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    物質文明に犯されていない人々の圧倒的な存在感が印象的です。

    Category : 身近な物質文明




    あけましておめでとうございます





    今年初めての更新です。


    写真家の野町和嘉
    (かずよし)氏を紹介いたします。

    Kazuyoshi Nomachi公式HP

    「人はなぜ祈るのか」





    わたしが、以前京都で、

    野町氏の奥様に会っていた頃、

    サハラ砂漠に行った時の体験を聞いたことがあります。



    「水がないので、牛の尿で手や顔などを洗いました」 


    えーっ!(笑い)

    大丈夫なの !? 

    その当時は、その程度の印象でした。 

    そして、

    くわしく作品を拝見すると云うところまでいかないまま時が経ちました。





    野町氏の作品のテーマは、「人間と祈り」。

    ときどき週刊誌や新聞で取り上げられている氏の作品を見て、

    共感できるテーマに気づきます。




    野町氏は、25歳でアフリカのサハラを旅し、

    過酷な自然に溶け込むように暮す人々に接するうちに、

    彼らが、宗教を大きな支えとして生きていることに気づきます。



    それに魅せられた氏は、以来37年間、

    「人間と祈り」をテーマに、

    イスラム教の聖地メッカの巡礼風景、

    インドのガンジス川など、

    アフリカやアラビア半島、中東など80カ国を取材します。



    神や自然を敬うことで、己を律する、

    ひたむきな人々の世界が、

    そこには広がっています。





    『今の日本人は、宗教から一番遠ざかっている人種ではないか』

    『個人と家族、地域社会の絆を紡いでくれる』



    宗教に潜む力を信じ、

    作品を世に問い続けています。







    『人間と祈り』

    日本が一番失おうとしているもの、 

    それが横溢しているシーンばかりです。

    それは、

    物質文明に犯されていない人々の圧倒的な存在感が印象的です。




    この圧倒的な存在感のある人々の国々においては、

    人口は溢れ、


    物質文明の極みの日本においては、

    少子化に悩んでいます。



    氏の写真のなかには、

    他者と比べて自己を評価する人間は

    いないように見えます。




    この現代において

    物質文明に侵されていない彼らの、


    ありのままに、自己の誇りにひた向きに生きる姿に触れる時、


    過酷な自然と共生しようと、自己を律する人々の内面的な表情が、


    見る人の目を釘付けにしてしまうようです。





    自然とバランスを取り、

    内的に強い誇りを持って生きるということは、

    外面を他者と比べたり、

    虚飾や見栄を張る生き方から遠ざかるようです。





    自然のきびしさに立ち向かう自制心と、


    その恵に守られる畏敬感謝の精神、


    自然に対峙し生延びるセンス、


    伝統的に受け継いだ生きる平衡感覚、


    それらが鈍くなった時に、


    民族の力というものは、


    衰えていくのかもしれません。












    今年も、どうぞよろしくお願いいたします。






























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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    運命鑑定日記 3 . 23歳の離婚、Pさんのご相談から・・・・・

    Category : 運命鑑定日記
    ニゲル 《マリア》

    クリスマス・ローズのニゲルマリアの花が咲きました。











    シューマンのトロイメライを、どうぞ!







    今日は、運命鑑定相談室の日記からです。


    昨年暮に、Pさんという女性が相談室を訪れて来られました。

    若くてチャーミングなPさんの顔と雰囲気から、”恋愛の相談”?と

    思ったのですが、”離婚の相談”でした。 



    すこし意外!


    Pさんは、23歳ですよ!


    22歳の時に、10歳年上の職場の上司と結婚し、

    半年弱で自己中心性の強い夫と別れようと家を出たPさんは、

    一人で働きながら生活をしています。 

    現在、新しい恋人ができて、

    その人と将来結婚をするために、

    別居中の夫との離婚を成立させたいと思っています。

    しかし、別居中の夫から離婚の同意が得られないので、

    これからどう動けばいいのか?

    というご相談でした。




    命式の鑑定から、

    離婚したいという状況は手に取るように解かります。

    結婚という形式事体が、継続しない間柄です。

    結婚をするべき相手ではなかったということです。 

    両者ともです。




    子供がいないのが、救いですが、

    私の心を憂鬱にさせたのは、

    現在の恋人も、まったく同じタイプの相手ということです。

    (ココで言うタイプとは、

    一般にいうタイプと同じ意味ではなく、

    おそらく普通の見た目や感じる範囲では、分らないものです)




    表には表れませんが、運命の本質は同じタイプの男性です。


    Pさんが、今の彼を気に入っている点が、

    なにか前より一層厳しく、根が深い問題に思われました。



    わたしの相談室は、誰かのご紹介で来られた人ばかりのはず、

    身元はそれなりにしっかりした方だとお見受けしたのですが、、、



    慣れているとはいえ、

    何度経験しても、こういう鑑定結果には鳥肌が立ちます。

    運命の見えないところでの整合性、

    条理性、誤魔化す事の出来ない因果関係のような存在を

    強く感じる瞬間です。





    先日の相談者の女性も、

    夫と不倫相手が、まったく同質のタイプでした。

    これは、当事者本人に、そういう異性にたどり着く”くせ”があるのです。


    悩む本人側に、受容体というのか、レセプターがあるのですね。

    そのレセプターにぴったり合う異性と出会うと、

    "好き”だとか、”感じがいい”だとか、”気安い人”と

    感じる間柄になるのです。

    レセプターが引き寄せるので、

    当人には不安感がないのですね。




    馴れた感じで、

    それが、感情には”好き”と認識されるのでしょうか?  

    相手も同じ病でしょう。

    仮にこの恋愛に反対する人がいても、

    『すきなの!』の一点張りで、

    だれの云う事も訊かないでしょうね~~

    好きとは何なのだろう? あはは、考えちゃいますね!



    一度不幸になった経験があるのなら、

    ”好き”、

    ”彼しかいない”、

    ”私にはぴったりの人”等の

    恋愛中の主観の世界が、

    このままずっと客観性や社会性にも通用するのか?

    誰から見ても微笑ましい ”幸せ”になるのか?

    と一度考えてみる。


    そして誰か信用できる第三者に彼を会わせてみる。

    感想を聞いてみる。

    結婚するのならそれくらいの余裕をもってほしいと

    願わざるを得ない現実です。


    ”自分の感情のほとばしりのままに生きる事が、正しい事”

    ”愛と自由の敵は、道徳”

    と言ってはばからない世代が増えている世の中で、

    誰もが自分を基準にして、

    これがフツーだと思っている人がほとんどなのでしょうが、

    誰だって違う癖があって、全員がバラバラなのよ。


    自身のレセプターがどんなゆがみを、持っているのか?

    それは、どこから来ているのか? 

    見つめてから相手を探してみたらどうでしょうか?





    自己過信、自惚れたりして、

    あまり自分の感情を信用しない方がいいわ。 



    (自分を信用して間違いない人もいますよ!)


    自分の思い込みを当てしない方がいいわ。 


    (自分を信じてほぼ間違いない人も確かにいますよ!)



    簡単に自分を信じて、間違いないわ! 

    とは申し上げられません。

    運命学という羅針盤に照らしてみないと、

    何とも言えませんね。




    結婚で失敗するたびに、

    あたかもコートを脱ぎ捨てるように、

    結婚相手を変えるわけにはいかないからです。



    実は、”あたかもコートを脱ぎ捨てるように”とは、

    先日、娘さんの同棲で悩まれている母親から聞いた表現です。



    その母親は、大学生の娘さんのことを、

    ”あたかもコートを脱ぎ捨てるように同棲相手を変えている”

    こう表現していました。


    あ~、そこまで現実は行っているのですね~~ 



    現実こそが、師匠である。

    とは私の座右の銘なのですが、

    現実から学ぶとは、つらく悲しい事が多くあり過ぎます。


    女性が漂流している・・・ 

    そう思わざるを得ない現実が、あまりにも多いのです。



    ”女性が漂流している”

    これに関しては、

    また、次ぎの機会に数回に分けて、

    書きたいと思っています。






    ★ 運命学に関する記事の中で、

    運命学の詳細は書かない場合があります。

    理由は、運命学の理解が不十分なままに、

    自分流の解釈でご自分を傷つけたりなさらないように、

    また記事の中で、

    知らない間に誰かに失礼な事を言ってしまう結果を避ける為です。

    もし記事に関しまして、

    もっとお知りになりたい場合は、

    右のメールフォームから、直接ご質問をください。

    お返事に少しお時間をいただくかもしれませんが・・・・・

    個人的にお答え致しますね。
































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    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : ◆恋愛相談◆恋愛について
    ジャンル : 恋愛

            

    三人の才女は東洋の文化の精髄を身に付けていたのです。

    Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
    NWECの玄関

    独立行政法人 国立女性教育会館(NWEC)の玄関から入り口をのぞむ







    昨年の行政仕分けの第一日目、

    11月11日の一番にターゲットにされた、

    あの独立行政法人 国立女性教育会館に、行って来ました。



    テレビで大写しになった白髪の女性、

    『そちらばかり話されないで、此方の云う事も聞いていただかないと、、、』
    と、民主党の連坊議員に反論して、一躍有名になってしまった方が、


    じつは、国立女性教育会館の理事長、神田美智子氏なのですが、







    この建物は、埼玉県の嵐山(らんざん)町にあります。

    この近くには、いろんな歴史的名所があります。丸木美術館もそうです。





    この近辺へ行く所用、仕事等が、まとめてあった為、

    たまたまNWECで何か企画があったら寄ってみようと思って調べると、

    次ぎのシンポジウムが予定されていました。




    『宮廷・三才女の生き方と表現』と題して、

        
         ー紫式部・清少納言・和泉式部の果たした役割ー が副題です。





    これに参加して、一泊するとゆっくり時間も取れるだろうと、

    急遽、参加を申し込み、

    研修とシンポジウムへ参加をして来ました。




    今日は、これに関することを書きたいと思います。



    まず、これは、男女共同参画プログラムの一環の行事です。
    正直言って、
    これには、少しどころか大変、違和感を普段から感じています。


    (その理由は後ほど書きます)




    また、ジェンダー、フェミニスト等の言葉にも、心は馴染んでいませんし、
    しかし、それらの牙城であるNWECに行くからには、
    覚悟をしていかなくては、ね、、。    ほほっ。




    目的の一つは、

    紫式部の『源氏物語』、


    清少納言の『枕草子』、


    和泉式部の『和泉式部日記』が、


    きっと中で取り上げられるわけですから、

    これらは、新しい解釈が出てくるのも、それなりに聞いておもしろいかも?

    という興味もあったわけです。

    5,6年おき位に、これらについては、アンテナを張るようにしています。





    もう一つは、三人の才女の作品の中味と、

    男女共同参画、《男女平等》論を、どう結び付けていくのか?




    ちょっと馬鹿馬鹿しい~? と思いながら、(笑い) 


    (関係各位には、失礼いたします! )


    (これが後になって、実は当たってしまうのですが、)




    いろいろどうなのか想像しても、チグハグなコラージュのようで、

    上手く行かないわよ!と、考えながら、

    まるで野次馬根性そのままで 、、、、、(笑い)

    参加してしまったのです。  

    我ながらご苦労様ですね~ (笑い) 





    よくエネルギーが余っているわね~と言われます。 (笑い)




    館内は、築30年といいながら、きれいでした。

    研修棟から宿泊棟まで、
    夜に講習が終って移動するのが寒くて大変だったので、
    乗って行った自分の車を移動に使ったくらい広~い敷地です。
     

    この敷地に関しては、日を改めて詳しく書きたいことがあります。 

    また、おたのしみに。



    神田理事長が、ご挨拶の中で次のようなお話をされていました。


    ”年間6億円の予算を、
    行政仕分けで3分の1に削減されるというのが、
    到底2億円では、やっていけない。と云う事を、
    前千葉県知事の堂本氏達の助力、賛同者の署名などを
    鳩山さんへ提出して、、、
    今年は何とかやって行ける事になってホッとしている。”





    一方、講師の方たちは、

    それぞれ日本文学の立派な大学の専門の先生ばかりで、

    短歌の結社の、お弟子さん達も、多くお見えになっていたようです。

    印象に残っている事を、2,3書いてみましょう。



    清少納言を、せいしょう・なごん と区切って言う癖が
    一般的に、あるようだが正しくは、せい・しょうなごん である。
    中納言、大納言というのですから、なるほど!と。




    又、別の講師からは、源氏物語は、”社会批判の書である” 



    私、そうそう、そうだけれど、何によっての批判なのか、
    ちょっと分りにくい感じもしましたよ。


    紫式部の視点がはっきりされないままでした。 


    もっと、深く言えば、
    法華経を信じ学んだ紫式部の知性が、
    仏法の末法思想と因果応報の思想から、
    栄耀栄華の宮廷模様を眺めた物語であると、
    以前、他の講座で聞いた事もあります。




    それが、《現世を諦観で眺める》社会批判になるといえばそうですね。



    講師からは、
    イデオロギーを伝えるのは言葉である。
    三人の才女が、どのようにして言葉を獲得したのか、
    その獲得した言葉で、社会の女性の差別意識を超えようとした、
    それがそれぞれの作品である。



    と言うくだりのお話もありましたが、
    イデオロギーと言いながら、それ以上の解説はありませんでしたし、
    微妙に、そこへは触らないまま行く雰囲気でした~~  あは?



    私、

    何となく、無理やりに、
    ジェンダー運動、男女共同参画運動に結びつけたような?
    感じがしたのは、思いすごしだったでしょうか?    ほほっ。 





    そもそも、三人の才女の幼い頃からの学問の教材は、
    西洋から来た学問ではなかったはずです。

    四書五経、漢詩や、写経、漢文の素読といった、
    中国や朝鮮からの渡来文化を学んだ父親の教養から、
    躾けられた学問であったはずです。




    彼女たちは、東洋の文化の精髄を身に付けていたのです。




    そして、当時の貴重であった筆や墨、

    普通の身分では手に入らない豊富な量の紙や筆を
    ふんだんに使った執筆活動は、
    時の権力者の庇護・パトロンに認められないとできない活動です。



    しかし、当時の平安時代の社会における
    東洋的な学問の影響については、
    どの講師からも、一言も触れられる事は有りませんでしたよ~。


    又、そういった恵みを与えてくれる主家(仕えた主人の家)に
    感謝をする心が、三人三様に心のなかにあるのは当然で、
    主家賛嘆の文が多いのも当然ではないかと、思ったり、、、


    三人の才女の作品については、
    それぞれ新しい説を聞くことが出来て、おもしろかったのですが、




    これが、男女共同参画のどこに結びつくのか、
    わからないまま消化不良で帰ってきました。





    結局は、国が行うセレモニーの域を出ていませんでした。




    無理やりに女性を仕事に就かせようと、あの手この手の努力?
    女性が社会へ進出しないと男と対等になれない?
    夫に家事をさせられない女性はアホウである?


    ある講師の方は、自分の夫は主夫であり、
    自分が帰宅して着替えている間に食事が並んでいる、と
    自慢話を講座の間に挟んでいらっしゃいましたよ。   あはは。


    そういうニオイはプンプンしていました。



    そのような強力に何かを推し進めようとする雰囲気は感じて来ました。


    これでいいのかなぁ~? 正直な感想です。


    その上、生まれも、育ちも恵まれた、環境も、本人の能力もある、

    知性がある選ばれた女性だけしか実現できない解放では困ります。




    今のようなお話では、どうでしょうか?


    みなさまは、どう思われますか?



    今日の、後日談は又、東洋的な立場から、書いてみたいと思っています。
































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    安岡正篤記念館にめぐりあいました。

    Category : 身近な物質文明
    安岡正篤記念館

    敷地内の中庭から見る安岡正篤記念館

    (後ろの建物は、国立女性教育会館の宿泊棟)






    前のブログで、

    独立行政法人 国立女性教育会館(NWEC)へ行った事を書きました。 

    その続きでございます。


    不思議なめぐり合わせがありました。







    我ながら、三・才女の作品の講座が目的とは言いながら、

    NWECへ行く気になったのはどうして?

    と現地に着くまで車を運転しながら不審に思いながらの道中でした。



    まず、忙しいのに~~ よくやるって、(笑い)

    多少の無理は構わない! 今回行く事はムダではないわ、、、

    そういう、どこかで自分を支える気持ちがあったのは確かなの。


    それに、講座を申し込んだのが3日前ですから・・・

    ほぼ定員に達している状態で、参加が叶ったのですから・・・


    普段の私の行動基準なのですが、

    自分の気持ちだけでは行動しないのです。自分の欲だけでは動かない。

    そう決めています。

    行きたい所があっても、じっといろんな都合が合うのを待つ訳です。



    その気が体中に、充満するまで何年でも、とことん待ちます。 (笑い)



    その私が、思い立ったように行動したのが、今回です。(笑い)



    何かに引っ張られている? あはは!

    その正体が分りました!!





    NWECの門を目指して、左にハンドルを切った時、


    目に飛び込んできたのは、『安岡正篤記念館』の看板の文字!


    お恥ずかしいのですが、その時までそこに安岡正篤記念館があろうとは、

    知りませんでした!



    「えーっ! ~~~ 」



    と、もう、NWECの門はそっちのけで、

    その横の、看板の見える小道に車を入れていました。

    感動もの~ もう~、信じられなくて、、、(笑い)

    碑文を読んで中へ入ると、白いコンクリートの建物。

    木立の中の建物の中で、集まって勉強中 ? のようなお部屋など、

    そこでお尋ねして、奥へ、2,3の建物の奥に、

    上の写真の、展示室がある瓦屋根の日本家屋が、ありました。





    なにしろ、講座の受付時間が迫っていましたので、外から眺めただけです。



    ゆっくり見るには、今回は時間がなくて、次に又来てと云う事にしました。


    実は、心は、シンポジウムより、どうして此処まで来て、、、

    この記念館を見つけられたのか?という不思議感でいっぱいでした。

    そこで、記念館の案内板の住所、電話の部分を携帯で写真に撮って、

    NWECへ引き返しました。



    なにかの気に包まれて、心の中は満足、、、でした。




    何故、NWECの隣に『安岡正篤記念館』が、あるのか?

    家に帰ってからも、知りたくて、電話で記念館の人に伺いました。






    その歴史のお話を、ご紹介しましょう。




    安岡正篤氏のそれまでのご生涯は、有名です。

    嵐山のこの地へ来られた切っ掛けは、

    昭和6年当時、

    金鶏学院の事業部門として農士学校をつくると云う事になって、

    その費用を前総理の麻生太郎氏の祖父、麻生太吉氏が寄付をした当時の

    お金で10万円・現在の6億円で買った土地ということです。



    この土地は、畠山重信の館跡、本丸菅谷館があった場所で、

    元の広さは、23hもあったそうで、

    現在の『安岡正篤記念館』と、独立行政法人 国立女性教育会館の敷地を

    合わせた部分が当時の地所なのだそうです。



    それを、敗戦でGHQにより学院の解散を命じられ、

    すべての財産は没収され、

    占領政策の後、国から元の土地を払い下げられる時には、

    全てを買い取るだけの財力はなく、

    記念館側としたら現在の地所だけを引き取り、

    その残りを埼玉県側が買い取り、

    そこが、現在、NWECが建っている所です。

    だから、NWECの敷地は、埼玉県が所有をして、

    独立行政法人NWECへ貸しているらしいのです。



    どうりで、両者がまさに隣接しているのですね。




    そういう歴史の場所だったのです。






    ついでに、ご紹介したいのは、


    安岡正篤氏によって存在が主張された3S政策等についてです。




    これは、アメリカ軍が占領政策として、

    日本の大衆の関心を政治に向けさせないようにする為の

    愚民政策のひとつと言われています。




    賢くて? 戦争を起してしまった日本人を、

    今後そうさせない為に、

    愚かなお馬鹿な国民にしてしまおうという策略だった?そうなのです。


    今の日本の社会を覆っている物質文明の根といってもいいかも知れません。




    このカテゴリーを書こうとした時に、いい出発点になりそうです。






    3Sとは? 


    日本を全く骨抜きにする3R、5D政策などと言うのもあります。



    関心がある方は、こちらを、




    ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについては、

    こちらを 
    ご覧になってください。



    では、また、来週をお楽しみに、


    よき一週間をおすごしください!

































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    テーマ : 埼玉県
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    『常住』ー無常に対する言葉として・・・・・

    Category : 仏教のことば
    日の出

                         武蔵野嵐山の夜明け



     熱烈歓迎中国! 中国からのアクセスが急に増えました。googleの規制解除の関係でしょうか?

       







    前の記事 

    ”経済という『陽』は、無常を免れないのです。” に対して、

    次のようなメールをいただきました。



    永遠に不滅のものはないということでしょうか?

    西欧文明に見られるような、大理石で作られた建物を

    永遠とみることに関してはやはり無理があるのでしょうね。

    我が国には伊勢神宮の遷宮という永遠感があるのではないでしょうか?






    メールありがとうございます!そのとおりですね。

    東洋思想の仏教と、陰陽学から考えてみようと思います。

    長くなるようでしたら、次回へ分けますね。




    今日は少し難しいかもしれません。仏教的な言葉を紹介したいと思います。



    その前に、言葉の整理を、無常、永遠、不滅なもの、ですね。

    うわぁ~ 大変な言葉ばかり! 

    実を言いますと、先日も内容がムズカシイとメールをいただいて!

    (うわぁ~、今日も又、ムズカシイと言われるわ~!)

    実際に本が30冊位?! 書けそうな内容です~ (笑い)

     大雑っぱに! 分りやすくを、心がけますね。




    まず、永遠という言葉についてです。

    私の主観ですが、この言葉からは、遠く未来へ、

    果てしなく行き果てる時間軸だけを想像します。


    果てしなく行き果てて、、、

    今ここに居るという現実の時間との関係を見失いそう~

    なにかキリスト教的空間、天国? あ~~似ていますね~


    そこへの架け橋は? そこへ至る階段は? どこどこ??

    きょろきょろしています! (笑い)



    天国への道を求めて、、、、、永遠を探し求めるエネルギーが、

    あの西洋の文化を絢爛豪華に華開かせたのかしら? 




    東洋人の私にとって、

    取って引き寄せる事の出来ない天国は、ないも同然です。


    観念的 ? そうですね~~  ごめんなさい~ 


    仏教徒で東洋人の私の好みと思ってくださいね!!

    やはり、この世という現実に基づいた、実体が探れる言葉が好きです。

    本質的な長遠を表す言葉は、時空に亘るものがいいですね。





    さぁ、仏教の言葉へ入っていきますよ!

    私達の生活上の時間の『今』に連続している時間軸上に、

    (地球上の時間=黄道上の空間における一点ですから)

    その『時』の占める空間も含めて、

    『無常』に対する言葉としては、



    仏教用語の『常住』(じょうじゅう)が適当ではないですか?



    すこし解説を、しかし、お断りしておきますが、

    常識的な言葉の意味の範囲という云う事に限定させてください。



    『常住』とは、無常に対する語。常に住すること。

    過去世・現世・未来世の三世にわたって常に存在し、


    ここが、だいじなの!!生滅変化がない。つまり現象ではない。


    釈迦の経典においては、法華経に来て初めて常住という事が説かれました。


    釈迦は、29(19)歳で出家をし、仏陀になったのは30(35)歳、

    それから小乗教、大乗教を説くわけですが、釈迦の涅槃(亡くなる)の2年前

    に説いた法華経は、小乗、大乗の対立を止揚、統一する内容を持つと

    言われています。




    法華経以前の諸教は、ごく一部に、『常住』が説かれていますが、

    それ以外の法華経以前の経典には、『無常』だけが説かれています。



    法華経以前の諸教は、

    当時のインドの民衆に、身近な世界のすべての事象が

    時と共に変化消滅をしていく姿を認識させる為、

    そういう意識を発達させる為、


    その点に重点が置かれていたかのようです。



    そして、法華経に来て初めて『無常世界』の奥に、絶対に滅失しない

    絶対世界である『常住世界』が存在することが提示されます。

    いわゆる、ここでパラダイム(認識の枠組み)の転換が起こります。


    この転換は、無常から常住へというだけでなく、それに応じて、

    それまで釈迦が説いてきた法全体の時空に及びます。

    (この詳細は、省かせていただきますが、)




    住は、存続する。という語の意味に近いです。

    今ここに、居る。居続ける。永遠という言葉と比べると

    時間軸だけでなく、存在感と空間の広がりが感じられる言葉でしょう?





    私達のこの世界の意識で捉えられる表層は、

    変化し流転する『無常観』で捉えられるわけです。

    しかし、その現象を起している本質は変らず『常住』であり、

    意識ではつかみ難い分かりづらい存在だと言うのです。

    そのことを『難解難入』なんげなんにゅう、と言います。





    『常住』の世界は見えないのですが、『無常』の世界は意識で把握できます。

    だから『無常世界』は捉えやすいので、理解しやすいので、

    無常という言葉が一般に広まったのかもしれません。

    『常住』より『無常』という言葉の方が、easyという事かも。



    それで、今、私達は『無常』という言葉を、仏教以外でも使っているわけです。



    いわゆる人間の存在から 自然のありようまで、宇宙も、

    時の経過によって、いつかは色褪せ、存在は滅失します。

    すべては、仏教の無常観の範疇から抜け出る事はできません。 


    これらは、意識世界においてはひとまず正しい認識なのですが、

    パラダイムの転換後、絶対世界の『常住世界』から観た場合には、

    無常観というのは、方便、仮の教えになります。


    例えれば、屋根へ登るのに使う梯子は、登るときには重要な役割が

    ありますが、登ってしまえば、梯子は梯子でしかありません。


    それに似ていますね。

     


    東洋の仏教では、まず無常観を教えています。

    その後、それまでの全ての枠組みを大転換をして、

    本質的な永遠の存在を明かしています。 ダイナミックです!

    私達は、あくまでも無常の世界に生きていますが、その奥に、

    常住という世界があるという事です。

    その事は、私たちの生命は永遠だという事になるのです。

    死んだら、天国で終わり! じゃないという仏教の智慧です。


     難しかったでしょうか ? (笑い)



       次は、陰陽学と双方から書ければいいな!と思っています。


       細かく書きますと、膨大な文字と、時間が要ります。

       あくまでも、雑に! シンプルに! しました。(笑い)

       仏教の偉大さ、そのニュアンスだけでも伝われば、

       私も、満足して寝られそうです。 (笑い)

       東洋の知恵に馴れていただければ本望でございます。

       遠い宇宙の暗闇に、確かに存在するもの、、、

       それは東洋の秘した智慧でしか掴めないものです。


      

     おやすみなさいませ。
















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    テーマ : 宗教
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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