本意な結婚になってしまった。

    そういうことなのでしょうね。 きっと。

    なぜでしょうか?

    自分で決めるということが、イコール幸せだったはずなのに、、、

    自分が決めた相手なのに、大切な我が子の父親なのに、

    その男性を自分のかけがえのない相手として受け入れる事が出来ず、

    彼との同一化の形成ができなかったということになります。


    世間に見せている外見はともかく、内面的には失敗かな?


    ここで、大人としてのきびしい言い方をすれば、

    「お互いを選んだのは、自分たちでしょう?」

    「そういう結婚しかできなかったのは、あなたたちの責任じゃない?」 と

    思わず言いたくなるのですが、

    生まれながらのお姫様で育ったこの世代には、こういう問いかけは無理

    かも知れませんね。

    自然な競争にさらされずに、強い母権に守られて、人工的な過保護が、

    あたりまえで、育ってしまって、責任転嫁をする事があたりまえかな?

    甘やかされて育てられたWには、むずかしいかも知れません。

    驚くかもしれませんが、子供の頃から自分の行動について何もダメだしを

    されたことがないのです。

    ホラ、よく教育者が言うでしょう。『 子供は認めてやらないといけない。』

     (そうなんだ~ 子供は、叱る前に認めないといけないんだ~)

    寛大な大人たちが、子供を認め始めたのです。

    道徳の基軸の失われた社会において、”認める”とは、何になるの?

    すべてが、駄々っ子と化す可能性を秘めています。

    道徳がホコリほども残っていない家庭の中で、自分の母親が、父親を軽

    んじる風景を眺めてきたWには、解かる訳がないのです。

    つまり祖父母の代からの生き様や、その奥にある日常的な選択としての

    癖がWの根っこにあって、言い換えれば、生活のさまざまな折々の、その

    時どうした?という道徳的な価値判断がWに受け継がれているのです。


    夫婦の形態は、まさに千差万別です。中身も千差万別です。そして、

    それぞれの家庭の事情もあります。だから、自分たち夫婦が、同一化の

    形成に失敗したからといって、大げさに悩む必要はないのですが、

    今からが大事です。そして、まず、いろんな苦の原因を誰のせいでもない

    自分に於いて生きていくことです。それが最低の道徳です。

    日本の伝統的な道徳を失い、何もないという私達の世代で大切な事は、

    西洋文明の上澄みをファッションのようにいくら纏っても、クリスチャンで

    はないわけで、それは所詮、根無し草、キリスト教文明の丸抱えの恩恵

    にはあたりません。その間隙に、Wが増えてくると言う素地があります。

    幸せになれないと諦めたWが、女の本来の陰の働きを放棄して、

    陽の男を軽んじ、男を手段化する事件が出てきています。

    そして増えていくでしょう。

    そのことは、あわれ、陰である女が自滅していく一つの姿です。


    できるならせめて、お互いに尊敬しあって、

    道徳的合意が家族の中で形成されるように、

    すなおに一番いい事、一番尊い事が目の前で為されている雰囲気の

    積み重ねをしなければと思います。

    学力、知力、人間力という陽の花や実は、その上に表れてくる物です。

    私達に必要な道徳は、もともと東洋に具わっています。

































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    テーマ : 哲学/倫理学
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    《文化と文明の違い》 今、女性が漂流している。そう感じています。

    Category : いのちの継承



     



    海は、大好きです。

    フランス語で、海はラ・メール・・女性名詞ですね。

    寄せては返す・・とてもやさしくて・・強い・・です・・。

    だけれども、男性の強さではないですね~ 
    (笑い)




    白い船に乗って、いつかどこかへ行こうと、思ったことがありますか?

    見知らぬ土地を目指して、大海原を航海したい夢。


    けれど、それは目的と、海図と、羅針盤があってこそです。

    航海はしたいけれど、漂流はいやですね。



    航海と漂流を勘違いしている女の子、女性が、

    多くなっていませんか?




    今、女性が漂流している。そう感じています。



    今日も、前回と同じく、

    『因果応報の源 時間を生きる』のインターバル。

    上記のテーマの記事です。

    いいえ! 私は漂流していない~と、思う女性の方も、

    どうぞ娘や妹、孫娘のために、

    ごらんになってください!





    ところで、

    天の気は、もう秋です!

    今年の立秋の正確な時刻は8月7日の午後22時49分でした!

    中国科学院紫金山天文台の王思潮(ワン・スーチャオ)研究員が、

    同天文台が出版した最新の「中国天文年暦(カレンダー)」に

    基づいて今年の立秋の正確な時刻を発表したと、

    8月2日、中国広播網が伝えています。



    中国は、こういう東洋的な暦を大切にする機微を、失っていませんね~

    まさに、文化です!

