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    陽〈男性の生き方〉 知の限界とジェフリー・リー氏にみる少陰 (コメントへのお返事)

    Category : 陰と陽〈男性の生き方〉
    2011.8.18の富士


    2011.8.18の富士山
    裾野だけ、、、お姿が見えません。










    立春から数えて二百十日目、

    現在の暦でいうと九月一日か二日ごろを「二百十日」といいます。

    昔から、この日は台風が多いとされています。  そのとおりですね。



    今日も陰と陽〈男性の生き方〉 カテゴリーの記事です。


    前回の、石原都知事にみる少陰の記事に続いて、


    男性の中の『少陰』について、

    オーストラリアの先住民族アボリジニのジェフリー・リー氏についてです。



     


    今日のキーワードは、「★ おばあさん 」です。 ほ。


      

    では、まず

    前回の石原都知事の記事にいただいたコメントへのお返事です。





    はい、僕もおかあさんとおばあちゃんにはお世話になっている者です。 
     
    石原都知事の”天罰”発言ですが、

    4月ころに、文芸春秋に、

    今回の震災についてのなかで、

    石原都知事以外のだれも、”天”や”神”という言葉をつかっていない現実を

    批判している学者の文章を読んだのですが、

    ”天”や”神”を反故にしてきた近代化を批判する内容だったと覚えています。

    このブログの論調と合うのではないですか。


    僕の記憶によれば京都大学の先生だったです。






    コメントありがとうございます!

    教えていただいた文章ですが、忙しくて読んでいなかったのです。

    さっそく、文芸春秋を読み直してみました。






    以下、社会経済学者の佐伯啓思・京大教授の論旨です。 


    『 今回の震災が、「世界観を変える契機」になる。 

    その理由は、

    今回の震災が、「近代的な価値観」の限界をまざまざと見せつけている。


    人間が近代の科学主義と技術主義を用いて、

    自然を管理できると云う信念が、打ちのめされた。

    物質的な幸福を無限に増大する事ができると云う信念が、

    今回の震災で打撃を受けた。

    自然は、人間の思い通りにいかないと云う事実を突き付けられたのだ。

    その事は、我々が、常に、人智を超えた不確実性に

    さらされていると云う事実を、思い知らされたと云う事だ。』 





    今回の震災が、

    何でも技術で統御できるとした科学を信じる科学万能主義が、

    間違っていたと云う証拠、現象そのものなのですね。

    科学でいくら計算し、統計を取った処で、

    自然と云うものは、その枠を超えた現象を起こして来るものです。


    そして、

    前回、石原都知事が、今回の震災を ”天罰 ”と言った事を

    このブログでも紹介をしました。


    『 石原氏を例外として、他の誰も、”天罰 ”などと言わないのは、

    近代化が、「天」や「神」の概念を反故(ほご)にして来たのだ。』 



    と近代主義を批判をしています。 そしてさらに、


    『 近代化で失った、「天」や「神」=畏怖すべきものの前に頭をたれつつ、

    途方もない災難に敢然と立ち向かうところに、

    人間というものの自尊がうまれるのだ。』







    以上が、その論旨です。

    当然、この論旨は、その通りだと思います。  

    が、何を今更!と思う心もあります。 

    近代的学問の学徒ではない庶民には、前から至極、当たり前の事なのですね!  

    近代の学問的知見を学んで、そこまで染まっておりませんから。

    疑いながら科学を見て来ましたから.....


    しかし、近代の知識を信奉し、学び、研究し、

    それを職業として”なりわい”としている方々には、

    たしかに衝撃だったはずです。




    科学が万能だと、近代知識が正しいと主張する立場における”なりわい”。

    科学は万能だ、科学を信じろと言っておきながら、

    災害が起こってから、それまでの事を分析、批判をして見せてくれた処で、

    後からどんな理屈で説いた処で、もう、遅いのです。 


    どうして、もっと前から近代的科学知識の危うさを訴えなかったのか?

    発信源である最高学府の教授という科学知識の指導的立場の人間の因業に、

    いまさらながら恐れを覚えました。




    哲学も道徳性も失い、功利主義の徘徊する社会の科学と云うものに、

    非常な不安と恐怖を感じずにはいられません。




    正に、こう云う点なのでしょうね。

    釈迦が、十大弟子の知恵第一の舎利佛(しゃりほつ)を嫌ったのは、、、

    女性や悪人が成仏できないとされていた低いレベルの仏教の経典で、

    頭のいい人、知識者階級も、成仏ができないとされていた点です。


    理由は、女性は愚かで、

    悪人は、悪行のせいで成仏出来ない。と云うのは、分りやすいのですが、

    どうして頭のいい知識者階級が、成仏できないのか?


    仏教を、学び始めた時に、疑問に思ったものです。




    知識を持った頭のいい人間は、自己の知の権威を守るエゴや、 

    自分が知識を得る事を、なにより優先するエゴが強い為に、

    他者を救う事よりも、自分の知的欲望の満足が大事な場合があります。

    あるいは、自分の知的欲望の為には、他者を犠牲にする事もあります。

    そう云う知識者階級の欠陥性が、仏法における成仏を妨げていたのですね。






    これが、分かった時には、仏法の深遠さを感じたのを覚えています。



    法華経になってあらゆる生命の成仏は可能になりますが、

    仏教の低い経典では、そう云うエゴを乗り越える力がなかったのですね。





    しかしこれは、

    知識を売る事を仕事とする人間の犯しやすい罪の本質です。

    明治維新の知識者階級の人々も、そうだったのでしょう。

    その後の事など、眼中になく、影響の精査もせずに、

    浅はかな! 現実の足元の成果だけを目算する。

    今の世の効率主義と通じるものですが、

    いずれは反古になる知識を、真実だ!これだ!と、 ピ~ヒャララ~

    お囃子が鳴っている間に、粗(アラ)が出ない内に広めたのですね。 



    それが、『陽』の活動だと言えばその通りです。

    それは、そのまま「知」の限界でもあります。

    たしかに、これでは、まだまだ、


    自己保身のエゴイズムの範疇から、抜け出ていない事になりますね。

    エゴを超えていない善悪に通じる「知恵」は、『陰徳』ではない。



    と、水の徳、『智』で、申し上げました。 


      




    知識がある者の、不徳?  罪業なのですね。  ほ。


    これが、このブログで何度も書く処の”『陰徳』の消去 ”に通じます。

    知識の持つ『偽』の側面なのです。




    『知識』は『知恵』には成れても、『偽』の範疇です。すなわち『陽』です。

    『知識』、『知恵』は、『智恵』、『陰徳』ではありません。






    もうひとつ、


    このブログでは、「天」と云う言葉を、よく使いますが、

    「神」と云う言葉は、めったに使いません。



    理由は、神と云う言葉を気楽に使うものではないと思っているからです。

    神には、さまざまな立場があり、その役割、都合があります。

    それを混ぜて、おおざっぱに、さも分かったように使わない方がいいと思っています。


    「神」には、宗教色があり、

    絶対神を指す場合、仏に従う使いとしての場合、シャーマン的な場合など

    一緒では差しさわりがあり、今のところ、そう云う概念は邪魔になります。

    近代化に対するおおざっぱなアンチテーゼは、

    今の処、「天」で十分だと思っております。




    もうひとつ、

    20、21世紀に西洋から入って来た思想は、

    すべてが ” 人間中心主義 ”です。



    最初のこの言葉の印象は?

    人間が、中心だなんて、 すばらしい!   

    人間が中心なのだからいいだろう?  な~んて思ったりして、 あは。

    喜べ! やっと、人間が中心になったぞ ! 人間回復みたいな? 



    ???     あは。


    まったく、とんでもない話なのに !

    私たちは、安易に、この言葉を受け入れてしまっていませんか?





    これこそ、” ジコチュウ ”。 自然界における人間のおごりです。


    この自然で、人間が、中心だなんて。。。

    人間が、自然を守ってやる、だなんて。。。



    おこがましいのです!



    こう云う慢心では、人間が自然界から排除されるかも知れません。

    そう云う危惧を抱く位、かたくなに我々の意識は、自己中で染まっています。



    これは、罪悪ですよ、もう。


    まして、 「環境保護」だなんて!  「自然保護」だなんて!


    誰が作った言葉でしょうか? ? ?

    人間の思い上がりも、はなはだしいのです。





    *実相は、自然が、やさしく保護してくれているから、

    人間は、生きていられるのです!


    *実相=(じっそう)仏教語、ありのままの真実の相(すがた)





    ”太陽の北極磁場が2年早く反転をしたが、南極には見られなかった。

    こうした事が、地球の環境変動を起こす恐れがある。

    太陽の黒点の活動周期が延びた。

    この延びる時期は、地球が寒冷化する事が知られている。”

             
               ー太陽観測衛星「ひので」7/21の観測によるー




    太陽次第で、地球の私たちは、どうにでもなるのです。



    それなのに、「環境保護」?  

    この手の慢心から出て、他を見下して、自己を飾る言い回し、、、、、、

    どこかで聞いた ?  誰かに似ている...そう、島田紳介。   ほ!



    彼は、だって、現代の功利主義の申し子、生み、育て、祭り上げられた人間です。

    近代の功利主義が、彼が落ちる所まで利用しつくした人間です。

    彼を生み、育て、祭り上げ、落としたエネルギーも、功利主義です。


    どうして彼が狙われたか? 


    それは、彼の心身が功利主義に染まり切っていたからでしょう。



    ★この社会は、道徳を失えば、功利主義の餌食になる場所です。

    気をつけましょうね。   ほほ。







    我々、すべての生物は、

    自然の調和のおかげで、自然が保護してくれているから生きていられるのです。 

    それを、肝に銘じて、覚えておくてくださいね。

    これを忘れると、『陰徳』が消去されて、

    この自然界から引退をしなければならなくなりますわよ。  ほ。 


    これが、実は、絶家になる一つの因でもあるのです。








    さぁ、いよいよ!  ジェフリー・リー氏についてです。



    ジェフリー・リー氏は、

    今年40歳になるオーストラリアの先住民アボリジニです。

    ジェフリーは、言います。


    ”This is my country. Look,

    it’s beautiful and I fear somebody will disturb it,”


    「ここは私の故郷だ。見てごらん、こんなにも美しい。

         私はこれを何者にも侵害されたくないんだ」


    彼は、子供の頃から、もう30年以上、ふるさとを守る為に戦い、

    一族と共に自分たちの土地を守る為に、戦って来たのです。

    彼が住むふるさとは、 Koongarra クーンガラです。


    オーストラリアには、地球上の35%というウランが埋蔵されています。

    当然、世界一の埋蔵量になります。


    クーンガラと云う地域にも、世界有数のウラン鉱脈が眠っています。

    その推定埋蔵量は、14万トンと言われています。


    現在、日本の福島原子力発電所事故の汚水処理等の技術を

    提供しているフランスの大手原子力企業であるアレバ社が、

    それを、見逃すはずはないのです。


    2007年、

    アレバ社は、長であるジェフリー氏へ、ウラン鉱山の採掘権と引換えに

    50億ドルの巨額オファーを申し出てきました。

    その時、ジェフリー氏に断られたアレバ社は、

    それ以降も、数々の姑息な手を打って、圧力をかけ、

    何とかウラン鉱脈を手に入れようとしました。


    しかし、

    ジェフリー氏は、50億ドルの巨額オファーに目もくれず、

    ただひたすら先祖から受け継いだ土地を守った男です。

    まさに、お金の誘惑に負けなかった男です。


    この時のジェフリー氏の言葉を、当地のメディアが伝えています。





    「あそこは聖なる地なんだ。(先祖が)眠っている。

    あそこには、私が守っていく責任のある特別な場所が他にもあるんだよ。

    私は白人のオファーには興味がない。それは、何の意味もないからね。 



    私はお金に興味がない。仕事もある、食物も買える。

    釣りにも狩りにも行ける。それだけで十分ではないか。 

    私の父や祖父は、車や家など他にもたくさんの申し出を受けた。 



    でも、ウランがどういうものかという説明を、誰もしてはくれなかった。


    私の父や祖母だったら、この土地を採掘することに合意し、

    明け渡していたかもしれない。

    でも私は成長する中で、この土地に埋まっているそれら(ウラン)には

    毒性があることを学んだんだ。




    私は「★おばあさん」におんぶされて、この土地をすべて見た。

    おばあさんから、いろんな話を、この土地の事を教えてもらった。

    私はこれを私の子供たちに伝えるつもりだ。



    アレバ社は、大金や何度もオファーをして来た。

    でもそれで余計に、私は失望しただけだった。

    土地への責任はあるけれど、土地を思い通りにいていい訳ではない。

    なぜなら、この土地が、私を所有しているのだから。






    彼は自分達の土地や隣接するカカドゥ国立公園が、

    巨大資源企業の手に渡ることを非常に恐れていました。


    1981年、隣接する「カカドゥ国立公園」が世界遺産に登録されました。

    この世界遺産エリアはその後も、1987年と1992年に拡大・追加登録があり、

    ジェフリー氏は、パリのユネスコ本部まで行って、

    クーンガラ地区もエリアに組入れて欲しいと訴え続けて来ました。

    それでクーンガラ地区を巨大企業の力から守ろうとしたのです。




    クーンガラ


    カカドゥ国立公園




    それが、ついに今年の2011年6月28日、

    クーンガラ地区が世界遺産指定エリアに入ったのです。

    そのおかげで、クーンガラ地区は、永遠に守られます。




    オーストラリアの環境保護団体エグゼクティブのコメントです。


    「フランスのウラン採掘目当ての大手原子力企業アレバ社は、

    非情なまでに、この土地からウラン採掘権を得るために圧力を掛けて来た。

    この土地は本当に危機にあったと言えます。

    でも、今回の世界遺産の決定でそんな危機感は消え去りました。

    本当に祝福する時がやって来たのです。」



    ジェフリー氏の守った土地は、電気も水道もない、何にもない原野です。

    そこに住んでいるのは、もちろん、ジェフリー氏一族だけだそうです。


    辺鄙な土地で、店もないし、道路も舗装されていません。

    しかし、彼等にとっては、豊かな自然と恵みがあれば、

    近代的な便利な物や、人工的な物は何の価値もないのです。


    ジェフリー氏の言葉ですが、


    「自分が土地に所有されている=属している。」


    つまり土地(地球)があって初めて、生まれ育ち、生きれるのだと云う事。

    その土地=故郷に育ててもらったのだから、守る義務がある。

    それを子々孫々まで伝える義務がある。

    と云う事になるのでしょう。



    ジェフリー氏は、この彼の哲学で、巨大企業に勝ちました。





    功利的経済性第一主義 と 自然いのち第一主義との攻防の勝者です。


                               参照記事 : ABCnews




    振り返って、

    原発を抱える県や自治体は、ジェフリー氏とは全く逆の道を選んだのですね。

    巨額のお金や仕事と引き換えに、魂を売ってしまったのではないか?

    西洋的な近代文明への憧れの強さからか、都会生活と同じ物を手に入れる為に、

    いつしかその本質を見失ってしまったのではないか?




    何を守るのか? 

    そして、 守る為の手段を、間違ってはいけない。







    今、日本は間違って歩んで来た道を反省しなければならないのではないか。


    この問題は、小さな規模で、身近な処で、

    どこででも、多かれ少なかれ、常に起きていると思います。


    そのとき、我欲に負けず、自然に沿った正しい判断が出来るか? 


    さぁ、それなのです。


    功利主義に染められないように自己の哲学を持ってください。





    徳性と云う観点から見ると


    『知識』の専門家である学者よりも、

    学識はないけれども、『智恵』を持つ普通の人の方が優れていますね。 











    これで、陰と陽〈男性の生き方〉カテゴリーの記事は、一旦終わります。





    次回は、「無意識の不思議」についてです。



    お楽しみに。





    よき一週間を、おすごしください。







































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    ***** 無意識の不思議 1       意識の矮小性  

    Category : 自然の力
    宇宙の薔薇



    参照 : NASAプレスリリース








    うわぁ~! なに? これ? 

    って、言いたくなりますね!      あはは。


    絵みたい?  いいえ、写真です。


    NASA(米国航空宇宙局)が、公開した

    ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したペアの銀河の写真です。


    地球から3億光年かなたの薔薇のような形の上下の銀河で、

    上部の銀河は、UGC1810、 下部の銀河は、UGC1813です。




    上下の銀河は、数万光年離れていて、それぞれの重力で影響を及ぼしあ

    った結果、渦巻きのような形ができたらしいのです。




    最上部の並んでいる青い光を発する星ですが、

    生まれたばかりの若い星なのだそうです。



    やっぱり、★も、若いと言うのは青いのですね~。   あはは。

    形といい、色といい、神秘的です。 

    星の集まった曲線から生きているような律動を感じますね!



    美しく、かわいいバラ銀河の写真です。










    この銀河のように、宇宙におけるほとんどは、未知です。


    未知なものを説明をするなんて、今日の記事は、むずかしいです。

    ややこしい~、覚悟をしてくださいね。  ほほ。









    今日の記事は、 無意識の不思議 1 *意識の矮小性 です。


    *矮小性=丈が低く小さく如何にも規模が小さい。
         転じて心や行いなどが正しくない様 











    まず、無意識について、

    現代科学の知識と、運命学からと、仏教から、書いてみたいと思います。 







    まず現代科学で無意識を説明をします。


    何にとって未知かと言うと、

    人間の感覚にとって、意識にとって、未知なのです。 =無意識。


    無意識は意識が無い状態というよりも、「気づいていない」状態です。 

    現代においては、心の場所は脳にあるとされています。

    心=意識です。

    つまり心=意識は、脳が生み出しているのです。


    ヒトは、他の動物とは違って進化の過程で脳が大きく複雑になりました。

    特に前頭葉の前頭前野が発達しました。ここに心の機能があります。



    その脳の中には心=意識している(分かっていると思っている)認識だけ

    がある訳ではなくて、もっと多くの膨大な「気づいていない」事柄が

    存在します。


    それを、無意識下に存在すると言います。


     
    ユングが考える「心の構造」は、

    意識、 個人的無意識、 集合的無意識の3層とされています。

    脳は、本人に都合の悪い、理解できない事などを、この無意識下の世界

    に隠してしまっています。


    どうして?


    それは、本人の固体(生命)を維持するのに、無理が掛からないように、

    保守的に守っているのですね。

    私たちは、脳の中に、

    非常に【過保護な機能の装置】を持たされていると思ってください。



    この装置は、地球上の生命発生の初めからの数十億年の記憶によって、

    その条件で、本人の固体を守ろうとしています。


    ここで、意識の至上目的は、その命の保全です。


    だから、

    本人の生命が危うくならないように、

    本人の脳が、処理できるものだけ、理解できるものだけを選択して、

    意識する分かった事として、心の中へ出して来ています。





    次は、運命学からの見方です。


    それぞれ、何が危険か?  何を避けようとするのか?

    無意識に貯められた固体の生命に刻まれた記憶のデーターによって、

    弱点や守備範囲は違いますから、

    それぞれの本人の固体(生命)の特徴が違って来ます。


    それが、その人固有の『運』を形成している訳です。

    または、『運』と呼べる癖に染められているとも言えます。

    運命を鑑定するとは、その癖を鑑定すると言う事ですね。







    最後に、仏教的な説明を簡単にしてみます。


    人間の六根(目、耳、鼻、舌などの6つの受容器官)の下にある無意識に

    は、何層もの無意識的層があって、一つ一つの無意識には役割と特徴が

    あり、事細かに説明がされています。



    深い所には、

    人類共通の生命発生からの、まだ意識が芽生える前から存在した

    宇宙的な無意識があり、

    人の無意識と大宇宙の無意識は、一体のものです。



    なぜなら、私たちの生命は、

    最初、宇宙の中から生まれ出て来たに違いないからです。

    生まれ出でる前の、

    宇宙と一体であった時のもとのままの状態が、意識の奥に、

    表層の無意識の下に、その何層もの下に存在しているからです。


    実際の仏教の論説は、もっと詳しく、

    現代の知識をもってしても驚くべき合理性を持っていると、

    驚嘆したのを学び始めた時に感じた記憶があります。

    現代のユング心理学ですら、無意識はたったの2層です。

    仏教の説く、その全貌には全く迫る事もできていません。

    仏教は、科学や陰陽学、運命学などと同列に並べる事のできない

    深遠な仏の『悟り』の智慧の体系です。

    が、全部の説明は到底無理なので、詳細は省かせていただきます。

    いつか、機会がありましたら.....





    古代中国の陰陽学においては、


    『陽』が、明るみに出て覚知できる世界であるなら、

    『陰』は、暗闇の中で、人の意識では覚知できない世界です。



    闇と光。


    陰と陽


    陰陽は、東洋思想の言葉です。


    意識・無意識は、西洋思想の言葉です。


    陰=無意識ではなく、


    陽=意識ではありませんが、


    陰陽を分かりやすくするのには、意識・無意識で説明をすると

    便利なのです。  前にも申し上げましたね!




    便利で片付けていると、必ず先で不都合が起きます。

    が、それを覚悟をしていただいて論を進めて行きます。

    が、但し書きを、書かなければ。。 。



    と云うのは、これから出てくる意識・無意識は、

    ユング心理学の意識・無意識の内容と同じと思わないでください。




    しかし、現代科学のユング心理学では意識で掴む事のできない無意識

    を、意識化した言葉で説明をしています。  

    そこが、便利です!!   あは。



    本当の無意識は、意識では掴む事ができないものです。 が、

    それを言葉で説明をしていると云うのを利用しましょう!  


    むずかしい?


    だいじょうぶですね!


    現代科学のユング心理学の意識・無意識の言葉を使いますが、

    これ以降は、その内容と同じと思わないでくださいね。




    あぁ、ややこしい!      あはは。




    意識的な言葉で、しかも合理的な言葉で説明をしたら、それはもう、

    無意識ではなくて、りっぱな合理の意識の領域のものなのですが、

    西洋的合理主義における学問と云うのは、そういうものです。


    無意識を、文字で書いたり、知識として説明をし、

    意識で理解をすると言う事は、本来の意味合いからは無理なのです。

    それは、本末転倒、おろかな=ウソです。




    東洋は、そう云う時にどう言うのでしょうか?

    東洋は、直感智で『悟る』と云う言い方をします。



    つまり、一番大事な事は、知識では表せない。

    と云うのが東洋的です。





    『悟る』を仏の『智慧』と置き換えてみましょう。


    『悟る』=『智慧』は、無意識の世界の中に存在するものですから、

    意識が作った言葉では本来、表現できないものなのです。

    それを、人間の『智恵』で、推論する。

    その位、『知識』と『智恵』と『智慧』は乖離しているものです。


    意識で無意識の世界を理解する事はできないのです。



    が、今、それをやろうとしている訳です。  疲れますね~。 




    だから、東洋的には、無意識の世界にある

    仏の『悟り』・『智慧』を解かるとは云ってはいけません。

    無意識の世界の事は、認識したり、理解する事は不可能だからです。




    そう、そこは知識を積み上げて、意識がどんなに頑張ってみても、

    この運命学ですら、

    文字や知識に置き換えて説明するとなると、それは難しいのです。

    毎回、悩んでおります。   ほ。





    意識は目の前の価値だけを追いかけますから、つまり評価です。

    時と共に移ろう評価です。

    意識は、本人の評価を気にします。

    ある時は、評価を守る為に、あるロジックを出して来て、

    ウソをついててでも本人を守りますから。



    政治の世界が、その見本です。     あはは。



    無意識の世界の事は、

    学問が意識の集積である以上、

    たとえ、哲学であっても、学問の手が出るものではありません。




    だから、このような意識で、

    ”人間”、”しあわせ”、”平和”、”安全”、”愛情”と言う


    目でも見えない、触れない、匂わない対象を理解しようとすると

    五感が頼りの意識では、間違う可能性が大いにある訳です。


       

    だけれど、意識に、”人生”なんて、本質は解かるわけがないのに、

    学者さんは、堂々とやっていますよ。 


    意識の本質を知らないまま、 

    真理の(取り扱い説明書みたいなもの)を学問と言うのでしょうね。 








    光は闇から生まれます。 


    意識は、無意識から生まれます。




    では、実際編です。

    最後に、もう、4ヶ月も前の記事になりますが、


    (東洋的教育法) 学問の知識で人生を考えてはいけない 13


    で、5月30日に、いただいたコメントを紹介します。





    >無意識の中から、  突然 ヒラメク!    (笑い)

    >湧き上がるように、

    >一番必要な場面に無意識から意識上へ出て来るのですね。



    これはよくわかります。

    残念ながら「論語」は学んでいないのですが...(汗)


    実生活のあらゆる場面で、

    「正解」が「沸き上がって来る」という体験を何度も何度もしています。

    意識(=理屈)ではなく、無意識からわき上がって来るのです。


    それが何故「正解」だと言えるか...

    選択した結果、自分も周りも必ず状況が良くなるからです。

    そして、難しい場面、大切な局面になるほど、「無意識が判断する」。

    私の場合はそうですね。


    東洋的教育の素晴らしいところは、

    「沸き上がって来たことと、行動が一致する」ところだと思います。

    無意識の範囲で分かっている人達は、

    たとえ言葉では上手く言えなくても、行動が伴っているので信頼できます。


    今回のシリーズは、

    「よくぞ言葉にして頂いた」という感謝の気持ちでいっぱいです。

    こちらで記事を拝見することによって、実生活での行動が間違いなく変わりました。

    これからも<大切なこと>を書き続けて下さい。

    どうぞよろしくお願いします。






    無意識を分かり易く書かれたコメントですね。   ほほっ。


    無意識が自分の人生を守ってくれるようになる。

    つまりは、

    意識が無意識の命令を従順に受け入れると云う正常な状態です。

    このように正解が湧き上がって来るようになろうと思ったら、


    どうしたらいいのでしょうか?




    大事な事は、


    無意識からの気づきをいつも得ようとするならば、

    恐れを心に入れない事。

    恐怖や不安も、心におかない事。

    そして、

    自分に限界を持たない事です。



    いつも喜んで、威張っていたらいいのよ~と云う事ではないの。









    少し運命学に触れておきます。



    何に敏感な感受性なのか? これが運の分かれ道です。


    聞いたり、見たり、臭ったり、触ったりという

    感覚器官の能力の範囲の癖に、意識は、縛られています。


    意識は、この範囲の判断力です。


    それは、ひとりひとり違います。



    そこでの判断が、本当に正義かどうかは、おおいに問題があり、


    それには、当然誤りがあります。


    いや、誤りだらけでしょうね。 あはは。


    それが、その人の人格や個性として培われ、表れた特徴、

    客観的な姿として、他人が認める姿なのです。


    ゆえに、個々の一人一人が、自分を正しいと思えば、

    それが、自己の保全を考えて、戦争に走ったり、嘘をついたり、

    策略を用いるわけです。

    だから、失敗もあれば、負ける事もありです。



    意識は、本人が居ごこちがいいように、クルクルと変わります。

    なぜなら、あなたが耐えられるか? もっと苦しまないか?

    そうならないように必死に防御体制・デフェンスを張るわけです。


    「 ~と思うようにしよう!」

    「 ~あいつが悪いんだよ!」  と。



    まぁ、自分に責任がないように、自分に言い逃れを許すわけです。




    したがって、意識の世界では、弱肉強食、闘争の世界になります。

    力がある側が勝ち、力を持たない側が負けます。

    ここで、正義が勝つと言う原理は働かないでしょう。




    また、自己満足で、いくら自分が正義だと思ったとしても、

    現実の客観世界は、それが通用しない世界が広がっています。

    個々人の何十億人の意識が、自分が正しいと思っているからです。

    それが、個々人の自分の感覚・五感を頼る意識の限界、その実態です。

    だからこそ、共感を求めて喜び合い、

    互いの利害で無数の競争が生まれ、

    最後は自分の命を守ろうとして他者の命を殺戮する世界になるわけです。 



    ここまでの

    無意識 と意識の違い、関係、大丈夫ですか? (笑い)


    意識は簡単です。

    自分が、心で思っている世界です。



    意識の危険性は、その利己主義性から言って、

    戦争反対と言いながら、武器を持った戦争は起こさずとも、

    意識のあらゆる武器、組織と、知識と、言葉と、法律で、

    意識が、命を殺戮するのは簡単な事です。




    だから、このブログでは、意識は信用できない。 

    無意識 の方が価値がある。と繰り返し言う訳です。







    意識の犯す過ちを挙げておきますね。


    自分の意識は、本人が処理できて本人が壊れないものを選びます。

    ① それこそが、正しい。=正義だと思い込む。 


    これは、とんだ間違いの了見でしかないのですが、

    意識は、そう言う処理をします。
     

    ここが、運命学でいいますと、運命そのもの、固有の癖なのです。


    ② 意識が避けようとする事柄にも癖があり、 

    その癖は、いつも本人の為になる癖ばかりではありません。

    本人が損をする事を選ぶ癖(不運)もあります。


    ③ 今現在の本人の命の保全を優先してしまうと言っても、

    保全の仕方に、間違った保全の仕方もあり、

    意識の努力の割りに、命を保全できない結果になる場合もあります。


    これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。


    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。



    音楽にもいろんなジャンルがあって、嗜好や満足する感受性が違う。

    それと一緒です。



    自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。


    どうですか?



    好みと欲望の満足を目的にする現代文明では、

    あまりにも意識に偏重している事に気がついてくださいね!





    自己の心の中の欲望の狭い物差しではなく、

    自然の物差しを、調和が一番と云う物差しを、

    心の中心に置きましょう。


    そして、自分の意識を見据えるのです。



    その為には、

    自然を愛して、自然である事を楽しんでください。

    あるがままでいいと現実の自分を受け入れるのです。





    なにがどうなる?  あれは?これは?  

    なんて、きょろきょろしない!     あはは。     





    詳しくは、今後の記事で申し上げますが、

    まず、その事を記憶に置いておいてくださいね。




    季節の変わり目です。



    体調の変化に、どうぞお気をつけて、


    よい一週間をお過ごしください。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    テーマ : 宇宙・科学・技術
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    ***** 無意識の不思議 2  意識の欺瞞性・中邑彌孫 〈 コメントへのお返事 〉 

    Category : 自然の力
    vv340北・南


    参照 : NASAプレスリリース









    うわぁ~! なに? これ?  の第2弾です。  あはは。




    8月17日、約1ヶ月前に、

    NASA(米航空宇宙局)が公開した写真です。

    地球から4億5000万光年離れた宇宙で、2つの銀河の衝突の始まりです。





    真横から見た初期段階の衝突銀河「VV340北」と、

    正面から渦巻状に見える「VV340南」の合成衛星画像です。(撮影日不明)




    この2つの銀河は、数百万年後には融合して1つの銀河になります。





    ついでに、我が地球が属している銀河系も、数十億年後には、

    アンドロメイダ銀河と衝突、融合すると考えられています。 



    あと、約40数億年です。





    その時、地球は、どうなるのでしょうか?

    ほらほら、不安になって意識で考える。。。   あはは。



    そんな事よりも、

    地球も運命があり、変化をし、宇宙はLIⅤEであり、生きているのです。


    そこから、私たちは生まれて来たのですから。

    生きている宇宙だからこそ、vividな命を産み出せるのです。



    空間と物質だけの世界ではないのです。

    宇宙の本質は、物理学や天文学では掴めるはずがないのです。













    今日は、無意識の不思議 2   

    意識の欺瞞性・中邑彌孫(ちゅうゆうみこう)です。



    *中邑彌孫の彌の正字は、彌に(けものヘン)が付きます。

    孫の正字は、(子ヘン)に、系ではなく

    候の(人ヘン)を取った字が付いています。

    彌孫は、猿。中邑彌孫は、室の中の猿。






    もう一度、意識の反省を、 じゃない!   あはは。

    意識のまとめを、


    意識が、私たちに見せる欺瞞性を暴いて白日の下にしようと思います。

    意識の実態を突き止めてしまいましょう。   ほっ!



    前回の記事の①②③点と、それにいただいたコメント2つを交えて、

    掘り下げてみようと思います。




    意識の犯す過ちからです。


    ① 自分の意識は、本人が処理できて本人が壊れないものを選びます。

    それこそが、正しい。=正義だと思い込む。 

    これは、とんだ間違いの了見でしかないのですが、

    意識は、そう言う処理をします。




    これが、運命学で云う、運命そのもの、固有の癖です。

    固有の癖=意識=五感の過去の経験の範囲の答えです。


    と云う事は、意識は万人共通ではなく、

    個々の生命の癖、ゆがみ、汚れを帯びています。

    千差万別、上、中、下、序列があると言う事です。


    それが、「位相」であり、

    無限のグラデーション(段差)が、展開されています。



    家族、夫婦、兄弟、親友、隣人、すべて同じ意識の人はおりません。




    意識は、その人の経験した過去の五感のデーターの範囲で答えを出します。


    だから、意識の集積=学問は過去のデーターがお好きなの!  ほっ。

     



    これを正解、正義だと思い込む。

    まったく勝手にね!      あはは。

    この答えは、ある意味、現実的、まさに理性的です。(=主観内です。)

    理性的=客観的ではありえません。 ここの勘違いが多いと思います。


    ここでの正義は、癖で思い込んでいる五感の経験の範囲の正義です。



    当然、ゆがみを伴った硬さのある正義感です。

    それゆえ、頑固であり強いです。          ほほほ。



    これは、偏狭、狭さを感じませんか? 空間の問題点です。

    未来を志向していない。      時間軸の問題点です。

    創造性が、ない。      普遍性がないのです。



    意識には、普遍性がない。 欠如しています。

    まったく個人的なイシュー(論点)です。




    意識の出す答えには、普遍性の実態が有りそう?でない。

    普遍性を希求しているイメージはあるみたい?     あは。

    が、意識の世界は、クルクル変わりますから、普遍性はない!





    もっと、はっきり云いますと、

    意識が判断基準にするその経験は、

    個人的に感じた感覚、感覚器官=五感の感度によっていると云う事です。





    意識は、感覚器官のセンサーの感じた感覚に、縛られています。



    意識は、人間の不安定な五感に縛られています。

    故に、意識は、五感の外に出られません。 



    つまり自由のようで、その範囲は限られている。

    感覚器官に閉じ込められている状況、自由を奪われています。



    その状況で、真実を掴んだなんて言う。  そこが欺瞞なの!


    データーからの分析、ゆがんだ一見解にしか過ぎないのに!








    つまり、何かに束縛されたり、限定される『真理』はあり得ません。

    つまり、意識は、真理には到達できないのです。




    これについて、今、想起する2,3の例を示しましょう。


    まず、妊娠出産にかかわる栄養学的知見の変遷などから。


    以前の妊娠をした女性に対する栄養学的指導、

    保健所での保健婦による指導や、妊婦の為の本には、

    胎児の栄養に卵、牛乳を多く摂るようにと云うものでした。


    その後、アレルギー児童が増えた結果が、

    アレルギーの子供が生まれない為には、

    妊娠中に卵や牛乳を摂らないようにと云う注意を保健所がする始末です。


    現在の妊婦は、葉素を摂らないと胎児の神経に障害が出ると脅かされ、

    サプリなどでせっせと妊娠中に摂るようになっています。


    しかし、最近、その葉素を摂った為に、小児喘息の子供が増えていると、

    葉素の摂取を止めるようにと云う指導の方向性も出て来ています。


    それから、幼児教育も、早ければ早いほどいい、、、から

    あまりに早い早期教育は、アスペルガー障害を起こすとか、

    その評価は、学者によって分かれています。


    また、栄養素のカロティンは、癌の予防にいいと云って、

    にんじん等の野菜を多く食べるようにと云う情報が、過去、

    マスコミでも賑わっていました。

    それが、どうですか、、、数年後には、カロティンは発ガン性があると、

    まったく反対の状況になったではありませんか?


    育児にしてもそうです。


    10年前まで、育児は母親がするもの。

    母親が子供を保育所へ預けて働きに出る事は、ある意味、

    子供より仕事を大事にしていると、白い目で見られました。


    今は、どうでしょう?  コロッと変わってしまいました。

    育児、教育論等は、そこまで政府の云うなりに黙ってしまうものですか?



    まったく、時と共に変遷する真理など、あるものですか!

    もう、意識が云う事は、簡単に信じてはダメみたい。

    もう、騙されないようにしなければ.......!   ほ。




    えらい迷惑です。

    意識の作った学問は、命については偏見ばかりを発信しています。

    それを発信した学者が、謝ったためしがない。


    礼儀も、道徳も、眼中にない。学問の方が上だと思っているの?


    真実を追求しているから、 ほっ。  その犠牲になれと? 

    冗談ではありません!

    今後、どう云う情報が出て来ても、すぐに飛びついては駄目です。

    自然に照らして、何が真実か? よく検討するようにしなければ。



    彼ら学者は、意識をどれ程のものと思っているのでしょう。



    悲しい母親は、アレルギーの子を抱え、

    アスペルガーの子を抱え、

    小児喘息の子を抱え、夜中に救急車を呼んだりしているのです。



    この社会を、

    政治家と学者の意識がめちゃくちゃにしているのではないかしら?


    と、思ってしまいます。。 。





    まったく、学問が人間の現場を知っているとは思えない。

    そこが、意識が生んだ知識を信じた害毒なのです。



    近代化以降、意識教の新興宗教がはびこっていますから、

    よく、覚えていてくださいね。 要注意なのですよ。



    つまり、

    意識は、主観(私)の世界から抜け出ていないのです。


    真の客観性とは、ありえないものなのです。

    少し難しくなりますが、

    現代の最先端の量子力学でも、クオークやニュートリノの研究を通じて

    「物が存在するという言い方は妥当ではないのではないか」

    という状態になっています。

    どのように、客観的に見ようとしても、

    見る主体の感覚器官を通じて見るわけですから、

    それが客体に何らかの影響を及ぼしている可能性があるからです。


    日常的にも、

    自分の信念や感情と云う主観を排除して物事を見ることは不可能です。

    一般的に「客観的な意見」と云うのは、

    「客観的に見ようする人の主観」なのです。



    理性的に話す事は、感情で話すよりましだなんて、同じ次元です。

    実は、意識=理性は、感覚が感じた主観の世界から出ていないのです。

    自分の心の世界の中での正義=理屈=ロジックです。


    だから、

    『陽』の世界とは、この”各々の心の世界のロジックの戦いの世界”。



    お解かりいただけたかしら?

    そう、これは、”意識で解かった。”でいいのです。    あはは。






    ② 意識が避けようとする事柄にも癖があり、 

    その癖は、いつも本人の為になる癖ばかりではありません。

    本人が損をする事を選ぶ癖(不運)もあります。




    ここの処に、コメントをいただきました。紹介をします。



    >自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。


    そうではないかなぁ~? とは、感じていました。

    今のマスコミや、あふれる情報で、

    ――――― 自分自分が楽しい事をするのが得だ。

    というように現代人は思い込んでいますが、

    これは、エコノミーなプロパガンダに毒されていると感じていました。

    きっと、そうすることで得になる人がいるんだなって、、、? 

    ねらいは商売でしょうね。

    だって、自分自分で買い物をしてくれたほうが儲かるでしょうから。

    病気になって入院をするのは我が儘な人が多いのです。

    生活習慣病も、好き嫌いの激しい方や、その大好物の食べものが原因です。

    お酒はもちろんですが、タバコ、甘いもの、間食、不規則な食事や生活。

    自分好み中心の生活が原因なんですね。


    童話の「うさぎとカメ」のお話も、これですよね!

    兎は、得意になりやすくて気ままで気分やですが、

    亀はその時の満足より我慢をして努力をします。


    今のように、我慢をダサイと思わせる情報は敵だ、と

    思わないといけませんね。




    これには、コメント欄のお返事にも書いたのですが、

    するどいコメント! 正解、そのとおりですね。  ほっ。


    特に、病気については、さすが医療従事者ですね。

    生活習慣病は、生活の癖からくるわけですものね、


    まさに、好物で病気なる。

    人は、嫌いな食べ物では病気になりません。多くは食べないからです。

    タバコも、お酒も、甘いものも、脂っこい物も、

    全部好きなものを食べて食欲を満たそうとした結果が、成人病です。

    それで、国庫の医療費が赤字になっても止められないのですから、


    自業自得と云う言葉がそれを表しています。


    今の物質文明は、病人を作り、自殺者を作り、赤字を作り、惨状を具現して、

    それでも、近代化の幻想、成長だ!進歩だ!って言うのでしょうか?








    ③ 今現在の本人の命の保全を優先してしまうと言っても、

    保全の仕方に、間違った保全の仕方もあり、

    意識の努力の割りに、命を保全できない結果になる場合もあります。


    これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。


    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。

    自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。




    ここの処に、コメントをいただきました。

    ご紹介をします。


    cosmosさんに習っていたら、

    きっと、いわゆる「お勉強」が好きになっていただろうな~と思います。

    今まで無関心だった分野のことももっと知りたいと思うし、

    難しくても何度でも読みたくなる。

    繰り返し読んでいるうちに分かってくることも多いんだ、って分かったし。

    学生時代はそれができなかったんです...。

    一度嫌悪感を持ってしまった物を繰り返し読むなんてできなかったな...

    あの頃は。


    生き方の癖、選択の癖。「癖」とおっしゃるのはよくわかります。

    私は幼い頃からいろんなタイプの人と関わりたい子だったので、

    「人って、面白いほど様々だな~」ってことが

    身を以て分かったのだろうと思います。

    特に中・高生時代に深く時間を過ごした仲間は、

    自分と全然違う感覚を持っている子の方が多かった、

    と後になって気づきました。

    今その子達と会っても、みんなそれぞれ「そういう人生」を送っていますよね。


    >これは、知識を知っているかどうかと言うよりも、

    何に、満足を得る癖なのかと言う所で別れるようです。

    だから、満足を追求すると言う事が、本人にいいとは言えなくなります。

    音楽にもいろんなジャンルがあって、嗜好や満足する感受性が違う。

    それと一緒です。

    >自分の好みや、満足の側に立てば間違う事があると云う訳です。



    「間違う」とは、厳しいですね。

    現代は、「人それぞれの価値観を大切にしよう」とか、

    「正解不正解はない」と言う方が主流だと思いますから。


    でも、私も・・・この場だから言えますが、「間違う」は事実だと感じています。


    それでも、自分を振り返っても、我が子を育てていても思うのですが、

    仮に生まれつきの癖というか趣味嗜好に偏りがあっても、

    人は変わっていけると思っています。

    自然を愛し、現実から目を逸らさずにいられたら、



    >自然の物差し

    >調和が一番と云う物差し

    にたどり着くのだろうと思っています。

    それこそが人として「自然の姿」だと思うのです。



    1つ前の記事のコメントに頂いたお返事ですが、

    >「死」を解決していない意識は、自分が死から逃れる為には

    何でもしてしまうのです。。。


    そういうことなんですね。

    実感として、よくわかります。 





    ほんとうにご自分をよ~く見つめているコメントですね。


    最初の部分ですが、


    難しくても何度でも読みたくなる。

    繰り返し読んでいるうちに分かってくることも多いんだ、って分かったし。



    これは、あなたの無意識が読むように意識に進めているのですよ。


    お分かりでしょう?      あはは。


    無意識が、あなたにとって良い事だから、読めば? って

    むずかしがる意識に意欲を持たせているのです。


    それは、あなたの意識が、あまりゆがんだ癖がないからでしょう。

    育てられる時に、両親から無理やりヘンな癖を付けられていないからです。


    そして、無意識が、意識の扉を開けてさっと出て来れるのは、

    きっと、あなたの心の中に不安やこだわりがないのですね。

    あったとしても、強い気力で抑えてしまえるのでしょう。

    だから、無意識が意識の扉を開けて、出て来れる。

    そして、あなたの心に、直に、影響を与えてくれるのです。



    分からない時は、一度寝るのです。   あは!

    睡眠中に無意識に預けるのですね。

    目覚めたら分かってしまったという経験ありませんか?


    私は、このブログの記事の内容を、目覚めた時に無意識が伝えて来ます。

    ふしぎな事ばかりが起こります。




    すべての真実を暗示するヒントは、無意識から来ます。



    無意識は、全能です。


    なぜなら、無意識の領域は、宇宙大そのものだからです。




    それと、「死」は、無意識の世界にしか答えはありません。

    無意識にとって、『死』は、恐怖ではないのです。


    なぜなら、『死』は、無意識の領域のなかの事です。




    我々の

    過去からの因果応報による結果であるそれぞれの意識に付いた癖、

    偏った楽しみの満足を得ようとするひとりひとりのそれぞれの

    奇妙な変わった個人差のある嗜好癖を背負った感覚器官で、

    ①ニオッタ、②ミタ、③キイタ、④マズカッタ、⑤サワッタ程度で

    自分の中の⑥心で探ったものに過ぎない感覚で、(五感と心で6つ。)


    いくらデータが証明していると云った処で、

    学問は、自然を解明できるのだ。なんて、

    言っても、思っても、いけない事よ。



    これは、罪悪です。    欺瞞です。






    なぜなら、

    それは、人間の体に備わった6つの穴(感覚器官)で、

    それを通して見た世界の一断面にしか過ぎない知見で、

    解かったつもりになって、すべてを決めようとしている。 

    人の命のことまで。。。

    倫理も道徳も蹴っ飛ばして...。


    もう、あなたの髪の毛を拾った人が、その髪の毛からDNAを取り出して、

    あなたそっくりの人間を誕生させられるのですよ。


    動物では成功をしています。




    しかも、ゆがんだ癖のついた穴から覗いた知見だけで! 

     ゾーッとしませんか?  いいのでしょうか?



    仏教の中に「六窓一猿」と云う譬えがあります。



    ” 一匹の猿を6つの窓のある小屋に入れておきます。

    外にいる仲間の猿たちが、6つの窓から順番に中の猿を呼びます。

    すると、小屋の中の猿は、仲間の声がする窓へ顔を出してきょろきょろ、

    仲間の猿と目が合っても、すぐに他の窓から呼ばれれば、

    そちらへ駆け寄って外を見てきょろきょろ、目が会っても、

    また、後ろの窓の方から声がすれば、そっちへ駆け寄るわけです。

    あっちへこっちへ、絶え間なく、顔を出しては、目を合わせてきょろきょろ、


    おもしろい譬えでしょう?


    実は、一匹の猿なのですが、外からは六匹の猿がいるようにも見える。


    その状態、小屋の中の猿が、私たちの心です。意識です。

    6つの窓が、目や耳の感覚器官です。

    そのように、人の心と云うものは絶え間なく感覚器官を通して、

    外の縁に振り回されている。

    その感覚器官の窓枠から見た世界の景色(外の縁)に

    左右されているのです。

    自分が分かったと言いながら、

    分かった実態は、

    外の縁に襲われた自分の感覚に縛り付けられている我です。

    なんと果かない我よ! と云う実相を表した譬えです。”


                      
                 参考出典:国訳一切経諸宗部6巻




    芸術なら、

    その奇妙な変わった個人差のある嗜好癖を背負った感覚器官のなせる業、

    それを美と云うのも、実害は余りありません。


    学問は、人類を救えるのだ。 なんて、言っちゃいけない!

    ちゃんちゃらおかしいのです。

    そこの傲慢性が、諸悪の根源の出発であり、

    いまだ善悪に縛られている=悪へ利用される「知」の限界なのです。





    みじんきりにした玉ねぎの一かけらのような

    こまごまに切り裂いた知識の断片、

    それを、いくらジグソーの欠片のようにつなぎ合せた所で、

    それは、決して実相なんかではありません。




    6つの窓を、生まれてから死ぬまでいくら駆け回ってみたところで、

    五感を通しては、所詮、外の世界をすべて知る事は、不可能です。



    感覚の限界、 主観の限界、 自己の意識の限界、 なのです。




    たとえば、小屋の中の猿が、6つの窓をクルクル回っている内に、

    ここからの眺めがいいな! と気に入った窓ができたらどうでしょう?


    それが、窓枠がゆがんでくもの巣が張った窓だったら、どうでしょう?



    あはっは。 

    この窓はたのしいな! と満足を得たらどうでしょう? 


    主観の限界が、もっと狭くなる。 ゆがんでくる・・・・・。



    だから、


    楽しみを求める基準では間違うのです。

    楽しみで決めたらいけない。

    もう、最初から狭い欠点があるのに、もっと間違ってしまう!! 



    不運です。



    それが、個々に違う千差万別の運命の違いになって現れるのが人生です。


    それで、楽しみが無くなってから、私の所へ、    はは。

    運命を観定してほしいと来られるのですが、

    観る事は、簡単です。


    が、しかし、本質はどこで間違ったのか?  自分を知る事が大事です。

    その為の、このブログを書いている次第です。 




    ほっ。








    肥大した欲望の満足を目指す現代文明では、意識に偏重し過ぎです。

    それもゆがんだ意識に汚染されて、、、、、 



    でも、しあわせになれるって云う情報は、多いぞ?  ですって?


    あはは。  それこそが物質文明の悪魔のささやき。

    悪魔からのプロパガンダが、成功していると云う事ですか!   ほ。



    悪魔は、自分と同じ不幸者が増えれば、大喜びなの。


    今の、社会の中には、物がない。となると死ぬ! とか、   あはっは。

    安いものでもたくさん物を買わないと満足を得られないとか、

    いろいろな無駄な不安と恐怖が増えています。


    昔の人の方が、物はなくても幸せになれたでしょうに.....




    それは、資本主義があおって私たちの心の中に作り出した不安です。

    決して、私たちを幸せにしようとしてあおった訳ではありません。

    だれかのゆがんだ欲望の為に、そうさせられているのですよ~!   

    よくよく現代文明を睨んで、とくとお考えくださいね!

    現代文明が、不安をあおって無意識を閉じ込めているのです。


    前回、無意識からの気づきを、いつも得ようとするならば、

    心に、不安や恐怖を持ってはいけないと申し上げました。



    まず第一に恐れ、

    そう云う恐怖や不安は、ゆがんだ意識から起こっています。

    自分を死の恐怖から守ろうとするのが意識の役目、でしたね。 






    それなのに、意識をもっと緊張させる恐怖や不安が、

    溢れているでしょう!

    マスコミの程度も低いですからね!   あは。

    私たちの意識の上層が、ガチガチに固まってしまって、

    もっと強固に自分を守ろうとして、無意識の扉が開かないのです。



    意識は、お馬鹿だから、、、おろかだから、、、利己主義だから、、、




         あはは。




    そして、自分の評価を一番気にする小心者ですから、


    あなたが、無意識のありのままを知ると、

    もっと恐れるだろうと、不安になって悲しむからと、

    無意識の『 真実の扉 』を閉じてしまうのです。  



    それで、”いやし”だの、”ひーりんぐ”だの、

    果ては、なんだかんだと意識で対応をしていくから

    その不安の前提を認める事になってしまうのですね。

    余計に、『真実の扉』は、開かない。


    逆効果です。

    意識は、無意識の深い層から押し上げられて表出したもの、

    押し上げる時の癖、

    表出する心の現象、

    その悪い癖とゆがみが不運です。


    運を良くしようと思うのなら、

    まっすぐ無意識のままを押し上げ、

    意識として表出するように直さなければいけませんね。





    続きは、また、次回へ。





    ここまで長い記事をお読みいただきました事に、感謝申し上げます。


    お彼岸ですね。


    よい一週間をお過ごしください。




































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    ***** 無意識の不思議 3  無意識と意識の役割分担 〈コメントへのお返事 〉 

    Category : 自然の力



    参照 : NASAプレスリリース










    うわぁ~! なに? これ?  の第3弾です。  あはは。


    NASA(米航空宇宙局)が公開した写真です。 



    ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったスターⅤ838 (V838月曜)の

    最新のイメージは、ほこりまみれ(星間ダスト)の雲構造が、

    明らかに見えるようになっています。 




    2002年前半に数週間突然明るくなった時以来です。

    このダストは、中央の赤い超巨星の2002年に起こった爆発の間に、

    放出されたかもしれません。



    宝石のような大きな星の輝きは、中央の赤い超巨星の爆発から出て、

    空気を通して音が反響するように爆発の光が源になって反響をします。、

    暗い部屋でフラッシュを作動させる効果に似ています。












    今日は、無意識の不思議 3 無意識と意識の役割分担 です。


    ほっー!   むずかしそう~ですか??           あはは。





    あー、今日も長い記事になるような、そんな気がしています。 





    いままで、東洋思想的概念の『陰・陽』を無謀にも、

    西洋合理主義の学問である心理学の(無意識・意識)を当てはめて、

    便宜的に、説明をして来ましたが、とうとう行き詰まったようです。 あは。




    『陽』を「意識」で説明をする事は、さして難しくはないのです。 が、

    『陰』を「無意識」で説明をする事は、このあたりが限界かな?



    苦しんでいます。         ほっ~。





    特に仏教の教義やその言葉は、西洋的な概念には置き換えられません。

    西洋的概念の言葉で、東洋をすべて説明する事はできないのです。


    と云う事は、

    西洋合理主義の学問が捉える概念の世界は、

    意識で作られた世界ですが、

    東洋的概念の世界は、無意識の領域だと云う事ですね。










    では、前々回の記事へいただいたコメントから始めたいと思います。


    無意識と意識の役割分担と、日頃の私たちの勘違いが見えて来ます。






    ★コメント1.


    >このような意識で、

    >”人間”、”しあわせ”、”平和”、”安全”、”愛情”と言う

    >目でも見えない、触れない、匂わない対象を理解しようとすると

    >五感が頼りの意識では、間違う可能性が大いにある訳です。

    >意識に、”人生”なんて、本質は解かるわけがないのに、

    >学者さんは、堂々とやっていますよ。 

    >意識の本質を知らないまま、 

    >真理の(取り扱い説明書みたいなもの)を学問と言うのでしょうね。 



    これ、目からウロコ、、、でした、、、。 意識が、五感に縛られている。=

    縛られている意識には、”人間”、”しあわせ”、

       ”平和”、”安全”、”愛情”と言う事は分からない!=

    なんて ! ことなのでしょうか!では、どうすればいいの?=

    間違いなく大抵の人は、

    自分の五感で感じたものをそうだと思い込んでますよね!=

    それは、むなしいこと。うそになるのですね。=

    あぁー、子供たちにもそう言ってきました。=

    間違いを教えてしまったのですね。=


    あまりにも個人の自主性を優先する価値観のなかで、

    それがただしいと思い込んでいます。=   





    ほほー、 コメントをくださった方が、おっしゃるように、

    今までを迂闊(うかつ)だった、気がつかなかった、知らなかった!

    これには、皆さんが、思い当たる節がありますよね。     あは!



    私も、これに気がついた時には、”迂闊だった!” と思いました。





    特に、五感の感覚器官のつかめない抽象概念、

    (幸せ、平和、安全、愛情、、、)などを、

    理性が、解かっているなどと思っていますが、本当は、無理な事です。




    だって、意識が掴めたり、心が捉えられるのは、

    見て、臭って、味わって、聞いて、触って解かるものだけですよ。



    もちろん、自分の主観で、それらをどう思うのかは結構です。

    でも、その悪い癖とゆがみを持つ不運な主観を、

    たとえば、

    平和とは、○○○なものだ。なんて公に広めないでいただきたい。

    それをハウツー本などとして商売にするなど、やめていただきたい。

    もう迷っている心に余計な惑いを起こして、迷惑千万、罪悪ですね。   





    観念的な平和論などがグドグド書かれた

    つまらない本が出版される為に、

    地球の森が伐採されていって、

    毎日、地球上から東京ドームの何倍かの森が、

    消えて行っている事を思うと、

    あぁ、人間と云うのは罪が深いな、とため息が出ます。



    つまらない本よりも、そのままの森がある方が、どんなにいい事か!


    これも、現代文明の深い罪業ですね。


    物質文明は、欲望がすべてを焼き尽くす文明です。

    最後は、当然!   わが身もです。




    全地球規模で、焼身自殺をしようと云うロジックなのですね。  あはは。


    えっ! 誰が? 


    焼き尽くす主体者ですって?


    それは、もう、わが身の中の【欲望】に決まっているでしょうに。。。






    もう、こんな自然破壊の経済循環なんてクソ食らえ! 止めましょう! 


    意識は、不安を物で癒して、ちっぽけな楽しか手に入らないのに、

    それでもつかの間、その刹那だけでも安心したいのです。




    小心者の意識に合わせた文明は、こんな程度なのです。




    西洋文明に骨抜きにされた東洋が、国土までを席巻されて、

    臆病者の意識が都合のいい世の中を2000年もかけて作り上げて来た。

    それが、この西洋文明の具現する地球です。





    つまり、意識が作り上げた価値観を大上段にかざす、

    経済至上主義、功利主義のような考え方が、意識をガチガチにします。



    そして、意識が、無意識の『真実の扉』を、締め切ってしまうのです。

    これは、単なる意識がガチガチになるだけではなくて、


    この事が、事もあろうに「絶家」の直接の原因になって来ると云う、

    恐るべきリンクをして行きます。

    この件は、また別の機会に記事にするつもりです。


    そう、



    つまり、現代を生きる我々の意識が、

    我々の先祖を産み出だした民族の無意識層の云う事を、

    聞かなくなっているのです。




    つまり、意識が無意識の云う事をきかなくなっている。

    それは、命が滅び行く道程に入っていると云う事なのですよ。






    少なくとも日本という国の無意識層に存在する

    わが国固有の思想の復権をしなければいけないのです !  







    では、コメントを続けます。

    前回の記事にメールで、いただいたコメントから2つ、



    ★コメント2.


    こんばんは。

    脳は主の生命体ではなく、

    あくまで器官であるという認識があるかは別として。

    無意識下では(意識催眠でも可能ですが)

    非力な女性でも握力が倍近くになります。

    火事場の馬鹿力ですね。

    脳は制御機能なのかもしれません。

    ということは感覚とは認識整理のための伝達ということですか。

    たまに、何故、見えてくるものがあるのでしょう。

    化体できるものなら私の肉体が朽ちても惜しくないのですが。 




    非常に、ロマンチスト! もしくは求道者ですね?    ほっ。


    脳は、制御機能なのかもしれないと、




    脳に主体があるのでしょうか?


    私見ですが、

    遺伝子が、たしかに学習をした結果なのでしょうね。


    どう云う学習かと言いますと、

    これは、運命学の範疇の観察から思うのですが、

    運命と云うものは、繰り返すのです。


    血系の継承の中で、繰り返されて行きます。

    つまり、生きている家族の中に、先祖の運命が甦るのです。

    甦り方は、いろいろです。 まったく反転されて出る場合もあります。



    幸せだけが、甦るのなら結構な事なのですが、

    一度、運命に付いた不幸なシミは、なかなか消えません。

    代々伝わっていくのは間違いありませんから。


    伝えるのは、脳ではなく、一応、遺伝子(DNA)でしょう。


    一応と云うのは、科学で解明された心身のある部分と云う意味でです。




    この主役であるDNAの

    過去から申し送られた指図通りに個別の脳が作られ、

    そのシミを具現するのに都合のいい癖の付いた感覚器官を

    持つようになって生まれて来る。




    個人個人の脳と感覚器官の個別差として表れているのではないかと?


    あはは~  そうではないか?  そう感じています。

    これは、科学的には証明されていません。  私見です。




    もしそうなら、進歩と云う意味を考えなければいけないと思っています。



    化体ですか? あ、 意識上では無理のようですよ。

    真実は、五感で感じるものではないのですよっ。 


    そうなれば、学校の詰め込みのお勉強は、何なのでしょう? あはは。      





    最後に、もうひとつ、


    ★コメント3.  ①② は、編集で付けました。


    ① 人間は、様々な価値観によって縛られていますから、

    「自由」という境地にはいたることができないのでしょうね。

    私は、意識=価値観と受け取らせていただきました。


    ② 無意識とは、

    自らの価値観に反するものを受け入れるということでもないようですし、

    結局は「無」ということに尽きるのでしょう。

    となれば「ゼロは無限大」なんでしょうね。

    結局は色即是空、空即是色なんでしょうね。

    いまだにこの意図するところを無意識下においても理解できていません。

    (意識が邪魔をしているといわれるでしょうが)



    記事をお読みいただきまして、

    さまざまに、ご賢察くださってありがとうございました。


    ① の意識=価値観について、






    前の記事の中に、現代科学の解釈では、


    意識=前頭葉前野の脳の機能=『心』だと申し上げました。


    『心』は、脳の中にあるとなっています。



    『心』は、価値観だけではなく、いろんな観念に染まっています。



    意識=『心』は、外界のものに染められるものです。


    それは、なぜか?

    意識が、わが身の命を「死」の恐怖から守る役割の遂行の為に、

    外界に合わせて生き延びようとするからです。

    意識は、御身大事の為には、エゴイズムの極地をやらかすのです。



    そんな意識に、平和、安全、愛、などの解釈を任す訳にはいかない。

    のです! 都合がいいようにしか解釈しないでしょうから。。。





    無意識については、記事らしい記事は、実はまだなのです!

    意識をやっつけるのに時間がかかっていますから、、、  ほ。

    また、このシリーズですべてを書く事は、不可能です。    

    まぁ、中途半端な! と思われないでください。  

    無意識の全貌を、意識的な言葉や知識で明かす事は不可能です。


    無意識を、意識で表すという、 

    無意識の実体から乖離したウソにしか過ぎないものを

    あえて書こうとするのは、

    実際、不都合この上ない事ですね。    あは。



    不都合と云うよりも、

    大きな岸壁に自分を打ち付けているようで、わが身が粉々になりそうで、

    効果のない事、疲労困憊するばかりですね。   ほー。


    無意識の事は、説明しようなんて、

    凡人の浅はかな「知」どころでは、適わない事です。

    心(意識)の中にイメージできるように

    意識との関係性の中で表していこうと思っていますが、

    最後は、ご自分の無意識の力で、掴み取るしかありませんの。



    ★ 心の中にイメージした無意識は、単なる無意識のイメージです。







    ② の「空」ですが、

    般若心経の「空」は、体空観(たいくうかん)の空です。

    空・仮・中の三諦が備わっていない不備な空観です。

    「有」を否定すると云う限られた目的の為に説かれた般若心経自体が、

    方便の経典になると云う立場から、

    色即是空、空即是色は、一分の部分知に過ぎず、

    全体の真理を顕していない。 すなわち邪義になります。

    方便の経典は、その役割を終われば捨てるべきものなのです。

    例えれば、現代に、戦時下の軍紙幣を使おうとするようなもの、

    全くの非力、無駄、その行為は罪科になりますね。

    また詳しくは、いつか記事にしたいと思っています。







    それでは、もっと、

    あなたの心(意識)と無意識の関係がわかりやすくなるように、

    やってみましょう。


    あなたの家の庭に、庭の中に水の湧き出る池があります。

    その池が、あなたの心です。


    池の水(意識)は、池の底の穴(五感)から涌いています。



    この水は、どこから流れて来るのだろう?

    その清水の流れを遡って辿ってみたいですか?


    その湧き水は、きっと、

    遠くは、宇宙エネルギー、直接には太陽ですが、

    太陽エネルギーで、地球の赤道のあたりで暖められた海水が、

    蒸気になって空へ昇って雲になり、

    大気の温度差で気圧が生じ、日本の上空で雨や雪になって山へ降り、

    山の木や葉の上を濡らして、地中へ入り、水脈を辿り来て、

    あなたの庭の池の底までやって来るのです。



    この想像でしか掴めない水の辿り来る道中、

    庭にある池(あなたの五感)には捉えられない「水が辿って来る道」

    それが、(無意識)です。




    池(心)は、湧き水(無意識)で出来ています。

    が、私たちの感覚器官は、それを感じる事ができません。


    心(意識)でイメージするだけ!     ほほっ。



    あなたの心(意識)=池の水は、宇宙の影響=湧き水(無意識)が

    表出しているものです。



    池の水(意識)は、無意識から押し上げられて表出したもの。



    これなら、分かりやすいでしょう?     

    もっと、よく考えてください。




    宇宙は大きすぎるので、地球に限定しますが、   

    地球上にある水は、

    全部が、どこかでつながっているのが見えるでしょう?


    つまり、人間の心(意識)は、深い無意識で全部がつながっているのです。



    いいえ、人間だけではありません! 

    生きとし生けるもの、すべて。






    そして、

    現代文明が【物】と片付ける物質も、心を持ち、つながっています。 



    東洋の ”我がそのまま宇宙である。”と云う概念は、

    まったく、ウソでもないのです。


    そう捉える事が、真実でしょうね。

    これが、精神と物質をバラバラにし、

    あらゆるものを【物】と扱う西洋文明とは、違うところです。



    秀逸な東洋的概念は、とどまるところなく智恵となって

    私たちを幸せにするはずです。
      


    くわしくは、

    また、いつか...  はは。




    よい一週間をおすごしくださいね。






























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    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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