fc2ブログ

    自分のゆがみに気づく事が、浄化の第一歩です

    Category : 不幸の原因
                           


                                                 秋すすき



    新古今和歌集』の三夕から---+"*☆★                                                            

    今日は、ドビュッシーの 月の光  (5分 6)  を どうぞ! 




    (西行法師)                                                    

        心なき身にも哀れは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ                                                                                                                                                  

    藤原定家

        見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ                                                                                                                                                   

    (寂蓮)               

        寂しさはその色としもなかりけり 槇立つ山の 秋の夕暮れ
                           



    日本人ですね~  身体中のDNAが疼きます。 (笑い)                                                       

    新古今和歌集の " 秋の夕暮れ " と、                                           

    ドビッシーの月の光のコラボ、いかがですか? 


                                       

    心に染み入る秋の月光、ピアノの音色、秋清しですね・・・




            

    このところ入ってくるスケジュールに圧迫されていまして、

    綱渡りのような日々を送っています。



    " 入るもの拒まず、 " で、これも何かの縁、と

    頼まれたものは全て受け止めてやっていますが、、、                                           

    やっぱり頼られたら断れないですよね~ (笑い)                                                                          

    これが、弱みです。 あはは~




    じつは、10年近く、運命鑑定でご相談に来てくださっている方がいます。

    Aさんとします。

    みなさんが、それぞれ長いお付き合いなので、

    特別とも思えないのですが、

    遠方の為に、一度もお会いしたことがなく、すべてお電話でした。

    あっと云う間の10年間に、

    小学生だった息子さんがもう、大学生~。

    姉である娘さんは、無事、医学部へ入って、

    4年後はもう女医さんですって。                                                     

         

    本当にいろいろあって、

    その時々に話したことが走馬灯のように、記憶のなかで巡ります。



    一人の人の話を聴き、共に考え、間違いない方途を指し示す事は、

    運命学に基づけば、そんなに難しいことではないのですが、 


                                               

    実に不思議なご縁!    

                                                               

    みんな、身内以上に何でも知っている間柄になるものです。 


                                

    先々月、そのAさんから急に、



    『 先生、運命学を教えてくれますか?』 と電話が入りました。



    " いいわよ! でも、どうやって東北から此方へ通うの?” と訊けば、



    『 息子が4月から東京の大学に入ったので、

    一週間位なら泊まって先生の所へ伺えます。』 とのこと。



    Aさんも運命学を勉強する余裕が出てきたのだと、ほっとした次第です。  

                                                   

    じゃぁ、頑張ろう! という事になり、

    それから彼女の上京の折にほぼ毎日?お互いに時間をやりくりして、

    Aさんとの運命学の集中講座が始まりました。




    今月で2ヶ月目、Aさんに手ごたえはあったようです。



    Aさん 『 自分の事がもっと、解かるようになりたいです。

    後は主人の命式ね。

    教えていただいて自分に欠けているものがよ~く解かったので、

    主人を責めてもねぇ~と気づきました。

    お互い、私だけが被害者ではないかもしれない。』                                 


    私  " お~、よくぞ分ってくれました! そこよ。                              


    それが運命学の醍醐味なのよ! 

    他人に言われればイヤな事も、自分で気が付ければ、

    得したみたいでしょう?"



    Aさん 『 ええ!』   


    自分の悩みのすべての原因は、自分の中にあるという事が分って、

    はじめて本当の自立が始まると思っています。                                               

    自立というものを、

    観念的に、理屈で頭から知ったところで何にもなりません。

    言葉の遊戯に終ります。

    言葉だけの議論はむなしいです。 
                                       

    自分を解ると云う事は、誰にとっても難産です。

    しかし、こうして自分を解かってからの方が、

    自立の本当の意味を理解しやすいのです。



    これから、Aさんは、益々、運命学の佳境に入っていくでしょうね。

    子育ても終って、運命学への挑戦、

    どう成長されるのか頑張りましょう。                                                    


    信じるに足る物差しで、自分を冷静に客観的に観て、                             
    自分のゆがみに気づく事、それそのものが、                                                      
    人生のあらゆる良いことも、悪い事も、

    この自分の中から出ていると云う事を受け入れられるようになり、

    同時に、すべてが感謝と喜びに変わります。




    それが、まず、浄化の第一歩です。 

                                                                                 


    自然と人が、 

    人と人が、

    自分と自分が、  

     
                                    
    もっと深く、関っていくことができますように。 

       

    スマトラの地震、竜巻、

    あらゆる天地が、どうか納まりますように。                                



    インフルエンザが、鎮まりますように。 

    秋の夕暮れ、

    月に向かって静かに祈りました。









































    --------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 結婚生活
    ジャンル : 結婚・家庭生活

            

    悩みの原因1 自然界は、われわれの師です。分析する対象ではありません。  人間は、自然淘汰される存在であります。  これを、忘れている・・・。

    Category : 不幸の原因
    2010.313.菅谷館から

    森で遊ぶ子供











    この記事から今後、数回に分けて、

    カテゴリ『悩みの原因』で書くつもりでいます。

    ご自分の悩み、その対処方法にご参考になさってください。



    そして、今日の記事のテーマは

    『自然界は、われわれの師です。分析する対象ではありません』です。



    えっ! 悩みの原因と、自然界と、どう関係してくるの?・??  

    そう思う方もきっと多いことでしょう~ (笑い)





    そこで、近視眼的にならずに、気が付いてほしいのが、

    宇宙、地球から、人間の命の存在を見れば、

    足元の野辺の花と同じでっすよ!



    どちらも自然に従わなければ滅びる存在です。


    天に逆らえば、生きて行けない、

    自然淘汰される存在であります。



    これを忘れている・・・






    科学が万能で、アンチエイジングのお化粧品で皺を伸ばし、

    健康食品で私達の健康も守るれるし、

    ヨガやジョギングで寿命も延ばしてくれるじゃない!


    野菜は水耕栽培で作れるし、畑はいらないわよ!

    子供は、お勉強させればいい仕事につけるわ!

    自然はいいけれど、住むには虫や汚いのがイヤなの!   あはは。





    ほっ~、

    これらは全部マスメディアから流された情報を、

    そのまま受け入れて、あまりにも素直に信じ込んでいませんか?


    マスメディアからの情報の後ろには、何があるのか?

    お金儲けをしたい企業の論理があり、

    私達にとって、本当は不必要なものを、

    私達が欲しいと思って消費行動へ駆り立てられるように、

    仕掛けた罠があるのですよ~






    これは、宣伝~と思っている間に、いつのまにか、馴らされて、


    私達は、企業の作ったニセ自然の中に追い囲まれて、

    本当の自然を命で感じる時も、空間も、失っていませんか?






    昔の人たちは、今の私達のような高学歴ではないけれど、

    今よりもっと、自然の胎動を肌で感じ、観じ、真理を悟っていました。

    今は、身近な自然が破壊されて、

    直接、私たちの体で接する機会すら少ないでしょう。



    せっかくの高原の木々も、

    道路を車で走りながら、窓越しに眺めて、

    それが自然の中だと思ってしまっている?






    それより、なにより、私達と自然を遠ざけたのは、

    近代科学の、自然を対する方法として、分析研究する姿勢です。

    いわゆる、知識で自然を知ろうとする姿勢に偏っている事です。



    自然を知る前に図鑑で読んで、テレビで見て、解った気になる。

    不思議な習慣を身に付けてしまっている、わたしたち・・・





    しかし、私達を取り巻く自然は、

    分析しよう!研究しよう!とする態度では、本質の姿を現しませんよ!

    勉強や、読書や、ではその存在に迫れませんよ!



    理解したと思っているかもしれないけれど、、、

    それは、偽(いつわり)なのですよ!

    いつのまにか現代科学の常識で見ようとする我々は、

    自然に対して、傲慢そのものになってしまうのです。





    だって、もともと我々が自然を産んだのではなく、

    我々が、自然界から生み出されたのでしょう?   




    我々が自然を生んだわけじゃない! 我々は子なのですよ。




    自然界は、我々の父母とも言えるし、

    どう人間として育っていけばいいのかを教えてくれる師なのです。

    木々は、山々は、海は、水は、空気は、皆自然のリズムを守って、

    地球を守ってくれているではありませんか?


    私たちの命を守ってくれています。人間のためじゃないのよ!



    それぞれの存在を守る為に、自分のリズムを狂わさないのです。

    共同体の連帯の守りあうリズムが、あるわけです。



    人間は、自然や地球を利用はしましたが、どれだけ守りましたか?

    山を削り、海を汚し、木々を倒し、汚れた空気を撒き散らしています。



    そもそも、それを許し、自然を相手にそうしろという思想が、

    西洋文明そのものなのですから・・・・・





    何度も言いますよ! 

    今の際が、西洋文明の限界なのです。




    もともと自然界は人間如きが、分析をする対象ではありません。

    分析する態度や、方法、結果が間違っていたら、

    その誤謬を受け取るのは我々です。




    我々の命です。




    我々の理性がそれに気が付くのは、命に結果が出てからですよ!

    現象を見て、(見えるようにならなければ動かないのです!)

    苦しみが、嘆きが、出てこなければ事実と認定されないでしょう?

    それも、一人くらいの犠牲者なら無視されるだけです!



    理性というものは、そういうものです。




    私達が理性!理性と頼るほど、理性は人間的ではありませんわ!





    理性が作った知識を後生大事にすると、どうなるか?


    自然界には、理性という存在はありませんよ。

    自然界には、知識という存在はありませんよ。

    理性も知識も、人間が作った概念ですから、

    理性と知識は、例えれば、

    骨折の手術で、骨の変わりに入れる金属に似ています。



    絶対に必要な物ではないという事です。あれば、便利という物です。



    それでも知識に偏るということは、

    自然界にある無限の法理のなかから人間の発見した、たったひとつ、

    頭の中にあるそのたったひとつの理屈に囚われているということですよ。




    この偏見を詰め込む為に、小学校から大学まで、16年間もかけて

    親は苦労をして、財力を傾けて子供を教育する。

    その結果が、就職先もない、結婚もしない、当然子供も生れない。

    (この事は、又、詳しく取り上げようと思います。)



    なんたることか! ふざけるな! と言いたくなります。 


    ほーー。


    これが、明治維新以来わが国が魂を捨てて、

    ありがたく受け入れた

    西洋文明を真似た知識教育、学問体系、なやみ製造装置です。




    鳩山さんがお悩みになっている普天間の問題も、

    綾小路きみまろ式に言うと、

    ”あれから、140年~ 日本の状態は、

    少しも深化もせず、ニセ西洋式を改良もせず、そこから脱皮もできず、

    西欧るつぼを真似した蛸壺に嵌まっている状態だけじゃな~い。”


    こうなることは、

    140年前にやった事を因と見るなら、今現在が、その果です。

    因果応報、判っていたことなのです。




    因は時を経て、それにふさわしい果を結びます。

    思想的な因果応報は100年~200年に亘って結果がでて来ます。





    人間の作った概念、知識は、自然からみると、人間の勝手な偏見!

    そのものです!

    それで、その偏見に固まって自然を見るとどうなると思いますか?

    自然の事実のありのまま全体が五感に入ってこないのです。






    すなわち、


    ご存知のように、脳は自己に都合よく事実を補正、修正しますから、

    全体を捉えるどころか、意識に引っ掛かった細部にばかり目がいき、

    それをまたまた、自然の真実と誤解します。



    (あ、科学の学問の全てをダメだと言っているわけではないのよ!

