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04/02 20:25 |
( 自然の摂理 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 5Category : 運命学と科学
![]() 「自律神経にやさしい音楽ー森の中で」 今日からは、 私が東洋学と云うものに目覚める切欠けになった頃の、 関西のある場所、 そこの人々についての記事です。 その場所は、関西にあります。 仮にM町とします。 具体的な場所と、名前を明かしますと、 そこに、今でも普通に生活をしていらっしゃる人達がいて、 ご迷惑が掛かりますので、明かせません。 その地名は、 神武天皇時代の豪族の名前から付いたと郷土史に書かれ、 事実、日本書紀にその記述が残っています。 そこの土地柄を知ったのは、 私が、東洋学で言う処の、" 雑学 "を教えていた頃、 進学塾を経営していた時です。 その頃、東洋学を知っていた訳ではありません。 まったくの逆かな~? (笑い) 疑問もなく時代の雰囲気を吸い、男女平等的な意識を内に持ち、 生意気そうな近代合理主義に染まった女子学生、 あはは。 きっと、そうだったでしょうね。 (笑い) 駅前の教室から遠い地域から、 ある日、一人の小学生の女子児童が入塾しました。 行政区域から云いますと、 市の境界の川を越えて隣の市からです。 その地域からは、初めての生徒でした。 塾の送迎は、児童の祖母が自転車でしていました。 その自転車には、生徒の3,4歳の妹が、いつも乗っていました。 あのおばあさまが、幼児を載せて自転車を押しながら、 あの川の土手を登って来られるんだなぁ、と、 いつも、感心しながら見送っていました。 私鉄を乗り換えして通わなければいけない私立小学校へ通い、 素直で可愛らしくて利発な女の子。 あいさつも、しつけも、行き届いていて申し分のない生徒でした。 片方の手はいつも太腿の処へ添えて伏目がちで、 お辞儀ばかりをしている、、、 そんな感じを受ける位、腰と頭の低い人だった祖母が、 その生徒には、いつも付き添って来られて、 生徒自身の全身からは、 両親の期待を十分に受け止めて応えている自信が溢れ、 その機敏さからは、その恵まれた環境と安定感があふれていました! お勉強に、何の支障もない、まっすぐに学ぶ事を心得ている生徒です。 入塾カードに書かれた、その生徒の住所は、未知な町でした。 隣の市のM町。聞いたことないなぁ~。地味な名前。 あの川を越えて土手を降りて行った所なのか、、、 不思議に、その生徒とM町の名前が印象的でした。 当時は見えなかったけれど、今になって、分かる事は、 この生徒は、まったくの女系の家系の女の子でした。 生徒の母親である娘夫婦から、 家事全般を任され、 噴水まである広い庭園と瀟洒な洋館の世話をしている祖母と、 駅前で大きな飲食店を経営する両親との家族の中で、 祖母から母へ、そしてこの女子生徒へ、 濃密な思いがつながれているのに、すぐ気づきました。 察しがついた、そう言う事でしょうか。 それが、間違いないと、 その理由まで見えてしまったのは、 2年が経った頃でした。 ある日の送り迎えの祖母の背中に、赤ん坊がいたのです! ”今度こそ男の子を期待をしてママが生んだのですよ。 また姫だった。” 笑いながら、そうおっしゃっていたお姿が、思い浮かびます。 それからは、幼児の妹は幼稚園なのか、 自転車には乗って来なくなったのですが、 代わりに背中に赤ちゃんを背負って、自転車を押しながら 女子生徒を迎えに来られるようになりました。 お互い笑顔で仲良く、 自転車を挟んで歩いて帰って行きます。 三人姉妹。続く養子婚。 これだけはっきりと、 『自然の摂理』の具現性が明らかになっているのに、、、 その時は、私は若すぎて、 意識の世界の中だけで事足れりで、 何も疑問にも思わずに、何も分からずにいました。 今なら、すべてが見えます。 今なら、何か言葉のかけ方が、違っていたのではないかと思います。 白髪混じりの小柄な祖母が、 渾身のエネルギーを込めて、骨身を惜しまず、 家族を守り孫を慈しむ、その姿は、忘れられません。 目を閉じても、思い浮かぶ程、印象的でした。 どうしてなのか? 家族の為に、ご自分の立ち居位置は一番下に置く、 それに甘んじる心得、躾られた育てのよさ、 世の中の全てに腰を低く、礼儀を尽くす姿、 それらのすべてに感銘を受けていたのかもしれません。 M町を、こう言うきっかけで知る事になるわけですが、 今思えば、 M町を知る事が、東洋学の入り口であったような気がしています。 おおげさに言えば、「自然の摂理」の存在を自覚した。 と言う事になるでしょうか。 理性で論理性を追求する雰囲気の中で生きて来た私にとって、 言葉少ないM町の人々、 知識ではない、姿を通して感じたM町の人々の暮らし。 黙っていても伝える事ができると云う生き方に触れて、 その人たちが、心から大事にしている何か。 単なる合理性だけでは説明がつかない伝統やルール。 ある現前としたこの世の法(則)の存在、 意識上の論理では表せない無意識のなかにある法の存在、 それを説明や理屈ではなくて、 本で読んだ訳でもなく、観念的ではなくて、 それを眼前で見せられ、人に聞かされ、息吹に触れた体験でした。 その町の歴史の重み立ったのかも知れませんね。 結局、理屈では、人を動かす事は無理なのでしょうね。 ここで言う「自然の摂理」について、 「自然の摂理」とは、、自然界を支配している法則。 自然の中で生きている無数の命、 生き物たちの相互関係の上に形作られた法則です。 単一の種でしかない”人間”だけの「摂理」などというものは、 あり得ません。 求める価値観は、自然の宇宙の『調和』です。 それが、『中庸』です。 しかし、 キリスト教の中の世界では、この摂理は神の中にあるとなっています。 創造主である神が、この宇宙を造ったとなっています。 その真偽の程は、信じるかどうかは、さておいて、 神が、 この宇宙と歴史をどのようにする、と決めた永遠の計画と配慮がある。 その神の計画が、いわゆる「自然の摂理」になります。 この永遠の計画と配慮によって、 神が人間をその目標に導くと言う教えです。 だから、 人間は、欲望のままにやれば、神が良い方へ導いてくれる。 となって、 この原理が、 資本主義と共産主義、自由市場経済の原理になっています。 いままで、 私は、その間違いを批判をして記事にして来ました。 初めから、 東洋学で西洋を批判をするようになったのではありません。 学生時代に、学生の常識として共産主義を通して、 キリスト教と資本主義の批判の洗礼を受けています。 キリスト自身も、 自分の教えをここまで人間が利用をして、欲望を正当化し、 地球を破壊する処まで、好き放題するとは思わなかったでしょう!! 神が造ったと、すべてを神のせいにして、 すべてが神のおぼしめしと言っては、 戦争を正当化して来た訳ですから、、、 歴史的に言えば、十字軍からそうでした! 東洋は、自然の存在を認め、人間はその中の一存在として、 自己の中に『 自然の摂理 』を感じて行きます その反対に、西洋においては、 自然は、人間本位に人間の為に支配する対象・物でした。 ここから、自然を支配する知識・技術としての学問が、 生まれて出て来る訳です。 これで、何ゆえに、学問で人生を考えてはいけないか、お分かりでしょう? 西洋式と云うのは、こう云う事になるのです。 自然を人間の都合のよいように捉えて支配をしてもいいんだー! それで最後は、神が良くなる方へ人間を導いてくれるんだー? と言う思想です。 これに、わが身を任せていいのでしょうか? クリスチャンなら、いざ知らず。 ですが、、、 あはは。 ここまでも深く考えなくて、 そんな事は分かっていないまま、生きる為の(得)の為に? 将来の就職や、生活の為には、大学へ行っておかなければならない。 その程度の浅い考えで、 学問を人生に役立てるつもりで学んだつもりが、 ミイラ取りがミイラになる? あはは。 自覚をしておかなければ、 学問と云う道具に、人生を乗っ取られて破壊されますよ。 人生とは、道具を中心に生きる事ではないのですから! ま、それも人それぞれの運ですが! あは。 西洋思想の核心部分は、 なんと、おとぎ話みたい!!! なんと、責任不在な!!! と思いませんか? 神が、その計画書でお導きになったのが、今の社会ですか? 自由主義経済の根幹は、ここが出発点です。 自然と人間の関係の捉え方の違いで、 ここまでの違いが出て来ます。 おそろしいことです!!! だから、根っこの考え方が何なのか? ここが、大事になってきます。 これが、哲学です。 哲学を、一番身近なものにしなければいけません。 あなたの努力が、実を結ぶか? 反対の結果になるか? そう言った、天秤棒の支点の問題なのです。 いい加減にはなさらないように! 根本的に、自然の摂理を受け入れない科学は、すべてが後付けです。 自然を調査をして、どうだったか? なにを? どうするか? 目で見て確認、意識のできる範囲の数値化と、データー化です。 それが、いわゆる客観性? あはは。 ほんとうですか? 主観性とは言いませんが、 主意識性とでも言いましょうか? まったく、タロットカードを引いて占うのに似ています。 まだ、欺瞞がない分、タロット占いの方が、人生を任せられるかな? (笑い) タロットは客観性を重んじる。なんて嘘、見栄は張っていませんからね。 真の客観性なんて、学問にあるのでしょうか? 実験には、主観が入る。 真の客観性なんて有り得ないのです。 あるのは、 できるだけ客観的であろうとする主観性です。 あーぁ 笑うしかない、浅はかな^^^学問と言うデキモノよ~ あはは。 放射能というデキモノの毒を、扱いかねている。。 。 原発の事故についても、学者がテレビで言う言葉の語尾は、 先の事は、 ”~~~と思われる。” ”~~~ではないか? ” あーぁ、わかっていない! それって、主観そのものですよ! 学者と云うのは、人の意識の限界を示す人々なのですね。 という事は、学問とは、人間の意識の限界を示すものさしなのですね。 人間の限界では、ありません! 意識の限界ですよ! 意識には、限界があり、 『陽』そのものには、『偽』・うそと云う限界がある。 意識を、そこまで頼っていいのでしょうか? 意識の正体を知らないのか? 限界のある学問に、人間の生存や命に関する事を、任せられない。 学問で、人生を考えてはいけません。 学問で、自然をデーター化して、捉えただなんて! そのデーターが、自然だなんて、思い込んではいけません。 ”想定外”だった。 学問が言い訳に使う言葉です。 もともと、自然は、意識(学問)が想定できる範囲を超えています。 それを、”想定外”だった。なんて、 いかにも想定できる前提があったような云い方ではありませんか? ”意識(学問)は、自然の真実を捉えられないのです。” この事を学問が、白状しているのです。 今の原子力発電所の事故は、学問の限界の問題ですよ。 このような問題が起こった時、犠牲になるのは、命です。 だから、 『陽』は、究極が、命の殺戮と云うのです。 無意識の世界には、厳然として自然の摂理は、存在します。 その存在を3~4000年前から見つけているのが、東洋の叡智です。 科学は、狭い意識の範囲である以上、絶対に叡智にはたどりつけない。 東洋の叡智を、 古いとか、非科学的だと、排斥、無視する現代文明において、 今の合理的一辺倒の現実世界は、何か違う? と感じさせてくれたもの、 その在りように、 驚きと感動を持った記憶が、先に書いたM町でした。 『天』そのもの、 そこに存在する法(法則)を知るか知らないか、 そこに、『時』に亘る勝者と敗者とが明確に分けられている訳です。 人間は、自然に対して未だに無知です。 その証拠に、天災で死んでいく訳ですから... その証拠に、 意識で作った学問に刃を突きつけられている訳ですから... 無知は、言い逃れにには、なりません。 赤信号は、その意味を知らない幼児だからって、 渡っていい事はないでしょう? 知らずに渡れば、車に轢かれてしまう。 意識する、しないに係わらずに、違法行為です。 法とは、そう言う存在です。 法とは、違反するものには厳しいのですよ。 無知は、言い訳にはなりません。 知らなかったからって、許されないでしょう。 原子力の事を学問で解ったからって、 それは、意識と云う狭い領域の中で、解ったと云う事です。 いのちは、無意識の領域にあります。 学問の解ったと云う事が、いのちにとってはどう云う事になるのか? 無意識を無視をして解ったと云う学問が、為した間違いは、 それは即、いのちの殺戮者になってしまうと云う事です。 学問で人生を考えてはいけません。 学問で命を解ったと言ってはいけません。 時節柄ですから、 諸般に注意をなさって、 何事にもつつがなく、一週間をおすごしくださいね。 次回、続きをおたのしみに..... -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/09 18:42 |
(神武天皇の頃からの命の継承) 学問の知識で人生を考えてはいけない 6Category : 運命学と科学
![]() 今日の記事のテーマは、 学問の知識で人生を考えてはいけない 6 (神武天皇の頃からの命の継承)です。 え ? 神武天皇 ? そうなのです、、、 後ほど、、、 今日は、たくさんの情報を記事にしますから、御覚悟を! あはは。 長くなるはずですので、2、3回に分けてお読みになってくださいね! まず、前回の記事にいただいたコメントを挟みながら沿っていきます。 コメント① モダンからポストモダンへ、それよりもっと先へ、 そういう流れを感じる記事でした。 学問の限界、意識の限界、限界の中をはみ出なきゃいけませんね。 人生を限界の範囲で考えてはいけないと、努力が無駄になると、 教えてくださっている。 切実な問題であるのがよくわかります。 医学もそうです。 西洋と、東洋では、現実的にはその方向性がちがいすぎます。 その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。 こうなれば患者、受ける側の判断力が本当に大事になります。 上から流れてくるものを待っているレベルでは、 オッつかない時代でしょうか? 受ける側の判断力が大事、 上から流れてくるものを待つレベルでは追っつかない そのとおりです。自分の判断を大事にして行きましょうね。 その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。 そうそう! これを ”専門○鹿”って言うのですが、ご存知でした?(笑い) 部分的な知見を全てだと思う過ちです。 専門以外は、素人なのですね。 では、次へコメント② 「学者は、人の意識の限界を示す人々」 「学問とは、人間の意識の限界を示すものさし」・・・ このような捉え方をしたことがありませんでした。 まだまだ、東洋哲学の奥は深いです。 ただ、原発の「想定」は、故意にかどうかわかりませんが、 意識の限界までも到達していない、 ホントに「想定」したの?と疑いたくなるようなレベルだと思っています。 たしかに、そのレベルだから、これだけの大きな人災が起こった。 結果を見れば、その原因は、おのずから見通せます。 そもそも法律で作った機構や、制度が、どのようなものか? 分かった上で、智恵で法律や制度は、用いていくものです。 信じて頼るものではありません。 我々の方に、その智恵がなかったと言うことになりますか... 『陰徳』のない『陽』は、命の殺戮です。 そのとおりの事が、起った。 これからも起こるでしょう。 では次へコメント③ 元々「原発は安全」だなんて思っていませんでした。 想定できる地震や津波なら安全だったのかも知れないけど、 そもそも「自然」に想定の範囲など無いのですから、 真っ先に思ったのは「あり得るだろうな」でした。 もちろん事故は哀しいです。 そう、想像していた事が、やっぱり起こったか! そう言う納得ですね。 国難が起こると思っていました。 そして、 いよいよ出た! と思いましたよ! 実験結果です。 日本の近代化は、珍種だ! あぶない! と書いて来て、、、 日本は、世界に例を見ない近代化の実験モルモットです! 『孝』を捨てた文化が、どう言う末路をたどるのか? の実験です。 物が、壊れる事は、そんなに恐ろしい事ではありません。 元々、いつかは、遅かれ早かれ壊れる物です。 また、物自体、自己の欲望、意識が作った物です。 そうである以上、最後は、自己の身の丈の中へ収められる物です。 その物に執着する自分をどうするかと言う、 『陰徳』を得るかどうかの自分の心の問題です。 それよりも、 人間の心から、役割と使命の自覚が消える方が、怖いのです。 役割や使命の下に、多くの人の命が存在するからです。 今回、原子力安全保安院、原子力委員会、原子力安全委員会の どの機関も、国民の安全を、考えていなかった、のです。 役割を果たしていない。 そう言って謝罪をした方もいました。 人間の命の創造性の本体である『陰』 『天』たる自然の価値観を見捨てた『陽』に、 そこまでの力量はありません。自然に逆らっているのですから... 『陰』なくしては、人の命を守る仕組みとして『陽』は、機能しない。 反対に、嘘をついて、だまし、摩り替えて、命を殺傷するだけです。 目の前にある『陽』(人の作ったもの)を信じて頼るのは間違いです。 『陰』の智恵で『陽』を善へ用いていくのです。 現に、福島原発事故で世界中が気にしている放射性物質の拡散予測も、 当の日本政府は、3月23日に予測結果を一度公表しただけで、 放射能の拡散予報を出そうともしませんでした。 その中で、約一ヶ月の間、多くの国民は、 これまでも、 ドイツやノルウェー、フランスなど海外の気象関連部局が公表してきた 拡散シュミレーションを、不安で本当の情報が知りたくて見たはずです。 そこまで自国を頼れない国民にとって、国家とは何なのだろう? もうすでに、溶融しかかっているのは、日本と言う国家ですよ。 全国の放射能濃度一覧ですが、 ここで、まとめて見る事ができます。どうぞ! 開けると、 左端に、水道情報、福島原子炉、海水、福島とあり、 その下《 拡散予報 》の所、 日本気象庁、ドイツ気象庁、オーストリア気象庁、イギリス気象局、 ノルウェー気象局、台湾気象局の情報が見れます。 今でこそ、日本気象庁とありますが、これは、国民からの批判を浴びて、 やっと4月5日夜から公表に踏み切ったわけです。 当初、 気象庁HPから、お目当ての予測ページを探すのは至難の業でした。 ”放射性物質”や“拡散予測”といったキーワードのリンクが 張られておらず、ここにたどり着くのは至難の業でした。 ほほっ。 国民に見やすくする親切心などひとかけらもない! 要は、見せたくないのですね~! あはは。 なんと秘密めいた、隠そうと言う意識のにじみ出た“公開”なのでしょう! 自らの官たる気象庁と言う使命を、何? と心得ているのか? しかも、 国際原子力機関(IAEA)に報告していた内容をそのまま使うと言う、 ドイツやフランスの気象局のようなカラーで見やすい図ではなく、 見にくい! モノクロの秒単位で動く線画です! 見にくいまま公開してあります。 しかも英語という不親切さ! (なにしろIAEA提出用の流用ですから ) “お役所仕事”の典型と言うのか、 どっちを向いて仕事をしているか? とても、 国民の為とは思えない。 組織の為や、お上の顔色を見た仕事ぶりです。 要は、国民にはこれを知らせたくないと言う本音が、堂々と丸出しです。 親切な分かりやすい外国のと並べられて、恥ずかしくないのか? 役割や使命感のない人間が、あまりにも多い社会病理です。 海外のマスコミから、 日本に支援物資は豊富にある。唯一足りない物は情報だ。 と言われる訳です。 ついでに日本国民に宛てたフランスからのニュースを紹介しておきます。 フランスのメディアが、わざわざ日本国民の為に、日付順に、原発事故の 日本語のページ作ってくれています! (笑い) ともだち作戦の米軍もですが、 彼らは、キリスト教の博愛、奉仕・サーヴィスの精神が溢れていますね! 彼らは、反原発のデモもしない日本国民の我慢強さ、従順さ、 マスコミが、あまりにも権力寄りで政府に何も言わない事に驚いています。 日本人は、 もともと、狭い島国の中で、争いを好まなかったからでしょうが、 仲間を批判するような事はしない。 特に仕事でも”○○がやった仕事だ”と言うだけで仕事の出来を信用する。 アメリカ人などアングロサクソンは、人間を信用していませんから、 誰かが、何かをすると必ずチェックをするシステムを構築します。 そのいい例が、 半導体のテスター(製品の半導体をテストする設備)があります。 これ自体が、アメリカの発想です。 自分達が作った半導体と言う製品を テストすると言う発想が、日本人には思い浮かばない。 作った製品は、テストをする必要がないと言うのが日本人です。 逆の言い方をすると、日本人の仕事は、歩留まりが、いいのです。 結果、テスターを作る部品は、細部に至るまでアメリカ製ばかりとか、 何かをチェックすると言う分野では日本は、発想から弱いのです。 日本は、「君のここが間違っている。」と、 お互いに言えない民族かもしれません。 だから、これが馴れ合いの温床、組織的にまとまるのは得意です。 お上が、近代化! と言えば、怒涛の如く、モダンへ突っ走る。 日本人は、島国根性を自覚しなければいけませんね。 突っ走った結果が、142年後、今です。 では、次へコメント④ 原発事故を受けて、それぞれの立場の人の正体が見えます。= 『陽』の立場の人(評論家、学者、政治家、経営者)は 口ばかり論理ばかり方法論ばかりです。= 現場で手を汚し、自分をかえりみないで誰かが直接作業をしなければ、 解決はしません。= まったくそのとおりですね~!! ほほっ。 『陽』は、政治や経済、学問、意識、知識です。 すべて人間が作ったものですが、究極は、命を守ろうとはしないのですよ。 それらは、命を守る為に、作ったものではないのです。 では、『陽』、何の為にそれらを作ったのか? 国際的圧力を掛けられて、外国との競争に負けない為、 利権や利益の奪い合いをしない為、 お互いの利害の妥協の為、 力ある者から順番に、それぞれの欲望を満足させる為です。 国会で法律を作る過程を見ていたら、分かるでしょう? (笑い) 「こども手当て」が、コロコロと転がって、これが、『陽』の極地です。 全くの、あかんべぇーの嘘つき~! (笑い) 『陰』が欠ければ、信念も信条も、ただの見せかけです。 『陽』は、何事も自分の利害と都合が、優先です。 りっぱな御都合や想定外という言い訳けをおっしゃる知識人の中には、 仁も、義も、礼も、智も、信も、残念ながら、、、、、 ありません~~! あはは。 『陰』と調和する政治にしか、『信』を置いてはいけません。 政治だから、そうするべき、そうあってほしい、それはそうです。 しかし、それは、それだけなら観念論、空念仏に過ぎません。 また、安全とは、何ですか? 安全、安全と言われて、その理論を信じる事ではありません。 あらゆる理論は、一時の仮説と思って聞くべきなのよ。 安全とは、将来に亘って、心身ともに安心できる事です。 学者が安全と言うのなら、テレビで言わないで、 自ら現地へ飛び込んで、生活して安全と言ってほしいものです! 肝心な事は、自分が、安心できる事を、それこそ自己責任で、 意識、無意識を総動員で、行動することです。 ほら、又、想定外だった! なんて言われかねないでしょう? 大事な事は、皆がどうするかじゃない。自分です。 自分の中の島国根性を乗り越えましょう。 国を信じて戦争に負け、また近代化で騙されて、 総崩れも、全員ですか? それらを避ける為にも! 国民総動員ではない方がいいのです。 あはは。 誰かが、残らなければ、、、(笑い) 西欧は、 自然や異民族は征服する相手ですが、 同民族は徹底的に守り合います。 ファミリーも、大事にします。 ホームと言うあたたかい場もあります。 そう言う命を守る何層もの概念を、 日本人は、近代化とともに失ったのです。 モダンを総力挙げて突っ走った日本に、 どこに『孝』があるのですか? 今、『孝』が、はっきり在ると言えるのは、今の福島原発です。 そこで働く名も無き作業員の人達です。 彼等の仁なり、義なり、礼なり、智なり、信によって、 私達は守られています。 今の彼らの必死な使命感で、今の私達の命は支えられています。 この瞬間に。 あの中に、『陰徳』が存在する事を祈りましょう。 心から祈りましょう。 彼らを、日本では名前を出して英雄扱いをする事はしませんが、 欧米では、イヤ、中国などでも、きっと新聞やネットに名前を出して 英雄として讃える事でしょう。 命を守る力は、制度や法律や知識や学問や学者ではない。 『陽』の類ではない! 自分の中の徳を生きる心が、唯一、命を救う力に変わるのです。 知識でも、意識でも、法律でも、制度でも、新しい学説でもない。 自分にとって切実な役割の自覚の中に、使命感の遂行の中に、 力の源があるのです。 原発の中で働く人々に、深く感謝を捧げたいと思います。 そして、おぼえておいてくださいね。 『陽』の極地、命の殺戮は、『陰徳』でしか止められないのです。 その徳を、捨てたのが、 モダン・近代化です。 日本における近代化の代償は、あまりにも巨大過ぎます。 大衆を時流に乗せた知識人の罪は大きいです。 今もそうね! 実際、マスコミに出て来る知識人に対しては、 評判に歌舞(かぶ)れる人格を持っている事を 私達は見抜かなければいけません。 自分の評判にあわせて、歌って、踊って出て来ます。 ぴ~、ピ~ヒャララ~~ ひゃらひゃら!! あはは。 媚(こび)も芸の内ですって? (笑い) あ、 「刀は、切っ先から毀れる」と言うように、 一番先端に陣取って、ノリノリの立ち居振る舞いを見せながら、 実は、一番に滅び去る姿を私達に見せる役割なのかも知れません。 そう言う運命の人なのですね。 そこに、永遠の命は、ないはずです。 P・F・ドラッカーが、『テクノロジストの条件』のなかで、 「17世紀の半ば以降350年にわたって、 西洋はモダンと呼ばれる時代を生きてきた。 19世紀には、その西洋のモダンが、全世界の哲学、政治、社会、科学、経済の規範となり秩序となった。 だが今日、モダンはもはや現実ではない。」 モダンとは、近代合理主義のことです。 近代化によって、この世界のすべては、論理の力によって解明できる。 と言う思想が、まず西洋を支配し、そしてアジアでは日本へ、 世界を支配したこのモダニズムが、この世界を覆い尽くした途端に、 20世紀には、 合理主義の論理だけでは説明できない問題が急増し始めた訳です。 環境問題、南北問題、人口、飢餓問題、温暖化問題など、 今の21世紀が抱える問題は、 論理だけでは理解できず、何一つ解決策が生まれて来ない。 理性で論理を構築するだけではだめで、分解して解析し、 しかも全体を把握しなければならなくなった。 *命あるものとして見なければならなくなった。 1950年の半ばに、ドラッカーがこの変化に気がついたのです。 モダンでは、もう駄目だ。と言う点は、私の主張と同じです。 が、 ドラッカーは、東洋の叡智を、知らないはずです。 東洋学的に変えてみましょうか? (笑い) *命あるものとしての所を *一つの命としてに変えましょう。 (自然を)*一つの命として見なければならなくなった。 これでどうでしょう? これが、東洋的な思想です! キリスト教思想と言うものは、面白いものです。 同じキリスト教と言う土壌の中から、 お互いを批判をする正反対のもの、共産主義が神を否定し、 それを資本主義が、モダンをポストモダンが否定をする。 まるで第一幕、第二幕の劇のように、 人々を飽きさせないロジックを、マジックのように次々繰り出して来ます。 ポストモダン。 これもまた西洋思想の意識の範疇でしかありません。 我々の祖先は、常に良くなろうと努めて来た。 そう思います。 しかし、、 江戸時代の鎖国を守って生きて来て、黒船から受けたショック、 目を見張る西洋文明の技術の影響から、 この無知(=反価値)は、自分たちの知らない理性・知識を意味していた。 手っ取り早く、西洋学問の必要性がある。と言う所に走った。 しかし、それを、全てと思うのが間違いの元です。 近代化と言う”モダン”を過ぎて、 ポストモダンと言われる現代において、『時』の波に揉まれつづけるだけで、 現時点の波が、なになのか? どれだけの人が気づいているのでしょうか? やれやれ、やっとM町です! モダンも、ロジックも、エリートも、データーも関係のない時間が流れている M町について、外観から始めましょう。 初めは、M町のいわれについては、何も知りませんでした。 生徒である女子児童の自宅を訪問した時の驚きは、 今もありあり残っています。 背丈の1,5倍はある大きな門構えを入って、 植え込みの木立の中を歩くと、 左手に洋館が建っていて大理石の玄関がありました。 ステンドグラスが全面の重厚なデザインの大きな二枚戸に圧倒されて、 開けて入ればちょっとした教室位の空間が、そこに、 東京の一流ホテルの玄関より数倍、凝っているすばらしいインテリアが、 それはそれは、、、 書き切れませんので後はご想像にお任せいたします。 ほっ。 関西には、東京のそれよりすごい豪邸がいくつもあって、 芦屋から神戸、西宮、宝塚、や京都、奈良などですが、 敷地内に本物の滝や、本物の川や山が、崖まであって! ほっ。 何万坪か分からない森になっている敷地に、塀などなくて、 母屋や、東屋、執事の人の家が建っている豪邸など、 それらを見聞きした経験からでも、それでも、度肝を抜かれた家でした。 豪邸振りがすごいと言うよりも、 どうして、まわりと調和をしない、広大な洋館を建てたのだろうと 非常に理解できない、そのシコリが未だに残っています。 と言うのは、周りは、純和風の町並みです。 一戸が、たしかに広い、1000坪以上の屋敷地所の中に、 門屋と呼ばれる閂(かんぬき)門があり、母屋、離れ、 数奇屋格子の戸をくぐって入る前庭、白壁の蔵が2つ,3つ、 黒塀や、瓦と白壁の塀に囲まれた旧家の集落、の町でした。 門屋と呼ばれる大きな閂(かんぬき)門には、 門の左右に人が住める部屋が作られていて、 そこは、昔は、隠居をした大婆さまの住まいになる処、らしい。 歴史的には、M町は、 日本神話の説話である★注「神武東征(じんむとうせい)」の時に、 神武天皇が、渡来人たちを連れて来て居住させた地である。 となっています。 ★注「神武東征(じんむとうせい)」: 初代天皇であるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が九州の日向を発ち、 大和を征服して橿原宮で即位するまでの征服の神話。 それで、そこに住む人々は、その時以来の子孫になります。 考えたら、天皇家も万世一系なら、この地の人々も、2200年以上の間、 子孫が続いている事になります。 ひょっとしたら天皇家よりも古いかもしれません。 なぜなら、天皇家の実在したことが確かであるとされる最古の天皇は、 3~4世紀の第15代・応神天皇です。 神武天皇と言う神話の時代からの歴史に登場するM町の人々の祖先は、 もっと古くなりますか、、、。 それだけでもちょっとした驚きです。 そう言う状況を、どこまでお伝えできるのか、、、 町の雰囲気は、現代とは途絶したふしぎゾーン、だったのです。 私たちが、失ったものが、そこには、すべてがありました。 さぁ、私たちが失ったもの、何だったのでしょうか? 2200年も失わないまま、 自分たちを継承をして来たM町の人々。 家だけではなく、なにから何まで、負けたと思いました。(笑い) まいったぁー、ですね。 あはは。 2200年変わらない、信用できる生き方と人々。 有る事が難しい、本当に有り難い出会いでした。 次回につづきます。 くれぐれも、 何事にも、つつがなく、 よい一週間を、お過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/17 08:52 |
(知識の限界) 学問の知識で人生を考えてはいけない 7Category : 運命学と科学
![]() オキザリス corymbosa オキザリス oxalis ギリシャ語で「酸っぱい」の意味です。 音楽をどうぞ~! 「自律神経にやさしい音楽ー花によせて」 今日のテーマは、学問の知識で人生を考えてはいけない 7 (知識の限界)です。 大震災から津波と続いて、一ヶ月、未だになくならない地震に、 自然の不気味さと底知れぬ恐怖を、日本中が、感じている頃でしょう。 それにも増して、原発の脅威が、ひしひしと迫っています。 このテーマの目的は? ターゲットは、”意識”、『陽』を叩く事です。 だんだんと「意識の正体」を暴いて、追い詰めて行きましょう! 意識の正体も知らずして、 「知る」は最上なりとは、言わせたくありません。 『陰徳』の軽視、抹殺こそが、”国難”と言われる現状の源なのです。 知識の暴走、学問の暴走、 意識最上主義にストップを掛けなければ..... 鴨長明の「方丈記」からです。 日本中世文学の代表的な随筆です。 行く河(かわ)の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたる例(ためし)なし。 と言う有名な冒頭で、 移り行くもののはかなさを語った無常観の文学とも言われる中に、 【元暦の大地震】のありさまを書いた所があります。 また、同じころかとよ、 おびたゝしく、大地震(おほなゐ)ふること侍(はんべ)りき。 そのさま、世の常ならず。 山は崩れて、河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて、陸地を浸(ひた)せり。 土裂(さ)けて、水湧(わ)き出で、巌(いはお)割れて、谷に転(まろ)び入る。 渚(なぎさ)漕(こ)ぐ船は、波に漂(ただよ)ひ、 道行く馬は、足の立ち所(ど)を惑(まど)はす。 〈現代語訳〉 また、同じころだったか、ものすごい大地震があったことがある。 そのさまは尋常ではなかった。 山は崩れ、その土が河をうずめ、海は津波で陸地を浸水した。 大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。 波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、 道行く馬は足の踏み場に惑っている。 その最後に、次のようにあります。 すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、 いささか心の濁りも薄らぐと見えしか ど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 〈現代語訳〉 その直後には、 だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、 いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、 月日が重なり、 何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。 約800年まえ、鎌倉前期、建暦二年、 1212年に成立した随筆の内容が、 そのまま今に当てはまる事に驚くと共に、 いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、 人間と云うものは、危ないと知りつつ自分の目先の欲と楽の為に、 「喉もと過ぎれば、暑さ忘れる」、 「天災は、忘れた頃にやって来る。」 あはは。 意識に頼った知識と言うものは、役に立たないのですね! (笑い) ★ 意識は、時と共に、都合のいいように忘れるのです。 時と共に、『偽』になる『陽』そのものです。 学問を、頼って信じてはいけません。 例え照明されたと行っても、所詮が一時の仮説です。 政治は、もっと落ちます。 政治家の言葉は、単なる言葉だけで、 『偽』で終わる危険も持っていると言う事を、もう認識しなければ! 学問も政治も、経済も、すべては人間の作ったもの、『陽』なのです。 それをそうだと覚悟をして、操縦していかなければいけないのです。 ★ 意識の主張する所の真実は、くるくる変わります。都合次第なのです。 いい例が、 国際放射線防護委員会で決められた安全というのは、 「1年間に1ミリシーベルト」です。 参考:武田邦彦教授のブログ (武田邦彦教授のプロフィール) 今回の事故で、政府は、 学者に「年間100ミリシーベルトで安全」と言わせています。 それは学問的な数字ではなく、政治の決めた数字です。 ★ 意識は、都合がいい方向へ、楽な方へと変わって行きます。 そうしないと、 東京までが避難区域になる可能性があって、とても管理できない 避難数で、パニックになるからとか、 社会的影響を考えて決めた数字です。 いわゆる、政治的判断。 これは、 いままでなされた事のない人類初の多人数放射能人体実験です。 後々このデーターを まとめて研究成果として学会で誰かが発表をするはずです。 世界が、今、日本に注目をしています。 私も含めてですが、 あはは。 人間は、学歴をつけたところで立派にはなっていないですね。(笑い) 知識の集積である学問で、人格はできません。 幸せにはなりません。 すなわち、政治で、人間の幸せを実現する事はできません。 『孝』を無視している学問や政治は、 結局は、命を殺傷するでしょう。 具体的に言うと、 何を一番大事と思うのか? その理念と目的ですが、いろいろあって、 進歩、経済、効率、利益? ですね。 あはは、誰も、一番が命、孝、だなんて言いません。 利益第一。 それを正当化する為に人命も大事だ、とついでに言うだけですね。 学問の無能さ限界を示す例を、2,3挙げましょう。 ● 4月2日のY紙2面に、 日本の原子力研究を担って来た専門家が、 今の福島原発事故への緊急提言として、同原発1~3号機について、 「燃料の一部が溶けて、原子力圧力容器下部にたまっている。 現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、 突き破ってしまう。 数週間以内に、本格的な冷却システムを稼動させる必要がある。 3基の原子炉内に残る燃料は、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る 放射能があり、それをすべて封じ込める必要がある」と 警告、指摘した記事の中で、 提言者の一人、松浦祥次・元原子力安全委員長が、 「原子力工学を最初に専攻した世代として、 利益が大きいと思って、原子力利用を推進して来た。 (今回のような事故については)考えを突き詰め、問題解決の方法を 考えなかった」と陳謝した。とありました。 今更、陳謝して、どうなるものですか! 考えなかった?? せっかくの優秀な頭脳が、一番大事な事を、考えなかった ?? その程度の判断、行動で、 一流原子力学者が務まるなんて? なんとお気楽なお仕事でしょう! 人類の為に、 日本国民の為に、考えようとは思わなかったのですか? 自分の仕事における責任感の問題ですよ!! 意識は、めんどうな事は、避ける。 意識とは、そう言うものです。 ”原子力は、すばらしい時代をもたらす!!” 言いたい事だけ言って... 後の祭り、とはこう言う事なのでしょう。 しかし、残念です。 ●● 次は、ちょっとお気楽な話を書きましょうか? ほほ。 知り合いの学者です。 教育ママなら、垂涎もの! 羨望の的! そんなお育ちの学者さま! 付属小中学から、超難関進学私立高、東大、東大院を出て、 霞ヶ関の官庁○○省の官僚を20年以上勤め上げ、 40代で、関東圏の国立大の経済学の教授に天下った人がおります。 超エリートですが、 お気の毒な方なの! 彼は、38歳の時、息子が生まれました。 直後、10歳以上年下の配偶者に逃げられたそうです。 ある夜、帰宅すると、生後3ヶ月の赤ん坊が置き去りにされて、 それから、父子家庭で子育てをして10年間、 その経験が彼に幅を与えたかと思っていたのですが、、、 大学の経済学部の教授の彼が、ある日、こう言いました。 「どこの駅前にも、サラ金の看板がいっぱいある。 なんとかしたいが、 これは、サラ金で金を借りる人が多いからだ。 こんなに金利の高い所で借金をするなんて馬鹿なんですね。 あきれるほどあほだ! 銀行に定期をしておけば、それを担保に低利で借金できるのに。」 ? 貴方はそれで経済学者なの? 思わず失礼ですが、そう言いましたよ! あはは。 どっちが、わかっちゃいないのか? こう云うのを、私は、「専門ばか」と呼んでいます。 努力をしない人が馬鹿になるのは普通だけれど、 貴方は人並み外れた努力をして、馬鹿になったの! ほんとうに、見事なくらい、 細い狭い道だけしか、知らない。 その道だけしか知らない。。。 銀行に定期で預けるお金がある人なら、 わざわざサラ金に手を出すわけないのよ。 定期なんか貯金できない。 あったら真っ先に下ろして使ってしまう。 そこまでの貧しい人がいる事を、大学院で研究して来なかったの ! それで、経済○○省の役人を20数年? ですって。 あぁー学問や行政のロジックは、立派だけれど一方通行なのです。 要は、知識は覚えられる。 けれど、知恵はつかないのですね~! 20年間の学業、知識の詰め込みでは、無理なのです! 今の行政は、得手勝手なロジックで済む仕事なのですね~! 実際の人や社会を救くう事のできないロジックを弄んで、 それで仕事になるのですね~!! あはは。 国民は、馬鹿なんだと、それで片付けるのね? こう言う頭脳の優れた学者の社会性オンチな話は、 もう、いっぱい、掃いて捨てる程あります。 もうひとつ、 ●●● 津波直後、NHK、 夜の”クローズアップ現代”の番組のなかで、 ある大学の津波の避難原理を研究していると云う学者が出演して、 うなだれて、正直に言っていた事は、 自分の研究は、役に立たなかった。と言う事でした。 津波が来ると分かっている三陸の町で、 どう避難をするかという研究をし、地元にも通い、 かなりな年数を掛けて研究をしていたのでした。 実は、津波の起こる2,3日前も、 その教授が指揮をして、現地の住民と一緒に訓練を行った。 津波の起こる方向を推定して、 津波の時には、あの建物へ避難するんだと ここを歩いてと、実際に逃げる訓練をしたと言うのです。 それが、津波が起こってみたら、 その通りに逃げた人は、全員が津波に呑み込まれてしまっていた! 教授の指示を無視して、 自分の考えで逃げた住民は、助かった! 私は、それを聞いて、 しばし、唖然と、しました。。 。 心底、彼は、 自分の研究が、間違いないと思っていたのでしょうか? 役に立つと云う事を、そんなに単純の思い込んでいたのか? 他人さまのお役に立つと言う事は、 実は、とっても、大変にむずかしい事ですよ~ 大学の先生と言う権威で、 住民が信じて付いていった部分もあるはずです。 権威や権力を批判しない東北人気質の素直さ、我慢強さ、 そう言う住民の心理も分かった上での指揮だったのでしょうか? 非常に、その罪は重い。 その学者が、うなだれて下を向いていた姿が残っています。 人間なら、それが、当然でしょう。 学問では、現実を変えられない。 なぜなら、現実をわかっちゃいないのです。 なぜ、そうなるのか? 習って、記憶して、知識を増やしても、 無知はなくならないーーーーー。 知識を詰め込んでも、 無知から開放はされないのですーーーーー。 事は、そんなに短絡的に、 無知は、解決がつくものではないのです。 なぜなら、意識は、後ろを見ています。 過去の経験しか見ていないのです。 過去のデーターの上に学問は成り立っています。 学問の未来がわかると云うのは、データーの上での推論です。 意識で行う研究は過去を見ています。 過去のデーターです。 バックミラーなのです。 意識は、「自然」と「未来」をわかっていないのです。 現実の人間を、女を、わかっていない。 あはは。 そして、「未来」のデーターを持っていない!!! 意識で認識したものを知識とするなら、 未来など、解るわけが無いのです。 当たり前のことですが、未来は五感では捉えられていないのですから。 自然は、勝手に動く。 学問からしたら、自然は、勝手なのでしょうね。 (笑い) この受け取り方こそ、西洋二元論、自然に対決しようとする観点です。 どう勝手に動くのか? それを知らない今の科学は、 自然に対して、無知なのです。 自分の意識で分かった範囲を、”解った”とする。 それが、まだまだ ”分かっていないと言う事”すら、解ってはいない。 あぁ、この乖離を、どうしたら埋められるのでしょうか? ★★★★ 昨日の夕方、何気なく付けたNHKのテレビ、 避難所の方達が、今、思っている事をスケッチブック風に紙に書いて、 思っている事を話すと言う番組でした。 その中で、唖然! としたのが、60代のお二人のご婦人の話した内容です。 『 海が憎い! あんなにやさしい海なのに、大きらいです。』 『 今は夢。今、起こっている事は、夢だと思ってます。涙も出ません。』 お気の毒に! 地震、津波によって起こった急激な自分の境遇の変化に、 感情や気持ちが、付いていっていない、受け止める事もできずに、 非常に深刻な心の問題を感じました。 未だに、学問は、自然を分かっていない。 学問を標榜する我々は、未だに、自然を分かっていない。 未だにと云うのは、 このように科学が進歩していると思われている時代に、と云う意味です。 方丈記の時代から、なんら人間は、進歩していない。 意識の想定と、計画と、立派な目的と、利益拡大の為に、 世界競争に勝つ為には、 コンピューターのシミュレーションを信じて なんでもできると、慢心を起こし、自然をみくびり、侮って来た。 その結果が、 政治が道徳を失くし、学問が人格のない単なる専門家集団に、 なってしまったのではないのですか? それは、誰に都合がよかったのか? あはは。 それは経済のご都合、個々の人間の欲望です。 経済を頂点とする似非ユートピアは、一番『陰』を嫌います。 『陽』に文句を付けて来るのは、『陰』だけですから。 『陰』から見たら、『陽』の欠点は、よーく見えます。 あはは。 『陰』の力を弱める為に、 女を働き手に狩り出そうとしています。 女を全部『陽』にしてしまえば、文句を言われないからです。 あはは。 しかし、『自然の摂理』は それを断固認めないでしょう。 なぜなら自然の調和が崩れ、命の創造性が枯渇するからです。 自然には見えない法があり、それによってあらゆるバランスを取ります。 故に、自然は、勝手ではありません。 自然は、自然の法に従って動く。 自然には、自然の法が存在する。 これが、東洋式です。 この存在を感じていく、これが、東洋の叡智と云うものです。 今回の3.11の災害の後、 我々は、失った物と引き換えに、 失ったもの以上の価値観を、新たに獲得しなければいけません。 『天』が与えた絶好のチャンスなのよ! 以前と同じ状態へ戻る事が、決して正しいとは思えない。 それだけなら、大勢の失った命に対して、申し訳ないでしょう? 欲望を叶えて、運が強く生き残った人だけが、そのままのやり方で、 やりすごす事ができるなんて、おかしいでしょう? 生き残った我々が、『孝』を捨ててまで手にした近代化の価値観、 命を犠牲にしてまで築き上げた欲望を守る論理。 その命より大事だと錯覚したまま抱き続ける価値観を捨ててこそ、 命を落とした人と同じ目に遭った事になるのではないのか? 財貨を失った嘆きより、 過去を失った悲しみを追いかけるよりも、 目ざめること、反省して、後悔の涙を流すこと。 新たなる価値観の中へ歩みだす事が、正しいのではないのか? これは、日本中に我々に、当てはまる事なのですよ。 運命を、変えるとは、そう言う事なのです。 自分の中の悪習を断たずして、未来に、よい運には乗れません。 史上最大の地震と津波、 この破壊は、自然の摂理が、バランスを取った結果です。 人間と自然が相克しているように見える時には、 人間が、後ずさりをする番なのです。 謙虚に、何が正しいのか、 わが身を飾る虚飾を全部捨てて反省するべきです 『陰徳』の存在が実感できる所まで、身をかがめる姿勢が必要でしょう。 そして、まだ、それらの価値観をつづけようとするのか? 続けるのか?どうするのだ? と、 原発事故の脅威が、ひしひしと攻めて来ているようです。 歴史的な価値観の転換が、起こらなければいけないのではないか? 起こるべきです。 今のこの地球の現場を救うには、強力な『陰』のパワーが要ります。 どうか、子供をお育てになっているお母様に申し上げます。 次の2点を、わが子に教えてくださるように。 まず、1点目は、 最高学府で学び、海外留学して、将来有名な学者になるのもいいが、 人間の意識と言うものは、限度のあるもの、時を経て『偽』になるもの。と そして、その愚かしい人間の意識の外に、 実は、膨大な無意識の世界が広がり、 そこには、自然の摂理が存在する。 人類の意識の造作物は、その摂理に調和するものでなければ、 人類に、刃を向けるものになる。と言う事を。 子供が幼い頃から、教え伝えていただきたいとお願い致します。 さて、さて、2200年、中庸を守って来たM町の事ですが、 他の地域との一番の違いは、 自然を利用して快適に生きる知恵があちこちで見うけられました。 人が生きる事に配慮をして来た、 生活と調和させる為の自然の取り入れ方は、 知れば知るほど、今でも、ため息と驚きと羨望的な気持ちになります。 一番大事な生活用水、 当然、今は、公営の水道が各家に行き渡っていますが、 井戸が、各家々に、あるだけではなく、 飲み水としたら、人家の庭先を掘って汲む水よりも、 汚れていない水を求めて水源地として、 遠くの山の中腹に共同の大井戸を掘り、 そこからパイプで各戸へ引き込むようにしてあったようです。 広い屋敷の塀と、道との間は、1~2mの幅の堀がめぐらされ、 その疎水には、遠い山にある滝から引いた水が流れています。 そこまで流れ来る間には、どうどうと音を立てて流れる大きな川が、 細い小川になって、その疎水に注ぎ込むように作られた昔の水道です。 疎水が、家々の周りを巡り行く時、角になる辺りは、その角を切り取って、 道から水際まで降りて行けるようになった石の階段があります。 昔は、ここで、女たちが洗濯をしたのだろうか、 大根や芋を、洗ったのだろうか、と思わせる作りになっています。 事実、今は、 子供たちが裸足で水遊びの場として使い、 同時に、疎水を泳ぐ川魚を食べに来る白鷺が、 エサを求めて舞い降りる場になっているらしく、 集落の中を、歩いて近づくと、バタバタッと、飛び立つ白鷺を、 たびたび見る事がありました。 入り母屋造りの大屋根が、いくつも並ぶ集落は、 花崗岩で敷かれた細道が、迷路のように張り巡らされていて、 集落に、盗賊が入っても、 盗賊が、道に迷って逃げられないように作られている。 と聞きました。 それは、本当で、辻道の角に立って、 さぁ、どっちに行こうかと思って、こっちかなと思うと必ず行き止まり。 人の心の常識を逆手に取って、 違うと思う方が、先へ続く道だったりして。 車が通ったら、人が立ち止まらなくてはいけない、その位の狭い道です。 その道の両側は、蔵の白壁、黒の板塀、瓦を乗せた白壁や、 焼いた黒板塀の壁が相当長く続いています。 さりとて江戸時代の武家屋敷のようないかめしい感じではなくて、 さりとて農家の集落? それにしたら裕福すぎる家構えだと感じていました。 かんぬき門が閉められて、横の屈んで入る戸口をくぐって、 あるいは、開け放たれたかんぬき門の奥のお庭を拝見しながら、 時々、散歩のつもりでよく歩き回ったものです。 (笑い) たしかに現代ではない時の空間が、存在する町です。 これから、M町の事を進める前に、このブログの読者の方たちに、 質問をさせていただいてよろしいでしょうか? (笑い) と、言うのは、神武天皇のお気持ちになって、考えてくださいね。 倭国騒乱からこの国の統一を目指して、 九州朝廷のあった日向から、大和へ出発した時、 何のために、神武天皇は、朝鮮半島からの渡来人たちを連れて来て、 ここに住まわせたのか? 何の為に? 目的を、考えてみてください! そこに気づかれたら、この町の秘密がすべてが分かります。 コメント欄に、ちょこっと記入をおねがい致します。 答えは、次の記事で、、、、、あはは。 今日の記事では、意識の特徴を書きました! 気がついていましたか? 次回、それを脳の働きから、(意識の学問をお借りして)分解します。 最後に! 『陽』の極限においてすら、 自らの命を顧みる事もなく 内なる『陰徳』のパワーを持って作業を継続されている原発の方々の ご健闘とその成果が必ず現れる事を信じて、祈りましょうね。 どうぞ、つつがなく、ほんとうに何事もなく、どうぞご無事で、 よい一週間をお過ごしくださいませ。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/23 17:08 |
(継承の天徳地祥) 学問で人生を考えてはいけない 8Category : 運命学と科学
![]() M町の近くの江戸時代の代官屋敷跡の長屋門・ながやもん(かんぬき門) 門だけで長さが55mもあるので、全体を写す事ができません! 門屋の出窓の所は、居住空間で、昔は、馬番、見張り番がいた所か。 橋が架かっている部分のかんぬきのある正門を入っていくと1000坪?いやそれ以上の前庭があって、 川が流れ、菖蒲園などがある。その奥に母屋や離れの屋敷がある。 狭い道と屋敷の間に疎水が流れている。M町の疎水の方が幅が広く水面が近い。 左端の瓦屋根群も敷地内の建物です。 今も、ここには、御子孫が住んでいらっしゃいます。 今日は、学問で人生を考えてはいけない 8 (継承の天徳地祥)です。 今日は、おそらく、コメントとM町に関するお答えの記事だけで、 いっぱいになる気がしています。 (意識の正体)は、次回へ廻しますので、ご了承ください。 《天徳地祥》とは、 《天徳》は、天の徳。万物をはぐくむ自然のはたらき。 《地祥》は、天徳が地上に現れる吉兆。おめでたい兆し。 天の摂理に合わせた生き方をすれば、 その徳が、子孫繁栄、家運長久と言う姿に現れてくる。と言う意。 では、前の記事にいただいたコメント3つ、からです。 ”★1.石原都知事が、「天罰」という言葉をつかって、 マスコミに叩かれましたが、 あの真意は、被災者の方々に言ったわけではないのですね。= 親の死後も、年金を取り続けていた人に対して言ったものだとか。= 「我欲」という言葉も、そうですが、= 石原都知事が言われた内容と今日の記事から受けた内容は、 同じではないかと取りました。= 石原氏は、 「日本人のアイデンティティーは 「我欲」 になった。 政治もポピュリズムでやっている。 津波をうまく利用してだね、 我欲を1回洗い落とす必要があるね。 積年たまった日本人の心のアカをね。 これはやっぱり天罰だと思う」 と語り、= その後、「被災者の方々はかわいそうですよ」 と続けています。= 「天罰」という言葉が、今回の地震、津波、原発事故には 当てはまる気がします。= ” そう、その通りですよ。 天罰は、我々日本国民全体に当たったのですが、、、 石原慎太郎都知事のこの言葉には、合理性のある論理ではなくて、 直感からくるご自分の思いを、誰はばかることなく、 年齢からくる智恵と警告、それを言わなければならない覚悟が、 あってのものだと言う響きがあります。 こちらも、そうなんだ。と自分の正面に腹を構えて、肝を据えて聞く。 あたかも、天の声のように、、、ね! ほほほ。 ちょっと横道にそれますが、 石原慎太郎氏の著作を読んだ記憶の中に、 弟の石原裕次郎氏が早世されてしまい、それをご自身と比べてどうか? と言う質問に、次のように書かれていました。 「弟は、新しがりの格好よさに惹かれてか、 合理的な西洋医学の治療しか、信じない性格だった。 僕は、そればかりではなく、東洋的な治療もやってはどうかと進めたが、 弟は受け付けなかった。 そこの性格のちょっとした違いが、こう命や人生と言うものになると、 生と死、大きな違いになって分けてしまうものかも知れない。 超合理と言うか、自然や命には、そう言うものもあるのではないか。」と。 うーん、ずいぶんと世間から言うと胡散臭い内容なのね! あはは。 私は、非常に論理的で、いつも時代の前の方にいる石原氏が、 そう考えるようになった経緯に興味がありました。 じつは、その本の前半に、ご兄弟の子供の頃の思い出のなかで、 お二人の父上が、仕事の上で会社の役員に出世をした時から、 毎朝、仏壇に向かって法華経を読経している姿を見ていた。と 書かれていましたので、 多少は、その父上の姿の影響かも知れないと受け取っています。 原発事故の脅威に対しては、 原因を追求し、謝罪や誠実さの要求の対象は、はっきりしています。 しかし、自然が起こした地震、津波に対しては、 我々、人間は、ただ、従容と受け止めるしかないのです。 よく考えてみてください。 自然は、何もかも奪った。と言うけれど、 『天』にとったら、何も失ってはいないのです。 天の下に地があり、天には太陽、青空、雲、雨も元のままです。 天と地が、逆さまになったら大変ですけれど... ほほほ。 春は巡り、桜も花は咲き、緑が出揃っています。 地を侵略し暴れた海は静かに、 今、地と水はそれぞれの領分を守っています。 木々や植物を根こそぎ、海が、倒したとしても、 不思議な事に、海は、大地に押されて、飛び跳ねたのです。 そもそも、大地が、海を、動かしたのです。 木々と言っても、もともとは、大地の力・自然が、生んだもの、 生まれる前は元々一体であった木々と大地。 木々をなぎ倒すとは、木が大地との一体に戻ったのです。 もちろん人が、手をかければ、愛着もできます。 自分の物だという気持ちも出て来る。 惜しむのは、当たり前です。 それは、もうすでに3000年前に、愛別離苦、と、 愛着は必ず離れる苦しみを生む。 仏教の中で四苦八苦の中に、見据えられている。 惜しむ自分の心を見据える所から、真の人間の自立があるのです。 東洋的哲学の鋭さは、 表層的な現象だけに囚われることなく、 その奥にある、不変のもの、その存在を掴んでいるのです。 『天』に元々在ったものは、そのままあります。 それが、創造性の本体・『陰』の本質です。 これが、『易』の第一の意義、 不変である。普遍なるものです。 それに引き換え、何かを失って行くのは、私たちです。 私たちが、残骸と呼ぶものは、人間がつくったものの”あわれな姿”です。 『陽』は、人工のもの。人の意識が、作ったものです。 それは、『時』によって必ず『偽』になります。 『陽』の本質は、必ずその価値が変化をしてなくなると言う事です。 いずれ滅びるのが、当たり前。 永遠ではありません。 『陽』に永遠を求めても仕方のない事です。 最後の姿は、水火既済、火と水の力で、すべて土へと還ります。 必ず変わる。 それは、本体『陰』の創造性の現象、作用として変わるわけです。 これが、『易』の第二の意義、 変わる。と言う事です。 築いた財である我が家、工場、船、車、学校、大切な家具、 気に入った洋服やバッグ、持ち物へのこだわり、ふるさとの景色、 こだわりの本、雑誌、思い出の写真、可愛がっていた動物、庭、、、 それらは、すべて『陽』です。 【自分の意識と欲が集めたもの】です。 人が、【自分の意識と欲が集めたもの】を、全て失うと言う事は、 それは、それは、大変につらい事に違いありません。 自分は、何も悪い事をしていないのに、どうして、 こんな目に遭うのだろう? と言う理不尽な思いを押し込めた無力感。 その悲惨さと、無力感は、被災者だけにとどまらず、 日本中に、日本全体に、それこそ放射性物質のように飛散しています。 原発は、人間の作り物です。 『天』は、原発もすべて流してしまいたかったのでしょうが、 しかし、残しました。。 。 厄介なかたちで、、、 厄介なものを『天』が片付けたのでは、 それでは、人間が悩まなくて済みますから... 二度と復旧できないレベルまで打ち砕いて、 さぁ、それからどうするんだ? 便利と効率を追求し続けて、この地上は良くなったのか? 人間の意識が作り上げた学問を手下に、欲望のエネルギーで 自然を支配しようと歯向かって来て、思うようになったのか? さぁ、どうするんだ? 人の命を犠牲にする事なしに、もう、原発をおとなしくする事は無理です。 要は、学問、欲望、そのどれにだって、 人間の幸せを託す事は、できない。 しかし、 我々は、人間の意識を、この上なく信用して来ました。 今、まだ、この上なく、信用をしています。 これで、いいのですか? この世の、自然があるがままにある状態の他は、 すべて、人間の意識が作り上げたものです。 津波に流されたすべては、人間が作ったものばかりです。 そこには、命より大事だと思い込んだものもあったでしょう。 本質的は、命より大事なものはないのですが! 歴史順に書けば、約360年前、 デカルトの「我思う故に、我あり」から ヘーゲルの「弁証法」への西洋哲学の思潮の流れ、 今の近代合理主義(=モダン)が始まったのです。 簡単に言いますと、我が意識する論理性で世界を理解できる。 もっと砕くと、理屈ですべてが解かると言う事です。 冷静に考えると、そんな馬鹿な! と思うはずが、 人、特に男たちにとっては都合が良かったのです。 男は、『陽』です。論理的、理性的、意識なのです。 今の世界は、国家、政治、法律、経済、制度、仕組み、学問、etc. はっきり言いますと、男たちが作り上げたものばかりです。 そして、営々と、人類がいままで続けて来た事です。 大昔から、荒野を畑にし、都市を築いた力は、そのお陰です。 しかし、あまりにも『陽』の価値観優先の社会において、 『陰』の価値が、打ち捨てられています。 バランスが! 調和が! 崩れています。。 。 そのモダンを反省して突き崩す流れも西欧では、出てきましたが、 それが、前々回取り上げたP・F・ドラッカーです。 それがポストモダン、、、過去モダン、、、古モダン、、、あはは。 ドラッカーは、近代合理主義は、もう、古いと言った訳です。 しかし、古いままの「学問」、政治や経済、あらゆる法律、制度は、 そのまま、我々の前にあります。 いわゆる『時』によって価値のなくなった『陽』の残骸です。 実は、内実において、もうすでに価値がなくなっている物を、 後生大事に胸に抱きかかえているのに、気がつかなければ行けません! エネルギー政策においても、もう、今までのままで良いとは、思えません。 私は、テレビで映し出される津波の後の残骸を見て、 『天』は、もういい加減に【近代化】を超えろ! と、 意識偏重の合理主義を卒業しろ! と言っていると感じました。 津波の大量の水、 運命学では多過ぎる水は? 水の大過は何を意味するのか? 知恵が無い欲情のはびこり。雑草のごとく生えたしぶとい貪欲。 それらを石原都知事は、「我欲」と言い、 政治のポピュリズムと。 それを、津波をうまく利用してだね、 我欲を1回洗い落とす必要があるね。 積年たまった日本人の心のアカをね。 これはやっぱり「天罰」。 と言った。 次のコメントです。 ”★2.記事の中でお書きになっておられるように、 M町のような仕組みの町がまだまだ残っておりまして、 もともと町のつくりが災害に備えてなっておりますの。 M町の疎水も、火事で隣家に燃え移るのを止めるものなのでしょう。 >そして、その愚かしい人間の意識の外に、 >実は、膨大な無意識の世界が広がり、そこには、自然の摂理が存在する。 >人類の意識の造作物は、その摂理に調和するものでなければ、 >人類に、刃を向けるものになる。と言う事を。 あたりまえのことを今の時代は、こう言ってくれる人が身近にいないのでしょうね。 天罰、天は見ている、よくかんがえなさい。 そう言う言葉のなかに込めて子供には言っていたのです。 今のおかあさんは、お勉強だけだったら子供を哀れな大人にしてしまうでしょう。 学者やえらい人になろうと、人間としたら哀れです。” やっぱり、時代の貧弱性でしょうか。 意識が発達して高学歴と言うよりも、エリート的な能力に恵まれた女は、 母親にはなりにくいのです。 肉体的に子供を産めない体か、産んだとしても母性的ではないので、 子育てがへたです。 子育ての結果がよくないのです。 女が、女らしくなくなる(意識化、男性化)と、そうなります。 だから、女は一般的な高学歴でない方が、いいのです。 そうじゃない女性の方が、いい妻、母、になっています。 最後のコメントです。 ”★3>そして、その愚かしい人間の意識の外に、 >実は、膨大な無意識の世界が広がり、 そこには自然の摂理が存在する。 自分も親から伝わってきた自覚があります。 我が子にも伝えていきたいと思います。” そう、 これこそが、未来遠くまで命の継承をする知恵なのです。 芯の強い女性になって行ってくださいね! その知恵から連想するのが、M町です。 さぁ、M町のこと。 近代化とは、まったく無縁な雰囲気を持つM町。 近代化に取り残された? いいえ! とんでもない! 近代化なんかに振り回されていない変わらない芯を持つ町でした。 前回、なぜ神武天皇が、渡来人をこの地へ連れて来たのか? いろいろお答えいただいてありがとうございます。 国のために役立てようと優れた技術者を集めた。 日本人にはいなかったから。 神武天皇ですが、南に海、北に山と、故郷に似ているからでしょうか・・・。 戦乱にも巻き込まれず、2200年も途絶えずにつづいた家は、 武士階級ではない気がします。何かの技術を持つ集団ですか。 土器を焼く、天皇の宮殿を建てる大工たち、織物を作る集団、 医術でしょうか。 お酒や、なにか醸造の技術を伝える人。 農業や機織り、漢字、仏教など、 新しい文化や技術を持ってきたんですよね。 文化を根付かせようとした...? 朝鮮人が【稲作】の技術を持ってやって来てくれたのかな 色んな技術を学ぶため? 料理を作る、料理人か。 ほほほ。 みなさん、すごいですね! 共通するのは、技術。 さぁ、何の技術? 答えは、養蚕技術。絹織物。 機織りの技術を持った漢人の渡来人を連れて来たのです。 そう、蚕に桑の葉を食べさせて絹を取り、 絹織物の技術を持った人々でした。 誰の着る衣装になったのでしょうか? 神武天皇、その血縁者、代々の天皇家の為だったのでしょうね。 神武天皇と言う方は、粋な方ですね! (笑い) 衣装というか、まず絹織物職人をそばに置くなんて、 おしゃれだったのかしら? と言うのが、 弥生時代から物部氏領だったこのあたり一帯は、 第30代(在位572~585)敏達天皇(欽明天皇の第2皇子)の皇后と なられた、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)の所領となりました。 それで、この一帯の総称を后部(きさきべ)と呼ぶようになりました。 この皇后の和風諡号は、 豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)と言います。 敏達天皇と、額田部皇女の間には、2人の皇子と5人の皇女がいます。 后部とは、 天皇の皇后になった方に必要なものを調達するのを役割として、 皇后のお召しになる絹織物、装束、などを調える領地だったのです。 田畑から取れる作物も、皇后へ差し出すものでした。 藤原の不比等と結婚をした橘美千代が、最初に結婚をした相手、 覚えていますか? そう美奴王(みぬおう)です。 その美奴王の曾祖父に当たる方が敏達天皇です。 豊御食炊屋姫尊の同母兄が用明天皇であり、その子供が、聖徳太子で、 甥になります。 敏達天皇の皇后、豊御食炊屋姫尊は、後の 第33代(在位593~628)推古天皇です。 女帝になられます。 甥の聖徳太子に、摂政をさせた方です。 皇后、豊御食炊屋姫尊の領地だった后部は、推古天皇に即位と共に、 呼び名が、三宅(みやけ・天皇領)へと改まります。 歴史的に珍しいのは、 万葉の頃、 平安時代には天皇や皇族、宮廷の人たちが、 このあたりを訪れて遊猟を楽しんだ場所などの 由来の名を持つ地名があったり、 都が奈良から京都へ、平安京へと移ってからも、 その時代の天皇の胤(たね)を身ごもった女性が、 お産をしに御所から下がってくるお寺などが残っている所です。 このM町は、672年、壬申の乱が起こった時、 この地の漢人の渡来人は大海人皇子側に味方しました。 と言う事は、唐・新羅側だったのでしょう。 大海人皇子が勝利して、やがて天武天皇として即位した時に、 戦争の功労として天武天皇から、この地の織物を織る人々の首長は、 忌寸(いみき)と言う姓を与えられました。 天武天皇13年に、壬申の戦に表した功によって8等級の姓を定めた その第4等で、おもに中国や朝鮮の渡来人に与えられた姓です。 M町は渡来人によって栄え、その子孫たちは、聖武天皇の 天平年間(729~748)に、仏教の寺院を建立したり、 ちょうどその頃には、 M町の人達はそろって日本に帰化をしています。 奈良時代の平城京の条里制を真似て、昔、村を作ったものが、 今もその面影が、残っています。 上の写真は、江戸時代の面影を強く残していますが、 M町全体は、江戸なのか、奈良時代なのか、さりとて室町なのか、 分からない雰囲気です。 強いて言えば、コセコセしていないおおらかさ、万葉的です。 これで、M町の概観、歴史は、お分かりになられましたね。 M町の事は、また、つづきます。 次回は、意識の正体も。暴いてみましょう! ほほ。 意識は、人間の脳が作り上げたものなのですね! そう言えば、程度が分かると言うものです。(笑い) 意識の生まれる脳の中のからくりを、 乞う、ご期待! あはは。 よき一週間を、おすごしください。 なにごとも無く、つつがなく、、、、、、 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/30 09:26 |
( 意識の正体 1.エゴイスティックな意識 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 9Category : 運命学と科学
![]() オキザリス・セルヌア (葉に黒い斑点) さぁ、今日は、(意識の正体)を暴きましょう! 学問で人生を考えてはいけない 9 ( 意識の正体 1.エゴイスティックな意識 )です。 ( 意識の正体 1.)? そう、おそらく、長くなると思いますので、2回に分けました。 M町の記事は、(意識の正体)の間は、中止致します。 ご了承くださいね。 1.は、意識の歴史と現状。 ? あ、歴史があるのです。 ほほほ。 次回 2.は、意識と無意識の関係。 ここまで、意識を知ると、ひょっとしたらあなたの意識が、変身! するかもしれませんヨ~ あはは。 脳って、 すぐに外界の状況に合わせて脳内にレセプターを作りますからね。 要領が、いいんだ! 意識って。右顧左眄(うこさべん)が得意だから~ あはは。生きる事が精一杯、 それが、意識なのです。(笑い) 意識の正体と言うのは、実は、『陽』の正体なのです。 知れば、なぁんだ~、こんなもの? と思われるかも知れませんね。 以前の記事で、意識の”癖”を次のように、記事の中で書きました。 ★ 意識は、時と共に、都合のいいように忘れるのです。 ★ 意識の主張する所の真実は、くるくる変わります。都合次第なのです。 ★ 意識は、都合がいい方向へ、楽な方へと変わって行きます。 ★ 意識は、めんどうな事は、避ける。意識とは、そう言うものです。 ★ 意識は、後ろを見ています。 ★ 意識で行う研究は過去の”まとめ”です。 ★ 意識は、「自然」と「未来」をわかっていないのです。 あはは。 ありのまま、自然に、が不得意なのですね! これは、どこから来るのか? 意識の”癖”は、どうしてこうなのか? うそつきなのか? と言うのが、今日のテーマです。 (笑い) 意識の実態を知らないで、意識の正体を知らないまま、 意識って大したものなんだ! 間違いないんだ~? と、 思い込まないで欲しいのです。 意識は、なるほど、当てにならないものなんだ! 同時に、無意識の不思議さと、重要性が理解され、 その重大な意味に納得されますように! それは、すなわち、『陰』の存在が光り輝く事でもあります。 それは、 現代を取り仕切っている『陽』とのバランスを取る為でもあります。 それが、今回の記事の目的です。 まず、意識と無意識について、 定義をしておきましょう。 意識すると言う事は、生命(肉体、心)的に自分の存在がどうなっているのか、 どう言う状態であるのかを、自分で理解していることです。 無意識は意識が無いと言うよりも、 ★「気づいていない」★ 状態です。その方が分かりやすいでしょう。 次のことが大事なのです。 ★ 心で感じる意識(=脳の前頭葉に上ってくる認識)よりも、 もっと膨大な量の認識が、無意識には存在します。★ まず、 心=精神=意識と理解をしていいと思います。 これは、西洋式二元論の〈精神〉の方です。 西洋は、生命を一つと捉えないで肉体と精神に分けますから、 意識と体の関係についての説明は、いろいろあって大変なのです~! ○○説、●●説、といろいろ妄想?して、パズルのようです。 (笑い) その点、東洋は肉体と精神は一つと見ますので、この間の説明が要りません。 そもそもですが、 意識は、人間の脳が作り上げたものなのですね! 意識の生まれる脳の中のからくりを、 味覚 ができ上がった仕組みを通して、 今の学問的知識で辿って行きましょう。 なんだかんだと言っても、 意識的な学問的言葉の方が、 今の時点では、皆さんの中へ入りやすいでしょう? いきなり東洋の叡智では断定ばかりで難し過ぎますね? (笑い) できれば、そこから、運命の出来上がり、その関係まで行けるなら、 いいのですが..... ま、それは、運次第と、 (笑い) では、(味覚)へ進みましょう! 味覚は、触覚・嗅覚・視覚・聴覚・味覚の五感の中の1つの感覚です。 感覚器官は、 タンパク質で出来たレセプター(受容体)で情報を受けて、 電気信号で脳に伝達しています。 嗅覚には、レセプターが800種類あり、多様な匂いをかぎ分けます。 ネズミなどは嗅覚で1000種のレセプターがあるそうです。 人間が生きる上で必要なレセプターが、発達して来た。 と考えると、 鼻で臭いを嗅ぎ分ける能力は、 生命を守る為に、食物が安全かどうかを、かぎ分ける器官として 最重要だったのでしょうね。 ところが、他の感覚器官に比べて、味覚はレセプターが非常に少ないのです。 味覚は、この五感の中で、もっとも貧弱です。 その貧弱さと、発達途中である事から、観察するには適しています。 さまざまな情報を複合して、その感覚を形成するといいます。 どういうことなの?・・・ 味覚のレセプターは口の中の舌にあります。 苦味、うま味、甘味、塩味、辛味の5つの基本味の中で、 苦味は、60種のレセプターがありますが、 塩味は、わずかのレセプターだけ、 甘味とうま味は、わずか1つのレセプターしかありません。 辛味は、痛覚が関わっており、 味覚と言うのは、あまり、いろんな情報を分類できないのです。 嗅覚とは、レセプターの数が、比べ物になりません! 単純な味覚。 (笑い) しかも、味覚は、レセプターから脳に伝達される経路が大変複雑です。 嗅覚や触覚が、単純な経路で脳の眼下前頭皮質という場所で 知覚されているのに対して、 味覚は、最初、視床下部に伝達され、 次に脳のさまざまな場所を通って嗅覚などと合わさって、 眼下前頭皮質で味として知覚されます。 これだけ見ても、味覚と言うのは、 視覚、嗅覚、触覚の感覚器官と合わさって「味」になる、、、。 それが、「おいしさ」の正体です。 ふしぎですが、記憶に残っている味は、ほとんどが「風味」です。 風味というのは、 口から鼻に抜ける「におい」が鼻で嗅覚にキャッチされて知覚されるもの。 だから、まさに風味を食べると言う京料理、 御だしで食べる関西風の薄味の料理などは、いつまでも 美味しかったと忘れられないのかもしれません? あはは。 味覚のレセプターの数の差について見れば、 これが、そのまま 意識が無意識から生まれた不思議が分かって来ませんか? どんな時に、無意識のゾーンから、意識へと上がって、 それが、レセプターになるのでしょうか? 答は、無防備な生命を、危険な外界から守る為に、 何を意識が感覚器官として発達させて来たか? です。 まず、命を保つ為の食料を口の中に入れる前に、 味わうよりも、毒を見分ける方が優先だった。 味など、味わう余裕はなかったのです。 それには、 まず視覚、目です。 そして、次が、近づいて臭いです。鼻です。 よい臭いなら、ほぼ大丈夫! だから、嗅覚を発達させる必要があったのです。 次が、手触りで、そこで大丈夫なら、口に入れてよし! 口に入れてからは苦味をよくチェックすればよかった。 毒性のあるものは苦いものが多いのです! 甘みやうま味は、ほぼ毒性がないものばかりです。 だから、レセプターが発達しなかった。 苦味以外は、どうでもよかったのです。 現在のように、味覚を重んじた食生活、 賞味期限も印刷された日付を頼りで見分ける事が、習慣化すれば、 どれだけ味覚の感覚器官のレセプターが、退化するでしょうか? それは、人間の能力が衰えると言う事です。 命にとって、重要な事柄を優先順位を付けて発達させる。 意識は、こう言う仕事をして来た訳です。 そう言う意味では、現場監督として、おりこうです! あはは。 何を一番、警戒したのか? 自己の命の”死”そのものです! その為には、あらゆる過去の経験を生かそうと、 遺伝子の情報として全人類へ伝えて来た。 自己のみを守ろうとする欲望です。 しかし、未来は分からないのです! 未来が分からないから、 意識が探れる範囲の科学を作ったとも言えますね! (笑い) 意識の欠陥は、未来と全体感が欠如している。 だから、意識で先の事を決めたりすると、 意識の暴走で、命の安全を踏み外したり、 予期できない事態を招くのです。 ゆえに、科学が安全だと言う事は、信じられません。 ゆえに、政治が、年金制度や福祉制度の計画を立てても実行できないのは、 意識の常、自己の立場が危うくなると、逃げる、中止する。 あれこれ条件に負けて、うそを付くのです。 それが、意識のする事です。限界なのです。 不甲斐ない、誠意のない、卑怯な意識。 自己の死や、未来に起こる恐怖を避けたくて嘘をつく臆病者。 それが、意識の正体です。 こんなもので、人生を考えたら失敗をしてしまう? 意識の歴史と言いますと、 現代の、この要領のいい、屁理屈ばかりをコネルのが得意な子供から大人、 と言う人間を作り出した大本、意識中心の近代合理主義を言い始めた デカルトは、意識の中心を脳の中の松果体にある。と思っていたようです。 (ホラ! そこから間違っていたわけじゃない~!) ジェームズ・ランゲ説では、 脳が刺激を受けて、涙が出るから悲しいと言う喜怒哀楽が起こると言います。 ( ちょっと違う気がしない?) 反対に、キャノン・バード説では、 悲しい~!と喜怒哀楽を表すから、涙が出て来るのだそうです。 脳の視床下部に情動の中心があるという説です。 (これも、違う気がするわ!) パペッツの回路説では、 喜怒哀楽の中心が、脳の視床や視床下部だけではなく、 1つの脳の回路(海馬→脳弓→乳頭体→視床前核→帯状回→海馬) の中にある。悲しい感情は、そこで作られるというのです。 この回路は意識ではなく、記憶に密接に関係していると言う説です。 (あぁー、これも違うような気がする~ ) あー! 科学者でもない私の説は、 (笑い) 視覚が捉えた目の前の光景を、脳の視床下部(情動の中心)に送り、 その視床下部から、 ① 喜怒哀楽の情動へと(悲しい心)を刺激し、 ② 身体的機能へと(涙が出る)を刺激する。。 それで、悲しい気持ちが意識されて、涙が目から出る。 ① と ② が、同時に意識に上って来る=悲しさが込み上げて涙を出す。 と、思うのですが? どうでしょうか? 東洋式に肉体と精神を分けなければ説明は簡単なのです。 勝手な新説を作っていますが、、、 あはは、 みなさまは、どう思われますか? 意識は、 ある意味、死の危険から身を守るセイフティネットなのです。 わが身を守る為のマネージメントをしているのです。 意識の劣っている点は、 意識が、生の危険から身を守ろうとする条件は、過去の経験からなのです。 大げさじゃなく、過去何千年、イヤ!何十億年前からの人類の体験。 イヤ!! 違うわ~もっと過去へ。 人へ進化する以前の単細胞の頃からの生命の経験から決めるのですね! それが、遺伝子のなかへ全部蓄積されている。 全人類の体験した経験が、遺伝子で受け継がれているのです。 臆病者の意識! 怖がりの意識! 単純な意識~! あはは。 姑息にもなる! 自己の生命を守る為には。 それが、意識です。 なぜ、姑息になるのでしょうか? それは、過去からの体験で現在の状況確認をする役割だから、 未来が、見えない。 将来に対する確信がないのですね! 現時点より先を見れば、未知の暗黒!! だから、意識は、死と言うものについて、 さまざまな憶測を作り上げています。 自分が苦しくないように、 生きていくのが辛くない様に、、、 天国 これは、意識の作為の最たるものでしょう。 なぜなら、これで双六のアガリなのですよ。信じられない! 極楽 この段階の仏教で救われるのは男性だけです。 女性は、まだ地獄へ行くしかない時に、男の人たちは、 まるで、男湯状態の所へ、本当に行きたいのでしょうか? あは! 信じるも、信じないのも、自由ですが、 意識は、 不安なのです。 恐怖なのです。 死はコワイのです~! 意識が集積した学問は、”死”を乗り越えられませんから... だから、切ったり貼ったりくっ付けたりする技術を追求するわけです。 まるで部品工場のような医学、、、ある意味、生への執着を叶えようと、 人間の貪欲の奴隷になっています。 それを、国家が管理をするという生政治へ移行しつつあります。 国民の命を、国家が管理をする。 国民の飼育です。 現在の放射能に関する情報を統制している日本は、 もう、そうなっているのでしょうね。 これから、ますます、国民は無能なんだからって、 官僚が力を盛り返していくでしょう。 官僚組織こそが、意識の権化なのです。 意識をメーンキャストとする現代文明=西洋思想はここに立脚しています。 不安や恐怖や迷いを、エネルギーの根源にしているのです。 だから、意識の目指す事を突き詰めれば、 死への恐怖を避けるには、究極は戦争になります。 おかしいでしょう? 死を避けるつもりが死地へ行くのです。 根底には、他者に対する疑いがあります。 自分が生きる為に、他者の生命を殺戮する。 それが意識の作ったロジックでは、正義になる訳です。 現・西洋・キリスト教を根底にした思想は、みなそうです。 共産主義、資本主義、近代合理主義、そこから生まれた現科学 =学問もそうです。 意識すればするほど、過去に戻るのです。 生命を守る為に戦った経験へ。 そうして、意識は「我欲」に染められた本性を発揮します。 ブログの中で、よく意識が作ったロジック、と言う言い方もします。 これは、簡単に言うと、都合よく作った理屈、そう言う事になりますか。。 。 言論は、自由ですから、十人十色、誰が何を言おうが勝手です。 あはは。 しかし、誰が作った理屈かを、よく見極めないと、 それは自分にとって都合が悪い理屈かもしれません。 世の中は、それぞれのロジック(理屈)の言い合い、戦いです。 それが政治や、外交や、経済。この世界は、利害の対立ですから、 都合の良い自分が作ったロジック(理屈)を通した方が勝ちます。 ゆえに、この世は、意識全盛の世ですから、 それぞれの自分が構築したロジック(理屈)の競争になります。 つまり、「闘争の世界」が現出するわけです。 国際間のあらゆる競争、国家間の争い、 国内においても競争的原理を用いた経済政策、 格差ーこれこそが意識の産物です。 個人においても、あらゆるランク付け、 順位付け、格差付け、ブランド志向、イジメまで... 勝手にやってくれますよね。 あはは。 これらは、すべて、臆病な姑息な意識のやる事です。 これらに乗っかっている限り、心の安寧はないのに、、、、、 一番になったら安心するとでも思っているのでしょうね。 これに乗らずにおれない、愚かさも、意識が源流です。 弱きが強きに巻き込まれる、弱肉強食の原理です。 なんと、ドラマチック? な! あはは。 なんと、○鹿馬○しいですね!! ! 意識的な、男性的な、理性的な価値観が席巻する社会は、 かならず行き詰ります。 作為的な、創造性の枯れた、命を無視した嘘が制度化されます。 そして、人々は、苦しむようになります。 苦は、調和を失った時に、醜さとして感じるものです。 私達が、感じる事、思う事、意識の機能が主流を為す、 そう言う程度の処で表面の社会は活動し、政治や経済は成り立っています。 選挙のマニフェストだって、瞬く間に『偽』ですよ。(笑い) 頼れない、信じられない、任せられない意識の正体を知った上で、 『陽』の欠点、『陽』は嘘つきだと言う欠点を知った上で、 私たちは、うそつき『陽』が生んだ学問、官僚組織、政治などを、 うまく使っていかなければいけないのです。 大変に大きな課題です。 Can you do it ? ( できますか? ) あなたが、知恵を持たなければ、これはできないでしょう。 知恵とは、お分かりですね? 東洋の叡智です。 これが、『陰』の本体でもあります。 近代化で『孝』を捨てたわが国では、 この国中を『陽』が覆い、『陰』を忘れた私達は、 時が経てば『偽』になるロジックを、真実のように錯覚をしています。 しかし、それは、必ず私達を騙します。 巨大地震、津波に遭った後、なおさら、 この事を、身に染みて忘れないでほしい・・・・・ 時は、五月、 風薫る季節です。 なのに、放射能を気にしないといけないとは! あはは。 日本は、野暮な国になったものです。 どうぞ、一週間、何事もなく、つつがなく... お過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |