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    知識が豊富だけでは、何にもなりません。

    Category : 大自然と科学
               

    波
















    科学は、部分観の智です---+"*☆★


    夕暮れ時の波の音  (33秒)  をどうぞ!







    知識が豊富だと云う事は、どれだけのものでしょう?


    科学的だと云う事は、どれほどのもの?


    私たちは科学という造形の城を、幾度も作り、作るたびに、

    ” これが最高の城だ!” って、眺めて来ましたね! 


    何度驚いたり、びっくりしたりしたことかしら? 
     

    それを積み重ねては壊し、古い知識を放りぱなしにして、

    今は、もうその残骸と情報のスクラップのなかで生きているようです。


    科学的な言葉は、それを使う時に、注意しないといけません!

    科学的をよそおった言葉は、

    ある一地点の、ある分析を、書いた一枚のメモでしかありません。


    あるときが、数十年かも知れないし、

    数百年かも知れないが、

    無窮の時からみれば、

    偽になる言葉だって含まれると云う事です。


    だから、ある事がらには対応できる知識でも、

    別の事には応用がきかないケースが、

    自然界には、いっぱいあります。


    どんなにテクニックを労しても、徒労ですね。



    それは、部分観にしか過ぎないからです。


     ” 部分智 ” です。


    部分で全体を推し測ることなど、それは、無理です。


    元初からの自然界そのものが、全体です。




    人間は、そこから生まれたもの、

    そのほんの一部なのですから・・・



    科学の知識は、

    そのもっと、ほんの小さな部分だからです。


    科学の力は自然界全体の数パーセントも解明してないかもしれません。


    たぶん、そうでしょう。

    だから、科学や知識はすぐ限界露呈してしまいます。




    自然は何もしなくても、

    そのままありのままで、広大無辺です。


    時空に亘って、際限なく限りがないのです。

    完全であります。


    自然は人間にとって偉大な師匠です。

    自然は、血がめぐり熱を発する体そのもの。


    科学は、次ぎの新たなメモが書かれると、偽になります。


    もともと、それだけのもの、

    人間の分かる範囲の中のものだからです。


    科学が無駄、無能だという意味ではありません。

    ただ、科学の出発や目的が、

    すべて人間の善意からであっても、

    結果は、どう利用されるかわかりません。


    そして、人間の立位置を知って謙虚でなければ、

    それは自らを滅ぼす暴力になるということです。



    破壊や衰え、

    滅亡につながる行為になるという恐れをもたなければ、

    いけないと思います。

































    ----------------------------*・・+"*☆★☆." 

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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    『健体康心』 1.癌をやっつけるために、まず、癌の概念からやっつけましょう。

    Category : 大自然と科学
    100321_上九一色

    上九一色の林





    今日は、前、お約束をしたように”癌”についてです。



    癌をやっつけるために、まず、その概念からやっつけましょう。

    長くなるようなら、何回かに分けて書かせていただきます。



    癌、という病気は、人間のつくった概念のお化けということもできます。

    あるいは、人間の信奉する意識が、科学的に、生み出した亡霊とも言えます。

    お化けも、亡霊も、意識が一番嫌う存在なのにね!




    意識で確認できない、科学が存在を証明できない、お化けと亡霊を、

    科学の先端である医学が作り出しているみょうちくりんな現象についてです。






    じつは、前のブログの記事で、次のようなコメントをいただきました。


    情報社会・・・情報の取捨選択が大切な時代とわかりながら、

    本当に必要な情報をつかめていないのではないかと思えます。

    つかんでいる気になっているだけ・・・。




    そう! よくぞ、ここまで私たちの置かれている現実を掴まれたと思います。

    実は、情報化社会のなかで大量に流される、私達に届く情報は、

    誰かが作ったある概念です。概念の渦を受け取っているのです。

    信じると、その概念に染まります。

    たとえば、「ライオンは恐いよ!」ひとつの概念です。

    これを知って、ライオンを見たらどうでしょう?

    こわいんだ! こわいよ~ と檻のなかのライオンにも近づけないかも?

    その反対に、なにも知らない幼児は?

    先入観のないまま、ライオンの檻の前に行った幼児は?

    恐がらないで、じっと、見つめているかも?ですね。

    そのように、ひとつの概念からの影響は、

    その意志がなくても、その概念の巾や、狭さに囚われます。

    ほぼ、その概念のたどりつく結論は決まっていますから、恐いのです。



    物事を、どう捉えているかという違いで、言い方は違ってくるでしょう?

    それは、真実どころか、事実でもなかったり、

    ある情報、概念は、ある事の為に事実を隠したものだったりします。



    例えば、「医者が不足している」という情報が、テレビや新聞で流れると、

    ”必要な医療を受けられない~”

    ”それでは文明国とは到底いい難い~”

    ”なんとかしてほしい~” と、不安になってしまいます。

    ”政治が悪いのよ~ ”  (笑い)

    国民を襲う、恐い不安のマグマのような怪獣に感じてしまいます! 

    そういう意味で、現代において、癌は、

    世界中で毎年850万人が亡くなっている。癌の真の原因は解っていない。

    癌=恐い恐竜、死神、亡霊に襲われたようなもの? あははっ~!



    この概念を打ち破りましょう!


    「医師不足」って、日本全国で医師は約28万人いるといわれます。

    そして毎年約8000人の医師たちが誕生しています。

    日本の医師は1日あたり約60人の患者を診ているという報告があって、

    医師一人で、年間8500人の患者を相手にしている勘定になります。

    OECD加盟国の平均が2412人ですから、加盟国平均の3.5倍、

    最も多い数字だそうです。

    一人の医師が、これだけの数の患者を診ているのだから

    ”3分診療”もやむを得ない?

    電子カルテの時代ですから、患者の顔よりもパソコンばかり見たりして!

    そりゃ、患者の顔も知らないと、薬や患者の取り違いが起こりますよ?

    これらは構造的な問題と言えるのかもしれません。



    こういう結果になるのは、診療費が安いという背景があります。

    もちろん、国民皆保険という制度に恵まれているからですが、

    外来患者一人当たりの受診料は、日本の平均で7000円、

    アメリカでは62000円、

    スウェ―デンならば89000円です。

    日本人は医者や薬への依存度が極めて高い国なのです。

    世界の人口を約65億人とするならば、わずか2%弱でしかない日本人が、

    世界中のクスリの2割もの薬を消費しているのですよ~。

    これは明らかに“異常事態”!!! ですよね~

    又、CTスキャンやMRIなどは、世界中の1/3 が日本にあるのですって!

    日本って、どこか、おかしくないですか?




    「医師不足」の問題は、「過剰な患者」の問題として捕らえ直されていきます。

    そして「異常な医者や薬への依存」の問題が、浮かび上がってきます。

    普通なら、追求するのはそこらあたりまでなのでしょうが、、、。





    しかし、そこまででは、不十分なのです。悪しき概念の撲滅なのですから・・・

    すべての現象の根は、私達の心の中です。

    そこまで撲滅しなければ、真の解決はないのです。

    だから、真の改革は、制度や法律じゃない、あ、それも要るわよ!

    人の心の中の変革。一人一人が大事なのよ!




    過剰な患者を作り出す、困った概念は、

    『肉体は、壊れていくもの、もろいもの 』という概念です。

    これは、特に、東洋の無常観が下地になるように利用されています。

    たしかにそうだ! この体は常にあるものではない。やがてほろびるのだ。

    と、 素直なのですね。 これを「肉体故障説」と言うそうです。

    その上に、私たちは、恐ろしいばい菌や、けがの感染があるからと、

    自分では病気や症状を克服できないのだ!と、

    知らず知らずに教え込まれた想念というのか、

    その上、自分のような素人ではとても対処できないと思い込まされて来ている

    面が強いのです。そのように大きな概念の雲が垂れ込めていて、

    教え込まれています。

    故障したら自分では治すことができないから、外部の力が必要になる。

    だから、助けて~と、自分の外へ、自分以外の力を求めて、

    まるで神の力を求めるように、”お医者さまぁ~””おクスリさまぁ~”

    と、頼ってすぐ走って行く。そのことが正しい、そういう思い込みも育てて、

    もう信念のようになっている我々の精神の構造があるわけです。

    そのように何かあったら専門家に修理してもらわなければならない。

    あたかも車を修理してもらうように!です。

    この外に力を求めると言うのは、西洋文明の二元論の世界の解決方法です。

    これが、西洋医学的、現代の医学の一般的な方法です。


    体を修理というのも、物凄い概念ですね。

    車は、壊れたところを車自身で直せないから、修理でいいとしても、体は?

    体は、体自身で治せるのですよ。

    だって、体は自然そのものの仕組みを持って生きているものです。

    自然は、命がある限り生きようとする存在です。

    右手がだめなら左手というように、右脳がだめなら左脳という風に、

    機能を変えながら生き残るすべを捜していくのが自然そのものです。



    私たちの体には本来、必要な治癒機能が備わっています。

    この考え方が、東洋文明の自然という命、

    命自身が自然治癒する力を発揮する。その手助けをするのが医者である。

    病気の原因を他に求めずに、自分の体の中へ求めます。

    くわしくは、次回へ。

    これが東洋医学の考え方なのです。

    ここまで、知ると、「医者=不足」という概念は壊されてしまうでしょう?


    なにが、悪いのでしょう? 我々の想念が、なにがなにやら分からないまま、

    右往左往して解決を外に求め過ぎるからです。




    子供の時から、自然を見てきた人は、これが分かるのです。

    特に、10代の多感な時までの自然との交流、自然を見て、触って、不思議に

    思った謎が、解けた事で知らずに学んで教えられた自然のいろいろなこと。

    人生においては、

    後になって学んだ理屈よりも自然がそうであったということが、優先します。



    これが、非常に重要です。

    また、これらの事は、西洋と、東洋の自然観、人間の捕らえ方、

    そこから当然の結果として生まれる

    西洋医学と、東洋医学の違いになって現れてきます。




    「医師不足」の問題は、

    「過剰な患者」の問題として、そしてそれは、

    「肉体は壊れるもの、修理が要る」という概念が原因だった

    という事が分かります。


    それは、どこから生まれたのか?

    東洋の無常観の通俗化と、

    西洋二元論の自分より他へ解決を求める方法論へ結びつき、

    蛇がとぐろを巻いている状態なのです。


    これを打開するには、

    無常観を風土にもつわが国が、真の意味での『天の道』を、

    自然の摂理に根ざした生命観、健康観に立ち戻らなければ

    いけないと思います。


    膨大な医療費のうなぎ上りの増加、財政の赤字、増税、

    いい事ないのです!


    根底には、「肉体故障説」という概念があるからです。

    これは、西洋二元論の害悪的解釈かしら?

    制度的に後期医療だ、なんだと、作ったって、

    この誤った概念を打ち壊さなければ解決はないでしょう。


    今までの癌の概念をぶち壊したkoukisinboyさんのブログをご紹介します。

    次回の記事をお読みいただくまでに、ご覧くださったらいいなぁと思い、

    お薦めします!


    次回へつづきます。














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    『健体康心』 2.癌をコワイと思う恐怖心が一番つけこまれる弱みになります。

    Category : 大自然と科学


    庭の花の蕾


    よろしければ、音楽をどうぞ





    koukisinboyさんのブログをご覧になられましたか?

    やはり、驚かれた方が多かったですね!

    実際に癌患者を臨床で見ている一医師が、一番現実を知る、と言うのか、

    不思議なのですが、こうなのですよ~


    本当の事は、現実の生の姿を知った一個人から発されるのです。

    何の引っ張りもない、義理も、利害関係もない自由な立場といったら、

    そうなるのかもしれません。

    私の場合もそうです!

    東洋学の権威者は多くいらっしゃると思うのですが、、、

    私などが書かなくても、、、? と思う事もあります。 (笑い)




    さまざまな概念の守り手になってしまっていたら、抜けられないのです。

    権威を持ってしまったら、もうだめなのですね~

    運命学の教え、『 旺ずる極み(=帝王の次)は衰(すい)』

    王様の次は、もうなるものがないのです。

    自分が倒される危険との闘いです。負けは失脚か、亡命か、、、

    大抵の人は、守りに入るでしょうね~

    栄えている姿のなかに衰(おとろえ)の象(かたち)がある。

    東洋的思考の深い洞察です。肉眼では見えない象(かたち)です。

    肉眼の感覚を時間という座標軸に乗せる、実相から未来をうかがうのです。

    現象の底から、現象でない物を掬(すく)い取るのです。


    ある意味、東洋的学問は、外形(陽)を無視します。

    囚われません。捨てるのです。外形に騙されません。

    外形を、単なる現象として捕らえる肝っ玉があるのです。






    今の世は、自由そうで、新しそうで、実は、大変大きな力で、

    現状を変えない方向へ力が働いています。

    それは、あたりまえなのです。

    そのなかを変えていくからこそ本物なのです。


    いつの時代でもそうですから、、、

    このイタリア人の医師も、癌の原因はカビである。という事を発表してから、

    違法な治療をしたという罪で2年間刑務所に入れられたそうです。



    それは、まるで近代科学の先駆者といわれるロジャー・ベーコンのようです。

    彼は、13世紀の哲学者ですが、初めイギリスのカトリック司祭になってから、

    当時、世界の最先端にあったアラビア科学と哲学に親しみ、スコラ学の概念

    に集中する神学研究の改革を提唱したキリスト教神学者でした。彼はアラブ

    思想を教会へ持ち込んだとして、フランシスコ会の中で無許可な著述活動を

    禁止されます。その禁令を無視して秘密裏に著述をした為に会の中で、断罪

    され、アラブ思想を広めた疑いで投獄され10年間幽閉されています。



    近代科学が生れるまで、科学者は、同時にキリスト教神学者だったのです。

    キリスト教社会の中で、神学を勉強をして司祭になり、神学者となり、そのキ

    リスト教哲学の宇宙観を教える。その宇宙観のなかで自然を観察する。

    それで充足していた頃はよかったのですが、天文学や暦、自然観察を通して

    発見し得られた事実が、キリスト教的宇宙観から逸脱した科学的知識だとす

    ると、神学に反する知識として認められずに、異端者扱いを受け、断罪され、

    牢獄へ入れられたりしています。


    それで、キリスト教という宗教は、近代科学の発展を阻害する存在と言われ、

    キリスト教会と、科学者たちとの間には争いが起こり続けました。

    有名なのが天動説から地動説、地球の自動説を認めるかどうか等の論争が、

    キリスト教神学と観察と経験を重んじた科学者の間で続いて、ある意味さまざ

    まな歴史を経て来ているわけです。

    ニュートンも、司祭や神学者ではありませんでしたが、生涯を通じてキリスト教

    研究に打ち込み、カトリックを激しく攻撃していました。



    そして、今もなお、科学史におけるプロテスタント、ひいてはキリスト教の役割

    を巡る論争に発展し、この論争は終熄していません。






    1885年にドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが発表した著作

    『ツァラトゥストラはこう語った』の中に「神は死んだ」 と宣言した有名な

    言葉があります。彼は、これで、ソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で

    支えてきたキリスト教思想=西洋哲学の死を告げたわけです。

    彼は、西洋思想である絶対正義を語るキリスト教の絶対的な善悪だけでなく、

    相対的な善悪も否定しましたから、ヨーロッパにおいて

    しがらみも伝統も秩序もまったくの無であるということになります。



    ある意味、近代において、死んだ神の後を継いだのが「科学」です。


    今度は科学が新たな神になったわけです。





    そこから、新たなあらゆる価値、新しい秩序が可能だと言うのでしょうが、

    本当に? そういう事になるの? なったの? うっそ~?


    だって、今、125年経って、世界はこのありさまなのですよ~!

    何の秩序も、新たな価値も、なにもなってない! ぐずぐずではないですか!

    私はいつも、ニーチェのこれを読むたびに、残念になります。

    神は死んだ、かもしれないけれど、

    仏まで死んだわけではないでしょう? って! (笑い)

    彼は、仏教は諦めを進めているからダメだって、言っていますが、

    彼が言う仏教とは、小乗教ではなかったか?



    しかし、西洋思想の柱である「神は死んだ」おかげで、

    キリスト教の宇宙観、自然観から解き放たれ、自由を得た?科学は、

    ある意味キリスト教神学の束縛を断ち切って近代科学は発展をしました。

    が、しかし暴走をして20Cを原爆の世紀にした、と言えるでしょう。

    今の科学は、もう怖い者がいない! 実にこれが、恐いことよ!。

    今、世界に、科学の暴走を止める道徳や、均衡の力は見当たりません。



    先端を行く科学の暴走を諌め、統御できる、高度な思想をもつ宗教、

    もしくは哲学が出て来ないと、今の科学は神の座から降りないでしょうね。

    イヤ! もうすでに、科学をあやつる金融が、現在の神なのかも?

    経済が、神になる? そうなのですよ。 3月12日付けのブログの記事の中の

    あの逆さまのヒエラルキーの三角形を思い出してください。

    宗教や哲学の影が薄くなった時、

    品格を失くした賎しい経済が大手を振って王座に就くのです。





    むかし、王権は、自らの正統性の為にキリストの神を利用しました。

    キリスト神学は、自らの権威を守る為に科学者を迫害しました。

    今、世界の金融は、世界の富の支配の為に、

    神になった科学の成果を利用しようとしている、もうしている。


    ある部分、もうすでに科学は金融商品になっているのでしょう。



    バイオのベンチャー企業を立ち上げた研究者たちの、

    人間関係や資金のご相談に来られる内容を伺っていると、

    その思惑や様子を垣間見るような気がして、命に関わる事柄であるだけに、

    不安と恐怖を感じずにはいられません。



    癌だって、同じなのですよ!

    世界で一番恐れられている病は、それが治れば値、千金です。

    命に値するお金が動くわけですから、、、

    癌をコワイと思う恐怖心が一番つけこまれる弱みになります。

    この恐怖を乗り越えなければなりません!

    そうしなければ、癌と金融の悪魔につけこまれるのですよ~


    患者と、その臨床に携わる医師たちは、必死なのです。

    が、日本においては、あらゆることが患者に不利になっています。

    それをよ~くわきまえて、ただしい癌の観点を見出しましょう!

    まず、ただしい健康観、病気観、を知ってくださいね。

    それは、東洋にあります。

    それを証明してくれたのは、ニーダムです。


    20世紀、イギリスの生化学者であり、科学の歴史研究家である

    ジョゼフ・テレンス・モンゴメリー・ニーダムです。

    中国科学史の権威者であるジョゼフ・ニーダムは中国の科学史研究で、

    自著『中国の科学と文明』で次のように言っています。

    ・2世紀~17世紀頃までは、中国の科学的技術の方が、西洋全般におけ

    る科学よりもレベルが高かった。

    ・中国科学の天文学や物理学などの無機物的な分野に限れば、

    18世紀頃に西洋科学に追い抜かれているが、

    そのスタートは西洋科学よりも早く発展し、追い抜かれるまでは、

    西洋科学よりも上位にあって、それを長く保っていた。

    ・自然に関する分野のなかで特に生命の領域、特に有機体論的な特徴が強い

    分野においては、未だに西洋科学の追従を許さない。

    ・その特徴は、有機体論的な分野であればあるほど、顕著で、

    現在でも中国の生命科学知識は西洋科学のよりもレベルが高いと言える。

    ・それは、病気を治すのが目的の医学の領域に、おいて端的である。

    ・中医学は西洋医学よりもレベルが高い。

    ・西洋医学のほうがはっきりと劣る領域があるのである。

    例えば、中医学の鍼療法は、中国や日本で実践され当たり前のように用いら

    れ確かに効果があることが知られているにもかかわらず、

    西洋医学の理論体系では、その原理をうまく把握することすらできていない

    のである。

    ・一般に、健康を増進させる事や、自然治癒力を発揮させる事については、

    東洋医学のほうが優れている。それに対して西洋医学のほうは健康を害して

    しまったり化学薬の副作用で人々を苦しめたり医原病を作り出してしまう

    傾向があることを自著のなかで、しばしば指摘をしている。


    ニーダムのライフワークであった大著『中国の科学と文明』は、

    中国文明だけではなく他の非ヨーロッパ文明に対する見方を一変させるほど

    の衝撃を西洋世界の知識人に与えたのです。


    ベーコンが著述を禁止されて、秘密裏に著述をした『大著作』という中には、

    将来における数学、光学、化学に関する記述があって、

    宇宙の規模、顕微鏡、望遠鏡、飛行機や蒸気船が将来発明されると見通し、


    また、宇宙の運行が人間の運命と心身に影響する。と書かれています。



    つづきます。
















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    発酵菌を通して見る、自然をゆがめる科学物質文明

    Category : 大自然と科学
    河童橋

    上高地・河童橋






    お彼岸の入りは20日で、明けは26日です。

    そう、23日は、満月でした。 ご覧になられましたか?


    天空の時間は、寸分の狂いもなく月齢は、数えた通りにやって参ります。

    当たり前のことですが、この秩序に、深く感謝をしましょう。

    これで、

    命の秩序が保たれていると言っても言い過ぎではありませんから、


    そういう気持ちで静かな満月の夜、月へ感謝を祈りました。




    それでは、本文へ、


    今回も、ふしぎなことが...!

    本当は、前回の記事にしようと思っていた”自然菌”の話を、

    敗戦記念日の事を優先した為に、今回へ廻したのですが、

    じつは、この記事を書く前に、前の記事に次のようなコメントを

    いただいてしまいました。


    料理の話も出ていましたから、少しだけ述べさせていただくと、

    今身の回りにあるものの多くは自然発酵したものではなく、

    無理に(化学的に)それに近い形にしたようなものが蔓延り、

    下ごしらえという部分にすら

    お手軽が肩で風切る世の中になってきていますからね。

    本物を知る機会があらゆる面において少なくなって、

    まさに形だけの世の中になってきてしまっているように感じます。

    でもいったんその本物の味を知ってしまうと忘れられなくなるように、

    本物を、まず、どこに行けば手に入るのかという情報を

    求めるようにすべきでしょうね。

    その味が、自然のものよりも化学調味料の味のほうがおいしいと

    感じる前に。。



    あはっ~? 

    という感じ、、、で、(笑い)

    どうして私が、書きたいものが分かってしまうの? 



    コメントのお返事にそう書きました。



    そう、まさに、今日は、この自然発酵した自然菌の記事です。

    科学の進歩がもたらした物質文明、

    経済の効率をあらゆる価値の頂点に置く流れが、

    いつの間にか、発酵菌の自然をゆがめ、壊した実態を通して、

    厳然たる東洋の哲学的なテーマ、『天下は一つである』

    私たちの存在は、天下(自然、宇宙)と一体であるという不思議な存在感

    を追求していきたいと思います。




    宇宙と人間はつながっているというイメージは、

    最近の情報の中にも増えてきていますが、

    ”つながっている”という、緩慢な中途半端な言い方は、

    科学が、宇宙や私たちの関係を解明できていない

    自信のなさから来る言い方です。


    東洋的思考においては、もう、何千年も前から、

    宇宙は我であり、我は宇宙である。    

    そう、言い切っています。


    『天下は一つ』とは、

    人も自然も宇宙も、一つの生命体であるという事です。


    つまりは、この宇宙において、”人間は、特別な存在ではない。”

    人間だけが、

    都合よく、他の存在を差し置いて一人繁栄できるものではない。



    人間と、自然宇宙を対立させる存在観である西洋的思考の欠点に、

    私達も、そろそろ気が付いてもいい頃ではないかと思います。




    現代の科学文明は、空前の物質文明をもたらしましたが、

    ”科学”という、その名の通りに、

    分ける、区分けをしていく学び方ですから、

    全体の在り様を、どこまでも細分化するのに留まるところがありません。

    今の学問の欠点は、

    どこまでやっても全体観に立てない。部分観のみの集合でしかない。

    部分知の寄せ集めで、全体知、包括的な観点を失う事です。



    宇宙の全体の在りようや、人間のありよう全体を、分割し、分断し、

    その一面のみに囚われるという過ちを犯してしまうのです。


    また、意識中心の知識教育の影響で 『 陽 』 に傾きすぎた現代は、

    目の前の絶えず変化していく自然の、その奥にある不動のもの、

    それに気づく感性が、子供の頃から育ちにくいです。


    物質文明のおかげで、

    我々は、物が壊れる前に潰してしまい、

    造りなおすという経済活動の為に、今の子供たちは、

    終局の滅びの姿すら身の回りで体験出来なくなっています。

    大人も無常観どころか自然のリズムを味わう暇(いとま)がない。

    前の記事にも書きましたが、本質や本気が遠くに行ってしまう文明です。


    その上に、真実を覆い隠した現実を、相対化してしまい、

    まさに現象に溺れる幻惑の只中にいるという事に、

    気がつかなければ、、、



    その幻惑を、小さな菌の存在から打ち破れる記事になりますように。

    あはは。  たぶん、長くなります。  

    2,3回に分けるつもりです。  よろしくお願いします。






    千葉県香取郡に、創業が1673年という老舗の酒蔵、

    寺田本家があります。

    ここで、わざわざ寺田本家を取り上げさせていただくということは、

    その特徴、寺田本家では、

    酒の醸造に使う麹菌を、稲につく稲麹を自家培養した天然菌を

    使うことに取り組まれているからです。

    天然菌でお酒を醸造している。・・・・当たり前と思われますか?

    それが、どれだけ貴重なことになるのか?






    まず、その天然菌についてから始めましょう。


    天然菌とは、納豆なら藁にもともと付いている菌の事です。

    日本酒なら、

    酒造蔵の壁や、酒樽の木や、建物に住み着いている菌です。

    パンなら、人が立ち入っていない白神山地から採取した

    ”ホシノ酵母”が市販でありますが、

    本格的な、”天然酵母のパン”は、多くが油のコーティングが

    していない干し葡萄にある菌を起こして発酵させます。

    干し葡萄に付着している菌を起こすために、

    菌の餌となる砂糖水に漬けて、

    菌が活性化する最適な温度に保って菌を起こします。

    私が自家製パンを焼く時は、干しイチジクの菌を起こして発酵させます。

    イチジクの香りが、やさしくて好きです。




    昔は、これが、当たり前だったのでしょうが、

    今は、稀、極まれな事なのです。

    第一、手数が大変ですし、素材が自然でないと菌が起きてくれません。

    農薬など添加物や余分なものが混じると菌は死んでしまうからです。



    じゃぁ、今はどうなっているの?

    お酒に限らず、発酵食品全般、味噌、醤油、酢、納豆、そしてパン、

    これらを発酵食品と言いますが、

    今は、化学的に操作・培養された菌が使われています。


    が、しかし、”天然菌”は、商標登録ではありませんから、

    現在、多く流通している他の人工的な菌を使ったお酒や、パンにも、

    「自然酒」、「天然酵母」といった言葉は使われています。

    工業的に操作された発酵菌が使われているにもかかわらずに、、、



    驚くのは、工場で操作された菌であるイースト菌を使ったパンであっても、

    袋に「天然酵母」とコピーが書かれていたり! あきれるばかりです!


    これは「有機」、「無添加」と書かれた素材であっても事情は同じです。

    有機は、

    有機認証マーク(地球のような輪が3つ重なって葉になりJASとある)

    が印刷されているのが、その証拠ですが、

    マークなしで有機○○、と表示されたものが多いですね。

    保証のない有機とは、なにぞや?

    単に、有機と書けば、売れる? あはは。






    無添加も、何が無添加なのか? 

    保存料の代わりにPH調整剤を入れて、

    なぜか無添加と、堂々と表示していますね! 

    PH調整剤の方が、ある意味怖いのですよ。

    なぜなら、PH調整剤は、法的な量の規制がありません!

    これは、もう、食品行政のいい加減さ、

    消費者よりもメーカー側に立った行政であるという証でしかないの

    ですが、食品に関しては日本は後進国、そういう玉石混交が現状です。


    横道にそれますが、

    遺伝子組み換え稲(GMイネ)を数年前から、(↓ クリックをどうぞ!)

    独立行政法人 農業生物資源研究所が、つくばで実験栽培をして 

    毎年成功しています。

    隔離したガラスの温室のような所で作っていますが、

    つい最近、その天窓が開いて放置され、

    先週、GMイネの花粉が外へ飛び散ったのではないかと

    ニュースになっていました。

    何が目的なの?


    数年前、

    スギ花粉の遺伝子をイネの遺伝子の中へ入れた稲が出来上がって

    いましたから、それを、知らずに国民の食べるお米に混ぜて.....

    食べさせる戦略? 国民病の花粉症対策?


    お馬鹿じゃない! 

    哲学や道徳の希薄な頭脳がいい人というのは、

    何をするか解らないわね??

    ほんとうに!理解に苦しみます。


    アメリカだってヨーロッパだって、自分たちの主食の小麦の遺伝子組み換

    えをするなどという国はないのです!

    主食は、経済効果等の対象から外しているのですよ!

    GMトウモロコシ、GMダイズだって、栽培しているカナダやアメリカでは、

    本来、豚や、牛の飼料用です。

    日本人だけがそれを輸入して、主要食品にして食べている!!!

    GMジャガイモの輸入実態は、どういう形で輸入されているのかすら

    日本の消費者は、つかめていない状態です。

    おそらく、ポテトコロッケやポテトサラダ用にマッシュした粉末か、冷凍フラ

    イドポテト用? 加工されて輸入されると表示義務がないのです。

    さる国産野菜にこだわるモ○バーガーのフライドポテトは、

    なぜか

    米国産でしたっけ?

    原料の野菜は、国産を使っていると宣伝をしながら、

    なぜジャガイモだけアメリカ産なの? 

    北海道にあるじゃない。国産が.....

    安いからでしょうね? 

    商品は高級感で演出されていますよ~!

    あらゆることにおいて、日本の政府の食品行政は、いい加減ですから、

    ここの処の違いを明確にして、

    これらに惑わされないようにするしかないのです。





    明治以降、

    ほとんど廃れてしまった酒蔵の菌を使った”生もと造り”を探求している

    酒蔵が、これから、ご紹介をする寺田本家さん以外にも、

    六代目当主 杉井均乃介さんが自ら杜氏をする、

    杉井酒造が、静岡県藤枝市にあります。


    ”生もと造り”とは、麹と水の力だけで、他の菌の発生を防ぎながら

    自然の乳酸菌を増殖させているという事です。

    大変な労力と勘が必要とされる、最近注目されている伝統的な製法です。


    これと同じ工程を、大量生産の工場でする場合は、

    他の菌が混じってしまわないように、

    工場中をアルコール殺菌をして、操作培養した菌を使います。

    このようにして工場で大量生産で造られる現在の日本酒は、

    百薬どころか、

    百毒かもしれな~い!

    日本酒を飲むと頭が痛くなる? という声もあるようですから、、、。


    国税庁が平成20年度に調査した日本酒製造量の調査結果をみると、

    なんと製造された80%以上の日本酒に、

    醸造アルコールが添加されていて、

    残りの20%も、醸造アルコールの添加はないものの、

    そのほとんどが人工的に培養された麹菌や酵母を使っています。


    また、壜のラベルの原料欄には、

    表示をする義務はないので見る機会はありませんが、

    酒造メーカーへ原料を卸している原材料販売会社の商品には、

    蒸したお米の粘結防止剤や、酵母の発酵を補助するための商品が、

    酒造用薬品としてあります。

    本来、お米から造るはずの日本酒ですが、

    現在では原料や造る過程で、さまざまなものが添加されています。




    では、もう少し詳しく、今現在のバイオ技術による大量生産の発酵工場の

    実態を紹介をしましょう。


    戦後、一般的に酒造りでは、酵母菌だけでなく、

    麹菌も化学的に培養された菌を使うことがほとんどです。



    昔からの天然の菌を操作培養し、強力な発酵菌を作り出しているのです。

    その自然菌を操作培養する時には、重金属や薬品を触媒に使って、

    菌の遺伝子組み換えをしています。

    たとえば、納豆。

    納豆の臭いが強いと消費者に嫌われるという事で、

    臭いのない納豆ができるように操作された培養菌などを、

    醸造菌のメーカーが作ります。

    それを納豆の製造会社が買って、アルコール殺菌をした工場の中で、

    大豆に振りかけます。

    こうすれば大量に均一の味の納豆が、大量生産されるのです。

    ほら! どこの納豆だって、皆同じ味がしませんか?

    納豆のメーカーは違っても、

    菌が同じならば、同じ味になってしまうのです。




    なぜ? そんなことを?     これには、二つの理由があります。




    一つ目は、昔と違って発酵させる素材の質が落ちているからです。


    本来は、自然の作物である野菜や果物には、

    その表面にさまざまな微生物が住みついています。 

    天然の酵母菌がたくさん生息しているのですね。

    そして、

    その酵母菌たちの役割は、その野菜や果物を土に還す働きをします。

    植物の体を腐敗させないで、発酵をさせて土へ還す。そういう役割です。

    ブドウの皮に付いている微生物が、

    ブドウを発酵させて、ワインへ変化させ、

    ワインは、時間が経過すると、お酢(ビネガー)になっていきます。

    その間に、

    人ができることは、酵母菌が活動しやすい環境を作ることだけ、

    その間の重要な役割を果たしてくれているのが

    天然の菌たちなのです。

    その出来上がった発酵食品の良し・悪しを分ける原因の

    一つは「素材」です。

    素材が悪ければ発酵ならず、腐敗をします。

    素材が良いとは、自然のまま、

    人工の薬が掛かっていないものを言います。

    なぜなら、酵母菌は、農薬で死んでしまいますから、、、。

    じゃ、今、売られている味噌や醤油などは、大丈夫なのね?  

    良い素材で作られているという証拠なのね?  

     いいえ!!  とんでもない! 

    農薬や化学肥料、粗悪な有機肥料の影響で、

    今の素材では発酵できないで腐敗してしまうから、、、、、

    これらの素材でも、うまく発酵するように、

    強制的に発酵させることができるように、

    酵母菌自体を、弄くって操作して、培養をするようになったわけです。

    おわかりですね!


    自然じゃない、本来なら発酵しないものを、

    劣悪な素材を商品にする為に、

    無理やり発酵させようと工夫したのが、現在の人工培養の酵母菌です。

    納豆の納豆菌も、お味噌の麹も、お酒の麹菌も、すべて、、、。

    現在売られている発酵食品は、ほぼ100%、

    味噌、醤油、酢、納豆、酒、パン、このようにして作られています。


    なぜ? そんなことを? 

    もう1つの理由は熟成に要する「時間」です。


    菌たちは素材をエサにして、

    素材を分解し、さまざまな物質を作り出してくれます。

    私たちの身体に欠かせないアミノ酸、有機酸、ビタミン、ホルモン、

    などです。

    醸造の時間が長ければ、この量が豊富になっていきます。

    だから長期熟成されたのものを選ぶのが賢い選択です。

    だいたいの基準は、お酢ならば最低6ヶ月、味噌ならば10ヶ月、

    醤油ならば1年、これが最低ラインです。

    しかし、現在の大量生産のメーカーにおける期間は、

    お酢は、たったの一日!

    味噌・醤油なら2週間~1ヶ月で大体のものは作られています。

    発酵に必要な時間は本来決まっているにもかかわらずに、、、です。

    コストダウンの為に、時間を短縮する為に、

    その為に操作培養した菌を使う。

    他の、さまざまな方法も駆使して速醸する。

    それが、現状です。

    おかげで、お酢は、98円から、

    お醤油も、198円という値段で売っています。

    当然ですが、今の発酵食品は、昔の本来の力を持っていません。


    これが、戦後の”経済の成長”神話、

    エセ哲学を信奉して来た成れの果て!




    寺田本家の寺田啓佐社長の話題へ戻りましょうね。

    寺田氏は、35歳の時、十二指腸潰瘍になります。

    ”病を得て、人は道を求む。” 

    人は病気になって初めて生き方を考え、


    ”少病少悩 ”少しの病気と、悩みがあった方が、人は精進できる、

    という仏法の考え方がありますが、

    凡人は、病気は病院で薬をもらって治すものですが、

    偉い人の違うのですね。

    ”今までの生活や食生活が原因で病気になったのだ。”

    寺田氏の反省は、そこだけに留まらなかった。。  。

    それだけではないと寺田氏は考えたのです。

    病床で、自分の越し方、酒造りへの姿勢、経営を思い巡らします。

    生活も含めて、あらゆるものが、自然の理にかなったものだったのか?

    と何度も自問します。

    在り来たりの経営者のように、金儲けに走ったあまり、

    自分の体の声を聞かなかったばかりか、

    それは、同時に、経営の根幹である、酒を生んでくれる微生物たちの声を

    聞いていなかった。

    それを、痛感します。

    振り返れば、人間にとって都合のいい発酵・酒造りばかりを

    あまりにも追い求めすぎていた事に気が付き、

    そこからは、人間様にも菌にも都合のいい本当の酒造りを

    目指そうと心に決めたという事です。

    そのヒントになったのは、


    無農薬の素材米と、

    農薬や化学肥料を使った素材米をそれぞれ炊いて放置した時に、

    農薬や化学肥料を使った素材米の方が、

    タール状に腐敗してしまったのに比べて無農薬無化学肥料の素材米が、

    自然に発酵していたという経験でした。



    ”自分の十二指腸の中も腐敗せざるを得ない環境だったのだろう。”

    そう、病気の原因を合点したわけです。

    ”お酒造りも同じだ。

    自分の今やっている発酵技術も本当だったら素材を腐敗させる発酵だ。”

    現状の正しい認識を得ることによって、猛烈な反省をした訳です。。


    ”なぜなら農薬や化学肥料を使ったお米を使っているから、

    化学的に培養された菌を添加し、

    腐らないように強制的に発酵させる為に、さまざまな添加物を使う。

    その上、香りや味付けの為にも添加物を使って来た。

    もはや、自分がやってきた酒作りは、本来の酒造りではなかった。

    米や菌のかもし出す力を無視をして、

    酒作りの目的が、金儲けのみになってしまっていた。”


    もちろん、金儲けが悪いとは言いませんが、


    これが、因果応報の原理です。



    そこまでの深い洞察をしてしまった寺田氏は、

    元々が職人で純粋な寺田氏は、これではいけない!と。

    そこから、”自然な酒造りとは?””本ものの酒造りとは?”と、

    むかしながらの自然な酒造りに取り組みはじめます。

    それは発酵の元となる菌・微生物を通して『自然を求める道』でした。

    まず、

    菌の生きていく条件となるエサと棲家について、試行錯誤を始めます。

    酵母菌を自然界から取り込むために、

    蒸したお米を長時間かけてすり潰していく「生もとづくり」の復活です。

    これは、大変な重労働で、

    戦後のお酒造りは、これを省くために、

    化学培養された酵母菌の添加をするようになってきていたのです。

    そして菌のエサとなる素材の米ですが、

    自然の菌を取り込むまで腐敗しない本物のエサは?

    それは、無農薬無化学肥料の素材米に決めました。

    現在では、肥料すら使わない自然栽培米も使われています。

    どうして、これらは腐敗しないのでしょうか? 

    米の持つ力が違うのです。


    物質文明の坩堝の中で生きている私たちは、楽をしたいという欲望、

    お金が欲しいという欲望、おいしいもの食べたいという欲望、

    果ては有名になりたいという欲望、健康でいたい欲望、

    権力欲、支配欲など、これらの私たちの欲望が度を越すことで、

    自分だけでなく自分の周り(自然、他人)も共に害してしまう事に

    鈍感になっています。

    今の文明は繁栄を追及するあまり、

    そういう自然界にある秩序・ルールを置き忘れ、

    それらを教える元々の道徳・文化力が弱くなっています。


    孔子の「心の欲するところに従えども矩を超えず」は、どこ吹く風ですね。


    それにしても、その人間の欲望と発酵がどんな関係があるの? と

    思われることでしょう。



    今日の記事は、長くなりましたので、

    最後の”菌の住処”については、次回へ廻すことにします。



    よき秋の日々をお過ごしくださいね。

















    参考文献:
     
     『発酵道』 寺田啓佐:著 河出書房新社

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 文明・文化&思想
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    ”菌の世界”を通して見る、『天下は一つ』   現代文明のゆがみ

    Category : 大自然と科学
    ★上高地・田代池を過ぎて

    上高地・田代池を過ぎて





     今日は、記事に入る前に

    「プラネット・ダイバーシティ」開催のご案内です。


    多様性に富んだ地球の素晴らしさを守り、地球の多様性を祝いましょう! 



    10月11日~29日の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)

    カルタヘナ議定書第5回締約国会議(MOP5)まで、あと1ヵ月。国際会議の本番を迎え、


    「食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク(MOP5市民ネット)」はMOP5期間中に

    「プラネット・ダイバーシティ(※)」という市民発のイベントを名古屋で開催します。

    実りの多い秋は、生物多様性の恵みを実感する季節です。

    多様性に感謝するイベント「プラネット・ダイバーシティ」にぜひご参加ください。

    10月は名古屋で会いましょう!



    ◆プラネット・ダイバーシティ・プレイベント(屋外イベント)

    【日  時】 2010年10月10日(日) 10:00~16:00

    【会  場】 久屋大通公園もちの木広場 (名古屋テレビ塔南)

    【参加費】 無料

    【内  容】 グリーンマーケット、展示、ミニコンサート、トークショー、

    コミュニティ・カフェ、パレードなど

    ご来場の際には、マイバッグ・マイカップ・マイ箸・マイ食器を持参ください

    《プラネット・ダイバーシティ・パレード参加者募集》

    10日の15時から「地球の多様性を祝おう!」をコンセプトに、

    名古屋市栄周辺をパレードします。

    横断幕やプラカードにメッセージを書いて、

    生物多様性の大切さをアピールしてください。民族衣装や仮装も大歓迎!

    参加者は14時30分までに、もちの木広場に集合してください。




    ◆プラネット・ダイバーシティ・フォーラム

    「生物多様性を守る食と農~GMOのない世界をめざして~」

    【日  時】 2010年10月11日(月・祝) 9:30~16:40

    【会  場】 ウインクあいち 小ホール1 (名古屋市中村区名駅4-4-38)

    【参加費】 500円(資料代)

    【内  容】 

    講演 「遺伝子組み換え作物のない世界へ」 パーシー・シュマイザー他

    報告 「遺伝子組み換えナタネ自生全国調査活動6年間のまとめとこれから」

    MOP5・国内法改正へ向けた市民提言の発表など。

    遺伝子組み換え作物の専門家を国内外から多数お招きします。

    チラシデータのダウンロードは、   こちら↓からどうぞ!

     「プラネット・ダイバーシティ・フォーラム」チラシ.pdf 






    さぁ、記事へ行きます。

    今日は、前回のつづき、寺田本家の寺田啓佐社長の『発酵道』からでした。

    その自然における発酵の世界、微生物と向き合う酒造りの中の最後、

    菌のすみかについてでした。




    さぁ、その前に、


    ご存知でしょうが、食べ物に限らず、そもそも私たちの体に、

    カビやバクテリアや、たくさんの菌たちが住み着いています。

    その事を、少しくわしくまとめてみたいと思います。


    自然のあらゆる植物には、たくさんの菌が付いている。

    自然界も、そうなら、人間もそう。

    目には見えませんが、一人の体に付いている菌の総重量は、

    1,5kgにも達するそうですから!

    人の細胞は60兆と言われているのに比べれば、

    数で言えば細胞の数より菌の数の方が多いのです。


    つまり私たちは、ものすごい数の菌たちと共存しているのです。



    ”え~っ!菌がいっぱい付いているの?”

     ”いやだぁ~”、”汚い!”って。    あはは。

    その数は、100~150兆匹も! !


    例えば人間の皮膚に元々住みついている常在菌の総数は約1兆匹です。

    皮膚の表面積、1センチ平方当たり平均3000匹もいるそうです!

    場所によっては30万匹が集落を形成し活動している!

    こうして菌たちが私たちの皮膚をビッシリと覆って生きてくれている!

    たとえ外から有害な菌が来ても、有害菌が繁殖できるだけの隙間がない!

    その生命活動の結果、酸を出してくれているので、

    細菌やウィルスなどの外的から私たちを守れるのです。


    結局、肉眼で見える世界は、人間と自然は、乖離しているようですが、

    実際の所、菌のレベルでみれば、みんな同じ穴の○○○、 あはは~!


    もっと、究極の言い方をしますと、

    命が、存続する為の条件といったら、菌に守られている状態なのです。

    菌がまったく体から居なくなったら、人間は生きてはいけない・・・・・





    宇宙飛行士の毛利衛氏が、次のように言っています。

    「シャトルの中では、酸素と窒素の人口空気を作っているのですが、

    地球の空気はそれと全然違うのですね。

    私はスペースシャトルで地球に帰ってきて、ハッチから地球の空気が入って来

    た時に「あっ、」と思ったのです。

    ばい菌や微生物がウヨウヨしている空気なのですが、

    ”ああ、これがないと人間は長く生きられないな”と感じました。

    ほかの生命とのかかわりの重要性が身に染みてわかったんです。」



    その事から、正しい菌に対する認識を持たなければ、

    私たちが、危ない! !

    現代の商業主義がバラ撒く悪しき常識を、打ち破りましょう!


    消臭、除菌、殺菌が、どれだけ生活に必要だ!といい続けるCM。

    その宣伝を垂れ流し続ける化学製品の会社のCMです。

    科学文明の成果を、都合がいいところだけ企業の利益に利用をしている

    色界の魔王の手下、化学製品を売りつけようとする間違った認識です。


    あのCMのように、除菌や殺菌をする必要はないのです。

    汚れは清浄な布で拭く。水洗い、すすぐ。日光にさらして干す。

    それで十分です。

    最近では医学会においても消毒に対する考え方が変化して来ています。


    過去においては、

    傷には、化膿止めの為に、染みて痛くてたまらない消毒液をすぐさまつける。

    今は、清水で異物をよく洗えば大丈夫、という事になっています。

    ご存知でしたか?


    これは、ある学説が、

    2004年5月の日本皮膚科学会で、相澤病院の夏井医師が、

    「消毒薬は傷の治癒を遅らせ、患者に苦痛を与える。

    消毒薬は細菌だけでなく細胞にも悪影響を与える。」と発表しました。




    こんな発表は、遅すぎる位です!

    私の長い経験ですが、傷や手指をちょっと切ったという時、

    我が家では、一応常備薬は備えておりますが、

    傷口に、消毒薬や傷薬を点けるという事はほとんどありません。

    毎日飲用している酵素液が台所にありますので、それを傷口に点けます。

    酵素が、そういう働きをしてくれるという事を経験で知っていますので、

    何もせず、血が出ているその上に垂らします。

    指先などでしたら、おちょこ様の器に酵素液を注ぎ、その中へ指を浸し、

    約、2~3分後、傷口は塞ぎ、出血は止まります。


    そのまま指に何もせずに、直ぐに仕事を継続できます。

    消毒薬は、ばい菌も殺すかもしれないけれど、細胞も生き物、傷口の細胞も

    傷つけて細胞の賦活力を失くすのではないかと言う疑問があったからです

    が、まさに、その通りの発表があったわけです。

    あの傷口がグジュグジュするのは、傷が細菌によって化膿したのではなく、

    あれは、皮膚を修復する役割の菌や、血小板や顆粒球などの白血球で、

    傷ついた細胞を修復し、新しい細胞を作り出そうとしている状態なのです。

    命に備わった危険に対する防御システムのひとつなのです。


    消毒薬を使ってしまえば、細胞が自らを治そうとする修復機能を低下させま

    す。また、私たちの体は、出血が多量の時は、皮膚の血管を収縮させて皮膚

    に回す血液を少なくし、臓器や脳に行く血液が不足しないように、

    臓器や脳を優先させようとする機能もあります。

    この事実は、私たちの体は、自分の意識で生きているのではなく、

    自然の秩序の中で生かされている。

    生きようとする力を与えられているのです。

    それは信じてもいい事です。




    宇宙は、137億年、地球は46億年存在していますが、

    それは、人類の意思や意識に、まったく関係ありません。

    人類が知性だと言って、どのように意識するかは勝手ですが、

    宇宙や地球の存在には、意識では迫れないと言うことです。



    だから、科学技術だけ進歩したってだめなのです。

    だから経済だけが発展したってだめなのです。 





    菌は、発酵食品の為だけではなく、身の回り、

    森や、山の中、田や畑、家の中でも、私たちの体においても菌は膨大な数で

    自然の生を支えて活躍しています。生の営みがある所、言い換えれば

    菌が働いている所は皆、生の営みがあるのです。

    私たちの生活の場面で、菌は悪役呼ばわりをされ、目の届く範囲において、

    すべての菌を殺すことが正しい行為、しなければならない行為のように

    イメージ付ける情報が多すぎます。

    これらは、正しい菌を含む自然観を壊し、自然の秩序を無視するものです。

    除菌や、殺菌が所かまわず行われ、当たり前になっています。


    自然にもともとあるべき菌との正しい関係、それを破壊するとその結果は、

    私たちの生命へそのまま跳ね返って来るでしょう。

    それこそが因果応報です。


    商業主義に乗せられた情報のみで、見えない菌をバイ菌と決めつける癖、

    物事を決め付けて行く習慣を改める時期に差し掛かっています。

    今の商業主義のメッセージの方向は、間違っています。


    いつの間にか、大人が乗せられて、染まって、

    それを、未来の子供たちに、擦り付けていませんか?



    私たちの生をバックアップしてくれている菌の存在、

    共に、生きていかないと人間の命すら危うくなる...


    そのイメージを持っていただいて、

    寺田氏の話題へ入って行きたいと思います。





    地球があるがままの自然における発酵の世界、

    自然の微生物と向き合う酒造り、

    自然菌の住処についてでした。


    自然菌の棲家・住処は、寺田さんは、「発酵場」と言います。

    「場」とは「環境」です。

    日本のカタカムナという古文書にも啓発され、場の電位を高めるために、

    寺田氏は酒蔵の下に炭を埋めました。

    むかしから多くの寺社仏閣の下には、炭が埋められています。

    この炭を埋めることによって地下の電位を高めます。

    いわゆる森の沢や滝などもそうですが、人間が居て心地よい場所というのが

    あり、その原因の一つに電位があるといいます。

    さらに、人の気持ちも酒造りに作用するというのです。

    働く人が心地よく、気持ちよく、菌にとっても心地よい環境。

    それが、寺田氏の言う「発酵場」の概念です。

    だれにとっても「快」である場を造ることで、おのずから菌はうまく発酵し、

    いいお酒ができるようになったと寺田さんはいいます。


    重要なことは、自分だけの欲求ではなく、

    その場に関わるすべてがうまく調和して、

    発酵していくような快感の「快」を求めることだというのです。



    最後に寺田さんの言葉を紹介します。

    「むかしからお酒造りに『御酒ひびき(みきひびき)』というのがあり、

    三つの『き』が酒造り、そして人にとって重要なのです。


    それは、うれしき、たのしき、ありがたき、です。


    うれしき、たのしき、ありがたき・・・。

    人間はどうしても社会の中で、自分の我を通してきました。

    また我を張らなければならない局面もあると思います。

    しかし、可能な限り、自分から自然に触れ、自然の目指す方向に気づいて

    行く。そして自らを修正する。

    自分自身と共に、多くの他の存在にとっての「快」の追求。

    そういう、うれしき、たのしき、ありがたき 環境作りをする。



    発酵のその場にかかわるすべてにとって快適な場をつくっていく時、

    いいお酒ができることに寺田さんは気づき実践されてきました。

    自分だけの喜びではない喜びというのは、確かにここちが良いものです。

    本当は、こういう境地を私たちは、探しているのかも知れませんね。

    私達は、自分も,他人も,自然も,未来の子供たちさえも快適にする、

    私達は、自分も,他人も,自然も,未来の子供たちさえも快適と感じ

    るようになれる選択をしなければなりません。



    宇宙や地球の存在自体は、未だに無意識の世界。

    人類にとったら、生きていけない『死の世界』です。

    人類にとって生きていける場所は、地球だけです。

    地球のように、水を持つ惑星があるのか?

    まだ、科学では完全に解明されてはいません。

    今のところ、唯一の水の惑星、地球。

    この地球の多様性を守らなければ、私たちが危ない!


    今の文明を、このまま受け継がせていいのだろうか?

    大人が、これでいいという振りをしていていいのだろうか?


    そういう問いが、

    ずっと心の中にあります。



    秋の静寂の中、


    良き夜を、

    どうか、おすごしくださいね。



    ^^感謝です。
















    『副作用 その薬が危ない』  大和田潔:著 祥伝社新書
        
    『菌の常識 人間の非常識』 井上眞由美:著 平凡社新書

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    どうぞ宜しくお願いします。


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    ジャンル : 心と身体

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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