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    自然が自然たる、自然そのものの姿が消えていきます。

    Category : 自然の力
    100321 富士山

    3/21 の 富士山







     今日は、【ロンドン時事】の伝える次の記事からです。

    お読みになられた方もいるかも知れませんね。





    英研究チームが「決闘」に関して実施した実験で、

    次のような結果が判明した。タイムズなど英有力各紙が報じた。


    おそらく、拳銃を相手よりも先に抜こうとする意識的な行動速度よりも、相手の行動をみて本能的に反応する速度のほうが速い-。
     


    実験したのは、

    英バーミンガム大学のアンドルー・ウェルチマン博士のチーム。

    54人が参加し、拳銃の代わりに押しボタンを使い、行動速度を計測した。

    その結果、自らの意思で最初にボタンを押す場合よりも、

    相手の手の動きに反応して押す場合のほうが、

    行動速度が平均0.02秒速かったという。
     
    同博士は「意識的に行動する場合と本能的に外部の動きに反応する場合の二つの速度を計測したのは初めて」としている。




    決闘の時に、先に拳銃を抜けるのは、どちらか?という実験で、

    意識的にするよりも、本能的に任せた方が早かったというわけです。




    これは、非常におもしろい記事だと思って読みました。


    なぜなら、


    ”決闘”というイザ! 負ければ命を落とす事になる場面で

    実験をしたというのも、わかりやすい!



    その上、普通でしたら、

    常日頃の意識的な練習の積み重ねで本番に臨めば、うまくいく!

    現代人は意識の方が本能より優れて? いる、と

    漠然と思っているはずですから、 ほほっ。


    原初からある能力、脳で言えば旧皮質の方で、

    それよりも、人間が創意工夫する能力、脳で言えば前頭葉の方が、

    人生には有益なのだ、というそういう方向性が作られていますから。


    それって本当? これでいいのかしら??と、

    疑問を投げかけていましたので、この記事に目が止まったのでしょう。




    この現代の思潮の流れを、このまま行き着くと、どうなるの? 

    と、不安で、考えざるを得ない状況を見つめていたからです。




    前回のブログ記事、

    実際、産みたいのに、産めない体の人が増えているのです。

    そういう悩みの方がたくさん目の前に来られています。


    に対して、次のようなコメントがありました。


    現在は、生命力が衰弱している時代なのでしょうか?

    環境ホルモンが問題になりましたが、

    それもこの影響なのか心配になってきました。

    自然の摂理に添うように生活しなければいけないのですね。







    仰るとおりですね! 

    自然の摂理に反した現代の思潮は、

    人間の夢を実現するのは、意識次第! 前頭葉だよ!

    意識で全てがコントロールできるかのように、本能も抑圧しよう?

    という点に重点を置いているようです。




    すべてはバランスの問題なのですが、



    私自身に於いては、ずっと以前から、

    理性・意識的であるよりも本能・無意識なあり方を

    経験的に大切にしています。



    どこかで、意識より本能的な力に、心の中では軍配を挙げていますね!




    イザという時、意識の助けは限りがあります。

    意識できる範囲!です。

    それよりもっと奥の力が、助けてくれるのは完璧性があります。

    窮すれば通ず。ですか? 

    たしかにそうなのです。

    じつは、そう信じて疑わないでおります (笑い)





    この記事を読むきっかけになったのも、目に留まったからです。

    自分の必要な事柄には、捜さなくても出会える。

    どんなに雑に新聞を読んでいても、読むべき記事には出会える。

    その確信は、ありますね! (笑い)






    今日は、こういった体験をご紹介しましょう。




    進学塾をやっていた頃、私の塾の独特のやり方だったのですが、

    生徒たちが講師の授業が終って帰り際に、私のところへ

    帰りの挨拶をしに来るのですが、ずっと長い行列ができました。


    ひとりひとり並んで会話をしながら”さよなら”を言うのですが、

    質問がある生徒には、その対応をしなければなりません。


    それが毎回新鮮な楽しみで私はいつもその場に、

    すべての学年のテキストと、参考書をおいて、対応しました。


    簡単なものはいいのですが、

    算数の応用問題や、受験の図形など、補助線を引くとか、

    生徒がピンとくる説明をしなければなりません。


    生徒がずっと並んでいるわけですから、ちょっと待って!と言っても、

    ものの十秒くらい、長くて1,2分で処理しなければなりません。


    その時のテクニックは、とにかく質問の内容を理解する。

    次ぎの瞬間に、普通はどう答えようかと考えるのでしょうが、

    これをしない、考えない。考えたら時間が掛かり過ぎです!!

    (ここが大事なのですが、)直ぐパッと全部を忘れます。

    問題が意識から隠れた間に、空っぽになった私の頭の中で何かが働き、

    (たぶん無意識)次の瞬間は答を口にしている私が居るのです。

    これは、問題の中味を考えて答えるより早かったと思っています。



    これは初め、必要に迫られてコツを身に付け?ました。  ほほ。

    高校受験が終わって、生徒が高校生になってもやめないで私の塾へ来ているというケースがありました。
    大学受験の理系の数学の問題をわからないと言って持ってきた時、

    生徒が挨拶に並んでいる間に処理をしなければならないので、

    仕方なく取った方法です。


    本当に、ふしぎなのです! 考え込んだら分からなかったでしょう。

    質問に来る彼らをがっかりさせた事はなかったと思っています。






    又、自分が欲しいと思っている物や、読みたいと思っている本があれば、

    無意識が叶えてくれるまで待ちます。(笑い)

    ある時、気が付くと、そのモノの前に立っています。

    仕事で出かけた初めての町で、立ち寄る気になったお店、

    何気なく、奥へ行くと、前から欲しいと思っていたものが!

    そこにあるのです。

    探す手間が省けて楽!なのですよ~



    この力はなになのでしょう?


    いつも、不思議な感覚に包まれます。



    たぶん、これは、意識上の私には見えないけれど、

    無意識の私が、分かっているのですね。


    中途半端な知識を動員して欲で策を弄するよりも、ずっと楽です!






    人間は自然の存在ですから、

    大なり小なり個人差はあっても、こういう風に感じる場面はあるかもです。



    なぜなら、

    私達の生の衝動は、意識(陽)から芽生えるものではありません。

    私達の生の衝動とは、意識の奥、何層もの奥、

    『陰』そのものからなのです。

    意識のもっと奥の無意識から、

    私達のすべての生の衝動は起こっています。



    私達は、自分の生の衝動によって生命を守られています。

    車に乗っていて、横断歩道を渡っていて、ひやっとした時、

    ありませんか? 助かった! 守られたと思う時あるでしょう?



    もちろん、運が悪く逆に、事故に巻き込まれた人々もいます・・・

    その差は、なにでしょうか?



    欲を出して意識することで、逆に、その生の衝動は途絶えます。




    意識(陽)だけを積み重ねても、生のエネルギーは湧いて来ません。

    本能を虐めて、さげすみ、意識的生活に傾きすぎて、

    生の衝動が途絶えると、どうなるか?

    それは、生そのものの生命力が失われ・・・命の発現が途絶えます。

    自然が自然たる、自然そのものの姿が消えていきます。



    陽である男性から男らしさの本質が消え、

    陰そのものである女性から創造性が、消えて行きます。




    男らしさの本質と、女性の創造性の本体のエネルギーで、

    子孫繁栄が成立しているのですよ。




    物質文明の中の意識偏重の思潮が、肉体と精神を分断しているので、

    私達は、物質の世界で起こっていることが、そのまま同時に、

    精神の世界にも起こっているのだという認識を持ちにくい時代です!

    私達の中に、そういう感覚意識が惰性になっています。



    その感覚が今のままで維持されるかぎり、

    今の科学で物質としてしか捉える事のできない地球の危機を、

    温暖化や環境の汚染として捉えることはできても、

    自分たちの精神の危機とは捉えられないのです。



    温暖化や環境の汚染は、あくまでも物質世界のことです。

    それから精神的にも影響が出るかもしれないと、

    精神的影響を、物質世界からの副次的影響に捉えるやり方は、

    あまりにも、間違っています。



    温暖化や汚染と同時に、

    私達の精神には、目には見えないけれど、変化が起こっています。

    まず、男性と女性の性徴の交代、生殖能力の後退、

    に現れて来ているのではないかと思っています。

    地球の様相が移り変わっていると同時に、

    私達の心身も移り変わっています。

    30年も経てば、取り返しの付かない変化にたどり着くでしょう。





    この移り変わりに、どこかでストップを掛けなければ・・・・・



























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    春眠不覺曉 / 「浄暗」という言葉を知っていますか?

    Category : 自然の力
    100321_湖

       富士山を背にして夕暮れの本栖湖を望む










      春曉    孟浩然

      (春の夜明けの気分)

     

      春眠不覺曉  春眠 暁を覚えず

      處處聞啼鳥  処処 啼鳥を聞く

      夜來風雨聲  夜来 風雨の声、

      花落知多少  花落つること知りぬ多少ぞ。




    春の眠りの心地よさに、夜の明けるのにも気がつかなかった。

    方々から 鳥の鳴き声が聞こえ。

    昨夜から風や雨の音がしていたが、

    花は、さぞたくさん散ったことだろう






    ところで、

    あなたはどのくらいの睡眠をとるよう心がけていますか?


    不規則でバラバラ?

    規則正しい生活を心がけるようにしている?




    人それぞれ、さまざまでしょうね~~




    「睡眠時間」と「死亡率」との関係を調べたデータがありました。


    死亡率が最も低いのは、睡眠時間が約7時間の人。

    睡眠時間が4時間以下の場合は、男性で62%・女性で60%

    睡眠時間が10時間以上の人でも男性で73%・女性で92%

    この割合で、死亡率が高まるといった報告です。



    理想の睡眠時間は、7時間らしい。

    それより長くても、短くても死亡率は高くなるそうです。


    睡眠時間が減るにつれ、老化は促進され、肥満状態になりやすく、

    脳血管障害、ガン、心筋梗塞、糖尿病などといったリスクが増すそうです。



    みなさま、いかがですか?



    健康に、どれだけお金を投資していても、

    十分な睡眠が取れないようなら、無駄のようです。

    また、前回の記事で書きました無意識ですが、

    寝ている間に、昼間使いっぱなしだった意識を閉じて、

    私達の無意識のなかに入っていける大事な時間なのですよ。





    朝の4時 ~ お昼の12時までは、『排泄の時間』なのだそうです。

    寝ている間に汗をかき、起きて尿意をもよおし、排便をする。

    体の中の毒素を出すための時間です。

    水分が出て行きますので、十分な水分を補います。

    だから、この間は、腎臓や肝臓の消化に負担のかかる脂っこい食事、

    おなか一杯のたっぷりの重い食事をしない方がいいのです。 

    特に午前6時から9時の間は、

    できれば、この間の食事は、自然の生きた酵素を体内に摂り入れる為に、

    植物の生食(生野菜、くだもの)を心がけましょう。

    酵素は50度cで壊れますから。生野菜ジュース等やくだものを。

    めんどうなら、バナナ2本とかトマトを丸かじりするとか? (笑い)




    お昼の12時~夜の8時までは、『消化と摂取の時間』

    この間に、食べて、飲んで、

    おなかいっぱい食べたいならこの時間帯に!(笑い)

    活動しながら食べる事を盛んにしたらいいのです。




    夜の8時 ~ 翌朝の4時までは、『吸収と代謝』の時間なのだそうです。

    命に大切な新陳代謝です。

    また、人の代謝が活発化するのは、

    午後10:00~午前2:00の間とする説があります。

    また、成長ホルモンは午後10:00~2:00の間だけ、活発に分泌される。

    ここが大事なのですよ!

    この間、深い睡眠をとっていないと新陳代謝がスムーズに行われません。

    やる事があっても夜更かしは止めて、朝、4時に起きてするようにしたら?

    遅くても夜中の12時までには熟睡するように・・・・・ 



    これらは、すべて、

    本人の意思に関係なく、自律的に命の衝動をはかどらせてくれる

    血圧や、体温や、内分泌を守る自律神経の範疇です。

    このような体のシステムは、主として無意識の範疇ですよ。




    意識の覚醒は、昼

    無意識は、夜

    生あるものは、夜、無意識の世界で再生するのです。





    ところで、

    「浄暗」という言葉を知っていますか?

    浄化する暗さ。闇のことです。



    穢れを清めるための、神々しい闇、というのかしら。

    夜のことです。

    夜は神が動く時刻であって、人間が動く時刻ではない。



    司馬遼太郎の『義経』に、

    壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、

    平家から「三種の神器」の二つを奪った源義経が、

    都に凱旋することになったわけですが、

    「三種の神器」=神にあたる器を持っていたので

    都に上る移動を夜に行ったそうです。

    夜中の凱旋ですね。

    神の移動は浄暗=夜でなければならなかったとあります。




    夜=闇=意識が無力=無意識界=神の力の領域=陰=再生なのです。





    ほんとうに、私達の意識は偉そうにしているけれど、なんぼのもの?

    本来、無意識の方が、本体、親分なの!! (笑い)



    無意識に沿った意識は、善、健康をもたらしますが、

    無意識に逆らう意識は、悪、なんぼのもの? なのですよ!





    無意識を、自然の摂理と置き換えてもいいでしょう。


    私達は、無意識に感謝をするどころか、その法則である自然の摂理に

    逆らう意識を、科学の恩恵の賜物?か、沢山産み、育て、増やしてきました。

    それらの意識に振り回されている、使いこなせていない、

    そういう時代に突入しています。







    たとえば、

    睡眠不足が続くと体力温存のため、血液が皮膚に行くのが後回しになり、

    皮膚の栄養分が足りなくなる。

    皮膚の機能が低下し、皮膚の水分も保たれず、皮膚トラブルを起こしやすい。

    かゆみや、じんましんが出てきたり、、、

    皮膚にアレルギーの炎症として、かゆい湿疹ができたりします。



    心配事などで、浅い眠りが続いて熟睡できていない場合、

    心が緊張状態が続いたら、体のなかに男性ホルモンが増加します。(女性も)

    それで皮脂腺が刺激され皮脂量が急激に増え、雑菌が活動してきて、

    ニキビや湿疹の原因となります。

    また、大きな出来事でなくても、心に深いストレスを受けたとき、

    頭部に円形ハゲができたり、直っていた水虫が活発化したり、

    虫歯でもない歯肉が、プァーとマメ状態に腫れたりします。


    出てくる症状はさまざまですが、

    私たち人生の”生きよう!”とする意識生活の上で、

    自然の摂理に反する=生物としての原理を外した生き方に陥った場合、

    それが、単に心性的な原因(ストレス)であったとしてもです。



    こういう時、私達の意識は、

    自分が知っていると自惚れている限られた狭い範囲の知識のカケラで、

    大抵の場合、自分のエゴに染められて勝手な判断をするわけです。




    自分の意識は自己の欲望の代弁者になります。

    自分の欲望を正当化する事を考えます。

    そして、無意識=生の衝動=命、の虐待者に成り果てるのです。



    目先の欲や、策略で、《 もう、ちょっと頑張ろう!》

    止めるなんてとても恥ずかしい、《 だいじょうぶさ~ 》

    虚勢を張って、《 まだ、いける?よ~ 》   




    (笑い)





    しかし、私達の無意識は、

    生の衝動で「 もう、勝手な意識をこれ以上、支えきれないわ~」と、

    判断をして、上記のような症状を出して来るのですよ。

    ”体どころか、【命】のSOSなんだよ! おい! 意識の馬鹿もの!

    いい加減にしろ~”と。

    生の衝動を途絶えさせるわけです。

    陰からのエネルギーの補給路を断たれた陽は、挫折するしかないのです。


    こうして、私達は自分の欲に絡んだ生命活動を断念する羽目になる。


    即、入院しろ! 手術だ!

    ウツだって? 仕事ができない!

    癌で余命いくばくか?、、、、になってしまうのです。


    私達の体に症状が出る前に、心的ダメージは先行しています。


    これも、私の仕事柄の経験ですが、

    配偶者の死、離婚、等の悲しみがあった後、約3年前後に、

    癌等になられている方が多いです。


    心は、ある意味、意識的にウソがつけます。

    ”いいえ、それほどじゃないですゥ~ ”

    ”悲しくなんか無いわョ~”

    ”反ってさっぱりしたンダ~ "など、言い方もさまざまですが、

    私達は、心を偽って見せる事に長けています。



    が、体は、ウソをつきません。つけないのですよ~

    日々の悲しみ、苦しみ、ストレスを毎日の細胞が記憶しているのか?

    と思うほど、日や、月や、年の後に、

    症状として、病気として、表現してきます。


    苦しみや悲しみを、意識で忘れたように振舞ってもダメなのです。

    無意識の下の層へ蓄積され、必ず無意識は押し返します。

    意識が気が付くような症状に、現象に、して返してきます。





    あれほどダメだって言っただろう!

    無意識さまを無視し続けた因果応報だ! わかったかァ~? とね!



    これも仕事のアドバイスの経験ですが、

    悲しみや苦しみは、意識上で大いに表現した方がいい!

    たとえば、声や体で表現をするのです。 直接的にです!



    踊ってもいい、おお泣きをしてもいい、泣き叫んでもいい、

    さわいでもいい、くやしい!と安いお皿を割ってもいい、

    山に向かって怒鳴ってもいい、(山へ行ってくださいね)

    海で慟哭の声を高らかに~遠慮なく! (海へどうぞ!)

    好きなだけわめいてください~ (笑い)


    古いカレンダー等の紙を引き千切るとか! 絵を書き殴るとか! 


    もっとありますか? (笑い)


    悲しさや、苦しさを、抑えてはいけませんよ!

    意識できる限り、体から追い出すことです。

    すっきりするまで、、、ね。



    病気になってしまいますから、、、




    命の浄暗のために、早く眠ることに越したことはなさそうですね。


    そして夜ふかしを回避して、よく眠ること。



    無意識のゆりかごの中で、いい夢を~~~


    若々しい命を再生してくださいね。


















    『病気にならない「酵素食」レシピ』 鶴見 隆史 (医学監修)

    『人体常在菌のはなし―美人は菌でつくられる』 青木 皐 集英社新書

    『夜ふかしの脳科学―子どもの心と体を壊すもの』 神山 潤 中公新書 

    を参考にしました。



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    『健体康心』 3.癌、わが国の癌医療の立ち遅れが目だってきています。

    Category : 自然の力
    咲きました

    庭の花






    今日は、”癌”の最後になります。


    前回は、むずかしかったでしょうか? あはは!

    今回は、ぐっと現実的に身近な話題で行きたいものです~






    前回のつづき、決定的に違う西洋医学と、東洋医学でしたね!


    西洋医学の病理観は、細菌病理学を中心としたもので、病気の原因を人体

    の外に求めます。



    むかしは、ペストの大流行などがあったわけですから、、、

    そうならざるを得なかったのかもしれません。


    病気は、外からの細菌で起こる。細菌を殺すのが薬だ。

    細菌を殺すのだから毒を使う。

    狭い範囲の病理観。一義的な薬理観です。



    そういう概念です。これも、やはり一部壊さないといけない概念です!

    一度流布した概念は、当たり前となってしまいます・・・


    たしかに、結核、赤痢などの感染症で急性病の死亡率が激減したのは、

    その時の細菌学の学者の功績、勝利でしょう。しかし、ですよ!


    体質的な成人病までも同じように扱い薬漬けにする処に問題があります。

    そのままの流れで行くところに、薬学研究者の単純さ?というのか、

    製薬会社の化合薬の売り上げを維持したかったからか?

    と、疑ってしまいますね~!




    未だに細菌病理学的薬学から脱皮ができていない現実があります。


    そして、西洋医学の薬学は、その基礎が戦争の化学兵器の研究にあります。

    敵を殺すための毒薬がばい菌を殺す毒薬=薬に変わっただけです。

    戦後、日本においても、現在の名だたる大製薬会社を興した人材は、

    軍部の毒薬兵器の権威者や、その研究機関の関係者だったことを知れば、

    今は目的が違うと言っても、なにか身震いをしてしまいそう! (笑い)




    それに比べて、東洋医学は、病因を常に自分の内に求め、重視します。

    漢方薬自体が、草木の薬理成分を煎じて服用するという発想です。

    医食同源という思想が根底にあります。



    これは、人間は自然の一部であるという東洋の自然観からでしょう。



    たとえば、吉益東洞などは、”万病一毒説”血液の汚れ(血毒)のよって万病

    は発すると説いています。





    どの患者の体も同質が前提の、対症療法だけの西洋医学と比べれば、

    個人を体質的に見極めて、分けて、全身的に処置をする中医学は、

    ジョゼフ・ニーダムが、著書で言うように、

    健康を増進させる事や、自然治癒力を発揮させる事については、

    優れているという事は言うまでもありません!



    それは、なぜなのか?