    科学の分を弁えた扱いと、用い方が必要です。

    なぜなら、人間にとって、不幸にならないようにする為に。)




    自分の五感で感じた世界の枝葉末節にとらわれると云う事は、

    結果は、あくまでも

    自分の主観の世界に閉じこもるということです。




    明らかな明確な客観世界を失う事です。

    自分の主観世界と相手である環境の客観世界とのずれが生じる事です。





    このズレが、あなたの主観世界における悩みという現象なのです。


    地球規模では、温暖化現象。あくまでも人間側の主観内の問題ですが。







    もう、ここでお解かりになりましたね。

    主観と、客観のずれです。


    自分の悩みの作られるプロセスは。





    宇宙世界だって同じなのです。

    宇宙や自然や地球は、ある法則に則って運行している。

    それを、人間は、ほし★を物質と捉える世界だけに限っても、(物理学)

    未だすべてを明らかにできないのです。

    解っているのはほんの一部です。

    人間にとっての自然という大客観世界と、、

    人類という大主観世界のずれが、今の地球を取り巻く問題の原因です。






    さぁ、


    話を、個人のレベルに戻しましょう。

    悩みというものは、自分と相手とのズレが生じて、、、

    それを感じているのはあなたの主観世界です。

    そういう場合、大抵の人は、

    自己の五感で感じる不都合さを主体に、軸にして考えますね。

    それは、いわずもなが、自己本位です。

    そうなると、人は、

    自分の五感が感じる苦こそ真実と、

    それらの苦から自分を守る手だてばかりをさがします。




    その苦に対して、自分の力不足が解っていればいる程、

    だれでも自分が可愛くて大事ですから、(笑い)

    他者の事などどうでもいいエゴの世界に入っていくのです。



    これが、悩みの世界。地獄です。

    間断なく苦が続くのを無限地獄と言います。



    今の地球、人間が自然に対して、この状態ではないかと思っています。



    要は、明らかに、もともとあったように、未来にもあるように

    大らかに相手も包み込んだ全体智が失われています。

    この全体智は、大げさに聞こえるかもしれませんが、

    地球は、どこに属しているのかという自然界を眺める視点が

    我の中から失われてしまう、そういったわけなのです。



    なぜ、自分の五感で感じたものが頼りになるようでならないの?

    自分の五感を頼りにできるのは、芸術までではないですか?

    これは、前のブログ記事のヒエラルキーです。




    自然と云うものは、そもそもが、

    私たちの5つの感覚器官で捉える事ができると誤解をしている領域と、

    まったく捉える事ができない深い存在を秘めているからです。

    この領域をも扱うのが、宗教、哲学、そういったものです。



    だから哲学が大事なのです。



    どういう哲学を持ち、どういう概念に染まっているかという事が、

    自分に現れる幸不幸という現象だからです。

    自分の根ざしている哲学や概念が、より高次へ進んだ時、

    真実は、私たちの心身を発見とか感動とかで襲ってきます。




    私たちの中の無意識の直観が、

    私たちの中の現代科学や雑多な常識=宇宙からみたら狭い偏見にすぎない

    ものを、ダイナミックに打ち砕いた時、瞬間が、

    宇宙そのものが我々を包んでくれる素晴らしい瞬間に変わるのです。



    人間の造作(理性、知識、学問)は宇宙にとったら雑多なゴミなのです。




    確かに知ろうとする時、又は、万人に知らせる方法論は大切です。

    そのための策やハウツーも否定する気はありません。



    しかし自然や命へ対しては、この態度では失礼です。間違いです。



    現代の問題は、みんなそうです。

    いつも、人間は自然を誤解し、自分勝手に利用しようとしています。

    その誤解の上に、自然に無理強いをしても、自然はおう揚ですから、

    今までは、それでも不都合は生じませんでした。

    しかし、もう、だめですよ~~


    間違った人間知の主観世界を捨てない限り、

    その主観世界の持ち主=あなたが、

    しあわせにならないのですから・・・・・



    大事なことは、自然の本質を見抜くための視点を獲得することです。

    そのためには、東洋的思考を取り戻す事が大事と思います。

    西洋の膨大な知識を用いるのには、東洋の知恵が要ります。




    営々と努力をしてきた先人たちの知恵、

    昔からの歴史・文化・風土、をも踏まえる勉強をする事、

    それを目的に分析、研究をする、


    その時に同時に、

    決して分析、研究では、無理なのだという

    そういう謙虚さを身に付けること、

    自然に向かう時に、そういう姿勢が絶対に要るのです。



    そのためにも、自然の中で、時間を忘れて遊ぶ事です。




    自然は自分と他を分けていません。


    主客が一致している世界です。


    花は、自分が根を下ろした所、その空間を受け入れ、

    一年365日の何時が自分が咲ける時かを知って咲きます。

    なぜなら、花の生の主観世界と自然の客観世界のズレが生じたら

    自らが咲けない事も、実を結べない事も知っての上なのです。


    自然の摂理に従う事が生きることなのです。


    人間は、この事を忘れています。




    あなたの主観世界と、あなたの客観世界である相手の主観世界が

    合一した時、

    二人の間の、瞬間が、

    宇宙そのものがを包んでくれる素晴らしい瞬間に変わるのです。





    その時、悩みというものは、


    太陽の照らす一滴の露のように、消えていきます。














    今日からGWの最後まで、自然の中に埋もれに行って来ま~す。

    たぶん更新はその後になると思うので、しばらくお休み! 

    よろしくお願いします。
     

    良き休日の一日一日をお過ごし下さいね~





















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 気付き・・・そして学び
    ジャンル : 心と身体

            

    悩みの原因2 苦楽を作っているのは主観の世界です

    Category : 不幸の原因
    森のこども

    森で遊ぶ子供たち








    ゴールデン・ウィークも過ぎ去り、

    さぁ、『 悩みの原因 』のつづきです。

    これで一応締めくくります、、、


    少しでも、あなたのなやみを見つめる手助けができれば・・・・・








    苦楽をつくり出しているのは自分の「心」に外なりません。

    苦も、楽も、自分の”心の中”の問題です。

    いわゆる自分の”主観”の問題です。


    同じ事物でも、

    人によって、苦にもなり、楽と映るときがあります。


    同じ人物でも、

    対する人によって、ひどい人にもなり、やさしい人に映ることがあります。


    苦なのか、楽なのか、

    ひどい人なのか、やさしい人なのか、認識するのは我です。





    苦も楽も、我のなかで作り上げたものです。










    あるものを”ひどい”と認識して苦を作り出すのは我です。

    あるものを”やさしい”と認識して楽を作り出すのも我です。




    苦の原因も、楽の原因も、両方が我のなかにあります。




    我が感じて、認識する事が、つねに正しいと人は思い込みやすいですが、

    誤謬の場合が多くあります。


    ほとんどかもしれませんね~ (笑い)




    たとえば、5歳のあなたと、17歳のあなたの認識は違ったでしょう?

    たった、12年という時を経るだけで違います。

    たとえば、隣町に住んでいたら、という場所を変えるだけで違います。



    そのように、あなたが見て、認識した物は、

    あなたが『我』というフィルターをかけて見たものではありますが、

    そのもののありのままを、認識したものではないのですよ。



    これに気が付くと人は、大人になるのかなぁ~

    または、賢い人と言う。 

    幸せになれる人です。


    どこまでも自分の五感の認識が、世界の真実のように思い込んでいる人は、

    いつまで経っても子供、幸せにはなれません。

    まったく、普天間問題の鳩山さんが、いい例です。



    自分の主観は、狭い範囲のものだと、気がつかなければいけません。


    ここのところを、ちょっと教えてあげて、

    その人固有の運を指し示すのが、私の仕事です。



    我=自分だって癖があり、歪みがあり、移ろって定まらないという事です。

    だから、百歩下がって、自分の主観が物事の有りの儘の実態を

    知ったわけではないのかも知れない?という謙虚さと

    他人の助言を素直に聞くことができるように心がければ、

    『我』のレンズの汚れを拭い、磨くことになります。



    悩みの本質というものは、

    苦を感じた現実をどうするかということよりも、

    「我の苦を!この感じた心を!どうして楽にできるのか?」ということで、

    自分の感情をどうするかで、いっぱい!いっぱい! 自分の感情の事へ、

    それが、いつのまにか悩みとして大問題にすり変わっているのです。


    1、それから、苦から逃げたい、どう逃げようと、逃げる方策を捜します。

    2、それから、逃げることを正当化する理屈を作り上げます。

    3、そのためには、正しい自分が苦にあっている。逃げて当然である。



    だから相手が悪いと、三段論法でウソを固めて行くわけです。


    これを、自己欺瞞といいます。



    あなたの現実はあなたの心の反映にしかすぎません。

    自分=我の歪みを反映した苦の現実に染まって、それに反応していく。

    あなたの苦に同じように反応する環境に、また反応していく。

    まるで自分の反応した影を怯えているようですね。


    虚は、追いかければ追いかけるだけ疲れます。


    お気づきになられましたか? (笑い)



    これが、最大の不幸の原因です。

    こうなると打つ手打つ手が間違い、苦が苦を呼び込みます。

    自分が我のなかに苦を育てて、

    我が自分を苦の中に縛り付けているのですよ。



    こうして、


    あなたの心に描いた苦の映像は心のフィルムに焼きつけられて行きます。

    その心に描いた苦の映像をもとに、起点にして、

    あなたは知らない間に自分の現実を作り上げてしまうのです。

    数日後か、数カ月後か、数年後か、もしくは30年後に、

    完璧な現実が、あなたの周りに出来てしまいます。

    あなたの認識を原稿にして設計し作り上げた現実です。



    それが、今の現実の姿です。

    よ~く、お分かりになられましたか?



    国家や時代は、2~300年のスパンで、

    個人の取り返しのきかない現実は、

    10~30年のスパンで固まっていきます。




    そこから、這い出したいなら、

    主観のなかにいる限り、無理ですよ。

    主観のなかに閉じこもっている限り、しあわせにはなれませんよ。


    植物は、自分が、どうあれ、どうありたいと思うより、

    あたりまえのように自然と環境と調和して伸びていきます。

    我の心が、彼の心と一体なのです。

    我と彼の差異が見当らない世界が、自然の自然な?姿です。

    なぜなら、

    自然と環境に調和できなかった種は、淘汰されていきます。

    それが自然の掟です。前回、書きましたね。


    人間が、淘汰された姿? それは、又、書きたいと思っています。



    人間も、主観の世界から、客観性の世界に羽ばたかなければいけません。

    そう! 成長をしないと、宇宙と調和できないようになっています。



    これがこの現世のしくみです。




    主観は人の数だけあります。

    100人いれば、100の主観があります。

    100,000,000人いれば、100,000,000の主観があります。


    だからこそ、いいのですよ! 

    それぞれ違う結婚相手が見つかるわけですから、、、あはは!



    しかし、客観的事実は一つですよ。



    環境の表層を、感覚的に捉えて反応していってはダメです。



    しあわせになりたければ、苦を感じた現実に両足で立って、



    自分を知ることが、出発点です。


    よく、『自分を見つめて!』と言いますね。

    あれです。


    自分の実像を知ること。


    自分の調和点、不調和点を知ること。

    それが、客観世界に像を結び、あなたの客観的現実を作ります。

    それと主観的現実との落差が悩みの原因です。



    自分の調和点、不調和点は、

    全て、運命学の自分の出生命式に表れてきます。

    手っ取り早くそれを知りたくなったら、

    いつか、運命学の門を叩いてくださいね~


    人が淘汰されたらどうなるのか、

    すこしづつ、記事にしたいと思います。















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。





    テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
    ジャンル : 心と身体

            

    悩みの原因3 主観の世界から客観性の世界に羽ばたく翼のちからは?

    Category : 不幸の原因
    尾瀬沼

    尾瀬の群馬側の入り口、大清水 標高1180m 

    国立公園のほとんどの土地を東電が所有している。








    今日は、もう新しいジャンルで記事を、と思っていましたが、

    前回の記事に、さまざまなコメントをいただきました。

    それぞれが各々の立場でくださったありがたいコメントですが、

    今回ほど、その違いが興味深かった事はありません。

    下へご紹介しましょう。


    実は、私自身、書きたりなかったかな?と反省する点がありましたので、

    今回も、「 悩みの原因 」を続けます。パート3です。



    ☆ 今日、cosmosさんのブログを読んでて、益々感じました。

    やっぱり、全ては自分なんですよね。





    ☆「苦」に直面したときの対処法・・・「自分を見つめて!」ですね。

    人生は、心一つの置きどころ!ともいいますが、

    現実を直視できる強い心を持ちたいと思います。





    ☆ 主観の世界から客観性の世界に羽ばたく=

    羽ばたくには、なにか大きな力がいるような気がして=

    どこから、その力を得るのか、考えてしまいました。=

    宇宙と一体になった時に羽ばたける? そう一瞬ひらめいたのですが=





    ☆ 主観と客観との相違点を見つけられるには、相当冷静に自分を見つめられ

    ないと、、、





    拍手コメントから。

    ☆ 言われてみれば、まさに自己欺瞞の世界に生きてますね。




    あははっ~!

    本当にいつも温かい個性あふれるコメントを、ありがとうございます!


    この際、少し深掘りをしてみたいと思います~ (笑い)



    さぁ、うまく水脈に突き当たるか、どうでしょう~~  (笑い)




    コメントいただいたのを、要約すると、


    まさに自己欺瞞の世界に生きているので、

    その主観から決別して、反省をする。

    自分の責任で冷静な客観性を持って自分を見つめる。

    見つめると言っても、単に見つめるだけでは、

    あくまでも、観念の遊戯に陥る世界です。

    自分流の自我に汚れた見つめ方しかできません。



    それを、おそらく、

    ☆ 主観の世界から客観性の世界に羽ばたくには、

    大きな力を何処から得るのか 
    と、気が付かれたのでしょうね!

    すばらしい!!!

    なんと言っていいのか?!

    そして、主観=客観の合一した世界を目指す。 これですね~




    実にすばらしいと思うのは、いつの間にか、

    見つめるだけで、なんとかなるという自己満足的なあきらめを、

    脱しようとする皆さんのエネルギーです!

    それを伝えたくて記事にしたつもりですから、

    ここまで理解をしていただいてうれしい限りです!





    念の為にパート3の記事を書こうと思ったのは次の点です!


    心の思い方だけで、なんとかなると思うのは、

    それでは、あまりに唯心的すぎます。

    唯心的な低空飛行を超えなければ、

    反省や改心が偽善に堕ちてしまうことだってありますからね。 



    そういう甘えでもって、苦や悩みから解脱をしようと思えば、

    今の世間に流布している西洋文明の唯物的思考へ流されるか、

    どちらにしろ、低レベルの停滞感しか残らないですから・・・

    これらはどちらも、唯心も、唯物も自己欺瞞の一種です。




    自己欺瞞は、徳を失くし尽くすスパイラルです。




    苦を避けるノウハウや、悩みを避ける対処法は

    ネットのなかでは、商売になっていますから。

    そういった要領を売るセールストークに溢れた今の世の中は、

    中身がいかにもあるような欺瞞的な言説が広まっていますから。

    キラキラした言葉や、フレーズが先行しています。



    自分を見つめる。と言いながら、言葉だけ、

    結果的には、忍耐だけを強いる対処法に堕ちてしまいます。

    最後は、諦めしかないのですね。


    これは、人をだます、古典的な手法です。


    むかしは、プロがヤッテいた事を、今は素人がヤッテいます。

    その餌食にならないように、、、、、

    それだけは、避けなければ、、、、、



    自分を見つめると、言っても、簡単ではありませんね!

    それは揺るぎない、不動の対境があってのことです。

    こちらの甘えを許さない確固たる存在があってのことです。

    言葉や、本に書いてあるフレーズにだまされないでください。

    それらは、あなたの甘えを利用して、あなたを利用したいのです。







    揺るぎない、不動の対境とは?



    具体的な一つの例を書いてみましょう。


    先日、運命学の生徒さん初心者ばかりの皆で、山登りに行った時、

    こういう事がありました。


    頂上からの下山道で、私のすぐ後ろを歩いていたMさんが、2度も滑って仰向

    けに倒れました。

    一番、活発で元気、背もすらっと痩せたMさんが、転ぶなんて、、、


    それまで楽しく話をしながら歩き進んでいた皆は、びっくり!

    その時、後ろの別のグループの下山の人の中から、

    「 よそ見して、話をして歩いたらだめだ! 」と声が飛んで来ました。



    怪我がなくて、よかったけれど、左側は柵のない崖よ!

    やれやれ、と胸をなでおろしながら、私は、原因を探っていました。

    靴? 靴底? 荷物のバランス? 不注意?などなど、、、



    帰りの車のなかで、Mさんが私に、質問をして来られました。

    Mさん、「 歩くとき、何処を見て歩いていらっしゃるの?」

    私、  「足場のない山道だから、次の一歩をどこへ踏もうかと

          足元と道ばかり見て、必死になって歩いていたわよ。」

    Mさん、「そうなんですね! 私、皆さんがおしゃべりしながら気楽そうに歩い

        ていると思って、景色がきれいだとか、周りを楽しみながら

         きょろきょろ見て、歩いていました。」

    私、  「えっ~そうだったの? 余裕を感じていたのね 」

    Mさん、「 というか、馬鹿なんですね! 楽しみに来てるって勝手に先入観が

         あって、御気楽に思っていたから。だから、転んじゃったんだって、

          よそ見するなと知らない人に言われて、、、。 」

    私、   「 そうね、今日の道は、よそ見する余裕はなかったわね。」

    Mさん、「 それがいつも私は、そうなんだな、と気が付きました。今まで何か

          ずっと、御気楽に生きてきたのが判りましたよ~」

    私、   「 そこまで考えたの? すごいね。自分の生き方まで反省したんだ!」

    Mさん、「そう、いつも注意されて反発してきたけれど、自分が普通の人とそこ

       が違うんだって、さっき転んで判ったというか、 自分の行動に対する不

          注意さに、そう、今日気が付いたわ!」

    私、  「 まぁ!すばらしい~ 不動の山が相手だから気が付いたのよ。

       自然に対しては人間が変わらなくちゃいけないものね。

       自分と同様に移り変わる相手なら、相手が悪いって片付けられるけど。」

    Mさん、「 山のぼりや自然が相手って、なにかしら気がつけるのですね。

        自分が馬鹿だなって素直に気が付かせてもらえるし、同じことをしても

        いろんな取り組み方があるし、いい経験、山登りを続けて行こうと思いま

          した。」





    私は、内心、はた目も気にせず素直に心を吐露するMさんを見て、

    自然を相手にしたら、どんな人も素直になれるんだなぁ~と感嘆しきり!



    Mさんは、心なしか、まあるい感じに変わっていました。


    ということで、Mさんは自分を見つめるいい結果が出たということです!

    この気づきは、人生万般へ行き渡ることでしょう。 めでたし!



    このように、人は、自分の主観の狭さや偏狭さを、

    打ち砕いてくれる対境に出遭って、自分の姿に気が付くのですね~

    それは何かに打たれたり、失意や感動の中から、

    自己の主観を捨てられるのです。





    自分を見つめる対境として、自然は、おおいなる師匠なのです。





    あなたも、自分の主観を捨ててでも飛び込める客観を見い出して、

    自分が対境と調和する桃源郷を、

    あなたの周りに、すばらしい時空を実現してくださいね。


    それは、

    まあるい輪の中へ包まれて、宇宙に浮かんだ浮遊感、

    ひとつのリズムで揺れている、そういう幸福境ですよ~~。















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。




    テーマ : 関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨)
    ジャンル : 地域情報

            
    プロフィール

    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

    最新記事
    カテゴリ
    月別アーカイブ
    最新トラックバック
    最新コメント
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    QRコード
    QRコード