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    (継承のハンディ と運命 2 )  恋愛・結婚の因縁 / コメントへのお返事

    Category : 絶家の家族関係
    苺?

    い・ち・ご






    毎日、暑いお天気がつづいています。

    みなさま、ごきげんいかがでしょうか?





    今日は、(継承のハンディ と運命 ) ー 恋愛・結婚の因縁 ー です。 






    そして、前記事に引用したコメントの続きでしたね。



    記事に入る前に、確認をしておきましょう。  


    《 継承のハンディ と運命 》 の記事における、

    前回の ー長男の重要性ー と 今回の ー恋愛・結婚の因縁ー の

    記事をお読みいただければ、



    「結婚」と「出産」が、『陽』ではなく『陰』の範疇である事が、

    お分かりになりますね。


    「新たな命の誕生」の継続性は、人間の意識の範囲ではない。


    自然の創造性の発露としての永遠性の具現には、

    いくら医学が、取り繕おうとしても、それは嘘、『偽』である。



    と云う事が、お分かりになっていただいた、と思います。





    しかし、

    恋をする、愛に落ちる、恋愛、結婚においては、

    自分の意識、好みや感覚が選んだのよ? 

    自分の思い通りだわ?  あは!

    意識の範囲の行為=『陽』=人為的な人生の出来事、のように

    思っている?



    そうですね~  

    そう思っているのも、限られた『運』の内のこと?  

    喜んでいるあなたは、『運』が良かったのです。

    思い通りにならなくて後悔している人もたくさんいる中で、、、あはは。




    若い二人が出会い、愛情を確認して、結婚に至る過程が、

    ある定められた無意識の『運』の現象=『陽』として現われたもの。

    そう言ったら、どうでしょうか?  (笑い)







    え?






    では、先へ進みましょう。  (笑い)


     

    まず、コメントの続きから。


    ③ 私の方も、跡継ぎ問題をちゃんと考えなければいけません。 

    今の時代、死んだ後はどうなってもいいや~って

    思ってる人が多いのかもしれません。

    長男だからとか、そんな事に拘らない親も子も多いです。

     
    ④ 子供がたくさん居ても、親子でも性格の違いから、

    自分に都合のいい子供を跡継ぎにしたい・・・と

    思ってる親も多いと思います。
     
    世の中・・・天は・・・・そんなに甘くはないんですよね・・・。

    自己中心的な考えや利己ばかりを考えてると、良くないと言う事。


    それが、今の世の中蔓延してる様で怖いです。







    よく、考えていますね!

    特に③は、重要です。

    跡継ぎ問題をちゃんと考えようと思う事が、正しいのです。

    ここは、きちんと、意識で思ってね!   ほ!






    大過去(だいかこ)、大未来(だいみらい)と云う言葉を提示します。


    自分の過去だけでなく、

    大過去とは、(自分を生んでくれた親や祖父母、その先の先祖たち)と

    します。


    そして、未来も、自分の将来だけではなく、

    大未来とは、(自分の産んだ子供、その先の子孫たち)とします。





    大過去と大未来のつながりからこそ、「永遠」が見えて来ます。
     
    常に、大過去と大未来を結んだ一点が、

    「今」という瞬間・刹那(せつな)です。

    「現在」は、そこにしかないのですよ。



    関係ないからと大過去を捨て、 

    分からないからと大未来を捨てたら、

    あなたの「現在」と云う一点の存在は、

    宇宙に浮かぶ塵(ちり)にしか過ぎません。



    わが子だけをいくら愛情で大事にしたとしても、

    わが子は、あなたと云うチッポケな塵のまた塵にしか過ぎないのです。


    あぁ、なんて軽い存在感なの !   ははは。

    どこかに飛んでいくでしょう~  子孫? 見えなくなるかも? あは!

    そうならない為にも、

    真剣に大過去と大未来を結ぶバトンタッチを願ってくださいね。

    「現在」に生きるあなたの役割なのですよ!







    ④に対するお答えとしまして、今日は、ご相談者の例をご紹介します。



    36歳、同じ年夫婦、二人そろってのご相談でした。

    奥さんをSさん、ご主人をKくんとします。






    不妊症。


    そう、子供ができない。結婚11年目です。

    不妊治療をしても、どうしてもだめだったそうです。


    ご夫婦とも誕生日から命式を鑑定すると、典型的な子供がいない運です。


    Kくんは、努力すれど『陽』の開花が弱い運です。

    社会的な発展性の薄い運です。

    嫁いだ妹がいます。 ご両親は健在です。

    ここでは、まだ家族運が普通に観えます。





    Sさんは、自我意識の強い、思った事を我慢できない性格です。

    長男に嫁ぐ運でした。聞くと、Kくんはやはり長男でした。 

    Sさんには、

    優秀な大学院を出て一流メーカーに勤める独身の弟がいます。 

    母親は、20年前、高校生の時に病死、

    父は単身赴任を繰り返す猛烈一流企業のエンジニアだった、健在です。

    相談する実母もなく、子供ができない事は、余計に辛かったでしょうね。

    ここで、Sさんの家族運(守り)が弱い事が分かりますね。







    私が、Sさんに向かって最初にたずねた事は、


    「 Kくんのご先祖のお墓に、いつもお参りに行っていますか? 」



    驚いた事に、自分の母親のお墓には行っているけれど、

    ご主人のご実家のお墓には、一度も行っていないと言う返事でした。



    まぁ~! と尋常ではない。  

    と云う感じを受けますが、



    実は、

    不妊や離婚、結婚をしない等の現象の奥には、

    家族運の崩壊、乱れ、当たり前の家族の秩序が壊れている、、、

    ものなのです。

    一代で、その人だけで不妊や離婚、結婚をしない等の現象は出ません。

    ある意味、その家系の伝統と言いましょうか、、、、が 



    そう云う意味では、やはり、家が大事と云った昔の人の言葉は真実です。


    だからと云って、

    礼儀の上では個人の人格を否定する言葉はつつしむべきです

    が、しかし、運命の上では、誤魔化しようがありませんわ!




    夫のKくんが、Sさんを庇うように、


    事情があってお墓参りに行けなくて、実は自分もあまり行っていない。

    自分たちだけでなく、Kさんの父親(父Kとします)も行っていない。と、



    話の中身は、こうです。


    父Kさんは、そのまた父親(祖父Kとします)が50代の時の子供で、

    それまでに3人の姉が生まれていて、

    その姉の一番上・長女が養子を取ろうかと云う頃に

    生まれたのだそうです。

    祖父Kさんにしたら、父Kさんは待望の跡継ぎになる訳ですが、

    自分の年齢から考えると父Kさんが成人をするまで生きていられるか?

    そう言う不安から祖父Kさんは、いわゆる自分の目の玉の黒い内に、

    跡取りを決めたかった、長女に養子を取って跡継ぎにしたそうです。


    予想通り、祖父Kさんは、父Kさんが成人をするまでに亡くなります。

    父Kさんは、家を継いでいた姉の家族に遠慮をするように家を出ます。

    姉の夫となった他人が主人となって暮らす実家には、居場所がなかった。


    都会に出た父Kさんは、本来は跡継ぎの長男でしたが、

    お墓も、姉の夫が祭祀をやっている訳ですから、口出しもできない、

    姉の方も、

    どっかで弟の長男が跡を継ぐべきと引っかかっていたのでしょう。

    お互いが、遠慮と気を使って、触らない関係になったようです。

    それで、

    実家に足が遠のき、お墓参りをしないまま年月が経ったのでした。


    しかし、養子を取って家を継いだ長女の姉の子供は、娘が3人。

    現在は、3人共が、お嫁に行ってしまっている状態だと言うのです。

    しかも、その3人の娘の孫は、また娘ばかり !!

    もう、まるで、他家まで滅ぼそうかと、、、、、、 



    この後、どうなるのだろう?  と、Kくんがつぶやきます。



    僕が、家系の名前を継ぐ唯一の男としている事が、役に立たない。

    どうすればいいのだろう? 今更、どうすればいいのか?

    父Kも何もできずに、やっていません。  と。



    それを黙って初めて聞くように聞いていたSさん、

    今までこんな話をお互いにした事がなかったのでしょう。

    それはそうですね!


    自分たちが、恋愛をして、結婚をして、幸せになるのに、

    先祖とか、お墓とか、関係ないと思ってきたはずです。  ほ!


    自分たちの行動が、自分たちの人生を決める。

    先祖や他人は、関係ないではないか!

    自分の意思で決めて生きれば思うようになる!

    大事なのは自主性、個性、行き着く所は個人主義でした。



    生まれてこの方、この社会からそう教えられ学んで来たのです。

    罪は、この社会にあります。 

    この社会の思想、概念、作られた社会の『偽』にせもののロジックです。



    『陽』だけを真実だと、思い込むように洗脳をして来た国の愚策です。


    近代化で必死に西洋の真似をして来た国、

    経済優先にせざるを得なかったから、と言い訳をして

    国柄の自尊を捨て、そろばん勘定を第一にして来た間抜けな政治家、

    それらに染まる事が、かっこよく、

    人間のしあわせへの近道だと思わせて来たマスコミ、企業、

    その為のお先棒担ぎの宣伝広告文化です。



    だまされている事を見抜けずに、

    利用される為におだてられている事に満足をし、自慢をする。

    他人と比べてどれだけ自分は幸せかで、納得する。

    そう云う文明のなかで、おかしいとも思わずに大人になっている。


    好きな人がいる、恋愛をする、

    それが、自由の証明のように錯覚をし、

    自由恋愛から結婚をする事が自分の意志!? だなんて??!

    そう単純に思い込む思潮の浅はかさ、

    そして、子供が生まれる、

    子供が思い通りに育つ、欲しいものを買う、目の前の事を寄せ集めて、

    それが人生の目標だと思っている。


    自分の意志のままに生きれれば、

    過去からの文化も伝統も、なにもいらない!  

    大過去なんか無くたって、

    人波に物が買えればしあわせ~~~ !!    

    その内に、人様よりモノを買える豊かさを当り前だと?!?



    見えないものは、ない。 

    存在を認めない。

    自分の意志で決定する事以外は、めんどうだもの!? あはは。

    現在は、そう云う文明に堕落しているのに気がついていない。



    これでは、新しい命は、生まれて来ないでしょうね。

    だって、新しい命は、見えない領域から来るのよ!   あは!

    生まれる前から、存在を信じてもらえなくて、、、

    現れる(生まれ出ずる)わけがないでしょうに ! 







    私が、Sさんに、「 貴女のご家族にも似た事はないですか?」と聞くと、

    思った通りのお話が出て来ました。




    Sさんの話です。

    Sさんの父親(父Sさん)は、3歳で父親(祖父Sさん)を亡くします。

    父Sさんが、長男で跡取りだった為、

    その時(昭和19年)は、旧民法で長男の家督相続が普通でした。

    今のような遺産相続ではなく、長男がすべてを相続します。

    父Sさんは、3歳でもって家屋敷、田畑の所有者になった訳です。


    ですから、

    他の家族、一族は、

    自分たちが生きていく為にも父Sさんを担ぐしかなかった。

    一族で育てる事になったわけです。

    そうしなければ、父Sさんの母親は未亡人なのですから、

    父Sさんを連れて実家へでも帰れば、

    家督相続した財産は、父Sさんと共に母方の実家へ移ります。

    それでは、相続者が居なくなる事は、一族が食べていけない訳ですから、

    そう云う事を避ける為にも、

    その頃までの日本では、一家を守る為に、

    亡くなった夫の兄弟と未亡人の嫁は再婚をすると云うのが、

    当たり前の事としてありました。

    つまり、父Sさんの母親は、亡くなった夫の弟と再婚をします。

    つまり父Sさんは、母親が再婚をした自分の叔父に育てられた訳です。

    ところが、実の母が、10歳の時に亡くなります。

    その時点では、母と叔父の間には、3人の弟が生まれていました。


    父Sさんを含めて4人の息子を抱えて、叔父も再婚をするしかありません。

    あたらしく叔父が再婚をした相手は、父Sさんに取ったら全くの他人です。

    叔父と再婚相手との間に、男の子が生まれます。


    父Sさんは、実家の屋敷、田畑の実質の所有者であるにもかかわらず、

    学校を出ると、同母弟たちと叔父の新しい家族の住む実家を出ます。

    叔父の再婚相手とその子が中心になった家族が住む家には、

    自分は、やっかい者、世話になる気はなかったのだそうです。


    Sさんの母親が亡くなった時に、夫である父Sさんは実家のお墓に

    納骨をしなかった。

    別に、お墓を立てた訳です。 

    叔父家族が住む田舎のお墓に自分も入る気はなかったからです。

    叔父の家族に対する遠慮と、

    叔父は、再婚相手との間にできた長男に全てを譲りたいだろう、

    その叔父の心を慮(おもんばか)った黄道だったそうです。


    父Sさんは、本来なら自分が守るべき田舎の屋敷や実家のお墓を、

    叔父と再婚相手の間に生まれた長男を、

    実質は本家の長男である自分の代わりとして、

    代々のお墓を守ってもらおう、そして代償に、

    自分名義の屋敷を、叔父家族に贈与をされたと云う事でした。



    このお話を聞いて、いかがでしょうか?

    なにか背筋がぞ~っとする戦慄を感じられませんか?



    しかも、Sさんの弟は、結婚の条件が整っているにもかかわらず、

    将来結婚する意志はないと言うそうです。

    ちなみに、命式を観ますと、一族のはみ出し者、頑固者の運です。


    どこからか、慟哭が聞こえて来そうな一家です。

    長男が、妻を納骨しない実家の墓とは、なんぞや?

    両親を亡くすと云う事は、

    いくら身内と云えども、叔父やその叔父の家族に対して、

    そこまで遠慮をするなのです。

    いろいろな境遇で、さまざまに心を痛めて人は生きていくものですね。


    叔父の再婚相手との間にできた息子一家は、父Sさんの実家を継ぎ、

    2男1女に恵まれているそうです。

    さぁ、この後はどうなるのか?

    正当性があれば、これから繁栄をしていくはずです。

    しかし、本家の長男を居づらくさせて追い出して、

    この継承の正当性は、いかに?

    先々、どんな因果応報が来るのか、恐い感じがします。 





    と、、


    ここまでで、

    お気づきの所が、多々あるでしょう?





    Sさんの父親と、Kくんの父親の事情は、似ていませんか?




    二人とも、本来は家を継ぐべき長男の生まれです。

    しかし、その継承には障害があって、

    正しく家を継ぐ訳には行かなかった。

    いろんな諸般の事情で、むずかしかった。





    だれのせい?  と云うよりも、

    世間をおもんばかる大人の気遣いの積み重ねで、こうなった。

    その大人の気遣いが正しかったのか?

    世情に合わせて生きる事が、はたして、それが正しかったのか?


    誰かの欲が、横暴にも正当性をねじ曲げたのではないか?

    生きている人間の都合の良い事が、さて、ご先祖の望む所だったのか?





    同じような長男継承にハンディがあり、

    それが実現できなかった無念を持つ男をそれぞれが父に持つ、

    一人は長男、もう一人は長男に嫁ぐべく生まれた長女の二人が、

    出会って、結婚をして、子供を持とうとする時、

    子供がどうしても授からない。 



    それぞれの家を見廻したら、どこにも跡継ぎは居なくなっている。


    後を継ぐと云う事に遠慮をして逃げてしまった父の子供時代、

    その長男が家を出て行く事を、都合がいいと思った大人たちがいた。


    大人たちが、ルールがあるとは知らずに、無視をして、

    それぞれ自分が生きやすい便利な道を選んでしまった結果が、

    実家を継いだ側にも、継承の機会は無くなっている現実。





    追い出した側は、結婚をしても跡継ぎたる長男が生まれない!

    追い出された側は、たった一人の長男が生まれたのに、

    跡継ぎとしてだれも気にかけない。

    大人全員が、他を思いやる事よりも自分の立場を守って、

    みすみす家の継承を潰してしまう、、、罪深さ。



    当たり前のことが、当たり前にならない。 





    当たり前のことを、当たり前にして来なかったからです。

    Sさんの実家も、Kさんの実家も、そうです。


    人の振る舞いとして、ひとつルールを踏み外すと、

    それが、ずっと繰り返し、越えにくい節になる。 ハンディになるようです。 






    夫婦になるべくしてなった男女の出会いと云うものは、運命です。

    たしかに恋愛、そして結婚に至る二人の関係は運命である。



    あなたの先祖と、相手の先祖の立ち居地 = 先祖の「位相」 と

    深く関係している運命そのものです。 



    人が、人を、好きになると云う事の深層には、

    無意識の力が、作用が、係わっていると云う事です。


    好きになったから、と云うのは表層の意識できる無意識の作用です。

    作用とは、あなたを生み出した連綿と続いて来た先祖からの、

    云ってみれば家系に継承された生き方の癖を云います。



    何を継承している癖がある家系なのか?

    その癖から影響されるあなたの意識、

    そこから、誰を好きになるか? が左右されるわけです。




    残念ながら、私は関係ないわ ! は通用しません。

    もう、この次元で、個人主義は無力です。

    現代、我々が近代化の中で謳歌している個人主義では歯が立たない。



    そもそも、合理主義も、個人主義も、

    人間の意識が作った『偽』だからです。

    人間が都合よく作った架空の、ウソのロジックなのです。

    その『偽』のロジックの上に、自分の幸せは築こうとしても、

    いくら努力をしても、だめなのです。


    むずかしいかしら?

    その事に気がついてほしいから、これを書いています。


    東洋は、意識の奥の無意識に気がついた文明です。

    知恵と悟り、それで宇宙や自然を解明する文明です。




    ゆえに、

    目で見、耳で聞く、この世の現象世界には表れないが、

    この世のすべてが無意識の領域の作用で深く結びついている。

    それを説明するのに「因」とか、「縁」とか、いろいろな言葉があります。




    つまり、「運命的なセットになっている。」と観ます。




    あなたの両親、あなたの配偶者、子供、配偶者のご両親、

    すべてすべて、あなたの運命とセットになっているから、

    いっしょにいるのですよ。

    努々(ゆめゆめ)家族を軽んじるなかれ!です。



    どんな理由があったとしても、不倫なんてとんでもない事なのですよ。

    あなたの子孫、子供の不遇、悲惨、家庭生活の破滅を招きます。

    ホリエモンが、刑に服しました。

    ホリエモンは、憎めない人です。 が、家系に何かがあるのでしょう。

    家系図を見れば分かります。




    ④ 世の中・・・天は・・・・そんなに甘くはないんですよね・・・。

    自己中心的な考えや利己ばかりを考えてると、良くないと言う事。


    それが、今の世の中蔓延してる様で怖いです。





    コメントで書いてくださった通りです。

    個人の問題というよりも、この国が危ない。

    陰徳のない家系ばかりになると、国が傾くであろうと思っています。


    滅びる、戦争に負けなくても、放射能で自滅する。

    それは、道徳の失われた結果です。

    徳を失い日本は、自壊するかもしれない。

    ほんとうに、それを食い止めなければいけないと思っています。




    無意識の上層部、そこに各人の運命に染められた無意識があるのです。 

    この無意識の表層ゾーンが、あなたの意識をコントロールします。

    それが、あなたの運を形作っている場所です。



    これを、どこかに記憶しておいてくださいね。



    あなたが今、生きている癖、

    それが受け継いだものであり、

    次へバトンタッチする癖かもしれません。



    どうか、どうか、いい癖を形作って生きたいものです。





    よき一週間をお過ごしくださいね。































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 恋愛運
    ジャンル : 恋愛

            

    ( 継承のハンディ と運命 3 ) 運命的なセット /  コメントへのお返事

    Category : 絶家の家族関係
    シャラの木、花


    シャラ/娑羅の木(夏椿)  










    今日は、メールでいただいたコメントのご質問から

    (運命的なセット)についての記事です。 



    そして、前回と同様、鑑定のご相談の中から、

    ある例を、ご紹介しましょう。




    次のコメントです。



    運命が、すべてがセットになっている。とは ?  

    平等ではないのか?

    運命からの自由はないのか?  







    いきなりな質問でいらっしゃいますね!!!  ほほ!





    運命とは、差別的で身動きができないイメージのようで?  ほ! 




