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01/16 17:28 |
三人の才女は東洋の文化の精髄を身に付けていたのです。Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() 独立行政法人 国立女性教育会館(NWEC)の玄関から入り口をのぞむ 昨年の行政仕分けの第一日目、 11月11日の一番にターゲットにされた、 あの独立行政法人 国立女性教育会館に、行って来ました。 テレビで大写しになった白髪の女性、 『そちらばかり話されないで、此方の云う事も聞いていただかないと、、、』 と、民主党の連坊議員に反論して、一躍有名になってしまった方が、 じつは、国立女性教育会館の理事長、神田美智子氏なのですが、 この建物は、埼玉県の嵐山(らんざん)町にあります。 この近くには、いろんな歴史的名所があります。丸木美術館もそうです。 この近辺へ行く所用、仕事等が、まとめてあった為、 たまたまNWECで何か企画があったら寄ってみようと思って調べると、 次ぎのシンポジウムが予定されていました。 『宮廷・三才女の生き方と表現』と題して、 ー紫式部・清少納言・和泉式部の果たした役割ー が副題です。 これに参加して、一泊するとゆっくり時間も取れるだろうと、 急遽、参加を申し込み、 研修とシンポジウムへ参加をして来ました。 今日は、これに関することを書きたいと思います。 まず、これは、男女共同参画プログラムの一環の行事です。 正直言って、 これには、少しどころか大変、違和感を普段から感じています。 (その理由は後ほど書きます) また、ジェンダー、フェミニスト等の言葉にも、心は馴染んでいませんし、 しかし、それらの牙城であるNWECに行くからには、 覚悟をしていかなくては、ね、、。 ほほっ。 目的の一つは、 紫式部の『源氏物語』、 清少納言の『枕草子』、 和泉式部の『和泉式部日記』が、 きっと中で取り上げられるわけですから、 これらは、新しい解釈が出てくるのも、それなりに聞いておもしろいかも? という興味もあったわけです。 5,6年おき位に、これらについては、アンテナを張るようにしています。 もう一つは、三人の才女の作品の中味と、 男女共同参画、《男女平等》論を、どう結び付けていくのか? ちょっと馬鹿馬鹿しい~? と思いながら、(笑い) (関係各位には、失礼いたします! ) (これが後になって、実は当たってしまうのですが、) いろいろどうなのか想像しても、チグハグなコラージュのようで、 上手く行かないわよ!と、考えながら、 まるで野次馬根性そのままで 、、、、、(笑い) 参加してしまったのです。 我ながらご苦労様ですね~ (笑い) よくエネルギーが余っているわね~と言われます。 (笑い) 館内は、築30年といいながら、きれいでした。 研修棟から宿泊棟まで、 夜に講習が終って移動するのが寒くて大変だったので、 乗って行った自分の車を移動に使ったくらい広~い敷地です。 この敷地に関しては、日を改めて詳しく書きたいことがあります。 また、おたのしみに。 神田理事長が、ご挨拶の中で次のようなお話をされていました。 ”年間6億円の予算を、 行政仕分けで3分の1に削減されるというのが、 到底2億円では、やっていけない。と云う事を、 前千葉県知事の堂本氏達の助力、賛同者の署名などを 鳩山さんへ提出して、、、 今年は何とかやって行ける事になってホッとしている。” 一方、講師の方たちは、 それぞれ日本文学の立派な大学の専門の先生ばかりで、 短歌の結社の、お弟子さん達も、多くお見えになっていたようです。 印象に残っている事を、2,3書いてみましょう。 清少納言を、せいしょう・なごん と区切って言う癖が 一般的に、あるようだが正しくは、せい・しょうなごん である。 中納言、大納言というのですから、なるほど!と。 又、別の講師からは、源氏物語は、”社会批判の書である” 私、そうそう、そうだけれど、何によっての批判なのか、 ちょっと分りにくい感じもしましたよ。 紫式部の視点がはっきりされないままでした。 もっと、深く言えば、 法華経を信じ学んだ紫式部の知性が、 仏法の末法思想と因果応報の思想から、 栄耀栄華の宮廷模様を眺めた物語であると、 以前、他の講座で聞いた事もあります。 それが、《現世を諦観で眺める》社会批判になるといえばそうですね。 講師からは、 イデオロギーを伝えるのは言葉である。 三人の才女が、どのようにして言葉を獲得したのか、 その獲得した言葉で、社会の女性の差別意識を超えようとした、 それがそれぞれの作品である。 と言うくだりのお話もありましたが、 イデオロギーと言いながら、それ以上の解説はありませんでしたし、 微妙に、そこへは触らないまま行く雰囲気でした~~ あは? 私、 何となく、無理やりに、 ジェンダー運動、男女共同参画運動に結びつけたような? 感じがしたのは、思いすごしだったでしょうか? ほほっ。 そもそも、三人の才女の幼い頃からの学問の教材は、 西洋から来た学問ではなかったはずです。 四書五経、漢詩や、写経、漢文の素読といった、 中国や朝鮮からの渡来文化を学んだ父親の教養から、 躾けられた学問であったはずです。 彼女たちは、東洋の文化の精髄を身に付けていたのです。 そして、当時の貴重であった筆や墨、 普通の身分では手に入らない豊富な量の紙や筆を ふんだんに使った執筆活動は、 時の権力者の庇護・パトロンに認められないとできない活動です。 しかし、当時の平安時代の社会における 東洋的な学問の影響については、 どの講師からも、一言も触れられる事は有りませんでしたよ~。 又、そういった恵みを与えてくれる主家(仕えた主人の家)に 感謝をする心が、三人三様に心のなかにあるのは当然で、 主家賛嘆の文が多いのも当然ではないかと、思ったり、、、 三人の才女の作品については、 それぞれ新しい説を聞くことが出来て、おもしろかったのですが、 これが、男女共同参画のどこに結びつくのか、 わからないまま消化不良で帰ってきました。 結局は、国が行うセレモニーの域を出ていませんでした。 無理やりに女性を仕事に就かせようと、あの手この手の努力? 女性が社会へ進出しないと男と対等になれない? 夫に家事をさせられない女性はアホウである? ある講師の方は、自分の夫は主夫であり、 自分が帰宅して着替えている間に食事が並んでいる、と 自慢話を講座の間に挟んでいらっしゃいましたよ。 あはは。 そういうニオイはプンプンしていました。 そのような強力に何かを推し進めようとする雰囲気は感じて来ました。 これでいいのかなぁ~? 正直な感想です。 その上、生まれも、育ちも恵まれた、環境も、本人の能力もある、 知性がある選ばれた女性だけしか実現できない解放では困ります。 今のようなお話では、どうでしょうか? みなさまは、どう思われますか? 今日の、後日談は又、東洋的な立場から、書いてみたいと思っています。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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06/23 18:31 |
『因果応報の源 時間を生きる』2. 幼子の心が、『時』を経て、道徳の最高目的である『孝』心の核になるのです。Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() 6月初旬でもまだ冬、 尾瀬沼への凍った雪の山道 今日は、テーマ『因果応報の源 時間を生きる』なのですが、 『因果応報』については、次回へ廻すとして、 今日は、まず最初に、前回の記事にいただいたコメントからです! 専業主婦が疎んじられ、 働く女性=新しい女性=進んだ女性と目に映った時期がありました。 これは東洋学的立場から見ると、間違っていたのですね。 コメントのお返事には、次のように書きました。 ★こういう判断には、 時間軸で見た場合や空間的にも何層ものステージがあって、 それぞれ解はステージ毎にあるのでしょうが、 陰陽の本質的には間違っています。 今、そこまでの検証をする思想が巷には転がっていないのです。 この返事では、分かりづらかったのではないかと、気になりました。 もうひとつ、前々から「道徳」と言いつつ、 何も深くは記事を書いていないのでそれも気になっています。 コメントにもう少し詳しくお答えしたいのと、非常にいい機会なので、 「道徳」のスタートとしての「女性の生き方」について、 サワリ程度になりますが、簡単にまとめてみたいと思います。 まず、 働く女性は、東洋学的立場から見ると、 女性の生き方としたら間違っている。 ここから、進めていきましょうね。 まず、働く女性の中味を、アラ婚の女性に的を絞りたいと思います。 アラ婚とは、 近い将来に結婚を目指している未婚の女性~既婚の女性です。 そもそも、 結婚をして家庭を作るのは、 『天の道』=宇宙の創造活動そのものなのです。 東洋、中国の陰陽学において、 ★男性の資質の特徴を挙げますと、 肉体の強健さ、闘争的であり、強い自我、 英知を持って社会で名誉や利益を求めて自己を堅持し顕示しつつ、 家族を養う糧を手にする役割です。 意識的なので、評価的、差別的、競争的、理性で社会の法を作ります。 おかげで、 これらの男の性の行き着くところは、 闘争社会と、殺伐とした孤独、人間性の荒廃です。 生物の弱肉強食、 強者による弱者の淘汰へと進んでいく社会の現出です。 どこか、今の社会の世相に通じるものがあると思われませんか? ★女性の資質の特徴を挙げますと、 柔らかな肉体、平和的であり、没我的、慈愛的であり、 損得や利害を越える純真さを持ち、 柔軟性に富む感性で家族や社会を調和と統合へ導きます。 理性で物事を割り切る事をせず、無意識からの直感を大事にします。 数字や理屈の評価を嫌います。 これらの女の性の果たすべき役割は、 男性によって繰り広げられる闘争と、 その結果生まれた人間性の荒廃と、 殺伐とした孤独を癒し、慰め、 これらのエネルギーを元初の『天の道』の 秩序の根源へ還流させる事なのです。 そういう能力が陰の本体である女性には、具わっています。 これらの、男女の両性の特質が違うということが重要なのです。 別々の特質を持った男女が結婚をして、 自分の特質を思う存分に十分に発揮しながら、 それは、相手の欠けている所を補うという補完関係です。 相手のない所を自己の能力で助け合いながら人生を切り開いていく。 その場が家庭であり、創造の場なのです。 結婚相手には、よく、同じ似ている人を、と言いますが、 彼女が、彼が、自分と違うからって? 問題ではないのですよ! 同じと言うのは、もたれ合う? どちらかが偏っている? 同じ目標でも、男女は達成する方法が違って、当たり前なのです。 自分と似た人を求める。 それは、男女平等の日教組の教育の賜物かもしれませんね。 同じ人間がいると、どこかで思っているのでしょう。 人は、一人ひとりまったく違う! (笑い) それぞれの違いを、認識し合って、理解し合う~ 違う領域を、違う感性で、違う知恵を持っているのに、 それでも人間として尊敬できる。 そういうお互いが調和した時、 許容範囲の広い、幅のある二人は、 同じ似ていると錯覚している二人よりも、 ダイナミックなパワーが生まれるのです! 理想的には、 『天の道』の秩序に合った相待関係。 宇宙の運行と合致したあり方です。 宇宙、自然のあり方、『天の道』の秩序を守る関係です。 それは、永遠の命の再生できる秩序に従うことなのです。 永遠の命の再生できる秩序とは、 そのひとつの形には、子孫繁栄があげられます。 このような家庭が形成されることが、非常に大事です。 マイホーム、学歴、高級車、そんな物の価値観ではありません。 男女は特質においては、違い、役割も違います。 が、 お互いが相い待って協力するという立場においては平等です。 その過程において、 お互いを成熟させていくという熱意と誠意に満ちている。 新たな命の成長という子育てには、 それが、大前提なのです。 マイホームや高級車や高価なおもちゃがなくっても、 このように男らしいパパと、 女らしいママに恵まれて育った赤ちゃんは、 自分が生涯を通じて、男なら男として、 女なら女として成熟する基盤を生まれながらに持つことになります。 そして、 その自分が女なら、 女らしい自分にふさわしい男らしい相手を、 自分が男なら、 男らしい自分にふさわしい女らしい相手に恵まれます。 仏法で”輪廻”という言葉がありますが、 この場合は、良き輪廻が繰り返されるわけです。 しかし、 女性が、社会へ出て働くという場合、 家庭の中で、誰が家事をするのか?という 低次元な問題ではなく、 あはは。 誰が『陰』の本体としての役割を果たすのか? 誰が、『天の道』の秩序の根源へ陽を還流させ、 陰の力で新たな創造性に溢れた陽を蘇えらせるのか? 闘争と、荒廃と、殺伐さ、孤独の世界である陽の現象を、 人間性本来のあるべき状態へ、 どう再生させるのか? 本来、女性である貴女の役割なのです! それが、貴女が陽の現象を帯びるようになったら、 競争社会の価値観からの開放の場であるはずの家庭や、家族の間に、 闘争と、荒廃と、殺伐さ、 孤独を生み出す陽の理知が渦巻くようになり、 家庭においても競争や評価の価値観が、横行するようになります。 それは、 大人にとって自業自得だとしても、 この一番の被害を受けるのは、未熟な命の子供たち!! 特に、貴女に娘がいればなおさらです! 子供たちは、陽の理知で疎外される被害に遭います! 子供の中の創造性は、芽生える事ができなくなります。 未来の命が去勢されるのです! この男と女を履き違えた無秩序状態、無政府状態は、 悪しき輪廻として、子から孫へ受け継がれていくようです。 決定的なのは、創造性の乏しい命、 陰の本体のバックアップが少ない運命へ入って行きます。 つまり、 子孫が繁栄しない、しにくい、 という運命を見ることになります。 もうひとつ 重要なことがあります。 乳幼児期の人間としての基盤作りには、 母の無条件の慈愛、抱かれた母の心身の温もりです。 この二つを、乳児がどれだけ深く自分の命の中に組み入れたか? 母の労苦を厭わない、 我を忘れて注ぎ込んだ母の慈愛を どこまで自分の心の根に吸収したかが、 その子の、生涯の徳性、道徳性を持つかどうかという 分かれ道になります。 乳児は、何も分からないうちから、 言葉を知らないうちから、 この温もりの本体である母に、 全身の笑顔やしぐさで応えようとします。 その健気さ!いじらしさ! この幼子の心が、 『時』を経て、 道徳の最高目的である『孝』心の核になるのです。 (母の)命の温もりを知った(乳児の)命が、 その温もりに応えようとする命の発露です。 胸が熱くなって、可愛い!と思うのです。 母乳を与えて身体を育てているようで、 実は、母の肌の温もりと、慈愛を乳児に注ぎ込む。 これをはぐくむ、と言うのでしょうね。 絶対に、他人では代われない母の持つ徳性なのですよ。 没我性の女にしかできない所業です。 この時期、はぐくむ事に成功した子が成長をした後は、 必ず、教科書的に教えられなくても 命の尊さを秘めて命を尊敬できる人間になります。 いじめられたり、いじめたりする立場にはならないでしょう。 いわゆる孝心のある人間性豊かな大人へとなるはずです。 『天の道』の秩序が分かる人格が具わって行くのだと思います。 周囲に自然に溶け込める、 和やかな環境を、自分の周りに作っていける 人としてのしあわせな生き方が自然にできるようになります。 このように、乳幼児期がいかに大事な時期か? そう言うと、 ネイティブの英語を聴かせる大事な時期とか、 文字や漢字を教えて、 カードで遊ばす大事な時期だなんて 言っているのでは、ありませんよ!!! あはは。 英語塾に入れる事よりも、もっと本源的に重要な『時』です! それなのに、保育園だ! 無認可でもいい! なんて、 他人に預けて、いくらの生活の糧が得になるのか? なんて そろばん勘定で天秤に掛けて比較する問題ではありません。 国としても、 どういう国民を作って行くのが、国の為なのか? 自分の生母に孝心を持たない人間が、 国を思う事はむずかしいでしょう。 国も個人も、何を焦って、目の前の利益を追いたいのか? 根無し草のように、大きな流れに飲み込まれていく国が、 国の財政に大穴が空いているという事は、 国の背骨がないのです。 まず、手当てしなければいけないのは、 税制改正だけでなく、、 国に永遠の繁栄をもたらす哲学です。 本当にどこ向いても、 そろばん勘定ばかりに追いかけられて、 国は到底、当てにする事はできないようなので、、、、、 一人ひとりがしっかりするしかないわね~ ほほっ。 物質文明の側面からの幸せを追いかけても、 それは、蜃気楼、砂上の楼閣を追いかけている事ですよ。 何もなくなるなら、まだしも、全てを失う。 思想の間違いには、それだけのリスクがあるという事。 65年まえにも経験した事を、思い出して・・・・・ あれは、低い思想を信じた事が間違いだったのですよ。 この辺をよく思索されて、あなたの人生に、 東洋運命学の知恵を、参考になさってくださいませ。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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01/15 15:48 |
女性の生き方 ・ 『陰』について ① (コメントのお返事)Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() お正月・京都 京都に、ちょちょっと行って来ました。 いつもの冬の京都、きりっと空気が引き締まっていました。 ブログ記事の奈良の飛鳥の方が合っているかも知れないのですが、 京都は、洗練された和のモダンですね。 奈良と京都は、異質、、、そう思いながら慌しく京都を後にしました。 ちょっと関西の方言をご紹介しまひょか~? (笑い) 「おしまいやす。えらいうそうそまで、しっぽりでんな~ 」 この”うそうそ”と言うのは、嘘ではありません。 夕方、日が沈んで薄暗く、人の顔の判別がし難い状態、 夕方のもう遅いことを表わす言葉です。 うそうそ=暗くなってはっきりわからないこと。 むかし、畑や田んぼ、街中の商店街で、 夕方の薄暗い中で、仕事をしている人を見かけたり、出会った時、 ねぎらいの気持ちを込めて言う挨拶の言葉です。 聞く人にとっては、 疲れた心になんともいえない安らぎを感じさせる言葉です。 いかがでしたか? 今日の記事は、前回と同様、これまでにいただいたコメントから、 お返事を書きたいと思います。 あ、その前に! いつもの前置き、です。 あはは。 私の、このブログは、 東洋の復権と言い、運命学と言い、今の時代に逆行したような 内容のようにお取りになる方が多いかもしれません。 今の西洋文明における合理性から見ると、 一見どころか、 どこからみても”うさんくさい~”と言う扱いを受けてしまうような 代物かもしれませんね。 あはは。 では、今の世間で、 ”うさんくさくないものは?”と言ったら、 今の世間の価値観は、この”うさんくさいもの”から遠ざかる事が、 かっこいいとか、正しいとか、科学的とか、 そうなっていますね。 そして、もっと変化して、 真面目な事や、道徳的な事が、うさんくさい。 我慢や苦しむのはうさんくさい。 と、なって、、、 自分にとって楽な事から楽な事へうまく飛び移っていくのが、 最高! みたいな? あはは。 そう、みんなアイドル! だれもがスターって言う自分に憧れているのね。 見かけに憧れ、物に憧れ、、、、、あはは。 あー、この享楽性の後に、、、何が来る? なぜか、 ベスビオス火山の噴火で滅びたポンペイを思い出します。 都市制度の整備、 大都市に発展、富裕者、豪華、華麗に憧れる人々。 ポンペイは、そういった町でした。 西洋文明の二元論に発する物質文明の特徴である、 物で、自分を飾ろうとする。 それで他人から認められないと不幸を感ずる。 1+1=2 のように、 目の前のノートに書いて確かめられる理屈だけを、 追いかける軽佻浮薄な世情になっています。 その理屈で確かめられる物を求めているようです。 他人の目を意識して、 字や形に表せて、色を塗り、サイズを測れる物。 現代の世界は、そう言う”理屈で切り取った物だけで、成り立っている” と言い切った、 そう云う思潮が蔓延しています。 目で見えないもの、 自分の意識で確かめられないもの、 自分の知っている理屈に合わない物は、”うさんくさい”のでしょう。 ”自分が意識できる物だけが、存在する。 と言えるのである。”という ほんの狭い空間の中での真理です。知識です。 自分が意識できると言っても、 その大半は、”目で見える物”、 そう、あまりにもヴィジュアルな、視界に偏った知識が 集まっています。 今の世は、 目で見えない物は、無いに等しい扱いを受けます。 あきれるほどの視野の狭さ、ね。 だから、『陽』は、見える現象ですから説明しなくても解かるみたい。 『陰』は、説明しにくく、わかり辛いのですね。 意識、理性は、『陽』ですから、 ある意味、偽を含みます。 だから意識、理性による認識は、大いなる誤解もあります。 『時』が移れば、役に立たない代物に成り果てます。 前回の記事、”国の生い立ち...” などに置ける歴史の史実は、 あらゆる認識が真・偽か? 混濁した中で混ぜ混ぜであり、 だから仮説と言わざるを得ない。 しかも、今、学校で教えている史実が、絶対に正しいとも言えない。 時に移ろって、事実かウソ?ウソ? あは! その真実は、 時代が、『時』が、暴(あば)いていくものです。 『時』とは、『天』です。 宇宙です。 自然です。 我々が、生まれて来た根源の営みのありのままです。 現在は、唯物史観の歴史学ですから、 遺物なり、埋蔵物が発見されて、 物的な証拠がないと、立証されないと真実とはなりません。 それが、科学すると言う事であり、学問なのですね。 科学とは、あらゆるものを物として見て、光を当てます。 心がない物として見る..... 科学の姿勢は大事ですが、物事の全貌は掴めない。 一部を掴みながら類推する、証明する、また類推する、、、 その繰り返しなのです。 『陽』は、うそつきです。 『陽』は、合理的と言いながら、少しも合理的じゃないでしょう? 物の世界からの理屈を、引き出しているだけです。 人の理性というものが積み上げたものは、 その程度ではないですか? 理性や意識が認識する世界と言うのは、 丸いルーペのレンズを囲む周りの枠、 その枠の中に見える世界なのです。 ルーペを移動させると、中に見える物は、変わって来ます。 認識と言う言葉ですが、 これは、意識、理性によって認めると言う事です。 あくまでも、人間の認識能力の浅い部分、を使った知覚行為です。 この知覚行為は、まだ環境に左右をされ、時に染められています。 だから、無常であり、純粋ではありえません。 自然ではない。 だから幸せを実現する事はできない。よく覚えておいてね! できるだけ、 西洋哲学の、物質文明の、その欠点を補えるように、 大きく言えば、東洋哲学、そして思想をもっと身近にしたい。 運命というからには、 普段見えないものを観じてほしいと思っています。 それが、『陰』の世界であり、失いつつある陰徳の世界です。 だって、そうでしょう? 西洋の言う自由と平等を受け入れて、60数年、 我々は、何を得ましたか? 私たちの親の世代が手にしていた”平凡な生活”、 結婚、出産、終身雇用、 ささやかな郊外の家、先祖の墓の祭祀、 これらが指の間からこぼれて行き、 失われつつあります。 あ、失ってしまった。 今の若い世代が、 これらを手に入れようとするのは、かなり難しい、 高いハードルになっています。 それに代わるもっと良い価値観も提示できない。 西洋文明の合理主義自体の批判すらもできない教育程度です。 その程度の思想を受け入れたと言う事です。 それが、今の停滞感、閉塞感です。 やはり、無常の荒涼とした焼け野原に立っている風景は変わらない。 浅い知覚行為で受け入れるから、こうなるのです。 自分の中の、西洋文明の合理主義に染まった部分を洗い流さなきゃ。 もっと深い部分の知覚行為ができるようになる。 もっと、深い? そう!ですよ。 時にも、環境にも左右されない知覚行為ができるようになり、 自由に、束縛を受けないで対象を観る事ができるように。 それが、目標です。 たとえば、無意識の、 人間の意識で捉えられない領域を、 現代の思潮の合理(理に合う)という癖を外して覗いて見ると、 自然の姿が、そっと、ありのままが、うかがえる。 何か、神秘的な(理屈が分からないからそう思えるのですが) きれいな条理の精緻な美しさに打たれたような感動があります。 そういった感動を伴う真実というのは、 我々が普段、意識できない世界の中にあるのですね。 運命学をやっていて、そういう感動に出会うのは稀ではありません。 なぜなら、人の運命を観るのに、感動がないはずがありません。 あ、では、やっと、 本文です。 ご紹介をするコメントは、 どれも女らしい自分の生き方を見つめた真面目さに溢れていて、 心が打たれました。 『天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学』の 記事の前半部分にいただいものが含まれます。 天皇家の話を自分に置き換えて考えるのは全く分不相応なことですが、 ほんの少し(?)重なることがあり「なるほどなぁ~」と思うのでした。 夫の父親の代まで、 それはそれは『優秀』と言われる家系だったようですが、 夫の兄弟・いとこの代から「?」と思わずにはいられない... その子ども達(つまり、我が子や甥姪達などですね)を見ても 心配になるほどです。 私は恋愛結婚なのですが、 結婚後、早々に「夫と結婚した」というよりも、 「婚家の先祖に呼ばれた、招かれたに違いない」気がしました。 もちろんそんなことは誰にも言いませんが(笑) 私の役目は婚家を守ることーそんな風に感じるのです、 違うかも知れないけど。 自然にそう思えるから「子育て」も喜びであり、 自分の役割(母、妻)が誇りに思えるのです。 養子を取らない限り、 我が子達しか『家の姓』を名乗れない状況に来ています。 「大学進学は当たり前、ウチの家系は 東大もしくは学習院しか選択肢にない」 私はそんな婚家を守り継いで行きたいと思っています。 私のすることは、 「東大でも学習院でもなく、 ましてや学歴にこだわらずとも家を守り継いで行くことはできる」 ・・・そこにこそあると思っています。 私がこの家に入ったのはその為だったとしか思えないのです。 最初は義母には結婚を反対されたのです。 でも最初だけです。 婚約以降、義両親や親戚とのもめ事・いさかいは一度もありません。 長男が高機能自閉症であったことも深い意味がある様な気がしています。 障害名のラベルに惑わされず、 予想以上の成長を見せているのも空からのお守りとしか思えません。 有り難いことです。 非常に、感動的なコメントで、驚かされました~。 ご自分の心の中を深く見つめられて、その結果として、 真摯な生き方の綾織りを紡いでいらっしゃる。 「夕鶴」の つう ですね! ほほ。 女性よ、こうあれ! という見本です。 誰にも使役されていない、束縛を受けていない、 時の軽薄な思潮にも汚されずに、 目には見えないけれど、 自らの使命を知った自発的な自律的な生命力が感じられます。 見事な全体感と、包括的な情緒、没我的であろうとする存在は、 ものの見事に、自立しようとする女性なのね! 貴女のようなお嫁さんをいただく家と言うのは、 積善のご先祖がいらっしゃるはずです。 その立場や関係はフラット(きっかり同じ)なのですよ。 ちょっと、 ここは西洋科学の認識も役立てて見ましょうか? あはは。 進化論を発見したチャールズ・ダーウィンは、 進化の摂理について、 「生き残る生き物は、強いものではない。環境変化に耐えうるものだ」 ある意味、学歴で武装する必要はないのです。 その人を生かす学歴でいいのです。 前頭葉を使いすぎると、動物脳が退化するのかしら? と思わせられる事例が多くあります。 高学歴の男性が、結婚をしなくなっています。。 。 陰徳がなければ、『陽』の部分でどんなに努力をしても実は実らない。 花も咲かないようです。 あ、学歴を否定しているわけではありませんよ。 あは。 人には、学歴ではどうしようもない持っている運があります。 斉藤祐樹くんの、「僕は、持っている、、、」のあれ? かれは、本当に持っているのかしら? あはは。 貴女の陰徳で、見事な織物が出来上がる事を祈っております。 素敵な拍手コメントを、ありがとうございました。 もうひとつのコメント、今回は、ご紹介だけになります。 お返事は、次回の記事へ廻します。 みなさまも、ごいっしょにお考えくださいね。 よろしくおねがいします。 今回の記事もかなり胸に響いて来てます。 男系とか女系とか、詳しい事はわかりませんが、、、 皇太子ご夫妻もそうなんでしょうか? 雅子様ご自身も、ご姉妹だけですし、、、 生まれて来た子供は愛子様・・・女の子ですよね。 自分の置かれてる状況に置き換えて見ると、 cosmosさんのおっしゃてる記事の内容が何となくですが、 わかってきました。 ただ、まだ自分の心が何となくですが定まっていないので 記事の内容が、チクチク胸に刺さって来るんですよね。。。 日々、反省しています。 運命学に段々興味が湧いて来てます。 まじめなコメント、率直な思いをいただいて、 煽られているような気持ちになりました。 ほほ。 このお返事は、よく考えて次回に書きます。 長くなるようなので、ご了承ください! 直球の拍手コメント、ありがとうございました! ブログの読者のみなさまも、ご自分の周りを見回してください。 『陰徳』の表れ方、『陰』のパワーの姿を探してみて、 ご自分のデーターを集めてください。 科学のやり方を、真似てみましょう。 あはは。 ブログの記事の今回のテーマ、 『天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学』の 最後は、女系の最後の一人娘、孝謙天皇・称徳天皇についてです。 その内容に行くまでに、 理解しやすくなる為に、 身近な女系化と断絶化を探ってみてほしいと思います。 運命学的な観方の深さについての訓練です。 あは! では、よろしく。 いい週末をおすごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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01/22 17:06 |
家系の女系化 ・ 女性の 『陽』化について (コメントのお返事)Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() 1月の那須高原・森 今日も、いただいたコメントから、始めます! 前の記事で、最後にご紹介をしたコメントからでした。 皇太子ご夫妻もそうなんでしょうか? 雅子様ご自身も、ご姉妹だけですし、、、 生まれて来た子供は愛子様・・・女の子ですよね。 そのとおりですね。 あぁ~! 皇位継承第一位の皇太子ご夫妻、 なにか心苦しい心持ちが致します。 しかし、運と言うものが、人間のどんな身分や地位にも関係なく、 ひとしくその法則に従っているのだという事を理解するには、 実はこれほど中味のある例題はないのではないか、と、 思ってしまいます。 西洋には、こういう時に役に立つさまざまな神話や神が創られています。 この場合は、差し詰め「Justice・公正」の女神でしょうか? (笑い) タロットのJusticeは、両手に剣と均衡を計る秤を持ったカードです。 なるほど、公正でなければ剣でやっつけられるのですね! こわい~ Justiceの名に懸けて、公正と正義のために... このコメントのお返事をさせていただきましょう。(笑い) 桓武天皇以来、一系で続いた天皇家が、 国民統合の象徴であるわけですから、 次期天皇になられる皇太子のご家庭で、女系であると言う事は、 その本質は、日本全体が、同じような状況であると言う事です。 アルキメデスのU管の模型を想像してみると、お分かりのように、 片や天皇家の皇太子家、方や国民の家々、その水位は、等しいのです。 皇太子の家の女系化が示すのは、 日本中に女系の家が増えているよ! あぶないよ! 日本の社会において『陰陽』の中庸が犯されている! と、『天』の、その中庸を守れ!と言う注意模様でしょう。 模様、空模様、良い兆し、悪い兆しとなれば、 これらは天候の思わしくない移り変わりのように悪いきざし、 嵐の前触れ、現状に恐れを抱け!という事でしょうか。 天皇家と我々国民が、同じ悩みを持っている。そう言う事です。 さぁ、どうするのか? まだ、一縷の望みが絶たれた訳ではありません。が、 この国の哲学者、思想家たち、しっかり知恵を働かせてほしいです! この国の、国家の財政の危険度といい、 国の経済のパイが縮み始めている高齢化、人口減少といい、 天皇家の男系の血統の危なさといい、 これら3つの問題は、根っこは同じです。 国の陰徳が亡くなっている危険性。 陰徳を積んだ家々が少なくなって絶家が増えている脆さ。 陰徳を積む人間より、陽報ばかりを追いかける人間ばかりが増えている。 そういう現象を見過ごしているからです。 その上、これらは政治が、解決する問題ではないはずなのに 国会で議論をして法律を改正して解決しようとしている、、、 そんなアホなことを! (笑い) 本源的には、法律で解決できるようなものではないのです! 政治が片付けられるのは、政治より下の経済の次元程度で、 政治よりもヒエラルキーの上にある、これらの諸問題を扱えるのは、 ピークにある哲学、思想です。 つまり、 これらの原因は、 国に、政治や経済の羅針盤になる哲学、思想と言う背骨がないからです。 それなのに、何事も国民に選ばれた議員が国会で決めたと言えば、 だれにも文句を言わせない? 従わせる? つもりでしょうか? あはは~! 笑うしかないです! 何事も権力者の言う通りにするのだ! ? 国会の決めた男女平等に従い、女も男と同等な労働力を行使しろ!と? 哲学の男女の特質、本質論を掘り下げないままに、 思想の裏付けのないままで、 法律上の男女平等論だけで、 真の人間の平等が実現できるわけがないのに、 法律上のロジックで人を縛り、騒ぐのは、あまりにも程度が低すぎます。 権力の横暴を監視し、唯一権力の低俗さを批判できるのは、 哲学、思想しかないのに、です。 そう!わが国には、政治を監視する哲学が、ない! こういう堂々巡りを、延々としている国家と言うのは、 国家としての理念がなく、その上の哲学がなく、思想がないからです。 ゆえに、自然な男女の別が、正しく敷衍されていない。 その価値観が、現代の人々のなかで、混迷している。 汚濁している。 純粋でない。と言う事でしょう。 このままでは、思考が濁って来ますよ! ここで、先へ進むのに、まず、 お断りをしなければならないのは、次の事です。 昔からの「家」という概念は、 戦後のGHQの日本の民主化の政策として、破棄されています。 厳密に言えば、 今は、旧民法における封建的な家長的な家制度は、 法的には無くなっている。 それと、ごちゃ混ぜにされては困るな、と言うのは、 ここで言う、家系、男系、女系、家と言うのは、運命学における言葉です。 どうぞ理解をしておいてください。 男系と、女系については、今回は触れずにおきます。 また、機会を見て、詳しく記事にしようと思います。 まず、一般的に、鑑定のご相談に来られた場合において、 運命学的には、生まれ出た出生命式を鑑定する事で、 女系の生まれであるとか、子孫運、家庭運があるのか?ないかのは、 一目瞭然に分ります。 みなさんに分かりやすくするには、今の西洋文明の合理性、 抜け穴だらけの意識中心の学問体系の中の知識を使った方が、 分かりやすいと思いますので、 きょうは、家系の女系化、不妊症の増加、女性の男性化、つまり、 女が女でなくなる現象の原因を、 ちょっと肉体の構造から攻めてみようと思います。 なにか、肉体に観点を置く説明の方が、 分かり易いと言う状況そのものが、 我々の、物質文明のなかでの思考という気がしますね。 前回の記事に、次のように、 前頭葉を使いすぎると、動物脳が退化するのかしら? と思わせられる事例が多くあります。 高学歴の男性が、結婚をしなくなっています。。 。 陰徳がなければ、『陽』の部分でどんなに努力をしても実は実らない。 花も咲かないようです。 と、書きました。 高学歴の男性と同時に、高学歴の女性の体の中にも、 著しい変化が起こっているのではないか? これが、私の単なる妄想だったらいいのですが..... 女性は、初潮という生理現象があります。 月経という言い方もします。順調なら28日周期の子宮からの出血です。 初潮が始まる=妊娠可能な体になった? のでしょうか? いいえ、そうである個体もあれば、そうでない個体もある。 妊娠出産機能の成熟は、月経の始まりから思春期を経て、 少女の体の中で成熟していくものなのだそうです。 どの位? それこそ、女性の体の個人差に拠ります。 妊娠出産機能が、少女の体の中で成熟しつつある期間、 生活リズムを狂わす遊びや、過酷な勉強、激しい運動をやり過ぎたり、 精神的なストレスから来る血行不良で、冷え性になるとか、 ダイエットによる慢性的な栄養不足や、その他さまざまの要因が、 成長を阻害したり、ホルモンの内分泌を狂わせたりして、 子宮が正常に成熟しない場合、子宮卵巣の発育不全が原因になって、 卵巣から排卵がない無排卵性月経になれば、妊娠はできません。 テニスプレーヤーのクルム伊達公子さん、一時引退をして 不妊治療をなさっていましたが、妊娠できずに諦めて復帰しました。 他の女性アスリートの人も心配になりますね。 高橋尚子さんも、荒川静香さんも、真央ちゃんも、 他にもたくさん思い浮かぶわ・・・心配です。 もちろん、アスリートとしての記録も名誉も大事でしょうが、 でもね~? と言う心配する”老婆心”が... あはは。 また、情緒と、体の生理機能は、頭の後ろ、首の上あたりにある視床下部、 そこの自律神経系と結び付いていて、 ”女に生まれて損をした。女っていやだなァ”と思う心理が、 生理をストップさせ、不順にしたり、生理が来なくなります。 過酷な競争社会で、女らしくあると言うのは、並大抵ではないのです。 雅子様も、なにしろハーバード大と、東大卒ですから、 血液は、前頭葉へばかり流れて、、、(笑い) もちろん、ホルモンの分泌などにも影響をするでしょうし、 本能や生殖を司る旧皮質に栄養が、巡らなければならなかったのに、 学問を頑張られている間に、さぁ、どうだったのでしょうか? テレビなどでよく見るのが、体の使っている部分を司っている脳の部位が 充血して赤くなると言う映像など、 酸素が働いている脳の部位に血流で運ばれて充血する脳の映像です。 何事もそうですが、肉体は、偏って使ってはいけないのだと思います。 特に、女性の体は、繊細ですから、 大事にしなければいけませんね。 具体的には、知識教育をされた高学歴の女性達は、 『陰徳』を知らないまま、『陽』の世界ばかりの教育を受けて、 知恵よりも知識の方が、断然! 目で見えて計算できて、 説明なしで解りやすいですもの! 取り込みやすい。 最近の母親は、必死でそうしろと言うし。 。。 (笑い) 本来の女性の本分である『徳』性より、 資本主義の「利得」に魅力を感じて、能力を傾けるようになります。 幼児期から、どう言う名目があったにせよ、 本質的には利益獲得の至上目的の為の知識教育の中で、 利益や効率を追求する『陽』の中で、生きる事を選んで行きます。 理性的な女性なら、尚更です。 『陽』の世界で生きるには、 女性らしく没我的でいられるはずはありませんから、 男に負けないように頑張って行く事を、取り柄にするしかありません。 彼女達はかわいそうですね。 彼女たちの目標は、物質文明の中で達成されます。 物質文明の魔王にとっても、それは都合がいいからです。 魔王は、命を道具としか見ません。物としての命が大事なのです。 子供を産まないという選択をする女性が、魔王の好みです! その代わりに、 魔王は、彼女達の手の中に、目先の「得」を握らせます。 そして、魔王の言うなりになる可愛い彼女の自己主張のパワーを拠り所に、 男性を凌駕する力を与えるはずです。 《 魔王の言いなりとは=自分の欲望の言いなりになる事です。 》 韓国の古い諺に ”雌鳥(めんどり)の声が大きく鳴く家は、滅びる”とあります。 これは、現代においても守るべき良識なのですね。 あはは。 (雌鳥=女性の声が大きく響く家は衰微する。理由は男がだめになる。) 『陽』になった彼女達は、帰る家もなくなる。そういう諺です。 運命学的にも、最後、病身で貧しく孤独と言う3つの凶運に陥ると観ます。 知識を杖にして生きる視野の狭さと考えの浅さが、すべて原因です。 その上に、まず、傾向として、 知識教育、学歴社会で成功した女性は、 自分が、達成欲や、支配欲、競争原理に勝ち目があると、 自信を身につけていますから、 過去のような結婚をしたがらない。 自分一人で生きて行ける可能性も手に入れようとします。 結婚を、と考えるとしても、 自分が影の役割をする結婚形態に、進んでハマル意欲はない。 物質文明の合理性に合う、都合の良い結婚を望むでしょう。 なぜなら、平等が眼で見える形で安心するからです! あっはあ。 そして、自分が”徳”ではなく、”得”だと思うからです。 すべて目に見える部分の価値観でいいと思っています。 これこそが、『陰』の衰退なのです....。 全ての面で男性と対等を望むようです。 男女平等と言う、人が法規上に作り上げたロジックを頼って、 それは、いまだに未熟な観念的な男女平等と言う概念でしかないのに、 それを丸呑み信じて、自分の一生を投じてしまう。 利己的な特攻隊みたい~! あはは。 玉砕をするのが、恐くないのかしら? 健気さと言うには、あきれるほど思慮が幼く、 考えてみれば頭がいい割には、あまりにも単純過ぎる。 学歴や、知識欲で幸せになれるという原理主義的短絡性を併せ持って、 利発な彼女たちに、自分の足元を見えなくさせているのは、 他人に勝ちたいと言う自分の欲望の達成のため? 驚くほどのエネルギーを発散していますね~。 あは! 皮肉? 男女平等と言うのも、まだ社会においては実験段階であろう。 同じように働いたからと言って、そう簡単には平等にはならない! 社会のまだ実験的な仮定にしか過ぎない条文ですよ。 人間の意識が作った観念は、 あくまでも、ひとつの仮定に過ぎない、と 冷静に見ていく事が必要でしょう。 おそらく、男性社会の中で成功をした、成功をしようとする意欲のある 女性の中から、事実婚、夫婦別姓の考え方が出て来るのは分かりますが、 性急に決める事はない。これこそが間違いの元凶になってしまう。 頭だけで構築した計算の上に、全てが手に入ると錯覚をしている。 どういう錯覚か? 林檎狩りに山に行った時に、 真っ先に一番乗りで、一番大きな樹を目指しても、 一山全部の林檎を採る訳には行かないのです。 あなたが持って帰れるのは、 あなたの籠に入るだけの、持てるだけの林檎だけです。 今はもう、、 女性のすべてが、『陰』の貯金を持っている時代ではなくなりました。 それは、やはり、時代の視野の狭さと考えの浅さが、災いをしています。 これらの記事は、女性へ向けた内容です。 今、女性がこうあると言う事は、裏返せば男性も『陽』である事が、 難しい時代です。 男性のあなたは、気遣いなく、『陽』の働きを存分にしてくださいね。 競争をし、計算をしなければ、それが役割です。 持って生まれる運、『陰徳』は、決まった量です。 自分の為に、自分が生きている間に、『陰徳』を積むなんて言うのは、 ほとんど難しい話です。 ご先祖さまが貯めて置いてくださった『陰徳』がほとんどですから。 どうでもいい事や、代替が利くものに無駄に使わないように。 あはは。 掛け替えのないものに、ここ一番で使うのです。 早く、一時に使ってしまえば、後はどうする? あはは。 それが、分っていないのです。 いそがしい時代です。 『陰徳』を、早くに使って空っぽにしないようになさってください! 先は、まだまだ。 あなたが使わない『陰徳』は、子孫に遺すのもOKなのですよ! 『陰徳』は、ケチケチ使いましょうね。 あはは。 次回も、コメントのお返事です。 インフルが流行っているようです。 お気をつけて、よき休日をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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12/11 00:43 |
女性の生き方 ・ 『陰』について ② ー 木根道 ー (コメントのお返事)Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() モノクロで撮ったわけではないのですが、白黒の世界です。 靄(もや)に煙る稲荷山の四阿(あずまや)から見る下界 まだ午後2時なのに、、、 もう、暗い~。 次の文章は、2010年の冒頭1月4日に書いた記事からです。 自然とバランスを取り、 内的に強い誇りを持って生きるということは、 外面を他者と比べたり、 虚飾や見栄を張る生き方から遠ざかるようです。 自然のきびしさに立ち向かう自制心と、 その恵に守られる畏敬感謝の精神、 自然に対峙し生延びるセンス、 伝統的に受け継いだ生きる平衡感覚、 それらが鈍くなった時に、 民族の力というものは、 衰えていくのかもしれません。 相変わらず現代の緩(ゆる)み切った日本を見る時に、 それらが鈍くなった時に、 民族の力というものは、 衰えていくのかもしれません。 この実感は、2年前から、今もなお心の中に在り続けています。 この一年も、あともう少しですね。 振り返ってみると、ちょうどその頃、 2年前から始めた登山の趣味も、 自分なりの魅力に取りつかれて続けております。 先々週、足慣らしに高尾山へ行って来ました。 大雨の予報が、そのまま当たらなくて幸いでしたが、 絶え間なく降り続く小雨の中を、 登りは、薬王院の奥の院から山頂へ。 山頂では、茶店の温かいお蕎麦を食べて、 稲荷山展望台を通るコースで下山。 雨で閉まった山頂のお土産屋さんの軒下では、 挿した傘の中で、立ったままお弁当を食べている方が多かったのですよ。 どんな目に会っても山が、好きな人ばかり! あは。 今日の記事のすべては、その下山途中の感慨です。 山内は、雨中にもかかわらず大勢の人で混雑していました。 奥の院から頂上への山道は細くて、 登山者が多くて、進めない位に渋滞をしていました。 夏の富士登山も何十メートルも数珠つなぎで頂上まで続くのだそうです。 どこも日本は狭いなーー。 何度も行っている山道ですが、 今回は、〝木根道・きのねみち”に目を奪われました。 どうしてでしょう? いつも同じ道を通りながら、 目に入っていなかったのでしょうね。 次へ載せました2,3の写真は、 片手で傘を差し、片手で携帯を持って、、、、、ほっ。 下山をしながら撮影をしたものです。 まず、ご覧になってください。 ほら! 雨水に土が流されて、、、 こんな山の通り道になってしまって、、、、、 雨に煙る ”木根道 ・きのねみち” です。 ![]() だれも通っていない瞬間を撮ろうと、 後ろの集団が、私に追いつかない内に、 前を歩いている人が、左に曲がって見えなくなるのを待って、 シャッターを押したものです。 この一瞬後、 もう背後から人影が、ぞくぞくと、、、 この雨道を歩いて画面に入って来てしまったのですよー。 まさに、ラッキーなチャンス! 誰も写りませんでした! あはは。 山道は、自然なら木根道が多いのです。 雨で光っていたからでしょうか? 木の根が、こんなふうになって地上で絡まり合う様は、 印象的でした。 なにか、お感じになるかしら? 普段は、靴で踏んで歩いているのに、 こんな風に、眺めた事はないのです。 まして、写真に撮ろうなどとは思いもよりませんでした。 〝木根道・きのねみち”とは、 木の根っこは、 本来は地中へ伸びて行くものですが、 地下の岩盤が固くて、下に向かって根が張れない場合に、 仕方なく地表から浅い所に張りめぐるのでしょうね。 その地表から浅い所に張った根の上にかぶさっている土が、 雨などの水で流されて、浸食されて, 根が、地上に出てしまうのです。 こんな根がある為に、他の植物が生えて来ないので、 ちょうどそこが、登山者が歩きやすい道になるのですね。 鎌倉の山道も木根道が多くあります。 また、東海道自然歩道では、比叡山から京都へ入る道が、 木根道で有名なのだそうです。 (歩いた事は、ありません。) 登山道に脇に生えているヒノキの根元です。 この木を支えるのに、こんな大きな根が、、、 ![]() これらの根は、一本の大きな木から出ています。 ![]() 根の上の方、樹木を見上げると分かるのですが、 幹から伸びている枝ぶりよりも、 その何倍も、大地を這う根の広がりの方が、広い、大きい! のですよ。 季節的には、今は、新芽が芽吹く時ではありません。 冬に向かう葉はどれも硬く、冬に備えた準備態勢です。 しかし、根はどうでしょう? 驚くことに、、、 白い真新しい新根が、いっぱいに、、、 写真には細かくて写っていませんが、 細い新しい根が、登山者達の靴で踏みちぎられて、 まるで楊枝をばらまいた様に、一面に散らばっていました。 弱弱しい引きちぎられた可愛い新根たちです。 痛々しい感じで、おー、可哀そうに、、、 それでも、やっぱり、根は、強いのですね。 ほっ。 葉や花が、来年の春を待って準備に隠れている時に、 幹が、活動性を抑えて、冬に備えようと云う時に、 根は、それでもまた、新しい根を無数に伸ばしているのです。 無数の犠牲者を出しながら、、、です。 なんと感心な事!!! 地上の『陽』の活動性は止まっているようにしか見えないのに、 大地の中、見えない『陰』は、活動を継続している! 雨の中のヒノキの樹を見上げながら、 根のたくましさに、枝より太い、その根の力強さに、 感心しきり、 雨の中、見とれてしまいましたー。 ほ。 今年のブログ記事は、 陰陽の『陰』、 意識、無意識の『無意識』に光を当てて来ました。 最後に、 ここよ! ここよ! これを書いて! と、 木根道に、言われているようで、 あはは~ 今回の足慣らし登山は、 木根道が気になって、写真まで撮ってしまったと云う次第です。 ![]() ★ 前置きが長くなりました。 今日は、1月15日の記事 女性の生き方 ・ 『陰』について ① 以来の10か月ぶりの 女性の生き方 ・ 『陰』について ② の記事になります。 前回の記事にいただいたコメントから紹介します。 自分のして来た『陰』の本質の部分は、 自分が生きているうちには見届けられないように思います。 大事なものが我が子に届いたか、 その子が次の世代に送れるか、 その次も、ずっとずっと先まで続いていくか...。 花は咲かない時があっても問題は無いけれど、 根が腐るわけにはいきません。 花の美しさは一代限りですが、 根が健康でなければ枝も幹も...全てが終わってしまいます。 今の時代は子育てに優しくないです。 子どもに残酷なことばかりです。 そこまではほとんどの人がわかっているはずなのに、 やっていることは根絶の方向に進んでいるように私には映ります。 『母なるもの』をしっかり抱いて成長した人は、 どんな状況に置かれても折れないです。 今年、あらゆる場面でそれをはっきり見られたのではないかなと思います。 男性でも女性でも、自分の中にある『母なるもの』は 次世代に繋いで行こうとしているはずです。 女性はその役割を男性以上に担っていると自覚したいですね。 ほんとうにそうですね! 木根道の記事にぴったりのコメントを、ありがとうございました! 花の美しさは一代限りですが、 根が健康でなければ枝も幹も...全てが終わってしまいます。 あははー。 そこなのですよ。 よく気が付いてくださって... ここが、『陰』が本体と云う意味です。 『陰』が、『陽』を産んだのです。 植物は、種は、まず根を張ります。 『陽』は、 根があるから、安心をして、根の栄養を十分に吸い上げて、 季節の『時』、『天』に呼応して伸びるのですね。 ここが重要です。 自分勝手気ままに、欲望のままに生きている訳ではないの、ね! 自然のいのちは、すべてそうです。 宇宙の律動に沿って生きています。 そう、自然に生きたい。と、それが、欲望なのですね! また、 根は、生きて、何百年も、ひょっとしたら数千年も存在します。 それに引き替え、 葉や花や実=『陽』は、美しいけれど現象のみの姿。 原則は季節毎の現象です。 幹は、枯れて切られてしまう事もありますが、、 根が残っていれば、 幹の切り株からヒコが生まれて出て来ます。 つまり、『陽』は、 『天・時』に従って顕在化する現象にしか過ぎない。 現象は、必ず移り変わる。 そして、『時』によって最後は、現象は消えます。 何もなかったように、すべて消えていきます。 あの夏の暑さも、台風も、消えてありませんでしょう? 3,11の地震も津波も、すべて現象でした。 つまり、これが無常なのです。 その無常な現象を、捉えるのが、我々の五感です。 その時、『陰』は、どこに位置するのか? 現象を起こす『天・時』を貫く本質の部分に在ります。 ゆえに、『陰』は、無常ではありません。 木に例えれば、 木と云う植物に、永遠の命を吹き込む本体として、地中にあります。 地中とは、視覚の到達できない見えない世界。 =無意識の世界になります。 あ、もちろん、掘り返せば見る事もできますが、、、 地中にあるままを、そのまま見れる訳ではないですね。 掘り返せば、地上と同じ、 陽に変化をした土くれに過ぎません。 だから、『陰』、は見えません。 我々の五感では、捉えられないのです。 前回、 ひみつ。 と申し上げたのです。 この説明で、『陰』、『陽』の2つの違いと存在を認識する事は、 難しくはないですね。 でも、この認識を、このままを置いて、 『陰』と『陽』は、2つの存在と捉えるだけなら、 西洋の二元論の認識でしかありません。 西洋の二元論の世界観が、いかに浅い認識論で成り立っているか? 西洋は、目で見える=五感の世界、 ここまでの認識論です。 翻(ひるがえ)って、 東洋の智恵のすばらしさは、 『陰』と『陽』を、 現象界における二つの相として分けておきながら、 ------------------------------------------------- 機能、その相対的関連性は、一つである。 と見抜いた事なのです。 ------より上は、『意識』=五感の世界の認識です。 ------より下は、『無意識』の世界の認識です。 見抜くと云うのは、目で見た、と云う事ではないのよ。 あはは。 今の科学では、 太陽光による葉の光合成によって作られたでんぷんが、根に蓄えられる。 と云う知識は、生物で習いますから誰もが知っています。 その生物学もなかった3、4千年も前に、 東洋、中国では、 『陽』の役割は、、 その社会活動によって得た生産物を、『陰』へ送る。 『陰』の役割は、その生産物を受け取り、蓄え、 自らが、地中から吸い上げた水分や栄養素と共に、木全体へ供給する。 と、陰陽相互の働きを見定めておりました。 それを、陰陽相対と言います。 『陰』=根は、どこから水分や栄養を吸い上げるのですか? 答えは、目に見えない地中です。 つまり、意識化されていない無意識の領域からです。 何を吸い上げるのですか? 水 = 智恵です。 『陰』の根が、智恵を『陽』へ送るのです。 『陽』は、その智恵で伸びて行くのです。 お分かりになりますか? ほっ! これが、男女の役割でもあります。 あと根が吸い上げる物は、 地中のミネラル(金属)、地中の酵素などなどですが、 ここでは、これらは省きます。 つまり、『陰』は、 五感で掴む事のできない(意識化されていない)無意識の領域から、 五感で掴む事のできない(意識化されていない)物を、 =ひみつ を『陽』へ送るのです。 その代わりに、『陽』から、 天の恵みである太陽エネルギーによる社会活動性が生んだ 生産物(でんぷん)を送られ、蓄えます。 そして、木全体に いのち の永続性を、供給するのです。 これが、生命の活動性そのもの、 いのちは、陰陽の混然一体となった上に、 永遠の営みの表出としての『時』=『天』に従った現象を生むのです。 『陽』=現象世界の根源は、『陰』なのです。 だから、『陰』を創造性の本体と言うのです。 くりかえします。 意識で捉えられる世界、 枝振りや、葉を茂らせ、花をつけ、実を成らす事は、 分かりやすい成果かも知れません。 しかし、それらは、あくまでも現象世界の『陽』の範疇です。 いつか、時と共に衰え、姿は変わります。 『陽』の本質は、偽です。 嘘なのです。 つまり、 物の現象面の変化をいくら追っても、真実は分からないのです。 物の現象面の変化を追いかけるのは、我々の五感です。 それを合理に積み上げたのが、近代科学です。 それを思想的に極めたのが、近代化をもたらした近代合理主義です。 これが、現在の我々が、無頓着に頼って、拠り所にしている思潮です。 どんなに片手落ちの思想か? 真実を隠している思想か? もう、気が付いてもいい時期ですね。 『陰』に例えられる根は、樹の一生で変化をしません。 『天』の時、季節によって変化はしません。 これは、ある意味、永遠を象徴している存在だと言えます。 これが、『陰』、 『無意識』の世界にあるものこそが本体なのです。 いかがでしたでしょうか? 根を張る事、 それが、女性の生き方としての役割だと、最高の誇りを持ってください。 男性の側も、 見せかけ美しい姿や、稼ぎのいい女性がいいなんて! あはは。 冗談でも思われませんように... 男性の、貴男の社会活動性を運よく運び、多くの成果を出すのも、 貴男を守る女性の持つ『陰徳』の力です。 飛行機が飛ぶ。 車が走る。 飛行機や車自体が、飛ぶ力、走る力を持っている訳ではないでしょう? 飛行機を飛ばす力が、あって、 車を走らせる力が、あるからです。 飛行機や車が、男性。 どのような高性能のエンジンが搭載されているかは個々の問題です。 それを動かすエネルギー源が、女性。 どれ位の高効率なエネルギーなのかは、個々の問題です。 その両方が、揃って初めて、 飛行機も、車も、走るのです。 どちらかだけなんて! 前にも、後ろにも、進みませんね! あはは。 高性能なエンジン搭載車の貴男は、 高効率な智恵と陰徳を持ったエネルギー源の奥様に、 最高に飛ばし走るエネルギーをもらってくださいねー。 あはは。 陰徳深き智恵にあふれた女性の貴女は、 高性能なエンジン搭載の夫と云う車を、 どこまでも遠く、なによりも早く、走らせ飛ばしてください! ほほほ。 では、 残り少ない年の瀬、 風邪など引かれませんように、ご自愛ください。 また、 よき、一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/08 11:47 |
女性の生き方 ・ 『陰』について ③ - 苦を引き受ける - (コメントのお返事)Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
![]() 新宿御苑 ヨコハマヒザクラ(イギリス庭園) 今日は、女性の生き方 ・『陰』について ③ - 苦を引き受ける - ( 命の継承と運命 8.)シリーズの 功利と近代的自我の残骸 3. / 肥大した少陽 の記事に 3月1日にいただいたコメントへのお返事です。 本来は、鍵コメントなので秘密を希望されているのですが、 わたしの勝手な判断で公開させていただきます。 ひとつは、ご質問へお答えしますのに、答だけの記事では何が何やら 読者の方にも、ご本人も、分らないのではないかと! どうか、ご了承くださいね。 ”いつものように今回の記事も何度も読みました。 今日ふっと思ったのは、 私は、(近代的)自我を通すよりも、 陰徳を積むような生き方の方が心地よいと感じるということでした。 運命学を信じる・信じないという以前に、 そう生きる方が意識上でもしっくり来るし、 何よりも 魂 が喜ぶ感じがするのです。 そして、そうすることで実際に困難も乗り越えて来たし、 周りには有り難いことが起こるし、 家族全員が上手く行くようになってきたんですね。 それで疑問に思ったのですが、 個人の命式と、その人の人生の選択とを照らし合わせて見る時、 近代的自我にまみれた(?)命式の女性が、 自分の欲を押さえて家庭を支えるような生き方を選択することは、 「その人自身の運命に逆らう」ということにはならないのでしょうか...? ” これは、かなり高度なご質問ですよ! あはっは。 と云うのは、 このブログをよく読んで下さらないとできない質問だわ! ほっ。 前半の部分ですが、 いつも記事を何度も読んでくださって感謝致します。 さすが、ですね! 何度も読み込んで、無意識で深くお分かりいただいた証拠です。 このブログは、記事をなるべく、理論的に書いていません。 わざと、理論で解るようにしていないつもりなのですが、 そうは云っても、なかなかそれはむずかしい、、、です! 理想は、言葉に頼らずに、無意識へ流す。 そして力だけを伝播する。 それが理想です! 理論は意識です。 束の間の正義を強情に言い張ります。 意識で解った事は、すぐに忘れますし、、、 あは。 作ろうとすれば理論・ロジックは、無数に作れます。 「理」は、ほんの一面の事しか掴まえられませんし、、、 ロジックと云うものは、その時の利害で変節します。 意識の作為したロジックは、ウソつきなの! 理論・ロジックは人を騙します。 意識が産んだものですから仕方ないのですね! しかし、「理」は、有効な道具ではあります。 できるだけ理論的な説明は排除したいなぁ――。 しかし、直感的に分かる事や、 文字に書き表さない=意識化しない=無意識下に伝えるものは、 無形ですが、あなたの心の中で芽を出します。 読者が、心の中で育てる物です。 確実に、真実として自分のものとして分るようになります。 それを期待して記事を書いています。 (育ちにくい場合もあるわ、 あっ。 原因は命式です。) 願っているのは、あなたの自立です。 (どこやらのタレントと占い師? とは違います。 ほほっ。) そう云う意味で、 『陰』の意味が、意識の上でも掴めるようになってらした。と、 それは喜ばしい限りですね。 私の狙い通りですね! あはっ。 それは、不幸の淵から離れた。しあわせの軌道に乗った。 そう云う事ですよ。 体験をされたらよくお分かりになるでしょうが、 バランスの調れた生き方になって、不思議なのですが、 意識が欲しいと思ってもいない事が、身近で起こります。 全部自分の周りを守る出来事としてです。 私事になりますが、 そう云った体験を運命学の教室で、よく生徒さんへ話をします。 守られているんですねー。 ごほうびみたいなものですねー。 と感想を持たれるようです。 2年前にも、「わらしべ長者」のような体験をしました。 あ、私が大した長者になったと云う事でもないのよ。 あはは。 今昔物語集と宇治拾遺物語に入っているむかしばなし、御存知ですね。 あれは、単なる話しだけではない。 たしかに、そうなる事もあると云う事実を教えたんだな、と思いました。 言葉では表せないが、こう云う事があるんだ、と云う事が分るのです。 底流には智恵が流れ、無意識の世界が流れ出ているのね。 むかしばなしは、皆そうです。 だから、人の心を伝って千年を越えて人の心を捉えるのです。 ”家族全員が上手く行くようになってきたんですね。” 貴女の『陰』がしっかり根付けば、御主人の『陽』が潤い、 『陰・陽』の中庸の(調和した)両親の下では、 子供さんたちも生まれて来てよかったと、命が喜ぶのです。 家庭が、天の軌道に乗って、うまく回って行くと思います。 あぁ、それと比べたら、この際だから言いますが、 あはは。 ジェンダーフリーだ、夫婦別姓、男女共同参画社会が男女同権だ。 と云う狭い自我意識の器のなかで争う事など、なんてちいさいこと! あはは。 あ、 でも、誰でもそうですが、 人には、その人の持ち場、役割がありますから、 ジェンダーフリーを云う人もいれば、フェミニズムに賭ける人もいる。 いろんな境涯の、いろんな欲を持っている人がいます。それはそれ。 この世、現象世界を、仏教では『世間・せけん』と云います。 さまざまの差別相を以って生まれて来ている世界だと云う意味です。 さまざまな差別相と云う事こそが、あらゆる現象が具現している世界だと 現象世界と云う証拠です。 自分も現象のひとつであるなら、向こう様も現象に違いない。 ほ。 過去に自分が積んだ良い、悪い生き方の総決算を背負った姿をして生ま れている存在が、我々であると仏教は云うのです。 その違い=相、姿、立場に現れている差別相が、『世間』と云う意味です。 その世間の中で、いろいろな差異はあるけれど、 なにが基本か、本質をつかむ事が必要です。 結婚はするけれど、子供はいらない。と断言する人や、 そう生きる人が居るかもしれないが、それが基本になったら大変です。 あくまでも基本を大事にするべきです。 そう云う意味で、保守と云うものが全ての基本でしょうね。 その見本、『天』と『地』は変わりません。 あなたが、気づかれた『陰』の世界は、 ジェンダーフリーやフェミニズムより、徳性の世界です。 貴女は、意識を生み出す無意識の主=『陰』を自覚した女性です。 ジェンダーフリーやフェミニズムは、近代意識の範疇でしかない。 本質は、『陽』の闘争の世界。 競争、比較、他より勝ちたいのです。 つまり、男に勝ちたいのね。 あはっは。 そう云う命式を持ってお生まれになった人の立場だと解釈しています。 近代意識にはたどり着いたけれど、まだ無意識を知らない。 東洋の叡智に出会っていないのでしょう。 故に、偽の女性解放です。 では、後半の疑問、ご質問に行きましょうね。 ”近代的自我にまみれた(?)命式の女性が、” たしかに近代は、”まみれる!!” と云う表現がぴったりです。 近代と云う現代の人間の特徴は、 メディアの価値観に合わせてじぶんの人生を理解しようとします。 人気、お金、人目、それらに合わせる事が生きる事になっています。 ある意味、明治の人間の方が、芯がおありになった。尊敬できます。 なぜか? 近代化以降、人の価値観は、 五感に偏向していますから、感覚から入って来る情報が羅針盤なのね。 あわれ、情報で知った他人が味わった感覚の快感を、 わが身にも! わたしも欲しい! 同じように味わいたい!! と云う欲望で生きるようになるのです。 まして、皆、自由、平等と思い込んでいますから、 欲望を持てば、皆と同じように快感が自分のモノになると!?! ひとつの近代市民感覚意識中心宗教のようなものです。 この新興宗教の教義は、 みんな平等な市民、みんな自由、強く欲望すれば手に入る。でしょうか? 欲望が強く、それに合わせた努力をすれば手に入る。でしょうか? この教義は、根本的に、間違っています。 私達は、仏教の云う世間の差別相のまま、変わっていませんよ。 そして、自分の立場や役割に文句を云う市民ばかりになりました。 運命学でも、はっきり言える事は、 いくら欲しくても、命式にないものは、あるようにはなりません。 だれ一人、おなじ運命の人は、いない。 それだけ、立場や役割が違う、唯一の存在だと云う事なのです。 唯一の存在であると云う重みに耐えられないのかな? まして、まして、 たとえ作り物であったとしても、 フランス革命の自由や平等は、私達市民の為でした。 それが、いつのまにか、 法治国家が保障する自由、平等、人権の厚い保護のおかげで、 のーてんきにも自分を見つめ自分を知る事を放棄してしまったが為に、 のーてんきにもそれを自前の自由と平等だと自惚れてしまったが為に、 今や、物質文明の魔王に利用されて、 「 お前たちは皆自由で平等なのだ。 自由に欲望を持て! それを叶えろ! 平等に五感の満足を得てしあわせになれ! さぁ、自由に欲しいものを! 望むがままの物を欲しがって買え! 手に入れると目が耳が舌が、五感の満足でしあわせになれるのだ!」 あはは。 私たちを物質欲で均質化し、ついに私達を柵の中のヒツジの群れにした 欲望の原理を繰り出す魔王に気が付いてくださいね。 ほほっ。 誰もが群がる価値観=人気がある、お金になる、苦を捨てて楽になる、 それをあおって社会、経済が成り立っています。 近代化から142年、それから約4世代目の子供達が生まれています。 今の子供たちは、この空気にまみれて育っていきます。 大人だって、迷いながら、この教義にまみれて生きています。 そう云う” 近代的自我にまみれた(?)命式の女性が、 自分の欲を押さえて家庭を支えるような生き方を選択することは、” そうできれば、柵の中のヒツジを卒業したことになりますね! 臆病にも、あらゆる苦から逃げようと、 楽を求めて魔王の軍門へ下った柵の中から出る事です。 あらゆる苦を受け止めようと莞爾(にこっと笑って)として、 あはっは。 本当の現実へ立ち向かう根性ができたのですね。 おめでとうございます! 立派な成熟をした女性になられたのよ。 これこそが、自由。 誰から守られなくても、誰からも犯されない自由です。 自らが自覚して、自由に選び取った立場ではありませんか? 誰から言われた訳ではなく、貴女の役割に徹してください。 その中にこそ、『陰徳』があり、永遠が見えます。 まさに、 ”自分の欲を押さえて家庭を支える” 何かの為に自分の欲を押える=それ自体が、陰徳を積む事です。 誰かの為に、自分が苦を引き受ける。=積善=徳力を信じるからこそ =徳性がなければできない事です。 まして、永遠につながる命の継承の為に家庭を支える。 『陰』の存在である女性としての最高の自覚ではありませんか。。 じつは、『陰徳』とはこうなのよ、と説明できたかもしれませんが、 云えば、それは貴女へ届く単なる知識でしかありません。 知識としてお伝えするよりも、自覚で自立をしてほしかったので、 記事では書かないでおこうと思っておりましたの。 ほっ。 感動的ね! ここまで、私の記事をお読みいただいて、感謝です。 以下に書く事も、いつか記事に書こうかと思っておりましたが、 今日、言っておきましょうね。 貴女が為そうと思っているものは、『孝』に通じるものです。 孔子の儒教の最高目的は、『孝』です。 自分の親に親孝行、と云う狭いものではありません。 また、くわしくは、またの機会に書きます。 孔子の目的は、武士道で云う『義』や『忠』ではないわ。 ”「その人自身の運命に逆らう」ということにはならないのでしょうか...?” そう生きれると云うのは、貴女にとっての自然です。 命式の中に、そう云うものを持っているからこそ、 私のブログへお越しになり、何度も読んでみようと思われたのです。 それが、今? なぜか? ですが、 それは、貴女の命式の運行の『時』です。 運命学は、もっとも『時』を重視します。 全ては、『天』の運行から生じていますでしょう? 命は、動物、植物共に、『時』を経て生まれ、芽を出します。 私達は、物理的な時間を意識して時刻を計ります。 その時刻を経ないものは、この地上にありませんから、 貴女の種(命式)にとっての今こそが、その『時』だったのでしょう。 だから、物質文明の欲望さえ持てばと云うのは、ウソですね。 『時』こそ大事です。 欲望が、いかに強かろうと、『時』に違えば思い通りになりません。 どんな努力も、無駄になる。どころか反動になります。 それを、『時』が運んで来る『運』と言います。 運命学を、もう一度繰り返しますね。 命式にないものは、望んでも現象として出て来ないのが普通です。 だれもが、同じようになると云うのは、ナンセンスです。 すべてを均質化し、並べてしまう近代化の誤謬にだまされないように。 近代化の法治国家で人権を尊重すると云って、 法律で人の最低の生活保障を実現しようとしますが、 生活保護で人は、皆が同じようにしあわせにはなれません。 法律で保護をすれば、その保護を受ける中で、差異が現れる。 それが、『世間』の意味の本質です。 また、それが、『陽』の現象世界の本質です。 まずは、 個々の役割、立場を知る事こそが、しあわせの一歩だと思います。 近代化にまみれた我々が、ここへ行くには、かなりの段差だわ。 今日は、めったに記事にしないはずの事を書きました。 解らない方は、読み飛ばしておいてください。 また、いつか、 ウーマンリブ運動、フェミニズム、ジェンダー、バックラッシュに ついては、書こうと思っています。 今日の記事が、 女性にも男性にも、お役にたちますように、、、 よき、一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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05/31 21:46 |
コメントへのお返事 22. 近代家族 M家の場合 *離婚 *女の徳性Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
涸沢の夜明け・モルゲンロート(奥穂高岳・涸沢岳に朝日が当たる) 昨年 10月 2日 早朝5時57分 ![]() 写真をクリックしてみてください。 涸沢は、素晴らしい自然の聖域と云ってもいい所です。 奥穂高岳・涸沢岳に朝日が当たるのをモルゲンロートといいます。 涸沢全体は、この穂高連峰の影になって朝日は当たりません。 ちょうどこの奥穂高岳・涸沢岳の穂高連峰の向う側が上高地です。 上高地の大正池から見える北アルプスを後ろ姿としたら、 涸沢から見えるこれらの穂高連峰が、表の顔です。 山小屋での相部屋2泊目も眠れぬまま、あさ4時起床。 ストーブは、昨夜の9時の消灯と共に消されています。 手が凍えそうな水で洗面、まっ暗な外へ朝食の為に出る。 冷気の中、ヘッドライトを手に石段を照らしながら食堂へ下りて行く。 ホワ~っと朝餉の湯気が立ち込める温かな食堂では、 大勢の登山者がテーブルの空席を待っている光景が目に入って来ます。 待つ事しばし、、、午前4時30分、100人近い登山者と共に朝食。 朝餉を済ました後に仰いだ空には、 晴れを予感させるような空気の明るさがありました。 しばらくすると、すっかり夜が明けて、 まぶしい朝日のモルゲンロートが! 【上の写真】 昨日の到着時の天気は薄暗い曇りで、損をしたようで残念でしたが、 この日の涸沢は、良い1日になりそうでした! 今日の記事は、 コメントへのお返事 22. 近代家族 M家の場合 *女の徳性 今日、ご紹介するコメントは、昨年の11月頃に、 ある一人の読者から寄せられましたメールや拍手コメント、鍵コメントです。 その方をM家の奥様、Mさんと呼ばせていただきますね。 コメントをいただいてから、もうすでに6ヶ月が経過をしています。 Mさんが、御主人との離婚を、 心から望まなかったにせよ、あるいは、望んだにせよ、 コメントの中で係争中だとお書きになっている離婚裁判は、 もうすでに、その結果が出てしまっている頃でしょう。 もうすっかり、新たな生活の中で頑張っている、、、、、 そう想像をしながら御返事をさせていただきます。 私がMさんへのお返事を慌てなかったのは、 賢明なMさんが、私のブログに出逢って運命学を勉強されたとの事、 その事で、意識では捉えられなかった世界の存在を知る事で、 それなりの感慨をお持ちになっているようなのを、安堵したからです。 私が携わる東洋運命学と云うものは、 それだけでも東洋3,4000年の歴史を持つ東洋学の結晶ですが、 奥の深い東洋思想を学ぶ入り口としても、非情に役に立つものです。 ここで、はっきり申し上げておかなければならない事なのですが、 東洋思想と云っても、その中には捨て去るべきものが多くあります。 しかし、運命学は、いつまでも残しておきたい東洋の叡智ですね。 遠くは天文学、暦の為であった五行陰陽学、十二支の組み合わせの 仮借形容詞で、構成されているものです。 初心者の方でも、正確な鑑定力が伴わなくても、 学び始めれば、近代合理主義下では意識する事すらない 無意識界・意識できない世界がある事を まず、我々に示唆してくれます。 その事が、合理主義からはうさんくさいと! あはは。 云われる所以なのですが、 そここそが、東洋学の入り口ともなるものなのです。 そして、それは、身の回りで起こる些細な事柄までを 現象として観る視点を与えます。 そして、その奥に、 無意識界のエネルギーを読み解こうとするものです。 実は、まだ、これは、無意識界の中の浅いレベルに過ぎないのですが、 それでも、我々に、 その深遠さをうかがわさせる慄(おのの)きを与えるものです。 あるいは、日常において、 意識ではどうにもならない環境の変化に対応する時に、 とかく右往左往してしまいそうになる意識中心の自己自身に それなりの落ち着きをもたらしてくれます。 例えば、 離婚と云う悲しい出来事に泣いている自己の意識の奥に、 相手の夫と、悲しむ自分と云う2人の登場人物を凝視する -------- ------------- もう一人の自己を自覚する事へ進んでいきます。 ------------- それが、さらに、無意識界を基点にして、 現象界すべてを観つめる自己の誕生に、つながって行きます。 運命学は、無意識の世界を身近に自覚をさせてくれます。 運命学は近代合理主義の対極の存在だと言えるでしょう。 このブログを日本語以外でお読みいただいている読者へ、 まず、日本における東洋学が、今がどう云う状況かと言いますと、 東洋思想を含む東洋的言葉は、 未だ現代の日本で発行されている辞書には載っています。 が、 ですよ! 『時』に淘汰される意識の無常の世界には、 もともとその実体はありませんでした。 東洋が目指す無意識界の世界にしか、その実体はないものでした。 その事を、近代化以前の日本人は、文化の中で知っていました。 そうそう、口に昇らせる言葉ではないと。 それは含蓄があるからです。 日本人は本音を言わないのではないのですよ。 真実こそは、言葉にできない。 言葉にしたら、それは、もう、そこで嘘になる。 言葉にできない世界の存在を知っていたのです。 しかし、今の日本における、近代合理空間はどうでしょう? 今の近代合理主義は、それを、うさん臭いと退けたまま、 辞書にかろうじて載っている東洋の言葉群の内実は、 日本人の心の中(意識)から、消えかかっています。 しかし、言葉とは勝手なものです。 無意識界を否定しておきながら、 我、知ったり、、、と、 近代合理主義の言葉で東洋を述べる人は多いのです。 我、賢し、、、と、 思う人は、堂々と無意識を否定した意識の言葉で、 神とは云々、、、 (意識の言葉で説明できるものではないでしょう?) 仏とは、、、である。 と説明本も出ております。 そう、本、 ほほっ。 仏を本の上で近代合理主義の言葉で説明をするとは? はてさて、 仏を説明できる方とは? 仏よりも、偉い人に違いありませんわ! (まったくもって近代合理の意識は、この調子です。) こ~の、お調子者! あはは。 西洋の観念的言葉が、東洋の言葉の実体モドキを語る。 実体から浮き上がった知識として語る。。。 二元論の観念の中、天国を最上の目的とする観念の中へ、 宇宙大の東洋的言葉を砕いて引き入れようとしています。 近代化から147年、 実に気持ちの悪い行状が、繰り広げられています。 近代合理主義の思想圏に、東洋思想の言葉の実体は無いのです。 モドキなんて! 騙されて、この詐偽空間で一生を終わりたくないものですね。 この気持ち悪き世の中で、 東洋の言葉の内実を透かし観る事ができるもの、 それを確認し、我々の生き方で確証できるもの ------ それが、東洋的運命学ではないかと、自負しております。 しかし、今を生きる近代合理主義の内実の無い荒波の中では、 結婚の破たんにおいて、広く一般的に我々の取れるべき方策は、 やはり、やっぱり、あくまでも意識の範疇です。 つまり、それは、 主観、五感の及ぶ範囲に限られると云う事になります。 一般的には、民法に従ってケリをつける、それが、離婚裁判です。 しかし、この近代法の秩序に従って離婚をしたからと云って 裁判の判決を受け入れるにした処で、 我々が従う近代法に、人の運命を救い、変える力はありません。 それで、全て過去が、チャラになる訳でもありませんのよ。 それは、あたりまえですね。 無意識界の存在を認めない近代的自我意識が作った法律で、 人間の全存在を掬い取れる力があろうはずがないからです。 哀しいかな、 いわゆる近代合理主義下の近代国家の定める近代法は、 便法にしか過ぎません。 便法とは、ノウハウです。 根本的に人間を救ったり、しあわせにする法ではありませんね。 いわゆる民法による離婚判決は、 民法による婚姻関係を、民法で解く処置、方法であり、 人の意識が作り上げた民法下の<婚を解く>処置です。 方法論の範疇です。 故に便法です。 しかし、人は方法論では、しあわせにはなれません。 具体的に云えば、人は権利や義務でしあわせにはなれないのです。 そして、文字上の自由や平等論でもしあわせになれません。 それゆえに、離婚を求めた夫の側の要求通り、離婚が確定しても、 人生で、夫が勝利した事にはなりません。 人間が、自分の意識で思い通りにする ------- それが天国と云う処らしいのですが、 あはは。 それがしあわせなのか? 甚だ疑問でございます。 Mさんのご夫婦は、医院の開業を成功させると言う 望みをかなえてから不幸が始まったのです。 ですから、Mさんの夫が、離婚と云う思いを叶えたとしても、 それは、決して幸せな因を作った事にはならない。 更に自分勝手な行状を無意識界に積み上げただけなのです。 『陽』の現象界の本質は、見える姿にはありません。 だから、Mさんも、仮に望まない離婚をやむなくされたとして、 その事が、Mさんの不運を証明する事ではありませんよ。 貴女が、最後まで、あるいは、これからも、 女の徳を守る事を貫くのであれば、貴女の勝ちです。 女の徳については、本論で詳しく触れます。 Mさんは、ご自分で命式を、お立てになってみたようです。 それで、よく、お分かりになられたようです。 なるほど、 Mさんからの御相談の真の中身は、 離婚を通して観えた家系の運命そのものについてでした。 そしてこれからのご自分の生き方が、運命学的にどうあればいいのか? 深く無意識を覗き込んでおられます。 よくぞ、そこまで、このブログをお読みいただけたと感謝申し上げます。 Mさんのように、離婚を契機として、 ご自分の家系を覗き見ると云うような行動はめずらしいですね! 女性は、感情的になって夫を恨むとか、損な事をするものです。 それは、こういう事です。 近代合理主義下における一般的な個人の行動、意識においては、 喜怒哀楽に振り回される自分が、意識の表層的な自己です。 この自己は、怒哀よりも、喜楽を、望みます。 これが、一般的な人間の欲望、行動、でしょうね。 自然、この表層的な自己を追いかければ、 人間の心理としては、怒哀を避け、喜楽を求めると云う 短絡的な行動をする人間が増え続けて行く事になるでしょう。 便法が定めた、個人的人権に基づいた権利と義務、 自由だ平等だと法を盾に、 自己主張に転じるのが普通です。 そして、便法内の権利と自由と平等を手に入れて、 どうなると言うのですか、、、、、、 ほほっ。 運命とはそんな低次元の事柄ではないのです! ほっ。 もう、読者の方には、 便法上の権利を認めてもらったからしあわになれるなんて、 運命学が、そんな浅い次元の事柄を扱っていない事だけは、 お分かりになりますね? 我々は、権利を手にして、自分の役割を捨て去るのです。 あはは。 女と言う役割、 男と言う役割、などなど、、、 それこそが、画一的な人間の創出です。 ほほっ。 自己の全存在の役割の自覚を捨てた、、、 画一的な人間です。 近代合理主義が排出する人間は、もうこればかりですわ。 ほほっ。 東洋運命学においてはどうなっているのかと言いますと、 一人ひとりの命式を鑑定させていただいていますと、 その中には、実にさまざまな人がいるものだと驚かされます。 ----------- 分かりやすい単純な例を挙げますと、 喜楽を求めずとも、満たされる人の運、 喜楽を他者の為に与え続ける人の運、 喜楽を求めても、手に入れる事はない人の運、 怒哀ばかりの人も、「時」によって喜楽が恵まれる運、 さまざまです。 それを、 画一的な近代合理主義の採点方法で、 点数を付ける事はできません。 少し、むずかしいですね! 運命学では、 自分の意識に映ったモノを、 あるいは、刺激を受けたモノを、 五感の感受性の範囲に終らせません。 ただ、喜怒哀楽で表現するだけに終わらずに、 自分の命式を観ると云う作業をします。 それは、だれでも最初は、<主観的>です。 それでいいのです。 分からないながら、自己の運命を表す仮借形容詞である命式中の 東洋の暦の文字の意味を考えたり、凝視します。 ------ どうなるのか ---------------- もう一人の自己が生れます。 <主観>を仮借形容詞の意味に転化をして行く。 ここで、<主観的>自己と、 仮借形容詞の文字が持つ意味の間を ウロウロする自己が自覚されるはずです。 ほっ。 中途半端な自己の<主観>が残っていますと、 自己の運命が、観えて来ないのです。 ほほっ。 どこかで、<主観的>自己を切り捨てるようになります。 運命学を学ぶ一番の効用は、ここです。 ついには、命式のメッセージを素直に受け取る自己になれます。 これが、一番重要な事です。 自己のスタート台を知る事、そこが始点なのですから、、、 この積み重ねは、 他者の歩み寄りを受けずに、自らが真実へ歩み寄って行く謙虚さ、 自惚れを捨て、謙虚に生きる自覚が生れます。 それを自覚する事から、自己の自律性を得るでしょう。 他者や自己の喜怒哀楽に影響をされない真実の自律性を 得る事が最重要です。 ゆくゆくは、現象界すべてを公平に、できれば公正に、 観る事ができる自己の誕生につながって行きます。 この結果は、 怒哀を避け、喜楽を求めると云う行動だけではない人間の誕生です。 足元の怒哀を、進んで受け入れられるようになります。 ここが、私が運命学へ期待をする大いなる点なのですが、 それは、運命学が 意識では掴む事ができない無意識界を相手にしているからに他なりません。 無意識界は、絶対に譲歩をしてくれませんから、 無意識界は、真実だけを突き付けて来ます。 あなたを導くものは、あなたの意識ではない、あなたの無意識なのです。 ◆ これが、近代合理主義下で巧く隠蔽された自己なのです。 隠蔽? そう、近代合理主義は、隠蔽が本質です。 ----------- 真実の隠蔽です。 科学が出して来るモノは、真実ではありません。 意識が切り取って来た切片(せっぺん)にしか過ぎない。 ------ 切片をいくら寄せ集めても、真理にはなりません。 やればやるだけ全体を隠蔽するだけです。 事実、近代化以降の学校教育では、あなたの無意識を、 これを教える学科はありません。 近代化以降の教育内容は、 専門教育と云う目で見える世界(物質世界)をどうするか? どう支配するかと云うノウハウばかりです。 その後ろに何があるのか? 前の記事で書きました第6天の魔王です! このことを、よ~くお考えになってください。 つい先日、これからの教育カリキュラムを、産業界が決める、 と云う報道がありました。 要は、キレイに言えば、国益の為、経済の為、 産業界で必要とされる事を、教育する、と云う事です。 さもありなん! まさに、経済が、これらかの国を作って行くらしい、、、 この奥に、 第6天の魔王の存在を観じられるセンスと云うのは、 東洋の叡智を学んで行く為に役立つ重要なファクターです。 さ、そろそろ前書きをまとめましょう。 ほほっ。 運命学で啓かされる、もう一つの自己。 意識だけでは儘にならない現象世界の奥、 これを意識するか、、、 しないか、、、 知から、智への転換、 このラインが、西洋文明からの脱却なのです。 天界のもろさ、危うさを知った人間、Mさんです。 こう云う人は、欲望には支配されにくくなるでしょう。 今回の離婚は、いい機会です。 天界の喜びのはかなさを知る事から、智恵の門へ、 どうか、無意識の領域へ入って行っていただきたいと思います。 では、本論へ Mさんからいただきましたコメント、メールは、複数回分ありました。 今回、記事にさせていただく為に、 一つにまとめ、構成編集を致しましたので御了承ください。 〝 寂光様いつも興味深く読ませていただいております。 ブログの記事を少しずつ読ませていただいておりますが、 今回は、絶家の家族関係を読ませていただきました。 私は、現在、夫に不倫されているのですが、まだ離婚はしておりません。 夫から離婚と財産分与を求めて裁判を起こされています。 今は、夫から生活費として婚姻費用をもらっていますが、 裁判は、今高裁です。 夫は、私と離婚して愛人と結婚すると裁判でも主張しています。 どちらにしても、今の裁判所は積極的破綻主義なので、 別居が長引けば、離婚判決による強制離婚は時間の問題だと 言われています。 夫と私は国立大学の医学部1年の時、 同級生で知り合い、ずっと同棲していました。 妊娠に備え、私は自由の利く大学院に入学していました。 私はすぐに妊娠・出産しました。 お互いに専門医をとってから、出産のタイミングで入籍しました。 妊娠してから、夫と姑に退学を強要されましたが、 仕事は、してもやめてもどっちでもいい、という約束で結婚していました。 夫の両親は結婚相手として専業主婦が希望だったようです。 最低限の仕事を条件に復学を許されました。 その後、夫の診療所の開業の手伝いをしました。 開業は大成功しました。 数年後に年収は夫婦で億を超えました。 収入が増える直前に 夫が短期間勤めてすぐに退職した従業員と不倫を始めました。 それは、私が2人目の赤ちゃんを妊娠中のことです。 夫が、息子を連れて不倫をしていたので、 息子が反抗挑戦性障害、という不良のようになってしまったのです。 息子が不倫に同伴させられたのは4歳のころから7歳までの頃です。 息子が7歳・小学1年生の終わりに私が子供を連れて、 夫の外出中に夜逃げし、転校・別居しました。 別居後、第2子の娘は場面緘黙症になりました。 (二人とも今も児童精神科医に遊戯療法を受けています。) 今後は私も開業してフルタイムで勤務するつもりです。 うちの実家の墓は、家族で毎年お参りに行きますが、 夫は3人兄弟。 姉と妹がいる中間子です。 夫だけは父親から特別扱いで高額費用のかかる塾などにも 通っていたようです。 夫の実家は、家庭も崩壊していて、 ■ 夫の母は離縁されて、 ここの の処ですが、 この記事をアップした(5月31日)の3日後、6月3日に、 記事をお読みになったMさんご本人からメールがございまして、 この部分を次の様に言って来られました。 夫の母(義母)は、離婚はしていないのです。 夫の父(義父)はDVで経済的dvも行っていました。 義父は、妻から離婚を切り出された時には、 長男(夫)の大学の学費・仕送りを止めたりしていました。 結局、子供達が片ついてから、義母が家を出て、別居中なのです。 夫婦は完全に破たんしていますが、離婚はしていないのです。 ( 以下、この変更に従って記事中に変更した箇所があります。 ★印 ) ■ 夫の祖父の位牌は、何処にも祀られていないのかもしれません。 夫の父は長男ではなかったこともあり、財産も継がなかったようですが、 ■ 家は、勝手に売却してお金は独り占め、 ■ 墓を建てたりもしていないので、何もないのです。 ■ 夫の父親はDVで妻を殴ったりしていたそうです。 ■ 経済的DVもひどく、冬は灯油を買うお金もなくて、 妻子は寒さに震えていたりしたようです。 このことを私が知ったのは第二子妊娠中で、 夫の母が、夫にあてた手紙を見つけたからです。 夫の母方の祖父は、空襲で亡くなり、 祖母と母親は創◯学会の信仰はしているようです。 私自身、罰当たりといわれそうですが・・・ 墓参りがなぜ重要なのか、理解できずにいます。 運命学のブログを読んで、 不倫の原因も少しわかったような気もします。 夫の事業が成功しすぎて、 陰徳が消えた、陽の極みになってしまった、という気がします。 私と別居してからは、家業も落ち気味です。 自分で、運命学の命式を作ってみました。 私と夫の命式は強く、愛人のものは弱かったです。 愛人に運を吸い取られているように感じました。 夫と私と愛人の命式などからみて考えますと、 夫と私の運は非常に強く、 絶家になる運勢だったのではないでしょうか。 本来絶家になるはずが、 私が自分の仕事を断念し、 1男1女に恵まれてしまったのでしょうか? 夫は無意識に絶家を求めて、 女の連れ子を連れた、運の弱い女性と不倫した ということなのでしょうか? ということは、 夫の絶家の希望を立てるべき、ということなんでしょうか・・・ 私は娘と息子を連れて家を出ましたが、 夫の家の墓守を誘拐した、ということなんですね。 夫と子供達は、婚家を守って行かなければならない役割なのですね。” 以上が、複数回いただきましたコメントやメールを まとめた内容になります。 文脈は、分かりやすいように変えてあります。 Mさんとご家族の誕生日は書かれてなかった為、 あいにく命式は立てられませんでした。 離婚については、 何時か記事にしようとは思っていましたが、 これは、結構大きなテーマなのです。 今日は、女性の徳性の面から書いてみましょう。 また離婚と云う言葉についての私見ですが、 厳密には、結ぶの反対語は、解く、のはず。 結ぶ ⇔ 解く 結婚(婚を結ぶ)の反対は、解婚・かいこん(婚を解く)が 正しいはずですが、 どうして、離婚と言うのか? 婚姻関係を離れるとは? ほっ。 いろいろ考えてしまいます、、、、、 ほほっ。 とりあえず、離婚で進めましょう。 運命学的に云いますと、離婚自体は、 『陽』の現象界の事象にしか過ぎません。 その根は、無意識界にあります。 今日は、その点は省きます。 そして、離婚は、命の継承の観点から言いますと、 しない方がいいに決まっております。 絶対にするなと申し上げる訳ではありませんのよ。 せざるを得ない状況下と云うものも、確かにあります。 しかし、離婚と云う事は、家族、家庭、 人間として生まれてきた主目的の命の継承の場を破壊する事です。 そのあらゆる行状が家系共通の無意識界に残ります。 それが、家系の川下で繰り返される因を作る事ですから、 子々孫々に継承される事を考えれば、しない方がいい。 慎重にする必要があると云う事です。 そもそも、人生の不如意の原因は、大きく分けて、 ① ひとつは、先祖家系から来るものが大半です。 その根は、気が付かない間に深く張り巡らされています。 この『陽』に顕われている現象を、それで説明できる位のものです。 我々は財産も相続致しますが、先祖の運命を、 生きている我々が、分担をしてすべてを引き継ぐのです。 それが、誰に出るのか? ここが問題です。 ② そして、二つ目が、時代や思想、社会的環境から来る影響です。 この影響は、意識の癖によって違ってきますから、 命式が良ければ、本人の修養によって躱(かわ)す事ができます。 具体的には、このブログで毎回糾弾をしている近代合理主義です。 この思想の影響で、絶家になる家系が増えて来ています。 Mさんの場合も、それは顕著ですね。 まず、はっきり直ぐに分るのは、 離婚の連鎖です。 御主人の家系は、夫の父(義父)が祖母を離縁した、、、、 夫が妻を離別する家系とお見受けいたしました。 ★ ここの の部分ですが、 上記でおしらせしたように6月3日にいただいたメール内容から 次の様に、書き改めますのでご了承くださいね! 夫婦関係の破綻の連鎖です。 御主人の家系は、義父のDVや経済的dv で夫婦関係が破たんをし、 その結果、義母が家を出たまま離婚はしていないけれど別居中である、、、、、 夫婦生活、家庭生活の崩壊する家系とお見受けいたしました。 先祖の生き方自体が、そう問題がないと思われるような、 その社会の規範で受け入れられる常識的な離婚再婚でさえも、 そうした先祖がいれば、それは幾代にも亘って繰り返されます。 社会規範から逸脱した男女関係の乱脈は、 これは、Mさんの夫の不倫などですが、 これまた、この後に続く子孫へ悲惨な生き姿として顕われて来ます。 ゆえに、Mさんが、ご自分は何の咎はないはずなのに、 不倫をしている夫から逃れる為に家を出た。 そして、不倫をしている夫側からの離婚の申し出、裁判、、、 この事は、 夫婦関係における『仁』『義』『礼』の無視から『信』の喪失に至った、、、 夫婦関係、家庭生活の破壊 ------ この運の再現ですね。 つまり、『陰』の創造性の場を失うのです。 一度、先祖が犯した過ちは子孫に、必ず再現されます。 それと同時に、先祖が培った陰徳も、必ず継承されます。 運命は、連鎖をして、代々の子孫に繰り返し出て来ます。 それぞれのご家庭で、どう云う運が家系の川上から流れているのか? 調べる必要があります。 これらの背景には、家族道徳の崩壊が先行をしているものです。 コメントの中では、■ 印の処。 絶家の原因になるのは、以前、五徳の消失だと書きました。 家族の間に、仁、義、礼、智、信が、失われて行く訳ですが、 その基本は、夫婦の関係性から出発をします。 一言で云うと、仲がいい事、これが一番大事ですよ。 ほっ。 う~ん、それだけでもダメなのね。 あはは。 そこは、中庸。 現在と、過去と、未来のバランスも大事です。 ・ 現在の我のみの「楽」を求めていなかったか? ・ 過去の家系の人々にも、感謝を届けていたのか? ・ 未来の子供達の為に我が犠牲になる事を厭わなかったか? 要は、家庭道徳を壊すほどの何があったのか? 夫からの夫婦別れをしなければならなくなる、、、 こうなる過程において、 いつのまにか、家庭道徳と云うようなものが、 生きている人間を中心に、なって来てはいないか? 目先の損得を中心にして行くのが当たり前になって来てはいないか? これが、今の近代合理主義の世の中に染まって行くと云う事です。 そして、家庭の中まで、経済優先! にならざるを得ないのです。 そして、マスコミの流す情報に乗せられて、 快適な生活をしないとしあわせになれないと、 買いものばかりに走り回り、 ほほっ。 今、在る自己の命がどこから来たのか? 後を振り返る事を忘れています。 両親やご先祖に感謝する事は忘れて、 「楽」を与えてくれる科学文明を、礼讃、信奉をしている我々なのです。 先祖と云う、自分の命の出処を無視をする ----- 過去の切り捨てです。 ---------------------------------- 未来の切り捨てはいくらでもあります。 日本の借金 1000兆円、 これは、今の我の「楽」の為の借金です。 いつか、国民へ徳政令を出すしかない状況です。 もっと、あります! ほほほっ。 例えば、消費税、8%に上がりましたが、来年は10%とか、 こんなものでは毎年3~4兆円増え続ける社会保障費は調達できません。 社会保障費を、消費税で調達しようとすれば、税率 30%以上が必要です。 そんな事を、きちんと聞いて我々は、納得をしたのだろうか? のほほ~んと、 美味しい物が目の前にあれば忘れてしまう呑気さよ。 ほほっ。 消費税を、10%で、年金の開始年齢を送らせて間に合わせようとすれば、 全員が、75歳以上になるまで働いて、開始を待つしかないのです。 全員が75歳まで、働き続けられると思いますか? これからの若い人は、哀れ!です。 なんともはや、申し上げる言葉がないくらい、、、、、、 そんな事を、きちんと聞いて我々は、納得をしたのだろうか. . . 。。。。 これは、いつも繰り返し書く事ですが、 今から生れて来るだろう、我々の子孫たちを想えば本当に心が痛みます。 実に恐ろしい事は、 働きながら支払う年金の保険料と、受け取るであろう年金額の差額です。 なんと! これは、 今の老人最優先なのですね! 老人の為の、老人による、老人が決めて来た年金制度なのです。 1940年生まれの、現在74才の人にとれば、 自分が支払った保険料より受け取る年金が、5000万円多いのです。 しかし、2010年生まれの、今4歳の幼児は、 自分が支払う予定の保険料より受け取る年金が、3500万円少ないのです。 この事を、学習院大学の鈴木亘教授は、(社会保障論が専門) 「財政的幼児虐待」と言っています。 いいえ! 虐待どころではありませんわ! 完全なる奴隷化です。 年金受給者である65才以上の人たちは、 自分達にとっての年金制度を守る為に選挙には必ず投票に行きます。 政府与党は、この大勢の支持者を無視をする年金制度改革はしません。 だって、投票率の高い支持層を手放したくないからです。 いつも思います。 4才の幼児にも選挙権を与えてあげてほしい、と。 4才の我が子の代わりに、両親が投票をすればいいのです。 我々は自らの命の出処を忘れて無視をし、 自らの使命である命の継承者を、自己の為の奴隷にしているのです。 この罪は、深い。 これで、どこに日本の未来があるのか? たしかに、大人はずるいのです。 近代合理主義の社会は、意識のテリトリに縛られていますから、 意識が意識できるのは現在の五感の領域に限られます。 この五感の満足に固定する限り、 老人や政治家には、現在しか解りません。 これが、必然的に、 まだ生れぬ子供を、若者を、未来を潰していきます。 現に、今がそう云う風潮が蔓延した世の中になりつつあります。 よ~く、お考えになってくださいね。 ほほっ。 実は、『孝』において、過去は未来なのです。 ??? ほほっ。 『孝』について簡単に書いてみましょう。 我々は、『陽』の現象から生れたのではありません。 科学から生まれたのではありません。 木 → 火 → 土 → 金 → 水 の五行が齎(もたら)すエネルギーで、 男と女と云う『陰』と『陽』の合一、父と母から生まれたのです。 この命の中庸を外しては、命は生れる事はできないのですよ、、、 我々が生まれ出た事がどんなに不思議な事か! かけがえのない『陰』から『陽』への現象化であるのか! あなたを生みだしたこの宇宙の壮大なる慈悲に、 深く感謝を捧げなければいけない事なのですよ。 これが、『孝』です。 だから、個々の状況について、 私の母親は、どんな女だった、、、 父親は、ああ云う男だった、、、関係ないのです。 親の批判はしてはいけませんよ。 どう云う親であれ、親は親です。 その親の存在を通してしか自分は生れる事ができなかった。 でも、親らしい親とは思えない? そう云う親にしか出逢えなかったのは、 親のせいではありません。 『天』のせいでもありません。 あなたのまったく個人的な運です。 その運の因は、あなたの無意識にあります。 どう云う親であろうと、それをそう認識する主体は、あなた、 あなたの五感ですから。 あなたの五感が、そう捉えるのなら、 命式はあなた固有のものですから、自己責任です。 つまり、不足を言う側に、その原因があります。 これは、親子の間、 夫婦の間、 他人との関係でも同様です。 あなた自身の親運、子供運、配偶者運、社会運のなさ、弱さ、 不徳の致すと処だと受け止めるしかない、、、 ほっ。 これで、全てが解決しますね! あはは。 運命学では、事実をどう捉える癖のある意識であるのか、 その為に命式を作り観ます。 どう捉える意識であるのかと云う事が、そのまま運命です。 真に自律するとは、こう云う事ですね。 『天』は、我々を真に自律させたがっているのです。 そうでないと、『天』『人』『地』の三才の徳を享ける 『天地』にふさわしい『人』にはなれないのです。 とにかく、そこからがスタートなのです。 無意識からのあなたへの送り状です。メッセージなのです。 自分のスタートが気に入らないと今さら言った処で、--------- --------- これを愚痴と謂います。 いくら愚痴を言っても、もう、取り返しはできません。 ならば、どんな親でも喜んで引き受けて行こうとする事が、 こう受け止められる事が、『孝』です。 『天』に対する『孝』と云う謙虚な姿勢が、賢明になります。 ------------------------------------------------------- それに反して謙虚に成れないのが、近代的自我。 キリスト教由来の近代合理主義における近代法の精神は、 人間の“我尊し”とする自尊の意識を極端に引き出します。 個々の自己の意識より尊い存在は他には無いと云う、 (ある意味、神よりも尊いのです。) それはそうです。 神の束縛を振り切って自由になろうとした精神が脈打っています。 裏返せば、人間の意識はどんな存在からも自由で、平等であると、 人間の意識を神殿へ祀り上げた思想ですから、 我の意識が、正しい。 我は我の感じる処によって、一人尊し。 こう云う近代的自我が、横溢する思想が近代的合理主義です。 この意識があなたの周りのすべてを破壊します。 我々は大変です。 自由だ平等だ、自分には権利がある、相手には義務がある、 あはは。 それだけ幸せから遠くなるのですよ。 これが、先に挙げた、人生の不如意の原因② です。 時代や思想、社会的環境から来る影響です。 ◆ 女性としての特質 それに関連をして、特に大きな原因は、 女性としての『陰』の素養に無知であった事でしょう。 まず、Mさんは、時代に合った有能な女性とはお見受け致します。 が、その価値観を否定するような言い方になるやも知れませんが、 次の点は、はっきり申しあげなければなりません。 ・ 時代は、個人主義、個人の人権思想が社会の底流にあって、 男女平等観に守られているようですが、 人間の生き方にとって、これらは決して良くは作用をしません。 その価値観自体が、自然の中には存在しない概念だからです。 ・ 自由な職業選択、これも、必ずしも幸せを決定づけるものではない。 ・ 頭の良さ、知識を身に付ける事も、しあわせの必要条件ではない。 こう云った事を実現しようと企てる強い女性は幸せになりにくい、 と申し上げておきましょう。 でも、個人が、結婚もせずに一生独身で、 自分だけの幸せを考えると、上の3点で自分を守る事は可能です。 しかし、それでは、 配偶者も子供も、居ないのが前提になりますね。 女性の本来の役割から云うと、結婚もし子供も生んで、 しあわせな一生を送りたいのであれば、 自然は、『陰』と云う役割を果たす事を求めています。 ここなのですね! 男女は等質ではなく、平等でもありませんのよ。 社会制度としたら、そうあるべき事と、 分けて考えなければいけません。 ・ 無意識の力に恵まれていると云う点において、 女の方が上位であります。 ・ また、逆に意識の力において上位なのが、男の方です。 男が真に人間足らんとするなら、女の智恵が必要であり、 女が真に女足らんとするには、男の力が必要なのです。 『天』は、女の愚かさを抑える力と能力を男に与えています。 『天』は、男の愚かさを見抜く知恵と能力を女に与えています。 近代合理主義の画一性に染まった挙句に、 男女お互いが、等質平等な人間である、と云う事こそが、 不幸の始まりなのですよ。 邪念に囚われていると申し上げていいと思います。 大学教育までの学問は幾ら学んだ処で、 人間としての自己を鍛錬できるものではありません。 学歴と人間としての価値は、必ずしも一致してはおりません。 近代合理主義は、ここを無視していますから、 学校でも社会の中でも、この肝心が教えてもらえなくなっています。 ◆ さあ、いよいよ 女性特有の能力について、 女性だけが持っている能力についてですが、 女は、自分の幸せを守る為に鋭い勘が働くのですよ。 それを、いのちを守る絶対観と言います。 特に、夫が浮気をしようとしている時などに発揮をする。 あはは。 夫が浮気をすると云う状況は、 女性にとれば、自分と我が子の命を守ってくれる力を失う危機、 そう云う前提があるからですが、、、 2009年 7月 4日の記事を是非、お読みになってください。 陰陽学 その3/5 我々は、今、意識に偏重した思潮の時代に生きています。 妻が寝入り端に、夢を見ます。 ラブホテルへ向かって行く夫の車を付けて行く夢です。 驚いて起き上って直ぐ様、そのラブホへ行ってしまった女性のお話です。 ある意味、男性にしたら、背筋が凍る女性の能力ですよ。 ほほっ。 この続きは、上の記事のタイトルをクリックしてお読みください。 この女性のいのちを守る絶対観が、 その危機だと無意識が悟った時にフル回転致します。 子供を守る時にも、女性のこの能力は役に立ってくれます。 他の場面で活躍する例としては、 これは不動産の営業をする人から聞いた話ですが、 家の下見に来て、何千万円もする住宅の契約をする時に、 当然ですが、夫の方は心配そうな顔をするそうです。 それを、決断させるのは妻側、 圧倒的に、気持ひとつで即断をする。 新居の営業は、夫側へではなく、 その奥様へする方が効果的だと伺った事があります。 これも、さもありなん! あはは。 女性はお金の計算より、ロジックより、 自分の本能で臭いをかぐ、と云う能力が強いのだと思います。 Mさんも、 夫の浮気の初動の時に、この能力が全開すれば、 長男さんを精神的な病気にせずに護れたのではないかと、 切に思います。 残念ですね! 今の社会のあらゆるシステムは、男性が男性用に作ったものです。 これは、ある意味、このままでもいいのです。 変えるべきではないと思います。 これは、ある意味、『陰』を守る防波堤なのです。 これでは、女を平等に扱っていないとウーマンリブや フェミニストは言うのですが、 あはっは。 男性に負けない能力がある女性が、 自分も、『陰』を守る防波堤になりたいと云うのは、僻みですよ! 自分の役割が自覚できない、『陰』に生きる事ができない、 女系の家系に生まれて来た運命の女性は、そう言いたいのです。 男性に守ってもらえない運を以って生れて来ている故に、 一人で生きれるように自我が強く生まれついています。 そうして、男と対等に、防波堤になろうとするのです。 それはそれで自然な事です。 それはそれで運ならば、よしとするしかありませんが、 一旦、そのシステムの中に入ってしまうと、 ますます、女性本来の能力はスポイルされるのですね。 Mさんが、多難な人生になったのは、ここの原因が大きいのです。 もちろん、家系から来る遺伝的な運自体が原因でもあります。 しかし、家系から来る運命を乗り越えるのに、 まず、第一に必要な事は、あなたが『陰』の役割を果たす事でした。 しかし、ご自分の鑑定で、命式が強いと言われていますね。 それは、警戒するべき事だったのですよ。 『陽』の防波堤に守られない運を持っているがゆえに、強く生まれた。 そう観るべき運です。 夫の成功の後の不倫と離婚裁判、 諺の「天界に魔が住む」が、そのまま実現したような現実です。 人間と云うものは、一度、欲望の達成を味わったら、 また次の欲望の満足を求める動物であると云う、 深い人間観なり、人生の機微における生活知を、 近代家族以前の伝統的家族の時代なら、 母親や祖母からMさんへ口伝されていたかも知れません。 それなら、事態はここまで酷くはならなかったのではないか、 と、悔やまれます。 近代家族において核家族では、生き方や、文化、生活の知恵が、 まったく継承されていないのです。 若く離婚をしシングルマザーになった女性にお尋ねしても、 〝何も母は教えてくれなかった、、、”と云う方が多いので、 驚いてしまいます。 教科書にも、他人様にも、教えてもらえない事を、 親だからこそ、口に出して伝える、それが廃れて来ています。 近代家族の親子関係は、仲が良くてもその辺はダメですね。 また、娘や息子も、親の云う事に、そんな重きを置いていない。 まったく、家族全員が自分の立場と役割が分からなくなっています。 結婚や夫婦と云うものは、両親、親族関係の中の関係です。 その中の人間関係で夫婦と云う単位は、守られ、 役割を果たして行く事で夫婦と云う形ができ上がって行くのです。 結婚をしたのに、核家族で、二人だけの世界で生きると云うのでは、 それは、もう、夫婦と云う形を守って行く事は難しいはずです。 犬や猫の野合と同じですよ。 ほほっ。 あ、犬や猫に失礼ですか? あはは。 犬や猫は、堕胎や子供への虐待をしないですものね! あはは。 ***************************************************************************************** Mさんは、、 夫が、成功したらどうなるか女の勘で見えなかったのですね。 ここが、全てですよ。 まだ、現象化していない、これから現象化するものを、 まだ無意識下に有るモノの気配を、感じる能力です。 もしくは、今、隠れて見えないけれど、次の瞬間に勃興する現象を 自分の眼前に引き出して来る能力の事です。 女性特有の。 昔の女は、これで自分のお腹の中に居る赤ん坊を観ていた。 医学の発達していない時代はそうするより他、ないからです。 今の産婦人科では、超音波等で写真まで撮って見せてくれます。 サービスのつもりでしょうが、こんな事をしない方がいいのです。 女の力が、どんどん退化していってしまいますから、、、 これが、非常に重要な能力になります。 女性特有の。 これが、女が、『陽』の現象世界に目を奪われれば、 女の内側から消えて行ってしまう能力の事です。 だから、女性は働かない方がいい。 この能力は、命の継承、いのちの絶対観 --------------- あらゆる、いのちの保存を全うする使命をもつ『陰』に根ざします。 女性は、誰もがこの能力を持っているはずなのですが、 『陽』の価値観に染められる事によって、『陰』の力を失って行くのですね。 もっと、具体的に言いましょうね。 男は自己保存の為に、社会へ出て生産活動をするのが使命です。 その中には、ちょっと危険な言い方になるのですが、 人を殺す。 場合も含まれます。 ① 人を殺す事は絶対にしてはイケナイ。 これは正しい。 『天』の道です。 分かりやすく西洋的に謂えば、こうあるべきと云う理想、理念です。 ② しかし、人を殺さなければいけない時もある。 そう云う現実もあります。 『地』の理です。 これも、西洋的に謂えば、現実そのものです。 まず、自分が、殺されそうになった時、戦うのが普通でしょう。 それが、国対国になった時、戦争ですが、 国を守ると云うよりも、あなたの大事な家族を守る為に戦うしかない。 しかし、それを究極、避けなければならない。 いわゆる『道理』を実現しようとする苦しみが、正しいのです。 それを『天』と『地』の間で、苦しみながら実現するのが『人』なのです。 この現象界で戦わざるを得ない男に代わって、 苦しみを請け負うのが『陰』の役割、命を守る女の使命です。 だから、女性は苦に耐えられないといけませんね。 ストレス耐性がある女の方が、いいに決まっています。 ほほっ。 女は逞しいのが良いのです! おほほっ。 これが、『天』と『地』の間で、生きる『人』たる所以なのです。 この①と②の二つの道理の間で、人は苦しむように出来ている。 それを行動するのが『陽』、男の使命ですが、 そのバランス・中庸を取る為には、 『陰』の絶対的生を守護する絶対観の保障が要るのです。 それが女の使命です。 ★ここで、女にとっての先天福分の良し悪しを知る方法を、 お教えしましょう。 どう云う女が、生まれつきの陰徳を持っているのかと云う見分け方です。 第一に、 子供ができる年齢で結婚している事。 第二に、 子どもを産んでいる事。 第三は、 夫の稼ぎで食べていける事です。 女性は、五行が揃って、周流している命式が良いのです。 命式中で、日干(自分)が強いと、バリバリと稼ぎます。 夫なんか、眼中にないのですよ! あはは。 結果、仕事運や金銭にはついていますが、確実に家庭運に問題ありです。 いわゆる、女系の女性と云う事になります。 このように、 女は、『陽』の価値観に染まらない方が良いに決まっています。 あらっ、 大変な事ですね! あはっは。 夫と、同じ意見ではいけないのですよ! ほほっ。 『陽』も、決して『陰』を否定してはいけないのです。 『陽』からみると無駄に思えるのが、いのちの絶対観です。 この処が、3.11 の時の放射能に対応する男女の違い、 夫婦の間でも、意見が食い違って離婚へ進んだケースが出て来る、 男女の決定的な差異なのです。 『陰』である女性の役割は、子供を孕み、産み、育てる、 これらは膨大な無駄と思えるエネルギーの消費です。 子供が字を書けるようになるまでの、書きなぐる膨大な落書き! 書いては捨てる紙! 成長をするまでの衣類の量! 買っては壊し、ゴミになるオモチャの山! あはは。 子育てそのものは、 『陽』の経済性やお金に換算する効率の価値観を捨て、 経済性を離れなければやっていられません。 子供の遊びに付き合う事自体が、時間は無駄に過ぎていく?? あはは。 そのように、『陽』の生産物を無限に消費する中で、 命は、守られ、成長をして行くのです。 これを、投資と観るのは間違っているでしょうね。 膨大なムダを心から願って惜しみなく与えられるのが、『仁』の徳性です。 これなしに、人は、人らしく成れないのですね。 それを、掛け値なく守り、命を張る存在こそが母なのです。 それは、『陰』そのものの創造性に根ざす無限の力です。 この役割が、女の徳性であり、全ての母体なのです。 究極の絶対観は、 『陰』の次元では、どの命も、絶対に殺してはならないのです。 これは、究極の真実です。 ここは、男と女が対立する一点でもあります。 これが、物事の体です。 女にとっては、どの命が失われる事も、深い苦しみです。 泣き叫び、苦しむ、女の姿は、 命の絶対観を守れなかった時の苦悶の現象化としての姿形です。 ----------------------------------- その対極にあるのが、『陽』です。 矛盾するようですが、『陰』のいのちの絶対観の実現の為に、 『陽』の働き、用があります。 その用の中には、他者を殺さなければならない用法も含まれます。 この体と用の、役割を弁え無ければいけないのです。 この世界が成り立っているのは、 なんとか命を守りながら生き続けていると云う事は、 生き馬の目を抜く『陽』の現実とは裏腹に、 意識はできないけれど、目には見えないけれど、 『陰』の世界の存在が厳として存在するからなのですよ。 誰の後ろにも母がいるのは、その事の証明です。 唯一、いのちの絶対観が現実の中で生きている場所、 それが、命の血肉を分けた関係性の家族、家庭です。 本来、家族や家庭が、無意識の創造性を実現する場なのです。 男性が戦って得た『陽』の生産物を、惜しみなく与える場が、そこです。 家族や家庭こそ、『陽』の現象界で浴びたストレスを回復する場なのです。 『陽』の競争原理や損得の概念から家族や家庭を守るのが『陰』、 女性の使命なのです。 しかし、女性が、『陰』の持ち分を忘れてしまったら、 近代合理主義の思想に染まる事によって、 女性がその役割を捨てて男性と伍して全くの『陽』の世界へ同化したら、 『陽』たる男性と対等に働き手になると云う事は 『陽』の現象界の価値観に染まってしまうと云う事は、 一家の命の継承に『陰』の守りが無くなると云う事なのです。 実際、女が、家族、家庭の中へ、 『陽』の世界で浴びた競争原理や効率や損得の勘定を持ち込めば、 家庭や家族は、どうなるのでしょう? 血縁関係の家族が憩う家庭と云う場が、 効率を追求する『陽』の損得の追及の場と変り果てます。 命の再生、命の継承の場とはなり得ないのです。 この時に、この場の最大の犠牲者は、子供達です。 近代合理主義の犠牲は、未来であり、子供たちです。 意識は、意識のテリトリである〝現在”と、〝自我”を守ります。 その二つを、意識が過去に出合った経験則で守ろうとします。 意識には、それだけの情報しかないからですが、、、 ほほっ。 故に、意識は、自分以外を必然的に犠牲にします。、 意識は、過去と現在を除いた未来を必然的に犠牲にします。 この事を、よく、吟味してくださいね。 M家においても、子供達が最大の犠牲者になります。 大人は、なんだかんだと云っても、自分を守っています。 だから、大人が苦しむのは、それは当たり前の事です。 Mさんが、これから専心しなければならない事は子供たちの事ですね。 どうか、子供達の事を中心に生きてあげてほしい。 ◆ ◆ 最後に、ご質問にお答えしましょうね。 〝 夫と私の運は非常に強く、 絶家になる運勢だったのではないでしょうか。 ” そのとおりですね。 〝 本来絶家になるはずが、 私が自分の仕事を断念し、 1男1女に恵まれてしまったのでしょうか?。 ” それだけではないはずです。 あなたに元々の子供運がはっきりあるからです。 絶家だから子供は生れないと言う事はありません。 だいたい、3代かかって絶家になります。 その過程には、 これは鑑定例ですが、男の子が4人も5人も 生れていながら、 絶家と云うケースもあります。 〝 夫は無意識に絶家を求めて、 女の連れ子を連れた、運の弱い女性と不倫した ということなのでしょうか? ということは、 夫の絶家の希望を立てるべき、ということなんでしょうか・・・ ” おっしゃる通りに、絶家に向う運命の流れの中で、 あなたのご主人は、その流れに飲み込まれていますね。 しかし、その夫の希望を立てるべきではありません。 〝 私は娘と息子を連れて家を出ましたが、 夫の家の墓守を誘拐した、ということなんですね。 夫と子供達は、婚家を守って行かなければならない役割なのですね。” その通りです。 貴女が連れて出た子供の事は、 あなたの夫のご先祖の方へ、心からお詫びをなさってください。 ご先祖には罪はありませんからね。 あなたの息子さんは、今の処、夫の家のお墓守りです。 そう思ってお育てになってください。 しかし、夫の再婚相手の女性が、将来、男の子を生んだ場合、 その役割はなくなりますが、その子が丈夫に育つかどうか、 きちんと見極めてから決めるのですよ。 まとめますよ! 要は、『陰』と『陽』は、その使命は全く違います。 状況に拠れば、 男と女は、その守るべき価値観はすれ違うのが普通です。 ご夫婦が、同じ目的の為に、どう云う用法を使うかは、 違って来るのが自然です。 だからと云って、そのたびに大喧嘩をなさらないでくださいね。 喧嘩をしたとしても、完全に相手を潰してはいけません。 相手が潰れる事は、あなたが潰れる事だからです。 あはは。 多少の食い違いは、あって当然。 それぞれが相手を倒すことなく、ほどほどに、 ほほっ。 同じ家庭の幸せの為に、違う役割を果たす事です。 その為には、『信』の徳性の根をしっかり家族の中に張り巡らせる事です。 五行学の徳性における中庸が家庭に置いては大事です。 これについては、又詳しく記事にするつもりです。 この『信』の徳性を、結婚をした当初から、 お互いが持つと云う事は、今時の結婚では難しいのです。 何故なのかは、今回、長くなるので省きますが、 特に女性の生き方として、大事だと思うのは、 特に女の子の育て方として、お姫様のように育てる事は、 「楽」を感じる感覚だけをフィーチャー(feature)させて、肥大させても、 本当の幸せからは遠のくだけだと云う事です。 女性が男性と一緒に、社会の中で働くという事は、 先ほどの経済第一と云う意識の世界に埋まってしまう事で、 本来の女性が発揮しなければならない徳性が希薄になって行く。 女性がその本質を失いつつある、、、非常に危険な兆候であると、、、 今は、 ヒエラルキーでは哲学や思想より下部である政治そのものが、 人間や女性を規定するのが当たり前になっています。 もっと恐い事は、 国民の我々がそれに抵抗を感じなくなっている事です。 悲劇的なのは、 政治よりも下部ヒエラルキーに位置する経済が! 人間の道具であるべき、たかが経済が! 人間や女性のあり方を無視をして、 用法、方便の為に、利益優先のレールに乗せる事を、 誰も、道理を無視する事なのだと疑問を持たない事です。 あなたは、 この経験を、お子さんへ、今後に生かしてください。 『陽』の世界は、知識のロジックの仮のウソで競う修羅場ですから、 男は知識で喧嘩をするゆえに、知識は武器になります。 ------------- 武器ですよ。 本質ではありません。 しかし、女は和を持つ智恵を持つ方が人生の勝です。 貴女は、男たちと同様に『陽』の世界で武器になる知識を身に付ける為に 大学院を卒業するまでの自分の人生の時間を費やしました。 それらは、社会へ出て生きる糧を得る為には役に立つでしょうが、 貴女を女としてしあわせにする知恵を身に付ける期間をmissingしたのです。 教育とは、あるモノを得る裏で、あるモノを捨てる事なのです。 学校教育が、人類をしあわせにする全てではないと云う事を ご自分の体験から学ばれたと思います。 20代までの教育とは、その後の人生の展開の原理になりますね。 命は大事であると云う事を、生き方で示して行くのが女性です。 『陰』そのものです。 どうか、読者のみなさまにおいては、 執拗に蔓延(はびこ)る黒や赤いカビのような西洋近代合理主義よりも、 どうか、ご自分の中の東洋を大事になさってください。 ご自分の中の遺伝子が、一番知っているはずなのです。 どうか、東洋の血を、思い起こしていただきたい。 そして、少しづつでも、 東洋の智恵に近づいてくださる事を祈っております。 これは、私の経験知ですが、 先祖が儒教等に深く縁をした人がいたりすると、 多くは孫、あるいはその係累の中から、 早くから東洋的目覚めを持つ人間が出て参ります。 強いて教えるとか、そうする必要がないのです。 自らが、自分の中からの東洋智を見出していくようです。 これは、運命学教室の生徒さんの体験でも証明されています。 いろいろですが、目に見えない血脈がつながっているようです。 そう云う場合、東洋学を始めると、非常に分かりが早いのです。 わざわざ、どこだどこだ? と捜さなくても、 ほほっ。 目で見えない世界・『陰』 が手に取るように広がるようです。 これが、縁です。 長文の記事を最後までお読みくださった事に、 深く感謝申し上げます。 このブログを通じて、 東洋智の縁がつながって行きますように、、、 東洋智の継承を途切れさせてはいけませんね。 よろしくお願いします。 次の更新まで、良い日々を抱きしめて! お過ごしくなってください、、、、、 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |