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    コメントへのお返事 2 . (命の継承と運命 5.)   支配と云う言葉 ・ 家族編

    Category : 西洋と東洋の違い 
    3月20日の早春の富士


    3月20日富士山




    写真をクリックしてみてください! 富士山全体を見る事ができます。 












    更新が遅れましてごめんなさいね!

    ニリンソウの群生の間、雪渓のまだ残る山道、沢の急流を歩いて渡り、

    山小屋の囲炉裏でイワナを食べ、時には雨に降られながら木々の間を、

    上高地を中心に歩き回って来ました。


    体中の細胞が、都会の汚れた空気を吐き出したようで、、、あはは。

    しあわせです。     ほほほ。

    写真は、まだ、その内に、、、

    今日は3月の富士でございます、、、。  あは。








    では、コメントへのお返事の記事を続けます。


    今日は、次のテーマで、

    コメントへのお返事 2. ( 命の継承と運命 )5.の記事への

    コメントから人の支配欲について 
    です。





    今日のポイントは、

    言葉のカテゴライズに気を付けて! 


    カテゴリー【category】

    = 物事を一定の基準に基づいて分類した区分の事で、

    分類、分野、区分、種類などの意味の英単語。



    カテゴライズ 【categorize】

    = 意味を分けて、ある囲ったカテゴリーに入れる事。



    分りやすいのが病院です。

    近代合理主義の学問の医学は、人の病気を治すのに、

    ○○科、○○科、と体を部位別に分けていますね。

    西洋医学は、

    体を分解した部品のように意識でカテゴライズするからです。


    しかし、東洋の中医学では、命を一つの全体として診ます。

    一人一人の体質を見分ける事はしますが、

    ○○科などの診療科目はありません。



    それほど思想の宇宙観、自然観、人間観、生命観などの認識が違えば、

    現実の生き方や行為や方法、制度や法律まで違って来る事になります。









    あー、今日も最初から理屈っぽくなりましたね!   あはは。


    西洋近代合理主義下の言葉は、

    それぞれのロジックから派生した言葉ですから、全部理屈です。

    しかも、人が自然を無視して無理やり作った“へ理屈 ”です。

    草木や山や海の自然から学んだカテゴライズではありません。

    この言葉は、このロジックの中の、、、こう云う言葉、、、とか、、、

    人が作為した研究途上の意味合いが強くて、

    わざわざ条件や言い訳など拘らなくてはならないのです。

    いつも書きながら、飽き飽きして来ます―――。   あは。


    あー、それに比べると儒教や仏教の言葉は、山が、川が、と言えば、

    山や川が思い浮かぶように、それだけで分かる!

    なんと、楽な言葉でしょうか!!!!!    

    本当に、東洋を真髄から受け入れる事ができます。 大好きです。






    大人は、こうして面倒でも自分の意識の中で区別をし、

    自分なりのカテゴライズを試みる事もできます。

    が、子供たちは、鋭敏な感性でそのままを受け入れるでしょう。

    何の自分なりのカテゴライズもしないままで吸収して行く。

    それで良い事なのか、おそろしい事なのか?








     では、今日のコメントから紹介をします。



    2月10日の拍手コメントです。 


    私も親、子供を自分の支配下に置こうとした錯誤を

    していたと思います。

    今でも創っている作品(それだけでなく、沢山ありますが・・)

    にもそれは当てはまる感じがしています。

    なぜ、人は支配下に引き入れようとするのでしょうか? 




    短いコメントなのですが、大変な内容ですね。

    我々の住む日本で、

    『陰』の崩壊が、現在、どこまで進行しているのか?

    普段何気なく使っている言葉のカテゴライズから垣間見えます。


    一回の記事のお返事で、終らないでしょう。 

    なぜなら、コメントの内容が、3つに割れています。


    1、家族、親子の観点から、

    私も親、

    子供を自分の支配下に置こうとした錯誤をしていたと思います。 






    2、物に対する観点から、


    今でも創っている作品(それだけでなく、沢山ありますが・・)

    にもそれは当てはまる感じがしています。 






    3、人間としての観点から、


    なぜ、人は支配下に引き入れようとするのでしょうか? 







    最低2回の記事に分けてお返事を書いてみようと覚悟しています。  ほほ。

    西洋思考のアホなへリクツを、できるだけ排除したいですね!

    できるだけ東洋的セオリーで書きたいと思っています。   あはは。



    では、まず、1.からです。


    私も親、

    子供を自分の支配下に置こうとした錯誤をしていたと思います。 




    これは、大抵の親になった方なら体験された事かも知れない。

    これは、支配ではなかったはずですよ。

    そこまで、ご自分を責められる事はないでしょう。

    あなたが、全存在を賭けてお産みになった我が子を、

    母親の愛情でお育てになった事を、なんら後悔する必要はありませんよ。

    あなたが、心から止むにやまれぬお気持ちから、

    我が子を、おもいっきり打った事があったとしても、です。

    すべて、あなたのなさった事を一緒に共感したいと願っています。

    全ては、正しかったのですよ。

    母の愛情に、子を思う愛情に間違いはなかったはずです。

    その結果が、あなた以外の人間から、

    もしくは、直接子どもから

    ” 母親は、子供を支配できない!”と、言われたとしてもです。


    子どもと云う者は、親がどんなに束縛をし、支配をしようとしても、

    それを跳ね除ける力を持っている子供は、立派に自立して行きます。

    中には、極マレですが、それを跳ね除けられない子供もいますし、

    一生、自分のむすこを手放さない母親もおります。

    育ってしまって(運命が現象化して)から分って(意識して)から、

    ” おまえの育て方が悪い。おまえの教育が間違っていた。”

    父親の中には、こう言う方もおりますが、

    これもそれも、全部、育て方だけではない。 

    持って生まれたその親子の運命です。

    運命学的には、生れたその日に鑑定したら分る事です。


    今、お子さんが立派に自立をなさっているのなら、

    すべては試練として良い結果を導くプロセスだった、良しとなさって、

    自信を持って、ご自分の子育てを肯定なさっても良いでしょう?


    母親が、我が子に云う事を訊かせたい、そう思うのは当たり前。

    これらは全部、無意識・『陰』の仕業です。 




    それが、

    領土や資源が欲しくて、自国の国益の為に他の国を侵略したり、

    同じ国の中でも、思想が違うと云う理由で国民を弾圧したり、

    民族同志の争いから武力で相手を制圧し支配しようする権力と、

    どこが似ていると云うのでしょうか?

    同じだと云うのでしょうか?

    これらは全部、前頭葉・『陽』の役割です。 




    生を守る生産性の効率を求め、競争に勝たなければならない。

    これが原始より、前頭葉が発達して来た目的でした。

    そして、より高い効率を求める意識が集まれば、競争が生まれ、

    弱肉強食の闘争が繰り広げられます。

    それが、『陽』の現場です。 

    男女の役割で云えば、男性の役割です。


    この生の現場『陽』の闘争の中で生れる言葉が、

    支配、被支配、征服、被征服と云う言葉です。

    相対する2極を分離、分割で表すような言葉ですね。

    非常に隷属的な、相手を奴隷に遇するようなカテゴライズの言葉です。


    そもそも、

    物事を一定の基準に基づいてカテゴライズ(分類)するのは、

    我々の意識です。

    我々の前頭葉が認識をしやすい範囲で、取り込みやすい様に、

    つまり取捨選択をしているのですね!  

    我々が、あまりにも多くの情報があるので、「情報を取捨選択する。」

    あのようにです。

    自分に取って困難なもの、

    要らないと思った情報は、見ないようにする、

    子供にも、害がある情報は遮断しようとする。

    あれですね!

    自分の意識できる能力には限界がありますから、

    それはある意味、意識は自己を守っているのですね。

    だから、まずは、今の自分に役立つ情報を積み上げて行く。

    そして、目の前の目的に全力集中して行く訳です。

    これは、生きて行くには必要な手段ではあるけれど、

    自分が、常に正しい真実をそのまま掴んでいるのかと云うと、

    問題ありです。

    問題を積み残しながら、我々は、意識の海の中を泳いでいる訳です。




    意識の周りには、不要だと判断をしたものが捨てられてあるはずです。

    山のようにゴミのように積み上げられているかも知れませんね。


    どこに?

    無意識の領域へひそかに沈んで隠れているはずです。

    その打ち捨てられた全ては、本当にゴミですか?




    その中に、我々の命に直結する尊きものが、無いと言い切れるのか?



    尊きものは見えない、触れない、聞こえない、意識に触れない。 

    前頭葉の意識の外に、我々を生み出した世界がある事も忘れ果てて、

    意識の世界以外は無い!

    と言い切る近代合理主義のロジックそのものが、

    誤謬を孕み、罪悪だと前回、申し上げたのです。




    もっと言うならば、

    近代合理主義の言葉は、罪悪を孕みながら全体を切り分ける思想、  ほっ。

    それは、この宇宙を、自然と人間に切り分けて、

    人間を、肉体と精神に切り分ける。

    その切り分けを行うのが前頭葉の理性( 五感の感覚器官、心 )、

    この世界のヒーローは、人間の理性である。

    と云う舞台設定です。

    そのヒーローである近代理性が産んだ子が、

    近代国家、政治学、経済学と云う学問、、、皆が、その申し子です。



    意識できる世界以外は、無い! その認識から出来上がった言葉です。

    五感で覚知できる世界しか無い、、、とするなら、

    花や木や空にもしや心があったとしても、覚知できないのですから、

    覚知できないものには全て、心がないと切り捨てる。認識をする。

    故に、

    意識に覚知できないもの全て、が、「物」になるのです。


    だから、

    この近代理性は、自分以外を、すべて「物」として認識します。

    自分の肉体も命も自然も地球も「物」と認識をします。


    現文明は、物質文明なのです。


    命も、部位、部位ごとの切り分け、部品としての捉え方です。






    これは、あきらかにまちがっています。

    きんだいりせいのにんしきは、あきらかにまちがっています。





    よほど西洋は、思うままに獲物を支配したかったのだろうと思うわ。

    西洋合理主義の理性が憧れていた世界は、

    狩猟で仕留めた獲物に山と囲まれる夢の世界だったのね!   

    あははは。


    のんきな日本は農耕の鍬や鋤を捨てて、

    西洋の狩猟キャンペーンに丸腰で参加している構図です。  ほほっ。

    狩猟犬の役割なのかな?    あはは。



    このキャンペーンは、

    西洋の意識が獲物に山と囲まれて安心するまで続くでしょう。

    と云う事は、果てしのない狩りの猟犬になってしまったのね。  

    あら、どうしましょう?      あはは。

    我々が、知らずに使っている言葉は、

    この狩猟キャンペーンの正当性を証明するロジックから出て来た

    カテゴライズされた西洋の魂が入った言葉です。

    あら、どうしましょう?  




    つまり、『 我の理性が物を支配する思想 』なのです。



    つまり、そう云う認識でカテゴライズした言葉に浸されて、

    私たちのビジネスの交渉の場面だけではなく、

    私たちが家庭の中で、家族や命を考える時、

    そのような認識でカテゴライズされた言葉が、

    我々の思いの中へ入って来るわけです。



    むずかしいかな?  

    だいじょうぶでしょうか?







    しかし、支配や征服は、まったくの虚構の言葉ではありません。

    そうカテゴライズされる世界が、現に『陽』に存在するからです。


    『陽』の現象としては実体がある言葉です。






    しかし翻ってその実体が、『陰』の現場である、

    親子や、夫婦や、兄弟の家族間の人間関係の中にあるのでしょうか? 
       



    本来、あってはいけません!

    違ってほしいと思います。

    これらは、厳密に区別しなければいけませんね。  が、、、  



    これを、

    余程しっかり、それらの違いを客観的に捉えるようにならなければ、

    自己の意識が行き詰まった問題を、

    ついつい西洋的二元論のロジックで、眺めてしまうのですね!



    一つ、今、恐れるのは、

    『陰』の世界であるべき家族や家庭の世界へ、

    良いも悪くも、『陽』の論理が侵入している事です。

    家庭の中や、家族の中で、

    効率と競争と打算と順位の価値観が大手を振って入り込み、

    それらが、主役のようにまかり通っているのならば

    『陰』の衰亡 = 『陽』化した家系、絶家に向う家系になります。




    実はこれが、今の日本の深刻な問題なのです。


    『陽』の意識が『陰』の深部まで侵入している標(しるし)です。


    ここが、一番、私達が警戒しなければいけない事です。 



    その原因は、近代化によって失った精神的基軸、

    我々の命の継承を守る『陰徳』でカテゴライズされた我々の言葉、

    命の継承を守って来た言葉群を、道徳的観念と共に、失ったからです。  



    その言葉群を捨てて、『陽』の殺戮を認める言葉を使い出している.....


    我々が、失った言葉の替わりに使いだした言葉が、

    近代化以降の思潮にカテゴライズされた2者対立の言葉群なのです。





    これらは、142年前に、

    軽々しく丸ごと西洋の近代化を受け入れた時から、

    精神的基軸が無くなった時から、

    起こるべくして起こっている現象だったのです。



    子どもは、近代化以前の社会を知りません。

    それ以前の日本を知る親に育てられていません。

    我々よりもっと近代化のロジックに染まっています。


    「ぼくの事は、ぼくの自由、何も言われたくない。」

    「誰を好きになろうと私の自由、束縛しないで! 」

    「親の愛情は無償でしょう? 私に期待なんかしないで! 」

    「子どもは、親の所有物じゃない! 」    あはっは。


    今の子供たちは、見事に全員が、

    全身に、近代化の価値観をぶらさげて実践していますわ!

    それは、そうです!

    彼らは、心の休まらない『陽』の闘争の世界の真っ只中に、

    生まれて来たのですから、

    大人よりも『陽』の原理を身に付けています。


    ここが、本丸なのですよ。

    国を守る最後の陣地、なのですよ!!





    『孝』の匂いもない大地に立つ彼らが、栄えるとは思えません。



    『陰』の体現の場である家族や家庭は、

    自己犠牲も厭わない愛情や血縁関係で結ばれている尊い空間です。

    ここでは、社会で認められなくても家族には認められていると云う

    相互の自己の存在感の実体があり、それを守り合う場なのです。

    社会で、どんな目に遇おうが、その場に戻れば自己が蘇生できる。

    効率を排除した競争原理の働かない場でなければいけないのです。

    それそのものが、『陰』の徳性です。


    その家族や家庭の徳性を見抜いていたからこそ、

    東洋の叡智は、儒教が、道徳を人の生き方として説き、

    家族倫理を徹底する事によって、

    『陰』の世界を、闘争と効率の野蛮な競争から守って来たのです。




    おれは、おまえを支配する。

    そう云う野蛮性をエネルギーにして、如何に人の徳性にまで高めるか?


    まず、東洋3000年の歴史、叡智は、、

    人間関係で、支配する、される、と云う捉え方はしていません。




    孔子の儒教においては、

    それを人間の徳性を以って行動できるように、

    『陰』の尊厳性を守る『孝』としての行儀、躾として、

    仁、義、礼、智、信の五徳が成立します。

    ある意味美しく融和的に、人の無意識から湧き起る智恵として

    権力関係の上の立場である主に対して「義」をもって「忠」を、

    尽くすように教えて来たのです。

    「仕える」も、 尊崇を以って主人に従うと云う事です。

    その為には、主人も徳を以って業を行わなければならない。

    どちらにも、そう云う縛りはあるのですよ。   あはは。



    双方の徳性を高め、

    陰徳に通じる価値を与える智恵がちりばめてある言葉群です。


    徳と云う誰もが尊崇できるカテゴライズされた言葉で以って、

    『陽』の本質の野蛮性、破壊性から、

    命の場である『陰』の領域を守り、

    『陽』の侵入を、阻止して来たのです。



     

    あるいは、東洋の仏教では、

    それらすべてを、「苦」と捉えます。

    支配される側も「苦」なら、支配する側も「苦」なのです。 



    仏教は、苦の原因を追究しました。

    その苦は、どこから出て来るのか?

    これは、大きなテーマですが、西洋ほど理屈をコネテはおりません。 あはは。

    苦の原因は、たったの3つです。    あはは。




    これのついては、今日は省きます。 いつか、また、、、。





    日本は、封建制度の長い徳川時代を経て、

    封建制度からの解放を願うエネルギーが溜まっていたのでしょう。

    物が欲しかったのですね!  技術も!

    飛びついた?   あはは。

    そう思えば、近代化の拙速さには、江戸幕府の罪もある。





    とにかく近代化と共に142年間、

    日本中が、自由だ権利だ平等だと幻想を抱きしめている間に、

    西洋の征服と支配と欲望を肯定した近代合理主義の『陽』の論理性は、

    今や私達の家族や家庭の中に浸透しています。



    とうの昔に失ってしまった社会道徳や家庭道徳の崩壊のせいで、

    なさけない! 我が身や我が家を守る危機に立ち往生しています。


    家族や家庭が、

    権利を主張し、効率や経済の奪い合いの闘争の現場化に

    なりませんように、、、、、、、


    親子間や、夫婦間で、

    二元論的対立構造の家族関係が生まれませんように、、、、、、 



    人の命を殺め、国を崩壊をさせる思想の事を、仏法では鬼神と言う。

    何が、鬼なのか?

    よく見定めて、これを警戒して追い出さなければ、


    (鬼は、そと~!) 節分だけじゃないわね。


    国の砦、最後の陣地、

    どうか、それぞれが、自分の場所を死守なさってください。





    最後に、しつこいようですが、

    3000年間、東洋が守って来た『陰』を守る砦、

    『孝』を最高価値とする道徳なのです。

    道徳は、めんどうなものですが、

    『陽』の現場の効率主義や競争原理の弱肉強食の論理を

    食い止める事ができるのが、唯一、私達の道徳性なのです。




    ここを守らなければ国は亡びると思います。

    だからこれを書いています。


    国の力は、経済力ではありませんわよ。

    経済が大事と云うのは、枝葉の問題です。

    根ではない、根本ではないはずです。

    そして、経済以上に、それ以上に、

    守るべき何物も持っていないからです。


    家系もそうです。

    貧乏で絶家にはなりません。

    道徳を犯すからです。





    更新が不定期になっております。

    次は、来週の週末の予定です。


    それまで、良き一日の積み重ねでありますように!












     




















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 言葉の問題
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    コメントへのお返事 3 . (命の継承と運命 5.)    意識が生む支配

    Category : 西洋と東洋の違い 
     5月7日の雲のベールをかぶった富士


    5月の富士



    写真をクリックしてみてください! 富士山の右端までが見る事ができます。


    3月の時より雪が上の方まで融け、

    頂上は薄い雲のベールが被さって、、、野にも新緑が目立っています。




    本栖湖の湖畔



    静かな本栖湖の湖面



    写真をクリックしてみてください! 本栖湖の右湖岸まで見る事ができます。









    さぁ、今日も、

    2月10日の拍手コメントへのお返事への続きです。


    コメントへのお返事 3 . (命の継承と運命 5.)

    意識が生む支配  
     です。







    では、前回のコメントの次の部分から、、、、、





    2、物に対する観点から、


    今でも創っている作品(それだけでなく、沢山ありますが・・)

    にもそれは当てはまる感じがしています。
     





    3、人間としての観点から、


    なぜ、人は支配下に引き入れようとするのでしょうか? 






    今日は、思いっきり東洋的セオリーでいきましょう!





    まず、2の「物に対する所有欲」からですね!

    愛着と云うのでしょうか?

    これは、多少差こそあれ誰にでもあるものですね!   ほ。

    その対象は、人それぞれ。

    マニアック・偏執的な病的なものもあるようです。


    ご自分の作られた作品、当然、手放したくはないものですね。

    売ってくれと言われても売りたくない、、、   

    それは、それで、誰にも迷惑をかけないし、

    素直にその気持ちを大切にされたらいいと思います。

    そう云う所有欲は、気が済むまでやってみたらいいと思うのです。

    いつどうでもよくなるかな? 

    自分の心が移ろっていくのを冷静に見るのもおもしろいです。


      ほほっ。




    本来の人間としての自分を見失って、

    外界の現象に反応する自分の意識に溺れそうになるのが、

    現代人です。

    無意識が無いとする近代合理主義のもと、現代では尚更です。


    ある喪失感があると、

    そう云う自分が好きになれない時、

    誰かの愛(そこに本当にあるのかどうか?)を欲しがって、

    愛かどうかわからないのに、自分の処に止めて置こうとする。


    自分に満足していない時、

    何かを集める満足感で代替したりするのです。

    コレクターとか、 病的なフェチとか、、、

    そんな喪失感を持った意識が、他にない物を集める事で、

    なんとか自分の価値を証明したい、しようとする。


    意識は、(意識自身が五感の刺激でもたらされているのですから)

    まさに、自分自身の中、自分の五感の中へ、

    満足をさせてくれる外界の刺激の中へ、それを求めます。

    男性の夜の飲食店の徘徊?  あはは。 車や持ち物。

    それが、分りやすい物の所有欲です。

    女性のおしゃれ、ショッピング等も、所有欲の簡単な満足ですね!


    そのどちらにも傾かないで、

    自分の調和を調えていけるかどうか?

    それは、命式の中の五行のバランスに関係がある事なのです。








    次は、3の人間としての観点から、


    なぜ、人は支配下に引き入れようとするのでしょうか? 





    これについては、

    (意識の正体 2.現実主義の意識 )

    学問の知識で人生を考えてはいけない 12  の記事において、

    次のように書いています。


    このように感想や意見を言うだけなら、

    意識で済ませられる! のですが、

    しかし、物事の正しさを客観的に見極めるには、

    西洋的知識は当てにできない。  のです。


    なぜなら、意識は純粋ではないからです。

    生きる為の欲望に染められて、それはそれで役には立つのですが、、、

    エゴイズムによって刻々変わって行きます。


    そう、現実の自分の状況に応じて、刻々と変化をして行く、

    それが、私達の意識でした!!!


    ★ だから、意識は『時』を支配できません。 

    支配されています。

    意識は、『時』の奴隷です。


    と言う事は、すべての奴隷と言う事でしょうか?    あはは。 






    そもそも、


    理性は、五感から受け取る外界の刺激ですから、

    所有欲や本能は、見えませんし、聞けませんし、味わいませんし、  ほほっ。


    でも、意識を標榜する学者や知識人の人たちは、

    さも全てを解かったような理屈を、、、言うわね。  あは。

    本能がどうだ、、、

    人の支配欲はどうだ、、、とか堂々と言いますね。

    ただ、自分の五感が感じただけの事を、

    さも実体を掴んだような気分になって、、、  あはは。


    得意中の得意技! 自己製ロジックを言葉で構築します。

    そう云うロジックが、政治家や学者の言葉にはあふれています。

    理性は、そう云う言葉、言葉の合成ごっこがお好き?   あはは。

    これも、やはり言葉による競争、ですね。   

     

    そうそう、

    自分は解からないと云う不安から解放されたいのよ!

    分らないから、解かったようにロジック固めをして。。。

    自他共に空理空論で煙に巻いて、結果的に時間が経てばウソになります。

    困った事には、本当に解ったつもりなのね ! あーは。


    意識は、真理を掴むのはできないくせに、

    メシの種にするモチベーションに突き動かされ、

    意識は、それが役割だから、それはそれでいいのよ。     あはは、

    それを隠してキレイ事にする為に、深いリアリティを求めないのです。

    ご都合よく、なんとでも言葉を変える。

    それが、意識の為せる業、、、ウソを固める圧力。



    それこそが、支配欲の本質の姿なのです。 




    だから、西洋発の近代理性は、

    自分が、欲望をモチベーションにする限り、

    とても、とても、支配欲を説明できる立場ではないはずですから、

    ここは、東洋の叡智に助けてもらうしかないみたいです。




    で、まずは、運命学からです。 



    運命学から、

    近代理性を最高価値とする現代人を観ますと、次の5つに気が付きます。


    ① 『陽』である、この世界がすべてだ!と、思っていますね。


    近代合理主義による近代理性が、無意識・『陰』を切り捨てたからです。


    ② 『陽』のこの世界は、現象世界だと云う事を知らないのです。
     

    あー、地球もそうですよ、

    それを覆う五行の力が、

    太陽エネルギーでもって起こされる動きの現象が、気象と言われるものだし、

    現象そのものなのにー、です。


    水が氷になったり、火がついて木が燃える事、

    あるいは、理科の実験で、試験管の中で起きる事、

    皆既日食金環食などは、天体現象だと分かっている?   あはは。


    しかし、


    ③ 『自分の存在』が現象だとは思いもつかないのですね!




    現象の存在だからこそ、

    運命学で以って

    この世と云う現象世界で、

    あなたには、どんな現象が出るのか? それが、運命と云うものです。




    現象は、『時』によって表われたり消えたりするのね。

    だから、『時』は大事です。

    『時』は、宇宙の運行であり、『天』の差配です。

    だから、運命学では、誕生年月日時で命式を立てます。


    それで、あなたの運命鑑定ができます。 







    ④ 現代人は、

    『陽』は、『偽』に通じ、無常である。。。と。理解をしていない。 




    此の世の五感で捕まえられる刺激は、全て『陽』で、

    たとえ、どんなに美しくすばらしい刺激が五感で感じられたとしても、

    いつか必ず消えて行く現象です。 









    現代人は、


    ⑤ 中国3000年前に、もうすでにあった『陰』と『陽』の区別が分らない。




    『陰』は、五感で捕まえられないけれど、生命活動の本体である。

    そのエネルギーの現象としての『陽』がある、と云う事が分らない。

    特に、現代思潮のなかには、『陰』が抹殺されていますから、

    『陰』は、殊の外、その存在を理解するのは難しいようです。

    この事は、男女平等と言いつつ、何かにつけて女性を慮っているようで、

    真に女性の徳性や役割が理解をされていない現状だと云う事ですね。


    又、ついでに申し上げますが、

    『陰』を抹殺した近代理性が作り上げた大学での学問とは、

    一体いかなるものなのでしょうか?



    近代合理主義の行き詰りから、自由主義経済を反省して、

    お金で買ってはいけないモノがあるなどと、

    人間の倫理を言い出す学問が出て来ています。

    近代理性が語る道徳とは、なになのですか?





    『陰』を抹殺した近代理性が、『陰』の本体である道徳までを、

    肩代わりして、根こそぎ支配をしようとするのですね!



    ★★★ 意識が、無意識の徳性までを支配する!  

    恐いなぁーー。

    (これが、道徳を利用して、戦争を正当化した軍部のやり方でした。

    まぁ、この時の道徳は朱子学が元で大した道徳ではなかったけれど)

    意識のしたたかさに巻き込まれてはいけないのよ。




    これが、『陽』・意識が何でも支配しようとする姿です。

    『陰』・無意識すら支配をしようとする姿です。 




    なぜか? わかりますか?

    『陽』にとったら一番の苦手は『陰』なのです。

    『陰』には威張れませんでしょう? 

    だって、『陽』は、『陰』から生まれたのですよっ。   あっはあ。

    『陽』が都合の悪い事は『陰』が隠してあげているんだから、

    まず、『陰』を押さえておきたいのですね!

    なんだか、人間の男女関係に似て、、、そっくり!  あはっは。 






    意識もさるものなの。

    意識のどこかで、

    自分の外側にあるものは全て、自分のものではないと分っている。

    (そりゃそうよ! 現象ばかりなのに、、、あはっは。)

    一時的なもの。 と解かっているのです。

    自分が大事に扱っている間だけ、ここに止まり、

    手放すと離れて行ってしまう。

    仮に、自分から手放さなくても、、、いつか必ず壊れる。

    無くなる。  と、無意識に通じる心の奥底では分かっているのです。


    だから、しがみつこうとします。

    現象は消えますから、余計に自分のもとに止めようとする。

    いくら止めようとしても消えます。

    それを、また自分のもとへ止めようとする。

    それが、支配欲の源であり、


    所有欲、支配欲、欲望の原理なのです。 



    所有欲、支配欲とは、いつか失う物を追いかける欲、でしょうか? 

    いつか、失うかもしれないと云う現実を見極めきれない愚かさ。



    もっと突き詰めれば、自己の永遠の保障を求める貪欲でしょうか?


    この支配欲の弱さ、強さは、個人によって違います。

    これを、命式から鑑定する事ができます。











    今、私達を取り巻く近代合理主義を作り出したのも、

    それから派生した知識も、技術も、法律も、制度も、学問も、経済も、

    ぜ~んぶ我々の意識が作り出したものです。


    絶対的なものではありません。

    絶対的なものではありませんから、力を欲します。

    まるで、神のように人を従える力を欲しがるのです。

    それが、国では軍隊であり、命を殺戮する武器です。

    これを、よーく覚えておいてくださいね。



    我々は、いつか滅びる意識の作り物の中に生きている訳ですから、

    それは、次また、いつ壊れて無くなるのか? 分からない。


    地震でいつ家が壊れるのだろう?  とか、

    会社はいつ、私をリストラするのだろうか?   とか、

    それぞれの不安を根源とする自分の意識が生れます。


    その意識の中から、

    いろいろな語彙を使っていろいろなロジックが作り出され、

    その競争が生まれる処、

    それがこの世の『陽』現象界です。

    『無常』の世界です。


    この『無常』は、初期仏教から出た言葉ですが、


    しかし、

    西洋には、無常観がないのです。
     



    !! ?





    西洋の方が、カラッと平然と所有欲を実現する処がありますね。

    侵略とか、他国へ干渉をするとか、彼らは平然とできるのでしょう。

    そう云う意識が、西洋の表層を厚く蓋(おお)っていますね。

    そして、キリスト教の天国、その実現が目標です。

    だから困っちゃうのよ。

    勝手に作ったロジックの自由の為だとか、キレイ事を言いながら、

    欧米は、なにやかにやと他国を支配したがる。

    あれの根拠となるロジックが、

    天界以上を知らないキリスト教の教理にある。

    そう思います。



    慎み深い? 日本人 あ、ほほ。 にはできませんね。







    『無常』の現象世界を『無常』とも認識できない近代理性の世界観を、

    日本の国民は義務教育から学ばされています。   

    まいっちゃうなぁー。


    『無常』と云う東洋の叡智も知らない近代理性は、

    『常住』の世界も知るはずもない。

    智恵のない欲望肯定の意識にできる事は、

    飽くなき欲望のとりこになって、現象世界の自分の姿に満足したいの。

    自分がスゴイ!って、自分の五感で意識する事なのですよ! 

    意識は、五感の満足を求めて必死なのだから..... 

    鏡に向かって、その姿に自己満足をして、大喜びをしたいの。

    ディスプレイして、見せびらかしたり、したいのです! 

    だって、その事も、競争に勝つ事になるのですもの、ね。

    その為には、闘争、戦争、殺戮なんて平気! 



    その根源には、

    『陽』である意識が、生死の問題を解決できないまま、

    その死への恐怖を、支配力のモチベーションとしているのです。



    あ――、 まるで、あくまのろんりだわ!


    この地球を、悪魔から守って、

    東洋の叡智で包まなければ、もったいないですね!

    この宇宙は、絶妙なバランスの上に成り立っています。

    太陽との、月との、丁度の距離にある地球の位置バランス、

    そのバランスに恵まれて、

    私達の地球は、生命を繁栄させられる★なのですよ。




    だから、運命学の基本は、均衡を尊びます。

    均衡は、バランスです。

    バランスがある処が、幸いの地であります。


    政治や学問や経済は、『陽』の論理に汚染されていますけれど、

    『陰』と『陽』のバランス、調和を図ってくださいね。



    え、もちろん家庭、家族の中でです。

    男女が夫婦となって『陰陽』の配置を為して調和をし、

    命を継承して行く。

    その事が、『天地』の道理、宇宙の営みと同じになるのです。



    記事がうんと長くなったようです。

    最後までお読みくださった事に、感謝です。


    次回も、コメントへのお返事の記事です。



    よき、一週間をお過ごしくださいね。































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    テーマ : 言葉の問題
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    コメントへのお返事 4. (あれから一年 2.)  量子物理学 と 東洋思想

    Category : 西洋と東洋の違い 
    早春の那須連山


    那須茶臼岳の噴煙


     
    晴天に恵まれて、大好きな那須高原へ行きました。
    自然の色が、こんなにあざやかに!  空の色も、高原の色も。

    ★ 写真をクリックしてみてください! もっと、雄大な那須連山が見えます!











    今日は、昨年の 3.11を振り反った、

    今年の3月18日のあれから一年 2 の記事に対して


    3月25日にいただいた拍手コメントへのお返事です。




    コメントへのお返事 4. (あれから一年 2.)量子物理学 と 東洋思想
    です。





    量子物理学(りょうしぶつりがく)?

    そう! 西洋科学の先端、量子物理学の方向性から、

    お返事を書いてみようと思います。

    ちょっと堅苦しい話題で、申し訳ないです――。

    でも、だいじょうぶですよ! 

    私が分る程度、その範囲の記事ですから、、、  あはは。  

    むずかしい部分は、読み飛ばしてくださって結構ですよ。

    それでも、記事の趣旨は、伝わるようにしておきます。  あはは。





    まず、コメントから、紹介しましょう。

    ① ② は、編集で付けました。



    『天』が少し理解できましたv

    これから ?あれから一年 ?? 読ませていただきます。

    昼までに読めるかな^^

    震災翌日の記事も読ませていただきました。

    勇気というか使命というか、感心しきりです。


    ① 被災された方々みなさんに、同じ内因があったとは考えにくいのですが・・?

    ② 人生の不公平には

    因果(無意識)が正しく働いているようには思えないのです。

    あらあら、やっぱり理解できていないようです^^; ごめんなさい。








    あはっは。

    堅苦しい記事を、いつもお読みいただいて、、、


    >勇気というか使命というか、感心しきりです。>


    あっら! お褒めいただいたようでくすぐったいわ!   ほほっ!

    ありがとうございます!


    ① と ② の率直な感想! 感謝申し上げます。

    そして、今回のお返事も、何回かに分けます。

    大変な内容があるので、1,2回では無理かな?と思います。

    その間にインターミションを入れて行きます。

    堅苦しいのが、ず~っと続くのは疲れますでしょう?  あはは。

    ご了承ください。




    少し解説をしますと、

    ”あれから一年 2 ”の記事の中で、

    天災、災害には、外因と内因があると書きました。

     


    災害の内因、外因と云う事についてですが、

    平たく言いますと、

    災害や、自然の変化は、人間の心と一体であると云う考え方です。


    ★ 一体であればこそ、

    人間の業が、自然の業に結び付く事になる訳ですから、

    内因、外因と分ける必要もない位です。

    人間の内因と、自然界の外因が結びついて災害と云う現象が起こる。★



    東洋哲学の時空観から言うと、あたりまえ!!!   あっは。


    自然災害は、人の心の中に原因があります。 


    なかなか、こうははっきり言えないものですよ。   あはっは。


    通常、近代合理主義の科学的な言い方では、絶対にできません。

    意識を標榜する理性では、無理なのですね!     

    無意識の領域の存在を認めないからです。





    これは、近代理性が否定した世界

    無意識にわたる世界観を持つ東洋的叡智から出たものです。



    東洋の時空観に自信があるからです!    えへん!!







    しかし、現在のわたしたちの考え方は、西洋的思考が当たり前、

    近代合理主義の論理性のジャングルの中にいます。



    それを、どうして

    東洋の叡智である、宇宙の中は全てが一体である、と云う説明に、

    西洋科学、その最先端の量子物理学の方向性を書くのか? 




    それは、量子物理学の量子力学の体系や、量子論が、

    今の西洋哲学の二元論の時空観では、成り立たないので、

    東洋的哲学の時空観へ近づき、認めているからです。






    いわゆる時空観についてですが、

    私たちが住んでいる、この宇宙を含めた4次元空間を、

    どう捉えるか? どう認識をするかと云う事が、一番大事です。

    この世界の成り立っているありさまの説明です。

    これから、

    自分と環境、モノとの関係認識が生れて来ますから、

    どう相手を扱うか? 扱うべきか? その規範が決定するのです。

    どう生きるべきか? 宗教の教え、根本ですね。

    そこから、道徳、法律、規則がおのずから決まります。

    社会の考え方が、定まる。


    これは堅苦しい、哲学の問題だけではありません。

    人間のしあわせに、そのまま直結する大事な問題です。





    今、世界には大きく分けて2つの捉え方が、あります。

    キリスト教的西洋哲学と、易学や仏教的東洋哲学の捉え方です。



    今は、西洋のキリスト教哲学の全盛? その影響が大きいですね。

    まず、西洋哲学の時空観は、こうです。

    神が、この世界を創りたもうた!

    神が人間(アダムとイブ)を、この世界にお遣わしになった!

    神とこの世界は、創った者、創られたモノと云う分け隔てがあります。

    神と人間も、そうです。


    (だからキリスト教では、人間は神に成れるとは言っていない!)


    あくまで、それぞれが切り分けられています。

    これが、西洋哲学の存在の認識、二元論です。

    自分と相手との関係性がないのですから、

    人間は、自然を支配してもよい!  当然そうなりますね。

    人間の欲望を満たす材料、道具に、自然を捉える事になります。

    これが、近代合理主義の学問が生まれた基盤です。


    人間にもそうです、相手は自分の上か下、  あはは。

    階級社会です。 契約社会です。

    隣人愛、奉仕、愛などもキリスト教は説いてはいますが、

    人間の欲は、都合がいいですから、

    それは、仲間同士、同じ民族、同じキリスト教徒同士であって、

    他は野蛮な民族だから、支配をしよう。 こうなります。

    自由の為、民主主義の為と云う看板を立てて、

    仲間同士には納得をさせて、  あはは。

    相手にすれば、押し付けの偽善以外の何物でもないのですが、

    キリスト教徒以外の処へ、善意であると云いながら侵略をする。

    詰まる処、元々、支配の論理を孕んでいます。


    時軸も、天国へ召されてから、どうなるのか ? 





    一方、東洋哲学の時空観は、こうです。


    仏は、この宇宙の真理の実体です。

    この宇宙の中に、自然の山や木、海も人も含まれます。

    と云う事は、宇宙の真理が、山や木にも、海にも具わっている。

    つまりは、一切が仏を含む存在である。

    仏とこの世界のすべては結びついている。

    当然、人間も、草木も、動物も、モノも、チリまで、、、

    だから、仏の智慧を獲得すれば、すべては仏に成れるのです。


    (成仏・じょうぶつ、と云う言葉があります。)


    深い無意識の次元では、全てが、渾然一体となっている。

    それが、東洋哲学の存在の認識です。

    相手と自分は、一体なのですから、

    相手にした事は、自分にした事になります。

    つまり、相手にした事は、そのまま自分へ還って来ます。

    相手とは、人間だけではなく、山や海、植物や動物もです。

    自分が、自分の外へ出したエネルギーは、次は、

    外から自分へ還って来るエネルギーになる訳です。


    (因果応報の世界です。)


    相手は、自分です。 自然すら、そうです。

    当然、調和をして行く事が大事になります。

    生きとし生きるもの、モノまでを含んだ、

    この宇宙にあるすべてが対象です。

    しかし、難点は、主張が、五感では、解らない!

    ヴィジュアル系 ではない !   

    広まりにくいでしょうね。     あはっは。 


    時軸も、久遠と云う非常に深い言葉があります。

    仏教のおもしろさは、経典の浅深、内容によって、

    あれやこれや、理解するにはむずかしい無窮の時間軸を

    なんとか理解をさせようと、経典ごとに変化します。

    だんだんレベルアップさせながら説かれています。

    データーの上書きと同じなのですが、

    困った事に、PCがなかった当時は、

    一度伝えられた経典は、消去できなかった!

    未だに、低い教えのままが伝わったままで各宗派に分かれ、

    正邪、浅深、高低が判別しにくく混沌としています。

    これが、広まらない一つの原因でしょうね。
     ほっ。

    死後の事、永遠に生まれ変わる事、などですね。

    これらは、意識で理解をしようとしても解りません。

    無意識下の悟り、仏の甚深の智慧が根本です。



    日本は、只今、

    足元は、東洋的仏教と儒教的な道徳規範を蹴飛ばして捨て、

    頭は、西洋的時空観を知識として小学校からテストテストで

    憶えさせられていますから、足が無くて頭は上辺の知識だけ、

    相当、訳が分からないでしょうね、、、

    どっちで生きたらいいのか ?  可哀想な状態です。    

    大人も子供へ、何が大事かを、規範になるものを、

    指し示す事ができない状態にあります。

    これを、障害児、障害者の団体と云わずして何と言うのか?

    あ、足元が消えて無いわけですから、”ゆうれい”ですか?


    あはっは。   幽霊の団体!    キャッー




    と、説明できるものではない事まで、説明しました。

    西洋と東洋の、それぞれの世界観がどう違うか?

    お感じになったら、次へ進みましょう。    あはは。





    最近の量子物理学から、宇宙は、二元論などではないと云う事が、

    解って来ているようです。



    量子力学の権威者が、こぞって東洋哲学に心酔している事実などを。

    紹介したいと思います。


    近年、科学の先端である量子物理学においては、

    二元論、人間と自然(環境)を切り離した科学の大前提のままでは、

    どうしても、量子力学を突き詰めて行けない壁に突き当たっています。


    量子論と云う、人間の目に見えない極微の世界を対象にした世界では、

    実験をする為に、対象の物体に光を当てる事も無視できないのです。


    当てた光の影響が、対象物の、その後の運動に影響が出るという事です。


    観測する人間の意識と、観測される対象の物質の関係性が、

    元々、別々であると云う、科学の大前提が、

    実はそうではなかった事が、極微の世界を扱う量子物理学で解かった。


    観察している人間と対象物は、実は一体であったのだ。

    と云う事になれば、大変まずい、と云う事になります。
       
    西洋哲学の時空観ではおかしい ? となるからです。 




    それに気が付いたのが、「量子論の育ての親」と呼ばれる

    1922年にノーベル賞を受賞した

    デンマークの理論物理学者、ニールス・ボーア (1885-1962)です。

    アインシュタインと双璧を為す、とも言われる物理学者です。

    彼は、二元論に分けた西洋的時空から抜け出た先見性のある人物です。




    彼は、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、

    位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、

    後半生には、量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして

    東洋哲学を研究しました。



    さらに、次のようにも言っています。

    「原子物理学論との類似性を認識するためには、

    われわれは仏陀や老子といった思索家が、

    かつて直面した認識上の問題にたち帰り、

    大いなる存在のドラマ中で、

    観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように

    努めねばならない。」



    その東洋哲学への傾倒ぶりは、

    彼の偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章

    (Order of the Elephant)を受けた時、

    その ★「紋章」に選んだのが、

    陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、東洋の図面、

    ☆ 太極図であった事からもうかがう事ができます。

    その紋章は、デンマークのフレデリック城に、

    世界の王室・元首の紋章とともに飾られています。


                   (この部分はウィキより引用) 




    ☆ 太極図 陰陽学


    (白が『陽』で、黒が『陰』。その中の〇は『少陽』、●は『少陰』。


    太極図をあしらった ★「紋章」は、上記ウィキよりご覧ください。


    1970年代には、アメリカを中心に、ニューサイエンスという

    物理学と東洋思想を合体したような新しい学問が現われました。


    その中心となった学者には、フリッチョフ・カプラ、

    33才の若さでノーベル賞を受賞したブライアン・ジョセフソン。

    一流の物理学者が、量子力学を追究すればするほど、

    東洋思想、東洋哲学の時空観に行き着くと云う事です。


    これはつまり、

    西洋の自然と人間を切り分け、神と人間を切り分ける時空観では、

    この世界の説明がつかない事になったと、云う事です。

    西洋思想の限界(=間違い)が露わになったのです。




    量子物理学において、この世界の究極が東洋の時空観と一致したのです。
       

    すべてのモノが互いに関連し一体である。影響しあっている。

    これこそが、東洋の叡智そのものなのです。







    これは、ウパニシャッド哲学に淵源を持つブラフマンとアートマンの

    『 我即宇宙 』から、中国思想、仏法に至る



    東洋哲学の真ん中を貫く叡智です。


    これは西洋哲学の闇である二元論や、

    意識が作り上げた狭い世界、 

    そこから我々が、やっと抜け出せる可能性を示しています。 



    ここで、量子物理学者のニールス・ボーアの言葉を、

    紹介しましょう。


    ☆  違うよ、そうじゃないんだ。


    君は思考していない。


    ただ、論理に支配されているだけなんだ。 ☆





    違うよ、そうじゃないんだ。  と云うのは、

    もう、二元論では違うよ、そうじゃないんだ。と言うのですね。


    この言葉は、非常に暗示的です。





    そう、私達が、今、当たり前のように身に付けている二元論は、

    間違っている。

    本当に、思考したら間違っているって、分る事だ。と

    言うのですね。

    気が付かないのは、二元論の論理に支配されているんだ。

    と言っているのです。

    もっと、思考をしてごらん! と。




    間違った時空観で、宇宙を眺めても真実は分らないのです。

    だから、この宇宙を含めた真実の世界像に出合う為には、

    近代合理の論理性の外に出ないといけません。



    そうしないと、我々は、本当の自然に出合えないのです。


    本当の生命の実相に出会えない。

    本当の生命にとっての安全が解らないのです!





    量子物理学の先見性に、まだまだ追いついていない、

    我が国の科学は、原子力発電所の安全を政府に保障しました。


    そんな馬鹿な ! なにが安全なの ?

    そう云う事が、平気でできるのですね。


    現在の日本における原発が、安全であると云う科学は、

    地震や津波、災害の原因について、

    意識が捉える範囲の中で、過去を振り返るだけです。

    そう、意識は過去を見ているのでしたよ!

    意識は未来を見る事はできなかった。

    そうでした!

    我々の五感は、目の前の今の刺激を受け入れる事しかできません。

    未来からの、現象化していないモノは感じられないのです!

    だから、過去の記憶をたどる(データー)だけです。

    そのデータで断層の有無、プレートの移動、過去の周期からと説明をします。

    これは、テレビや報道でご覧になっているままです。



    それは、近代合理主義の学問が、

    キリスト教思想の、西洋思想の二元論を根底にしているからです。

    ある意味、人間と自然を切り離して、別っこの物として扱い、

    その間に何の関係性も置かずに対立させたまま、


    人間の五感で、計量したりできる物言わぬ物体として自然を扱います。



    ”そりゃ、そうだろう、人間以外は、モノなんだから!”

    現代人は、そう、思い込んでいます.....

    そう云う処から、今回のコメントをいただいたのだろと思います。


    そのギャップを覚悟をして、    ほほっ。

    東洋の智見、叡智を披歴させていただきました。

    西洋の最先端の科学も、そうなって来ている。。 。




    現代文明が、まちがい?

    そう、間違っていると思います。



    よく世間では、人間だから間違いはある。そう言いますね!

    その間違いを犯すのは、人間の意識ですよ。

    それが、どう云う訳か、

    西洋から入って来た意識中心の近代合理主義は、正しいと受け入れる。

    日本人は、ふしぎなのですよね~!     

    外国の云う事は、全部正しいと思っている ?    あはは。



    私は、

    人間だから、間違いがある。 

    と云う前提の方が、しっくり来ます。この方が、正しいと思っております。


    しかし、

    近代合理主義は、

    その間違いを起こしやすい人間の意識だけを信用し、

    意識できる世界だけが存在すると云う世界観です。 



    意識できない世界 = 無意識の世界は無い。とする時空観です。



    その切り取った狭い世界の中でのリクツが、

    現代学問であり、政治、経済の現場、あらゆる考え方です。

    そのリクツの中に、見事にハマっているのが我々、現代人です。


    近代合理主義の大きな咎(とが)は、

    この生命の出処である無意識の領域を、外した事です。 



    この咎(とが)を、社会で大々的に実験証明するような大失敗が、

    福島の原発で起こりました。

    これに関しては、次で書きたいと思います。







    最後に

    ニールス・ボーアの言葉を、もう一度!


    ☆ 違うよ、そうじゃないんだ。


    君は思考していない。


    ただ、論理に支配されているだけなんだ。 ☆






    近代合理主義を信じた利益もあったかも知れない。

    こんなに便利な生活が! 実現できた事?  

    ならば、その裏には、

    近代合理主義を信じた罰と云うものも、あると云う事です。


    罰の方が大きいと云う事が、分ったのなら、

    もう、止めた方がいいのではないですか?



    まず、日本が真の独立国になりたいのなら、

    近代合理主義の論理の支配から抜け出さなければ、、、

    欧米は、エライですね!

    武器や兵器を使わずとも、他国を

    自分たちが作った思想で、支配をしています。

    さすが ! 究極の支配です。

    人間の前頭葉も、そこまでできるのですね!!     あはは。



    かれらがめざすてんごくとはこれなんでしょうね!

    にほんじんもこれをみならってじまえのしそうをだいじにしましょう。



    究極の願いは、、、

    日本人は、そんなに馬鹿じゃないと、信じたいですね !




    ① と ②の部分は、次々回へ廻したいと思います。

    次回は、別の記事、インターミションを入れます。


    長い記事を、最後までお読みくださって!

    感謝です!




    よい一週間を、お過ごしくださいね。







































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

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    コメントへのお返事 20.   神に成り上がった経済   「苦」と「楽」について 3.

    Category : 西洋と東洋の違い 
      高尾山南陵、山道に突然現れたヤマブキ草の群生  


    山吹草の群生


    写真をクリックしてみてください!


    (高尾山南陵の花たち・前の記事からのつづき)


    もう、3カ月も前になるのに、

    この写真に写っている、ヤマブキ草のお山の前に立った時の感動は!

    忘れられません、、、

    里山から、山の暗い森の中へ山道を進んでいくと、

    突然、正面に、こんな光景が広がっていました!


    ちょっと、我を忘れてポカーンとなって、、、 ほっ。 


    なんとよく見るとヤマブキ草のテーブル、です!




    ピンクの花も傍にちょっと、あしらわれていて、 

    まるで〝ヤマブキ草のお刺身盛り”。    ほほっ。


    森の奥から、白雪姫が、7人の小人と出て来るみたい。    ほっ。

    何やら柔らかな心になりました。


    ---- こんな風景って初めてですね。


    普通、山で見るお花達は、こんな風に集まって咲いておりません。

    藪の中に、1, 2 輪とか、 とびとびに、時々見る位です。

    後からお見せするクマガイ草など、きれいに横並びに整列してましたもの、

    ここは、素敵な花場ですね!



    写真の左下の隅に見えるのが、これから登って行く山道です。

    その山道の少し上、白い花が見えますね?

    後で紹介するニリン草の群生です。


    背後のゴツゴツした森の木々をご覧になって、、、比べてください!

    森が、なんとむさくるしく思える事!    あはは。



    まるで、今日の記事、 

    --- 神に成り上がった経済 --- 



    経済と云う魔神が住む森!     あはは。




    経済については、前々から記事を書きたいと思っていましたが、

    きっかけがないまま来ました。

    もちろん、私は経済の専門家ではありませんが、

    ここ30年間位の経済の異様さ!

    何から何にまで支配をしようとする経済!

    それ以上の価値は無いように振る舞う横暴さにカチンと来て!  ほほっ。



    いつか、今の経済の、 東洋の叡智からの鑑定をしたいと思っていました。


    少し前、フランスの哲学者、デュピュイの新著、

    「経済の未来」が出た処で、、、


    ド~セ西洋の意識哲学の範疇のハナシ、と思いつつ、、、 あはは。

    現在の意識哲学が、どの程度、

    自前の経済を訴追できているのか? (無理に決まっているわ)

    経済を、王位から蹴落としているのか? (できないと思う)

    西洋の知性と東洋智と比べるのもおもしろいかも知れない、、、   


    しょせん、西洋の意識哲学は、

    結局は前頭葉の中の血流がどこに充血しているかと云う

    五感が作り上げた方法論でしかないのです。 

    反転した云い方をすると、どこに血流が行かずに放置されているか、

    そのように意識が無視した部分が、

    そこが、人間がヒューマンエラーを起す処なのです。
     

    デュピュイの新著は、おそらく、方法論に終始していると思って読みました。 

    (あっら、失礼な事を申し上げてしまってごめんあそばせ!)


    それと真実味の無い言葉群です。   

    これは、デュピュイの言葉の問題ではなくて、

    近代合理主義における言葉は、

    当然、私自身も含めて誰もが自覚がないだけで、

    我々の中身が、実体が、近代合理に否定されている訳です。

    無意識で得たいろんな知恵やひらめきにとって肩身が狭い社会です。

    その反対に、大手を振って通っているのが、

    自然界に実体のない、中身が実在しない、観念が作り出した言葉群です。


    理性とか、感性とか、自由とか、平等とか、義務とか、権利とか、

    人権とか、契約とか、犠牲とか、奉仕とか、聖とか俗とか、

    ある時は、愛とか、無償とか、もそうですね、、、 


    製造元は、西洋哲学です、、、    ほほ。

    みんな人間の前頭葉・意識が作り出した観念の言葉ばかり!

    西洋哲学の本を読む時、うんざりします!!!

    実体の無い、いわゆる仮に作った虚構の中の言葉群です。


    これらを、仏教では、方便(真実ではないウソ)と言い、

    こう云う教えを説いてある経典を*権教(ごんきょう)と呼びます。    


    *権教 = 【仏教語】真実を内包する大乗(法華経)に導き入れるのに、

    衆生にとって真実が難し過ぎるので 受け入れやすくした仮の教典。


    これら西洋の観念的言葉群を

    我々は、自分が使う東洋の言葉のように、

    自然の中に、言葉の中身が実在すると思って読むから苦しむのです。 あは。

    むずかしいと思うのです!  ほほっ。


    たしかに、彼らが、有史以来、命懸けで鍛え上げて来ただけはある

    狩猟民族の外界を捉える五感のセンスが、

    鋭く光りを放っている言葉かも知れないが、

    昔からあるキリスト教教理の上に積み上げただけの

    旧態を守った方法論に過ぎないのです。

    西洋哲学者が言う処の方法論は、------- 何も新しくはないのです。

    言葉だけ目新しくて、がっかりします!

    今回の〝破局”もそうね。


    現代に惹起する問題点の原因は、

    すべて今の世界を仕切っているキリスト教根底の現代の思想である、

    近代合理が生んだものです。

    --------- それが、分っていないですね。


    そして、近代合理を生んだのは、当の西洋の人達ですから、

    今さら、西洋の西洋哲学者が何を謂おうと、

    その西洋人が発する方法論は、どこまで言っても、

    今の近代合理を広めて来た側の弁解にしか聞こえないのです。


    厳しいですが、そんな現状認識、発想なら、

    東洋では3000年以上も前に、すでに体系的に済んでいます。

    先ほどの権教、初期の頃の仏教の衆生を均(なら)すロジック(方便)です。

    仏教は、それらを、方便だから捨てろ! とも言っているわ。

    もう少し、東洋哲学も知っていただきたいなあ~


    西洋哲学で火事を起しておいて、もっといい方法がある!

    今度は、西洋哲学のこれで、どうだ?     あはは。

    これじゃ、マッチポンプです。

    そう云う食傷感が喉元から上がって来て、吐き気がします。




    西洋哲学は、難しいと云っても見えた現象の説明の言葉です。

    すべて五感で感じた事を説明する為の言葉群です。

    五感で、見た、聞いた、思った事の説明ですから、

    本来は分りやすいはず、

    それを難しく感じるのは、

    わざわざ、観念が造語した言葉で表現するからです。   あはは。

    もっと、素直に自然と云う対象を観察すれば、

    実体そのままの言葉が出て来るはずなのにと思いますが、
    (これが、東洋哲学の言葉です。)


    西洋人は、ほとほと自然を受け容れていなかったのですね?

    自分の欲望をどうしても満たそうと思う意識が、強すぎて、

    相手を強く意識した言葉になる。

    それで、自然のありのままから浮き上がった言葉になる。

    技巧的、偽装的、徹底的な自己愛の言葉群です。


    そうした事を

    東洋の叡智を以って、西洋哲学の氏素性を知って読めば、

    西洋哲学はそんなに難しくないのです。

    西洋哲学は、意識的で言語的で、絵画的で、紙芝居のようです。

    それは、紙上、口上の表現の上でしかないと云う意味ですよ。

    でも、いかにも spectacle スペクタクル!

    一枚めくれば、どんな展開があるのかしら!!?   

    あの、紙芝居のドキドキ感です!

    あっは~楽しいですね。

    で、言葉以上に壮観な想像をしてしまうのね ?    ほっ。

    壮大な見世物ですから、すごく偉大に見えてしまう。   あはは。

    それが、芸術作品ならそれでいいのでしょうけど、

    地球や我々の命が掛かっている事よ!

    いくらモナリザでも、我々を救う事はできないでしょう?  あはは。

    でも、人は、見えない、聞こえない無意識・東洋より、

    華々しい意識・西洋に簡単に魅了されるようです。


    だから、今、東洋は、西洋の影に沈んでいます。 


    沈んでも、かき消されても、東洋は不滅ですよ。

    だって、現象なんかじゃないから、 

    見えないけど、在ります。      ああは。



    人間の観念の偽性が、西洋の特徴的な長所なのですね。

    大抵の人は、この偽性を、真実だと思い込んでいますよ。  あはは。

    まるで、媚薬? か麻薬のようです。   あはは。

    近代合理主義で気持ちよくなると思って飲むと、

    もう、抜き差しならない奈落に堕ちている、、、    ほっ。


    今の時代の篩(ふるい)によって、

    我々、東洋人は、選別されているのかも知れないわ。

    むずかしさは、東洋の方が上です。

    東洋学をやれば、西洋は漫画を読むみたいにおもしろいわ。

    ただの現象だから、どうしてそうなるのか分ってしまうの。

    東洋学を、お勉強してくださいね。



    あーっ、

    今日の記事の前触れが、長くなりました!

    今年の春の高尾山南陵のお花の写真へもどります!









    高尾山南陵のお花たちの写真は、今日で終わりです。

      
    先ほどのヤマブキ草の手前には、

    珍しいクマガイ草が、お行儀よく並んで咲いていました。



    クマガイ草


    両手を広げた間に、まるで五円玉のように見える花弁が特徴です。



    近くで見ると、よく分るわ。

    紅紫色の網目状脈がある丸い袋状の花弁をぶら下げた

    ラン科の多年草の熊谷草(クマガイソウ)


    クマガイソウ




    ちょっとクマガイソウの薀蓄(うんちく)を、、、


    この袋状の花の名前の謂われは、

    平家物語の中、一の谷(現、神戸)の合戦で負けた平家が敗走する時の

    逸話からです。


    源氏側の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)が、

    平家を追い詰めて行った折に、

    平敦盛(たいらのあつもり)との一騎打ちになります。

    敵方の若武者、敦盛の首を討ち取らざるを得なかったのです。

    殺された若き敦盛は無念の死だったはずです。

    自分の息子と同じ年頃の敦盛を殺さなければならなかった熊谷直実は、

    その後、敦盛の無念を晴らし霊を弔う為に出家をします。


    この熊谷直実の逸話は、武家の逃れられない性(さが)、

    この世の無常を表現する題材として、

    後世の武士の間で非常に好まれました。

    能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』等の作品に取り上げられています。




    ------ ここの無常、無常観を、覚えておいてください。

    仏教有縁の地、日本では庶民感覚で、無常感が語られていました。------






    熊谷直実が、その一の谷の戦で、

    後ろからの矢を防ぐ為に背負っていた -- 布で袋状に縫った母衣(ほろ)--と

    この花弁の形が似ているので、それに見立て、

    若き敵将を弔った熊谷直実を忍んで命名したのがクマガイソウです。


    ★ 熊谷(くまがい)直実は、

    武蔵国熊谷郷(現、埼玉県熊谷市)の平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。

    彼の名は、日本一暑い街で有名な埼玉県の熊谷(くまがや)市の名前です。





    登山道に沿って一面に咲くニリンソウの群生



    一面のニリンソウ



    ニリンソウを近くで見ると、


    ニリンソウ








    最後に、巨大な切り株を、、、、


    一位の切り株



    この一位(いちい)の切り株は、ゆうに私の背丈の倍はある高さでした。

    カメラの目線が、切り株の高さの丁度、半分くらいの処かな?







    この一位の切り株を見て、何を想起されますか?



    かっての王者が、亡びた身をさらしているようだ。と

    ピーンと来た方は、ブログをよく読まれていますね?    あはは。





    自然から、『運命学』を学びましょう。


    この木が、まだ生きて聳え立っていた時には、

    森の中で一番目立つ、森の王者のような存在だったはずです。

    森で一番高いがゆえに、

    落雷で割れるか、折れて、最後は人の手によって幹が切られたのでしょう。




    このように、

    この『陽』の現象界で、このように気勢が強いと云う現象は、

    『陽』の極みの位相の現象です。




    こう云う場合は、

    「過ぎる」と云う事を気を付けなければいけませんね。 

    ここでの「過ぎる」とは、『陽』が過ぎる。『極陽』です。


    自然界の調和を乱す、に通じます。 

    「自然の摂理に逆らう」

    『陰』・命を破壊する事なのです。

    すなわち、「過ぎる」とは、滅びであり、

    『陰陽』の中庸(バランス)を破る事です。




    ついでですから、過去記事に何度か書いた事がある

    次の運命学の2つの言葉を、、、、、

    憶えていただいているかしら?  



    ★ 旺ずる極みは、衰。 (おうずる きわみは すい)

    (力を溢れ出して栄え、強さが究極になれば、後は衰えるしかない。)



    ★ 研ぎ澄ました刀は、切っ先から毀(こぼ)れる。

    (切れるように研いだ刀は、刃の先端から毀れるように欠けていく。)




    これらの運命学の言葉が言い表しているのは、「過ぎる」の意義と同じです。


    究極の『陽』は、滅びに通じます。

    『極陽』・人為を極めると云う事は、『陰』の磨滅なのです。



    このように、人間の五感で捉えられる意識の世界の、

    物事の成り上がりや、その全盛期においてすら、

    その中に、衰えの「相を観ずる」と云う洞察力は東洋独特のものです。



    特に、運命学では、

    たとえば、『陽』の現象界に〝成功の姿”が現れているとします。

    そうしたら、その〝成功の姿”の意識が、何に支えられているのか?

    つまり、奥底に潜む無意識界のエネルギーや、

    それらを支える命式から分る位相を観るのです。






    りっぱな花実を付けて聳え立つ樹木があれば、その根を観るという事です。




    根の状態です。 


    そして、その養分を吸う土壌(先祖、家系)を観ます。

    それが、ご本人の道徳観、生命観、人間観、人生観として意識され、

    命式と一致するのが確認できます。

    もしくは、どう云うエネルギーが成功と云う現象を生んだのか?

    その成功の由来を調べる。


    いつまで持つのか?  『時』です。



    また、立派な花実を付けた樹木の根は、疲れているはずです。

    支えるのに必死で、衰弱している(陰徳が無くなっている)はずです。

    その疲れを、どう回復させるのか?

    バックアップする陰徳の蓄えがあるのか?

    その回復させる大地(先祖の遺徳)に根は守られているのか?

    そこまで観えます。



    五感には捉えられない、目で見えない、意識で捉えられない、

    まだ意識化する前の無意識界にあるエネルギーを観じていくと云う事です。



    次なる現象化を起こすエネルギーが、まだ命式にあるかどうかですね。

    命式の中の季節、『時』が助けるように巡って来るのか?






    未来を観るとは、そう云う事です。


    現在の〝成功の姿”有頂天に溺れていても仕方がない事でしょう?

    現在は、瞬く間に必ず、遠い過去になります。

    過去を追いかけるのが、運命鑑定ではありません。






    現在は、どんなものでも捨てる為にあります。




    『極陽』の華々しい現象化を生むのは、調和を失ってしまう前兆である。

    最後の『陰徳』をすべて出し尽くして失って行く姿です。





    途中ですが、  


    丁度、この記事を書いている時に、

    藤 圭子さんの訃報をテレビで知りました。

    -------- 心からご冥福をお祈りいたします。

    私は演歌全般をあまり聞いて来なかった方なので、よくは知りません。

    しかし、宇多田ひかるさんが出て来て有名になられた頃ですが、

    運命学的に感じた事がありました。

    母娘そろって、有名に世に出る事は良くないなあ、と

    ピーンと感じるものがあって、気にはなっておりました。

    世間的には、成功の姿なのですが、それが不兆の始まりになる、、、

    そんな思いで、時々ですが、チラッと情報に接するたびに、

    私の胸が、チクリチクリと痛んでいたのは確かです。

    ええ、すべて私の胸の内の事です。

    ブログをお読みになってくださっている方にはお分かりでしょうが、

    --------- 藤 圭子、その娘、宇多田ひかる、一人娘です。

    これが、女系の証明です。

    絶家が確定する、、、な気がしました。

    ひかるさんも女系の生き方の運命ですから、

    しあわせな結婚や子供はない、子孫は途絶えるだろうと予感をし、、、

    その事をご本人へ伝える術はないですから、、、

    他人の運命ながら気がかり、そう云う心境でした。

    その後、まだ子供も生んでいないひかるさんが卵巣嚢腫摘出手術をしたと、

    藤 圭子さんが同じ夫との再三の離婚再婚の繰り返し、

    ひかるさんの結婚、離婚、両親の離婚、

    女系の運命コースをそのまま転落して行っているのを、

    ピシピシと観させてもらっていました。

    つらいだろうな、どうしてあげる事もできず、この先は、、、と、 

    で、この訃報でしたので、

    お辛かっただろうなと云う心でおります。

    女は、有名になったり、生活を背負って大金を稼いだり、

    成功をしてはいけないのです。

    女系の自覚を持って慎むようにした方がいいのです。

    なるがままに『極陽』の姿を現じる事は、即、破壊、

    自分の人生も破壊し、子供の人生も破壊が現象化します。

    世間の成功なんて、なんぼの物でもないのですよ。

    女性は、貧しくても、辛くても、どんな境遇でも、子を産み、

    『徳』を持って慎ましく自分の家族を築いて行く事です。

    それが、女性の『徳性』の生き方です。

    その片方の生き方は、女徳を捨てた男勝りな『極陽』の生き方です。 

    さあ、どちらを自分の生き方に選ぶか?なのです。

    『極陽』の姿を未練なく捨てて、『女徳』を選べるか?  

    『天』自然の摂理によるテストです。

    このテストは、当の女系の女性が能力や才能を持って生まれて来るので、

    自我意識や欲望が先行して、特に近代的自我を帯びた今の女性に取れば

    非常に『徳性』を選ぶハードルが高くなっています。

    女系で、『陽』の男と同じ生き方を選んでしまうと、

    社会的な成功はそれなりにおさめます。

    が、『陰』の女の徳性は失いますから、

    どんなに有名になってお金を掴もうが、最後が孤独です。

    子供の幸せを願って自分の代で、女系を終えたいと思うのなら、

    今度は反対で、貧乏でそれは大変ですが乗り越えるしかないのです。

    どんなに苦しくても『徳』を大切にする生き方をする事です。

    いままでの先祖が、『徳』を選ぶ『苦』を避けた業です。

    それを全部、今度は自分がどんなに苦しくても『徳』を持って引き受け、

    『天』・道理に合う生き方を貫いていくしか、

    女系の家系は、立ち直りません。

    藤 圭子さんは、『陽』を選んだ結果と云う厳しい実例になりました。

    他の女性の芸能人、知識人のキャリアウーマンの人にも、

    有名人の男性にも、女系であれば子供ができませんし、

    できても一人娘など、女系の典型的なケースが、沢山見受けられます。

    藤 圭子さんのご冥福をお祈りいたします。







    (先程のつづきから、)


    運命学とは、「今」が幾ら調子がいいと言った処で、

    過ぎゆく「今」を観るものではありません。

    間違いなく「今」になる未来を観なければいけないものですから、

    きびしいのです。  ほほっ。



    こう云う哲学的遺産が東洋にはあるのに、その歴史を何も知らない、

    東洋の日本に住んでいながら、

    日本人は、東洋の叡智も知らない方が多いのね?  あはは。




    私が、この「東洋の復権を求めて、、、」のブログを立ち上げたのも、

    東洋の運命学、および儒教や仏教の世界観を知るにつけ、

    見かけだけはカッコウよさをテラっているような

    現代文明の世界観の狭さ、

    過去と今を重要視する現代文明の近視眼の異常さに

    気が付いたからです。




    このままでは、とんでもない事になるかも知れない??!


    現代文明は、新しく変革するような? 素振り、見せかけだけはあります。

    しかし、実は、ジクジクと中味が変化できない文明なのですね。

    自分の「楽」が手放せない文明であります。

    自分の感じた事が大好きな文明であります。

    自分への執着と、感覚的な「楽」への執着を断ち切れないのです。

    見栄えだけ新しく見せても、素肌は垢だらけ !  あはは。

    たまには、キレイに洗ったら? と思います。  ほひ!


    それはそうですね! 

    どこにも『陽』の「偽性」が垢になって隙間なくこびり付いていますから。



    現在と自分を大事する近代合理主義では、

    我が身が、垢まみれな事にも気が付かないで、

    それでもなお、飽きもせずに、、、      あはは。

    欲望を追いかける事を正当化する言い訳のロジック作りに没頭中です。

    そんな意識のアクロバットばかりをしている現代哲学より、

    運命学で未来を観る方が、よっぽど気分がいいのです!

    未来が分かれば、今が、現在が変わりますから、

    運命学が新しさを求める流儀を気に入っております。   ほほっ。

    運命学で、近代合理主義は丸見えでございます。



    現代人は、たくさんの知識を身に付けておりますが未来が分かりません。

    だから、目の前の花火のような『極陽』の現象の目立つ姿に幻惑されて、

    誰もそれが衰える事など想像する事も思いつかないわね!  

    それどころか、いろんな感情に襲われるものです。

    ただただ、、、うらやましい~!  とか、    あはは。

    自分もああなってみたいものだ!  とか?   あはは。

    あいつは、なんと運がいいんだろう!  とか、  ほほほっ。


    愚かな意識は、無意識界の実相が見えないから、、、

    つい華やかな存在を見れば、それに憧れたり、    ほほっ。

    この現象界で、今起こっている事象に迷う現代人は、

    なぜ、そうなっているのか? が分からない為に、

    みんなが、少しでも多くの現象界の『陽』の成果を欲しがります。 

    欲望に突き動かされて努力をすれど、結果はどうなのか?

    悩んで生きていると云うのが実態でしょう。

    ほとんど、悩みはここら辺で起きているのですよ。  
       
    人間的と云えば、人間的ですが、、、

    『陰徳』も積まずに結果だけを欲しがっているのでは、困ったものです。




    と、云う事で、先にご紹介をした


    現代の近代合理主義社会での

    〝成功と云う価値観”に真っ向から冷や水を浴びせ、、、

    物質文明が、我々の心をあおって憧れさせている天国の方向へ、

    真正面から疑問を投げかける、、、

    こう云う運命学の言葉群を、--------

    さて、

    このブログの読者の方たちは、どう感じられるのでしょうか?



    それと、もうひとつ、

    運命学の言葉と、ほとんど同じ意義であろうと思われるのが、

    クマガイ草の名の謂れの処で出て来た平家物語の中の

    仏教の無常観を表わして有名な次の言葉です。


    驕る平家は、久しからずや


    正確には『平家物語』の

    「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」とあるのが

    言い換えらえたもので、

    ・盛者必衰、・月満つれば則ち虧く、・物盛んなれば則ち衰う、などの

    同義語の言葉もそうですね。

    俗には、驕るから滅びる、と云うように解釈をされて、

    滅びない為には、驕ってはいけない、と云う戒めの言葉になっています。


    ------


    そこが、

    先の二つの運命学の言葉とは意味が違っております。


    運命学では、「驕ろうが驕るまいが、極まりの次は滅びであるから、

    極みの手前で中庸・バランスを取りなさい。と云う厳しい言い方なのです。



    易学などの影響が大きいですね。

    易は、変化を科学する学問ですから、もっとダイナミックです。


    -----



    仏教は、もっと厳しいのよ!    ほっ。。

    全ての物事には、成り立ちから、それが盛んになって滅びる法則がある。


    成住壊空(じょう・じゅう・え・くう)と云う大きな時の区分があります。

    四劫(しこう)といいます

    成って、住して、壊れて、空になる、それを繰り返すと云うのです。



    宇宙自体も、宇宙の星もそうだと、当然、地球もそうです。

    すべてのものが、同じ処に、同じ時に、止まらない。

    その繰り返しが、ある意味、永遠に続く。と云う思想です。 


    なんと、東洋は、時も永遠に!

    すべてが、永遠に変化をし続ける!    ほほ。



    変化も、ある ない だけではなくて、どう変わるとか複雑です。

    変るリズムは変わらないけれど、

    その中で、どういう住劫なのか? 壊れていく時は?

    さまざまな状態があります。

    人間も、生れ方、死んでいくありさま、いろいろです。



    それに比べると西洋のキリスト教を根底にする西洋の哲学には、

    『時』と云う、移り変わる概念が無いので






    時系列、時軸、がない。




    死んだら天国へ行くらしいのです。

    後は、ずっと天国暮らしで、  そこで終わり。 あはは。

    過去世もなければ、未来世もなく、この世だけです。 

    この世も、五感・意識が掴み得る〝今”、だけなのですから、、、

    この今と云う『時』だけから、いろいろ言葉を出して来るのです。

    今と云う『時』から見える世界は、どんなのか?

    丸い筒を目に当てて、そこから覗いた狭い範囲の今と云う視界です。



    『時』を説いていない教理にも関わらずに、永遠の愛って? 

    西洋的恋愛では、言いますよね!?    あはは。

    天国にずっといる事が、それが永遠なのでしょうか、、、




    永遠の生命を解き明かしていない西洋文明の哲学では、

    有頂天を感じる意識を最高に持って来るしかない。


    それが、成功、一等賞、サクセス、それを夢見る事しかないのです。

    日本も、だんだんそうなって来ていますね!


    お祭りの〝わっしょい! わっしょい!” の御神輿の、

    その天辺に乗っている瞬間だけを追い求める。

    そこから先は、五感にとって淋しくなるから捨てる。

    意識には、祭りの後の淋しさの救いが見当つかないから、捨てるのです。

    なんでも捨てるのね! 意識では考えも及ばないのです。

    クリスチャンは、死んだら天国へ行って The END です。

    自分は、天国へ行っちゃうのですから、その先には責任を負っていない。



    農耕民族のように、『天』の時節を見ながら農耕をしなかったからか?

    洪水で精根傾けた作物が全滅になる経験がなかったのか?

    物が壊れる、失う空しさを味わっていないからなのか?



    狩猟民族にとれば、

    今日獲った獲物は無くなるのは当然、食べれば無くなるわ!

    無くなれば、又、明日獲物を探しに行けばよかったのですから、

    その日暮らしの狩猟民族ですか、、、あはは。



    守るものが、無い。  

    守る田畑が、無い。

    守っている物が、いつか全ては壊れると云う警戒感がない。

    『時』の推移で物事は移り変わると云う思想がない。



    -------- 無常感がない!   ほっ。




    そう!  西洋思想には無常観がありません。

    これがすべてに亘っての違いとなって現れて来ます。


    そして、

    まえがきで紹介をしました盛衰の理(ことわり)、

    当然、全ての事象は『時』と共に変化をする。

    旺ずる極みは、衰、、、

    盛者、必衰の理(ことわり)などの概念はないのです。






    自然と人間の関係においても、


    人間と、自然(この世界)は神が創った物ですが、

    自然は、神が所有する物になっています。

    しかし、人間と自然は、同等どころか、

    自然は人間が征服するものだそうです。

    ここで、不思議なのは、

    人間は、神の所有物である自然を支配してもいいの?   あはは。



    近代合理主義以降、世界の先進国は、この論拠で、

    このキリスト教教理を根底に持つ西洋哲学で、

    日本も、その仲間として、皆で、人間の欲望達成の為に、

    自然を利用、破壊、作り変えて来ました。


    地球資源を利用して価値を生み出す。

    それで、人間の生活の向上をはかって来た。

    これが、現在までの経済の目的であり行為そのものです。




    地球を破壊する限界まで自然を収奪してしまったのか...


    それが、自然を支配すると云う事なのか?




    自然を支配する。 -------- 西洋的自然観

    自然に感謝をする。-------- 東洋的自然観


    同じ自然でも、その対応はぜんぜん違います。





    ・・・自然への感謝、、、いかにも東洋的なのです。・・・・・・・・・・



    と、云うのは、

    この自然に感謝をする心が、持てなかったのが西洋の人たちです。


    えっ? そんな?  と思われますか?

    私自身も、海や山でバケーションをする外人の姿を思い浮かべて、

    ? ? と思います。   あはは。

    アメリカの人も、フランスの人も、やさしい人達です。

    人は馴染んで来たら、相手も自分と同じだって思い込むのですね。




    古来の日本人が自然を敬い、ありがたい! と思うのと同じような


    ・自然への感謝は、西洋のキリスト教にはありません。


    キリスト教では、感謝する対象は、この世界と人間を造った神です。



    ええ、収穫への感謝はありますが、

    それは収穫と云う恵みをお与えくださった神へ捧げるものです。


    宗教の教義ですから、いろいろあるでしょう。

    それはそれでいいのですが、


    それはそうだわ! 

    自分が支配しているモノに、感謝はしないものです。




    こう云う思想にかれこれ68年浸ってしまって、

    地球の資源がまるで無尽蔵にあるかのような?

    消費を奨励する経済がイニシアチブを取る近代合理主義の社会の中にいると、

    東洋の無常感など、どこ吹く風で、

    これが、天国に似ている感覚なのかしら ?  ほほっ。

    と云うような誤解すらしてしまいそうです。   あはは。


    経済が作る疑似天国を目指す社会にいれば、

    日本人の体の中からも無常感が蒸散して行くはずです。

    もう、ちいさな子供たちは、西洋のキリスト教徒の方と同じ様に、

    無常観って??? と云う人間になっているかも知れません。

    昨今、起こる事件などを想えば、そうかも知れないと思ったりします。

    我々は異教徒でありながら、

    自分は違うと思いながら、

    実は、もう、完全にキリスト教の思想圏の中で生きさせられている。


    これを、本気で自分の中から解除するのか?

    これを、このまま受け入れて、二元論の中で、

    無常観のない疑似天国の中で、

    埋もれて行ってしまうのか?

    考えなければいけませんね?    


    と云う事を、真剣に考えるようになりました。  あはは。

     



    四季のある自然と共に生き、在るがままの自然を恐れ感謝をし、

    自然へ畏敬の念を抱いて来た我々の先祖の生き方とは違う、


    神への感謝はするが自然を支配するキリスト文明、 


    『時』軸の無いキリスト教理が生んだ天国を志向する西洋哲学、




    この天国の「楽」を追求する西洋文明が、

    此処に来て、初めて〝破局”と云う言葉を使い出しました。






    現代における我々を取り巻く地球環境の問題、

    この問題は、イギリスからの産業革命が起こって、

    神に対する人間の意識の独立、

    そこから生れたキリスト教を母体とする近代合理主義、

    世界中に、その近代合理主義が、広まって、

    近代国家が増えるに従って起こって来た問題ではありませんか?




    地球上の近代国家である先進国を全部巻き込んで、

    まるで王権を揮うが如く振る舞う経済、

    この地球上の問題は、経済が起している?

    誰もがそう感じていますよね!



    この〝破局”と言う言葉を発信したのは、またもや、西洋です。


    では、現代の自然環境の破壊を許した思想は、何?


    何度でも、言います。

    これでは、マッチポンプですね?   あはは。


    今日は、長大編になりそうです。   あはは。

    どうか、数回に分けてお読みになってくださいね。







    今日の記事は、

    コメントへのお返事 20.  神に成り上がった経済  「苦」と「楽」について 3.






    実は、今日の記事に、ジャン=ピエール・デュピュイの著書、

    『 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために 』の本を引用した記事を

    書こうと思ったのは、

    次のコメントの破局という言葉からです。

    前回の記事にいただいたコメントを紹介します。





    やあ、長編の記事、
    おつかれさん!
    ひさしぶりに大砲が轟く中、
    何度も目をこすりながら拝読終了。
    ものすごい音だ、
    今後も記事が長くなるようなら、
    分けて読みましょう。

    [破局]という言葉ですが、頭にチラつきました。

    cosmosさんの頭の中は、それ、前提ですか?




               [  ]は、編集で付けました。



    まあ、いつも励ましのコメントをお送りくださってありがとうございます。

    長い記事を、目を擦りながら!

    最後までお読みくださった事、深く感謝申し上げます。

    ところで、破局と云う言葉ですが、

    地球の破局、日本の破局、いろいろな意味がありますが、

    どの破局だろう? と考えてみました。

    私の頭の中は、今、特に、欺瞞に満ちた経済を憎んでおります! あはは。

    憎さ一千億倍! 憎たらしいですね、、、経済は!


    誰しもが欲と言うものがあって、お腹が空いていたら、

    目の前のおまんじゅうに手を出すだろう。

    その見え透いた人間の根性を的にして、弾を撃って来る悪党、

    それが今の『徳性』を失った経済です。

    そして、限りなく我々の消費の向こうに経済の成長があり、

    我々が幸せになれると云う天国を憧れさせる。。。

    みんな、嘘ですよ!


    かって、フーコーが、「人間が消滅するだろう」と述べています。

    これは、人間が、その人間らしさを失うだろと云う事だと思うのですが、

    近代国家が、便利さや「楽」を求めて止まない国民に、

    神に成り代わって、国民の望む医療の便利さや老後の快適さを

    与える代わりに、

    国民の命、健康、生死までを支配し、管理をするようになる。


    今回、日本で、

    40歳までの女性の卵子を冷凍凍結するのを許すのは国家です。

    本来、これは近代合理が排除した宗教、倫理道徳が決めるべきです。


    国が、近代国家と云う囲みの中で、宗教、その教理に成り代わって

    人間の命を扱い出したのです。

    いわゆる、善悪に係る、真理に係る部分ですよ!

    段々こうして近代合理に飼い慣らされて、

    我々は、自分の人生を国家の都合によって決めるようになる。

    我々の子孫は、最終戦争の兵士として、安全保障の同盟国の為に

    戦死をさせられるのでしょうか.....


    この足音が聞こえるから、

    数年前、このブログを立ち上げようと思ったのですが、

    今は、もっと、その足音は大きくなっている。


    それは、『陰』の抹殺から起こる当然の現象化ですが、

    これを、決して現象化させてはなりません。






    ◎ では、コメントへのお返事の記事です。



    経済が大事だって云う事は、重々理解しているつもりだけれど、

    ここまですると、何か社会全体がゆがんで来ている気がする。


    こう云う感覚を、お持ちではないでしょうか?


    ----- そう感じているのに、口に出して言えない。


    おまえも、経済のおかげで「楽」になっているんじゃないか?

    昔の人と比べてごらん、まるで、雲泥の差だ。

    経済がないと、今は、何もできはしない。

    まず、経済なんだ!




    我々の感じている、この感覚は、正しいのです。



    今の社会は、経済を神の様に最重要に扱っている。

    そう感じている事は、図星だったのです。







    ――― ここから、ジャン=ピエール・デュピュイの著書、

    『経済の未来−世界をその幻惑から解くために』を参考に致します。




    まず、デュピュイは、

    人間社会にとって究極の「悪」とは何か? 

    と云う考察を読者に誘います。



    現代での最も恐れなければならない脅威は、悪意ではなく、

    善意で消費者に便利で効率のよい商品を作り出す産業が生み出すだろう

    と予告していたが、その通りになっている。

    いまや怖れるべき事は、数々の悪意なのではなく、

    むしろ国際原子力機関のような、

    法的自己防衛としてのコンプライアンスのような、

    無人格な監査人組織に正当性を保証してもらうような、

    いいかえれば全世界に平和や秩序や安心をもたらそうと云う正当性を

    当てがわれた組織体の営為そのものなのである。

    そう云った善意に溢れた産業や組織体が、脅威を生み出すのだ。




    その通りです。

    制度や法律で、悪は止められません。

    制度や法律や組織や機構、システムは、人間の意識が作ったものであり、

    『陽』ですから、「偽性」が伴います。善悪に通じます。


    現代の悪は、正義の為の制度や機構、システムが犯す悪であり、

    個人が犯す悪よりも、社会的な影響は広く深刻です。





    我々が将来、回避する事が可能なリスクと、

    将来にわたって回避する事が不可能な「破局」は違うと云う事、

    産業社会が、生態系の深刻な破壊に直面しているのに、

    道具的合理性と経済的論理を優先して、

    未だに現実的対策を科学的検証に優先させる予防原則を導入しつつ

    リスク管理社会による延命を図っている。


    なぜなら、現代が直面している現在進行中の人類の危機は、

    もはや計算可能な管理できるリスクではなくて

    未来に起こるものとして、現在と未来との間に、必ず起こる破局だからである。




    もはや、現代の破局とは、管理できるリスクではなく、

    ちょうど、日本列島が、30年以内に、必ず見舞われると云う

    南海トラフの巨大地震と同じなのですね。

    地震自体を防ぐ事はできないけど、大地震が起こる事を受け入れて、

    後は減災の努力しかない訳です。






    デュピュイは、

    【経済】という考え方が生れた必然性について、

    近代合理主義の社会において、なぜ、経済(と云う概念)は生み出されたのか

    それについて次の様に述べています。



    近代合理主義によって近代化された社会は、

    絶対的存在である宗教を公的な場から排除する事で成立し得た存在です。

    この近代社会、近代国家にあっては、

    排除された宗教に代替する安全装置として期待された物こそが、

    経済に他ならなかった。






    近代合理主義は、

    西洋におけるキリスト教の神からの人間の独立運動です。

    原則的には、個人の信仰心は認めていますが、

    近代社会、国家の基軸や機構、判断から、

    意識では掴む事のできない無意識下や宗教を排除しています。


    ------ これが、東洋で云う処の『陰』の無視、

    近代合理の致命的欠陥です。




    排除した宗教・神の安全弁としての役割の代わりを、

    経済に託しました。

    つまりは、経済が、近代国家の中心的存在になったと云う事です。




    ここで、ちょっと注意書きをします。

    近代合理主義は、宗教を非合理として排除しました。

    この場合の宗教とは、キリスト教です。

    西洋の観念論哲学が、相手にしているのは全て、キリスト教の神です。

    西洋人は、このキリスト教の神をどう扱うのか?

    と云う点において、ずっと苦労をして来ました。

    神学論争や王権を脅かす教会の権威と王との権力争いです。

    また、神や教会と云うのは、人間を縛る桎梏でした。

    神や教会の権威に束縛された長い歴史の流れから

    それらに対抗をして生れた思想群の一つが

    近代合理主義です。

    西洋の歴史の中で、自由と平等の獲得と云うのは、具体性があります。

    自由とは、神から自由になる事だったのです。

    西洋人にとっては、

    神から、人間の意識が自由を得たのです。
     

    ここが、日本人の自由論とは、まったく違います。


    欧米の近代国家ではキリスト教の信仰はそのまま温存され、

    近代国家の礎としてのクリスチャンの宗教心が生き続けて、

    近代国家自体を支える役割をしています。

    例えば、アメリカ大統領は選挙で選ばれますが、

    その結果選ばれた大統領は、【神の意志】で決まったと見做されるのです。

    政治的な存在に宗教的権威が後にある社会です。

    だから、途中で何があろうと日本の様に引きずりおろしません。  あはは。

    毎年、総理大臣が変わるなんて! ありえないのです。 

    社会的成功も、神の恩恵です。

    神の恩恵で手にした財産は、隣人に寄付をするのが当然と云う考え方です。

    寄付の行為が宗教心の発露なのです。


    宗教心の温存が、日本の近代化の歴史とは全く違う様相になります。 


    日本での社会的成功は、自分の努力と実力です。   あはは。

    まず、我々を考えてみてください。

    欧米のキリスト教のような近代化以前から信仰している宗教を

    国民のほとんどが持っていますか?  

    形だけの初詣でとか、ばかり、、、

    心から日々信仰をすると云う事は、ないでしょう?

    現在の処、深く仏教や神道に帰依していると云うような人は少数派です。

    また、総理大臣や天皇を、神や仏の思し召しと思って受け容れていますか?  

    いいえ、この点において、まったく欧米とは違いますね。

    日本は魂もなく、丸裸になって近代化を成し遂げました。

    元々、魂らしいモノがあったのか?    あはは。

    地球上での、唯一の純粋種ウイルスを体内で培養した近代化病です。

    これは命取りになるかも知れません。ご用心あれ!







    では、再び、デュピュイに、戻りましょう!   ほっ。



    近代国家で除外された宗教、キリスト教の神の代わりに

    人間の意識が作り上げた社会の安全弁になった経済でしたが、

    2008年、世界金融危機を契機に、

    その安全装置としての経済も、その役割を果せない状態。自失に陥った。


    と述べています。 


    彼の履歴は、フランスの名門校エコール・ポリテクニク(国立理工科学校)で

    長年、経済学を教えて来た人ですが、

    現在はアメリカのスタンフォード大学で哲学を講義しています。

    デュピュイは、経済とは、何か? を考えて来た哲学者です。

    当たり前ですが、西洋の哲学で考えて来たのですね!

    西洋の哲学で!   惜しいですね、、、  ほほっ。


    デュピュイが、この本を書くきっかけになったのは、

    2011年のノーベル経済学賞の受賞者である

    アメリカのクリストファー・シムズとトーマス・サージェントが、

    「ユーロ圏の公的債務危機を解決するなんて経済理論から見れば、

    簡単!邪魔をしているのは政治ですよ!」と言っているのを耳にして

    その思い込みに対して、デュピュイがキレたからです。




    経済危機への処方箋が書けるのは、経済学だけであると云う思い込み、と、

    市場のみが経済に審判を下し得ると考えがちな現代人の思い込み、と、

    それを、ノーベル経済学賞の受賞者でさえ抱いている思い込みを、

    デュピュイが、西洋哲学の全てを使って、

    全力で突き崩そうとする闘争心から、

    この本を書こうとしたに他ならないのです。 




    その気持ちが、本の題名にそのまま表われていますね。

    『 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために 』

    いわずもがな、ノーベル経済学賞の受賞者でさえ、

    こうなのですから、庶民においてをや、、、ですね!    ほほっ



    しかし、哲学者のデュピュイが、

    ノーベル経済学賞の受賞者でさえ抱いている思い込みに、キレて、

    全力で突き崩そうとする闘争心が、その道具として使ったのが、

    西洋哲学の全てだったと云う点は、疑問を持ちます。

    まさか!合理主義下で、国家の安全弁までに成り上がった経済を、

    同じ合理主義で突き崩せると思ったのでしょうか?


    合理主義も、過去からの西洋哲学全般は、

    みんな同じキリスト教を母体として派生したロジックです。

    その哲学群は、全て神が中心です。

    すべての世界観、自然観、人間観が共通のはずです。

    まして、キリスト教理の持つ物質文明、欲望の肯定、二元論と云う

    おなじDNAを持つ思想たちであります。

    その一卵性多胎児同士のような思想群の中で、

    近代合理主義で神の如く力を持った経済を、突き崩す力を持つ相手を

    見つけるなんてできる訳がないと思うのですが?

    皆さんは、どう思われますか?


    これに関して強く印象に残った事は、

    西洋人のクリスチャンであるほとんどの哲学者にとって、

    いわゆる哲学とは、キリスト教哲学だけを指すのでしょうね、、、

    非常に、残念でしかたがありません。

    もしそうならば、

    これは哲学の研究の為だけのアプローチではない訳ですから、

    全地球規模の破局を回避する為のアプローチであるならば、

    西洋哲学だけに限る事は、非常に不合理であります。


    もしやしたら?

    西洋の知識者、知性派の人たちにとって、無意識下と云う世界は、

    かなりハードルが高いに違いないのかも、と、、、ほほっ。

    実にモッタイナイ事です。





    デュピュイは、資本主義について、こう述べています。




    資本主義を時代の経済哲学として続けていく条件は、

    資本主義が不滅であると信じる事である。

    経済学者たちが経済について語る時には、資本主義経済の破局は語らない。

    常に、経済の未来の成長が語られ、絶対に破局は語られない。



    なんだ、そうなんだと、、、思うでしょう?    あはは。

    結局は、子供をダマシダマシ連れて行くのとおんなじ、 ほっ。

    経済がずっと成長を続けるなんて、おかしいよ?

    消費し続ける経済の発展を信じる ----- これは宗教です。

    消費を支える地球資源の担保のないニセ宗教です。


    日本では、経済の成長の為には消費! 国民は消費をするように!  

    そう云う宗教のお触れが出回っていますわ!   あはは。

    そう、たしかに、経済は近代国家で神格を得ています。

    この神は、我々を、

    地球資源の破局、人類の破局へと突き飛ばすのね!?  恐い!

    発展理論しか唱えない経済、

    この邪宗教を信じる大人の生き方を見て育つ子供は、

    滅びると云う東洋の言葉を理解できないだろうな、と思う。

    東洋の無常観もブッ飛んでいるわね!    




    デュピュイによる現状認識は、こうです。




    絶対に、自らの破局を認めずに、成長を説き続ける経済的思考が、

    ますます猛威を増して、

    社会を飲み尽くそうとしている現状に警告を発する。

    この自らの破局を認めない経済自身が、未来を信じていないのではないか?

    政治を含め、社会の全ての価値の最上階へ登りつめた経済は、

    自分をコントロールできなくなっているのではないか?




    その通りです。



    、、、経済自身が、未来を信じていないのではないか?

    、、、経済は、自分をコントロールできなくなっているのではないか?



    おや、おや? 経済学者で哲学者であるデュピュイにとっても、

    経済は、掴み処がないのですね!?     ほほっ。

    経済と云う人間が作った概念が、人間を超える事は無いはずです。


    このブログでは、何度も書いてきた事ですが、

    意識は五感を通した環境から集めた現在しか解っていない。

    環境にない未来は感覚で掴めない、分からないのです。

    この意識を中心に据えた近代合理主義に基づく経済が、


    ------- 未来が分かるはずもない。





    では、どうすればよいのか?



    デュピュイの答えは、こうです。



    我々の世界が「破局」する ------ 我々の未来イメージ、

    これを、全員が、その両肩に担いつつ共有する事で、

    破局の回避を窺(うかが)うしかない。

    破局の到来が確実であると認める事が、

    逆説的には、最悪の破局を回避する最善の方法である。



    これは、ウルリッヒ・ベックの論、

    地球規模の【*注】カタストロフィーの予感が広く共有される事で、

    国境を越えた新たな責任の共同体の成立可能性は高く保たれる。

    に通じる考え方です。


    【*注】カタストロフィー・カタストロフ(catastrophe)

    フランスの数学者ルネ・トムが創作した数学の専門用語、

    1972年にカタストロフィー理論で、不連続現象を扱う数学的理論。

    不連続な現象を説明する画期的な理論として 一時注目を浴びて、

    広くいろいろな分野で研究された。

    自然界および人間社会の大変動、変革、大詰め、悲劇的結末、破局



    東洋においては、

    数学のカタストロフィー理論を出すまでもなく、

    この現象界は、無常。

    常ならざる処なのです。

    いずれ、こうなると分っていた事、驚く事もない。

    それを知らなかった経済学者の無知、

    繁栄が、永遠に続くと云う幻想こそキリスト教の天国思想の害悪です。


    東洋では、「苦」と「楽」とは一体です。

    「苦」は「楽」へ変り、その反対も然りです。


    無意識の内に、我々は「楽」を選びながら、「苦」を捨てているのです。

    捨てたつもりの「苦」が、積もり積もって「大苦」になって、

    今回の破局となって、押し返して来るのでしょう。

    先ずは、破局の共感の前に、

    「楽」ばかりを選んで集める意識は、良くないと知らせなければ、、、




    地球上に生きる我々全員が、

    この破局の恐怖を同時に共感する事がなかったら、

    この破局を乗り越える事はできない。とは?

    方法論としては、理解しやすいのですが、

    いかにもいかにも観念的な方法論ですね!

    それをどうして実現するのか? 


    それが、question です。  あはは。

    すばらしいご提案ですが、具体論は?  ほっ。

           
    それより、そもそも、

    今まで、どうしてこうなると分っていながら放置して来たのか?

    今になって破局を受け入れる連帯感を説く鋭いセンスが、ありながら、

    惜しいですね。



    そもそも

    経済だけが悪いのですか?


    そう云う経済を生んだ近代合理主義、それを生んだキリスト教の歴史、

    そこまで、西洋思想を客観的に分解、解体できないのですね。

    経済を動かす人間自体への深い人間観の欠如と反省が欠けています。


    まず、本当の原因論を

    破局論の前に、それの原因を皆が分って共有できるようにしなければ、

    破局論だけの同時共感なんて、むずかしいのではありませんか?


    この原因は?

    自分の欲望が原因だと、皆が反省しなければ共感は生まれない。


    日本ですら、

    脱原発に、国民の大半がまとまる事は難しい、、、

    このまま行ったら、地球資源の枯渇、地球自然の破壊、

    各国間の食糧と資源の奪い合いの戦争の勃発に通じます。

    まず、各国の政府を、まずEUから説得をするべきです。

    各国の対応は、その政府に任すしかありませんでしょう。





    地球温暖化や巨大災害と云う破局の到来を認める事なくして、

    それが、間違いなくやって来ると云う認識をするしか、

    我々は、この危機を乗り越えられない。



    と、デュピュイは、言います。


    突飛な感じがしないでもない、、、

    周りの状況に揺れ動く意識の果かなさを感じます。

    どんなに賢い方でも同じなのですね。  ほほっ。

    生存の危機感の中から、今のエゴの枠を乗り越えるしかない、と

    云うのには共感できます。


    これは、今年の 7月 9日の記事、

    コメントへのお返事 18. <近代化の奈落 3.> 「苦」と「楽」について 1.
    に同じ様な事を書いた記憶があります。



    過酷な天候に巻き込まれれば?

    自分の体力を見誤ってしまえば?

    水分と塩分を入れたザックを谷底へ落としてしまったら?  ほほっ。

    こう云う喫緊の制約の緊張感を克服して、

    登山から無事に帰る、と云う、

    意識が一番恐れる死を克服して【人の生存欲を満たす】レベルまで、

    意識の欲しがる「楽」のハードルを上げた時、

    初めて意識は、意識の限界「苦」の瀬戸際を感じて、

    (無意識の支えで)未経験ゾーン「苦」へ飛び込む事ができるのです。


    意識は、必死な状況に直面しないと、

    方便の「楽」は、絶対に手放さないでしょうね。



    つまりは、この命が危ないかも知れない崖っぷちを感じて、

    初めて、何が生きる為に必要な、実に役に立つ力は、何なのか? 

    を、自然の制約・摂理の中で、

    初めて、意識は徹底的に学ぼうとするのです。

    余裕があったら、意識は、そりゃ「楽」がいいもの、学ばないでしょう。





    最後に、デュピュイの経済に対する見解です。




    地球温暖化や巨大災害と云う破局の到来を認める事なくして、

    経済は、真に道徳的にもならないし、自らを律する事もできない。




       

    経済が間違っているのではなくて、

    それを派生させた近代合理主義の欠陥なのです。

    この破局の解決には、

    近代合理主義自体の欠陥の認識をする必要があるでしょうね。

    でも、これは、キリスト教徒の哲学者に期待するのは無理です。

    他を知らなすぎます!


    近代合理の欠点を克服しなければ、経済は、少しも道徳的にはならない。

    余計に、悪が隠れてズルくなるだけでしょう。



    そして、東洋の叡智である『陰』の存在を、

    西洋知は、受け入れなければならない時が来るのではないでしょうか?



    つまりは、西洋意識哲学『陽』の極みは、

    意識『陽』に囚われつづける事は、衰亡へ続くと云う事。

    意識『陽』に囚われつづける事は、命が枯れると云う事。

    意識『陽』に囚われつづける事は、家系が枯れると云う事。


    これに、まだ、西洋の知性は、気が付いていないのです。

    仕事柄、一個人の商売の儲け話や、恋愛の成就、離婚の相談など、、、

    さまざまな事象をつぶさに見させていただいておりますが、

    まさに、運命そのものの自分の悩みを解決するのに、

    まったく傍(はた)迷惑を考えない、

    と云うのが、今般、当たり前の様になっています。

    個人の人権の尊重が個人主義に拍車をかけて、

    家も家族も、どころか社会の責任も顧みない風潮です。


    また、新聞紙上では、まるで物の様に人間の遺棄死体が

    毎日、発見される世の中です。


    私も凡愚の身で、エラそうな事は言えませんが、

    個人のその姿を助長させているのが、経済の為したモラルの破壊ですね。


    ええ、これは、もう、無理が通れば道理引っ込む、と云うように、

    欲が通る、札束が通る、私の満足が先だ! そこどけ! そこどけ! 

    欲望さまのお通りだ!


    これは、もう、目も当てられない、、、

    このままでは阿鼻叫喚(あびきょうかん)が現象化するのではないか

    と恐れる毎日です。


    阿鼻叫喚 = 【仏教語】阿鼻地獄と叫喚地獄を合わせ地獄の

    さまざまの責め苦にあって泣き叫ぶ様子。




    ええ、ええ、もう、経済の前線では、すでにそうなのでしょうね。

    日本の巨大商社が、巨大スーパーのバイヤーが、

    世界で安く買い付けて来る食料品のおかげで、

    我々の便利さ、快適さ、生活は確かに、まだ、守られては、いる。

    しかし、

    それらは、同じ人間なのに、後進国だと云う事で、

    経済水準が低いと言う事を利用されて、経済援助だと云う表看板で

    実は、低賃金で働かされている現地の人々、貧しい人々がいるから、

    我々の生活がデフレだと云われながらでも、

    成り立っているって言う事、

    それらの人達の犠牲の上だって云う事、

    御存知ですよね?


    我々は、それを狩猟民族の様に安く狩り取って来てくれる

    日本の商社のバイヤーよりも、独占的なスーパーよりも、

    遠く離れた同じ地球上の、どこかに住んでいる貧しさを我慢して働く

    現地の方々へ、感謝をしなければいけないと思います。


    いつかは、日本人も、そうなるかも知れない、、、



    日本の企業、メーカーは、

    低賃金で済む後進国を求めて、次は工場をアフリカへ移しています。

    中国は、もう、人件費が高くなったから儲けが少ない。

    それで、次はアフリカらしいのですが、


    そのおかげで、こんな生活が出来ると、、、



    でも、こんな事、いつまで続くの?

    私は、幸いにも?  経済学者ではありませんから、   ほー。

    解ってないよーー! と云われても平気です。  ほほっ。




    そんな他人を苦しめて、得た「楽」の代償は恐いと思うわ。

    いくら個人主義の今だって、自分だけが栄えればいいと云うのを、

    決して快くは思わない人間の心って云うものは、まだあるわね。


    私の職業は、そう云う人達の悩みを観る訳ですから、

    どうしてそうなったのか、つぶさに毎日それが、分かります。


    人間は、経済で生きちゃダメなんですね。

    『陽』を重んじた生き方には、命が生れません。

    後継ぎが出て来ません。

    『陽』に生きた人の家系は、孤絶して、衰えます。

    この恐ろしさを、真直に観ているのが、私の仕事ですから、、、


    近代国家は、

    世界中の国々が力に応じてそれをやっている訳です。

    それの競争、狂騒ですよね!   あはは。



    そんな麻薬のような事をやっていて、、、

    これは、世の中の破壊につながると考えざるを得ません。  ほっ。




    この現身が、世の中をどう生きるかと云う事が、

    そのまま個人やその御子孫の陰徳に反映されるのが運命となれば、

    全部大事な事でございます。

    逃げては通れません。



    逃げた「苦」は、必ず祟ります。   あはは。

    人は祟りませんが、他人に与えた「苦」は、必ず戻って参ります。


    今生れて来ている子供たちは、もう、

    こう云う因果応報の理法を知らないで育つのでしょうね。

    それを語る大人がいなくなるからです。

    これは、ほんの一例で、

    我々の先祖が残した東洋的な思想の伝統は、

    ボロボロと失われていっているのが現状です。


    どうか、これをお読みいただいている読者の方々は、

    ご自分の子供、孫、メイ、甥、近所の子供、だれかれ関係なく、

    機会があれば、東洋の事を言い伝えてください。

    此れをしないと、日本は溶けて無くなってしまうのですよ。

    精神が無くなれば、その体が滅びるのは自明の理です。


    日本は、68年前から、

    我々の心は、クリスチャンでなくとも、

    我々の命は、二元論の放射線を浴びています。


    そして、東洋智の故郷から遠く離れた異教の空間に生きています。


    知らない内に、

    キリスト教世界観の中で、生きさせられているのですよっ。

    それを自覚しないといけない! と思います。

    自覚して、その後は、いいか、悪いか、自分が決めるのね!    

    フワフワと浮き草ではダメです。

    日本は、68年前から浮き草のようだから、

    キリスト教の教理で作り上げた戦略の中で、思惑の中の役割を

    させられているのです。

    その証拠に、

    本当は欲しいと思わなかった原発を、

    国策として作る処まで踊らされたのはどうしてですか?

    事故が起こって、イヤだイヤだと云っても遅いと云う勉強はしましたね。


    どうして、こうなったかは、自分の頭で、

    自分の思想で考えて来なかったからです。

    よく、東洋と西洋の違いを知って、

    自分は今、どっちに立っているんだと云う自覚をしなければダメです。

    また、うかつな事をしてしまうからです。



    実はもう、うかつな事をしてしまって、、、

    地球の現状も弁えないで、

    自国の経済の指標に奔走するエコノミック・アニマル!

    それを先進国と云うのですね?

    日本は、先進国とみられているのですね?


    あ――、、、

    もう、こんな恥ずかしい先進国日本は、結構です。


    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)があるのか? 見抜けたのか?

    これは、もう、長くなりすぎて書く訳にはいきませんが、


    たしかな事は、

    68年前の日本は、見抜けなかった、

    イヤ、もっと、前に、その敗因はあるのですが、

    一応は、68年前にしておきましょう。   ほほっ。

    今が、その結果です。


    今、我々が直面している地球環境の問題は、

    運命学が解く処の、

    『極陽』の華々しい現象化を生むのは、調和を失ってしまう前兆である。

    最後の『陰徳』をすべて出し尽くして失って行く姿です。



    近代合理主義が、その欲望を燃やし続け過ぎて、

    『極陽』の繁栄を欲しいままにした見返りです。

    我々の命を最上の価値としない経済至上主義と云う神を祀り上げた

    その間違った思想性の中味が、そのまま現象化しているのです。


    この地球の現状から判断をすれば、

    近代合理主義と云う思想が、

    『陰』・命の根源・無意識を傷めつける『極陽』の思想であると云う

    間違いない証拠であります。


    この思想では、我々はしあわせにはなれません。

    地球と云う自然も我々の命も守れないはずです。

    東洋運命学ではそう認識を致します。


    その事を研究していただきたいものです。

    急務です。




    次回は、

    デュピュイの「 経済の未来 」に対する反論の続きを

    引き続き書く予定です。

    その中で、

    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)があるのか? 見抜けたのか?

    に触れて行きますので、お楽しみに。



    コメントへのお返事シリーズは、今日で一旦終わります。

    まだまだ、取り上げさせていただきたいコメントはありますが、

    また、次の機会へ。  かならず!

    よろしくお願いします。


    やっと、秋、  ほっとしますね!

    次の更新まで、よい日々を、、、




























    参考文献 :「 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために」

    ジャン=ピエール・デュピュイ著  森元 庸介(翻訳) 以文社


    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    栄枯盛衰の理   東洋の『陰』の体得 / 西洋の神は、いったいどこにいるの?

    Category : 西洋と東洋の違い 
     ここはどこか、わかりますか?


    美ヶ原の鐘

    どうぞ、写真をクリックしてください! 青空と白い雲が、左側へ広がります。






    ここは、どこ?


    音楽を聴きながら、考えてみてください!    あはは。


    ≪ 静かな午後 ≫ ここをクリック!


    音楽が要らない方は、そのまま、、、   ほっ。










    答は、美ヶ原の鐘の塔 です!


    この鐘の塔は、

    標高2000m級の平坦な広い台地状の地形である美ヶ原(うつくしがはら)

    (長野県松本市、上田市、小県郡長和町にまたがる高原)に、

    1954年(昭和29年)、登山者が、濃霧で視界がなくなった時に、

    この鐘を鳴らして居場所を知らせる遭難防止の為に建てられました。





    うまく誰も写っていない写真になっていますが、

    実は、ハイカー数人が、塔の向こう側に行って、見えなくなった瞬間に、

    もう貴重品?のガラケイのカメラのシャッターを押しました!  ほっ。


    この日 7月29日、盛夏でありながら、

    標高2000mの高原のさわやかな風を感じる午後でした。










    上の美ヶ原の写真をご覧になっていただくとお分りの様に、

    ここは、やはり観光地ですから、人間の手が入っています。

    塔は人工物、草原も牧草地ですから整備されています。

    すべて、自然のままではありません。

    でも、間違いなく自然そのままなのは、青空、緑の牧草、そして白い雲です。




    こう云う風景を見ると、我々の心や体は、心地よさを感じて満足します。

    呼吸がおだやかになって来るのを感じていただけますか?




    ちょっと唐突なのですが、

    東京ディズニーランド(TDL)のような完全な人工物の中にいる時に

    感じる心地よさと比較してみてください。





    東京ディズニーランド

    ここは、東京一部上場企業が、

    企業生命を挙げて「楽」を製造し販売している工場です。

    そう云う企業のもくろみは、開園以来ずっと成功しています。

    プロの集団が、「楽」を求めて来る来園者へ、

    求められている以上の「楽」の満足を提供している現場です。

    五感を通して意識が掴み得る全ての「楽」が、集約されています。

    視覚、聴覚、触覚、味覚、心・意識を満たす「楽」です。


    ディズニーランドは、

    「楽」を感じさせるツールが完璧に配置され調えられていますね。

    それらを求めて人は、TDLへ行くのでしょうね。


    しかし、何事も過ぎるは危うし、、、

    自分の工夫ではなく、他人が、企業が利益の為に工夫し、

    意図して作ってくれた場所に行く事によって得られる「楽」や、

    お金を払えば手に入る「楽」に、馴れてしまうと、

    それは、麻薬の様に脳に習慣性を学ばせてしまうのではないかしら?


    1.準備され、用意され、計算された「楽」、、、、、(依存性で得る「楽」)

    2.お金を払って買う「楽」、、、、、、、、、、、、、、(物質文明らしい)

    3.完全に快適な環境を求める欲求が強くなって、、、(少しの「苦」もダメ)

    4.自己の五感の「楽」の追求が、しあわせなのだと、、、(ほんとう?)




    一番根本的な誤りは、4.の意識が、しあわせを実現すると云う勘違いです。


    人生の本当に重要なしあわせの器は、

    無意識の領域で用意されているモノだからです。




    どんな器でも、その中に自分の幸せを盛り、

    どこででも、そこを自分の「楽園」に変えて行ける能力がないと、

    人生はつまらないものになりますからね。

    買えば手に入る「楽」を得る事に馴れてしまったら、

    しあわせの絶対条件が、金銭になります。------ 拝金主義

    また、無粋な自然や、何もおもしろくない環境に行った時、

    そこから、本当に、自分なりの「楽」を生み出せるのかしら?

    自分の不幸は、そのせいだと不平を言うようにならないかしら?

    と心配になったりします。




    そう云う心配をしなければいけない程、

    ディズニーランドは、

    人間の意識についてよく研究され、完全に操作された成果と言えます。



    又、世界中に、ディズニーランドを作る時に、

    ディズニー社のマニュアルには、現実感を呼び起こさない為に、

    立地している外の景色が園地内から見えないように、

    まわりを高い樹木で囲わなければいけないのだそうです。

    ランドのどの位置からも、ランドの外の景色が望めない様に目隠しをする。


    そして、来園者が、自分の姿を鏡で見ると現実へ戻るので、、、 あは!

    ディズニーの意図した世界にどっぷり浸ってもらう為に、

    トイレには、鏡も置かないそうです。          あはは。


    それはそうだわ! 

    誰だって、シンデレラ姫やミニーの顔をしてませんもの、   あはは。


    それらの工夫は、何の為かと云いますと、来園者に現実を忘れさせる為、

    実際の生活感を完全に拭い去るマニュアルなのだそうです。

    アメリカの本社には、ディズニーランドを世界へ展開するセオリーがあって、

    東京にディズニーランドを開園する時には、

    そう云う細かな条件をクリアするのに大変だったと、

    今年が、TDLの30周年と云うテレビの記念特集番組で、

    (株)オリエンタルランドの重役が開園当時の苦労話を語っていました。





    自分の顔は、「楽」には似ても似つかないので、

    誰もが自分の顔を見たら、現実に戻ると云う事ですか、、、 あはは。

    こう云うシビアな計算までされて、

    「楽」の完全追求には、自分の「顔」すらも、、、

    来園者に否定させなければいけないのですね?    ほっ。


    ーーーーーこれは、詰まる処、苦あり楽ありのありのままの生存の否定です。



    命が生存している現実から「楽」だけを抜き取って、

    「苦」を覚える部分を見せないようにして、

    自分の五感だけを「楽」に浸すのが目的なのです。    あっー



    すべてが隔離された夢の「楽」園としての完璧性を保つ為なのです。





    ( これって、そっくり、、、!   気が付かれましたか? )

    もし気が付かれないなら、こう考えてみてください!



    差し詰め、

    樹木で隠す外側の世界や、自分の姿を映す鏡が『無意識』、

    苦も楽もある外側の現実や、鏡に映る自分の姿が『陰』です。


    『陰』の存在を排除する為に、鏡や外側の世界『無意識』を無視をする。




    もう、おわかりですね?



    ディズニーの思想は、近代合理主義の思潮そのものです。


    なにやら、このディズニーのマニュアルを聞いた途端、

    真っ先に、近代合理主義の特徴を頭に、思い浮かべてしまいました!

    意識が掴む事ができない無意識を無いものとして、

    意識中心の意識が満足をする「楽」園、天国を目指す、、、、、。。 。

    本物の自然から隔離した人工空間に科学技術で快適空間を作る、、、、、、。。 。




    ディズニーランドは、

    近代合理主義が目指す楽園を先んじて、完璧に実現させたものなのです。




    ディズニーランドの運営マニュアルには、

    そこまで、我々の意識を騙す為のマニュアルがあるのですね!  ほっ。

    あ、いいえ! 我々を騙すとは言っておりませんのよ。

    我々の意識を騙す、、、と、、、     ほほっ。

    これは、我々にも責任がある事ですので、、、    ほほほっ。


    騙すと云う言葉が不適切であるならば、

    継続的な企業利益の為に、破綻をさせない事業計画に基づく、

    人材教育も含め、人為的に配慮された緻密な道具立て(環境)で

    我々の意識を「楽」で満たすマニュアルが企業戦略としてある。 のですね!

    これなら、よろしいでしょうか?    ほほっ!



    現実感を排除して、現実の「苦」を避けて失くす為に工夫する事で、

    happy 感だけを抱かせるエリアを作ろうとする意図ですね。

    そして、そこで〝おたのしみごっこ”をしようとする。

    東洋的観点から観たら、〝天国ごっこ”にしか見えないのですが、、、

    でも、ディズニーランドの企業にしたら真剣なのです。 

    そのエネルギーたるもの、凄いのです。    ほほっ。



    この近代合理主義と云う

    自前の思想をスミからスミまでズズ、ズイと行き渡らせて、

    余すところなく我々の眼前に現象化させて、

    それで来園者を有頂天にさせる、、、

    喜ばせてお金を稼ぐ手際の良さと云ったら、

    もう、文句のつけようがないわ !     ほほっ。

    それを企業利益の追求の手段とするとは、さすが!


    近代合理主義の応用編の成功例のナンバーワンです。

    人間の意識が何を欲しがっているのか? よく御存知です、、、


    サルに芸を仕込むように、条件反射で「楽」を感じられる装置!

    「楽」を資本主義へ直結させて、利益に昇華する処などは、

    もう! 近代合理主義の華でしょうか?     わはは。

    近代合理主義がなかなか捨てられないのは、この華やかさ! 

    我々ジミな農耕民族にとっては、赤子の手をひねる程もなく、

    簡単に、その狩猟の罠の穴に堕ちるのです、、、

    もう! 「楽」の罠にかかった獲物になってしまうのですね!  あは。




    少しは、日本も見習ったらいかがでしょう?    ほほっ。

    しかし、これは、【見習って】できる事ではないのですね。   あはは。


    どんな思想であったって、その思想のトップの応用例を具現できるのは、

    源流、本家本元、源を独占している人には敵わないのです!

    近代合理主義の深化、応用、展開においては、

    アメリカには、とてもとても、どこも絶対に敵わないでしょう。

    本家本元だからできる業(わざ)と云うもので、

    それを真似て、東洋の川下の方で同じ事をやった処で、ムリなのです!


    キリスト教の神を仰ぐ≪近代合理主義の本家≫の

    心行一致の教祖に、一介の信者でもない我々が到底敵うはずがないのです。


    我々は、ずっとはるか下座、末席に連なる属性でしかありえません。

    そもそもが異教の土壌に実った近代合理主義で、

    その果実を競う限りにおいては、我々は無能に決まっています。

    日本が、いくら純粋培養型近代化を益々純化して行った処で無理です。

    なぜ?  どうして?

    我々、日本人には、近代合理主義の元祖からの血脈が流れていない。

    先祖から受け継いだDNAにはないでしょうね。   あはは。

    キリスト教の神からの血脈相承がないからです。

    それでも、咀嚼消化するだけの吸収力があれば、別ですよ! ほほっ。

    仏教には、日本のそれまでの在来の思想を融け込ませて来ました。

    それだけ仏教の器が大きかったと云う事なのですが、

    う~ん、今の処、近代合理には、そんな器はないようです。

    ただ、日本は魂を失って、敵に食べられているだけですものね!  あはは。


    異教徒の従者に徹すれば徹するだけ、自分の源流を見失うだけです。


    自分の命の源流の穴を、異教の土礫で埋めたからには、

    命の源水が枯れ、創造性の本体から命は湧き出て来なくなるだけです。




    日本人が、自らの立場の思想に置いて一流になり、

    誇りを持って、近代合理主義の一流の相手と互角に渡り合うには、

    どこにもない自らのオリジナルを持つ必要があります。


    自らが、自分の元々の源流を守り元祖になるしかないのです。

    日本人が、自らの血脈を守り、それを継ぐ事しかないのです。

    それが、オンリーワンの存在になるたった一つの道です。

    東洋思想圏のエキスパートになるしか生きる道は残っていない。



    いいですか?


    目で見える世界の決着は、見えない無意識界の勝敗の反映です。

    すべての物理的戦争は、する前から、もうすでに、、、

    無意識界、『陰』において、すでに決まっているのです。

    それが、見えるようになるのに、多少の物理的エネルギーがかかるだけです。

    究極は、見えない世界にある内因が、この現象界に具現するのが、

    この世に、初めて起こったかのように意識には捉えられるのです。

    無意識界の「内因」が、

    『天』の道・『時』が運ぶ「縁」を介して『地』の理に沿って、

    そのまま、、、、、意識界に具現するのです。 


    それを、『道理』に沿うと云います。


    『道理』によって導き出されたものが、我々が受け止める結果。


    -------- あらゆる因果応報の結果です。

    それを、我々の五感が捉える。

    -------- 我々の五感は、もう過ぎ去ったものを見ているのです。

    すなわち、今に拘ると、それは、過去に拘る事になります。






    もっとも、重んじないといけないのは、見えない世界、無意識界です。

    そこには、未来が横たわっています。





    運命学とは、そこを観るものです。




    東洋には、目には見えないけれど、

    その見えないものを観、予感し、滅びさえも予知する文化があります。

    それを、西洋は、東洋の神秘と云う表現でしか認めません。

    この世に、あっても、無くてもいい? 神秘ですか?     あはは。


    近代合理主義の合理には当てはまらないオカルトっぽいと?


    まるで、意識の偽性そのままの言葉の飾り、お世辞ですね!  ほほっ。

    イミテーションの真珠のネックレスをプレゼントされたような気持わるさ!

    そんな賛辞は、引きちぎって捨てましょう!

    西洋は、なにも分っていないのね! 

    東洋も、東洋の神秘と言われて、お褒めいただいたって?    あはは。

    お人好しに喜んでいる場合じゃありませんわ!  ほほっ。


    あちらは、すこしもこちらを理解なさってない、、、

    キリストの神でいっぱいいっぱいなのよ、、、    ほほっ。

    まるでおとぎばなし。



    人が、知識を持てば持つほど分からなくなるのが、そこです。

    東洋の神秘と云われる、これこそが本体なのだと云う事です。

    東洋の真価とは、

    『陽』の偽性の飾りで埋め尽くされたディズニーランド、  あっ、失礼!

    そんな、壊せば廃墟になるゴテゴテなんかではないのです!   あはは。



    東洋の神秘は、壊そうにも形がない。

    捨てようにも掴めない。

    意識では、絶対に理解できない。


    西洋哲学はシミのようなもの、、、小さくても目立って見える。  あはは。

    五感に訴求する目立ちの効果はあるのね。

    その事の為だけに、四苦八苦しているロジックですから、、、、、 あはは。




    では、本論へ、









    今日の記事は、

    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)をあるのか? 見抜けたのか?







    お答えを先に言っておきましょうね。    ほほっ。

    答 : それは、東洋は『陰』の体得をしたからです。






    これが、前回の記事で紹介をしたピエール・デュピュイの著書、

    『経済の未来−世界をその幻惑から解くために』への反論になります。




    西洋から折角もらったお世辞ですから、東洋の神秘について、少し、、、


    西洋のキリスト教の世界観は、

    この世の全ては、神が作った【もの】です。

    ですから、作った順番はあるでしょうが、その一つ一つはバラバラです。

    それを、 男:女 、 精神:肉体 、 正:悪 などの様に
     
    あらゆる物事を、《対立》する2つに分けます。 二元論です。

    《対立》とは、人間が頭の中で作り上げる思考領域にある抽象概念です。

    相対的概念です。

    たとえれば、我々の意識が、これが〝 ~である ”と一つの概念に集中すれば、

    反対に、〝 ~でない ”と否定する対立概念を生み出すように、

    思考する時に、一番、《対立概念》は、頭の中で概念化しやすいものです。


    言葉も解りやすい、意識で捉えられるままです。


    ・意識は、自然の本質を捉える事ができませんから、

    真理の一歩手前の言葉(権利、義務、自由など)を多く作り出している。


    ・意識は、真理が掴めない状態ですから、

    考える、思う、感じる等の意識の状態を表わす言葉が多いのです。


    考える、 考える事が一番いい事みたいになっていますね!  あはは。

    思う、 自分の思う事が正しい、本当である等、思い込みが強い。  あはは。

    感じる、どう感じるかと云う事で、争いも起こります。    あはは。




    それと較べれば、東洋は、

    バラバラに見えるこの世の存在は、

    たった一つの統一体からの合一性の表れとして体験する。と云うのが、

    東洋の神秘と云われるものです。


    なにやら、分からないでしょうね?      あはは。


    この体験する。と云う処が、

    体得する。と云う言い方でもいいかも知れません。


    外の存在を、自分の内側の存在であると全身で受け入れるのです。


    -------- もっと、分らなくなった?   あはは。


    ここが、西洋の様に、頭の中で、単に思考する理解する、ではないのです。


    このブログの記事に於いては、

    西洋的意識で行う場合を、〝理解する”、〝解る”

    東洋的無意識で行う場合を、〝分る”、より深い場合を〝体得する”

    と使い分けています。



    意識界、この世で、バラバラに目で見える存在が、

    無意識界、目で見えない世界においては、

    同じ一つの統合体となってつながっているのです。

    でも、そうだからと云っても、バラバラのもの全てが等しいから、

    つながっているという意味ではなく、

    バラバラの物事が、それぞれの特質、差異をそのままに、

    その全てが、たった一つになって統合体に包括されている。

    が、そのままでお互いが相対的なのです。



    余計なにやら、さっぱりわからない?      あはっ。


    善と悪、 苦と楽、 生と死、 などの

    現象世界では、対立している言葉、概念ですら、

    今まで、何度か書いて来た事ですが、

    東洋では、善悪不二、 苦楽一如、 生死不二、と統合されています。

    善と悪も、無意識界では、同じエネルギーであると表現してきました。

    これを西洋的に、意識で解ったと、理解する事は無理です。

    しかし、これが、東洋的思想の根底をなす物事の捉え方です。


    もっと簡単に言いましょうか?

    あなたと私、あなた方同士は、皆が、一つの命から生まれ出た命です。

    それぞれの個性や特質を持ったまま、その差異があったとしても、

    元はと云えば、帰る処も、同じ一つの命なのです。

    それは、草木も物も、全ての動物も、皆がそうです。


    これは、難しいですね!     ほほっ。

    もっと余計に難しくなったでしょう!   あはは。

    これは仏の悟り、我々凡夫には分る訳はないのですから、パスしましょ、、、

    分ったように近代合理の理屈を書き連ねるのは、罪悪です。 ほっ。

    分からないままで、放置してください。 結構です。




    ひとつ言える事は、

    東洋の本質は、多様性の尊重どころか、

    多様性を際限なく生み出す続ける本体なのです!








    中国の古(いにしえ)の智者達は、栄枯盛衰の理(ことわり)の智恵を

    どうして、獲得して行ったのでしょうか?


    アジア特有の四季の移り変わりの繰り返しの中で農耕を営みながら、

    自然の摂理について、おそらく気が付いて行ったはず、、、

    おそらく、果実を割って食糧とする時、古代人は自然に教えられたはずです。

    そう ------

    秋の実りの恵みは、恵みの刈取りで終わりと云う訳ではなく、

    木々の恵みの収穫が終わった時から、次の実りの収穫は始まっている!

    今年の「果実」には、翌年の「種」が孕まれているのです。



    過去の「因」で成った現在の「果」の中に、未来の「種」がある。

    木々の春の芽生えの準備は、秋の収穫の後、冬から始まっているのです!

    木々は、冬になる前から翌年の花の蕾を準備して冬を越します。




    農耕民族は翌年の実りを叶えようとすれば、 

    まず、今年の『陽』の現象である「果実」の中の「種」を

    『陰』の創造性である「土」へ戻す処から始まるのです。


    『陽』を滅して『陰』・大地へ戻すのです。


    「土」の中へ埋められた「種」を「果実」へと成らせる「火」「水」の徳性、

    「木」そのものの徳性、「土」の徳性、

    それを刈取り料理をする道具「金」の徳性を見出していきます。



    肝心は、「種」が「果実」に成るまでの四季の巡りで『時』の体得です。


    『陰』の創造性が、『時』を経て『陽』として現象化する。

    これが、知識ではない智恵の獲得です。


    これを、西洋は、〝東洋の神秘”と云うが、

    簡単に、そう云って片づけないでいただきたい。






    東洋にとっての肝心は全て見えない世界にあります。--------- 『陰』


    この見えない『陰』を『陽』の現象から体得して行ったのです。


    五感で捉える事はできない『陰』に、

           『陽』のすべて(幹、枝、花、実)が具わる




    これを、東洋の民の祖先は、体験・体得して行ったのです。



    ------ 『陰』は、表われ出る『陽』の本体である。

    ------ 『陰』に何を準備するか? それに重点を置く。

    ------ この世界の姿は、『陽』五感だけで見極める事はできない。

    ------ 『時』を経て、『陽』の「果」が『陰』の本体へ戻る。



    西洋の痩せた大地、過酷な天候と云う大自然とは全く違う! 

    東洋は、恵まれた自然に育まれ、

    農耕を通して自然と共に生きる中で命を守られ、感謝をする。

    自然へのすなおな感謝をする。

    その感謝をささげた刹那に、

    大自然の無意識からの智恵が流入し我々の意識の表層へ届いたのです。




    現代人の我々は、

    植物や農作業の事を知識で知ってしまっている上ですから、

    感動は無く、なあんだ! と思うかもしれませんが、

    決して、自然のありようを『苦』や『楽』と選別しない、

    自然のあらゆるものを受け入れる一体感から生み出されるものです。


    自分の意識に固執する現代人には、もう、真似の出来ない事ですね。


    『苦』はいやだ、『楽』がいい!   あはは。

    と云う意識を持つ事を恥とも思わないまでに自己意識を発達させ、

    自分を生み出した自然を厭う意識を捨てようともしない、

    ここまで傲慢になってしまっては無意識の智恵の流入は無理ですね。

    近代合理主義の罪ですね!



    豊かな自然に恵まれて農耕を経た東洋の民は、幸せでした。

    この洞察力を以って、

    東洋のいにしえの智者、賢人は、

    見えない、聞こえない、触れない、匂わない、心で思惟する事すらできない

    無意識の世界の存在を、察知、覚知したのです。




    -------- 『陰』の世界の覚知です。



    この『陰』と『陽』の対立・統合による森羅万象の変化法則を説くのが、

    ------- それが、『易』であります。


    『易学』の中心思想は、

    変化の予測を体系化した古代中国の哲学と宇宙観です。





    これは、『時』と云う基軸を、

    その思想の中に織り込んでいない西洋には、

    絶対に追従を許さないものです。




    このように、東洋の運命学を貫くものは『時』です。



    ちなみに、西洋占星術では、

    星々の移動を観察して占星する訳ですが、

    見えない『時』そのものが主体と云うよりも、

    見える星の移動による変化、その位置が、観察の主体になっています。




    この比較からもお分かりの様に、


    東洋智は、五感で捉えられるこの世界の奥へ、洞察をして入って行く。

     入って行った中で、現象を貫く『時』を発見しています。




    西洋智は、五感で捉えられるこの世界を、精緻に観察するのです。

    五感による意識を生きる為に鍛えて出来たのが、狩猟民族の西洋文明です。 



    これが、現代の(意識による科学)へそのまま引き継がれているようです。

    近代合理主義が基盤の現代の科学は、五感で捉えられない対象を外します。

    心理学ですら、実験証明できない= 科学的でないと云う事で中途です。

    でも、量子物理学など、そうは云っていられない状況になっています。




    とにかく、東洋は、見えない部分に力点を置く。  ------ 無意識下

    それに比較すると、西洋は、見える部分だけです。 ------ 意識下




    東洋は、

    この自然の恩恵のリズム(法)を信じ、

    その繰り返される眼前の徳性の現象化に感謝をしながら、

    智恵として体験、獲得して行ったのでしょう。


    この智恵の獲得に、

    先に書いた「自然へのすなおな感謝をする事」は、非常に大事です。


    これは、感謝する心を持った人間であれば誰しもが、

    感謝をする相手を、尊崇し、決して相手をダメにするはずがないのです。


    自然、地球に感謝をする人間は、

    決して自然を破壊し、地球を破局へ追い込む事をしないのです。




    自然へのすなおな感謝がないキリスト教理を根底とする

    近代合理主義こそが、地球を破局に導く元凶なのです。





    その事を確かめる為に、

    近代合理主義の母体であるキリスト教理の矛盾を挙げてみます。


    一緒にお考えになってください。




    自然に感謝をしないで、神へ感謝をする。

    自然は、人間が支配する「物」と云う世界観は、

    神と自然とが、関係が無い。 自然の力と一体ではない、と云う事です。 



    神が宇宙自然と云う無意識界と一体でないと云う事は、

    神は無意識界にいない。無意識界の存在ではない。と云う事ですね。

    キリスト教の神は、無意識界に居ないのか ???



    これは、えらい、こっちゃあ~ですよ。  あはは。


    これを書きながら、少し、こわくなりました、、、では、どこに?

    一体、キリスト教の神の所在は、どこなのでしょうか、、、



    普通は、

    神や仏は、現象ではない訳ですから、意識界の存在ではないのね。

    神や仏は、我々を生み出す本体なのだから無意識界の存在なのです。


    疑問① キリスト教の神は、無意識界と一体でないとすると、

    意識界の存在・我々と同じ現象としてこの『陽』の世界にいるのか?
     



    無意識界に居ないとしたら、

    まさか! 我々と同じ、この意識界に?

    意識界のどこに?

    キリスト教の神は、どこにいるのか ?





    ◎◎クリスチャンは、何事も、その恵みを神へ感謝します。

    しかし、神への感謝が、自然への感謝にならないのは、

    神が自然と一体ではないからです。

    だから、

    神への感謝が、自然、地球、宇宙への無意識界への扉にはなっていない。

    キリスト教は、自然や地球の資源を欲望のままに収奪できるのです。



    疑問② 自然である天上に神は、いないはず。 そう疑いたくなりますね。


    天の神、天上の神と云いますが、空の上空でしょうか?

    そこは宇宙・自然の一部ですが、そこは自然・無意識界です。

    でも、無意識界に居ないのだから、天上にもいない。




    ◎◎◎キリスト教では、この世界と人間は神が創った物、神の所有物です。

    一方で、自然は、人間にとって邪悪なもの、山は悪魔の住処と云います。

    だから西洋のアルピニストは、山を征服すると云います。

    (ちなみに日本では山は信仰の対象でした。富士山もそうです。

    身を清めた白装束の男性だけが入山できました。)

    キリスト教では、自然は、人間が欲望で支配する物なのです。 



    疑問3. 神が創った世界と云うのなら、神がそれを所有すると云うのなら、

    どうして、宇宙・自然を、人間が欲望で支配をしてもいいのだろうか?




    宇宙・自然を、神が創った「物」とみるキリスト教理では、

    人間が欲望で支配をしてもいいと云う資本主義を生む土壌があります。


    また、こう云う宗教を生む土壌と云うものは、

    食べる獲物を追いかけるのに明け暮れる狩猟民族の生活です。

    狩猟民族にとって、生きる事とは、

    過酷な自然に対して自分の食欲を満たす為に五感を研ぎ澄ませ、

    耳をそば立て、目を凝らし、鼻を利かす事だったはず、

    そして、我と家族が餓死しない為には、欲望を掻き立てる必要があった。

    頼りは、今で云うモチベーションをどう持つか?にかかっている。

    欲望を肯定しないと生き残っては行けなかったのでしょう。


    つまり物欲です。

    獲物が欲しいと云う生きる為の物質欲です。





    キリスト教と云うのは、神だ、精霊だ、愛だ、天使だ、と云う事から

    精神的に高度な教えなのだと云う思い込みがあるかと思いますが、

    思想性自体は、まったくの物質追求の教理なのです。


    この世のものを、物と精神に分け、

    自然を物と観る、キリスト教の二元論が、

    地球の資源を枯渇するまで搾取、奪取、収奪する原理です。


    人間の意識を中心とした観念的な西洋哲学の世界においては、

    自然と云うものを物としてしか取り入れていないのです。



    この思想が、学問全体そのもの、経済学の根底にも存在し、

    西洋の哲学自体が、地球の破局と云う事態を招いたと云えるのです。



    その証拠に、

    人間の観念が作り上げたロジックであるが故に、

    自然の中に存在しない、自由や平等、博愛、奉仕、愛、人権等の

    実体の無い概念を生み出して来た近代合理主義の言葉群、

    これらの言葉は、自然の有り方から、浮き上がっています。



    近代合理主義は、人の営為の、自然の摂理のなんたるかを知らず、

    その結果は、その浮き上がった空っぽの言葉通り、

    愛を唱え、自由を宣伝し、安全とラベルを貼り、平等を幾ら謀った処で、

    便利な食品と云いながら人の命を破壊する化学物質を平気で混ぜて、

    経済の為と云いながら作った原発の廃炉費用に四苦八苦している、

    繁栄の為と言いながら、多くの人々は貧しくなって行き、

    世界で紛争地域を増やして行っているではありませんか?






    そして、次に、気が付いていただきたい事は、更なる破局です。


    近代的意識は「苦」「楽」を分けて誤解していると前回まで書きました。

    近代的意識は「生」「死」も分けて、誤解を犯しています。



    「生」と「死」について犯している誤謬については、又、いずれ、、、

    今日は、簡単に。




    正しい生死観を知らない意識は、「死」を「苦」の塊の様に捉えます。


    「死」 = 「闇」 = 「苦」として、

    あらゆる「苦」の向こうに恐れる「死」を嗅ぎ取ります。

    そして、五感の窓口から嗅ぎ取った「苦」の扱いを、

    意識はどうするのか?   




    「死」の存在は、その向こうは、完全に無意識の領域です。


    意識にとれば、闇。

    意識が、五感のセンサーも、手も、足も出せない不可能な領域です。


    だから、意識は徹底的に「死」の「闇」を無視します。

    そして、「生」の現象に表われる「死」の片鱗を避けようとします。



    こうして、正しい健全な「死」を知ろうとしない意識は、

    ますます、「生」をも歪(いびつ)にして行くはずです。

    ええ、もうすっかり、歪にしていますよ。




    近代意識は、「死」の闇を認めませんから、

    今世紀の文明、医学は、不老不死を目指して行くはずです。

    そして、人間のクローンを作り出す衝動と危険を孕んでいます。




    西洋文明から生れた近代合理主義の行き着く先はそこです。


    そうしないと、近代合理主義が完結しない。

    意識が偏頗だって云う事になるでしょう?

    一応、真理を追究する科学! と云った以上は、

    トコトンやるしかないじゃないですか?

    意識はトコトンやると思いますよ!   

    意識は全てを欲望に従ってやって行くでしょう。

    どうだ! 人間の意識は自然を支配し凌駕したんだ! 

    と言いたいはずです。  



    なんとおそろしい!


    それを、消費者の欲望なら何でも叶えて商売にする資本主義は、

    それすらも商品にするはずです。



    〝天国ごっこ”も、地球の資源があっての事、

    地球温暖化や資源の枯渇がもっと進めば、

    〝天国ごっこ”が、できなくなる処か、

    避けて避けて嫌って来た「苦」の集積が、溜っていた無意識の世界から

    大挙押し寄せて、今までにない「大苦」の現象化が起こるはずです。


    「楽」が欲しければ「苦」を避けて逃げるのではなくて、

    「苦」を「楽」に変えて生きるしかないと云う自然の摂理の中の

    ほんとうの自己存在性すらを否定して、

    「楽」だけを求めて、「楽」だけに飛びついて来たからです。

    もう、「苦」に耐えられない若者が、老人が、溢れています。

    どうするのですか?

    地球の資源を枯渇するまで使い果たしても、

    原発の代わりの火力発電用のガスや重油を世界中から買い集めても、

    これら「楽」に馴れた国民には、満足は与えられないかも知れません。

    国会議員は、どうウソで言いくるめるつもりなのだろう?


    何て悲しい人間の意識の性(さが)なの!    

    なんて哀れな人間の意識の性なのだろう!






    西洋哲学には、無常観がない。

    『時』が経てば、先でこうなる? と、云う無常観が、

    西洋どころじゃない。 

    日本人にも、なくなっている!

    西洋化された思想の中で、五感の満足ばかりを追いかけて、

    その世界に閉じ込もってしまえば、意識には未来が分からないのだったわ、、、

    おそらく、きっと

    衰えや滅びを、突然、起こった〝悲劇”で片づけるのでしょうか?  あは。



    科学も、当てにはならないでしょう。


    同様に、科学にも本質は掴めません。

    近代的自我の意識が働く範囲での機能しかないからです。

    知識はあっても、無意識界の智恵がないからです。




    意識とは、

    戦争はイヤだ、してはいけない。

    と云いながら、資源も食糧も外国が売ってくれなくなったら、

    戦争をしてしまうロジックを作り出す器官です。


    意識とは、

    原発はイヤだ、脱原発だ。

    と云いながら、電力不足の不便な生活や貧乏な後進国のような生活の「苦」も

    イヤなのです。



    このように、我が身の「苦」が受け入れられない。のが、意識です。

    どっちの「苦」もイヤ、少しでも「楽」な「苦」がいい、、、あはは。

    あらゆる「苦」の場面で変節します。

    これが、個人の欺瞞。


    その国民の欲に乗じて、

    国会議員は選挙民に「苦」を押し付けられない都合があります。

    議員は、資源の獲得や、便利な生活を国民に保障すると約束をします。

    その欲望に、我が国の為と云うロジックの熨斗(のし)紙を張ります。

    これが、国家の欺瞞、


    個人の欺瞞と国家の欺瞞が抱き合えば、戦争はできます。

    各々の立場の「楽」を求める国家国民の為の戦争です。


    どう云う状況でも、自己が「苦」から逃げる事ばかり・・・・・

    それを健康の為、日本の為、平和の為と偽り・・・・・

    自己を正当化するのが、それが意識です。


    意識の事を、けっして良い子だなんて思われませんように、、、 あはは。




    意識が「楽」を求めて「苦」を避ける力を付ける為に行くのが学校、

    その為の高度な技量を磨くのが、大学

    これは、あながちブラックユーモアではないのですよ。

    国を挙げて、、、地球の収奪に励み、

    自然の中庸を犯す事に熱心になり、

    地球資源の奪い合いの社会の実現に精力を傾ける、、、あはは。



    社会に、規範と道徳と、『徳性』を尊ぶ『陰』を失えば、

    こう云う社会へ転落するのです。

    日本は、今、もう?   大丈夫ですか?

    日本は、『陰』を軽んじて、もうすでに68年、、、、、

    丸裸で、異教の毒をドクドクと飲み続けています、、、、、


    『徳』を『得』に換え、

    経済力で世界中から「楽」をかき集めて来て築いた「楽園」、

    我が丸裸を観る鏡を隠し、     あはは。

    もう、自分の顔を忘れているのではないですか?

    あ、そうか、見ない方が「楽」なのでした、、、っけ?  あはは。

    それが、ディズニーのセオリーでした。    ほほっ。

    えーっ? 日本ってディズニーランドを見習っているの? あはは。





    繰り返します!


    西洋には、無常観がない。




    東洋には、『 常住 』と云う真理があります。

    無常は、真理ではありません。  

    権教のレベルでの仮のウソの教えでしたー (あっかんべー!)


    あはは。


    でも、東洋の真理『 常住 』を出すまでもない!

    無常も知らない西洋の意識哲学のレベルでしょう?

    まず、西洋人には、特に賢明なる西洋人であるデュピュイには、

    まず、無常観からマスターして欲しいと思います。    



    『 常住 』は、最上級編!   それからですわ! 





    これらは、理論ではありません。

    真理は、理論ではありません。

    覚えておいてくださいね。    ほほっ。

    詳しくは、東洋の思想シリーズで、、、

    今日は、超長大作な記事になってしまいました。    あはは。



    前々回の〝原発”

    前回の〝経済”

    今回のキリスト教理そのままの破局の実現を、

    東洋の薀蓄で解釈してみました。

    いかがだったでしょうか?


    今の日本の2大病根は、網羅できたと思います。

    あとは、一人一人が何を自分の魂とするか?です。





    意識<愚王>を、王位から調査員位へ引きずりおろし、  あは。

    経済の近代合理魔神を、

    帳場を守る番頭へ格下げしなければなりません。


    そして、我々は、意識や経済を手足の道具としなければなりません。

    その為には、東洋智へどうか、近づいて学んでください。

    あなたの体の中を流れている血脈は、キリストではないのですから、、、


    頼みますね!


    では、次回の更新まで、よい日々を、お過ごしください。





















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     ✖ 西洋の世界観は、”バラバラ観 ”    ○ 東洋の世界観は、” トータル観 ” 

    Category : 西洋と東洋の違い 
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     蓼科山 たてしなやま <八ヶ岳連峰>  長野県茅野市・北佐久郡立科町


    蓼科山

    ちょっと富士山を思わせる、この山容は、
    典型的なコニーデ型火山です。
    この蓼科山は、
    日本百名山の中でも、大好きな山の一つです。
    山頂まで標高2,531mありながら、比較的、容易に登れます。




    よろしかったら、こちらも!ご覧ください ↓
    われわれの日常的なスケールを疑いたくなりますよ!

    メコン川の体長4mのエイ





    思い返せば、日々の意識に、
    ヒョッコと湧いてくるように現れて来るものがありました。
    それが、頻繁になって、無視できなくなり、
    ” 何だろう? これは? "
    という問いかけを持ち続け、真剣に対峙しようと、

    そう思った矢先に、待っていたとばかりに
    私の意識へ挙がってくる深い無意識からの気づきが、
    あったのです!
    無意識からの便り、と以前から言ってきたものです。

    無意識からの便りは、こうささやいて来ました。

    『地球上をリードしてきた先進国といわれる国々の西洋の価値観
    それが、その力を失いつつある。』 

    と、、、

    西洋の文明の寿命が尽きかけているんだな。

    言い方を変えれば、

    ” あの毒を出す嘘つき文明が! やっと終わる!”     

    歓声を上げたかった位です。     

    あははっ。

    毒 ・ 西洋毒  ・ こういう視点を持てたのは、
    私が、
    常に100%東洋的価値観で西洋式のものの見方を裁断し、
    その偽善性に辟易し、幼稚さに飽き飽きしているからです。


    ほほっ。

    西洋文明には、そこから生まれた科学にも、
    確かに利は、あるでしょう。
    一部の理も、あるでしょう。
    その利理の一部に浴している我が身ですが、、、

    しかし、
    真理の本質はないように感じています。
    基本、すべては部分観、部分知だから、
    粉々の部分知を寄せ集めて、
    これが全体なんだと、勘違いはしないでおこう。

    そう言い聞かして、用心はしてきたつもりです。
    そして、その部分知が、あたかも、常に、
    全体知をまとっているように思わせる振る舞いに、
    思い上がりと偽善臭が鼻に付いていましたね。

    これは、東洋を希求するこその視点であると思っています。







    その無意識からの直感が確信になって、
    少し前の記事から、このテーマで記事を書き始めたわけです。


    驚くことはないのですよっ。
    あのピラミッドのエジプト文明だって、
    古今東西、生まれては滅びるのが文明です。

    ここで、確認したいのは、
    西洋文明が力を失いかけているのは、
    決して東洋が、西洋を駆逐しているからではなく、
    西洋文明自体の限界点、それ故の自滅です。
    西洋文明自体が孕む欠落部分が、
    その姿をそのまま具現しているだけの事、

    なんです~!          ほほっ。


    西洋の正義や価値観は力を無くし、
    西洋のいう事を、誰も訊かなくなるでしょう。
    あっら~ もともと、
    西洋に、真の意味での本質的な正義があったのかしら?

    あはは。



    西洋文明の骨格は、東洋と比べれば、
    その理論はあまりにも幼稚、
    おとぎ話のお体裁のような骨組み、、、

    と、言いたい放題? 
    お気を悪くなさらないでください。     あはは。
    それでは、その根拠となる、東洋と西洋の世界観について、
    今日の記事を進めていきたいと思います。


    今日の記事は、
     ✖ 西洋の世界観は、”バラバラ観 ”   
                ○ 東洋の世界観は、” トータル観 ” 



    一回の記事で、
    それぞれの世界観を網羅するわけにはいきませんので、
    今日の処はそのさわりから、


    ところで、


    今年は、春先からうんざりした天候ばかりで、
    今夏は、まさか、日本は亜熱帯?と思う日々でした。

    そして、台風の日本列島の縦断で、、、

    皆さまのところは、被害はいかがでしたか?


    自然、「天」気候もそうですが、
    何もかもが、何かおかしい
    「人」 も 「地」 も、何もかもがおかしい。




    東洋には、
    この世界を構成する要素すべてを指す言葉があって、
    天地人(てんちじん)という言葉です。

    この3文字で、宇宙全体を表す事ができます。

    出典は、孟子『公孫丑章句上』

    その中の一節、「天時不如地利。地利不如人和」
    (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)

    この孟子の意は、
    天体の運行=【時】が絶好のチャンスに恵まれている事よりも、
    土地柄の立地条件に【利】がある事の方がよく、
    しかし、その土地柄に恵まれている事だって、
    人の和合・団結の力に及ぶ事はない。

    つまり、事を為すには、
    ―― 人々の心が一つになっている事が一番重要なのである!



    おわかりでしょうか?     ほほっ。

    物事を成就する時に何が一番大切か? 和合である。
    これに由来する(天の時)(地の利)(人の和)をまとめて
    三才(さんさい)とも謂います。

    これら三才全てが一体になって、物事は成り立っている。

    が、その根本は、人心であると、言うのですね~

    ここまでは、うんうんと、納得ですね。   ほほっ。


    ここが、東洋の強みと云うのか、
    「天」と「地」という大きな要素を説きながらでも、
    「人」の存在の重要性を決して諦めないのです。


    「人」の存在の重要性を決して諦めないのです。



    この宇宙全体の、全ての存在のポイントとして人の心を置く。
    ここが、東洋の叡智というものです。


    ーーー ここで、西洋の批判を

    その点、西洋の近代合理主義はどうでしょうか?
    その学問の究極はどうでしょうか?
    すべてを数理化し物質として観る
    人心を見ようとしない、
    あくまでも過去のデーター、数、統計で掴もうとします。
    それらは過去。残滓。
    未来じゃないでしょう?
    多少の知見は得られるかも知れないけれど、
    やはり、それらは部分知。
    部分を寄せ集めたって、全体ではないでしょうが。


    あはは。


    東洋の究極は、
    民衆(ひとびと)の心が一つになっていると、
    「天」をも動かし、「地」をも動かすっていう事なのですよっ!

    このように、東洋では、
    「天」「地」「人」という関係性から、
    人は、天をも轟かし、地をも揺るがす存在であると、
    その視点がすばらしいでしょう?
    部分知の寄せ集めではない、全体知が発散する!
    ダイナミックな力を感じます。




    東洋の究極の世界観の特徴は、

    この宇宙にある存在全ては一つである。

    大宇宙も、太陽系も、われわれも、一つの大調和の存在なのです。

    だから、天、地、人、
    この宇宙の存在すべては、=(イコール)です。
    また、仏教においても、
    原理的には、全ての存在が仏と同じに成れる存在です。
    これについては、またいつか詳しく、




        ★★★ 尚、内容的に関連した過去の記事を紹介します。
          よろしかったら、ご参考までにご覧ください。

    2012年 3月 11日の記事、

    あれから一年 1. 天・人・地の三才 『中庸』をめざして

        ★★★





    ーーーーー このトータルな東洋智に反して、

    西洋においては、全てがバラバラである。




    いわゆる西洋での「天」、「地」、「人」に当たるものについて、
    西洋文明の基盤に当たるキリスト教理には、
    どのように説かれているのか?


    それが、見事にバラバラなのですね!


    ・ 「天」は、神や天使が存在する目に見えない領域。
          あるいは、神自身を指します。

    ・ 「地」、この世界は、神が創造した物、物質です。

    ・ 「人」も、神が創造した物、神の創造物です。


    そもそも神と人との関係は、
    作った側(主)、 作られた側(従)という関係です。

    ほら! 「分断」の根源が、ここにある!  あはは。


    そして、キリスト教理において、
    究極、神と、他のすべての存在とは別物で、
    誰人も、なにものも、神にはなることができません。

    これって、差別社会、階級社会の原型でしょう?

         あはは。



    また、ちょっと踏み込みますが、
    「死」について、
    キリスト教は、「死」を人間の原罪がもたらした刑罰だと!

    あはは。   よくも、こんな冷たい神を信じますね?!



    ーーー ここからが問題なのですが、


    東西の理屈の違いについて、ぼんやりと分かったとして、

    じゃ、今の現実において、

    「天」の気候はメチャクチャで、極端すぎです!
    「地」には、疫病が流行り、戦争まで!

    これを、東洋ではどう説明するのか?
    西洋ではどう説明するのか?

    東洋的には、
    これらは、ひとえに、「人」の心が、バラバラ、
    一つに成れない現実が、「天」「地」に現象として現れている!

    そう、東洋の叡智では、
    すべて一体のものとして知見するのです。


    でも、このすべては意識では捉えられない次元の事象ですから、
    そう、無意識界での本質における事象ですね。
    ここで、大事な点は、
    大調和を乱しているのは、「人」だ!  と知見する事です!
    原因は「人」、にありと、
    原因は我にありと。         あはは。


    ここが、西洋にはありません。
    西洋は、原因を他者に求めます。
    原因は、自然であり、敵であり、ある時は仲間なのです。


    これでは「分断」が生まれるはずです。    あはは。



    2020年のアメリカ大統領選以来、
    何かあれば、「分断」だと、
    その解決策も提案できずに、
    分断と断ずるマスコミも愚か。



    現今のマスコミの愚かさに比して、

    先でご紹介した孟子『公孫丑章句上』

    その中の一節、「天時不如地利。地利不如人和」
    (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)


    に通じる、
    わが国の聖徳太子の十七条憲法の第一条、
    「和を以て貴しとする」 を

    思い出してみましょう。



    聖徳太子は、決して古くはありませんよっ。

    かのフェノロサは、聖徳太子の事を
    ”東アジアの偉大な創造的な諸聖賢に伍して
            優れた精神を持った非凡な人”と評価しています。

    釈迦や孔子や孟子に並ぶという評価です。

    「和を以て貴しとする」
    この大調和の精神こそが、そもそも民主主義の根本原理でしょう?
    われわれにとっては、民主主義は西洋に教えてもらったものですが、
    その根本的な智恵は、西洋にはない。
    あるのは、見かけ、言葉のみじゃない?


    この天・地・人の大調和の精神を失ったまま、
    選挙制度だけをやればいいという形骸化があるから、
    今回のウクライナのロシアが行った不正選挙が堂々とできるのですよ。

    言葉のみ、制度のみ、見せかけのみ、
    美辞麗句の言葉で飾った制度で見せかけを設える。
    それが、西洋の幼稚さ、偽善性でしょう。



    この西洋と東洋の根本的な違いは、
    日本列島に人が住み始めて以来、
    食べる物が豊富で水に恵まれた自然に囲まれて、
    食料とする動物の殺戮や食べ物の奪い合いの紛争を
    ほとんど経験したことがない日本の強み、運の良さです。

    無意識下の抽象性をも引き出した日本が誇る言葉群。
    そこには、
    西洋の近代合理主義下の意識偏重の言葉や、
    学問的知識の造語群などをいくら積み上げようとも、
    決して、追い付かないところまでの文化が、
    縄文時代の文字を必要としない日本人の自然道からの文化が、
    日本にはあるのですよ。



    決して、それらは西洋にない、

    この自負を持って、
    もう西洋近代合理主義の従僕のような生き方は止めませんか?


    それを止めない限り、
    日本の自立はあり得ないんじゃないか?
    経済力なんかじゃない!
    マネー主義に席巻されているから卑しくなるのです。
    日本はマネー主義で頑張った処で勝てる訳はないのです。
    世界にはもっと巨大なモンスターがいるから、
    まず、自らの精神の根拠、歴史、道徳からです。
    これらを捨てて、経済第一の道化をやっているから、
    世界からのリスペクトを失い、
    大国からポチの扱いを受けるのですよっ。
    相手国が悪いのではない。
    自国の品格が、余りにも無さすぎるからです。
    そう、自国の道徳を自ら進んで捨て去った愚か、バカですね?

    ほほほっ。

    そう思われませんか?





    長い記事を最後まで、お読みいただき、感謝申し上げます。
    次回も、世界観の続き、もう少し掘り下げます。
    お楽しみになさってください。

















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    どうぞ宜しくお願いします。

            

    西洋・現代文明(意識)は偽装文明   それも自覚のない嘘つき文明 

    Category : 西洋と東洋の違い 






    2023年の年が明けてから
    はや10カ月目に突入?
    あっという間に、はや、十月、、、
    前回の記事アップから、一年、、、、、、、、あはは。


    今回の記事は、東洋と西洋の世界観の続きでした。
    前回の記事が、はるか昔?に感じられて  
    ほほほっ。
    なにの事だったか? お忘れの方も多い事でしょう。


    まずお断りしておきたいのは、
    ここでは、西洋式世界観は、現代に通じるキリスト教理を
    東洋世界観は、
    仏教の最高にバージョンアップしたそれと比べています。
    仏教は、それとなく何宗も同じじゃないの、
    と思い込んでいらっしゃるでしょうね。
    それが、違うのですよっ!
    だって、御宗旨によって本尊が違うでしょう?

    そう、じつは、P.C.ソフトと同じように仏教は変化し続けてきました。

    こういうヤヤコシイお話は置いておいて
    今日は簡単に、結論から先に書きますが、
    全般的に、おおざっぱに、西洋と東洋の世界観だけを扱います。

    結論から言いましょうね。

    西洋式世界観には本質が、欠けています。
    それで、いくら立派な事をおっしゃっても、嘘つきです。

    簡単にその理由を申し上げれば、
    西洋式世界観の領域は、
    下は地獄(煉獄)から上(完成形)は天国でしかないのですね。

    分かりやすいでしょう?  あはは。
    子供でも分かる。。。西洋式世界観は、わかりやすい!

    はっきり言えば人間の意識、想像力が造り上げた知識だからです。


    それに引き比べ、
    東洋式世界観の広さは、そんなものじゃない!

    仮に、キリスト教の天国に当たるものが、【天界】とすると、
    仏教は、【天界】などという世界で終わりではなく、
    しかも、キリスト教では人間は神にはなれないと言う
    が、
    仏教では、仏と等しくなれ、と。

    仏教は、課題がスゴイ!


    ちなみに、これは知っておいているだけでいいのですが、
    仏教の世界観には、
    【地獄】と【天界】の間には、
    【餓鬼界】、【畜生界】、【修羅界】、【人界】という境涯が
    説かれています。

    めんどうなので、今回は省きましょう。


    まだ、上があるのですよ。
    ここが西洋との世界観とに大違い!!!

    あはは。

    それに引き比べ、
    仏教の究極の目的は、【天国】や【天界】とは、大違い!
    生きとし生きる生命体が、
    【仏界】に生まれ生じる事です。
    【仏界】?   あはは。

    仏と同じ生命体になる事で、また、詳しく言いますと
    仏教の【天界】と【仏界】の間には、
    【声聞】、【縁覚】、【菩薩】、という修行段階がありますが、
    これも、今回、ここでは省きます。


    ここでの重要なことは、
    西洋式世界観では、目的である【天国】に行く事。
    それが、最終目的なのですね。

    簡単に言うと意識の到達する自我の満足。
    喜び、などの獲得でしょうね。
    それも、神にも成れないままね。


    東洋の【天界】は何をする所か?
    ただ喜んだり、自己満足をしてちゃダメなのですね。
    もっと、上を行けと!

    大変な事ですよ。

    さらに、【天界】と【仏界】の間には、

    【声聞】は、もっと知識を求めて自分を磨け!と
    【縁覚】は、他者の意見に染まるだけでなく自己を掴め!と
    【菩薩】は、それらを自分の為でなく、他者の為に生かせ!と


    すごい課題が残っているのですよっ。    あはは。



    ここまで来ると、自分の為に他者を犠牲にできない。
    自分の喜びの為に、他者を支配してはいけない。

    たいへんな修行でございます。

    しかし、ここをくぐらないと【仏界】へ行けない。。。
    それが、仏教の究極の修行、目的、喜びです。

    ねっ、【天国】で単純に喜んで、そこを最終目的とする
    西洋哲学の世界観とは、大違いでしょう?


    まして、
    キリスト教には、真の【天国】の姿が説かれていません。

    どういう【天国】の実態?

    そりゃ、そうでしょう。
    なにのルールもなく、皆が【天国】の住人になりたがって、
    他者を支配する事を目指せば、当然奪い合い
    争いが起こります。

    西洋の世界観の構造には、戦争は常備品なのです。
    なにが、平和ですか!
    口先のきれいごと、実体の無いウソです。


    仏教では、【天界】には、
    6つの欲望を叶えてそこここを支配している6人の魔王が居ると!
    その中の一番強い魔王を
    【第六天の魔王】といい、
    すべての【天国】【天界】を支配していると説いています。

    簡単に言うと、この現世界の最高権力者のことです。
    さぁ、現代では誰の事でしょうか?


    もっと、決定的な西洋式哲学の欠点を言いましょうか?

    それらは、すべて緻密な理論のようでも、
    すべて、無意識界の悟りを捨て、人間の意識を母体とした思想、
    近代合理主義  です。
    意識の最大の特徴は、
    意識、われわれの心は、周りの環境の現象に影響をされている存在で、
    回りの刺激が無ければ存在しない。


    現代のすべてはシガナイ現象の説明でしかありません。。。 。。  。


    西洋は、そこからスタートをしています。

    何のことやら



    クルクル変わる環境に左右されて、移ろう現象である心などに

    この世界の実相(真実)など分かる訳がありません。 



    なぜ、西洋は意識で止まったのか?

    これは、キリスト教の初期、モーゼの十戎などを見ても分かる事です。
    西洋は狩猟を糧として命を存られて来た厳しい現実がありました。
    すべての思想の出発点に、
    一片の肉片を如何に仲間内の争いなく分け切ることができるのか、
    当時の賢人の意識のエネルギーは、
    そのノウハウの方策から始まっていると言っても過言ではない。


    いわゆる、陰陽学の『陽』・意識が作るこの世 です。
    『陽』は、すべてが大嘘 ・ 『偽性』の世界です。


    それが、なぜ、東洋の我々の先祖は、『陽』に留まらなかったのか?
    『陰』の無意識界を覚知で来たのでしょうか?


    それは、たかが我々の意識の力では、
    大自然に対峙する事が無理だったこと、
    この世界には、人間の意識よりも大きな力、
    その存在を、それを自然と対峙から、
    熟知していたからです。



    我の意識中心に、
    自然に対峙して、自然に逆らえない。
    天候や天の運行を無視できない。
    それらに従わざるを得なかったからです。


    我の力よりも、勝る『ある力』を熟知してしまったのです。



    ちなみに農耕は、狩猟よりも文化的には進んだ形です。




    東洋的叡智です。



    五感(心)では、この世の真実の姿は捉えられない。

    我々の意識では、この世界の真実は捉えられない。

    そこ迄が、西洋思想のテリトリです。


    戦争。
    争いは、支配の方法論としたら、当たり前の行為なのです。

    平和?

    自由?

    平等?

    本質のない所に、言葉の中身は有りません。


    すべて、『偽』 嘘です。


    あぁ、もうこれ以上、西洋の悪口意を謂うのは止めましょう。

    もう次は、西洋的思想、文明の終焉、
    東洋の新たな文明の芽吹きが始まります。

    いつまでも西洋かぶれが、かっこいい! ?
    西洋と一緒に、滅びないようにしましょうね。


    あはは。
















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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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