    自然と人間を捉える思想哲学の決定的な違いであり、

    知識として技術を学ぶという事だけでは真似が出来ないものなのです。

    日本は、長い歴史的な関係から、中国の医療を自分のものにできる圏内に

    位置しています。西洋医学を主流にするのではなく中医学を、

    もっと取り入れて治療をするべきでしょうね。





    これは、もう、思想的な選択というよりも、

    今現在は、経済がすべてを牛耳っているまっ逆さまの時代ですから、

    利権や経済の存在を無視して、経済や、政治という意識の作ったロジックに

    がんじがらめの状況下では、学問からの変革は望めません。


    それぞれが、自己の既得権益を守っているのですから、、、



    もう、ひとりひとりが縛りのない個人が動くしかない世の中です。

    だれを責めても、無理です。

    頼れるのは、自分です。



    そう思って、お読みくださいね。 究極の自立です。あははっ~





    だいたい、症状の部分だけを捕らえて全身を診ない西洋医学においては、

    いまだに癌が何なのか解っていないのに、がん細胞=悪玉だから、それを

    取り除こうとするのが、癌治療における唯一の方法です。



    悪玉や原因を他者に求める西洋二元論の真骨頂です!
     

    相手を攻める、相手と闘うのです。

    西洋二元論の相手を潰す論理性が、ここにも!!


    生きている人間の体の中の癌細胞を、敵にみなして、、、やっつける。

    この方法が、命にとって、野蛮とは、思わないのでしょうか?





    その癌細胞を、

    取り除くために行うのが手術ですが、

    この外科手術をしないで、

    体内にあるがん細胞を毒薬で殺そうとするのが、抗ガン剤


    抗ガン剤は体の中のガン細胞を攻撃・破壊して死滅させるためのものです。

    がん細胞を毒薬で死滅させる代わりに放射能で死滅させるのが放射線治療



    その中でも、特に抗ガン剤は、ほとんどのガン治療で使われます。

    ただ抗ガン剤の欠点として、ガン細胞だけでなく、

    ガンを失くしてくれる細胞まで殺してしまいます。


    これで体の免疫力が低下し、癌細胞を抑える事ができなくなり、

    更に転移や再発を招くという悪循環です。




    抗ガン剤の効果は、何パーセントかご存知でしょうか?


         
    たった、20%ですって!


    抗ガン剤を使用すれば、2割りの人に効果がありますよ。という・・・

    これが、今の抗ガン剤治療の現状です。

    この状況を癌の専門医は知ってますから

    「自分が癌になっても、抗ガン剤治療は絶対にしたくない!」とか。




    しかし、わが国では、いまだにこの癌の三大療法が主流です。

    そして、わが国の癌医療の立ち遅れが目だってきています。



    それについては詳しい記事がたくさん載っている

    koukisinboyさんのブログを再度ご紹介したいと思います。



    そして、次は、癌発見の検査自体が、危険なこともあるのです。

    このページを!



    化学療法の危険性です。

    koukisinboyさんのブログ




    わが国の癌治療が変わらないのには、

    いろいろな現状があります。

    製薬会社や、輸入薬の利権、経済の都合などなど、です。


    それと、今までの癌の治療を正しいと主張して来た権威者たちです。


    あとは、どうぞ、koukisinboyさんのブログを、(一覧〉から、

    他のページもご覧になってください。

    癌に関する情報は、一番巾広いのでお薦めです!




    では、最後に私の個人的な癌に対する態度を書きましょう。

    自分に、癌は関係ない。と確信をしております。




    え? どうして? (笑い) 


    簡単です。どうして癌になるのかというカラクリを知っていますので、

    癌の原因になることをしていないからです。


    それは、20代の頃から、幸運にも 『森下自然医学』 (クリックを!)

    の御茶ノ水クリニック院長の森下啓一医師の本と出合った事です。


    血液学のドクターで、本の題名は、『肉食亡国論』です。

    森下先生の考えを実践してどうすればいいか自信を持って来ましたので、

    癌を恐いと思ってはいません。



    今でこそ、西洋医学の化学合成薬を処方しない先生方が増えていますが、

    その頃、森下先生の本は、珍しい? びっくりする本の題名と内容でした。


    現在は、私が知っているだけで、臨床環境医 三好基晴氏

    鶴見クリニック院長の鶴見隆史氏

    などなど、、、(氏名をクリックするとそれぞれのH.Pへ飛びます)




    少し紹介をしますと、


    森下先生は、血液を研究している時に、赤血球が体細胞へ変化し、

    または、体細胞が赤血球に戻っていく過程を撮影に成功されています。 


    また、消化された食べ物が小腸の柔毛突起から吸収される時に

    血液になるという腸管造血論者です。



    また、私たちは血液を調べると言うと、

    中性脂肪は?GOTは?という数値だけを気にしますが、

    御茶ノ水クリニックで血液生態写真というのを撮りますと、

    血液中に流れて浮いている?巨大老廃物の結晶や菌などが見れます。



    すべて私たちの鼻で吸い込み、手で食べた食品からの不純物なのです。


    化学合成物はそのまま血液の中を浮いて、

    血液成分の流れを邪魔しているようです。

    これらを見せられると、どんな生活をしているか解かっちゃう?

    こわいなぁ~と身が引き締まるほどですよ。


    治療の基本は無農薬玄米菜食で、お薬や注射はありません。


    患者の方は、300回咀嚼するように指示された食事で、

    血液のなかに汚れた不純物がなくなると、『癌の自然退縮』で癌が消えます。



    また、興味深いのが、

    動脈・静脈の毛細血管は全部開放端になっているそうで、

    その末梢血液空間で血流が停止して新陳代謝が行われている、らしい。

    非常に、難しい血液学が具体的に説明されて解かりやすい。



    ずっと、先生の主張は一貫して変わっていません。

    しかし、脊髄造血論が主流の学会は、これらを学問としては認めていない

    らしい、、、まったく学問の世界は、、、わからないです。


    このように、人間の本質は、むかしから何も変わっていません。が、

    西洋医学の云う所の、癌の情報は、くるくる時代と共に変化しています。


    まさに、陰陽の陽です。今の知識が何時変わるか? 偽になるか?





    この先生方の血が滲むような治癒体験や結果を、

    本から中身だけ盗んで、経験者談というネット情報として

    金銭に換えようというビジネスをしている輩が増えています。 


    決して、こういう嘘つき情報へは乗らないように~


    直接この先生方やクリニックへお問い合わせをなさるとか、御確認を!

    道徳も思想もない商行為が横行していますので気をつけてくださいね。





    私たちの命は、体は、いつも必死に生きようとしています。

    本人に関係なくです!よ!~ これが、幸いですね~

    その邪魔をしているのが本人の欲望です。

    口では、長生きがしたいと言い、癌も恐いと言う。

    しかし、やっている事は、癌になる準備でしょう? あはっ~


    癌になりたければ、化学合成物質、添加物を気にしないで体に取り入れ、

    不規則な生活をし、心を低い概念や雑な情報で汚しつづければ、

    数年後には、免疫力が命を守るのをギブアップして、癌になれます!


    まさに、『呂氏春秋』の世界ですね!


    長生久視(ちょうせいきゅうし)を欲せざるなし。

    而(しか)るに日に其の生に逆らう。






    今栄えている西洋文明の特質は、知識を集めるだけ集めるという欲望です。

    目的もなく、支配欲や到達欲のために知識を集積します。

    多くは、所有欲の為であり、勝他(他に勝ちたい)の欲の為でもあります。



    知識は、陽です。陽炎、カゲロウです。何時かは、消えます。

    陽を幾ら集積しても、陽は陽です。偽の集積になります。 



    知識だけでは、それが幾らあったって、命や人間の幸せに貢献しなければ、

    それは、どんなに分厚い本を書いたとしても雑学でしかありません。

    『神』を失った科学は、哲学を失った知識は、、、、、

    人間のしあわせに役立たない知識は、悪魔の奴隷でしかありませんでしょ?



    ここなのです! 高学歴と人格が比例しないのは・・・





    東洋学は、地球上における最高の実学です。

    西洋的学問の膨大な知識を役立てるには、この後ろ盾が絶対に必要です。



    癌を、異物として、攻撃するという発想しかない現在の西洋医学の限界は、

    やはり、中国4000年の歴史の医学を、取り入れて発達してほしいと

    願っています。

    また、機会があれば病気のことは書くつもりです。



    命にとって大事な事は、

    じっくりと構え、あきらめないということです。

    本質を知るまであきらめない。

    本質をじっくりと追いかけてください。


    そうすれば必ず天は、教えてくれます。


    陽だけを追いかける事は、

    わが身が、

    空しさから 仕返しされるだけです。



    よき週末をおすごしくださいね。 


















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    昨日の地震/自然の望み・東洋の病気の原因(内因)

    Category : 自然の力
    110311_男女川


    男女川(みなのがわ)水源つくば山の男体山登山ルート)





    昨日、大きな地震がありました。

    ずっとマスコミで流されている生々しい現場の情報に、

    ほとんどの人は、呆然として、

    地震の事で胸が一杯であろうと思います。

    この週末は、ブログの更新を、延期しようかと思っていたのですが、


    ブログの読者の方からも安否確認の?

    メールをいただいたり、

    ご心配をお掛けしている様なので、

    本来の予定をしていた記事を変更をして、

    昨日の筑波山登山道中の地震の体験の記事に致します。 


    その前に、壊滅的な状況の中で


    不安と恐怖の心でお過ごしの現地の皆様が、

    すみやかに救助の手を差し伸べられて満足の行く復旧をされますように、

    お祈りいたしましょうね。

    そして、これ以上の不幸が、日本に起きない様に願いましょう。






    昨日の地震の時には、茨城県の筑波山の山中にいました。

    (上の写真は男体山登山ルートの途中)

    昼食を男体山の茶店でとり、女体山へ登って、

    そこから岩場の多い女体山からの下山ルートの途中でした。 


    昨日は、列が切れない位の登山者がいました。

    上の写真の男女川の水源を通過したのが、12時ごろ、

    まだ雪が残る登山道を、ストックで当たりながら進み男体山の頂上へ、

    そこを下って、御幸が原の売店でお弁当を食べ出発したのが2時前位、

    次は、女体山の頂上へ。

    ここは、大きな岩がゴロゴロあるだけの狭い頂上です。

    10人位が、立ったら一杯一杯。

    岩によじ登るような感じで動くしかない場所を、

    代わる代わる突き出た岩の上まで歩いて進んで、

    眼下の関東平野をバックに、写真を撮ったりしていました。

    冷たい風の吹く頂上を後にして、下山に向かいました。


    そこから、つつじヶ丘へ下山するルートだったのですが、

    残雪があって油断をすると滑ってしまう岩、岩ばかりの階段道を

    しばらく降りて、

    ちょっと広い平地で休憩をしました。
     

    ベンチに座っていました!


    その時、”揺れてる!” と言う、誰かの声。

    その言葉に驚いた、その時が、2時46分過ぎだったのですね。

    ”巨大地震 ”とは、まだそうは思っていなかった時点、

    足元の地面がゆっくり左右に何度も揺れて、

    回りの木々がそよぎ、

    ゆ~ら、~~ゆ~ら~~ ゆ~~ら、~~ゆ~ら、

    止まりません!

    不気味さが体中を襲って、


    え~っ? 地震!!

    判るのは、にぶかったですね! (笑い) 



    取りあえず、揺れが収まって、下山を始めました。

    岩場、岩道、雪道、アイスバーン、用心、用心、で降りて、

    左手は、綱が張られている崖側、

    右手は、大きな岩と杉の大木の根っこの周りを

    右回りをしながら降りている時、

    前よりはっきり地震と思う揺れが、来た! 


    誰ともなく、

    ”座って! ”、

    ”崖からはなれて! ”、

    ”岩に捕まって! ”、

    口々に叫びながら、その場でしゃがんで、

    片手は樹齢300年位の杉の根っこを握り、

    片手は岩の角を掴んでいました。


    そうしたら、掴んだ岩が揺れるのです!
     

    しゃがんで見上げれば、頭上に大岩、回りも岩ばかりのロケーション!

    自分の運命は、知っていますから、  ほほ。

    ここで死ぬとは思いませんでしたが、 あはは。




    岩が落ちて? ヒェ! 

    と一瞬。

    これを、(肝を冷やす)と言うのでしょうね。 





    また、かなり長い間、揺れている間、

    生きた心地はしませんでした。


    でも、素敵な方がいるもので、山のベテランなのでしょう。

    初めてそこでお会いした間柄同士なのに、

    励ましの言葉を回りに掛けて下さって、随分慰められました。

    人として、そうありたいものと思う事しきりです。




    女体山からの下りは、大石の名所ばかりで、ガイドブックにも、

    <大きな岩の急な下り>とか、案内されています。

    がま石、北斗石、母の胎内くぐり、屏風岩、弁慶七戻り岩、など。

    本来は、しげしげと眺めて、下を潜ったり、触ったりするのでしょうが、


    パス! パス! みんなパスです。

     ”見るだけ~!”    あはは。



    大岩の前を、できるだけの早足で、逃げる。

    足元は、踏み固められた雪、解けてどろどろになったヌカルミ。

    ボコボコの大岩、小岩、

    足を置く場所を捜しながら、夢中でした。




    地震の3度目の体感は、

    もう岩崩れは、大丈夫と言う処まで来て、

    最後の休憩地点でです。


    ベンチがないので、地面から出ている岩に腰掛けて、

    ゴォーーーと言う地鳴り? かすかな低い音でしたが、


    山の地面の中で石と石が擦れ合っているような、

    しかし、これは耳に聞こえる音。


    岩に座っているおしりには、

    ゴロゴロゴロとまるで石臼のような振動が伝わって。

    しかし、これは耳には聞こえない振動音。


    ”揺れてる~”、


     ”まだ、揺れてる!” 体で感じる地震です。 



    下界では、どんなひどい地震が起きているのだろう? 




    さっさと下山したかったのですが、

    クサリ場(伝って降りる為のクサリが岩に備えてある)、

    足元が悪い為に、ロープを張って伝って降りたり

    と手間取って、

    2時間の予定が、30分も余計に掛かってつつじヶ丘に到着。


    温泉に入って行くつもりが、停電! 

    ホテルの屋根が落ちている!

    筑波山スカイラインが、落石の可能性で入れなくなっている!

    はやく出ないと、通行できなくなる! 

    高速は使えない!


    いろんな情報が、一気に入って来て驚く事ばかり!

    下道を走った訳ですが、

    茨城県の道沿いは落石、道路の亀裂、橋の陥没、

    停電の道路は信号機も真っ暗、渋滞、

    7時間かかって帰宅しました。

    自宅は、お蔭様で何事もありませんでした。

    みなさまは、いかがでしたか?





    帰宅した時から、テレビは地震の実況放送ばかりです。

    気になって見てしまう。

    きっと皆様もそうでしょう。

    ひどい場面なのに、

    本来ならもっと情感を感じながら見るものを、

    驚き過ぎなのか、冷静に、まじまじと見てしまっているのに

    我ながら、驚くのと、

    これでいいのか? とか、考えてしまいました。


    昨日の山での経験から体に残った”恐怖心”、

    どこか感じないように押し殺してしまって、

    知らず忘れようとしている?

    これが大人の普通と言えばそうなのかも知れないのですが、

    ひとつ、やっぱりこれでは不健康なのです。

    西洋二元論はいざ知らず、東洋は、肉体と心を一つと見ます。

    西洋医学は、肉体の病気の原因は、肉体にある。として、

    あらゆる身体的検査をしますね。






    しかし、

    東洋的医学での病気とは、肉体と心の調和が崩れ、

    元の気(健康状態)に戻せない状態を言い、

    自然治癒力が働かなくなった状態になる事を病気と考えます。

    病気の原因は、体と心の不調和。

    不調和になる原因として大きく3つの因子が考えられています。

    内因外因不内外因ですが、

    今日は、内因について、簡単に触れてみます。




    内因とは、肉体の病気に、心に原因をさぐります。


    たとえば、

    (怒り)過ぎは、肝臓を傷つけ

    (喜び)過ぎは、心臓を傷つけ

    (思い)過ぎは、脾臓を傷つけ

    (悲しみ)過ぎは、肺を傷つけ

    (恐れ)過ぎは、腎臓を傷つけ  と言うものです。




    今回、地震に出合って感じた恐怖心を、驚きを、躊躇を、

    そのままにしていてはダメなのです。

    感じた感情は、本来、素直に何らかの形で、外へ出さないといけません。

    テレビで見慣れた為か、理性的に受け取る癖がついてしまって、

    現場の状況映像を見て感情が沸かなくなっている。



    虚無的?



    これは、健康にはよくありません。

    心は、聞かなかったように、見なかったように抑圧できます。

    本人が壊れないように、無かった事にして守るのが、意識の役割ですが、


    無意識は、見た物、聞いた物をすべて、受け入れて保存し、

    しかも忘れず次世代へ伝えるのですよ!!!

    例えば、あなたが今、言葉にできない嗚咽とか、表現しにくい恐怖とか、

    もう味わいたくない苦しみとかを、そのまま保存記憶しています。



    本人が感じないようにと思い込んだ恐怖心とかもです。、

    そして、何年も経って体にその表現をします。

    それが、病気です。


    だから、とにかく、

    表現しなきゃ~です。

    方法は、大声で叫ぶ、さめざめと泣く、絵に描く、文にするなど。


    地震の悲惨な現場を見ている自分の心の奥を覗いてみてください。

    本当は、泣きじゃくりたい自分がいたり、

    フンプンやるかたない気分だったり、

    何故なんだ?と歯軋りする自分がいるかもしれない、、、、、


    それが、理性的に、何事も無いように津波の惨状を見る。

    可哀想と思う涙も枯れて?  

    これで、いいのかしら?

    もっと、画面を見ている自分に素直に出会えるように、

    無意識の自分に、、、

    本当は、どう言う事が起こっているのか

    感情で対じしたいと思いました。

    冷静でなくていいから、感情の放流を願いました。。。


    と、次の瞬間、突然、泣けました!

    両手で顔を覆ってうつ向き、涙が溢れる自分が、いました!


    そう、10秒位の間だったか、

    自分の人間の感情に触れたような、

    そして、不思議な事に、

    その時点から、昨日の恐怖心は、解消されていましたよ~。 

    心から自分の感情を表現する事で、納得、昇華されるのです。


    病気には、なりたくないですもの・・・ 

    どんな目にあって、どんな感情を持ってしまうのか、それはいろいろです。

    苦を楽に変え、悲を喜に変え、恐を安に変えるのは、自分です。 


    相手では、ありませんよ!!! 




    それと、もう一つ、

    自然は、この地球上すべての場所を、

    人間が、いじくり舞わして改変した自然を、

    もとのままの大自然に戻したいのです。

    それが、大自然の力、そのものの力の方向性です。

    それは、決して人間の欲望にとって都合よいものではないわ。

    しかし、人間は、欲を節して、自然に従うしかないのです。

    自然の摂理と言い

    自然の躍動感とも言い、

    宇宙の天体のリズムとも言いましょう。



    そこから我々の生命は、生まれて来たのですから。 
     


    仮に、絶家になった家があったとしたら、

    都会では、すぐに土地の買い手がついて、

    駐車場や新たな建物が建ちますが、

    農村や田舎で絶家になると、そのまま放置されるのが多いのです。

    そうすると、

    50~60年で、家は朽ち果て、瓦が落ちて、

    あらゆる雑草が生い茂ります。

    これが、運命学の『衰』であり、


    仏法の、『成』『住』『壊』『空』の『空』です。

    じょう、じゅう、え、くう、と読みます。


    物事は成って住み壊れて空になる。

    すべての存在は、これを繰り返すと言う様な意味です。





    そして、100年も経つと、

    そこには木が生え、昔の森に戻るのです。

    自然が、もともと大自然だった。

    その時の風景そのものです。


    それが、地球の星の素顔であり、

    『天・人・地』の『地』です。

    そのもともとの姿です。



    自然は、

    自然から生まれた生命に、

    あまねく、大いに、

    暖かく恵みや豊穣さを、与え生み出すものでもあります。 


    そして、我々が、死んで帰る処でもあります。 




    将来においても、

    必ず自然は、

    間違いなく地震を起こし、津波を起こすのです。

    それをコントロールする事は、

    人知では、不可能です。

    もう、自然を無視して人間の欲望のままのやり方は止めるべきです。



    いつか、津波が来る。

    と判っている海辺へ人を住まわせたり、

    逃げるのに無理な寝たきりの老人を住まわせたり、

    透析や老人介護の病院を海辺に作るべきではないのです。

    その事自体が、

    無謀だったのではないですか?

    海辺に住居を作らせない条例を作り、

    区画整理をして津波が来ない高台へ移動しましょう。


    海辺の近くは、役所や銀行や郵便局などを指定して、

    5~10階建てのビルを建てなければいけない条例を作るべきだわ。

    役所のような所の情報管理は、1階で行わないで、

    5階以上に持っていくべきですね。

    低層階は、店舗や貸事務所で、津波の時は、

    最上階へ避難できるようにするとか、

    目的にあわせて、具体的な都市計画を持つべきでしょうね。


    津波が来て 逃げる? 警報に注意して?  あはは。

    人間がする事、自然を相手にしようなんて無理ですよ! 

    このやり方を考えた人たち! 

    ご自分は、お出来になるの?

