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    陰陽学 その1/5  運命という自然があることに、気がついてほしいです。    

    Category : 陰陽学
    朝日野山







    今日の音楽は、馬に乗って浜辺を駆けたい、そういう衝動をもって、、、
                                                                

    Nana Mouskouri (Franz Schubertのノークターン )

    Only Time Will Tell を、よろしければどうぞ・・・







    浜辺というのは、

    地球という星の置かれている条件に気づくのに持ってこいの場所です。



    月の力の潮の満ち干きの繰り返すひとつの波が、

    今来て、即、過去になる。


    必ず過ぎ去っていく時を感じる場所です。



    時と共に、空も雲も、山も波も、

    一時も止まらず変化し続ける、自然そのものの力です。

      

           

    宇宙、自然は常に進化してやみません。


    人間も宇宙、自然の一部分でありますから、

    その本質は絶えず進化しなければなりません。

    停滞は許されません。




    「 生ける限り化していく。」


    これが東洋哲学の一つの深遠な思想、信条であります。



    そういう世界であるという認識を持って、

    前向きに受け入れれば、有限の繰り返しのリズムの中に、

    常に変わらない無限性を、知ることになりませんか?



    馬(午)に乗って、駆けてみる・・・・・まさに、馬(午)に、こだわりますと、

    東洋の十二支の午は、『陽』(よう)そのものなのです。

    見えるもの、存在するものの象徴といえます。                                                      


    馬は、東洋と西洋の不思議な一致で、

    アポロンというギリシャ神話の太陽神も、輝くものという意味があり、

    ギリシア人の理想、永遠の若さを持ち、

    火のような鬣(たてがみ)を輝かせる馬たちの手綱を持って、

    毎朝、東方の宮殿から黄金の太陽の馬車を駆けて出ると

    言われています。




    今日は、その『陽』と、対極の『陰』(いん)、

    『陰』と『陽』という東洋学のすぐれた考え方を、


    『 陰陽学 』についての入門編、さわりの部分をすこし書きます。



    みなさまの、なにかの"気づき"になれれば、、、さいわいです。



    男は『 陽 』の代表で、女は『 陰 』 の代表です。

    陽は明るくていいけれど、陰は陰気、いやだな? 

    これは、易学が社会に広まりながら通俗化したイメージで、

    本来の易経に説かれている意味からは外れています。                                                 


    本来は、『陰』あって初めて『陽』があり、

    『陽』あって初めて『陰』が生きるのです。




    そう! 


    女あって初めて男があり、男があって女が生きるのですよ~。

    納得されましたか~?   あは!


    女性の方は救われた気がする?   あはは。                                                    



    陰陽相対の理法は、草木を例にたとえるとわかりやすいです。                           
                  

    植物を育てている部分は根です。


    次に幹で、これが根幹(こんかん)。                                


    次は枝葉に分れ、花が咲き、実がなる。  



    これを『陰・陽』でいいますと、                                                

    根幹が『 陰 』 の代表です。

    枝葉と花実は『 陽 』の代表です。


    この陰陽が相まって初めて植物というものの存在繁栄があるわけです。 



    つまり、                                                                

    『陰』とは、花実 → 枝葉 → 根幹 への統一含蓄であり、                                             

    『陽』とは、根幹 → 枝葉 → 花実 への発現分化です。                                                         

    これを統一発展させるものが 『 中 』 です。

    (易学の中論、中道の詳しいことは、省きます)



    したがって人間の男女を比較すると、

    重要なのは女である。

    女は根本的であり、

    これを抽象的にいうと、分かれるものを結び、内に蓄える、

    すなわち統一含蓄が本能本領の『陰』です。





    それに対して、分化発展、発現するものが『陽』であり、 

    男性です。




    この両性が相待って初めて堅実な創造活動があります。



    そういう意味で、女性の教育が大変大事になります。  



    簡単に言うと、

    女性の方が、

    どちらかと言うと見えない心の部分の力を負担し、



    男性の方が、

    数字で計れる、形に表される、目に見える部分の力を負担すると

    いう事になるでしょうか?


    これからみると、現在の時代の流れは、どうなのでしょう? 


    何もかにもが男女同権、女も男と同じ事をする、

    それが推進されています。

    女性の側も喜んで、それが得と思っていますね。                                                            

    これでいいの? 大いに疑問! と言えば、叱られますか? (笑い)                            
                         

    女性が男性と同じように力で競争をし、

    数字を追いかけ、効率や、順位を重んじる価値観になってしまったら、

    陽に偏りすぎます。




    『陽』ばかりに力点が置かれた社会の中で、

    『陰』のベクトルがほとんどなくなったら  

    創造性の源は枯れてしまいます。




    そういう家庭で未来の大人(子供)は、どうやってバランスよく

    育つのですか?                                                                       
                                    

    私の運命学の教室では、

    男女の役割といったものがあって、それが大事である事、

    というよりも、

    子孫の事を考えれば現代の社会に逆行するかもしれないが、

    男女それぞれの生き方を尊重しなければと考えています。


    女性が女性の生き方を失う事は、

    相手の男性の主体性も失わさせtてしまいます。


    不幸です。                                                      
                               

    もうひとつ、現代文明は、『 理知 』を重要視します。



    『 理知 』というのは『 陽 』の代表です。

    理は、ことわり といい、物を分類するもので、ものわかり と言えます。




    私たちの理知というものは、ものを分ける働きです。

    初め赤ちゃんは目で見える具体的なもので分け、

    成長するにつれて抽象論的に分けられるようになります。


    だから理知によって物がわかり、

    頭の中に整理されるようになるわけですが、

    あまり理知的、理論的になりますと分かれ分かれて、

    どこから分かれたのか、わからなくなるでしょう? 

    理知や理論に走りすぎるとわからなくなるわけです。    



    理論や考え方に、自分が束縛されるからです。

    本来は、分って、無知と云う束縛から

    解放されなければならないのに、、、、、



    『陽』をやりすぎると分らなくなる。

    (もうそれ以上に分化できなくなる)のです。


    「 分らなくなった~ 」って言いますよね!

    この言葉は、易学のここから出ている言葉なのですよ。
          

     

    運命という自然があることに、気がついてほしいです。                                                 


    運命という自然は、苛烈です。容赦ない、残酷です。  



                                    

    男といい、女という自然も、、、

    自然というからには、

    目には見えないけれど自然のリズムがあるはずです。
                                                                




    人間の欲や、時代の都合で、

    勝手にしてはいけないもの、の、一つでしょうね。



    どうすれば幸せになれるのか、考えましょう。                               




























    参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    陰陽学 その2/5   女は自然そのまま、造化そのままであります。     

    Category : 陰陽学
                                                             





    今日の音楽は、プラネテス (PLANETES)  を どうぞ!
     
       歌声はHitomi/黒石ひとみ。


    映像も《宇宙から見た地球》是非ごらんください。





    この高さからの地球を見ると,

    何故か既視感(きしかん)Déjà-vu「既に見た」という気持ちに

    襲われてしまいます。  
                                            

    実際は生まれてから一度も体験したことがないのに・・・・・

    この高さから見ていた・・・なつかしい。何回も周った。                                     

    喜びを感じながら・・・どのくらい前のことだろう? (笑い) 

    不思議がいっぱいあって飽きないナァ  

             


    今日の記事は、前回の『陰陽学』の応用・実際編です。               

                                                    

    陰の代表=女の不思議・序編を書いてみたくなりました。                                 

    女性というのは宇宙から見た地球ほど不思議な存在です。(笑い)



    「分らなくなる~ 」 この言葉は易学から出ていると書きましたね。    

    分らなくなるのは頭がいい、悪いの問題ではなくて創造性の問題です。                         
    創造性というのは、生命力、やる気の問題なのです。 
                                                                    




    そういえば身近なことになるでしょう?  

    今の世の”うつ病 ”や、” 自殺者 ”の増加に関係してくることです。                                                             



    陽の力が強い(枝が分派し、葉が茂り過ぎる)と、

    本体の木そのものが、疲れて、

    翌年は良い花が咲かなくなってしまいます。                                     
         

    では、どうするか?



    庭木ならどうされていますか?  
                                                     

    そう! 花や傷んだ葉を落として、枝を切って、根に肥料を施しますね。                   

    土を変えたりします。力を注ぐのは、全部根に向かってです。                        

         何のために?                                                          

    それは、また、きれいな花をたくさん咲かせたいからです!  

                                  

    それを、陰陽学では、陽(枝や葉に、花に、分れ分かれたもの)を、

    もう一度、陰(葉や花から枝へ、幹へ、根)へ帰る事を

    「 結ぶ 」 といいます。




    だから『陰』には、籠もる、結ぶ という意味があり、 


                                                                  

    『陽』には、表立つ、分かれるという意味からウソ、偽るという意味にも

    なります。

    それは、木だって茂りすぎると根の力を使い切って、

    木そのものの成長が止ってしまいます。




    つまり、陽というのは、

    やりすぎると創造、成長の道から遠ざかりますから、

    表立って力があるようで実は力が無くなっています。

    それは偽りになるのです。




    ここは、大事です。




    世の中で表立って頑張ることは、『陽』なのです。

    一見真実そうで、実は偽りです。 一時の現象と観ます。




    創造のためには陰に帰らないとだめなのです。

    故に陰は、創造力、生命力、クリエイティヴな力のことです。


    それが、その代表が 「 女 」 だと、

    『陰』の代表は、おんな だというのです。

    ものすごく大事な役割をもっているわけです。 
                        





    ここで、我が運命学の教室の常識について書きましょう。


                                   

    生徒さんの中で、娘さんを留学させていると、

    そういう話題を聞きますと、

    私は、もちろん命式を観てからですが、

    父親がどう考えていらっしゃるかを伺って、

    喜んで賛成していないという現状なら、即座にやめた方がいいと、

    お勧めします。



    大事な10~20代の期間に、母親と家庭生活の体験もせず、

    生活レベルの英会話ができるようになる程度の目的で、

    海外で数年も暮す必要がどこにあるのでしょうか?



    他にも理由はありますが、

    留学経験のある女の子や帰国子女の方が、

    恋愛においてもなかなかムズカシイ苦労があるのを

    ご相談で見聞きしていますので、

    余程の目的、能力、努力の覚悟がない限りは、

    留学はいいことだとお進めできないわ。と云う意見です。




    それで、急遽日本の大学へ、と変更されます。

    そもそも、(大勢の方に、叱られるかもしれません!)

    大学なんぞに親が苦労までして行かす事はないと、

    女の子にお勉強は、無理にさせる必要はないと思っています。

    (あ~怒鳴られそう~~  笑い)


    かって進学塾をやっていた私が体験等を話しますので、

    説得力があるようです

    甘えや見栄、その他もろもろの無駄の為に行くのも、

    いいかもしれないのでしょうが、




    しかしその結果は10~20年後に出てきます。



    『陽』=(表立つ、偽り)の行動を主体にするのではなく、

    しっかりと女の子には『陰』の存在としての生き方を踏まえさせる、

    その事が緊急に大事です。



    この『陰・陽』の『陰』、

    すなわち成長の原動力、結びの力、これを『徳』と申します。 





    また分かれて枝葉となり、花実となる『陽』の力を、

    才幹、知能と申します。





    この徳性と才幹知能が相まって、ここに人格というものが、

    できあがるわけです。 
                                                                                


    その中で、『陰』(女)が根本であり、本体です。

    したがって人間の男女を比較すると、

    大事なのは女であります。


    女は自然そのまま、造化そのままです。 

          



    それが、それが、


    今は女が、自然そのまま、ではいられない時代ですね。                         

    造化そのまま、ではいられない。                                                     

    男と平等だなんて、なって来ているのですもの・・・・・ 


    何とか、この流れに竿を指して、

    流されないようにしなければいけません。





























    参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    陰陽学 その3/5 我々は、今、意識に偏重した思潮の時代に生きています。    

    Category : 陰陽学
    今日の映像は、たった一分間の宇宙の旅です。 どうぞ! (笑い)                                                            



    宇宙の果てから地球へ !








    宇宙の果てから、地球へ、いかがでしたか?

    宇宙は、未知の空間、途方もない暗闇に見えます。

    『陰』そのもの・・・                                         




    やっとたどり着いた地球の明るさ、光は太陽から。『陽』そのものです。
                    

           

    『陰』が本体です。

    そうです! 

    途方もない暗闇からすべてが生まれたのです。                      

    その暗闇から光が生まれたのでしょう。 



    今日は、本体である『陰』について、

    東洋の陰陽学の、『陰』 についての記事です。
                                                                                                     

    『陰』が本体といっても、

    本体だけでは物事、用を為さないのはお分かりですね。


    テレビセットだけではテレビは見れません。


    『陽』は、『陰』を待って初めて『陽』であり、

    また『陽』があって、『陰』が生きるのです。
                                                                                   


    ところが、

    なぜ、『陰』にこだわるか? というと、

    今の私たちには、どちらかというと『陰』はわかりにくく、

    『陽』の方がわかりやすいのです。

    したがって、特徴も欠陥も、『陽』の方が認識しやすく、

    『陰』の方が認識しにくいのです。




    ということは、『陰』は意識ではつかみ難い、言葉で表しにくいのです。                                                                             


    なぜ、『陰』は認識しにくく、意識でつかみ難いのか?                                

    それは、我々が、今、

    意識に偏重した思潮の時代に生きているからです。

    もっと、いにしえ(科学が未発達な時代の)人は、

    自然をとらえるのに違った捉え方ができたでしょう。

    特に易学を生んだ時代の民衆は、

    もっと自然を見るのに今のような意識のフィルターが、

    掛かっていなかったと思います。



    反対に『陽』は分り易い。 

    意識は、『陽』です。



    私たちの意識そのものと言えるかと思います・・・

    意識に偏重した現代の思潮は、『陽』に偏っています。



    意識と共に、理知も『陽』です。                                                 

    西洋文明における理知の科学は、

    人間の意識に引っ掛かった物だけの存在を認め、

    名前を付けて知識にし、

    そして膨大な知識の蓄積を人間は作ったはずです。


    しかしその膨大な知識をもってしても,

    現代科学は、命を創造する事はできません。


    あたりまえですが、

    科学は自然そのものをありのままに捉える事は不可能です。



    なぜなら、この宇宙に具わっているものでも、

    科学というものは、

    人間の意識の網に引っ掛からなかったもの(無意識の領域のもの)を、

    その時にその場に存在しないものとして捨ててきたのです。



    そしてそのままにして、次に行くことを進歩としてきました。

    中途半端のまま、、、、、、。


    つまり、科学には漏れがあるという事です。 (有漏)                                                               


         

    次は、学問は分かれ分かれていきます。分派です。

    西洋医学は、病院で、体験されるように、診療科目においても、

    医療の診療科目が細かく分かれて増えています。 

    一つの症状を治すのに、

    どこの科に診てもらったらいいのか分らない位でしょう? 




    東洋医学はそうではありません。どの症状も、身体全体の症状として診ます。                                            


    だから、『陽』(理知など)は、

    それに走りすぎるとわからなくなります。
                         

    わからなくなるという事は、頭が悪いという事ではなくて、

    元の根幹『陰』から離れてしまって全体観を見失うということです。

    人間を幸せに導く目的のはずが、科学が進んで、進んで、進んで?

    先端では、何のためだったのか目的を見失う。

    原爆が日本に落とされた事は、

    『陰』=(徳)を見失った『陽』の現象の代表です。                                               

    これでは、易学ではなくて、不易学です。(この説明は省きます)




    『陰』は、たとえれば、

    宇宙の未開の大部分、

    無辺な、無尽蔵な、無常の反対=いつも在る?(笑い)

    無窮な、意識できない=無意識の世界にあてはまります。 



    言い換えれば、例として、

    地球に丁度いいところに太陽があると云う事は

    そのエネルギーのおかげで生を営むのに丁度の距離です。

    これは、まったくの『陰』の無尽蔵なエネルギーです。

    丁度の所にある不思議さ、それはどうしてなのか?

    理解するしないに関わらず、

    命を産み、育む、エネルギーとして存在します。

    その価値は、無意識です。



    でも、人間の意識では、

    なぜ地球が太陽から丁度のところにあるのか分らない、、、。

    謎として於いて置いて、

    分らないものはそのまま捨てておきます。でも、ある。 


    でも、あることの謎は、解けないままです。それが意識の限界です。                                      



    『『陽』とは、有限、辺境、無常、

    という我々の意識で捉えられる五感の意識上の限界のある狭い世界。

    宇宙から見ると、猫の額ほどの世界かも知れません。

    または、現象としての形や、数値や、広さや高さ、高貴や富、満足や豊穣など

    の実現を五感で捉えられる範囲に表出する事を望む欲望と言えるでしょうか。




    危険といえばどちらかというと陽の方が危険です。

    才知に走る、利口である、利己的になります。

    先の原爆の例です。                                         




    女は、『陰』の代表と言いました。

    どちらかといえば無意識を司ります。

    心の中、目で見えないものの世界を信じる、信心深い。

    『陽』の欲望に対して内省、反省、理知より情・仁を重んじ、

    慈母ともいい、これはいい言葉であります。
                             


    この女と男が、相待って初めて、

    堅実な創造活動が、できるのです。

    そういう意味で女性教育がたいへん大事でありまして、

    これによって民族の繁栄、永遠の生命を得ることが出来ます。





    さぁ、ここで、我がご相談者さんの数ある体験の中から、                                 
    男の方たちが、つゆ知らない  (笑い)                                                  
    女性の能力(夫の浮気は必ずばれる)という一つのお話をしましょう。  


                                    

    Aさんが、夫の浮気を発見したのは、普段通りのある夜のことです。                        

    夜中の12時過ぎまで夫の帰りを待っていた処、

    帰りが遅い事には慣れていたはずなのに、

    何となくしんみりとさみしい気持ちになったそうです。

    それを打ち消そうと妙に心を込めて、

    夫のために何か疲れの取れる飲み物をと用意をしたそうです。

    これが、実はもう虫の知らせというものです

    そうして寝付いたのが1時過ぎでした。


    うつらうつらとして、2~30分後、ある夢を見たと云うのです。

    それは、ご主人の車が走っているのを

    自分は何にも乗っていないのにテレビの画面のように

    ず~っと後ろから見ていたのだそうです。 
     

    夢の中で、夫の車が止まり、 建物の中へ入って行きました。

    それは、いつか通りがかりに見た記憶のあるラブホテル!


    驚いて目覚めて、数分後、

    Aさんは行動しました。、、、、、行ってみようと。

    夜中の2時過ぎに車を走らせている自分が。

    道も解からないのに自然とハンドルを切っていたそうです。  


    着くと歩いて駐車場へ、夫の車を・・・

    車があった! 


    夢で前もって覚悟が出来ていたので冷静に、、、、、、、
                                                                                                                    





    この後のことはご想像にお任せします。  (笑い)


       

    が、女の勘とは、さほどにすごい!ものです。 

    驚かれたでしょう? 



    私も、仕事柄いろんな浮気の気づきを聞きますが、

    この件は、みごとに女性が無意識と一体であるという点で

    ダントツ秀逸なのです! 


    このブログの読者である真面目な男性の方には、

    本当に余分なことなのですが、


    女性という存在は誰でもが、学歴や知識に関係なく、

    聡い力を秘めている存在なのです。 


    そう、あの卑弥呼と同じ、女という人間なのです。  





                                    

    戦後、本体である陰を失った日本では、                                        
    西洋文明の上澄みにどっぷりつかった今の知識偏重の教育を浴びて、                        
    わが女性たちは、どこへ流されていくのでしょうか?                              


    ジェンダーたちは、女性を男性と同等に扱おうとします。
      

    女こそ陰の本体、徳育を! 

    (古風だ、ウザイと、なんと言われようと)

    心からそう祈らずにはいられません。
























    参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    テーマ : 文明・文化&思想
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    陰陽学 その4/5 易経『陰陽学』 陽について、その実際編です。  

    Category : 陰陽学


    今日は、映像もお楽しみになってください。



    世界の国の少女がバイオリンでカノンを弾きます。



    よろしければ、どうぞ !













    易経における『 陰陽学 』 のつづき、陽について、その実際編です。                           

              

    自然にあるがままのあり方として、男女の役割の違いがあるということ。   
                 
    これは、たびたび書いてきましたので、

    印象に残っているかしら ?

    そこからなのですが・・・                                                 



    自然にあるがままのあり方とは、

    人が意識する以前、

    人間の理知が作った法律以前からあるあり方ということですね。         
                           

    言い換えれば無意識に存在しているまま、、、太古の昔からです。                                                         



    あるがままの自然の男女の役割があるという前提で、

    今の人間の理性が作った法的な男女平等を

    考えなければいけないと思っています。

    人が作ったものと言うのは、

    それが意識、英知の所産であっても、

    陽としてみるかぎり、漏れはあるし、極端に運用すれば、危険です。   
                                



    意識、英知の所産は、絶対的なものではないはずです。

    陽は、時と共に移ろい、価値は変わっていきます。

                                              




