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03/15 21:13 |
運命鑑定日記 1. 男と女の性質,役割をひっくり返したような恋愛・・・・・Category : 運命鑑定日記
フジコ・ヘミングの ショパンのノークターン を どうぞ!
若い、若くない? に拘わらず、 女性のご相談の一番は、 恋愛の入り口に立ち止まって、 相手の気持ちを教えてほしい、 本当にそういう内容ばかりです、、、 (笑い) 圧倒的に、年代に関係なく、こういう内容が実に多いのです。 “コノ人を好きになったのは、私の大事な気持ちなの。 だから、正しいはず。決して間違っているはずがないわ! ” そう思い込んで来られるようです。 私が彼を思っている此の心は、”本当で正しいわ。 だから、私はシアワセになれるはずなの。 だから、絶対に、この恋愛を成就させたいのです。” と。 ものすごい熱意と、強い願望を持って来られます。 いつから、人を好きになる自分の心を、 正義だって、言い出したのかしら? こんなところまで、いいか悪いかの西洋の二元論的な思考なのです。 とにかく、今は、自分の事を、まず真っ先に悪ではない方へ 自分を正当化するようになって、しまいましたね、、、、、。 本音は、ただこう言いたいだけのはずなのに、、、 ”恋愛を成功させるノウハウを教えて!” そうね! この心に尽きると思います。 あはは~ 意地を張らないで素直に!言ってくれればいいのに! (笑い) 好きな人が出来たことは、それはそれは。おめでたい事ですね! 愛でたし! あは! 運命鑑定士の私が 持てる力を出し切って、全力で応援しましょう! そう言ってさしあげたいのはヤマヤマですが、、、、、、、、 『恋愛は自由なの!』 『私たち、自由でしょ!』 『カレは男だけど私と同じ人間、男女平等の世の中、対等でしょ!』 自分が好きになったのはいいとしても、 それから、一歩も譲らない心でこういう風に、主張されます。 この台詞、どこか臭わない? クサクない? (笑い) くさいです! あはは! 西洋のキリスト教文明の上澄みだけを掬い獲(スクイト)った戦後の教育 の成果なのでしょうか? ご自分を控えめにする美徳も何も忘れて、 どの女性も、まずご自分の幸せ第一に夢中になっていませんか? これらの言葉、 イメージ。 もともと日本人の特質でしたか? その上、俗に言う、 賢い女性が、時代の先端を行きたがっている人こそが、 そう、知識や先取性豊かな女性だったら余計に、 これらの言葉のイメージをそのまま、 幸せになる栄養として吸い上げていますよ! 知識を、完璧に武装闘争に役立つように身に着けて、 何の疑問も持っていない! ! 足の先から、頭のてっぺんまでが、お酒を浴びて、 安いアルコールに酔ったような気分なのです。 ”私が幸せになるには、彼がどうしたらいいのですか?” ”私は、彼に~~させたいのですが、大丈夫ですか?” あはは、まるで、 女が自分で自分の恋愛の設計図の通りに物事を運ぼうと、、、 そうすることが女のシアワセだと思い込んでいる方が 多過ぎます。 好きになったのは間違いよ! なんて、、、 野暮を言うつもりは毛頭ありません。 でも、まず、次の事を頭に入れていただけたら、と思います。 『私たちは不自由です』 そして, 『カレは男。そして私は女、役割や特質も違います。』 それが、前提でしょう。 いかがでしょうか? 男と女の性質,役割をひっくり返したような恋愛や生き方の上には、 シアワセはありません。 無理なのですね。 シアワセというものは、長い時間のスパンで築くものです。 運命学では、 なかには、相性によって不幸のかたちでしか成就しない恋愛もあって、 一生という長い時間で観る時、 できれば恋愛をするのを避けた方がいい相性もあります。 すべてを、自分の物差しで計って、 それで、すべてを決めようというのは、問題ですね。 昔からある、東洋の知恵を少しでも参考になさるように、 運命学は、ある時はきびしい知恵でもあるのよ。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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03/21 19:35 |
運命論 1/4 "運命論"の本筋からです。Category : 運命学
![]() 今日は、BGMは、ありません。(笑い) その代わり、あなたの真上で静かに照らす、 月の光を浴びながら、お読みになってくださいね。よろしく、、、、、 う~ん~。喜んでいいのか、 (笑い) 鑑定の仕事で、コントロールの効かない忙しさの渦のなかにいます。 世相や経済がこんな状態なので、 一身上の変化が起こって来るからでしょうか、、、 最近のご相談者は、もともとご自分でよく考え抜いていて、 自分の決定は間違っていないかどうか、 慎重に見極め、将来にわたって安心したい、 そういう心境でご相談に来られます。 今日の記事は、"運命論"の本筋に戻ろうと思います。 今という時代は、 自分の問題点を自分で解決する事が、 難しい時代と、感じています。 なぜなら、 今は、それぞれが、立場の違いや、 役割というものに気づく事が、むずかしいからです。 なぜ難しいかというと、 各人が自覚したり、目覚めない方が都合がいい という所から多くの情報が流れてきて、 そして、 その流れが、各自の差異や立場を気づかせないように誤魔化し、 覆い隠そうとしているからです。 それは、、、、、、、 昔から仏や神が " この世の差別 " の真の意味を問題にしました。 人間も自分で、なんとかしようと 『 法の下の平等 』 を作りました。 作った以上、建前上、差別を口にすると 自分が作った法の精神に逆らう事になり、違法者になるから、、、 誰もが差別は口にしません。 確かに、 人が作った法の下では皆が平等だという理屈は出来上がったのです。 でも、本質的には、やっぱり、この世界は不平等です。 で、『 法の下の平等 』という建前を作った事をいい事に、、、 今の大量情報化社会の大きなうねりは、 差異を無視して、運命も平等なのだと思わせようとしています。 それは、お互いに差異を認めない方が、 情報を大量に早く流しやすいし、流すのに工夫が要らない、 ひと色の情報で事足りるからですね。 その方が、社会を十派一絡げにして、 自分の思い通りに動かそうとする時には都合がいいのです。 ある意味、経済的、政治的にとって都合いいやり方です。 はっきり言うと、権力者にとって絶対に都合がいいのだから... この時代の都合を、私たちがそのまま取り込んでしまうと、 その枠組みで思考や行動をするようになり、 本質がずれ、判断がゆがんでしまいそう・・・ その弊害を、 仏が2300年前に指摘した『 惑 』 、『 迷妄』、 不幸になる原因の一つだと言っています。 『 僻見・びゃっけん 』 ですね。 迷い、偏見を、いつのまにか、 その弊害的見方を正しいと思い込む意識が定着してしまっている。 こういう時代の偏り、暗さというものを、 鑑定している相談者の中に度々、感じています。 幸せになるのには、その大きな濁流に気づき、ゆがみを意識して、 それに影響されない自分というものを意識できるか、ですよ。 いつもは意識より、無意識の方を尊重している私ですが、 ここは意識・・・ です。 運命学から言える事は、 私たちは、外見、性格、資質、家族、全てにおいて、 差があります。ひどく不平等なのです。 人の外面、内面、潜在意識等を細かく鑑定しますが、 一人として同じ人はいない、この世界です。 それなのに、 現実は何よりも欲望を優先してモチベイションにする事で、 その差が乗り越えられる? というムードがあります。 それが間違いとは言えないが、 その陰で自分の立場や、 役割を自覚することが、曖昧に伏せられていないかしら? そういう曖昧さや、 臆して現実を見ようとしない天然キャラなど? 妄想のせいで、 随分トラブルや不幸感を作り、問題を生み出しているのに、 その事にも気づかないままで、 自分に都合よく解釈しようとする。 そういう事でしょうか? 具体的にいうと、 人間関係において、 相手を自分にとっていいか、悪いか、どちらかに決める妄想。 相手は自分のようにあるべきだという妄想。 他人が手にした幸せと、 全く同じ幸せを自分が手に入れるのが当然、と思い込んでいる妄想。 それをもっと物に敷衍した形で、同じ家、車、おしゃれな服、 それを持てば同じ幸せになれるという妄想。 この妄想は古くから宣伝広告に利用されていますね。 今度はそれを人に敷衍した形で、 男姓も、女姓も、簡単に相手を選んで幸せになれるという妄想。 ダメな場合、 自分の妄想は横に置いて、相手を非難するのが正しいという、 ひがんだ妄想も持ってしまう、、、 学歴、容姿、経済などの、条件を分析して、 マニュアルを作るのも一つの妄想ですね。 飽くなき識別をして誰にでも当てはめていく妄想です。 あげればキリがないくらい、妄想を抱いてしまって、、、 言い換えれば、 自分の妄想で今の不幸せがあるかもしれないのに、、、 実際のはなし、 努力努力、一生懸命と言っても、 それでは、ますます、 凶運の人は、凶運を増長してしまう事だってあるし、 望んだ実は結ばない可能性も、、、あるのですよ。 あはは。 自分の運にあった事をやらなければ、 人と同じと思って、同じ事をやっても、 同じ結果は出ません。 それが運です。 自分はどんな種・タネ? これを知る事こそ大事です。 いつ蒔けばいい種?芽はいつ出るの? 花が咲くの? どんな花? それは、ひとりひとり違うのですよ。 我を忘れて、 他人のマニュアルを真似する事に一生懸命努力しても、 冬咲く花を、冬に種を蒔いても芽は出ない、、、 これは、不運ですね。 自分の種は、秋に蒔くのが適した時なのだ。と 『時』に合わせていくのが、 それを時を得る、ツキがあると言います。 『時』の巡りを待つ事です。 時の巡りとは、それは、 そのまま宇宙の運行そのものなのですから・・・ (次回の記事へつづく) -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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03/31 13:36 |
運命論 2/4 運命の流れは、意識より何層か深いところの深層の泉。Category : 運命学