    それと比べると 自由と平等 は、光って見える?   あはは。



    この 平等、自由については、《 近代化の影 2.》のシリーズで、

    いつか、記事にしたいと思っています。

    西洋の翻訳言葉を、噛み砕く作業は大変に長くなりそうです。 あは!






    (運命的なセット)に絞って行きましょう。




    言葉や理屈で説明をするよりも、百聞は一例に、しかず。 


    我が運命学教室の生徒さん、Gさんの例を、ご紹介しましょうね。



    その中で、皆様が、お感じになるもの、  それが、お答えです。




    Gさんの子供は、一人娘のgさんだけでした。

    運命を学ぶにつれて、自分の家系は、女系である事を気にしていました。

    ちょうど、

    gさんが年頃になって結婚と云うような時期でしたので、

    Gさんは、娘の相手の方には養子になってほしいと願っていました。

    お勉強に来るたびに、逐一、gさんの相談を持って来られるわけです。  






    ある日、こう云う質問がありました。

    「運命学では、結婚相手には同等の家系の人に縁がある。と

    習いましたが、今度、gが婚約したお相手の家は、

    我が家と違って、男の子が4人もいます。

    彼は三男ですが、女系どころか跡継ぎに恵まれているらしくて、

    とても我が家と同等とは思えないのです。

    どうしてうちの娘と.....

    これは、きっと本当は縁がなくて、婚約は壊れるのではないか? 」
     



    まぁ、娘思いの取り越し苦労!

    と言って、笑って済ましたかったのですが、

    これは、いい教材になると!   あはは。  と、私は思っていました。


    こう答えました。


    「ここまで話が固まっていたら、大丈夫ですよ。 

    今後、すこしづつ、

    お相手のご実家の様子を聞いて御覧なさい。いろいろあるでしょうから。」 





    gさんは、

    彼を養子にと云う両親の気持ちを十分に理解はしていたのですが、

    みごと、両親の期待を破ってお嫁に行くと云う決断をしてしまいました。

    自分のしあわせだから、親は干渉しないで、、、!  と。

    とっても自立心の強いお嬢さんで、親の言う事など聞く気はないと、

    Gさんの気持ちを見事に振り切ってしまったのです。




    私は、Gさんは、さぞかし落胆を、、、

    と想像していましたが、 

    イヤイヤ、それどころか!

    真剣なGさんは、あきらめていなかったのです!!  


    運命学のそのままを、結婚する前も、後も、

    娘さんへ言い続けたそうです。




    !!



    無事、結婚式を終えて数ヶ月が経った頃の運命学の日、

    Gさん曰く、

    「娘の夫のお姑さんが、結婚している次男、三男のお嫁さんを

    ご自分のご実家へ連れて行ってくれたのだそうです。

    りっぱな広い農家の家だったらしいのですが、

    姑は、三人姉妹だけで、今はもう皆がお嫁に行ってしまい、

    もう長い間、だれも住んでいない空き家のようで、売りに出す前に、

    お嫁さん2人に、住みたい人にあげるからと見に連れて行ったそうです。

    最後、ご両親も亡くなって、家を守る人がいなくなったからだとか。」 






    私、「 ほらね! 

    お姑さんの実家が、絶家になってたのね。もっと何かあるわ。」 



    Gさんが、えぇ、と、 真剣な表情をしたのを覚えています。


    その後、

    Gさんが、こう言って来ました。

    「向うのご実家では、月に一回は、

    全員が集まるらしくて、gも、次男さんのお嫁さん(義姉)と仲良くなって、

    いろいろお互いの事を話をしたりするようになったらしくて、

    そのお嫁さんも、やっぱり一人娘さんで、次男さんと結婚となった時に、

    建設会社を経営する御両親が家を継いでほしいと彼の方にも頼んだが、

    次男さんからよい返事がもらえなかったそうです。

    だから、それ以降は、

    そこのご両親は親の経済力の実力行使をなさって、

    車はボルボを買い与え、マンションは高層の最上階の7000万もするのを

    買って与えたりと、養子になるのは時間の問題とか、、、。

    やっぱり、男のお孫さんを望んでいるのに女の孫しか生れないとか、

    いろいろ聞いて帰って来ました。

    まさに、運命学の通りなのですね。」 






    これを、お読みになって、

    まぁ、うわさ好き!  と思わないでくださいね!      ほっ。






    Gさんなりに、娘のgさんが聞いて来て、

    Gさんへもたらす情報が、

    せめてもの運命学を確かめる便(よすが)になっていたのです。

    運命学が正しければ、どこまでも筋を通して行く覚悟だったと思います。


    また、gさん自身も、母親から言われて耳に残っている運命学の情報、

    自分が、親の意向を無視している、

    実家を捨てた事を気にしている、

    だから気になり聞いてくる、

    母親に話さずにはいられなかったはずです。






    私が、結婚当初から言って来た事は、

    「娘を助けては駄目なのよ。ますます女系になってしまうから。

    娘さんが男の子を産むように。」






    その甲斐があってか、gさんには、結婚1年後に長男が生まれ、

    ちょうどその時は次男が生まれた頃でした。

    Gさんが、またもや、驚いた口調で言って来たのは、


    「gが、数ヶ月前から夫の実家の毎月の集まりに行った折に、

    夫の弟・四男さんの婚約者の女の子を紹介をされて、

    お嫁さんたちと打ち解けて話をするようになったらしいのです。

    彼女の家庭は、母子家庭だけれども弟もいるらしいので、

    次男や三男の嫁の自分たちのように

    家を継ぐ必要の無い娘だと思っていたら、

    もうすぐ結婚式だと準備に入っている今の段階で、

    今月、行って耳にした話では、

    彼女の亡くなった父親代わりに世話をしてくれた叔父の一人息子が、

    つい最近、交通事故で亡くなってしまい、

    叔父が、その息子の代わりに家を継いでほしいと

    彼女と彼女の母親に頼んで来た、と言うのだそうです。


    前と状況が変わったと。

    父親同然の叔父の頼み事を聞いてあげなければ恩知らずになると悩み、

    婚約者の四男に、養子になってほしいと相談をした処、

    つまり、

    その件で、四男さんのご両親と相談をしている所だったとか。

    それは、兄が3人もいるわけですから、単純にそう思いますよね。

    でも、やはり、ふしぎですね?

    どうしてここまで、女性の側が、家を継ぐ運命ばかりなのでしょうか?

    そう云う女ばかりが、息子さんの相手として出会うのでしょう?

    きっと、なにかあるって、gも気持ち悪いって言うのです。」 





    私、「それは、そうでしょう。ぱっと聞いただけでも、

    お姑さんの姉妹が皆、実家を捨ててお嫁に行ったのだから、

    何かあるわよ。 

    でも、こんなに早い年数で出て来るとは、ね?

    これだけじゃないはずよ。

    これだけの事が、出揃うのは、、、余程、、、ね。」  






    これらは、いろんな運命のセットを見聞きしている私でも、

    すこし背筋のぞーっとする完璧な展開でした。


    私たちの背後に、見えない摂理、 

    『天』の配慮を感じない訳にはいきません。


    学ばせていただこう。  いつも、そう祈る気持ちです。 
      






    それからしばらく経って、

    gさんの長男が年長の最後の春休み、まさに小学入学の直前。

    まだ娘家族が姓を変えて養子になってくれる事に執着し、

    願い続けているGさんから、


    「先生、すごい事になって、、、

    ちょっと聞いてください。


    娘夫婦が、長男が小学校に入学する前に、姓を変えると言い出して!

    どう云う事か話を聞きますと、

    お姑さんの実家の絶家のありさまを見た事から、

    嫁いだ嫁同士の運、四男の婚約者の話まで、

    これは、四男さんがぐずぐずと決断できない内に、

    婚約者の女の子は、さっさと別れを言ってしまい、

    婚約解消になったそうなのです。


    母親が、実家を捨てるとどうなるか、

    せっかく産んだ息子が、他家に取られる運になるのだと、

    直感したと言う訳です。


    もう、これは自分が家を継ぐしかないと、

    息子たちの将来が、駄目だと思った。と言うのです。


    姓を変えるなら、就学の途中では子供がかわいそうと、

    入学手続きに間に合うようにさっさとしたいそうで、

    先週、娘夫婦が揃って、向うのご両親へ話に行って、

    その時に、ご両親から了解の答えは得られなかったけれど、

    翌日、娘の家まで、舅は仕事を休んで両親が訪ねて来てくれて、

    姑が、涙を浮かべながら、

    「gさんの立場を理解してあげられなくて悪かった。」と言って

    手をついて謝って下さったそうで、

    その話を聞いても、その場面が想像できません。

    未だに雲を掴むようで信じられないのですが、

    娘は昨日、区役所へ養子縁組の手続きに行きましたし、

    どうも、ほんとうの事実になったようです。

    夢の中の出来事のようで、

    私どもの出番はないまま、これだけのドンデン返しがありましたの。


    結果はどうあれ、

    gの自分本位な自分かわいさの勝手な思いからの行動、

    やっと決心をしてくれたのでしょうが、ほっと致しました。

    妙にgの気持ちを考えると、あわれ、おかしいやら笑いたいのと、

    やっと念願が叶ったと云う満足感と不思議な思いです。

    ふしぎなことです。  よかったです! 

    ありがとうございました! 」 




    私も、やれやれ~と、込み上げて来る思いに 思わずニヤッと、

    と言いたいのですが、

    正直、すこし恐さも感じながら、

    『天』が味方をしてくれた事に、深く深く感謝申し上げました。


    自分が、Gさん一家が、gさんの家族が、

    光に包まれているような幸運だったと、今でも実感があります。 







    Gさんの後日談です。


    「あきらめずにいたら、こんな展開が待っていたのですね。


    向うの実家の舅は、2人兄弟の弟、次男なのだそうですが、

    舅の実家、つまり本家の長男は子供さんがいないそうです。

    そこも、もう、年齢から云うと10年も経たない間に絶えてしまうのですね。


    最初に、先生が言われた様に、

    本当にそう! 結婚の縁は、同等の家同士なのですね。

    考えてみれば、我が家と同じ、滅びかけている家系だった。


    外からは、なかなか家の中の事は、確認できませんが、

    運命学を信じて来てよかったです。

    わがままな娘の、そのわがままのおかげで、やれやれです。」







    めでたし、めでたし!  


    もう、何も言う必要はありませんわ。

    斯く運命とは、不思議なものです。



    西洋文明の概念で作られた合理主義では理解できない世界が、

    そこにはあって、




    物質文明が、一歩も近づけない世界が、

    そこにはあります。







    こう言う陰徳に満ちた運の展開に出会うことが、

    生きている幸せです。


    『天』に認めてもらった、

    自分が走り回らなくても恵まれた果報を手にする姿を観るのは、

    生きている妙味です。




    さぁ、


    西洋文明の合理と云う言葉のジャングルを抜け出て、


    汚れた塵芥(ちりあくた)を頭から払って、


    東洋の真骨頂を磨いて行きましょう!




    長い記事にお付き合いくださって、感謝申し上げます。




    よき、一週間をおすごしくださいね。


























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    (継承のハンディ と運命 4 )  陽の成果は陰徳に反比例 / コメントへのお返事

    Category : 絶家の家族関係
    那須のつつじ


    那須のつつじ (これだけの花を支える根は、どれだけ?)






    今日の、(継承のハンディ と運命 4. )の題は、

    ー 陽の成果は陰徳に反比例 ー 。 




    いただいたコメントの紹介からです。


    現実が過去を表しているのだろうと思います。
    落胆しているだけではどうにもならないし、うぬぼれたり奢るのは更に良くない。


    何を信じて、どう生きていけばいいかに気づけたこと。
    私にとって、これが一番の幸運だったように思います。
    命式も気になるけど、

    大事なのは「天」に認めてもらえる生き方をすること、と思ったりします。




    いつも記事を正確に受け止めていただいて感謝しています。



    うぬぼれたり奢るのは更に良くない。


    さすがですね。

    深く読み込んでいただいて、感心しました。

    これにこだわって記事を書いてみたくなりました.....  ほっ。




    旺ずる極みは衰(おうずるきわみはすい)

    これは、今まで何度も引用した運命学の言葉です。

    有頂天まで上り詰めると、後は、衰えるしかない。

    衰えない為には、頂点まで登ってはだめなの? !   



    あはは。





    うぬぼれたり奢るのは更に良くない。


    ええ、その通りなのです。







    『陽』の極み=『 極陽 』は、

    中庸(バランス)が壊れて、『陰』が破壊された時に現れます。 



    まったくの『陽』ばかりの世界。 


    ちょうど今の福島の原発、事故後の原子炉の臨界、溶融の世界ですね。

    他を圧する、周りのコントロールが効かない世界です。

    命を尊敬、愛敬する 仁、義、礼、智、信、のすべての『陰徳』の消去が、

    実現した現象です。 





    東電自体が、まったくの『陽』の体質に陥った企業体なのでしょうね。


    その魔王の宮殿の崩壊時に、全地球が巻き添えになっている。

    あらゆる生物が、殺戮にあっているのです。

    水、空気はもちろん、植物、魚、海草、牛、豚、すべての生き物が

    平等に殺戮に晒(さら)されています。 




    これを、時の循環における真の平等 と言うのです。

    平等とは、命に与えられる価値です。

    平等とは、『天』こそに備わった本質です。

    人間ごときが、おなじ人間を、平等に扱うなどと言う立場ではない。





    それこそが、傲慢、思い上がりもはなはだしい!

    その程度が、戦後の民主主義の欺瞞体質なのです。

    云えるのならば、人の作った法律の重箱の中の都合次第、

    本質がエゴそのものの人の意識が作った概念の遊び程度なのです。




    『天』=『いのち』のバックアップのない言葉は、妄語でしかない。







    電力会社と云う殺戮の魔王に、領主さまの如く占有領地を与え、

    ご丁寧にも、殺戮の魔王の宮殿を全国に10ヶ所作らせた事が、

    日本の戦後の世界第二位の経済力と賞されるしろものだった?

    結果から見ると、そう云って片付けられる痕跡でしかないのが現状です。 





    地球を守る為の『天』のリセット。

    『極陽』をひっくり返す為のスイッチが入ったのが3・11だったのですね。



    『極陽』=命で償うしかない世界。

    『天』を軽んじた=命を軽んじた愚かさが失った世界、

    それを回復する為の命、

    命を顧みない作業員の方たちが、その代表となって償って下さっています。




    ただ目の前に、現実に、感謝しかありません。




    人は、人為の偏りを極めたら、命をあがなって


    『中庸』を求めるしかないのです。





    つまり、枝が繁茂し過ぎて、花実が盛大に成り上がり過ぎた時、

    『陰徳』が消去された樹木は、即『陽』も失う=枯れ始めます。 



    この世からの消去です。自然淘汰です。

    人で云えば、絶家です。

    この事も、何度も記事にして来ました。






    今回は、一歩踏み込んで、


    どうしたら、陰徳を積んで、強い継承運に乗った永遠をつかめるのか?


    今日は、その一端を記事にしたいと思います。






    もうひとつ、いただいたコメントです。


    あとつぎ問題といえば、どこも深刻だと思います。

    みなさん気にしない生き方をしているようで、

    それが時代の大勢と慰めているのですね。

    それとくらべると

    真剣になやみを打ち明け、

    取り組んで来られたGさんには頭の下がる気がします。

    一家に一人、真剣になやんでくれる人がいること、

    それが一家はしあわせというものではないですか?

    今は、皆が働くことが第一になって、

    家の一番だいじなことが、疎かになっている。

    これでいいのかなと思っていましたが、

    運命学を支えにりっぱに役目を果たしている方も居られることに

    拍手を送りたい気持ちです。 






    いつもありがとうございます!





    一家に一人、真剣になやんでくれる人がいること、

    それが一家はしあわせというものではないですか?



    そうですね。

    家族の中で最低、一人は、真剣に自分の役割として、

    真正面から取り組む姿勢を持った人がいなければ無理ですね。


    自分の役割を自覚した人がいるか?いないか?


    それは、元々の陰の本体の働きです。

    それが、女性の役割だと言ったら、荷が重いでしょうか?

    できれば、一家の女性の長老、  え!  


    だれ?

    おばあちゃんの役割かな。

    おばちゃんがいなければ、お嫁さん。 

    それほど重要な役割なのですよ。

    目先の獲物を捕らえる事に集中する男には、無理かもしれない?  あ、


    はっはあ。 





    今は、皆が働くことが第一になって、

    家の一番だいじなことが、疎かになっている。 




    そう、家族の皆が、獲物を取りに狩に出て行ってしまっては、、、

    家の中を治める事を第一にする役割の人が、いなくなっている。

    今の社会のゆがみそのままが、家庭に投影されている姿ですね。




    永遠の時を断ち切って、

    眼前の欲望の実現だけに囚われる私達。  

    最近は、女たちも、解放されたい? 喜びを求めて、

    仕事の次は、遊び、趣味、自分が楽しむ事でしょうか?   あはは。


    海外旅行、温泉にも、 習い事も、、、  ほほっ。


    大事な事を、二の次、三の次、、、、、ついつい、

    自分の心の快を求めて、自分の身の楽だけを求めて、

    『陽』の世界の中だけで生きようとしている時代の流れです。

    何を隠しましょう、私も似たような、  旅は好きです!  あはは。






    話は、ちょっと逸れますが、


    私たちは、現生人類(ホモサピエンス)です。

    現生人類は、約20万年前にアフリカに出現して、

    その頃、もう貝製ビーズなどのアクセサリーをつけたりしていたそうです。

    人類は、根っからの”おしゃれ”なのね。   ははは。


    約5万年前、

    インドから東南アジア、オーストラリア大陸へ南回りのコースで、


    4~3万年前、

    ヨーロッパ、シベリアやモンゴルへの北回りコースで、

    世界中に広がって行きました。


    日本列島へは、

    4~3万5000年前に出現した事が、遺跡で確認できます。 


    しかし、その前のネアンデルタール人~   

    私たちの現生人類の前に、地球上にいた人類です。 






    そのネアンデルタール人は、なぜ滅びたのか?

    現生人類が、いまだに生き延びているのは、なぜ?



    ネアンデルタール人は、

    水、食料、自然が豊富に恵まれた環境に限って居住していた事が

    分かっています。

    楽を求めて、、と云うよりも、さまざまな環境に適応する能力が低かった。

    それで、滅びたとか... 




    現生人類が、なぜ生き延びたのか?


    どんな環境にも適応していこうとする力があったからです。

    だから、山脈を越え、大海を越え、荒野を生き抜いたのです。 



    私たちは、本当に現生人類ですか?    あはは。

    今の生き様は、まるでネアンデルタール人みたい・・・




    国の施策もそうです。


    家の機能を狭めて、弱くして、社会へ持って行こうとする。


    これは、うその施策です。


    命を生み、育む実態は、その親が生活を営む所です。

    社会と云う人間の作った概念の入れ物の中ではありません。

    経済を優先した社会で、命を利用する場所で、命は栄えますか?






    命を文句なく尊敬、愛敬する所とは、家庭、家族の場所です。

    ほら、『陰』の本体の貴女がいる場所なのですよ。







    陰徳のない国民が寄り集まったって、

    国力は衰えて行くでしょう。

    国は栄えない。

    命の生まれない家は廃屋になり、出入りするのはお化けだけです。


    お化けばかりの国土にしたいのですか?



    原子力発電所が稼動しなければ、電気が足りない?

    電気が足りなければ、経済がだめになる?


    それも、うそです。

    国の陰徳を無くした原発は、もっと殺戮を実現していく現場となるでしょう。

    陰徳がないから、陽報(経済の繁栄)がしぼむのです。




    陰徳のない土壌(家)から、りっぱな木(個人)は成りません。


    屋台骨の、命の継承の土台となる家が、崩れかけているのに、

    それでも、経済、お金儲けを優先しますか?

    経済だ! 経済だ! と言っている音声(おんじょう)からは、

    命の響きが聞こえません。





    もう、まるで、命の創造性のない大音声(だいおんじょう)で 

    賎(いや)しい物乞(ものご)いの経済だ! 

    命を掠(かす)め取る盗人(ぬすっと)の経済だ!

    と、聞こえて来ます。 




    現在の繁栄は、石油にしたって、レアメタル、資源にしたって、

    地球に埋蔵された資源を使い放題に消費して成り立っている経済です。

    地球という偉大な『陰』の貯えを利用しているだけではないですか?

    人間が生み出した資源では、ないでしょう? 


    もともと、地球に埋蔵されていた宝を、

    人間は、開発といって、それを欲望のままに使っているだけです。

    考えようによっては、未来の人類の持ち物を盗んでいるのですよ。

    我が子の、我が孫の繁栄を、盗っ人しているのです。


    今のままの使い放題では、

    これから先の未来、子供や孫の代まで、

    その資源は持たない事ははっきりしているのに.....


    その答えを先へ先へ伸ばすだけで、

    今の人間の欲望を我慢する事もできずにいる。



    地球の『陰徳』の使い放題で成り立っている現在の繁栄とは、なに?



    合理主義の下、物質文明に席巻されて、この体たらくです。

    ここまでの残虐非道な繁栄を築きながら、

    その代わりに、なにを子孫に残す事ができるのか? 

    膨大な資産でもできた?       はは。



    あは!   どうしようもない体たらくです。



    もう、私たちがしっかりしなければいけないのですね。

    そう、どこまで行っても、

    この普通の人の集まりがしっかりするしかないのです。

    普通の人である私たちの陰徳の集まりが、国の陰徳です。



    詰まる所、この普通の人が、

    どうすれば、

    陰徳を積み重ねて行く事ができるのか?




    ポイントは、そこですね。




    陰徳は、根です。  根を太くする と云う事から、

    根を太く育てられるトロロアオイに聴いてみましょう。




    ヒントがあるかも、です。


    トロロアオイは、

    一番の特徴は、和紙を漉く時の「練り」の力に利用されています。

    和紙の原料繊維になる楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮などの

    長い繊維を一本一本均一にむらなく、

    水中に分散させておくのに使われます。

    美しい和紙を漉くには、

    原料繊維を水の中に入れて攪拌しただけでは、

    均一に繊維が分散しません。

    「練り」の役目は水中で繊維の分散を助けることです。

    この、和紙を漉くのに必要な大事なトロロアオイの根は、

    植物ですから、紙漉き師の弟子たちが、

    修行の時に栽培をするわけですが、

    花や、葉は、いらないものです。


    根だけを、太く育てたい。


    どう工夫をするのでしょうか?


    答えは、根を太く成長させるには、枝を上へ上へと伸ばし過ぎると、

    それを支えようと根が硬くなりますから、上へ伸びる芽を摘みながら、

    光合成の為には葉を茂らせて、花は摘んで捨てます。

    花を摘むとは、花を咲かせる養分を根に使わせない。

    痩せさせない為です。

    エネルギーを分散させないようにする為です。

    こうして、トロロアオイの根は、

    練馬大根のようにやわらかく大きくなります。


    根を大きくする方法、陰徳を大きく積んで行く方法、同じです。

    どう同じなのか? お考えくださいね。





    ヒントとしましては、

    頂点を極めて有名な地位を得た男性は、子供運を潰すようです。

    有名なアスリート、野球選手のイチローさんなど、

    すばらしいDNAをお持ちなのにと思いますが、実に残念です。



    裕次郎さんもそうでした。


    逆に、石原慎太郎さんは、男っぽい『陽』のイメージですが、

    彼は、『少陰』の強い方ですね。 中庸なのです。

    すばらしい息子さん達に恵まれています。









    最後に、ひさしぶりにM町の事を、少し。


    当時、M町からの生徒が増えて来て、遠くから歩いて来る

    12歳のHちゃん、8歳のhちゃんの姉妹がいました。


    我が塾では、帰り際に生徒がずらっと並んで、

    私に挨拶をしてお話をすると云うのが恒例になっていましたが、

    その会話から、思い出すのは、


    ある日、 おとうさんが、お仕事で外国に行くかもしれない。

    後日、 家族を置いていけないからって、行かなくなったの。 


    後、お母様から聞いた内容は、

    夫に香港支店長としての辞令が出ていた。

    夫は、年をとった母親(おばあちゃん)と、広い屋敷と、

    先祖伝来の田畑をほったらかにしてまで、香港に行けない。と言った。

    それで、会社に辞令をお断りをしたと云う事でした。 


    それにもまして、

    旧家であるH、hちゃんの家では、

    おそらく男の子を待望していたはずです。

    単身赴任をすれば、何年間か、家族と離れて暮らすわけですからね。

    田畑も、家の敷地も荒れます。

    それらを守らずして跡継ぎである息子に恵まれるとは思わなかった。

    おとうさんは、息子を作らずして自分の出世は望まなかった。


    そう云うニュアンスを感じ取った会話を致しました。

    その時は、なんと、信念を持たれた生き方なんだろう。と思った次第です。





    それからすぐ! おかあさんが弟を産んだ。○○くんを産んだの。


    えー、 ある種の爆発です。    あはは。


    見えなかったものが、見えるようになる、爆発が起こった。

    そう、思いました。

    8年ぶりの妊娠に、がんばったお母さんもえらい!

    しかし、支店長の椅子を蹴って、不遇を受け入れたお父さんもすごい。




    ああ、こうしてM町の人たちは、永遠をつないで来たのだなー


    理屈ではありません。

    まったく、合理的ではありません。


    超合理とでも言いましょうか?


    不思議な力を感じた思い出でした。





    今日も、長い記事をお読みいただいて、感謝申し上げます。





    すてきな連休を、

    よき一週間をおすごしください。


























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    《 近代化の影 2.》       自由 と 平等   

    Category : 運命学と近代化
    夢のなかのアイスクリーム


    おいしそう~

    でも食べられない・・・夢のなかのアイスクリーム










    今日は、ひさしぶりの《近代化の影 》のシリーズです。 

    その2.になります。



    3月5日の《近代化の影 1.》から、約4ヵ月ぶりです。 

    長い記事になりそうな予感が、  あはは。

    何度かに分けて、お読みになってくださいね。




    わが国の近代化以後に、

    西洋の言葉を翻訳して入って来た言葉に、自由 と 平等があります。 



    元々は、「自由、平等、友愛」( Liberté, Égalité, Fraternité)、

    その起源はフランス革命にあり、革命期のスローガンの中の1つで、

    フランス共和国の標語です。



    友愛は、あの~鳩ぽっぽさんの家系の標語? 

    と、思ってたりして、、、!  あは。




    ちょっと世界史的に復習をしますと、

    あの有名なマリーアントワネットをギロチンに架けたフランス革命後、


    1789年8月26日、憲法制定への第一段階として採択された

    フランス人権宣言の中に、これらの言葉はあります。

    人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、

    所有権の神聖など

    17条からなるフランス革命の基本原則を記したものです。



    (以下~★★まで、ウィキペディアを参考 )

    自由については、こう定義しています。

    自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行う属人的な権利である。

    それは自然を原則とし、正義を規則とし、法を防壁とする。

    その倫理的な限界は、この格言にある通りである。

    ――己の欲せざる所は人に施すなかれ。


    平等については、こう定義しています。

    平等とは、保護を与えるにせよ、罰を与えるにせよ、

    法は全ての人間に対して同一であるということである。 

    生まれによるどのような差別も、また権力のどのような世襲も

    許されない。



    ちなみに、友愛は、そんなに強く私たちに印象を与えないようです。

    それは、

    自由と平等が自分たちの権利であると喜んで受け取られた一方で、

    友愛は、他者に対して負う義務=倫理的な臭いがありますから、

    単純に

    喜びと共に受け入れられない心の側面があるのかもしれませんね。

    人は、倫理的なことはお好きじゃないのです?   ほほ!   ★★
     



    現代人は( 私も含めてですが、、、ほほ。) おしゃべり好き、

    しゃべり過ぎ、意味のない会話が多いですね。

    意味もろくに分かっていない言葉を知ったかぶりをしてしゃべります。 


    あはは。


    かえってお互いの意志の疎通を阻害してしまう時もあり、誤解も生む。

    逆に、何もかも言葉にしない方が、いい場合もある。  



    チャップリンは無声映画を、こだわって、多くの作品を製作しました。


    その理由は、

    「英語は、英語圏の人にしか伝わらない。」と言ったそうです。




    そのように言葉は、ある規定をします。

    言葉の意味を深く考えもしないで使っている知らぬ間に、

    その言葉の世界の中へ私たちを無理やり閉じ込めます。 

    私たちの日常の生活をすら、縛ります。



    たとえば、

    人間は、自由で平等である事が、偏って美化され拡大解釈され過ぎて、

    他人よりも少しでも不自由を感じた時、不幸感にさいなまれたり、 あは!

    自分のわがままを通す為に、平等である、とか

    子供のような主張をしたりします。



    履き違えもいいところなのですが、

    自由 と 平等 と云う言葉があるからだけで、

    単純にどこにでも、その実体がある。と思うのは間違いです。 




    くりかえします! 

    言葉だけあって、

    この天下( 宇宙・自然 )に、その内実の存在(実体)がない

    虚しい言葉が多いと云う事に、


    お気づきですか?





    そして、

    常に実体をともなう言葉なら、

    それを一生と云う時間を費やして追いかけても価値がある、

    仕方がないところですが、

    元々実体がないものを、あると信じて生きるとしたら?

    むなしい、無駄な時間だと言わざるを得ません。



    その虚と実をわきまえて、この言葉を使っているのだろうか?




    と云うのは、今の私たちが、当たり前に憧れたり、目標にしたり、

    実現をしようとしている世界が、本当に実在するのだろうか?



    本当に実在しないものに対して、

    私たちは、努力をし、時を懸けて、時には、命までを掛けて、

    手に入れようとしているのではないか? 



    実際に、言葉に内実を込めるのは人間なのですが、

    ええ、まぁ、その人間が、存在が薄くなっているようなので、、、あは!



    今の世相を見るにつけ 頭の周りを飛ぶ蚊のように気になっております。






    ちょっと横道に逸れたお話をします。


    私の知人に、大メーカーの工場長をしている男性がおります。 

    ずいぶん前ですが、こう質問をされた事があります。

    「 なぜ、工場に”安全第一”と掲げるのか? 分かりますか?」


    私は、自分でも、面白くも何もないと思いながら、

    次のように、答えました。


    「 安全が一番大事だと云う事だから? 」と。   あはは。


    その方も、あはは~と笑いながら、こう言われました。


    「それはそうだが、工場と云う場所には、もともと安全はない。 

    その場に一番欠けているものを表わしています。

    だから、それを意識して作り出すようにするためです。

    工場と云う場所は安全が存在する場ではないから、

    わざわざ標語を掲げる必要があるのです。」


    私、「 あ、なるほど! そうですね! 」





    お分かりになりますか.....?      




    有史以来、

    人類はいろいろな政治形態を経験して来ましたけれど、

    未だに、”自由 ・平等 ”と唱えなければいけないと云う事は、

    現実のこの社会に、それが一番ないものなのだ、と云う事です。  

    ひとつのロジックです。




    この世には、不自由と不平等が溢れるばかりにあって、

    自由と平等は、この世に一番欠けているものだから?

    本当に欠けているのか? 

    実は、もともと無いのでは ? そんなものは自然にないのだわ!

    さぁ、大変です!  自由と平等がないなんて!     あはは。






    一度、お考えになってくださいね。 

    あるのか?  ないのか?      




    寝苦しい夜だから、アイスクリームが食べたい。 

    夢の中に出て来たアイスクリーム!

    夢の中のアイスクリームなんて! 食べた事がないから、、、

    食べたいと思うのでしょう。



    そう、とっても美味しそう!  けれど、

    でも、本当に自由と平等を食べて、その味を、知っている人はいない・・・

    食べようとすると消えていく、、、、、  







    つまり、不自由と不平等が溢れている(この世)の実感から、

    人間の意識が作った、いかにも西洋二元論らしい言葉です。



    Aである。 非Aである。  そのどちらかだけを引っ張り出す。 


    不自由より自由の方が、差別より平等の方が、受け入られやすいし、、、

    そう云うスローガンは、内実より、耳が、受け入れてしまうわ! 

    心が! ね。


    そういった観念的な、夢見る言葉は、ゴミほど多いでしょう?  あは!
       
    常に、西洋的言葉は、対立するロジックを作り、言葉で遊ぶのですね。


    西洋文明は、人類の想像力の結晶ではないかと...    




    どうしてこうなのだろう?  

    あまりにも上手くお話をするから、嘘だって見分けがつかない。

    話せば話すほど、真実から遠くなるのが、分からないのかしら?


    ほら! 自由には、義務が裏表にあるのだとか...

    自由と平等とは、同時に成立しない。とか...

    本当に論争が好きですね。 







    このブログの目的は、

    西洋文明の大波に洗われている日本の今の現状を、

    このままでいいのだろうか? 

    大きな穴が開いたような不安を抱えて、

    何とかしたいと思って記事を書いています。 



    それは、おおげさな思想の問題と云うよりも、

    我々の生活の問題であり、個人的な人生に表われる姿であり、

    真の満足感の追求なのです。 


    アメリカやヨーロッパの人々の考え方、生き方を批判する目的ではなく、

    西洋思想の「根」= キリスト教自体を受け入れないで

    西洋的思考方法「花」だけを利用している半端な日本人に対してです。






    なぜ、西洋文明の波に洗われている事が良くないのか?




    それは日本が、明治維新で西洋化を受け入れた時に、

    キリスト教そのものを受容して、その信仰を深める事で、

    日本の西洋化を進めていったのなら、

    あらゆる分野がキリスト教思想の反映した社会に切り替わり、

    社会や家庭における道徳が、

    キリスト教徒としての道徳を守らざるを得ない社会になったでしょう。




    後々、ほんとうに日本にとって不幸な事は、

    その当時の明治政府が、 

    欧米列強の一神教のキリスト教に対抗して、

    政府の組織の中に、国家神道という新しい宗教を作った事です。



    そして、キリスト教と云う宗教を除外した

    科学技術や進んだ知識だけを西洋から取り入れるという

    日本にとって二重構造になる近代化を行ったわけです。 



    これは真の意味で日本の西欧化を計るというよりも、

    西欧の都合のいいところだけを利用したハウツーものです。

    つまり、このやり方は、低俗なの。 恥ずかしいくらいです。 




    日本は、過去の歴史においては、もっと正々堂々としています。


    朝鮮を真似る時には、朝鮮から儒教を取り入れ、そして漢字を用い、

    あるいは、政治制度を真似る時には、

    仏教を学び、仏そのものを受け入れて来ました。 




    だからと云って、日本が

    キリスト教的社会になれば良かったと、そう思っている訳ではないのです。




    明治維新以降の日本は、欺瞞的です。

    素裸は、日本の伝統的な神道と天皇を利用した新興宗教の国家神道。

    その上に、西洋文明の技術と学問を盗んで装って来たわけです。



    例えて云えば、

    頭は鉄製なら、からだは木製、手足は石で作ったのです。

    まったくの支離滅裂、人だったら、健全な人格と言えないでしょう。


    人付き合いでは、こういう人なら警戒をします。  

    そんな状態ですから、わが国は大戦へ突っ込んで負けます。


    それはそうでしょうね!

    まともな事ができるとは思えない。

    自己欺瞞は、返ってまわりの渦に巻き込まれます。

    本当の自己を失っている。嘘のかたまりなのですから.. 。

    心身が統一されていないから、何の判断も間違ってくる。

    だから、戦う前から負けは決まっていたはずです。
     



    その上、GHQの占領政策で、

    戦争を起こした危険な宗教、思想だと云う事で、

    急ごしらえの国家神道なる似非宗教は禁止されました。



    これは、仕方ないでしょうね。 

    外国の戦勝国からなる占領軍に解体されて消える宗教なんて、

    初めからタカが知れているのです。

    日本人の心の根にはなれなかったのです。

    宗教と云うからには弾圧を逃れてでも信仰を貫いたキリシタンのように、

    地下に潜っても、信仰を捨てないのが本当です。



    我々に、国家神道は残っていますか?  ないですね。

    その程度のもので、戦争をしたのだから呆れます。




    日本は、上に揺れ、下に揺れ、揺れてゆられて、、、


    過去の精神的な伝統を失い、心が空っぽになりました。

    今現在は、頭・精神=『陰』のないまま、

    制度や法律=『陽』のみで国を何とかしようとしています。




    ーーーーーー  なんとかなりませんね。

    今は、政治も経済もあてどなく浮遊しています。 



    外交だって、そうです。


    自己の価値観は、自己の信条体系です。

    つまり自己の良心です。

    良心がある人と人とが、初めて認め合えるのです。

    そこに真の人間関係を築く可能性が生まれるわけです。


    認め合った土台の上に、お互いの利益を守る事ができるのですよ。


    自己の価値観を失った国家が、どう云う外交をするのですか?

    日本は、国益を守る事などできるはずもないでしょう。





    まるで木の葉のように、他国の国益の波間に翻弄されるだけでしょう。 


    わが国は、頭が無い国ですから、目や耳という五感のない国体で、

    手や足で何をまさぐっているのでしょうか? 

    お金だけをまさぐっているのでしょうか? 

    薄っぺらい、吹けば飛ぶような...




    それに引き換え、

    真の信仰の新天地を求めたピューリタンの信仰を持つアメリカの建国に、

    わが国は、国家の骨組みから劣ってしまった。 



    フランス革命で、人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、

    所有権の神聖などの基本原則を明文化した(意識化した)フランスも、

    その建国の筋は、ハッキリとしています。



    わが国は、国が拠って立つ理念の普遍性で負けているのです。


    なにをやっても、これじゃポチか、丁稚にしかなれない!





    日本の歴史や伝統から見ると、今の日本は中味と外が違うのです。

    今は、その中味すらも崩壊している。


    個人だって、その未来を作っていくのは、中味の深さです。

    中味のない国の政治は過去に囚われて、自分の未来を作れない。

    だから、何も決められないのです。






    西洋の衣を着て、中味は空洞。

    142年前に、わが国は、頭で近代化の学問を、手にそろばん(経済)を、 

    (そう云えば、福沢諭吉の学問のススメには、これからの時代は、

      学問とそろばんだと、そう書いてありましたっけ )

    これは、生きていく為には、最低の手段の選択です。 


    衣食住の為に、心を捨てろ、と。


    ひどい、、、





    心は、根無し草=廃墟である事を選択したのです。 

    3.11の津波の惨状は、

    我々の本質の中に、すでに142年前に、実現をしていました。

    心の眼は、眼前の荒涼とした惨状をずっと以前から見て来たはずです。 




    あろうことか、

    現代でも、知識人と言われる人は、武士道こそが日本の魂であると、、、

    しかし、

    明治からの知識人に武士道をほめ称える資格があるのですか?



    わが国は、

    その空洞を、キリスト教で埋める気はさらさら無いようです。

    江戸時代の檀家制度で形骸化した仏教に戻っても仕方がない。

    国家神道と云う官製の新興宗教は、お払い箱になっている。


    だから、日本が西洋文明の波に洗われている事が、困ることなのです。


    これは、自己欺瞞以外の何者でもありません。    

    自己欺瞞の本質は、自分を取り巻く現実の因果関係において

    自分の責任を切断してしまい、

    自分に都合の良い想像上の架空の幻想を脳の中に作り続ける事です。

    その観念の中で行ったり来たりを繰り返すだけです。

    ゆえに、真の現実感を失います。

    ゆえに、真の現実対応ができません。 

    すべて、自分さえ良かったらいい勝手な意識の仕業なのです。

    無意識に蓋をし、都合の悪い事だけを無意識に押し付けます。



    個人における自己欺瞞は、個人の人生の破綻に行き着きます。

    国の自己欺瞞の先は ?  どこへ行き着くのでしょうか?



    あろう事か! 

    日本は、『陰』、無意識の世界を大事にしない上に、

    無意識に、イヤな事だけを押し付け続けています。

    (まるで、身勝手な男の論理の押し付けみたい~!  あはは。

    これじゃ、夫婦関係は破綻をします。 離婚するかも...?)



    国の社会破綻。

    国民を守れない。 国益を守れない。 国境を守れない。

    世界の中で存在が破綻します。






    ただ、うつむいて技術だけですか?

    しっかりして!  日本!






    前置きが長くなりました。

    やっと本文です。  


    欺瞞が満ち溢れている日本に流布している西洋文明の言葉、

    ” 自由と平等 ”についてです。 
     


     ほっ!  





    もう、自分の正体すら分からなくなっている日本中で、

    気楽におしゃべりにも出てくる自由と平等とは、

    一体、何なのでしょうか?


    今は、なんだって自由でしょう?

    だれだって平等なんだから !


    この状況を、言葉の内実の混乱と言わずして何と言うのか?

    言葉が、軽く使われて、

    まるでゴミのように捨てられている我々日本人の日常です。





    ヨーロッパにおいては、前述のように歴史があり、

    キリスト教の神や王権の呪縛からの自由であり平等であったのです。



    西欧の自由と平等には、それなりの実体があります。

    二元論の範疇に押し込んだ、自由 と 平等ですが.....






    人として生まれ、その人が集まって社会を作り生きていく時に、

    人が、人のためにルールを作ります。 

    それが憲法、

    それは、人間が人間の為に作るのですから、

    人をみんな同じように扱う事が、大前提になりましょう。



    しかし、そうは言っていられない国や法律はあります。


    つまり、

    権力者のエゴや欲望の達成の為に、不平等なルールが勝手に作られて、

    権力者以外の人を差別、利用し、搾取する法律が存在します。

    今の地球上にも、そう云う段階の国があります。



    そう云う段階から、次の段階へと進むステップに、

    たしかに、言葉で云う処の自由 と 平等の言葉は掲げられます。


    安全のない工場に、安全第一、と云う標語が掲げられるようにです。


    人間は、人間に虐げられ、人間に傷つけられ、人間に差別されて、 

    苦しみ、悩み、戦って、

    観念の中に、やっとこの世に欠けているものを、

    発見し、言葉で表わす事ができたのでした。。 。




    苦しみの果てに、自己を救おうとする意識が生み出した概念です。




    それも、まだ、観念の中、

    意識の作った本の題名、第一章が書かれたばかりです。

    人間の脳の前頭葉が、シナプスをつないで探り当てた言葉です。






    これらは、東洋的な観点からは、部分的な知見にしか過ぎません。



    簡単に言うと、意識が作り上げたものは、

    それだけでは、現実には存在する事はありません。

    存在をすると一応の仮定をして、あるロジックを構築したものです。 




    梯子をはずされた。その梯子なのです。

    ロジックとは、梯子を登るための梯子、またその為の梯子。

    梯子、はしご、はしご、梯子の為の梯子、、、

    何の為のはしご? 天国への梯子でしょうか?







    東洋の思想の中には、自由、平等、このような概念はありません。



    自然と人間が、一体で、その調和の姿を中庸と云い、

    その為には、

    人間の欲望を『天』と調和する処まで節する事を知恵と考える体質には、

    人間が自由と平等である状態など必要ない。

    望んでいないのです。 




    西洋の、ある、とか、ない、とかの概念とは違います。


    あの地震と津波の力は、ものすごいエネルギーでした。

    『陽』となって具現しました。



    しかし、今はひっそりと、眼前にはありません。

    台風もそうです。

    『陰』となって意識には捉えられません。


    地震や津波が、現象となって出て来ていない。

    つまり、無意識の世界の中へ隠れている。



    これで地震や津波は無い、とは言わないでしょう?

    地震や津波のエネルギー、これは存在します。

    観念の中の、意識の中だけの、夢の中の力ではなく存在します。  



    自然とは、そう云う存在である。 


    東洋における本来の自然観から、

    『陰』の世界からありのままの自然を観れば、

    存在する「生命」のレベルでは、もの皆、すべて平等であるけれども、


    『陽』の世界では、あらゆる生物や物は、一切が、平等ではありません。



    『陽』は、差別相のある世界なのです。 現象世界です。 




    その姿、形、種類、生命活動における条件は、バラバラ、さまざまです。

    命が存在する場所、土地、気候、温暖、等、

    個々には、序列があり、差別があり、長幼があり、能力の差があります。



    平等ではない。と云う事が、『陽』の世界の常識です。







    その差別相を表わしている世界が、『世間』である。

    この世である、この生きて行く社会である。






    植物においても、種が落ちて芽を出す土地でさえさまざま、

    『天』から与えられた性質、姿、力は、決して同じではありません。

    差別、序列が当たり前なのです。


    その表に表れた差別相、それが現出しているこの世のありさまを

    仏法では、『世間』せけんと言います。



    「間」とは、個々の差と差、その違いであります。

    この世は、あらゆる差別相を表わしながら生きて行く場所である。

    それが、「世」です。



    あらゆる思い通りにならない不自由な苦しみ、

    人がこの世の中で受ける差別の苦しみ、


    これらを、東洋の叡智、仏教では、『苦』と言います。

    四苦八苦、あらゆる『苦』です。 

    これは、本当に、私たちの命(心と肉体)に存在しています。




    観念の中だけにあるとか、偽の存在ではありませんね。

    現実の体や心=命を痛め、苛め、傷つける実体を持つものです。


    東洋では、この苦からの開放を、目指しました。

    このあらゆる苦からの開放された状態を、仮に丸い球体とします。

    ある側面から見た球体の観察観が、

    ――――― 西洋的価値の「自由」かもしれない。

    また別の側面から見た球体の観察観が、

    ――――― 西洋的価値の「平等」かもしれない。


    だから、部分知と申し上げたのです。 

    東洋から、西洋を観ると、そう捉えられると思います。


    これこそが、東洋の叡智です。 





    フランス人権宣言にある自由と平等とは、

    自然に基ずく「法」に限定されるとしています。



    今、 真実そうに見えても、いつ崩れるかどうか、わからないもの。


    ”人権”と云う概念も、そうです。


    日本国の憲法に書かれた言葉であったとしても、

    日本が、国力が衰えて、衰退をし、

    どこか大国が侵略をして来て、併合とか、

    日本がその国に支配をされる事が起これば、

    日本人の人権、自由、平等、なんて吹き飛んでしまうでしょう。



    いかほどのものでしょうか?



    圧倒的な、あの地震と津波の力のような

    元々自然に存在するものではないのです。






    今の日本国の認める自由、平等、人権などの制度は、

    そう、あくまでも制度の上の自由、平等、人権です。




    人が定めたものは、作り上げたものは、

    『時』、時代とともに、人にツレ、と云う様に、

    人がどう云う意識を持つかによって変化をするものです。

    人の作った概念は、自然の前では、無力です。




    西洋の言葉は、人類の苦闘の歴史かもしれない。

    が、『陽』の範疇のものでしかないのです。



    常に繰り返し記事の中で書いている事ですが、

    『陰』の本体のバックアップなしでは、

    無意識の世界の力の存在を認める事なしでは、


    すべての『陽』は、形骸化をし、効力を失います。

    つまり、それらは即、嘘になるわけです。

    故に、『偽』に通じると言います。



    そうすれば、これらの事は、生活に、人生に直結します。

    何かを真に求めても手に入らない。

    しあわせは、手の指の間からこぼれていってしまいます。


    根無し草的生き方=見えないもの『陰』を失った生き方、

    をあらためる事が、非常に大事になってきます。

    中身もよく知らない自由と平等と云う言葉を

    私達が、家庭の中へ、家族の中へ、人間の中へ、

    知ったかぶりをして口先だけで、持ち込むべきではないのです。




    友愛こそ、持ち込むべきでしょうね。   あはは。



    よろしくおねがいします。



    我々は、近代化の研修を142年間も受けて来ました。

    もう、そろそろ研修も終わりにしたいものです。











    長い記事にお付き合いくださって、

    最後までお読みいただきました事に、感謝申し上げます。



    よき週末を、お過ごしください。































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 家系・家族の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    『陽』の相対的世界における自由・平等は絵に描いた『お供え餅』です。

    Category : 生活哲学
    110718の富士山


    7月19日 台風前の雲の帽子をかぶった富士山






    もう、10日ほど前になりますが、台風が近づいている空模様を案じながら、

    先祖の年忌法要を済ます為に、7月16~18日の3連休を利用して、

    2ヶ月ぶりの墓参に行って来た時の車窓から撮った富士の山です。



    台風が近づいている直前の気配か、

    墓参からの帰路の車窓から見えるのは、

    夏草の向こうに、モノクロームの富士山でした。

    ゾーっとこわい?感じの、富士山でした。
     






    きょうは、前の記事(自由 平等)にいただいた長いコメントへのお返事です。


    長いコメントなので分割、編集をして紹介します。






    《 日本の教育は、

    義務教育や受験で入り口段階までは機会均等になっていると言い、

    進路の自由や機会が平等に与えられていると言い、

    職業の選択の問題も就職先や進路を自分で選択可能だと言う事になっているが、

    これは、有り得ないと考えます。


    たしかに小学校入学のスタート地点から最終学歴の卒業までは

    平等であるようになっている。

    つまり、制度としての平等は託されているようであるが、

    その現実は、教育や職業の選択の自由、平等を実現するというよりも、

    実際は個々の差別化を実現する制度になってはいないか。

    実態は格差の実現化のための制度として機能している。》





    教育や職業の選択における自由と、

    その選択の機会の均等化=平等の問題ですね。


    たしかに!

    制度が、また次の不平等を生む。

    そうおっしゃりたいのですね。



    そのとおりですわ !! !  まちがいありません。




    それは、すべて『陽』の範疇の世界の実相です。

    意識から生まれるすべてのものは、『陽』です。

    制度、法律がそうです。 

    学問、もそうです。

    なかでも判りやすいのが政治。

    『陽』の実態を、よく表しています。




    まさに御しがたい官僚の独特の言葉と、

    その官僚機構こそが、今、『陽』の権化となっています。

    まるで、終わりなきペテン、嘘、偽装の言葉のジャングルです。  

    ( 失礼、、、あはは。)

     
    『陰』のバックアップ(=中庸)がなくなった日本国における法律や制度は、

    『陽』の独占化、権化です。




    今、これらの『陽』の現象世界は、人間(生命)を守っていますか?

    守るどころか、 すべてが遅延し放置されています。

    被災地では、3.11の津波で陸へ流れ来た魚の腐臭が漂っているそうです。

    生命の痛みを感じているとは、とても思えない状況です。



    『陰』の欠片もない『陽』は、中庸を失い、生命の無視、殺戮へ動きます。







    自己を死から守ろうとする機能がその正体である意識が、

    死への恐怖から、自己保存の目的の為に

    この世の相対世界を作り、

    人間の意識が作った言葉が、この世界を分割し学問を生み、

    人間の意識があらゆる社会的格差を生み出すのです。


     

    その差異が現れる姿は、樹木の幹からの枝、その枝分かれの姿そのものです。

    『陰』の本体を分けて、分けて、分けて、幹から分かれた枝です。


    『陽』の本質は、数値化、比較化、差別化、分化であるならば、

    『陽』の現象の宿命は、分知=部分的知見でしかありません。



    ある部分は、当たっているかもしれないが、

    他の部分は、外れている。

    意識は、スポット的です。

    だから、学問で人生を考えてはいけないと云うのです。


    どんなに、その制度や法律を考え抜いて作ったとしても、

    意識が推進し、定めた制度・法律と云うものは、

    所詮、意識の反映=現象であり、本質から「分かれ」出た部分なのです。


    この世・相対的価値を追求する世界を構成するものです。 






    人間の作ったもので、この天下(自然・人)を包摂する事はできない。


    故に、

    近代化によって輸入された”自由、平等”と云う言葉の本質は、

    『陰』もしくは『陰徳』から、もっとも遠いものになります。






    つまり、制度や法律は、いかに平等の実現を図ったものであろうが、

    その他方では、不平等=格差を生むのです。

    だから、それらを納得した上で運営されなければなりません。 






    つづきです。


    《その理由は、

    先天的に自然から与えられた個人の資質のまったくの違いを無視している。

    それでも殊更に平等を強く印象つけるために教育の現場で指導をされる事は、

    曰く、『誰でも努力すれば夢は叶う』という日教組的考え方がなされていて、

    努力をどうするかにかかっていると云う言い訳です。

    この理屈は、

    制度の限界を親と子供たちに転化するもので彼らは迷いながら従うしかない。


    ゆえに夢が叶わないのは本人の努力が足りなかった。という圧力が働く。

    これは自然な差異のある生身の人間の現実を

    無理やり人間の理性がつくった制度へ合わせるイカサマです。》






    あぁ、たしかに、でも、

    イカサマというよりも、

    それが、『陽』の現場そのものと云う事であり、

    相対的価値を追求する実際の競争、

    効率、数値化で評価される現象世界の現実だと思います。


    いわゆる相対化されたこの世と云う世界の現実なのです。



    ゆえに非常に、人間性を失ってしまう現場でもあります。

    『陰』の本体の創造性が枯渇する現場ですね。


    これは、その制度、仕組みに関わる姿勢の問題です。

    それは、『陰徳』と密接に関わっていると前で申しました。







    運命学において、説明しましょう。

    努力は大事です。

    また、忍耐も大事です。

    一生懸命も大事です。


    ただ、努力と一生懸命さを押し付けるだけでは、だめですね。

    『誰でも努力すれば夢は叶う』は、すべての人に当てはまりませんね。

    人生は、計算や理屈ではありませんから。。 。




    私の、運命鑑定で観る現象、その現場で感じる事は、

    『一生懸命にやれ!』と云う言葉の功罪です。



    不幸になる方は、そこへ至るまで一生懸命にした人たちです。

    『一生懸命にやって』どうしようもなく不幸になった結果を観ています。

    一生懸命にやったから、破綻の崖まで来たと言う事もできます。





    順調な運に恵まれた人ならともかくですが、

    リスキーな命式をお持ちの方が、一生懸命やったらどうなるか?

    リスクが実現されてしまう危険性が、あります。





    何に一生懸命になるか? 

    どう云う心構えで一生懸命になるか?


    これは、どう云う信条を持って一生懸命したらいいのか?

    と云う内面的な条件も鑑(かんが)みないといけません。



    これは、倫理、道徳まで関連してきます。 

    ここが、このブログを書いている土台の処なのですが。








    しかし、肝心なのは、当たり前のことですが、

    人間の存在を、相対化された世界にばかり置かない事です。


    自分に値打ちがあるかどうかと云う判断を

    相対的な価値観でばかりする事は、『陰徳』を消去します。



    ずっと以前にも、言いましたね。

    女性の教師は、『陰徳』を消去すると。

    お分かりになりましたか?




    が、しかし、ここが、日本の苦しい所ですね。

    相対化された世界の価値観しか、無くなって来ています。。  。





    単純に夢が叶わなくても傷つく必要はないのです。

    儚(はかな)い、と云う字は、人に夢です。


    夢を見る人は、はかないと云う事なのか?

    人が夢を持つ事は、はかないと云う事なのか?


    ??  昔人の字を作った意図は解からず、、、  あはは。






    そう!  夢は見るものではない。実現するものだ。

    なでしこジャパンの沢さんが、言っていましたね!


    これこそは、その時の、タイムリーな真実、部分知そのものです。

    嘘ではない、けれど、誰にだって言えるものではない。



    こう言わせる彼女の運は、

    修験道者のような苦を求める=自分を痛めつける修行をすればするだけ

    それが、即、自己を守り、自己実現を叶える事に結びつきます。



    つらさが即喜び。 苦しむ事が、即意欲、即実現する運です。



    この命式を持つ沢さんならではの言葉です。





    つづきです。


    《 ある学歴を身につけたとして、

    同じエンジニアという職業についても、

    アメリカのマサチューセッツ工科大学院、国内の大学院、一流の工学部、

    三流の工学部、専門学校卒業では、一つの大メーカーに入社できたと

    しても手にする業務は天地の差別が実社会にはある。 》 




    それは、まさにあらゆる差異による差別化のヒエラルキー、

    どこの世界にもある姿です。



    つづきです。


    《 自然の社会の実態は、

    不平等であると明らかにし正直に受け止め、

    個々人においては正しく己を知ることが正しいと考えます。》





    あはは。


    いい処に、たどり付きましたね。。 。  

    拍手喝采を贈ります。  パチパチパチパチパチ !!




    外から与えられた平等なら、破綻をした共産主義の論理で経験済みです。


    西洋の自由と平等の獲得は、法の限度内で実現をしようというものです。

    悪い事ではありません。

    人間の脳、前頭葉の発達した成果です。   ほほ。




    しかし、それを近代化で輸入をした日本が、

    制度や法の整備で、自分の自由と平等が実現すると思うのは、甘い!  あは!


    勘違い! です。
     




    昨今は、自分は自由と平等を両手に持って生まれて来たと、

    だれにも負けない人権と云う権力を持っていると、

    勘違いをして大人になった人間が増えて来ています。  おほ!



    西洋の相対世界の価値観である自由と平等を、

    わが国の空っぽの頭に、絶対化の価値観へと取り込んでいる!!!、

    なんと云うおそろしさ !!

    これが、欠けたものを補おうと云う、補償と云う行為なのでしょうか?


    なんとあわれな~


    母を失った幼子が、他人に甘える代償行為のようです。

    にせものとほんものの区別がつかなくなっているのですね。


    ”みそもくそも一緒 ”





    浅はかな自由と平等と人権と云う言葉を知っただけの知識の獲得で、

    わが身を守れるなどと、この世をあなどるなかれ!




    絵に描いた(お供え餅)でお腹は膨れませんよ。 




    東洋の思潮の大体の似ている目的は、


    法・制度の内のみならず、

    自己の運命からの開放、不幸の連鎖からの開放、自己の真の確立です。



    ここでも、東洋の方が深くて、広いのです!   ほほっ!  



    ( いばったって仕方がないのですがー )




    東洋の叡智は、

    この世の相対的なものさしで測れる程の小~ちゃいものではなかったのでした。



    まぁ、そう云う視点からみますと、

    日本は、142年間の近代化の研修におかげで、制度、法的な整備は済みです。

    その中身が空洞である事が、問題なのです。



    絶対的価値を失いつつある日本の国土において、

    男と言わず、女と言わず、

    だれもが相対化された価値を追いかけるだけなら、

    それは、まさに法的に整備された不平等と、

    管理された不自由のジャングルに足を踏み入れた事になるでしょう。



    制度としての完璧な自由と平等と人権のもとで、

    行けども行けども命を殺戮する不平等の壁に突き当たり、

    出口のない閉じ込められた命を圧殺する不自由な天井の下で、

    人権を持った奴隷になっているかも知れない? のです。   




    ほ。



    一瞬たりとも早く、この現実に気づいてください。

    その為に、このブログを書いております。





    何事も言葉だけを鵜呑みにしたらいけないわ~


    ”愛してるよ~!” ”あなただけ~よ!”  ぶーー。


    何事も、言葉だけ~~~で信じてはだめなの。




    西洋の言葉を咀嚼もせずに飲み込まないで!

    きちんと、東洋の消化酵素をかけて消化してほしいのです。


    西洋は、キリストと云う神があっての言葉です。

    聖書に手を乗せて誓う言葉です。



    わが国は、なにに誓う言葉なのですか? 


    なににって? 

    頭が無い。 魂が無い。 

    心ぼそく。

    ハートさびしき。


    云う程のものが無いはず。

    無い無い尽くしで、よく頑張っている事だわ !   あはは。


    今までの繁栄は、過去何千、何百年の先祖たちの『陰徳』のお陰です。

    今、生きている我々の力ではありません。

    資源こそ地球の成り立ちからの恩恵ではありませんか。 




    光ですら、何億光年も経て、到達する。

    我々の行為も、一度『天』に波動で伝えられて、

    全宇宙へ、すみずみまで、響いて伝えられるはずです。



    なぜなら、東洋は、宇宙と我とを一体と言います。




    すべての宇宙を経めぐった我々の所作のリズムの結果は? 

    いつごろ宇宙から戻り、その答えが具現するのでしょうか?

    何億光年の先、 まず月あたりに行ったものが帰って来るのが、

    孫の時代でしょう。


    もっと後に、還ってくるリズムもあります。


    どう云う応報が還って来るのでしょうか?



    お考えくださいね。  



    今回も長い記事を最後までお読みくださった事に、

    深く感謝を致します。



    次回は、夏疲れもあって、

    短い記事にしたい。 そう思っています。    ほほ!


    よき一週間を、おすごしください。




































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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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