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    《近代化の影 5.》 ー 排除される 『陰』の存在 ー ( コメントへのお返事 )

    Category : 運命学と近代化
     

    谷川岳中腹




    10月28日 谷川岳(標高 1977m 群馬、新潟の県境)中腹の紅葉のようすを

    天神平までの谷川岳ロープウェイの窓ごしに携帯で撮ったものです。


    外気温 5℃。 真正面は、阿能川岳、三岩山。

    画面の中央下方の四角い黒い影が、私の乗っていたロープウェイの影。 


    また、いつか、谷川岳の天神平、天神峠の景色へ、案内しますね。





     









    今日は、

    《近代化の影 5.》 ー 排除される『陰』の存在ー 

    として、コメントへのお返事を書かせていただきます。



    前々回の

    いのち(自然と健康)を脅かすもの 2 ○食品添加物の記事に

    いただいた拍手コメントから始めたいと思います。



    『 子育て中の○○○です。

    頑張ります。

    子どもたちにきちんとした食物与えていきたいです。

    優先順位を間違えないようにして

    正しい食物にお金を使っていきたいです。


    母の役割は大きいですね。


    3月に生まれた次男の名前に「仁」を使いましたので

    前の記事もとても嬉しい気持ちで読みました。


    次の世代を育てていく専業主婦は、

    生産性のない誰でも出来ることじゃないですよね。


    誇りをもって、大事な子どもを、次の世代を、育てていきたいです。』 






    Hネームは、編集で○○○で伏せてあります。 ご了承ください。

    いただくコメントは、どれもそうですが、心が伝わって来ますね!



    次の世代を育てていく専業主婦は、

    生産性のない誰でも出来ることじゃないですよね。



    そうですよ!

    そのとおりですよ。

    『陰徳』に守られている自分の人生に自信を持ってくださいね。




    誰でも出来ることじゃないですよね。


    そうですよ。

    いつの世もそうでしたが、

    女性が、

    生活の不安もなく生命を守り育てる役割に専念できると云う事は、

    自分にふさわしい『陽』の働きに守られると云う事です。

    ただしく男系の家系でなければできません。

    貴女だけの、ご主人様だけの力ではなく、

    その家系に深い『陰徳』があるからです。

    もちろん! 貴女ご自身の『陰徳』でもあります。


    授かった我が子を、自分と夫との子供と云うだけではなく、

    ご先祖から続く子孫を儲けたのだと、

    そう信じてください。

    その点においては、どんな事があろうと、

    貴女の家系と、婚家の家系の御先祖へ

    感謝申し上げてくださいね。

    御主人の御両親に対しては、

    感謝と喜びで、我が子を会いに連れて行き、

    また、必ず、ご先祖のお墓参りに行かれますように。

    一家そろってが、むずかしければ、

    貴女と子供さんで、

    または、貴女が一人で感謝を届けてください。

    それが、貴女の役割なのですよ。


    いい枝振り、葉を茂らせ、花実を得ようとすれば、

    根にこそ栄養を、与えますね。

    ご先祖様は、家系の根です。

    根に栄養を、それは感謝と報恩です。

    心を込めて追善を注いでください。


    それが、

    いのちの継承の必須条件です。

    ご自分が、恵まれていると云う事を自覚されて、

    信念を強く持って生きてくださいね。


    『陽』の社会活動性で、しっかりと、貴女の家族を守る

    ご主人様へ、思いやりといたわりを!     あはは。

    貴女のしあわせを大事になさってくださいね。


    拍手、コメントありがとうございます!









    コメントにありますように、

    現代は、

    専業主婦である女性や、

    若い女性が、自分の人生の在り方を考える時に、

    女性本来の生き方であったはずの役割に、

    疑問を持たなければならない社会、

    自信を持って生きる事ができない社会です。



    生産性のないと云う言い方や、

    それに類する表現を気にしてしまう、不安に思うと云う事、

    それ自体が、

    現代の思想のゆがみを表しています。




    その社会が、基軸に据えている思想はなにか?




    それは、近代合理主義と云う、

    近代化以降の社会の価値観から出て来るものです。






    かように、思想と云うものは、

    社会に広がって、時間が経てば経つほど、深い影響力があります。

    人間の自然のありようを歪め、心身をむしばみます。

    必要のない抑圧感や、迷いを生じさせて、

    不幸感を抱かせるからです。




    真の仏法では、それらを邪義、邪法と云います。


    正しい人間のありようを犯す思想を、〝鬼神”と呼ぶのでした。



    鬼は、外ー!

    鬼は、我が家から、追い出さなければいけません。   あはは。



    運命学のこのブログが、

    近代化のありようを批判するのも、この理由です。




    現代の思想とは、

    近代化に遅れていると云われる国を除いて、

    地球上のほとんどの国が、巻き込まれている思想です。

    近代化で取り入れざるを得ない西洋思想の事です。


    その近代化を遅らせながら取り入れている国として、

    先のブータンを、前回の記事で取り上げたところです。

    そのブータンも、これからどうなっていくのか?

    一つは、注視していかなければならない問題です。



    直ぐにゴミになる商品を大量生産し、

    人がそれに飛び付くように広告代を使って宣伝をし、

    売る、買う。

    それが、消費と云い、お金が動く事を経済を動かす、と言う。

    そう云う物質文明を生み育てた思想が、

    キリスト教文明が生んだ物質文明、近代合理主義です。




    その証拠に、

    生産性と云う言葉ですが、



    過去4000年の歴史を持つ東洋哲学には、

    そのような概念はありません。ないのですよ。



    これに関しては、また、詳しくは、機会があれば記事に致します。






    生産性と云う言葉は、近代化から生まれました。


    人間の五感が捉えられる=意識できる

    =見て聞いて臭って触って味わえる意識できる事柄、

    それだけを存在する物と認めて、

    この世のありようを説明していこうとする事を、近代合理主義と言います。



    生産性と云う言葉は、

    近代合理主義のもたらした近代的学問の経済学から、

    その中から生まれた言葉です。


    生産性=productivity とは、経済学で云う

    生産活動に対する生産要素(労働・資本など)がどれだけ役立ったか?

    生産物にどれだけ寄与したか? 

    一定の資源からどれだけ多くの付加価値をうみだせるか?

    逆に、一定の付加価値を、どれだけ少ない資源で生み出せるか?

    という効率の程度の事です。






    近代化によって生まれた学問は、いろいろな知識や言葉を作りました。

    さも、それらの言葉が、真実であるかのように...?   あは!


    この世の真実も掴んでないくせに、、、です。  

    なんと生意気な思想なのでしょうー     ほ。





    我々の目や耳や鼻や味覚や触感や心であっても、

    その感覚が頼りになる部分はあるでしょうが、

    それだけで物の本質、命、宇宙、自然、のすべてが

    解るわけがないのです。



    解る訳がないのに、近代合理主義は、解ると決めました!

    その大きな過ちは、

    意識に掴む事ができない無意識の領域を無視した事です。



    そんなばかな!  

    と誰も気が付かなかったのでしょうか?

    欧米の知性と言われる偉人たちは、見抜けなかったのでしょうか?


    あ、そうか! 欧米の知性がこれを作ったのでした!  ほ。


    なんだーー。




    でも、

    なぜ、西洋の偉人たちは、気が付かなかったの?

    少し難しくなりますが、これに関してちょっとだけ、

    記事にしておきます。くわしくは、また、、、、、





    欧米の社会は、元々が父権社会なのです。

    解りやすく云いますと、男性の意識が支配する社会です。

    もっと、砕いていいますと、

    欧米は、女性が大事にされるとか、レディファースト等の言葉が

    ありますが、家系のおさいふは、夫が持っています。

    獲物を捕って来たホストが、家族に晩餐を振る舞うのです。

    夕食のテーブルの席で、

    皿の上の丸焼きの肉を切り分けるのは、主婦ではなく、夫です。


    欧米から生まれた自由主義、個人とプライバシーの尊重といった

    個の独立性を強調するドライな基調は、父性と云われるものであり、

    そこから、自然発生的に生まれたものが、近代的自我です。

    近代的自我と云うのは、

    自立した個人が、自由意志で、自由に行動し、生きる事を理想とします。

    個々人が、バラバラでいられると云うのは、

    父性の強さが確立された社会の中で実現します。

    だから、近代以降の西欧やアメリカは、それを実現したかった。

    させたのですね。

    その一連の流れの中で、他の観点が無い訳ですから、

    気が付きようもない。




    逆に、社会の一体感や融合感を重んじて、個人個人が集団に属し、

    全体が一丸となって動くようにするのを、母権社会と云います。

    日本の農耕的社会で育まれた人間関係等、ウェットなのです。

    ですから、おさいふも、

    一家の母であるその家の主婦が握っています。     ほほ。


    日本、中国、ロシア等の国は、欧米と比べると、

    個人を集団の中に一体化する母性が優位であると言えます。



    欧米は、父権と云うだけあって、能動的です。

    日本や中国、ロシアは、母権と云うだけあって、受動的です。




    母性は、父性の西欧近代的自我に反します。


    西欧における近代化は、

    =近代的自我の確立は、

    結果が、母性の抹殺と女性を抹殺する流れを作った思潮である、

    と言い得るのです。







    日本は、明治維新の時に、

    西洋の近代化が、そこまでのものと分かっていなかったのでしょう。

    ウサギを追って森に入ったが、

    周りの藪を見る余裕は、なかったのでしょう。


    大砲や、武器を作る技術を取り入れるだけが目的と、

    物だけを欲しがる餓鬼道では、

    人の道のありように高低浅深があろうなどとは、

    考えが、及びもしなかったのでしょう。


    福沢諭吉のように、

    これからは、そろばんと読み書きだと、

    その程度の理解だったはずです。

    近代化のその背後に、功利主義が忍び込んでいようとは?

    あはは、 知る由もなかったはずです。

    ましてや、ましてや、

    個人の自立や、父権社会の風土を受け入れる事になろうとは、

    考えだにしなかった。。 。

    そう思います。


    蒸気汽船や、大砲を見て、驚いて、おったまげて!

    それらの技術を学ばなければ、時代に乗り遅れると思った。。

    そうだったはずです。




    しかし、一つの思想を受け入れると云う事は、

    知らぬ、存ぜぬ、と言った処で、

    その頭の髪の毛のフケから、足の爪の垢まで、味わう事になるのですよ。



    あはは。



    これを、東洋的に運命学的に、言い換えますと、


    近代化は、意識による無意識の排除であり、

    『陽』による、『陰』の存在の排除です。


    『陰』の排除の上に、今の社会は成り立っています。

    すべての『陰』が、痛み傷つき、泣いています。

    それは、女性の本体の『陰』であり、男性の『少陰』でもあります。




    このゆがみの上に、近代の学問は成り立っています。

    近代の学問は、すべて近代合理主義=人間の五感に基づいて

    計り、測定します。

    つまり、だれもが、同じように意識できるように

    すべてを数値化し、比較するのです。




    まず、誰もが、見て聞いて解るためには、

    論理性で文字にできる物、

    数字に表わせる物、

    重さ、長さ、濃度、%、などで計測出来る物、

    いわゆる感覚で拾える物です。


    それらの論理性を追求して体系的に積み上げた物=学問

    =近代科学です。


    この近代科学が生み出した言葉は、知識は、膨大です。

    それらは、

    「物」を増やす事には、貢献をしました。

    人の命、生きとし生きるものの命を「物」と見る事が得意です。

    これが、

    いわゆる物質文明の謳歌か? 「物」で極まっている世の中です。


    五感で感じた事に執着して、

    それを数値化、データー化し、それが真実を表しているとする事は、

    一時の現象効果に我々が囚われた事になる。




    「物」は、必ず壊れます。 無常をまぬかれません。

    我々は、この文明の中にいる限り、

    無常の世界の住人に成り果てるのです。

    私たちは、未だに無常の中で呻吟しているだけです。

    命のうめき声が、泣き叫ぶ声が、聞こえて来るようです。





    しかし、自然の本質は、現象の奥は、常住です。


    この正しく自然を掴む事ができない意識偏重の

    近代の渦の中にいる限りは、

    自然の本質の外へ、自らを置く事になります。

    つまり、

    我々が、自ら、この自然の外へ転がり出る事です。

    つまりは、自然の恩恵を受ける事ができない。

    命が、正常に機能しない。

    命が、命を産みだす事が、できない。



    そのゆがんだ思想の濁流が、色濃く現代を染めています。






    明治以降の142年間の近代化で作り上げた社会の中で、

    『陰』の存在である=自然の命を産み、育てると云う

    女性でしかできない

    その生き方の存在の価値でさえ、

    値打ちがあるとか、ないとか、口を突っ込み、

    本来は、数字で計ったり、比較をしたりできないものを、

    さも、

    物差しで測って、工場の製品の価値を評価するのと同じように、

    物として見て、

    比較評価しようとしている気配を

    女性の多くが感じているのでしょう。


    いや、男性とて同じことです。


    役に立つ事のみが、要求される社会。

    役に立つ者のみが、評価される社会です。



    つまりは、狩猟社会の中で、

    大きな獲物を捕って来れる者のみが威張っていられる。

    その原理です。


    教育は、人を育てるのではなく、

    いかに威張れるようになれるかと云う技術を身に付ける場に

    堕ちています。


    この社会の中で、

    すべての場で、すべての人は病み、自己存在が分らなくなっています。

    その中から、

    知識欲のある、人よりも目先の利く親は、

    いち早く、男性と同じ価値観の上で生きる事が、娘の幸せだと思って、

    そう、人よりも先手を打っておこうと、

    男女平等だから、

    貴女は、男に負けないような女になってほしい、とか

    そう育てる事が、正しい人間の生き方のように錯覚をしています。


    時の先取りをしたつもりでも、、、、、

    勝ったと思い込んでいる場合じゃないのですよ。



    それだって、結局は、

    近代合理主義の作った同じ土俵の中でしかなく、

    迷いの中、にしか過ぎません。

    もっと悲惨なのは、女自らが、経済学のドグマに嵌まり、

    『陰』を捨て、男と同じになる目的で『陽』の世界へ入る事です。

    結婚をしようとしない。

    子供を儲ける事が、人生の効率にとってどうだとか...

    また、子供がほしくてもできない。

    これは、男女共に言える事です。



    えっ!  えー、 そこまで?

    それはそうでしょう?

    われわれの体こそ、自然の営みであり、無意識の本体なのですから、、、

    心は体を規定し、 体は心を変えるのです。

    影響し合うと云うよりも、心と体は一体のものだからです。


    頭と心が、完全に近代化をしているのに、

    体だけが、自然のままだなんて?  

    そんな勝手は通らないのですよ。


    これが運命学で云う女系化、絶家の原因のひとつなのです。



    これをみなさまへ、ご理解いただきたくて、

    このブログを書いている次第です。



    キャリアウーマンだとか、

    女性の社会進出の成功者だとか、なんとか、かんとか、

    時代にアンテナを張って、センスがいいのを誇るつもりで、

    その大きな混濁した流れを泳ぎ切って、

    先頭集団で泳いでいるつもりでも、

    すべては、意識のるつぼの中、無意識の自分を見失っているのです。

    時代の勝利者どころか、

    近代合理主義の奴隷に過ぎない事に気が付かれますように。

    時が、もてはやすもの、

    それは、必ずしも正ではない場合が多い事を、お忘れなく。




    それを、また、国を挙げて政策にするなんて、 

    まったくの狂気です!

    浅はかな政治家は、目の前しか見ていない。



    『陽』の大過を促進する政策で、国に『陰徳』が無くなっているから、

    『陰』が表出する事ができないのです。



     



    現代の闇は、深いですね。。





    でも、大丈夫 !    

    空には、太陽がありますもの。

    月もあります。

    天は、宇宙は、変わっておりません。   ほほ。


    まだまだ、望みはあります。

    西洋の押せ押せには、負けられません。

    父権社会の押せ押せには、母権社会の東洋がお返しをしたい。

    それが、順番と云うものでしょう?    あはは。





     『陰』の本体は、宇宙にあります。  ほっ。


    『陽』は、地球上の人間の意識にあるだけです。  ほっ。







    東洋の真実は、意識では捉えられないのです。

    目で見えないから、広まるには困難なのですが、

    「物」ではないから、手でも捉えられない。  

    都合のいい事に、

    西洋に捕って奪われる事もありませんね。   ほほっ。



    すべては、ひみつ。 大事なものは皆、そうです。




    次回は、

    女性の生き方 ・ 『陰』について ②  木根道・きのねみち

    の記事を予定しています。


    おたのしみになさってください。



    よき一週間をおすごしくださいね。 


































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    テーマ : 文明・文化&思想
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    女性の生き方 ・ 『陰』について ② ー 木根道 ー (コメントのお返事) 

    Category : 陰と陽〈女性の生き方〉

    11月19日高尾山頂から稲荷山へ


    モノクロで撮ったわけではないのですが、白黒の世界です。

    靄(もや)に煙る稲荷山の四阿(あずまや)から見る下界

    まだ午後2時なのに、、、 もう、暗い~。









    次の文章は、2010年の冒頭1月4日に書いた記事からです。


    自然とバランスを取り、

    内的に強い誇りを持って生きるということは、

    外面を他者と比べたり、

    虚飾や見栄を張る生き方から遠ざかるようです。




    自然のきびしさに立ち向かう自制心と、

    その恵に守られる畏敬感謝の精神、

    自然に対峙し生延びるセンス、

    伝統的に受け継いだ生きる平衡感覚、

    それらが鈍くなった時に、

    民族の力というものは、

    衰えていくのかもしれません。




    相変わらず現代の緩(ゆる)み切った日本を見る時に、


    それらが鈍くなった時に、

    民族の力というものは、

    衰えていくのかもしれません。



    この実感は、2年前から、今もなお心の中に在り続けています。

    この一年も、あともう少しですね。




    振り返ってみると、ちょうどその頃、

    2年前から始めた登山の趣味も、

    自分なりの魅力に取りつかれて続けております。




    先々週、足慣らしに高尾山へ行って来ました。


    大雨の予報が、そのまま当たらなくて幸いでしたが、

    絶え間なく降り続く小雨の中を、

    登りは、薬王院の奥の院から山頂へ。


    山頂では、茶店の温かいお蕎麦を食べて、

    稲荷山展望台を通るコースで下山。


    雨で閉まった山頂のお土産屋さんの軒下では、

    挿した傘の中で、立ったままお弁当を食べている方が多かったのですよ。

    どんな目に会っても山が、好きな人ばかり!     あは。




    今日の記事のすべては、その下山途中の感慨です。






    山内は、雨中にもかかわらず大勢の人で混雑していました。

    奥の院から頂上への山道は細くて、

    登山者が多くて、進めない位に渋滞をしていました。


    夏の富士登山も何十メートルも数珠つなぎで頂上まで続くのだそうです。  





    どこも日本は狭いなーー。






    何度も行っている山道ですが、

    今回は、〝木根道・きのねみち”に目を奪われました。

    どうしてでしょう?


    いつも同じ道を通りながら、

    目に入っていなかったのでしょうね。


    次へ載せました2,3の写真は、

    片手で傘を差し、片手で携帯を持って、、、、、ほっ。

    下山をしながら撮影をしたものです。



    まず、ご覧になってください。

    ほら! 雨水に土が流されて、、、

    こんな山の通り道になってしまって、、、、、

    雨に煙る ”木根道 ・きのねみち” です。



    木根道1





    だれも通っていない瞬間を撮ろうと、

    後ろの集団が、私に追いつかない内に、

    前を歩いている人が、左に曲がって見えなくなるのを待って、


    シャッターを押したものです。


    この一瞬後、


    もう背後から人影が、ぞくぞくと、、、

    この雨道を歩いて画面に入って来てしまったのですよー。

    まさに、ラッキーなチャンス! 


    誰も写りませんでした! あはは。


    山道は、自然なら木根道が多いのです。


    雨で光っていたからでしょうか?

    木の根が、こんなふうになって地上で絡まり合う様は、

    印象的でした。



    なにか、お感じになるかしら?


    普段は、靴で踏んで歩いているのに、

    こんな風に、眺めた事はないのです。

    まして、写真に撮ろうなどとは思いもよりませんでした。





    木根道・きのねみち”とは、

    木の根っこは、

    本来は地中へ伸びて行くものですが、

    地下の岩盤が固くて、下に向かって根が張れない場合に、

    仕方なく地表から浅い所に張りめぐるのでしょうね。


    その地表から浅い所に張った根の上にかぶさっている土が、

    雨などの水で流されて、浸食されて,

    根が、地上に出てしまうのです。

    こんな根がある為に、他の植物が生えて来ないので、

    ちょうどそこが、登山者が歩きやすい道になるのですね。


    鎌倉の山道も木根道が多くあります。

    また、東海道自然歩道では、比叡山から京都へ入る道が、

    木根道で有名なのだそうです。 (歩いた事は、ありません。)






    登山道に脇に生えているヒノキの根元です。

    この木を支えるのに、こんな大きな根が、、、


    ヒノキの根




    これらの根は、一本の大きな木から出ています。


    木根道2




    根の上の方、樹木を見上げると分かるのですが、

    幹から伸びている枝ぶりよりも、

    その何倍も、大地を這う根の広がりの方が、広い、大きい! のですよ。


    季節的には、今は、新芽が芽吹く時ではありません。

    冬に向かう葉はどれも硬く、冬に備えた準備態勢です。


    しかし、根はどうでしょう?

    驚くことに、、、

    白い真新しい新根が、いっぱいに、、、




    写真には細かくて写っていませんが、

    細い新しい根が、登山者達の靴で踏みちぎられて、

    まるで楊枝をばらまいた様に、一面に散らばっていました。


    弱弱しい引きちぎられた可愛い新根たちです。

    痛々しい感じで、おー、可哀そうに、、、





    それでも、やっぱり、根は、強いのですね。    ほっ。


    葉や花が、来年の春を待って準備に隠れている時に、

    幹が、活動性を抑えて、冬に備えようと云う時に、


    根は、それでもまた、新しい根を無数に伸ばしているのです。

    無数の犠牲者を出しながら、、、です。   


    なんと感心な事!!!     




    地上の『陽』の活動性は止まっているようにしか見えないのに、

    大地の中、見えない『陰』は、活動を継続している!




    雨の中のヒノキの樹を見上げながら、

    根のたくましさに、枝より太い、その根の力強さに、

    感心しきり、

    雨の中、見とれてしまいましたー。  ほ。




    今年のブログ記事は、

    陰陽の『陰』、

    意識、無意識の『無意識』に光を当てて来ました。


    最後に、


    ここよ! ここよ! これを書いて!  と、

    木根道に、言われているようで、   あはは~


    今回の足慣らし登山は、

    木根道が気になって、写真まで撮ってしまったと云う次第です。



    木根道3




    ★ 前置きが長くなりました。   



    今日は、1月15日の記事
    女性の生き方 ・ 『陰』について ① 以来の10か月ぶりの


    女性の生き方 ・ 『陰』について ② の記事になります。   




    前回の記事にいただいたコメントから紹介します。




    自分のして来た『陰』の本質の部分は、

    自分が生きているうちには見届けられないように思います。


    大事なものが我が子に届いたか、

    その子が次の世代に送れるか、

    その次も、ずっとずっと先まで続いていくか...。


    花は咲かない時があっても問題は無いけれど、

    根が腐るわけにはいきません。


    花の美しさは一代限りですが、

    根が健康でなければ枝も幹も...全てが終わってしまいます。




    今の時代は子育てに優しくないです。

    子どもに残酷なことばかりです。

    そこまではほとんどの人がわかっているはずなのに、

    やっていることは根絶の方向に進んでいるように私には映ります。


    『母なるもの』をしっかり抱いて成長した人は、

    どんな状況に置かれても折れないです。


    今年、あらゆる場面でそれをはっきり見られたのではないかなと思います。


    男性でも女性でも、自分の中にある『母なるもの』は

    次世代に繋いで行こうとしているはずです。

    女性はその役割を男性以上に担っていると自覚したいですね。 








    ほんとうにそうですね!

    木根道の記事にぴったりのコメントを、ありがとうございました!






    花の美しさは一代限りですが、

    根が健康でなければ枝も幹も...全てが終わってしまいます。  



    あははー。




    そこなのですよ。

    よく気が付いてくださって...


    ここが、『陰』が本体と云う意味です。


    『陰』が、『陽』を産んだのです。

    植物は、種は、まず根を張ります。


    『陽』は、

    根があるから、安心をして、根の栄養を十分に吸い上げて、

    季節の『時』、『天』に呼応して伸びるのですね。




    ここが重要です。

    自分勝手気ままに、欲望のままに生きている訳ではないの、ね!

    自然のいのちは、すべてそうです。

    宇宙の律動に沿って生きています。

    そう、自然に生きたい。と、それが、欲望なのですね!




    また、


    根は、生きて、何百年も、ひょっとしたら数千年も存在します。



    それに引き替え、

    葉や花や実=『陽』は、美しいけれど現象のみの姿。

    原則は季節毎の現象です。


    幹は、枯れて切られてしまう事もありますが、、

    根が残っていれば、

    幹の切り株からヒコが生まれて出て来ます。




    つまり、『陽』は、

    『天・時』に従って顕在化する現象にしか過ぎない。


    現象は、必ず移り変わる。

    そして、『時』によって最後は、現象は消えます。

    何もなかったように、すべて消えていきます。

    あの夏の暑さも、台風も、消えてありませんでしょう?

    3,11の地震も津波も、すべて現象でした。





    つまり、これが無常なのです。


    その無常な現象を、捉えるのが、我々の五感です。






    その時、『陰』は、どこに位置するのか?

    現象を起こす『天・時』を貫く本質の部分に在ります。


    ゆえに、『陰』は、無常ではありません。



    木に例えれば、

    木と云う植物に、永遠の命を吹き込む本体として、地中にあります。

    地中とは、視覚の到達できない見えない世界。 

    =無意識の世界になります。



    あ、もちろん、掘り返せば見る事もできますが、、、

    地中にあるままを、そのまま見れる訳ではないですね。

    掘り返せば、地上と同じ、 陽に変化をした土くれに過ぎません。



    だから、『陰』、は見えません。

    我々の五感では、捉えられないのです。


    前回、 ひみつ。 と申し上げたのです。







    この説明で、『陰』、『陽』の2つの違いと存在を認識する事は、

    難しくはないですね。


    でも、この認識を、このままを置いて、

    『陰』と『陽』は、2つの存在と捉えるだけなら、

    西洋の二元論の認識でしかありません。


    西洋の二元論の世界観が、いかに浅い認識論で成り立っているか?

    西洋は、目で見える=五感の世界、

    ここまでの認識論です。



    翻(ひるがえ)って、

    東洋の智恵のすばらしさは、


    『陰』と『陽』を、

    現象界における二つの相として分けておきながら、 


    -------------------------------------------------

    機能、その相対的関連性は、一つである。

    と見抜いた事なのです。




    ------より上は、『意識』=五感の世界の認識です。


    ------より下は、『無意識』の世界の認識です。



    見抜くと云うのは、目で見た、と云う事ではないのよ。 あはは。






    今の科学では、

    太陽光による葉の光合成によって作られたでんぷんが、根に蓄えられる。

    と云う知識は、生物で習いますから誰もが知っています。



    その生物学もなかった3、4千年も前に、

    東洋、中国では、



    『陽』の役割は、、

    その社会活動によって得た生産物を、『陰』へ送る。


    『陰』の役割は、その生産物を受け取り、蓄え、 

    自らが、地中から吸い上げた水分や栄養素と共に、木全体へ供給する。



    と、陰陽相互の働きを見定めておりました。

    それを、陰陽相対と言います。





    『陰』=根は、どこから水分や栄養を吸い上げるのですか?


    答えは、目に見えない地中です。

    つまり、意識化されていない無意識の領域からです。




    何を吸い上げるのですか?


    水 = 智恵です。





    『陰』の根が、智恵を『陽』へ送るのです。

    『陽』は、その智恵で伸びて行くのです。


    お分かりになりますか?     ほっ!


    これが、男女の役割でもあります。





    あと根が吸い上げる物は、

    地中のミネラル(金属)、地中の酵素などなどですが、

    ここでは、これらは省きます。




    つまり、『陰』は、

    五感で掴む事のできない(意識化されていない)無意識の領域から、

    五感で掴む事のできない(意識化されていない)物を、

    =ひみつ を『陽』へ送るのです。   




    その代わりに、『陽』から、

    天の恵みである太陽エネルギーによる社会活動性が生んだ

    生産物(でんぷん)を送られ、蓄えます。


    そして、木全体に いのち の永続性を、供給するのです。



    これが、生命の活動性そのもの、

    いのちは、陰陽の混然一体となった上に、

    永遠の営みの表出としての『時』=『天』に従った現象を生むのです。



    『陽』=現象世界の根源は、『陰』なのです。


    だから、『陰』を創造性の本体と言うのです。





    くりかえします。



    意識で捉えられる世界、

    枝振りや、葉を茂らせ、花をつけ、実を成らす事は、

    分かりやすい成果かも知れません。



    しかし、それらは、あくまでも現象世界の『陽』の範疇です。


    いつか、時と共に衰え、姿は変わります。  


    『陽』の本質は、偽です。 嘘なのです。


    つまり、

    物の現象面の変化をいくら追っても、真実は分からないのです。


    物の現象面の変化を追いかけるのは、我々の五感です。

    それを合理に積み上げたのが、近代科学です。

    それを思想的に極めたのが、近代化をもたらした近代合理主義です。





    これが、現在の我々が、無頓着に頼って、拠り所にしている思潮です。

    どんなに片手落ちの思想か?

    真実を隠している思想か?





    もう、気が付いてもいい時期ですね。






    『陰』に例えられる根は、樹の一生で変化をしません。

    『天』の時、季節によって変化はしません。


    これは、ある意味、永遠を象徴している存在だと言えます。


    これが、『陰』、

    『無意識』の世界にあるものこそが本体なのです。






    いかがでしたでしょうか?



    根を張る事、

    それが、女性の生き方としての役割だと、最高の誇りを持ってください。





    男性の側も、

    見せかけ美しい姿や、稼ぎのいい女性がいいなんて!  あはは。

    冗談でも思われませんように...




    男性の、貴男の社会活動性を運よく運び、多くの成果を出すのも、

    貴男を守る女性の持つ『陰徳』の力です。



    飛行機が飛ぶ。

    車が走る。


    飛行機や車自体が、飛ぶ力、走る力を持っている訳ではないでしょう?



    飛行機を飛ばす力が、あって、

    車を走らせる力が、あるからです。




    飛行機や車が、男性。

    どのような高性能のエンジンが搭載されているかは個々の問題です。

     

    それを動かすエネルギー源が、女性。

    どれ位の高効率なエネルギーなのかは、個々の問題です。




    その両方が、揃って初めて、

    飛行機も、車も、走るのです。


    どちらかだけなんて!

    前にも、後ろにも、進みませんね!    あはは。




    高性能なエンジン搭載車の貴男は、

    高効率な智恵と陰徳を持ったエネルギー源の奥様に、

    最高に飛ばし走るエネルギーをもらってくださいねー。


    あはは。




    陰徳深き智恵にあふれた女性の貴女は、

    高性能なエンジン搭載の夫と云う車を、

    どこまでも遠く、なによりも早く、走らせ飛ばしてください!


    ほほほ。



    では、

    残り少ない年の瀬、

    風邪など引かれませんように、ご自愛ください。


    また、

    よき、一週間をお過ごしください。






































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    ★家運  ー 木に譬えられる家系のふしぎさ ー ( 人の運と家運の関係 )

    Category : 運命学
    有馬温泉大銀杏


    11月中旬、有馬温泉(兵庫県神戸市)で見かけた銀杏の木

    晴れた日でした。 青い空が、見えますでしょう。






    今日は、運命学の記事になります。


    年末のあわただしい時期、

    運命の事を、静かにお読みくだされば、幸いです。

    もうすぐやって来る新しき年に、備えて、、、、

    願い事や誓いや計画に、お役に立てればと願っています。



    このブログの右上、

    プロフィールと云う文字のすぐ上に

    TITLE LISTとあります。


    そのボタンをクリックしていただきますと、

    今までの全記事のリストが出てきます。


    一行が、一つのブログ記事の内容を表しています。


    左の日付から始まって、記事のタイトルが横に並んでいるのですが、

    タイトルの頭に、★が付いているのが運命学の記事になります。

    いままでの過去の記事は、


    2009/09/06 : ★十二支 


    2009/12/12 : ★財運 


    2010/09/10 : ★姓名判断    です。



    今日は、これに続く


    ★家運  木に譬えられる家系のふしぎさ ( 人の運と家運の関係 )

    についての記事です。





    私の願いは、

    運命と云うものを専門家だけが観る事ができるものではなく、

    誰もが身近に手に取るように分かるものになればと願っています。



    できれば、単なる占いではなく運命学から東洋学へ、

    そして伝統を取戻し、層を厚くする事で、

    身近な生活レベルまで広げる事ですね。


    世は、万事お金もうけですが、

    各自が賢くなれば、商売人も勉強せざるを得ないでしょう。


    世の中が、いい塩梅になって行くようにと祈っています。


    もっと大きな視点からは、

    自己の運命を知る事で、

    個人の自立自尊、自律的な生き方の助力になればと云う思いと、

    この世の仕組みを深く(無意識の領域を含めて)知る事で、

    少しでも他者を思いやる心が出て来るのではないかと云う

    希望も持っております。       ほっ。







    さて、私のブログをお読みいただいて、

    かならず気が付かれるのは、

    運命鑑定と言いながら、余所(よそ)と違う?!


    なにやら、

    好きな人ができて、その人の事を占ってもらうのと違うー、

    ちょっと雰囲気がちがうわねー、   

    とお感じになるのではないかしら?       あはは。



    それで正解なのですよ。


    もちろん、それらは人間の関心事には違いないのでしょうが、

    ピンスポットで運を観て行くと、問題ありなのですよ。

    まず、異性問題。


    色恋ならまだしも、色情、欲望を愛情と思わせて、

    不倫の相談も、貴女の恋愛運は強いと、成功へ誘う?

    何が成功か? わからない世界が出来上がっていくわけです。

    こわい、こわい世界です。


    魔界ですね。

    間違った事を、間違いと言わない世界があります。

    永田町、政治の世界だけではないですね。  ほほ。





    家系の運を観て行く事で、

    個人の運を鑑定するだけでは、見えない時間軸上の実相があります。



    家系の家族を観て行く事で、

    一人の運を観る事だけでは観えない空間が浮かび上がって来ます。




    たとえば、意識の捉える現象世界においての、

    成功、と言いましても、

    一か月の成功もあれば、3年だけの成功もあり、

    その成功の10年後には、立ち上がれない一生が待っている。

    かも知れないのですから。      ほ。





    また、努力あっての成功、と言いましても、

    強く財運だけを意識する事によって、陽の現象だけを追いかけて、

    偏って全ての陰徳を使い果たし、

    仕事が成功した! と同時に、

    実は、子供運、家族運、全ての陰徳を犠牲にして、

    最後は、貧・病・孤 の奈落へ堕ちる成功かも知れないのです。



    これでは、成功と云う名の魔王の奴隷でしかありません。


    昔からの知人が、ある駅前で、結婚仲人行をしております。

    約20年前から、

    中年の再婚希望者がたくさんお見えになられるのですが、

    その紳士たちは、ほとんどがバブル期に一旗揚げて、

    成功した人ばかりだそうです。

    バブルで一財産作ったはいいが、ご本人は外で遊び過ぎ、

    奥様は別の男性の元へ、

    子供たちは家を出て行ってしまったアルジの方が多い。

    あわれ!

    人は、貧しても、富んでも、夫婦別れをするものなのですね!





    運と云うものは、多極的に、多面体で動いています。

    人間の意識=五感が捉える皮相面だけで、

    物事は、変化をしている訳ではありません。


    畳の目を数えるような幸せの見つけ方もありますが、

    そもそも、畳がボロボロになったら終わりです。

    腐ったり、燃えてしまったり、流されたり、切り刻まれたり、

    泥を掛けられたり、海に流されたり、、、、、


    本当に、こう云う事が、起こりましたね。

    3.11は、そう云う現象でした。


    短時間に起こる現象には、人は驚いて、気づきますが、

    徐々に、静かに、起こる現象には気づきません。


    今回は被災地にならなかった場所も、

    知らずいつの間にか、変化が起こっているはずです。


    当たり前の事、

    人の成長、 老いること、中身がなくなること、

    知らず本質が変化をすること、、、などは、


    人の意識=五感では、どうしようもない。

    =『天・時』の支配する力で起こります。

    =無意識の世界からのエネルギー=現象を生みだす力です。




    『天』が嫌うのは、『陰』と『陽』の不均衡です。

    また、自然の創造性を潰す働きに『天』は容赦はしません。

    『陰』と『陽』の均衡を求めて、

    創造性を抑圧する遮蔽物を破壊します。

    それが、人間が、どれだけの年月をかけて作った物であっても、

    です。

    嘘は、うそなのです。




    それが、自然と云うもの、運命を形作るそのものの力です。

    運命とは、『天』の運行が運んで来るものです。

    『時』そのもののもたらす変化です。


    この場合の創造性とは、

    芸術などの作品を創造する事ではありません。

    自然の営み、中庸、均衡を求める命の活動性です。

    新たないのちの生まれ出る事です。




    それを、人間が、自己中心的に、

    良い、悪いと評価を名付けているだけで、

    『時』を経て『天』が実現するものは、

    均衡を求める創造性そのものであり、


    それが、ある時は保守であり、革新なのです。




    これは、来たり起こってしまえば、

    どうしようもないものかもしれません。

    しかし、来たり起こる前なら、あらかた予測ができる。

    予防もできる可能性があります。






    人の本当の幸せとは、

    その力に従った、人らしい、

    自分の持っている種(たね)に合ったしあわせです。


    まさか!

    『天』を凌駕しようなどとは思わないでくださいね!  ほほ。




    その種は、誕生命式に表われています。

    いいえ、あなたの全てに、相として現れています。


    例えば、生まれながらに持って来た顔の相、

    耳や鼻や手の相、

    手の指紋、

    後天的には、名付けられた名前、家族、家系、などです。


    きょうは、この家系のお話しになります。

    私たちは、自分を形作っているもの、

    そこから、自分の運を見出して行く事ができます。



    その運を、自分の五感でなんとかしようと思っても? 

    それは、どだい無理と云うものです。

    うまく行ったと思う間は、それは運に支えられている期間だった。

    そう云う事ですね。

    かならず『時』における限界が出て来ます。

    出処進退、必ず大事な時があるわけです。

    暦では、時節、節目を大事にします、


    自分は、いつまでも夏のつもりが、もはや冬になっている。

    五感だけでは、偏見や癖からそう云う勘違いが起こってしまうのです。




    具体的な、一つの大まかな目途として、

    家運と云うものが、あります。


    家系の運と言った方がいいかも知れません。

    家系を木に譬えますと分かりやすいのです。


    根が、先祖です。

    亡くなってしまって、この世にはいらっしゃらない方です。

    我々にとりましたら、無意識の存在ですね。

    あの世は、無意識の世界ですから..... 

    たとえれば、大地の中の根の存在です。


    昔から、西洋の神話などでも、大地の下は死者の国だったりします。



    地中の根は、前の記事にも書きましたが、

    その木が実生なら、その種が、大地に根を張った時からの存在です。

    毎年、春に出て来て、秋に散ってしまう根ではないですね!   



     ほほほ。





    幹は、根より生じて以来のその歴史を保っています。

    その家系が、

    どんな経験をしたのか?

    どんな過酷な乾燥期を経て生き延び、

    どんなに寒い寒冷期を凍えながら耐えたか?

    すべてが、年輪になって残っています。




    今、現在、そこから出た枝が、貴女や貴男です。

    貴男や貴女である枝から出て来た葉や、蕾、花が、

    すべてが、貴男や貴女の力の成果でしょうか?


    そう思って喜んで褒め合うのは、どうぞ、勝手ですが、

    今生きている、今咲いている花や、実が、

    自分の力だけで咲かせたものではない事だけは、確かです。


    おわかりになりますね!




    今、どう云う花になり、実になっているかは、

    それまでの枝、いままでに枯れて散って行った葉たちの

    過去の努力の集計です。





    つまり、

    私が、運命学の教室でよく云う言葉なのですが、



    人が、どう咲いていくのか?

    どう、枯れていくのかは?


    もっと言いますと、

    どう云うお相手と結婚をするのか?

    どんなわが子が生まれて来るのか?


    過去から現在に至る先祖力(せんぞりょく)なのです。



    結果が出てからでは遅いどころか、

    気が付いた時には、もうその結果の形は出来上がって、

    胎児のように体内に孕まれています。

    赤ちゃんは、10月10日で生まれるとなっていますが、


    運は、物理的諸条件を克服して、

    この世界へ現象として何時出るか?

    そう云う事だと思います。




    まぁ、そうですね、

    私達の努力、反省、命を賭した生き方、

    それらの本当の結果が形になるのは、孫の代になる。

    今、自分は、孫の為に生きている。

    そう思われるのが自然かな、と思います。



    家系の中の運は、

    現在の代へ、生きている我々へ、

    代々の先祖の経験や知恵を送ると云う形で出て来ます。





    これは、おそらく将来、

    DNAで、説明がつくようになると思いますが、

    先祖の経験が蓄積されていて、

    その中から、繰り返し繰り返し家系に表われます。




    経験や知恵と云っても、いい形、良い結果ばかりではありません。


    その時の先祖の迷い、苦を再現するような形で出る。

    としか思えない表われ方をする場合もありますし、

    も! 無理! と先祖が投げ出した? としか味わえない運を

    垣間見る事もあります。


    まったく家系にはない形が、出現するのは、末っ子です。

    これは、両親が若かった第一子の時よりも、

    両親が年を取って来る間に獲得した知恵の差と、

    生まれながらに年上の兄弟に言葉や行動で鍛えられる、   あは。

    それに抗していく本人自身の意識の開発に依るのでしょうね。


    如何ようになろうとも、

    いのちと云うものは、常に創造性を求めて、

    その発現と完成を探っているものだと云う事が分かります。


    その紆余曲折が、運の軌跡なのですね。


    ちなみに、

    女の子は、父方の父、本人にとったら祖父の運を、

    男の子は、母方の母、祖母の運を引き継ぐ割合が多い。

    と云う事も言われています。


    これについては、また、詳しく記事にできればと思っています。




    それにつけて思う事は。

    私たちは、近代以降、近代的自我を獲得しました。

    今までにない自我を獲得したと言われています。




    しかし、近代的自我を獲得をして、

    先祖が生きていた頃よりも、自由になった、平等になった。

    と、勘違いをしてはいけません。


    今まで、繰り返し書いてきた事ですが、

    近代的とは、無意識を排除したという世界のルールで成り立っています。


    その狭い領域の中で獲得した自我、

    自我なのか、自害なのか、自画自賛なのか、   あはは。

    迷ってしまうのですが、、、


    言ってみれば、大人の社会で認められない若者が、

    髪を染めたり変わった格好で街を席巻するのに似ています。



    そんな安っぽい近代的自我を、いくら持った処で、

    この家系から家運からの離脱は果たせていません。


    戦後の新民法によって「家」制度が廃止され、

    家長制度は無くなっていますが、

    それで、個人が真に家から解放された訳ではありません。


    あくまでも、それらは、制度の改革であり、

    人間の解放ではない。

    それを勘違いをして、新しい時代、古い考えを捨てて、

    家を出れば自由。何をしてもいいんだ!  なんて、

    好きな事を自分の五感で選んで生きる事が、進歩だなんて!!

    幸せになっただなんて、

    本気でそう思っているとしたら、 


    困ったなぁーーー。


    日教組のやって来た戦後教育は、これなのです。


    この程度の自我の浅い認識程度では、

    今まで営々と今の日本を築き上げてきた先祖にも劣る自我、

    幼稚な原始人に逆戻りをしただけの事に過ぎないと

    (この表現は、原始人に失礼ですね!  あはは。)


    気が付いてほしいのですが、

    まだ無理なのかな?    ほほっ。





    近代的自我を持とうとも、

    この営々と築き上げてきた古い物の積み上がった現実からは、

    絶対に逃げられませんよ。



    我々は、先祖の業績の上に立たざるを得ない。

    否が応でも、先祖を引き継ぐ以外に生きれない。

    その事実を、

    我が子を抱く時に、

    我が子の目を見つめる時に、自覚したいと思います。

    確かめてください。


    それは、絆。

    切っても切れない絆です。

    それらすべてを、誇りを持って受け入れ、継承し、

    次へつなげなければならない絆なのです。


    イヤな事も、気持ちがいい事も、すべてです。

    それが、運を変える事に通じる唯一の道なの。





    目に心地いいこと、

    口に心地いいこと、

    耳に心地いいこと、などなど、、、


    意識を有頂天にする物ばかりを集め続ける事は、

    自分の意識を、創造性の枯渇した狭い世界に閉じ込める事です。




    それらを売りつける事に狂騒する物質文明に犯される事なく、

    買いあさる事に、狂奔する事なく、

    つつましく年末を、生き延びてください。    あはは。




    今の時代で生き延びるとは、そう云う事ですね。   ほ。


    それらに同調したり、助けたり、人を乗せる事は、

    悪運を積み続けるゾーンに、はまって行く事ですから。。 。




    お気を付けあそばせー。





    すこしおどかしました。   あはは。

    次の記事が、今年最後の更新になります。

    よき一週間をお過ごしください。


































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    運命鑑定日記 5 .   近代的自我で武装する女性たち・・・・・  

    Category : 運命鑑定日記
    東御苑(2)


    11月下旬の皇居・東御苑の紅葉

    (いつもの携帯のカメラですので、絞りもピントも、曖昧のまま、、、ご了解くださいね。)







    丸の内まで出かけた帰りに、

    ひさしぶり、

    皇居の大手門まで歩いて、

    東御苑に立ち寄り、すこし散策を致しました。

    しばし御苑内の紅葉に見とれて来ました。





    もう一枚、ですが、 


    江戸時代は、

    そこから海が見えたと云う汐見坂を下りる時には、

    目の前に丸の内のビル群が、それを背景にして、

    坂下に広がる [二の丸雑木林]


    その中の もみじです。 




    東御苑(3)






    この [二の丸雑木林] は、

    失われゆく武蔵野の面影を再現し守ろうと云う昭和天皇のお考えで

    昭和57年から3年を掛けて整備されました。

    関東各地から、根のまわりの土ごと運び込まれて作られたそうです。   






    今年最後の更新になります。



    この一年間は、

    現在の日本人の心と体の存在を蔽う近代化の問題点を中心に、

    おもに東洋と西洋の比較、男と女の役割の違いを、

    A. 『陰』と『陽』、

    B. 意識と無意識、

    C. 最後にすこし、母権社会と父権社会について記事にして来ました。


    なぜそれらを運命学の記事にするのかと云うと、

    それらの不調和が、その癖が、その積み重ねが、

    運と云うもので還って来るのであろうと思うからです。





    AもBもCも、それぞれの切り口であって、

    AもBもCも、2極の様であって、一つの全体を表す概念です。

    AやBやCの中で、2極の役割が均衡していなければいけません。

    均衡をしていて、初めて一つの全体です。

    それらの不調和があってはいけないものです。



    が、

    しかし、現在は、

    AやBやCの中に、2極の不調和が起こっています。

    それから破兆の現象が出て来ています。

    今の時代や、国の採っている思想のせいです。

    正しくないのですね。


    しかし、それすらも解らなくなっている。

    自らの根を失った日本人は、

    自分のアイデンティティ、ルーツを忘れてしまったようです。

    だから、

    根本的な勘違いが多くなっています。



    勘違いだけなら、心の問題だけで済むのですが、

    そうはいかない。


    皇居の東御苑を歩きながら、

    場所が場所だけに、

    今、政府が出して来ている( 女性宮家 )の問題や、

    その源の男系皇族が誕生なさらない事。

    各宮家が、まさに女系に陥っている現状。

    唯一の親王さまが、秋篠宮悠仁さまだけになった事。

    これは、これで命学では、故ある事なのですが...。


    また、皇太子妃雅子さまの事を考えずにはいられませんでした。

    皇室が抱える問題のなかで、国民が心配し続けて来た事です。

    はや雅子さまのご病気からは、8年の歳月が経っています。

    運命鑑定から、家系や子孫の消長を観る私には、

    この天皇家の2つの事象そのものが、

    源はひとつ、

    近代化の因果応報、

    日本の思想界のゆがみそのものを表す象徴のように思えるのです。

    心の中は、憂いで一杯、あふれておりました。






    今日は、運命鑑定日記 4 .

    近代的自我で武装する女性たち・・・・の記事です。




    女性が漂流している・・・ 

    この言葉を、今年の1月9日の記事に書きました。

    女性と云う船が、羅針盤も持たずに、航海をしている。。 。

    港に錨を下ろして停泊する事すら忘れてしまっている、、、、、




    そう思わざるを得ない現実が、あまりにも多いのです。




    女性が溺れかけている・・・

    今は、そう書きたい気持ちになる現実を多く見ております。



    その相対する男性は、どうなのか?

    それは、間違いなく、おなじ位相に違いないと思っています。



    つまり、女性が幸せに女らしく生きられていない現実は、

    男性が、男らしく自らの主体性を持って生きる事が、

    むずかしいのであろうと思います。


    まぁ、個々の状況で、差はあるのでしょうが、、、





    また、思い出す事があります。

    ずっと以前、、、

    東洋学を学んでいた頃でした。

    運命学の先生との雑談の中で、その時に漏らされた先生の嘆息、



    「 女性が乱れだすと、まさに社会はどうしようもなくなる。

    社会が、品格も道徳も失うんだよ。

    だれもどうしようもない事態になって社会全体が不幸になる。

    封建制度が今更、良いとは言えないが、

    女性は、そんな社会の枠の中に入れて置いた方がいいんだ。

    江戸時代は、しっかり女性を管理して生かし切っている。

    女性をよく知り尽くした一つの智恵だった。」




    私は、その当時、なにか暗い深い淵を覗き込んだような気分に

    させられ、言葉の意味が、すべて分かったとは言えないまま、

    はぁ~、そうですか。みたいな相槌を打った気がします。    あはは。


    男性は、誰もが社会性の中で自立と自律を求められます。

    そして、それがないと一人前には認められない網の目が、

    張り巡らされています。


    それに比べ、女性は、どうなのか?

    みなさまは、どう思われますか?



    今、まさに相談者の鑑定をして、目の前の現実に、

    何度も何度も、

    この言葉が浮かび上がって来るのを、経験をしています。





    最近は、シングルマザーと云う言葉が、珍しくなくなりました。

    かっての結婚、離婚のサイクルは、

    結婚と云えば、一生の事、

    いろいろ将来の生活を考えながら決めるのが一般的でしたね。

    親の気持ちも、周りとの調和を考えながら、、、


    しかし、今の若い人の結婚は、軽い? 

    物だけは豊富な世の中ですから、

    生活苦と云う不安が頭にないのでしょうね。   ほ。

    まず、自分たちの気持の満足を最優先に求めて、

    しかも、

    周りに反対するような野暮な大人はいないし!?  あはは。

    二人が決めて納得したら、GO-! みたいな?

    結婚のようですね。


    そう! 好きだと自由に決めたものを、誰も邪魔する者はいない。

    それと、出会って直ぐに恋人同士、すぐ結ばれるのねー

    まったく垣根の低い、ハードルのない結婚のようです。

    離婚の御相談者のお話しを聞くたびに、そう思います。


    どうしてもその人と結婚したかった。

    その為に、何かを乗り越えるような努力はないようです。

    二人の間が、どうしたら縮まるか?

    そこだけの努力の問題ですね。     あはは。


    離婚だって、以前は、多少の苦労や大変な事があっても、

    子供を育て上げてから、子供が一人前になってからと云うのが、

    一般的、普通でした。

    それが、今では、幼児や生まれたばかりの子供を連れて

    市や県の行政で、母子家庭が厚く守られているのもあって、

    何の生活の保障や当てもないのに平気で離婚をします。

    悩んで、悩んだ末の離婚と云うよりも、

    離婚と云うやり方で、今のイヤな現状から逃げたい。

    逃げの処理をする為の離婚です。

    だから簡単に離婚を選ぶ。

    離婚の深い意味を考えないで、先の事を想像もしないで、

    離婚の選択をしてしまうのです。

    要は、現実逃避の為の唯一の合法的な方法なのです。


    今の20~40代にシングルマザー達は多いのですが、

    彼らの親に当たる世代も、熟年離婚、不倫と

    未だかってなかった言葉を作った世代です。

    ちょうど、戦後教育の自由、男女平等、民主主義の雰囲気で

    教育を受け、成人をした世代に当たります。

    世の中、物が溢れて貧しさを知らない世代?

    質より量へ物の価値が移って行った時代です。

    近代化による欧米化が日本中にばらまかれて、

    なによりもまず、個人の人権が認められた社会の中で、

    今までと違った新しい生き方を求めて、

    私は、自由。

    私は、皆と平等。

    私の個人的権利は、守られている。

    すべてが古い日本と違うのよー。

    私たちは! 自分の主張をしたいの! できるのよー。

    と云う空気を吸って大人になった世代です。


    女性が、男性に負けず大学進学をして、

    対等に偏差値で競争をして、女性でも勝てると信じた世代です。



    では、




    その世代の母親を持つ40代のYさんの鑑定事例を紹介しましょう。


    Yさんは、運命と云うものがあるなら、

    自分の運命を知りたいと云って来られました。

    二人の子供を持つシングルマザー歴は、約8年。

    その間に、正社員で働きながら子供たちを育て、

    上の子が中1生、下の子が小2生でした。


    Yさんの両親は、教育熱心で行きたい大学へも行かせてくれて、

    Yさんの結婚も離婚も、黙って認めてくれたそうです。


    しかし、この8年間、よく頑張ったと云う充実感が持てない。

    離婚の原因になった結婚生活での共働きへの夫の非協力的な態度への

    不満や家庭に束縛されて思うようにできない自分の仕事への不安から、

    逃れられたら

    自分は、楽になれると離婚前には、思っていたはずが、

    この8年間は、

    職場と家との往復だけで過ごした息の詰まるようなだけの空虚感があると

    言うのです。

    また、それから逃れたいと思っている自分に、嫌気がしていると、、、。

    結婚生活の不満や不安が、なくなった代わりに、

    心の中に、ぽっかり穴が開いたままで、それを埋める事ができない。

    新たな男性と次々付き合ってはみたものの、

    その内の何人かは、不倫の関係だったそうです。

    (一人の女性の乱れが、他の女性を不幸にしてしまう実例)

    その交際が、自分を変えられるようなものではなかった。

    最低限の生活を維持できる収入の中で、

    子供をこのまま育てて大学進学など無理だと思えるようになった。

    自分が、両親にしてもらった同じ事を、子供にしてやれない。

    自分の本来の息を殺して生きているようで苦しい。と

    そう云うご相談でした。


    あぁー、敗戦から66年間、

    普通参政権。民主主義。男女平等。高学歴。自由な恋愛。

    申し分のない時代を生きているのに!

    それが、謳歌できない。 苦しいのですね。

    人が作った制度に守られて、

    その囲みの中の自由や平等や権利を持ちながら、、、

    その平等意識を、自由な感覚を行使したら、こうなった!

    なんて、自分は不幸だろうと、、、


    アラブやアフリカと比べると、なんと贅沢な悩みでしょう?



    人が作った法が与えた自由や平等や権利で、

    真のしあわせの実現は、できない事を知らないのですね。

    これが、『陽』の限界だと知らないのです。

    普遍的真理の具現性は意識にはできない事を知らないのです。






    Yさんの育った時代は、マスコミがこうささやき、

    母親は、娘にこう云ったのかも知れませんね。


    お母さんだって、こんな世の中を夢見ていたのー。

    女だって頑張れば、馬鹿な男の云う事を訊かなくてもいいのよ。

    貴女だって、東大も、留学も頑張れば行けるわ。

    努力次第なのよ。 塾のお金は、パパが出してくれるから、

    貴女は頭が良くて自由なのだから、だれも束縛できないわ。

    貴女は、普通に結婚をして家庭に入る事はないの。

    自分の能力を生かせる職業について世界を股に活躍していいのよ!




    知識や外国の事情に詳しい進取的な母親は、

    娘を立派に仕上げる為に、夫にその協力を求めたはずです。


    娘を海外留学させるの、あなた、お金を出して!  あはは。

    あー、娘はかわいい! ほんとうに可愛いのですから。


    母親が、ここまで熱心になったのは、

    ある意味、頭がさとく、鼻が利いたからです。

    国が近代化をして、日本社会が欧米のような意識社会=父性社会へと、

    移行して行くと云う事は、

    欧米における自由主義、個人とプライバシーの尊重といった

    近代的自我の風潮が入り込んで来る事でした。


    それが、いわゆる「近代的自我」と云われる自我意識とか、

    母親は、そんな難しい事は解らなくても、

    個人の自立の程度が未成熟、弱いと言われる日本の女性は、

    このままでは、乗り遅れるかも知れない。

    わが娘が、社会の中で馬鹿にされるかも知れない。

    そう警戒網を張ったのですね。


    その頃、日本中の家庭で、その茶の間で、

    個人主義的な価値観に乗り換えた母親と娘がタッグを組んで、

    娘の進学に反対をする父親と対立する場面が多かったはずです。


    ”お父さんの頭は古いんだから、”


    そう、娘に言われた父親は、可哀そうに、

    だんだん弱くなって行ったのです。

    父性社会の価値観を取り入れて武装する母娘に、

    母性社会の中での父権を守ろうとする父親は、勝てないのです。


    日本とアメリカの関係が、

    夫と妻子の関係図になりますね。     ほほっ。


    これが、今の日本社会の現実です。

    男女の足場と役割が、浮足立ってねじれています。

    皇室も、そうです。

    現在あるのは、天皇陛下の御意志、ご努力のたまものです!



    かろうじて、男性の(母権社会での)自分の権威を守ろうとする

    健気な努力によって、日本社会は崩壊を免れている? のですよ。

    やっぱり男は、大黒柱。 屋台骨です。

    男性のみなさまへ、 感謝しなければなりませんわ。


    近代化の及ぼす影響を受けたのは、さまざまですが、

    女性への影響は、きつかったと思います。

    それでも社会は、保っているようですが、

    個人の男女関係、家族関係、親子関係は崩れ去りつつある。


    そして、今は、

    そのような近代的自我を無節操に取り入れてしまった因果応報のような

    結果を見せられているのですね。





    Yさんだって、本来は夫運、家庭運のない命式です。

    一生を生計を担って働かなければいけない女系の女です。

    彼女が、一生を独身で仕事に賭けて生きると望むなら、

    本人にとっては、本望と云う命式です。



    しかし、Yさんは、普通の女性のしあわせを希望している。

    それに挫折した不幸を実現しているのです。



    人の幸せと云うものは、この場合、女性なら、

    女性の役割や、人としての生き方、いわゆる『躾』がなされて初めて、

    それは、窮屈かもしれないけれど、

    自己の欠点や命式のゆがみを社会の中で補う事ができるのです。

    こう云う女性が、普通の女の役割を全うし、

    ささやかな幸せを手に入れながら一生を過ごす為には、

    社会的な枠組みの中で認知された躾の価値観が心身に必要です。




    これを、だれも、して来ていないようです。

    比べるのもどうかと思いますが、

    江戸時代の女性教育と比べると、現代は、なにもしていない。

    いわゆる日教組の教育が、それを破壊し、

    近代的自我と云うお面をかぶった若い世代を社会へ送り出しています。



    そう!

    Yさんの場合も、

    家庭運のない女系の末路の女の運勢が、

    近代的自我を自覚させるご丁寧な大学教育によって、

    『陽』の殿堂の雑学知識だけを真実と錯覚して、

    この世に有りもしない自由と平等と云う幻想を信じる事によって、

    躾や習慣、国柄の伝統、自らの役割さえ捨てる自由を信じさせて、

    それらをすべてリセット、解除した?結果が、

    女性にとっての悪運、不幸を

    もっと強固に下支えしてしまっているのです。




    人は、学問(知識)のみでは、人には成れません。

    人が人に成ろうとすれば、その社会の伝統の中で認知された躾を

    享けなければいけないのではないかと、思う昨今です。




    近代化は、

    どこにも納まらない。 収まらない。 修まらない。

    どの檻(おり)にも入らない動物を作ってしまったかな?


    ほほっ。




    皇居に久しぶりに近づいて、

    あぁ、このなかにも。。 。 と、


    皇室におさまらない皇太子妃、雅子さまが、と思いました。

    しあわせな皇后さまになっていただきますようにと、

    念じずにはおられません。




    今年一年間、温かいコメントや拍手をありがとうございました。

    心から、感謝申し上げます。


    新年は、4日から記事を更新したいと思っています。


    来年も、ひきつづき

    東洋的な観点からの記事を

    よろしくお願いします。




    そして、迎える新年が、皆様と、ご家族にとって

    本当によき年となりますように、


    心からお祈りしております。



    よき年末を、新年をお過ごしくださいね。
































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 家系・家族の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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