    何千年の間、共産主義国家でも無くしていない。

    これが、国の礎です。

    運命学にも重要な事柄です。

    運命学では、この時刻から8月が始まります。

    この時刻以前に生まれた赤ちゃんは、7月生まれになります。

    このように、運命学は、正しい『時』で運命を観ていきます








    それでは、本題へ入りたいと思います。


    仕事柄、慣れていると云っても、今の若い人たちの行動力には、

    正直、少々めまいを感じております。

    この夏の暑さよりも、クラ~っと来ています。(笑い)


    ここ10年ほどの間の、結婚? 同棲? 事実婚?

    それらを含めた男女の関係の変遷?! も凄かったですが、、、

    この2,3年の間の、目の前で見る女性の変わりようには、

    口が開いて塞がらないほどです。(爆)



      
    こういうショックは、今までもありました。

    私の内側で感じる同じような事象として、

    未だに忘れられないショックが、第一段階が、ありました。

    進学塾を経営している頃です。



    幼児教育に興味を持って、自分なりにモンテや、シュタイナーをかじりながら、

    幼児教室を併設して0歳児から見ている頃でした。

    幼児に付き添って来る母親が、変わった! と、 

    ドキッとする位の発見、驚きを感じた事があります。

    それは、暖流から寒流に変わった!と思うようなはっきりした潮目です。

    具体的に言うと、

    ある時から日本文化を身につけていない母親が、

    ええ! それが欧米風の文化でも何でもいいのですが、

    文化の臭いのない人間が、母親として現れた?

    日本人であるはずなのに、日本でもなく、韓国や中国、どこでもなく、

    どこの国の文化も持たない雰囲気の母親?の出現でした。

    今思えば、

    その母親、彼女が身に着けていたのは、文化のない文明?

    現代の今様の人が作った人工物ばかりを身に着けて、

    今、気がつけば、それは、

    絶頂期に登って酔ったような物質文明の臭いだったのです!

    我が子の為と思えば、惜しみなくお金を使い、

    肥料を与えれば伸びる作物のように、子供を育てる! 

    自己の延長、分身であるがごとく、子供を愛し、

    我が子を自分の作物のように見ている母親の現出でした。

    もうひとつの特徴は、母親が男になった?

    幼児である我が子に係わっている母親が、姿形は女なのに、

    父親のような男性的な存在感を、子供に示していた、、、

    その頃、我が子を見る母親の何かが変わった。



    何かが、人間の奥で壊れて来ている。

    おののきをその時、体の中で感じ、

    夜、考えながら眠られなかったものです。

    思い出せば、今も、鳥肌が立つような感触を覚えます。

    この母親たちが育てた子等が、どういう大人になるのか・・・

    不安を持ちながら、その時を計っていました。



    それと似た、同じ感触が、

    ”浮遊する女性たち”に出会うと、蘇ってきます。


    年数的に、その当時の幼児が、もう大人になり、

    ちょうど、この年代になっているのではないのか?




    やはり、この目の前の現実の奥に、何か重大な喪失があったのです。




    おそらく、無意識的には、50年から100年のスパンでの変化です。

    深い変化は、現れてくるまでに、それ位の時間が掛かります。

    それが、物理的に目で見える変化になるには、

    やはり物理的な時間を必要とするからです。





    今では身近に転がっている物質文明の陰翳が、

    遠い過去から、今度は地下から忍び寄ってきている、そう感じています。




    漂っていると感じる女性たちが育った環境は、

    特別に劣悪な環境でもないし、恵まれない家庭でもないし、

    本人が環境的なハンディを背負っているから、という理由ではなくて、

    ごく一般的な普通と見られる家庭の育ちをしたという人が、

    今、おかしいのです。



    それほど今、おかしい!  普通の人がおかしいのです。

    普通と思われるような人がおかしいのです。


    (おかしいと思われる人は、元からおかしいのですが、) あはは。



    故に、これは、外因ではなく、内因、彼女たちの内側に問題があるのでしょう。


    おそらく、

    男女関係の相談で、今まで寄って来なかった新しい波、

    うねりにも似たこの波が、もっと、津波のように、どっと!

    圧倒的に襲ってくるようになるのではないかと恐れています。




    大阪の23歳の母親が、1歳と3歳の我が子を餓死させた事件、

    あれは特別な事件ではないでしょう。

    今なら、どこにでも発現する可能性のある現象です。

    というのは、

    21歳で2児を抱えて、”再婚の相談”というのもあれば、

    29歳で、もうすでに2度の離婚をした後に、

    ご相談に来られると言うのは、ざらです。

    18歳や20歳で、どうして結婚をして幸せになると信じたのか、

    子供を生んで、やっと現実に目覚めて、実家に引き取られ、

    母子共どもが、実家にパラサイトするというのも、ざらです。

    それで、両親に感謝どころか、

    ”どうせ遺産で貰うのだから、今、この家を売ってお金をちょうだい!”

    とすごむそうです、、、。




    20代で1歳児と、3歳児を抱えて離婚!

    まず、どう生きていくの? と驚くのですが、

    シングルマザーになる事が、さもカッコ良い事のように、

    勇気というのか、世間知らずというのか、

    愚かさと浅はかさが、女の衣装を着ていると言ったらいいのか、

    見れば、隙のないお化粧をしている?(笑い)

    彼女たちは、さすが物質文明の申し子、物に困った経験がない。

    まずしい暮らしを知らないまま、

    自分は、シングルマザーでやっていけると思っています。



    私は、ただ彼女たちの前途だけでなく、

    日本の前途を案じながら、オロオロとしてしまいます。

    彼女たちは別に生きていく技術も職業は持っていませんよ~!

    信念となる何物も精神的な強さも鍛えられた心も持っていませんよ~!

    ただ我の強さだけで、幼いままの自主性?勝手気ままさで悠々としている。




    戦国時代の武将よりも居丈だけな、負ける事を知らない娘たちは、

    自分以外の人間の考えを訊くつもりはない。

    今は、そういう娘たちが生まれ合わしている時代のようです。




    自分の性を、おもちゃのように扱い、

    その結果の生まれ出た命を、自分の命として扱えない。

    ごく一般的な普通と見られる家庭の育ちをしたというのに、

    そのご家庭のきっと確かな受け継いできた生活の文化があっただろうに、

    それを、受け継いでいない。

    という事は、

    もうすでに普通のご家庭と見えた処に、

    彼女が拾い集める文化は、なかったのだろうか・・・・・

    便利な時代の利器にあふれたりっぱな家の中に。



    親までの旧世代からの文化の引継ぎを受けていない。

    それは、親と子の両者の過失、罪と言うよりも、

    おそらく、生活文化と思って受け継がせようとしたものが、

    実は、文化ではなく、人工物で出来た文明だった?

    それも上澄みだけ、、、

    先に進むのを争う文明の、気を回しすぎる便利な道具に囲まれて、

    言葉がなくても利便性だけで生活できたから? 

    それでは、道具が使えるサルと同じなのでは?

    次々と文明の利器を手にする事に一生懸命で、

    言葉を、その心を、伝える事を忘れていたのではないの?

    大人が、言葉の意味よりも、道具を集める事を優先させ、

    いつのまにか文化を捨ててしまったからではないのかしら?

    浅はかな文明を、天国の文化と勘違いをして・・・・・



    母国語である言葉の意味を捨てるという事は、

    それが生まれて来た歴史や生活の営みを捨てる事です。


    西洋文明の上澄みの利器と、取っ替えて来たからです。

    あきらかに西洋文明モドキを追っかけて来た結果です。


    文明の定義:

    文明とは、野蛮より、未開社会より、優れているものだと言うのであれば、

    文明人による野蛮人や未開人に対する非人道的で残酷な行為は、

    どう説明するのか?という問があります。

    このように、文明:未開という二分的な文明観は、西洋側での幻想の産物で

    あるとエドワード・サイードの『オリエンタリズム』で批判済みです。

    近代以後においては、

    宗教・道徳・学問・芸術などの内面的・精神的な「文化」に対して、

    技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的・外在的な物

    を指して「文明」と捉える様になって来ている。

    20世紀には、”西洋文明が優れている”という考え方を疑う観点から、

    文明の概念そのものから優劣や進歩を剥ぎ取った理論が出現して、ある文明

    に対置されるものは野蛮や未開ではなく、他の文明である。とされている。





    乱暴な言い方をしますと、

    19世紀において、日本人は西洋文明の方が優れていると取り込み、

    自国への劣等意識?か、自尊の心を捨ててまで、自己の内なる文化を捨て、

    西洋文明中のその文化を抜き取った文明だけを利用して来たのではないか?



    産業革命で発明された機械、ニューヨークのような都市、

    それらは、西洋の文明であり、西洋の文化ではないのです。

    憧れの文明だけを取り入れて、それに合う生活をしたい!

    その外観に合わせるには、

    過去の我々の先祖からの文化を捨てなければ、

    合わない~、かっこわるい~ 

    そうして、見かけ、格好ばかりを優先して変化し続けて、

    外からは、猿真似だと馬鹿にされたり、外国からは、

    何を考えているのかわからない日本人だと、中身が無いのを、

    ず~っと批判をされて来ましたね。



    141年間、これでいいと思って進歩?したつもりで・・・

    途中、一度も反省をしていないんだなぁ~~




    いや、中には、賢くも文化を大事に守っている人々もいます。

    文化を守る事によって、自己の依って立つ基盤を守る。

    その結果が、生きるという事を守られているのです。


    京都や奈良の町並み、地方の伝統、お祭り、

    歌舞伎、伝承文化、ちょっと問題がありますが相撲など。

    狭い世界ですが、なにやかやと言われながら、こういう世界の人は、

    言葉の伝統、人間関係の強さのようなものを、守り守られています。




    個人の生活は、本質的にはわが先祖の歴史と切り離しては、存在しません。

    大家族から、切り離して核家族になればなる程、大事になって来るはず。

    なぜなら、過去の基盤=自分のなかにあるDNAなのに!




    なのに、

    今のこの現実は、漂流する彼女たちが、

    親の世代や、祖父母の世代、それ以前からの

    人間の生きてきた文化を、知らない。失っているという事実です。



    親世代との間に、交わせる言葉を身につけていないし、ご両親とは、

    まったく違った価値観を持ち、自分達の方が正しいと思い込んでいる!


    恵まれているご家庭で、物ばかりか、教育だって揃っています!

    親の責任?

    それは、そうでしょうが、

    ここまで、社会的に全体が、こういう若い世代を生んだというのは、

    親も含めて、社会の、国の、施策が間違っていたのでしょうね。


    わが国が、過去にして来たおろかな選択が、悔やまれます。




    国を挙げて、文化の伝承をやっていないのです。

    生活レベルの伝承です。

    囲い込んだ世界での伝承ではありません。

    文化とは、言葉の中身、言葉の意味するものです。

    先人たちが命を削って蓄えて来た、権威も中身もある言葉。

    言葉の中身を失うということは、自滅行為です。

    また、その言葉が生きて来た人間関係を失うという事です。

    言葉の意味と、人間関係を失うと、

    人は、人として生きられなくなります。

    もう一度、原始から、

    尊や、貴のない、意味のない、動物の世界へ戻るわけです。



    それが、私が見てきた、ある意味の女性の原始化、本能化、

    しつけのまったくない状態へとリセットされた状態なのだと思います。

    実は、女性だけではないのですよ。

    男性も同じ局面でしょう。


    ただ、社会的に組織に守られている。

    仕事や、役割に守られて、崩壊の姿が見えにくいのです。


    しかし、

    就職難民のように、正規に就職ができない男性が出て、増えてくると、

    文化を失った人間=けだもの。

    破壊力は、男性は女性をはるかに上回ります。

    どんな犯罪が、起きてくるのか、それを思うと、、、

    ”もう何も新しくならなくていいから、、、

    ”これ以上の高機能携帯は開発しなくていいから、、、

    ”我々の、言葉の復活をしなければ、、、

    ”我々の文化を取り戻して伝え合わなければ、、、



    まさに、これは、

    「子育て」や「教育」の問題は個人や社会の問題であると同時に、

    人類の未来の問題として取り組まなければだめです。





    文化と文明の違いを、もう一度、


    たとえば、あなたが家族と一緒に、

    離れ弧島に移って、住まなければならなくなったとします。

    電気はありません。家電を持っていっても役には立ちません。

    今の家の便利なもの、それは全部が現代文明の利器です。

    それらの文明を全部捨てて、明日から孤島暮らしですよ。 (笑い)

    さぁ、どう生活をしますか?



    あなたが捨てた物、あなたの命の外にある物、それが文明です。

    文明のない場所へ移れば、今の文明は捨てられます。

    たとえばテロで、世界中の発電所が破壊されたとしたら、

    数時間で今の文明は壊滅的に滅びるでしょう。

    「文明」とは、そういう無常をまぬかれない人間の欲が作りあげる

    人の作った膨大なシステムのことです。




    文化は、

    あなたが、家族と共に孤島へ持って行けます。

    文化とは、家族とあなたの心、言葉、人間関係です。


    たとえ、どこででも、いつでも、持って行けます。

    それは、もしかしたら命を懸けても守るべき物かもしれません。

    そして、人間関係の間を言葉で伝える事ができるものです。


    きっと、あなたが死んだら、あなたの子供がその文化を継ぐでしょう。

    そのまた子供も、、、そうあるべきものが文化、

    文化とは、そういうものです。





    西洋文化抜きの西洋文明を真似して、文化を失くした日本人は多い。

    江戸末期、確かに日本の文明は、遅れていたかもしれませんが、

    自国の文化は、絶対に捨ててはいけなかったのです。生き延びるためにね。


    命の川上から流れてくるものの継承をしないで、

    どこに生きる道があるというのでしょう?



    命の川上から流れてくるものの否定は、自分の否定です。


    まず、『孝』の徳にも反します。

    『孝』に反すれば、子孫に恵まれないという事です。



    現実に起こっている少子化の現象を見ると、

    女性が漂流しているどころではなくて、日本が漂流しているの?

    と思ってしまいます。




    未来の問題解決のために、どうしてもやらなければならない事は、

    子供たちに日本文化の言葉で、語って、伝えなければいけません。

    子供たちへ伝わるためには、安定した家庭生活のなかで、

    伝わる関係を取り戻す努力から! (笑い)

    実体のない意識化した説明語ではなく、


    説明言葉や、データーには、もうすでにある条件が設定され

    コントロールされた分析臭が臭っています。

    それこそが、西洋文明であり、日本文化ではない。

    自分の文化を伝えるのに、他文明の実体のない言葉を借りないように!

    したいものですね。 あはは。


    日本の心が継承されてきた言葉は、

    母国語=自分の言葉であり、あなたの心であり、あなたそのものなのです。


    小学生が、英語で”how do you do?”は、いいのですが、

    その心が ”原始”的だなんて、困りますね!  (笑い)








    残暑厳しき折、


    良き夜をお過ごし下さい。









     




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    白鵬の言葉 / そろばんを持った丁稚が、一番威張っている? 

    Category : いのちの継承
    急流下り

    過ぎ去った 夏の日の思い出  急流下り








    はや、秋も深くなってきました。


    暑い夏や、厳寒の冬では、

    気候に負けまいとして、脳がそちらへ身構えてしまうので、

    ちょうど今は、心も体も落ち着いて、安定している時かもしれません。




    今日も、いただいたコメントから始めたいと思います。



    >菌に守られている状態なのです。

    >菌がまったく体から居なくなったら、人間は生きてはいけない 。

    日頃私が言ってる事、そのままズバリと思いました。

    テレビのCMなんかでも、何でも抗菌仕様とか言ってますが、

    そんな事してるからひ弱な人間が育つのだと、言い続ける私です。

    O-157問題なんか、その典型だと言うのですが、どうなんでしょうね。

    もしかしたら、

    最近出てきた病気にはそんな事から発生していることが多いのでは

    と思ったりしています。

    人の寄生虫なども、

    もしかしたら、人間に良い物も出すのではないか・・・など。

    地球上に生きるもので、

    一切無くても良いと云う物は無く、全て必要なものばかり。

    ですから、

    多様性は地球上に生きていく生物には絶対必要だと思っています。

    これからも、出来るだけその多様性の必要性を言い続けたいと

    思いました。




    この中から、

    一切無くても良いと云う物は無く、全て必要なものばかり。 ですから、

    多様性は地球上に生きていく生物には絶対必要だと思っています。



    を、お借りして、今日の記事を書いてみましょう。


    まず、一人一人が、多様性を認める。そういう認識に持つ。

    人間は、その多様性の中のひとつの立場にしか過ぎない。

    多様性を認める。とは、そのすべての立場を尊重する。

    という事ですね。



    今の私たちが正しいと思っている知識は、人間の意識を通したもの、

    人間を中心においた立場から見た知識です。


    それぞれの多様な立場における見方から見ると、

    正しくないかもしれない。 

    イヤ~! 

    きっと、人間の知識は正しくないでしょうね!


    なぜなら、自然に対しては、人間は地球の危機をもたらし、

    自前の人間社会においても、無縁社会等、

    諸問題が露呈していますから、

    人間は、いい加減な中途半端なものをこれで良いとして来たのでしょう。


    しかし、このままではいけませんね~。



    生物の多様性を認めるかどうかという事は、

    今の自然観、生命観、社会観における現状の間違い、

    それらから派生して来る文化、道徳の質を問われているのです。

    現在進行形の絶滅危惧種があるという事は、

    現状の自然観、生命観、社会観、死生観の誤謬の証拠であり、

    文化、道徳の質の低さ、

    道徳の存在の無さ、それらから起こっている現象のひとつです。





    地球上で確認されている生物は180万種です。

    2008年の資料ですが、その内、絶滅危惧種は45000種。

    年々、だんだん、増えてきています。 


    大した事ない?





    スタンフォード大学のポール・エーリッヒ博士は、

    「人間は絶滅の危機にある種を救う努力をしなければならない。

    なぜなら種の絶滅は、空を飛んでいる飛行機から

    次々とリベット(鋲・びょう)を抜いてゆくようなものなのだから」 と言う。


    鋲が抜けていった飛行機は、

    いずれ空を飛びながら機体がバラバラになる。

    ついに崩壊して墜落をしてしまう!

    当然、乗客は機体から放り出され、助かる事はないのです。

    そういう例えで、飛行機の鋲が抜けるように

    今の地球の生態系から種が滅びて抜けて行く事により、

    人類も亡びざるを得ない。と教えてくれています。



    最近では、

    生態系から受ける恩恵を計算する「生態系サービス」の経済学まで

    発展をして、さんご礁の年間の価値は、観光で2399億円、

    漁業で、107億円、海岸防護機能で、839億円と

    弾き出しているそうです。




    なんとなく、いやですね~! こんな経済学が発展をして、

    なんでも数字で表して、お金に換算してその価値を訴える手法など、

    まさに、物質文明の極み、色界の魔王の思うつぼではないですか?

    ここが、”現代文明のゆがみ”だって気がつかないのかしら?


    ある問題があったら、すべて計算で弾き出し、原因も、その解決も

    リードして行くのが経済ですよ!

    おかしくないですか?

    経済が、自然も科学も医療も教育も政治もすべてを管理する!

    経済的損失が最大の悪で、損失を無くす目的が、解決策?

    あはは~、 どこか間違っていないですか?


    哲学のない理念のない社会においては、こうなるのですね!

    本来、経済の立ち位置は、一番下ではないの?


    そろばんを持った丁稚が、一番威張っている?  あはは。


    この社会構造自体を変えなければ、決して良くはならないわ!



    絶滅危惧種を助けるためには、

    膨大な予算がいると、政府は言っています。

    (膨大な予算でしょうか? 予算があれば片付く問題なの?)



    だれが、絶滅危惧種を作るような社会を作ったの?

    今の政治ではないですか?


    出発は、政治の理念が自然より経済を重んじるものであった事です。

    こういう原因を作ったのは、

    膨大な予算がいると言っている経済の奴隷=政治ではないのですか?



    もっと、大事なもの、政治の奥にあるべき大事なもの。

    それが、空洞化して、空っぽになっているから、

    こういう事になるのよ!


    それは、何?


    自前の文化、道徳、思想、哲学、です。






    あ、そうだ!

    ちょっと、横道にそれます! (笑い)


    すもう、相撲、白鵬です。

    日本文化の伝統、不祥事の相撲界。

    先場所、全勝優勝を果たした69代横綱・白鵬です。

    その前の名古屋場所で不祥事の為に協会が自粛をし賜杯がなかった。

    その事を、特に残念がって涙まで見せた白鵬。

    相撲のファンとまではたぶん、言えない私にとっても印象的でした。

    彼のくやしさは判るものの ”涙まで流して!”と思うのと、

    相撲の勝負に闘魂をかき立てるには、

    そういう思い入れが必要なのかな?

    程度で受け流し、白鵬が、先の秋場所で優勝をして天皇賜杯を手渡され、

    今回は、さぞかしうれしいだろうなぁ~と思った位でした。


    う~ん! モンゴル人であるムンフバト・ダヴァジャルガルという少年が、

    外国である日本までやって来て、

    艱難辛苦を乗り越えて成功をした姿、

    それを証明する日本でのトップ、天皇の賜杯、

    そこまでの価値としての賜杯。


    そういう受け取り方を私は、恥ずかしいのですが、していただけなのです。


    しかし、

    9月30日の午前中、テレビ朝日、番組のインタビューを受ける横綱白鵬、

    それを、偶然、たまたま見て、次の白鵬の言葉に釘付けになりました。


    「 賜杯のある相撲がなくなれば、日本の国はなくなる。」  


    ん?


    たしかに、はっきり、白鵬は、そう言いましたよ!

    たぶん、聞き手のアナウンサーも ん?  と思ったと思うのです。

    どうして? と聞いていましたもの...  あはは。


    白鵬は、それには、普通に、こう言っていました。

    「 相撲は日本の伝統、日本は、武士の国だから、

    その伝統を守ってちょんまげをしているのは相撲取りだけだから、

    その相撲がなくなるという事は、だから日本の国はなくなる。」


    あ・らら、と思いました。




    「 相撲はスポーツではない。」

    「 朝青龍は、スポーツマンとして良いアスリートだった。」とも

    言っていました、、、


    初めは、何かをしながら小耳に挟んだという程度の聞き方だったのが、

    終には、白鵬の写っているテレビの画面を注視していましたよ! (笑い)



    白鵬は、自分の今の業績を、”運 ”とも言っていましたね。

    努力をした人間に巡って来る”運 ”だと言い足していました。


    おそらく、幸運に恵まれた人が味わう絶頂感を味わっているのだろうと、

    自分の体が軽く感じられる、

    何かにバックアップされている感触です。



    秋場所で連勝を62に伸ばし、双葉山の連勝記録へ、

    あと7勝に迫った挑戦については、

    「記録は69連勝。数が同じなのは何かあるのではないか」と

    自分が第69代横綱である数字に含みのあるような表現を

    語っていました。


    彼の言葉の論理性はともかく、論理的じゃないところがすごくいい!



    相撲の優勝者に天皇賜杯、

    日本は武士の伝統、

    その姿のちょんまげ、

    スポーツじゃない相撲という世界、

    その最高位の横綱としての自分=白鵬の中で

    これらが全部意味を持って生きているのですね!

    まだ、若いのに~(失礼!)えらいなぁ~と感心をしました。



    そうなのか、どうなのか、とにかく白鵬の中では、

    日本とは何かと言う、その答えを

    脳の片隅の理性で理解をしていると言うだけではなく、

    全身に行き渡たる調和を持って実現しているものがある。

    という事が伝わって来るインタービューでした。


    すごいなぁ~!

    日本人ですら相撲の世界へなかなか理解をして入り込めないのに、

    逆に、相撲の世界へ入ったとしても、

    そこまで成長をするのは難しいわね!



    外国へ来て、その国の文化を体現していると自信を持って言える白鵬。

    日本人へ日本の伝統は、これこれだと教えてくれる白鵬。


    こんな事、腑抜けの日本人には、できない事だわ~  あはは。

    あぁ、いっぺんで彼が好きになりました。 (笑い)

    ^^頑張ってほしいですね!






    このブログで殊更、西洋文明という呼び方で呼ぶものを、

    もう、ほとんどの日本人は、”外来”とは、意識していないようです。


    もう誰も、今の日本では、

    西洋文明的思考を、”外来 ”だとは、意識していないということです。



    特に、生まれたときから西洋文明の物質文明に浴して、

    その恩恵を十分受けて育った30代以下の人は、

    今ある全てのものが日本に元々あったものとして、

    何の疑問も持たずに生きているのでしょう。





    日本人は、

    日本たるものを”これだ”って言い得ないのに、

    外国人の方が、何が日本たるべきものか、見えるのですね。


    白鵬と同じ24、25歳の若い日本人で、

    どれだけの人が、

    日本、天皇、武士道、伝統を生きる、という言葉を

    生き方の中で、意識しているでしょうか?

    その秩序の乱れに、くやし涙を流すでしょうか?




    経済がすべてを主導し、

    政治の施策をリードする今の社会は間違っています。

    その時々のバラバラの価値観で漂うように生きている日本を見るにつけ、

    戦後の日本の中で行われている軽薄な教育の有り様を見る度に、

    いつも私の頭の中に浮かんでくるのが、

    進学塾経営時代に学んだ、モンテやシュタイナー教育の理念です。



    それらは、

    感覚教育が優れている良いメソッドが多くある教育方法ですが、

    そのメソッドだけを、いくら学んで取り入れても駄目なのです。

    モンテやシュタイナー教育は、

    キリスト教哲学によるコスミック、

    そのコスミック教育が、理念の中心ですから、

    最終的に、どういう社会のどういう人間を作るのか、という

    人間像がはっきりあるのですね。


    その目(まなこ)を抜いて感覚教育の教具だけを取り揃えても

    それは、唯の魂のない教育になってしまうのです。



    それなりの理念のある教育は、

    それが生まれた母体である宇宙観から、

    人間観から、

    自然観から

    決して切り離してはいけないのです。


    そういう観点から日本を見回して見ると、気がつくのが、

    何の為かは定まらないまま、

    受験の為の教育に落ちているのが現状ですね。

    何の為かがないまま、学歴をつけて、社会へ出て行くわけです。


    テストの為だけの正解を覚えて、身に付けてしまって、

    本来は何の為の正解なのか、

    解らないまま現実の世の中へ出て行くのでしょう。

    これでは、自分の解が出せないはずです。


    就職難だから、就職がない、とこう考えるのがオチです。

    他人が作ったパターンの中でしか生きられなくなっていますね。

    自己の問題を、自己解決できない。

    テストの答えは、そこだけじゃない。というのが解っていない。


    テストの答えが出て来たその大元、

    母体である宇宙観、

    人間観から切り離された知識しか教えられていないから、

    コスミック教育がないままの知識のみの”丸呑み”なのね。



    一人で、大元まで辿れない、細切れ知識しか教えられていないのです。







    知識は覚えても、宇宙や人間までつながって行けない知識なのね。



    ある意味、従僕を作る教育です。誰かに属して従うしかない...


    今、世に流布している知識は、皆がその類(たぐい)です。



    世に知的と言われ、知性と言うモノの中には、

    その本質的な欠片は、もうほとんど入っていないのではないのかと、

    疑ってかからなければいけない位のもの、

    その程度じゃないの?


    この時代の急場の知恵を知ろうと思えば、

    役立つのが、本来、親や年長者の話です。

    が、まさか、

    今の若い人は、親や年長者の話を訊こうなんて思わないわね。

    情報は、マスコミと、本から? というのでは、

    あまりにもさみしいし、いいカモにされるだけカモ? 


     あはは。


    年長者もいない、相談をする頼りになる人も身近にいない?


    マスコミと、本、それらは、まぎれもなく商材そのものです。

    商材を頼れば、結果は商材のカモに成り果てるだけです。

    売れる為のウソが散りばめられているのは、間違いないのだから...



    便利と言いながら、利用しているだけさ、と嘘ぶいてみても、

    実はそうして自己の値打ちを自ら空虚にしていっている。


    これが、物質文明の馴れの果ての現実です。



    めんどうな事から逃れたい。精神を使いたくない。

    これが物質文明です。



    象徴的な事は、

    我々は、自分の文化を失い捨て去る過程で、

    まず初めに、自分たちの昔からの暦を、捨てました。

    カレンダーとして単純化し、意味のない数字の序列に変えました。

    この意識のベクトルには、

    ある意味、わずらわしい『天の道』に代表される自然の秩序の影響から、

    解き放たれたい欲望があったのでしょう。



    「時」に意味を持たせない、

    「時」の違いを無視をする西洋文明の意識が、

    私達の意識に入り込んで来て、

    生理的な体内時計の拘束から逃れたいと言う

    楽がいい、合理性がいい、と言うエネルギーに負けたのではないのか?

    自然の見えない秩序を捨てる=欲望を解き放って、道徳を捨てる。




    その成れの果ての今は、どういう時なのか?

    「人類は、すでに新しい生物を作り出す手段を手に入れている。

    人の臓器を持つ豚、毛髪に覆われた羊、

    このような遺伝子組み換え技術で生み出された生物が跋扈する。

    これは、荒唐無稽な話ではない。」と、

    遺伝子工学への警鐘を鳴らす最新作『洪水の年』『オリックスとクレイク』を

    著したマーガレット・アトウッド女史が危機感を持って言う。




    ここに至る過程において、

    私達は、伝承された文化を失い、

    文化でつながっていた絆をバラバラにした。

    それは、私たちの精神が、無垢に戻る(浄化)事ではなくて、

    ある思想に染まるという事だった!




    私達が自分の文化を失って行った原因は? その素地は? 

    どこにあったのか?

    外国のせいだとか、失わさせられたとか、他に原因を求めていては、

    何時までたっても、本質は見えないままです。

    実は、その原因は、私達の中にあった。


    自らの中に、それに勝る何がしかの哲学が、無かった。

    持っていなかった。

    そういう事なのではないかと思います。



    もし、あったとしても、相手より低級で、それが形骸化していた。

    もしくは、主知主義化していて、外から来るものを、批判できなかった。

    拒む力にはならなかった。という事でしょう。


    武器の戦争というものは、その奥底に思想の戦さがあるのです。



    大事なものは、

    正しい宇宙観、人間観、自然観から生まれた文化であり...道徳です。



    自国の文化を失うとは、国民が集団として生き延びれないのですよ。

    生き延びる方法は、より強く自前の文化を持つ纏まった上位の集団に、

    吸収されるしかないのです。

    それも、また、国の興亡、民族の興亡、相手を滅ぼす戦争の方法です。



    さぁ、日本は生き延びれる程の、国を守れる防波堤になる程の、

    自国の文化、道徳を強く持っていますか?

    さぁ、あなたの家族が生き延びれる程の、家族を守れる礎になる程の、

    家庭の文化、受け継がれた道徳を持っていますか?

    国が亡ぶと言う前に、自分の家系が絶家になる。。。



    本やマスコミにそれらが在ると思いますか?

    決して、商材の餌食にならないでください。


    思い出してください。

    必ずあるはずです。

    その証拠は、

    あなたの先祖が文化を持って、道徳を守って生きてきたからこそ、

    ここに、あなたが生まれている。 継承の運が存在するのです。

    もうこれ以上、何も失ってはいけません。






    秋冷の月の光を見上げて、

    天空の知恵を浴びましょう。


    そして、

    空に、祈ってみたい事があります。


    日本が、それぞれのご家族の文化が、幾久しく栄えますように...

    私達の地球が、美しくそのまま、後の命に継承できますように...

























    『洪水の年』『オリックスとクレイク』

                  マーガレット・アトウッド著

    『 生物多様性とは何か 』 井田徹治著  岩波書店

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    家系・個人の運命鑑定
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