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07/04 15:30 |
陰陽学 その3/5 我々は、今、意識に偏重した思潮の時代に生きています。Category : 陰陽学
今日の映像は、たった一分間の宇宙の旅です。 どうぞ! (笑い)
宇宙の果てから地球へ ! 宇宙の果てから、地球へ、いかがでしたか? 宇宙は、未知の空間、途方もない暗闇に見えます。 『陰』そのもの・・・ やっとたどり着いた地球の明るさ、光は太陽から。『陽』そのものです。 『陰』が本体です。 そうです! 途方もない暗闇からすべてが生まれたのです。 その暗闇から光が生まれたのでしょう。 今日は、本体である『陰』について、 東洋の陰陽学の、『陰』 についての記事です。 『陰』が本体といっても、 本体だけでは物事、用を為さないのはお分かりですね。 テレビセットだけではテレビは見れません。 『陽』は、『陰』を待って初めて『陽』であり、 また『陽』があって、『陰』が生きるのです。 ところが、 なぜ、『陰』にこだわるか? というと、 今の私たちには、どちらかというと『陰』はわかりにくく、 『陽』の方がわかりやすいのです。 したがって、特徴も欠陥も、『陽』の方が認識しやすく、 『陰』の方が認識しにくいのです。 ということは、『陰』は意識ではつかみ難い、言葉で表しにくいのです。 なぜ、『陰』は認識しにくく、意識でつかみ難いのか? それは、我々が、今、 意識に偏重した思潮の時代に生きているからです。 もっと、いにしえ(科学が未発達な時代の)人は、 自然をとらえるのに違った捉え方ができたでしょう。 特に易学を生んだ時代の民衆は、 もっと自然を見るのに今のような意識のフィルターが、 掛かっていなかったと思います。 反対に『陽』は分り易い。 意識は、『陽』です。 私たちの意識そのものと言えるかと思います・・・ 意識に偏重した現代の思潮は、『陽』に偏っています。 意識と共に、理知も『陽』です。 西洋文明における理知の科学は、 人間の意識に引っ掛かった物だけの存在を認め、 名前を付けて知識にし、 そして膨大な知識の蓄積を人間は作ったはずです。 しかしその膨大な知識をもってしても, 現代科学は、命を創造する事はできません。 あたりまえですが、 科学は自然そのものをありのままに捉える事は不可能です。 なぜなら、この宇宙に具わっているものでも、 科学というものは、 人間の意識の網に引っ掛からなかったもの(無意識の領域のもの)を、 その時にその場に存在しないものとして捨ててきたのです。 そしてそのままにして、次に行くことを進歩としてきました。 中途半端のまま、、、、、、。 つまり、科学には漏れがあるという事です。 (有漏) 次は、学問は分かれ分かれていきます。分派です。 西洋医学は、病院で、体験されるように、診療科目においても、 医療の診療科目が細かく分かれて増えています。 一つの症状を治すのに、 どこの科に診てもらったらいいのか分らない位でしょう? 東洋医学はそうではありません。どの症状も、身体全体の症状として診ます。 だから、『陽』(理知など)は、 それに走りすぎるとわからなくなります。 わからなくなるという事は、頭が悪いという事ではなくて、 元の根幹『陰』から離れてしまって全体観を見失うということです。 人間を幸せに導く目的のはずが、科学が進んで、進んで、進んで? 先端では、何のためだったのか目的を見失う。 原爆が日本に落とされた事は、 『陰』=(徳)を見失った『陽』の現象の代表です。 これでは、易学ではなくて、不易学です。(この説明は省きます) 『陰』は、たとえれば、 宇宙の未開の大部分、 無辺な、無尽蔵な、無常の反対=いつも在る?(笑い) 無窮な、意識できない=無意識の世界にあてはまります。 言い換えれば、例として、 地球に丁度いいところに太陽があると云う事は そのエネルギーのおかげで生を営むのに丁度の距離です。 これは、まったくの『陰』の無尽蔵なエネルギーです。 丁度の所にある不思議さ、それはどうしてなのか? 理解するしないに関わらず、 命を産み、育む、エネルギーとして存在します。 その価値は、無意識です。 でも、人間の意識では、 なぜ地球が太陽から丁度のところにあるのか分らない、、、。 謎として於いて置いて、 分らないものはそのまま捨てておきます。でも、ある。 でも、あることの謎は、解けないままです。それが意識の限界です。 『『陽』とは、有限、辺境、無常、 という我々の意識で捉えられる五感の意識上の限界のある狭い世界。 宇宙から見ると、猫の額ほどの世界かも知れません。 または、現象としての形や、数値や、広さや高さ、高貴や富、満足や豊穣など の実現を五感で捉えられる範囲に表出する事を望む欲望と言えるでしょうか。 危険といえばどちらかというと陽の方が危険です。 才知に走る、利口である、利己的になります。 先の原爆の例です。 女は、『陰』の代表と言いました。 どちらかといえば無意識を司ります。 心の中、目で見えないものの世界を信じる、信心深い。 『陽』の欲望に対して内省、反省、理知より情・仁を重んじ、 慈母ともいい、これはいい言葉であります。 この女と男が、相待って初めて、 堅実な創造活動が、できるのです。 そういう意味で女性教育がたいへん大事でありまして、 これによって民族の繁栄、永遠の生命を得ることが出来ます。 さぁ、ここで、我がご相談者さんの数ある体験の中から、 男の方たちが、つゆ知らない (笑い) 女性の能力(夫の浮気は必ずばれる)という一つのお話をしましょう。 Aさんが、夫の浮気を発見したのは、普段通りのある夜のことです。 夜中の12時過ぎまで夫の帰りを待っていた処、 帰りが遅い事には慣れていたはずなのに、 何となくしんみりとさみしい気持ちになったそうです。、 それを打ち消そうと妙に心を込めて、 夫のために何か疲れの取れる飲み物をと用意をしたそうです。 これが、実はもう虫の知らせというものです。 そうして寝付いたのが1時過ぎでした。 うつらうつらとして、2~30分後、ある夢を見たと云うのです。 それは、ご主人の車が走っているのを 自分は何にも乗っていないのにテレビの画面のように ず~っと後ろから見ていたのだそうです。 夢の中で、夫の車が止まり、 建物の中へ入って行きました。 それは、いつか通りがかりに見た記憶のあるラブホテル! 驚いて目覚めて、数分後、 Aさんは行動しました。、、、、、行ってみようと。 夜中の2時過ぎに車を走らせている自分が。 道も解からないのに自然とハンドルを切っていたそうです。 着くと歩いて駐車場へ、夫の車を・・・ 車があった! 夢で前もって覚悟が出来ていたので冷静に、、、、、、、 この後のことはご想像にお任せします。 (笑い) が、女の勘とは、さほどにすごい!ものです。 驚かれたでしょう? 私も、仕事柄いろんな浮気の気づきを聞きますが、 この件は、みごとに女性が無意識と一体であるという点で ダントツ秀逸なのです! このブログの読者である真面目な男性の方には、 本当に余分なことなのですが、 女性という存在は誰でもが、学歴や知識に関係なく、 聡い力を秘めている存在なのです。 そう、あの卑弥呼と同じ、女という人間なのです。 戦後、本体である陰を失った日本では、 西洋文明の上澄みにどっぷりつかった今の知識偏重の教育を浴びて、 わが女性たちは、どこへ流されていくのでしょうか? ジェンダーたちは、女性を男性と同等に扱おうとします。 女こそ陰の本体、徳育を! (古風だ、ウザイと、なんと言われようと) 心からそう祈らずにはいられません。 参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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07/18 20:01 |
陰陽学 その4/5 易経『陰陽学』 陽について、その実際編です。Category : 陰陽学
今日は、映像もお楽しみになってください。 世界の国の少女がバイオリンでカノンを弾きます。 よろしければ、どうぞ ! 易経における『 陰陽学 』 のつづき、陽について、その実際編です。 自然にあるがままのあり方として、男女の役割の違いがあるということ。 これは、たびたび書いてきましたので、 印象に残っているかしら ? そこからなのですが・・・ 自然にあるがままのあり方とは、 人が意識する以前、 人間の理知が作った法律以前からあるあり方ということですね。 言い換えれば無意識に存在しているまま、、、太古の昔からです。 あるがままの自然の男女の役割があるという前提で、 今の人間の理性が作った法的な男女平等を 考えなければいけないと思っています。 人が作ったものと言うのは、 それが意識、英知の所産であっても、 陽としてみるかぎり、漏れはあるし、極端に運用すれば、危険です。 意識、英知の所産は、絶対的なものではないはずです。 陽は、時と共に移ろい、価値は変わっていきます。 社会で言うところの 『自由』 といい、 『 男女平等 』 という観念は、 あたりまえの事ですが、国家の法律が保障する範囲のものです。 国の政治や、国家の変動があったら、どうなるのか分らないものです。 報道によると、2008~現在のチベットにおいては、 中国側の漢民族の男性とチベットの女性の結婚が推し進めれられ、 チベット人の男性は結婚も出来なくなっているそうです。 大国のエゴが、少数民族を滅ぼす時にはその少数民族の男性を排斥します。 ある意味、武器を使って戦争で滅ぼす代わりです・・・ このように人間の意識が作り出した陽の産物、制度だけでは、 あるときはそれが観念的な建前だけに成り下がります。 本質はあくまでも陰の内省・反省と仁愛に裏打ちされて、 制度は運用されないと、 実際の生きる場面では人間にとって幸せをもたらす制度にはなりません。 次は、お互いに私たちの精神の働きについて陰陽を考えてみます。 男女とも、その持っている意欲、欲望というものは、 外に向かって発するものですから、 非常に陽性です。 そして、自らの心を省みて、無駄なものや危険なものを省く事、 これは陰性です。 『省』の意味はーかえりみるーはぶくーというふたつの意味があります。 この欲望(陽)と反省(陰)の調和がちょうど良くとれたのが、 円満な人格であります。 これを男女に分けますと、 知能では、分析論理的な知能は陽性であり、 感情では、野心マンマンというのが、やはり陽性です。 だから論理的であり、多分に表現を主とするような頭脳は、 男の特徴であって陽性であります。 女は陰(根)でありますから、 分かれるものを結び、内に蓄える、統一含蓄的で反省的な知能、 内省的な感情、根本的、没我的であり、引っ込み思案であると 言うのが女性らしいのであります。 女の一番尊い特質は仁なのです。 前のブログで、女性を木の根に例えて陰について書きました。 樹木の多くは、根が健全でないと育ちが悪くなります。 陽である葉の役割は、光合成です。 葉が、太陽光と、酸素と、葉の中の葉緑素で光合成をして、 造られたデンプンが根へと蓄えられるわけです。 これが、陽から陰へのエネルギーの転化です。 この養分を、根は、土中の水分とともに幹から枝へ、そして花へ、実らせます。 陰と陽、それを男女の関係で言えば、 陰=陽=同じもの=平等として並べた時、その間は引き裂かれ、 その間の深い溝は埋まらなくなります。 しかし陰と陽は依って立つ所が違うもの=あい待つもの=相待性、 として眺めれば、おたがいになくてはならないもの、 陰あって陽、陽のはたらきは陰によって決まる という奥行きが見えてきます。 " ○○の陰(かげ)に女あり " のような・・・? (笑い) どちらにしても、戦後私たちがやっきになって取り入れた 西洋的な捉え方よりも、東洋的な捉え方の方が、 数千年も前から、自然に対する洞察力に満ちています。 ここで実践編として、カップルやご夫婦に関するご相談の中から、 感じることをご紹介しましょうね。 それは、お互いが同じ人間だ(男女平等)という観念が、 反って関係がモメル原因になっているという事です。 女性の特徴は、自身の心の問題や、何気ない自分の気持ちや、 その日の出来事の気になったことなどをよく話したがります。 それを聞いた相手の男性は一般的に、 男の本能として、それについての解決法を押し付けようとします。 それは陽である男性は理知の癖で、 彼女が話の中で解決を求めているのだと思い込んでしまうからです。 それは、彼なりに彼女に何とか役に立ちたいという思いから、 そうする事で、 相手の彼女との愛情が深まると信じているからでしょう。 だから、自分がアドバイスしたにもかかわらず、 彼女が思ったほど喜ばないで落ち込んだままだったりすると、 男性は自分が拒絶されたとか、 相手にとって自分が役に立たない人間だとか感じたり、 彼女が自分の言う事を聞き入れない頑固な? すなおじゃない女だ?と思ったりして、 次からはもう 彼女の話に耳を傾けなくなってしまうことがあります。 しかし陰である女性は、 男性が想像するような解決方法を教えて欲しいのでは ありませんよ。 女性からすれば、 そんな理知的な " どう解決するか " という話よりも、 もっと情緒的なものを期待して、 それは、ただジックリと話しを聞いてもらいたい、 優しく慰めてもらいたい、、、、、。 ただそういう気持ちなのだということです。 それが、男性からのどんな誠意でも、 男性の一方的な愛情からという思い込みであったとしてもです。 お互いが相手が自分と同じ人間のはず、という思い込みのままでは、 男性と女性の間の溝は埋まらないでしょう。 なぜって? 相手と自分の性差を見落とさないで、、、! 気質や血液型や、人間のいろいろな分け方がありますが、 まず男と女、その性差の違いが、まず! 前提ですよ。 それは、変えられないのですから・・・・・ 相手を理解する為には、 陰と陽を、思い出してくださいね! 参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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