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10/01 22:01 |
家庭 2/4 川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。Category : いのちの継承
![]() ご訪問ありがとうございます。---+"*☆★ 今日は、前々回の " ○○○ " から、ですね。 まず疲れた体と心に、 癒しのオルゴール (9分59) をどうぞ! 前々回masumienさん、natyururu33さん、マグcupさん、 ありがとうございました。 実際、その頃私も花の20代でしたから、(笑い) 最初、母親の『 育て方 』 かな? 父親の 『 人生観 』かな? それが子供の学力の土台かな?と捉えておりました。 しかし姿は見えないですが、その両親を形作って間接的に生徒へ オーラを与えているのは, 両祖父母の道徳性ではないかしらと思い至りました。 今、多くの方の運命を鑑定しておりまして、 益々その認識を深くしています。 進学塾といえば、進路、学力、点数という目で見える評価で、 道徳とは、如何に? と驚かれるかもしれません。 当時、道徳から縁遠い若い私が、そう思い至ると云うのは、 出会うべくして出会っていた子供たち、 彼等から教えられた事が、実は私を運命学へと誘い、 人の心の深い部分と、子供の育ち方や学力を含めた能力との関係性に、 非常に興味をそそられた事象が多くありました。 当時、心がけていたのは、 どの生徒の忘れ物も必ず自宅まで届けに行くことでした。 そうすればご家族に会えますから。 成績が目立つ存在として "自立して伸びていく生徒" という存在は 確かにいます。 注意や、叱る事もない生徒たちです。 通常のテストでは、難なく100点満点を取ってきますから、 単に学力だけではない、何か他の力を感じさせる生徒です。 まるで自分の登る山、その登山道を知っているかのように、 前に進むことができる生徒です。 そういう力は、どこから来ているの? いつもそう思って接していました。 おそらく、 お育てになっている親御さんも一緒だったのではないかと思います。 あるひとつのエピソードが記憶に残っています。 小学5年生のA君とします。ある日、母親から電話がありました。 「 先生、○○市内で日蓮上人のお寺、ご存知ないでしょうか?」 私: 「 さぁ~? 」 ( とっさに質問の意味が分らなくて、 又、A君の自宅がある○○市については詳しくなく、 A君の受験の話に移ってしまったのです。 それから数週間後、電話があった時に、 母親 「 先日の日蓮系のお寺の事、突然すみませんでした。 電話帳で捜したら見つかりました。 」 私: あぁ、そうですか、よかったですね。ありましたか。 母親 「 えぇ、急にAが、家は何宗?と訊くんですよ、 ○宗だと答えましたら、 お母さん、仏教では法華経が最高の教えだ、と 日蓮上人が、言われているよ。 "なんみょうほうれんげきょう"という題目を広めたんだって、 僕の家は何? え? なむあみだぶ? 違う。 変わった方がいいよ。 お釈迦様の教えのなかで法華経以外のは役に立たないって 書いてあったよ。法華経に変えよう! と言い出しまして、、、 私: え!、そうだったのですか~ 母親 「漫画偉人伝を読んだらしいのです。」 私: え~っ! それで、正しいのをって!? 母親 「 ええ、変えなきゃいけない事だと言い張るので、 Aに反論もできないし、 わかった! じゃぁ、そうしようと、電話帳で調べて、 我が家の宗旨を変えたのですよ。(笑い) もう、ご迷惑をお掛けしました」 今でもこの会話は、いろんな意味で覚えています。 彼は自分の計画で受験校を決め、灘中に入学。 まるで目標を生まれる前から持って来たように、 その目的に必要な当たり前の事として受験を通過しました。 自分の目標だから、誰かに頼り、甘えるのはおかしいという風に。 子供らしい彼の中に、これだけの行動を生み出すもの、 それは、家庭内の価値観、人生観、それらを形作るもの、 何を最上の価値として置くかという秩序。 その整然とした体系を自然に自分のものにしているかのようです。 こういう子に会うたびに、 いつから彼らは、これらを吸収し積み重ね、覚えたのだろう? 私は観察する中で、学力という見える形に育つ基になるものは、 親のじゃなく、親までの道徳観ではないかしらと 思うようになりました。 いわゆる今の時代は、" 父親の経済力が、" 云々のように、 道徳のようなものとは遠い処で学歴や進路の現実的な物差しが 闊歩しています。 道徳なんて古臭い、合理的じゃないわ!という風にね。 しかし、いろんな生徒や父兄、今も鑑定の依頼人を見て、 実相はそんな所にあるわけではない、ということを 心底、感じております。 物事の原因結果は、 どの位の時間の巾で見るかと云う事でその推移はまるで違ってきます。 目の前の因果関係だけを見ると、 先ほどの " 父親の経済力・・"云々と学歴の関係はあるかもしれません。 しかし、長い長いスパンで物事の因果関係を見て行きますと、 本当の原因結果と言うものはそんな皮相的な事柄で左右される程、 この世は甘くはないですね~。 お金もちになる為にいい学校へ行く、偉くなる為に勉強をする。 そういう皮相的な動機付けではなく、 どういう魂を持った人間になるか? と言う事(道徳観)が、 一大事なのです。 あとは、すべて枝葉です。 家庭や、社会で、道徳的な価値観が崩壊している環境で、 頑張って学力をつけようとして、塾に通い、模試を受け、 テストにいい点をとるための目的は達成できても、 時のスパンを大きくして望遠とズームで眺めてみると、 それはどこかでおかしくなるのですね。 道徳的ヒエラルキーがきれいに受け継がれていれば、 自然に時の経過と共に、おのずと親と子の間や、 夫と妻との間に信頼関係や生活がしっかりと築かれていますから、 この世の気持ちのいいシステムの中で、 子供も自分の前方へ自信を持って歩めるのです。 そして、環境の成長するエネルギーを素直に吸収します。 理想的な運命(学力もそのひとつ)の前提にあるものは、 本人の学力や、道徳的素養の高い低いと云うよりも、 継承された命の川上に遡らないといけないかもしれません。 川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。 それは、日々刻々と、 過去の膨大な時間の中で受け継がれた陰徳が、 今、ここに居る、本人自身の努力の積み重ねによって、 引き出され、 養分となって血肉となり、 変化進歩、成長していくのだと思います。 よい一週間をお過ごしください。 ----------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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10/07 21:35 |
家庭 3/4 命の継承の川上から流れてくる陰徳を捨てると云う事は負けです。Category : 家族関係
![]() 秋が深まってまいりました。 ご訪問ありがとうございます。---+"*☆★ 自律神経にやさしい音楽・・・風 (7分55) をどうぞ! 今日は、 いつものご相談鑑定の中で感じることの多い、ご夫婦の問題を 綴って見たいと思います。 内容的には前回の道徳性にかぶってきます。 実は、子育てにおける中心軸で、一番重要なことかもしれません。 長くなると思いますので、 そのときは次回に分けて書きましょう。 子供に及ぶ祖父母から親までの『 道徳性 』の流れでしたね。 当~然!その出発は、若い親になる男女の結婚ですね。 じつは、ここからもう、どういう子供に恵まれるか分るのです~ 結婚というのは、 本来道徳的には、深い意味のあるものですが、 それは又の機会にするとして、 ここでは、簡単に、一組の男女が夫婦になれば、 当然「運命共同体」をつくりながら、「一体化」と言うか、 「夫婦」という同一化を形成するものであるという 観点だけに絞りましょう。 理想も現実も、本来、 結婚は陰陽の合体ですから一枚岩でなければならない、 そう努力するのが普通なのですが、 現在、この前提が崩れてきている現象が多いと感じています。 これに失敗する女性の悩みが増えていますね。 例えば「夫婦」という同一化に失敗するタイプの女性をWとします。 Wの特徴は、自分で結婚しておきながら、 結婚した自分の配偶者、夫を、 我が子の父親を、 受け入れることができません。 受け入れるのが苦しくて、その苦をなんとしても避けようとするのです。 ある種、楽だけを求める ” 女のユートピア病 ” と 私は呼んでいます。 その理由は? 「私の夫は、もっと知的で高貴で、財力のある人でなくてはならない」 ( あはは! ごめんなさい~ あ、少し、笑ってしまうわね~ 失礼!) このおとぎ話をひたすら信じ、心の奥に抱きしめて、 目の前の苦を忘れる為にますます肥大化させ、 その為の努力努力を惜しみません。 ある意味、健気というか、それを守るためには頑張り通します。 その努力のひとつが仕事だったり、不倫だったり、 もう、目も当てられない惨状まで行きつくパワーもあります。 そのように彼女は家庭にいながら、 結婚の形を利用して、心は夫から家族から遊離をしています。 生活は夫である男に依存しながら、 「この夫とは違う」と思ってしまう。 ある意味、 彼女はそう空想しなければ耐えられない位、 現実的に訓練されていない、幼いのかもしれません。 物質文明やバブルの中で育てられて幼い頃から、 お抱え運転手(父親)に仕えられ、 実家はいつでも出戻りウエルカム!ですからね~ (笑い) 常に桧舞台に立たせられ、甘えれば許される女の子、 男女平等の御旗の下、男の子と対等に競って勝って誉められ、 負けて可愛がられ、縁の下の立場、人の陰の苦労、忍耐、 人生の苦を受け入れた経験がないのです。 その結果として、心から夫を尊敬できなくなるどころか、 子どもの前で、父親(夫)を平気でけなしたり、 わざと無視をして夫が居ないという前提の行動を取るようになります。 当然、この孤独のストレスは苦しいですから、 耐えられなくて悩みを打ち明けに、 夫のグチを聞いてほしい気持ちから来られるのでしょう、、、、、 「自分の夫や妻のことがどこか恥ずかしい」と思うようであれば、すでに 夫婦の同一化は崩壊しているとみていいでしょう。 反対に、自慢をする場合も、同様です。 陰陽の立場でうまくいっている夫婦なら、 そんなことは他人には言いません。 言う必要がないのです。 自分の心を偽って、そう言わずにいられない現実だから、 そういう言葉を口にするのです。 彼女、彼の他人を利用した息抜きですね。 そうして、この遊離するWたちが、 今度は、そのはけ口として自力で社会生活の中へ出て行こうと、 夫に頼らずに自分の力でユートピアを自己実現をしようと 働きに出るというパターンも増えてきています。 実際に、社会全体がそれを後押しして、Wに順風が吹いています。 社会に出て働くと云う事が、社会の善になっています。 これは、危険ですね! これでは陰の大過(命の衰微)を社会が推し進めているようなものです。 自分の命が誰のおかげで生まれ育ち、 誰のおかげで成り立っているかと云う事が実感で分っていない。 根をおろしていない。 命が生きている現実感がないのです。 究極、自分の命が、 尊敬できずに分け隔てた扱いをしている夫に養われている事を 当たり前と思い込み、まるで夫が親に代わったかのように受け入れ、 それを 「夫に申し訳ない」とも思っていないのですね。 感謝という礼儀さえもない・・・。 幼少時から、自分が周りの人の犠牲の上に可愛がられてきた事に 気が付いていないからですよ。 この帰結として、Wは夫を避けます。 なら、どうして一緒に暮すのか? 相手の夫が、実に可哀相と言うか、今の男は大変です。 あわれ、女の欺瞞性に巻き込まれて生きています。 これでは、形の家庭があったとしても、『 陰 』 の創造力の喪失です。 これでは、家庭教育そのものは崩壊して、跡形もありません。 家庭という廃墟に孤人孤人が住んでいるだけという恐ろしい世界です。 これは、心理学でいう「三角関係」と呼ぶ家族関係です。 両親と子供という関係ではなく、 父と子、母と子、夫と妻の三つです。 一度夫婦の間に亀裂が入ると、 幼い内はともかく、それ以降、 子供は親の云う事を聞かなくなります。 学力なんてとんでもない、、、 子供は、素直に前方を向けなくなり、上方へ進まなくなります。 両親の心がバラバラで、母親が夫を尊敬せず、 父親の労働に感謝もしない母親の思いのままに 子供が育つと思っているの? 子供が両親の元に生まれてきた事に、満足できると思うの? 自らの命の継承の川上から流れてくる信念を捨てる事は負けです。 負けは死を意味します。 会社なら経営理念の中味を失えば、 社会に存在する意義がなくなると云う事です。 社会に貢献することができず、 社会が必要としなければ、その会社は倒産、整理されて行きます。 人も同じ、家系も同じ、民族も同じでしょう。 絶家が増えています。 これからもっと増えていくと思っています。 日本が西洋文明の上澄みを取り入れて、荒波に洗われて141年です。 日本人は、何を失い、何を手に入れたと言うのでしょう。 キリスト教文明という物質文明の有頂天で、 道徳を捨てましたね。 アメリカのペリーは日本国民を救いに来たのではないですよ。 彼らは家族や自分の子孫を守るために日本へ来たのです。 その後、どうでもいいことですが、 ペリーの子孫はアメリカのあらゆる財閥の閨閥へ入っています。 ほら、あの有名な銀行にも、、、、 これは、兵器を使わない戦いです。 これは、思想戦なのですよ。 結果が出るのに100~200年です。 どうか、最終決戦の前に、日本人たち、目覚めてください! 目覚めた日本人は、絶家にならずに生き残れると思っています。 (次回へつづきます。) インフルエンザの流行の折、 お体を大切にされますように、、、、、、、 精魂傾け過ぎて、お疲れなきよう、、、、、、 そして、 それぞれの分野での 活躍をお祈り申し上げます。 よき夜をお過ごしください。 ------------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |