fc2ブログ

    .。.:*:.。..。 思い出の 花 .。.:*:.。..。.: 五行学の木の徳は、『仁』 

    Category : 東洋思想
    那須の秋


    那須の秋 (コスモス)












    今日は、五行の中のひとつ、木の徳・『仁』についてです。


    木・植物の思い出の中から記事を始めたいと思います。


    上下の写真は、那須の、コスモス。


    コスモス






    那須も、大好きな所ですが、


    コスモスには、いろいろな場所での思い出があります。


    ロマンチックな所では、

    奈良の三輪山を望む甘樫ヶ丘のコスモス。



    甘樫丘からは、藤原京跡や大和三山、

    生駒山、二上山、葛城山、金剛山の山並みが一望できるのですが、


    円錐形をした三輪山を中心に、

    巻向山と龍王山が連なる様子を表現した“大鳥の羽易の山”と云う

    言葉があります。

    まるで鳥が大空を羽ばたくかのような連山の姿です。


    いにしえの昔からの自然の面影、

    日本最古の仏教寺院である飛鳥寺の瓦屋根が見えます。







    次は、斑尾高原の近くのコスモス畑。


    黒姫高原、信濃富士の異名を取る黒姫山の裾野に、

    コスモスが咲き乱れ、

    向こうには雄大な山並みと眼下には野尻湖が見えます。



    コスモスは、薬効もあり、

    果実酒は健康の酒として昔から認められていますが、

    疲労回復、老化防止、スタミナ強化、慢性病予防などの効能です。




    コスモスの花言葉は、“乙女の純真”、”乙女の真心“

    まっすぐな純潔系の言葉だわーー!      あはは。

    “調和“、“美麗“、“野生の美しさ”、“自然の美”と云うのも。


    あー、コスモスの宣伝をしてしまったようです。   ほほっ。


    私のH・ネームのcosmosも、その花の名からと、

    宇宙の意味も掛けて名付けました。   




    花ひとつにも、人は、無意識の感触をさぐって来たのですね。

    植物には、

    人の五感の癖や意識の特徴に合わせた相性と云うものがあるようです。

    木にもあります。




    もし、北京に行かれた事があるようでしたら、

    早朝のガスがかかった北京の街並みの中、

    何車線もある広い道路に面した北京の市中の公園で、

    北京市民が大勢で太極拳をしているのを

    ご覧になられた事があると思います。




    こんなスモッグで汚れた空気の中で、どうして太極拳を?

    不思議な感じで思ったものですが、


    後々、自分が太極拳を習い始めて、分かった事は、

    太極拳は屋外でするのが普通だそうです。

    なにの為か?

    天の下、大地の上で、自然の木々の中、その中でも、

    自分の性に合った樹木の下で、

    その樹木の気を享けながら、その樹木が吐き出す気を吸う事で、

    自分の体の中にあるであろう未病を治す。



    それで元の気を養うのだそうです。  元気ですね!



    『天』の気を享けて成長をした樹木の光合成で作り出す酸素を、

    樹木の下で、太極拳を行う事で、全身に取り入れる。

    つまり、それは、

    呼吸法と精神を合わせた筋肉の動きへの集中で、

    動きの緩急による静脈血液の循環による老廃物の排泄、

    丹田(腹式)呼吸で樹木の下の新鮮な酸素を吸い込み、

    動脈へ取り込んで全身へ行き渡らせる。


    まだ、科学の生物学が発達していない時代に、

    植物の葉が、光合成をする事も、

    それで酸素を作り出している事も、解明されていない頃から、

    無意識のありようを洞察して、直感智で積み上げた、

    その理論に、驚くばかりです。



    天の気を享けた

    自分と相性のいい樹木の気を吸いこんで、

    それを正しい呼吸法で自分の気へ合一させる。

    すばらしい健康法ですわ!


    ”気に入る”という言葉は、そこからできたのかな?

    とも、思いました。




    人間より長い生を生きる木々。

    樹木の長寿を可能にする、周りの自然との調和する能力。

    長命な樹木の精気を吸って、自己の体内へ取り入れる人の智恵の歴史。

    人は、植物を食べるだけではなくて、

    植物の恩恵を、あらゆる方法で必要として来た証し。




    自然とは、無意識世界であると同時に、

    自分にとっての大きな客観世界であると言い換えることもできます。






    現象の奥の人間の無意識とつながる自然そのもの。

    =この大客観世界に、しっかり対峙したいという欲求、

    ある面では、溶け込んでいっしょに調和したいという欲求。

    そう! 自然の変化へ自在に乗っかって行こうという欲求ですね。

    この、自然に見事に溶け込もうと云う人間のパワー、


    それを見せつけられたような、圧倒感が東洋にはあります。

    その反対に、

    人間の五感を研ぎ澄ました洗練さが、西洋にはありますね。







    無意識世界=『陰』から、

    この現象世界へ生まれ出たあらゆる生命の現象化=『陽』

    としての顕現化の為に、

    それに必要なエネルギーの源が、

    東洋の五行学(木・火・土・金・水)です。 




    五行学の木が持つ、生命を助ける力=徳を、『仁』と汲み取っていく。

    『仁』は、植物の本来持つ徳性であります。





    ここが、東洋独特の達見と言いますか、

    徳性と云う価値の概念の発見こそが、

    すばらしい東洋における叡智の発露なのです。


     


    人もそうですが、植物も、動物も、生物は、

    その大客観世界において、

    『天』と『地』の間に生きる存在です。





    いのちあるもの=生物全体が、同じ境遇です。


    その『地』上における『天』からの恵みとして、

    当たり前のごとくに、食べて命の糧にして来たもの、

    とって、ちぎり、うばい、痛め苛めるように扱ってきたもの、

    それは、動物が搾取し、強奪する対象です。



    植物は、動物と違って手足がありませんから、

    採って食べようとしても草木は動物のように逃げない。

    逆に大地に根を張って、

    " どうぞ私を食べてください " と

    木が自らの命を動物に捧げているようなものです。



    この手で折られ、果実を盗み取られても

    風に吹かれているだけのように見えます!   







    ただ『天』に従って、『時』を守り、自らの役割を全うしている。

    東洋学では、この命の糧に、

    慈悲に通じる 『 仁 』 の徳を与えています。


    なるほどなぁー、思わされます。








    この観察、洞察力が、東洋のすぐれた点なのです。 
     
    その存在を、『仁』と捉えた東洋人の祖先は、

    たしかに『天』の配慮に、感謝をしていたものと思います。




    地球を取り巻く太陽系、

    その運行そのものが、実は、私たちにとっては 『 仁 』そのものです。

    『 慈悲 』 のはたらきのリズムそのものなのですよ。                          

    太陽系の運行そのものが変化したら、

    地球は生物が住めなくなるでしょう。


    『 仁 』 とは、慈しみ育てる思いやりの心といったものでしょうか。                                                                
                                                       
    愛とは、違います。

    純愛でも熱愛でもない。   あはは。

    あなたを愛す。 君を愛す。 好きなんだ。 とは、違うのね!   


    あっはは。


    きびしい言い方をしますが、

    愛の中には、憎悪の種があります。


    愛の果実が、どんなにおいしそうであっても、

    貪欲にかぶりついていけば、

    中心部分の『我欲』に、ガッキッ!

    と、歯が折れる事もあるわ。  

    あさはかな、おろかな、毒がどくどくと流れている。



    裏切られたら、なによー!  あはは。

    あいつ! くやしい~~! と泣き崩れるとか?

    あはは。 ちょっと下劣すぎます、、、、、し、



    愛と云う概念は、あまりにも『仁』より、低すぎます。

    やはり、人間の想念が、作り上げたものでしかないのです。

    こうであってほしい。(有り得ないからそう思うのです。)

    願いが込められているのには、違いがないのですが、

    せいぜい天界の喜びの範疇です。

    それこそが、キリスト教の限界。

    人類愛を盾に、戦争ができるのです。

    自己の愛を貫く為と言いつつ、不倫ができるのです。


    あー、いやらしい。

    そんなゴミのような話を、山と聞いていますので!    あは。



    とてもとても、とてもとても、

    そんな愛では、『仁』には、追いつかないわ。



    西洋文明は、どこまでも、人間の想念が結んだ虚像です。

    愛も自由も平等も、想念の中にはあるが、実在しない。

    だから余計に、ご覧の通りの実現したかのような飾りがある。

    そう見せたいと云う作為が、あふれている。

    西洋の芸術は、みなそうです。 
     

    そうなりたいのねー。       あはは。


    その欲求が溢れている事を見てとれます。。

    しかし、どこまでいっても実体がない。

    貧乏人が、お金持ちの振りをしている、、、

    かわいそうな、いじらしいくらい哀れです。




    それに比べれば、


    東洋における言葉とは、

    人間の想念を練り上げて作り出した言葉と云うよりも、

    自然のありようを眺めて、すべて受け入れ、

    深く見入って、その実体を表そうとしたものです。


    自然に感謝をする中から学んだ智恵を表します。


    自然の中にある実体性、存在を観た言葉です。


    だから、飾りが要らないのです。

    何はなくても自然の中にあるのだから、

    自信を以って、虚を捨てる。

    うそを見破り、捨てるのです。

    余計な飾りを、省こう。捨てよう。 とします。

    豊かさを持っているから、どう見られようと構わない。

    それで、わび・さび の境地が見えてくるのだろうと...




    それが、東洋の東端、日本で凝縮したのであろうと。


    日本人は、すばらしい国土に住んでいるのですよ。

    空っぽになった魂の中身を詰めねばなりません。



    『仁』というのは、自然の中に観た

    生命を絶対に守ると云う、自然の迫力、 

    絶対的に、 愛以上のものです。





    愛と云う言葉を使って『仁』を言い表すには、

    抵抗がありますね。        ほっー。


    無償と云う字が、必要かも知れません。



    『仁』=無償の愛? それでも足りないわ。


    なにでしょう?




    なにで補完をしたらいいのか?    



    『苦』です。




    『仁』=無償の愛+苦を受け入れる。    でしょうか?





    簡単に“あいしてる”なんて言えませんよ。

    だって、相手の為に、草のようになれますか?   


    草になろうと思っても、

    自分の中にある、ガッキッと音のする種が、邪魔をします。

    草にすらなれないのですから、、、、、



     ほっ。






    わかりやすく、噛み砕いていきましょうね。

    私たちの命は、沢山の命の犠牲の上に成り立っています。                          
    言い換えると無数の命に支えられて生きている。




    その事実を、

    どこまで受け止めているかと自問自答してみましょう。

    それが、あなたの他人を愛すと云う程度です。



    自らの命の依って立つ足元を知らずして、

    感謝を覚えなくして、

    他人を愛すとは、いかなる想念でしょうか?



    あはっは。


    そんな程度の愛が、巷にはあふれかえっています。


    ジャンジャン!! 君だけを~!  君だけを~!

    愛してる~~!!  ジャン!ジャン!! オウオウオ~~!




    歌いまくる音楽も、お金が欲しいだけなら分かりやすいのですが、

      愛がほしいと云うから、ややこしいのよ?      あはは。

    歌うほどの事もない、愛は、どぶの中のカビのように繁殖中でしょ?

     
    西洋化したアホウな日本にあふれる愛、

    その愛の根っこは、どこにあるの ?? ?

    根もない言葉を叫んで?  



    困ったものです。




    一番、分かりやすいのが、

    女性が一つの命を孕み、守り、育てる行為も、

    『 陰 』 の徳なくしてできません。


    効率や経済性という 『 陽 』 の価値観からは、程遠い、

    無限の無駄の上で、

    命という最上のものは守られているように思います。



    『陽』の価値観の社会の中で、

    命を育てると云う事は、

    命が、最上であるとする価値観を優先する事によって、

    ひょっとしたら失うかもしれないさまざまなもの。

    それを、命の優先性の為に喜んで捨てる事ができる。

    それに伴う苦を受け入れる。喜びで受け入れる。

    これが 『 陰徳 』 です。 
     




    『 仁 』は、

    『陰徳』の消費、抹消の結果である『 陽 』 の成果=

    経済性、効率、見栄え、成績、点数、損得などの価値観とは

    合いい入れません。                                                    


    それは、仏教の説く仏の『慈悲』に通じるものですが、

    しかし、『慈悲』そのものではありません。


    “愛もどき”があふれ、

    今のような『仁』が一番欠けている時代に生きる我々が、

    早急に取り戻さなければならない徳性なのですね。

    この徳性が、日本の国土から蒸散して行くならば、

    おそらくですが、その徳性の表出としての制度、

    医療保険制度、年金制度、等が、崩壊していくと思います。



    今、その瀬戸際でしょう?

    制度と云うものは、法律が作るのではなく、

    それを行う人の徳性に因っているのだと云う事を、

    深く考えてほしいと思います。


    すべての『陰徳』が、国土から失われたらどうなるか?

    一度失った徳性を取り戻し、その恩恵を保つには、

    どれだけの時に耐え、苦を乗り越えなければならないのか?

    それこそ『天』のみぞ知ることですが、





    みなさんに、

    東洋の叡智に目覚めてほしいと願っています。


                                        

    大宇宙の運行、自然の『仁』の働きのおかげで

    我々は、生きさせていただいている。


    その事を、深く深く感謝をしましょう。




    よき一週間をお過ごしくださいね。
































                                                   

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    いのち(自然と健康)を脅かすもの 2  ○食品添加物  コメントへのお返事

    Category : いのち/ふしぎなるもの
    那須・もみじ


    那須の秋・( もみじ )







    6月11日の記事以来の、

    いのち(自然と健康)を脅かすもの シリーズの記事になります。


    今日は、 

    いのち(自然と健康)を脅かすもの 2 ○食品添加物の記事です。




    1 の ○遺伝子組み換え  から早いもので、もう、5ヶ月ぶり。




    ○遺伝子組み換えの記事に、

    次のメールコメントをいただいておりました。




    『 以前、その動画は拝見させていただいています。

                       (結構長いものですね) 

    今回のパブリックコメントは、多くの反対意見が書き込まれるものと

    私は感じていますが、

    おそらく、このモンサント社に関する動画をもとに描かれるのではないかと

    想像しています。

    科学的根拠はない反対意見は多数あったと

    書かれるのではないかと思いますね。

    肥料や除草剤に関しても関連企業から買わなくてはならないなど

    農業という命の基までをも、米国に譲り渡すことを潔しとはしませんが、

    この科学的根拠をどこに見出すのかといった点になると

    専門家は一歩引いてしまうのではないかと感じられて仕方ありません。


    遺伝子組み換えは今後食物だけではなく、

    家畜にも及ぶことが予想されますから、注意喚起は必要と思われます。

    遺伝子組み換えによる弊害は、

    ミツバチに及んでいるという話もありますが、

    学会自体が原子力同様、これらの寄付によって牛耳られているとなれば

    いかにして防ぐのかといえば、私は不買運動しかないと思っています。

    そのためにも表示義務の明確化だけは、

    要求すべきだと思っています。』




    5ヶ月ぶり!  お返事が、遅くなりまして!





    この科学的根拠をどこに見出すのかといった点になると

    専門家は一歩引いてしまうのではないかと感じられて仕方ありません。

    学会自体が原子力同様、これらの寄付によって牛耳られているとなれば

    いかにして防ぐのかといえば、私は不買運動しかないと思っています。


    表示義務の明確化だけは、要求すべきだと思っています。




    本当にそのとおりです。


    私事ですが、遺伝子組み換え作物の入っている食品は、

    ほぼ完全に不買を実行しておりますが、

    誰にでもおすすめするには、少し躊躇(ためら)う気持ちがあります。

    やはり、GMOを排除した食品は価格が高いのと、

    買う場所が限られます。

    手に入れるのに完全にGMOを排除した生協は、限られ、

    また、その加入手続き等があり、注文という手数が掛かります。

    通販においては、あまり信用ができませんしね。


    余程の眼力? みきわめる目と商品を見る経験が必要だと思います。


    安さで競争をしている大手スーパーでは、

    遺伝子組み換え食品は、どこ吹く風です。

    組み換え菜種で作ったキャノーラ油が、目玉商品で山積み

    されて特売になったりしている現状です。

    関心の低い主婦は、特売のそれを買うのが普通でしょう。


    お豆腐もそうです。

    カナダ、アメリカのGM大豆を使った豆腐と比べると、

    国産の非GM大豆が原料のお豆腐は、価格が2~3倍高いですね。


    ここにも、命の基である食品においてさえ、

    経済格差、関心の低さと、各家庭の経済事情に従うしかなく、

    未来の子供の体にまで親の関心や経済力に拠るのかと、

    非常に苦い思いで一杯になります。

    しかし、意識喚起と、国の行政の監視は、

    消費者として続けていかなければならないと思っています。




    わが国には、国民を守る省庁がどこにもない。。 。

    国民省を、設けなければならない?  


    あはは。 

    国民省を作ったところで、

    またまた、そこのお役人のいいようにされるだけでしょうが、、、

    国民を盾や踏み台にして、絞るだけ絞って、利用しようとする。


    国民の側も、被害者意識だけではなく、

    もっと、勉強をしないと、現状を知ることですね。

    この場合は、情報も大事です。



    しかし、知っただけではしょうがありませんわ!    ほほっ。




    肝心要は、国民の一人一人が、その道徳性を上げる事です。

    自分がよしとする基準を上げる事です。


    それが、低いままに止まっているから、

    伝染病のウイルスと同じで、免疫力の弱まっている処に、

    付け入って来るのですから.....





    わが国における”国民のいのち”の相場は、


    外交よりも国益よりも低い。


    国民のいのちを蔑(ないがし)ろにして、国益も何もないはずなのに!


    ”国民のいのち”が、


    企業利益より、原子力村や、あらゆる利権団体よりも低く扱われている。



    『陽』が、『陰』を押しつぶしているのです。




    ”国民のいのち”が、軽く扱われると云う事は、

    自然が、軽く扱われている。

    と云うことです。



    自然とは、私たちの大きな客観世界、

    大いなる無意識の世界です。


    意識では、捉えられる事のできない対象でした。

    だから、意識の応用編である近代科学は、

    意識が無能であるがゆえに、

    私たちの命を生み出した大きな客観世界を無視し、、

    膨大な無意識の世界を捨てたのです。


    自然を欺瞞する科学が、現代思想が、

    この景色の地平から命を眺める限り、

    その出発する時点において、どんな目論見を持とうと、

    仮に、人類の為と云う目的を持とうが、

    結果は、人類の命を奪う者、=餓鬼、悪鬼の仕業になるでしょう。


    餓鬼、悪鬼とは、

    仏教用語で、生命を奪い、むしばむ働きをする存在。

    餓鬼界( 梵語=サンスクリット語でプレータ)

    欲望に支配された貪・むさぼりの心の状態の人が多く住む世界の住人を

    鬼と云う。 常に飢渇感にさいなまれる苦の状態にある人です。


    夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)、餓鬼とも言います。

    人の善根・陰徳・功徳に喰らいつき、強奪し、踏み潰します。

    人の生命力を吸い、人を病気にし、命を奪い害する働きをする存在。


    こう云ったら、人の姿で角が出た鬼を想像するでしょうが、 


    あはは。


    それは、善人を襲う働きの恐ろしさを擬人化した表現であって、

    実際には、人の正しい思考の乱れを引き起こす間違った思想の力です。

    そこから生まれるゆがんだ認識、

    偏見などの悪影響を起こす邪義を指します。

    節分のお面のような鬼が、そう云う存在がいる、と云う訳では

    ないのですよ。

    わかりやすく説明した話が、ああ云う形で残ったのでしょう。




    同じく、

    国家社会を混乱させ堕落させる力がある思想を、鬼神と言います。 

    社会が混乱し堕落するのを、鬼神が乱れる、と云う言い方をします。





    今日は、二つの本からの引用を記事にしましょう。



    一つは、

    ★ニコルズ・フォックスの『食品汚染がヒトを襲う』 草思社

    からの引用です。



    アメリカケンタッキー州の農民であり著述家である

    ウェンデルベリーは言います。


    ★ 農業は大自然の中以外では行えない。

    それゆえ、もし大自然が繁栄しなければ、農業も繁栄できない。


    ~中略~


    農業の指標となるのは世界の健康と我々の健康である。

    しかも、この二つは必然的に同じ一つの指標である。






    ウェンデルベリーのような、

    現代の科学文明の中で、自然を相手に仕事をしている人は、

    現代文明の網目から捨てられた人々です。

    科学からは、光が充てられていません。


    本来は、

    一番やりがいを感じて働いてもらわなければいけない人々なのに、

    彼らの行っている大地の上の農業よりも、

    科学が生み出した技術は、

    自然もない都会のビルの中で、土もない水耕栽培などです。

    これらの技術が、命にとって悪鬼にならぬよう祈るばかりです。



    今日は、この科学文明の生んだ申し子、

    食品添加物を“ 悪鬼 ”として取り上げたいと思っています。






    なぜ、“ 悪鬼 ”と云うのか?


    あははっ。 お読みくだされば納得なさるでしょう。



    二つ目は、

    ★★ 安部 司氏の「食品の裏側-みんな大好きな食品添加物」

         東洋経済新報社からの引用です。



    安部 司 氏は、

    元は、バリバリの食品添加物の開発者兼トップセールスマンでした。


    現職は、ご自分が携わった現場の経験から、

    われわれが知らず知らずのうちに安心して口にしている

    市場に出回っている加工食品の実態、

    その裏事情の情報を発信をしておられます。

    それは、食の現場をすべて知り尽くしている人だからです。



    なぜそうするのか?

    それを紹介してみたいと思います。




    その安部氏が、食品添加物の神様とまで、食品業界で評価されながら、

    キッパリその仕事をやめる決断をするには、

    それなりの事情があったようです。

    安部氏は、大学で化学を専攻されたそうです。

    それで化学物質についての専門的な知識にも精通している人です。


    安部氏は、食品添加物を売るトップセールスマンとして、

    訪問をした会社の机の上で、

    いつも用意をした鞄の中から、

    数十種類もの添加物を取り出して、サッサッと手際よく混ぜて、

    あっと云う間に、とんこつのスープを作り出す!!!

    ビンに入ったもの、その白い粉を混ぜて

    豚の骨を煮詰めて、スープにしたとしか思えない味を

    その場で、どこででも! 作って見せます。

    とんこつ=豚骨などは、一切使わないのに、です。

    それが、インスタント食品などでは、当たり前、

    まさに平気で使われている。

    そんな事を、一般には誰も知らないはずです。

    阿部氏は、現在、1500種類以上の食品添加物が使われている。

    と言っておられます。




    そう!


    日本の食品メーカーが、一日に使用している食品添加物の量は、

    私たち一人ひとりに平均すると、どれ位になると思われますか?

    気を付けて食べないようにしている人、

    気にしないと平気でカップラーメン等を毎食食べている人、

    その個人差は、いろいろですが、


    1日に、約10グラム。

    1年では、その365日掛けて、約、4キログラムです。


    分かりやすい目分量は、2リットルのペットボトル、2本分。



    英国BBCの発表では、先進国の平均は、

    1年間、7キロという説もあります。

    無防備でいれば、おそらくそれ以上の化学物質を食品添加物として

    体の中に入れている。。  。


    そう云う状態であろうと思います。

    ご感想は、いかがですか?    ほほっ。


    化学も味覚も知り尽くした技術で、

    魔法の粉を、混ぜ合わせて作り出す食品添加物。


    まさに魔法!

    鮮度を失った古びたタラコを、一晩、魔法の添加物の液に漬けると、

    翌日には、赤みを帯びたプリプリタラコに変身してしまう。

    豚の骨=とんこつなしの「とんこつスープ」。


    食品を長持ちさせる、 色つやをさもおいしそうにする、

    それらは、まぎれもなく・・・・・≪ 品質の向上 ≫であり、

    消費者の為に・・・・・≪ 味をよくする ≫ことであり、

    なによりもまず・・・・・≪ 企業の生産コストを下げる ≫ことである、

    と云うロジックが、遠慮会釈なくまかり通っていますわ!  

    会社の為、社会の為? と云う欺瞞に満ちたニセ正義感で、

    偽善を善だといつわるしたたかさ。。 。



    生産者にも、消費者にも、非常にいい事づくめ!?    あはは。

    便利でよさそう~~、 なにより恰好がついて、安い!! ?

    大安売りの目玉商品に、丁度じゃないか!!!   


    などの、物質文明の経済性第一の時代の要求に合っている!!!


    それが、利点! だなんて言えば、

    島国根性の我々は、日本村の中で、

    村八分にならない為に、

    だれが、異を唱えられるのでしょうか?

    相手を疑わない、和を重んじる日本民族の特質を見抜いた、

    見事なばかりの演出で喜ぶ役割を演じてしまう、、、あは!




    時代の先端に乗った気分にさせてくれる安楽さで、


    指を2本立てて、 “ピース!” ”ピース!” 

    もう、笑うしかありませんでしょう。    



    あはっはーー!


    いつまで、命を金銭の道具とみる物質文明に、

    我々は、ひきつった作り笑いで、おつきあいをするつもりなの?




    その光と見えるバックシートの裏には、

    絶対の尊厳である命を粗末に扱う思想の下、

    人体に対しての害悪を与えて平気な理念のなさ、

    人体に害は与えない量である、と云う合法な言い回しを掲げ、

    天下り先の確保の為だけにうごめく監督官庁のお役人、

    企業の研究費で縛られた御用学者、

    日本経済の主翼を担う経済優先の大企業優先の御旗の下、

    添加物の真の毒性、

    離乳食から食べ続ける蓄積される化学物質の害が、隠蔽されている。


    これを、鬼と云わずして何と言おうか?

    金銭欲の餓鬼道の苦の為に、

    他者を踏みつけられる飢餓感にあふれた企業。


    自己の保身の利益の為に、国民を殺傷する役人よ。

    鬼神と云わずして何と言おうか?





    さらには、安易な添加物食品の簡単便利な食品が、

    調理と云う食の原点を崩壊させ、

    家族で囲む食卓を崩壊させてしまっている、

    という闇の部分に、真剣に取組む姿勢は、国にもない。



    そこが、国を為す国民の生活の心身の基盤、原点であるだろうに、

    どうするつもりなのだろう?


    食品添加物の神様と云われた安部氏が、

    キッパリと、その業界、仕事から足を洗ってしまった理由が、

    そこにあるのです。



    実際のきっかけは、彼が添加物で開発した絶対の自信作ともいえる

    ミートボールにありました。

    事の始まりは、

    ある食品メーカーが、大量に仕入れた「端肉」でした。

    端肉とは、牛の骨から削り取った、肉とはいえないドロドロの部分です。

    牛を解体し、部位を取り去った後に残る本来なら廃棄する部分です。

    水っぽく、味もなく、ミンチにもならない、

    せめてペットフードに利用されている物、

    捨て値で大量に手にする事が出来る為に、

    その端肉を使って、何か売り物が作れないか、と依頼が来て、

    そのメーカーの為に安部氏が開発したものです。



    安部氏が開発したミートボールは、

    このどうしようもない端肉に、

    卵を産まなくなったくたびれた廃棄する鶏をミンチにした肉を加え、

    さらにデンプンや粉で増量をして、

    組織状大豆たんぱく=植物性たんぱくを加え、

    ビーフエキスや化学調味料を大量に使用して味をつけ、

    ラード、加工でんぷん、結着剤、乳化剤、着色料で肉らしく仕上げ、

    保存料、ph調整剤、酸化防止剤で腐らないミートボールを作ったのです。

    添加物を使ったコストを抑える為に、味付けには、

    普通のソースやケチャップは使わずに、

    氷酢酸を薄めてカラメルで黒く色をつけて、化学調味料を加えて

    ソースもどきを作りました。 

    ケチャップも着色料、酸味料、増粘多糖類を調合して、

    ケチャップもどきを作りました。





    要は、産業廃棄物となるべきクズ・ボロ肉を、

    彼が「魔法の粉」=添加物を大量に投入して、舌においしい、

    しかし、命をだました「いのちの糧=食品」に仕立てたのです。


    このミートボールは、スーパーで安売り目玉商品として、

    売値が1パック98円から110円の商品として、ばか売れをしました。

    メーカーにとったら、笑いが止まらない大ヒット商品となり、

    その食品メーカーは、この商品でビルを建てたそうです。


    30種類もの添加物を加えて作った「添加物のかたまり」が、

    利益を生み、ビルが建つ混濁の時代なのですね!

    その当時、

    開発者の安部氏は、誇りにしていたそうです。



    ところが、です。


    ある日、3歳になる娘さんの誕生日だと云うので、

    早々に帰宅して、めずらしく家族で食卓を囲み、

    お祝いの食事を、、、と、

    目の前のテーブルには、ご馳走が並び、その中に、

    あの、ミートボールが、お皿も盛られてあった、

    箸でつまんで口に入れた途端、

    彼の口は凍りつき、血の気が引いてしまいます。

    なんと! そのミートボールの味は、

    彼が添加物を大量に使ったミートボールそのものだったのです!




    安部氏は添加物のプロですから、

    食品に混ざってしまっても、100種類の添加物を、

    瞬時に舌で識別できたのです。

    安部氏は、真っ青になって、


    「これは食べちゃいかん!」


    ミートボールの皿を両手で覆ってしまったそうです。

    そのミートボールを、3歳のわが娘、が大よろこびで食べる光景。



    奥さんに訊けば、有名な大メーカーのものだからと、

    安全だと思って毎回、安心して買い、

    子どもたちが、取り合いになる位の好物だとのこと。


    「ポリリン酸ナトリウム」

    「グリセリン脂肪酸エステル」

    「リン酸カルシウム」「赤色2号」「赤色3号」「赤色102号」

    「ソルビン酸」「カラメル色素」などのあふれるような添加物、

    それを、自分の子どもたちが好物でよく食べていたという事実。



    その時から、

    安部氏は、いままで「生産者」と「販売者」の立場でしか

    ものを見ていなかった自分に気づき、

    利益だけを貪る自らのあさはかさを知り、

    自分の家族=「消費者」であった現実に愕然とするのです。

    自分が開発したこのミートボールは、

    親として絶対に、

    自分の子どもたちには食べてほしくないものである。


    自分が、軍事産業と同じで、

    人を殺傷して懐をこやす死の商人と同じように思えてきて、

    へたをするとこのままでは畳で死ねないと思いつめ、

    安部氏は、夜も眠れぬほど悩み、苦しみ、

    自問自答した挙句、

    添加物の会社をやめる事を決心します。




    それ以来、安部氏は、

    食品業界の裏の事実を伝える講演を全国でやっていますし、

    本も出しています。

    こう云う食品が、社会に広がっている現状は、

    当然作り手側の問題は大きいのですが、

    そのような食品を消費者が受け入れている所に問題があります。

    家族で食卓を囲み、手作りの料理を食べる事が少なくなっている

    家庭の側にも大きな原因があるのです。

    我々消費者、特に母親は、

    働かなければならない現状の中で、外食産業や簡単便利を

    楽なやり方として受け入れてしまう。

    単に、企業を批判をして、

    自分たちが被害者であると云う意識ばかりを持ったとしても

    この問題の解決にはならないからです。



    コンビニで売っているおにぎりは、何日置いておいても腐りません。

    ファーストフードの大手ハンバーガーショップで売られている

    フライドポテトは、

    ビーカーに密封しておけば、1ヶ月経っても、カビも生えず、

    腐敗もしません。

    また、このフライポテトは、腐らないだけではなく、匂い、食感、

    あらゆる面で、現代科学の技術の集合した作品だそうです。



    安部氏によれば、

    消費者が、大量、安価に生産されている食品の現実を、

    真実を知らされていない現状は、アンフェアーだと云う事で、

    何よりもあまりに知られていない真実を、まず知る、

    ことが大切であると言います。

    消費者が、この事実に真正面から向き合って、考え、

    自分の行動を選択できるように知らせていくのが

    安部氏の姿勢だと云う事です。


    いわゆる会社人間のほとんどは、

    「食っていく為には仕方がない。」と云うロジックです。

    それは、まさに『陽』そのものの本質です。

    それが、多くのサラリーマンの世界です。

    これを、完全否定をする事も、できません。

    それで、現経済が廻り、雇用が保たれている限りは、、、、、




    しかし、この点で、

    将来は会社役員へと出世したに違いない安部氏の、

    自分を誤魔化さない決意と勇気ある実行力は、

    大したもの、立派な『少陰』の賜物だと尊敬いたします。

    自分の保身のために、嘘をつかなっかった人物です。






    いままで、何度も書いてきましたが、


    あくまでも、あくまでも、法律は『陽』です。





    「法律の基準は守り、添加物の表示もしている。」

    そう云うもっともらしい食品業界のロジックなんかに安心していては、

    とても市販の食品の裏側の真実は見えてきません。

    生命の安全性は、担保されていませんよ。

    あなたの一生に亘る健康を願うなら、

    自分の身近なところから、分不相応な利益をむさぼる餓鬼を追い払う事、

    よこしまな鬼神の付け入る思想=ロジックを見抜く事。




    今日は、仏教語の餓鬼、鬼、鬼神の本質的な意味を紹介してみました。

    正しく生きようとする命を、

    知らずに騙して脅かすもの、

    生命力を奪うもの、殺傷するものです。

    赤鬼、青鬼、の絵などは、その影響力を擬人化したものです。




    子どもたちの舌の味覚が、

    コンビニやファストフードの味覚を作っている添加物で

    かなりおかしくなってきてしまっている事実から、


    安部氏に呼応するような行動が、

    『陰』である女性の立場から、

    『少陰』の守る『陽』である男性の立場から、


    各家庭から、

    起こさなければいけないと願っています。


    家の中へ、鬼を入れてはいけないのですよ。   あはは。



    その時に、


    物質文明を根付かした西洋文明に


    負けず劣らず、対応できるのは、


    東洋の精神文明しかないと


    思っています。





    どうか、よき一週間をお過ごしになってください。



































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : いのち(自然と健康)を脅かすもの
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    《近代化の影 4.》     ー 超近代の先 ー    ( コメントへのお返事 ) 

    Category : 運命学と近代化
    9月30日尾瀬牛首にて


    9月30日 尾瀬ヶ原 牛首にて、草紅葉の色づきから始まる秋。





    尾瀬ヶ原



    尾瀬ヶ原は日本最大級の高層湿原で、原始林に囲まれ、

    至仏山、燧ヶ岳の山の雄姿を前方と背後に眺めながら歩けます。

    高山植物を見つけた時には、幻想的な美しさにハッと息をのみます。







    よろしければ、音楽をどうぞ!


    「自律神経にやさしい音楽ー森の中で」

    お耳障りな方は、そのままどうぞー!







    今日は、3か月ぶりの《近代化の影 4.》 の記事です。


    ちょっと難しい記事かも知れませんが、

    社会にうごめく鬼神を見抜く目を養う一助になるはずです。




    前回は、

    8月14日の《 近代化の影 3.》 西欧のお茶目と西洋功利主義でした。







    もう、2か月も前になります9月10日に、

    ポストモダンと題して、

    次のメールコメントをいただいておりました。


    ① 近代という時代が終焉したの認識は、

    多くの方が認識されていると思いますが、

    その次の時代がポストモダンではなく、超近代というものに変貌している

    のが現状のように思えます。

    となれば次に来る時代というのが、

    超超近代ではないかと想像してしまいます。まさに空想域の話ですね。


    ② ですから今後は、さらに地に足のつかない思想が、

    欧米を中心に巻き起こってくるような気がしますね。


    ③ 我が国はポストモダンとして早急に江戸文明の再評価をすべきでしょう。

    そこには西洋人が愛すべき国、残すべき国とした姿がありますからね。




    ①②③ は、編集で付けました。




    今、冒険的にでも、こう云う江戸文明の再評価をすべきだと言われるのは、

    勇気があって、余程のそれらに対する自信がおありなのだなー と

    感じております。    あは!


    ① の部分については、

    ポストモダンではなく、超近代というものに変貌していると云う事ですが、

    この点については、

    ★と、★★の2点を確認を通して、、、お返事にしようと思います。




    ★ は、

    近代合理主義は、

    近代自然科学の合理的な自然認識に基づいて、こそ、

    近代社会の形成も可能になりました。




    具体的には、古代・中世の形而上学的思考から人間を解放した、

    その解放された近代自然科学的認識を基にして、

    社会を分析、適用することによって、成り立っています。

    ある意味、社会科学としての経済学などが形成されたようにです。



    それが、今となっては、批判されるものになってしまったと思います。

    その事は、間違いありません。

    近代化の誤謬は、未だに拡大され多方面に続いています。

    人間の前頭葉は、これでよしと云えば終わり、  ほっ。

    不断の歩みを進まなければならないのですね。



    前回のテーマの半分、西欧が、勝手にお茶目をする分は、

    どうぞ~お好きにすればいいと思うのですが、  


    日本は、すぐに乗せられるお調子者の愚図ですから、

    功利主義だけでは、困ります。    はぁー。


    現に、今の日本は、西洋功利主義に飲み込まれて、

    その巨大な胃袋の中をウロウロし、

    クチャクチャ咀嚼され、ドロドロにされて、

    元の日本の原型をとどめない位までに消化分解が進んでいる?


    あはは。


    元の日本を構成していたアミノ酸も、バラバラに切られて、

    未だかって見た事もない変種のタンパク質へと合成が進んでいる?

    あとは、消化カスとして排泄される?   ははは。

    そんな状態かと思います。



    眼前には、

    人間の感覚器官に絶対的な信頼を置く物質文明、

    理性の尊大な思い上がりの景色が広がっています。




    しかし、近代化には、  

    ひとまずは、ひとつの自然認識形態の変貌があった。

    人の五感における認識の形を整える事には、功績がありました。


    功績と云っていいのか?  あはは。


    大きなパラダイムの転換とまでは言えないけれど、

    それだけの西洋の精神史における変化であったのです。

    それは、認めましょう。




    ★★ へ進みます。


    しかし、


    五感を含む六根による感覚器官の認識方法は、

    近代化の起こった千数百年も前に、

    東洋の仏教の智慧は、きびしく批判をしていました。

    五感で、正しく物事を見る事はできないと。

    それは、現象に囚われた迷いの内であると。


    感覚の認識=六窓のサル程度の認識では、

    =環境に支配され、自分の感覚に振り回される認識でしかなく、

    感覚に頼る限り、無常である。

    故に、不動の幸せは実現できない。




    そう、書かれていると  無意識の不思議 2 で申し上げました。

    感覚器官で実相が、分かったつもりになる事が、

    大きな誤謬であり、不幸と禍(わざわい)の根源である。

    浅はかな迷いのレベルを出ていないと、断じています。



    くりかえします。


    東洋では2000年も前に、

    理性の認識=六窓のサルの認識程度は、

    仏教の経典で「その程度のあさはかな認識に振り回されるな」と、

    感覚器官の認識を真実だと受け入れる事は、邪義であり、

    増上慢に過ぎないと警告されています。




    つまり、意識では無意識の世界の実相を掴む事はできない。


    東洋で2000年近くも前に否定をしたレベルに、

    やっと西洋が近代化でたどり着いた。



    それが、

    明治維新が、近代、近代化と大騒ぎした骨格です。


    当時の日本を代表する思想家たちは、それを見抜けなかった。

    事実、自前の東洋のすごさを知らないかった? 

    としか、思えない!!!

    と云う事は、自前の東洋の叡智を、

    真に体得していなかった!

    と云う事になるじゃないですか!!    えっ?





    あはは。

    そんなことより、

    西洋の大砲の音と、蒸気船に驚いたのでしょうね。   ほほ。




    人は、目で見える物を見せつけられると弱いのですね~~。  



    あはっー、 現象に幻惑されたってことーーー?




    裏を返せば、ここが、西洋の強さ、

    西洋と云うのは、たいした中身じゃないのに、世の中を席巻するのです。

    中身よりも宣伝が上手と云うのか、、、、、




    彼らは、【物=えもの】を見せびらかすのです。

    さすが、物質文明の申し子! 神の子たちです。

    日本は、いつもこれでやられています!

    武器を持つ狩猟民族に農耕民族は負けるのです。

    だって、農耕の鋤(すき)や鍬(くわ)だけ、

    それしか持っていないのですから、、、






    西洋文明と云うのは、

    元々が物質文明だから、獲物の分け前をちらつかせながら!  ほっ。

    その狩猟の正当性に、皆を従わせる為に、

    理性的・reasonな言葉を並べてロジックを作るのが得意です。



    まさに、日本の現代文明そのものでしょう?

    さも理性的・reasonな言葉を並べてロジックを作るのが得意な人が、

    人材です。

    それらは、読み書きそろばん、学歴で身に付くものです。


    霞が関文学、その文学者の官僚たち、 神の子?  ああ。


    さも理性に訴えるようにして、

    欲望の原理で、人間の欲望を掻き立たせて、

    情動・emotion・エモーションを極まらせる。

    うまいのですね!


    歌や踊りで、リズムを繰り出して、

    そう! ミュージカルの原型です。

    どうでもいい事なのに、大騒ぎをする! させる!   あはは。

    そう!  いい気分にさせて殺戮は正義だと認めさせるのです。


    これは、宗教行事のイベント、儀式の盛り上げ方などに

    影響をされているのでしょう。

    結婚式のハデハデしさなど、そのままです。



    あぁ、そっくり!

    選挙活動が、そっくりです!





    西洋の拡販、宣伝力の実力は、

    キリスト教の宣教活動の歴史と伝統に培われ、

    負っているところが多いのではないかと思います。



    キリスト教の宣教活動=新約聖書では

    『マタイによる福音書』28:20で

    イエスが弟子たちに対して世界中で教えを伝えるよう派遣する場面がある。

    そもそも宣教活動自体が、キリスト教を伝える為に、

    単にキリストの教えを伝えるだけでなく、

    派遣されたそれぞれの国や地域の文化や思想に適合した形で

    地域の経済的発展や教育水準、衛生水準の向上に取り組む事を

    常として来たのです。

    伝統的なキリスト教の教義ではこういった行為は、

    新しい信徒の獲得という見返りを求めることなく、

    愛と奉仕の精神で、

    純粋な利他的行為として行われなければならないとしている。



    キリスト教の、こう云う二元論的理性と感性を用いた

    情動的・emotionalな面に働きかける方法の方が、

    動きがあって感覚的にも効果的で、

    我々の五感、前頭葉のシナプスに引っかかりやすい!

    捉えられやすいのでしょうね。



    東洋の精神と肉体は一つであると云う真理は、

    おごそかで、 静的であり、 しかも無意識界にあります。

    現象界に、目で見えるように存在する訳ではありませんから、

    感覚では捉え難い為に、

    意識からは、当然の如くに無視をされるのです。 






    現物を見て触る、

    臭いを嗅いで味覚に訴える、

    五感への訴求効果がある西洋的な宣伝活動は、

    近代化の大波として諸外国や、日本を飲み込みました。


    それは、続いています。

    意識中心は続いています。

    超意識ではない。

    超近代なんかではないはずです。

    近代自然科学的認識を基にしている事には変わりがない。






    ② の部分について



    今後は、さらに地に足のつかない思想が、

    欧米を中心に巻き起こってくるような気がしますね。 




    ほんとうにそうですね!

    西洋かぶれがいいと思っている知識先駆者?は、

    直ぐに大騒ぎをして宣伝したがるでしょうね~。




    古代・中世の形而上学的思考から人間を解放した、

    西洋に起こった近代自然科学的認識を基にした

    近代化ほどの何か、が出て来たのだろうか?


    あたらしい何か?

    もっと人間をしあわせにする何か、

    それらが、私たちをもっと開放したのだろうか?


    何か転換が起こったの?


    いいえ、何も、起こってはいない。

    意識を主流にする思潮が幅を利かすばかりで、

    世の中が、いよいよ混濁として来たのが、はっきりしただけです。


    批判をして超を付けるのであれば、こんな気楽な事はない。

    西洋のお茶目が、キリスト教の基盤の上で、

    好きに理性のジグソーを弄んでいるだけではないの?


    近代合理主義に懐疑的な主張を主にして来た人々=評論家なども含めて、

    強引に批判をするだけでいいと感じていた人々は、

    では、それに代わる何があるのかと云う点になると、

    なにも、なかったはずです。 


    おなじ近代合理主義を以って批判するだけで、

    まったくの役立たずです。




    しかも、批判をする側も、される側も、

    商売としたら何かがないとメシの種にはならないからですね。

    そんな程度のロジックにイチイチ関わっていられません。

    案の定、

    世界が今の処、ガタガタしながらも続いているのは、

    だれかが、得をしている。 利益を得ているからです。

    えぇ、

    その人たちが、現体制を守っているのです。

    人間の感覚を、思い通りに操れる、

    そして、それで得をする人たちです。


    その人たちのせいか?

    その策略なのか?



    これが、経済活動の狙いですか?

    飼っている家畜のように、

    人が、目を皿にして餌場を求める。

    餓鬼界の貪欲で物に手でしがみつき、

    餓鬼のように争う事が当たり前だと言う。

    そして、決して膨らまないお腹を膨らまそうと、

    感覚を通して、我々を操縦しようって魂胆ですか?

    それが、経済?  経済学?  

     学? ですか?




    笑うしかない。


    これから先、余談を許さない状況が生まれつつあります。


    その証拠に、

    日本だけではなく、

    この状況においてもやっぱり先進国?     あは!

    すばらしい先進国・EUにおいて、

    現代における西洋文明の築いた富は、

    他者の飢餓の上に作った富であったと云う事を証明をしています。

    そして、日本民族の、自らの魂を失った民族の、

    我々の衰亡の姿が刻々と浮かび上がるような気がしています。


    具体的には、

    先進国において、未来のある有能な学歴がある若者でさえ、

    先の見えない閉塞感が溢れ、もはや格差の広がりが現実化し、

    それをうらやましいと妬みながらも気力をなえさせている若者、

    自分はダメでも子供の為に苦労をする大人たち、

    目に見える世界=『陽』の現象世界の姿の評価だけに

    翻弄される人びとの群が溢れています。



    誰もが、

    この現状を心の底からこれでいい、正しい、善いと思っていません。

    しかし、体がすでにそっちへ傾いてしまって、

    じっとしておれない、心が落ち着かない人々が増えています。

    皆が、餓鬼道へと、

    赤鬼、青鬼になれって訳ですか?





    これで、なにが超なのだろう?

    ほんとうに、次から次へと、まるで伊達男の帽子のように、

    西洋は概念を作ってかぶって遊ぶのが好きですね。








    本当の〝超”とは、なにだろうか?



    意識の西洋が、無意識の東洋を認める事です。



    これを、いずれ認めさせなければ....。








    ③ の部分の〝江戸文明の再評価”について、


    江戸時代に日本を訪れた外国人の記録を見ると、

    その当時の日本人の優れた礼儀、清潔さ、心の豊かさ等が、

    賛美されています。

    それが、過去から培った日本の精神性の高さ、美点ですね。

    それらの価値を再評価する事は、絶対に必要です。

    もっと、国を挙げて行うべきですね。

    でも、それが、そのままこれからの日本の神髄になるかと云うと、


    Come back to the Edo era !! (江戸時代よ、カムバック!!)


    とは、行かないですね。 

    まさか、復古主義でもないし、むずかしいですね。   ほっ。


    それよりもなによりも、

    西洋の近代化の到達した認識方法は、仏教の認識方法の足元にすら

    達していなかったのに、

    それが、江戸時代の日本を席巻したのは、どうしてか?

    の疑問が残ります。





    これは、ある意味、中身が無くても、人間の五感は騙せる。

    と云う証明でしょうね。



    自己の感覚や感情に溺れる人は、騙されるのです。

    =六窓のサルの批判が正しかった。


    単純に言えば、そのノウハウを持っていた西洋の勝ちなのです。







    しかし、思い返せばくやしい~   あはは!


    西洋の持つ思想よりも深い叡智の仏教を持っていながら、

    近代化の「西洋製の張りぼての虎」に騙された事に対して、

    取り返しがつかない現時点で、

    痛切に反省をしなければいけないのは、

    仏教有縁の、日本において、

    武士階級は、朱子学、禅宗の教えを学んだはずであるのに、

    仏教の高みから、その哲学から、

    西洋の近代化の実態を見抜く事すらできずに、

    みずから六窓のサルの批判を当てはめる事すらできなかった。

    反省すらできなかった事実です。


    仏典が教え警戒する、六窓のサルに陥ってしまった事です。



    あはっはっ!!


    この事は、何を意味するのか?

    江戸時代の、仏教が、もうすでに形骸化し、

    仏像のみ、経典のみ、高僧のみ残って、

    仏の魂が、抜けてしまっていたのか?

    そう思わざるを得ないのです。



    本当は、ここまで言いたくはないのですが、  ほほ。

    でも、朱子学も犯人でしょう?

    儒教から派生した朱子学派の事は、いつか、かならず、

    はっきりさせなければなりません。

    これは、また、記事に致します。

    今日は、省きます...


    日本の江戸時代の仏教・朱子学を含む思想界が、

    あまりにもダラシナイ。

    だらしなかったのではないの?


    あ、そうじゃなくって、

    朱子学らしい滅びの結果、当然の結果ですよ。


    中国の清も、朱子学でした。

    朱子学は、徳川と愛新覺羅(あいしんぎょろ)を滅ぼしたのです。

    孔子や釈迦の智恵を汲み取ってはいなかったって

    事じゃないですか?


    あぁーです!

    もう、任せられないなーー


    だから、清と日本は思想戦で西洋に負けたのです。

    思想戦に負けた、その精神次元が物理的に具現したのが66年前です。


    物事は、無意識界が意識界に物理的現象として表出する。

    その順です。

    すべては、無意識界で決するのですよ。

    現象として五感に触れるようになるのは最後です。

    もうすでに完了した。それが現象です。

    眼で見えるようになってからでは、すべて遅いの。

    病名がつくと、もう遅いの。





    当時の思想界は、何をしていたんだ?

    真の戦争を起こした罪は、そこにあるのだと思う。




    現在の日本のあらゆる先端は、

    その先に何があるのか? 指導者も分からないまま?

    まるで、崖に向かって走り出したって ? と、

    思うしかない鬼気迫る展開、修羅場、その連続ばかりです。


    野田さんが、その当番をしているようです。

    彼は、目の前で起こっている事だけに反応しているでしょう。

    現象世界に振り回されているだけじゃないですか?



    だって、地球上の資源に限界があり、

    原子力発電がなくては経済も止まると云うロジックで、

    抜き打ち検査はしない、できない現状で、

    決定的なのは、原発の管理ができる人材がそもそもいるのか?

    もっと、恐いのは、地震がいつやってくるのか?



    我々は、安売りスーパーで、安い安い!と喜んでいるけれど、

    世界中から買い集めてくる食糧の買いたたきは、

    もう、日本離れが進んで、いいお客さんなんてランクじゃないし、

    それは、例えば、一番安く買うくせに、一番注文うるさく云うのだとか、

    たとえばですが、

    3cm~6cmのサイズでエビが10尾で1ドルと云う場合、

    日本は、6cmのエビを10尾にしてくれと云うのだそう、

    現地では、3cmや4cmのエビでも、

    いちいち注文を付けない中国やブラジルの方へ売りたいとか、

    世界のあちこちで日本は嫌われているらしいのです。


    日本の商社は、あくど(悪道)過ぎなくはないですか??

    こんな事をしていたら、

    食糧難になった時に、一番先に切られるかもよ?


    こう云う風に、先が見えないまま、無理やり進むというのは、

    普通、おやめなさい! と云う事ですよ。

    それを押してするのは、好き勝手か、駆け落ち!  ほほっ。

    暴挙、愚行そのものです。

    飢餓への迷いと不安を原動力にして、

    何が正しいか? 何が真実か? が見えていないのに、進むと云う。


    本当に進んでいるんだかどうだか?

    穴を掘っているのかも知れないって考えないのか?



    近代化には、正義も、真実も、なかった。    ほ。

    ただあったのは、飢餓感。

    餓鬼道に落ちて、鬼になるには、道徳も邪魔だった。 



    ちょん髷を切り落として、

    キリスト教の花飾りを、頭に載せて、

    先進国相手に商売ができるように、

    恰好だけから仲間入りをさせてもらっただけでしょう?


    我々のDNAに組み込まれた魂である

    1000年以上続いた東洋思想の文化の土壌の上に、

    キリスト教文明の上澄みの灰汁を、毎日、掛けつづけ、、、


    本来の西洋文明の魂である

    キリスト教の根を移植するように受け入れた訳でもなく、

    耳や鼻や肌に心地よい、

    手で掴み取れる枝や葉や花の部分を刈り取っただけの装飾を付けて、

    屍に飾る〝死に装束”のように、

    狂人の〝祭り装束”のように、わが身を窶(やつ)して来たのです。




    いったい知性というものはどこに?

    智慧というものはどこにいったのか?

    信じれるものも、ないままに?



    十代の世代が、インスタントセックスに堕ちているのも、

    近代化を無節操に受け入れた結果として、

    体を物と扱う世代が生まれ育ったのです。

    ある思想を受け入れて、

    その思想の無意識界での絶対評価、その功罪が、その正邪が、

    それが現象化するには、30の倍数年かかるのですよ。

    60、90、120、150年のように、、、


    これを、どう取り返すのだろう?







    それでも、



    この混濁の世紀の向こうに、



    贅沢な事を夢見ています。


    近代化を超克する次の超・超・超近代化は、

    もう、西洋からは、何も来てほしくありません!


    東洋が、自前で、自らの精神性の伝統から生み出した

    真の意味で人間の生命(心と肉体)を解放する思想を発信したい。

    そして、西洋と東洋の思想の融合を実現できたらと願っています。



    あっー!


    なんと大きな初夢でしょう?


       ほ。




    では、

    よき一週間を、お過ごしくださいね。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    ある近代化 ・ ブータン王国  - ワンチュク国王の国会演説から ー

    Category : 運命学と近代化
    ブータン国王国会演説




    今月の15日から20日までの間の、

    日本に滞在中、

    現王朝の5代目、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻が

    残して行かれた爽やかなオーラ。




    連日の報道で拝見をさせていただいた

    久々に心温まるニュースでした。



    その表情の平安さ、存在感、

    それについて少し書いておきたいと思います。


    ちょうど我が国の近代化について苦々しい記事を書いている時期に、

    内心救われたような心を持つ事ができました。





    普段から、このブログをお読みになっていただいている時に、

    東洋と運命が、どう関係あるの?

    まして、国の近代化と自分の運命が、どう関係あるって云うの?


    と、疑問に思われていたのではないかと...  ほほっ!





    今回は、それに対してのよいお答えになると思います。






    国が、自分の歴史や伝統を、どう扱い、どうしたのか?

    それは、どう云う思想を以ってしたのか?

    国がして来た事が、

    我々を、自分を、どう扱い、どう遇して来たのか?

    その思想の何が、我々をここへ押し込んでいるのか?

    それが、人間一人の運命を、どうねじ曲げるのか?


    我が、巻き込まれると云う事は、

    我が子が、巻き込まれると云う事です。

    ここにこそ、運がいい、運がよくない、

    その差が存在するのですよ。

    それ故にこそ、努力が活きるのか?

    努力が活きないのか?


    自分の運命と、国が我々をどう扱うのか?

    は、密接不可分です。



    逆も言えます。


    我々が、自分の運命をどう扱うのか? が、

    国が思想をどう選び、変え、我々を守るのか? 守らないのか?

    密接不可分なのです。



    要は、この国には、運の悪い人ばかりが生まれ集まるのか?

    運のよい人間が集まり来て生まれ出るのか?    


    そう云う事になりましょう。







    そして、

    ブータン国王に関するコメントや、

    ブータン国の近代化についてもコメントをいただきました。

    ご紹介をします。

    文章は、編集で短くしています。  ご了承くださいね。



    『 今日の記事は何度も書かれた今までのまとめのような気が致します。

    日本はいまのままではいけないという注意と取りました。

    昔のよさを大事にしないといけません。伝統です。

    今回の日本を訪問していただいたブータンの王様は、

    着ているお着物といい、しぐさといい、 他と比べられない

    しっかりと伝統が感じられて信頼感を残されましたね。』





    もうひとつ、


    『 >近代化には、正義も、真実も、なかった。    ほ。

    >ただあったのは、飢餓感。


    自分でもえらそうなことは言えなくて恥ずかしいのですが、

    このくらいの反省がなされないといけないのかも知れませんね。



    >自己の感覚や感情に溺れる人は、騙されるのです。


    そうですね。 戦後の日本は自分がどう感じているのか、

    どうしたいのか、という個人を尊重する 風潮はたしかにありました。

    ここで大事なのは、どういう自分なのかということが、

    おざなりになっているのですね。


    もう、目覚めてもいい時期なのでしょう。  日本人よ、目覚めよ!  

    このままでは自惚れた日本人ばかりになってしまいそうです。

    今回のブータン国王の来日で、こう云う近代化もあるのか

    と驚いています。

    真に自分を見失わない国の尊厳性をみた感じがしています。』







    今日の記事は、


    ある近代化 ・ ブータン王国  ワンチュク国王の国会演説からです。


    ある近代化、日本とは違う近代化です。

    近代化と云うも、こうもあり方が違うのか?

    それを、ご自分で比べてみてくださいね。




    ブータン王国、Bhutanと云う国名は、

    昔のインド人が、チベット地方を呼んでいた呼び名です。

    ブータン王国の国語であるゾンカ語では、

    ドゥク・ユル(Druk Yul) 。

    ドゥクは龍ですから、龍の国 と云う意味です。






    若きブータン国王夫妻の爽やかさは、

    日本のきものに似ている地味で質素に見える民族衣装にも表れていました。


    黄金やダイヤモンド、たくさんの勲章を身に付ける訳でもなく、

    日本の紬のような、、、紬は、どんなに高級でも普段着です。

    博多織のような、沖縄の紅型? 織物のような

    なんとなく普段着に近いような見た目のお衣裳は、

    親近感を抱かせるものでした!


    その民族衣装を身に着けた国王の御振舞と佇まいは

    自己を何によっても飾らずに、堂々とされる事自体、

    内面に自信と信念をお持ちなのだと、

    説明をされなくても誰もが納得させられてしまう威厳がありました。

    謙虚でありながら、堂々と威厳に満ちているそのお姿は、

    すがすがしくありましたね。


    歴史を、見てみますと、

    チベット仏教国同士として、

    チベット・ダライラマ政権とは、仲がいいのかと思いきや、

    1617年~1714年 の約100年間に、

    チベット・ダライラマ政権から、10回以上の攻撃を受けています。


    1864年 イギリスとの戦争が勃発し、敗北。領土を喪失。

    1907年 現王朝のワンチュク家が支配権を確立。ブータン王国の成立。

    1910年~1949年までイギリス保護下。

    1971年 128番目の加盟国として国連へ。

    1972年 現国王の父、ジグミ・シンゲ・ワンチュクが第4代国王に。

    1999年 国内テレビ放送開始。インターネットの利用を許可。

    2006年 第5代現国王が、即位。

    2007年 初の普通国政選挙を実施。

    2008年 新憲法を公布。



    民主的な憲法を公布されてから、まだ3年なのですね!



    この緩やかな近代化には、

    日本の近代化から30~60年遅く進んだ理由がありました。

    急速な欧米化を推し進める事によって起こる弊害から、

    国としてのアイデンティティーを守る事が優先されたのです。





    強大な国王の権限を縮小する民主化政策の推進として、

    絶対君主制から立憲君主制への移行、

    普通国政選挙の実施、新憲法の公布、

    といった革新的な政策を進める一方で、


    国際社会への参画の推進を進めながら、
     
    急速な近代化で失われる自国のアイデンティティを憂えて、


    農業政策と水力発電の強化、森林資源や自然環境の保護の

    政策を行いながらも、


    「急ぎ過ぎない開発」をあくまでも主眼として、

    国の伝統的礼儀作法を失わない為に、国民に対して、その順守と

    男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれる民族衣装着用の義務付け、

    ゾンカ語の国語化などを計ったのです。




    来日された国王のお父様に当たられる第4代国王は、

    僅か16歳の若さで即位され、

    その後約34年の在位期間中に現在のブータン王国の礎を

    築き上げたと称えられる名君です。

    1972年に、GNH(国民総幸福量)と云う概念を提唱されました。


    GNH(国民総幸福量)

    「国民全体の幸福度」を示す尺度。

    我が国などがGNPと云って示す国民総生産のような経済尺度で、

    金銭的・物質的豊かさを目指すやり方ではなく、

    精神的な豊かさ=国民の心の幸福を目指すべきだ。と云う考え方。



    ブータン政府は、国民一人一人に面接をして、

    1.心理的幸福  2.健康  3.教育  4.文化  5.環境 

    6.コミュニティー 7.良い統治 8.生活水準 9.自分の時間の使い方、

    の満足度を調査する。






    あぁ、ここまで読むと、いわゆる先進国の欧米、日本と、

    ブータンのどっちが本当の先進国か?

    考えてしまいますね!      あはは。








    この前国王の素敵なエピソードを紹介しましょう。


    昭和天皇の「大喪の礼」で来日された時、

    2月の寒い雨の日、宮内庁の職員がコート着用を勧めると

    前国王は、「天皇陛下に失礼ですから」と辞退をされた。


    式典の後、

    世界各国の首脳が、日本からの経済援助を求める弔問外交を繰り広げる中、

    直ぐに帰国される国王に、新聞記者が尋ねると、

    「天皇への弔意を示しに来たのであって、金の無心の為ではありません」と

    お答えになり、帰国後には、一か月間の喪に服された。




    ブータン王国国旗







    少し長いのですが、国会での現国王のスピーチを全文載せます。







    天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともに、

    この度、日本国国会で演説する機会を賜りました事を、

    謹んでお受けします。

    衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、

    ご列席の皆様。

    世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会の中で、

    私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、

    ひとりの若者として立っております。

    皆様のお役に立てるような事を

    私の口から多くを申し上げられるとは思いません。

    それどころか、

    この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私の方です。

    この事に対し、感謝致します。 

    妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、

    ご厚情を賜りました事に心から感謝申しあげます。

    ありがとうございます。



    これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、

    特別のおもてなしであると認識しております。

     ご列席の皆様、演説を進める前に、

    先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府および

    ブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉を

    お伝えしなければなりません。

    ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、

    何十年もの間、偉大な日本の成功を心情的に分かちあって参りました。


    3月の壊滅的な地震と津波の後、

    ブータンの至る所で大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、

    日本国民に慰めと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、

    ささやかながらも心の籠った勤めを行うのを目にし、

    私は深く心を動かされました。

     私自身は押し寄せる津波のニュースを為すすべもなく見つめていた事を

    憶えております。

    その時からずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、

    生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、

    そして、大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い

    同情を、直接お伝えできる日を待ち望んで参りました。


    いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。

    しかし、仮にこのような不幸から、

    より強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、

    それは日本と日本国民であります。 私はそう確信しています。
     


    皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、

    我々ブータン人は皆様と共にあります。

    我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは

    心からの真実味のあるものです。

    ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は、

    常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。

    両国民を結びつけるものは家族、誠実さ、そして名誉を守り、

    個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、

    また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。

    2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。

    しかしブータン国民は常に、

    公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いて参りました。

    私は、若き父とその世代の者が何十年も前から、

    日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。

    すなわち、

    日本は、当時開発途上地域であったアジアに

    自信と進むべき道の自覚をもたらし、

    以降、日本の後について世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に

    希望を与えてきました。

    日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

     このグローバル化した世界において、

    日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範で

    あり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。

    世界は常に日本の事を大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、

    歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、

    そして秀でる事へ願望を持って何事にも取り組む国民。

    知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民

    であると認識してまいりました。

    これは神話ではなく現実であると謹んで申し上げたいと思います。

    それは近年の不幸な経済不況や、

    3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

     皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。

    他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして

    悲嘆をもたらしたであろう事態に、

    日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、

    静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。

    文化、伝統および価値に、しっかりと根付いた

    このような卓越した資質の組み合わせは、

    我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。

    すべての国がそうありたいと切望しますが、

    これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。

    このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、

    何世紀もの歴史から生まれて来たものなのです。

    それは、数年、数十年で失われる事はありません。

    そうした力を備えた日本には、

    非常に素晴らしい未来が待っている事でしょう。

    この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、

    世界で最も成功した国の一つとして地位を築いて来ました。

    さらに注目に値すべきは、

    日本がためらう事なく世界中の人々と自国の成功を

    常に分かち合って来たと云う事です。


    ご列席の皆様、

    私は、全てのブータン人に代わり、心から今、お話をしています。

    私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くl

    ごく普通の人間に過ぎません。

    その私が申し上げたいのは、

    世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうという事です。

    卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。

    偉大な決断と業績を成し遂げつつも、

    静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。

    他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。

    日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、

    日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、

    ブータンは皆様を応援し支持して参ります。

    ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、

    日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと

    確認しております。

    日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。


     ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。

    国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心を捉えて離さない歴史が、

    ブータン人の人格や性質を形作っています。

    ブータンは美しい国であり、

    面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に

    数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を

    反映しています。

    手付かずの自然が残されており、

    我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。

    ブータン人は何世紀も続けて来たように、

    人々の間に、深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。 

     今日のめまぐるしく変化する世界において、

    国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち、

    先祖の価値観によって導かれる社会。

    そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、

    私は最も誇りに思います。

    我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。

    我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。

    小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。




    それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。

    我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、

    日本からは、貴重な援助や支援だけでなく、

    力強い励ましをいただいて来ました。

    ブータン国民の寛大さ、両国民の間を結ぶ、より次元の高い

    大きな自然の絆。

    言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によって

    ブータンは常に日本の友人であり続けます。

    日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。

    それ故に、日本政府、およびブータンで暮らし、我々と共に働いて来て

    くれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、

    感謝の意を伝える事ができて大変嬉しく思います。

    私はここに、両国民の間の絆をより強め深める為に

    不断の努力を行う事を誓います。

     改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。

    ご列席の皆様、簡単ではありますが、

    (英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。


    「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

     ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。

    小さな祈りですけれど、

    日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験し

    そして、これからも繁栄を享受されますようにと云う祈りです。

    ありがとうございました。





    ブータン国王






    謙虚であること、


    誠実であること、感謝すること...

    常に合掌をし、頭を下げ、感謝の言葉を...

    相手の心を対等に見て尊重される。



    それを、仏教徒らしく身口意の三業で為さるその姿、

    自己の全存在を賭けて行う、その意(識)の中にこそ、

    無意識の存在をわきまえたお振る舞いが覗(うかが)える。

    そこに、崩れない幸せがあるのだ、と言われているようです。


    国王は、すばらしい、『少陰』の輝いた男性でしたね。   ほ。




    そして、人の意識では掴めないけれど、

    その先にこそ、よろこびがあるのだ、と言われているようです。

    人の尊さを実践されているのを目の前にした感動でした。




    日本の事を、あれ程までに尊重をしていただきましたが、

    振り返れば、

    物質文明のチリと汚濁の中で、

    捨てても捨ててもゴミが出て来る生活、

    無駄なものが溢れ返る生活、

    そろばん勘定を抜きに生きる事ができそうもない日本にいて、

    日本のやって来た近代化の後始末さえできない現実に、

    茫然と暮らしている、、、

    その同じ地球で、

    人の幸福度を国の指標にする人の暮らしがあると思う事は、

    私たちに大きな支えとなって、励ましになったように思います。


    ヒマラヤの秘境と呼ばれる処の小さな国ーーーブータン。






    やっぱり、アジアだ。


    そう、西洋ではなかった。     あはは。



    『陰徳』


    自分の行動の感謝も見返りも求めないで、他者の幸せを願う善行であると、



    見返り、

    本当の誇りを持っていれば、そう云うものは、なくてもいいのでしょう。

    家族の歴史=先祖への尊崇。

    守られて来たものへの敬愛。




    本当に、大事なものを、大事だと、

    心から、大事にしましょう。




    ひさしぶりにM町の事を思い出しました。






    よき、一週間をお過ごしくださいね。






























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

       

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
    プロフィール

    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

    最新記事
    カテゴリ
    月別アーカイブ
    最新トラックバック
    最新コメント
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    QRコード
    QRコード