    社会で言うところの 『自由』 といい、



    『 男女平等 』 という観念は、  
                      
    あたりまえの事ですが、国家の法律が保障する範囲のものです。 
                   
    国の政治や、国家の変動があったら、どうなるのか分らないものです。




    報道によると、2008~現在のチベットにおいては、

    中国側の漢民族の男性とチベットの女性の結婚が推し進めれられ、

    チベット人の男性は結婚も出来なくなっているそうです。


    大国のエゴが、少数民族を滅ぼす時にはその少数民族の男性を排斥します。

    ある意味、武器を使って戦争で滅ぼす代わりです・・・                                                        


    このように人間の意識が作り出した陽の産物、制度だけでは、

    あるときはそれが観念的な建前だけに成り下がります。

    本質はあくまでも陰の内省・反省と仁愛に裏打ちされて、

    制度は運用されないと、

    実際の生きる場面では人間にとって幸せをもたらす制度にはなりません。





    次は、お互いに私たちの精神の働きについて陰陽を考えてみます。 

                                                                                                              男女とも、その持っている意欲、欲望というものは、

    外に向かって発するものですから、

    非常に陽性です。  
                                        

    そして、自らの心を省みて、無駄なものや危険なものを省く事、

    これは陰性です。



    『省』の意味はーかえりみるーはぶくーというふたつの意味があります。


    この欲望(陽)と反省(陰)の調和がちょうど良くとれたのが、

    円満な人格であります。
                



    これを男女に分けますと、

    知能では、分析論理的な知能は陽性であり、

    感情では、野心マンマンというのが、やはり陽性です。


    だから論理的であり、多分に表現を主とするような頭脳は、

    男の特徴であって陽性であります。




    女は陰(根)でありますから、 

    分かれるものを結び、内に蓄える、統一含蓄的で反省的な知能、

    内省的な感情、根本的、没我的であり、引っ込み思案であると

    言うのが女性らしいのであります。

    女の一番尊い特質は仁なのです。 




    前のブログで、女性を木の根に例えて陰について書きました。 
     

                        
    樹木の多くは、根が健全でないと育ちが悪くなります。

    陽である葉の役割は、光合成です。

    葉が、太陽光と、酸素と、葉の中の葉緑素で光合成をして、

    造られたデンプンが根へと蓄えられるわけです。


    これが、陽から陰へのエネルギーの転化です。

    この養分を、根は、土中の水分とともに幹から枝へ、そして花へ、実らせます。




    陰と陽、それを男女の関係で言えば、

    陰=陽=同じもの=平等として並べた時、その間は引き裂かれ、

    その間の深い溝は埋まらなくなります。


    しかし陰と陽は依って立つ所が違うもの=あい待つもの=相待性、

    として眺めれば、おたがいになくてはならないもの、

    陰あって陽、陽のはたらきは陰によって決まる

    という奥行きが見えてきます。  
                                                          

     " ○○の陰(かげ)に女あり " のような・・・? (笑い)  
                                
    どちらにしても、戦後私たちがやっきになって取り入れた

    西洋的な捉え方よりも、東洋的な捉え方の方が、

    数千年も前から、自然に対する洞察力に満ちています。



    ここで実践編として、カップルやご夫婦に関するご相談の中から、

    感じることをご紹介しましょうね。


    それは、お互いが同じ人間だ(男女平等)という観念が、

    反って関係がモメル原因になっているという事です。 
        


                                                                                                                   

    女性の特徴は、自身の心の問題や、何気ない自分の気持ちや、

    その日の出来事の気になったことなどをよく話したがります。                                         




    それを聞いた相手の男性は一般的に、

    男の本能として、それについての解決法を押し付けようとします。


    それは陽である男性は理知の癖で、

    彼女が話の中で解決を求めているのだと思い込んでしまうからです。

    それは、彼なりに彼女に何とか役に立ちたいという思いから、

    そうする事で、

    相手の彼女との愛情が深まると信じているからでしょう。


    だから、自分がアドバイスしたにもかかわらず、

    彼女が思ったほど喜ばないで落ち込んだままだったりすると、

    男性は自分が拒絶されたとか、

    相手にとって自分が役に立たない人間だとか感じたり、

    彼女が自分の言う事を聞き入れない頑固な?

    すなおじゃない女だ?と思ったりして、

    次からはもう

    彼女の話に耳を傾けなくなってしまうことがあります。     
                                                                             


           

    しかし陰である女性は、

    男性が想像するような解決方法を教えて欲しいのでは

    ありませんよ。


    女性からすれば、

    そんな理知的な " どう解決するか " という話よりも、

    もっと情緒的なものを期待して、

    それは、ただジックリと話しを聞いてもらいたい、

    優しく慰めてもらいたい、、、、、。

    ただそういう気持ちなのだということです。
                                 
                                                      

    それが、男性からのどんな誠意でも、

    男性の一方的な愛情からという思い込みであったとしてもです。


    お互いが相手が自分と同じ人間のはず、という思い込みのままでは、

    男性と女性の間の溝は埋まらないでしょう。

          

    なぜって?                                                 

            

    相手と自分の性差を見落とさないで、、、!                                           

    気質や血液型や、人間のいろいろな分け方がありますが、                                         

    まず男と女、その性差の違いが、まず! 前提ですよ。
                                                              


    それは、変えられないのですから・・・・・    



                             
    相手を理解する為には、


    陰と陽を、思い出してくださいね!




















    参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』

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    ジャンル : 恋愛

            

    陰陽学 その5/5 経済編  経済という『陽』は、無常を免れないのです。

    Category : 陰陽学
                                          あおぞら

                                          白い雲








    モーツァルトをどうぞ!



    ★ ピアノコンチェルト No. 21, アンダンテ   (8分8秒) 

     




    決して明るいとは言えない昨今、いろんなものが渦巻いています。
                    

    それはまず、

    身近なところでは、国内の政治の問題の渦。                        

    次は、政党だけの問題ではなく、自由主義経済の行き詰まりです。 



    リスクを管理できるというのがウソだった金融工学の限界などに見える

    現在の資本主義の混乱の渦です。


    今の資本主義では、地球が救えないという認識からくる失望です。                                            

    特に国内は、

    高齢化、少子化の影響からくる経済の需要と供給の問題です。



    それが、デフレの原因といわれるわけですが、

    株価もなかなかですね。



    企業は、インドや中国へ需要を求めて出て行かなければなりません。

    自動車産業や電気製品は、

    すでにその努力を以前からしていますが、

    公共事業を削減されたゼネコンなどは、これからです。


    そこで働く従業員は、海外まで連れて行く訳には行かないので大変です。

    雇用の問題が国内に残されるわけです。



    経済において、何かが次ぎのシフトへ移っていくとき、全体が混乱をします。



    学問は、真理を追究するものだという事であれば、

    経済は、さて学問でしょうか? 




    と言うのは、

    経済学で、これが間違いのない理論である。

    これが経済の真理である。

    というような言い方は、やめた方がいいですね。



    経済学に、真理と云うようなものはないでしょう。

    また、言うべきではないでしょうね。




    なぜなら、

    その発言が、利害そのものに影響するので、

    間違った場合トンでもない!! ことになります。


    ある経済理論を、正しいと喧伝し、社会を巻き込んでしまう事は危険です。


    その陰で誰かが一番儲けているとか、、、、、

    金融マフィアという言葉も、あります。

    地球上を股にかけて、世界経済を牛耳っている。

    ライブドアのホリエモンなんて、可愛い者です。(笑い)

    私達の知り得る表に出る人間は、

    所詮、他人に操られた小者でしかない場合が多いはずです。



    本当に世界を支配できれば、

    ”おれが帝王だ!”なんて、

    わざわざ言う必要はないのですから・・・


    善悪において真に力がある人間は、自分の力を隠します。

    その影響力を知っているからです。


    知られる事で、行動の自由が狭まって、

    都合が悪くなる事の方が多いからです。


    そのように安易な経済理論は、

    不公平な戦略を正当化するのに利用され、

    巨悪の隠れ蓑に、されかねません。



    そう云う事は、決して許されるものではないと思うからです。




    前触れが長くなりました。


    資本主義は人間の英知 『 陽 』 が結実したものです。


    陰陽学の中の

    『 陽 』 は、「偽」という意味があります。
     


     ウソということです。


    『陽』は、幹から派生した枝が分れ分かれていく力です。

    それ以上分かれることもできない。=限界の露呈という形が特長です。 



    覚えておいてくださいね。 


               
    それは、『 陽 』 である英知の行詰まりです。

    英知は、人間の力の一つの実りですが、

    実りそのものは、一つの目的の完結を意味しています。




    一つのエポックが終ったという意味にもなります。


              
    つまり時間がたてば内実が変化して、価値がなくなる事でもあります。

    英知の結晶である思想自体が時代に合わなくなる。

    力が消失してしまう。かっての共産主義がそうでした。



    それをそのまま持ち続けると、今までの逆に、

    人間の英知だったものが、人間をかえって不幸にするということです。

    長い時代を経て、普遍的に価値を保ち続ける英知と言うのは、

    そう、世界中にあるわけはありません。




    英知と云う事が妥当かどうか? 

    分かりませんが、

    和辻哲郎氏が著書『孔子』のなかで、

    「人類の教師」であったという点において見出しうると、

    世界の四聖である”釈迦、孔子、キリスト、ソクラテス”を取り上げています。


    それと同等の

    普遍的な英知というレベルで見て、

    経済学において、

    今の時代、人類が信じられる何が生まれたというのでしょうか?




    考えてみると、

    私達は、四聖の英知をヨコに退けて、(よく知りもしないで)

    自由主義経済で皆が幸せになれると信じて、


    経済第一! 


    効率第一! と言うからには、


    すべてにおいて、経済と、効率に、普遍的価値があるってこと?

    それ以上の英知を私達は持ち合わせていなかったってこと?


    そういう事ですか。


    まさか!


    日本は、○○民営化! 世界中が、ラッセ! ラッセ!踊らにゃソン!(笑い)

    それでどれだけ踊らされたことか! それでどれだけ被害を受けたことか!

    震源地のアメリカはいまだに、立ち直れないくらいです。


    つまり、

    金属疲労に似せて、思想疲労とでもいいますか・・・

    数年しか新鮮味を保てない理論に、

    つまらないものに、引っ掛かってしまったわけです。 





    心から信奉した訳でもないのに、

    情報化社会というのは、伝播が早い強い流れには、

    私たちは、押し流されてしまうのですね~    

    我々大衆は・・・



    正直言って、自由主義経済は、とても英知?と言えない代物だったのに、

    えらい学者の、お推奨付きでしたね。

    今の学者の値打ちは、昔ほどではない、そう言いたくなります。

    (ごめんなさい!)




    一時的な高揚感を人々に与えても、後は、長期的に被害ばかりがつづく、

    そういうことです。 

    普遍性がどこにあるのか?

    では、どうする?

    これからは、次なる新たな 『 陽 』 の英知を結集するしかないでしょう。



    今の資本主義に変わる次なる生産交換システムはあるのか?   

    資本主義を超える別の選択肢は可能なのか? 

    地球全体を一つの命と捉える新しい資本主義の模索へ、

    収斂していってほしいです。
     




    しかし、覚えておいて欲しいのは、英知は、何時か必ずウソになります。

    ある意味、無常を免れないのです。 



    しかし、西洋文明には、”無常”という言葉はありません。

                              



    ステージはこれから中庸へと向かうべきですね。  

    そのためには、『 陽 』 の行き過ぎを謙虚に反省し、

    無駄な枝と、古い枯れた花実(過去の成果)を捨てる時です。



    私達の生活のサイズを小さくして、 

    無駄を止めて、命を中心の考え方へ、 『 中庸 』 へ。




    ところで、西洋文明の現代科学のなかで変化を扱う学問は数学ですが、                 

    自然科学の数学は、私たち人間社会のことを、

    変化するものとしてほとんど扱っていません。


    変化する自然とそれに対する人間、という構図の二元論ですから

    バラバラで、扱えないのですね~ (笑い)

    関数にならないのですね~ 残念なこと・・・ 



    人間を自然のなかに入れていない西洋の、この欠陥を補いながら、

    自然と共に人間自身も変化していくというこの視点を取り戻さなければ、

    人間は、人間自身には、成れないはずです。



    人間も、変化する自然の一部であるために、

    物事を中庸へ導かなければいけないのです。


    なぜなら、


    自然や宇宙は均衡を求めて動き、均衡の上に成り立っているからです。


    均衡から外れる事は、自らが滅びる事になる事を生き物は知っています。


    動物だって、植物だって。





    人間だけが、自然の均衡を破って欲望を増幅させているからです。
























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    家系・個人の運命鑑定
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