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    不妊治療と子供運について (コメントのお返事) 

    Category : 運命学と科学
    101113ヌエックの庭


    落葉












    今日は予告の通りに、コメントへのお返事です。



    いつもコメントを下さってありがとうございます。



    まずは、最初に、拍手コメントからです。






    “ 那須高原すてきですね。



    孫が今度入学する学校では男の子が20人、女の子が37人だそうです。



    ふと自然界の法則を思い出しました。



    少子化が進むので女性が増えるのかしら? ”





    あたりまえと思って、何気なく通りすごしていた風景を、

    なぜ男なの? どうして女ばかり? 


    と意識をしていただくようになったのですね。(笑い)


    あぁ、よかった~!




    何事も偶然はないのですから、そう思ってこだわって眺めると、

    表面の現象の奥に、何かが見えて来るはずです。





    意識して”、、、、、そう意識


    こう言う時こそ、意識の力を利用しましょう!  (笑い)


    それにしても、男児20人に、女児37人! ですか、、?


    驚きますね。

    でも今どき、そうかも知れない・・・・・



    私の相談者、個人的な身の回りでも、女児誕生が多いです。

    何人もお産みになるのに女児、というパターンです。





    運命学から言うと、女系化のご家庭が増えているに違いない、、、。

    1,2代先には .(ピリオド)が打たれるご家庭です。


    個人の生き方の問題で、、、勝手でしょうと言われれば、それまでですが、

    それが蔓延すると、社会は、国はどうなるの?


    その危惧を心にずっと持ってきました。


    なんとか打開しなければ、、、、、




    『少子化』とは言うものの、

    『家』がなくなると言う視点で捕らえないのは、なぜ?



    社会において

    『家』の単位が見落とされているからですね。


    (家については、後日記事にしたいと思っていますが)





    国の政治や思潮の流れは、

    個人を、直接ダイレクトに、社会へ、つなげようとしているようです。




    家や家族、家庭を飛ばして、

    子育ての『社会化』、女性の『社会化』、○○の『社会化』へ、



    個人と個人の絆を断ち切って、

    あの手この手で社会化しようとしています。


    ほら、まるで、 DNAの鎖をバラバラにするように、


    無縁化は問題だ。と言いながら、国が、個人個人の絆の糊を、


    外していっているようです。。  。




    戦後の個人主義に対抗しているのか知らん?




    その基になっているのが、何事も統計で取った数字です。


    その統計の数字が、真の実態であると何時の間にか国民に錯覚させて、

    非常に上っすべりな認識でもって、我々国民を扱っています。



    この数字化こそが『陰』の『陽』化であり、


    人間の数字化こそが、創造性の『陰』の本体の無視です。







    たとえば、


    少子化もアンケートを取れば、

    保育所が足りないから、

    子供を増やすには保育所 ! なんですって、


    あはは。


    女性が子供を産まない事を、自然の営みの停滞を、


    保育所という”モノ”でなんとかしようとする!




    ほんとうに恐い流れだなぁ、と思っています。




    保育所があれば、女が子供を産む。だなんて


    保育所という交換条件で、子供を産ませられる?  (笑い)


    女の心が、物で動くと思っていらっしゃる?


    保育所の予算(モノ)を与えれば女が買収されると?





    大真面目に国会で、こういう議論を、国会議員が、政治家が、

    歳費をもらって、時間つぶしで?

    言っているのには、笑ってしまいます!



    そもそも、国は、女を安く見くびったものですね~



    どうせなら、もっとお品のいい高尚な事をやってほしいな~!


    と、思うわ!! いかがでしょうか?






    意識は、勝手な都合のいいロジック(理論)を作るのが得意ですから、


    さも、正しい理屈のように虚構を構築する。。  。


    政治とは、そもそも人の作ったロジック、虚構の上にあるものですから、


    その上、何事も経済に結び付ければ、、、大義名分? 



    女が子供を産まなければ、、、女が社会へ出て働かなければ、、、


    日本の経済はだめになる、なんて脅す言葉を流して、


    まるで、恫喝ですよ~!


    それも理屈ばかりじゃない!  あはは。


    その保育所さえ、実現できていないでしょう~





    今の世は、本当に羅針盤がなくて、

    羅針盤の代わりに、数字に振り回されて右往左往しています。


    羅針盤の代わりに、数字教という新興宗教? あはは。 


    盲信したら、だめですよ!



    人間が、おばかな事ばかりしている間に、


    自然の摂理は、自然淘汰のリズムの太鼓を鳴らしています。




    トン! ト! ト! ト! トン!  ・  ・  ・  ・









    つくづく、、、


    女は、本質的だなぁ~と思わせられたのが、

    もう、ずっと前に、頂いていた次の拍手コメントです。


    その中に“選挙前”とあるので

    おそらく今年の参議院選挙前? 7月頃にいただいたものかな?


    必ず記事の中でお返事しよう! と今まで温めて来ました。


    遅くなり申し訳ありませんでした。


    よろしくお願いします。 




    今回、先の天武天皇系流の記事の内容にふさわしいだろうと思いまして、

    引かせていただきます。





    “ 選挙前で、政治家に望む事は?と言うインタビューを受けてる女性が、

    不妊治療費について発言してるのをTVで観ました。 


    このように、様々な理由で、簡単に妊娠出来ない女性も居ます。



    でも不妊治療、どぉなんでしょうか?


    向井亜紀さんの例もちょっと・・・。


    様々な意見はあると思いますが、私はどちらかと言うと反対派です。 



    私は、子供は御先祖様からの、贈り物だと思ってます。



    だから、私には男の子、、、授けては下さらなかったんでしょうね~。



    こんな嫁ですから・・・(^ ^;一概には言えませんが、そぉ思いました。 



    元々、男の子を産まないのは女性には責任がない!



    だから嫁が肩身の狭い想いをする必要はないと思っていましたが、


    御先祖様が認めた嫁には、


    ちゃんと男の子を授けて下さるんだと思います。



    やっぱり、子孫繁栄のためには、男の子は必要だし、大切ですね。”






    重いテーマが、いっぱい詰まっているコメントですね!


    すべてをドライに考えれば、そんなの関係ないよ。古いよ。で済みます。


    しかし、女性はどこかで分かっているのですね。


    これは、拘っているとか、古い因習に縛られているとか、じゃないわね。



    女性の心の底、無意識から沸き起こってくる思いを


    正直に書いていらっしゃる。





    ・・・・・・私はどちらかと言うと反対派です。
     


    あくまでも自然の営みは自然に任せておきたい。。。。。

    そこは、どんな苦があっても人間が触れる処ではない、

    楽であろうが、苦であろうが、

    そのままを、受け入れる事が正しいのでは、、、



    言葉には出さないけれど、同じような考えを持つ女性は多いはずです。





    自然界には、自分達の子孫を残すために産卵する生き物の姿が、、、。

    産卵のために川を遡上する鮭、

    海辺で産卵をして海へ帰っていく海亀、

    自然界では、子孫を残すためにメスを追いかけてがんばるオス、

    メスが卵を産み付けると、それに精子を掛けて直ぐに死ぬオス、

    自分たちの次世代を残す役割を自らの命に代えてでも果たす姿、、、




    命の迫真の一途さが、胸を打って、

    決して、可笑しいとか、頓馬であるとか、ふざけた感情など見当たらず

    どこかで私達は、心の心底で納得をし、感動をしますね。





    美しい死だとか、美しい生だとか、

    作為的な美の概念を作って、

    人間の理性が言葉でいちいち説明しなくても、


    そんなものじゃない、


    自然のありのままの生の自然な営みに納得します。



    その理由は、

    おそらく同じ衝動や願いを、心の奥底に無意識の深層に、

    共通の結びつきを我々も持っているからでしょう。






    不妊治療における理屈にならない抵抗感は、


    自然は犯してはならない。とか、


    自然と一体となった生き方を数千年貫いて来た日本人には、どこか、


    割り切れない思いがある。


    事実、倫理上の解決がなされていないし、法的にも認められていません。




    しかし、どんな事をしてでも、なんとか子供がほしい。

    そういう気持ちは無理もないと、

    心情は十分、だれもが理解できるのでしょうが、

    それが本当の人間の幸せに結びつくのか、完全な答えは出ていない。





    心の、倫理上の、精神性の問題が未解決なまま、

    科学はどんどん新しい局面を見せて来ます。



    現在の不妊治療には、最近は単なる排卵促進剤ではなく、

    人工授精、子宮外受精、先進の医療技術で、

    倫理的に承認されていない方法で、だから外国まで行って代理母を使う。


    これが、コメントの中の向井亜紀さんのケースでした。




    60代の実母の子宮を借りてまで、わが子をほしがる方も増えています。


    これらの場合、真にわが子と言えるのか? という問もあります。


    でも愛情が沸いて来て、可愛いと思う心情も汲み取れます。


    つい最近では、衆議院議員の野田聖子氏の例もあります。





    現在では、全世界において、

    10%以上の人がなんらかの不妊の兆候を抱えていると言われています。


    この状況をどう整理していくのか。




    今年のノーベル生理学・医学賞は、

    エドワーズ博士の「不妊治療における進歩・IVFの開発」の業績

    に対して贈られます。



    ホルモンが卵巣の機能や、卵子の成熟、排卵を

    コントロールするという研究によって、

    1950年代に、博士はIVFの治療の可能性に気が付いて、

    人の肉体外で人間の卵子を成熟させる事で、

    その卵子に精子を受精をする事を初めて示しました。

    また、その事は、同時に。人間の受精卵が、

    肉体外でさえ、初期胚や胚盤胞に成熟すると示したのです。



    1978年7月25日、午後11時47分、

    世界で初のIVFによる赤ちゃん、Louise Joy Brownが誕生。


    博士の研究は、それまでの生殖医療を進化させ、

    IVFのおかげで、400万人に達する赤ちゃんがすでに誕生しています。


    《参考:カロリンスカ研究所資料》





    今年32歳になったLouise・ルイスの映像は、世界中に配信されました。


    その成長をもって、問題なしとした

    ノーベル生理学・医学賞については、今時点としては無理もない。


    それはそれとして、




    しかし、前置きに、

    科学の出してくる進歩というのは、

    あくまでもひとつの仮説として見ていかなければいけない。



    そういう立場を確認をして、

    これについて、


    運命学的に考えて見ましょう。





    子孫を残そうと言う本源的な生物としての本能を、

    不妊治療で叶えられるのなら、生まれるのなら、いい事だと思います。



    しかし、その事で、


    子供運が、子供に恵まれ難かったという運が、

    完璧に解決されたのかと言うと、



    それは、別問題ではないか。



    というのは、『陽』の現象としての科学が、

    ひとつの生命体として秩序を作る宇宙本源の『陰』の本体を、


    統御できるとは? とても思えないからです。


    生命の発生するシステムを発見、利用した業績なのだ。と

    言い得るのでしょうが、

    それそのものが、生命の摂理の創造性から独立した方法ではない。


    独立できるわけがない。


    『陰』の本体から生じる現象を利用したものでしかない。





    そうである以上、



    もっとその奥にある運を作らしめている本体まで、

    人間の手は決して届いていないでしょう。


    科学の手は、届いていません!

    届くわけがないのです。


    影が、その本体へ手を伸ばせるはずがないのです。





    運命学的に言う処の”子供運”について、

    真の意味の、子供運の解決かどうかは、

    不妊治療の結果授かった命の、次の命の誕生、その次の命の誕生、


    そこまで待って見てみないと、何とも言えない。 




    そのように、


    東洋的な運命学における事実の追認は、


    『時』に委ねるのです。




    それも、最低三代の家系を観ます。



    その行為の因果としての、正か?悪か?の審判は、


    ある事を為した家系の三代目に、応報の結果が現れるという、

    そういう時間的経過の長いものです。


    また、一度積まれた因果は、七代に亘って影響があるという、



    非常に、今の情報社会の皮相的な時の扱いからは、



    気が遠くなる!  ?   あはは~!




    すぐに、数値か、目に見えるデーターなどで

    性急に判断をして安心したい現代人には、拷問のようなもの? あはは。   


    可哀想なくらい、ある意味耐えがたいでしょう?  あはは。

    真の意味の心の強さを要求される秩序があるのです。 (笑い)





    逆説的言えば、今現在の我々の在りようは、


    命の継承での系列で三代前の応報の結果であり、


    先祖の七代からの影響を受けているという事になりますか。



    それを知らずに、闇雲に何でも、前へ前へ、


    ポジティブがいいって、どこまでがポジティブなの?


    それすら計れない物差しのない物質文明の中で、


    前に行けば良いように言うのも正しいのか?どうか?


    振り返るというのも、必要ではないでしょうか?



    一途に待つという姿勢もまた素晴らしいものです。





    具体的には、


    普段、そういう事を考える暇もなく


    些事にまみれて生きて来た人でも、


    ある時、ふと、


    ご自分の生活が、ある程度の、

    ゆとりを持って来たり、

    衣食足って礼節を知ると言いますが、

    必ず、切実な悩みとなって来るのが、

    次のテーマです。




    男の子の誕生を望む。  切なる願いですね。



    そして、その次は、


    どの子に家を託したらいいのか?


    経営する会社を継がせたらいいのか?




    いわゆる目の前の事ばかりではなく、遠い将来の事を正しく処理したい。

    そう望むようになられるようです。



    そういうご相談を受けているのが私の仕事です。




    現在の世の中は、家系や家の継承について、無関心、

    無駄と見なしている空気が定着しています。


    しかし、

    それらは、深く根っこの処で現在の私たちの人生の花実に直結しており、

    決して無視して生きる事はできないのです。






    努力をしても、強いて勤めても、その花実を手にできなかったり、


    さして努力をしないのに、

    自分の掌中に花実を抱ける人というものがあります。





    皮相的な現在だけの姿から、

    それらをすべて説明するのには、

    人生は不可解、不平等、自分のふがいなさ等に帰着させるしかないのですが、



    本来の運命学は、あきらめでもなく、何の不可解でもなく、


    きちんと整理された美しい条理の世界を知ることができるものです。





    日本人のだれもが、すこしづつでも、


    今の社会を席巻している西洋文明の矛盾を看破する目を養い、


    正しく東洋の叡智の世界へ足を踏み入れてくださるように、、、、、、


    、、、、、、。




    冬の日の到来ですね。


    この当たり前の『時』の進行を、


    この『天の道』の『時』の存在を、


    生きていて命で覚知することのできるしあわせを、


    感謝しましょう。





    今日も平穏なよき日でありますように。



    ブログでお会いできて大変うれしいです。 



    次の記事も、コメントのお返事になります。































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    (歴史) 学問の知識で人生を考えてはいけない 1

    Category : 運命学と科学
    2月の那須岳


    2月の那須連山を望む



     
    「静かな午後」 の音楽を、どうぞ~!






    今日から『 学問の知識で人生を考えてはいけない 』 シリーズです。


    今日は、1.(歴史)ですから、

    歴史に関するコメントをご紹介しながら進めて行きます。



    ●『天武天皇・・・』の記事をお読みになった拍手コメントからです。


    学生時代日本史は大嫌いでした。

    こういう風に教えてもらっていたら好きになったかもです。 



    こう言っていただけたら、なんとなくコソバユイ感じがします!

    そう、本当は、日本史は、おもしろいものなのですね~!



    ●次のコメントは、


    床錦のうつくしさー奥床しさの言葉を思い起こしました。


    権威や名誉や地位のような男性的な価値観をものさしにした歴史が、

    他には、いっぱいありますが、

    『陰』から見た歴史という試みを、他では見たことがありません。


    こういう視点が、もっと一般的に広まっていたら、

    いまの女性たちも、男性を真似ることなく、

    自分の特性に目覚めたに違いないと思ったわ。


    なにが、女性をしあわせにするのか?

    古いというだけで、捨ててきたものを、もう一度見直さなきゃいけませんね。



    ほんとうにそうだわ~!

    権威や名誉や地位のような男性的な価値観は、『陽』そのものです。


    薪から燃え出る炎は、『陽』です。 薪そのものは『陰』に喩えられます。

    薪を燃えつくすと、炎は、消えます。



    薪は、大地から成った樹木。 大地は、『陰』そのもの。

    すべてを、育む命の大地です。



    樹と薪の存在を抜いた、燃える炎だけを事実だけとする歴史。

    炎の残滓を教え、記憶しないといけない勉強に落ちていますね。

    たしかに、今の人間が、無常の領域から、抜けられないわけです。



    女性的な価値観から、歴史を見ると言うような事は、少ないです。

    また、歴史上の重要人物についての詳細は、ほとんど無視されています。


    たとえば”日露戦争”をとってみても明治天皇が、どうだったのか、

    当たらず、触らず、です。

    だれが、どのような思想で、どうしたのか、さっぱり分かりません。

    こうだと書く視点を失っている。自信を喪失しているようです。

    その上、今の歴史は、唯物史観です。


    権力形成、その形態、権力者は誰か、時代の命名、年代だけです。

    これらは、すべて『陽』の側面のことばかり!

    つまり現象面そのものの列挙です。


    「権力」、その構造における「身分」の「格差」や「階級」は、

    すべて、『陽』です。

    権力を志向する人間の自我を守る意識が、作り上げた造作物にしかすぎません。

    目で見えないけれど意識や権力は、人間の意識の中の造作物にしか過ぎない、

    すべてが、意識のシワザです。



    しかし、


    『天・地』にはもともと格差や階級や権力と言うものはないのです。


    自然の摂理があるのみです。


    その摂理とは、自然はすべてが循環をして、移り変わり、


    時に合ったものが栄え、そうでないものは時によって淘汰をされます。


    自然の摂理から見ると、権力者すら淘汰されます。 



    それを、『天武天皇・・・』のシリーズの記事で書きました。




    こういう歴史の視点が、ありませんね。


    『陽』のみが強調された歴史です。



    それは、人間の欲望を主軸に、如何に達成したのかと言う歴史であって、

    仰るような、なにが、女性をしあわせにするのか?は、捨てられてる。


    たしかに、中高生の女子が、今の男性側に寄った歴史のお勉強を真面目にして

    いたら、”男のように偉くなりたい!”と勘違いするはずですね。 (笑い)


    しかし、決して、今の状態で、男だってしあわせではないのです。。 。


    いままで何度も書いて来た内容なのですが、


    現代は、


    ① 学問=西洋思想・へーゲルの意識=近代合理主義=二元論です。


    =人間と自然に分け=理性・感性に分け=物と精神に分ける。



    そういう近代的自我(個人主義)と自由を主張する人間が、

    現実の全存在を、意識でこのように分けて分けて分けた挙句、

    人間の意識が作ったロジックで組み立てた社会の仕組みです。


    そのフィクション(作り事)の世界の中に、

    近代的自我を持った我々が、孤立をしてバラバラにたたずんでいる。

    それが、科学が進歩?したと言う現代文明の今です。



    しかも、今の西洋文明は、物質文明に根を発している。

    精神をないものとする障害を持ったカタワの文明なのです。 

    ここは、お分かりになってくださいね。



     「要するに人格も法も国家も、すべてはフィクションなのであり、

    迫持(せりもち)、控へ壁などの備へによつて、その崩壊を防ぎ、

    努めてその維持を工夫しなければならぬものなのである」


    「問題は、すべてはフィクションであり、それを協力して造上げるのに一役買つて

    ゐる国民の一人、公務員の一人、家族の一人といふ何役かを操る自分の中の

    集団的自己をひとつの堅固なフィクションとしての統一体たらしめる原動力は何か

    といふ事である。 それは純粋な個人的自己であり、

    それがもし過去の歴史と

    大自然の生命力に繋つてゐなければ、人格は崩壊する。

    現代の人間に最も欠けているものはその明確な意識ではないか」


    引用:「福田恆存全集 6 覚書 」より




    すべて意識できる範囲という狭い領域に、

    人間が造った知識とガラクタの寄せ集めです。




    これでは、どこまで行っても人間も自然も、解りません。

    解りもしないこの空間に生じる新たな生まれ出た命は、

    自然の本然的な天災の災害から来る苦労に耐えるまえに、

    イビツナ社会を受け入れるという課題をコナサナケレバならない。




    これが、仏法の説く、四苦の中の「生」の苦の一部です。


    知恵と運が無くては生きていけない「この世」なのに~

    それを、知識だけで生きようと?  あはは。

    よっぽど運がいいのか、蛮行そのものだわ~。




    ある意味、この文明の中では、

    すべてが、人の意識が造ったフィクションであり、

    時とともに色あせる、いつか嘘になるロジックでしかない。


    人間は、地球上に、なんとガラクタなロジックを、

    いっぱい作った事でしょうか!  

    ロジックでは、子供はつくれませんし、産めません。  あはは。


    なのに、この人工のロジックで、

    人が生き、人が産み、人が死ぬ、人の生を語ろうとする科学文明、

    もってのほかです!!!!! 



    学問とは、人間の意識の範囲でのぞいた宇宙のほんの断片です。

    すべて、束の間の仮説であります。

    無常を克服できない、低レベルのしろものです。


    どうか、それっぽっちの知識で、ご自分の人生を決めないで...ほしい。


    人ひとりの、


    ② 生、人生、子供を産む、出会う、不幸、幸せ、歓喜、寿命、命、死。


    これらは、すべて意識できない領域からのエネルギーで成り立っています。

    『陰』の活動力です。


    今、活発に活動をしている”新燃岳”の噴火、マグマ、もそう!

    マグマに対して、アノ東大の先生方が、できる事は、

    重力計を、新燃岳まで運んで行ってマグマの動きを窺うだけなのよ! あはは。



    ウカガウだけ・・・・・コントロールなんて、とんでもない!


    だから、ちょっと本を読んだからって、

    学問をして知識を知ったからって、知ったかぶりして、

    ②のエネルギーを、①でコントロールしようなんて傲慢なの!




    ②の領域は、無辺大です。宇宙と同じ広さ。

    ①は、鉛筆の芯で、コツンと打ったメモ紙の上の小さな点。  あはは。


    だけど、現代文明は、コントロールできる、と言う幻想を捨てません。

    なんと、愚かな...商売にまでしている輩がいます。





    世間には①の情報ばかりが、ゴウゴウと流れていますね。

    お金が欲しい人たちが、ゴウゴウと、ゴミのような知識を流し続けているからです。


    いつのまにか知らずに、ゴミのような知識で、人生を見てしまう私たち。


    現代文明のなかで、自らの頭で考えていると思っているのかも知れませんが、

    実は、現状はそうではなく、

    あらゆる方向から、そう考えさせられているのではないのか? 



    この、あらゆる方向とは、何なのか?

    今の歴史も、そのプロパガンダの中のひとつです。








    何時から私達は、この不幸を、背負うようになったのか?


    原点は、やはり、幕末期から明治維新にかけてのわが国の、

    西洋文明の取り入れ方に、問題点があったのではありませんか?



    幕末維新期、幕府側も、西洋の物の考え方を知ろうと、

    西周津田真道、等を、オランダ留学に派遣をします。

    徳川幕府も、本気で西洋の近代を理解しようと奮闘していたのです。


    彼等の名前は、福沢諭吉ほど世の中に知られておりませんが、

    彼等が学んだ成果は、質量ともに福沢や他の当時の人と比べると、

    勝るとも劣らない学識、群を抜いているのです。




    現在、私たちが当たり前に使っている「理性」「哲学」と言う言葉を、

    オランダ語から翻訳をして作り出したのが、西周(にしあまね)です。

    他に、主観・客観・帰納・演繹・悟性・知覚・感覚・総合・分解、

    等の訳語は、今では完全な日用語になっています。


    これ等の訳語に見られるように、西洋文明の内容を含む言葉の和訳の過程で、

    西洋と言うものを、どのように受容するのかと言う姿勢が問われたはずです。



    その受容の姿勢や基準は、自国の伝統と文化が尺度になったはずですが、

    ある意味、それは、西周の精神の中の葛藤を呼び起こすものだったに違いない。

    日本と西洋の違いを再確認する事だったに違いありません。


    自国の伝統と、西洋のそれと、食うか? 食われるか?

    熟慮、葛藤をしたはずです。



    と言うのは、幕末期から維新にかけて、余裕のない日本人の精神状態、

    開国を迫る黒船のアメリカの圧力、

    国の存亡を賭けて、決めて受け入れなければならなかった。


    急ぎ受容を迫られていたわが国は、

    そのまま西洋を”普遍の真理”として受け入れざるを得なかった。 



    それは、オランダ語を日本語に翻訳すると言う言葉だけの問題ではなく、


    具体的には、西洋のロジックを「正」として受け入れる事は、


    暗に、我が身=東洋・アジア・日本を、

    ”特殊”として、目の前から外し、足元に遺棄せざるを得なかった.....

    両手から東洋を捨てざるを得なかったはずです。 



    その葛藤の中での西洋の受容ではなかったか?

    いまだに我々の精神は、心から西洋を受容できずに、

    その矛盾と葛藤の中で、金縛り状態です。



    西洋が一番で、日本を含むアジアが2番でいいのか?

    それでは、ダメなのですよ。 (笑い)


    子供のじゃんけんじゃない、負けても次があるという物じゃない。



    ”二番では、だめなのですか? ”  

    蓮舫議員の、あの発言が、思い出されます。  (爆笑)


    くだらない世間知らずな質問をした? 蓮舫議員~! 


    チャーミングな女だったから、笑って許し、済ましたものの、

    今度は都知事選に? 何を?するつもりなのかしら?  




    世界の国々の経済が、「力の論理」で成り立っている以上、

    一番でなければ、先がないのです。


    つまり、2番以下は、一番に支配をされる訳です。

    2番以下の殺生与奪の権利は、1位である者が握るのです。



    それが、国益のぶつかる外交、世界政治の現実です。

    対外国との交渉事です。


    ロシアは、北方領土に、軍事施設を作るそうです。 


    一番になれる名誉?なんかはどうでもいいのですよ。

    自分が一番でないと、一番の相手に潰されるから、

    一番を目指さざるを得ないのです。 あは!

    厳しさを、何もわかっていない蓮舫議員~!  あはは。


    こんな国会議員で、だいじょうぶですか? (苦笑)

    政治は、白いお洋服を着るファッションショーではない。 あはは。



    この実態が、生存の掟、『陽』の世界の偽らざる現実です。


    別名、弱肉強食の世界、です。

    自然淘汰、競争原理の世界です。 『陽』そのものです。



    そう言う列強の迫り来る環境の中で、

    幕末期、国防を賭けて、日本は、西洋のしきたりを受け入れました。


    これは、西洋の「力の論理」を認め、屈した事であり、

    =今思えば、東洋の敗北だったのでしょう!



    だから、この屈辱的な維新のすべてが結果正しかったなんて言えません。

    しかし、その検証と反省の為には、今は、まだ早すぎる時のようです。

    オーソリティの方達は、だれも声をあげません。





    こうして、日本はどこまで流されていくのですか?




    この西洋の近代を受容した時点から、

    東洋は、日本は、欝(うつ)のシンドロームのなかに入ってしまった。




    その延長が、近代化をなしとげたと言う現代の日本です。


    自らが、両手から滑らし、足元に落として2番手の扱いをした自国の伝統を、

    お節句に飾るお雛様のように、年に一回位、気休めに持ち出すだけでは、

    負けは、負け、負けは変わらないのです。




    65年前の敗戦と言う屈辱も、その延長上に、当然来るべきものでした。





    次は? いつ? どんな屈辱が、最後の止どめ? いつ来るの?



     今は、そこまで考えなければいけない時点です。




    それを避けるためには、何をしなければならないのか?

    お考えになってください。。 。





    それには、西洋かぶれした歴史の解釈だけでなく、


    侵略と権力を生む、人間の欲望の歴史ではなくて、


    『徳』を基軸にした歴史観、東洋的歴史観の視点を、持ちたいものです。 






    あまり深刻に考えると、パニックになりそう!

    どうでもいいじゃない? 今がしあわせなら~~ (爆笑)


    そうならない前に、、、無気力になったら敵の思うつぼだわ。 あはは。


    この社会が、現代の我々の不幸を増幅しているのです。


    いいえ、


    私達の不幸の原因は、社会のせいと言っているのではありませんよ。


    それに、気づけない自分に、原因と、不運があるのですよ。








    次のコメントまで、今日はご紹介したかったのですが、記事が長くなりました。

    ご紹介だけに止めて、また、続きは次回へ廻したいと思います。



    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。当然だと思うのです。


    女性流の成長を目指せるのでは、と思います。


    男性の成長は「前に進む」「上に積み重ねる」など、動のイメージですが、

    女性の場合、「動じない」が理想のイメージです。

    (動かない、変わらない、とも違って。)

    強いて動きで表すとしたら、「山の裾野を広げる」という感じでしょうか。


    ただ、「女性は陰、男性は陽」という大前提を

    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    それが通じない(=感覚として理解できない)から

    今のようになってしまっているのだとしたら、

    どうしようもなく深刻だと思います。




    冒頭の写真、那須岳ですが、「山の裾野」のイメージで選びました。


    いかがでしょうか? (笑い)


    写真をクリックしてみて、右端にもっと那須連山が続いています。




    もっと、ご紹介したいコメントが溜まっています。

    お返事お待ちになってくださいね。


    よき週末を、おすごしください!






























    参考文献:

    東京大学出版会『近代日本の政治構想とオランダ』大久保健晴 著

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

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    どうぞ宜しくお願いします。



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    (男女の別) 学問の知識で人生を考えてはいけない 2

    Category : 運命学と科学
    河津桜



    伊豆・河津さくら







    前のコメントのつづきからですね。

    今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を破す。

    現代のゆがんだ「男女平等」を破す。

    そう言う記事になると思います。 よろしくお願いします。







    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。

    当然だと思うのです。


    女性流の成長を目指せるのでは、と思います。


    男性の成長は「前に進む」「上に積み重ねる」など、動のイメージですが、

    女性の場合、「動じない」が理想のイメージです。

    (動かない、変わらない、とも違って。)

    強いて動きで表すとしたら、「山の裾野を広げる」という感じでしょうか。


    ただ、「女性は陰、男性は陽」という大前提を

    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    それが通じない(=感覚として理解できない)から

    今のようになってしまっているのだとしたら、

    どうしようもなく深刻だと思います。



    明快なコメント、その通りですね~。


    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。



    ここは、深い意味があります。

    今日は、儒教の ”夫婦の別 ”からです。




    儒教に、『五倫』と言うものがあります。

    父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の事です。



    同じく、『五常』と言うものがあり、

    五常は人に存する仁・義・礼・智・信の

    五つの人格における徳性を示します。



    えっ~! 封建的な、男女差別の始まりみたいな...

    儒教なんて古い!

    なんて思っていらっしゃるかしら? (笑い)


    ☆ 本来、孔子によって体系化された儒教そのものには、

    ☆ 男尊女卑、序列主義のような思想はありませんでした。





    儒教が、後世に伝わって行く過程に、

    さまざまな派生、流派が起こりました。

    それは、仏教もキリスト教の派も、イスラム教の派も同じです。



    中国は紀元前から、日本においては5C頃に儒教はもたらされ、

    天皇や貴族、権力者達は、一応、儒教を学んだとなっています。


    一応、学んだ? とは?  あはは。

     
    学んだ。頭だけで学んだ。 


    はぁ~主知主義の儒教だったのですか...

    それとも 心も、体も? だったのでしょうか ? (笑い)


    と言うのは、

    わが国には、儒教の徳性とは程遠い政治や生き様をして来た

    権力者の歴史が、あります。

    そう! 中国だって!  同じようなものです。


    真実は?実態はどうだったのか? 分かりかねます。 あはは。 


    それでも天皇や貴族が、「儒教を学んだ。取り入れた。」と、

    そう言いたかったのは、中国に対したカッコ付けも多分にあったのです。


    儒教には、尊い善い学問だというブランドイメージが、あった訳です。

    仏教もそうです。

    当時の知識者階級としての、プライドだったのでしょう。

    支配者階級にとって、大陸(中国)からの先進の学問を知っている!

    と言う事は、鼻が高かったのです。




    ”倭国というわが国は、

    仏教を学び、政治に活かしている聖徳太子のような

    皇子がいる国である。”


    そういう風に、倭国自体を非常に美化をして見せたかったわが国、

    遣隋使に親書を持たした当時の状況を考えると、

    中国と肩を並べるのに必死だったありさまが浮かんで来ます。




    民衆も、当時は知識教育を受けているわけではありませんから、

    権力者に、これが「儒教」の教えなんだと(ウソ)を言われても、

    黙って従うしかなかったでしょう。

    その儒教のブランド力を利用し、権力者の都合のいいように中身を改竄し

    て、時の権力者が民衆を統治する為に、利用をし悪用をして来ました。



    儒教の名を借りて、権力の強化を行って来た歴史があります。



    わかり易いのが、142年前までの、徳川幕府です。

    封建制度の幕藩体制を、正当化する為に朱子学を御用学問として重用し、

    本来、人間の人格の陶冶の為の五倫五常の思想を、

    短絡的に政治へと利用しました。




    「夫婦の別」の思想を捻じ曲げて、男尊女卑の思想基盤に変えて、

    「長幼の序」の思想を捻じ曲げて、

    単なる身分の序列主義に歪曲しました。





    そうする事で、

    武士階級の確立と、士農工商の身分制度の正当化を作為したのです。

    また、儒教の『五倫』の中から、”君臣の義 ”を引っ張り出して、

    士農工商の最高位の武士階級の正当性のバックボーンとし、

    武士階級の理念の理屈付けと作為に利用したのです。




    そのように政治や権力は、『偽』を免れません。

    『陽』は、「偽」の意義を持ち、

    政治や権力は、『陽』の範疇です。


    『陽』たる「偽」の意義たる権力者が、行って来た事です。



    この事から、儒教と聞けば、封建的、古い、身分制度、男女差別、等の

    イメージ、先入観が現代には色濃く残っています。


    今の時代、儒教というと、個人の尊厳を捨てなければならない?

    何かに服従する教えとか、家父長的な権威主義とか、

    個人の自由を抑圧する理念的な不幸な社会装置だとか、

    違和感を覚える人も多いと思います。


    その先入観は、間違いです。

    孔子の説いた儒教とは違います。

    その先入観の原因は、長く続いた江戸時代の幕藩体制を支えた

    (儒教の一派である)朱子学の概念です。





    これは、いつの時代も同じです。



    隋という大国に認められる為に、

    その次は、唐という大国に属国扱いを受けない為に、

    対等だと認めさせる為に、

    儒教や仏教を取り入れざるを得なかった。

    しかし、この場合は、

    同じ東洋、アジア圏であり、体内に矛盾を持ち込まない

    漢字も道徳も宗教も一緒の、丸飲みの受容だったわけです。




    これとまったく同じ現象が、

    それから、約1200年後の明治維新に起こります。




    今度は、欧米の列強に負けない為には、対等な国力を示す為には、

    ① 古い儒教(実際は朱子学ですが)の封建制度を捨てて、

    ② キリスト教文明、西欧の近代化を受け入れざるを得なかったのです。




    ①を捨てて、②をいち早く取り入れる事で、

    国も西洋の一流の国の仲間に入る事ができ、

    民間人も、文化人、知識者階級としてのプライド、立身出世の為には、

    目鼻の聞く人間は、人よりも早く、密航をしてまでも、西洋の文明を

    手に入れる事に夢中になったわけです。



    とは言え、この場合は、同じ東洋からではなく西洋からであり、

    言語も違うキリスト教と言う宗教であり、

    その道徳を丸飲みした受容ではなかったのです。


    それは、どう云った事かと云うと、

    わが国の姿は、神道と言う宗教の下半身を持ち、

    上半身に西洋の技術、文化、知識だけを受容するつもりだったのです。


    果たして、その母体のキリスト教思想から切り離して影響を受けずに、

    技術、文化、知識だけを、受容できると本当に思っていたのでしょうか?




    それらについては、これから先、次の世代の論評がなされる事でしょう。




    人は、現実の目の前にある壁を、打ち破る事に夢中になって、

    それが、次にどんな新たな壁を作る事になるのか?

    深く熟慮をする事もなく行動をする一面(人)が、あります。

    そうでない面(人)もあります。


    いろいろな面(人)があって、いいのですが、

    それを、反省すると言う事が、ないと同じ事を繰り返します。



    何のため、国のため、自身のためと言っても、

    いずれにしても、人は、生き残りたいのですね。

    できれば、安楽に、生き残れるようにしたいのですね。

    その為の努力の必死さのひとつでしょう。




    その為に、権力を握り、相手と戦い、勝つ為の努力をして来た。

    その野蛮性が、尚且つ、いまも、それが続いている。


    そうしなければ生き伸びれなかった、と言う。

    それが、『陽』の現場であり、『陽』の本質なのです。





    この点において、明治維新の思想家、福沢諭吉も、儒教を誤解をしています。


    彼の、「学問のすすめ」には、


    下からの国民国家形成のための独立自尊の思想には、

    漢文・古文などの扱いを、

    「よきものではあっても、そこまでして勉強するものではない。」と言い、

    難しい字句の漢文や古文の事を、

    世間で扱われている程の価値があるものではないと蔑み、

    それらを学ぶよりも、まず日常的に利用価値のある読み書き、計算を

    身につけるべきだ。



    と言う要旨の事が述べられています。 




    ここは福沢諭吉の功利的であると言われる面がよく表れている所です。


    又、儒教に基づく上下秩序を破棄し、

    封建的束縛から個人を解放する事によっ て個人の自立を実現する。

    要旨の事が述べられています。 




    現時点から、これを読めば、

    ① ”儒教に基づく上下秩序を破棄し、”

         この処からは、本来の儒教への誤解があったのではないか?


    ② ”封建的束縛から個人を解放することによっ て” 

         ここは、観念的には共感をする事ができますが、実際はどうか?


    ③ ”よっ て個人の自立を実現する。” 

       ほんとうに? 現代の有様を見れば、そのまま受け入れられないわ。

       ここは、ちょっと飛躍し過ぎ?観念的すぎるのではないかと思います。


    なぜなら、封建的制度の破壊は、

    社会の制度としての封建制度は無くす事はできたでしょうが、

    それがそのまま個人の内的自立による個人の自立を実現する事に?

    なるのかどうかは、今の社会の実態を見る限り疑問です。


    人間というのは、制度を変えても本質は、変わりません。

    個人の精神的自立と言うものが、制度で達成されるわけではありません。



    今の中東の政変もそうですが、

    政治や社会制度改革が、実は一番手っ取り早いのですが、

    それだけで、社会は良くなる訳ではありません。


    日本だって、政権交代をしたからって、何が変わるのか?

    まぁ、政権交代の可能性を国民が握っている、

    それが社会に存在した方がいいのですが、

    それを選択する国民のレベルが重要になるでしょうね。


    逆に、現代においては、行き過ぎた個人主義によって自立をしないまま、

    個々の人間関係が、家族、地域、職域においてもバラバラ、

    無縁社会といわれる社会が、現出して来ています。


    孟子に、

    「天下の本は国、国の本は家、家の本は一身にある」とあり、


    大学には、

    「心正しくして身は修まり、身が修まれば家が治まり、国が治まり、

    そして天下は平らかになる」とあります。



    家の本は一身にある。と言う一身、

    心正しくして身は収まり。の「身」をおさめる心正しくして、

    それなくして、制度や法律だけで人間は、変えられませんね。



    元からある本質、特質、の違いを見極める事の大事さ。

    それらを生かす事で生じる違いは、差別ではない。



    「夫婦の別」とは、夫婦別姓を言っているのではないのよ!  あはは。



    中国の古代、紀元前から、


    夫婦間の関係をより良く維持しようとするならば、

    最も大事な心構えは「別」を自覚することが肝要で、

    「別」という意義は、男女、夫婦において両性は同質ではない。

    男女の特質や違い、本分や役割を乱さないように

    区別をつけて行くように、  

    と言う智恵が、あったと言う事は、驚くばかりです!  



    ある意味、今の制度や社会通念よりも新しいものを感じてしまうわ!


    男尊女卑ではなくて、互いに違いを認めて尊重し合って行く事、

    当然ですが、女性の立場も認められている考え方です。 (笑い)


    もちろん、社会制度においては、平等が保障されるべきです。

    選挙権など平等に扱われるべきものですが、

    それは、あくまで人が作る制度の中でのフィクションであって、

    自然な存在の中でも、それを貫こうとするなんて!


    今は、通俗的にも、その両方がミックスされています。

    いわゆる、道理が、道筋が、通っていない時代なのです。

    立てわけが尽くされないまま、我ままと放縦、無秩序になっています。 

    これは、野蛮性に通じるものです。





    あ――、森の中のサルの群れの方が、

    雌雄の別、秩序があるわね!     あはは。   


    幼稚園から、そういう自己主張を教えられる女の子も可哀相です。

    男の子も、大変! 男らしくなれないじゃないですか~?あはは。


    続きの、女性流の成長を目指せるのでは、と言う表現は、

    とってもいいですね~。 (笑い)

    芯がある女性らしい。さすがです。


    私の20代の頃に抱いたイメージが、

    男は、ピーク、高さを目指すもので、女は、裾野だ、広さを目指すもの、

    と思っていたものが、東洋学を勉強して、陰陽学を知ってからも、

    それは変わっておりません。




    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    これについては、むずかしいですね。

    結論から言いますと、

    受け入れられる人は、『陰徳』のある順に、人に依るだろうと思います。

    篤く『陰徳』に守られた人は、自然にそう言う立場を与えられるからです。

    それは、『陰徳』の濃度にも、拠りますね。 (笑い)




    何事もそうですが、



    西洋二元論で、”できる(白)”、”できない(黒)”の二極に分けて考えない

    ようにしましょう。(笑い)

    その中間層の存在の人(グレー)が、ほとんどで、無数にいるのです。

    現実的には、白と黒の存在は、この世に身近にいないものです。

    私達のほとんどは、

    白に限りなく近いグレーから、黒に限りなく近いグレーです。

    その序列、位置関係を「位相」と言います。 



    私達は、いわゆる教育学的には、個々の生き方の差は、

    そういう家庭で育ったからそうなった。と言う言い方をします。


    それは、人間は生まれた時点では、皆同じだと言う前提があるのです。

    でも、その条件下では、かならずそうなるのかと言うと、解らない。

    曖昧です。その程度です。



    白黒ハッキリつけれらない。

    人文系の学問においては、それ位のものでしょう。


    白黒はっきりつけられない、はっきり分けられないものを、

    むやみに2つに分けてしまう。二元論です。




    そのように、科学的な方法で複雑な自然を把握するには、

    対象を抽象化・数量化・平均化などにより、限定されたモデルとして

    取り出すしかなく、現実の自然を捉えているとは言えないのですね~。




    無限ともいえる多くの要素が相互に関係しながら成り立っているのが、

    自然ですから、その関係を全て二分することは無理がありますね。



    私たちの日常はグレーゾーンで満ち溢れているようです。

    何となく、あいまい、中途半端、どっちつかず。

    それは、なぜか? 『時』の経過の途中の姿だからです。



    それが日常の姿と言えそうです。





    最後は、もうひとつ、拍手コメントからです。 


    今日も素敵な記事をありがとうございました^^

    うちは第一子男の子、二人目女の子、次産まれる子が男の子のようです。

    慢性腎不全って出産できないといわれてますが・・・

    不思議と赤ちゃん大きく成長してくれています。


    私も陽の女だったと思います。

    大学出てるのにこんな育児にだけどっぷりの人生なんてつまらないし、

    やりがいがない。って、いつも夫と喧嘩してました。

    今は病気して、主婦で居させてくれる夫に感謝して、家をしっかり守ろう、

    しっかり夫の遺伝子を受け継いでくれる子供を育てていこうって、

    落ち着きました。


    来月出産予定です。

    頑張って元気な赤ちゃん産みますね。

    いつも素敵な記事に元気を戴いています。





    ブログが、いつの間にか無くなって心配をしていました。

    音信を下さって、安心! ほっと致しました。

    ずっと私のブログを読んでいて下さったのですね。


    そして、来月、ご出産ですか! よかったですね!


    『天』は、なによりも命を尊び守る人に力を与えるはずです。


    病気を持っていながら、三人目とは!

    自分の体の病気の不安を押しての勇気ある決断が、陰徳となって、

    それが、必ず陽報となって顕れると信じています。


    貴女の安産と次男坊やの無事なお誕生、心より祈っております。





    自然のありのままを感じ取る。

    そこから生み出される昔の人の知恵が、今必要なのかも知れません。

    瑣末な知識などがなかった状況では、『天』=『時』を信じるしかなかった。

    中途半端な姿の中に、真理を見る悟性を鍛えていったのかもしれません。




    中途半端に見える、それは、私たちの意識が捉えられないだけであって、

    無意識の宇宙のかなたから~、

    自然の中で、大地の奥深く、

    動かしがたい変化が積み上げられているのですよ。 



    意識が捉えられないからと言って、何もない事はないのです。


    今の地球、噴火だって、何百年の間、何もなかった訳ではないでしょう?

    地震だって、そう! 確かに地球は胎動している星なのです。


    意識が、意識がって、意識が解る範囲(学問)だけで物事を決めたって、

    無意識にわざわざ、逆らう事になりはしない? とんでもないです。


    無意識の世界が、意識上に現れる力は、『天』=『時』です。

    すべては、『時』の道理が『地』上に現れます。






    すべての物事には、両面があって、

    どちらか一方のみが見えている場合もありますが、

    片一方だけでは成り立ちません。



    これが、男女、夫婦においてもそうです。


    だから、常に「緩急」や「強弱」が要求されるのです。



    これは、仏教の根底に流れる思想の一つ、

    「中道主義」の一面の意味です。


    そのように、西洋学問にはない深い智慧が、

    汲めども尽きない智慧が、

    東洋の実学には具わっているのですよ。



    東洋の智慧を身につける。 それが、命の体力です。

    西洋の知識(学問)は、あくまでも単なる道具と見做す。

    その力量が、ないとどうなるか? あはは。


    それ位の体力を付けなければ、

    自分が、学問と言う道具の、そのまた道具に、成り果てるだけです。


    個人的見解を最後に言わせていただきますと、

    「学問のすすめ」は、もう古い。

     そう思います。



    むずかしかったですか? あはは。 すこしづつ、ね!




    最後に、ニュジーランドの地震で被災をされた皆様が、

    今の現状を少しでも善き方へ乗り越えて行かれますように、

    その時、その悲しみと辛さが、分かり合えますように...



    この週末、いっしょに祈りたいと思います。


























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 文明・文化&思想
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    ( 国の存亡 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 3

    Category : 運命学と科学
    冬の那須岳


    冬の那須連山










    東北関東大震災と名づけられた地震が起こった3月11日から、

    はや、一週間が経ちました。


    日本中が、身内や知り合いの安否確認の電話、メールに

    かかりっきりだった事でしょう。


    今や、日本中が福島原発事故と罹災地の状況の報道に

    心が休まらない日々が、過ぎて行っていますね。


    3月とは言え、寒さは、まだまだ、

    雪が、降ると言う東北では、氷点下にもなり寒さは本番でしょう。


    まずは、ガソリンや灯油が十分に届けられますように・・・





    『陰徳を失う』と言う事は、どう言う事なのか?

    今までは、個人や、家における例を挙げて来ましたが、


    今、まさに国難とも言える日本の状態を前にして、

    国にとっての『陰徳を失う』と言う事を、

    五行学の五徳から、記事にしようと思います。


    それを、分かりやすくする為に、

    まず、私たちが病気になる四つのポイントから。





    まず、私たちが病気なるか?ならないか? 

    東洋的な考え方では、


    ①は、もって生まれた体質に拠ります。 

    自然界の六気(風・湿・燥・火・暑・寒)に対して抵抗力を失った時、

    六気は、六淫(風邪・湿邪・燥邪・火邪・暑邪・寒邪)になります。

    それぞれ違う体質により六淫の影響の受けかたに違いが出てきます。

    体質的に弱い所、強い所は一人一人違います。

    これは、根本的には変えられないものです。


    ②は、七情の活動です。

    七情とは、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の情動です。

    何を喜とし、怒とするかは、人の器や道徳観に依ります。

    正しい道理を身に付けているか、偏見を持っているかに依ります。

    このバランスが取れていれば、生理的に発病には至らない。


    ③は、生活リズムです。

    飲食物、疲労、房事不節、睡眠時間、習慣になっている生活の癖ですね。

    『天』の気に合わせて、規則正しいのがいいのです。

    房事不節は、セックス過多の事で主に腎を傷つけます。


    最後は、

    ④は、運動です。

    適度な運動と言っても、西洋的スポーツ、走る、跳ぶ、等の

    単に体を動かし汗をかく運動と言うよりも、

    中国には、自分の気に調和した樹木の下で行う太極拳などは、

    護身術としても優れていますが、五臓六腑全体の機能を高めます。

    これは太極拳が全身に分布するツボを適度に刺激し、

    気の通り路である経絡を理想的な循環にするからです。

    医者にも薬にも見放された重病人が最後に頼るのが太極拳でした。


    東洋には、このように、人それぞれの体質・気に応じた術があります。




    ①は、先天的、運命的なもので、努力や意識では変え難いものです。

    ③④は、工夫次第、努力で変えられるものです。


    ①は、無意識的条件、 ③④は、意識的条件でしょうか。




    ②を、どうして飛ばすの?  あはは。


    ②は、重要だから~! 

    先天的運命的要素と、意識的な要素が混在していて、

    ③④の努力が①に役立つか?逆効果になるのか? 

    努力を幸運(健康)へつなげるかどうか?の接点なのです。 



    また③④が乱れれば、②も虚弱になって、

    ①の体質的に弱い所に、症状として表れ、病気となる訳です。 



    人は、体質的に強い力を頼って無理をします。

    その無理や不調和が、

    体質的に弱い部分に負担をかけて、そこが病気になります。



    ②③④をいい加減にすれば、いくら健康を願っても病気になります。


    つまり、自分は強いと思う自惚れが、②③④をいい加減にさせて、

    ①の弱い所を、決壊させるのです。



    言い換えれば、

    自分が、体質的に弱い所ばかりだと思っているとしたら、

    ③と④を心がけて『天』『地』へ調和する努力をして、

    ②に負けない自己の『人』を作る事で、

    大きな病気にならずに済むわけです。





    おわかりになりましたか? (笑い)

    すこし難しい?   あはは。


    繰り返しお読みいただきたくお願い致します~!



    以上の事を、

    人が健康に生きれるか?

    調和を失って元の気を取り戻せずに病気になって死ぬか? 



    と言うこの例を、


    家が、子孫が栄えていくか? 陰徳が消去されて絶家になって行くのか?


    国運が、隆盛か? 陰徳の消去で国の存亡に係わる国難が起こるか?


    に置き換えてみてください。 


    国の③④が乱れれば、②も虚弱になって、

    ①の体質的に弱い所に、症状として表れ、病気となります。 



    ③④が乱れとは、道理が通らない社会、

    ②が虚弱とは、『陰徳』の消失です。

    ①の体質的に弱い所とは、地震、津波、火山活動の起こりやすい地域です。

    症状として表れ、とは、木難、火難、土難、金難、水難で国土が疲弊する事。

    病気となる。とは、豊かな国土が失われ、経済や、人心が勢いを失う事です。




    いかがでしょうか?




    『天』に道に法(のっと)り、

    『地』の理に則(の)って行く。 

    合わせて『道理』であり、「法則」となります。



    目指すのは、人の幸せ、家の繁栄、国の安泰です。



    『天』宇宙の時に合わせ従い、

    『地』理にかなった土地を選んで、そこの地勢に従って住まいを立て、

    『人』孝を根源とする道徳、人としての振る舞い。


    この三つが揃えば、つつがなく過ごせる、福に恵まれる。

    それが東洋の叡智の中身です。

    こう言う事を、理屈は判らないけれど受け入れて、

    考えながら、守りながら、我々の祖先は生きて来たのです。



    しかし、これが途絶えたのが、いわゆる”近代化”です。

    過去の智恵をすべて捨てて、意識を中心に据えるシステムを受け入れました。

    意識が、欲望を正当化する都合の良い理屈を作り上げる。

    その理屈・ロジックが一番大事だ。と言うシステムです。

    それが、日本に於ける西洋化、近代化だったのです。


    『天』の時を無視をし、しかし、効率の利を求めて時計に振り回されて。

    『地』の理を知らず、便利さの得ばかりを数えて競い合い。

    『人』の紀、孝を廃れさせ、陰徳(仁義礼智信の五徳)を捨てました。




    五行学の木・火・土・金・水の五徳の欠如によって起こる事があります。、


    「土」の徳、『信』が、社会に大いなる欠如がある時は、大地が動転(地震)し、


    「水」の徳、『智』が、社会に大いなる欠如があって、

    誤った下らない知識ばかりが溢れる時は、水の大過(大洪水・津波)が起こると、


    「火」の徳、『礼』が、社会に重んじられなくなった時、火の大過が起こると。


    火の大過とは、新燃岳の噴火、原発の炉心の溶融に当たるでしょう。


    「木」の徳、『仁』の欠乏は、木、植物、食べ物の汚染、欠乏、紙幣の不足。

    「金」の徳、『義』の欠如は、金属、レアメタル、貨幣、金融の混乱でしょう。





    元はと言えば、『孝』の廃れから起こっています。

    日本中の徳の喪失が、日本の『地の理』の元々弱い場所に起こる訳です。



    ここで、

    前々回の記事で取り上げたメールコメントの記事に、

    いただいたお返事を紹介します。


    「近代を捨てる事はないのです。折角の研修期間を!」


    目から鱗とはこの事ですね。

    捨てようと考えたりするからかえって執着も生まれるものですからね。

    自らの近代化を改めて考えてみたいと思います。





    明治政府が受け入れたわが国の西洋化、近代化の142年間を、


    単なる西洋化の研修にしか過ぎない、

    近代化のたかが研修期間なのだ、

    そう受け止めるには、研修を受けるわが身の強靭さが問題です。


    わが身の強靭さがないと、どうなる?

    それが、今の日本の現状でしょう。


    近代化実験珍種モルモットです。



    西洋化、近代化以降の錦の御旗は、人権、自由、平等です。 

    やったらどうなる? そこまで考える事すらなくて、

    この142年間の近代化、西洋化で先進国の仲間入りを自慢して、

    近代合理主義を信じた結果が、今でしょう???


    近代合理主義の権化、意識の知識のカタマリ、

    効率と利便と果てしない欲望の実現化の道具、それが、科学であり、学問です。

    科学こそ、学問こそが、『陽』の極地です。

    そのエッセンスが、原発でした。




    昔の城や、城郭、権力者の居城は、

    『天・人・地』の『天の道』『地の理』にのっとって、

    これらの条件に恵まれた土地を選んで建てられています。



    皇居も。

    大阪城も、上町台地という標高が高い地盤が古くて硬い場所です。


    『地の理』とは、地勢の事です。

    方角、水の流れる方向、川や水源の方向、土質、雨量など、

    風の進む道、日当たり、湿気、土地の標高、繁茂する木勢など、

    洪水の危険性、水はけ、等の、その土地柄の特徴です。



    昔の集落で今も残っているのは、そう言う土地を選んで作られました。



    余談になりますが、十年以上も前、冬に、

    栃木の足利を何度も訪れた事があります。

    何十年ぶりかの大雪で、駅前から市内には残雪が道端に残っているのに、

    いち早く雪が解けて乾いた一帯がありました。


    聞くと、やっぱり!

    当時の建設省の宿舎の建物群、日当たりがよくて水はけが良い場所。

    土地が乾いて芝生に新芽が、日当たりが良かったのです。

    その周りと雪解けが一ヶ月以上も違っていました。

    やっぱり、お上は、よく知っているな! と感心をしたものです。

    国や、県の施設はそう言う場所を選んで建っていると思います。 



    よ~く、かんがえてください~~


    建築学や土木学、これらは何を私たちに指し示しましたか?

    気象学や土壌学、バラバラに細分化された知識は知恵ではない!!



    人々に役に立たない知識は、知恵ではないのです!


    私たちの住居の常識からは、『地の理』の知恵は、ぶっ飛んでいます!

    これが、認められた人権、自由と平等を奉じた142年間の成果ですか? 



    まったく、笑うしかありません!


    一生を賭けた大金を以ってしても、安全な住居が手に入らない。

    なにの権利、自由、平等?

    お上の責任逃れのために? なっているだけではないですか?



    もっと便利に、もっと楽しく、もっと明るく、もっと儲かる為に!! あはは。

    その為に巨大なゴミになる物を作る事に狂奔し、


    それが時を経て、『偽』になるとは、知らなかった?


    それは、時とともに、もっと苦しく、もっと暗く、もっと損を出す物に変わる、



    そうなっているでしょう?


    科学こそ、学問こそが、真理の追究であると、

    我々に教え、騙したのは、西洋の知識です。



    『陽』が、時とともに『偽』に変わると教えているのは、東洋の叡智です。 



    人間の欲望が作り上げた原発のコントロールが、

    こんなに難しい事になるんだって、


    それは、そのまま私たちの生命へ刃を向けているんだって、


    知っていましたか?

    やっと、わかりましたか?


    意識は『陽』です。意識の濃縮が科学であり、

    科学は『陽』の極地であり、結果は『偽』。うそつきなのですよ。



    しつこく言います。 科学は安全? 学問は安全? 

    いいえ、ウソです。


    『陽』は、そのままであれば、結果は”命の殺戮”です。 



    戦争を反対しながらでも、いくらでも殺戮はできる!


    殺戮という鬼面を衣の下に隠しながら、柔面で戦争反対を叫ぶ。

    そこには自己の欲望の充足しか考えないロジックが潜んでいるのです。




    そのひとつが、資本主義のメデイアです。

    原発事故の危険性を喧伝する競争をして国民の不安を増幅し続けています。

    ガソリンもなくなっている!

    電池もペットボトルもカップめんも買い占められた~~

    買占めの推奨をして、尚の事、これらの品不足を煽っています。

    愚か!この上ない報道です。 おしゃべりです~!!

    事実をバカ正直に報道したらどうなる?

    その現象を抑制するには、敢えて報道を控える。


    この識別ができないのか?


    興味本位の姿勢で、うちわを持って煽ぐ馬鹿もの!

    社会正義観と理念の欠如、自己の役割を失っている姿!

    センセーショナルにそれを知る自由・権利の為に報道をする?

    あはは。ここにも、近代化の神を奉っている輩の姿ですよ。


    自由! 権利! 平等に知る権利!



    自由と権利と平等の神を奉じて、

    その代わりに、わが国は、『陰徳』を捨てました。



    『陽』の”命の殺戮”をコントロールするには、

    巨大な『陰』の『徳』が必要だと言うのに、です



    たしかに、確かに、言論の自由は、

    この近代化で、保障されています。 



    この場に及んでは、

    一人一人が、もう、哲学者になって自分の頭で考えるしかないですね。



    梅棹忠夫氏の「アマチュア思想家宣言」にみられるように、

    「思想は、西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではない。」と断じたその通りです。



    近代化によって、

    便利とスピードの追求の意識化、

    それによって失われつつあるものに気がつかないまま、

    それは「自然(ありのまま)」を失いながら、、、

    自然? 風景ではありません。


    人間の内面、精神、宇宙全体を一つの生命体としてみる自然。

    「大宇宙の法則」・・・・自然の摂理です。



    三千年以上の歴史をもつ東洋の叡智は、これを、

    自然現象の観察を通じ、発見してきました。

    それは、意識で捉えられない膨大な世界の範疇にまで及びます。


    宇宙にある、それと同じものを、人間の中にも、見つけています。

    智恵、自然治癒力、徳性、仏性。


    西洋の意識中心の殺戮のロジックに立ち向かうには、


    東洋の叡智しかないはずです。



    それを持って、近代化の研修に臨みましたか?


    研修である事を忘れて本番かのように、

    生命を賭けて信じてしまいませんでしたか?


    それを、我を忘れる。 阿呆と言います。 (笑い)


    もう、やめましょう~!

    科学だから、学問だから、、、

    わが身を飾るアクセサリーのように見栄を張って身に付けるのは。


    自己の運命の『衰』

    わが家系の『絶』

    母国の『亡』を招くだけです。



    「水火既済 」と言う言葉が、易にあります。

    まさに、そうです。今の原発の映像を見ていて、

    水が上から、下の火を制す。

    その調和点に達する事が、既済です。もう既に済む、です。



    自然界は、調和点をもって済む、のです。

    済んで終わりではない。既終ではない。

    ここからどのように事をはこんでいくかが、「済」です。



    完成は乱れの始まりであり、

    永久の道を図ることが課題です。



    東洋の理想は、調和であり、均衡であり、自由や平等や権利ではない! 


    まして、宇宙や自然は権利という主張をしていない。

    宇宙のあらゆるものが、権利と言うものを主張し始めれば、

    どうなりますか?




    宇宙や自然のありように従って行く。


    それが、尊いのです。


    原発の建屋の中で、地震で、逃げた人もいる。

    しかし、逃げては大変な事になると、

    自身の命を顧みる事なく、自宅も家族も捨てて、

    手動でポンプを動かし、海水を汲む業務をしてくれた人々がいる。





    自身の役割と、使命に生きる人がいたから、


    われわれが、生として調和しているのです。

    生とは、常に、死の上に成り立っているのですよ。





    永久の道を図ること、


    今週の課題です。


    みなさまも、お考えになってくださいね。


    つつがなく一週間をお過ごしください。
































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    (実学と雑学 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 4

    Category : 運命学と科学
    つくし


    つくしんぼう







    確かに! 『 天・人・地 』において、

    『天』は、『時』を少しもたゆむ事なく、確かに移っていますね~!




    昨日、早めに顔を出していた土筆を、見つけましたよ~!

     (上の写真です。)




    自然からの生気に、ほっとしました。

    気が向いたら散歩に歩く日当たりの良い川の土手に、

    古い建物があって、それが風除けになるのか、

    その場所を選んで、土筆が生えている姿は、

    『時』に合わせて生きようとする植物の賢さ!

    『天』に従い『時』に没頭する植物のすなおさ!を感じます。


    ちょっと、思わず摘んで来て、お初の土筆を食べました!  (笑い) 

    『天』こそ、『時』こそ、間違いないのです。


    古代中国では、私たちが住んでいるこの世界の森羅万象は、

    全てこの三つの働き、側面を持っていると考えました。





    これを「三才」、「天人地」、もしくは、「天人地の三才」と言います。





    「天気下降して 地気上昇する 天地交わりて人気生じる」とされ、

    『天』の気が降りて来て、『地』の気が上昇する。

    その『天』『地』の気が交わって『人』としての気が生じる。


    この三つの気が揃わないと人は、『人』らしく生きにくい。



    この三という数は、非常に大事です。

    いろんなものは、三で成り立っているということです。

    私たちの身体において腕は、①肩・②肘・③手首の三つの関節です。

    指の関節も三節、

    脚も①股・②膝・③足首と三関節、

    耳も①内耳・②中耳・③外耳、

    皮膚も①表皮・②真皮・③皮下組織と三層、

    胃の壁も三層構造です。

    新陳代謝も①消化・②吸収・③排泄の三段階、

    DNAも①TCA、②CTA、③ATGの三塩基の組み合わせです。

    上・中・下と分ける考え方。

    ホップ・ステップ・ジャンプです。

    例えば

    事業でも起こしてから三年目が正念場と言われますし、

    三年目の明暗、壁を乗り切ると道が開け、

    三度目の正直、三年目の浮気? とか、  あはは。

    宇宙の法則? リズムがあるのでしょうね。





    最近、いただいたメールコメントを紹介いたします。




    はじめましてcosmosさんのブログを読み、

    人生の道しるべが少し見えたような気がいたしました。


    私は26歳の専業主婦です。

    優しい夫と結婚し、かわいい赤ちゃんも授かりました。

    幸せなはずなのに、虚無感に襲われる事がしばしばありました。

    このまま家事と育児だけして、いつか後悔しないだろうかと

    疑問を感じていました。

    仕事をしている周りの女性は輝いて見えます。


    しかし、私は一番大切なことを忘れていたようです。

    家族が心身ともに健康であること。

    ささやかですが、

    それを守ることが今の私の仕事なのだと改めて気づかされました。

    いずれ子どもが成長したら、

    もう一度大学などで学問できたら良いなと密かに思っております。

    またブログ拝見させて頂きます。ありがとうございました。
     



    コメントをいただきまして感謝申し上げます。


    まず、専業主婦であると言う事を、祝福しましょう!  あはは。

    いまどき主婦で居られるという事は、

    良い配偶者に恵まれているのですよ!


    まず、経済的に。 次は、男らしい方です。 (笑い)


    周りの働いている人が、輝いていると見える と言うのは、

    十分に注意をしなければいけませんね。  

    本当に、周りの人が輝いているのかどうかは、別問題です。


    自分が、外の何を輝くと感じてしまうのか?

    自分の立ち位置、自分の感受性の問題です。




    周りの働いている人が、絶対的に輝いているわけではないのです。

    必要があって働いている、それにいろいろ理屈を後から付ける。

    だれだって、縛られないで好きな事をしたい。

    重い仕事の責任感や、生活の一部を背負った重圧に耐えている。

    その屈折感を、跳ね返した時、輝く事も事実でしょう。

    しかし、精一杯、見栄えだけでも輝かずにはいられない...焦燥感。

    それを、見抜く事が大事です。

    貴女の内面を深く掘り下げる問題ですね !


    自分の中の価値観。

    今までの26年間の貴女が、心のなかに培って来たもの、

    それが、何だったのか? という問題になります。


    人を外面的に見て来なかったか?

    自分の価値観が、人に認められる事に重点を置く傾向はないか?

    人生で、何が欲しいのか?

    こう言う問いで、ご自分と対決なさる事が、一番必要です。




    何の為に?


    貴女を一生守ってくださる夫と、かわいい赤ちゃんの心に

    向き合う為です。


    今の世の中は、家族の価値観をバラバラにして、

    各個人の価値観を追求する生き方を推奨する流れが大勢です。




    なぜでしょう?





    理由は、資本主義、

    その大きな渦です。

    とにかく、この思想は、お金を動かさないといけない思想です。

    この思想は、最終的には、

    大きなお金を持っている人の処に、

    すべてのお金は集まるようになっているのですが、

    そうなる途中に、

    いろいろな人の所を経て、お金が集まる方が、

    景気がいいと言う事になります。

    だから何を買うにも、

    家族や親に相談をして買うなんてよりも、

    子供にも人権がある、自由がある。

    大人と平等だ、と。   あはは。




    子供のうちから、金銭教育だと行って、欲しがるお金を持たせて、

    自分で欲しい物や買いたい物を買わせると言う行為を、

    させるのがいい事だと大抵の大人は、思っていて、教えます。





    玩具やゲーム、お菓子や音楽、進学や留学まで、

    望むがままにお小遣いを与え、

    親のお財布を当てにして自分の欲求を満たす事が、

    生きる事だと言わんばかりの世の中で、

    この社会の経済活動の中に、

    生まれたばかりの赤ちゃんから組み込まれています。


    ”赤ちゃんが、よろこぶ ”なんて、ターゲットにされている訳です。




    しかし、一番のターゲットは中高校生ですね!

    可哀想に~!

    彼らは何も人生について判らない内からオダテラレマス。


    だれに?

    現実の消費社会からです。

    消費者としては一人前として.....扱われています。


    彼らは、親の言う事を聞かないで、かなりの金額を自由にする世代だと

    マーケッティングで絞り込まれていますから、

    彼らを的にした物品、

    携帯の機種、CD、DVD、お菓子、雑誌、ファッション、

    果てはお化粧品まで、(笑い)

    中高校生のお財布をねらった商品が、彼らを訴求し続けています。


    音楽は、まったくそうです。

    ティーンエイジャー向けの物が、一番売れて儲かるからです。



    こう言う世の中で

    この機軸でまぁまぁ成功した親の庇護のもとに育った子供たちは、

    生きる事は自分の意志のままに、

    好みや都合で自由に選んで決められる、

    自分の欲望の満足を繰り返す事が、人生だと刷り込まれます。

    勉強もそう、

    進学もそう、結婚もそうで、離婚もそうです。




    彼らが悪いわけではありません。

    大人が、まず自己の欲望を満足させる事を第一の目的において、

    欲しい物を手に入れる必死な姿を見て来ているから、

    そうするんだなぁ~とまねをしているだけです。


    今の若い人たちは、

    大なり小なり、

    こう言う世相に染められて育っていますから、

    その延長上で見せ掛けのウワベの豊かさの物質文明の姿が、

    =しあわせと、

    うぬぼれたり、うらやんだり、思い込んでいる人が大半です。


    こう言う生き方は、

    自分は頑張ってどうにかこうにか自己発散をして生きたとしても、

    次世代が育ちません。




    育たないと言う現象が、『天』の時で約30年経って出てきます。



    出てきてからでは、遅い!!!


    現在の福島第一原発の事故だって、

    元はと言えば、

    首都圏の消費物質文明、あきれるほどの好き放題、

    その豊かさを支える電力の為に、

    無理無理作ったのではないのですか?


    欲望は、かならず無理をします。 

    個人においては命を縮めます。

    国家や国民が、無理をした時は? 

    当然です。命を縮めるでしょう。


    国家、都市は、

    物質的に豊かに、欲望が爛熟した時に天災によって滅びます。


    ベスビオス火山の噴火で滅びたポンペイもそうでした。

    ポンペイの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスであり、

    娼婦の館などが多く発掘され、

    ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、

    現代ではポンペイは快楽の都市とも呼ばれています。



    かならず、欲望が過ぎれば災いがあります。

    善だって、過ぎれば相手を潰します。 

    何事も、中庸が肝心です。


    『天』は、過度を嫌います。






    体は、家族と家庭にあって、

    心は、外の周りの輝きを求めて、言葉に迷う...

    これを、仏法用語で、

    身口意の三業(しんくいのさんごう)がバラバラと言います。


    体と口と心が、違う事をやっている状態の事です。


    別の言い方をすると、

    自分の迷いが、自分を縛って、思うようにならない状態。

    不幸を説明する象徴的な言葉です。


    どうか体も口も心も、夫と赤ちゃんと共に一緒に、、、

    貴女の成長を祈っています。



    運命学の指し示す女性の役割は、

    本来、婚家の『陰徳』を積む事です。

    先祖が苦を莞爾と引き受けたからこそ

    積む事ができた『陰徳』を受け継ぎ、

    子供や子孫のこれからの未来に亘る繁栄のためです。

    夫と子供達、婚家を守って行かなければならない役割です。





    結婚とは、

    夫婦が、それぞれの欲望を満たす為にする行為ではありません。

    男女二人が、

    「二人だけの世界」に閉じこもっているだけでは済まないのです。

    自分たちの世界だけの喜びを実現する、

    と言う自己本位な愛情の満足を求める恋愛過程を過ぎて、

    大人になった自分たちが、

    自分の成長を両親やご先祖に感謝をし、

    今度は、自分たちが、

    次の生命を産み育てて行って恩返しをするという、

    人間と言う生物の、もっとも重要な仕事をする為なのです。


    自分の今の置かれているしあわせを、

    だれでもそうですが、

    どうか、自分たちだけのものだと思わないでくださいね。



    以前、陰徳は、自分のために自分が積むのはむずかしい、

    私たちは、ほとんどが先人(ご先祖)の積んだものを

    使わせていただいているのだ。

    という記事を書きました。


    少し前ですが、その時にいただいたコメントを紹介しましょう。


    ☆仁、☆義、☆礼、☆智、☆信 は、私が付けました。)



    ☆義

    先祖から譲り受けた『徳』が、自分の中にも確かにあると感じます。


    「過去も未来も関係ない。

    自分が生きている間しか自分には分からないから」と言って、

    自分(と夫と子ども)の幸せだけを考えればいい、

    ってものではないですね。


    自分の努力を自分で使うならまだしも、

    受け継いできたものを先に送れないのは

    間違いなく罰当たりだと思います。 


    ☆信

    私は父から「借りを作るな」と言われました。

    「借りを作るくらいなら、損する方がマシ」というニュアンスでした。

    中学から高校にかけて、2度程しっかり言われたのを覚えています。


    私が言われたのは「お金」のことと「人間関係」のことでしたが、

    大人になってから「いろんなことに当てはまる」と気づきました。


    ☆礼

    人に頼ってはいけないということではなく、

    「借りたものは必ず返す(頂いたものは送る)」ということだと

    思っています。

    自分だけのものにしない、ということですね。


    ☆仁

    「家系は守るもの」「守ってね」。

    言葉で言ってしまうと子ども達にはプレッシャーになると思います。


    ☆智

    子どもが自然に「家を守りたい、守って行こう」と思える為に

    言葉は要らないと思います。 




    女性は、内省的であり、没我的であり、内に秘めたエネルギーは、

    底知れない湖を覗くような気がします。



    あまりにも柔軟性に富んだ内容のコメントだったので、

    ☆仁、☆義、☆礼、☆智、☆信 と、

    コメントの内容に合わせて五行を当てはめてみましたところ、

    ぴったり、全部が当てはまりました! 


    すばらしい~!




    古代中国に『五行学』というものが、あって、


    五行(木・火・土・金・水)の5つの元素の

    相生、相克のエネルギーから運命を観るものです。

    それぞれの五行には、


    木=仁、火=礼、土=信、金=義、水=智 のように、


    その意義があって、それぞれの五行が、

    命式の中に、どれも欠けることなくバランス良く揃う事が、

    運が良いという事になります。 


    人間が生きるという事は、

    絶えず5つの価値の側面があって

    それらを調和して重んじる事ができれば、問題が起こりません。


    5つの内の何かが突出して来ると、

    アンバランス。調和が乱れる。

    自分の運気が乱れる。そういうことです。




    ご紹介したコメントの内容のように、

    自分の中で五行のすべてが揃うように

    理解をして心が整っていれば、

    そういう心が起こす言葉や、行動と云うものは、

    良い結果を招く確立が高くなるという事です。



    大事な事は、(ま~るく)ね!



    自分の中の五行が、いつも調和しているように、

    特に、女性は、この調和する智恵が一番大事です。



    このような東洋の叡智は、

    現在の大学の学問(西洋近代合理主義の学問)には、ありません。




    学校で学んだ勉強と言うものは、

    学習した事がそのまま、

    人間としての幸福と=(イコール)にはならない。

    そのまま人格と=(イコール)にはならない。


    学校で学ぶ勉強は、技術のようなものです。

    技術は、使われ方で、善悪に通じます。


    今起こっている原発の事故が、そうです。

    私たちに、災い、不幸をもたらしています。

    悪魔の爪のようです。 


    これが、学問の限界です。



    今回の原発事故を起こした東京電力のような

    国の基幹産業のトップになるような人達は、

    たしかに最高学府で学問をした事になっています。


    福沢諭吉が「学問のすすめ」で進めている

    読み書きそろばんをやった人です。

    いわゆるソロバン(お金の計算)と法律で

    社会を勝ち上がった人と言うのは、

    たしかに頭脳も優秀で、必要な知識を人よりも身に付けているのですが、


    今回のような、

    まったく想定外の事故などが起こった場合は、無力でしょう。


    ある決められた範囲内での、

    過去の前例を熟知する力は持っているけれど、

    まったく新しい未来を描く、導き出す能力はどうでしょうか? 




    学問と言うのは、過去の集積です。 


    お勉強がよくできたと云うのは、

    その過去の知識の中で失敗をしないように歩む事が得意で、

    マルとぺケの世界で、○をとり続けた人です。

    あるルールの中で競争をして偉くなった人は、

    社内での出世競争の修羅場しかくぐっていない訳です。



    本当のリーダーと言うのは、ぶれない。

    何故、ぶれないかと言うと、先が見えるからです。


    先を見ると言うのは、学問以外の能力です。


    あ、データーから先を見ると言うのとは、違いますよ。

    これなら誰だってできます。データー次第ですから。




    先を見るとは、この人間界を良く知る。

    道理を良く知る。

    実務以外の哲学、思想になるでしょう。

    テストや、点数、数値に表わす事ができない力です。


    『陽』(大学の知識)の学問は、この力を徹底的に潰していますね。



    だから、運命学では、

    いわゆる西洋的学問を『雑学』と呼びます。

    東洋的叡智を『実学』と呼びます。 

    『雑学』も重要ですが、

    『実学』があってはじめて役に立つのです。





    子供にダイナマイトを持たしたらどうなるか?

    人の近くに原発を作ったらどうなるか?

    ここを、今の状況下で、よく考えなければいけませんね。

    おそらく、国も東京電力も、知識しかなかった。

    知恵がない。

    国策に知恵がなかったのです。





    瞬間的現象的には、雑学が勝っているように見えますが、

    いずれ消えていく花火の火。

    雑学で栄えた家は、栄えようとする家は、

    幾世代かをみれば、人は、子孫を継承できません。



    私が、まだ、その雑学を教えていた頃、

    それを、自覚させていただいた時期、体験があります。

    それについて、思い出して、


    次回は、記事にしたいと思います。




    みなさま、

    つつがなく、よき1週間をお過ごしくださいね。





























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    ( 自然の摂理 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 5

    Category : 運命学と科学
    蕾











      「自律神経にやさしい音楽ー森の中で」




    今日からは、

    私が東洋学と云うものに目覚める切欠けになった頃の、

    関西のある場所、

    そこの人々についての記事です。




    その場所は、関西にあります。 仮にM町とします。

    具体的な場所と、名前を明かしますと、

    そこに、今でも普通に生活をしていらっしゃる人達がいて、

    ご迷惑が掛かりますので、明かせません。  


    その地名は、

    神武天皇時代の豪族の名前から付いたと郷土史に書かれ、

    事実、日本書紀にその記述が残っています。



    そこの土地柄を知ったのは、

    私が、東洋学で言う処の、" 雑学 "を教えていた頃、

    進学塾を経営していた時です。




    その頃、東洋学を知っていた訳ではありません。



    まったくの逆かな~?   (笑い)

    疑問もなく時代の雰囲気を吸い、男女平等的な意識を内に持ち、

    生意気そうな近代合理主義に染まった女子学生、 あはは。

    きっと、そうだったでしょうね。  (笑い)



    駅前の教室から遠い地域から、

    ある日、一人の小学生の女子児童が入塾しました。


    行政区域から云いますと、

    市の境界の川を越えて隣の市からです。

    その地域からは、初めての生徒でした。



    塾の送迎は、児童の祖母が自転車でしていました。

    その自転車には、生徒の3,4歳の妹が、いつも乗っていました。



    あのおばあさまが、幼児を載せて自転車を押しながら、

    あの川の土手を登って来られるんだなぁ、と、

    いつも、感心しながら見送っていました。


    私鉄を乗り換えして通わなければいけない私立小学校へ通い、

    素直で可愛らしくて利発な女の子。

    あいさつも、しつけも、行き届いていて申し分のない生徒でした。


    片方の手はいつも太腿の処へ添えて伏目がちで、

    お辞儀ばかりをしている、、、

    そんな感じを受ける位、腰と頭の低い人だった祖母が、

    その生徒には、いつも付き添って来られて、

    生徒自身の全身からは、

    両親の期待を十分に受け止めて応えている自信が溢れ、

    その機敏さからは、その恵まれた環境と安定感があふれていました!


    お勉強に、何の支障もない、まっすぐに学ぶ事を心得ている生徒です。




    入塾カードに書かれた、その生徒の住所は、未知な町でした。

    隣の市のM町。聞いたことないなぁ~。地味な名前。


    あの川を越えて土手を降りて行った所なのか、、、

    不思議に、その生徒とM町の名前が印象的でした。




    当時は見えなかったけれど、今になって、分かる事は、

    この生徒は、まったくの女系の家系の女の子でした。





    生徒の母親である娘夫婦から、

    家事全般を任され、

    噴水まである広い庭園と瀟洒な洋館の世話をしている祖母と、

    駅前で大きな飲食店を経営する両親との家族の中で、

    祖母から母へ、そしてこの女子生徒へ、

    濃密な思いがつながれているのに、すぐ気づきました。


    察しがついた、そう言う事でしょうか。

    それが、間違いないと、

    その理由まで見えてしまったのは、

    2年が経った頃でした。

    ある日の送り迎えの祖母の背中に、赤ん坊がいたのです!


    ”今度こそ男の子を期待をしてママが生んだのですよ。

    また姫だった。”

    笑いながら、そうおっしゃっていたお姿が、思い浮かびます。


    それからは、幼児の妹は幼稚園なのか、

    自転車には乗って来なくなったのですが、

    代わりに背中に赤ちゃんを背負って、自転車を押しながら

    女子生徒を迎えに来られるようになりました。

    お互い笑顔で仲良く、

    自転車を挟んで歩いて帰って行きます。




    三人姉妹。続く養子婚。

    これだけはっきりと、

    『自然の摂理』の具現性が明らかになっているのに、、、

    その時は、私は若すぎて、

    意識の世界の中だけで事足れりで、

    何も疑問にも思わずに、何も分からずにいました。  

    今なら、すべてが見えます。



    今なら、何か言葉のかけ方が、違っていたのではないかと思います。


    白髪混じりの小柄な祖母が、

    渾身のエネルギーを込めて、骨身を惜しまず、

    家族を守り孫を慈しむ、その姿は、忘れられません。

    目を閉じても、思い浮かぶ程、印象的でした。


    どうしてなのか?

    家族の為に、ご自分の立ち居位置は一番下に置く、

    それに甘んじる心得、躾られた育てのよさ、

    世の中の全てに腰を低く、礼儀を尽くす姿、

    それらのすべてに感銘を受けていたのかもしれません。





    M町を、こう言うきっかけで知る事になるわけですが、




    今思えば、

    M町を知る事が、東洋学の入り口であったような気がしています。




    おおげさに言えば、「自然の摂理」の存在を自覚した。

    と言う事になるでしょうか。



    理性で論理性を追求する雰囲気の中で生きて来た私にとって、


    言葉少ないM町の人々、

    知識ではない、姿を通して感じたM町の人々の暮らし。

    黙っていても伝える事ができると云う生き方に触れて、

    その人たちが、心から大事にしている何か。

    単なる合理性だけでは説明がつかない伝統やルール。


    ある現前としたこの世の法(則)の存在、

    意識上の論理では表せない無意識のなかにある法の存在、

    それを説明や理屈ではなくて、

    本で読んだ訳でもなく、観念的ではなくて、

    それを眼前で見せられ、人に聞かされ、息吹に触れた体験でした。


    その町の歴史の重み立ったのかも知れませんね。

    結局、理屈では、人を動かす事は無理なのでしょうね。



    ここで言う「自然の摂理」について、


    「自然の摂理」とは、、自然界を支配している法則。

    自然の中で生きている無数の命、

    生き物たちの相互関係の上に形作られた法則です。




    単一の種でしかない”人間”だけの「摂理」などというものは、

    あり得ません。


    求める価値観は、自然の宇宙の『調和』です。 

    それが、『中庸』です。
     




    しかし、

    キリスト教の中の世界では、この摂理は神の中にあるとなっています。

    創造主である神が、この宇宙を造ったとなっています。  

    その真偽の程は、信じるかどうかは、さておいて、

    神が、

    この宇宙と歴史をどのようにする、と決めた永遠の計画と配慮がある。

    その神の計画が、いわゆる「自然の摂理」になります。


    この永遠の計画と配慮によって、

    神が人間をその目標に導くと言う教えです。

    だから、

    人間は、欲望のままにやれば、神が良い方へ導いてくれる。

    となって、


    この原理が、

    資本主義と共産主義、自由市場経済の原理になっています。

    いままで、

    私は、その間違いを批判をして記事にして来ました。 

    初めから、

    東洋学で西洋を批判をするようになったのではありません。

    学生時代に、学生の常識として共産主義を通して、

    キリスト教と資本主義の批判の洗礼を受けています。




    キリスト自身も、

    自分の教えをここまで人間が利用をして、欲望を正当化し、

    地球を破壊する処まで、好き放題するとは思わなかったでしょう!! 



    神が造ったと、すべてを神のせいにして、

    すべてが神のおぼしめしと言っては、

    戦争を正当化して来た訳ですから、、、

    歴史的に言えば、十字軍からそうでした!




    東洋は、自然の存在を認め、人間はその中の一存在として、

    自己の中に『 自然の摂理 』を感じて行きます



    その反対に、西洋においては、

    自然は、人間本位に人間の為に支配する対象・物でした。

    ここから、自然を支配する知識・技術としての学問が、

    生まれて出て来る訳です。


    これで、何ゆえに、学問で人生を考えてはいけないか、お分かりでしょう?



    西洋式と云うのは、こう云う事になるのです。

    自然を人間の都合のよいように捉えて支配をしてもいいんだー!

    それで最後は、神が良くなる方へ人間を導いてくれるんだー?

    と言う思想です。

    これに、わが身を任せていいのでしょうか? 


    クリスチャンなら、いざ知らず。 ですが、、、  あはは。


    ここまでも深く考えなくて、

    そんな事は分かっていないまま、生きる為の(得)の為に?

    将来の就職や、生活の為には、大学へ行っておかなければならない。

    その程度の浅い考えで、

    学問を人生に役立てるつもりで学んだつもりが、  

    ミイラ取りがミイラになる?    あはは。


    自覚をしておかなければ、

    学問と云う道具に、人生を乗っ取られて破壊されますよ。

    人生とは、道具を中心に生きる事ではないのですから!


    ま、それも人それぞれの運ですが!  あは。



    西洋思想の核心部分は、

    なんと、おとぎ話みたい!!!

    なんと、責任不在な!!! 

    と思いませんか?


    神が、その計画書でお導きになったのが、今の社会ですか?

    自由主義経済の根幹は、ここが出発点です。


    自然と人間の関係の捉え方の違いで、

    ここまでの違いが出て来ます。

    おそろしいことです!!!





    だから、根っこの考え方が何なのか?

    ここが、大事になってきます。


    これが、哲学です。

    哲学を、一番身近なものにしなければいけません。


    あなたの努力が、実を結ぶか? 反対の結果になるか?
     
    そう言った、天秤棒の支点の問題なのです。



    いい加減にはなさらないように!




    根本的に、自然の摂理を受け入れない科学は、すべてが後付けです。

    自然を調査をして、どうだったか? なにを? どうするか?

    目で見て確認、意識のできる範囲の数値化と、データー化です。



    それが、いわゆる客観性?  あはは。

    ほんとうですか?  

    主観性とは言いませんが、 主意識性とでも言いましょうか?



    まったく、タロットカードを引いて占うのに似ています。

    まだ、欺瞞がない分、タロット占いの方が、人生を任せられるかな?  (笑い)

    タロットは客観性を重んじる。なんて嘘、見栄は張っていませんからね。


    真の客観性なんて、学問にあるのでしょうか?  


    実験には、主観が入る。


    真の客観性なんて有り得ないのです。

    あるのは、

    できるだけ客観的であろうとする主観性です。




    あーぁ  笑うしかない、浅はかな^^^学問と言うデキモノよ~  あはは。


    放射能というデキモノの毒を、扱いかねている。。 。  



    原発の事故についても、学者がテレビで言う言葉の語尾は、


    先の事は、 ”~~~と思われる。” ”~~~ではないか? ”


    あーぁ、わかっていない!  それって、主観そのものですよ!


    学者と云うのは、人の意識の限界を示す人々なのですね。


    という事は、学問とは、人間の意識の限界を示すものさしなのですね。



    人間の限界では、ありません!   


    意識の限界ですよ!


    意識には、限界があり、

    『陽』そのものには、『偽』・うそと云う限界がある。



    意識を、そこまで頼っていいのでしょうか?

    意識の正体を知らないのか?


    限界のある学問に、人間の生存や命に関する事を、任せられない。

    学問で、人生を考えてはいけません。


    学問で、自然をデーター化して、捉えただなんて!

    そのデーターが、自然だなんて、思い込んではいけません。



    ”想定外”だった。 学問が言い訳に使う言葉です。


    もともと、自然は、意識(学問)が想定できる範囲を超えています。 

    それを、”想定外”だった。なんて、

    いかにも想定できる前提があったような云い方ではありませんか?

    ”意識(学問)は、自然の真実を捉えられないのです。” 
     

     
    この事を学問が、白状しているのです。


    今の原子力発電所の事故は、学問の限界の問題ですよ。


    このような問題が起こった時、犠牲になるのは、命です。


    だから、

    『陽』は、究極が、命の殺戮と云うのです。 




    無意識の世界には、厳然として自然の摂理は、存在します。

    その存在を3~4000年前から見つけているのが、東洋の叡智です。

    科学は、狭い意識の範囲である以上、絶対に叡智にはたどりつけない。






    東洋の叡智を、

    古いとか、非科学的だと、排斥、無視する現代文明において、


    今の合理的一辺倒の現実世界は、何か違う? と感じさせてくれたもの、


    その在りように、

    驚きと感動を持った記憶が、先に書いたM町でした。





    『天』そのもの、

    そこに存在する法(法則)を知るか知らないか、


    そこに、『時』に亘る勝者と敗者とが明確に分けられている訳です。





    人間は、自然に対して未だに無知です。 

    その証拠に、天災で死んでいく訳ですから...

    その証拠に、

    意識で作った学問に刃を突きつけられている訳ですから...





    無知は、言い逃れにには、なりません。 


    赤信号は、その意味を知らない幼児だからって、

    渡っていい事はないでしょう?

    知らずに渡れば、車に轢かれてしまう。 

    意識する、しないに係わらずに、違法行為です。

    法とは、そう言う存在です。


    法とは、違反するものには厳しいのですよ。 

    無知は、言い訳にはなりません。

    知らなかったからって、許されないでしょう。




    原子力の事を学問で解ったからって、

    それは、意識と云う狭い領域の中で、解ったと云う事です。

    いのちは、無意識の領域にあります。




    学問の解ったと云う事が、いのちにとってはどう云う事になるのか?

    無意識を無視をして解ったと云う学問が、為した間違いは、

    それは即、いのちの殺戮者になってしまうと云う事です。






    学問で人生を考えてはいけません。

    学問で命を解ったと言ってはいけません。





    時節柄ですから、

    諸般に注意をなさって、


    何事にもつつがなく、一週間をおすごしくださいね。


    次回、続きをおたのしみに.....






























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    (神武天皇の頃からの命の継承) 学問の知識で人生を考えてはいけない 6

    Category : 運命学と科学
    ちょっと開いたよ!











    今日の記事のテーマは、 学問の知識で人生を考えてはいけない 6 
    (神武天皇の頃からの命の継承)です。





    え ?    神武天皇 ?  


    そうなのです、、、



    後ほど、、、




    今日は、たくさんの情報を記事にしますから、御覚悟を! 


    あはは。


    長くなるはずですので、2、3回に分けてお読みになってくださいね!

    まず、前回の記事にいただいたコメントを挟みながら沿っていきます。





    コメント① 


    モダンからポストモダンへ、それよりもっと先へ、

    そういう流れを感じる記事でした。

    学問の限界、意識の限界、限界の中をはみ出なきゃいけませんね。

    人生を限界の範囲で考えてはいけないと、努力が無駄になると、

    教えてくださっている。 切実な問題であるのがよくわかります。


    医学もそうです。

    西洋と、東洋では、現実的にはその方向性がちがいすぎます。

    その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。

    こうなれば患者、受ける側の判断力が本当に大事になります。

    上から流れてくるものを待っているレベルでは、

    オッつかない時代でしょうか? 







    受ける側の判断力が大事、

    上から流れてくるものを待つレベルでは追っつかない



    そのとおりです。自分の判断を大事にして行きましょうね。





    その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。


    そうそう! これを ”専門○鹿”って言うのですが、ご存知でした?(笑い)   

    部分的な知見を全てだと思う過ちです。 専門以外は、素人なのですね。  




    では、次へコメント② 


    「学者は、人の意識の限界を示す人々」

    「学問とは、人間の意識の限界を示すものさし」・・・

    このような捉え方をしたことがありませんでした。

    まだまだ、東洋哲学の奥は深いです。

    ただ、原発の「想定」は、故意にかどうかわかりませんが、

    意識の限界までも到達していない、

    ホントに「想定」したの?と疑いたくなるようなレベルだと思っています。 





    たしかに、そのレベルだから、これだけの大きな人災が起こった。

    結果を見れば、その原因は、おのずから見通せます。

    そもそも法律で作った機構や、制度が、どのようなものか?

    分かった上で、智恵で法律や制度は、用いていくものです。 

    信じて頼るものではありません。

    我々の方に、その智恵がなかったと言うことになりますか...

    『陰徳』のない『陽』は、命の殺戮です。

    そのとおりの事が、起った。 これからも起こるでしょう。





    では次へコメント③


    元々「原発は安全」だなんて思っていませんでした。

    想定できる地震や津波なら安全だったのかも知れないけど、

    そもそも「自然」に想定の範囲など無いのですから、

    真っ先に思ったのは「あり得るだろうな」でした。

    もちろん事故は哀しいです。






    そう、想像していた事が、やっぱり起こったか! そう言う納得ですね。

    国難が起こると思っていました。 そして、

    いよいよ出た! と思いましたよ! 実験結果です。 


    日本の近代化は、珍種だ! あぶない! と書いて来て、、、


    日本は、世界に例を見ない近代化の実験モルモットです!
     





    『孝』を捨てた文化が、どう言う末路をたどるのか? の実験です。


    物が、壊れる事は、そんなに恐ろしい事ではありません。

    元々、いつかは、遅かれ早かれ壊れる物です。

    また、物自体、自己の欲望、意識が作った物です。

    そうである以上、最後は、自己の身の丈の中へ収められる物です。

    その物に執着する自分をどうするかと言う、

    『陰徳』を得るかどうかの自分の心の問題です。





    それよりも、
    人間の心から、役割と使命の自覚が消える方が、怖いのです。
    役割や使命の下に、多くの人の命が存在するからです。






    今回、原子力安全保安院、原子力委員会、原子力安全委員会の
    どの機関も、国民の安全を、考えていなかった、のです。
    役割を果たしていない。  


    そう言って謝罪をした方もいました。


    人間の命の創造性の本体である『陰』
    『天』たる自然の価値観を見捨てた『陽』に、
    そこまでの力量はありません。自然に逆らっているのですから... 




    『陰』なくしては、人の命を守る仕組みとして『陽』は、機能しない。
    反対に、嘘をついて、だまし、摩り替えて、命を殺傷するだけです。




    目の前にある『陽』(人の作ったもの)を信じて頼るのは間違いです。

    『陰』の智恵で『陽』を善へ用いていくのです。








    現に、福島原発事故で世界中が気にしている放射性物質の拡散予測も、

    当の日本政府は、3月23日に予測結果を一度公表しただけで、

    放射能の拡散予報を出そうともしませんでした。

    その中で、約一ヶ月の間、多くの国民は、

    これまでも、
    ドイツやノルウェー、フランスなど海外の気象関連部局が公表してきた
    拡散シュミレーションを、不安で本当の情報が知りたくて見たはずです。




    そこまで自国を頼れない国民にとって、国家とは何なのだろう?
    もうすでに、溶融しかかっているのは、日本と言う国家ですよ。








    全国の放射能濃度一覧ですが、
     ここで、まとめて見る事ができます。どうぞ! 




    開けると、 左端に、水道情報、福島原子炉、海水、福島とあり、
    その下《 拡散予報 》の所、
    日本気象庁、ドイツ気象庁、オーストリア気象庁、イギリス気象局、
    ノルウェー気象局、台湾気象局の情報が見れます。


    今でこそ、日本気象庁とありますが、これは、国民からの批判を浴びて、
    やっと4月5日夜から公表に踏み切ったわけです。
    当初、
    気象庁HPから、お目当ての予測ページを探すのは至難の業でした。
    ”放射性物質”や“拡散予測”といったキーワードのリンクが
    張られておらず、ここにたどり着くのは至難の業でした。   ほほっ。




    国民に見やすくする親切心などひとかけらもない! 

    要は、見せたくないのですね~!  あはは。

    なんと秘密めいた、隠そうと言う意識のにじみ出た“公開”なのでしょう!





    自らの官たる気象庁と言う使命を、何? と心得ているのか?



    しかも、
    国際原子力機関(IAEA)に報告していた内容をそのまま使うと言う、
    ドイツやフランスの気象局のようなカラーで見やすい図ではなく、
    見にくい!
    モノクロの秒単位で動く線画です! 
    見にくいまま公開してあります。
    しかも英語という不親切さ!
     (なにしろIAEA提出用の流用ですから )






    “お役所仕事”の典型と言うのか、 
    どっちを向いて仕事をしているか? 
    とても、 国民の為とは思えない。 
    組織の為や、お上の顔色を見た仕事ぶりです。
    要は、国民にはこれを知らせたくないと言う本音が、堂々と丸出しです。
    親切な分かりやすい外国のと並べられて、恥ずかしくないのか?




    役割や使命感のない人間が、あまりにも多い社会病理です。



    海外のマスコミから、
    日本に支援物資は豊富にある。唯一足りない物は情報だ。
    と言われる訳です。

     




    ついでに日本国民に宛てたフランスからのニュースを紹介しておきます。

    フランスのメディアが、わざわざ日本国民の為に、日付順に、原発事故の

    日本語のページ作ってくれています! (笑い)


    ともだち作戦の米軍もですが、

    彼らは、キリスト教の博愛、奉仕・サーヴィスの精神が溢れていますね!



    彼らは、反原発のデモもしない日本国民の我慢強さ、従順さ、
    マスコミが、あまりにも権力寄りで政府に何も言わない事に驚いています。





    日本人は、
    もともと、狭い島国の中で、争いを好まなかったからでしょうが、
    仲間を批判するような事はしない。
    特に仕事でも”○○がやった仕事だ”と言うだけで仕事の出来を信用する。
    アメリカ人などアングロサクソンは、人間を信用していませんから、
    誰かが、何かをすると必ずチェックをするシステムを構築します。 





    そのいい例が、
    半導体のテスター(製品の半導体をテストする設備)があります。
    これ自体が、アメリカの発想です。
    自分達が作った半導体と言う製品を
    テストすると言う発想が、日本人には思い浮かばない。
    作った製品は、テストをする必要がないと言うのが日本人です。 
    逆の言い方をすると、日本人の仕事は、歩留まりが、いいのです。



    結果、テスターを作る部品は、細部に至るまでアメリカ製ばかりとか、
    何かをチェックすると言う分野では日本は、発想から弱いのです。


    日本は、「君のここが間違っている。」と、
    お互いに言えない民族かもしれません。
    だから、これが馴れ合いの温床、組織的にまとまるのは得意です。


    お上が、近代化! と言えば、怒涛の如く、モダンへ突っ走る。
    日本人は、島国根性を自覚しなければいけませんね。






    突っ走った結果が、142年後、今です。





    では、次へコメント④ 


    原発事故を受けて、それぞれの立場の人の正体が見えます。=

    『陽』の立場の人(評論家、学者、政治家、経営者)は

    口ばかり論理ばかり方法論ばかりです。=

    現場で手を汚し、自分をかえりみないで誰かが直接作業をしなければ、

    解決はしません。=  







    まったくそのとおりですね~!!   ほほっ。




    『陽』は、政治や経済、学問、意識、知識です。
    すべて人間が作ったものですが、究極は、命を守ろうとはしないのですよ。



    それらは、命を守る為に、作ったものではないのです。




    では、『陽』、何の為にそれらを作ったのか? 




    国際的圧力を掛けられて、外国との競争に負けない為、
    利権や利益の奪い合いをしない為、 お互いの利害の妥協の為、
    力ある者から順番に、それぞれの欲望を満足させる為です。







    国会で法律を作る過程を見ていたら、分かるでしょう? (笑い)
    「こども手当て」が、コロコロと転がって、これが、『陽』の極地です。
    全くの、あかんべぇーの嘘つき~!  (笑い)




    『陰』が欠ければ、信念も信条も、ただの見せかけです。
    『陽』は、何事も自分の利害と都合が、優先です。
    りっぱな御都合や想定外という言い訳けをおっしゃる知識人の中には、
    仁も、義も、礼も、智も、信も、残念ながら、、、、、
    ありません~~!       あはは。




    『陰』と調和する政治にしか、『信』を置いてはいけません。

    政治だから、そうするべき、そうあってほしい、それはそうです。

    しかし、それは、それだけなら観念論、空念仏に過ぎません。





    また、安全とは、何ですか?

    安全、安全と言われて、その理論を信じる事ではありません。
    あらゆる理論は、一時の仮説と思って聞くべきなのよ。
    安全とは、将来に亘って、心身ともに安心できる事です。



    学者が安全と言うのなら、テレビで言わないで、
    自ら現地へ飛び込んで、生活して安全と言ってほしいものです!


    肝心な事は、自分が、安心できる事を、それこそ自己責任で、
    意識、無意識を総動員で、行動することです。
    ほら、又、想定外だった! なんて言われかねないでしょう?




    大事な事は、皆がどうするかじゃない。自分です。
    自分の中の島国根性を乗り越えましょう。





    国を信じて戦争に負け、また近代化で騙されて、
    総崩れも、全員ですか? 
    それらを避ける為にも! 
    国民総動員ではない方がいいのです。 あはは。





    誰かが、残らなければ、、、(笑い)




    西欧は、

    自然や異民族は征服する相手ですが、
    同民族は徹底的に守り合います。

    ファミリーも、大事にします。
    ホームと言うあたたかい場もあります。





    そう言う命を守る何層もの概念を、
    日本人は、近代化とともに失ったのです。






    モダンを総力挙げて突っ走った日本に、
    どこに『孝』があるのですか?







    今、『孝』が、はっきり在ると言えるのは、今の福島原発です。
    そこで働く名も無き作業員の人達です。
    彼等の仁なり、義なり、礼なり、智なり、信によって、
    私達は守られています。
    今の彼らの必死な使命感で、今の私達の命は支えられています。


    この瞬間に。 








    あの中に、『陰徳』が存在する事を祈りましょう。

    心から祈りましょう。





    彼らを、日本では名前を出して英雄扱いをする事はしませんが、
    欧米では、イヤ、中国などでも、きっと新聞やネットに名前を出して
    英雄として讃える事でしょう。






    命を守る力は、制度や法律や知識や学問や学者ではない。
    『陽』の類ではない! 
    自分の中の徳を生きる心が、唯一、命を救う力に変わるのです。
    知識でも、意識でも、法律でも、制度でも、新しい学説でもない。
    自分にとって切実な役割の自覚の中に、使命感の遂行の中に、
    力の源があるのです。






    原発の中で働く人々に、深く感謝を捧げたいと思います。








    そして、おぼえておいてくださいね。

    『陽』の極地、命の殺戮は、『陰徳』でしか止められないのです。





    その徳を、捨てたのが、 モダン・近代化です。
    日本における近代化の代償は、あまりにも巨大過ぎます。
    大衆を時流に乗せた知識人の罪は大きいです。 


     今もそうね!



    実際、マスコミに出て来る知識人に対しては、
    評判に歌舞(かぶ)れる人格を持っている事を
    私達は見抜かなければいけません。
    自分の評判にあわせて、歌って、踊って出て来ます。  


    ぴ~、ピ~ヒャララ~~ ひゃらひゃら!!      あはは。


    媚(こび)も芸の内ですって? (笑い) 






    あ、  「刀は、切っ先から毀れる」と言うように、

    一番先端に陣取って、ノリノリの立ち居振る舞いを見せながら、

    実は、一番に滅び去る姿を私達に見せる役割なのかも知れません。

    そう言う運命の人なのですね。 そこに、永遠の命は、ないはずです。






    P・F・ドラッカーが、『テクノロジストの条件』のなかで、


    「17世紀の半ば以降350年にわたって、

    西洋はモダンと呼ばれる時代を生きてきた。

    19世紀には、その西洋のモダンが、全世界の哲学、政治、社会、科学、経済の規範となり秩序となった。

    だが今日、モダンはもはや現実ではない。」





    モダンとは、近代合理主義のことです。

    近代化によって、この世界のすべては、論理の力によって解明できる。

    と言う思想が、まず西洋を支配し、そしてアジアでは日本へ、

    世界を支配したこのモダニズムが、この世界を覆い尽くした途端に、

    20世紀には、

    合理主義の論理だけでは説明できない問題が急増し始めた訳です。


    環境問題、南北問題、人口、飢餓問題、温暖化問題など、

    今の21世紀が抱える問題は、

    論理だけでは理解できず、何一つ解決策が生まれて来ない。

    理性で論理を構築するだけではだめで、分解して解析し、

    しかも全体を把握しなければならなくなった。

    *命あるものとして見なければならなくなった。

     



    1950年の半ばに、ドラッカーがこの変化に気がついたのです。



    モダンでは、もう駄目だ。と言う点は、私の主張と同じです。 

    が、 ドラッカーは、東洋の叡智を、知らないはずです。 






    東洋学的に変えてみましょうか?  (笑い)



    *命あるものとしての所を *一つの命としてに変えましょう。





    (自然を)*一つの命として見なければならなくなった。 

    これでどうでしょう?


    これが、東洋的な思想です! 






    キリスト教思想と言うものは、面白いものです。

    同じキリスト教と言う土壌の中から、

    お互いを批判をする正反対のもの、共産主義が神を否定し、
    それを資本主義が、モダンをポストモダンが否定をする。
    まるで第一幕、第二幕の劇のように、
    人々を飽きさせないロジックを、マジックのように次々繰り出して来ます。







    ポストモダン。  これもまた西洋思想の意識の範疇でしかありません。






    我々の祖先は、常に良くなろうと努めて来た。  
    そう思います。


    しかし、、


    江戸時代の鎖国を守って生きて来て、黒船から受けたショック、

    目を見張る西洋文明の技術の影響から、

    この無知(=反価値)は、自分たちの知らない理性・知識を意味していた。


    手っ取り早く、西洋学問の必要性がある。と言う所に走った。

    しかし、それを、全てと思うのが間違いの元です。

    近代化と言う”モダン”を過ぎて、

    ポストモダンと言われる現代において、『時』の波に揉まれつづけるだけで、

    現時点の波が、なになのか? 

    どれだけの人が気づいているのでしょうか? 











    やれやれ、やっとM町です!   



    モダンも、ロジックも、エリートも、データーも関係のない時間が流れている

    M町について、外観から始めましょう。


    初めは、M町のいわれについては、何も知りませんでした。


    生徒である女子児童の自宅を訪問した時の驚きは、

    今もありあり残っています。

    背丈の1,5倍はある大きな門構えを入って、
    植え込みの木立の中を歩くと、
    左手に洋館が建っていて大理石の玄関がありました。



    ステンドグラスが全面の重厚なデザインの大きな二枚戸に圧倒されて、
    開けて入ればちょっとした教室位の空間が、そこに、

    東京の一流ホテルの玄関より数倍、凝っているすばらしいインテリアが、 
    それはそれは、、、
    書き切れませんので後はご想像にお任せいたします。  ほっ。
    関西には、東京のそれよりすごい豪邸がいくつもあって、
    芦屋から神戸、西宮、宝塚、や京都、奈良などですが、
    敷地内に本物の滝や、本物の川や山が、崖まであって!  ほっ。



    何万坪か分からない森になっている敷地に、塀などなくて、
    母屋や、東屋、執事の人の家が建っている豪邸など、
    それらを見聞きした経験からでも、それでも、度肝を抜かれた家でした。
    豪邸振りがすごいと言うよりも、
    どうして、まわりと調和をしない、広大な洋館を建てたのだろうと
    非常に理解できない、そのシコリが未だに残っています。


    と言うのは、周りは、純和風の町並みです。




    一戸が、たしかに広い、1000坪以上の屋敷地所の中に、

    門屋と呼ばれる閂(かんぬき)門があり、母屋、離れ、

    数奇屋格子の戸をくぐって入る前庭、白壁の蔵が2つ,3つ、

    黒塀や、瓦と白壁の塀に囲まれた旧家の集落、の町でした。


    門屋と呼ばれる大きな閂(かんぬき)門には、

    門の左右に人が住める部屋が作られていて、

    そこは、昔は、隠居をした大婆さまの住まいになる処、らしい。




    歴史的には、M町は、

    日本神話の説話である★注「神武東征(じんむとうせい)」の時に、

    神武天皇が、渡来人たちを連れて来て居住させた地である。
    となっています。


    ★注「神武東征(じんむとうせい)」

    初代天皇であるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が九州の日向を発ち、

    大和を征服して橿原宮で即位するまでの征服の神話。


    それで、そこに住む人々は、その時以来の子孫になります。


    考えたら、天皇家も万世一系なら、この地の人々も、2200年以上の間、

    子孫が続いている事になります。

    ひょっとしたら天皇家よりも古いかもしれません。


    なぜなら、天皇家の実在したことが確かであるとされる最古の天皇は、

    3~4世紀の第15代・応神天皇です。

    神武天皇と言う神話の時代からの歴史に登場するM町の人々の祖先は、

    もっと古くなりますか、、、。


    それだけでもちょっとした驚きです。


    そう言う状況を、どこまでお伝えできるのか、、、

    町の雰囲気は、現代とは途絶したふしぎゾーン、だったのです。

    私たちが、失ったものが、そこには、すべてがありました。


    さぁ、私たちが失ったもの、何だったのでしょうか?

    2200年も失わないまま、

    自分たちを継承をして来たM町の人々。


    家だけではなく、なにから何まで、負けたと思いました。(笑い)


    まいったぁー、ですね。 あはは。

    2200年変わらない、信用できる生き方と人々。

    有る事が難しい、本当に有り難い出会いでした。



    次回につづきます。


    くれぐれも、


    何事にも、つつがなく、

    よい一週間を、お過ごしくださいね。































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    (知識の限界) 学問の知識で人生を考えてはいけない 7

    Category : 運命学と科学
    オキザリス


    オキザリス corymbosa 

    オキザリス oxalis ギリシャ語で「酸っぱい」の意味です。









    音楽をどうぞ~! 「自律神経にやさしい音楽ー花によせて」




    今日のテーマは、学問の知識で人生を考えてはいけない 7

    (知識の限界)
    です。


    大震災から津波と続いて、一ヶ月、未だになくならない地震に、

    自然の不気味さと底知れぬ恐怖を、日本中が、感じている頃でしょう。

    それにも増して、原発の脅威が、ひしひしと迫っています。




    このテーマの目的は?    

    ターゲットは、”意識”、『陽』を叩く事です。


    だんだんと「意識の正体」を暴いて、追い詰めて行きましょう! 


    意識の正体も知らずして、

    「知る」は最上なりとは、言わせたくありません。


    『陰徳』の軽視、抹殺こそが、”国難”と言われる現状の源なのです。

    知識の暴走、学問の暴走、

    意識最上主義にストップを掛けなければ.....






    鴨長明「方丈記」からです。

    日本中世文学の代表的な随筆です。


    行く河(かわ)の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

    よどみに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、

    久しくとどまりたる例(ためし)なし。 
     


    と言う有名な冒頭で、

    移り行くもののはかなさを語った無常観の文学とも言われる中に、

    【元暦の大地震】のありさまを書いた所があります。


    また、同じころかとよ、

    おびたゝしく、大地震(おほなゐ)ふること侍(はんべ)りき。

    そのさま、世の常ならず。

    山は崩れて、河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて、陸地を浸(ひた)せり。

    土裂(さ)けて、水湧(わ)き出で、巌(いはお)割れて、谷に転(まろ)び入る。

    渚(なぎさ)漕(こ)ぐ船は、波に漂(ただよ)ひ、

    道行く馬は、足の立ち所(ど)を惑(まど)はす。
     

    〈現代語訳〉

    また、同じころだったか、ものすごい大地震があったことがある。

    そのさまは尋常ではなかった。

    山は崩れ、その土が河をうずめ、海は津波で陸地を浸水した。

    大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。

    波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、

    道行く馬は足の踏み場に惑っている。


    その最後に、次のようにあります。


    すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、

    いささか心の濁りも薄らぐと見えしか

    ど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 


    〈現代語訳〉

    その直後には、

    だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、

    いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、

    月日が重なり、

    何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。
      

    約800年まえ、鎌倉前期、建暦二年、

    1212年に成立した随筆の内容が、

    そのまま今に当てはまる事に驚くと共に、


    いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、


    人間と云うものは、危ないと知りつつ自分の目先の欲と楽の為に、

    「喉もと過ぎれば、暑さ忘れる」、

    「天災は、忘れた頃にやって来る。」  あはは。


    意識に頼った知識と言うものは、役に立たないのですね!  (笑い)


    ★ 意識は、時と共に、都合のいいように忘れるのです。


    時と共に、『偽』になる『陽』そのものです。 


    学問を、頼って信じてはいけません。

    例え照明されたと行っても、所詮が一時の仮説です。

    政治は、もっと落ちます。 


    政治家の言葉は、単なる言葉だけで、

    『偽』で終わる危険も持っていると言う事を、もう認識しなければ!


    学問も政治も、経済も、すべては人間の作ったもの、『陽』なのです。

    それをそうだと覚悟をして、操縦していかなければいけないのです。


    ★ 意識の主張する所の真実は、くるくる変わります。都合次第なのです。




    いい例が、

    国際放射線防護委員会で決められた安全というのは、

    「1年間に1ミリシーベルト」です。 

    参考:武田邦彦教授のブログ

     (武田邦彦教授のプロフィール)  



    今回の事故で、政府は、

    学者に「年間100ミリシーベルトで安全」と言わせています。

    それは学問的な数字ではなく、政治の決めた数字です。


    ★ 意識は、都合がいい方向へ、楽な方へと変わって行きます。




    そうしないと、

    東京までが避難区域になる可能性があって、とても管理できない

    避難数で、パニックになるからとか、

    社会的影響を考えて決めた数字です。

    いわゆる、政治的判断。 


    これは、

    いままでなされた事のない人類初の多人数放射能人体実験です。

    後々このデーターを

    まとめて研究成果として学会で誰かが発表をするはずです。

    世界が、今、日本に注目をしています。






    私も含めてですが、  あはは。

    人間は、学歴をつけたところで立派にはなっていないですね。(笑い)

    知識の集積である学問で、人格はできません。 

    幸せにはなりません。

    すなわち、政治で、人間の幸せを実現する事はできません。

    『孝』を無視している学問や政治は、

    結局は、命を殺傷するでしょう。 

    具体的に言うと、

    何を一番大事と思うのか? 

    その理念と目的ですが、いろいろあって、

    進歩、経済、効率、利益? ですね。


    あはは、誰も、一番が命、孝、だなんて言いません。


    利益第一。

    それを正当化する為に人命も大事だ、とついでに言うだけですね。






    学問の無能さ限界を示す例を、2,3挙げましょう。


    ● 4月2日のY紙2面に、

    日本の原子力研究を担って来た専門家が、

    今の福島原発事故への緊急提言として、同原発1~3号機について、


    「燃料の一部が溶けて、原子力圧力容器下部にたまっている。

    現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、

    突き破ってしまう。

    数週間以内に、本格的な冷却システムを稼動させる必要がある。

    3基の原子炉内に残る燃料は、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る

    放射能があり、それをすべて封じ込める必要がある」と


    警告、指摘した記事の中で、

    提言者の一人、松浦祥次・元原子力安全委員長が、

    「原子力工学を最初に専攻した世代として、

    利益が大きいと思って、原子力利用を推進して来た。

    (今回のような事故については)考えを突き詰め、問題解決の方法を

    考えなかった」と陳謝した。とありました。 


    今更、陳謝して、どうなるものですか!


     考えなかった?? 


    せっかくの優秀な頭脳が、一番大事な事を、考えなかった ??

    その程度の判断、行動で、

    一流原子力学者が務まるなんて? なんとお気楽なお仕事でしょう!


    人類の為に、

    日本国民の為に、考えようとは思わなかったのですか? 

    自分の仕事における責任感の問題ですよ!! 


    意識は、めんどうな事は、避ける。

    意識とは、そう言うものです。






    ”原子力は、すばらしい時代をもたらす!!” 

    言いたい事だけ言って...

    後の祭り、とはこう言う事なのでしょう。 しかし、残念です。




    ●● 次は、ちょっとお気楽な話を書きましょうか?   ほほ。

    知り合いの学者です。

    教育ママなら、垂涎もの! 羨望の的! そんなお育ちの学者さま!

    付属小中学から、超難関進学私立高、東大、東大院を出て、

    霞ヶ関の官庁○○省の官僚を20年以上勤め上げ、

    40代で、関東圏の国立大の経済学の教授に天下った人がおります。


    超エリートですが、 お気の毒な方なの!

    彼は、38歳の時、息子が生まれました。

    直後、10歳以上年下の配偶者に逃げられたそうです。

    ある夜、帰宅すると、生後3ヶ月の赤ん坊が置き去りにされて、

    それから、父子家庭で子育てをして10年間、

    その経験が彼に幅を与えたかと思っていたのですが、、、


    大学の経済学部の教授の彼が、ある日、こう言いました。


    「どこの駅前にも、サラ金の看板がいっぱいある。

    なんとかしたいが、

    これは、サラ金で金を借りる人が多いからだ。

    こんなに金利の高い所で借金をするなんて馬鹿なんですね。 

    あきれるほどあほだ!

    銀行に定期をしておけば、それを担保に低利で借金できるのに。」



    ? 貴方はそれで経済学者なの? 

    思わず失礼ですが、そう言いましたよ!  あはは。


    どっちが、わかっちゃいないのか?   

    こう云うのを、私は、「専門ばか」と呼んでいます。  

    努力をしない人が馬鹿になるのは普通だけれど、

    貴方は人並み外れた努力をして、馬鹿になったの! 

    ほんとうに、見事なくらい、

    細い狭い道だけしか、知らない。

    その道だけしか知らない。。。


    銀行に定期で預けるお金がある人なら、

    わざわざサラ金に手を出すわけないのよ。

    定期なんか貯金できない。

    あったら真っ先に下ろして使ってしまう。

    そこまでの貧しい人がいる事を、大学院で研究して来なかったの !


    それで、経済○○省の役人を20数年? ですって。


    あぁー学問や行政のロジックは、立派だけれど一方通行なのです。

    要は、知識は覚えられる。 けれど、知恵はつかないのですね~!




    20年間の学業、知識の詰め込みでは、無理なのです! 

    今の行政は、得手勝手なロジックで済む仕事なのですね~!

    実際の人や社会を救くう事のできないロジックを弄んで、

    それで仕事になるのですね~!!  あはは。

    国民は、馬鹿なんだと、それで片付けるのね? 


    こう言う頭脳の優れた学者の社会性オンチな話は、

    もう、いっぱい、掃いて捨てる程あります。






    もうひとつ、


    ●●● 津波直後、NHK、

    夜の”クローズアップ現代”の番組のなかで、

    ある大学の津波の避難原理を研究していると云う学者が出演して、

    うなだれて、正直に言っていた事は、

    自分の研究は、役に立たなかった。と言う事でした。


    津波が来ると分かっている三陸の町で、

    どう避難をするかという研究をし、地元にも通い、

    かなりな年数を掛けて研究をしていたのでした。


    実は、津波の起こる2,3日前も、

    その教授が指揮をして、現地の住民と一緒に訓練を行った。

    津波の起こる方向を推定して、

    津波の時には、あの建物へ避難するんだと

    ここを歩いてと、実際に逃げる訓練をしたと言うのです。


    それが、津波が起こってみたら、

    その通りに逃げた人は、全員が津波に呑み込まれてしまっていた!

    教授の指示を無視して、

    自分の考えで逃げた住民は、助かった!



    私は、それを聞いて、 しばし、唖然と、しました。。  。

    心底、彼は、

    自分の研究が、間違いないと思っていたのでしょうか? 

    役に立つと云う事を、そんなに単純の思い込んでいたのか?

    他人さまのお役に立つと言う事は、

    実は、とっても、大変にむずかしい事ですよ~


    大学の先生と言う権威で、

    住民が信じて付いていった部分もあるはずです。

    権威や権力を批判しない東北人気質の素直さ、我慢強さ、 

    そう言う住民の心理も分かった上での指揮だったのでしょうか?


    非常に、その罪は重い。

    その学者が、うなだれて下を向いていた姿が残っています。

    人間なら、それが、当然でしょう。


    学問では、現実を変えられない。 


    なぜなら、現実をわかっちゃいないのです。




    なぜ、そうなるのか? 




    習って、記憶して、知識を増やしても、

    無知はなくならないーーーーー。

    知識を詰め込んでも、

    無知から開放はされないのですーーーーー。



    事は、そんなに短絡的に、

    無知は、解決がつくものではないのです。




    なぜなら、意識は、後ろを見ています。

    過去の経験しか見ていないのです。

    過去のデーターの上に学問は成り立っています。 

    学問の未来がわかると云うのは、データーの上での推論です。


    意識で行う研究は過去を見ています。

    過去のデーターです。 バックミラーなのです。


    意識は、「自然」と「未来」をわかっていないのです。 

    現実の人間を、女を、わかっていない。  あはは。

    そして、「未来」のデーターを持っていない!!! 


    意識で認識したものを知識とするなら、

    未来など、解るわけが無いのです。  

    当たり前のことですが、未来は五感では捉えられていないのですから。





    自然は、勝手に動く。 


    学問からしたら、自然は、勝手なのでしょうね。 (笑い)

    この受け取り方こそ、西洋二元論、自然に対決しようとする観点です。



    どう勝手に動くのか? それを知らない今の科学は、

    自然に対して、無知なのです。 


    自分の意識で分かった範囲を、”解った”とする。  

    それが、まだまだ ”分かっていないと言う事”すら、解ってはいない。


    あぁ、この乖離を、どうしたら埋められるのでしょうか?








    ★★★★ 昨日の夕方、何気なく付けたNHKのテレビ、

    避難所の方達が、今、思っている事をスケッチブック風に紙に書いて、

    思っている事を話すと言う番組でした。


    その中で、唖然! 

    としたのが、60代のお二人のご婦人の話した内容です。


    『 海が憎い! あんなにやさしい海なのに、大きらいです。』

    『 今は夢。今、起こっている事は、夢だと思ってます。涙も出ません。』



    お気の毒に! 

    地震、津波によって起こった急激な自分の境遇の変化に、

    感情や気持ちが、付いていっていない、受け止める事もできずに、

    非常に深刻な心の問題を感じました。


    未だに、学問は、自然を分かっていない。

    学問を標榜する我々は、未だに、自然を分かっていない。




    未だにと云うのは、

    このように科学が進歩していると思われている時代に、と云う意味です。  


    方丈記の時代から、なんら人間は、進歩していない。

    意識の想定と、計画と、立派な目的と、利益拡大の為に、

    世界競争に勝つ為には、

    コンピューターのシミュレーションを信じて

    なんでもできると、慢心を起こし、自然をみくびり、侮って来た。


    その結果が、

    政治が道徳を失くし、学問が人格のない単なる専門家集団に、

    なってしまったのではないのですか?


    それは、誰に都合がよかったのか?


    あはは。 それは経済のご都合、個々の人間の欲望です。




    経済を頂点とする似非ユートピアは、一番『陰』を嫌います。

    『陽』に文句を付けて来るのは、『陰』だけですから。

    『陰』から見たら、『陽』の欠点は、よーく見えます。  あはは。


    『陰』の力を弱める為に、

    女を働き手に狩り出そうとしています。

    女を全部『陽』にしてしまえば、文句を言われないからです。 あはは。



    しかし、『自然の摂理』は

    それを断固認めないでしょう。
     


    なぜなら自然の調和が崩れ、命の創造性が枯渇するからです。


    自然には見えない法があり、それによってあらゆるバランスを取ります。 

    故に、自然は、勝手ではありません。 


    自然は、自然の法に従って動く。

    自然には、自然の法が存在する。

    これが、東洋式です。

    この存在を感じていく、これが、東洋の叡智と云うものです。





    今回の3.11の災害の後、

    我々は、失った物と引き換えに、

    失ったもの以上の価値観を、新たに獲得しなければいけません。

    『天』が与えた絶好のチャンスなのよ!




    以前と同じ状態へ戻る事が、決して正しいとは思えない。

    それだけなら、大勢の失った命に対して、申し訳ないでしょう?

    欲望を叶えて、運が強く生き残った人だけが、そのままのやり方で、

    やりすごす事ができるなんて、おかしいでしょう? 


    生き残った我々が、『孝』を捨ててまで手にした近代化の価値観、

    命を犠牲にしてまで築き上げた欲望を守る論理。

    その命より大事だと錯覚したまま抱き続ける価値観を捨ててこそ、

    命を落とした人と同じ目に遭った事になるのではないのか?


    財貨を失った嘆きより、

    過去を失った悲しみを追いかけるよりも、

    目ざめること、反省して、後悔の涙を流すこと。

    新たなる価値観の中へ歩みだす事が、正しいのではないのか?

    これは、日本中に我々に、当てはまる事なのですよ。





    運命を、変えるとは、そう言う事なのです。

    自分の中の悪習を断たずして、未来に、よい運には乗れません。 






    史上最大の地震と津波、

    この破壊は、自然の摂理が、バランスを取った結果です。



    人間と自然が相克しているように見える時には、

    人間が、後ずさりをする番なのです。

    謙虚に、何が正しいのか、

    わが身を飾る虚飾を全部捨てて反省するべきです



    『陰徳』の存在が実感できる所まで、身をかがめる姿勢が必要でしょう。



    そして、まだ、それらの価値観をつづけようとするのか?

    続けるのか?どうするのだ? と、

    原発事故の脅威が、ひしひしと攻めて来ているようです。


    歴史的な価値観の転換が、起こらなければいけないのではないか?



    起こるべきです。




    今のこの地球の現場を救うには、強力な『陰』のパワーが要ります。


    どうか、子供をお育てになっているお母様に申し上げます。 

    次の2点を、わが子に教えてくださるように。


    まず、1点目は、

    最高学府で学び、海外留学して、将来有名な学者になるのもいいが、

    人間の意識と言うものは、限度のあるもの、時を経て『偽』になるもの。と



    そして、その愚かしい人間の意識の外に、

    実は、膨大な無意識の世界が広がり、

    そこには、自然の摂理が存在する。

    人類の意識の造作物は、その摂理に調和するものでなければ、

    人類に、刃を向けるものになる。と言う事を。


    子供が幼い頃から、教え伝えていただきたいとお願い致します。










    さて、さて、2200年、中庸を守って来たM町の事ですが、

    他の地域との一番の違いは、

    自然を利用して快適に生きる知恵があちこちで見うけられました。

    人が生きる事に配慮をして来た、

    生活と調和させる為の自然の取り入れ方は、

    知れば知るほど、今でも、ため息と驚きと羨望的な気持ちになります。
     


    一番大事な生活用水、

    当然、今は、公営の水道が各家に行き渡っていますが、

    井戸が、各家々に、あるだけではなく、

    飲み水としたら、人家の庭先を掘って汲む水よりも、

    汚れていない水を求めて水源地として、

    遠くの山の中腹に共同の大井戸を掘り、

    そこからパイプで各戸へ引き込むようにしてあったようです。 


    広い屋敷の塀と、道との間は、1~2mの幅の堀がめぐらされ、

    その疎水には、遠い山にある滝から引いた水が流れています。

    そこまで流れ来る間には、どうどうと音を立てて流れる大きな川が、

    細い小川になって、その疎水に注ぎ込むように作られた昔の水道です。


    疎水が、家々の周りを巡り行く時、角になる辺りは、その角を切り取って、

    道から水際まで降りて行けるようになった石の階段があります。

    昔は、ここで、女たちが洗濯をしたのだろうか、

    大根や芋を、洗ったのだろうか、と思わせる作りになっています。

    事実、今は、

    子供たちが裸足で水遊びの場として使い、

    同時に、疎水を泳ぐ川魚を食べに来る白鷺が、

    エサを求めて舞い降りる場になっているらしく、

    集落の中を、歩いて近づくと、バタバタッと、飛び立つ白鷺を、

    たびたび見る事がありました。



    入り母屋造りの大屋根が、いくつも並ぶ集落は、

    花崗岩で敷かれた細道が、迷路のように張り巡らされていて、

    集落に、盗賊が入っても、

    盗賊が、道に迷って逃げられないように作られている。


    と聞きました。


    それは、本当で、辻道の角に立って、

    さぁ、どっちに行こうかと思って、こっちかなと思うと必ず行き止まり。

    人の心の常識を逆手に取って、

    違うと思う方が、先へ続く道だったりして。


    車が通ったら、人が立ち止まらなくてはいけない、その位の狭い道です。


    その道の両側は、蔵の白壁、黒の板塀、瓦を乗せた白壁や、

    焼いた黒板塀の壁が相当長く続いています。


    さりとて江戸時代の武家屋敷のようないかめしい感じではなくて、

    さりとて農家の集落? 

    それにしたら裕福すぎる家構えだと感じていました。




    かんぬき門が閉められて、横の屈んで入る戸口をくぐって、

    あるいは、開け放たれたかんぬき門の奥のお庭を拝見しながら、

    時々、散歩のつもりでよく歩き回ったものです。 (笑い)



    たしかに現代ではない時の空間が、存在する町です。




    これから、M町の事を進める前に、このブログの読者の方たちに、

    質問をさせていただいてよろしいでしょうか? (笑い)

    と、言うのは、神武天皇のお気持ちになって、考えてくださいね。


    倭国騒乱からこの国の統一を目指して、

    九州朝廷のあった日向から、大和へ出発した時、

    何のために、神武天皇は、朝鮮半島からの渡来人たちを連れて来て、

    ここに住まわせたのか?




    何の為に? 目的を、考えてみてください!  

    そこに気づかれたら、この町の秘密がすべてが分かります。

    コメント欄に、ちょこっと記入をおねがい致します。


    答えは、次の記事で、、、、、あはは。






    今日の記事では、意識の特徴を書きました!

    気がついていましたか? 

    次回、それを脳の働きから、(意識の学問をお借りして)分解します。




    最後に!



    『陽』の極限においてすら、

    自らの命を顧みる事もなく

    内なる『陰徳』のパワーを持って作業を継続されている原発の方々の

    ご健闘とその成果が必ず現れる事を信じて、祈りましょうね。 




    どうぞ、つつがなく、ほんとうに何事もなく、どうぞご無事で、


    よい一週間をお過ごしくださいませ。


























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    (継承の天徳地祥) 学問で人生を考えてはいけない 8

    Category : 運命学と科学
    長屋門


    M町の近くの江戸時代の代官屋敷跡の長屋門・ながやもん(かんぬき門)

    門だけで長さが55mもあるので、全体を写す事ができません! 

    門屋の出窓の所は、居住空間で、昔は、馬番、見張り番がいた所か。

    橋が架かっている部分のかんぬきのある正門を入っていくと1000坪?いやそれ以上の前庭があって、

    川が流れ、菖蒲園などがある。その奥に母屋や離れの屋敷がある。

    狭い道と屋敷の間に疎水が流れている。M町の疎水の方が幅が広く水面が近い。

    左端の瓦屋根群も敷地内の建物です。

    今も、ここには、御子孫が住んでいらっしゃいます。





    今日は、学問で人生を考えてはいけない 8 (継承の天徳地祥)です。


    今日は、おそらく、コメントとM町に関するお答えの記事だけで、

    いっぱいになる気がしています。

    (意識の正体)は、次回へ廻しますので、ご了承ください。


    《天徳地祥》とは、

    《天徳》は、天の徳。万物をはぐくむ自然のはたらき。

    《地祥》は、天徳が地上に現れる吉兆。おめでたい兆し。



    天の摂理に合わせた生き方をすれば、

    その徳が、子孫繁栄、家運長久と言う姿に現れてくる。と言う意。



     

    では、前の記事にいただいたコメント3つ、からです。


    ”★1.石原都知事が、「天罰」という言葉をつかって、

    マスコミに叩かれましたが、

    あの真意は、被災者の方々に言ったわけではないのですね。=

    親の死後も、年金を取り続けていた人に対して言ったものだとか。=


    「我欲」という言葉も、そうですが、=

    石原都知事が言われた内容と今日の記事から受けた内容は、

    同じではないかと取りました。=


    石原氏は、

     
    「日本人のアイデンティティーは 「我欲」 になった。

    政治もポピュリズムでやっている。 津波をうまく利用してだね、

    我欲を1回洗い落とす必要があるね。

    積年たまった日本人の心のアカをね。 これはやっぱり天罰だと思う」

    と語り、=


    その後、
    「被災者の方々はかわいそうですよ」 と続けています。=


    「天罰」という言葉が、今回の地震、津波、原発事故には

    当てはまる気がします。= ”





    そう、その通りですよ。

    天罰は、我々日本国民全体に当たったのですが、、、

    石原慎太郎都知事のこの言葉には、合理性のある論理ではなくて、

    直感からくるご自分の思いを、誰はばかることなく、

    年齢からくる智恵と警告、それを言わなければならない覚悟が、

    あってのものだと言う響きがあります。


    こちらも、そうなんだ。と自分の正面に腹を構えて、肝を据えて聞く。

    あたかも、天の声のように、、、ね!  ほほほ。





    ちょっと横道にそれますが、

    石原慎太郎氏の著作を読んだ記憶の中に、


    弟の石原裕次郎氏が早世されてしまい、それをご自身と比べてどうか?

    と言う質問に、次のように書かれていました。


    「弟は、新しがりの格好よさに惹かれてか、

    合理的な西洋医学の治療しか、信じない性格だった。

    僕は、そればかりではなく、東洋的な治療もやってはどうかと進めたが、

    弟は受け付けなかった。

    そこの性格のちょっとした違いが、こう命や人生と言うものになると、

    生と死、大きな違いになって分けてしまうものかも知れない。

    超合理と言うか、自然や命には、そう言うものもあるのではないか。」と。



    うーん、ずいぶんと世間から言うと胡散臭い内容なのね! あはは。

    私は、非常に論理的で、いつも時代の前の方にいる石原氏が、

    そう考えるようになった経緯に興味がありました。

    じつは、その本の前半に、ご兄弟の子供の頃の思い出のなかで、

    お二人の父上が、仕事の上で会社の役員に出世をした時から、

    毎朝、仏壇に向かって法華経を読経している姿を見ていた。と

    書かれていましたので、

    多少は、その父上の姿の影響かも知れないと受け取っています。





    原発事故の脅威に対しては、

    原因を追求し、謝罪や誠実さの要求の対象は、はっきりしています。

    しかし、自然が起こした地震、津波に対しては、

    我々、人間は、ただ、従容と受け止めるしかないのです。



    よく考えてみてください。


    自然は、何もかも奪った。と言うけれど、



    『天』にとったら、何も失ってはいないのです。


    天の下に地があり、天には太陽、青空、雲、雨も元のままです。






    天と地が、逆さまになったら大変ですけれど...   ほほほ。 



    春は巡り、桜も花は咲き、緑が出揃っています。

    地を侵略し暴れた海は静かに、

    今、地と水はそれぞれの領分を守っています。

    木々や植物を根こそぎ、海が、倒したとしても、


    不思議な事に、海は、大地に押されて、飛び跳ねたのです。

    そもそも、大地が、海を、動かしたのです。

    木々と言っても、もともとは、大地の力・自然が、生んだもの、

    生まれる前は元々一体であった木々と大地。

    木々をなぎ倒すとは、木が大地との一体に戻ったのです。





    もちろん人が、手をかければ、愛着もできます。

    自分の物だという気持ちも出て来る。

    惜しむのは、当たり前です。


    それは、もうすでに3000年前に、愛別離苦、と、

    愛着は必ず離れる苦しみを生む。

    仏教の中で四苦八苦の中に、見据えられている。

    惜しむ自分の心を見据える所から、真の人間の自立があるのです。



    東洋的哲学の鋭さは、

    表層的な現象だけに囚われることなく、

    その奥にある、不変のもの、その存在を掴んでいるのです。




    『天』に元々在ったものは、そのままあります。

    それが、創造性の本体・『陰』の本質です。 



    これが、『易』の第一の意義、 不変である。普遍なるものです。






    それに引き換え、何かを失って行くのは、私たちです。

    私たちが、残骸と呼ぶものは、人間がつくったものの”あわれな姿”です。


    『陽』は、人工のもの。人の意識が、作ったものです。 

    それは、『時』によって必ず『偽』になります。

    『陽』の本質は、必ずその価値が変化をしてなくなると言う事です。


    いずれ滅びるのが、当たり前。  永遠ではありません。

    『陽』に永遠を求めても仕方のない事です。


    最後の姿は、水火既済、火と水の力で、すべて土へと還ります。




    必ず変わる。

    それは、本体『陰』の創造性の現象、作用として変わるわけです。 


    これが、『易』の第二の意義、 変わる。と言う事です。 





    築いた財である我が家、工場、船、車、学校、大切な家具、

    気に入った洋服やバッグ、持ち物へのこだわり、ふるさとの景色、

    こだわりの本、雑誌、思い出の写真、可愛がっていた動物、庭、、、


    それらは、すべて『陽』です。 【自分の意識と欲が集めたもの】です。


    人が、【自分の意識と欲が集めたもの】を、全て失うと言う事は、

    それは、それは、大変につらい事に違いありません。


    自分は、何も悪い事をしていないのに、どうして、

    こんな目に遭うのだろう? と言う理不尽な思いを押し込めた無力感。


    その悲惨さと、無力感は、被災者だけにとどまらず、

    日本中に、日本全体に、それこそ放射性物質のように飛散しています。



    原発は、人間の作り物です。

    『天』は、原発もすべて流してしまいたかったのでしょうが、


    しかし、残しました。。 。 厄介なかたちで、、、




    厄介なものを『天』が片付けたのでは、

    それでは、人間が悩まなくて済みますから...

    二度と復旧できないレベルまで打ち砕いて、


    さぁ、それからどうするんだ?



    便利と効率を追求し続けて、この地上は良くなったのか?

    人間の意識が作り上げた学問を手下に、欲望のエネルギーで

    自然を支配しようと歯向かって来て、思うようになったのか?



    さぁ、どうするんだ?





    人の命を犠牲にする事なしに、もう、原発をおとなしくする事は無理です。

    要は、学問、欲望、そのどれにだって、

    人間の幸せを託す事は、できない。 



    しかし、

    我々は、人間の意識を、この上なく信用して来ました。


    今、まだ、この上なく、信用をしています。

    これで、いいのですか?


    この世の、自然があるがままにある状態の他は、

    すべて、人間の意識が作り上げたものです。


    津波に流されたすべては、人間が作ったものばかりです。

    そこには、命より大事だと思い込んだものもあったでしょう。


    本質的は、命より大事なものはないのですが!




    歴史順に書けば、約360年前、

    デカルトの「我思う故に、我あり」から

    ヘーゲルの「弁証法」への西洋哲学の思潮の流れ、

    今の近代合理主義(=モダン)が始まったのです。




    簡単に言いますと、我が意識する論理性で世界を理解できる。

    もっと砕くと、理屈ですべてが解かると言う事です。

    冷静に考えると、そんな馬鹿な! と思うはずが、

    人、特に男たちにとっては都合が良かったのです。


    男は、『陽』です。論理的、理性的、意識なのです。

    今の世界は、国家、政治、法律、経済、制度、仕組み、学問、etc.


    はっきり言いますと、男たちが作り上げたものばかりです。

    そして、営々と、人類がいままで続けて来た事です。


    大昔から、荒野を畑にし、都市を築いた力は、そのお陰です。 




    しかし、あまりにも『陽』の価値観優先の社会において、


    『陰』の価値が、打ち捨てられています。 

    バランスが!  調和が!  崩れています。。 。







    そのモダンを反省して突き崩す流れも西欧では、出てきましたが、

    それが、前々回取り上げたP・F・ドラッカーです。


    それがポストモダン、、、過去モダン、、、古モダン、、、あはは。

    ドラッカーは、近代合理主義は、もう、古いと言った訳です。 



    しかし、古いままの「学問」、政治や経済、あらゆる法律、制度は、

    そのまま、我々の前にあります。


    いわゆる『時』によって価値のなくなった『陽』の残骸です。


    実は、内実において、もうすでに価値がなくなっている物を、

    後生大事に胸に抱きかかえているのに、気がつかなければ行けません!


    エネルギー政策においても、もう、今までのままで良いとは、思えません。






    私は、テレビで映し出される津波の後の残骸を見て、

    『天』は、もういい加減に【近代化】を超えろ!  と、

    意識偏重の合理主義を卒業しろ! と言っていると感じました。





    津波の大量の水、 

    運命学では多過ぎる水は? 水の大過は何を意味するのか?


    知恵が無い欲情のはびこり。雑草のごとく生えたしぶとい貪欲。




    それらを石原都知事は、「我欲」と言い、

    政治のポピュリズムと。 

    それを、津波をうまく利用してだね、

    我欲を1回洗い落とす必要があるね。

    積年たまった日本人の心のアカをね。 

    これはやっぱり「天罰」。

    と言った。





    次のコメントです。


    ”★2.記事の中でお書きになっておられるように、

    M町のような仕組みの町がまだまだ残っておりまして、

    もともと町のつくりが災害に備えてなっておりますの。

    M町の疎水も、火事で隣家に燃え移るのを止めるものなのでしょう。


    >そして、その愚かしい人間の意識の外に、

    >実は、膨大な無意識の世界が広がり、そこには、自然の摂理が存在する。

    >人類の意識の造作物は、その摂理に調和するものでなければ、

    >人類に、刃を向けるものになる。と言う事を。


    あたりまえのことを今の時代は、こう言ってくれる人が身近にいないのでしょうね。

    天罰、天は見ている、よくかんがえなさい。

    そう言う言葉のなかに込めて子供には言っていたのです。


    今のおかあさんは、お勉強だけだったら子供を哀れな大人にしてしまうでしょう。

    学者やえらい人になろうと、人間としたら哀れです。”




    やっぱり、時代の貧弱性でしょうか。

    意識が発達して高学歴と言うよりも、エリート的な能力に恵まれた女は、

    母親にはなりにくいのです。

    肉体的に子供を産めない体か、産んだとしても母性的ではないので、

    子育てがへたです。 子育ての結果がよくないのです。


    女が、女らしくなくなる(意識化、男性化)と、そうなります。

    だから、女は一般的な高学歴でない方が、いいのです。

    そうじゃない女性の方が、いい妻、母、になっています。 



    最後のコメントです。


    ”★3>そして、その愚かしい人間の意識の外に、

    >実は、膨大な無意識の世界が広がり、

    そこには自然の摂理が存在する。


    自分も親から伝わってきた自覚があります。

    我が子にも伝えていきたいと思います。” 




    そう、

    これこそが、未来遠くまで命の継承をする知恵なのです。

    芯の強い女性になって行ってくださいね!



    その知恵から連想するのが、M町です。








    さぁ、M町のこと。

    近代化とは、まったく無縁な雰囲気を持つM町。


    近代化に取り残された?  いいえ! とんでもない!

    近代化なんかに振り回されていない変わらない芯を持つ町でした。


    前回、なぜ神武天皇が、渡来人をこの地へ連れて来たのか?   

    いろいろお答えいただいてありがとうございます。




    国のために役立てようと優れた技術者を集めた。

    日本人にはいなかったから。



    神武天皇ですが、南に海、北に山と、故郷に似ているからでしょうか・・・。


    戦乱にも巻き込まれず、2200年も途絶えずにつづいた家は、

    武士階級ではない気がします。何かの技術を持つ集団ですか。

    土器を焼く、天皇の宮殿を建てる大工たち、織物を作る集団、

    医術でしょうか。

    お酒や、なにか醸造の技術を伝える人。




    農業や機織り、漢字、仏教など、

    新しい文化や技術を持ってきたんですよね。



    文化を根付かせようとした...?



    朝鮮人が【稲作】の技術を持ってやって来てくれたのかな



    色んな技術を学ぶため?



    料理を作る、料理人か。



    ほほほ。 みなさん、すごいですね!  共通するのは、技術。 




    さぁ、何の技術?




    答えは、養蚕技術。絹織物。

    機織りの技術を持った漢人の渡来人を連れて来たのです。 



    そう、蚕に桑の葉を食べさせて絹を取り、

    絹織物の技術を持った人々でした。

    誰の着る衣装になったのでしょうか?


    神武天皇、その血縁者、代々の天皇家の為だったのでしょうね。

    神武天皇と言う方は、粋な方ですね! (笑い)

    衣装というか、まず絹織物職人をそばに置くなんて、

    おしゃれだったのかしら?


    と言うのが、


    弥生時代から物部氏領だったこのあたり一帯は、

    第30代(在位572~585)敏達天皇(欽明天皇の第2皇子)の皇后と

    なられた、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)の所領となりました。


    それで、この一帯の総称を后部(きさきべ)と呼ぶようになりました。


    この皇后の和風諡号は、

    豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)と言います。


    敏達天皇と、額田部皇女の間には、2人の皇子と5人の皇女がいます。



    后部とは、

    天皇の皇后になった方に必要なものを調達するのを役割として、

    皇后のお召しになる絹織物、装束、などを調える領地だったのです。

    田畑から取れる作物も、皇后へ差し出すものでした。 



    藤原の不比等と結婚をした橘美千代が、最初に結婚をした相手、

    覚えていますか? そう美奴王(みぬおう)です。

    その美奴王の曾祖父に当たる方が敏達天皇です。


    豊御食炊屋姫尊の同母兄が用明天皇であり、その子供が、聖徳太子で、

    甥になります。


    敏達天皇の皇后、豊御食炊屋姫尊は、後の

    第33代(在位593~628)推古天皇です。 女帝になられます。 




    甥の聖徳太子に、摂政をさせた方です。

    皇后、豊御食炊屋姫尊の領地だった后部は、推古天皇に即位と共に、

    呼び名が、三宅(みやけ・天皇領)へと改まります。




    歴史的に珍しいのは、


    万葉の頃、

    平安時代には天皇や皇族、宮廷の人たちが、

    このあたりを訪れて遊猟を楽しんだ場所などの

    由来の名を持つ地名があったり、


    都が奈良から京都へ、平安京へと移ってからも、

    その時代の天皇の胤(たね)を身ごもった女性が、

    お産をしに御所から下がってくるお寺などが残っている所です。








    このM町は、672年、壬申の乱が起こった時、

    この地の漢人の渡来人は大海人皇子側に味方しました。


    と言う事は、唐・新羅側だったのでしょう。


    大海人皇子が勝利して、やがて天武天皇として即位した時に、

    戦争の功労として天武天皇から、この地の織物を織る人々の首長は、

    忌寸(いみき)と言う姓を与えられました。

    天武天皇13年に、壬申の戦に表した功によって8等級の姓を定めた

    その第4等で、おもに中国や朝鮮の渡来人に与えられた姓です。


    M町は渡来人によって栄え、その子孫たちは、聖武天皇の

    天平年間(729~748)に、仏教の寺院を建立したり、

    ちょうどその頃には、


    M町の人達はそろって日本に帰化をしています。


    奈良時代の平城京の条里制を真似て、昔、村を作ったものが、

    今もその面影が、残っています。


    上の写真は、江戸時代の面影を強く残していますが、

    M町全体は、江戸なのか、奈良時代なのか、さりとて室町なのか、

    分からない雰囲気です。

    強いて言えば、コセコセしていないおおらかさ、万葉的です。


    これで、M町の概観、歴史は、お分かりになられましたね。


    M町の事は、また、つづきます。




    次回は、意識の正体も。暴いてみましょう! ほほ。

    意識は、人間の脳が作り上げたものなのですね!


    そう言えば、程度が分かると言うものです。(笑い)


    意識の生まれる脳の中のからくりを、
    乞う、ご期待!  あはは。


    よき一週間を、おすごしください。

    なにごとも無く、つつがなく、、、、、、


































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    ( 意識の正体 1.エゴイスティックな意識 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 9

    Category : 運命学と科学
    オキザリスoxalis


    オキザリス・セルヌア (葉に黒い斑点)













    さぁ、今日は、(意識の正体)を暴きましょう!


    学問で人生を考えてはいけない 9 

    ( 意識の正体 1.エゴイスティックな意識 )
    です。

     
    ( 意識の正体 1.)? 


    そう、おそらく、長くなると思いますので、2回に分けました。


    M町の記事は、(意識の正体)の間は、中止致します。

    ご了承くださいね。



    1.は、意識の歴史と現状。 ? あ、歴史があるのです。  ほほほ。

    次回 2.は、意識と無意識の関係。


    ここまで、意識を知ると、ひょっとしたらあなたの意識が、変身!

    するかもしれませんヨ~    あはは。



    脳って、

    すぐに外界の状況に合わせて脳内にレセプターを作りますからね。 

    要領が、いいんだ! 意識って。右顧左眄(うこさべん)が得意だから~


    あはは。生きる事が精一杯、 それが、意識なのです。(笑い)



    意識の正体と言うのは、実は、『陽』の正体なのです。

    知れば、なぁんだ~、こんなもの? と思われるかも知れませんね。




    以前の記事で、意識の”癖”を次のように、記事の中で書きました。


    ★ 意識は、時と共に、都合のいいように忘れるのです。 


    ★ 意識の主張する所の真実は、くるくる変わります。都合次第なのです。
     

    ★ 意識は、都合がいい方向へ、楽な方へと変わって行きます。
     

    ★ 意識は、めんどうな事は、避ける。意識とは、そう言うものです。
     

    ★ 意識は、後ろを見ています。 


    ★ 意識で行う研究は過去の”まとめ”です。


    ★ 意識は、「自然」と「未来」をわかっていないのです。  



    あはは。 ありのまま、自然に、が不得意なのですね!


    これは、どこから来るのか?

    意識の”癖”は、どうしてこうなのか? うそつきなのか?

    と言うのが、今日のテーマです。  (笑い)




    意識の実態を知らないで、意識の正体を知らないまま、

    意識って大したものなんだ! 間違いないんだ~? と、

    思い込まないで欲しいのです。 



    意識は、なるほど、当てにならないものなんだ! 

    同時に、無意識の不思議さと、重要性が理解され、

    その重大な意味に納得されますように!



    それは、すなわち、『陰』の存在が光り輝く事でもあります。

    それは、

    現代を取り仕切っている『陽』とのバランスを取る為でもあります。



    それが、今回の記事の目的です。



    まず、意識と無意識について、

    定義をしておきましょう。


    意識すると言う事は、生命(肉体、心)的に自分の存在がどうなっているのか、

    どう言う状態であるのかを、自分で理解していることです。



    無意識は意識が無いと言うよりも、

    ★「気づいていない」★ 状態です。その方が分かりやすいでしょう。



    次のことが大事なのです。
     
    ★ 心で感じる意識(=脳の前頭葉に上ってくる認識)よりも、

    もっと膨大な量の認識が、無意識には存在します。★ 




    まず、


    心=精神=意識と理解をしていいと思います。

    これは、西洋式二元論の〈精神〉の方です。

    西洋は、生命を一つと捉えないで肉体と精神に分けますから、

    意識と体の関係についての説明は、いろいろあって大変なのです~! 

    ○○説、●●説、といろいろ妄想?して、パズルのようです。 (笑い)



    その点、東洋は肉体と精神は一つと見ますので、この間の説明が要りません。






    そもそもですが、

    意識は、人間の脳が作り上げたものなのですね!



    意識の生まれる脳の中のからくりを、


    味覚 ができ上がった仕組みを通して、

    今の学問的知識で辿って行きましょう。
     


    なんだかんだと言っても、

    意識的な学問的言葉の方が、

    今の時点では、皆さんの中へ入りやすいでしょう?


    いきなり東洋の叡智では断定ばかりで難し過ぎますね?  (笑い)

    できれば、そこから、運命の出来上がり、その関係まで行けるなら、

    いいのですが.....   ま、それは、運次第と、 (笑い)







    では、(味覚)へ進みましょう!


    味覚は、触覚・嗅覚・視覚・聴覚・味覚の五感の中の1つの感覚です。


    感覚器官は、

    タンパク質で出来たレセプター(受容体)で情報を受けて、

    電気信号で脳に伝達しています。



    嗅覚には、レセプターが800種類あり、多様な匂いをかぎ分けます。

    ネズミなどは嗅覚で1000種のレセプターがあるそうです。


    人間が生きる上で必要なレセプターが、発達して来た。

    と考えると、

    鼻で臭いを嗅ぎ分ける能力は、

    生命を守る為に、食物が安全かどうかを、かぎ分ける器官として

    最重要だったのでしょうね。


    ところが、他の感覚器官に比べて、味覚はレセプターが非常に少ないのです。




    味覚は、この五感の中で、もっとも貧弱です。


    その貧弱さと、発達途中である事から、観察するには適しています。

    さまざまな情報を複合して、その感覚を形成するといいます。




    どういうことなの?・・・





    味覚のレセプターは口の中の舌にあります。

    苦味、うま味、甘味、塩味、辛味の5つの基本味の中で、

    苦味は、60種のレセプターがありますが、

    塩味は、わずかのレセプターだけ、

    甘味とうま味は、わずか1つのレセプターしかありません。

    辛味は、痛覚が関わっており、


    味覚と言うのは、あまり、いろんな情報を分類できないのです。

    嗅覚とは、レセプターの数が、比べ物になりません! 



    単純な味覚。   (笑い)


    しかも、味覚は、レセプターから脳に伝達される経路が大変複雑です。

    嗅覚や触覚が、単純な経路で脳の眼下前頭皮質という場所で

    知覚されているのに対して、


    味覚は、最初、視床下部に伝達され、

    次に脳のさまざまな場所を通って嗅覚などと合わさって、

    眼下前頭皮質で味として知覚されます。



    これだけ見ても、味覚と言うのは、

    視覚、嗅覚、触覚の感覚器官と合わさって「味」になる、、、。


    それが、「おいしさ」の正体です。


    ふしぎですが、記憶に残っている味は、ほとんどが「風味」です。

    風味というのは、

    口から鼻に抜ける「におい」が鼻で嗅覚にキャッチされて知覚されるもの。



    だから、まさに風味を食べると言う京料理、

    御だしで食べる関西風の薄味の料理などは、いつまでも

    美味しかったと忘れられないのかもしれません? あはは。


    味覚のレセプターの数の差について見れば、

    これが、そのまま

    意識が無意識から生まれた不思議が分かって来ませんか?


    どんな時に、無意識のゾーンから、意識へと上がって、

    それが、レセプターになるのでしょうか?





    答は、無防備な生命を、危険な外界から守る為に、

    何を意識が感覚器官として発達させて来たか? です。 



    まず、命を保つ為の食料を口の中に入れる前に、

    味わうよりも、毒を見分ける方が優先だった。

    味など、味わう余裕はなかったのです。



    それには、

    まず視覚、目です。

    そして、次が、近づいて臭いです。鼻です。


    よい臭いなら、ほぼ大丈夫! 

    だから、嗅覚を発達させる必要があったのです。


    次が、手触りで、そこで大丈夫なら、口に入れてよし!


    口に入れてからは苦味をよくチェックすればよかった。

    毒性のあるものは苦いものが多いのです!


    甘みやうま味は、ほぼ毒性がないものばかりです。

    だから、レセプターが発達しなかった。

    苦味以外は、どうでもよかったのです。


    現在のように、味覚を重んじた食生活、

    賞味期限も印刷された日付を頼りで見分ける事が、習慣化すれば、

    どれだけ味覚の感覚器官のレセプターが、退化するでしょうか?


    それは、人間の能力が衰えると言う事です。



    命にとって、重要な事柄を優先順位を付けて発達させる。


    意識は、こう言う仕事をして来た訳です。

    そう言う意味では、現場監督として、おりこうです!  あはは。 






    何を一番、警戒したのか?





    自己の命の”死”そのものです!



    その為には、あらゆる過去の経験を生かそうと、

    遺伝子の情報として全人類へ伝えて来た。

    自己のみを守ろうとする欲望です。



    しかし、未来は分からないのです!


    未来が分からないから、

    意識が探れる範囲の科学を作ったとも言えますね! (笑い)


    意識の欠陥は、未来と全体感が欠如している。



    だから、意識で先の事を決めたりすると、

    意識の暴走で、命の安全を踏み外したり、

    予期できない事態を招くのです。


    ゆえに、科学が安全だと言う事は、信じられません。



    ゆえに、政治が、年金制度や福祉制度の計画を立てても実行できないのは、

    意識の常、自己の立場が危うくなると、逃げる、中止する。

    あれこれ条件に負けて、うそを付くのです。 
     


    それが、意識のする事です。限界なのです。



    不甲斐ない、誠意のない、卑怯な意識。

    自己の死や、未来に起こる恐怖を避けたくて嘘をつく臆病者。

    それが、意識の正体です。


    こんなもので、人生を考えたら失敗をしてしまう?




    意識の歴史と言いますと、

    現代の、この要領のいい、屁理屈ばかりをコネルのが得意な子供から大人、

    と言う人間を作り出した大本、意識中心の近代合理主義を言い始めた

    デカルトは、意識の中心を脳の中の松果体にある。と思っていたようです。


    (ホラ! そこから間違っていたわけじゃない~!)


    ジェームズ・ランゲ説では、

    脳が刺激を受けて、涙が出るから悲しいと言う喜怒哀楽が起こると言います。


    ( ちょっと違う気がしない?)


    反対に、キャノン・バード説では、

    悲しい~!と喜怒哀楽を表すから、涙が出て来るのだそうです。

    脳の視床下部に情動の中心があるという説です。


    (これも、違う気がするわ!)


    パペッツの回路説では、

    喜怒哀楽の中心が、脳の視床や視床下部だけではなく、

    1つの脳の回路(海馬→脳弓→乳頭体→視床前核→帯状回→海馬)

    の中にある。悲しい感情は、そこで作られるというのです。

    この回路は意識ではなく、記憶に密接に関係していると言う説です。


    (あぁー、これも違うような気がする~ )



    あー! 科学者でもない私の説は、  (笑い)

    視覚が捉えた目の前の光景を、脳の視床下部(情動の中心)に送り、

    その視床下部から、


    ① 喜怒哀楽の情動へと(悲しい心)を刺激し、

    ② 身体的機能へと(涙が出る)を刺激する。。


    それで、悲しい気持ちが意識されて、涙が目から出る。

    ① と ② が、同時に意識に上って来る=悲しさが込み上げて涙を出す。

    と、思うのですが? どうでしょうか?


    東洋式に肉体と精神を分けなければ説明は簡単なのです。

    勝手な新説を作っていますが、、、 あはは、



    みなさまは、どう思われますか?   



    意識は、

    ある意味、死の危険から身を守るセイフティネットなのです。

    わが身を守る為のマネージメントをしているのです。


    意識の劣っている点は、

    意識が、生の危険から身を守ろうとする条件は、過去の経験からなのです。 



    大げさじゃなく、過去何千年、イヤ!何十億年前からの人類の体験。


    イヤ!! 違うわ~もっと過去へ。


    人へ進化する以前の単細胞の頃からの生命の経験から決めるのですね!

    それが、遺伝子のなかへ全部蓄積されている。

    全人類の体験した経験が、遺伝子で受け継がれているのです。


    臆病者の意識! 怖がりの意識! 単純な意識~! あはは。


    姑息にもなる! 自己の生命を守る為には。 それが、意識です。





    なぜ、姑息になるのでしょうか?


    それは、過去からの体験で現在の状況確認をする役割だから、

    未来が、見えない。 将来に対する確信がないのですね!

    現時点より先を見れば、未知の暗黒!! 


    だから、意識は、死と言うものについて、

    さまざまな憶測を作り上げています。

    自分が苦しくないように、 生きていくのが辛くない様に、、、


    天国  これは、意識の作為の最たるものでしょう。
     
        なぜなら、これで双六のアガリなのですよ。信じられない!


    極楽  この段階の仏教で救われるのは男性だけです。
        
        女性は、まだ地獄へ行くしかない時に、男の人たちは、

        まるで、男湯状態の所へ、本当に行きたいのでしょうか?  あは!




    信じるも、信じないのも、自由ですが、 

    意識は、 不安なのです。 恐怖なのです。 死はコワイのです~!


    意識が集積した学問は、”死”を乗り越えられませんから...


    だから、切ったり貼ったりくっ付けたりする技術を追求するわけです。

    まるで部品工場のような医学、、、ある意味、生への執着を叶えようと、

    人間の貪欲の奴隷になっています。

    それを、国家が管理をするという生政治へ移行しつつあります。


    国民の命を、国家が管理をする。 国民の飼育です。

    現在の放射能に関する情報を統制している日本は、

    もう、そうなっているのでしょうね。


    これから、ますます、国民は無能なんだからって、

    官僚が力を盛り返していくでしょう。

    官僚組織こそが、意識の権化なのです。





    意識をメーンキャストとする現代文明=西洋思想はここに立脚しています。

    不安や恐怖や迷いを、エネルギーの根源にしているのです。


    だから、意識の目指す事を突き詰めれば、

    死への恐怖を避けるには、究極は戦争になります。


    おかしいでしょう? 死を避けるつもりが死地へ行くのです。

    根底には、他者に対する疑いがあります。



    自分が生きる為に、他者の生命を殺戮する。 

    それが意識の作ったロジックでは、正義になる訳です。 


    現・西洋・キリスト教を根底にした思想は、みなそうです。

    共産主義、資本主義近代合理主義、そこから生まれた現科学

    =学問もそうです。





    意識すればするほど、過去に戻るのです。

    生命を守る為に戦った経験へ。 

    そうして、意識は「我欲」に染められた本性を発揮します。






    ブログの中で、よく意識が作ったロジック、と言う言い方もします。


    これは、簡単に言うと、都合よく作った理屈、そう言う事になりますか。。 。

    言論は、自由ですから、十人十色、誰が何を言おうが勝手です。  あはは。


    しかし、誰が作った理屈かを、よく見極めないと、

    それは自分にとって都合が悪い理屈かもしれません。

    世の中は、それぞれのロジック(理屈)の言い合い、戦いです。

    それが政治や、外交や、経済。この世界は、利害の対立ですから、

    都合の良い自分が作ったロジック(理屈)を通した方が勝ちます。




    ゆえに、この世は、意識全盛の世ですから、


    それぞれの自分が構築したロジック(理屈)の競争になります。


    つまり、「闘争の世界」が現出するわけです。 



    国際間のあらゆる競争、国家間の争い、

    国内においても競争的原理を用いた経済政策、

    格差ーこれこそが意識の産物です。


    個人においても、あらゆるランク付け、

    順位付け、格差付け、ブランド志向、イジメまで...


    勝手にやってくれますよね。  あはは。


    これらは、すべて、臆病な姑息な意識のやる事です。

    これらに乗っかっている限り、心の安寧はないのに、、、、、

    一番になったら安心するとでも思っているのでしょうね。



    これに乗らずにおれない、愚かさも、意識が源流です。  

    弱きが強きに巻き込まれる、弱肉強食の原理です。




    なんと、ドラマチック? な!   あはは。

    なんと、○鹿馬○しいですね!! ! 



    意識的な、男性的な、理性的な価値観が席巻する社会は、

    かならず行き詰ります。


    作為的な、創造性の枯れた、命を無視した嘘が制度化されます。

    そして、人々は、苦しむようになります。

    苦は、調和を失った時に、醜さとして感じるものです。





    私達が、感じる事、思う事、意識の機能が主流を為す、

    そう言う程度の処で表面の社会は活動し、政治や経済は成り立っています。

    選挙のマニフェストだって、瞬く間に『偽』ですよ。(笑い)



    頼れない、信じられない、任せられない意識の正体を知った上で、


    『陽』の欠点、『陽』は嘘つきだと言う欠点を知った上で、


    私たちは、うそつき『陽』が生んだ学問、官僚組織、政治などを、

    うまく使っていかなければいけないのです。


    大変に大きな課題です。


    Can you do it ? ( できますか? )




    あなたが、知恵を持たなければ、これはできないでしょう。


    知恵とは、お分かりですね?   


    東洋の叡智です。 
     


    これが、『陰』の本体でもあります。




    近代化で『孝』を捨てたわが国では、

    この国中を『陽』が覆い、『陰』を忘れた私達は、

    時が経てば『偽』になるロジックを、真実のように錯覚をしています。




    しかし、それは、必ず私達を騙します。

    巨大地震、津波に遭った後、なおさら、

    この事を、身に染みて忘れないでほしい・・・・・








    時は、五月、 風薫る季節です。


    なのに、放射能を気にしないといけないとは!

    あはは。 日本は、野暮な国になったものです。


    どうぞ、一週間、何事もなく、つつがなく...

    お過ごしください。




































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    (意識の正体 1 コメントへのお返事 1 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 10

    Category : 運命学と科学
    GWの間に黄砂で曇った富士山麓の旅へ行って来ました。

    下の写真は、女優の工藤夕貴さんです。


    工藤夕貴 自宅前で



    背景は彼女の富士宮にあるご自宅の玄関です。

    この右側に駐車場があり、農園が広がり、富士山が見えます。 


    下の写真が、彼女のレストラン・カフェ ナチュレです。 奥に可愛いお庭があって、

    右端に、上の写真のバックにある自宅前の噴水が欠けて見えます。


    工藤夕貴レストラン ナチュレ


    大震災のせいで春のお彼岸は、出かけられなかった為に、

    このGW、墓参がてら、いつものように富士山麓を旅行して来ました。

    いつも通る沿道にあるので、いつも気軽に立ち寄っています。

    こんな山奥に! と思うほど、、、異質な空間のお食事処です。

    彼女が農業で収穫した有機無農薬の野菜、料理、特に薬膳カレーが気に入っています。
     


    この日は、駐車場で車を降りて、レストランの方へ歩いて行くと、

    めずらしく中庭に彼女の姿がありました!

    厨房用の黒いエプロンの彼女が、自宅からお店へ歩いて行くところ!

    ブログに載せるわ!

    と言うと、快くポーズを取ってくれました。


    笑顔で「いい事を書いてくださいね!」   

    私、 えぇ! だいじょうぶよ~!


    ということで、詳しくは、 ココヘ
     

    [住所.地図]

    静岡県富士宮市人穴346 (河口湖ICから富士ミルクランドの手前)

    [電話]0544-52-1788


    実は、工藤夕貴さんとは縁があって、

    昨年の12月19日に、富士急ハイランドへ行った折に、

    彼女と誰かさん・男性がペアで、

    乗り物に乗っているのを隣で、見ちゃったのです。 ほほ!

    ぐっと年上の落ち着いた方でした!  ほほっ。

     後から知ったのですが、

    10月10日に公務員の武道家の人と再婚をなさっていたとか、

    しあわせそうに並んで座っていましたっけ。。 。


    女優や歌手の面は、あまりよく存知あげなかったのですが、、

    (ごめんなさい!)

    農業を始めて田舎に住み始めた以降の

    工藤夕貴さんの生き方には共感を覚えています。










    さぁ、今日の記事は、前記事にいただいたコメントのお返事です。

    意識の正体 1.で、一番重要な事を、書き忘れていました。





    『 意識は、環境に染まる、染められる 』と言う事です。


    つまりは、同じ景色をみても、意識が捉えたものは、同じではない。

    一人一人が、違った感覚を持ち、感じる内容が違うのです。




    この感受性の違いが、その人の『 運命 』の為せる技です。 



    または、言い換えると、


    感受性の差は、その人固有の『 運命 』の違いから出て来ます。
     



    たとえばですが、熱く煮えたぎっているヤカンを見てどう思うか?


    (恐怖)熱そう! 火傷する~!

    (心配)蒸気が出て湿気がすごいな?

    (安心)暖っかい~、あたたまろう!

    (批判)誰が忘れているんだ! 水がなくなったらどうする? 

    (焦燥)お水は? 火を止めれば? 大きなヤカンないの!?

    (喜び)あら、よかった。 熱いコーヒーを飲もう!


    と、いろいろ...です。   ほほほ。



    常に、まわりの状況と、内なる『 運命 』に染められているのが、

    意識と言うものです。


    アイデンティティ?  意識には、ないはずです。

    そう感じた自分の意識すら、

    環境に合わせてくるくる変わって行きますから、

    当て所ない、行方知れない、彷徨っているのが意識です。

    意識の本質は、思うよりも、もっと卑しく下品です。  あはは。



    なぜって ?  


    それは、自分をツクルからです。


    自分を(作る)ための所作。それがロジックです。

    自己防御の産物が、ロジックです。
     



    ない方がいいに決まっています。

    うそつきなのね! 正直じゃない。 品がないのね。    あはは。 



    人の意識が作ったロジックを、買いかぶらないようにしてください!

    タカが、その程度のものだと、その認識が大事です。









    このように意識を暴き、叩いたわけですが、

    その道具には、その意識自体が作り上げた学問的知識を用いました。



    まっさか! 意識だって、自分の作り上げた学問の知識が、

    自分の正体を暴くのに使われるとは思いもしなかったでしょう。 あはは。



    本来の東洋的な叡智である『陰陽学』の『陰』と『陽』と比べれば、


    今の学問の心理学で言う、意識・無意識は薄っぺらいので、


    そのまま、『陰』=意識、『陽』=無意識と


    するには問題があるのですが、


    取りあえずは、うわべの意識を批判するには役立ったと思います。



    しかし、

    意識的概念の詰まった西洋学問的言葉で、

    東洋的叡智を説明しようとすると、

    その行為は、西洋的概念にまだまだ束縛されている範疇ですから、

    東洋的な智慧との差異が中途半端な矛盾点として、たくさん出て来ます。


    これは、致し方ないのですが、

    見過ごしていいものと、よくないものがあります。

    見過ごせないものは、今の内に再確認をしなければいけません。







    では、いただいたコメントを紹介しましょう。



    《 なんだかモヤモヤしていたものがパーッと

    晴れてきたような気がしました。

    「陽」=意識、「陰」=東洋の叡智。
     
    官僚組織は意識の権化・・・そうだったのですね・・・。


    ロジックは大切ですが、見極めが重要・・・

    本であればマーカーを引きたいところがいっぱいです。》 







    モヤモヤしていたものがパーッと晴れた
    のは、よかったですね!

    しかし、コメント欄のお返事にも書かせていただいたのですが、勘違い?

    結論を自己流に、まとめ過ぎていて、

    いろいろ問題が多いわ~!  あはは~。


    まず、 ロジックは大切ですが、見極めが重要・・・ 


    前のブログ記事の文脈から、

    こう言う結論を導き出していらっしゃるのに、驚きました!

    どうして勘違いをなさったのかしら? ?


    勘違いの原因は、記事の読解力の問題ではなくて、

    (それは、先生ですから、、、間違いない。   あはは。)

    特別に、なにか、強い思い込みが、あるのでしょうね。

    ロジックは大事なのだ。と言う先入観をお持ちなのでは?


    その拘りのせいで、意識の特性=都合よく取り入れた。のでしょう。

    または、まったく違う意見をお持ちなのかもしれませんが、

    それなら、初めの感想とは、矛盾して来ますね。

    ご自分の中を、統一する必要がアリです、ね。  あはは。



    ロジックは、大切ではありません。 ない方がいいのです。

    なぜなら、真実を掴むのに邪魔になるからです。 

    ロジックは、あくまでも頭の中のもの。

    脳が作ったものにしか過ぎません。

    人間の脳が考える事は、せいぜい自己中心な思考です。






    それに気がつかない限り、

    時が経てば『偽』になるロジックを、

    大切だと認識する足場に立っていたら、

    それは、虚構に立っている事になります。 

    それに気がついた時、騙された、、、と感じる、 あれです。





    真実は、意識の外にあるのですよ。



    どこに?  



    自分や宇宙や自然のありのままの姿の中にです。 



    この辺が、むずかしいですね~!    あはは。



    自己の思考の中に、真実があるとでも?  


    あはっは。


    まあ、これが科学の前提ではありますが、

    これは『陽』の世界では一応の建前ではありますが、

    それが、あらゆる争いの論拠にはなっていますが、、、

    それを、どこかで、《心底》そう思っているのかな? 
     







    「陽」=意識、「陰」=東洋の叡智。
    も、ちょっと違うなぁ~。あは。


    『陽』=意識、意識が作ったロジックではありません。

    『陽』>ロジック ですから、

    ロジックは『陽』の中の一部にしか過ぎません。

    『陽』の一部でしかないものを、大切だとは? 言わない。

    言いません!




    ロジックは、近代合理主義でいう意識が作り上げたものです。

    その意識は、何に染められ何の影響を一番受けているのか?


    この物質文明下においては、「欲望」でしょう。「我欲」かな。

    自分の欲望を正当化する悪魔のような倫理観のない言い訳のために

    作り上げられたロジックである場合がほとんどです。




    赤頭巾ちゃんの童話でお馴染みのオオカミのように、

    顔に小麦粉を塗って、

    見かけは赤頭巾ちゃんのおばあちゃんに扮したオオカミロジックです。




    特に日本は、近代化によって、『孝』を捨てた。=

    徳を守る為の、あらゆる仕掛けが壊された社会です。



    女も、

    平等と言う架空のロジックを疑う事もせずに、信じて、

    男がする《狩の獲物の取り合いの闘争》の現場に出向いています。



    架空の建前のロジックを作って、本気の戦争を始める。

    これが、いつもの男たちのやり方です。

    これからする戦争は、刀で切ったり、槍で突く戦争ではない。 あは!

    もう、今度は戦争をしたら終わりです。


    ロジックに固執するのは、

    近代合理主義が批判をされる一番の欠点ですよ。






    なぜ、人は、架空のロジックを信じて頑固に固執するのですか?

    死後のゆうれいとおばけが、怖いのでしょうか!  あはは。 


    大切なものは、『陰』、『無意識』、『智恵』。





    しつこく言います。


    人の意識が作ったロジックは、間違いだらけ。


    誰かの脳が作ったロジックを頼りにする限りは、必ず滅びます。


    その人の脳の限界が、必ずあるからです。 ほほ!  




    大事な事は、『自然の摂理』は、どうなのか? を見極めること。

    それこそが、大切である。

    前の記事は、そう言う趣旨だったのです、、、。

    ご理解いただけましたでしょうか?







    見極めが重要、と言っても、


    自分の意識が、他者の意識が作ったものを見極められるかしら?

    見極めたつもりでも、

    それは、弱肉強食の論理の横行する下では、

    力関係を真っ先に気にする意識であれば、

    すぐにそれに染められて、影響を受けてしまって、

    正しく見極められるわけはないでしょうね。


    結論から言うと、強い者の意識が、世の中を席巻します。

    自分が、弱ければ、常に、敗北感が残るはずです。


    その拡大版が、最後は殺し合い、

    国家間では、戦争です。

    何度も言います。 

    昔から、それで男は、戦争をして来ました。 








    では、何で見極めるのか?

    については、次のコメントと一緒に書きましょう。



    二つ目のコメントです。


    《 意識の欠点を読んでいて、

    その通りの事が行われているのに驚きました。=

    ひとつは警戒区域で、先月の末に、家畜の殺処分が行われました!=

    地震、津波にも生き残った動物が、人間の手で処分をされるなんて、

    なんて不幸な・・・=

    何が所有者の同意で実施なのでしょうか。うそに決まっています。=
     
    牛・4千頭(297戸) 豚・3万頭(9戸) 鶏・63万羽(25戸) 

    馬・100頭(45戸)=

    命を殺戮するのが『陽』なら、それそのものの光景です。=


    東電には、勝俣久会長、清水正孝社長、取締役20人がいます。=

    その内、副社長6人も! 常務など9人も!執行役員29人、監査役7人=

    そして 

    5人のフェローと9人の理事が、その多くが官僚の天下りなのです。=


    ●「原子力」を専門に学んだ人は 武藤副社長だけというお粗末さです。=

    つまり、

    東電は電気を作る会社どころか、”法律とそろばんの専門家”ですね。=

    発電の現場は、下請けや関連会社の社員がやっているのが常態です。。=

    記事のとおり、『陽』の権化の官僚組織の延長なのです。=


    おまけに、社外取締役を除く、役員19名に対して

    6億9800万円の役員報酬が支払われ、=

    単純計算すれば 一人当たり年間 約3700万円だとか。=

    『陽』に覆われた東電の様子が これで手に取るように判ります。=


    日本中にある原発は、みな自民党政権時代に出来たものですが、=

    北日本のが、ドイツ式の50Khzで、南日本のが、アメリカ式の60Khz、=

    これも民間と政治家の利権争いの結果なのは明白です。=


    本当に、『陽』だけでは国民の安全と財産も守れないのですね。= 》





    よくここまでお調べになりましたね!   あはは。

    そうですね!

    現に、東電が被害の補償の為に、電気料金の値上げをすると言う、

    政府も、それを容認すると言う。この成り行き、不思議と思いませんか?

    取締役が、一人も辞めずに、

    役員報酬や退職金の返上もせずにです。

    世論の反応を見て、50%カットとか言っていますが、

    やっぱり、半分は欲しいのですね!  あはは。

    どうして、きれいさっぱり全部を辞退できないのかしら? 


    まずは、値上げを打ち出して、世論の動向を見て、

    その様子を伺っているようです。 その根性が卑しいのです!


    彼らが、それを主張できるのは、

    これだけの事故を起こしながら、

    天下りの役員たちが政府を牛耳って来た、

    今までのその体制は壊れていない。まだ維持をしている。と、

    自分たちの権益を守る事に自信を失っていないのです。
     

    それだけでなく、

    事実、今の民主党政権の政治家に負けない法律家集団である自負から、

    カ~ンさんなどを、頭のてっぺんから足の先まで舐めている事でしょう。


    役員の大半は、電力の事も判らない官僚の天下りです。

    今後も、国を後ろから牛耳れると思っているのです。


    彼らは、現場を知らなくても、法律において頭がいいのです。

    子供のうちから机上で紙とペンだけで勝って来た人達です。



    東電には、原子力を専攻した役員は、たった一人しかいない。 


    実態は、電力を作る会社どころか、

    そんな目的を隠れ蓑に利用して天下りの法律専門家集団が、

    自己の利益と権益を守る為の組織でしかない。

    それが、本質だと言われても仕方がない組織形態です。 

    だから、、、



    これからも、国を思うように動かす事ができると踏んでいるのです。




    実体のない、

    ペーパーの上での理屈・ロジックを作って勝って来た。

    ロジックにおいては、だれにも負けない集団です。 




    本当らしく見える理屈を作れる人が、作れない人を支配できる社会。

    そう言う社会を形作っているのが、合理主義です。

    そう言う社会へ変化をした事が、いわゆる ”近代化 ”です。

    振り返ると分かる。 近代化にはそう言う弊害があります。



    試験だけに強かった人が、社会の上層に行ける社会の弊害ですね。 




    現場を大事にし、国民や自然の事を、本当に考える人は、

    こう言う出世はしないかも知れない。

    自分の心の中の真の内実を求める人は、

    技術者のまま留まろうとするか、現場を離れたがらないかも知れない。


    もしか、他を支配する事ができる立場になって、

    思うようになる利権の欲に目が眩めば、

    自分が利権の輪の中で、おのずと、

    倫理観、道徳を失う事を、自覚しているのです。

    人間のおろかさを知っているからです。


    その事をわきまえているから、自分をそう言うきわどい立場に置かない。

    なぜなら、人間としてどうあるべきだとか、

    しっかりした信念、道徳的責任の取り方のありようがあるからです。


    人や現場を見下ろせる立場に座って、

    厚顔無恥そのままに、徳性や道徳心を失って平気で居られるのは、

    意識で理論で生き延びて来た人に多いのです。


    明らかに、五徳(仁・義・礼・智・信)に欠ける『 運命 』です。

    五徳は、合理ではありません。  

    理論で説明できないのです。





    また、① 世の中自体に、

    『孝』を無視するのが当たり前と言う土壌が醸成されて、あるからです。




    ② そして、なにより、中身も知らずに軽薄にも、

    そう言う出世を、欲望のターゲットにする世の中だからです。  



    この①と②において、

    我々一人一人にも、責任があるのかも知れませんね。



    生きる為には、

    尊い事、貴い事を投げ捨てて、

    最高の価値は、ロジックを駆使して欲望をかなえることなのだ! と。

    頭がいい事を、子供のころより誉めすぎて来た? あはは。

    調子に乗せた責任も、大いにあるのでしょうね。   (爆笑)






    今回の事故は、放射能が危険だから起こったのではない。


    その原因は、

    自分の心の中で一番大切な価値観が、

    徳性を軽んじ、

    自己の利益を重んじるように変わった人間が、

    社会の上層へ登って行ける社会システムです。

    何のチェック機構もない道徳ダダ漏れの私達の価値観が、

    それを、黙って見逃して来たからです。
       







    『孝』を守るシステムが、崩壊している。



    道徳も、徳性も、理論では説明ができません。

    理に合う事だけを重んじる合理主義を取り入れて、

    道徳も徳性も、尊いものも、貴いものも、自然の価値も、

    卑しいものと同等に扱い、

    全部が同じ「平等」と言う価値観にしてしまったのです。




    資本主義と言いながら、恐るべき共産主義です。

    隠れ共産主義と、言いましょうか.....

    唯一の資本主義的なのは、経済効率で計算をする所でしょうか? 


    あはは!



    理屈に成らないものを捨てて、経済効率が劣るものを捨てる。

    その中には、「貴」や「尊」の価値観も、ごみ同然に捨てられました。 




    それらを捨てて、軽んじる事が、日本の近代化でした。

    だから、『孝』を捨てたと、何度も言います。




    今回の地震、津波、原発事故、

    すべては、我々のやって来た事が142年経って、

    自然の摂理から跳ね返されてしまったエネルギーそのものだった。。 。



    我々の身口意の三業が、

    身のこなし、口に出す言葉、心の欲望、

    これらが、非常に、卑しくなっている結果でしょうね。



    おわかりになりますか?


    近代合理主義とは、

    自分に都合のいい理屈(ロジック)を作り出せる力がある者が、

    最終的には、自己のみを利する権力者の欲望が、得をする論理です。

    結果、人の作った法律による闘争の世界です。


    ゆえに裁判、裁判所、弁護士が、忙しい世の中になっても、

    裁判で勝つ事が命の浄化でもなく、この世のしあわせとはまったく違う。

    意識下の裁判で勝ったとしても『 運命 』は、汚れるだけです。





    ロジックの薄汚さ、卑しさを見極めるのはどうするのか?


    結論から言いますと、


    『陰』の徳性、智恵でもって見極めるしかありません。




    この社会を作った男性の意識の価値観の反対側にある、

    その対極にある価値観を持つ事が重要なのです。


    それが、女の役割。 『陰』の本体の役割です。
       







    『陰徳』の徳性です。 

    知識ではありませんよ!  ほほっ。

    知識は、知れば知ったかぶりをするものですが、

    智恵は、持っても、持っていない振りをするものなのです。 



    女は、学問をしても幸せにはなりません。

    逆に、家族や一族を、根絶やしにするだけです。

    『陰徳』を積まないばかりか、浪費、つまり、消去です。



    ここの価値観が、近代化で壊された『孝』を守るシステムの一つなのです。

    今、我々が、立っているのは、

    津波の後の現場よりも何もない大地の上です。







    ずいぶん長くなってしまいました。。 。

    他にも、すばらしいコメントをいただいており、

    全部、お返事を書くつもりが、、、無理のようです。

    「意識の正体」の途中でもありますが、

    かならず、次回へ続ける予定です。

    ご了承くださいね。





    なにごともなく、つつがなく、

    みなさまが、

    よい一週間をお過ごしくださるように。



































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    (意識の正体 1 コメントへのお返事 2 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 11

    Category : 運命学と科学
    富士山2011.5.3


    2011.5.3 の富士山

    黄砂がひどく、大気全体が曇っているような感じでした。





    音楽をどうぞ~

    ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」第2楽章




    さぁ、前回からのコメントのお返事のつづき、です。

    今日も、長くなりそう! (笑い) 何度かに分けておいでくださいね~




    コメント★ (前々回の記事に対する)

    (  このシリーズも9つ目になるのですね。

    こうして分かりやすく文章にして頂いて、心から感謝します。


    回が増すごとに、体の内側から熱いものが湧き上がって来る感覚が

    強くなります。

    それをなんとか毎回文章にしようとするのですが、

    今回は言葉より先に涙が出てきます。

    この感覚は、今の私が持っている単語をどんなに繋ぎ合わしても

    言い表せない気がします。

    仮に言葉にできたとしても、

    多分、想いの全ては伝え切れないと思います...。


    私はずっと以前から・・・中学生頃から思っていました。

    「大切なことは、言葉にできるかできないかの問題じゃない」って。

    大切なことはちゃんと自然に受け継がれていくからです。

    「意識」という邪魔が、無意識を遮らない限りー。


    私には学問の知識はありません。

    だから

    「何故ダメだと思うのか」人を納得させられるだけの理論は言えません。

    私以上に私の両親も、

    大切なことほど無意識からの判断をして来た人達です。

    何故なら、両親から理屈で教えられたことはほとんど無かったからです。

    だから逆に「何故そんなに数字が必要なのですか?

    理論がないと判断できないのですか?」と思います。


    世界中のごく一部の人達を除いて、

    人間はもうとっくに末期状態なのだろうと思います。

    でなければ、ここまで自然を破壊して、

    なおまだ同じ方向に進もうとするのは狂っているとしか思えません。

    今回の原発の問題があってから、ますます思うようになりました。 


    今この時点で「変わらなきゃダメだ」と思えない人は、

    これ以上何が起これば気づけるのでしょうね...。 )
      



    ほんとうにそうですね!

    ものすごく大事な事を、書かれていますね!


    両親から理屈で教えられたことはほとんど無かった、、、。


    これは、すばらしい育て方と思います。


    ご両親の育て方が、とても東洋的です。気付くまで待つ姿勢を感じます。

    『時』が、育てるのがお分かりになっていた.....


    人間が教える理屈と言うのは、一面的なのです。

    子供は自然との係わり合いで脳が発達すると言われるように、

    人工のロジックのない自然から無意識が気づく事の方が、実態なのです。


    人の意識の作為が、気が付かせると言うのは、範囲が浅い事なのね。



    今の教育は、意識教育に偏り過ぎています。

    教える側も、何でも理屈の説明で分かると誤解をしています。

    教えられる側も、説明文が分かれば、その中身を理解できた ? 

    なんて、

    思い違いをしてしまう教育法です。


    これは、”薬”の効能書きを、教える教育です。

    いつまで経っても”薬”そのもにはたどり着けないのです。。 。



    ”薬”は、実態です。 その効能書きは、ロジックでしかありません。


    今の知識教育では、”薬”を手にする事は、できません。



    私も、このブログの肝心の部分、

    どう言う原因で、家系は、女系化するのか?

    『孝』とはなになのか? 



    これらについては、言葉で知識として書くつもりはありません。

    言葉で覚えたら、本当に分かっていないのに、分かった振りをして不幸になるからです。


    記事を読んでいただいて、ご自分の無意識の中から、自分の気づきで、

    『自然の摂理』の真の姿を我が心中のものにしてほしい。

    一人一人が、そうなってほしいと思っています。



    何度も何度も読んでいただければ、かならず分かりますよ。





    ( なんとか毎回文章にしようとするのですが、

    今回は言葉より先に涙が出てきます。

    この感覚は、今の私が持っている単語をどんなに繋ぎ合わしても

    言い表せない気がします。

    仮に言葉にできたとしても、

    多分想いの全ては伝え切れないと思います...。 )



    これも、同じですね。

    幸せの能書きを、いくら読み書きしても、幸せにはなれない。

    幸せは、能書きより、自分の五体で感じる事です。

    涙が出るのは、霊的観念が、高いと言う事。

    (西洋的な二元論の言葉で好きではないのですが)

     嘘を、見破る能力をお持ちですね! (笑い)

     


    コメントの色を変えた所、それが、当に言い当てている通りの事があって、

    長いのですが、読んでいただきたいものが、あります。


    世には、さまざまなロジックがあると言う事、

    それぞれの人間の意識が、生き残るのに必死な虚構のロジックを作為している

    浅ましい有様を、じっくり観察してほしいからです。



    これは、高木孝一敦賀市長の意識の作った理屈です。

    これが、生き残る道だと高木孝一敦賀市長の脳が認識したのでしょう。



    えぇ!  もちろん彼の人格の道性の問題ですが、、、、、

    頭がカッカとしないように、

    音楽を聴きながらをおすすめします。 あはは!



    原発と地域振興」と題された次の文です。

    1983年1月26日、石川県羽咋郡志賀町、地元の広域商工会主催の

    「原発講演会」での高木孝一敦賀市長の講演内容を前文引用します。



    引用はじめ>>>>>>

    “これが自治体の長の言葉?!”と驚くと同時に、

    原発による地域振興なるものの実態がよく理解できるはずです。

    原発が札束をばらまきながらやってくる、

    そして人を、町を、ボロボロにしてしまうことが、

    立地自治体の本音とともに問わず語りに吐露されています。"


    高木孝一敦賀市長の講演 全文引用:


     只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。

    えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、

    原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会

    おやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、

    というふうに存じております。

    …ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくという

    ことについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くこと

    にいたしましょう、
    ということで、引き受けた訳でございます。


    ……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60が、

    その前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、

    世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。

    私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、

    20日の日にフランスへ行った。

    いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、

    コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、

    さっぱりもうわからない。

    そのホンダワラを1年食ったって、

    規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。


    そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。

    事故が起きたのを聞きながら、

    その確認しながらフランスへ行ったわけです。

    ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、

    今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。

    止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”

    こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。

    ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。

    ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、

    まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。

    あるいは北海道で採れた昆布までが…。


    敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。

    が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、

    いうようなことで全く売れなくなってしまった。

    ちょうど4月でございますので、

    ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。

    まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。

    そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも

    100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、

    いわゆる私の趣旨であったんです。

    100円損して200円貰うことはならんぞ、と。

    本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、

    精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと

    言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、

    100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです。



    (会場爆笑、そして大拍手?!)


    100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。

    原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、

    と言いますけれど、それはダメだと。

    正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、

    100円損した者には150円出してやってほしいけど、

    もう面倒臭いから500円あげるというんでは、

    到底これは慎んでもらいたい。

    まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。 

    いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、

    事故が起きて困ったとかいう人は、全く一人もおりません。

    まあ言うなれば、率直に言うなれば、

    一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、

    そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。

    笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。



    …(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)

    その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。

    キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、

    裏金ですね、裏金! 


    まあ原子力発電所が来る、

    それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、

    その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、

    というのが、それぞれの地域である訳でございます。



    それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、

    あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。

    そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、

    対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、

    自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、

    というふうなことでございまして、

    例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。

    三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。

    それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、

    その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、

    建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと

    思っておるわけでございます…


    (会場感嘆の声と溜息がもれる)。


    …で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)

    随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。


    この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。

    今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、

    まあ、たいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、

    もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った



    (会場ドッと笑い)。


    あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。

    それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、

    これもひとつ6億で修復したいと、

    市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、

    6億の修復をやろうと。

    今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、

    明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、

    火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ。


    (ドッと笑い)


    これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、

    こういうふうに思っとる(再び笑い)。


    まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、

    50億円で運動公園は出来るわね。

    火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、

    あのカネで計画しておる、といったようなことで、

    そりゃあ、もうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、

    と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。


    これは(私は)信念を持っとる、信念!



    ……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、

    50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。

    わかりませんけど、今の段階では

    (原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。 



     こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。


    (会場、大拍手)
     
      

    これ以上何の説明も要らないでしょう。

    ひとつだけ付け加えるなら、原発に限らず、

    こうした事業を誘致した政治家が懐に入れるリベートは、

    投資金額の1~3%と言われています。


    原発1基3000億円とすれば、リベートは30~90億円と言うことです。

    この講演が効を奏してか、会場となった志賀には

    北陸電力の志賀原発1号機が建設され、運転を開始しています。

     ★引用文献:内橋 克人著 「原発への警鐘」 講談社文庫  


    <<<<<Letter from Yochomachiからの引用おわり  




    感想を言うまでもなく.....あきれるより、おそろしい...



    これが、『孝』を捨てた国の実態です。

    私のブログ記事にとって、

    『孝』を守る社会システムが崩壊したらどうなるか、

    分かりやすい現象そのもののお話なので、

    感謝しなければいけませんわ~。あはは。


    無恥厚顔、厚顔無恥、アンダーラインの部分は、

    『孝』から切り離された意識のあさましく、いやしい根性が、

    ありありと出ていますでしょう?    ほほほ。


    もう、市長と言う、本来は尊敬されるべき人間の中にすら、

    『孝』のかけらが一つもない。 完全に崩壊している実態です。 

    もっと狡猾な人間なら、決して他人には見せない卑しい姿を、

    彼の脳、意識が作ったロジックを、さも自慢げに表現をしています!  

    あはは。




    アメリカが、大量破壊兵器があると行ってイラクを攻めた。

    テロの温床があると言って、アフガニスタンに米軍が駐留する。

    テロの親玉と言って、オサマ・ビンラーディンをパキスタンで殺した。

    テロ組織が、9.11に、NY貿易センタービルを破壊した。

    安全で安いのが原子力発電だ。と国策で原発を全国に作った。

    ヒットラーは、優秀なドイツ民族が世界を支配する運を持ち、

    その血統を汚すとされたユダヤ人を迫害した。




    これらは、すべて、自分に都合のよい欲望に染められた人の意識が

    作った理性の産物、ロジックであるという点では同じものです。 



    世界政治においては、弱肉強食の論理。 強い物の意識が正義だって?


    強きもの、我の名は正義なり。


    そう言っているロジックが、恥ずかしげもなくまかり通っている訳です。

    物質文明の下では、こう言う意識の群れが、蠢(うごめい)ています。


    まるで虫のようで、キモチ、ワルイ。 でしょう?   あはは。



    コメント★★ です。 (拍手コメントから)

    ( 人は自分も含めて、本当に自分勝手な生き物だと言う事。

    よく、普通はね・・・?と言いますが、

    その普通とは、自分の中での普通であって

    自分以外の誰にでも当てはまる物ではありません。

    人って、本当に怖い生き物だなとココ最近、改めて感じています。

    特に、”悪は蔓延る”といいますが、まさにその通りだと思いました。

    正義を貫くには、今の世の中では難しいです。

    でも、

    何が正義で何が悪なのかもわからなくなってるとこ、ありますよね(^ ^;

    そこが一番、問題なのかもしれませんが。 

    自分を守る為に都合のいい様にやって、間違ったり失敗したりしたら、

    また都合のいい方へ進んでいく、キリがありませんね。 

    本当の善は・・・正義は、いったいどこにあるんでしょうね・・・。 )



    そうですよ! 

    すべてを『陽』の世界で、理屈で解決するものだと、

    偏っている世の中だから、

    強い者の理屈が、正義だと言う顔をして罷り通るのです。

    『陽』と『陽』の対立は、きりがないですね。 争いと騙し合いと搾取です。


    今は、武器の代わりに経済、主食、エネルギーでいくらでも

    相手を潰せます。

    この世界が、『陽』の世界の現状です。 珍しい事ではない。


    それは、『陰』を知らない、『』と言う価値観を排除しているからです。


    』は、孤ならず。と言います。

    孔子の言葉ですが、『』がある人は、孤立しないと言います。

    かならず心から応援する者がいて、『天』が、見放さないのです。

    だから、女性は、『陽』化してはだめです。





    コメント★★★

    ( オキザリスは、種類がたくさんありますね。

    今回の記事も、なん度も繰り返し読まさせていただきました。

    なんと申しあげていいのか、道の、そのしばりがない策というものは、

    所詮はかないものですね。

    同じく人の命も軽く扱われています。

    言葉も軽くなっていますね。

    世間で声高に叫ぶ人たちはいますが、

    裏づけのある言葉は少ないように感じます。

    人の生き方が自然から離れているからでしょう。

    原子力発電所の作業員の方の言葉はありませんが、

    ただ行動だけが心を打ちます。 言葉や理屈ではないのでしょう。


    自然と心にありがたいと感謝の気持ちが出てきます。

    今の時代に(命懸け)の言葉が、ほんとうにあったのだと感動致します。) 



    おどろきました。 

    次の言葉が、弾けたような感覚で、飛び込んできました。


    の、そのしばりがない策というものは、所詮、はかない。

    (命懸け)の言葉が、ほんとうにあったのだと



    『陰』の裏打ちのない『陽』は、はかないもの。

    (命懸け)の言葉がある所にしか、感動はありませんね。




    最後に、コメント★★★★(拍手コメントから)

    ( 今日も読み応えのある記事をありがとうございました。

    3/23に無事に二男を出産しました^^母子ともに元気です。

    3/11の大震災のあとに産まれた子です。

    私は福島出身なんです、今、福岡に住んでいます。

    夫は福岡出身。里帰り出産しませんでした。

    嫁いだ身なので、

    夫のほうで生むべきだと主人の両親に上の子預かってもらいました。


    福島が壊滅的になり両親がこちらに避難してきています。

    そこで母の病気判明、福岡で手術しました。

    夫の勤務病院で・・・夫の両親もよくしてくれてます。

    当たり前のことだけど自分の実家より夫の実家を中心に生活をしていて

    本当に良かったと、 今思ってます。


    よく、娘のほうがいい、嫁に息子は取られてしまう、といいますが

    そういう生活をしないでよかったな、と思ってます。

    夫の両親に助けてもらったので、老後恩返ししていきたいな、と

    自然に思えるようになりました。 )



    第2子、無事にお誕生、おめでとうございます!


    男系の繁栄する家系のご様子、安心しました。

    何より、貴女が命懸けで子供を産んで来られた事が、

    ひとつづつ実を結んだのではないですか?


    ご実家が福島とは! さぞかし、大変な目に遭われたのでしょうね。

    お母上の御病気も、快方に向かってよかった事! 

    あらゆる事が、うまく運ばれていきそうですね。(笑い)

    3人のママですね。無理をしないようになさって、ね!






    外国では、厳重な言葉を言う時には、

    聖書やコーランの上に手をおいて、神に誓うと言う形をとります。


    それが、日本は、どうでしょう?


    『孝』を捨て、陰徳を忘れた国民は、何に誓って真実を言うのでしょうか? 


    何もない。  ないでしょう?


    「我欲」に従って自己主張をする事を、自分の意見と思っています。


    自分が、正しいと思ったら、それが正しいのだと思っています。


    今の日本人の多くは、自分の思った事を、裁くものを持っていません。


    基準を持っていないのです。


    だから、儲かれば正しいとか、自分が思ったから正しいとか、

    テンでバラバラの事を意識にしてロジックを作っています。


    自分の意識が決めた事が、最上の価値だと、思い込んでいます。

    自分の意識が、何に染められているのかを、確認もしないで、

    だから、原子力発電が得だと、大きな顔をして大きな声で言えるのです。


    しかし、

    頭の中=脳=西洋的精神で理解する事は、ただの観念なのです。

    西洋哲学でも、観念的と言って、本物からは程遠いとされています。



    東洋的な智恵は、頭の中だけのあるものを嫌います。


    観念的と言います。


    東洋は、得的な智恵こそ大切にします。


    =命=西洋的肉体+西洋的精神です。





    言葉や知識が先ではなく、体や命がわかる事こそ、大切なのです。

    体が分かる=血流や涙や鳥肌、うれしくなる、喜びを感じるなどの

    気がついた事の反応が、命で感じられるもの。 

    それが、体得です。



    体得のなくなった意識だけでは、創造力は萎えて滅びます。


    女性が、『陰』を取り戻さなくては.....

    そこに、世界の未来が、地球の未来が、あるのだと信じています。




    長い記事に、お付き合いくださって、ありがとうございました。


    次は、 「意識と無意識の関係」 です。


    これは、男と女の関係かな?  


    おたのしみに~


    よき一週間を、


    なによりご無事で、おすごしください。































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    (意識の正体 2.現実主義の意識 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 12

    Category : 運命学と科学
    富士川


    南部町を過ぎた辺りの富士川の風景

    この風景が、ずっと上流まで続いています。








    今日は、「意識と無意識の関係」です。


    ここ(意識の正体)の記事に入ってからは、

    難しい記事が続いていますが、

    記事の内容が、分からないからと、脱落なさらないように、

    おねがいをします~。  (笑い)


    万が一、分からなくても?  あはは。

    ここまで付いて来てくださった方々は、運がいいのです!

    東洋的素地が消えていない、

    無意識の底に感受性がある証拠です。


    それは、ひとつの運でもあります。

    大事になさってくださいね! 



    十分、見込みがありますね。  あはは。



    多少理解できなくても、

    いいえ! まったく分からないままでも

    東洋的教育方法は、進んで行くものです。   ほほ。





    前回、

    東洋的智見(知見)を、西洋の意識的概念を持つ言葉で

    表す無理について、 そして、

    東洋的特長である ”体得”の大切さについて記事にしました。


    現代の私達が使う西洋的学問の言葉で解説する、

    そのやり方では、

    東洋的知見の言葉のおおよその概略は掴めても、

    意識の範囲に限定されている学問言葉では、

    東洋の叡智の真実は、掴めません。



    私は、~~あると思う。とか、

    本当にあるかどうかは分からなくても、

    思うだけは、自由ですから、主観でどう言おうとかまいません。


    このように感想や意見を言うだけなら、

    意識で済ませられる! のですが、

    しかし、物事の正しさを客観的に見極めるには、

    西洋的知識は当てにできない。  のです。


    なぜなら、意識は純粋ではないからです。

    生きる為の欲望に染められて、それはそれで役には立つのですが、、、

    エゴイズムによって刻々変わって行きます。





    そう、現実の自分の状況に応じて、刻々と変化をして行く、

    それが、私達の意識でした!!!




    ★ だから、意識は『時』を支配できません。 

    支配されています。

    意識は、『時』の奴隷です。



    と言う事は、すべての奴隷と言う事でしょうか?    あはは。 


    意識 には意識の役割があるわけです。

    意識の役割は、当座の、今の時点の本人を守ろうとします。

    意識に、本来的な未来はないのです!  


    だから、


    今だけの事なら対応できるのでしょうが、 先の事は、信用できません。

    その位、意識は、現実的100%です。

    これを、覚えておいてくださいね...




    『意識』は、前頭葉の働きから生まれるのですが、

    動物のなかで一番、人の前頭葉が発達しています。


    と言う事は、

    過去からの経験から創意工夫して技術を身につける力があるのです。


    前頭葉とは、頭部のおでこ側にあります。

    学問の知識を借りれば、前頭葉の中でも創造性に関わりがあるのが

    「脳幹毛様体(のうかんもうようたい)」です。

    あらゆるデータは、毛様体から大脳皮質へと伝わり前頭葉へ繋がります。

    データを受け取った前頭葉は、

    情報を統合、整理し、直接の行動へ繋げます。



    これが、非常に意識の役割を決定づけているのでしょうね。


    自らの経験と学習をもとに新しい着想に結びつける事が、

    あくまでも過去の経験を集約する意識の仕事でした。 

    さすがに! 意識の作り上げた学問だけあって、

    意識による意識の解明は、完璧ですね!   あはは。






    でも、もう一方の、「インスピレーション」=「ひらめき」ですが、、

    まったく何の予備知識も経験もない状態から

    創造性あふれる独創性が、どのようにして出てくるのか? 

    現在の学問では、その原因も理由もはっきりと断定できていません。


    同時に「いつ、どこでひらめくのか?」も、明確に答えが出ていない!

    未だ研究段階だそうです。。 。



    意識の学問にとって、

    無意識の仕業(しわざ)が解らないのは当たり前です。



    ちなみに、

    脳と意識の関係は、ニューロンのネットワークと密接な関係があります。




    さぁ、次は、無意識です。


    無意識は、どこにあるの?

    分かりやすいのは、具体的に、心臓の動き、

    これは意識で動かしていないわね。 呼吸も意識してしていませんね。

    本人の意志に関係なく勝手に動いています。


    生まれる時に、自分の意思で、自分の心臓を動かしましたか?


    いいえ、ですね!


    死ぬ時に、自分で心臓を止めるのでしょうか?  あはは。


    いいえ、ですね!



    心が乱れると、心臓の動きが不規則になったり、呼吸も乱れます。

    これらは、無意識が、司(つかさど)っています。

    宇宙の『時』と結びついて無意識が、行っている事です。

    医学的には、自律神経が司っています。



    ★ 事は、命、生存に関する事は、無意識のおかげなのです。


    つまりは、

    生と死、命の営みは、直接『天』と繋がっていると言う事ですね。


    本人の意識とは、繋がっていないのです!!


    アメリカの神経学者 ベンジャミン・リベットは、

    ★ 無意識が決定した後に意識がそれを認めるといっています。 


    例えば、とっさの行動ですが、逃げようと意識する前に、体は動いている。

    脳には、その差、約0.5秒のタイムラグがあるそうです。





    つまり、意識と無意識の関係は、

    ★ 視覚と言う意識で見ている物よりも、

    もっと多くの物を、無意識は見ています。

    心が気づいて分かっている物よりも、

    もっと多くの情報を無意識は捉えています。 そう言うことになります。



    ★ だから、無意識は、

    本人の気がつかない間に(=無意識的に)、

    実は本人の為の指令を意識に「こうせよ!」と命令指示ができます。



    無意識は、大した者なのです。   あはは。



    しかし、逆もあるのね! 


    ★ 意識が、目の前の得や楽を選んだり、意識特有の、あの狭い了見で、

    無意識に対して「無理な事を言って来ないで!」と、

    無意識をシャットアウトしてしまう事も、あ・る・の・で・す ! 




    はぁーーどっちが強いの? どっちがオーナー ?  

    これって、大事ですね~!  あは!


    そー、もちろん! 無意識です。





    このブログで、よく意識 と書きますが、

    現代文明の欠陥について言う時は、良くないイメージが多い? (笑い) 


    それは、意識 そのものが良くないと言うのではなくて、 


    だって、意識には、未来は目で見えません。

    目で見て、鼻で臭って、耳で聞いて、口に入れて、手で触れるものしか

    意識は、解っていないのに、すべて解っている振りをするからです。



    意識にとって一番解りやすいのは、お金かもしれませんね~ あはは。 

    目で見えて、手で触って、何より物が買えるのが一番解りやすい。




    ★ 本人の意識が処理できないと、脳自体が避けようとします。 


    どうして脳は、そう言う事をするのかと言いますと、

    狭い了見で、今現在の本人の命の保全を優先してしまうのです。




    はぁーー? まったくもって勝手なのねー!



    脳は、理解しがたい事、自分にとって辻褄の合わない事、

    都合の悪い事を、意識の下にある無意識のゾーンに隠してしまうのです。 



    無意識、おまえに任せるよ! と、丸投げをする...    あはは。


    あるいは、


    0点のテストを机の奥へ隠す子供にも似ているでしょう? (笑い)

    イヤな事は、なかった事にしたい、忘れたいのです~!  あはは。  


    これが意識の身勝手さ、ずるさ、いい加減さ、の出発点です。


    意識は、もともと自己中心的なのです!!  


    意識が、理解できなくて避けたものや、

    意識にとって都合が悪いものは、全部、無意識のなかにあります。




    無意識は、まるで何でも受け入れる大きな海のように、

    すべてを受け入れて、静かにたゆたっていられるのです。



    無意識は、おどおどしていません!   あはは。

    キトキト瞳を泳がせて、自己保身だけに狂っていません!

    地位なぞにしがみ付いて意地を張る? 名誉のために命を賭ける? 


    あはは。 そう言う事をやっちゃうのは、意識です。  


    そんなもの(ロジックにしがみつく、こだわる)は無意識にはないのです。

    だって、無意識は、元々が宇宙そのものだから、、、、、
       


    ロジックは、意識の作った作品ですから.....

    意識は、無意識から生まれたと、言えるのです。





    現実的な意識は、膨大な学問体系を作り上げましたが、

    意識であるゆえに、見極められないもの、、、、、








    この宇宙の中に、、、

    自然の営みの中に、、、そのままあるもの。

    存在するもの。

    季節が巡るように、『時』のような間違いない摂理のようなもの。


    勝手な都合や、自分の欲や、逃避する心を外して、

    見極めなければいけない事柄があります。


    それらに対して、意識は、まったく無能なのです。
      

    (分かっちゃいないのに、知ったかぶりをする。それが意識の嘘です)

    ★ 普通には、欲に汚れた意識が邪魔をして、真実は見えなくなっている。 


    こう言う事から、昔から、

    道を志して、真実を見きわめようとする時、

    仏教で言う修行、○○道では、

    自分の欲を捨てる=欲に汚れた意識を捨てると言う事になるのでしょう。

    損得を超えた所にしか、真実はない。

    見つけられないのです。



    自己の評価を気にしていたら、智恵なんて、気が付きようもない訳です。







    先の5月8日付けの新聞のコラムに、

    山内昌之東大教授が、復興を導く「公欲」の理念 と題したコラムで、

    大震災や原発事故などの災害を処理する力としては、、、、、、

    理性にかなう公共心が、公欲であり、かなわない利己心が私欲であり、


    と言う記事がありました。


    ”理性にかなう公共心 ”と言う言い方は、

    まだ、この先生は、理性に問題がないと思っていらっしゃる? のね~

    なにか、読んで、子供っぽいロジックに見えて、、、 (失礼!)



    理性は良い点もあり、理性すべてを否定するわけではありませんが、

    理性にかなう公共心?  ありえない。

    と思いました。


    理性は意識。 自己中心です。

    理性の怖さは、他者の為と言いながら、利己的な自分を隠せる事です。

    作為に、自分を作る事に、力があります。

    言葉の上の、観念の中にはあるのでしょうが、

    しかし、実際はない。

    あると受けて行動すれば、誰かが騙される訳です。



    純粋な公共心は、理性には、ありえない。


    ★ 理性は、まだ、自己のエゴを、乗り越えてはいないレベルです。


    私などが、東大教授の論説にケチをつけるなど僭越過ぎますが...。

    やはり、頭脳の優秀な大学教授であろうと、

    信奉するものが西洋思想であり、そのバックグラウンドが、

    近代合理主義の枠内のロジックであるからには、

    東洋的な捉え方とは違ってくるのだな、とその違いを認識したものです。


    私は、東洋の方が、一枚上手、大人であろうと思います。






    これでなぜ、このシリーズの記事を書いているのか?





    つまり、自然をどう捉えるか?命をどう捉えるか?

    これについては、人間の意識が、学問が、理性が、

    自分に都合のいいロジックを作っている事に、気がつかないで、

    そのまま信じて貰ったら困るからです。



    意識、理性が作るのは、無駄とは言いませんが、

    作っては使い物にならなくなったり、何時までも古いロジックへこだわる。

    それが、さも、自分が賢そうに見えるとでも、思ってるのかしら?  



    元々、自然にあるもの、その価値を守ればいいものを、

    それらの価値を、近代化と共にかっこよく捨てたものだから、

    下手なロジックを作らなければならなくなった訳でしょう? 





    特に、”原子力発電は安全である。”とか、

    ”健康に悪影響はない。”とか、、、いい加減にしてほしい。






    間違ったロジック(理屈)を信じていけば、被害が甚大です。

    一生を誤ったり、取り返しのつかない事になる。

    それを避けなければいけませんから、

    この領域は、意識だけには、任せられない!  


    まして、『孝』を捨てた前頭葉は、

    あらゆる意識の嘘を隠して、最後は、エゴイスティックに他者を殺します。



    意識の仕事は、その通りです。

    男『陽』の理性が、

    戦争を正当化するロジックを作って殺戮をして来たのですから。



    今、進行している一番いい例が、

    いろんな政治的な思惑で、賠償額を少なくする為なのか?

    政府が公表している放射能の数値は、

    地上1mで計れば、

    その倍の放射能の数値が出ると言う現実を覆い隠して、

    ビルの屋上など地上20mで計測をして少なく見せている。 



    誰の為に計測しているのか?

    地上20mなんて、空を飛ぶ鳥の為に計っているのかしら?  あはは。


    これは、無意味な事をしているのではなくて、

    このような放射能の計測の目的は、

    今の政府の頭の程度、前頭葉の性(さが)、政府の自己中心の意識が、

    国民を守るのではなくて、政府自身を守る事に力を向けているせいです。



    未来に国を背負う子供達の命をないがしろにしても、

    そうです! 今の自分を守る為に、

    汲々とする意識中心の政治家たちの愚考は止まりません。


    これこそが、意識や理性を信奉する害毒です。

    『陰』を捨てた政治家の撒き散らすものです。


    『孝』を捨てたわが国の近代化に、

    何の疑問も持たない政治家達が政治をするとこうなる。

    と言う現象が、

    まるで樹のように目に見えるように現れて来ているのです。

    この樹の苗は、142年前に私達の精神の中に植えられ、

    今まで142年間、しっかりと根を張って来ました。

    『陽』の文明の中で、すくすく育ってしまったのです。




    『孝』こそは、無意識の領域に存在します。




    現代の意識(男性)中心の文明に酔ってしまった女達は、

    男の作ったその制度の中へ入って行く事が、

    男性と= になれる? あはは。  

    平等になる事だなんて本当に思っているのですか?


    男性が、都合よく作った制度の中でなぞ、絶対に、

    女は対等にはなれないのに、なれると錯覚をしています。



    近代化の意識偏重教育の洗脳を受け、『陰』である事を恥じて、

    男と同じ学問や知識を持てば、男女平等になれるなんて、

    むなしい幻想を抱いて、

    情けない錯覚をしたまま、無理、無理、意識で武装をする女たち。

    もう、真の女でもなくなり、まして真の男にもなれない。

    可哀想な、憐れな、彼女たち。

    『時』を信じて待てずに、先を急いだ人間が、時代の犠牲になるのですよ。

    欲をかくとは、負け急ぐ事と、同じです。








    『陰』は、だれの役割ですか?

    貴女は外で、稼ぎを得たつもりでも、

    貴女の家は、盗賊で一杯ですよ。




    『孝』を国土から失うとは、こうなるのだ。

    と言う事が、苦しみの中で解かる時まで、

    全員が住む所を追われるまで、

    行き尽くのでしょうか。








    次は、無意識の中から、何が意識へ上がって行くのか?

    運命の形成についてです。


    しかし、だんだん、むずかしい内容になっていきますね~。


    だいじょうぶでしょうか。。 。。。


    おたのしみに~



    どうか、ご無事で、つつがなく、よき一週間を


    お過ごしください。































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    (東洋的教育法) 学問の知識で人生を考えてはいけない 13

    Category : 運命学と科学
    オキザリス トライアングラリス


    オキザリス トライアングラリス (濃いむらさきの葉)

    薄いピンクの花の色が出ていないのが残念です!


    花が下を向いて咲いて、撮るのが大変でしたー。






    今日で、ひとまず、「学問の知識で人生を考えてはいけない」のシリーズ

    は、この13で最後になります。


    近代化に関しては、これ以降も、


    《近代化の影》と言うテーマで、ときどき、記事を書くつもりです。



    ときどき?  あはは。  

     
    そう!


    難しい内容になると思うので、ときどきにしようと思っています。







    前回の記事に、いただいたコメントを2件、紹介をします。



    メールでいただいたコメントから、


    ★「孝」を国土から失う。

    的確な表現です。時代はひとを蝕んだのです。

    そろそろ幕を引いてもよいでしょうか。 






    そうですねー!

    ここまでボロが、出て来てしまったのでは、、、、、


    津波が、近代化で築き上げた私達の大事な生活すべてを瓦礫にした

    その風景を見続けています。


    家を追われた、まさに難民同然の同胞が、我慢強く耐えている

    その姿を見ながら、すぐに救い出す事もできずにいます。


    春の偏西風が運んで来る放射能が、天から日常的に、降り注ぐと言う

    恐怖におびえながら生きています。





    今回の東日本大震災で

    平川新・東北大教授(日本近世史)が作成した

    宮城県名取市、岩沼市の津波浸水図を見ると、


    近世に奥州街道だった所と宿場町だった地域は、見事なまでに、


    津波の被害を免れているそうです。




    つまり「中世」「近世」は津波の被害から残り、「近代」はすべて流された。


    これは、象徴的な事です。




    同教授は、

    「昔の人は、経験に学び、自然に寄り添う形で社会を作っていた事がよく

    分かる。今回の復興も歴史を無視して進めれば、

    またしっぺ返しを受ける。」と。 



                             読売新聞植田滋「記者ノート」より




    近代は、もう、過去にしなければ。


    そして、せめて、反省をしたいと思うのですが、、、??





    パンダのリーリーやシンシンの国では、

    文化大革命が終わって5年後、毛主席の誤りを認めました。

    しかし、検証や議論はまだ行われていません。




    国家と言うものは、意識の強大な塊です。

    国家権力構造そのものが、『陽』の意識の壮大な作品だからです。

    国家権力と言う最大意識の権化は、

    他国から攻められ倒されない限り、絶対に自己否定はしません。 あは!

     

    だから、自国より強い相手国、強大な意識の塊である他国の国家権力に

    殺戮と言う『陽』の真骨頂で、滅ぼされるのです。


    国家権力があれば、必然的に戦争が起こる。とも言える。。 。 



    わが国は、どうでしょうか?

    近代化の誤りに気づき、認めるでしょうか?  



    わが国は、せまい島国で逃げ場がないからか、

    決定的な仲間割れを避けて来ました。

    天皇制と言うお盆は、ひっくり返さないでやって来た民族です。

    基本は、おらが村の仲間を批判しない流儀です!


    単一民族のわが国では、同胞がした事にケチはつけないはずです。  

    反省?  どうにもならない、、、

    ならば、国民が反省をして自前でやっていくしかない、国ですね。

    おもしろい国です。



    その上、




    現下の日本は『陰』が衰退し、『陽』を止める力を失っています。


    『陽』へのアンチテーゼが、ほぼ崩壊しつつあります。




    すべてが、暗闇から暗黒へ葬り去られるでしょう。


    真実が葬り去られると言っても、


    いくら国家権力と言う最大意識の権化でも、


    いやな事を、無意識外へ、この宇宙の外へ、隠す訳にはいかないのです。



    おもしろいでしょう?  あはは。


    あくまでも、この宇宙の暗黒の中、無意識世界の中に隠すのです。


    隠した意識や、 誤魔化した心は、


    無限に、 大宇宙の無意識界の中に存在します。


    決して失われる事はないのですよ。   え!  ほほ!







    無意識世界へ隠した、そのエネルギーは、

    必ず、時間軸上の歴史において、存在を示して来るはずです。 





    それが、すなわち、因果応報の原理であろうと考える時、


    物質の世界に限っての発見である、

    アインシュタインの発見、

    大宇宙のひだの奥に隠れていた物質の摂理を原子のレベルで表した

    エネルギーのE=質量のM×光の速度Cの2乗 と言う公式を、

    ふと、思い出してしまいました。  ほ! 



      



    次のコメントです。


     ★★>多少理解できなくても、いいえ! まったく分からないままでも

    >東洋的教育方法は、進んで行くものです。


    教育法に、東洋式と、西洋式があるなんて知りませんでした。

    機会がありましたら、お教え願えますか。






    あ、いい質問ですね!  (笑い)

    西洋式の方は、お分かりになりますね!


    現在の学校で大学まで続く知識偏重的な弊害が出ている教育方法です。

    解ったかどうかテストする。 何点取れたんだ?

    100点取れて当たり前、0点? 何も解っていないな!

    なんて言うような、、、意識して覚えさせて、テストする、、、



    東洋的教育方法は、

    解る事を初めから要求していないのですね!

    西洋的知識とは、深みと幅が違いますから、そう簡単に解る訳がない。
     


    と言う前提です。    あはは。 


    解かった? とたずねない。  分からない事に拘らない。

    分からないまま触れさせておく。 

    解かる様に教えない。 解かりやすく説明しない。



    漢文の素読と言うものがありますが、

    習い始めに、先生は、何の説明も解説もしません。

    初めは、字面を、眺めて追うだけです。

    その内、分かって来る。



    そう言う指導法です。


    武蔵嵐山の安岡先生の記念館で、

    2,3歳位からの子供たちの論語教室があるのですが、

    大きな紙に書き出された文を声を出して読み、暗唱するだけです。

    家で、毎日声を出して言い、覚えるようにするだけです。

    その漢字には、振り仮名も振っていなかったと思います。

    大人の読む声やリズムで身に付けていくようです。



    決して、文の意味を説明しません。言葉で教えません。


    論語の文章を、子供の意識で選別させないまま、無意識に残す。

    目と声と耳に触れさせて、聞いた事がある。言った事がある。に止めて、

    そっと、記憶に入れるだけです。

    暗誦させるだけ、   それだけです。 



    小学生までが対象なので、

    小学生までに熱心に覚えた漢文も、それ以降は忘れるはずです。



    では、何のためか?



    大人になってからですが、

    その論語の意味が、本当に役立つ時、それに合う状況が出て来た時、


    無意識の中から、  突然 ヒラメク!    (笑い)

    湧き上がるように、

    一番必要な場面に無意識から意識上へ出て来るのですね。



    こう言う体験、ありますでしょう?

    子供の頃に、言われたお小言とか、ある場面で聞いた諺とか、


    このやり方が、広く深く、応用が利く。


    自分が味わっている内実と、文の言葉と音と意味が一致するのです。


    ここが、大事な事です!



    今の自分を、もっと上の高みから、覗くことができます。


    自分を反省することができます。


    何が真実か?


    何ものにも捕らえられないで、束縛を受けないで、


    自分の心が、納得する事ができます。


    そして、自分で自分の人間を作り上げていけるのです。 



    江戸時代まで、子供に対して漢籍の教育はそう言った方法だったと思います。



    中途半端な理解の大人の意識で汚れた言葉で解説をしたら、

    子供の理解に、変な癖がつくからです。


    また、ある年齢になったら判る。と言う前提があるのです。  





    現代の、西洋式意識教育は、理屈で説明をして、覚えさせる。

    それをテストで評価をする。

    そう言う教育法とは、まったく違うでしょう?


    まぁ、現代の知識教育は、学問の基礎と言っても、

    教える中身も、東洋と比べれば、根が浅いものですから

    それでいいと言う部分もありますが、

    記憶、覚える事だけが重要視されますね。



    あはは。テストの為で、試験に受かれば終わりです。





    これは、

    意識的に無理やり入れる訳ですから、取り入れる時に癖が付きます。

    そして、応用が利かない。 

    年と共に忘れて行く。

    そうしない為には、本来意識偏重の教育こそ、

    膨大な体験を必要とするはずですが、テスト、テストでは、

    その余裕はないのですね。



    もちろん、これに合う子供も確かにいますよ。 (笑い)


    東洋的な、年を経るにつれ人格にも影響を与える教育と言うのとは、

    根本的に違います。 




    さぁ、これで、

    無意識の中から、何が意識へ上がって行くのか?


    このシリーズで全てを取り上げる事は、できませんでしたが、

    少しは、感じ始めていただけましたか?



    意識が、本人ができる事を考えて選び、

    何をできないと判断をして無意識へ隠してしまうのか?


    この選択の癖、いい癖、悪い癖、

    それが、このブログの大きなテーマ、


    個々人の『運』の分かれ目であろうと思います。





    この無意識の深みから湧き上がるあなたの運、


    その運は、意識の範囲内でしかない学問などでは、


    どうにもなりません。







    お読みくださった記事の中から、


    あなたが幸せになる為に、何かがお役に立てれば、幸いです。


    幸運を祈っております。


    長いシリーズ、難しい記事にお付き合い、ありがとうございました。


    よき一週間をおすごしくださいね。






























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    (不妊治療と運命 )  コメントへのお返事 ー 科学へのアンチテーゼ ー

    Category : 運命学と科学
    g月


    今日は、月の光(智慧)を浴びて.....記事をお読みになってください。











    最初に、前の記事にいただいたコメントの紹介からです。


    >そう言う流れに対するアンチテーゼが、

    >日本の国に流布する思想には見当たらなくなっているのです。


    外国とくらべると、日本は思想がルーズなのですね。=

    アンチテーゼとは、アメリカのキリスト教右派のような団体でしょうか、

    ドイツのみどりの党とか?=

    アメリカは中絶も認めないとか、

    キリストの神の意志に反するようなことにはきびしいですから。=

    欧米は、

    日本が捨てた伝統と宗教的なしきたりをまだ堅く守っている社会?=


    なさけない! 

    日本は、経済大国になる間に、一番大事なものをなくしたのですね。=

    損得以上の価値観をなくして、

    信念を貫く軸がない社会を作ってしまったということですね。=

    それが、いつもcosmosさんの記事にあふれているのが、

    やっとわかった感じです。=



    私の記事にあふれているものを、

    お感じ下さったなんて、ありがとう!   ほ!

    あまりにも『陽』を優先させた結果が、今の日本です。






    次のコメントです。


    >いのちと言うものは、

    >計算や理屈や効率や見栄では守れないのです。


    食い止める役割は、本来女性だったのだろうと思います。

    マスコミがどうあれ、政治家がどうあれ。

    いえ、そうであればあるほど、女性がバランスを取らなければ。

    「同じ方向に走ってどうする!」


    ・・・そう感じます。




    共感いただいてありがとうございます。

    こうした正常な良識を持つ事と、

    見事なバランスを取る事が、どんなに美しいかを感じています。






    さぁ、次は、今日のテーマ(不妊治療)です。


    運命学的な観方の深さについて書けたらと思います。

    それが、少しでも心に残こるようなものになりますように... 


    ずいぶん前にいただいた拍手コメントを、ご紹介致します。



    ① 先日、野田聖子さんがご出産なさいましたよね。

    以前にも言ったと思いますが、向井さんの件でも、

    私はあまり賛成は出来ないと思っています。

    私の主人も、不妊は身体だけの問題じゃない!って言っています。

    やはり、御先祖代々遡ってみると、その言ってる意味が良くわかります。 


        ( 中略 )


    ② 今後、我が家は主人の方で、

    跡継ぎ問題が大きな問題になりそうです。

    主人は4人兄弟の次男なんですが、

    義父母と一番上手くいってるのは、ウチだけなので・・・(^ ^;

    主人の義姉も出戻りでいますので、ややこしいです。



    ①② は、編集で付けました。


    じつは、このコメントは、野田聖子さんがご出産・・・とあるように、

    その当時、今年の1月16日にいただいたものです。

    約5ヶ月前です。 お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。


    向井さんについては、そのころ記事にした記憶があります。

    ずっと気になりながら、、、、、 ほっ!


    賛成は出来ない。

    不妊は身体だけの問題じゃない! 



    につきましては、まだ、真正面からお答えをしていませんでした。



    ひとつは、どこまで運命学の知見を公開してもいいものか?

    誰かを傷つけないか? 考えていたからです。




    大切な事を、申し上げますよ。



    私たちが生きている

    この宇宙に取り囲まれた空間=地球上と云う世界は、

    人間の意識が作った”この世界 ”と云うような狭い世界ではありません。


    真実の ”この世界 ”の姿は、意識だけでは掴み得ないものです。

    人間の意識を通じて、”こうだ! ”と思っている世界は、

    『陽』の悪弊によってゆがんでいる見かた=意識が作った世界なのです。




    と云う事が、無意識などの記事をずっと書いて来まして、

    みなさまに少しは、お分かりいただいていると思いますので、

    このあたりで、

    この件を記事にしてみようと云う手ごたえを感じた結果です。



    まず、今日の記事を先へ進めて行くのに、

    私の運命学の命式による鑑定の結果を信用していただくのが、

    記事の前提になります。

    その点をご了承の上、記事をお読みになってください。





    そして、まず、不妊治療であれ、なんであれ、

    産まれて来た新しい命に対して、

    素直に祝福してあげたい気持ちがあります。



    それらが大前提です。 よろしくお願いします。








    先のコメントをくださった方と同様な感想をお持ちの女性の方が、

    多いのではないかと思います。


    それは、とくに女性の無意識下の疼き(ウズキ)を伴っています。

    理屈にはならないけれど、自然を犯す事が、女性には苦しみを与えます。



    女性は、損得を抜きにして、その苦を受け止める事ができます。 

    そこが、女が要領よくごまかす事ができない部分ですね。

    ここが、女性の一番弱い所、こだわりたい部分です。




    直感で、なにか、自然への欺瞞(あざむく事)を感じて、

    正しくない、許せないと思ってしまうのですね。



    私も女ですから、その気持ちは共感をしています。 

    まして運命学を志す者ですから、

    どんな運命でも意味があって、

    それを意識で作った科学などでは、

    そうそう簡単には変えられるはずがない。


    と思っています。 


    まさか、不妊治療などで子孫繁栄が実現できると云うのであれば、

    不妊治療は、多額のお金がかかりますから、経済力で差がつく? あは!

    子孫繁栄までもが、経済力で格差が生まれたら?


    何にしても経済力が一番と云う事は、ゆるせないわ! 

    こう云う気持ちがある。   あはは。


    一瞬で、女の感性は不純性を感じ取ってしまう訳です。  

    そのあたりを、今日はできるだけ納得の行くようにしましょう!  ほほ!








    野田聖子さんの件は、そもそもご本人の出生からして、

    血の繋がりが無いのに議員だった祖父野田卯一の養女となり、

    島家から野田一族になった外孫です。

    その野田一族との関係も、いろいろあるようです。


    そもそも、聖子という名前は、元々のシヨウコと言う名前が嫌で、

    当時名前が売れつつあった松田聖子に習って改名されたようです。


    政治家として少子化を危惧する、と云う事と、

    体外受精やサロゲートマザーを捜してまで出産する事とは、

    おなじレールの上の問題ではありません。 全く別問題です。


    大儀名分はありません。


    妊娠・出産、という女の生を自らが体験してみたかった ?

    または、跡取り欲しさ ? 



    どちらにしても、

    そこまでの流れは、自然、だれでもが理解をします。

    しかし、その為に、

    科学というテクニックで、

    言い方を変えたら、自然の摂理を利用して、

    自分のこうありたいと云う気持ちを追求する。


    不妊治療は一種の中毒のようなもの、

    子供が欲しくて、一生懸命になれば、

    気持ちのコントロールが大変になるようです。

    正規の夫婦間の卵子と精子を使う等、そのギリギリを超える等

    欲望とその迷いの最中に、

    科学の技術があるとなると、

    ブレーキが、利かなくなるのでしょう。


    まして、近代化の日本には、道徳的アンチテーゼのない現状です。



     
    その上、野田さんは、婚姻届を出さない事実婚です。


    きれいに言えば、夫婦別姓ですか、、、、、ほほ。


    この夫婦別姓についても、

    いろいろな問題が出て来ますね。

    三代目で同じ家の中に、3つの姓が混ざる事にもなりかねません。

    あるいは、

    はじめはそう云うつもりはなくても、

    長い人生、生きていく為に、

    姓が変わらない事を隠れ蓑に

    別姓の制度を利用する離婚や、

    婚姻関係があいまいになって、個人情報の秘匿と合わせて、

    一般世間に分かりつらい現実が増えて来るでしょう。

    未婚の母なのか、どうなのか?    大変です。



    そう云う社会規範を飛び越えて、

    自分の子供がほしいと云う欲望の為には、手段を選ばない。

    日本は法的に婚姻関係にある夫婦のみとなっているはずなのを、

    日本の国会議員が、率先して法的にも脱線してしまって、

    もう、それを犯した時点で議員失格ではないのか? 

    と云うブーイング。


    立法機関の国会議員が法律を守らないのであれば、

    誰が国の法律、社会秩序を守るのか? 

    モラルの問題もあって、彼女には、無言の批判が集中したのでしょう。




    子供を産むと言う手段にはいろいろあります。

    もっと科学が発達すれば、

    男性だって、動物にだって、

    子供を産ませる時代がくるかもしれません。

    考えるだけで身震いがしますが...


    それは、

    犯してはいけない領域だと、感じているからです。

    その領域こそが、無意識の領域です。







    『天』の領域です。






    もしも、

    野田さんや向井さんが、恵まれない子供を引き取って養子にした。

    という話なら、

    日本中の誰もが、とても感心したと思います。


    彼女たちの社会的地位の上に、

    敬愛される女性として有名になったはずです。


    こんなに、ブーイングは起こらなかった。  ほほ。








    では、これらを、運命学で観たらどうなのか?






    2010.11.21の記事 『不妊症治療と子供運』  で、


    ノーベル生理学・医学賞、エドワーズ博士のIVF(体外受精)の

    治療の成果、世界で初のIVFによる赤ちゃん、

    ルイス ジョイ ブラウンの事を書きました。


    ルイスちゃんの年齢が32歳になって、

    ほら! あのIVF児が、こんなにも大きく成長をしましたよ。

    と云う意味で、彼女の個人情報が、公開をされました。


    同時に、

    世界中には、IVF児が、何千人~何万人も生まれているのだ。

    それを行ったエドワーズ博士のノーベル賞の受賞もあって、

    これは、現代の科学が成し遂げたすばらしい成果であるとされたのです。


    望まれてあたらしい命が誕生した事は、良い事にはちがいないのです。



    しかし、




    科学が、運命を変える事はできないはず。 

    だから、子供が生まれにくい運は不変のまま残るであろう。



    これは、数多くの鑑定から体験している事です。






    不妊治療と云うのは、

    体外受精卵を子宮内に戻すところまでは、人為的な医療行為です。

    しかし、それから先は、子宮内に着床するかどうかは、

    その母体の自然( 天・自然の摂理 )に委ねられるのです。




    自然の審判が行われます。


    人間の意識が触れない無意識下の営みなのです。 






    子宮内に受精卵を戻してから先は、いわゆる授かりものです。

    はっきりと自然のゾーン( 天の道・自然の摂理の中 )の側に

    委ねる事なのですね。

    人為の到達できない領域なのです。



    つまりは、

    治療をしたからと言って、必ず産めると言う事はないのです。

    不妊治療をして、体外受精をしても、着床できなければ妊娠はしません。





    この冷厳な事実、

    それで、
    授かると言うわけなのです。 




    ですから、

    不妊治療を何年もして妊娠できない人も多いはずです。

    向井さんや野田さんは、いずれの方法を取ったにせよ、

    子を授かったと云う事は、

    彼女たちに、少なからぬ子供縁があったからです。


    しかし、彼女たちの家系が、

    絶家に向かう女系化した過程にあると云う事は、

    こうした事態から、まぎれもない事実でしょう。





    なら、女系化を、不妊治療で変える事ができるのか?




    運命は、そんなに浅い所にはありませんから。




    運命学においては、


    不妊治療で産まれたその子が、

    将来、何の障害もなく、

    次世代の子供を産む運を獲得して生まれて来たのだろうか?



    そこまで、気になりながら鑑定しなければなりません。





    その不妊治療をして産んだ母が喜ぶだけではなくて、

    できうれば、

    不妊治療を受けて産まれて来たわが子が、

    永遠につづく子孫運を感じさせる兆しを持って生まれて来て欲しい。

    子供運を持つ子が生まれて来て、

    初めて、母子共のよろこびなのです。

    真のしあわせとは、自他ともに、

    未来のしあわせの予感が、希望がある事です。





    喜びの存在は、過去より現在、 現在より未来です。


    だから命式を観察、観てみないと真に運命を克服できたとは言えない。 



    運命学とは、そこまで追求をします。



    きついですね!   (笑い)






    科学は、目先の人間の欲望を叶える事ができるのでしょうが、

    その家系の運命までは、変えられないのではないか ?


    その証拠に、

    体外受精や、不妊治療によって産まれて来た赤ちゃんの

    誕生日からの彼らの命式の多くが、

    意識『偽』は、自然には通用しない。

    『天』は許していない。

    と云う事を示しています。

    (この事を、はっきり言っていいのだろうかと云う迷いがありました。)

    当然とは言え、

    この事実を公開する事は、気持ちの上では非常につらいですね。









    この事で、科学と云うものの限界が見えて、

    同時に、天の摂理のきびしさは、

    人の意識が作った技術などが、太刀打ちできるようなものではない。

    と、鑑定家の私が、打ちのめされたような気分になります。



    この摂理を人間は受け入れるしか、人の繁栄はない。




    不妊治療に対しては、そう云う気持ちにたどり着きます。

    それは、それで、いいのだろうと思います。

    人間が、これ以上、傲慢にならない為にも、、、、、









    『天』(無意識)の領域まで、人間の作った科学の手は届いていない。

    欲望の手が届くわけがないのです。

    『陽』が、その『陰』本体へ手を伸ばせるはずがないのです。




    『陰』から生じた『陽』が、

    『陽』の偽である知識で、『陰』を弄(いじ)くる。

    それこそが、本末転倒の事なのでしょう。




    次は、

    コメントの②へのお返事です。

    簡単ですが、参考になさってください。


    家の継承ですが、

    あくまでも長男が健在であれば、継ぐべきは長男です。

    どんな事情があったとしても、

    その判断をするのは、『天』です。

    自分たちが、あれこれしない方がいい。

    長男の継承の実現に誠意を尽くすべきでしょう。

    次男が、その役割になるべき運であれば、そのような事態になります。




    そもそも、長男の継承に難のある現象が出てくると云う事態が、

    家系の置かれている厳しさですが、

    女系化の絶家に向かう家系の衰運にあると思ってください。



    どこかで、ご先祖がルール違反をしたハンディです。

    その結果であり、ご長男のせいだけではありません。


    自分たちの意識で判断をして、

    長男以外が継ごうとする事は用心です。

    またの機会に、

    そう云う事例を記事にする事もあろうかと思います。




    そう云う判断は、野田さん的発想、そう、ルール違反です。




    それは陰徳を積む反対の行為

    =それ以降の子孫が背負う負の遺産

    =家系の継承の障害(ハンディ)になります。

    家系の子孫の将来のハンディを増やす事になります。 

    ご主人様にも、そう伝えて、

    実家のご長男をお立てになる事が賢明です。

    よろしいでしょうか?




    最後にM町のことを少し。


    まず、M町を知るきっかけになった女子生徒のお家も、おそらく、

    跡継ぎが欲しくて、娘3人になるまで子供を作る努力をした訳です。


    さすがに、2000年近くも続いた旧家ばかりですから、

    男の子を2,3人生んで、安泰である家がほとんどでしたが、

    やはり、過去にさかのぼりますと、

    親や祖父母の代で養子をもらい娘と結婚をさせて家を継いで行く。

    それも、普通に行われていたように思います。

    男の子が産まれないと、3人目までは年が離れてもお産みになる。



    そんな事どうでもいいのよ~! 

    と蹴飛ばして平気な顔をしている近代化以降の

    合理的、個人主義的、根無し草人種たちとは違っていたように思います。


    まじめに家の継承を考えて、生きていらしたように思います。 



    昔の人たちは、意識できない事柄も、ない。とは決め付けずに

    いろんな配慮をして暮らしていました。 当然の事として、、、


    過去の大勢の先祖たちの事、

    目に見えない膨大な微生物の事、

    日々に触れて、心に入れて、感謝して生活をしていました。




    それらを失わずに受け継いで生きると云う事が、

    継承と云う事です。

    ただ、単に、

    男の子を産む事ではないのですよ。





    近代化以降の根無し草的濁流を、どこまで止め得るのか? です。






    最後に、

    あくまでも『天』は、バランスを取っています。

    バランスを取る為に、

    この冷厳なる自然の決定(運)は起こります。


    揺るぎないものです。

    ごまかしはできません。


    それとくらべると、

    現代科学の衝撃は、どれほどのものか?

    あさはかな情報に、右往左往なさらないように!

    絶対に目の前の楽に、浮かれてはいけません、ぞ!  あはは。




    大事な事は、『陰』の回復と、『陽』との均衡(バランス)です。

    自分の中における『中庸』の実現です。


    人としての生き方の問い直しです。


    まだまだ学ばなければいけないですね。



    長い記事にお付き合いくださって、

    感謝申し上げます。




    よき一週間をおすごしください。






























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    カントの純粋理性批判を 理性の取説におすすめします (コメントへのお返事)

    Category : 運命学と科学
    山中湖畔の柵、降りつづく雪。









    柵の中の山中湖、昨年の夏に見た 白鳥たち。




    山中湖から川を遡って、橋から見た雪景色。 どこが川なの?







    携帯カメラは、カラーのはずですが、

    撮れた世界は、モノクロの世界でした。


    この雪の中を、装備をして2時間近く歩きました。

    自然の季節感の息吹の中にいつも居たいと云う欲求です。

    降り続く雪を浴びながら気持ちのいい清涼感があって

    火照った顔に降り落ちる雪、まったく寒さは感じませんでした。


    今日、都会に帰って来てからが、寒いのです!





    年は、改まりまして、はや、もう一月は行ってしまう――。

    でも、まだまだ昨年からの宿題を抱えております。    あは。


    いただいたコメントやご質問へ、すべてお返事をお返ししておりません。

    まだ気になりながら記事にしていないものが多くあります。

    それで、今年の前半は、

    それらのお返事を記事にしていこうと思っています。




    今日は、運命学と科学 のカテゴリーの記事になります。



    まず、最新のコメントから、

    前の呂氏春秋の記事にいただいた拍手コメントへのお返事です。




    全くその通りでコメントの余地なしですが

    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。

    岸田秀などは人間は本能が壊れた動物だと言っていますが、

    そうだとしてもこわれた理由まではわかりません。

    人間とは実に不思議な動物です。





    短いコメントですが、

    大変な内容があるのですねーー


    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。



    ここですね?





    あ、その前に、

    岸田秀などは人間は本能が壊れた動物だと言っていますが、


    ここを片づけましょう!    ほほっ。


    理性を標榜する方と云うのは、こうも、ああも、

    解ったように分からないままの言葉をおっしゃるものですねー。 ほ。


    理性そのものは、自分と云う人間も掴み切れていないのに、

    本能が壊れた? 動物?だ。 と?

    そもそも、本能が壊れるとは? なにですか?

    本能は壊れるはずはなくて、認識する主体がおかしいのよ。 あはは。




    理性的であれば、それが正論?のように思ってる?   あはは。


    イヤー、理性って何ですか?

    人間の認識能力のうち、理性と感性に分ける?

    そもそもそれが、可笑しいのよ―    あはは。


    人の精神に、真ん中に線が引かれて、

    ここからが理性、ここからが感性と分かれている訳ではないし、

    たかが、人が作った便宜上の括りでしょう?

    じゃぁ、要は、理性、感性なんて方便じゃないですか?

    方便と云うのは、一時の仮の方法、真実が現れるまでの『偽』です。




    仏経の権教(ごんきょう)と同じです。

    権教=真実の教えが説かれるまでの仮の教え




    いつまで、人の心を説明する便宜上で分割して、

    この『偽ニセ』ものの用語を使っているのでしょうか?





     
    感覚を通して「目に見えるもの」を色、大きさ、重さ、形と、分析し、評価し、

    吟味するのが「理性」と言うのですが、

    これこそが、「科学的精神」の最たるものらしいです。


    色や大きさや重さや、分析で、評価で

    科学で、人が、本能が、分かると思うなかれ! と申し上げたい―。



    そもそも、理性ごときで、

    人間たるもの、人間の本能など掴み切れると思うのがマチガイです。

    人間の五感で、その主である人や本能が分析できるなんて、うそよ!

    主の付属器官で、主をとらまえる事ができると、本当に思っているの?



    カントが、彼の純粋理性批判で言っているのは、この事です。


    ヨーロッパに勃興してきたルネッサンス以後の

    この「科学的精神」が、

    あまりにも行き過ぎであると、 

    感覚で捉える「目に見えるもの」だけを評価しがちになっていると、

    経験主義、理性偏重主義に警鐘をならしています。


    カントの純粋理性批判は、

    理性の「 取り扱い説明書 」として我々も役立てるべきだと思います。

    間抜けな理性崇拝信仰者を目覚めさせる為にも、、、です。






    まったく西洋哲学と云うのは、

    純粋理性だ、感性だ、いいや悟性だ、イヤ一番は知性だ、

    とか云うのは、人間の精神を、あちこちから切り刻んで、

    言葉のジグソーを作っているのか? と言いたくなります。


    純粋理性なんてありえないし、

    純粋な主観とか客観と云う言葉もそう、

    どうして、こう云う用語を使い続けるのかと言いたい。

    西洋式認識は、東洋と比べると子供のおもちゃです。


    東洋には、そう云う曖昧な語はない!


    西洋のそれは、どこから来るかと云うと、

    そもそもキリスト自身が、キチンと世界を説き切っていないからだと、

    その哲学教理を弟子たちに、遺さなかったからです。

    でも、仕方ありませんわ―。

    彼は、神のつもりではなかったのでしょう。

    責めては、お気の毒です。    ほ。




    だから、

    キリストの民は、それらの神の不足を補おうと、、、必死に、

    人間の感覚で、理性、感性、悟性、知性とジグソーピースを

    いじらしい位に、作為し続けて来たのだと思うわ。


    キリストの民は、意識の拡張と喧伝に明け暮れて来たのです。




    ここまで書いたのですから、

    ついでに、科学について少し書いてみようと思います。



    厳密に言えば、「科学的に物を観測する」 と云った処で、

    実験、観察においてですら、

    その観察しているのは、物自体そのものではなく、

    物自体からの光の反射という現象を捉えているだけでしょう?

    それすら、

    常に光源としての8分遅れの太陽光のおかげなのです!

    過去の太陽光で、現在の現象を感覚器官で捉えるしかないのです。


    これが、無意識からの智慧の仕組みだと、気が付かないで、です。 




    もう、 わらうしかないのでしょうか、、、?




    我々が、科学で観察すると云う事は、

    顕微鏡といい、最新の宇宙望遠鏡といえども、基本は同じです。 
     
    あらゆる科学的観測と云うのは、現象を捉えているだけで、

    物自体に迫って把握している訳ではないのです。


    そんな曖昧な認識の上に立っているのが現代科学です。



    今の科学自体にだって、

    フランシス・ベーコンの実験証明科学の応用延長で、

    実験によって実証されるならば、

    人間の理性による認識や感性に一致しなくても、

    それが正しい理論である。とする実証主義に走っているものもあり、


    ポスト現代物理学においては、

    実験的には証明されていなくても、

    数学的な計算や証明がなされれば、それが正しいとして、

    次々と発展していっている理論もあります。


    これらは、もう今さら人間の感覚の理性で捉えられなくても、

    物自体を数学と云う道具で直接捉えようとしているのです。


    物自体を8分遅れの太陽光で物の現象観察をして正しいとするか、

    数学の計算で成り立つ証明を、正しいと信じるか。





    これらは、今までの科学の常套手段である実験で証明されていないものを

    真実だと受け入れる事になります。

    つまり、見ても聞いても触ってもない世界を信じる事ですから、

    人間の五感を通して把握していない物を信じ続けるのは、

    信仰と同じなのではないか?

    そんなものは、物理学の理論ではなく宗教だと云う批判も出ています。




    要は、科学だって、

    宗教と同じように、

    究極は、神や仏のような絶対者の存在証明を

    やりたがっているのですね。    ほほっ。




    それはそれでいいのです、が、、、、、、、、




    宗教は、「信仰心」が基本にあります。

    科学は、「理性」(と云う曖昧な見えないジグソーピース)を基本にして、

    一旦、実験証明された、ある理論を、

    一時的に、次の理論が証明されるまで、(=方便)

    その理論を信じると云う実態があります。

    ある研究者の理論を信仰する。と云う状況が存在する訳です。


    その時、他の研究者のほぼ全員がその理論を信じて進みますし、

    同時に、一般社会の人間まで巻き込んで、我々も信じてしまう訳です。



    そもそも、科学的理論=『陽』=『偽』ですから、

    いずれは、時が経てば嘘になる理論、ロジック、知識をです。

    しかる後に、より信頼性のある理論が出てくれば、


    ”こっちが正しいそうよー”と、   あはは。

    皆で乗り換えて、又、一時的に受け入れる。

    と云うようになって行きます。



    政党のマニフェストが野党時代と与党時代と違うと批判をしますが、

    『陽』である科学と政治は、時と共に移ろうもの、

    同じ無常の範疇にあるのですね。   

    意識の産物は、時と共に移ろって変わるものなのです。   あはは。



    どうして、ここまで長々と書いて来たかと云うと、

    そんな科学の意識的認識の途中の知識で、

    人が生きて行く中における、結果が幸不幸に分かれる事柄を、

    簡単に、本能が壊れている、なんて十把一絡(じゅっぱひとから)げにして、

    決めつけないでほしいからなのですよ。


    十把一絡(じゅっぱひとから)げ=区別なしにひとまとめにして扱う事。



    あはは。

    まぁ、それはともかく、

    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。



    でした!



    自分の持てるポテンシャル(潜在能力)と自分の欲望のバランスですね。

    または、そのバランスを取る智恵と欲望のバランスですか...?


    一般的は、そうなりますが、

    ここは、運命学のブログですから、、、   ほほっ。


    運命学で、説明を試みてみましょう。


    ●本能が強い、強くないと云う概念は、運命学にはありません。


    ○その人の、潜在能力があるかないか?は、命式全体で観ます。


    ◎どんな潜在能力か? それも分かります。


    ●バランスをとる智恵、これは、命式内の五行のバランスで観ます。


    ○命式内の木・火・土・金・水の存在と、その力、均衡で観ます。


    ◎そこでの五行の偏り、欠けている五行によるアンバランスが、


    さまざまな欠落や損傷、”本能が壊れている”状態となります。


    ●それらが、そのまま社会活動性として外に表われる力の程度、


    ○それが結果として帰って来て、手にする果報も分かります。


    ◎なにが得意で、楽に手に入り、何が欠けて、何を失うか?


    ●どんな恵みを受け、どんな縁に惑わされやすいか?




    これらは、人により全部違います。


    それによって人生に表われる現象が、違ってきます。


    人間は、本能が壊れた動物だと、言えるような人もいれば、

    そうではない人=本能と智恵の均衡が取れている人もいます。


    100万人いれば、100万の命式の違いがあります。

    それを、以前、『位相』と申し上げたと思います。



    人は、自分の位相によって、その度合に応じた運を持っています。





    この事が、近代化以降の我々には、

    実感として分からないようです。







    近代市民社会が成立する以前の時代においては、

    絶対王政の時代では――個々の人間の差別や身分の上下があったので、

    自ら固有の運命を意識して生きるのが普通だったのに比べ、


    社会契約論の系譜が、


    政治社会を人為的な産物として捉えるようになってから、

    個人の自由と社会秩序がいかに両立できるかと追及する段階や、

    政治社会は人間が意識的に作り替えられると云う市民革命を準備する背景

    があって、人間は皆、均質、もしくは意識でどうにでも同等になれる

    と云う前提が社会に出来上がって行った為に、

    個々人の差を見えにくくしているフィルターが、意識に掛かっているから、

    皆が同じ、同じ感じ方をするのが普通。


    この普通と云う感覚に横並びする傾向が現代をおおっているのです。


    自分の位相を見つめ把握するのを、それらが邪魔をしています。

    運命学の教室の生徒さんには、


    「あなたが感じているように感じているのは、あなたひとりよ。」

    「あなたしか、あなたのように感じている人は、いないのよ。」と


    あなたの感じるものが、命式のどこから出て来るのか?

    命式を見て、捜してください。 
     

                     と、常に言っています。





    たった一人の人間の尊厳性が浮かび上がって来ませんか?

    あなたひとりしかいない。


    人間とは実に不思議な動物です。



    本当にそのとおりだわ。

    その事が、今日は分かり合えてよかったわー     ほっ。




    次の記事から、


    『 命の継承と運命 』シリーズを始めます。


    おたのしみに!


    よき一週間をお過ごしくださいね。

































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    人間の意識の造作物は漏れがあり、結果悪を孕みます (コメントへのお返事)

    Category : 運命学と科学
    朝もやの公園


    朝もやの公園


             



                                        



    今日から、『 命の継承と運命 』シリーズを始めると、

    予告をしておりましたが、次へ先送りをしまして、

    前の記事へいただいたコメントを3題取り上げてみたいと思います。



    ご了承くださいね。




    まず、1題目です。


    カントに、次の有名な定言命法があるのですが、

    「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。」

    これについては、どう思われますか?




    これは、カントの『実践理性批判』の中にあるものですね。


    まず、結論からいいますと、

    カントは、人間存在の本質を本当に知っていたのかしら?  (失礼!)

    と、云うよりもキリスト教の人間観は、どうなのでしょうか?




    ただ、人間に道徳的理想を〝行為せよ”と行った処で、

    現実的には無理! と思います。     あはは。


    そうでしょう?


    まず、私などは、

    そんなことができるわけがないと思ってしまいます。

    なぜなら、仏教において小乗教(上座部仏教)は、

    それを実現する為に、弟子たちは、厳しい戒律や修行をしたのですから。


    カントの理想主義的な道徳に対する熱い思いには感嘆しますけれど、

    彼の云う通りの事が実現できるとは、共感を覚える事はできません。




    細かい説明になりますが、

    前回の記事で取り上げた『純粋理性批判』では、

    カントは、何を我々は認識できるのか?と、

    我々の認識の批判をした訳です。


    そして、『実践理性批判』において、カントは、

    我々は、何をする事ができるのか?と道徳哲学を著わしました。


    その中で、カントは、

    絶対確実な「道徳法則」があると提示をして、

    人は、自由な意志によって「最高善」をめざす事ができる。と、

    情熱的に語っています。

    しかし、残念ながら、その方途を指し示す深い人間認識が、

    ヨーロッパの精神的基盤、キリスト教にはないと思います。




    コメントに引かれている“格律”という言葉ですが、

    主観的な道徳原則の事です。

    人それぞれが、~しよう。と意志を持っている道徳的な行動規範ですね。

    たとえば、他人に会えば挨拶をしよう。 とか、

    それは、自分の心の中、主観的な道徳原則です。


    それに対して、誰にも当てはまる“格律”を実践的法則と云うのです。

    客観的な道徳の法則が、あると云うのですね。


    例えば、ある絶対的な道徳法則が、あるとするならば、、

    人間は、それに黙って従うことのできる存在であるべきだと、

    そう言っているのですね。


    確かにそうですね。そうであればいいのですが、、、 

    理想ですね。

    カントは、理想主義者だったのですね!


    そして、絶対的な道徳法則をその通りに行為する事=幸福、

    と結びつける為に、キリストの神と云う存在を引っ張り出してきます。

    そうしないと=幸福、と説明し切れなかったのでしょう。


    あ―は!   これでは、理性の論理の飛躍です。

    キリスト教を根底に置く近代理性の定言命法は、

    神を引っ張り出さないと完全ではない事が、バレバレになった!


    カントの道徳哲学は、完全に破たんしています!?  ほっ。


    西洋の、こう言った人間の作り出したロジックの数々は、

    人間の弱さや狡さを見据えた東洋の仏教や、

    皮肉交じりに人間の弱さを揶揄する儒教などと比べると、

    どこか、幼児絵本のようにファンタジーです。

    まるで、御菓子で作った甘~い家のように思えます。 


    カントは愛すべき心の持ち主だったのね!    あは。

    コメントありがとうございました!





      

    2題目のコメントです。


    >政党のマニフェストが野党時代と与党時代と違うと批判をしますが、

    >『陽』である科学と政治は、時と共に移ろうもの、

    >同じ無常の範疇にあるのですね。


    ここを読みますと恐い感じがします。=
    政治や科学は、人間をしあわせにしないという証明でしょうか?=


    政治が人をしあわせにするというのは幻想ですか。。。=
    科学が人をしあわせにしないというのはもう、分かっています。=


    今年も、どんどん記事のレベルがむずかしくなっていきます。=
    なんども読み返さないといけません。(笑い)=




    このコメントも、

    現代の矛盾に満ちた絶壁を覗き込んだような、鋭いさですね。  ほ。



    と云うのは、

    現代の我々は、空前の物質文明に騙されて、

    物があると幸せになれると思っています。

    ほら!

    電気がなくなると、、、困るから原子力だ。

    雇用がなくなると、、、困るから公共事業だ。 等々、、、

    確かに皮相的には、その通りなのですが、

    目の前の物(資金)を右に左に動かすだけで、

    どうしてそうなるのか? その奥の原因には触ろうともしません。

    つまり、意識世界の現象のみに囚われて右往左往するだけ、

    無意識世界の事は、そっちのけです。

    それはそうでしょう。無意識を切り捨てている文明ですから。。。




    それが、物質文明なのですが、

    目で見えない原因は、価値がない。  と無視をします。

    そして、物が無くなる事を恐れて、

    政治や経済に、物を満たしてくれるように期待するのですね。

    政治や経済は、物を集めたり満たす事が、目的だったのか?


    違いますよ!

    もっと崇高な目的をもっていたはずですが、、、、、

    どうですか?



    政治や科学は、人間をしあわせにしないという証明でしょうか?=



    そうですね。そのとおりですね。

    この宇宙、自然、いのちの営みそのもののリズム=『陰』の表出である

    べきなのに、『陰』を捨てて『陽』だけに偏る政治や経済では、

    人は、しあわせにはならないでしょう。

    物では、人はしあわせにはなりません。

    まず、物は、地球上に限られたものしかありません。

    どこまでやったとしても平等に配分する事は、不可能ですね。


    また、大阪の橋下市長の主張のように、

    国の統治機構は古い、明治維新に決めた制度のまま変わっていない。と

    云うのであれば、

    意識こそ『陽』である。 時の支配を受ける『陽』そのままに、

    時節や状況に応じて豹変していくべきだったのです。


    憲法論議もおざなりだし、いい加減です。


    変わらない『陽』は、無用の長物に成り下がるのです。

    常に効率と最大の価値創造を求めて千変万化して行くのが『陽』、

    政治、経済の現象世界の真骨頂です。


    『陽』の権化である政治そのものが、わが国には機能していない。

    と云うことでしょうね。    ほほ。


    コメントありがとうございました。








    3題目のコメントです。


    近代化によって定められた法の下の平等意識が、

    実は、人を解放するどころか、それが、ドグマのように今度は、

    人を錯覚のなかに閉じ込めているのですね。

    ああ、なんて悲しい存在でしょうか?

    人はいつになったら、自分の存在感をつかめるようになるのでしょうか?

    前の医学を狭さを感じた記事から、

    今日は、

    今の社会の常識が、こんなもろい意識の上にあることを感じました。

    つねに、人は彷徨っているのですね。





    コメントの中のこの表現、気に入りました! ほほ。


    法の下の平等意識が、

    実は、人を解放するどころか、それが、ドグマのように今度は、

    人を錯覚のなかに閉じ込めているのですね。  




    そのとおりですね。

    ≪法の下の平等≫と言ったところで、

    人間の意識が、造り上げたものです。


    人造物です。 

    これには、必ず、その裏があります。


    意識には、功罪があるのですね。



    人間の意識では、存在のすべてを捉え事はできないのです。

    必ず、漏れている側があるのです。

    そちらの方が、大きいかも知れませんよ!    あっは。


    それに気が付いた人は、彷徨う。。。

    そう、彷徨っているならまだましです。

    ドグマに嵌まっているのに、気が付かないで、

    それで、万能感に浸っている人間の方が、余程怖い。

    そう思います。

    つまり、傲慢に陥るのです。


    そして、ずるい人間には、その制度や法が利用されます。


    人間の意識の仕業には、結果として善悪が孕む。 

    そう思います。




    このことで、生活保護の制度を悪用しているNPOがある事を、

    思い出しました!

    ご相談の中で知った事ですが、

    また、機会があれば記事にしたいと思います。





    今日は、いただいたコメントが素晴らしかったので、

    そのお返事にさせていただきました。


    次回は、無意識からのメッセージ、

    人間の意識ではどうにもならない命の継承と云うものを


    『 命の継承と運命 』シリーズとして、始めます。

    みなさまとご一緒に、考えていけたらいいなと思います。




    では、

    よき一週間を、お過ごしください。

































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    あれから一年 1.    天・人・地の三才 『中庸』をめざして

    Category : 運命学と科学
    つくば山から

    一年前の今日、2011年 3月 11日、
    東日本大地震が起こる1時間前に、撮った写真です。 
    その時、ちょうど筑波山に登っていました。

    眼下に見えるのは男体山ルートで登った頂上からの関東平野 ( 白い部分は雪 )

    まず、登頂の岩場から、一緒に登ったメンバーと代わる代わる景色を撮って、
    その後、女体山へ登って、女体山下山ルートを降りている時に
    地震に遭いました。

    その時の記事





    そう!今日(2012年3月11日)は、
    東日本大震災からちょうど一年です。
    その間、日本中が世界中が大変でしたね。

    今日も又、
    日本各地で、また、世界各地で追悼の行事が行われます。


    政府も哀悼の意を表するため、
    弔旗を掲揚する事と、
    午後2時46分に黙とうを捧げるよう協力を要望しています。




    被災地の方たちと共に、


    その時刻には、哀悼の意を込めて、黙とうを捧げたいと思います。
     






    今日は、私たちが、今、どういう運命の転換点に立っているのか?
    東洋的に、又は、運命学的に掘り下げる記事になります。 



    あれから一年 1. 
             天・人・地の三才 『中庸』をめざして  





    9か月前、2011年の6月7日にいただいた
    次のメールコメントから始めたいと思います。


    ネットの中を通りかかって、

    興味を持って読んで来ました。

    東洋的な思想を運命学を通して語る中に、

    今回の津波の予言をしたのか? と思う箇所があります。

    ここは、どうなんですか?

    そのつもりで読んでみると興味深いです。

    これは、予言でしたか?   



    ( 元の文を、編集で短くしています。)







    ご指摘の2010年、6月13日の記事は、


    ↑ をクリックしてスクロールしますと、
    右端にメールフォームがあり、その下の検索フォームの辺りに、
    おそらくですが、この文章がると思います。 




    津波の予言ですか? とおっしゃられた部分、


    これは、完全なる倒錯ですよ。
    この矛盾の波形は、
    いつか大きな津波となって社会を押し流すに違いありません。

    現代は、
    人間は自然の一部と言う東洋の思想を置き忘れたまま、、、
    人間は自然の外で、自然を人間の外部のものとして眺めている、、、。



    ここですね !!


    この文の中身は、今も変わらぬ私の思いですが、
    我ながら驚きました。 と、云うのは、
    すっかり忘れていたからです。   あはは。


    人間が、本質的に、この意識の過ちに気が付かないまま、
    反省をすることもなく、出直さないのであれば、
    今後も、無意識(自然)の力は、いつでも、何度でも、
    意識の作った此の世の驕りの現象世界のすべてを、
    無常の瓦礫の世界へと還してしまうだろうと確信をしています。



    なぜなら、

    津波や地震が残した世界のありさまを、
    瓦礫と云う言葉で表現するのは、人間を中心にした価値観です。



    人にとっては瓦礫としか言いようのない世界のありさまでも、

    この大自然、宇宙から見れば、
    地球のもともとあった原状復帰、元々のあるべき姿であり、

    人間の意識には、”瓦礫” にしか見えない現状だって、
    地球が、宇宙にあっての元始のありのままの状態を回復した姿、
    それを実現したエネルギーの痕跡なのです。





    人間は、自らの快適さを追求することが正しい正義?
    それこそが幸せを追求する欲望の肯定? 権利なのだと?
        
        あはは。


    こういう風に、人間の意識中心でこの世界を見ている限り、
    人間を、意識を持った存在として、特別な存在として、
    自然よりも上に置く傲慢さを捨てない限り、

    人間の意識で作った = 学問で、自然を切り刻んでいく限り、
    それらは、自然からみると、あくまでも砂上の楼閣でしかない。

    また、同じ事が繰り返されると、思っています。

    そもそもが、人間が自然に勝てる事などないのですよっ。

    元初から、人は、自然に従うしかない存在だった。
    それは、科学がいかに進んでも変わらないはずです。
    だって、人そのものが、自然の仕組みから命を与えられた存在。

    これが、東洋の自然観であり、人間観です。


    長い時間のスパンで観れば、人は自然から淘汰される存在です。
    科学なんかで、自然淘汰を避ける事はできないのです! 

     ほっ。


    逆に、科学や知識を重んじる事は、
    『陰』の価値を無視する事になり、『陽』に偏り過ぎて、
    反って、人類の生存を脅かし、
    淘汰を早める効果はあるでしょうね。   ほほっ。




    もともと、『天』ありきです。



    =宇宙の運行 = 自然 = 時、ありきなのです。 

    『人』が、先にあったのではありません。

    『人』が、宇宙や地球を造ったのではありません。


    ほほっ。


    その『天』に畏怖、畏敬の念を持ち、
    『人』は、『地』の上に生まれ立つのです。


    『人』は、『天』と『地』の 間で、いか様に生きるべきか?
    『天』『地』の 都合 に合わせて生きるしかないのです。


    『天』の都合=『道』を求め、

    『地』の都合=『理』を覚る。

    この『道理』を知るを『智』と言います。




    『天』から『地』へ、『人』が、
    その営みを通して『智』を実現する際に、
    『地』の上に立つ『人』を、『天』と『地』は、固く守るのです。



    それが、天・人・地 の中庸の姿。



    『人』の行いが、『天』と『地』の道理を実現する時、
    宇宙のすべての運行が、人の為への、篤い恵みとなります。



    その際、大地は微動だにもしないで、
    人間の営みが倒れ乱れないように足元から支えるのです。



    それが、天・人・地 の中庸の姿です。



    それがいつの間にか、我が国は、国全体に、

    その東洋の智恵を捨てさせて、

    現代文明の意識の満足=五感の安楽、快楽、安易さを最上に掲げて、

    それを追求、実現する事を科学学問の目的に据え付けて、

    それ欲しさの欲望を掻き立たせる情報をマスコミに垂れ流れさせ、

    国民を、安易な消費行動に駆り出す事が、経済の為だと?

    そう云う愚かさの上に成り立つ税金を当てに国家経営をすると云う!

    なんと愚かな!

    国民に欲望のままに勝手気ままに生きる事を習い覚えさせました。


    そして、

    科学の恩恵で、自然から隔離した過保護で快適な空間に住み、

    それ程に、

    やすい知識で自分の周りに楽ばかりを並べておきながら、

    自然に対しては、被害者然とする立場から少しも進歩しないのですね。


    この構図は、

    親に依存しながら反抗をしている若者の姿にそっくり、


    自分の分をわきまえない愚かな人間が、

    自然と云う親に反抗している姿そのものです。


    これでは、自然災害が起こるのは当たり前です!!!

    もっと人は、草や虫や動物を見習ったらいいのです―――。



    草や動物は、人間のように、

    意識と云う後天的な機能を肥大させるような不調和を起こさずに

    草は踏まれても自然に従い、子孫を残し数千年も生き延びている。

    動物も、狩りや異常気象で淘汰されながら生き抜いて来たのです。






    自分の欲望とその満足の為に自然の調和を乱す動物は、人間だけです。



    自己の都合だけを満足させて生き延びれる生物は、

    この宇宙中に、どこにもいない。




    それで、人間が自然から淘汰されない訳がないでしょう?




    自然の脅威から、科学で身を守ると云うけれど、

    意識の学問、科学は、いのちと一体の自然や宇宙を守る知恵ではない。

    何度も言います。

    無意識の存在を無いものとした上に学問体系を作り上げているからです。



    それが、現代文明を作り上げている近代合理主義の本質です。






    そのもっともひどい罪科は、


    近代合理主義を、我知らずに、空気のように吸い込み肯定する事は、

    命ある人としての心の奥にある無限、永遠性の破壊に通じる。




    そこから生じるあらゆる徳性が消滅するのです。



    ことは、さほどに重大です。




    御上(おかみ)が決めた事だから、

    自分は、知らなかった。


    それでは、済まないと、前に、申し上げました。


    もう、何にも頼らず、

    現代文明からも自立をして、

    現代の思想からのわが身の自由を、まず確保しなければいけないわ!


    そして、

    みずからの自然に近づき、

    自然と共に永遠にあろうとするにはどうしたらいいのか?

    自然から学び、気づかせてもらわなければ、、、、、、



    本当の体と心を、永遠の命を養おうと云う気概を持つ時です。



    自分の人生の判断の指針を自然に求めてみてください。

    ちょうど季節の変わり目、この自然の歩みを見つめてみてください。

    そして、功利でもなく、

    観念で固めた近代的自我のウソウソしいペルソナを脱いで、

    人の観念が作った法律に書かれた自由や平等レベルが真実だと

    錯覚して満足するちいちゃな自我で騙されるべきではありません。

    垢にまみれた近代合理主義の衣服を脱いで、

    自然の姿に沿って生きてみようとしてください。


    今、そう変わらなければ、、、、、、

    それが運命の、分かれ道 !   あっは。




    自然の営みは、変える事はできないのだから、

    人が、変わるべきなのです。

    ちょうど一年目が、今が潮時。





    祈りたいと思います。





    次回は、 あれから一年 ②  「フクシマ」論です。


    おたのしみに。





    よき一週間をおすごしくださいね。






























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    あれから一年 2.   ー 「フクシマ」論  開沼 博ー   災害の外因・内因 

    Category : 運命学と科学
    朝焼けの那須岳


    朝焼けの那須岳












    今日の本題の前に、ご理解いただきたい事があります。


    このブログをお読みくださって、

    私の主宰する運命学をご理解してくださり関心をお持ちになる方が、

    増えて行く事は非常にうれしく思っています。


    それが、特に、私達の目には見えない心の価値である徳性や、

    東洋の叡智のすばらしさに目覚める事が、

    今の物質文明の社会へ抗していく力になれるとしたら、

    これ以上の喜びはありません。


    私のこのブログの目的は、そこにあります。

    そう云う私の目的に従って、

    このブログ内の活動で『陽』の価値を追求する気は全くありません。

    いろんな欲は捨てております。


    以上のような理由で、

    真に申し訳ないのですが、

    このブログを通しての一切の鑑定依頼のお申し込みを、

    お受けしておりません。ご理解のほどよろしくお願いします。







    では、今日の本記事に参ります!

     ー フクシマ論 開沼 博 ー   災害の外因・内因 でした。







    去年の9月7日にいただいたコメントをご紹介します。



    日本はなぜ原子力村ができたのか、

    その選択のところから戻って反省するべきです。


    やっぱり国なのか、国が一方的に押し付けたからそうなったのか?


    仮に押し付けられて、

    そこまで東北の人たちは従順だったのかどうかは解りませんが、

    その原因を追究していって公開してほしいと思っていました。

    日本は、内輪もめを避ける傾向があります。


    でも、今回の原発の事故は

    そんなことでいい加減にできる限界を超えていますよね。


    なにか、自然が怖いということや東北の人たちに同情することだけで

    済ませていいのかどうか、いろいろな疑問がわいて来ていましたから、


    復興と言いながら、何か、

    損をする方向へ進んでいっているような気がしてならないのです。

    それがcosmosさんの言われる陰徳の消去ということなのかと

    思いますが、東北へ医療ボランティアで行って、

    これだけでいいのかなと感じました。





    そうですね。

    復興、復興と言いながら、

    情報が飛び交うのは、何百億、何兆と云う桁の違うお金の事ばかりです。


    そして、絆だ、絆だと言いながら、

    自分は、放射能の被害者にはなりたくない。

    瓦礫を受け入れて何かあったら、次は、賠償!   あはは。

    何をしても賠償、賠償してくれるのか?

    一億皆が、~~をよこせ!

    物の欲しい人ばかり、、、  


    こう云うのは、運命学ではこう言います。

    欲しい、欲しいと言うのは、力不足だと云うのです。

    だから、欲しいものが逃げて行く。 あはっ。

    冨むとは、いらないと言えども待ち伏せして集まって来る事です。

    お、恐いストーカーのようですが、

    欲しいものには、追いかけさせましょうねー。

    逃げればいいのです。もっと、追いかけて来るから、、、 あはは。





    日本中が、国の中でお金を奪い合っている構図です。

    せまい桶の中で、奪い合ったらどうなりますか?

    国力と云うパイは決まっているのですよ。


    まぁ、最後は国が責任を取ればいいのか、

    でも、それだって結局は、国のお金=国民の税金でしょう?

    我々の負担が増える事であり、年金医療福祉と同じでしょう?

    ゆくゆくは、この付けは子供や孫へ廻って行くのではないですか?


    今、2歳、3歳の子供たちが、30年後、

    自分たちと、自分の家族と、親世代の老人の面倒を見ながら、

    返していかなければならない重い借金になる訳です。

    現の目の前の被災地の方々もお気の毒ですが、

    原発ができる事に何も関わらなかった今の幼い世代が、

    ゆくゆくの廃炉の費用まで負担をするのですよ!、

    将来に、一方的に負担を背負わされる今の子供たちの方が、

    現在の誰よりも、一番、もっともっと憐れです。




    これは、国の運命も、個人の運命も同じだと云う事です。


    意識の為したものは、すべて、

    時を経て、間違いなく、咎も徳もすべて受け継がれていくもの。

    親の世代がごまかし、無意識に知らずに隠したものは、

    必ず、必ず、無くなる事なく次世代へ答案が返されて来ます。 


    此の世で、我々が為した業は、寸分たがわず無くなることはありません。




    今日の記事は、

    東京大学大学院に在籍中の社会学を専攻する開沼 博氏(27歳)が著わ

    したフクシマの検証本『「フクシマ」論 』 青土社 からです。 



    ここで、注意していただきたいのは、

    意識と云うものが、どんなに身勝手で、都合の悪いものを隠すのか、

    よく見ていただきたいのです。   ★印のところ




    この本の中身は、

    昨年1月に、彼の修士論文として提出されていたそうで、

    彼は、福島県いわき市の地元出身だからこその、

    福島を思う郷土愛、その悲しみを持って書いている。

    一か月の1/3を地元で放射能と共に生きる生活をすごし、

    だから、ここまでの事が書けるのか、と感じさせる本です。




    この本のサブタイトルの「原子力ムラはなぜ生まれたのか」

    から分かるように、

    二つの「原子力ムラ」について考察を加えた内容になっています。


    「原子力ムラ」のひとつは、

    電力業界・学者・行政・政治家・マスコミ。



    もうひとつは、原発を受け入れる事で、原発交付金や雇用、

    労働者の流入によって潤った「地元の原子力ムラ」。 

    この「地元の原子力ムラ」= 福島県双葉郡は、県内で最も貧しい地域で

    「東北のチベット」「福島のチベット」と呼ばれていた地域です。






    この二つのムラとムラの関係は、

    原発のリスクを押し付ける国 対 その抑圧に耐える地元と云う

    決まりきった構図のイメージで思い込んでしまいがちです。


    まして、関東に住み東電の電力を使って来た首都圏にとっては、

    関東の人の為の電力の犠牲になった、と言われれば、そうかと、

    何も言えなくなるのですが、、、





    開沼氏は、違うと言う。


    「 」の中は、開沼氏の文章そのままです。



    彼が、学生時代に青森県六ケ所村やフクシマや新潟で

    目のあたりにしたのは、


    「原子力関連施設のおかげで生活できるという幸福感」
    だった。


    この幸福感が、どうして形成されたのかを知る為に、

    5年間、フクシマへ通い、住民への聞き取りを重ねながら

    掘り起こしていった検証本です。






    経済成長を目指す国に連動するように、「ムラ」=福島県双葉郡では、

    出稼ぎのない豊かな暮らしの夢を原発に見出した。



    「ムラが原発を能動的に受け入れ、抱擁した。」





    そして、二つのムラが、お互いを抱擁し続ける中で、

    ムラの人間たちに、「絶対安全だという”神話”が生まれた。」



    「この”神話”の信心こそが今回の大事故の底流にある。」
    と表現します。


    ★ここですね!

    双方のムラが、都合の悪い事(=原発は危険である)と云う意識を各自の

    無意識の底へ隠し捨てたのです。

    無意識の中に隠された意識は、決して無くなりません!

    かならず、『 危険なのだと云う事を見据えなさい!』と、出して来ます。

    約30年後、原発誘致を決めた人々の子と孫の代に、

    今回の事故として出して来ました。 





    これが人の運命として、

    親の生き様の間違いを、子供が受け継ぐと云う事です。



    そして、

    今回の事故の内因として、

    経済性を優先する為に原発の危険性を見ようとしなかった住民の意識、

    そして、東電や国の安全性の意識の甘さがあります。


    事故の外因として地震と津波の想定外の大きさがあります。


    このように、

    人間の内面の内因と、宇宙における外因が合わさった時に、

    その無意識に隠された動機にふさわしい物理的現象が、

    『陽』の世界に、五感に捉えられるように起こる訳です。




    現象と云うものは、

    内因、外因のどちらか一方が欠ければ、成立しません。









    開沼氏は続けます。


    ムラは、言われるがままに原子力に乗せられた訳ではない。


    町議選や国選における推進派と反対派の対立さえ、

    「ムラの利害」という見地から見れば「郷土愛ある対立」であり、


    「反対派あっての安定した秩序」を構成したのだ。 



    なぜなら、反対派を存在させることで、

    国や電力会社に、「地元懐柔の必要性」を強く感じさせ、

    つまりはより多額のカネがムラに落ちる事になるからだ。


    具体的には、反対派のリーダーだった議員が、

    次選挙には、推進派の町長として当選するなど「転向」も当たり前。




    1957年、福島県選出の参院議員・木村守江が、

    まだ手を上げる自治体がない中で、

    「後進県からの脱出をめざして」と、いちはやく原発誘致に動き出す。

    後の県知事となり「原発知事」と呼ばれた人です。


    1962年当時、双葉町・大熊町・浪江町・富岡町などは、

    県民一人当たりの所得水準が県内最低水準にあったのが、


    70年代になると原発を誘致した双葉町・大熊町・富岡町が、

    県内最高レベルに踊り出て来る。


    90年代後半になると、最高レベルになった自治体も

    原発からの税収の低下や、

    交付金で建設したハコ物の維持費増大などで財政が苦しくなり、

    新しい原発施設の誘致や建て替えを要請する事になった。

    「ムラ」にとって、原発は、


    「一度はまると抜け出せない麻薬のようなもの」
    となって行った。





    開沼氏は、更に次のように書いている。


    「国道6号線をただひたすら北上すればよい。

    『国土の均衡ある発展』を目指した挙句に誕生した田畑と荒地に

    パチンコ屋と消費者金融のATMが並ぶ道。

    住居と子どもの養育費以外に費やしうる可処分所得をつぎ込んで

    デコレーションされた車。


    郊外巨大『駐車場』量販店と引き換えのシャッター街のなかには

    具体例をあげるのも憚られる

    あまりにどうしようもないネーミングセンスで名づけられた再開発ビル。

    その中で淡々と営まれる日常。

    例えば『ヤンキー文化』『地域○○』といった

    あらゆる中央の中央による中央のための意味づけなど空虚にひびく、

    否、ひびきすらしない圧倒的な無意味さ。


    成長を支えてきた『植民地』の風景は『善意』ある『中央』の人間にとって

    あまりにも豊穣であるはずだ」


    「福島において、3.11以降も、

    その根底にあるものは何も変わってはいない。

    私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、

    フクシマに向き合わなければならない。

    さもなくば、

    希望に近づこうとすればするほど

    希望から遠ざかっていってしまう隘路に、

    今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう」
      







    開沼氏が、現地で見たのは、


    「3.11以前の福島は思いのほか『幸福』に満ち、

    3.11以後も彼らはその日常を守ろうとしている。」 








    更に、昨年の11月25日 読売朝刊(論点)で、

    貝沼氏は、”福島県議選と原発”と題して、

    次のように書いています。



    「11月20日に行われた福島県議選挙で、現職44人の内、36人が当選。

    脱原発か否かは、住民にとって争点にはならなかったと云えるだろう。

    震災後の多大な被害の根源にある「原発」に対する反感は極めて強い。

    しかし、原発を失くすべきか否かを論じる意識に必ずしも結びつかない。


    原発立地自治体を含む双葉郡選挙区では、

    原発を推進して来た2人の現職が勝ち、

    同日行われた大熊、双葉両町議選は、東電出身の候補者が議席を確保した。



    背景には、非常事態だからこそ電力会社をはじめとする「お上」との

    パイプを維持しようとする、地元住民のリアリズムも見える。


    民主党県連の最大支持母体である連合福島は、

    選挙前に「脱原発」を掲げないとする運動方針を決めた。



    原発立地自治体の選挙で、軒並み原発推進・容認の候補が勝ったのは、

    原発を「簡単には手放さない。」姿勢が今も変わらぬことを示す。



    原発立地自治体に限らず、

    「今ある食いぶち」以外に有効な生存手段を見いだせない地方の窮状を、

    私たちは知るべきだ。


    ここで言いたいのは、そうした地方の現実の善悪ではない。

    疲弊からの出口を見いだせずにいる立地地域への無理解、配慮の不足

    が「現状維持」の構造を強化しているということだ。



    震災を経ても変わらない、

    地方と中央との関係や構造を問い直す必要がある。


    その先に日本の「明るい未来」が開けるだろう。






    そう、その通りです。

    地震も津波も、内因もない人の処に、意味もなく襲うのではない。

    天災も災害も、内因もない人の処に、驚かす為に起きるのではない。

    天から、外から、偶然にやって来るのではないのです。

    少なくとも、内因を積み上げた自分の心が呼ぶのです。



    その事が解った上で、

    もう一度、開沼氏の言葉を、フクシマの人と共に、、、



    福島において、3.11以降も、

    その根底にあるものは何も変わってはいない。

    私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、

    フクシマに向き合わなければならない。

    さもなくば、

    希望に近づこうとすればするほど

    希望から遠ざかっていってしまう隘路に、

    今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう」 







    戦後、国民の為と言いながら、

    まず国が自分の欲望を満たす為にアメリカ追従し、

    国民のまずしさを利用して有無を言わさずに来た歴史。


    そして、その国の中央に「服従」したように見せかけて、

    自らの欲望を果たす為に国の欲望を利用して来た各自治体、


    イヤシイ。 それぞれが盗賊団の一味ですか?





    まあ、

    戦後、表看板「民主主義」と云うものが、実態は何だったのか?


    あはは。 そんな事を書く余裕は、もうありませんが、


    それが、戦前や、そのもっと前の幕藩体制の政治と

    それぞれの民衆との関係はどうだったのか?

    比較をしてみたい、非常に興味があります。




    いままで、上手く行っていたのが、

    今回の地震と津波で、こうなった?  軋み出した?

    のではないだろう?



    全部、想定外の天災のせいにしてはいけません!



    国も幼稚なら、国民の私達も幼稚だったと云う事です。


    もともと、民主主義って、

    選挙民が自覚しない限り、政治体制がどう変わろうと、

    その政治から受ける恩恵や悪弊が、変わるわけないだろう?

    制度変われど、法律変われど、人はやはり、まずしさに弱い。




    貧すれば鈍する。

    それを国を挙げてやって来た、今もやっている。





    まずしさを、もっとまずしさに弱くしている。


    いそがばまわれ。

    その正体が、物質文明です。


    もろ手を挙げて、徳分を捨て、道徳を捨て、

    物で、その代わりは充当できるとやって来た功利主義です。





    まずしさには、物をあてがうのではない。

    もっと、乞食根性に貶めるだけだと云う事を忘れたのでしょうか?


    まずしさには、智恵をあてがうしかないのですよ。





    まずしき我々に、物よりも、智恵を!!!

    そう思って開沼氏のこの本を読み終えました。






    3.11以降、どう変わったのか、


    原発は安全と言いたいようですね。   あはは。

    安全と言いたい意識のかかった近代的合理主義的な

    ロジック上では、安全でしょう。


    しかし、


    そのロジックを運営するのは、だれですか?

    貧した鈍したままの原子力安全委員会、保安院の人間ですか?



    それは、それは、相変わらずですね。    あはは。

    原発は、危険極まりないわ!    ほほっ。   


    あれだけの人材と時間とデーターばかりのペーパーを積み上げて、

    それで安全が成り立つと思っているのですか?


    さすが、今回は、手がワナワナ震えているでしょうね?







    これが、物質文明の理論の究極の体現です。

    仏法でいう処の”第六欲天に住む魔王の欲望の具現化”です。



    物とは、有限の象徴ですから、無常です。

    物が常に求めるのは「得」、分配どころか、略奪です。


    収奪です。





    あなたと私を、同じ状態にしたら(出来もしないのに)

    平等に幸せになれるような政治をしようじゃないか、

    いや、しあわせだと錯覚して生きなさいという押し付け、


    これが、物に偏った近代国家の本質のメッセージです。



    まだ、近代国家が豊かなお金が回るうちはいいのでしょうが、

    そのうち、ウソは、嘘。

    嘘の平等と自由の保障を国民に与えられなくなった時、

    お金が切れた時、有無を言わさずに収奪、略奪です。


    奪い合いです。


    その証拠が、

    世界は、まさにその具現そのものの実態ではありませんか?



    この調子でやって行くと、


    常にこの近代と云う意識のみを存在とする砂上の営みの下に、

    隠されたままにある無意識が、


    どんな訂正をするように過去からのテストを返して来るのか?

    自信がない人は、恐いでしょうね―――。







    無意識が、壊そうとする意識の造作物は?


    意識の作った”意識を最上”とする意識の驕(おご)りの現象世界。

    ≪意識そのものの満足=感覚の満足≫ を最上位に置く、

    現、近代合理主義による物質文明であり、

    命よりもモノを優先し、精神と命を経済の奴隷にする仕組みの事です。


    そして、

    誰にも束縛されない自由を生まれながらに持ち、

    他のどの存在とも、平等であり、

    ある時は、神より仏の存在よりも尊く、エライと自惚れる

    人間の理性と云うものが作り上げた近代的自我です。



    これらの近代の嘘を、必ず叩きに来ますよ。

    無意識が、、、


    なぜなら、近代のこれらの大嘘がのさばっている限り、

    無意識の出番はないのです。

    無意識は、近代合理主義の意識と云う看守によって、

    牢獄へ閉じ込められて鍵を架けられています。




    なぜ、この事を、この運命学のブログで取り上げるのか? と云うと、

    この現状が、運命自体の劣化を増幅するからです。



    どうか、みなさまにおかれましては、

    自らの無意識を強めて、無意識からのレターを読み解けるように、

    日ごろから、準備をなさってくださいね。



    ちょっと今日は、むずかしかったかも?   あはは。



    次は、あれから一年 最後の記事、楽な記事になります。 あは。




    良き一週間をお過ごしくださいね。































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    あれから一年 3.  ー 男女でなぜ、放射能に対する感覚がここまで違うのか-

    Category : 運命学と科学
    福島原発ホールアウト


    福島原発のホールアウト事故





    今日の記事は、あれから一年 3. 

    ー 男女でなぜ、放射能に対する感覚がここまで違うのか- です。






    この一年間、

    放射能の影響を受けた様々なニュースを報道で見聞きしながら、

    一番興味深かったのは、この男女差でした。





    皆様は、いかがでしたか?


    放射能と云う、命の存在を脅かす負の力をもつ物質。

    この恐さに対しては、女性はダイレクトに反応しました。

    女は、感情の動物だとか、情緒的に反応するサガなんだ等、

    男性側からの言い分も分からないではありませんが、、、  ほほっ。




    それに対して、

    男性は当然ですが、現状の世の中があっての自分ですから、

    社会的な体制の枠組みの中で、放射能を捉える。

    ある意味、冷静に、大騒ぎをせずに、、、     あはは。

    仕方がない..... と受け止める態度が顕著でした。



    今後の事も、

    女性は、放射能は絶対にダメ!  脱原発!

    男性は、経済だ、電力が、と社会の枠組み優先? の思考をします。



    おそらくですが、

    日本中の家庭でこの態度の違いで、ご夫婦の言い合いが起こった!

    真剣にまじめに問題意識をもって話し合えば話し合うほど、

    夫婦喧嘩になったご家庭も多かったに違いありません。  あはっは。



    この男女の差から、今の社会の現状までを、

    東洋の陰陽学から考えてみたい。 

    今日は、そう言う記事になるはずです。


    ひょっとしたら男と女が、お互いに相手を理解し合ういい機会かも?


    あはっは。




    思想文化論の西谷修、東外大教授がおっしゃるには、

    生物は、地球上に放射性物質がほとんどなくなってから

    初めて登場するようになったのだそうです。

    太古には、あらゆる元素が地球上にあったのですが、

    ウランより重い元素は崩壊した後、つまり放射能が無くなってから、

    その結果、地球上に生物の生きる環境ができたのだそうです。 


    この地球の歴史的事実から、

    生き物が放射線を「恐れる」事には、

    計算や理屈を超えた「理」がある。と云うのが氏の指摘です。



    この太古の記憶は、人類の共通無意識の中に残っています。

     
    そして、男性よりも、女性の方がこの無意識に近い存在です。





    『陰』の存在である女性の徳性、

    放射能 = いのちを脅かす存在として捉えてしまう恐怖の直感。

    もう、計算などではない! 

    ヒステリックに!   あはは。

    いのちの殺戮に対しては、わが命を懸けてでも守り抜こうとする。

    無我夢中の力です。  母は、強しです。    ほひ。


    命を孕み生む性として、その位の強さを『天』が女に与えているのですよ。

    いい面ばかりじゃないけど、これが、母性です。



    女性は、命の底から放射能の排除を望みます。

    それは、絶対平和を望むのと根は同じです。


    母親である自分が放射能から我が子を守りたいと思う気持を

    夫である我が子の父親が、無関心や無理解な態度を示す時には、

    離婚にまでなったケースを報道でも見聞きしました。


    あ、あ――、

    女は、自分が作ったものではないからでしょうか?、

    社会の仕組み全てを否定する事だって平気です。 あっは。


    反対に、男は、自分の属する社会を維持しようと、

    その為には、放射能を含めた現体制を守ろうとするのですね。  ほっ。

    国家や法律、経済や知識を作って来たからでしょう。

    そして、国家や会社や仕事の為に命を捨てるロジックを構築します。

    これを優先させるのが、父権であり、父性社会です。


    そして、男は、自分の作り上げた虚構のロジックの為に死ぬ。

    そうせざるを得ないロジックを作り上げるのも男です。

    組織を固める為に、命を懸ける価値観を構築するのです。

    本来、我が家族の命を守る手段だったものを、

    いつのまにか目的にすり替えて? 美にまで高める?  あは。

    意識は、洗脳、倒錯がお得意なのね!   きゃー、あはっは。


    武士道などそうですね。

    本来の孔子の儒教の『義』や『忠』を肥大化させて、

    その虚のロジック構築の為に利用しました。

    意識は、なんでも利用をするのね!   あはは。





    又、男性は、現象を捉えるように意識・五感で命を捉えます。

    その体系的な成果が、多くの学問群です。


    女性も女性なら、男性も男性だわ―――その時代を振り返れば、

    男女双方とも愚か、阿呆な面を持っていますね?  あはは。





    敢えて訊きたい。どちらが正しいのか?       あは!


    『陰』が本体である以上、女性の衝動が基本にあるべきだと思います。

    が、『陽』の生産性がないと生命活動は維持できないのですよ!





    どちらが優先するべきなのか?   ほほ。




    結論から云いますと、『陰』があっての地球上のいのちです。

    『陽』だけなら、地球上の命はとっくの昔に死に絶えてますね。 あ。

    女は、地球上がもう一度荒野になっても、

    命は、また産めばいい。 

    そう思っていると思います。    あはは。

    一番嫌なのは、命が育たない汚れた地球です。

    地球を放射能で汚さないでほしい。 

    それさえなければ、、、再生は可能ですから... ほっ。




    こう云う時、西洋的には、男が正しい、いや女が正しいのよ。 ほほ。

    それに比べ、東洋の叡智が、いつもすばらしいと思うのは、


    『陰』も『陽』も、相手の存在を必要不可欠としつつ、

    それぞれどっちかが負けもせず、勝つと云う事でもなく、

    対立しながらも役割を失わずに力を発揮して中庸を探りなさい!  

    と云う処に結論がある事ですね。    ほほっ。




    『陰』が真っ(黒)な石炭の塊とすれば、

    『陽』は、それを燃やして出る炎(白)そのものです。


    『陽』の本質は、『時』と共に移ろうもの、

    いつかは消える炎、無常の存在です。 だから『偽』と云い、

    うそつきであります。   あ、 あはは。




    長期的な流れる時間軸で測れば、

    学問も政治も経済も、真っ赤なウソばかりです。  あはは。





    男は、それでも、その為に自己を賭けて生きざるを得ない。

    その為に、

    『陽』は、男性社会においては、自分を正当化する必要があって、

    その為に、どんな嘘の正義のロジックでも作る。

    その自分たちの作り上げた社会機構、法律、知識を、

    間違っていても正しいと守り抜きます。



    あぁ、我が国において、その意識の倒錯が、

    放射能を判断する際に起きませんように。。。。。


    いつのまにか、命を守る手段だったものが目的になって、

    もう、倒錯しているとしか見えないな、これって。 



    国家と国家の外交の現場は、

    その為に競争をし、闘いをし、命を殺戮する。

    ですから、他を倒す、その力を欲します。

    『陽』の力の結晶が、軍備であり、兵器なのです。

    北朝鮮やイランが核を作る事を止めないのも、そうです。





    それをすべて嘘だから悪だと消す事はできない。

    炎『陽』を消せば、石炭『陰』の存在の意義が『地』から消える。

    『天』の『智恵』を『人』が『地』上に実現できなくなる。




    何の為の炎か?   陰徳が炎の根源にならないといけないのです。

    が、現状は、『陰徳』のコントロールを失った『老陽』の暴走です。


    『陽』=意識=科学が、捉える自然は、

    自然をそのままでなく、それどころか!

    意識は、自分が意識できた所も、蔽い隠しますよ―――。

    都合の悪い所は、言わない、書かない、隠すのです―――。


    ある強調したい意識に都合がいい所だけを抽出しているのです。

    これは、今まで何度も書いてきました!


    現に、一年前からのマスコミ、政府、東電、

    三者三様に、自分の立場を嘘をついてでも守り通しています。




    最後に、


    私が、去年の5月の時点(震災から2か月後)で受け取っていた、

    メールマガジンの抜粋をお読みになってください。



    このメールマガジンは、無肥料無農薬の農産品を通販している

    ナチュラル・トラスト)から会員へ送られて来るものです。


    3月15日のホールアウト(原発の水素爆発)の後、

    トラストのメンバーが、佐藤さんと云う農家を訪れた時のレポートです。





    先日、2011年5月18日(水)福島県郡山市に行ってきました。


    東北自動車道を北へ、白河あたりで0.5マイクロシーベルト/時。

    そこを自衛隊のジープが救援という名の旗をつけ走っていました。

    自衛隊員の方は、ホロの中で、空気に触れて走っていました。


    郡山は原発から60kmの立地。

    場所によって放射線量の数値は変わっていました。

    同じ地域でも川を渡ればまったく数値が違ったり、

    浄水場の近くは汚泥に蓄積しているらしく、 2.7マイクロシーベルト/時

    と数値が高かったりと現地に入ってみて初めて解る事もあります。


    佐藤さんのご自宅の前も 2.7マイクロシーベルト/時です。

    佐藤さんのガイガーカウンターでは、

    中性子線も危険数値近く飛び交っていることを示していました。

    佐藤さんいわく、

    家にいても窓の近くは呼吸がしづらいといいます。

    その付近の路上で、小学生になるかいかないかくらいの女の子が、

    口をあけてあくびをしながら微笑んでいました。


    それでも佐藤さんは、自分自身の生活スタイルをしっかりとしていく事で、

    自分自身がどうなるのか、自然栽培や天然菌によるライフスタイル、

    人間の生命力に賭けていて、生き抜いてみたいとおっしゃっています。

    「まさに人体実験なのだと思うが、そうする覚悟だ」と、

    柔らかな笑顔を浮かべながらおっしゃっていました。


        〈 中略 〉



    関東東北の人口は2010年度国税調査によると60,805,360人です。

    全国の人口が128,056,026人なので約半分にあたります。

    放射性物質の厳密な影響を考えれば、

    この地域の人々は避難が必要だとさえいえるのかもしれません。

    事実、放射性物質は関東の茶葉からも検出されています。

    それはその地域にそれだけ放射性物質が存在している事を

    意味しています。

    しかし、関東東北の地域の人口6千万人を移住させることは不可能です。

    この地域の農家・漁師の職を絶つことも不可能です。

    なだらかに何十年も時間をかけるのなら移住もできるのかもしれません。

    しかし移住したとしても、日本においてどこでも地震がおきる可能性があ

    り、そして原発も存在しています。


    そう考えると、子供への配慮はあったとしても、

    私たちは汚れの中で、最大限自分を守りながら、

    最大限、自分自身が関わるものの汚れを取りながら、

    新たな時代のライフスタイルを築きあげ、

    次世代に渡していく責任と使命があると思えてなりません。








    いかがでしょう?

    国やマスコミが、隠していた事が書かれていますね。




    もうひとつ、、


    3月16日号の週刊朝日の

    アメリカの原子力技術者アーニー・ガンダーセン氏と、広瀬隆氏の

    対談等によると、今、一番恐ろしいのは4号機のようです。


    4号機は、

    建屋の骨組みの間から格納容器が見えるほどバラバラに壊れています。

    地震の時は、運転停止中で、

    原子炉から取り出された大量の燃料棒が核燃料プールに入っています。

    対談の中で、ガンダーセン氏は、

    「4号機の核燃料プールは、

    今も日本列島を物理的に分断するほどの力を持っています。


    地震時、

    このプールには炉心数個分もの使用済核燃料が入っていたのです。

    大気圏内で行われた過去の核実験で放出された燃料に匹敵するほどの

    放射性セシウムが眠っています。」


    「現在もなお大量の放射性物質が放出されています。

    まず、この状況をきちんと把握しなくてはいけません。」 
     

    と語っています。



    日本は、国民をしあわせにしない国になりましたね。

    近代化によって道徳や徳性を軽んじたまま、

    キリスト教的父権社会を見習って、移行完了しています。



    自国の事を、そんなに悪くは言いたくはないのですが、

    こう、言わざるを得ないですね。


    政治が、いのちを一番に考える事は難しいようです。

    現在、政治の言葉を信じる訳にはいかない。



    『陽』の意識の造形である国家や報道は、『陰』の対極を向いている。

    真実、命を守ろうなんて本質的に無理、不可能な状況になっています。

    覚悟を持って、余談を許さない状況を見守るしかありません。


    命がどうなるか? 

    福島原発の直下型の地震が来たらどうなるのか?

    関西電力大飯原発3、4号機の再稼働は、大丈夫なのか?

    なにかがあったら、

    首都圏と福島より近い関西圏と大飯原発の距離、

    琵琶湖の水は、それよりもっと近い。



    その客観的状況とそっくり同じ状況が、


    男と女の間の意識の変化に横たわり、

    社会においては、父権による母性=『陰』の排除が進み、

    自らのいのちと子供のいのちを盾にして働く女たち。

    女たちに『陰徳』を捨てさせる父権社会の欲望がある。


    その時代状況が、生み出した一つの現象が、

    今のフクシマ、なのです。




    これらが、あれから一年後の状況です。

    根底には、

    無意識を閉じ込め、徳性より金権を尊重する社会がある。



    金権に巻き込まれては、いのちの継承の負けだと云う事。

    キラキラ、メラメラは、無常だと云う事。


    東洋の叡智で見抜いて生き抜いていってくださいね。


    男性は、男らしくでいいの、だけれど、

    女性は、あくまでも女らしく、貴女が陰徳を積むかどうかが

    これが、一番重要です。

    日本の運命は、そこに掛かっていると思っています。




    はっは。


    このシリーズは、これでおしまいです。

    良き一週間を、≪ご無事に≫お過ごしになってくださいね。




























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    コメントへのお返事 24.     科学信仰というお化け / 犬の幽霊 

    Category : 運命学と科学
    涸沢カールの紅葉(涸沢槍と獅子岩)

        中央左の尖がったのが、涸沢槍、その手前の小さな三角が獅子岩、
        右手が北穂高岳の南陵あたり、真ん中低くなった処が、涸沢のコル




                (どうぞ、写真をクリックしてください!)





    やれやれ!  この景色が見たくて!    
    無理やり過密スケジュールを押して涸沢へ来たのです!
    景色はお天気次第、、、ねばってみるものです、、、
                            昨年2013. 10. 2



    前回の記事で、穂高の山容は、
    170 - 180万年前の破局噴火の時の火山灰由来の穂高安山岩と呼ばれる
    溶結凝灰岩で形成されていると書きました。


    この噴火が、どれだけ大きかったかは、
    ----- 1914年(大正3年)の桜島噴火の約350倍、
    ----- 1990年(平成2年)の雲仙普賢岳の噴火の約3000倍、



    3000倍! 


    それだけの噴火の後に、
    膨大な火山砕屑物が堆積したものが、10万年! をかけて、


    10万年!



    2000m (2km)ほど隆起して形成されたのが穂高の山塊なのです。 



    2kmも隆起 !







    2kmも隆起した膨大な火山砕屑物の堆積は、
    なんども繰り返す氷期の氷に蔽(おお)われていました。
    氷期は、4万年から10万年の周期で起こったとされていますから、
    爆発から160~150万年の間に何度も繰り返しながら、
    その隆起した山塊が、
    氷河が溶けて流れ落ちる度ごとに削り取られてできたのが、
    この尖がった穂高の雄たる姿と、その渓谷(カール)の自然美です。



    今の穂高の山の形にほぼ削り取られたのは、
    一番最近の氷期の終りの時、
    それが、今からおよそ1万2千年ほど前の事だそうです。 


    一番最近の氷期の終りというのは、
    まだ最後の氷期が来て、終ったわけではない。と云う事です。
    つまり、現在は、その繰り返しの途中であって、
    氷期と氷期の間の、より温暖な時期である「間氷期」なのだそうです。
    多くの学者がそう考えております。
    少なくとも今の「間氷期」は、これから5万年は続くだろうと、、、




    あと5万年!    





    いずれ5万年後には、再び、地球規模で、
    世界に寒冷化をもたらす新しい氷期が始まるだろうと云う事です。



    これに関して、最新の情報を、、、 
    現在の地球温暖化と云う異常気象の原因は、
    co2排出等の人間活動にあると云う説明を、我々はほぼ信じています。
    しかし、その一方で、
    この寒冷期と間氷期の繰り返しのリズムにあると説明する学者もおり、
    そのどちらが正しいのか、
    この程、オーストリアとカナダの研究チームが調査解析をし、
    この結果は、今月14日付けの米科学雑誌サイエンスに発表されます。
    それによると、
    「小氷期」と呼ばれる寒冷な気候が終わった時期である
    1851~2010年の間の氷河減少は、自然変動の方が大きく、
    co2排出等の人間活動の影響は、25%であるが、
    1991~2010年の20年間に限っての氷河減少は、
    69%がco2排出等の人間活動が原因だったと云う事が解りました。
    つまり、1991年以降に進んだ氷河減少の原因の7割は、
    co2排出等の人間活動が原因の地球温暖化によるものでした。






    2014年と云う今は、
    地球が、そう云う歴史を歩んでいる途中なのです。





    その途中に我々は何をしているのだろう?





    地球が生れたのは、
    今、分っているのは46億年以前、です。
    地球を作っている材料は、宇宙の果てから集ったものです。
    地球が46億年以上もかけて仕込んだあらゆる資源を、
    我々は、後世の自分の孫や子の事も考えずに、
    18世紀後半からの産業革命、近代化以降、
    この46億年に比べたら、まばたき位の瞬間みたいな200年間に、
    地球資源を大量消費した事になります。
      



    近代化のもたらした大量生産、大量消費、
    これは、そのまま地球の資源の大量消費だったのです。





    温暖な気候を迎えた「間氷期」の地球に合わせて、
    ありとあらゆる生物が自分の生を営もうと生れて来ている時に、
    人間だけが、もっともっと快適な生活を! 
    もっと便利に!  科学技術の進歩はすばらしい!    あっは。 
    昔の王侯貴族よりも便利な機器に囲まれた生活の中で、
    際限なく自己の欲望の満足を求めて、
    その為に多くの生物を犠牲にし、絶滅させながら平気でいる。







    もっと、厳たる自然を見習いましょう。
    自然は、チマチマと計算なんかして、自己保存などしていません。 
     見事に!  自然そのものの力を体現して、壮大で、 
                      ダイナミックなのです。     ほっ。



    ほら、人間は、どこにいるのか捜してみてくださいな~?    ほほっ。


    キャンプ場


    この裏側に、あの上高地の大正池があるのですよ。



    午後の太陽光になって遠目に見ると、緑色は後退しています。
    「涸沢が燃えている」と言い表されるほどのナナカマドの紅葉が見事です。
















    今日の記事は、
    コメントへのお返事24.   科学信仰というお化け / 犬の幽霊 








    今日のコメントは、8月8日、一番直近にいただいたコメントです。
    夏にふさわしいご質問だったので、急遽予定した記事をやめて、  ほっ。
    コメントの中でお尋ねの幽霊とお化けの記事にする事にしました。



    ちょっと、むずかしい記事が続きますが、、、
    最後に、私の<幽霊>の体験を紹介致しましょう。    ほほっ。




    ご紹介するコメントは、長~いコメントで鍵が掛かっておりました。   ほっ。
    その中の一部分です。 公開をいたします。
    ご了承くださいね!     






     (甚だ愚問でありますが) 幽霊、所謂お化けについては
    どうお受け取りになっておりますか。
    科学の時代とは言え、こればかりは科学でも手に追えない分野だと
    思います。ご高見賜りたく存じます。





    いつも熱心にブログをお読みいただきまして、
    コメントをありがとうございます。
    今回は、夏らしいご質問をありがとうございます!   ほほっ。


    せっかくのご質問なのに、
    コメント中に、気になる箇所が2つあります。
    はなはだ失礼とは思いますが、指摘をさせていただきますね。
    気を悪くなさらないようにお願いします。    ほっ。
    過去、コメント欄でのお返事で指摘をさせていただいた事と、
    今回も同じ内容なので、お分かりの事と思いますが、、、


    その時、自分は合理主義的な処があると自覚していると、
    分っているとおっしゃっていましたね!       あはは。




    ■ 一つは、 (甚だ愚問でありますが) の処です。





    これに拘ってみましょう !    ほほっ。
    お化けや幽霊について語るのを、愚問と観るのは、
    現、近代合理主義社会の観点ですね。
    やっぱり、 癖ですね!     あはは。
    これは、世間の一部 ( 学問的思考 ) の人の価値観です。
    言い換えれば、近代合理主義の思考を身に付けてしまった人、
    方便としてわきまえていればいいものを、
    どう間違ったか、
    真面目な性格が、方便を本質として身に付けてしまったかな?
    大抵の人は、合理主義と云っても、曖昧のまま、
    お化けでも幽霊でも、おそらく愚問とは言わず、
    伝統的な受け容れ方でその存在を気味が悪いと思っているはずです。 


    私も、おそらくこの曖昧な方に入ります。         あはは。
    この曖昧のまま、と云うのが実は知恵なのですね。
    人間らしいとも言えると思います。
    人間自体が複雑怪奇です!?     ほほっ。
    人間の方が、恐いかも知れませんね!    あは。
    幽霊やお化けは、それを拡大したようなもの、
    単純に割り切るにはモッタイナイものなのでしょう。    
    余りにも近代知性で物事を割り切らない方がよろしいかと?   ほほっ。
    現実は、合理的に割り切るにはあまりにも複雑すぎます。


    コメントをお送り下さった方のように、  
    ここまで教育を受けますとこうなるのですよ、、、       ほっ。
    安岡記念館の方が、
    大学で学問をすると東洋学的な智恵が分らなくなるようです。
    とおっしゃっていました。  
    なんだか、隣の部屋へ通じる戸かな?
    と思って開ければ、そこは狭い押入れだった!   あはは。
    みたいなものですね。
    直ぐに壁があってどこへも行けない行き止まり。
    奥行きの無い『陰』を排除した思考の癖に染まってしまうのですね。
    隣の部屋と云うのが、絶対真理の世界と云う事なのでしょう。
    つまり、学問は無意識の世界を捨てていると云う比喩でございます。
    学者、評論家、知性を仕事にしている人の病気ですね!  あは。
    まだ、社会人ではなかったですね?
    一日も、早く! 曖昧な社会の濁流の中へ飛び込んで、
    近代知性の垢をこすって落とされた方がいいでしょう。  あはは。


     
    合理主義的な思考を客観視する視点(東洋智)をお持ち下さるように!
    それを、願っております。
    よろしくお願いします。



    確認しておきます。
    このブログにおいては、何事も愚問だなんてございませんよ。    
    ここが、このブログの肝心な点なのです。
    運命学とは、夫婦ゲンカから、家系の相談、結婚、離婚まで、
    何からなにまで扱っております。  ほっ。
    まして、
    幽霊とお化けは、無意識界を指し示すもの、死の世界を象徴するものです。
    非常に重要な、サイン、象徴でございます。
    東洋において、無意識界は非常に重要です。
    これは、お分かりですね?



    なぜなら、死は一大事、
    生れたからには次に来るのは死ですから、
    死は、未来です。
    自分の未来を、愚問であるとは?    これいかに?    あはは。
    間違いないのは、我々は将来、死にます。      
    生れる訳ではないのですから、、、
    死の準備をするのが、生きると云う事らしい?        あはは。
    近代合理主義の社会は、死を無視をして、
    訳のわからないまま、生の賛美ばかりをしています。
    生は賛美すべきもので、死は愚問だなんて?
    この近代合理主義の煙幕に騙されては、ダメです。




    愚問と云う言葉は、使用方法がむずかしいですね。
    何事も、自分の狭い了見で括らないように!
    特に、本で読んだ知識だけで仕上げてはダメです。
    仕上げは、社会の中の荒波を浴びて検証してください。
    まだ、全貌が分らない事はおごそかに、謙虚に扱いましょう。
    見えない無意識界や死を、分ったように言うのは軽率です。
    幽霊やお化けも、そうです。
    長く受け継がれて来た言葉は、力がありますね。
    それは、無意識界への、その糸口、参入への入り口だったから
    消えずに保たれて来たのだと思います。






    では、 まず、お尋ねの<お化け>から始めましょう。
    <お化け>もいろいろありますが、、
    ■ 今の地球上を被っている最大のお化けは、科学信仰ではないか
    と思っています。




    そうです!
    幽霊やお化けを胡散臭い非科学的だ、と言い、
    これらを語る事を愚問だと云うのが、科学信仰そのものですね。
    ひょっとして、科学を信心していますか?      ほっ。 





    <お化け>や<幽霊>と云うのは、
    今の合理主義の思想では、意識が分らないので排除をした世界です。
    それは、お分かりになりますね?


    例えれば、子供に質問をされた親が、それに答えられないから、
    --- そんな事どうでもいいんだよ。考える必要はないよ ---
    そう、いって誤魔化しているようなものです。       ほほっ。
    意識の無能を隠す為に、意識が広げた煙幕なのです。


    特に西欧においては、
    神を無視して人間の意識を神殿に祀り上げた訳ですから、
    いまさら、意識が分らないとは言えない。
    分らないと言わずに、無いと言う。
    学問的には、意識で解る世界だけが存在するのです。
    意識には掴めない幽霊やお化け、は存在しない。
    それが、意識のロジックなのです。
    かえって西欧の大学の方が、
    キリスト教理の神学研究や神秘主義の伝統がありますから、
    学問として認められているようですよ。


    学問的には、意識で解る世界だけが存在すると云うのは、
    一つのロジックで、虚構であると思います。
    実際の世界とは違います。
    神の桎梏を逃れる為に近代合理主義が決めた
    仮の取決めの約束の下にある方便です。
    ある意味、
    東洋的な無意識を目指す観点から観ますと、
    学問とは『偽性』の上に成り立っている虚構と言えるでしょう。
    つまり、学問、科学の真実とは、『時』に淘汰される情報でしかないのです。
    これは、後から、エピソードとして2つ紹介をします。
    だから、常に動いている物、
    新たにリニューアルされる必要があります。


    こういう事を、はっきりという私のブログの中ですから、   あっはは。
    絵空事の虚構の価値観に囚われる必要は全くありません。


    無意識界の事を尋ねる事は、決して愚問ではないのです。
    よろしいでしょうか?



    ■ もう一ヶ所、あります!      あはは。
    なにやら申し上げるのが気がひけますが、
    たぶんご自分でも気が付かれていないのでしょうね? 




    次の処です。


    こればかりは科学でも手に追えない分野だと、、、


    ああ、ここも合理主義的認識の匂いが、臭(くさ)いですね~!
    プンプン致します!          あはは。
    この言い方も、近代合理主義的な立ち位置から出ていますね。


    これを、そのまま解釈いたしますと、
    こればかりを除けば、科学は何でも大丈夫!
    幽霊とお化けを除けば、さすがの科学では、何でも大丈夫なのだけれど、
    と云う様なニュアンスになってしまいます。   あは。
      いかがでしょうか?


    お尋ね致します。
    科学は、お化けと幽霊以外の分野は、全て分っているのでしょうか?  


     あはは。





    結論から、申し上げますと、
    幽霊とお化けどころか、
    科学にとって手に追えない分野は、この世に山積みですわ。 ほほっ。
    ただ、この自覚がないのは、
    意識と云うのは、一つの事しか意識できない。    あはは。
    意識にとって一つの事が分った瞬間、
    意識の中では、他の分らない事が消えてしまうのですね。   ほほっ。


    何故かというと、
    意識は、五感と云うルーペの丸の中だけを認識する訳ですから、
    ルーペの枠から外れたものは見えない。
    又、違うものを二重に三重にだぶらせて意識、認識が不可能なのです。
    そうでしょう?
    ただし、音楽を聞きながら、食事をするとか、
    一方を意識せずに流して置くような事はできます。
    ~ながら、ですね。
    同時に、2つ以上の事を集中する事は不可能でしょう。
    集中して本当に美味しいと思った瞬間は、音楽は消えているはずです。
    いわゆる、うわの空状態です。    ほほっ。
    だから、意識にはうっかりと、失敗が付きまとう訳です。  あはは。
    御菓子を食べながら、これは甘いなあ~と味わうと同時に、
    感動をして涙を流すとか、
    と、同時に腹を立てて怒鳴りつづけるとか、 無理なのです。
    感動する時には、喜びだけが溢れ、哀しみで一杯になるのです。
    意識の器を満たすものは、常に一つなのです。



    一つを選ぶと云う事は、他を捨てると云う事です。
    いわゆる、漏れが出て来ると云う事です。
    意識は常に、漏れを作りながら先鋭化します。
    これによって、培われるのが専門性です。
    それと、専門以外はほとんど知らないと云うバカが、  ああっは。
    専門バカのできあがりですね。スポーツ馬鹿、理系バカ、などなど、、、ほっ。



    これなどは、
    『陽』の特徴である、分ける、分化、消滅そのものですね。



    これと同時に、
    科学の意識のルーペでは、物質しか見えないのです。
    また、科学は、見る事ができる「物」しか相手にしません。
    意識の欠点は、見えない物は見えないと言えばいいのですが、 
    見えないものは無い。 と取りあえずしてしまい、
    実験証明が出来ていない物は、あるとは言わない。
    STAP細胞でも、この事が問題になりました。
    これは、繰り返し書いてきた近代合理主義の欠点です。
    今、量子物理学等、そうは云っていられないようになって来ていますが、
    まだまだ、この壁は乗り越えらえないでしょう。
    それ故に、
    科学は物の世界の追及になってしまいます。
    そこから生み出すものは、物ばかり!    ほほっ。
    科学が進めば進むほど、物質文明が進んでいきます。
    石油からプラスティック! ゴミだらけです。    ほっ。


    科学は、人間を、心がない物体として扱いますね。
    つまり、近代合理主義下では、人間は物扱いです。
    いわゆる計測できる物として合理の対象となります。


    いわゆる、二元論における物質の相手側である精神、心ですが、
    心に関しては、科学が幾ら進んでも分らないままです。
    科学者ほど、人間の気持ちが分るのでしょうか?     
    これは、まったく逆の傾向があるような気がしますが、、、 あは。



    合理主義下では、
    意識が、合理で掴む事ができない物は胡散臭いものとして、
    科学的ではないと云う処理をされるわけです。


    科学的存在物 ----- こう云う言い方があるのかどうか、
    幽霊やお化けは科学的存在物にはなれない訳ですね。


    科学的存在物になれないからといって、
    お化けや幽霊の全存在を信じる事を愚かであるとか、全否定する事は、
    普通の人間には少なからぬ抵抗があるのではないでしょうか、、、



    流れのついでに申し上げますと、
    科学は、見えない物を切って捨てて物の合理に徹していますから、
    それで正常な人間にフラストレーションがない訳がないのです。
    現に、見えない世界を想像したり、憧れる能力が、
    人間には具わっているのですから、、、
    そうなれば、
    科学の説明だけで満足しない想像力の豊かな
    人間の意識のキャパが向かったのが、
    この科学で切って捨てられた見えない世界です。


    見えない世界を、この人間の意識で確認しようとしたのが、
    スプリチュアルの世界です。
    西洋二元論の physical (肉体な、物質的に) に対応する語、
    spiritual (精神上の、精神的な )と云う形容詞が使われていますね。


    意識に見えない世界を、
    意識が見える諸現象を通して、
    意識の言葉で、見えない世界の事を説明するものです。



    この   部分が、東洋的なものとは違います。
    意識では無意識界を捉えられません。
    ですから、スピリチュアルは、
    意識で捉えた現象を説明をすると云う処までで終ります。
    そこが、限界なのですね。

    それ自体は、意識のキャパで為したものですから、『陽』の産物です。
    どうりで! 
    合理主義の言葉で説明した処で矛盾はありませんね。      






    まとめます。
    ・ 科学が、想像、推測でしか掴めない見えない世界を切って捨て、
    合理に徹した世界は、物の世界です。
    大きく言いますと宇宙、小さく言いますと、分子レベルの物の世界です。
    そう云った物の世界に偏った世界観の科学には、
    この宇宙、この世界を正しく掴むと云う事は、ドダイ無理なのです! 


    ・ 科学が捨てた部分を二元論内で、埋めようとしているのが
    スピリチュアルの必然性であり、役割なのでしょう。
    なぜなら、双方とも意識の範疇のものだからです。 


     いかがでしょうか?   ほほっ。


    このように、
    科学で分らない事は、膨大にありますね。
    このように科学を俯瞰できる観点は、東洋的観点です。
    どうか、科学に毒されない為にも、
    東洋的叡智を身に付けられる事をおすすめしますわ。


    繰り返しましょう。
    意識界を俯瞰できる観点は、無意識界を包摂する東洋だけです。
    科学は意識のルーペ、あるいは額縁と云ってもいいもので、
    囲われた内側だけを対象にしています。
    原則、それは、「物」だけです。
    見える物、触れる物、聞こえる物、、、、


    意識にとって無意識界の事は、分らないから、
    科学的には存在しないと決めた訳です。
    これは、一つの理(ことわり)ですね。
    これも、東洋的な観点からの視方です。

    科学信仰とは、
    この一つの理の中へ全てが網羅されていると信じる事です。


    以前に書いたと思いますが、
    無意識界を東京ドームの空間に例えますと、
    そこに浮かぶ空中のチリ、ホコリ一つ分が意識のテリトリ、
    つまり、意識の額縁の中になります。


    おぉ!  、なんと微小な空間だろうか!       
    狭すぎて閉所恐怖症になりそうですわ。      あはは。




    意識の情報の出入り口は五感です。 





    意識の欠点は、五感を通して入って来る環境に振り回される事です。
    科学は、その意識の額縁で囲った部分を合理にする道具です。
    科学は、額縁の中から合理だけを拾います。
    科学は、額縁の中から感情や憶測、想像等を切り捨てます。
    科学は、意識が五感で掴める「物」だけを対象にします。
    つまり、
    科学が知っているのは、額縁の中の、しかも合理にした「物」だけです。
    ゆえに、科学は、額縁から漏れた世界は分りません。




    科学から漏れた世界とは、無意識界だけでなく、
    『陽』の現象界の現象であっても、五感、意識が、見落とした「物」も含み、
    意識しない物は見落としますから、それらも含みます。     ほほっ。
    先ほどのスピリチュアルな世界も含みます。






    それだけの膨大な世界を漏らしているのが、科学の世界です。




    故に、
    科学は、この宇宙のすべてを見ている、解っている訳ではありませんのよ。
    到底、幽霊やお化けと云う目で見えない世界の事には手が出ない。
    他にも、もろもろ科学が手を出さないものは膨大にありますわ。 ほっ。



    幽霊やお化けどころか、
    その奥、無意識界の真理には、触る事もできませんし、
    生死、生まれる前の死、これからの死、まったく手が出ないのです。



    科学と云うものは、道具でしかありません。
    一つの鋭利な刃物、
    それが人類に役立つかどうか、今の処分かりません。
    便利だと思った科学の進歩も、地球の犠牲の上に立っている、、、
    それを考えると、 まっさか!
    まるで、神の如く捧げ持つ必要はないのですよ。       ほほっ。
    まして、我々の生きる背骨脊髄に、
    科学的合理主義を取り込むなんぞ、おかしいのです。
    どうか、お気を付けあそばせ!        ほほっ。




    しかし、科学信仰は、我々の中で根強いですね。


    一般的な常識になってしまった科学的知識を、何の吟味もせずに
    我々は、受け入れてしまっています。
    科学的な知識だから、間違いない、、、と、  ほほっ。
    しかし、正直に言いますと、
    めんどうくさいからいい加減に受け入れているのですよね。  あはは。
    本当に正しいかどうかさえ分からないまま、、、
    でも、その思い込みを放置したままにしていますと、
    いかに我々は、真っ赤なウソの脆弱な土台の上に立つ事になるのか、
    思い知らされた非常に面白いエピソードを、
    2題、ご紹介しましょう。
       


    高校の生物を思いだしてください。    あはは。
    今日は、記事があっちこっちに飛んで、しかもムズカシイわね。
    申しわけありません!





    『種の起源』で、有名なダーウィンの進化論です。
    簡単に云いますと、自然淘汰説。 適者生存説と謂われるものです。
    我々が、人間として進化をして来た、その方法は、
    ある種個体の突然変異から始まって、
    それが、生存する為に他より優位性を持っていれば競争に勝ち残り、
    その生存競争に敗れたものは、死滅するというのです。
    これが、ダーウィニズムの本質です。


    我々は、そう習い、覚えて来ました。
    しかし、、、です。
    科学とは、それを証明する物が無ければいけないのです。
    事件の犯人探しと同じで、物的証拠がなければそれは認められないのです。
    でも、
    ダーウィンの自然淘汰説、適者生存説を証明する化石等の証拠物は、
    何もないのだそうです。。。発見されていない現状です。
    それでも、我々は、教科書でそう教えられ、
    ダーウィンの進化論を正しいと信じていますよね。
    これが、現代科学の怪なのです。


    実際は、イギリスの経済学者のマルサスが、
    著書『人口論』で述べた人間社会の現象を、
    ダーウィンが生物社会に援用して取り入れただけとか、
    それにしたって、我々にそれは、間違いだったと云う訂正はされていません。



    それと、もうひとつ、
    すべての道はローマに通ずると云うローマ帝国ではないですが、
    これも西欧らしい!
    全ての学問や哲学は西洋を中心に発達をしていると、   あはは。
    ヒトがサルから進化をしたと云う進化論については、
    神がアダムとイヴを作ったと云うキリスト教義に、
    そぐわないからと科学者からも批判が出ていたそうです。   あはは。
    又、人間の起源は欧州にこそあるはずだと、     あはは。
    当時の欧州の専門家の間では、そう考えるのが定説で、
    *化石の証拠も丁度あった為に、
    現生人類の祖先がアフリカ人だったと発見をしたレイモン・ダートの論文は
    学会の学者連中から非難轟々が出て、
    ダートは、それから30年間、化石人類学会から追放をされます。
    しかし、その30年後、例の*化石の証拠は偽造だった事が分り、
    ダートの名誉は回復します。
    が、その30年間、科学の説明を信じて
    世界中の人々は、
    人類の起源は、ヨーロッパだと思って来たのでした。。 。  あはは。





    これらのエピソードから分る事は、
    科学と云うものは、人間臭いと云う事です。
    決して、高邁な真理や、普遍性を持ったものとは思えない。
    ああ、ただ、そう云う方向性へ憧れてはいるのでしょうね。   あはは。
    意識の願望です。
    神になれない、意識の俗物っぽい本質ですね。   あはは。



    現在でも、真偽半々のそう云う定説に、どれだけ我々が囚われているか、
    恐ろしい気が致します。
    いつも
    意識『陽』は、その本質は『偽性』と何度も申し上げて来ました。
    科学とて、本質は同様です。
    これは、科学者の人間性を言っているのではありません。
    いかに真摯に、物事の真理へ観察と計量と検証によって向かおうとする
    科学的態度があったにせよです。
    人間の意識を通して為す物である限り、『偽性』を免れないという事です。



    意識の特徴を吟味して、掛からなければいけませんね。
    意識は自分が、する事、した事を、良く正しいとしか言いません。
    その原理は、『陽』・意識界は、競争、闘争が本質だからです。
    意識は勝ちたいのです!
    勝つと云う事は本質ではありませんから、現象に過ぎません。
    その現象に、正義を求めるのも、可笑しなものですが、
    常に意識は、正義になりたがり、勝ちたいのですよ!  あはは。
    ここが、権力と結びつく要因だと思います。


    そもそも、意識の云う正義とは?
    『陰』を無視した『陽』・現象界においては、
    絶対性を排除したのですから、絶対の正はありません。
    絶対性を排除した近代合理主義社会に置いては、
    正しい事とは上位の意識が決めます。
    上位の意識とは権力者、あらゆる意味での権力保持者です。
    民主主義では、多数の者が正と思えば、それが正なのです。
    政治なら、多数派を占めた党派が、決めたものが正です。
    つまり、それは、意識の競争において、最上位に位した意識の都合です。   
    それが、その時の正らしきロジックになるのですね。   あはっ。
    お分かりになりますね?


    それは、言い換えれば、
    より上位の意識が、下部の意識を騙すのです。
    この『陽』の本質を、噛みしめておく事は一番大事な事です。  ほほっ。



    つまり、この危険性に科学の成果は晒されています。



    つまり、科学は時の権力者に逆らう事はできないのです。
    ここも、科学が持つ中立性というよりか、
    中に具わった『偽性』と言えるでしょうね。


    合理主義を振りかざす上位の意識が、
    自分の威信を守る為に、
    -------- それが続くと喜ぶ人や、得になる人がいるからですが、
    意識が打ち捨てた物や、(無意識界など意識にとって面倒なもの)
    合理や科学で解明ができない物に、
    貼るのが、うさんくさい、愚問、と云うレッテルなのです。



    これは、一つの社会通念の圧力の一つですね。
    いろいろな社会通念の圧力の中から、
    それが、なにを守って、そうさせているのか?
    よく考えてみる事ですね。
    見抜く目を持たなければいけません。
    繰り返しますが、
    そうしなければ、あなたの知性は俗っぽいままで終わります。
    レッテルをレッテルと見抜く鋭い目を持つ事です。


    科学信仰のお化けの匂いの元を退治なさってくださいね!  


    もしか、あなたが東洋に魅かれるのであるならば、
    科学信仰の匂いのする意識の額縁から飛び出て、
    この広大無辺な東洋の空間に躍り出る事です。
    そうすれば、科学のなんとちっぽけな事、
    意識の世界だけで自己満足をしている人間の愚かさに
    気が付かれる事でしょう。
    まず、東洋の大前提を咀嚼してください。
    そうしなければ、あなたは自分で作った迷路に入り込みますよ。
    それは、合理主義的解釈の疑似東洋の迷路です。
    お気を付けあそばせ!






    ◇ さあ、次は、ご質問の幽霊についてです。


    これらは、あれこれ言葉で説明するよりも、
    私の体験を紹介します。
    と云うのは、中に書いてありますが、
    幽霊と云うのは、誰もが見る、遇う事はないようです。   ほほっ。
    私がそうだから、あなたも、だれでもと云う訳にはいかないようです。
    それで、これから書きます体験から、
    どうか、ご察しいただければと思います。     ほほっ。


    少し長くなりますが、なるべく克明に書きます。
    我慢をしてお読みになってください。






    たしか、私が小学校2、3年生の夏休みでした。
    もう、はるか昔、   ほほっ。
    幽霊やお化けに、何の先入観も知識も無かった頃の体験です。
    それ故、母と私が忘れもせず正確に覚えている事なのです。


    夏の夜の8時、就寝の直前の事です。
    私は、母親が敷いてくれた布団の上に横たわり、
    母親は、当時は蚊帳を使っておりましたので、
    布団の上に広げた蚊帳を吊るために
    部屋の4隅に蚊帳の金具を掛けたりしていました。
    蚊帳が、私のまわりに丁度吊るされて、部屋の電灯が消されて、
    母親が、おやすみ!と言って部屋を出て行こうとした時です。


    枕に頭をおいた私の視線のむこう、
    薄暗い前方、ちょうど足元の蚊帳の上のあたり、白いものが見えました。
    それが、何であるのか考える暇も無く、
    ( じ~っと見て、なんだろう? と思案する間もなく )
    母親が耳にしたのは、私が、
    「シロ! シロよ! シロがいる!」 と云う声だったそうで、
    ( シロは、真っ白なメス犬の名前です。 )
    それは私が実際に、思わず口にした言葉でした。
    母親は、驚いて蚊帳の裾をめくり中に入って来て、
    「どこに? シロはいるの?」 とたずねます。
    私は、薄暗い前方の蚊帳の上に見えるボーっと白い影から目を離さずに、
    腕を上げて、「そこ、そこに、シロよ!」と指さしながら、
    母親が繰り返し幾度も、何も見えない。としか言わないので、
    母親に分ってもらいたくて強情に叫んでいたようなのです。


    A.しかし、その時の私の意識はおもしろい事に、しっかりとしていて、
    母親に「シロが!」と言いながら、
    どこかで、どうしてあの白い影がシロなんだろう?って  ほほっ。
    いぶかしげに思っていたのですよ。   あはは。



    B.そして、ある一方では、あれはシロ! と確信しているのです。
    それはどうしてかと云いますと、今考えると不思議なのですが、
    どうしてシロと思ったのか?
    思ったのではないのですね!
    思わせられたと云う方がその状況に合っていますね。
    何に思わせられたのか? と云う事ですが、
    その白いものを見た瞬間の電撃のような阿吽の呼吸が、
    私にシロと言わせた! 言ってしまった感じがしますね。
    強いて言えば、その白いものから来る優しい波長、
    おとなしそうな、悲しそうな柔らかい白いものの存在が、
    私が、実際のシロと云う犬に抱いていた感触を思い起こさせて
    目で見る姿を越えて、結び付いたとしか言いようがありませんね。
    それで、シロと云う名前を呼んでしまったとしか思えないのですね。
    私は、目が釘付けになってボーっと白く見える影に囚われていた
    と云った方がいいでしょうか、



    シロが見える!と言う私を信用しようとしても、母親にすれば、
    私の指さす方を、いくら確認しても見えない訳ですから、
    おまけに、私が指さしていたのは蚊帳の上方です。
    そんな処に、犬が虫のように止まっていられるはずもなく、 あは!
    妙な事をいうなぁ、と思ったと言っていましたね。
    私の記憶では、
    私のその言動に、母が動揺をしているようすだったのを憶えています。
    そのうち、私の目の前から、その白いものは消えて行きました。
    私が静かになったのに気が付いた母親は、最後に、
    私に、とどめを指すように、こう言って部屋を出て行きました。
    「シロは病気なんだから、ここには来れないのよ。」
    私は、ボーッとした白い影の後を見つめて黙っていました。


    それはそうです!
    シロは近所の小谷さんという家の犬で、数日前に散歩の時に、
    野良犬に腹部を噛まれて大ケガをして大変な事になっていたのです。
    それで、小谷さんの家族と、
    我が家の家族が心配をしていた状態だったのです。
    本当にみんなで心配をしていました。
    前日、シロのお見舞いに母親と小谷さんの家へ行った時には、
    横になって寝たシロの腹部の傷から膿と血が出ていました。
    これじゃ、もう治らないかも知れないね。
    今のように、獣医院が町にあるわけではなく、
    小谷さんが諦めたように言った言葉が心に刺さったまま、
    母親と一緒に自宅へ帰って来たのでした。
    シロが来たと大騒ぎをした夜は、その翌日の夜ですから、
    とても歩ける状態ではないし、しかも夜来る訳がない。
    母は、そう判断をしたそうです。
    しかも母には、目の前にシロが見えなかったのです。
    その現象が、見える人と見えない人がいると云う事です。
    母親にすれば、オカシイのは私です。
    何を勘違いしてオカシな子だ位に思って、戸を閉めて、
    母親が部屋を出て行った、次の瞬間です!


    玄関をドンドン! 人が叩いています。
    そのまま、母親が出て行って、話す声が聞こえてきました。
    シロの飼い主の小谷さんのおばさんが、ハアハア息を切らして、
    「今、シロが、死んだよ。それで、、、」 と、
    玄関で話しているのが聞こえます。
    その時の母が返した言葉が、、、
    「あっ! そうなの!
    やっぱり、 今、(私の名前)が、シロが来ているって言ってね。
    蚊帳の処に見えるって、どうしてもシロが、来ているって言ってたのよ。
    きっと、シロが自分が死んだのを(私の名前)に知らせに来てくれたんだね!」


    その時の私には、この言葉の内容すべては、理解できるはずもなく、
    ただ、自分の中で驚愕! したのは、
    シロの姿が見えないとあれほど言っていた母親が、
    この中では、スーッとシロが来たんだと認めた事でした!
    いったい、これはどう云う事なんだ?
    見える世界と、見えない世界が、同時にあると云う事実、
    見えないと言いながら存在するものが、あるんだと云う不思議さ、
    人は、見えなくても納得する事ができると云う母親の言動、
    なにもかもが不思議なものとして、深く心に刻み付けてしまったのですね。



    犬のシロが、自分が死んだって私に知らせに来たんだ、、、って、
    そんな証拠、どこにあるの?
    母は、シロは来ていないって言ってたじゃない、、、 
    どうして? 
    えっ! ひょっとすると私だけが見た、、、白いものが?
    シロだと思ったけど、本当にシロだったのかなあ、、、?
    その程度の理解ですね。        あはは。


    しかし、その白い残像をきっちりと思い出せば、
    間違いなくやさしい悲しそうなシロの感触が湧きあがって来るのです。
    あれが、幽霊? おそろしい幽霊なの?     あはっは。
    とても、そう云う風には思えなかったのですよ。
    でも、よくよく考えると、
    少し胸がドキドキ鳴るような、
    命が死んだら知らせに来るのか? -----
    命とは、死後も続いているものなのか? -----
    母の云うように、あれは本当にシロだったのか? -----
    これらは、何度も何度も、くりかえした問いでしたね。


    この事については、興味本位に、誰にも話す事はありませんでした。
    それほど重大な事に受け止めていたのです。
    母にも秘密にして言わなかった事がありました。     あはは。
    ボーッと白い影には、頭と思われる最上部に、
    白い三角の形が付いていたのですね!
    その当時は、その三角の意味は分らなかったのです。    ほほっ。
    その白いものが、何なのか?
    その残影とこの疑問をず~っと抱きながら、
    あれって、幽霊じゃないのかも知れないとか、
    シロが来たのだとすると、三角の白いものを何故付けていたの?
    とか、いろいろ疑って、、、        ああっは。
    何も見えなかったと言う母親には、言っても仕方がない。
    、、、、と自然と忘れていったのですね。


    小谷さんの家と我が家の親密関係は、
    我が家の敷地を養鶏場を営む小谷さんの家へお貸ししていたのです。
    シロと我が家の関係は、我が家にはシロの子供がおりました。
    そう云う濃厚な関係が小谷家と我が家にはあって、
    小谷さんは、毎日、養鶏場に来るたびに、
    我が家が貰ったシロの産んだ子犬を見に来る。
    そして、養鶏場で産みたての卵を我が家へ置いていってくれる。
    我が家も、飼い犬の母親であるシロを心配したり、お見舞いに行ったり、
    夜でもシロが死んだと走って知らせに来ると云うのが、
    自然な心の発露としてできるお付き合いがあったのです。
    小谷さんの家から我が家までは、走って5分もかからない位でした。
    ちょうど私が、シロが見えると母に言っていた時から、
    小谷さんが知らせに来た間が、5,6分位のものでした。


    これは、シロが自分の死を知らせに来ると云う事が本当にある事なのか、
    後から随分考えて時間的には納得しました。   ほほっ。


    それが、その後、
    新たな驚きと共に、この経験を深く真剣に考えてみようと思ったのは、
    次の事に出逢ってからです。
    数年が経って、私が中学生の頃、
    子供ながら身近なお葬式に参列を致しました。
    棺桶の中の故人とお別れをするのは、生れて初めてでした。
    その時に、本当に驚いたのは、
    棺桶の中の死出の支度をされた死者の頭の三角の布です!
    もう、静かにお別れをしている人の列の中で、
    あっ! と声をあげそうになる位、おどろいた!
    あの時、夜に見たボーッと白いものが頭に付けていた三角は、これだった!?
    ----------  これで、やっとすべてが腑に落ちたのです。
    やはり、あの夜の母の言葉の通りなのかも知れないと思いました。
    自分の死を知らせに来た犬のシロの幽霊は、
    たしかに頭に、人間と同じ三角の白い形を付けていましたから!   
    そう、解った時には、もう、笑いたくなりましたよ。    あはは。  
    死んだ犬の幽霊までが、三角の布を付けているなんて、  
    あれは、立派な幽霊だったのです。
    犬のくせに、なんと云う正式な幽霊になって!     あはは。



    それで、自分が体験をした一部始終と、
    あの夜の母親の言葉が、すべて納得できた訳です。
    調べてみると、
    額につける三角は、紙冠、宝冠、カミエボシ、マンジヌノ等と云うらしく、
    その由来は、冠の一種、死者の顔をおおう「顔かくし」の変形とも。
    白は清純無垢を意味し、
    死者の魂の浄化や死のケガレを払うとか、
    白装束の「白」には葬式だけではなく、花嫁の白無垢のように、
    「新たな再生」という意味が含まれているのです。
    これは、私独自の考えですが、
    三角と云う形は、ピラミッドの三角と同じですね。
    あるパワーを秘めた形、形と云うのは、重要です。
    また、3と云う数字、天人地の三才の3と同じです。
    数字も大事です。


    ・ 犬の幽霊が人間と同じ三角の死者のしるしを付けていた。
    これは、自分の中で未だに大きなどよめきが起こる程、感心しています。
    命の生死の次元では、人も犬も同じなのだと云う事です。


    ・ まさか! 小谷のおばさんが、死後、直ぐに、三角の布を
    死んだシロに付けてやったとは思えません!     ほほっ。
    でも、私の処へ来た時には、ちゃんと付けていたわ。     あはは。
    実際に死者の頭に飾らなくても、幽霊に付いていたと云う事は、
    あの世で身に付けたのですね。     あはは。
    これはもう、腰が引けてしまう位、恐ろしい、不思議な事なのです。


    ・ 誰にでも見える事ではないようです。       
    母親には見えなかったけれど、私には見えました。


    ・ シロと直ぐに分った!
    死者とのコミュニケーションは、意識で考えると云うようなものではなく、
    姿形と云う目で見える意識を越えた処の伝達方法なのです。
    よ~く考えると、不思議な気持に襲われますね。
    時間と物理的な物がないのですね。
    阿吽で伝わるようです。


    A.の部分は、意識・私の実際の目が捉えた幽霊の感想なのです。
    あれは、犬に見えないけど、、、って冷静に観察していたのですね。
    ここが、単なる幻想とは違うと思っています。
    後から頭に残った残影を思い出して、いろいろ考えてみたら、   
    どう考えても、犬と思うしっぽがあるわけでもなく、
    メス犬とも女の人とも見えないボーッとした白い影でした。
    全体は小さいのですが、白い胸像のような、
    下の方は切れてしまって見えなかったのです。
    たしかに足は無かった!       あはは。
    頭である最上部が尖がっている?  あの三角は?
    何なのだろう? とずっと疑問でした。
    それが、どうしてシロって分ったのだろう、、、って
    私自身に対する疑問でした。


    B.の部分は、A.の意識の認識とは別に、
    私の無意識へ伝わって、その伝わったものが、
    犬のシロの無意識と結びついて了解した事なのですね。
    見た目には違うのだけれども、シロだと確信させるものだったのです。 


    このAとBの論争が、ずっと私の胸の中でありました。
    それを明解に決着させられたのは、大人になってから、
    東洋学から入った無意識界の世界の存在です。 
     

     



    幽霊の体験は、以上のようなものです。    ほほっ。




    これ以来、幽霊は身近になって、Well come! ですね。     ほほっ。
    いつでも、だれでも出ていらっしゃい! みたいになっております。    
    大人になってからの体験もありますが、
    幼い私が、既成概念を持たずに出会った初めての幽霊と云う意味で、
    今、思い出しても、やっぱりシロは来ていたんだ。
    それなら、もっとやさしく名前を呼んでやれば良かった、、、
    幽霊とはいえ、恐ろしさよりもいとおしさが込み上げて来ます。



    感動の新鮮さと、シロと云う犬の幽霊のやさしさが、秀逸なので、
    今回、ご紹介をいたしました。        ほっ。




    幽霊、お化けは、『陰』の世界から覗いた処で、肉体は伴っていません。
    しかし、働き(用法)としたら存在すると思っています。
    『陽』の究極・科学が捉えられる最低の物質、分子構造がないのですね。
    ですから、本来は、『陽』の現象界には現象化しない。
    しかし、分子構造より違った、もっと微小の粒子、リズムのようなもの、
    かすかに捉えられる光のような存在になっているのかも知れません。
    間違いないのは、無意識で我々とつながっている一体のものです。


    ですから、科学のキャパを越えるものなのです。
    『陽』の世界の科学にとっては無いのも当然でしょう。
    見えないのです。
    触れないのです。測れないのです。        ほほっ。
    科学は自分のキャパを越える事柄に関して、
    在る、ない を明言する力はありませんね。
    解らない、理解不能であると、
    謙虚に下がっていればよろしいのです。   ほほっ。
    それが、科学の用法としての限界だと思います。



    科学が、思い上がって無理やり説明すると、不自然な言葉が並びます。
    感覚遮断性幻覚や、身体の限界状態で見る幻覚や、
    入眠時や極端な睡眠不足に起こる幻覚とか、  あはは。
    はたまた薬物による幻覚であるとか、、、   あはは。
    こう云う言葉の羅列は、自然をムリムリねじ曲げ、
    科学の狭い額縁の中へ押し込めようとする意識中心から出て来る傲慢さ、
    意識がこの世界を支配しようとする欲、専横さを感じます。


    私の経験を克明に書きましたのは、ここと区別をする為です。





    私は、この空間には、酸素や窒素で出来ている空気だけでなく、
    科学的分子レベルの物質だけではなく、
    太陽光だけでなく、
    溢れる程の【何か】が詰まっている、と思っています。
    いろいろなものです。
    今、あなたの耳の傍、目の前、頭の上、あらゆるところに、
    ギュウギュウに溢れる程の【何か】が詰まっている、と思っています。
    それについて詳しくは記事にはできません。
    意識の作った文字で書いていいものなのか?
    その疑問が解決できていないからです。



    この空間は、空気や光や放射線や電磁波が飛んでいるだけではない。
    もっと、密度の濃いもの、
    意識だけを道具とする科学では捉えられない存在が、
    この宇宙には、溢れていると思っています。
    我々の肌に触れる、この空間は、
    ただ、風が通っている空間などではありません。
    お化けもいっぱい!
    幽霊もいっぱい!          あはは。


    よろしいでしょうか?
    夏向きに、少し涼しい気持ちになったでしょうか?     あはは。 




    科学が云う事だけを信じて生きる事だけはお止めください。
    今日の記事の教訓は、その事でございます。


    人間のこと、宇宙の事、お化けの事、
    死について、何を訊ねても、愚問にはなりません。
    愚問と見下ろす権威の高みこそが、愚かなのです。


    この高みを作ったのは、お馬鹿とサル、
    ほら! 高い所に登るのが好きな、、、     あはは。
    権威は、間違いなく『陽』の現象界の産物でございます。
    そこには、本質も真実のかけらもない。    ぺっぺっ!




    長い記事を最後までお読みいただきまして、
    感謝申し上げます。


    お疲れ様でございました!    あはは。


    次の更新まで、
    あなたの時を抱きしめて!  お過ごしください。
































    参考資料 :  背信の科学者たち  講談社   著者 ウイリアム・ブロード

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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