fc2ブログ

    傀儡 2 / 天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学。その11

    Category : 運命学と歴史
    長谷寺礼堂の床錦


    長谷寺礼堂の床錦











    今回で、このシリーズは最後になります。

    今日は、天武天皇家の最後の一人娘の生涯を、

    記事にさせていただきます。


    いつもどおりに、前置きを。  (笑い)


    歴史という物は、過去のものです。


    しかし、我々とは、『天』の下、『時』で結ばれています。


    『時』の現在の端と、過去の端は、同じ『時』です。

    本質は、変わらない。

    今の中に過去があり、

    その過去の中に現在の因があり、今がその結果です。






    まともに、『天』の下、正面に向き合えば、

    過去は私たちの中へ流れ込んで、体中から生きていく知恵を貰えます。


    近代、現代という『時』の汚れやゆがみを弾いて見ると、

    流れて来た『時』が、そこには横たわっています。

    そして、『時』こそが、すべてを育んで来た事を知るのです。 






    自分の共感できた歴史の一ページは?

    めくって探してみましょうか.....





    今の教育の歴史は、唯物的で無味乾燥です。


    過去が抜け出した”ぬけがら”を拾っているようなものです。

    サンプルにもなりませんワ!  あはは。


    青春の多感な時に、抜け殻を与えられる虚無感は気の毒です。



    それは、日本固有のものだと思います。






    理由は、精神史が断ち切られ価値観が変わっているからです。

    特に、66年まえの敗戦の時が際立ちます。


    精神史を抜き取ってしまった”だしがら”の歴史です。


    他国からの侵略は、なかった。

    侵略されるような国ではないのだ。

    為政者が、自分の権威を絶対化する為に作り上げた虚構。 




    これって、

    今のバーチャルより凄いじゃないですか?  あはは。

    その化けの皮が剥げたのが、つい66年前です。




    そして、今、


    まわりのあらゆる国境線に、世界の価値観との違いが露呈しています。

    侵略には、どう対処したらいいのか?

    日本は、まるで”カマトト娘”のように、驚いた振りをするしかないのです。 




    そんな、ひどい~! 
    ゆるせないわ~! キャァー     


    あはは。




    侵略が、隙あらば当たり前という露骨な歴史を持つ世界の列強とは、

    日本は、対等にはやって行く術(すべ)を持っていない。 




    という事は、わが国は、母国の歴史から、何を教訓にしたの?


    ひょっとしたら、我々は、母国の歴史を陳列棚に並べるだけで、
    教訓を得るつもりがないのでしょう。
    だって、すべてが皇国史観、
    民主主義の今だって、それは底流に流れているのです・



    単一民族の、唯一の王朝が続く国にとれば仕方がないのかも知れません。









    今の歴史は、唯物史観。

    それを駆使して、
    精神史を掘り起こして、

    過去の母国の人間に、迫らなければ意味がありません。


    歴史を知る事で、反省ができ、分相応を自覚をして、

    今の私達の命に、力と知恵が漲(みなぎ)らなければ、それは嘘でしょう。 

    母国の歴史とは、常に、そうでなければおかしいでしょう? 




    やっぱり!  単一民族のケッコウナな国だと云う点だけに
    自惚れていてはイケナイのですね。    ほほっ。







    では、先へ進みましょう~!


    わが国の歴史には、

    精神史を掘り起こす、事が、いつも抜け落ちていますね!


    たとえば、高松塚古墳キトラ古墳について、玄室に方位四神像、

    高松塚古墳内の女性像、

    キトラ古墳の星辰図が、

    それぞれ描かれているとは、

    一般に報道をされて私たちは、知ることができます。


    が、しかし、どうでしょう? 


    その表す所の精神史については、詳しく述べられていない。
    それを、それぞれ言い表すと次のようになります。






    七C末~八C初めに作られたとされる高松塚古墳

    およびキトラ古墳の玄室には、

    共に
    道教の方位四神像が描かれています。 


    高松塚古墳内の女性像は、
    高句麗の古墳壁画に酷似しており、

    キトラ古墳に描かれた星辰図は、
    高句麗で観測された天空なのです。


    二つの古墳は藤原京中央のほぼ真南ラインにあり、

    天武・持統・天武帝の皇子たち文武帝陵・(大津と草壁か)もここにあります。


    この事は、天武朝は
    新羅経由の高句麗の文化で満たされていた証拠です。 




    ほら! 仏教だけではなかったのです!

    本来、こう知らされなければいけないのに、いかがですか?

    暗に、仏教が興隆していたかのように誤魔化されています。

    どう言う意図でしょうか?



    かように、わが国の歴史は、分からなくなっています。 


    報道や表現の自由が保障されているわが国で、です。  あはは。


    めんどうくさいから?

    細かい事まで国民大衆に知らす必要はないからですか?

    専門家と学識経験者以上が知っていればいいからですか?


    意識で作った近代国家の法律、ルール、
    これを敢えて、『陽』の偽性の賜物と言っておきましょうか、 ほほっ。


    それにおいてさえ、
    次の様に言う事ができるはずです。


    国民は、自国の歴史のあらゆる事を知らされる権利があるはずです。


    さほどに、抜け道の多いのが、『陽』である法律、制度です。

    法律や制度は、運用する人間に依って功罪があるのです。

    おなじ法律や制度が、人を殺しもし、生かしもするのです。

    故に、法律や制度では、人間は等しく平等に幸せにはなりません。












    では、本論の方へ進みましょう。



    そうそう、

    政務から逃げていた聖武天皇が、男で初めて太上天皇になり、
    聖武天皇と光明皇后の娘☆3.阿倍内親王  が、
    749年、48・☆3.孝謙天皇在位749年~758年、として即位します。 




             ☆ 46・孝謙天皇 (女帝) 《在位9年》






    752年、東大寺大仏開眼供養会を挙行する。

    753年、盧舎那殿の前に戒壇を立て、皇太后・天皇と共に登壇して鑑真より

         菩薩戒を受ける。
        
        母の太皇太后宮子が崩ず。 


    756年、聖武太上天皇が崩御。

        崩御にあたり天武天皇の2世王・道祖王を皇太子にする遺言を残す。


    古代より皇位継承の際の混乱を避ける為に、

    「天皇となった女性は即位後、終生独身を通さなければならない」という

    不文律がありました。

    女性天皇は、結婚する事は許されない訳ですから、

    もちろん子供も産めません。

    だから、女性天皇の子供が皇位を継ぐという皇位継承は、あり得ません。 




    ☆3.孝謙天皇の後の皇位継承をどうするのか?

    この大変な閉塞感が、

    聖武天皇の晩年の心の中に、

    ☆3.孝謙天皇ご本人の胸の中に、朝廷の貴族の中にも漂っていたはずです。


    ☆3.孝謙天皇の後の天皇の座を巡って、

    いろいろな思惑がうごめいていたはずです。 





    それを見越してか、聖武天皇は、

    ☆3.孝謙天皇の後に、天武天皇の2世王・道祖王を立てたかった。


    それは、娘へ譲位をした父天皇としての責任からでしょう。

    自分が藤原の傀儡として天皇の位にある事を良しとは思わなかったはず、

    娘の幸せをも考えて遺言をしたのでしょう。


    しかし、聖武天皇は、自分の死後、

    ☆3.孝謙天皇が自分の遺言通りにすると、信じていたのでしょうか?




    一人っ子のわがまま娘、☆3.孝謙天皇は、世間知らず、

    という相場通りの事をやってのけたのです!    ほほっ。


    時代も違えば、身分も違う! 
    しかし、人間は同じです!
    そういう意味では、彼女は正直な可愛い女だったのでしょうね。
    なにしろ、彼女は、天皇と言う位に立った人ですから、
    その我がままたるや、私達とは桁が違います。     ほほっ。




    両親(☆1.聖武天皇☆2.光明皇后)の死後、

    前代未聞の事を次々とやってしまいます...


    ●一つ目は、

    ☆2.光明皇后☆3.孝謙天皇の二人から寵愛された藤原仲麻呂です。


    藤原仲麻呂は、

    ☆2.光明皇后の皇后の兄(藤原四兄弟の一人・武智麻呂)の息子。

    つまり、不比等の孫です。

    ☆3.孝謙天皇の従兄弟に当たります。



    ☆3.孝謙天皇は、その仲麻呂を寵愛し、

    「親の心、子知らず」それを知ってか知らずか?  
    彼の勧めるがまま、聖武天皇の遺言も無視して、
    757年、天武天皇の孫(天武天皇の皇子・舎人親王の七男)を立太子します。


        後の第47代・淳仁天皇です。





    ●二つ目は、弓削道鏡(注★)です。

    父・聖武天皇の遺言も無視して、

    淳仁天皇を立てた後すぐに、☆3.孝謙天皇の寵愛は、僧・道鏡へと

    移って行くのでした。



    このあたりが、いかにも女性の権力者の気分のまま?  あは!
    感情的に流される欠点が出ているように思えますね。




    (注★)☆3.孝謙天皇、後の称徳天皇に取り入り、寵愛を受けて、

    それまでの天皇の愛人だった藤原仲麻呂を失脚させた後に、討ち、

    太政大臣禅師となり法王となって位を極め、

    さらに神託によって皇位に就くことを望んだとされる。








              ☆ 47・淳仁天皇  《在位6年》



              

    758年、☆3.孝謙天皇から譲位を受け、47・代淳仁天皇に即位。

          政治の実権はほとんど仲麻呂が握り、

          仲麻呂の後見人である☆2.光明皇后が強い影響力を持っていた。


          上皇になった☆3.孝謙天皇とは、僧・弓削道鏡との関係を

          注意した事で対立をするようになる。


    760年、祖母の美千代に正一位と大夫人の称号を贈った。

    764年、恵美押勝の乱

        淳仁天皇は「仲麻呂と関係が深かった」と言う理由で廃位を宣告され、
        ☆3.孝謙上皇の軍によって包囲され、

        親王の待遇をもって淡路国に流され、逃亡して捕まり32歳で亡くなる。


    ☆3.孝謙上皇と、弓削道鏡の二人は、
    天皇の外戚(母方の実家橘家)からの政権奪回に乗り出し、
    46・☆3.孝謙天皇が、仲麻呂を討ち、淳仁天皇を廃し、
    自らが重祚し、第48代・☆3.称徳天皇として返り咲きます。






         ☆ 48・称徳天皇 (女帝) 《在位6年》






    764年、第48代・☆3.称徳天皇、在位764年~770年

    あろう事か、今度は、その道鏡を天皇にしようと・・・道鏡事件が起ります。


    769年、大宰府の宇佐八幡神の神託として道鏡を皇位につけるべきと奏上。

    しかし、念のため宇佐八幡の神託を伺うこととなった。

        藤原氏は当然、工作したであろう。

        そのおかげか道鏡への譲位を否定する神託を持ち帰る。


    世間知らずの☆3.称徳天皇が道鏡の甘言に乗ったのか? 


    道鏡が、もし天皇になっていたら、彼も僧であり後継者はいない。

    道鏡の後すら想像できない。 

    どうするつもりだったのか?

    日本歴史最大の危機だったのですね。 


    ☆3.称徳天皇と道鏡の関係か? 
    道鏡の野望か?




    いゃ~そんな可愛いものではないでしょう。
    もっと、ドス黒いものです。
    彼女の次の天皇の座を巡って、
    三つ巴の権力闘争の大きな渦があったのです。 
     


    まず、第一の渦は、☆3.称徳天皇自身の政治改革。

    両親を見ていて、藤原氏の傀儡であった父・☆1.聖武天皇のように

    第二の傀儡にはなりたくないと言う”わがまま娘”らしい野望がありました。


    二つ目の渦は、

    聖武天皇が仏教に帰依するあまり、朝廷以上の力を持った仏教界。

    仏教の興隆を背景に、調子に乗った奈良の仏教界です。

    道鏡を異常な程に寵愛した称徳天皇を利用して、

    仲麻呂を失脚させた仏教勢力の実力。

    天皇の権力さえも仏教勢力の支配下に置こうという権力欲が、

    思惑があったのです。


    三つ目の渦は、
    それを巻き返そうとする藤原氏です。


    失脚した仲麻呂は藤原4兄弟の不比等の長男・武智麻呂(南家)の息子です。
    残る兄弟3人のうち四男・麻呂の(京家)は、後継者がなく、すでに失脚。
    次男・房前(ふささき)(北家)
    三男・宇合(うまかい)(式家)が残っていました。


    藤原氏は仏教界の野望を絶対に阻止したい考えだったはずです。




    奈良の既成仏教勢力 対 藤原氏の房前(北家)・宇合(式家)の
    権力闘争の構図です。
     
    それに加えて、
    一つ目の渦、☆3.称徳天皇です。



    ☆3.称徳天皇自身自分の母親が藤原氏にもかかわらず、

    当時、実権を持ちつつあった藤原氏を排除しようという

    果断な政治改革をした所が、藤原氏の反発に会った。


    しかし、彼女には頼る身内もだれも居なかったのです。

    現実問題として、まず、後継者が居なかった。

    自らは巫女天皇であり子供は産んでいない。


    弟の基皇子は早世し、

    聖武のもう一人の皇子である異母弟安積皇子も消され、

    聖武の直系は居らず、

    聖武が皇太子とした道祖王は陰謀で廃され、

    その兄弟の塩焼王は仲麻呂の乱で擁立されようとして斬殺され、

    船王もそれに与して流されている。


    大炊王(淳仁天皇)は自らが廃して、

    三原王は死んだ。

    他の皇女は結婚している。

    天武の孫世代は壊滅状態であり、もうだれもいなくなっていた。

     



    天武・持統直系は少なくとも断絶でした、、、、、。



    自分が政治改革をしようとしても、もうすでに味方がいなかったのです。






    そう云う彼女が、今まで頼って来たのは、


    最初が、寵愛した藤原仲麻呂であり、

    次が、彼女が法王にまでした弓削道鏡でした。

    しかし、権力を持った世間知らずの彼女に、

    心から信頼にたる人物はいなかったのです。 


    それは、間違いなく彼女を利用する人間ばかり、

    しかし、その事を嘆いてはいけません。




    それが、そう、
    『陽』そのものに生きた本質だからです。








    だからこそ、陰徳のない女性は、幸せにはなれない。 

    と申し上げるのです。


    つまり、
    女性が、いくら権力を持っても幸せにはなれません。
    うぬぼれの強い女は、いつも之に引っかかるのですよ!
    おきをつけあそばせ!




    度重なる権力闘争の粛清の結果、兄弟もなく、身内もなく、
    天武天皇の子孫たる親王、王がいなかった。 



    この行状から、この時代の権力が、仏教をどう考えていたのか?
    まったく心細い想像しか浮かびません。
    仏教こそが、この権力の魔性と戦うものなのに、
    国家鎮護を願う時の国の権力者がこうなのですから、
    その事から、
    この時代の仏教が、釈迦仏教の方便から抜け出ていなかった、、、
    としか、申し上げられない、、のです。




    ついに、
    最愛の間柄であった道鏡の裏切りもあって、
    こんな我がまま娘は、煮ても焼いても喰えない!?
    最高権力者がそう判断したのでしょう。
    もう、時の権力者にとって、もはや邪魔者でしかなくなった

    ☆3.称徳天皇は、今の名古屋付近の藤原百川の家で毒を飲まされました。



    権力だけが欲しい『陽』にとれば、

    自己主張をし出した、わがままな、役に立たない傀儡は要らないのです。 





    ーーー 必要なくなれば、役に立たない物と一緒です。





    ☆3.称徳天皇は、病に臥せって、100日余、

    この間、医療行為を施されず見殺しにされたと、

    看病の為に近づけたのは女官の吉備由利だけで、

    道鏡は崩御まで会うことはなかった。


    「逆説の日本史」で井沢元彦氏が、主張されています。





    1ヵ月後に平城京で、


    770年、孤独な☆3.称徳天皇が崩御します。 








    ☆3.称徳天皇は、聖武天皇☆2.光明皇后の娘です。






    藤原不比等と、橘美千代の孫です。



    それだけの権門の地を引き継ぐ娘が、
    どうしてこう云う最後を迎えなければならないのでしょう、、、





    人の生き方の総決算は、孫の代に報われると言います。

    また、自分の孫に出会えるかどうかは、その人の徳の結果とも言います。 







    最後に、天武朝における

    中国の唐、朝鮮半島の政治的な影響力については、

    次のように述べられるかと思います。


    道鏡事件の神託を出した宇佐八幡宮は、
    もともと豊前に鎮座する古神ですが、

    聖武朝の時に畿内に飛来をして、
    東大寺大仏造立の難工事の際、
    天神地祇を率いて援助をしたとなっています。

    これが、東大寺の鎮守神・手向山八幡宮になります。 






    その意味は、こう云う事になるのでしょう。



    新羅系の宇佐神が同系の天武王統の聖武帝を助けたという事実です。
    同時期に、中国から難渋を重ねて鑑真が渡来していますが、
    これは、新羅勢の妨害で難路を取らされた結果でしょう。






    聖武帝の後に、なぜ藤原仲麻呂が、台頭できたのか?


    それは、唐や渤海(高句麗遺民の国)と手を結んだおかげです。
    唐や渤海の国力に背後を守られて、
    親新羅の橘諸兄・奈良麻呂父子、吉備真備・僧・玄ボウらと
    対抗できたのです。
    結局、恵美押勝の乱として鎮圧され、道鏡の世となりますが、
    道鏡自身の出自は、あの蘇我王統です。




    東大寺に対抗する西大寺も建立して、

    769年、宇佐八幡神はついに道鏡を皇位につけよとの神託を下します。

    しかし、これを和気清麻呂が宇佐で聞き直すと、

    全く逆で「天皇家以外の者を皇位につけてはならない」と言う事であった。



    これに激怒した称徳女帝は、
    和気清麻呂を遠流に処す訳ですが、
    後、女帝崩御ともに、今度は道鏡が配流され、清麻呂は召還されます。



    このゴタゴタの本筋と言えるものは、


    天武朝の断絶後、最後の称徳女帝の「その後」に、
    天智帝の孫・光仁帝が即位して、その子が桓武天皇になるわけですが、
    桓武天皇の母が、百済王の血を引く王族であったと言う事に、
    「新王朝」のめざす流れがあったと、見る事ができるのでしょう。





    道鏡事件と言うものは、

    仏教勢力と、藤原氏、唐・新羅派天皇の三つ巴であり、

    また、それをそれぞれ背景とする、

    蘇我・天智・天武系の三つ巴の王統権力闘争であった。



    それは、日本の中での「朝鮮」勢力の権力闘争だったのです。



    具体的には、

    「高句麗」であり、「新羅」であり、「百済・加羅」であり、
    それらの弱肉強食の戦いそのものの
    権力の消長の姿であったと言えると思います。






    そのように、歴史は、学びの宝庫です。



    女性の特質・『陰徳』に光を当てて歴史を見るのもおもしろいのです。







    これで、このシリーズは終わります。

    いかがでしたか?


    いかに華やかに栄えているかに見える家も、

    わずか3代で、滅びてしまうのです。

    その『因』は、『陰』の衰退、女性の『陽』化です。


    それぞれ、たった一人の女性の生き方です。

    家系を滅ぼすのも、たった一人の女性の生き方で彼のです。
    家系を盛り立てて行くのも、おなじく、
    たった一人の女性の陰徳で可能なのですよ。
    その事を、今回はご記憶くださいね。







    よき休日を、よき『時』をおすごしくださいませ。













































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



    テーマ : 歴史上の人物
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    女系化 レベル①~④ 理想の夫婦について  

    Category : 家族関係
    万葉の月


     (太陽の光でかがやく)満月・星







    太陽は、『陽』で男性です。月は、『陰』で女性のシンボルです。


    月は、太陽の光を受けて静かに光り、闇(無意識界)を照らします。


    男性は、『陽』の光のエネルギーで、あらゆる生産活動をし、


    女性は、(生命の摂理)の智恵でその活動を守るのです。


    その『陰陽』のバランスが取れた状況を中庸と言い、


    初めて生命は、永遠の姿(生命の継承)を得ます。










    前回までの『天武天皇・・・』の記事の記憶が、まだ、残っていますか?


    残っている内に、、、おさらいを!   あはは。




    あ、その前に、

    地球の『陽』が、『陰』に追い上げられて活発に活動しています!



    宮崎、鹿児島県境にある霧島山の新燃岳が、噴火を続けています。

    また、鹿児島・桜島でも爆発的噴火が相次ぎ、

    それぞれ降灰の影響で大変な被害が出ています。

    地中に、『陰』のエネルギーが溜まっていたのでしょう。



    『陽』の現象のかげには『陰』のエネルギーの蓄えがあります。

    爆発する時には、もはや遅し、

    現象面からの観察だけで、何者も、『陰』を抑える事はできません。


    意識のエネルギーはコントロールできるのでしょうが、

    無意識からのエネルギーは、人為(意識)的には、

    コントロールする事は、無理だと教えてくれているようです。


    くれぐれも、現地の人々の被害が少なくなりますように、祈っております。




    同じく、これも『陰徳』!と思わせられる事柄がありました。



    アジアカップの決勝戦で李忠成選手の決勝ゴールをアシストするなど、

    印象に残る活躍をした日本代表DF長友佑都(24・チェゼーナ)選手が、

    電撃的に、残ったシーズンをインテルで送ることになったそうです。

    夏の移籍市場での完全移籍が決まるらしいです。



    この成果は、長友選手の努力、実力は当然なのですが、

    その土台に、

    彼のお母様は、彼をサッカーを続けさせる学校の費用の為に、

    お化粧をする事を、ずっと止めて来られたそうです。 

    一人の男の華々しい『陽』の現象の陰には、

    苦を引き受ける女性が、母、妻、いずれか必ずいるものです。



    そういう感想を持ちました。



    次は、コメントからです。 拍手コメントから、



    松田聖子さんを例えにしても、私の周りを見ても、

    やはり女性が仕事面等で成功をされてる方は、離婚していたり、

    子供が女の子しかいなかったりと言う人が多い事に気付きました。

    また、どの学年も男の子より女の子の方が多いです。

    記事を読んでると、考えさせられることばかりです。 

    男女の生まれて来る比率も、今の自然界そのものの表れなんでしょうね。





    そうですね。

    よく気が付かれましたね!







    今日は、理想の夫婦というテーマです。


    先へ進みましょう。


    先ほどの、”おさらい”のつづきですが、  



    女系の程度を、レベル①~④と分けてみましょうか?  あはは。


    不思議な位、年代を追って次のようになっているのです!



    レベル①が、 天武天皇と持統天皇、



    この間に、天武系図的には、直系の草壁皇子、文武天皇が存在しますが、

    天武血統の男系の内実は、ここまでで、すでに力を失っていますね。

    これ以降は、実質的に、女系血統である藤原氏の力に負っています。



    レベル②が、 藤原不比等と橘美千代、

    レベル③が、 聖武天皇と光明皇后

    レベル④が、 孝謙天皇と道鏡、 



    という、組み合わせのご夫婦やお二人ですが、


    ①~②は、非常に”強いタッグ”を組んだカップルです。  (笑い)

    ”同じ目的に向かって助け合った二人”であり、

    強い夫と、負けず劣らず烈女の妻との組み合わせでした。


    そして、お二人の目的は、あきらかに『陽』の世界の制覇でした。

    自己の権勢を張らんとする夫の舞台に出て活躍する妻達です。



    決して、陰の存在で助ける妻たちではありませんでしたね! あは!


    レベル①からは、もう女系化が始まっていますから、

    陰の存在の妻なんて美しい存在は、影も形もないのですよ!(爆笑)





    彼ら、ご夫婦、カップルの両方が、欲で結ばれている、と言うのか、(笑い)

    一族、子孫、血統を守ろうとするだけでなく、

    すさまじいまでの権力欲『陽』が、強い絆の元になっていました。

    言い方を変えれば、女性の側が、男性側へ傾斜をしている。




    つまりは、『陰』であるべき女性が、『陽』たる男性の生き方に合一している。

    そういう意味で、夫婦合一が為された御夫婦のように見えますが、、、

    この形は、幸福なのか?不幸なのか?

    さまざま、ご意見があるだろうと思いますが、

    彼らの欲と願いの頂点、結果として孝謙・称徳天皇の末路から見ると、 


    子孫が繁栄する、『天・地』の道理に合致していたのだろうか?


    『人の紀』に則った生き方だったのだろうかと?

     

    難しい問題ですが、やはりそういう疑問を持ってしまいます。。  。





    それでも、レベル①が、一番夫婦らしいかな。 あはは。 


    その特徴は、

    なんだかんだと言っても、そこはまだ夫の方が、力があり、夫婦の主軸です。

    『陽』たる世界で力も意志もある男が、夫です。

    ですから、『陰』である妻が、『陽』である夫を助けると言う形は保たれています。

    助けるのに、夫の現場まで出て行くたくましい妻と言う事です。


     


    レベル②は、簡単に夫婦と言うには、特殊な利害の上の結びつきかな?


    結婚自体も策略的?(あは!)でしたが、、、


    その結果が、夫婦の子孫がお互いに、

    権力闘争で陰謀を企て殺し合う間柄になり、

    彼ら二人の共通の孫である孝謙・称徳天皇は、

    藤原不比等と美千代の因果応報の結果としての姿になりました。

    権謀に負けて、子孫も残さず、たった一人、孤独な最後でした。 


    これは、現在の孤独死とは違います。

    平城京の中、

    環境のすべては整ってあるのに、見捨てられたのですから。

    死ぬように、仕向けられた。

    そういう周りの意志が、関わった最後でした。




    レベル③~④は、それぞれ? ご夫婦、二人の目的が違っていましたね。
     


    次の流れを注意して見ていってくださいね。




    レベル③ 聖武天皇と光明皇后のお二人ですが、


    このお二人は、また違った味がありますね。


    聖武天皇が実質、天皇位でした。

    夫の方が、『陽』=現実の世界で主という形は保持している。

    しかし、ご本人も政務を厭われたように、実体は形骸化していた。 


    『陽』たる聖武天皇に、闘う男性の闘志、支配欲、政治力は感じられません。

    それ以上に、

    光明皇后の実家・藤原氏の力の影響力の方が、実力的であったでしょう。




    妻の実家に支えられ、妻の実家の力が及んでいるのも、女系の形です。

    『陽』の存在が形骸化し、『陰』の『陽』化によって支えられているものを、


    女系のレベルが一段と進んでいると言えます。




    女系化が、進化? あはは。 良い事では、ありませんね。




    このレベルの女系の家では、


    自我が強く、独立心旺盛な娘が生まれて来ます。アクティブです。

    反対に、息子はやさしく、強い女性の受け身ができるタイプでしょう。

    つまり、女房役ができる男の子?ですね。  あはは。




    具体的には、女性が、無意識の領域における知恵よりも、

    意識世界における知識に強くなっていくわけです。

    偏差値的に、頭はいいのですが、調和的な智恵がないのです。

    (今の民主党の議員のようです!)  あはは。

    つまり、俗に言うお勉強が好きな女の子。得意。頭がいい娘ですね。


    そういう運を持っていますから、試験に合格するとか、向学心旺盛です。


    当然ですが、それを生かして学問や知識で生きて行こうとします。


    そして、当然の如く、積極性を発揮して、

    それを武器にした職業に就くようになって行きます。


    女なのに『陽』の世界の方が合ってくるのです。


    だから、余計にこういう女性は、『陽』化が進むわけです。

    =ゆくゆくは、『陰徳』の消去の姿が出て来ます。



    その姿は、独身のよう!女として成熟しません。

    受け身な男性と結婚します。生活を担って働きます。

    子供を作らない。子供ができても育児に苦労をします。

    母親の『陽』に接して、息子は『陰』的になりますし、

    娘は、母親の『陽』に補強されて、もっと『陽』化します。

    家系の女系化が、進む訳です。


    『陽』に傾いた母親は、子育てで失敗します。




    子供も、『陽』の社会化されている母親は、苦手なのです。

    母親が、『陽』の理屈で、子どもと接するからです。


    『陽』化した母親は、子供を意識の世界で扱います。

    何でも数字で比較するし、競争原理を主体にした考え方だからです。

    子供が、いびつになります。

    将来、親を平気で馬鹿にし、顧みないような人間になります。


    自分が『陽』の価値観の中で、そう扱われて来たからです。





    その反対に、女系の息子は、おとなしい~。  あはは。

    社会的に、欲を持って生きていく事に積極的ではありません。


    いわゆる草食系の男子、でしょうか?  (笑い)


    スィーツが好きで、女の子みたい!  あはは。


    強い姉やシッカリ者の母親と、付き合って慣れているのもあるわね! 

    母親、彼女、妻の言いなりになりやすい男性たちです。






    レベル④、孝謙天皇と道鏡は、それが、なお一層強められたステージです。


    この段階に女系化が進むと、社会的な地位、位も

    女性の方が、高い。強い。

    現実社会での実力を備えて来ます。

    もちろん、経済力です。


    女性の地位が高く、社会の中で生きる事に逞しいのです。

    男女の立場が形骸化を通り越して、実際の姿が、真逆になります。


    このレベルの女系の家では、

    一人娘とか、息子が生まれても結婚をしないとか、

    結婚をしても孫が生まれないとか、何らかの次世代への障害が出て来ます。





    孝謙天皇のお相手は、なにしろ此方が天皇ですから、

    釣り合ったお相手がいるわけでもなく、すべて臣下でした。

    必然的に、女性としてのしあわせを望むべくもなく、

    結婚も子供もダメ! と言う運命的なステージが、用意されています。



    このステージの女性は、若い頃から、ふしぎに子宮や卵巣の病気に罹り、

    身体面においても出産が不可能な体になるという状況が起こります。



    西洋学問的には、

    その原因は、医学的に~遺伝的に~等と、説明されるのでしょうが。




    それは、病気という原因の奥に、『陰徳』の消去があるからです。 






    また、不思議と、結婚という形態をとらないまま、、、

    愛人関係、不倫関係、なども平気です。


    『人の紀』を失う形が出てくるのです。

    ここが、問題なのです。

    頭がいいのに、夫を立てるとか、先祖の墓参ができない。

    知識を、情報を最高価値とする勝手なロジックを構築して、

    ”私は、解っている! 知ってる!”

    その傲慢さの上に、

    『陽』の価値観ばかりを追いかけているからです。


    それは、敷衍すれば、無道徳に陥った姿です。



    これも、今の民主党の閣僚と言わず若い議員に多いですね。

    こう言う学歴だけ高くて、頭がいいと自惚れている人間に、


    まず国民から、尊いと思い、敬う心が、生じませんから、

    総理が、くるくる替わるしかないのですね!  あはは。





    人一人の生き方を見るだけよりも、

    家、家系、家族という舞台を広げて見ますと、実態が明らかになります。



    なぜなら、運命と言うものは、家系を伝って行くものです。

    家族が、家庭が、その顕現する場になるからです。 







    自分の家庭が、家族が、女系のステージのどの段階なのか?

    ひそかに、チェックをしてみてください。  (笑い)




    このように、女系に傾かないように、中庸をいくということは、

    少しづつ何十年もかけて変化をする場合、

    人は、目先の事ばかりに囚われてしまうのが常ですから、


    たとえば、”夫はやさしい”から幸せ! とか、、、(笑い)


    気がつく事は、難しいのですが、


    ご夫婦で、同じ目的を持ちながらでも、

    男、女という、その立場は、まったく違うわけですから、

    各々の立場のそれぞれの特性を生かさなければいけません。


    その生き方における価値観は、

    『陰』と『陽』では、根本的に違います。


    ある時は、違いをはっきりさせながらお互いを確認をして、

    異なる立場の相手を尊敬をし、信頼をして行く。



    夫婦の双方が、『陽』へ揃って傾いたり、あるいは、

    『陰』へ揃って傾くというのは、良くないことですね。


    常に、同じ考えで同じところに立つというのは、

    かえって不自然なのかもしれません。





    女系については、もっと詳しく記事にする機会があると思います。



    『陽』は?  あはは。


    『陽』について書き出しますと、それはすさまじいのです! 


    記事を想像するだけで、恐くなります~





     あはは。




    でも、またいつか記事に、したいと思っています。


    冬の本番は、まだこれから、


    お体をお大事に、暖かくなさって、良き週末をお過ごしくださいね。
































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



    テーマ : 家族
    ジャンル : 結婚・家庭生活

            

    (歴史) 学問の知識で人生を考えてはいけない 1

    Category : 運命学と科学
    2月の那須岳


    2月の那須連山を望む



     
    「静かな午後」 の音楽を、どうぞ~!






    今日から『 学問の知識で人生を考えてはいけない 』 シリーズです。


    今日は、1.(歴史)ですから、

    歴史に関するコメントをご紹介しながら進めて行きます。



    ●『天武天皇・・・』の記事をお読みになった拍手コメントからです。


    学生時代日本史は大嫌いでした。

    こういう風に教えてもらっていたら好きになったかもです。 



    こう言っていただけたら、なんとなくコソバユイ感じがします!

    そう、本当は、日本史は、おもしろいものなのですね~!



    ●次のコメントは、


    床錦のうつくしさー奥床しさの言葉を思い起こしました。


    権威や名誉や地位のような男性的な価値観をものさしにした歴史が、

    他には、いっぱいありますが、

    『陰』から見た歴史という試みを、他では見たことがありません。


    こういう視点が、もっと一般的に広まっていたら、

    いまの女性たちも、男性を真似ることなく、

    自分の特性に目覚めたに違いないと思ったわ。


    なにが、女性をしあわせにするのか?

    古いというだけで、捨ててきたものを、もう一度見直さなきゃいけませんね。



    ほんとうにそうだわ~!

    権威や名誉や地位のような男性的な価値観は、『陽』そのものです。


    薪から燃え出る炎は、『陽』です。 薪そのものは『陰』に喩えられます。

    薪を燃えつくすと、炎は、消えます。



    薪は、大地から成った樹木。 大地は、『陰』そのもの。

    すべてを、育む命の大地です。



    樹と薪の存在を抜いた、燃える炎だけを事実だけとする歴史。

    炎の残滓を教え、記憶しないといけない勉強に落ちていますね。

    たしかに、今の人間が、無常の領域から、抜けられないわけです。



    女性的な価値観から、歴史を見ると言うような事は、少ないです。

    また、歴史上の重要人物についての詳細は、ほとんど無視されています。


    たとえば”日露戦争”をとってみても明治天皇が、どうだったのか、

    当たらず、触らず、です。

    だれが、どのような思想で、どうしたのか、さっぱり分かりません。

    こうだと書く視点を失っている。自信を喪失しているようです。

    その上、今の歴史は、唯物史観です。


    権力形成、その形態、権力者は誰か、時代の命名、年代だけです。

    これらは、すべて『陽』の側面のことばかり!

    つまり現象面そのものの列挙です。


    「権力」、その構造における「身分」の「格差」や「階級」は、

    すべて、『陽』です。

    権力を志向する人間の自我を守る意識が、作り上げた造作物にしかすぎません。

    目で見えないけれど意識や権力は、人間の意識の中の造作物にしか過ぎない、

    すべてが、意識のシワザです。



    しかし、


    『天・地』にはもともと格差や階級や権力と言うものはないのです。


    自然の摂理があるのみです。


    その摂理とは、自然はすべてが循環をして、移り変わり、


    時に合ったものが栄え、そうでないものは時によって淘汰をされます。


    自然の摂理から見ると、権力者すら淘汰されます。 



    それを、『天武天皇・・・』のシリーズの記事で書きました。




    こういう歴史の視点が、ありませんね。


    『陽』のみが強調された歴史です。



    それは、人間の欲望を主軸に、如何に達成したのかと言う歴史であって、

    仰るような、なにが、女性をしあわせにするのか?は、捨てられてる。


    たしかに、中高生の女子が、今の男性側に寄った歴史のお勉強を真面目にして

    いたら、”男のように偉くなりたい!”と勘違いするはずですね。 (笑い)


    しかし、決して、今の状態で、男だってしあわせではないのです。。 。


    いままで何度も書いて来た内容なのですが、


    現代は、


    ① 学問=西洋思想・へーゲルの意識=近代合理主義=二元論です。


    =人間と自然に分け=理性・感性に分け=物と精神に分ける。



    そういう近代的自我(個人主義)と自由を主張する人間が、

    現実の全存在を、意識でこのように分けて分けて分けた挙句、

    人間の意識が作ったロジックで組み立てた社会の仕組みです。


    そのフィクション(作り事)の世界の中に、

    近代的自我を持った我々が、孤立をしてバラバラにたたずんでいる。

    それが、科学が進歩?したと言う現代文明の今です。



    しかも、今の西洋文明は、物質文明に根を発している。

    精神をないものとする障害を持ったカタワの文明なのです。 

    ここは、お分かりになってくださいね。



     「要するに人格も法も国家も、すべてはフィクションなのであり、

    迫持(せりもち)、控へ壁などの備へによつて、その崩壊を防ぎ、

    努めてその維持を工夫しなければならぬものなのである」


    「問題は、すべてはフィクションであり、それを協力して造上げるのに一役買つて

    ゐる国民の一人、公務員の一人、家族の一人といふ何役かを操る自分の中の

    集団的自己をひとつの堅固なフィクションとしての統一体たらしめる原動力は何か

    といふ事である。 それは純粋な個人的自己であり、

    それがもし過去の歴史と

    大自然の生命力に繋つてゐなければ、人格は崩壊する。

    現代の人間に最も欠けているものはその明確な意識ではないか」


    引用:「福田恆存全集 6 覚書 」より




    すべて意識できる範囲という狭い領域に、

    人間が造った知識とガラクタの寄せ集めです。




    これでは、どこまで行っても人間も自然も、解りません。

    解りもしないこの空間に生じる新たな生まれ出た命は、

    自然の本然的な天災の災害から来る苦労に耐えるまえに、

    イビツナ社会を受け入れるという課題をコナサナケレバならない。




    これが、仏法の説く、四苦の中の「生」の苦の一部です。


    知恵と運が無くては生きていけない「この世」なのに~

    それを、知識だけで生きようと?  あはは。

    よっぽど運がいいのか、蛮行そのものだわ~。




    ある意味、この文明の中では、

    すべてが、人の意識が造ったフィクションであり、

    時とともに色あせる、いつか嘘になるロジックでしかない。


    人間は、地球上に、なんとガラクタなロジックを、

    いっぱい作った事でしょうか!  

    ロジックでは、子供はつくれませんし、産めません。  あはは。


    なのに、この人工のロジックで、

    人が生き、人が産み、人が死ぬ、人の生を語ろうとする科学文明、

    もってのほかです!!!!! 



    学問とは、人間の意識の範囲でのぞいた宇宙のほんの断片です。

    すべて、束の間の仮説であります。

    無常を克服できない、低レベルのしろものです。


    どうか、それっぽっちの知識で、ご自分の人生を決めないで...ほしい。


    人ひとりの、


    ② 生、人生、子供を産む、出会う、不幸、幸せ、歓喜、寿命、命、死。


    これらは、すべて意識できない領域からのエネルギーで成り立っています。

    『陰』の活動力です。


    今、活発に活動をしている”新燃岳”の噴火、マグマ、もそう!

    マグマに対して、アノ東大の先生方が、できる事は、

    重力計を、新燃岳まで運んで行ってマグマの動きを窺うだけなのよ! あはは。



    ウカガウだけ・・・・・コントロールなんて、とんでもない!


    だから、ちょっと本を読んだからって、

    学問をして知識を知ったからって、知ったかぶりして、

    ②のエネルギーを、①でコントロールしようなんて傲慢なの!




    ②の領域は、無辺大です。宇宙と同じ広さ。

    ①は、鉛筆の芯で、コツンと打ったメモ紙の上の小さな点。  あはは。


    だけど、現代文明は、コントロールできる、と言う幻想を捨てません。

    なんと、愚かな...商売にまでしている輩がいます。





    世間には①の情報ばかりが、ゴウゴウと流れていますね。

    お金が欲しい人たちが、ゴウゴウと、ゴミのような知識を流し続けているからです。


    いつのまにか知らずに、ゴミのような知識で、人生を見てしまう私たち。


    現代文明のなかで、自らの頭で考えていると思っているのかも知れませんが、

    実は、現状はそうではなく、

    あらゆる方向から、そう考えさせられているのではないのか? 



    この、あらゆる方向とは、何なのか?

    今の歴史も、そのプロパガンダの中のひとつです。








    何時から私達は、この不幸を、背負うようになったのか?


    原点は、やはり、幕末期から明治維新にかけてのわが国の、

    西洋文明の取り入れ方に、問題点があったのではありませんか?



    幕末維新期、幕府側も、西洋の物の考え方を知ろうと、

    西周津田真道、等を、オランダ留学に派遣をします。

    徳川幕府も、本気で西洋の近代を理解しようと奮闘していたのです。


    彼等の名前は、福沢諭吉ほど世の中に知られておりませんが、

    彼等が学んだ成果は、質量ともに福沢や他の当時の人と比べると、

    勝るとも劣らない学識、群を抜いているのです。




    現在、私たちが当たり前に使っている「理性」「哲学」と言う言葉を、

    オランダ語から翻訳をして作り出したのが、西周(にしあまね)です。

    他に、主観・客観・帰納・演繹・悟性・知覚・感覚・総合・分解、

    等の訳語は、今では完全な日用語になっています。


    これ等の訳語に見られるように、西洋文明の内容を含む言葉の和訳の過程で、

    西洋と言うものを、どのように受容するのかと言う姿勢が問われたはずです。



    その受容の姿勢や基準は、自国の伝統と文化が尺度になったはずですが、

    ある意味、それは、西周の精神の中の葛藤を呼び起こすものだったに違いない。

    日本と西洋の違いを再確認する事だったに違いありません。


    自国の伝統と、西洋のそれと、食うか? 食われるか?

    熟慮、葛藤をしたはずです。



    と言うのは、幕末期から維新にかけて、余裕のない日本人の精神状態、

    開国を迫る黒船のアメリカの圧力、

    国の存亡を賭けて、決めて受け入れなければならなかった。


    急ぎ受容を迫られていたわが国は、

    そのまま西洋を”普遍の真理”として受け入れざるを得なかった。 



    それは、オランダ語を日本語に翻訳すると言う言葉だけの問題ではなく、


    具体的には、西洋のロジックを「正」として受け入れる事は、


    暗に、我が身=東洋・アジア・日本を、

    ”特殊”として、目の前から外し、足元に遺棄せざるを得なかった.....

    両手から東洋を捨てざるを得なかったはずです。 



    その葛藤の中での西洋の受容ではなかったか?

    いまだに我々の精神は、心から西洋を受容できずに、

    その矛盾と葛藤の中で、金縛り状態です。



    西洋が一番で、日本を含むアジアが2番でいいのか?

    それでは、ダメなのですよ。 (笑い)


    子供のじゃんけんじゃない、負けても次があるという物じゃない。



    ”二番では、だめなのですか? ”  

    蓮舫議員の、あの発言が、思い出されます。  (爆笑)


    くだらない世間知らずな質問をした? 蓮舫議員~! 


    チャーミングな女だったから、笑って許し、済ましたものの、

    今度は都知事選に? 何を?するつもりなのかしら?  




    世界の国々の経済が、「力の論理」で成り立っている以上、

    一番でなければ、先がないのです。


    つまり、2番以下は、一番に支配をされる訳です。

    2番以下の殺生与奪の権利は、1位である者が握るのです。



    それが、国益のぶつかる外交、世界政治の現実です。

    対外国との交渉事です。


    ロシアは、北方領土に、軍事施設を作るそうです。 


    一番になれる名誉?なんかはどうでもいいのですよ。

    自分が一番でないと、一番の相手に潰されるから、

    一番を目指さざるを得ないのです。 あは!

    厳しさを、何もわかっていない蓮舫議員~!  あはは。


    こんな国会議員で、だいじょうぶですか? (苦笑)

    政治は、白いお洋服を着るファッションショーではない。 あはは。



    この実態が、生存の掟、『陽』の世界の偽らざる現実です。


    別名、弱肉強食の世界、です。

    自然淘汰、競争原理の世界です。 『陽』そのものです。



    そう言う列強の迫り来る環境の中で、

    幕末期、国防を賭けて、日本は、西洋のしきたりを受け入れました。


    これは、西洋の「力の論理」を認め、屈した事であり、

    =今思えば、東洋の敗北だったのでしょう!



    だから、この屈辱的な維新のすべてが結果正しかったなんて言えません。

    しかし、その検証と反省の為には、今は、まだ早すぎる時のようです。

    オーソリティの方達は、だれも声をあげません。





    こうして、日本はどこまで流されていくのですか?




    この西洋の近代を受容した時点から、

    東洋は、日本は、欝(うつ)のシンドロームのなかに入ってしまった。




    その延長が、近代化をなしとげたと言う現代の日本です。


    自らが、両手から滑らし、足元に落として2番手の扱いをした自国の伝統を、

    お節句に飾るお雛様のように、年に一回位、気休めに持ち出すだけでは、

    負けは、負け、負けは変わらないのです。




    65年前の敗戦と言う屈辱も、その延長上に、当然来るべきものでした。





    次は? いつ? どんな屈辱が、最後の止どめ? いつ来るの?



     今は、そこまで考えなければいけない時点です。




    それを避けるためには、何をしなければならないのか?

    お考えになってください。。 。





    それには、西洋かぶれした歴史の解釈だけでなく、


    侵略と権力を生む、人間の欲望の歴史ではなくて、


    『徳』を基軸にした歴史観、東洋的歴史観の視点を、持ちたいものです。 






    あまり深刻に考えると、パニックになりそう!

    どうでもいいじゃない? 今がしあわせなら~~ (爆笑)


    そうならない前に、、、無気力になったら敵の思うつぼだわ。 あはは。


    この社会が、現代の我々の不幸を増幅しているのです。


    いいえ、


    私達の不幸の原因は、社会のせいと言っているのではありませんよ。


    それに、気づけない自分に、原因と、不運があるのですよ。








    次のコメントまで、今日はご紹介したかったのですが、記事が長くなりました。

    ご紹介だけに止めて、また、続きは次回へ廻したいと思います。



    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。当然だと思うのです。


    女性流の成長を目指せるのでは、と思います。


    男性の成長は「前に進む」「上に積み重ねる」など、動のイメージですが、

    女性の場合、「動じない」が理想のイメージです。

    (動かない、変わらない、とも違って。)

    強いて動きで表すとしたら、「山の裾野を広げる」という感じでしょうか。


    ただ、「女性は陰、男性は陽」という大前提を

    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    それが通じない(=感覚として理解できない)から

    今のようになってしまっているのだとしたら、

    どうしようもなく深刻だと思います。




    冒頭の写真、那須岳ですが、「山の裾野」のイメージで選びました。


    いかがでしょうか? (笑い)


    写真をクリックしてみて、右端にもっと那須連山が続いています。




    もっと、ご紹介したいコメントが溜まっています。

    お返事お待ちになってくださいね。


    よき週末を、おすごしください!






























    参考文献:

    東京大学出版会『近代日本の政治構想とオランダ』大久保健晴 著

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



    テーマ : 歴史
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    (男女の別) 学問の知識で人生を考えてはいけない 2

    Category : 運命学と科学
    河津桜



    伊豆・河津さくら







    前のコメントのつづきからですね。

    今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を破す。

    現代のゆがんだ「男女平等」を破す。

    そう言う記事になると思います。 よろしくお願いします。







    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。

    当然だと思うのです。


    女性流の成長を目指せるのでは、と思います。


    男性の成長は「前に進む」「上に積み重ねる」など、動のイメージですが、

    女性の場合、「動じない」が理想のイメージです。

    (動かない、変わらない、とも違って。)

    強いて動きで表すとしたら、「山の裾野を広げる」という感じでしょうか。


    ただ、「女性は陰、男性は陽」という大前提を

    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    それが通じない(=感覚として理解できない)から

    今のようになってしまっているのだとしたら、

    どうしようもなく深刻だと思います。



    明快なコメント、その通りですね~。


    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。



    ここは、深い意味があります。

    今日は、儒教の ”夫婦の別 ”からです。




    儒教に、『五倫』と言うものがあります。

    父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の事です。



    同じく、『五常』と言うものがあり、

    五常は人に存する仁・義・礼・智・信の

    五つの人格における徳性を示します。



    えっ~! 封建的な、男女差別の始まりみたいな...

    儒教なんて古い!

    なんて思っていらっしゃるかしら? (笑い)


    ☆ 本来、孔子によって体系化された儒教そのものには、

    ☆ 男尊女卑、序列主義のような思想はありませんでした。





    儒教が、後世に伝わって行く過程に、

    さまざまな派生、流派が起こりました。

    それは、仏教もキリスト教の派も、イスラム教の派も同じです。



    中国は紀元前から、日本においては5C頃に儒教はもたらされ、

    天皇や貴族、権力者達は、一応、儒教を学んだとなっています。


    一応、学んだ? とは?  あはは。

     
    学んだ。頭だけで学んだ。 


    はぁ~主知主義の儒教だったのですか...

    それとも 心も、体も? だったのでしょうか ? (笑い)


    と言うのは、

    わが国には、儒教の徳性とは程遠い政治や生き様をして来た

    権力者の歴史が、あります。

    そう! 中国だって!  同じようなものです。


    真実は?実態はどうだったのか? 分かりかねます。 あはは。 


    それでも天皇や貴族が、「儒教を学んだ。取り入れた。」と、

    そう言いたかったのは、中国に対したカッコ付けも多分にあったのです。


    儒教には、尊い善い学問だというブランドイメージが、あった訳です。

    仏教もそうです。

    当時の知識者階級としての、プライドだったのでしょう。

    支配者階級にとって、大陸(中国)からの先進の学問を知っている!

    と言う事は、鼻が高かったのです。




    ”倭国というわが国は、

    仏教を学び、政治に活かしている聖徳太子のような

    皇子がいる国である。”


    そういう風に、倭国自体を非常に美化をして見せたかったわが国、

    遣隋使に親書を持たした当時の状況を考えると、

    中国と肩を並べるのに必死だったありさまが浮かんで来ます。




    民衆も、当時は知識教育を受けているわけではありませんから、

    権力者に、これが「儒教」の教えなんだと(ウソ)を言われても、

    黙って従うしかなかったでしょう。

    その儒教のブランド力を利用し、権力者の都合のいいように中身を改竄し

    て、時の権力者が民衆を統治する為に、利用をし悪用をして来ました。



    儒教の名を借りて、権力の強化を行って来た歴史があります。



    わかり易いのが、142年前までの、徳川幕府です。

    封建制度の幕藩体制を、正当化する為に朱子学を御用学問として重用し、

    本来、人間の人格の陶冶の為の五倫五常の思想を、

    短絡的に政治へと利用しました。




    「夫婦の別」の思想を捻じ曲げて、男尊女卑の思想基盤に変えて、

    「長幼の序」の思想を捻じ曲げて、

    単なる身分の序列主義に歪曲しました。





    そうする事で、

    武士階級の確立と、士農工商の身分制度の正当化を作為したのです。

    また、儒教の『五倫』の中から、”君臣の義 ”を引っ張り出して、

    士農工商の最高位の武士階級の正当性のバックボーンとし、

    武士階級の理念の理屈付けと作為に利用したのです。




    そのように政治や権力は、『偽』を免れません。

    『陽』は、「偽」の意義を持ち、

    政治や権力は、『陽』の範疇です。


    『陽』たる「偽」の意義たる権力者が、行って来た事です。



    この事から、儒教と聞けば、封建的、古い、身分制度、男女差別、等の

    イメージ、先入観が現代には色濃く残っています。


    今の時代、儒教というと、個人の尊厳を捨てなければならない?

    何かに服従する教えとか、家父長的な権威主義とか、

    個人の自由を抑圧する理念的な不幸な社会装置だとか、

    違和感を覚える人も多いと思います。


    その先入観は、間違いです。

    孔子の説いた儒教とは違います。

    その先入観の原因は、長く続いた江戸時代の幕藩体制を支えた

    (儒教の一派である)朱子学の概念です。





    これは、いつの時代も同じです。



    隋という大国に認められる為に、

    その次は、唐という大国に属国扱いを受けない為に、

    対等だと認めさせる為に、

    儒教や仏教を取り入れざるを得なかった。

    しかし、この場合は、

    同じ東洋、アジア圏であり、体内に矛盾を持ち込まない

    漢字も道徳も宗教も一緒の、丸飲みの受容だったわけです。




    これとまったく同じ現象が、

    それから、約1200年後の明治維新に起こります。




    今度は、欧米の列強に負けない為には、対等な国力を示す為には、

    ① 古い儒教(実際は朱子学ですが)の封建制度を捨てて、

    ② キリスト教文明、西欧の近代化を受け入れざるを得なかったのです。




    ①を捨てて、②をいち早く取り入れる事で、

    国も西洋の一流の国の仲間に入る事ができ、

    民間人も、文化人、知識者階級としてのプライド、立身出世の為には、

    目鼻の聞く人間は、人よりも早く、密航をしてまでも、西洋の文明を

    手に入れる事に夢中になったわけです。



    とは言え、この場合は、同じ東洋からではなく西洋からであり、

    言語も違うキリスト教と言う宗教であり、

    その道徳を丸飲みした受容ではなかったのです。


    それは、どう云った事かと云うと、

    わが国の姿は、神道と言う宗教の下半身を持ち、

    上半身に西洋の技術、文化、知識だけを受容するつもりだったのです。


    果たして、その母体のキリスト教思想から切り離して影響を受けずに、

    技術、文化、知識だけを、受容できると本当に思っていたのでしょうか?




    それらについては、これから先、次の世代の論評がなされる事でしょう。




    人は、現実の目の前にある壁を、打ち破る事に夢中になって、

    それが、次にどんな新たな壁を作る事になるのか?

    深く熟慮をする事もなく行動をする一面(人)が、あります。

    そうでない面(人)もあります。


    いろいろな面(人)があって、いいのですが、

    それを、反省すると言う事が、ないと同じ事を繰り返します。



    何のため、国のため、自身のためと言っても、

    いずれにしても、人は、生き残りたいのですね。

    できれば、安楽に、生き残れるようにしたいのですね。

    その為の努力の必死さのひとつでしょう。




    その為に、権力を握り、相手と戦い、勝つ為の努力をして来た。

    その野蛮性が、尚且つ、いまも、それが続いている。


    そうしなければ生き伸びれなかった、と言う。

    それが、『陽』の現場であり、『陽』の本質なのです。





    この点において、明治維新の思想家、福沢諭吉も、儒教を誤解をしています。


    彼の、「学問のすすめ」には、


    下からの国民国家形成のための独立自尊の思想には、

    漢文・古文などの扱いを、

    「よきものではあっても、そこまでして勉強するものではない。」と言い、

    難しい字句の漢文や古文の事を、

    世間で扱われている程の価値があるものではないと蔑み、

    それらを学ぶよりも、まず日常的に利用価値のある読み書き、計算を

    身につけるべきだ。



    と言う要旨の事が述べられています。 




    ここは福沢諭吉の功利的であると言われる面がよく表れている所です。


    又、儒教に基づく上下秩序を破棄し、

    封建的束縛から個人を解放する事によっ て個人の自立を実現する。

    要旨の事が述べられています。 




    現時点から、これを読めば、

    ① ”儒教に基づく上下秩序を破棄し、”

         この処からは、本来の儒教への誤解があったのではないか?


    ② ”封建的束縛から個人を解放することによっ て” 

         ここは、観念的には共感をする事ができますが、実際はどうか?


    ③ ”よっ て個人の自立を実現する。” 

       ほんとうに? 現代の有様を見れば、そのまま受け入れられないわ。

       ここは、ちょっと飛躍し過ぎ?観念的すぎるのではないかと思います。


    なぜなら、封建的制度の破壊は、

    社会の制度としての封建制度は無くす事はできたでしょうが、

    それがそのまま個人の内的自立による個人の自立を実現する事に?

    なるのかどうかは、今の社会の実態を見る限り疑問です。


    人間というのは、制度を変えても本質は、変わりません。

    個人の精神的自立と言うものが、制度で達成されるわけではありません。



    今の中東の政変もそうですが、

    政治や社会制度改革が、実は一番手っ取り早いのですが、

    それだけで、社会は良くなる訳ではありません。


    日本だって、政権交代をしたからって、何が変わるのか?

    まぁ、政権交代の可能性を国民が握っている、

    それが社会に存在した方がいいのですが、

    それを選択する国民のレベルが重要になるでしょうね。


    逆に、現代においては、行き過ぎた個人主義によって自立をしないまま、

    個々の人間関係が、家族、地域、職域においてもバラバラ、

    無縁社会といわれる社会が、現出して来ています。


    孟子に、

    「天下の本は国、国の本は家、家の本は一身にある」とあり、


    大学には、

    「心正しくして身は修まり、身が修まれば家が治まり、国が治まり、

    そして天下は平らかになる」とあります。



    家の本は一身にある。と言う一身、

    心正しくして身は収まり。の「身」をおさめる心正しくして、

    それなくして、制度や法律だけで人間は、変えられませんね。



    元からある本質、特質、の違いを見極める事の大事さ。

    それらを生かす事で生じる違いは、差別ではない。



    「夫婦の別」とは、夫婦別姓を言っているのではないのよ!  あはは。



    中国の古代、紀元前から、


    夫婦間の関係をより良く維持しようとするならば、

    最も大事な心構えは「別」を自覚することが肝要で、

    「別」という意義は、男女、夫婦において両性は同質ではない。

    男女の特質や違い、本分や役割を乱さないように

    区別をつけて行くように、  

    と言う智恵が、あったと言う事は、驚くばかりです!  



    ある意味、今の制度や社会通念よりも新しいものを感じてしまうわ!


    男尊女卑ではなくて、互いに違いを認めて尊重し合って行く事、

    当然ですが、女性の立場も認められている考え方です。 (笑い)


    もちろん、社会制度においては、平等が保障されるべきです。

    選挙権など平等に扱われるべきものですが、

    それは、あくまで人が作る制度の中でのフィクションであって、

    自然な存在の中でも、それを貫こうとするなんて!


    今は、通俗的にも、その両方がミックスされています。

    いわゆる、道理が、道筋が、通っていない時代なのです。

    立てわけが尽くされないまま、我ままと放縦、無秩序になっています。 

    これは、野蛮性に通じるものです。





    あ――、森の中のサルの群れの方が、

    雌雄の別、秩序があるわね!     あはは。   


    幼稚園から、そういう自己主張を教えられる女の子も可哀相です。

    男の子も、大変! 男らしくなれないじゃないですか~?あはは。


    続きの、女性流の成長を目指せるのでは、と言う表現は、

    とってもいいですね~。 (笑い)

    芯がある女性らしい。さすがです。


    私の20代の頃に抱いたイメージが、

    男は、ピーク、高さを目指すもので、女は、裾野だ、広さを目指すもの、

    と思っていたものが、東洋学を勉強して、陰陽学を知ってからも、

    それは変わっておりません。




    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    これについては、むずかしいですね。

    結論から言いますと、

    受け入れられる人は、『陰徳』のある順に、人に依るだろうと思います。

    篤く『陰徳』に守られた人は、自然にそう言う立場を与えられるからです。

    それは、『陰徳』の濃度にも、拠りますね。 (笑い)




    何事もそうですが、



    西洋二元論で、”できる(白)”、”できない(黒)”の二極に分けて考えない

    ようにしましょう。(笑い)

    その中間層の存在の人(グレー)が、ほとんどで、無数にいるのです。

    現実的には、白と黒の存在は、この世に身近にいないものです。

    私達のほとんどは、

    白に限りなく近いグレーから、黒に限りなく近いグレーです。

    その序列、位置関係を「位相」と言います。 



    私達は、いわゆる教育学的には、個々の生き方の差は、

    そういう家庭で育ったからそうなった。と言う言い方をします。


    それは、人間は生まれた時点では、皆同じだと言う前提があるのです。

    でも、その条件下では、かならずそうなるのかと言うと、解らない。

    曖昧です。その程度です。



    白黒ハッキリつけれらない。

    人文系の学問においては、それ位のものでしょう。


    白黒はっきりつけられない、はっきり分けられないものを、

    むやみに2つに分けてしまう。二元論です。




    そのように、科学的な方法で複雑な自然を把握するには、

    対象を抽象化・数量化・平均化などにより、限定されたモデルとして

    取り出すしかなく、現実の自然を捉えているとは言えないのですね~。




    無限ともいえる多くの要素が相互に関係しながら成り立っているのが、

    自然ですから、その関係を全て二分することは無理がありますね。



    私たちの日常はグレーゾーンで満ち溢れているようです。

    何となく、あいまい、中途半端、どっちつかず。

    それは、なぜか? 『時』の経過の途中の姿だからです。



    それが日常の姿と言えそうです。





    最後は、もうひとつ、拍手コメントからです。 


    今日も素敵な記事をありがとうございました^^

    うちは第一子男の子、二人目女の子、次産まれる子が男の子のようです。

    慢性腎不全って出産できないといわれてますが・・・

    不思議と赤ちゃん大きく成長してくれています。


    私も陽の女だったと思います。

    大学出てるのにこんな育児にだけどっぷりの人生なんてつまらないし、

    やりがいがない。って、いつも夫と喧嘩してました。

    今は病気して、主婦で居させてくれる夫に感謝して、家をしっかり守ろう、

    しっかり夫の遺伝子を受け継いでくれる子供を育てていこうって、

    落ち着きました。


    来月出産予定です。

    頑張って元気な赤ちゃん産みますね。

    いつも素敵な記事に元気を戴いています。





    ブログが、いつの間にか無くなって心配をしていました。

    音信を下さって、安心! ほっと致しました。

    ずっと私のブログを読んでいて下さったのですね。


    そして、来月、ご出産ですか! よかったですね!


    『天』は、なによりも命を尊び守る人に力を与えるはずです。


    病気を持っていながら、三人目とは!

    自分の体の病気の不安を押しての勇気ある決断が、陰徳となって、

    それが、必ず陽報となって顕れると信じています。


    貴女の安産と次男坊やの無事なお誕生、心より祈っております。





    自然のありのままを感じ取る。

    そこから生み出される昔の人の知恵が、今必要なのかも知れません。

    瑣末な知識などがなかった状況では、『天』=『時』を信じるしかなかった。

    中途半端な姿の中に、真理を見る悟性を鍛えていったのかもしれません。




    中途半端に見える、それは、私たちの意識が捉えられないだけであって、

    無意識の宇宙のかなたから~、

    自然の中で、大地の奥深く、

    動かしがたい変化が積み上げられているのですよ。 



    意識が捉えられないからと言って、何もない事はないのです。


    今の地球、噴火だって、何百年の間、何もなかった訳ではないでしょう?

    地震だって、そう! 確かに地球は胎動している星なのです。


    意識が、意識がって、意識が解る範囲(学問)だけで物事を決めたって、

    無意識にわざわざ、逆らう事になりはしない? とんでもないです。


    無意識の世界が、意識上に現れる力は、『天』=『時』です。

    すべては、『時』の道理が『地』上に現れます。






    すべての物事には、両面があって、

    どちらか一方のみが見えている場合もありますが、

    片一方だけでは成り立ちません。



    これが、男女、夫婦においてもそうです。


    だから、常に「緩急」や「強弱」が要求されるのです。



    これは、仏教の根底に流れる思想の一つ、

    「中道主義」の一面の意味です。


    そのように、西洋学問にはない深い智慧が、

    汲めども尽きない智慧が、

    東洋の実学には具わっているのですよ。



    東洋の智慧を身につける。 それが、命の体力です。

    西洋の知識(学問)は、あくまでも単なる道具と見做す。

    その力量が、ないとどうなるか? あはは。


    それ位の体力を付けなければ、

    自分が、学問と言う道具の、そのまた道具に、成り果てるだけです。


    個人的見解を最後に言わせていただきますと、

    「学問のすすめ」は、もう古い。

     そう思います。



    むずかしかったですか? あはは。 すこしづつ、ね!




    最後に、ニュジーランドの地震で被災をされた皆様が、

    今の現状を少しでも善き方へ乗り越えて行かれますように、

    その時、その悲しみと辛さが、分かり合えますように...



    この週末、いっしょに祈りたいと思います。


























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
    プロフィール

    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

    最新記事
    カテゴリ
    月別アーカイブ
    最新トラックバック
    最新コメント
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    QRコード
    QRコード