    いかにも、お役所的な中途半端な責任感と、

    たらいまわし的な他人事のような視点を感じます。


    今回、津波で壊滅した町を復興する時に、

    また今までと同じような町を作るつもりなのでしょうか?







    今日から、しばらくは、

    この地震でお亡くなりになられた多くの生命の為、

    ご冥福を祈りたいと思います。



    みなさまも、

    どうか、つつがなく、

    よい一週間を、お過ごしください。


































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    ***** 無意識の不思議 1       意識の矮小性  

    Category : 自然の力
    宇宙の薔薇



    参照 : NASAプレスリリース








    うわぁ~! なに? これ? 

    って、言いたくなりますね!      あはは。


    絵みたい?  いいえ、写真です。


    NASA(米国航空宇宙局)が、公開した

    ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したペアの銀河の写真です。


    地球から3億光年かなたの薔薇のような形の上下の銀河で、

    上部の銀河は、UGC1810、 下部の銀河は、UGC1813です。




    上下の銀河は、数万光年離れていて、それぞれの重力で影響を及ぼしあ

    った結果、渦巻きのような形ができたらしいのです。




    最上部の並んでいる青い光を発する星ですが、

    生まれたばかりの若い星なのだそうです。



    やっぱり、★も、若いと言うのは青いのですね~。   あはは。

    形といい、色といい、神秘的です。 

    星の集まった曲線から生きているような律動を感じますね!



    美しく、かわいいバラ銀河の写真です。










    この銀河のように、宇宙におけるほとんどは、未知です。


    未知なものを説明をするなんて、今日の記事は、むずかしいです。

    ややこしい~、覚悟をしてくださいね。  ほほ。









    今日の記事は、 無意識の不思議 1 *意識の矮小性 です。


    *矮小性=丈が低く小さく如何にも規模が小さい。
         転じて心や行いなどが正しくない様 











    まず、無意識について、

    現代科学の知識と、運命学からと、仏教から、書いてみたいと思います。 







    まず現代科学で無意識を説明をします。


    何にとって未知かと言うと、

    人間の感覚にとって、意識にとって、未知なのです。 =無意識。


    無意識は意識が無い状態というよりも、「気づいていない」状態です。 

    現代においては、心の場所は脳にあるとされています。

    心=意識です。

    つまり心=意識は、脳が生み出しているのです。


    ヒトは、他の動物とは違って進化の過程で脳が大きく複雑になりました。

    特に前頭葉の前頭前野が発達しました。ここに心の機能があります。



    その脳の中には心=意識している(分かっていると思っている)認識だけ

    がある訳ではなくて、もっと多くの膨大な「気づいていない」事柄が

    存在します。


    それを、無意識下に存在すると言います。


     
    ユングが考える「心の構造」は、

    意識、 個人的無意識、 集合的無意識の3層とされています。

    脳は、本人に都合の悪い、理解できない事などを、この無意識下の世界

    に隠してしまっています。


    どうして?


    それは、本人の固体(生命)を維持するのに、無理が掛からないように、

    保守的に守っているのですね。

    私たちは、脳の中に、

    非常に【過保護な機能の装置】を持たされていると思ってください。



    この装置は、地球上の生命発生の初めからの数十億年の記憶によって、

    その条件で、本人の固体を守ろうとしています。


    ここで、意識の至上目的は、その命の保全です。


    だから、

    本人の生命が危うくならないように、

    本人の脳が、処理できるものだけ、理解できるものだけを選択して、

    意識する分かった事として、心の中へ出して来ています。





    次は、運命学からの見方です。


    それぞれ、何が危険か?  何を避けようとするのか?

    無意識に貯められた固体の生命に刻まれた記憶のデーターによって、

    弱点や守備範囲は違いますから、

    それぞれの本人の固体(生命)の特徴が違って来ます。


    それが、その人固有の『運』を形成している訳です。

    または、『運』と呼べる癖に染められているとも言えます。

    運命を鑑定するとは、その癖を鑑定すると言う事ですね。







    最後に、仏教的な説明を簡単にしてみます。


    人間の六根(目、耳、鼻、舌などの6つの受容器官)の下にある無意識に

    は、何層もの無意識的層があって、一つ一つの無意識には役割と特徴が

    あり、事細かに説明がされています。



    深い所には、

    人類共通の生命発生からの、まだ意識が芽生える前から存在した

    宇宙的な無意識があり、

    人の無意識と大宇宙の無意識は、一体のものです。



    なぜなら、私たちの生命は、

    最初、宇宙の中から生まれ出て来たに違いないからです。

    生まれ出でる前の、

    宇宙と一体であった時のもとのままの状態が、意識の奥に、

    表層の無意識の下に、その何層もの下に存在しているからです。


    実際の仏教の論説は、もっと詳しく、

    現代の知識をもってしても驚くべき合理性を持っていると、

    驚嘆したのを学び始めた時に感じた記憶があります。

    現代のユング心理学ですら、無意識はたったの2層です。

    仏教の説く、その全貌には全く迫る事もできていません。

    仏教は、科学や陰陽学、運命学などと同列に並べる事のできない

    深遠な仏の『悟り』の智慧の体系です。

    が、全部の説明は到底無理なので、詳細は省かせていただきます。

    いつか、機会がありましたら.....





    古代中国の陰陽学においては、


    『陽』が、明るみに出て覚知できる世界であるなら、

    『陰』は、暗闇の中で、人の意識では覚知できない世界です。



    闇と光。


    陰と陽


    陰陽は、東洋思想の言葉です。


    意識・無意識は、西洋思想の言葉です。


    陰=無意識ではなく、


    陽=意識ではありませんが、


    陰陽を分かりやすくするのには、意識・無意識で説明をすると

    便利なのです。  前にも申し上げましたね!




    便利で片付けていると、必ず先で不都合が起きます。

    が、それを覚悟をしていただいて論を進めて行きます。

    が、但し書きを、書かなければ。。 。



    と云うのは、これから出てくる意識・無意識は、

    ユング心理学の意識・無意識の内容と同じと思わないでください。




    しかし、現代科学のユング心理学では意識で掴む事のできない無意識

    を、意識化した言葉で説明をしています。  

    そこが、便利です!!   あは。



    本当の無意識は、意識では掴む事ができないものです。 が、

    それを言葉で説明をしていると云うのを利用しましょう!  


    むずかしい?


    だいじょうぶですね!


    現代科学のユング心理学の意識・無意識の言葉を使いますが、

    これ以降は、その内容と同じと思わないでくださいね。




    あぁ、ややこしい!      あはは。




    意識的な言葉で、しかも合理的な言葉で説明をしたら、それはもう、

    無意識ではなくて、りっぱな合理の意識の領域のものなのですが、

    西洋的合理主義における学問と云うのは、そういうものです。


    無意識を、文字で書いたり、知識として説明をし、

    意識で理解をすると言う事は、本来の意味合いからは無理なのです。

    それは、本末転倒、おろかな=ウソです。




    東洋は、そう云う時にどう言うのでしょうか?

    東洋は、直感智で『悟る』と云う言い方をします。



    つまり、一番大事な事は、知識では表せない。

    と云うのが東洋的です。





    『悟る』を仏の『智慧』と置き換えてみましょう。


    『悟る』=『智慧』は、無意識の世界の中に存在するものですから、

    意識が作った言葉では本来、表現できないものなのです。

    それを、人間の『智恵』で、推論する。

    その位、『知識』と『智恵』と『智慧』は乖離しているものです。


    意識で無意識の世界を理解する事はできないのです。



    が、今、それをやろうとしている訳です。  疲れますね~。 




    だから、東洋的には、無意識の世界にある

    仏の『悟り』・『智慧』を解かるとは云ってはいけません。

    無意識の世界の事は、認識したり、理解する事は不可能だからです。




    そう、そこは知識を積み上げて、意識がどんなに頑張ってみても、

    この運命学ですら、

    文字や知識に置き換えて説明するとなると、それは難しいのです。

    毎回、悩んでおります。   ほ。





    意識は目の前の価値だけを追いかけますから、つまり評価です。

    時と共に移ろう評価です。

    意識は、本人の評価を気にします。

    ある時は、評価を守る為に、あるロジックを出して来て、

    ウソをついててでも本人を守りますから。



    政治の世界が、その見本です。     あはは。



    無意識の世界の事は、

    学問が意識の集積である以上、

    たとえ、哲学であっても、学問の手が出るものではありません。




    だから、このような意識で、

    ”人間”、”しあわせ”、”平和”、”安全”、”愛情”と言う


    目でも見えない、触れない、匂わない対象を理解しようとすると

    五感が頼りの意識では、間違う可能性が大いにある訳です。


       

    だけれど、意識に、”人生”なんて、本質は解かるわけがないのに、

    学者さんは、堂々とやっていますよ。 


    意識の本質を知らないまま、 

    真理の(取り扱い説明書みたいなもの)を学問と言うのでしょうね。 








    光は闇から生まれます。 


    意識は、無意識から生まれます。




    では、実際編です。

    最後に、もう、4ヶ月も前の記事になりますが、


    (東洋的教育法) 学問の知識で人生を考えてはいけない 13


    で、5月30日に、いただいたコメントを紹介します。





    >無意識の中から、  突然 ヒラメク!    (笑い)

    >湧き上がるように、

    >一番必要な場面に無意識から意識上へ出て来るのですね。



    これはよくわかります。

    残念ながら「論語」は学んでいないのですが...(汗)


    実生活のあらゆる場面で、

    「正解」が「沸き上がって来る」という体験を何度も何度もしています。

    意識(=理屈)ではなく、無意識からわき上がって来るのです。


    それが何故「正解」だと言えるか...

    選択した結果、自分も周りも必ず状況が良くなるからです。

    そして、難しい場面、大切な局面になるほど、「無意識が判断する」。

    私の場合はそうですね。


    東洋的教育の素晴らしいところは、

    「沸き上がって来たことと、行動が一致する」ところだと思います。

    無意識の範囲で分かっている人達は、

    たとえ言葉では上手く言えなくても、行動が伴っているので信頼できます。


    今回のシリーズは、

    「よくぞ言葉にして頂いた」という感謝の気持ちでいっぱいです。

    こちらで記事を拝見することによって、実生活での行動が間違いなく変わりました。

    これからも<大切なこと>を書き続けて下さい。

    どうぞよろしくお願いします。






    無意識を分かり易く書かれたコメントですね。   ほほっ。


    無意識が自分の人生を守ってくれるようになる。

    つまりは、

    意識が無意識の命令を従順に受け入れると云う正常な状態です。

    このように正解が湧き上がって来るようになろうと思ったら、


    どうしたらいいのでしょうか?




    大事な事は、


    無意識からの気づきをいつも得ようとするならば、

    恐れを心に入れない事。

    恐怖や不安も、心におかない事。

    そして、

    自分に限界を持たない事です。



    いつも喜んで、威張っていたらいいのよ~と云う事ではないの。









    少し運命学に触れておきます。



    何に敏感な感受性なのか? これが運の分かれ道です。


    聞いたり、見たり、臭ったり、触ったりという

    感覚器官の能力の範囲の癖に、意識は、縛られています。


    意識は、この範囲の判断力です。


    それは、ひとりひとり違います。



    そこでの判断が、本当に正義かどうかは、おおいに問題があり、


    それには、当然誤りがあります。


    いや、誤りだらけでしょうね。 あはは。


    それが、その人の人格や個性として培われ、表れた特徴、

    客観的な姿として、他人が認める姿なのです。


    ゆえに、個々の一人一人が、自分を正しいと思えば、

    それが、自己の保全を考えて、戦争に走ったり、嘘をついたり、

    策略を用いるわけです。

    だから、失敗もあれば、負ける事もありです。



    意識は、本人が居ごこちがいいように、クルクルと変わります。

    なぜなら、あなたが耐えられるか? もっと苦しまないか?

    そうならないように必死に防御体制・デフェンスを張るわけです。


    「 ~と思うようにしよう!」

    「 ~あいつが悪いんだよ!」  と。



    まぁ、自分に責任がないように、自分に言い逃れを許すわけです。




    したがって、意識の世界では、弱肉強食、闘争の世界になります。

    力がある側が勝ち、力を持たない側が負けます。

    ここで、正義が勝つと言う原理は働かないでしょう。




    また、自己満足で、いくら自分が正義だと思ったとしても、

    現実の客観世界は、それが通用しない世界が広がっています。

    個々人の何十億人の意識が、自分が正しいと思っているからです。

    それが、個々人の自分の感覚・五感を頼る意識の限界、その実態です。

    だからこそ、共感を求めて喜び合い、

    互いの利害で無数の競争が生まれ、

    最後は自分の命を守ろうとして他者の命を殺戮する世界になるわけです。 



    ここまでの

    無意識 と意識の違い、関係、大丈夫ですか? (笑い)


    意識は簡単です。

    自分が、心で思っている世界です。



    意識の危険性は、その利己主義性から言って、

    戦争反対と言いながら、武器を持った戦争は起こさずとも、

    意識のあらゆる武器、組織と、知識と、言葉と、法律で、

    意識が、命を殺戮するのは簡単な事です。




    だから、このブログでは、意識は信用できない。 

    無意識 の方が価値がある。と繰り返し言う訳です。







    意識の犯す過ちを挙げておきますね。


    自分の意識は、本人が処理できて本人が壊れないものを選びます。

    ① それこそが、正しい。=正義だと思い込む。 


    これは、とんだ間違いの了見でしかないのですが、

    意識は、そう言う処理をします。
     

    ここが、運命学でいいますと、運命そのもの、固有の癖なのです。


    ② 意識が避けようとする事柄にも癖があり、 

    その癖は、いつも本人の為になる癖ばかりではありません。

    本人が損をする事を選ぶ癖(不運)もあります。


    ③ 今現在の本人の命の保全を優先してしまうと言っても、

    保全の仕方に、間違った保全の仕方もあり、

    意識の努力の割りに、命を保全できない結果になる場合もあります。


    これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。


    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。



    音楽にもいろんなジャンルがあって、嗜好や満足する感受性が違う。

    それと一緒です。



    自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。


    どうですか?



    好みと欲望の満足を目的にする現代文明では、

    あまりにも意識に偏重している事に気がついてくださいね!





    自己の心の中の欲望の狭い物差しではなく、

    自然の物差しを、調和が一番と云う物差しを、

    心の中心に置きましょう。


    そして、自分の意識を見据えるのです。



    その為には、

    自然を愛して、自然である事を楽しんでください。

    あるがままでいいと現実の自分を受け入れるのです。





    なにがどうなる?  あれは?これは?  

    なんて、きょろきょろしない!     あはは。     





    詳しくは、今後の記事で申し上げますが、

    まず、その事を記憶に置いておいてくださいね。




    季節の変わり目です。



    体調の変化に、どうぞお気をつけて、


    よい一週間をお過ごしください。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    ***** 無意識の不思議 2  意識の欺瞞性・中邑彌孫 〈 コメントへのお返事 〉 

    Category : 自然の力
    vv340北・南


    参照 : NASAプレスリリース









    うわぁ~! なに? これ?  の第2弾です。  あはは。




    8月17日、約1ヶ月前に、

    NASA(米航空宇宙局)が公開した写真です。

    地球から4億5000万光年離れた宇宙で、2つの銀河の衝突の始まりです。





    真横から見た初期段階の衝突銀河「VV340北」と、

    正面から渦巻状に見える「VV340南」の合成衛星画像です。(撮影日不明)




    この2つの銀河は、数百万年後には融合して1つの銀河になります。





    ついでに、我が地球が属している銀河系も、数十億年後には、

    アンドロメイダ銀河と衝突、融合すると考えられています。 



    あと、約40数億年です。





    その時、地球は、どうなるのでしょうか?

    ほらほら、不安になって意識で考える。。。   あはは。



    そんな事よりも、

    地球も運命があり、変化をし、宇宙はLIⅤEであり、生きているのです。


    そこから、私たちは生まれて来たのですから。

    生きている宇宙だからこそ、vividな命を産み出せるのです。



    空間と物質だけの世界ではないのです。

    宇宙の本質は、物理学や天文学では掴めるはずがないのです。













    今日は、無意識の不思議 2   

    意識の欺瞞性・中邑彌孫(ちゅうゆうみこう)です。



    *中邑彌孫の彌の正字は、彌に(けものヘン)が付きます。

    孫の正字は、(子ヘン)に、系ではなく

    候の(人ヘン)を取った字が付いています。

    彌孫は、猿。中邑彌孫は、室の中の猿。






    もう一度、意識の反省を、 じゃない!   あはは。

    意識のまとめを、


    意識が、私たちに見せる欺瞞性を暴いて白日の下にしようと思います。

    意識の実態を突き止めてしまいましょう。   ほっ!



    前回の記事の①②③点と、それにいただいたコメント2つを交えて、

    掘り下げてみようと思います。




    意識の犯す過ちからです。


    ① 自分の意識は、本人が処理できて本人が壊れないものを選びます。

    それこそが、正しい。=正義だと思い込む。 

    これは、とんだ間違いの了見でしかないのですが、

    意識は、そう言う処理をします。




    これが、運命学で云う、運命そのもの、固有の癖です。

    固有の癖=意識=五感の過去の経験の範囲の答えです。


    と云う事は、意識は万人共通ではなく、

    個々の生命の癖、ゆがみ、汚れを帯びています。

    千差万別、上、中、下、序列があると言う事です。


    それが、「位相」であり、

    無限のグラデーション(段差)が、展開されています。



    家族、夫婦、兄弟、親友、隣人、すべて同じ意識の人はおりません。




    意識は、その人の経験した過去の五感のデーターの範囲で答えを出します。


    だから、意識の集積=学問は過去のデーターがお好きなの!  ほっ。

     



    これを正解、正義だと思い込む。

    まったく勝手にね!      あはは。

    この答えは、ある意味、現実的、まさに理性的です。(=主観内です。)

    理性的=客観的ではありえません。 ここの勘違いが多いと思います。


    ここでの正義は、癖で思い込んでいる五感の経験の範囲の正義です。



    当然、ゆがみを伴った硬さのある正義感です。

    それゆえ、頑固であり強いです。          ほほほ。



    これは、偏狭、狭さを感じませんか? 空間の問題点です。

    未来を志向していない。      時間軸の問題点です。

    創造性が、ない。      普遍性がないのです。



    意識には、普遍性がない。 欠如しています。

    まったく個人的なイシュー(論点)です。




    意識の出す答えには、普遍性の実態が有りそう?でない。

    普遍性を希求しているイメージはあるみたい?     あは。

    が、意識の世界は、クルクル変わりますから、普遍性はない!





    もっと、はっきり云いますと、

    意識が判断基準にするその経験は、

    個人的に感じた感覚、感覚器官=五感の感度によっていると云う事です。





    意識は、感覚器官のセンサーの感じた感覚に、縛られています。



    意識は、人間の不安定な五感に縛られています。

    故に、意識は、五感の外に出られません。 



    つまり自由のようで、その範囲は限られている。

    感覚器官に閉じ込められている状況、自由を奪われています。



    その状況で、真実を掴んだなんて言う。  そこが欺瞞なの!


    データーからの分析、ゆがんだ一見解にしか過ぎないのに!








    つまり、何かに束縛されたり、限定される『真理』はあり得ません。

    つまり、意識は、真理には到達できないのです。




    これについて、今、想起する2,3の例を示しましょう。


    まず、妊娠出産にかかわる栄養学的知見の変遷などから。


    以前の妊娠をした女性に対する栄養学的指導、

    保健所での保健婦による指導や、妊婦の為の本には、

    胎児の栄養に卵、牛乳を多く摂るようにと云うものでした。


    その後、アレルギー児童が増えた結果が、

    アレルギーの子供が生まれない為には、

    妊娠中に卵や牛乳を摂らないようにと云う注意を保健所がする始末です。


    現在の妊婦は、葉素を摂らないと胎児の神経に障害が出ると脅かされ、

    サプリなどでせっせと妊娠中に摂るようになっています。


    しかし、最近、その葉素を摂った為に、小児喘息の子供が増えていると、

    葉素の摂取を止めるようにと云う指導の方向性も出て来ています。


    それから、幼児教育も、早ければ早いほどいい、、、から

    あまりに早い早期教育は、アスペルガー障害を起こすとか、

    その評価は、学者によって分かれています。


    また、栄養素のカロティンは、癌の予防にいいと云って、

    にんじん等の野菜を多く食べるようにと云う情報が、過去、

    マスコミでも賑わっていました。

    それが、どうですか、、、数年後には、カロティンは発ガン性があると、

    まったく反対の状況になったではありませんか?


    育児にしてもそうです。


    10年前まで、育児は母親がするもの。

    母親が子供を保育所へ預けて働きに出る事は、ある意味、

    子供より仕事を大事にしていると、白い目で見られました。


    今は、どうでしょう?  コロッと変わってしまいました。

    育児、教育論等は、そこまで政府の云うなりに黙ってしまうものですか?



    まったく、時と共に変遷する真理など、あるものですか!

    もう、意識が云う事は、簡単に信じてはダメみたい。

    もう、騙されないようにしなければ.......!   ほ。




    えらい迷惑です。

    意識の作った学問は、命については偏見ばかりを発信しています。

    それを発信した学者が、謝ったためしがない。


    礼儀も、道徳も、眼中にない。学問の方が上だと思っているの?


    真実を追求しているから、 ほっ。  その犠牲になれと? 

    冗談ではありません!

    今後、どう云う情報が出て来ても、すぐに飛びついては駄目です。

    自然に照らして、何が真実か? よく検討するようにしなければ。



    彼ら学者は、意識をどれ程のものと思っているのでしょう。



    悲しい母親は、アレルギーの子を抱え、

    アスペルガーの子を抱え、

    小児喘息の子を抱え、夜中に救急車を呼んだりしているのです。



    この社会を、

    政治家と学者の意識がめちゃくちゃにしているのではないかしら?


    と、思ってしまいます。。 。





    まったく、学問が人間の現場を知っているとは思えない。

    そこが、意識が生んだ知識を信じた害毒なのです。



    近代化以降、意識教の新興宗教がはびこっていますから、

    よく、覚えていてくださいね。 要注意なのですよ。



    つまり、

    意識は、主観(私)の世界から抜け出ていないのです。


    真の客観性とは、ありえないものなのです。

    少し難しくなりますが、

    現代の最先端の量子力学でも、クオークやニュートリノの研究を通じて

    「物が存在するという言い方は妥当ではないのではないか」

    という状態になっています。

    どのように、客観的に見ようとしても、

    見る主体の感覚器官を通じて見るわけですから、

    それが客体に何らかの影響を及ぼしている可能性があるからです。


    日常的にも、

    自分の信念や感情と云う主観を排除して物事を見ることは不可能です。

    一般的に「客観的な意見」と云うのは、

    「客観的に見ようする人の主観」なのです。



    理性的に話す事は、感情で話すよりましだなんて、同じ次元です。

    実は、意識=理性は、感覚が感じた主観の世界から出ていないのです。

    自分の心の世界の中での正義=理屈=ロジックです。


    だから、

    『陽』の世界とは、この”各々の心の世界のロジックの戦いの世界”。



    お解かりいただけたかしら?

    そう、これは、”意識で解かった。”でいいのです。    あはは。






    ② 意識が避けようとする事柄にも癖があり、 

    その癖は、いつも本人の為になる癖ばかりではありません。

    本人が損をする事を選ぶ癖(不運)もあります。




    ここの処に、コメントをいただきました。紹介をします。



    >自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。


    そうではないかなぁ~? とは、感じていました。

    今のマスコミや、あふれる情報で、

    ――――― 自分自分が楽しい事をするのが得だ。

    というように現代人は思い込んでいますが、

    これは、エコノミーなプロパガンダに毒されていると感じていました。

    きっと、そうすることで得になる人がいるんだなって、、、? 

    ねらいは商売でしょうね。

    だって、自分自分で買い物をしてくれたほうが儲かるでしょうから。

    病気になって入院をするのは我が儘な人が多いのです。

    生活習慣病も、好き嫌いの激しい方や、その大好物の食べものが原因です。

    お酒はもちろんですが、タバコ、甘いもの、間食、不規則な食事や生活。

    自分好み中心の生活が原因なんですね。


    童話の「うさぎとカメ」のお話も、これですよね!

    兎は、得意になりやすくて気ままで気分やですが、

    亀はその時の満足より我慢をして努力をします。


    今のように、我慢をダサイと思わせる情報は敵だ、と

    思わないといけませんね。




    これには、コメント欄のお返事にも書いたのですが、

    するどいコメント! 正解、そのとおりですね。  ほっ。


    特に、病気については、さすが医療従事者ですね。

    生活習慣病は、生活の癖からくるわけですものね、


    まさに、好物で病気なる。

    人は、嫌いな食べ物では病気になりません。多くは食べないからです。

    タバコも、お酒も、甘いものも、脂っこい物も、

    全部好きなものを食べて食欲を満たそうとした結果が、成人病です。

    それで、国庫の医療費が赤字になっても止められないのですから、


    自業自得と云う言葉がそれを表しています。


    今の物質文明は、病人を作り、自殺者を作り、赤字を作り、惨状を具現して、

    それでも、近代化の幻想、成長だ!進歩だ!って言うのでしょうか?








    ③ 今現在の本人の命の保全を優先してしまうと言っても、

    保全の仕方に、間違った保全の仕方もあり、

    意識の努力の割りに、命を保全できない結果になる場合もあります。


    これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。


    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。

    自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。




    ここの処に、コメントをいただきました。

    ご紹介をします。


    cosmosさんに習っていたら、

    きっと、いわゆる「お勉強」が好きになっていただろうな~と思います。

    今まで無関心だった分野のことももっと知りたいと思うし、

    難しくても何度でも読みたくなる。

    繰り返し読んでいるうちに分かってくることも多いんだ、って分かったし。

    学生時代はそれができなかったんです...。

    一度嫌悪感を持ってしまった物を繰り返し読むなんてできなかったな...

    あの頃は。


    生き方の癖、選択の癖。「癖」とおっしゃるのはよくわかります。

    私は幼い頃からいろんなタイプの人と関わりたい子だったので、

    「人って、面白いほど様々だな~」ってことが

    身を以て分かったのだろうと思います。

    特に中・高生時代に深く時間を過ごした仲間は、

    自分と全然違う感覚を持っている子の方が多かった、

    と後になって気づきました。

    今その子達と会っても、みんなそれぞれ「そういう人生」を送っていますよね。


    >これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。

    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。

    音楽にもいろんなジャンルがあって、嗜好や満足する感受性が違う。

    それと一緒です。

    >自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。



    「間違う」とは、厳しいですね。

    現代は、「人それぞれの価値観を大切にしよう」とか、

    「正解不正解はない」と言う方が主流だと思いますから。


    でも、私も・・・この場だから言えますが、「間違う」は事実だと感じています。


    それでも、自分を振り返っても、我が子を育てていても思うのですが、

    仮に生まれつきの癖というか趣味嗜好に偏りがあっても、

    人は変わっていけると思っています。

    自然を愛し、現実から目を逸らさずにいられたら、



    >自然の物差し

    >調和が一番と云う物差し

    にたどり着くのだろうと思っています。

    それこそが人として「自然の姿」だと思うのです。



    1つ前の記事のコメントに頂いたお返事ですが、

    >「死」を解決していない意識は、自分が死から逃れる為には

    何でもしてしまうのです。。。


    そういうことなんですね。

    実感として、よくわかります。 





    ほんとうにご自分をよ~く見つめているコメントですね。


    最初の部分ですが、


    難しくても何度でも読みたくなる。

    繰り返し読んでいるうちに分かってくることも多いんだ、って分かったし。



    これは、あなたの無意識が読むように意識に進めているのですよ。


    お分かりでしょう?      あはは。


    無意識が、あなたにとって良い事だから、読めば? って

    むずかしがる意識に意欲を持たせているのです。


    それは、あなたの意識が、あまりゆがんだ癖がないからでしょう。

    育てられる時に、両親から無理やりヘンな癖を付けられていないからです。


    そして、無意識が、意識の扉を開けてさっと出て来れるのは、

    きっと、あなたの心の中に不安やこだわりがないのですね。

    あったとしても、強い気力で抑えてしまえるのでしょう。

    だから、無意識が意識の扉を開けて、出て来れる。

    そして、あなたの心に、直に、影響を与えてくれるのです。



    分からない時は、一度寝るのです。   あは!

    睡眠中に無意識に預けるのですね。

    目覚めたら分かってしまったという経験ありませんか?


    私は、このブログの記事の内容を、目覚めた時に無意識が伝えて来ます。

    ふしぎな事ばかりが起こります。




    すべての真実を暗示するヒントは、無意識から来ます。



    無意識は、全能です。


    なぜなら、無意識の領域は、宇宙大そのものだからです。




    それと、「死」は、無意識の世界にしか答えはありません。

    無意識にとって、『死』は、恐怖ではないのです。


    なぜなら、『死』は、無意識の領域のなかの事です。




    我々の

    過去からの因果応報による結果であるそれぞれの意識に付いた癖、

    偏った楽しみの満足を得ようとするひとりひとりのそれぞれの

    奇妙な変わった個人差のある嗜好癖を背負った感覚器官で、

    ①ニオッタ、②ミタ、③キイタ、④マズカッタ、⑤サワッタ程度で

    自分の中の⑥心で探ったものに過ぎない感覚で、(五感と心で6つ。)


    いくらデータが証明していると云った処で、

    学問は、自然を解明できるのだ。なんて、

    言っても、思っても、いけない事よ。



    これは、罪悪です。    欺瞞です。






    なぜなら、

    それは、人間の体に備わった6つの穴(感覚器官)で、

    それを通して見た世界の一断面にしか過ぎない知見で、

    解かったつもりになって、すべてを決めようとしている。 

    人の命のことまで。。。

    倫理も道徳も蹴っ飛ばして...。


    もう、あなたの髪の毛を拾った人が、その髪の毛からDNAを取り出して、

    あなたそっくりの人間を誕生させられるのですよ。


    動物では成功をしています。




    しかも、ゆがんだ癖のついた穴から覗いた知見だけで! 

     ゾーッとしませんか?  いいのでしょうか?



    仏教の中に「六窓一猿」と云う譬えがあります。



    ” 一匹の猿を6つの窓のある小屋に入れておきます。

    外にいる仲間の猿たちが、6つの窓から順番に中の猿を呼びます。

    すると、小屋の中の猿は、仲間の声がする窓へ顔を出してきょろきょろ、

    仲間の猿と目が合っても、すぐに他の窓から呼ばれれば、

    そちらへ駆け寄って外を見てきょろきょろ、目が会っても、

    また、後ろの窓の方から声がすれば、そっちへ駆け寄るわけです。

    あっちへこっちへ、絶え間なく、顔を出しては、目を合わせてきょろきょろ、


    おもしろい譬えでしょう?


    実は、一匹の猿なのですが、外からは六匹の猿がいるようにも見える。


    その状態、小屋の中の猿が、私たちの心です。意識です。

    6つの窓が、目や耳の感覚器官です。

    そのように、人の心と云うものは絶え間なく感覚器官を通して、

    外の縁に振り回されている。

    その感覚器官の窓枠から見た世界の景色(外の縁)に

    左右されているのです。

    自分が分かったと言いながら、

    分かった実態は、

    外の縁に襲われた自分の感覚に縛り付けられている我です。

    なんと果かない我よ! と云う実相を表した譬えです。”


                      
                 参考出典:国訳一切経諸宗部6巻




    芸術なら、

    その奇妙な変わった個人差のある嗜好癖を背負った感覚器官のなせる業、

    それを美と云うのも、実害は余りありません。


    学問は、人類を救えるのだ。 なんて、言っちゃいけない!

    ちゃんちゃらおかしいのです。

    そこの傲慢性が、諸悪の根源の出発であり、

    いまだ善悪に縛られている=悪へ利用される「知」の限界なのです。





    みじんきりにした玉ねぎの一かけらのような

    こまごまに切り裂いた知識の断片、

    それを、いくらジグソーの欠片のようにつなぎ合せた所で、

    それは、決して実相なんかではありません。




    6つの窓を、生まれてから死ぬまでいくら駆け回ってみたところで、

    五感を通しては、所詮、外の世界をすべて知る事は、不可能です。



    感覚の限界、 主観の限界、 自己の意識の限界、 なのです。




    たとえば、小屋の中の猿が、6つの窓をクルクル回っている内に、

    ここからの眺めがいいな! と気に入った窓ができたらどうでしょう?


    それが、窓枠がゆがんでくもの巣が張った窓だったら、どうでしょう?



    あはっは。 

    この窓はたのしいな! と満足を得たらどうでしょう? 


    主観の限界が、もっと狭くなる。 ゆがんでくる・・・・・。



    だから、


    楽しみを求める基準では間違うのです。

    楽しみで決めたらいけない。

    もう、最初から狭い欠点があるのに、もっと間違ってしまう!! 



    不運です。



    それが、個々に違う千差万別の運命の違いになって現れるのが人生です。


    それで、楽しみが無くなってから、私の所へ、    はは。

    運命を観定してほしいと来られるのですが、

    観る事は、簡単です。


    が、しかし、本質はどこで間違ったのか?  自分を知る事が大事です。

    その為の、このブログを書いている次第です。 




    ほっ。








    肥大した欲望の満足を目指す現代文明では、意識に偏重し過ぎです。

    それもゆがんだ意識に汚染されて、、、、、 



    でも、しあわせになれるって云う情報は、多いぞ?  ですって?


    あはは。  それこそが物質文明の悪魔のささやき。

    悪魔からのプロパガンダが、成功していると云う事ですか!   ほ。



    悪魔は、自分と同じ不幸者が増えれば、大喜びなの。


    今の、社会の中には、物がない。となると死ぬ! とか、   あはっは。

    安いものでもたくさん物を買わないと満足を得られないとか、

    いろいろな無駄な不安と恐怖が増えています。


    昔の人の方が、物はなくても幸せになれたでしょうに.....




    それは、資本主義があおって私たちの心の中に作り出した不安です。

    決して、私たちを幸せにしようとしてあおった訳ではありません。

    だれかのゆがんだ欲望の為に、そうさせられているのですよ~!   

    よくよく現代文明を睨んで、とくとお考えくださいね!

    現代文明が、不安をあおって無意識を閉じ込めているのです。


    前回、無意識からの気づきを、いつも得ようとするならば、

    心に、不安や恐怖を持ってはいけないと申し上げました。



    まず第一に恐れ、

    そう云う恐怖や不安は、ゆがんだ意識から起こっています。

    自分を死の恐怖から守ろうとするのが意識の役目、でしたね。 






    それなのに、意識をもっと緊張させる恐怖や不安が、

    溢れているでしょう!

    マスコミの程度も低いですからね!   あは。

    私たちの意識の上層が、ガチガチに固まってしまって、

    もっと強固に自分を守ろうとして、無意識の扉が開かないのです。



    意識は、お馬鹿だから、、、おろかだから、、、利己主義だから、、、




         あはは。




    そして、自分の評価を一番気にする小心者ですから、


    あなたが、無意識のありのままを知ると、

    もっと恐れるだろうと、不安になって悲しむからと、

    無意識の『 真実の扉 』を閉じてしまうのです。  



    それで、”いやし”だの、”ひーりんぐ”だの、

    果ては、なんだかんだと意識で対応をしていくから

    その不安の前提を認める事になってしまうのですね。

    余計に、『真実の扉』は、開かない。


    逆効果です。

    意識は、無意識の深い層から押し上げられて表出したもの、

    押し上げる時の癖、

    表出する心の現象、

    その悪い癖とゆがみが不運です。


    運を良くしようと思うのなら、

    まっすぐ無意識のままを押し上げ、

    意識として表出するように直さなければいけませんね。





    続きは、また、次回へ。





    ここまで長い記事をお読みいただきました事に、感謝申し上げます。


    お彼岸ですね。


    よい一週間をお過ごしください。




































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    ***** 無意識の不思議 3  無意識と意識の役割分担 〈コメントへのお返事 〉 

    Category : 自然の力



    参照 : NASAプレスリリース










    うわぁ~! なに? これ?  の第3弾です。  あはは。


    NASA(米航空宇宙局)が公開した写真です。 



    ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったスターⅤ838 (V838月曜)の

    最新のイメージは、ほこりまみれ(星間ダスト)の雲構造が、

    明らかに見えるようになっています。 




    2002年前半に数週間突然明るくなった時以来です。

    このダストは、中央の赤い超巨星の2002年に起こった爆発の間に、

    放出されたかもしれません。



    宝石のような大きな星の輝きは、中央の赤い超巨星の爆発から出て、

    空気を通して音が反響するように爆発の光が源になって反響をします。、

    暗い部屋でフラッシュを作動させる効果に似ています。












    今日は、無意識の不思議 3 無意識と意識の役割分担 です。


    ほっー!   むずかしそう~ですか??           あはは。





    あー、今日も長い記事になるような、そんな気がしています。 





    いままで、東洋思想的概念の『陰・陽』を無謀にも、

    西洋合理主義の学問である心理学の(無意識・意識)を当てはめて、

    便宜的に、説明をして来ましたが、とうとう行き詰まったようです。 あは。




    『陽』を「意識」で説明をする事は、さして難しくはないのです。 が、

    『陰』を「無意識」で説明をする事は、このあたりが限界かな?



    苦しんでいます。         ほっ~。





    特に仏教の教義やその言葉は、西洋的な概念には置き換えられません。

    西洋的概念の言葉で、東洋をすべて説明する事はできないのです。


    と云う事は、

    西洋合理主義の学問が捉える概念の世界は、

    意識で作られた世界ですが、

    東洋的概念の世界は、無意識の領域だと云う事ですね。










    では、前々回の記事へいただいたコメントから始めたいと思います。


    無意識と意識の役割分担と、日頃の私たちの勘違いが見えて来ます。






    ★コメント1.


    >このような意識で、

    >”人間”、”しあわせ”、”平和”、”安全”、”愛情”と言う

    >目でも見えない、触れない、匂わない対象を理解しようとすると

    >五感が頼りの意識では、間違う可能性が大いにある訳です。

    >意識に、”人生”なんて、本質は解かるわけがないのに、

    >学者さんは、堂々とやっていますよ。 

    >意識の本質を知らないまま、 

    >真理の(取り扱い説明書みたいなもの)を学問と言うのでしょうね。 



    これ、目からウロコ、、、でした、、、。 意識が、五感に縛られている。=

    縛られている意識には、”人間”、”しあわせ”、

       ”平和”、”安全”、”愛情”と言う事は分からない!=

    なんて ! ことなのでしょうか!では、どうすればいいの?=

    間違いなく大抵の人は、

    自分の五感で感じたものをそうだと思い込んでますよね!=

    それは、むなしいこと。うそになるのですね。=

    あぁー、子供たちにもそう言ってきました。=

    間違いを教えてしまったのですね。=


    あまりにも個人の自主性を優先する価値観のなかで、

    それがただしいと思い込んでいます。=   





    ほほー、 コメントをくださった方が、おっしゃるように、

    今までを迂闊(うかつ)だった、気がつかなかった、知らなかった!

    これには、皆さんが、思い当たる節がありますよね。     あは!



    私も、これに気がついた時には、”迂闊だった!” と思いました。





    特に、五感の感覚器官のつかめない抽象概念、

    (幸せ、平和、安全、愛情、、、)などを、

    理性が、解かっているなどと思っていますが、本当は、無理な事です。




    だって、意識が掴めたり、心が捉えられるのは、

    見て、臭って、味わって、聞いて、触って解かるものだけですよ。



    もちろん、自分の主観で、それらをどう思うのかは結構です。

    でも、その悪い癖とゆがみを持つ不運な主観を、

    たとえば、

    平和とは、○○○なものだ。なんて公に広めないでいただきたい。

    それをハウツー本などとして商売にするなど、やめていただきたい。

    もう迷っている心に余計な惑いを起こして、迷惑千万、罪悪ですね。   





    観念的な平和論などがグドグド書かれた

    つまらない本が出版される為に、

    地球の森が伐採されていって、

    毎日、地球上から東京ドームの何倍かの森が、

    消えて行っている事を思うと、

    あぁ、人間と云うのは罪が深いな、とため息が出ます。



    つまらない本よりも、そのままの森がある方が、どんなにいい事か!


    これも、現代文明の深い罪業ですね。


    物質文明は、欲望がすべてを焼き尽くす文明です。

    最後は、当然!   わが身もです。




    全地球規模で、焼身自殺をしようと云うロジックなのですね。  あはは。


    えっ! 誰が? 


    焼き尽くす主体者ですって?


    それは、もう、わが身の中の【欲望】に決まっているでしょうに。。。






    もう、こんな自然破壊の経済循環なんてクソ食らえ! 止めましょう! 


    意識は、不安を物で癒して、ちっぽけな楽しか手に入らないのに、

    それでもつかの間、その刹那だけでも安心したいのです。




    小心者の意識に合わせた文明は、こんな程度なのです。




    西洋文明に骨抜きにされた東洋が、国土までを席巻されて、

    臆病者の意識が都合のいい世の中を2000年もかけて作り上げて来た。

    それが、この西洋文明の具現する地球です。





    つまり、意識が作り上げた価値観を大上段にかざす、

    経済至上主義、功利主義のような考え方が、意識をガチガチにします。



    そして、意識が、無意識の『真実の扉』を、締め切ってしまうのです。

    これは、単なる意識がガチガチになるだけではなくて、


    この事が、事もあろうに「絶家」の直接の原因になって来ると云う、

    恐るべきリンクをして行きます。

    この件は、また別の機会に記事にするつもりです。


    そう、



    つまり、現代を生きる我々の意識が、

    我々の先祖を産み出だした民族の無意識層の云う事を、

    聞かなくなっているのです。




    つまり、意識が無意識の云う事をきかなくなっている。

    それは、命が滅び行く道程に入っていると云う事なのですよ。






    少なくとも日本という国の無意識層に存在する

    わが国固有の思想の復権をしなければいけないのです !  







    では、コメントを続けます。

    前回の記事にメールで、いただいたコメントから2つ、



    ★コメント2.


    こんばんは。

    脳は主の生命体ではなく、

    あくまで器官であるという認識があるかは別として。

    無意識下では(意識催眠でも可能ですが)

    非力な女性でも握力が倍近くになります。

    火事場の馬鹿力ですね。

    脳は制御機能なのかもしれません。

    ということは感覚とは認識整理のための伝達ということですか。

    たまに、何故、見えてくるものがあるのでしょう。

    化体できるものなら私の肉体が朽ちても惜しくないのですが。 




    非常に、ロマンチスト! もしくは求道者ですね?    ほっ。


    脳は、制御機能なのかもしれないと、




    脳に主体があるのでしょうか?


    私見ですが、

    遺伝子が、たしかに学習をした結果なのでしょうね。


    どう云う学習かと言いますと、

    これは、運命学の範疇の観察から思うのですが、

    運命と云うものは、繰り返すのです。


    血系の継承の中で、繰り返されて行きます。

    つまり、生きている家族の中に、先祖の運命が甦るのです。

    甦り方は、いろいろです。 まったく反転されて出る場合もあります。



    幸せだけが、甦るのなら結構な事なのですが、

    一度、運命に付いた不幸なシミは、なかなか消えません。

    代々伝わっていくのは間違いありませんから。


    伝えるのは、脳ではなく、一応、遺伝子(DNA)でしょう。


    一応と云うのは、科学で解明された心身のある部分と云う意味でです。




    この主役であるDNAの

    過去から申し送られた指図通りに個別の脳が作られ、

    そのシミを具現するのに都合のいい癖の付いた感覚器官を

    持つようになって生まれて来る。




    個人個人の脳と感覚器官の個別差として表れているのではないかと?


    あはは~  そうではないか?  そう感じています。

    これは、科学的には証明されていません。  私見です。




    もしそうなら、進歩と云う意味を考えなければいけないと思っています。



    化体ですか? あ、 意識上では無理のようですよ。

    真実は、五感で感じるものではないのですよっ。 


    そうなれば、学校の詰め込みのお勉強は、何なのでしょう? あはは。      





    最後に、もうひとつ、


    ★コメント3.  ①② は、編集で付けました。


    ① 人間は、様々な価値観によって縛られていますから、

    「自由」という境地にはいたることができないのでしょうね。

    私は、意識=価値観と受け取らせていただきました。


    ② 無意識とは、

    自らの価値観に反するものを受け入れるということでもないようですし、

    結局は「無」ということに尽きるのでしょう。

    となれば「ゼロは無限大」なんでしょうね。

    結局は色即是空、空即是色なんでしょうね。

    いまだにこの意図するところを無意識下においても理解できていません。

    (意識が邪魔をしているといわれるでしょうが)



    記事をお読みいただきまして、

    さまざまに、ご賢察くださってありがとうございました。


    ① の意識=価値観について、






    前の記事の中に、現代科学の解釈では、


    意識=前頭葉前野の脳の機能=『心』だと申し上げました。


    『心』は、脳の中にあるとなっています。



    『心』は、価値観だけではなく、いろんな観念に染まっています。



    意識=『心』は、外界のものに染められるものです。


    それは、なぜか?

    意識が、わが身の命を「死」の恐怖から守る役割の遂行の為に、

    外界に合わせて生き延びようとするからです。

    意識は、御身大事の為には、エゴイズムの極地をやらかすのです。



    そんな意識に、平和、安全、愛、などの解釈を任す訳にはいかない。

    のです! 都合がいいようにしか解釈しないでしょうから。。。





    無意識については、記事らしい記事は、実はまだなのです!

    意識をやっつけるのに時間がかかっていますから、、、  ほ。

    また、このシリーズですべてを書く事は、不可能です。    

    まぁ、中途半端な! と思われないでください。  

    無意識の全貌を、意識的な言葉や知識で明かす事は不可能です。


    無意識を、意識で表すという、 

    無意識の実体から乖離したウソにしか過ぎないものを

    あえて書こうとするのは、

    実際、不都合この上ない事ですね。    あは。



    不都合と云うよりも、

    大きな岸壁に自分を打ち付けているようで、わが身が粉々になりそうで、

    効果のない事、疲労困憊するばかりですね。   ほー。


    無意識の事は、説明しようなんて、

    凡人の浅はかな「知」どころでは、適わない事です。

    心(意識)の中にイメージできるように

    意識との関係性の中で表していこうと思っていますが、

    最後は、ご自分の無意識の力で、掴み取るしかありませんの。



    ★ 心の中にイメージした無意識は、単なる無意識のイメージです。







    ② の「空」ですが、

    般若心経の「空」は、体空観(たいくうかん)の空です。

    空・仮・中の三諦が備わっていない不備な空観です。

    「有」を否定すると云う限られた目的の為に説かれた般若心経自体が、

    方便の経典になると云う立場から、

    色即是空、空即是色は、一分の部分知に過ぎず、

    全体の真理を顕していない。 すなわち邪義になります。

    方便の経典は、その役割を終われば捨てるべきものなのです。

    例えれば、現代に、戦時下の軍紙幣を使おうとするようなもの、

    全くの非力、無駄、その行為は罪科になりますね。

    また詳しくは、いつか記事にしたいと思っています。







    それでは、もっと、

    あなたの心(意識)と無意識の関係がわかりやすくなるように、

    やってみましょう。


    あなたの家の庭に、庭の中に水の湧き出る池があります。

    その池が、あなたの心です。


    池の水(意識)は、池の底の穴(五感)から涌いています。



    この水は、どこから流れて来るのだろう?

    その清水の流れを遡って辿ってみたいですか?


    その湧き水は、きっと、

    遠くは、宇宙エネルギー、直接には太陽ですが、

    太陽エネルギーで、地球の赤道のあたりで暖められた海水が、

    蒸気になって空へ昇って雲になり、

    大気の温度差で気圧が生じ、日本の上空で雨や雪になって山へ降り、

    山の木や葉の上を濡らして、地中へ入り、水脈を辿り来て、

    あなたの庭の池の底までやって来るのです。



    この想像でしか掴めない水の辿り来る道中、

    庭にある池(あなたの五感)には捉えられない「水が辿って来る道」

    それが、(無意識)です。




    池(心)は、湧き水(無意識)で出来ています。

    が、私たちの感覚器官は、それを感じる事ができません。


    心(意識)でイメージするだけ!     ほほっ。



    あなたの心(意識)=池の水は、宇宙の影響=湧き水(無意識)が

    表出しているものです。



    池の水(意識)は、無意識から押し上げられて表出したもの。



    これなら、分かりやすいでしょう?     

    もっと、よく考えてください。




    宇宙は大きすぎるので、地球に限定しますが、   

    地球上にある水は、

    全部が、どこかでつながっているのが見えるでしょう?


    つまり、人間の心(意識)は、深い無意識で全部がつながっているのです。



    いいえ、人間だけではありません! 

    生きとし生けるもの、すべて。






    そして、

    現代文明が【物】と片付ける物質も、心を持ち、つながっています。 



    東洋の ”我がそのまま宇宙である。”と云う概念は、

    まったく、ウソでもないのです。


    そう捉える事が、真実でしょうね。

    これが、精神と物質をバラバラにし、

    あらゆるものを【物】と扱う西洋文明とは、違うところです。



    秀逸な東洋的概念は、とどまるところなく智恵となって

    私たちを幸せにするはずです。
      


    くわしくは、

    また、いつか...  はは。




    よい一週間をおすごしくださいね。






























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    ***** 無意識の不思議 4   男は意識的で、女は無意識的なのか?

    Category : 自然の力
    Orion Nebura M42


    参照 : NASAプレスリリース






    うわぁ~! なに? これ?  の第4弾です。  あはは。


    ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったオリオン Nebura(星雲) メシエ42です。

    このNeburaは、夜、肉眼に見える最も明るい星雲の一つです。 


    星雲は、直径24光年の巾を持つと推定されます。 

    地球からは、1344±20光年離れた最も近い地域です。


    非常に、女性を思わす柔らかな美しいNebura(星雲)ですね。












    今日は、無意識の不思議 4  

    男は意識的で、女は無意識的なのか?  です。



    当然ですが、この裏には、

    男は『陽』、女は『陰』と云うテーマが隠されておりますのよっ。  ほ。



    まず、男性の方からやりましょうか?    あは。


    なぜなら

    意識は、解りやすい。 そう申し上げました。

    意識は、心ですから、自分の心の中を見ればいいのですっ。   ほっ。

    心は、分かりにくい。と言ったところで、無意識と比べたらずっと楽!

    ああだ、こうだ、と言葉にできますしね!!





    『陽』=男=意識なので、理解しやすいはず?  あは。


     

    男性は、ご自分の心の中を、

    女性は、身近な男の人を思い出しながら、

    あれこれ推考しながら、記事をお読みになってくださいね。  プー。




    意識は、心です。 五感がそのまま表われたもの、主観の世界です。


    えっ、男性が主観的だなんて? 理性的で客観的だと?

    思い込んでいらした?

    あはは、 純粋な客観性はありません。そう、申し上げました。

    客観的でありたいと思う、その程度のレベルしか人間には無理です。


    つまり、男性の特徴は、

    自分達が、それ故に築き上げた現社会の中で、

    ただの自分の主観や寝言ごときもので、

    自分以外の誰も納得をさせられないのを知っているのです。

    いわゆる社会の厳しさです。

    寝言では、食料を手にする事ができないのです。

    だから、そのたった一人の己(おのれ)の主観を、

    社会的な認知を常に保てるものにしなければならない。

    まして、その生存競争の中でです。



    つまり、自己の中に理屈を造らざるを得ない。

    それは、あくまでも意識で五感で掴んだ想念からです。 

    よりもっと効率よく、その筋道を作ろうとする。

    そうして、あらゆるロジックが繰り出され、

    作っては壊され、壊しては又、作られるのです。

    壊れかけの残骸を集める人もいれば、捨てる人もいる。



    所詮、人の意識=『陽』の本質は、『無常』なのです。   


    こうして出来上がった今の社会は、男性社会なのです。

    これが、自然の成り行きと云うものだろうと思います。




    急に! タイムスリップします。   はは。

    私たちの祖先が、原始人だった頃、

    食料もなく空腹を抱えて食べる物を探しながら野山をさ迷いながら、

    ある時は、けだもの達に襲われたり、

    ある時は、その戦いに負けて命を落とす事もあったであろう。

    これらの抜き差しならない状況下で、

    万物の霊長としての地位を確立して行くまでには、

    火の発見や、道具の発明、群れとして役割等をこなし、


    男は、外敵と戦い、間断なく食料の生産活動に専念し、

    女は、孕(はら)む性(さが)としての役割を分担するしかなかった。

    女は、28日毎に体にめぐり来る生理、その苦痛に耐えながら、

    妊娠出産も、ほとんどが独力で乗り越えて行ったはずです。

    (鎮痛剤や産院はなかったのですよ!)

    当然、妊娠出産の時は、群れの生産現場から身を引いた。

    人が、生き残って行く為に、けだものと戦う為には、

    けだものよりも、味方の人数を増やすしかないのですから。

    たとえば、いい加減な想像かも知れません。 が、

    一人の女が、一生の間に20回の妊娠をして、15人位を産み、

    その中から、3人か4人が育てばいい方ではなかったのか?

    新たに生まれ来る命は、今よりもっと切実に宝物だったはずです。



    青森の縄文前期の三内丸山遺跡を訪れた時、

    当時のお墓にあった両手のひらに乗る程の”小さな素焼きのつぼ”、

    胎児や赤子の棺(ひつぎ)だったと云う説明を聞いて、

    子を亡くした両親の愛情が沁みているようで心が痛み、

    目をそむけたくなった、今も思い出せば苦しい思いがします。。








    それゆえ、過去から、ず~っと、

    国を建国した王、軍人、思想家、作曲家、詩人、建築家、

    政治家、その他いろいろ、全て、男性ばかりです。

    その男たちの才能のおかげで、今の社会は成り立っています。



    つまり、男性は現に目の前にある社会活動性の中で

    力を発揮して来た。する者です。


    ゆえに、男は力を欲します。そうでないと生きていかれない。

    実際に、男と云う字は、田に力です!

    田と云う外界=環境に対して、自分の力でもって作用する者です。

    自分の力で、どれだけの価値を生むか? 



    そこで創造された価値が男性の力です。 


    その価値創造の行為が、男性の本念的役割であり、

    その力が数千年かけて作って来た現社会=『陽』・意識の作品群です。






    ただし、五感で掴める現象世界だけですよ。         あはは。

    そこには、男性の、ありとあらゆるロジック(理屈)がありました。

    ロジックには、その内容に高低浅深の価値の違いがあります。


    それを作るのが、感覚器官、頭脳。  前頭葉です。

    つまり創意工夫。
      


    謙虚さを失えば、悪魔の手先にもなるものです。 



    意識の作り上げたもの、そのスキルを求め続ければ、

    その究極が、今の学歴社会、前頭葉の競争社会の具現なのです。

    そう云う時を機敏に悟り、我こそは勝者たらんと、  あは!

    この時代の要請に、うまく乗って行こうとするのは鼻が利く事なのか?  

    今の時代は、五感の浅い部分が敏感な人には、うってつけ!なのね。


    前頭葉(スキル)ダービーの勝ち組が、勝ちなの? 

    ほんとうに、そうでしょうか?



    たかが、ちいさな意識の6つの穴からだけ外界を眺めて、

    自分の感覚器官に限定される情報を、どれだけ取り込んだ処で、

    この宇宙を、思う通りにできるのでしょうか?






    たしかに、前頭葉の勝ち負けはつけやすい。

    が、目処(めど)が付けにくいからと云って、

    無意識の領域=『天』を無視してもいいのかーー。



    人生を前頭葉に特化して生きる事は、幸せに直結するのかーー。  

    ひょっとして、それは、猿知恵で終わるのではないのかーー。




    ほんとうに『天』を 舐めたままでいいのですか?






    運命学の答えは、前頭葉の勝利者は、この世の敗者である。 

    社会の勝者であるかもしれないが、この世の敗者である。

    これを、理解していただくのも、ブログの目的のひとつでございます。 




    ほ。



     


    まだ欲を解脱もしていないある男の主観が、
    この世を自分の都合でこうも、ああもしたいと思う。
    できるはずだ!と。 


    その為には、
    『天』なんか邪魔さ! 
    自分の五感のみを信じて欲望の達成をめざそー。


    現代の思潮は、そこから、すべてが始まっているのです...





    現代の思潮にブレーキを踏まなければいけないのではありませんか?






    だから、

    この『陽』の世界には、はなから正しいものなんてないはずなのです。


    6つの窓に囲まれた部屋から見た外界の認識だけで作られたロジック、
    これらの
    窓枠に仕切られたロジックとは、あくまでも仮です。
    仮にこうだとしたら? こうなるかもしれない?
    と、人間の主観から始まったものです。
    そこに、人間の営み、すべてを賭けていいものだろうか?



    よくお考えになってほしい、、、、、、


    本当に正しいかどうかは、

    意識の外の領域=無意識の世界から見なくちゃだめでしょう?





    ここに、仏教の『出家』と云う意味が見えますね。
    欲望の家を出る、、、、、、家を出る。髪を剃る。修行をする。 
    仏教の初期の教えは、欲望を建つ処から始まっています。 




    真理は、五感の欲を捨てて離れた処からしか掴めない。 
    と云う見解から出発をしている訳です。
    これが、上座部仏教、、、小乗教です。



    この世と云う現象界は、

    『陽』の意識の世界では、自分が正しいと云う主張の競争の場です。

    何が正しい? ものですか.....

    その典型が、政治の世界です。

    経済は、その下、利益が目的のロジックですから。


    それらのロジックには、目的が見え隠れします。

    ロジックの主張には、どう云う意図(主観)が隠されているか、

    どんな五感を持つ主観が、それを作ったのか見抜かなければいけない。



    ここが、非常に大事です。


    ■ 見抜けなければ迷い、強い上位の意識に利用されます。


    そして、
    ■ 停滞してはいけない。グルグルとかき回さないと

      意識の世界は、直に腐ってしまうものなのですよー。 






    思想や、哲学や、政治や、教育は、

    そのままを鵜呑みに信じてはいけないのかも。 

    なぜなら、すべては『時』と共に、色褪せていく物だからです。





    現代は、
    すぐ役に立たなくなる情報と知りつつ、意識が大放出されています。

    またたく間に嘘になる事を大前提に、
    引っ掻き回すだけのように、
    ”つぶやき”そのものまで作為されていますでしょう?   あはは。


    すべて意識的である男性が、あれもこれも作り上げたものです。









    では、女は無意識的なのか? です。 


    男性は意識的なのか? は割とくわしく書きましたので、

    女性は、その反対、と考えてくださればいいのです。 


    女性は、客観性がないとか、感情的とか評価を受けます。

    男性よりも社会性で劣っている、理性の行動をしない。等ですね。



    その通りだと思います。

    男性と同等に評価をされると、そう云う事でしょうね。


    でも、そもそもが

    どうして男性と同等に評価をされなくてはいけないのか? です。



    男と女の間には、深くて暗い淵がある。   


    なぁ~んてものじゃない。
    ぜんぜん違う生き物だと思っています。  
    違って当然なのに!   あは。 




    本来、女性というものは無意識的に生きています。

    そういう動物でございます。    ほほ。



    よくみれば、

    わが身は無意識に支配されている命、それを自覚できるのが、女体です。






    なぜ、女は、無意識的なのか?



    女は、待つ。 待つのです。
    女は、無意識からの便りを待つのです。




    じつは、女は思春期(今頃は小学校の高学年?)から始まる初潮、
    この生理そのものが、女性の体の中で起こる無意識からの便りです。

    この完全な無意識の訪れを、早い娘は、8,9歳頃から、

    受身で待つしかない生理と云う事象を抱えています。

    自分の思考や意思ではどうにもならない、

    すべての予定は、この無意識からの便りが何時来るのか?

    旅行や遠出も、それ次第と云う、実に意識と無意識の間で、

    女性は、どうなるのかと待つ。

    女にとって、待つ事が生きる事なのです。


    女性は、たぶん、こう思っています。

    確実な事は、かならず無意識から起こる。 って!

    無意識を、なによりも、信頼するしかない。

    そして、従うしかない、、、、、。




    女の特徴は、魔女のように、   あは!  

    まるで古代の卑弥呼のように、    ほっ!

    すべて答えは、自分の中から見つけます。

    が、男性が自分で決断するのとは、少し違います。







    答えは、無意識から”ポッ”と浮かんでくるのです。 

    これは、女性が得意な事です!     あはは。






    それを男性から見ると、漂っているような~

    意思がないような~  気まま風に見えるのでしょうが、

    女が答えを、”いやだ!”と決めたからには、

    絶対に嫌なのですね。      あはは。

    それを「生理的に嫌だ」とかの言い方もします。


    理屈ではない、理性ではない所から答えを出すからです。


    つまり、純粋にロジックから答えを出さないのが普通です。

    男性には、この『陰』の存在、『無意識』が難しいようです。

    それに引き換え、

    女性の方は、『陰』の存在、『無意識』は違和感がなく分かるが、

    『陽』の世界、『理性』と呼ぶ『意識』が、理解し難いようです。



    しかし、教育的に訓練をされた女性に限っては、

    まったく違和感無く男性と同じように意識的に振舞えますが、

    それが、ある意味、女の内分泌、生理を狂わせるはずです。

    孕めない女性が増えている。 無意識からの訪れを失った女。 

    女の本質の逸脱。 女の性の喪失ではないかと....。



    これが、意識化した女への無意識からの判定ではないのか?



    まだ、無意識からの出自を断ち切っていない女は、

    自分の中の意識できない所からおとずれ来る答えを支持します。

    大事な事は、意識では考えない。

    どこかで男性の口にする理屈の嘘を見抜いている。

    この男は、どこかで間違ってる。
    夫は、間違っている。。。

    と口には出しませんが直感で分かっています。

    口に出さないのは、彼女のやさしさ、こう思っていいと思います。




    だから、どちらかと云うと、うらない好きです。    あは。

    信じる信じないではなくて、好きなのね。

    男性は、鼻から当てにならない、くだらないと決めます。

    自分の五感で掴めないものだからです。






    これは、不動産業を営む男性に聞いた話ですが、

    ご夫婦で連れ立って来て、マイホームや不動産の物件を見て、

    買うか?買わないか? 
    ご夫婦の意見が合わなくて迷っている場合、
    すかさず、こう言ってあげるそうです。


    『 ご主人がお迷いなら、奥様のご意見に従われるのが良いと思います。

    奥様が買おうと云っておられるなら、それが正しいはずです。』 と。



     はは。


    男性側の夫は、一生懸命に、理性で考えるのです。

    年収がいくらだから、あと何年働いて、定年までにどうなのか?  と、

    まぁ、そう云う事も抜きには買い物はできませんが、


    そう云う理性的と云われる計算よりも、

    プロの営業マンは、女性の勘の方が正しいと言うのです。

    女は、合理でない物差しで、未来を見ていると、

    その方が、間違いがないそうです。   

    そう云えば、どんなに頭のいい男性だって、

    何十年後の事象を、今の自分の感覚器官で掴む事はできない。

    ただ、現在までの過去の経験から判断をするしかない。

    、、、、、意識の癖はそうでしたね。   あはは。






    最後に、これをお読みいただいている男性の方へ、

    女と云うものは、実際の生活の中では、どう云う動物であるのか?   

    不思議なこわい生き物だった?   

    その正体を白状しなければなりませんわ..... あはは。


    前のブログ記事の後半に書きました、鑑定相談の事例です。

    自分の愛する男の浮気は、100% 判るようです。 え!

    夢で夫がどこのホテルに行ったのか、テレビを見るように見てしまう!

    そこへドライブで駆けつけてしまう!    

    えー、もう、魔女そこのけの大活躍を致しますの...こわいですね~~。






    今の社会は、男の意識で作り上げた『陽』が横溢しています。

    今の社会の中では、『陰』は、感じられなくなっているのでしょうね。

    胡散臭いもの、五感で掴めない『陰』を排除した処から

    近代化以降の社会は成り立っています。


    政治的には、男女共同参画社会を目指すと言いながら、

    本質は、女性の中からの無意識の排除が意図されています。

    今の社会をもっと推し進める為に、

    女性までも巻き込もうと云う、あさましいレベルです。

    男女が平等に働いたからと云って、真の平等は実現しません。

    新たな女性の中の不平等が具現するだけです。


    はっきり言えるのは、政治(意識の産物)ごときが、

    女性の本質を論じる力はない。

    さも真実めいて男女平等の言葉を使うのは、罪です。




    特に、人の教育は、言葉でするものではありません。

    体と心、命を掛けてするのが、教育なのですね。


    だって、『知』の語源がそうでした。


    昔、日本においては、教育という物は、大変なものでした。

    『知』を身に着ける前に、仁、義、礼、智、信、悌、忠、孝、別、、、

    人としての振る舞いです。


    しかし、今はどうでしょうか?


    なんと、簡単な!  

    言葉で知識を伝達するのが教育になっていませんか?

    知識を覚える方法=記憶する方法が、教育の重大事です。


    目的と手段が、履き違えられている。

    男と女が、履き違えられている。

    男も女も、その役割の苦しい処からは逃げて、楽な役割ばかりをする。

    それが、男女平等だなんて、、、、、、


    意識の作った言葉と云うものは、使い回しができて重宝ですね。 ほっ。




    身近な異性を、、、(理解する)なんてだめですよ。

    なぜなら、理解は、意識がする行為です。

    身近な異性を、そのまんま受け入れる。

    わが身の痛みを伴いながら、そのまんま受け入れるのでなきゃ~

    痛みを受け入れる事は、陰徳に通じます。



           ほっつ。




    無意識の不思議は、つづきます。


    よき一週間をおすごしください。


































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    ***** 無意識の不思議 5  考える事は賢いのか?  〈 コメントへのお返事 〉 

    Category : 自然の力




    参照 : NASAプレスリリース

    写真をクリックしてください。欠けている左の全部が見えます!









    うわぁ~! なに? これ?  の第5弾です。  あはは。




    Antennae Galaxies 触角銀河(しょっかくぎんが)アンテナ銀河とも呼ばれる。

    からす座にある銀河の一対で、 

    NGC4038、NGC4039 の二つの銀河が衝突しました。
      


    ハートのような形の所が、衝突した部分です。(写真の左側)


    銀河同士の衝突の結果、

    恒星・星間ガス・星間塵からなる2本の長い尻尾が、銀河本体から伸びて

    昆虫の触角のようになっています。 



    互いに力を及ぼし合う事で2本の長い腕状の構造が伸びているのが特徴。 

    (右側は、左のマークした部分の拡大写真です。)


    一般に、ほとんどの銀河は、大きな衝突を経験すると考えられています。 















    今日は、無意識の不思議 5  考える事について です。 



    このテーマの裏にあるものは、

    よく、かんがえてみて! と言いますが、

    本当に私たちは考える事ができれば、賢い!のですか?  





    えっ! ほっ。



    まず、最初に、いただいたコメントを紹介しましょう。

    4つもあります!


    どれも見識をお持ちになった素晴らしいコメントばかりです。

    一つ一つは、長い為に省略編集してあります。  

    ご了承くださいね!    




    コメント①

    『 >女性は、客観性がないとか、感情的とか評価を受けます。

    >男性よりも社会性で劣っている、理性の行動をしない。等ですね。



    評価通り...と思っています。

    でも、だから、それ故に生かせる働きが備わっているとも思います。



    >さも真実めいて男女平等の言葉を使うのは、罪です。


    理性や論理が重んじられるのはわかります。

    そうでないと他人とは話し合いにならないです。

    かといって、意識でがっちりふたをして、

    沸き上がって来る無意識を押さえてしまうような、

    女性にもそれ(=意識)ばかりが重んじられてしまう社会ならば、

    おそらく安らぎは訪れないだろうと感じます。


    「個性尊重」と言われますが、

    女性が<本当の意味で>女性として生き(られ)ない社会は

    歪んでいると思います。

    男性と同じ土台に立たないと女性の価値が判断できないとしたら、

    それは歪んでいると感じます。

    どんな道を選択するにせよ、

    女性として生まれて来た事実を軽視したスタートは、

    いずれどこかで行き詰まるだろうなと感じます。

    「自然」を無視しているからです。

    ・・・・・・・・・

    それが思い出せない世の中であることが、

    そもそも全ての歪みを起こしているのではないでしょうか。

    現代はまるで、ミミズのように雄雌同体を目指しているかのようです。』 




    まぁ! 目では見えない世界を感じた、鋭いコメントですね。

    次の部分は、予言に満ちた部分ですね!


    いずれどこかで行き詰まるだろうなと感じます。

    「自然」を無視しているからです。



    自然を無視して行き詰るとは、『 自然淘汰 』される事です。




    植物は、種が落ちた大地の上に、種の持つ本性のままに伸びて咲きます。

    つかの間でも、太陽を無視したり、『時』を間違いません。

    常時、太陽の光の方向へ体を傾けながら一生を終えます。

    それが、次世代へ種を残せる唯一の在りようだと分かっているのです。


    植物は、生から死へ向かうその間に、

    決して人間のように他と比べて羨んだり、我を自慢しないのですね。 



    本来、生きると云う事は、そう云う事なのです。 


    東北の被災地で、4月に咲かなかった桜が、先日咲いたそうです。

    根も幹も3.11から半年で駄目になっているのに、

    最後の子孫を何とか残そうと花を付けたのだろうと、

    新聞紙面が解説をしていました。


    根がだめになっても、最後の力を振り絞って花を付けるのは、

    人間の「絶家」になるべき家が、最後の隆盛を見せるのと同じです。

    最後の当てのない狂い咲きなのです。

    それを分かっているので、切ない気持ちになりますね。




    一花咲かせる、今の世相の価値観に合わせて社会で目立って活躍する事が、

    必ずしも手放しで喜べる成功ではない。




    現代はまるで、ミミズのように雄雌同体を目指しているかのようです。


    言い得て、妙ですね。  ほー。


    男女の役割の垣根を壊して、壊すのならそれでもいいですよ。

    でも、次は? どう云う世界観になっていくのか?

    それすら目途もなく、「別」を捨て、道徳観を失い、

    感覚の満足を求めて、各々がやりたいように生きる事が、

    これがしあわせ、自由と喜んでいる現状なのですから、

    ほしい物が手に入った満足=餓鬼界の満足に溺れているのですね。

    餓鬼界のすぐ下は、地獄界なのに、お~こわい!!!   あはは。


    すばらしいコメントどうもありがとうございました!





    コメント②

    『 今までつかえていた物が取れたような気がしました。=


    >男女共同参画社会を目指すと言いながら、

    >本質は、女性の中からの無意識の排除が意図されて、、、

    >、、、、、、あさましいレベルです。



    男女共同参画と聞いても、

    とても男も女も満足できる感じには受け取れませんでした。=

    また、国のペースで動かされるのか。。。。。

    あきらめに似た気持ちでした。=

    個人の人権と言いながら、すべては国が管理しようとする。=

    臓器法もそうですが、命まで国が管理をしようとしている位ですからね。=

    そしてだれも何も文句を言いませんね。=

    ・・・・・・・・・

    男女共同参画という政策にしても日本の国際的価値へ対する見栄もあって、=

    悪い評価を受けたくない、何でもよく言われたい?=

    ・・・・・・・・・

    女性はどこまで国に譲歩したらいいの!そう思っていました。今もそうです。=

    よくぞ言ってくださった、という気持ちです。= 』




    するどい!  以前の記事に書いた生政治の事ですね。


    近代における「知識・知性」と「政治権力」の共犯関係です。

    目的は、人間を、経済の手駒にする事です。

    結果は、人心の混乱、道徳の混乱を政治が生み出すのです。


    これこそが、

    ミシェル・フーコーが提起した「バイオポリティクス(生政治)」です。





    現在の私たちの”人権”や”命の安全の保障”や”選択の自由”は、

    国家の枠組みの中の、憲法が定めた限りの保障です。


    国家にその根拠があるかぎり、その恩恵も受ける代わりに制約も受ける。


    たとえば、安心できない”国家が安全と云う放射能の数値”。

    脳死は死か? 臓器提供の判断、選択を国民に押し付ける法律。




    国家が、”国民の命を管理する”と云う真の意味は、

    安全や生を保証すると云う前向きの意味だけではなく、

    ある時には、その裏に、国家のエゴがまず優先される事実があって、

    安全と云いながら不安と危険を隠蔽し、数字まで改ざんをする事実。

    生と死の判定を科学に言わしめる思想性のなさ。



    そのように、国の都合により国民の安全と人権の枠組みを

    狭めたり、勝手に動かしても、私たちは、文句のつけようがない。

    私たちは、今、その(陽の)壁に突き当たっているのですね。


    『陽』は、うそつきと言いました。


    国が、安全と云う数値は、

    私が、あなたが、ひとりひとりが安全な数値なのではなくて、

    この位の数値なら、将来ガンやなにかで何百万人が居なくなるとして、

    それでも国をやっていける。 国家が安全なのだと。

    国の経営の維持を云っているのだと云う側面もあるわけです。


    自分の命は、自分で守るしかないのです。




    この原因は、国家と云う悪者がいると云う事ではなく、

    国を成す国民の我々の程度が、今やっとそこなのだと云う事なのです。




    これを乗り越えなければ、何が人権ですか! 

    今は、人権を、ぬり絵で練習しているようなものなのですよ。  あは。


    これが、人の意識が、「考えた」人権と云うものの中身です。

    そして、自らの空っぽになった穴に、功利主義と云うホコリを

    溜めてしまった日本の近代化の道徳の崩壊の姿なのです。







    『天』と云う普遍的な自然(無意識)をさげすんで、無視する思想を

    何の疑問もなく、経済至上主義で黙って受け入れているからです。


    壁は、私たちの意識の中にあります。


    国が、国民の命を管理する事で、逆に、国民は脅かされるのです。

    守ってもらえない疎外感を生むのです。

    その疎外感が、国民の心の中に降り積もれば、

    国民の心の中から、愛国心は、消えていくでしょうね。

    国民の意識が、自分の命を守ってくれない政府に敵対するのですね。


    こうして国の土台が、失われて行く滅びの姿なのです。


    原因は、無意識を排除し、命への『孝』と云う道徳を失った、

    究極は命を殺戮してしまう意識=知への歪んだはなはだしい偏りです。



    すばらしいコメントどうもありがとうございました!





    コメント③

    『 オリオン星雲の美しさにうっとりです。

    こんな星雲が空にあることは宇宙のふしぎさを思います。

    自然は、大地に花を、空に星の輝きがあります。

    人はそれらにくらべてうつくしくあるのでしょうか...?


    今日の記事は意識の男性と無意識の女性のありようですね。

    むかしからある男女の役割の違いとしてのしつけが、

    理屈はわからないけれど正しかったと思いを致しました。

    江戸時代の人達は私たちよりしあわせだったと思いますよ。

    懐古趣味ではないですが。 』




    コメントのこの部分、

    自然は、大地に花を、空に星の輝きがあります。

    人はそれらにくらべてうつくしくあるのでしょうか...? 



    そのとおりですね。

    花や星に、恥ずかしくない美しさ、実現していかなくてはいけないですね。


    江戸時代の人達は私たちよりしあわせだったと思いますよ。 


    3.11以降、今までの価値観では、此れから先は無理だと云う事が、

    だれの目にも分かって来たはずです。

    さりとて、江戸時代へ帰る事もできないのですが、

    江戸時代は、人口が3000万人だったとか、

    少しスケールを小さくして、『陽』・意識へ偏った価値観を是正して、

    新たな世界を創出をしなければいけません。

    それは、『陰』、『無意識』の存在を取り戻す事になろうと思っています。


    すばらしいコメントどうもありがとうございました!





    最後に、2月8日にメールでいただいていたコメントです。

    その当時の記事、

    傀儡 2 / 天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学

    その11
     のコメントでした。

    ずいぶん時が経ってしまいました。




    コメント4

    『 こんばんは。 

    男性と女性が平等になるコトなんて、ありえません。

    何を考えて、男女雇用機会均等法なんて作ったんでしょう?

    そのせいで世の中全てが男女平等とか言って中身が無いと言うか、

    政治家の思惑いっぱいですね(- -; 

    いつの時代も、破天荒な人っているんですね。

    ひと昔前は【新人類】って言ったり、今は【宇宙人】って言ったり。

    ちょっと人と変わった事を言ったり行動したりする人は、

    昔も今も変わらないんですね。

    だけど、男と女も時代が変わっても何も変わらないと思います。

    前に出てくのは、男の人が居れば十分だと思ってます。

    女の人には女にしか出来ない所で威張っていればいいんです。

    だって・・・・男の人には、子供は産めないんですもん(笑) 

    歴史もそうだけど、

    今の時代は本当に何がホントで何が嘘だかさぱりわかりません。

    そんな世の中に、

    自分の子供たちを送り出さないといけないと思うとさすがに怖いです。 

    その不安を取り除ける方法を少しずつでもいいから

    考えていかなきゃいけない時代になってきてる様な気がします。

    もう遅いかもしれませんね。』 




    もう、遅いかもしれない。。  。。  。。。。

    されど、あきらめるわけにはいかないー のです。


    女性が、内に無意識を秘めて捨ててはいけない。

    女性が、無意識に蓋をして閉じ込めてはいけない。


    なぜなら、『絶家』の原因の基礎部分になるからです。





    なぜ、このシリーズで、意識・無意識を書いているのか?

    意識に偏った現代文明を批判するのか?

    それらは、個人に関係ないと捨てられるものではなく、

    無意識の領域で、私たちの命の営みに直結しているのです。

    それを理解していただく為に苦労をしております。  ほほっ。


    すばらしいコメントどうもありがとうございました!





    さぁ、今日の、本題へ入ります!


    前回、私たちの祖先が、原始人だった頃の事を書きました。

    原始人だった頃から、

    現在の万物の霊長と云われる人間の地位へ上り詰めて、

    生きとし生けるものの頂点に君臨できた秘訣は、


    ひとつは、脳の前頭葉を高度に発達させた事です。 

    =意識を発達させた事でしょう。


    それは、すなわち言葉の獲得です。=知識の獲得でした。

    =「考える事」でしょうね。



    現在、「考える」と云えば、

    特に近代化以降の合理主義の思潮の中で、意識を主体にして考えます。

    感性も情緒も極力排して、理を追求する事です。



    しかし、ずっと昔、

    おそらくですが、私たち、人類の祖先は、、

    自分が作り上げたロジックの中で意識を主体にして考えたのではなく、

    まだ、意識が無意識から、はっきり分かれていないまま、

    幅広い無意識の領域と「考える事」が、一体になっていた。

    密接不可分に結びついていたのではないか? 



    それは、つまり、

    今よりも、もっと、「自然」そのもののに、

    人間の脳の「考える事」が寄り添っていたはずです。 



    今よりも、『天の道』=自然の摂理=秩序にフィットしていた。
     


    そう思います。

    無意識からのひらめきが頻繁にあって発展をして来た事が、

    生き残る為の諸問題を乗り越えて来れた原因だろうと思います。


    人間の意識が発達するにつれて、

    徐々に意識と無意識が、遠くなり、区別され、

    その働きを担う役割が、男と女に別々になって行った。


    そして、特に無意識が排除されてきたのは、やはり!近代化、

    それからですね!



    そう考えると、今の私たちは、

    自らの意識によって「自然」から隔離されているのです。


    「自然」のありのままから遠くなっており、

    6つの窓から眺めているだけ.....。





    特に、科学万能主義の時代の中で、

    無意識の存在は、実験証明できないから科学的なのもではない。

    というその理由で、

    世の物事の在り様の研究対象から排除されている状態というのは、

    何か変? おかしいとは思いませんか?


    自分の五感が感じられる、意識で掴めるものだけが存在する。

    自分の頭の中(脳の前頭葉)で考えられる事だけに値打ちがある?


    思考そのものを無条件に素晴らしいと言い切っていいのか?
    考えると云う事は、いつの間にか「えらい事」になって、


    「賢い!」と、手放しで称賛するような事柄なのかしら?




    「人は考える葦である」 パスカルの有名な言葉です。

    「考える人」  ロダンの彫刻です。


    あはは。 こう考えるのは、みんな男性なのです!

    さしあたり、男性においては、そうだとしましょう。

    それで男性にとったら正しい役割であるとしましょう。



    女性は? 同じ物差しでいいのでしょうか?






    ルネッサンス期のフランスの思想家である

    ミッシェル・ド・モンテーニュが、彼の著書 『エセー(随想録)』のなかで、


    「私は猫と遊んでいる時に、

    猫に遊ばれているのではないかといった錯覚陥ることがある」


    と、書いています。 



    前頭葉が人よりも発達しているはずの思想家・モンテーニュが、です。

    猫の方が利口で賢く、自分はそれよりも劣っているのではないか。

    そうした疑問が込められているのです。



    また、モンテーニュは、理性にも疑問を持っていました。


    「人の理性が、悲しみや苦しみ、辛さしか感じないのなら、

    果たしてそれに意味があるのだろうか?」


    「自らを憎み自らをさげすむのは、

    人間だけであって他の動物には、見られない一種独特の病である」



    確かに、猫や犬は、こういう感情からは開放されていますね? あはは。

    だから、癒し、そうペットになれるのです。(笑い)



    人間は、「 我思う故に、我あり (デカルト)」 なんて自己を規定しておきながら、

    いつも頭の中は、心配や不安、そして苦しみばかり多かりし。 あはは。



    実は、「 我悩む故に、我あり 」だったりして、、、  あはっは。


    国家が、悩み出すとその先で、やって来た事は、

    人間の理性も同じ事ですが、

    緊張の後は、殺戮を肯定して戦争です。



    大きな戦争を、2度までもして、いまだに解決が付かないのは、


    理性の奥深くに抱える

    <襲って来る死への恐怖>

    <自分の命が衰える事への不安>です。




    猫なら、死をジタバタしないで自然に迎えるだろうに、

    それをモンテーニュは、正直に述べている。

    やっぱり、私達は、猫よりも劣っているのでしょうか? あはは~ 



    皆様は、これをどうお考えになりますか?


    猫などの動物は、弱肉強食の掟のままに、

    自分の生存権を、強い存在から脅かされています。

    それが、自然の生命のサイクルなのです。



    人間は、原始時代から、

    道具を持ち、知識を作り、思考を身に着けたが故に、

    諸動物よりも強くなって自信を持ったはずなのですが??

    つまり、それでも、不安の方が大きいと云う事です。



    結局は、理性や思考では、根源的な不安は乗り越えていない。

    意識や考える事で、「死」は乗り越えられていないのです。




    おそらく、意識は、いつもの流儀で、「死」を、

    こんな面倒なもの! 考えたくない! と言って、

    無意識へ押し付けて、無意識の中へ隠してしまったのです。


    かくして、前頭葉は、「生死」というやっかいな問題を、

    分からないままにして=弱点を残したまま、

    そこから隔離した世界に閉じこもってしまった!

    そこが、6つの穴の部屋の中、主観の世界です。


    そして、主観の世界の中で都合のいいロジックを作っては壊し、

    また作っては壊し、主観の中では、

    まるで意識が自由であるように振舞っているのです。



    そして、自らを騙してこう言います。

    <思考こそが、重要である。考える事は、賢いのである。>


    あは! 意識とは、つまり”引きこもりオタク”ではないですか!


    結局、

    人類は、自らが発達させた前頭葉の能力だけでは駄目なのです。

    しかも、「死」の恐怖に負けて何をするか分からないのです。


    この事の方が、最大の恐怖なのですが.....  ほ。


    それなのに、恐ろしい事に、

    現代文明は、前頭葉に人類の未来の舵を握らせてしまっている?

    考える事は、エライ!

    思考は、立派な事なのだ!


    こう云う慢心になっても、だれからも批判されない理性に、

    自らの命さえも危うくするこの脳の能力に、

    私たちは、全地球の未来を任せているのですよ!!!



    もう、立ち止まらなくてはいけないわ。

    これは、あまりにも意識へ傾き過ぎている事よ。


    だって、意識は、6つの穴からの情報だけで、

    すべてを知らないのですから、

    すべてを知る無意識が、出て来ないようにするはずです。

    だって、自分のうそがバレルでしょう?    ほ。



    無限大の無意識を軽く見て無視をしているのだから、

    意識は、かならず行き詰る。

    壁に突き当たります。



    なぜなら、無意識を無視する意識が、勝手に(この世は、こうだ)と

    理解をしたロジックの中で、

    この世の中で、意識が、精一杯、「考える」いい事と云うのは、

    いくら意識本人が、これが正しいと言った所で、

    せいぜい、意識に都合のいい事なのです。




    『陽』は、『偽』に通じると何度も申し上げて来ましたね。


    意識=『陽』の作為する世界は現象世界= 『無常』の範疇です。


    しかも、意識が、意識を否定するような事を、正しいと云う訳が無い。





    これで、よくお分かりでしょう?


    男性は、自分の中の『小陰』で以って、

    女性は、自分の中の『老陰』で以って、


    この世界に、『中庸』・バランスが取れるように、

    『陰徳』を以って臨んでいただきたいのです。







    毎日の、生活の中で、

    あなたの人生の中で、『中庸』・バランサーになるのは、

    それが、貴女の役割なのですよ。




    これからは、女性がどう動くか? です。

    ここに、地球と云う星の未来がかかっているのですから、

    よろしくお頼みしますね。   


    長い記事を、最後までお読みいただきました事に、

    感謝申し上げます。



    さわやかな秋の朝、



    秋の空、秋の夕暮れ、秋の夜長、






    よき一週間を、お過ごしになってください。
































    参考文献 :『エセー(随想録)』
     
           ミッシェル・ド・モンテーニュ 著 

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    ***** 無意識の不思議 6  無意識に対する科学の限界/生と死への東洋の洞察

    Category : 自然の力



    参照 : NASAプレスリリース

    写真をクリックしてください。欠けている左の全部が見えます!






    うわぁ~! なに? これ?  の第6弾です。  あはは。


    ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったタランチュラ星雲です。


    画像の右下の部分、光る星が集まっている部分が、 


    ホッジ301(Hodge 301)と呼ばれている明るく輝く大質量星の集団です。 

    ホッジ301は、大マゼラン雲中のタランチュラ星雲の中にあります。 



    ホッジ301の中には、現在、赤色巨星が3個あり、

    いつかは分からないけれど、

    超新星爆発を起こすと思われています



    その中の一つの巨星、SN1987Aと呼ばれる青色超巨星が、

    1987年2月24日に、超新星爆発を起こしましたが、

    その爆発の星の重さは、


    太陽の約20倍、直径は30-40倍もあり、

    爆発時の明るさは太陽の約2億倍にもなったというから、


    どんなに凄い爆発だったか想像できない位なのです。



    大マゼラン雲は、地球から16万光年の彼方にあり、

    この大マゼラン雲の中には、散開星団、球状星団、星間分子雲などが

    存在しています。

    その中の散光星雲であるタランチュラ星雲は、とても美しいのです!


    ☆の死 この星雲には星の一生の最後の姿である巨星が沢山あります。

    星の一生は、爆発という形で終るのですが、



    ☆の生 その時、飛び散ったガスや残骸が集まり、

    また新たな星が生まれます。 

    その場所が、上の画像のホッジ301の先、中心の付近、

    小暗黒星雲にある濃密で小さい胞子とチリの筋がある所です。 

    ここで、今、この時、この中で新しい星が生まれています。





    実は私達の太陽も、

    今から50億年前に、近くで起こった超新星爆発による衝撃で、

    ガスや残骸が吹き寄せられて誕生したものと言われています。





    星の「生」と「死」


    この全く相反するものが、

    ひとつの場で同時に起こっている不思議。

    --------- 宇宙のその姿の深遠さ、

    生と死は、別々のものではなく同時に同空間に存在しているのです。















    さわやな秋の日がつづいております。



    これをお読みいただいているのは、土曜日の夜ですか?

    日曜日の朝ですか?


    秋のさわやかな空気の中で、よろしければ音楽を、 新緑の朝 です。


    秋なので、少しロマンティックに、いきましょう。
    ほんとうは春向きの音楽なのですよ。  あはは。

    まぁ、いいでしょう、、、

    お耳障りの方は、どうぞ飛ばしてくださいね。













    今日は、

    無意識の不思議 6 

    無意識に対する科学の限界/生と死への東洋の洞察  です。 






    えっ! 科学は万能と言いながら、無意識に限界なんだって?  


    そうなのですーーー!    


    こんな事、お考えになられた事、ないでしょう?  あは。


    それに引き比べれば東洋の叡智の深さーーー   

    東洋は、何千年の遠い昔から、無意識の世界を追求して来たのです。

    しかしながら、

    その視点が、現代の私たちには生かされていないように思います。

    東洋の無意識の世界を追求した智恵と伝統と歴史が、

    どのような、どの程度の深さなのか、少しでも知って頂きたい。

    そう云う記事になると思います。





    今日も、まず、前回の記事にいただいたコメントから始めます。 

    今日は、一つだけです。 

    編集省略をしています。 ご了承ください。     ほ。




    『 >女性は? 同じ物差しでいいのでしょうか?

    この言葉が胸に迫ります。


    今は、女に生まれた重みを突きつけられて耐えられるかな?とまた、

    (考え)てしまっています。

    こういう(考える)のは、意識的過ぎてよくないのかと思ったり、

    自分の意識に都合のいい事なのかと思ったり複雑です。


    今の社会の中で女性が女性の特質を自覚するのは難しい感じがしています。

    やはり、結婚して家庭を持たないとわからないことがあるのかもしれません。


    無意識を(自覚していない)という風に取ったら、

    病気の原因を積み重ねている間は、無自覚な方が多いですね。

    何か症状があって病院に来られて検査の結果などをみられると

    自分が病気だと自覚されます。

    自分の生活のなかで、

    病気の原因になる因子を積み重ねている間を無意識の範囲として、

    症状が出るのは、痛いとか、痒いとか、疲れるとか倒れるですが、

    それで初めて病気という自分の体を知る。

    意識できるのですね。


    自分で解らないと思っているけれど、本当は、どこかで病気になるのに、

    そう思いたくないから自分で解らない振りをしていることなど、

    意識のずるさかも知れません。

    ずるさを重ねると、病気という結果が出てしまう。

    人は病気なるとは思わなかったと言いますが、

    じつは心のどこかで解っているはずです。  ここですね。


    秋になって、寝るのがとても気持ちよくなりましたね。^^

    お風邪を引かれませんように。 』





    実は、今日の記事には、”未病と病気”または、”生と死”について

    書こうかと思っていました。  

    このコメントをくださって、ちょうどよかったのです。







    いままで、無意識と簡単に書いて来ましたが、


    本当は

    「無意識の領域=私たちの意識で掴めない領域=無意識の世界」と

    書いた方が、今後の記事を進めていくのには合っていると思います。






    一番の重要な、無意識の世界が起こして来る事象は、


    「生」です。

    そして、「死」です。


    つまり、わが身の「生」以前の事象と、

    わが身の「死」以後の事象は、この世の私たちの意識では掴めない。


    でしょう?





    「生」の前も、「死」の後も、観念的には、想像はできます。

    しかし、五感で、臭いを嗅ぐように、

    手で触れるようには掴む事はできません。


    ごくまれに、生まれる前の記憶を持っている人の話は聞きますが、

    一般的な事ではないですね。


    たちと言わず地球のすべての「生」を支える、あらゆる機能、

    そして、それらの「死」の姿も、無意識の世界からの力です。



    「生」も「死」も、無意識の世界のダイナミズムです。 


    星の「生」と「死」のように、

    この全く相反するものが、ひとつの同時空で起こっている不思議。

    宇宙のその姿の深遠さ、

    すべての生と死は、別々のものではないのです。



    コメントに書いていただいように、病気もそうですね。


    私たちは、病気へ向かう体調の変化に対して、

    症状が出るまで無自覚に過ごしている事が多いです。

    その間、西洋医学的には、異常がない。健康であるとします。

    つまり、黒か、白です。二元的に物事を捉えるのです。 

    病気と健康、 病気でないなら健康となるのです。


    ここが、油断、見誤る原因の出どころです。





    しかし、東洋の伝統ある中医学では、 

    西洋医学で病気と云う状態を、「既病・きびょう」と言います。

    「既病」とは、既(すで)に症状が五感で判る位、体の外に出ている状態です。


    それに対して、症状が体表面に出ていないけれど、

    病気(病原因)が、体内に存在する状態で、もしか治療をしなければ、

    早晩、発症してしまう状態を、「未病・みびょう」と言い、

    意識する世界では手がかりがない状態ですから

    五感で病根を掴む事はできないのですが、

    無意識の世界に病根がある状態です。



    中医学の目的は、

    「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあるように、

    病気になってから治療をするのではなく、

    未病の段階で、病気の原因を断つ事です。



    つまり、無意識を、どう扱うか?

    無視するか? 重要と見るか? の違いが医学の中身でも、

    西洋と、東洋では、こんなに違ってくるのです。





    東洋の深さは、ここなのですね。

    意識で捉えられるだけが存在ではない、

    五感で捉えられない存在にも言葉を与え、注目している事です。

    そして、観察をします。





    「未病」(みびょう)という用語は、

    『黄帝内経・こうていだいきょう』と云う中国最古の医学書に出て来ます。


    『黄帝内経』は、前漢代に編纂され『鍼経』と『素問』の18巻から成り、

    『素問』は、理論的で、その内容は、医学にかぎらず、

    易学、天候学、星座学、気学、薬学、運命学と広くさまざまな分野に及び、

    医学書というより科学書と呼ぶべきであるというものです。




    ここで、大病になる可能性を探ってみましょうか、、、


    西洋医学では、

    体と云う肉体の部分に症状が出ていなければ異常なしです。

    心と体を二元論で分けて考える西洋らしい、捉え方です。


    私たちが、体の奥の変化に気が付いて、病院へ行くとします。

    現代の医学の診断は、原因不明、何も悪いところはない。

    せいぜい、

    不定愁訴という診断をされて他の診療科へたらい回しされるだけです。


    これは、無意識を無いものとして発展して来た医学の限界でしょう。

    心が、いくら訴えても、物理的に細胞の分子レベルの検査の結果が、

    何もなければ、異常なしとなる。


    これが油断を生み、未病を発見できない科学の限界です。



    命を、肉体と精神と一体のものとして捉えていない西洋的概念が、

    医学を、正しい認識の上に立たす事ができないと云う事でしょう。



    本来、命は肉体と精神に分けられるものではなく、

    生と死と同じように、根源は一緒のもの、

    二つのものではないと云うのが、

    東洋の仏教の根本の考え方であり、卓見であり、真実です。 









    他の面から、もうひとつ、ここで分かる事は、

    病気になりかかっている本人の側の問題があります。


    体内に内在する病気になる異常を、

    無意識のレベルでは、気が付いていたはずですが、

    またまた、いつも都合の悪い事は気が付かない振りをする本人の意識が、

    ”病気になどなっていられないんだ”と云う抑圧の気持ちの下で、

    何もないことにしよう、大した事じゃないさ!と片付けて来た、、、

    その癖が、病気のサインを見ないようにして来た結果でもあるのです。 




    『 じつは心のどこかで解っているはずです。  ここですね。』


    その通りですね。

    すばらしいコメントをありがとうございました!




    これを、運命学で、言ってみましょう。


    どんな状況下でも仕事をやらなければならない! と云う縛りや

    病気になんかになったら失業しちゃうよ! 等の不安で、

    意識が、本人を縛ってしまう。


    何事にも、そう云う強い癖のある命式を持っていたとしたら、


    それも、頑固に、”自分は正しいのだーー!。”と思い込んでいたとしたら、

    ”○○がおかしいよ?” と 云う無意識からの気付きを、

    それも本人にとって良い気づきを、いつも無視してしまう。 

    それが、その繰り返しが、その人の運命ですね。

    いつも、なぜかやる事がうまくいかない。と云う運命です。





    悪い、損をする運命とは、


    無意識が、せっかく本人の為に、本人の意識にSOSを送っているのに、

    いつも本人の意識が、拒否をして押し返してしまうのです。

    無意識が、あなたの家来なら、”あ~ぁ~、いつも聞いてはいただけない。”

    と、無意識に我慢をさせてあなたは済むのでしょうが、、、

    無意識は、あなたの家来ではありません。   あはは。


    えっ?

    それどころか、あなたの命を生まれさせ、支え、保ってくれている本体です!

    あなたの生の根源、源、親のような、親より大きな存在? 

    ちょっと、やさしそうだがこわい?  あはは。

    そうして、

    無意識は、本人の意識が押し返した反応を受け入れ、貯めていきます。

    ショウガナイやつだなー。 とかなんとか云うのかどうかはわかりませんが、、、

    無意識は、無限大ですから、貯める所は、無辺にあります。   ほっ。








    さぁ、これが、??  なにを意味するのか?

    これは、次回へ譲るとして、、、、、、あはは。






    この無意識が貯めていく無意識のゾーン(層)についてですが、

    西洋的現代科学も、フロイトやユングがその一端を見つけています。

    それと、東洋的叡智、仏法における智慧の一端をお借りして、

    その双方から見て行きたいのですが、

    長くなっておりますので、今日の記事は、

    西洋的合理主義科学の限界と、

    ぶざまなその現実をみなさまへ、開陳した所で終わろうかと思います。






    まず、西洋からです。



    そもそも、20世紀前半ごろに、

    フロイトやユングが心理学で想定した理論における

    「無意識」の構造の存在は、

    結果的に実証されないものであることが判明しました。

    つまりは、科学的に実験証明できなかったのです。 




    それは、そうでしょう。   あはは。



    無意識を実験したり? それを意識で証明しようなんて! 

    本末転倒です。



    ここで、本来は、科学が気が付くべきなのでしょうね。

    なにって?  あはは。

    科学が、命に関しては、あほらしくも愚かだと云うことを、です。



    まぁ、意識は自分に都合の悪い事は、言わないでしょうから..。。

    無意識の立場から、言うしかないのでしょうね。   っほっ。





    今の科学では、

    意識の網にかかる(五感で捉えられる)ものしか、

    実験証明できないのですから、、、

    無意識が、意識で捉えられる訳はないのです。
     あはは。


    数値化や計測不能な「無意識」は、

    幽霊や霊魂などと同じ扱いになっています。



    無意識は、ゆうれいですか??   んっまぁ!




    しかし、フロイトやユングが、心理学で想定した「無意識」の存在は、

    文化的・思想や芸術に大きな影響を与え、現在もなおそうです。



    「意識でない状態・領域」を潜在意識やサブリミナルなどの言い方もします。





    要は、科学においては、

    個々人の主観的な把握しかできない、

    仮説的要素の大きい無意識の存在は、実証性困難である。と、

    現在は、疑問のまま放置されていると云うのが、現実です。


    これが、科学的と云うものさしの限界だと理解をしてください。

    科学で、この世のすべてを解き明かす事は無理なのです。

    まして、「生」や「死」は、いかにいわんや、です。


    これが、意識の限界です。


    この意識の世界だけを研究実験証明するのが、科学です。

    科学は、無意識を扱えません。



    なのに、

    現代科学は、時代と科学者の欲望の充足の為なのか?

    体外受精臓器の製造、生命の人工製造へ手を付け入っています。

    部品をいくら入れ替えた処で、

    運命を変えないまま臓器だけを入れ替えても、

    その運命が、先送りされるだけなのだと云う事が見えないのですね。





    「無意識」については、

    現代の合理的学問の心理学では、たったの2層

    =個人的無意識層と集合的無意識層、の構造となっています。



    本当に、西洋思想は、2がお好きなようです。 

    二元論とか、対比させる手法しかないのかな?




    次は、東洋からです。


    これは、東洋における叡智である仏法の捉え方と比べると、

    あまりにも大まか過ぎます。

    と云うのは、


    仏法哲学においては、それは幾重にもあると説かれています。





    と、これ以降は、次回へ、、、

    長くなりすぎますので、、、

    今日は、このあたりが限界のようです、、、   ほほ。

    すこし、むずかしい記事だったと思いますが、

    最後まで、お読みくださった事に、心より感謝申し上げます。

    また、次回も、お楽しみになさってください。


    記事の中の何かが、

    あなたの人生の深遠を探検するのに、

    少しでもお役に立てさせていただければ、幸甚です。





    良き一週間をお過ごしくださいますように。




























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    ***** 無意識の不思議 8   意識と無意識の本当の素敵な関係は?

    Category : 自然の力



    参照 : NASAプレスリリース

















    うわぁ~! なに? これ?  の第8弾です。  あはは。




    おとめ座の方向へ約4億光年の距離にある銀河NGC 5679、


    ハッブル宇宙望遠鏡が撮った銀河系三つ子Arp274です。 



    まるで腕を絡ませたパイクッキーのよう!   あはは。


    左側の小さな銀河も含め、3つの銀河。 


    その中の2つの銀河の一部が重なったように見える姿から、

    特異銀河を集めたArpカタログの番号でArp 274とも呼ばれます。


    実際には、それぞれが地球からの距離は異なっているのですよ。








    一年の大詰めまで、あと2か月を迎える時期になりました。

    自然は、かさっ、こっそっ、と、

    最後の彩りで飾った葉を落としています。

    今秋は、那須と尾瀬と谷川岳、鎌倉と兵庫県の六甲山の秋を惜しみに

    行って来ました。 また、行く予定をしています。

    このシリーズの宇宙の写真が終わりましたら、

    地球の自然の時の移り変わりの喜びの写真を掲載します、

    お楽しみに。。。

    実は、

    先日、次のようなメッセージをいただきました。

    興味深い記事なのですが、

    出来れば文字は単一色にして頂けないでしょうか。

    色弱の方への配慮を、ほんの少しして頂けたら、幸いにございます。
     




    このブログの記事にカラーをつけている理由は、

    コメントのお返事で書かせていただきましたが、

    此方に、配慮が足りなかったと反省しています。

    少しづつですが、変えていこうと思います。

    薄い色で、少しだけに変更を致しますね。よろしく。








    さぁ、今日は、無意識の不思議 8 

    意識と無意識の本当の素敵な関係は? です。 




    今日で、このシリーズは、最後の記事になります。

    始めた時は、2,3回で終わる予定だったのですが、

    みなさまからのコメントの反響から、だんだんと深みに入って行った?  


     あはは。    8回までになってしまいました。。。

      


    前回の記事の最後で、こう書きました。


    無意識と意識の

    人生の幸せと言う山を登る為の地図は、そもそも違うと云う事です。 

    大きな違い、大きなギャップです。
     



    意識と無意識は、どうもその方向性が違うようです。


    これを敷衍すると、

    男性と女性の本質は、違うと云う事ですね。

    当たり前の事ですが、ここで確認しておきます。

    常に、このテーマが裏に隠れていると思って読んでください。




    ここで、、前々回の記事にいただいたコメントを一つ、

    ご紹介したいと思います。

    文章を省略、編集しました。 ご了解ください。




    『 病気になるということは、

    最も分かりやすい<無意識からの>サインだと思います。

    我慢したり無視したりはもちろん、薬に頼り過ぎるのだって、

    ある意味本質に向き合うことにはならないような気がします。

    無意識からのサインを無視していたら、体や心を壊すのは当たり前、

    そのうち取り返しのつかないことになりますね。


    お勉強ができる人は、言い訳が得意な人が多いと思います。

    見えることだけでああだこうだ言ってるだけなので、

    むしろ薄っぺらく見えてしまいます。』



    その通りですね。

    この中には、二つのポイントがあります。

    一つは、

    無意識からのサインを無視していたら、体や心を壊すのは当たり前、

    そのうち取り返しのつかないことになる。 



    二つ目は、


    お勉強ができる人は、言い訳が得意な人が多い。




    あははっ! お勉強ができる人は、耳が痛いこと!

    今の勉強は、西洋合理主義の学問の基礎知識中心です。

    そして、方法も“知識の詰め込み”です。

    今の教育は、どう生きるかや、真理の為と云うよりも、

    まず、食う為? あはは。 経済に奉仕しなければならず、

    そのサイズに合わせた教育なのですね。



    宗教は、何の為に生きるか? の答えを求めますが、

    東洋学は、いかに生きるか? の道を求めます。

    儒教などがそうです。




    今の教育は、そのどちらも教えきれずに、

    ただ狭い意識の現象界に役に立つ知識だけを教えようとします。



    いくら論理的思考で考えさせると云っても、

    それは、知識、学問の範疇、意識の働きです。

    意識世界のたかが論理性です。

    6つの感覚器官の穴から覗いた情報の論理性でしかない。

    だから、知識が増えれば増えるほど、枝葉が分かれて分かれて、

    だんだんと根から、=元の本質からは遠くなります。


    だって、最初の仮定が、証明されたと云っても、

    証明されたのは、あくまでも仮定だったものなのですから、、、

    その積み重ねは、どこに本質があるのかさえ、不明になるはずです。


    そんな当てのない判断でなされた結果に従うのは、

    自暴自棄のような、気違い沙汰、とても命を懸けてはいけません。


    だから、我々は、

    本質から遠くなった事にも気が付かずに、

    便利に合理的に都合よくなったと云う目先の自己満足の世界にいます。 




    本質をどこかに忘れたままのロジックに平気になったおかげで、

    “価値の多様化”と云う飾り言葉を、

    それこそ“言い訳”に使うノウハウを持ち合わせていますから、

    平気で“言い訳”になる論理=ロジックを構築します。 


    偏差値教育とは、そう云う人を育ててしまう。

    いい見本が、官僚の“霞が関文学”なる言葉が生まれるのも、

    その能力のおかげのようですわ!    ほほ。

    やる気がないのにあるように見せて、

    後々、都合がいいように運用できる法律を作文する学力です。

    自分を正当化するロジックを自在に作れるのですね。


    それを恥と思わせる尺度、社会に見抜く物差しがない不幸です。

    社会における「義」の喪失です。

    代わりに奸智に長けた人材の育成が行われてしまうのです。



    原因は、道徳性の欠如です。




    これは、戦後の教育が、

    人が作った知識だけを身に付ける“お勉強”だけだったと云う事です。

    それは、そうでしょう。

    無意識を排除した意識だけの知識教育なのですから、、、ね。



    以前、これを、東洋学からは、雑学と云うと申し上げました。

    人は、どう生きるべきかと云う実学を教えられていないからです。

    人の心から、道徳が蒸散してしまっている結果ですね。  



    その人の集まりが、社会ですから、

    社会から心が、道徳が、蒸発して飛び散っている結果です。




    3.11の後に、新聞紙上でこう述べている学者がいました。

    ”これから、もっと自然と戦って勝つ必要がある。”


    えっ! 本気でそう思っているの?

    3.11の惨状を見ても、まだ科学が万能だと思っているのか?


    その学者は、科学に身を投じ、一生を賭けて来たのかもしれない。

    その科学を信じ続けて行きたいのかも知れない。

    しかし、そう云う過去に囚われた亡霊は、もう、古い。

    あなたのような学者には、付いていけない。そう思いました。







    知識第一、学問第一、科学第一、

    それが、経済第一に奉仕しています。

    ヒエラルキーの最上部は、経済が居座っています。

    意識は、余程、貧乏がこわい? 飢えが不安なのです。

    それらの不安が恐れが、根底にある経済学です。



    しかも、無意識を無いものと扱う科学第一。

    そこから出て来るオーラは、恐いほどです。

    これらが、一つの宗教のように、地球を覆っています。


    これは、大いなる邪義です。

    その邪義が蔓延する社会は、無意識からのサインを無視します。


    とことん無視ししたら?

    どうなるの? ?

    恐くて語れない。 。。。



    最後、無視した結果が、天と地と人の災いです。




    今回は、地震と津波と原発事故。

    放射能の滞留と国土の汚染、食糧へ生命への汚染です。

    生命の安寧が保たれない環境におかれる状態が続きます。


    TPPでも、アメリカの悪魔、モンサント社から、

    遺伝子組み換えの食糧が、どっと入ってくるでしょう。

    ずっと安い、除草剤をふんだんにかけられた大量生産の食糧です。

    経済力で食糧にも格差が付くのが当たり前の格差社会です。



    無意識の世界の本質は、生きとし生きる生命の安寧を保つ事です。

    無意識を無視をすれば、その反対、反作用のベクトルです。

    その恩恵に与かれない。 浴せないと云う状態へ陥るのです。


    これが、天罰と云えば、たしかに天罰に違いありません。

    なぜなら、

    天(無意識)は、銃や、爆撃や、兵器を用いません。

    自然の徳、天徳=五行を以って警告を出して来ます。



    木・仁、植物=Co2 食糧難、放射能汚染、社会の仁愛の欠如。

    火・礼、太陽=磁気嵐、エネルギーの不足、人の行為が礼儀を失う。

    土・信、大地=地震、国土の放射能汚染、社会の信頼性の崩壊。

    金・義、金属=鉱物資源の不足、金融の混乱、社会正義の欠如。

    水・智、水・海=津波、水害、水不足、愚かさの横溢、大衆智の欠如。



    これらは、無意識が、いじわるなのではありません!

    無意識は、本来は、われわれの生命活動を支え、育み、守っています。

    天罰とは、人間みずからの働きが天の摂理を犯す

    その事によって起きて来る風雲です。





    無意識の世界からの恩恵について思いますと、


    谷川晃一さんと云う画家がいます。

    もう、亡くなられたのですが、その奥様で同じく画家の宮迫千鶴さんの

    エッセイを思い出します。

    このお二人が、東京から伊豆高原へ移り住みます。

    その自然の中での宮迫千鶴さんの体験が書かれていたのですが、

    中国の言い伝えに、

    自然と云うものは、あらゆる事で、私たちを助けてくれるのだそうです。

    自然の中に住んでいたら、普通は、家の周りに草、雑木林になります。

    ≪何とかしたいという気力がある処には≫

    その命の生存に必要な植物が生えて来ると云うのです。

    その時の体質に合った植物が大地から芽生え、

    自然に育ち、それを食する事によって健康になれるのだ。

    体質が中庸に、なれるのだと云うのです。



    自然智です。 求めずにして得られる智恵です。

    それによって守られ、原始より人類は生き延びて来たのです。




    現代医学でも、分かっている事は、

    呼吸、心伯、血圧、内分泌、睡眠、記憶、消化、吸収、などを行う

    筋肉や諸器官は、人の意志では動かせないけれど、

    自律神経と云う体内時計に従って、生命を守る働きを司っています。


    私たちは、生きているのではなくて、生かされているのですね。



    こう云う生命の自然の営みを無意識の世界と思ってくだされば、


    自然と我々の関係は、対等ではあり得ません。

    我々が、無意識の世界である自然から

    この現象世界へ生じたものである限り、

    自然に逆らう事はできません。

    死でさえも、自然の営みの無意識の世界の範疇の出来事です。



    つまり、

    無意識に、我々の首根っこを捕まえられている?   あはは。

    それは、まるで、我々がここで生きている状態と云うのは、

    我々のへその緒が無意識の世界に結びついたままの状態なのです。


    そのへその緒を通じて、

    命を永遠にする根源のエネルギーを注ぎ込んでもらい、

    宇宙の運行のリズムに乗せられて、生命は自然に従い律動し、

    死をも最後に体験をさせていただいてしまうのだから!  ほっほ。



    その生命の本源が、エネルギーの源、自然です。 
     



    要は、一方的に、我々が、自然に包み込まれている関係なのです。

    我々が、自然を守ろう!  なんて、叫ぶこと自体がおこがましいのです。



    そう云う無意識の世界へ対して、

    意識が、している事と言ったら、

    過去の五感の経験からしか答えを出さない意識の癖から、

    いつも、五感で味わった苦から逃げたい。

    まず、避ける事しかできないのです。
     


    我々は、自分の意識で嫌な事を無意識の中へ隠すのです。



    意識の願いは、楽になる事。

    だから、楽を味わう為に、最大の努力を払って来ました。

    すぐ手に入る『楽』を求めて彷徨(さまよ)います。

    根底にあるのは、死に対する恐怖と不安です。 




    しかし、この楽は、常に裏側に“苦”が、セットされているのですよ!

    なぜなら、現象世界では、作用・反作用の法則が、あるでしょう?

    あはは。 意識のそうそう思い通りにはならないの。  ほっ。






    しかし、その時、無意識はどうなのでしょう?


    無意識は、意識の家来ではありませんが、とりあえず、意識に従います。

    無意識は、最初、無理強いはしません。

    できるだけ意識が好きなようにするのを見守るのです。




    無意識は、太母。 すべてを受け入れる母です。

    無意識は、本当の客観世界を、じっと凝視しています。




    本当の客観世界?


    そう、 あなたがあなたの五感を通して見た世界ではないわ。



    あなたがあなたの五感を通して見た世界、

    それは、あなたの主観のなかの世界です。


    無意識の見る世界とは、あなたの肉眼ではなく、耳ではなく、

    鼻ではなく、、、、なく、、、、でもない。


    その奥の五感に左右されない無意識で見ているのです。






    今、あなたが、これが世界だと認識をしているのが、【 主観世界 】。

    あなたが作った架空の世界なのですよ。


    あなたの主観の想念が作った利己主義製の世界です。 


    = マイワールドです。





    実在の世界【 客観世界 】ではありません。




    人は、自己の主観の世界に合わない事象を、厭います。

    そして、処理ができないものを、無意識へ隠します。


    これに対して、意識に近い所にある無意識は、

    意識が処理できなくて丸投げして来たその悪い癖をいっぱい溜めこんで

    いますから、 実は、それらを意識に返したくて、うずうずしています。 


    ≪お前が住んでいる世界は、本当の世界じゃないんだよ! ≫


    気が付かせたくて、うずうずしています。   あはは。

    でも、意識は、イヤな事を、決して受け取りはしませんから、

    無意識は、だんだんと深い無意識へそれらを沈めて行きます。

    なにを?


    ははっ! 意識が処理できなくて丸投げして来た悪い癖です!



    片や、意識が心の中でしている事は、

    五感から取り入れた情報を必死に処理しながら、

    一体何をしているのでしょうか?


    そう! それなりに必死に生きているのね!  ほほ。



    たとえば、我々は、いろいろな習い覚えの中から、

    今までは、自分の意志が大事だと、それしかないのだと、

    自分を縛って来たりしていませんか?


    運命学から言ったら、それは片面の真実ではありますが、

    意志の強さだけで、

    何もかにもが、うまくいく程、人生は単純じゃないでしょう?

    だから、それが辛くなった時は、

    つまり単に、問題がないふりをしたり、そう感じるふりをしたり、

    言い訳を考えたり、また違うフレーズの知識を聞いたりして、

    知らない間に自分への付加を弱めて来たはずです。


    それは、不安を抱くあなたを守ろうと、

    意識が、かりそめの現実を作ってくれる行為なのです。



    そこに、愛ある人の“慰めの言葉”などがあろうものなら、

    もう、それに拍車がかかります!!   あはは。


    これが、不幸の元凶、【 自己欺瞞 】です。



    自分を騙す。 

    辛い自分を見たくない。

    自分の負けを認めたくない。

    人間の意識は、うそつきですよ。


    そして、

    あなたは、そのうそつきの意識に守られて、

    心の中で、”必ず良くなってみせる”と

    健気にも、何度も自分に言い聞かせたりして来たでしょう?



    それらは、すべて、

    意識的に行っていたことです。


    しかしそれが繰り返されるうちに、

    いつの間にか意識に染められやすい無意識の上層のレベルが、

    そう云う意識に染まっていくのです。

    いつの間にか、そう云う行動が刷り込まれて、


    次は、無意識にその行動をするあなたがいる。


    そう、あなたを原始時代の危険からあなたを守って来た意識が、

    あなたを守ろうとする癖で、うそまでついてあなたを守っている、、、




    そう、

    自分に都合いい自分製の架空セットのなかに自分を置きます。

    その架空の世界に、あなたは常に、居るようになります。

    だって、居心地がいいからです。




    たとえれば、ディズニーランドのあの世界です。  あはは。



    あそこは、仕掛けられた人工のセットの場所ですから。

    次々と、こうだったらいいなぁ! と云う物を集めた場所です。

    そう、五感にとって、決して、不快なものは、ありません!





    それを、眺めている無意識は、どう受け取っているでしょうか?


    無意識からすると意識は、どうしても苦しい方向へ行ってしまうのです。



    なぜなら、苦を避けて、もっと大きな苦を作るあなたを見ている。


    無意識は、

    ありのままの現実に、あなたが直面してほしいと思っています。



    なぜなら、無意識は、人間が自分に都合よく作った、

    利己主義な意識が作った人工の世界の中には幸せがない事を、

    知っているからです。


    無意識は躊躇なくなんでもあなたに見せたいのです。

    ほんとうの現実の上に、立たせたいと願っています。 






    たとえば、我々は、こう言って悩んだりします。


    ”僕が死にかかったって、誰も何もできないくせに、

    あぁ、僕は死がこわい。死なない為に必死に働いているのだ。

    働いても働いても死の恐怖はなくならない。

    安心できない!

    逆に、年を取って、だんだん死が近づいて来るのだ。。。



    そう、こう云う不安や愚痴を、まるでゴミ捨て場のように

    無意識の中に、嫌な現実を、ポイポイと隠します。



    でも、無意識は隠してやっているなんてつもりは、さらさらありません。

    では、どうするか?


    意識が耐えられないと避けた苦しみも、悲しみも、

    無意識は、すべて受け入れる力がありますが、

    無意識の衝動は、あなたに

    無意識の中へ、ずっと放り込んで来たガラクタを、すべて

    整理させたいのです。  

    その為に、

    ほんとうの現実の上に、立たせたいと願っています。

    苦しくてもいいじゃないか!

    それが、本当の現実なんだって!

    自分に負けたって言えよ。

    そこからしか、お前は生きれないんだから!

    その苦を受け入れてごらん。

    もっと、深い幸せが、本当の喜びがある世界があるんだ。



    って、


    そう叫んでいるのかどうか、?   あはは。





    五感を騙して作った都合のいい主観の世界を壊して、

    客観的な実の世界はこうなのだ!  と

    無意識は、あなたに教えたいのですが、、

    意識は、まるで無意識を信じていませんから、


    意識が、「 知る必要はない! 黙っていて! 」と

    無意識に命令するから、


    無意識は、真実を感じたり、見た実相を隠してしまうしかないのです。


    いくら意識が無意識の云う事をきかないと云っても、

    この時に、無意識が感じて、受け止めた実相(本当の客観世界)を、

    無意識は、完全に誤魔化しもできませんし、失くす事もできません。



    意識が気が付いてくれる事を願っているのですよ。




    まして、0(ゼロ)にはできないのです。






    溜めていきます。 永遠にです。







    そうしている内に、

    意識が捨てた、実感の苦は、深く深く無意識の奥へ沈んで行きます。

    それが、あなたの業です。

    あなたが、いつ、何を為したかと云う積み重ねの業です。




    その集積が、運命を作り上げます。



    意識が、無意識に逆らった、無意識に嘘をついた、その事は

    つまり、自己欺瞞は、無意識層の中に溜められて行きます。



    意識がやった実績の記録が、無意識の中に残っていくのです。








    そのように、



    無意識は、意識を捕まえられますが、

    意識には、無意識を捕らえる力はないのです。





    そして、

    無意識の海の深い所へ行くに従って、

    意識の届かない、意識にも染められない

    無意識の世界が膨大に広がっているのです。




    意識に染められないとは、現実の環境に染められないと言う事であり、

    周りのどんな状況、思惑にも左右されない心があると言う事です。





    深い無意識は、

    無意識の本体である、その智恵や染められない心や、

    宇宙本来の真実の存在の姿を、

    あなたに気づかせよう、知らせよう、バックアップをしようと、

    うずうずした衝動のある存在なのです。


    お分かりになりましたか?

    無意識の世界が、どんなにあなたに切実な世界か?



    最後に、具体的なお話しに、、、



    人生の自分の行動動作をよ~く考えてみると、

    自分の意識で行っているようで、実は違うでしょう?

    人生のほとんどの事は、

    後から考えたら、考えても見なかった、そんなつもりは無かったと。

    だいたいの人の人生というものは、そんなものです。(笑い)

    自分の意志の力で、物事は決まっていくわけじゃない。

    いろいろな人の都合で調和をしながら物事は動くのです。

    そう、思う心を強めていきましょう。



    そして、五感の過去の経験の中からしか判断できない意識の癖、

    これを乗り越えようとするならば、

    五感の過去の経験を増やすしかない。 でしょう?


    意識の、この能力をどう使うかで

    自分の生存さえも左右する必要な能力なのだと言う事を、

    自覚しなければいけないのですね。



    そして、意識が、その過去の経験に制限されるのであるならば、

    その過去の経験自体を、広げて深めるしかないですね。

    心のエネルギーを増やすと同時に、

    「意識の視野を広くする」「多様な視点の獲得」です。



    狭い意識に、豊富な経験をさせるしかないのです。

    そうしたら、少しは判断の幅が増えるかもしれない。 あは!


    昔から言われてきた事、

    「 かわいい子には、旅をさせろ。」   です。


    その子の主観の世界を広げ、自信と幅を付けて成長をさせるには、

    親の庇護から離れた旅に出す。

    広く他人の意識が存在する世間に、モロに接する事がいい。

    直接、自己と違う他人の意識を感じ、知る事が、

    脳の前頭野のシナプスが増える。そう云うことでしょうね。


    もう一つ、

    心は、自由な心とか、純粋な心とかの形容詞が付きますが、

    実態は、そんなに自由でも純粋でも、ない。と云う事です。


    過去に染められた感覚器官のフレーム(額ふち)に囲まれて制限され、 

    外側の刺激に束縛をされている。


    それが私たちの心である。

    このような心を中心に生きると云う事は、

    私たちは、6つの窓を走り回る猿になってしまうのです。


    自由で純粋な心ね~       ははは。

    と、そうなりたいのなら、この部分を無くす事ですね。


    どうすればいいのって?


    それは、過去の自分の偏見や、自信のなかった事に挑戦する。

    そして、こわい事を無くす事ですね。

    いつも心をリラックスするように努力をして、、、、、、

    自分を解放しなければ、と言うのは、その為なのです。



    最後に、

    意識と無意識の本当の素敵な関係は? と云うと、



    意識は、無意識に支えられて初めて、正しいのです。

    意識は、永遠に壊れないもの=無意識の存在を意識するべきです。





    そして、無意識も、

    無意識を反映した正しい意識の奮闘があってこそ、

    無意識の智恵と創造性が、外に『陽』として表出するのです。 
      



    これが、幸運、幸せの姿。

    だれもが客観世界で意識で感じられるものなのです。




    このシリーズをお読みになって、

    ご自分でいろいろとお考えになっていただきたいのですが、

    ひとつ大事な事は、

    苦を避けない。


    逆に、苦を引き受ける生き方を、モットーになさる事をお勧めします。




    なぜなら、

    悩むというのは、本当は解決の一歩手前なのです。


    大苦は、おおいなる楽の前兆なのですよ。






    ここまで長い期間、

    長い記事をお読みいただく苦に耐えてくださった事に、

    感謝申し上げます。




    よき一週間をお過ごしくださいね。




































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 科学・医療・心理
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    京都大学のウイルス研究所准教授の宮沢孝之氏の講義? (動画)

    Category : 自然の力

    レイアウトの適正には、表示(V)の文字サイズ(小)で、お読み下さい。



    今回の記事は、


    前回、お約束をした見通しとしては、
    今回の記事は、『西洋と東洋の世界観の違い』 について
    それが、われわれの生活や人生、国の運命迄を左右していること、

    その優劣、特徴から書きたいと思っていました。


    卑近な例としたら、
    どっちかと云うと、私たち日本人の性分は、
    どこどこまでもお人よし、性善説で行こうとするところ、

    そう! 
    政治家や官僚の人たちは、なんやかんや言っても、
    基本は国民のためにちゃんとやってくれているはず。
    と、
    信じ過ぎていると云うのか、
    疑ってみることもしませんよね!?      あはは。

    天下泰平、お花畑、底抜けの●●と云うのか

    人間同士の殺戮が止まない『現』地球上にいてさえも、、

    その光景を日常的にテレビで朝夕目にする日常の中でさえも、
    のほほんと、そう構えて、
    まるで極楽鳥のように、ですよっ。

      ほほっ。

    自国の政治家や官僚のことを、信じ切っていません?

     疑ってみても仕方がない?     あはは。
       

    西欧のように、
    民主主義を市民革命で勝ち取った訳でない歴史からして
    与えられた民主主義?
    どこか悠長な構えを崩すことができていないというのが正直な処です。


    しかし、現今の劣悪な世界の状況が迫ってきているのに、
    日本だけ例外とは思えないし、
    どこかお尻の方がムズムズする?ような、  ほほっ。
    なにか封じ込められた閉鎖空間が、
    気になっている方もいるはずですが、


    と、そういう世間の事を考えながら、、、
    今日、ちょっと急遽、
    いつもの記事の定型を破りまして、  

    次の動画を紹介したくなりました。


    というのは、ほんの30分前、youtubeの動画で、
    見たいものがあったので観ていると、
    PC画面で云うと、右のカラムにおススメが出て来るでしょう?

    あれ、どれを見ても見たような飽きちゃったなぁと、
    シャットダウンをと思っていたら、

    目に留まった動画があり、アップします。


    ご覧になられたらお分かりのように、
    神戸の街頭演説に飛び込んだ?
    京都大学のウイルス研究所准教授の宮沢孝之氏の講義?


    2007年頃から、国会議員へ訴えているのが、
    今のコロナのパンデミックに関する(恐れ)について、
    また、現地球は地球温暖化ではなく、
    逆に寒冷期で植物に必要なCO2が欠乏している、
    将来、植物類が狭小化していく、

    等のお話が出てきて面白いはずです。






    これで、お尻に火がついてくれたら? いいのですが?


    あはは。











    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。

            
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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