![]() 今日の記事には、BGMは、ありませんが、三日月が、、、(笑い) あなたの真上、静かにあなたを照らす三日月の智恵の光を浴びながら、、 お読みになってくださいね。よろしく、、、、、 今日は、前回の記事、運命論のつづきです。 その前に、相談者との間でよくあるエピソードをご紹介しましょう。 ご夫婦、恋人、親子、いずれであれ、 その人間関係のご相談の時に、私がとる手法があります。 まず、ご相談者当人に、 『あなたのことをまず、どういう方か観ます。それにあなたが納得すれば、 次にお悩みの相手の事を、お話ししましょうね 』 そう言うと、皆さんが喜ばれて納得して、 まず、自分のことについての私の鑑定を聞かれます。 何故こういう風にするかは、実際多くの方を観てきて、 余りにも、人は自分の相手の事をホントウに解かっていないからです。 そして、その事に気づいて欲しいからですが。 まず、『あなたは、、、、、、、ですね』 とお話しますと、 「 そうです。そうです。その通りです。」 と 驚かれます。 次は 『相手の方ですが、、、、、、、ですね。』 とお話しますと、 「 えっ、そういう人なのですか?解からなかった。 そうだったのですか?それはこうだと思っていたのです。 」 と、 こういう反応が、必ず出てきます。 (笑い) ん十年もいっしょに暮して、 親子や、夫婦の関係で、ほんとうに~! いや~実に! あはは。 "そういう人だったの? " はないでしょう? と 苦笑してしまいます。 でも、大抵こうなのですよ。(笑い) 職場の人間関係や、親子は、 お互いに選んだ相手ではないですから、仕方ないにしても、 冗談ではありませんよ~!! あはは。 若い感性で選んで結婚した二人、いい年の人だってそうです。 人間は、お互いをそれ程知らなくても、 知ったつもりで恋愛もし、結婚もし、子供も作り、いっしょに住める、 それが人間なのですね。 あはは。 実際に相手の事を理解してしまったら、 結婚なんて決められないかもしれませんね。 結局、自分のエゴイズムで都合のいいように相手を、 デフォルメするのでしょう。(笑い) ある意味の効率化、合理化、ですね。 お互いに分ってるつもりが、 何かがあってから、 初めてお互いの間に壁が出て来た~と思うのでしょう。 実は出会ったときから、生まれたときから、元々あったのです。(笑い) その時の本人達に、認識がなかっただけです。 いろんな壁やトラブルがあって一歩深く気が付いていくのです。 恐れてはいけませんね。 人は、分ったつもりで自信を持ったり、 失くしたりしているのでしょうね。(笑い) これは、わかったつもりでいる惰性と、 人間の五感の情報収集力の狭さみたいなものと、 自分の必死に培ってきたからこそ馴れてしまった意識に縛られた癖です。 そのおかげで、 《愛は理解》なんていう重いテーマを作って、理解しようとして、 いろいろ実際は大変な苦労をしているわけですね。 それはそれで悪い事ではないのですが、、、 そういう苦労も、結論からいうと、 縁さえ良ければ、運さえ良ければ、 無意識の福に包まれて幸せはあるのです。 そういう方は、あなたの周りにも、静かですが、いらっしゃいますね。 そこからは、理屈も、へりくつも聞こえてきません。 反対に、 これこそが愛よ~! ほら理解がないとダメ、そうよ信頼さえあればね~、 という風に言わなくても、ね! あはは。 学歴だけ、知識だけが目的の教育を受けてしまうと、 人は、その値打ちを出そうと、 どうしても自分を正しいと思い込みたくなります。 そして、他人や社会の意識でガンジガラメなのに気が付きません。 その上に、 この時代のフィルターが重~く圧し掛かっています。 それは、"自分の理解は正しい" "自分の考えは正しくない" という 【正しい】か【正しくない】かに分ける西洋的二元論です。 近代以降、 人は強い自己肯定か、迷いの自己否定かに 染まっていますから尚、大変です。 五感にもフィルターがガッチリ架かっています。 あなたの五感はセンシティヴですか? 五感も、センスの訓練もしないで、 知識や注意で人が解かるのかしら? たとえば、耳が外に向いて開かれた構造は、 目のように意思で拒否して閉じるようにはなっていないでしょう? これって 外の世界からのすべての音声を、拒んではダメ! ちゃんと聞かないと危険ですよ! 認知の間違いから自分の命を守れないわよ。 ということなのかもしれませんね。 我々のホントウに解かっているっていう中味は、 実はどうなのかしら? ですから、 つくづく思い返せば、 近代合理主義の祖デカルトは、1600年代の人だから、 400年以上、今の思潮が続いているわけです。 彼には悪いのですが、 " 我思う故に我あり " では、捉える事はできない、、、、、。 そのもっと最奥に幸せの根っこはあるのですよ。 その智慧は東洋では、6~7世紀に述べられています、、、 運命の流れは、 意識より何層も、深いところ、もっと深層の泉、 地下の原水が涌き出すところ の はるか 上層 にあります。 次回の記事につづきます。 ------------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |