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    《近代化の影 1.》 『ラベッツ博士の科学論』/わが国の近代化のジレンマ (コメントより)

    Category : 運命学と近代化
    那須高原 冬


    那須高原・大雪





    今日は、前々回の記事にいただいた2つのコメントからの記事です。


    一つ目は、『ラベッツ博士の科学論』を紹介するコメントをいただきました。

    二つ目は、『わが国の近代化におけるジレンマ』と題するコメントをメール

    でいただきました。

    少なからず激しい記事になるかもです。 (笑い)


    『 非常にまじめなブログですね。

    科学の事を書かれていますのでジェローム・ラベッツの本を紹介します。

    【 批判的科学 】で知られる科学社会学者です。



    現代科学は、「客観性」と、「確実性」を失いつつあります。

    今の世界的な無謀な自由経済状況の下では、

    すべてが正しくあるのは困難に違いないのです。 



    ノーマルサイエンス(通常科学)と呼ばれる、昔のままのイメージが通用す

    るのは、教科書と実験室の中だけです。

    型どおりの研究活動をする科学を言います。



    現代科学においては、環境問題を起こしているのは科学技術です。


    遺伝子操作に見られるように、

    科学技術から科学政策といった区分をきっちり区別をして、

    「無知と不確実性」への対応をしないと何が起こるかわからない時限爆弾

    を抱えているような現状に対処するのが喫緊に急がれる壁です。



    このような科学技術は、

    科学者でさえ「意図しない科学的結果」を、もたらします。

    今の科学においては、「専門家の知識がベストである。」という、

    信用性は当てにならない。



    これを、ジェローム・ラベッツは、先のノーマルサイエンスに対比して、

    ポスト・ノーマルサイエンス」と呼んでいます。

    科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)の必要性と、それに加えて、

    非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」をつくり、

    そこには、普通の市民の参加を呼びかける事を推奨しています。



    科学者が、自分の自己満足や、名誉欲の為に暴走をすることに

    歯止めをかけようとしているのです。




    科学のすべては新しく、それに対処する刺激的な問題提起をしている。

    是非、一読をお薦めします。御代川貴久夫:著 (こぶし書房)』 





    このブログへお立ち寄りいただき、情報をお伝えくださった事に、

    感謝申し上げます。




    そうですわ! 私たちは、普段、科学と言えば、

    教科書と実験室の中の科学を思い起こしますね。

    でも、たしかに

    「無知と不確実性」の袋小路へ行き着いた個人主義の社会の中で、

    科学だけが、優等生で昔のままだなんて誰も信じられないですね。



    実は、5,6年前になりますが、

    運命鑑定の相談にやって来られた女性の相談内容から、

    今回ご指摘の科学の行く末に対する不安が溢れて来て、

    未だに消えずに、、、

    今、それを思い出している処です。 



    さる大学院の男性教授と、研究者の女性2人と計3人で、

    遺伝子組み換え技術の特許でベンチャー企業を立ち上げた直後、

    男性教授と、もう一人の女性の関係の為に、

    男性教授を信頼できなくなった。

    ベンチャー自体から遠ざかりたいが、

    特許の共同権利等、研究目的もあって、

    どうすればいいだろうかと言うような御相談でした。


    学業、学問優先で、社会性や組織の人間関係の経験がない若い優秀な

    人材が、時代の先端技術の開発を、競争心や夢を煽りながら、

    ベンチャー企業という経済活動、行動に出て行けば、、

    「意図しない科学的結果」に出会うだけでなく、

    「意図しない人間関係」、「意図しない利害関係」にも出会うわけです。
     


    両刃の剣である先端科学の研究成果、そのベンチャーを立ち上げて、

    一体全体、誰が、ガバナンスをするんだろう? 

    そこではモラルハザードは、どうなっているのだろう? ...と。 あはは。 



    時代の最先端を行く技術とすばらしい頭脳、機会に恵まれている反面、

    複雑な人間関係等に見られる未熟な一面を垣間見て、

    今の教育に於ける知情意のアンバランスさの現実に、驚きと共に、

    やはり! と言う得心を覚えたものでした。

    研究結果の特許商品の中身にまで不安を覚えた事があります。 





    知識の集積は、まったく徳性とは比例しません。 




    規制改革に伴う、自由な経済活動の流れで、欲望の為すがままでは

    困惑する状況も生まれるのであろうと、半ばあきれた記憶があります。


    おかげさまで、科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)や、

    非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」の必要性は、理解できます。


    しかし、そういったもので解決できるのか? 






    現代科学の「無知と不確実性」を生む深層の奥底には、

    いわゆる西欧の”近代化 ”が関連しています。


    次の「わが国の近代化のジレンマ 」と言うコメントともリンクしますが、


    近代化は、

    過去の伝統的な価値観を世俗化し、相対主義を台頭させました。



    キリスト教文明を生み、そこに基盤を置く西欧の近代国家において、

    宗教離れの進行=バチカン・キリスト教会への求心力の失墜があります。



    言い方を変えれば、キリスト教において、

    教会の伝統的な絶対価値観が揺らぎ = ”神の権威が失墜 ”した

    のであり、現代科学や社会規範をリードできる力が、

    神に無くなったと言う事です。


    キリスト教思想の土壌という母体から生まれた産物、

    共産主義や資本主義、(共産主義は、もう決着が着いたものの、)

    近代合理主義から派生した科学が、勝手な暴走を始めて、

    母なる教会の言う事を訊かなくなった。

    キリスト教そのものの西欧における無力化を示しているのです。 



    現ローマ法王も、

    西欧世界で生命、家族倫理、宗教心が希薄化した事や、

    神に従わない人々が、人権や自由や平等には従うと言う現実に、

    新たな神が現れたと、嘆かれていると言うのを、

    過去に記事に書きました。


    近代化による伝統的価値観の世俗化、これは日本や西欧だけの事です。




    世界の他の地域は、アメリカでは、宗教的保守派が政治に存在感を示し、

    むしろ宗教の影響力は強まっています。

    イスラム圏からアフリカ、南北米、東欧、南アジア、は宗教復権が

    進行中です。

    ロシアや東欧は正教会の復権が進んでいます。 


    と同時に、宗教間、宗派間の軋轢が増しています。







    科学を暴走させるスキを与えた近代化とは、何だったのか?




    人間の意識によって生み出された新しい観念的な価値である

    (★1.個人の人権、自由、平等観)等が台頭する事によって

    それまでの伝統的な絶対的価値であった

    (★2.宗教、家族倫理、社会倫理)等の相対化を起こした。 


    それは、つまり

    ★1と言う新参者が絶対的価値になり、★2に置き換わったのです。


    それは、すなわち、

    ★2の今までの普遍的とされ伝統ある絶対的な価値が、

    政治経済と対等な道具に、配下に、家来に成り果てると言う事です。 



    それが、相対化と言う事です。



    しかも、まだあります。


    ★1の価値観は、

    人間の意識が作った意識上の観念による抽象概念でしかありません。


    ★1の価値は、この宇宙に元々存在していたのか? 


    さぁ~?

    だれもが、

    これ等の価値(個人の人権、自由、平等)の実現が可能なのか ?

     

    この宇宙の、自然の摂理に反するものが実現する目途はありません。


    なぜなら、この世界は、人間の理性が作ったオモチャじゃないのです。



     


    近代化のロジックは、

    世界的に共感を呼ぶプロパガンダである事には、間違いないようですが、

    新興宗教、その教義のようなものです。

    洗脳に成功し? なぎ倒した国は、西欧と日本のみです。



    片手にこの教義を持ち、もう片手に武器を持ち、広まった宗教です。


    その証拠に、これを信じた人間は、生命よりも大事だと思い込み、

    ★1の獲得の為に、血を流し、戦うようになります。


    ★1の概念は、生命の犠牲を要求する絶対価値観に登りつめています。 


    人権と自由と平等を教義とする宗教の本尊は?   

    それは、人間の欲望が本尊でしょうか?  あはは。



    現代科学の「無知と不確実性」を、生み出した元凶と言えるでしょう。

    調査捕鯨を邪魔するシ-シェパード、あれも一つの宗派でしょう。 (笑い)




    命あっての体、体の部分であっての脳の前頭葉、

    その前頭葉の機能の一つである理性が作った価値に命を賭けるなんて?



    まさに、倒錯! これが西洋的思想の真骨頂です。 (笑い)

    東洋思想では、欲が作った単なる妄語(根拠もなくみだりに言う言葉)。



    しつこく言いましょう。

    体が光を受けて地面に伸びる影。体と影、どちらが主体ですか?

    影を獲得する為に、体を失ってもいいのですか? ?

    実態のないものに、自己存在のすべてを賭けて戦うのですか?



    それが、近代化以降の世界です。 


    近代化は、

    人間が自己を見失い迷路に入った代償に、

    利便と物質をもたらし、

    次は、その利便性の権化である物・兵器で生命への攻撃を準備し、

    その次は、生命維持の物質・食料の奪い合いです。


    物質文明の終点、その戦いは、もうすでに始まっています。


    人間は、簡単に自分が作った言葉と観念の奴隷に成り果てるのですね。

    最後、その為の戦争を始める。

    65年前もそうでした。。。


    このブログの読者には、もう、お分かりの事と思いますが、


    意識は、『陽』であり、その行き着く先は、「偽」であり、

    その「偽」の実態は、生命よりも観念を尊ぶ愚かさです。

    実在の生命よりも、非実在の観念を守る野蛮です。

    生命の尊厳の軽視、その本領発揮の具現する現場が、「戦場」です。


    そこが、『陰徳』を捨てた『陽』の現場であり、果てなのです。 



    近代合理主義が、”意識 ”を主役スターにして、

    近代化と言うfeature program・特別番組を放送し続けています。


    我々は、近代化の成れの果てまで見続けて、

    The End の地獄を眺めたくはありません。




    科学と言う人間の意識が作り出した巨大な道具を、どう使っていくのか?

    それを、解決しなければいけない時点に立っているわけです。

    しかし、

    キリスト教思想を母体として生まれて来る哲学では、解決は無理です。

    今の上塗りのロジックにしかなりません。

    もっと巧妙になるだけ...


    ”広く深い東洋の叡智を探索しなくてはいけない。 ”








    次は、

    わが国の近代化のジレンマ と言うタイトルでいただいたコメントです。


    『我が国の特殊性は、

    アジアで唯一近代化(西洋文明の受容)を成し遂げた事にあります。

    すなわち、欧米に近い存在になったという事だと思います。


    従って、欧米への批判は、そのまま我が国への批判にもなり、

    我が国近代化の肯定は、欧米の肯定にもつながる事になってしまいます。


    明治維新において、自国の伝統や歴史を守ろうとすることが、

    自国の伝統や歴史の解体につながるというジレンマ、

    それを自ら紡ぎだしているという現実は認めるとして、

    ではどこに還れば良いのか。


    近代を捨てることは、

    国際社会を破壊するということにも留意しなければならないでしょうしね。

    これに対する答えを導き出さなくてはならない時期には来ているのでしょうね。』 




    そうですね。

    近代化のもたらした世俗化が進行しているのは、西欧と日本だけです。

    世界の中の特殊です。



    まず、成果ばかりではなく、人間生活のあらゆる側面において、

    近代化とは何か? それは、世俗化であった事を認識するべきです。

    もうすでに、その本質は書いたつもりです。


    ここでは、西欧と日本を切り離して、世界の特殊なケース=

    日本の近代化を考えてみたいと思います。


    まず、いわゆる明治維新の近代化から141年も経って、

    何の見直しもせずに来ている事を異常と思いませんか?

    歴史的経験や伝統文化、経済の現状等、見直しが始められるべきです。


    アメリカにおける近代化論は、

    何度もその論理が組み替えられています。

    歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、文明論や諸文明の拮抗・対立、

    あるいは歴史終焉論というふうに、いろいろ姿を変えながら、

    いまだにまだ根強い影響を与えつづけているのが現状です。


    近代化論を見直し続けたアメリカは、やっぱさすがです!よ。


    それと比べると、我が国は、

    実体のない言々区々を連ねた借り物の近代化論理の貧弱性、

    じつは、明治維新前後の近代化論のまま、見直しも反省もないままに、

    近代化=進歩だ=よい事だ。と、思い込んでいるようです。 


    そんな馬鹿な~! 

    一方的に良い事なんて、この世には有り得ないでしょう?


    人間が作ったものは、善と悪とが表裏にあり、

    時とともに、その価値は減ずるもの。 

    それが、東洋の考え方です。
     
    だから、常に点検をし、反省をし、時代にあった中庸を目指すのです。

    近代化の結果としての、宗教心の希薄化、道徳や家族倫理の崩壊を、

    その現実を日々感じていながら、それが、解っていながら、

    (明治維新=)近代化=進歩=良い事と受け入れたまま、142年間も!



    それをしなかったのは? 誰ですか?   


    それに対する言い訳は、いつも同じ、

    「欧米的な国家を作り上げていく事こそが、日本に必要だった。

    それが近代化論の最も重要な目的だった。」 

    それはそうだったでしょう。



    しかし、為した事がすべて正しいのか?とは、全く評価は別です。 


    日本人は、井の中の蛙、世間知らず、

    何事も信じるお人よし。

    進歩、近代化、これはぜんぶいい事! 役に立つ事! ??


    まるで、神か、仏が、我々に与えたもうた~モノ。

    すべて善で正しい。


    こう片付けるのが日本人の癖ですか?  あはは。


    冗談ではないわ!  (笑い)

    進歩も近代化も、ぜんぶ人間の意識の作り物、

    フィクションです。


    西洋思想に備わる特徴を、灰汁や毒素も含めて、

    深く取り込み過ぎた現実、

    それが日本にとっての近代化の結果だったのでしょう。


    取り込み過ぎた結果が、

    日本人に Ambivalent(相反する意見を持つ)な態度を持たせたのです。

    ご指摘の近代化のジレンマは、日本人にとっては、

    自己恒常性を保つホメオスターシスの機能としては正常ですね。 



    西洋文明という竜巻ハリケーン台風が、

    西洋のゴミを寄せては反す濁流を、日本は飲んではいけない!

    高熱を出して、吐き出せ~! 

    デトックスしよう~!  あはは。



    近代を捨てる事はないのです。折角の研修期間を! (笑い)


    日本のように真っ先に近代化に成功したと自慢や満足をした国は、

    褒め殺しに嵌っていると自覚をした方がいいのではないかしら?

    近代化の西欧を除けば、唯一の珍種モルモットと同じですから、、、


    あは!

    これからどうなるのか? 

    特異な実験結果が注目される国でしょうね。 (笑い)


    刀は、切っ先から刃毀れをするのです。 


    物は、磨いだ繊細な極まった部分から壊れます。 

    絶頂のつもりが、それ以上の進歩が出来なくなり滅ぶのに似ています。


    ”旺ずる極みは、衰 ” 

    これが、東洋運命学の考え方です。



    常の繁栄を求めるなら、

    極みの一歩手前、中庸を求める方が利巧でしょう。

    時代の先端の生き方は、男女共、慎んだ方が賢明です。



    国も同じです。


    東洋には、人間だけの自由、平等、権利と言うような概念も言葉もなく、 

    それを絶対的な価値とする観念の遊戯はありません。 
     


    この世界に元々存在する普遍的価値それ自体が、

    自由、平等、権利と、

    バラバラに独立して存在するものではありません。


    東洋的な宇宙、自然観のなかでは、

    すべての価値、存在は、

    複雑な関係性の中で均衡を持って調和をし循環をする。

    その中の序列であり、差別であり、調和をした存在です。 



    しかも、その調和は、

    ひと時も同じ時はなく、時と共に変化をし、

    生と死ですら調和のリズムの中にあります。 



    西洋の思想は、この時と共の変化を観察する側面が抜け落ちています。


    やはり狩猟民族の思想です。

    獲物を取りに行く基点は、食を欲するから。

    獲物の姿を見た時に、欲望して、狩をすればよかった。

    己(おのれ)の欲望に従えば良かったのです。


    西洋の価値の獲得は、時、季節ではなく、自己の欲望が出発点です。

    価値が、時と共にどう変化をするかと言う観察眼が抜けています。




    反対に、東洋においては、己が中心ではない。

    『天』や『公』の秩序に則って「私」や「欲」を制する智恵、叡智です。

    この智恵で、西洋の思想をろ過し、狩猟文化の灰汁を抜くべきです。




    ゆくゆくは、西洋の思想を道具に見做し、使いこなすノウハウを、

    東洋思想から汲み出して行かなければ存在の意義はなくなるでしょう。 



    隣国中国が、現在台頭し栄えるのは、

    苦節を耐えて来た民衆がいたからです。

    儒教は、社会的には忘れられているかもしれませんが、

    中国や朝鮮では、「忠」よりも「孝」が大事だと言う歴史がありました。



    『孝教』において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上化されている

    『孝』を、単純に通俗道徳の親孝行で解釈すると破綻をします。




    中国においては、近代化が遅れたおかげか、

    『孝』の本質が、

    まだ人々の心に生きている様子が、その姿に伺えます。

    その本質がある限り、『天』=『時』は、中国を恵むはずです。 

    しかし、空前の繁栄を驕り、人々から「孝」の心が蒸散して行けば、

    大国中国は、貧に戻る。 

    一国は千路に乱れ千国に分裂するはずです。 




    日本においては、朱子学伝来以後、「孝」よりも「忠」が大事だとされ、

    武士道のイデオロギーとして利用をされました。


    戦後においても、武士道の「忠」を是とした精神的エネルギーは、

    日本の経済発展の為の組織、機動力に貢献したのでしょうが、


    「忠」の下に置かれた「孝」は、

    戦後の民法の改正、家父長制度の廃止と共に、

    今の世相の如く、形も中身も廃れ切ってしまっています。 





    日本の近代化も、『孝』を失わなければ上出来だったのに...




    今は、無慚にも、それらの価値が相対化され無価値と見なされ、

    現実に、無縁社会が忍び寄って来ています。


    国は、相手国から兵器で攻められなくても、

    自己の体内から、ホメオスターシスを崩して滅びる。と言う例を、

    日本は証明しようとしているようです。







    みなさまも、我が家の近代化はどうだったのか?

    祖父母の頃から遡って、思い返してみてほしいわ!

    『孝』の貫かれている家族ですか?




    長くなりました...

    近代化については、引き続きシリーズにしたいと思います。


    ご家族で、よき週末をおすごしくださいね。
































    参考:「現代日本文明論」 上野影文  RBA新書

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    昨日の地震/自然の望み・東洋の病気の原因(内因)

    Category : 自然の力
    110311_男女川


    男女川(みなのがわ)水源つくば山の男体山登山ルート)





    昨日、大きな地震がありました。

    ずっとマスコミで流されている生々しい現場の情報に、

    ほとんどの人は、呆然として、

    地震の事で胸が一杯であろうと思います。

    この週末は、ブログの更新を、延期しようかと思っていたのですが、


    ブログの読者の方からも安否確認の?

    メールをいただいたり、

    ご心配をお掛けしている様なので、

    本来の予定をしていた記事を変更をして、

    昨日の筑波山登山道中の地震の体験の記事に致します。 


    その前に、壊滅的な状況の中で


    不安と恐怖の心でお過ごしの現地の皆様が、

    すみやかに救助の手を差し伸べられて満足の行く復旧をされますように、

    お祈りいたしましょうね。

    そして、これ以上の不幸が、日本に起きない様に願いましょう。






    昨日の地震の時には、茨城県の筑波山の山中にいました。

    (上の写真は男体山登山ルートの途中)

    昼食を男体山の茶店でとり、女体山へ登って、

    そこから岩場の多い女体山からの下山ルートの途中でした。 


    昨日は、列が切れない位の登山者がいました。

    上の写真の男女川の水源を通過したのが、12時ごろ、

    まだ雪が残る登山道を、ストックで当たりながら進み男体山の頂上へ、

    そこを下って、御幸が原の売店でお弁当を食べ出発したのが2時前位、

    次は、女体山の頂上へ。

    ここは、大きな岩がゴロゴロあるだけの狭い頂上です。

    10人位が、立ったら一杯一杯。

    岩によじ登るような感じで動くしかない場所を、

    代わる代わる突き出た岩の上まで歩いて進んで、

    眼下の関東平野をバックに、写真を撮ったりしていました。

    冷たい風の吹く頂上を後にして、下山に向かいました。


    そこから、つつじヶ丘へ下山するルートだったのですが、

    残雪があって油断をすると滑ってしまう岩、岩ばかりの階段道を

    しばらく降りて、

    ちょっと広い平地で休憩をしました。
     

    ベンチに座っていました!


    その時、”揺れてる!” と言う、誰かの声。

    その言葉に驚いた、その時が、2時46分過ぎだったのですね。

    ”巨大地震 ”とは、まだそうは思っていなかった時点、

    足元の地面がゆっくり左右に何度も揺れて、

    回りの木々がそよぎ、

    ゆ~ら、~~ゆ~ら~~ ゆ~~ら、~~ゆ~ら、

    止まりません!

    不気味さが体中を襲って、


    え~っ? 地震!!

    判るのは、にぶかったですね! (笑い) 



    取りあえず、揺れが収まって、下山を始めました。

    岩場、岩道、雪道、アイスバーン、用心、用心、で降りて、

    左手は、綱が張られている崖側、

    右手は、大きな岩と杉の大木の根っこの周りを

    右回りをしながら降りている時、

    前よりはっきり地震と思う揺れが、来た! 


    誰ともなく、

    ”座って! ”、

    ”崖からはなれて! ”、

    ”岩に捕まって! ”、

    口々に叫びながら、その場でしゃがんで、

    片手は樹齢300年位の杉の根っこを握り、

    片手は岩の角を掴んでいました。


    そうしたら、掴んだ岩が揺れるのです!
     

    しゃがんで見上げれば、頭上に大岩、回りも岩ばかりのロケーション!

    自分の運命は、知っていますから、  ほほ。

    ここで死ぬとは思いませんでしたが、 あはは。




    岩が落ちて? ヒェ! 

    と一瞬。

    これを、(肝を冷やす)と言うのでしょうね。 





    また、かなり長い間、揺れている間、

    生きた心地はしませんでした。


    でも、素敵な方がいるもので、山のベテランなのでしょう。

    初めてそこでお会いした間柄同士なのに、

    励ましの言葉を回りに掛けて下さって、随分慰められました。

    人として、そうありたいものと思う事しきりです。




    女体山からの下りは、大石の名所ばかりで、ガイドブックにも、

    <大きな岩の急な下り>とか、案内されています。

    がま石、北斗石、母の胎内くぐり、屏風岩、弁慶七戻り岩、など。

    本来は、しげしげと眺めて、下を潜ったり、触ったりするのでしょうが、


    パス! パス! みんなパスです。

     ”見るだけ~!”    あはは。



    大岩の前を、できるだけの早足で、逃げる。

    足元は、踏み固められた雪、解けてどろどろになったヌカルミ。

    ボコボコの大岩、小岩、

    足を置く場所を捜しながら、夢中でした。




    地震の3度目の体感は、

    もう岩崩れは、大丈夫と言う処まで来て、

    最後の休憩地点でです。


    ベンチがないので、地面から出ている岩に腰掛けて、

    ゴォーーーと言う地鳴り? かすかな低い音でしたが、


    山の地面の中で石と石が擦れ合っているような、

    しかし、これは耳に聞こえる音。


    岩に座っているおしりには、

    ゴロゴロゴロとまるで石臼のような振動が伝わって。

    しかし、これは耳には聞こえない振動音。


    ”揺れてる~”、


     ”まだ、揺れてる!” 体で感じる地震です。 



    下界では、どんなひどい地震が起きているのだろう? 




    さっさと下山したかったのですが、

    クサリ場(伝って降りる為のクサリが岩に備えてある)、

    足元が悪い為に、ロープを張って伝って降りたり

    と手間取って、

    2時間の予定が、30分も余計に掛かってつつじヶ丘に到着。


    温泉に入って行くつもりが、停電! 

    ホテルの屋根が落ちている!

    筑波山スカイラインが、落石の可能性で入れなくなっている!

    はやく出ないと、通行できなくなる! 

    高速は使えない!


    いろんな情報が、一気に入って来て驚く事ばかり!

    下道を走った訳ですが、

    茨城県の道沿いは落石、道路の亀裂、橋の陥没、

    停電の道路は信号機も真っ暗、渋滞、

    7時間かかって帰宅しました。

    自宅は、お蔭様で何事もありませんでした。

    みなさまは、いかがでしたか?





    帰宅した時から、テレビは地震の実況放送ばかりです。

    気になって見てしまう。

    きっと皆様もそうでしょう。

    ひどい場面なのに、

    本来ならもっと情感を感じながら見るものを、

    驚き過ぎなのか、冷静に、まじまじと見てしまっているのに

    我ながら、驚くのと、

    これでいいのか? とか、考えてしまいました。


    昨日の山での経験から体に残った”恐怖心”、

    どこか感じないように押し殺してしまって、

    知らず忘れようとしている?

    これが大人の普通と言えばそうなのかも知れないのですが、

    ひとつ、やっぱりこれでは不健康なのです。

    西洋二元論はいざ知らず、東洋は、肉体と心を一つと見ます。

    西洋医学は、肉体の病気の原因は、肉体にある。として、

    あらゆる身体的検査をしますね。






    しかし、

    東洋的医学での病気とは、肉体と心の調和が崩れ、

    元の気(健康状態)に戻せない状態を言い、

    自然治癒力が働かなくなった状態になる事を病気と考えます。

    病気の原因は、体と心の不調和。

    不調和になる原因として大きく3つの因子が考えられています。

    内因外因不内外因ですが、

    今日は、内因について、簡単に触れてみます。




    内因とは、肉体の病気に、心に原因をさぐります。


    たとえば、

    (怒り)過ぎは、肝臓を傷つけ

    (喜び)過ぎは、心臓を傷つけ

    (思い)過ぎは、脾臓を傷つけ

    (悲しみ)過ぎは、肺を傷つけ

    (恐れ)過ぎは、腎臓を傷つけ  と言うものです。




    今回、地震に出合って感じた恐怖心を、驚きを、躊躇を、

    そのままにしていてはダメなのです。

    感じた感情は、本来、素直に何らかの形で、外へ出さないといけません。

    テレビで見慣れた為か、理性的に受け取る癖がついてしまって、

    現場の状況映像を見て感情が沸かなくなっている。



    虚無的?



    これは、健康にはよくありません。

    心は、聞かなかったように、見なかったように抑圧できます。

    本人が壊れないように、無かった事にして守るのが、意識の役割ですが、


    無意識は、見た物、聞いた物をすべて、受け入れて保存し、

    しかも忘れず次世代へ伝えるのですよ!!!

    例えば、あなたが今、言葉にできない嗚咽とか、表現しにくい恐怖とか、

    もう味わいたくない苦しみとかを、そのまま保存記憶しています。



    本人が感じないようにと思い込んだ恐怖心とかもです。、

    そして、何年も経って体にその表現をします。

    それが、病気です。


    だから、とにかく、

    表現しなきゃ~です。

    方法は、大声で叫ぶ、さめざめと泣く、絵に描く、文にするなど。


    地震の悲惨な現場を見ている自分の心の奥を覗いてみてください。

    本当は、泣きじゃくりたい自分がいたり、

    フンプンやるかたない気分だったり、

    何故なんだ?と歯軋りする自分がいるかもしれない、、、、、


    それが、理性的に、何事も無いように津波の惨状を見る。

    可哀想と思う涙も枯れて?  

    これで、いいのかしら?

    もっと、画面を見ている自分に素直に出会えるように、

    無意識の自分に、、、

    本当は、どう言う事が起こっているのか

    感情で対じしたいと思いました。

    冷静でなくていいから、感情の放流を願いました。。。


    と、次の瞬間、突然、泣けました!

    両手で顔を覆ってうつ向き、涙が溢れる自分が、いました!


    そう、10秒位の間だったか、

    自分の人間の感情に触れたような、

    そして、不思議な事に、

    その時点から、昨日の恐怖心は、解消されていましたよ~。 

    心から自分の感情を表現する事で、納得、昇華されるのです。


    病気には、なりたくないですもの・・・ 

    どんな目にあって、どんな感情を持ってしまうのか、それはいろいろです。

    苦を楽に変え、悲を喜に変え、恐を安に変えるのは、自分です。 


    相手では、ありませんよ!!! 




    それと、もう一つ、

    自然は、この地球上すべての場所を、

    人間が、いじくり舞わして改変した自然を、

    もとのままの大自然に戻したいのです。

    それが、大自然の力、そのものの力の方向性です。

    それは、決して人間の欲望にとって都合よいものではないわ。

    しかし、人間は、欲を節して、自然に従うしかないのです。

    自然の摂理と言い

    自然の躍動感とも言い、

    宇宙の天体のリズムとも言いましょう。



    そこから我々の生命は、生まれて来たのですから。 
     


    仮に、絶家になった家があったとしたら、

    都会では、すぐに土地の買い手がついて、

    駐車場や新たな建物が建ちますが、

    農村や田舎で絶家になると、そのまま放置されるのが多いのです。

    そうすると、

    50~60年で、家は朽ち果て、瓦が落ちて、

    あらゆる雑草が生い茂ります。

    これが、運命学の『衰』であり、


    仏法の、『成』『住』『壊』『空』の『空』です。

    じょう、じゅう、え、くう、と読みます。


    物事は成って住み壊れて空になる。

    すべての存在は、これを繰り返すと言う様な意味です。





    そして、100年も経つと、

    そこには木が生え、昔の森に戻るのです。

    自然が、もともと大自然だった。

    その時の風景そのものです。


    それが、地球の星の素顔であり、

    『天・人・地』の『地』です。

    そのもともとの姿です。



    自然は、

    自然から生まれた生命に、

    あまねく、大いに、

    暖かく恵みや豊穣さを、与え生み出すものでもあります。 


    そして、我々が、死んで帰る処でもあります。 




    将来においても、

    必ず自然は、

    間違いなく地震を起こし、津波を起こすのです。

    それをコントロールする事は、

    人知では、不可能です。

    もう、自然を無視して人間の欲望のままのやり方は止めるべきです。



    いつか、津波が来る。

    と判っている海辺へ人を住まわせたり、

    逃げるのに無理な寝たきりの老人を住まわせたり、

    透析や老人介護の病院を海辺に作るべきではないのです。

    その事自体が、

    無謀だったのではないですか?

    海辺に住居を作らせない条例を作り、

    区画整理をして津波が来ない高台へ移動しましょう。


    海辺の近くは、役所や銀行や郵便局などを指定して、

    5~10階建てのビルを建てなければいけない条例を作るべきだわ。

    役所のような所の情報管理は、1階で行わないで、

    5階以上に持っていくべきですね。

    低層階は、店舗や貸事務所で、津波の時は、

    最上階へ避難できるようにするとか、

    目的にあわせて、具体的な都市計画を持つべきでしょうね。


    津波が来て 逃げる? 警報に注意して?  あはは。

    人間がする事、自然を相手にしようなんて無理ですよ! 

    このやり方を考えた人たち! 

    ご自分は、お出来になるの?

    いかにも、お役所的な中途半端な責任感と、

    たらいまわし的な他人事のような視点を感じます。


    今回、津波で壊滅した町を復興する時に、

    また今までと同じような町を作るつもりなのでしょうか?







    今日から、しばらくは、

    この地震でお亡くなりになられた多くの生命の為、

    ご冥福を祈りたいと思います。



    みなさまも、

    どうか、つつがなく、

    よい一週間を、お過ごしください。


































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    ( 国の存亡 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 3

    Category : 運命学と科学
    冬の那須岳


    冬の那須連山










    東北関東大震災と名づけられた地震が起こった3月11日から、

    はや、一週間が経ちました。


    日本中が、身内や知り合いの安否確認の電話、メールに

    かかりっきりだった事でしょう。


    今や、日本中が福島原発事故と罹災地の状況の報道に

    心が休まらない日々が、過ぎて行っていますね。


    3月とは言え、寒さは、まだまだ、

    雪が、降ると言う東北では、氷点下にもなり寒さは本番でしょう。


    まずは、ガソリンや灯油が十分に届けられますように・・・





    『陰徳を失う』と言う事は、どう言う事なのか?

    今までは、個人や、家における例を挙げて来ましたが、


    今、まさに国難とも言える日本の状態を前にして、

    国にとっての『陰徳を失う』と言う事を、

    五行学の五徳から、記事にしようと思います。


    それを、分かりやすくする為に、

    まず、私たちが病気になる四つのポイントから。





    まず、私たちが病気なるか?ならないか? 

    東洋的な考え方では、


    ①は、もって生まれた体質に拠ります。 

    自然界の六気(風・湿・燥・火・暑・寒)に対して抵抗力を失った時、

    六気は、六淫(風邪・湿邪・燥邪・火邪・暑邪・寒邪)になります。

    それぞれ違う体質により六淫の影響の受けかたに違いが出てきます。

    体質的に弱い所、強い所は一人一人違います。

    これは、根本的には変えられないものです。


    ②は、七情の活動です。

    七情とは、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の情動です。

    何を喜とし、怒とするかは、人の器や道徳観に依ります。

    正しい道理を身に付けているか、偏見を持っているかに依ります。

    このバランスが取れていれば、生理的に発病には至らない。


    ③は、生活リズムです。

    飲食物、疲労、房事不節、睡眠時間、習慣になっている生活の癖ですね。

    『天』の気に合わせて、規則正しいのがいいのです。

    房事不節は、セックス過多の事で主に腎を傷つけます。


    最後は、

    ④は、運動です。

    適度な運動と言っても、西洋的スポーツ、走る、跳ぶ、等の

    単に体を動かし汗をかく運動と言うよりも、

    中国には、自分の気に調和した樹木の下で行う太極拳などは、

    護身術としても優れていますが、五臓六腑全体の機能を高めます。

    これは太極拳が全身に分布するツボを適度に刺激し、

    気の通り路である経絡を理想的な循環にするからです。

    医者にも薬にも見放された重病人が最後に頼るのが太極拳でした。


    東洋には、このように、人それぞれの体質・気に応じた術があります。




    ①は、先天的、運命的なもので、努力や意識では変え難いものです。

    ③④は、工夫次第、努力で変えられるものです。


    ①は、無意識的条件、 ③④は、意識的条件でしょうか。




    ②を、どうして飛ばすの?  あはは。


    ②は、重要だから~! 

    先天的運命的要素と、意識的な要素が混在していて、

    ③④の努力が①に役立つか?逆効果になるのか? 

    努力を幸運(健康)へつなげるかどうか?の接点なのです。 



    また③④が乱れれば、②も虚弱になって、

    ①の体質的に弱い所に、症状として表れ、病気となる訳です。 



    人は、体質的に強い力を頼って無理をします。

    その無理や不調和が、

    体質的に弱い部分に負担をかけて、そこが病気になります。



    ②③④をいい加減にすれば、いくら健康を願っても病気になります。


    つまり、自分は強いと思う自惚れが、②③④をいい加減にさせて、

    ①の弱い所を、決壊させるのです。



    言い換えれば、

    自分が、体質的に弱い所ばかりだと思っているとしたら、

    ③と④を心がけて『天』『地』へ調和する努力をして、

    ②に負けない自己の『人』を作る事で、

    大きな病気にならずに済むわけです。





    おわかりになりましたか? (笑い)

    すこし難しい?   あはは。


    繰り返しお読みいただきたくお願い致します~!



    以上の事を、

    人が健康に生きれるか?

    調和を失って元の気を取り戻せずに病気になって死ぬか? 



    と言うこの例を、


    家が、子孫が栄えていくか? 陰徳が消去されて絶家になって行くのか?


    国運が、隆盛か? 陰徳の消去で国の存亡に係わる国難が起こるか?


    に置き換えてみてください。 


    国の③④が乱れれば、②も虚弱になって、

    ①の体質的に弱い所に、症状として表れ、病気となります。 



    ③④が乱れとは、道理が通らない社会、

    ②が虚弱とは、『陰徳』の消失です。

    ①の体質的に弱い所とは、地震、津波、火山活動の起こりやすい地域です。

    症状として表れ、とは、木難、火難、土難、金難、水難で国土が疲弊する事。

    病気となる。とは、豊かな国土が失われ、経済や、人心が勢いを失う事です。




    いかがでしょうか?




    『天』に道に法(のっと)り、

    『地』の理に則(の)って行く。 

    合わせて『道理』であり、「法則」となります。



    目指すのは、人の幸せ、家の繁栄、国の安泰です。



    『天』宇宙の時に合わせ従い、

    『地』理にかなった土地を選んで、そこの地勢に従って住まいを立て、

    『人』孝を根源とする道徳、人としての振る舞い。


    この三つが揃えば、つつがなく過ごせる、福に恵まれる。

    それが東洋の叡智の中身です。

    こう言う事を、理屈は判らないけれど受け入れて、

    考えながら、守りながら、我々の祖先は生きて来たのです。



    しかし、これが途絶えたのが、いわゆる”近代化”です。

    過去の智恵をすべて捨てて、意識を中心に据えるシステムを受け入れました。

    意識が、欲望を正当化する都合の良い理屈を作り上げる。

    その理屈・ロジックが一番大事だ。と言うシステムです。

    それが、日本に於ける西洋化、近代化だったのです。


    『天』の時を無視をし、しかし、効率の利を求めて時計に振り回されて。

    『地』の理を知らず、便利さの得ばかりを数えて競い合い。

    『人』の紀、孝を廃れさせ、陰徳(仁義礼智信の五徳)を捨てました。




    五行学の木・火・土・金・水の五徳の欠如によって起こる事があります。、


    「土」の徳、『信』が、社会に大いなる欠如がある時は、大地が動転(地震)し、


    「水」の徳、『智』が、社会に大いなる欠如があって、

    誤った下らない知識ばかりが溢れる時は、水の大過(大洪水・津波)が起こると、


    「火」の徳、『礼』が、社会に重んじられなくなった時、火の大過が起こると。


    火の大過とは、新燃岳の噴火、原発の炉心の溶融に当たるでしょう。


    「木」の徳、『仁』の欠乏は、木、植物、食べ物の汚染、欠乏、紙幣の不足。

    「金」の徳、『義』の欠如は、金属、レアメタル、貨幣、金融の混乱でしょう。





    元はと言えば、『孝』の廃れから起こっています。

    日本中の徳の喪失が、日本の『地の理』の元々弱い場所に起こる訳です。



    ここで、

    前々回の記事で取り上げたメールコメントの記事に、

    いただいたお返事を紹介します。


    「近代を捨てる事はないのです。折角の研修期間を!」


    目から鱗とはこの事ですね。

    捨てようと考えたりするからかえって執着も生まれるものですからね。

    自らの近代化を改めて考えてみたいと思います。





    明治政府が受け入れたわが国の西洋化、近代化の142年間を、


    単なる西洋化の研修にしか過ぎない、

    近代化のたかが研修期間なのだ、

    そう受け止めるには、研修を受けるわが身の強靭さが問題です。


    わが身の強靭さがないと、どうなる?

    それが、今の日本の現状でしょう。


    近代化実験珍種モルモットです。



    西洋化、近代化以降の錦の御旗は、人権、自由、平等です。 

    やったらどうなる? そこまで考える事すらなくて、

    この142年間の近代化、西洋化で先進国の仲間入りを自慢して、

    近代合理主義を信じた結果が、今でしょう???


    近代合理主義の権化、意識の知識のカタマリ、

    効率と利便と果てしない欲望の実現化の道具、それが、科学であり、学問です。

    科学こそ、学問こそが、『陽』の極地です。

    そのエッセンスが、原発でした。




    昔の城や、城郭、権力者の居城は、

    『天・人・地』の『天の道』『地の理』にのっとって、

    これらの条件に恵まれた土地を選んで建てられています。



    皇居も。

    大阪城も、上町台地という標高が高い地盤が古くて硬い場所です。


    『地の理』とは、地勢の事です。

    方角、水の流れる方向、川や水源の方向、土質、雨量など、

    風の進む道、日当たり、湿気、土地の標高、繁茂する木勢など、

    洪水の危険性、水はけ、等の、その土地柄の特徴です。



    昔の集落で今も残っているのは、そう言う土地を選んで作られました。



    余談になりますが、十年以上も前、冬に、

    栃木の足利を何度も訪れた事があります。

    何十年ぶりかの大雪で、駅前から市内には残雪が道端に残っているのに、

    いち早く雪が解けて乾いた一帯がありました。


    聞くと、やっぱり!

    当時の建設省の宿舎の建物群、日当たりがよくて水はけが良い場所。

    土地が乾いて芝生に新芽が、日当たりが良かったのです。

    その周りと雪解けが一ヶ月以上も違っていました。

    やっぱり、お上は、よく知っているな! と感心をしたものです。

    国や、県の施設はそう言う場所を選んで建っていると思います。 



    よ~く、かんがえてください~~


    建築学や土木学、これらは何を私たちに指し示しましたか?

    気象学や土壌学、バラバラに細分化された知識は知恵ではない!!



    人々に役に立たない知識は、知恵ではないのです!


    私たちの住居の常識からは、『地の理』の知恵は、ぶっ飛んでいます!

    これが、認められた人権、自由と平等を奉じた142年間の成果ですか? 



    まったく、笑うしかありません!


    一生を賭けた大金を以ってしても、安全な住居が手に入らない。

    なにの権利、自由、平等?

    お上の責任逃れのために? なっているだけではないですか?



    もっと便利に、もっと楽しく、もっと明るく、もっと儲かる為に!! あはは。

    その為に巨大なゴミになる物を作る事に狂奔し、


    それが時を経て、『偽』になるとは、知らなかった?


    それは、時とともに、もっと苦しく、もっと暗く、もっと損を出す物に変わる、



    そうなっているでしょう?


    科学こそ、学問こそが、真理の追究であると、

    我々に教え、騙したのは、西洋の知識です。



    『陽』が、時とともに『偽』に変わると教えているのは、東洋の叡智です。 



    人間の欲望が作り上げた原発のコントロールが、

    こんなに難しい事になるんだって、


    それは、そのまま私たちの生命へ刃を向けているんだって、


    知っていましたか?

    やっと、わかりましたか?


    意識は『陽』です。意識の濃縮が科学であり、

    科学は『陽』の極地であり、結果は『偽』。うそつきなのですよ。



    しつこく言います。 科学は安全? 学問は安全? 

    いいえ、ウソです。


    『陽』は、そのままであれば、結果は”命の殺戮”です。 



    戦争を反対しながらでも、いくらでも殺戮はできる!


    殺戮という鬼面を衣の下に隠しながら、柔面で戦争反対を叫ぶ。

    そこには自己の欲望の充足しか考えないロジックが潜んでいるのです。




    そのひとつが、資本主義のメデイアです。

    原発事故の危険性を喧伝する競争をして国民の不安を増幅し続けています。

    ガソリンもなくなっている!

    電池もペットボトルもカップめんも買い占められた~~

    買占めの推奨をして、尚の事、これらの品不足を煽っています。

    愚か!この上ない報道です。 おしゃべりです~!!

    事実をバカ正直に報道したらどうなる?

    その現象を抑制するには、敢えて報道を控える。


    この識別ができないのか?


    興味本位の姿勢で、うちわを持って煽ぐ馬鹿もの!

    社会正義観と理念の欠如、自己の役割を失っている姿!

    センセーショナルにそれを知る自由・権利の為に報道をする?

    あはは。ここにも、近代化の神を奉っている輩の姿ですよ。


    自由! 権利! 平等に知る権利!



    自由と権利と平等の神を奉じて、

    その代わりに、わが国は、『陰徳』を捨てました。



    『陽』の”命の殺戮”をコントロールするには、

    巨大な『陰』の『徳』が必要だと言うのに、です



    たしかに、確かに、言論の自由は、

    この近代化で、保障されています。 



    この場に及んでは、

    一人一人が、もう、哲学者になって自分の頭で考えるしかないですね。



    梅棹忠夫氏の「アマチュア思想家宣言」にみられるように、

    「思想は、西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではない。」と断じたその通りです。



    近代化によって、

    便利とスピードの追求の意識化、

    それによって失われつつあるものに気がつかないまま、

    それは「自然(ありのまま)」を失いながら、、、

    自然? 風景ではありません。


    人間の内面、精神、宇宙全体を一つの生命体としてみる自然。

    「大宇宙の法則」・・・・自然の摂理です。



    三千年以上の歴史をもつ東洋の叡智は、これを、

    自然現象の観察を通じ、発見してきました。

    それは、意識で捉えられない膨大な世界の範疇にまで及びます。


    宇宙にある、それと同じものを、人間の中にも、見つけています。

    智恵、自然治癒力、徳性、仏性。


    西洋の意識中心の殺戮のロジックに立ち向かうには、


    東洋の叡智しかないはずです。



    それを持って、近代化の研修に臨みましたか?


    研修である事を忘れて本番かのように、

    生命を賭けて信じてしまいませんでしたか?


    それを、我を忘れる。 阿呆と言います。 (笑い)


    もう、やめましょう~!

    科学だから、学問だから、、、

    わが身を飾るアクセサリーのように見栄を張って身に付けるのは。


    自己の運命の『衰』

    わが家系の『絶』

    母国の『亡』を招くだけです。



    「水火既済 」と言う言葉が、易にあります。

    まさに、そうです。今の原発の映像を見ていて、

    水が上から、下の火を制す。

    その調和点に達する事が、既済です。もう既に済む、です。



    自然界は、調和点をもって済む、のです。

    済んで終わりではない。既終ではない。

    ここからどのように事をはこんでいくかが、「済」です。



    完成は乱れの始まりであり、

    永久の道を図ることが課題です。



    東洋の理想は、調和であり、均衡であり、自由や平等や権利ではない! 


    まして、宇宙や自然は権利という主張をしていない。

    宇宙のあらゆるものが、権利と言うものを主張し始めれば、

    どうなりますか?




    宇宙や自然のありように従って行く。


    それが、尊いのです。


    原発の建屋の中で、地震で、逃げた人もいる。

    しかし、逃げては大変な事になると、

    自身の命を顧みる事なく、自宅も家族も捨てて、

    手動でポンプを動かし、海水を汲む業務をしてくれた人々がいる。





    自身の役割と、使命に生きる人がいたから、


    われわれが、生として調和しているのです。

    生とは、常に、死の上に成り立っているのですよ。





    永久の道を図ること、


    今週の課題です。


    みなさまも、お考えになってくださいね。


    つつがなく一週間をお過ごしください。
































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    (実学と雑学 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 4

    Category : 運命学と科学
    つくし


    つくしんぼう







    確かに! 『 天・人・地 』において、

    『天』は、『時』を少しもたゆむ事なく、確かに移っていますね~!




    昨日、早めに顔を出していた土筆を、見つけましたよ~!

     (上の写真です。)




    自然からの生気に、ほっとしました。

    気が向いたら散歩に歩く日当たりの良い川の土手に、

    古い建物があって、それが風除けになるのか、

    その場所を選んで、土筆が生えている姿は、

    『時』に合わせて生きようとする植物の賢さ!

    『天』に従い『時』に没頭する植物のすなおさ!を感じます。


    ちょっと、思わず摘んで来て、お初の土筆を食べました!  (笑い) 

    『天』こそ、『時』こそ、間違いないのです。


    古代中国では、私たちが住んでいるこの世界の森羅万象は、

    全てこの三つの働き、側面を持っていると考えました。





    これを「三才」、「天人地」、もしくは、「天人地の三才」と言います。





    「天気下降して 地気上昇する 天地交わりて人気生じる」とされ、

    『天』の気が降りて来て、『地』の気が上昇する。

    その『天』『地』の気が交わって『人』としての気が生じる。


    この三つの気が揃わないと人は、『人』らしく生きにくい。



    この三という数は、非常に大事です。

    いろんなものは、三で成り立っているということです。

    私たちの身体において腕は、①肩・②肘・③手首の三つの関節です。

    指の関節も三節、

    脚も①股・②膝・③足首と三関節、

    耳も①内耳・②中耳・③外耳、

    皮膚も①表皮・②真皮・③皮下組織と三層、

    胃の壁も三層構造です。

    新陳代謝も①消化・②吸収・③排泄の三段階、

    DNAも①TCA、②CTA、③ATGの三塩基の組み合わせです。

    上・中・下と分ける考え方。

    ホップ・ステップ・ジャンプです。

    例えば

    事業でも起こしてから三年目が正念場と言われますし、

    三年目の明暗、壁を乗り切ると道が開け、

    三度目の正直、三年目の浮気? とか、  あはは。

    宇宙の法則? リズムがあるのでしょうね。





    最近、いただいたメールコメントを紹介いたします。




    はじめましてcosmosさんのブログを読み、

    人生の道しるべが少し見えたような気がいたしました。


    私は26歳の専業主婦です。

    優しい夫と結婚し、かわいい赤ちゃんも授かりました。

    幸せなはずなのに、虚無感に襲われる事がしばしばありました。

    このまま家事と育児だけして、いつか後悔しないだろうかと

    疑問を感じていました。

    仕事をしている周りの女性は輝いて見えます。


    しかし、私は一番大切なことを忘れていたようです。

    家族が心身ともに健康であること。

    ささやかですが、

    それを守ることが今の私の仕事なのだと改めて気づかされました。

    いずれ子どもが成長したら、

    もう一度大学などで学問できたら良いなと密かに思っております。

    またブログ拝見させて頂きます。ありがとうございました。
     



    コメントをいただきまして感謝申し上げます。


    まず、専業主婦であると言う事を、祝福しましょう!  あはは。

    いまどき主婦で居られるという事は、

    良い配偶者に恵まれているのですよ!


    まず、経済的に。 次は、男らしい方です。 (笑い)


    周りの働いている人が、輝いていると見える と言うのは、

    十分に注意をしなければいけませんね。  

    本当に、周りの人が輝いているのかどうかは、別問題です。


    自分が、外の何を輝くと感じてしまうのか?

    自分の立ち位置、自分の感受性の問題です。




    周りの働いている人が、絶対的に輝いているわけではないのです。

    必要があって働いている、それにいろいろ理屈を後から付ける。

    だれだって、縛られないで好きな事をしたい。

    重い仕事の責任感や、生活の一部を背負った重圧に耐えている。

    その屈折感を、跳ね返した時、輝く事も事実でしょう。

    しかし、精一杯、見栄えだけでも輝かずにはいられない...焦燥感。

    それを、見抜く事が大事です。

    貴女の内面を深く掘り下げる問題ですね !


    自分の中の価値観。

    今までの26年間の貴女が、心のなかに培って来たもの、

    それが、何だったのか? という問題になります。


    人を外面的に見て来なかったか?

    自分の価値観が、人に認められる事に重点を置く傾向はないか?

    人生で、何が欲しいのか?

    こう言う問いで、ご自分と対決なさる事が、一番必要です。




    何の為に?


    貴女を一生守ってくださる夫と、かわいい赤ちゃんの心に

    向き合う為です。


    今の世の中は、家族の価値観をバラバラにして、

    各個人の価値観を追求する生き方を推奨する流れが大勢です。




    なぜでしょう?





    理由は、資本主義、

    その大きな渦です。

    とにかく、この思想は、お金を動かさないといけない思想です。

    この思想は、最終的には、

    大きなお金を持っている人の処に、

    すべてのお金は集まるようになっているのですが、

    そうなる途中に、

    いろいろな人の所を経て、お金が集まる方が、

    景気がいいと言う事になります。

    だから何を買うにも、

    家族や親に相談をして買うなんてよりも、

    子供にも人権がある、自由がある。

    大人と平等だ、と。   あはは。




    子供のうちから、金銭教育だと行って、欲しがるお金を持たせて、

    自分で欲しい物や買いたい物を買わせると言う行為を、

    させるのがいい事だと大抵の大人は、思っていて、教えます。





    玩具やゲーム、お菓子や音楽、進学や留学まで、

    望むがままにお小遣いを与え、

    親のお財布を当てにして自分の欲求を満たす事が、

    生きる事だと言わんばかりの世の中で、

    この社会の経済活動の中に、

    生まれたばかりの赤ちゃんから組み込まれています。


    ”赤ちゃんが、よろこぶ ”なんて、ターゲットにされている訳です。




    しかし、一番のターゲットは中高校生ですね!

    可哀想に~!

    彼らは何も人生について判らない内からオダテラレマス。


    だれに?

    現実の消費社会からです。

    消費者としては一人前として.....扱われています。


    彼らは、親の言う事を聞かないで、かなりの金額を自由にする世代だと

    マーケッティングで絞り込まれていますから、

    彼らを的にした物品、

    携帯の機種、CD、DVD、お菓子、雑誌、ファッション、

    果てはお化粧品まで、(笑い)

    中高校生のお財布をねらった商品が、彼らを訴求し続けています。


    音楽は、まったくそうです。

    ティーンエイジャー向けの物が、一番売れて儲かるからです。



    こう言う世の中で

    この機軸でまぁまぁ成功した親の庇護のもとに育った子供たちは、

    生きる事は自分の意志のままに、

    好みや都合で自由に選んで決められる、

    自分の欲望の満足を繰り返す事が、人生だと刷り込まれます。

    勉強もそう、

    進学もそう、結婚もそうで、離婚もそうです。




    彼らが悪いわけではありません。

    大人が、まず自己の欲望を満足させる事を第一の目的において、

    欲しい物を手に入れる必死な姿を見て来ているから、

    そうするんだなぁ~とまねをしているだけです。


    今の若い人たちは、

    大なり小なり、

    こう言う世相に染められて育っていますから、

    その延長上で見せ掛けのウワベの豊かさの物質文明の姿が、

    =しあわせと、

    うぬぼれたり、うらやんだり、思い込んでいる人が大半です。


    こう言う生き方は、

    自分は頑張ってどうにかこうにか自己発散をして生きたとしても、

    次世代が育ちません。




    育たないと言う現象が、『天』の時で約30年経って出てきます。



    出てきてからでは、遅い!!!


    現在の福島第一原発の事故だって、

    元はと言えば、

    首都圏の消費物質文明、あきれるほどの好き放題、

    その豊かさを支える電力の為に、

    無理無理作ったのではないのですか?


    欲望は、かならず無理をします。 

    個人においては命を縮めます。

    国家や国民が、無理をした時は? 

    当然です。命を縮めるでしょう。


    国家、都市は、

    物質的に豊かに、欲望が爛熟した時に天災によって滅びます。


    ベスビオス火山の噴火で滅びたポンペイもそうでした。

    ポンペイの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスであり、

    娼婦の館などが多く発掘され、

    ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、

    現代ではポンペイは快楽の都市とも呼ばれています。



    かならず、欲望が過ぎれば災いがあります。

    善だって、過ぎれば相手を潰します。 

    何事も、中庸が肝心です。


    『天』は、過度を嫌います。






    体は、家族と家庭にあって、

    心は、外の周りの輝きを求めて、言葉に迷う...

    これを、仏法用語で、

    身口意の三業(しんくいのさんごう)がバラバラと言います。


    体と口と心が、違う事をやっている状態の事です。


    別の言い方をすると、

    自分の迷いが、自分を縛って、思うようにならない状態。

    不幸を説明する象徴的な言葉です。


    どうか体も口も心も、夫と赤ちゃんと共に一緒に、、、

    貴女の成長を祈っています。



    運命学の指し示す女性の役割は、

    本来、婚家の『陰徳』を積む事です。

    先祖が苦を莞爾と引き受けたからこそ

    積む事ができた『陰徳』を受け継ぎ、

    子供や子孫のこれからの未来に亘る繁栄のためです。

    夫と子供達、婚家を守って行かなければならない役割です。





    結婚とは、

    夫婦が、それぞれの欲望を満たす為にする行為ではありません。

    男女二人が、

    「二人だけの世界」に閉じこもっているだけでは済まないのです。

    自分たちの世界だけの喜びを実現する、

    と言う自己本位な愛情の満足を求める恋愛過程を過ぎて、

    大人になった自分たちが、

    自分の成長を両親やご先祖に感謝をし、

    今度は、自分たちが、

    次の生命を産み育てて行って恩返しをするという、

    人間と言う生物の、もっとも重要な仕事をする為なのです。


    自分の今の置かれているしあわせを、

    だれでもそうですが、

    どうか、自分たちだけのものだと思わないでくださいね。



    以前、陰徳は、自分のために自分が積むのはむずかしい、

    私たちは、ほとんどが先人(ご先祖)の積んだものを

    使わせていただいているのだ。

    という記事を書きました。


    少し前ですが、その時にいただいたコメントを紹介しましょう。


    ☆仁、☆義、☆礼、☆智、☆信 は、私が付けました。)



    ☆義

    先祖から譲り受けた『徳』が、自分の中にも確かにあると感じます。


    「過去も未来も関係ない。

    自分が生きている間しか自分には分からないから」と言って、

    自分(と夫と子ども)の幸せだけを考えればいい、

    ってものではないですね。


    自分の努力を自分で使うならまだしも、

    受け継いできたものを先に送れないのは

    間違いなく罰当たりだと思います。 


    ☆信

    私は父から「借りを作るな」と言われました。

    「借りを作るくらいなら、損する方がマシ」というニュアンスでした。

    中学から高校にかけて、2度程しっかり言われたのを覚えています。


    私が言われたのは「お金」のことと「人間関係」のことでしたが、

    大人になってから「いろんなことに当てはまる」と気づきました。


    ☆礼

    人に頼ってはいけないということではなく、

    「借りたものは必ず返す(頂いたものは送る)」ということだと

    思っています。

    自分だけのものにしない、ということですね。


    ☆仁

    「家系は守るもの」「守ってね」。

    言葉で言ってしまうと子ども達にはプレッシャーになると思います。


    ☆智

    子どもが自然に「家を守りたい、守って行こう」と思える為に

    言葉は要らないと思います。 




    女性は、内省的であり、没我的であり、内に秘めたエネルギーは、

    底知れない湖を覗くような気がします。



    あまりにも柔軟性に富んだ内容のコメントだったので、

    ☆仁、☆義、☆礼、☆智、☆信 と、

    コメントの内容に合わせて五行を当てはめてみましたところ、

    ぴったり、全部が当てはまりました! 


    すばらしい~!




    古代中国に『五行学』というものが、あって、


    五行(木・火・土・金・水)の5つの元素の

    相生、相克のエネルギーから運命を観るものです。

    それぞれの五行には、


    木=仁、火=礼、土=信、金=義、水=智 のように、


    その意義があって、それぞれの五行が、

    命式の中に、どれも欠けることなくバランス良く揃う事が、

    運が良いという事になります。 


    人間が生きるという事は、

    絶えず5つの価値の側面があって

    それらを調和して重んじる事ができれば、問題が起こりません。


    5つの内の何かが突出して来ると、

    アンバランス。調和が乱れる。

    自分の運気が乱れる。そういうことです。




    ご紹介したコメントの内容のように、

    自分の中で五行のすべてが揃うように

    理解をして心が整っていれば、

    そういう心が起こす言葉や、行動と云うものは、

    良い結果を招く確立が高くなるという事です。



    大事な事は、(ま~るく)ね!



    自分の中の五行が、いつも調和しているように、

    特に、女性は、この調和する智恵が一番大事です。



    このような東洋の叡智は、

    現在の大学の学問(西洋近代合理主義の学問)には、ありません。




    学校で学んだ勉強と言うものは、

    学習した事がそのまま、

    人間としての幸福と=(イコール)にはならない。

    そのまま人格と=(イコール)にはならない。


    学校で学ぶ勉強は、技術のようなものです。

    技術は、使われ方で、善悪に通じます。


    今起こっている原発の事故が、そうです。

    私たちに、災い、不幸をもたらしています。

    悪魔の爪のようです。 


    これが、学問の限界です。



    今回の原発事故を起こした東京電力のような

    国の基幹産業のトップになるような人達は、

    たしかに最高学府で学問をした事になっています。


    福沢諭吉が「学問のすすめ」で進めている

    読み書きそろばんをやった人です。

    いわゆるソロバン(お金の計算)と法律で

    社会を勝ち上がった人と言うのは、

    たしかに頭脳も優秀で、必要な知識を人よりも身に付けているのですが、


    今回のような、

    まったく想定外の事故などが起こった場合は、無力でしょう。


    ある決められた範囲内での、

    過去の前例を熟知する力は持っているけれど、

    まったく新しい未来を描く、導き出す能力はどうでしょうか? 




    学問と言うのは、過去の集積です。 


    お勉強がよくできたと云うのは、

    その過去の知識の中で失敗をしないように歩む事が得意で、

    マルとぺケの世界で、○をとり続けた人です。

    あるルールの中で競争をして偉くなった人は、

    社内での出世競争の修羅場しかくぐっていない訳です。



    本当のリーダーと言うのは、ぶれない。

    何故、ぶれないかと言うと、先が見えるからです。


    先を見ると言うのは、学問以外の能力です。


    あ、データーから先を見ると言うのとは、違いますよ。

    これなら誰だってできます。データー次第ですから。




    先を見るとは、この人間界を良く知る。

    道理を良く知る。

    実務以外の哲学、思想になるでしょう。

    テストや、点数、数値に表わす事ができない力です。


    『陽』(大学の知識)の学問は、この力を徹底的に潰していますね。



    だから、運命学では、

    いわゆる西洋的学問を『雑学』と呼びます。

    東洋的叡智を『実学』と呼びます。 

    『雑学』も重要ですが、

    『実学』があってはじめて役に立つのです。





    子供にダイナマイトを持たしたらどうなるか?

    人の近くに原発を作ったらどうなるか?

    ここを、今の状況下で、よく考えなければいけませんね。

    おそらく、国も東京電力も、知識しかなかった。

    知恵がない。

    国策に知恵がなかったのです。





    瞬間的現象的には、雑学が勝っているように見えますが、

    いずれ消えていく花火の火。

    雑学で栄えた家は、栄えようとする家は、

    幾世代かをみれば、人は、子孫を継承できません。



    私が、まだ、その雑学を教えていた頃、

    それを、自覚させていただいた時期、体験があります。

    それについて、思い出して、


    次回は、記事にしたいと思います。




    みなさま、

    つつがなく、よき1週間をお過ごしくださいね。





























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。




    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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