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03/03 10:24 |
( 命の継承と運命 9.) 胎内世界 / 芥川賞 『共喰い』 田中慎弥Category : 絶家の家族関係
雪がはげしく降っているのが分かりますか?
2月閏29日、正午頃の 新宿御苑 〈 イギリス庭園 〉冬の雪景色です。 まるで夕刻のような日差しの中、雪踏みをして来ました! あっは。 冬の野山を訪れると、自然の、≪本当の姿≫を見る事になります。 ![]() 実は、真冬の新宿御苑で ”霜柱を踏もう会”の計画を立てておりました。 前日から出された大雪注意報、 私に取りましたら、今年は山中湖に次ぐ大雪。 どうやら、、、とうとう雪女になったようです。 あはは。 朝、目覚めると真っ白な銀世界! だから、止めよう! なんて、誰も言わない酔狂者ばかりが、 大雪を頭からかぶりながら、 ”大雪を踏もう会”を敢行しました。 ほほ。 ![]() これが、同じ場所の夏の風景 真冬の新宿御苑に行くのは目的があります。 落葉樹、木々たちの、≪本当の姿≫が、見られるのです。 人間もそうですが、 世間での上辺の虚飾、地位や名誉、称号、肩書、装飾、一切を 取り去った後、初めて人のなり人間としての価値、真価が分かるのです。 その姿には、誤魔化しのない固有の運を見る事ができます。 いつも見ているフランス庭園のプラタナス。 本当は、紅葉葉鈴懸の木(モミジバスズカケノキ)と言います。 ![]() そして、これが、すべてを落したプラタナスの本当の姿でした。 ![]() 新宿御苑は、江戸時代の高遠藩、内藤氏の江戸屋敷跡です。 それで、この辺りの地名は、内藤町と言います。 今も、内藤家の御当主が此の辺りにお住まいのようです。 今の皇居(江戸城)に近いこの土地に、 内藤氏が、ここまでの広大な屋敷を幕府から賜ったのは、 関ヶ原で家康に見込まれて信用をされた結果です。 絶対に裏切らない者を、江戸城の周りの広大な敷地に住まわせて 敵が攻めて来た時の守りに備えたからです。 新宿御苑で、一番高くそびえる樹木が、下の百合の木です。 ![]() 明治6年に植えられて、樹齢約140年、約30mの高さまで伸びています。 葉や花、種を落した百合の木の本当の姿は、これです。 ![]() 足元を見て歩いていると、 時折、ドッサッ! と云う音と共に木の枝から雪が、傘に落ちて来ます。 しんしんと身体が冷え込んで来ましたが、 だれも早く帰ろうと言わなかったわ――。 真摯に自然に向き合う木々の迫力、威容さに惹きつけられて、 全員が心を打たれたのかも知れません。 雪景色の御苑に出会えるのは、貴重な機会なのね、きっと、 多くのカメラマンが、三脚を立てて撮影をしていました! では、今日の本記事です。 今回で、( 命の継承と運命 ) 功利と近代的自我の残骸 シリーズの記事を、ひとまず終えます。 また、いつか。 今日の記事は、前より予告していました ( 命の継承と運命 ) 胎内世界 / 芥川賞 『共喰い』 田中慎弥。 さぁ、参りましょう! 運命学的に切り分けて参ります。 文学的に申し上げる部分は、我らが現代の父性の代表! ふふっ。 石原慎太郎氏に依って参ります。 他は、私の嗜好に依ります事を、ご了承くださいね。 あっは。 芥川賞は、ふだんは黙止(黙って無視)して読みません。 理由? 正直、いいと思わないからです。 そもそも、 芥川賞は売れるかどうか分からない小説で、 文芸雑誌に発表された作品で、まだ単行本になっていない、 今、売れていない作家が貰うものです。 未熟さ、若さ、時代の先端ぶって? ほっ。 余りにも、ストーリも奇をテラっていて、うす汚い感じがする、、、あっ、、、 お決まりの ≪閉塞感、倦怠感≫ ただよわす主人公と、 これ又、うんざりさせられるセックスと暴力がつきもの。 それがないと人間の本来の生ではないみたいな安っぽさが、イヤですね。 でも、この位、過激でないと目立たないのかも知れない ? あは。 文学の登龍門? ほんとうに龍なの? 天に昇る龍なの? あはは。 反対に、直木賞はベストセラー作家が対象ですが、興味がない、、、 運命学をやっておりますと、 小説の虚構は、見え透いた作り物で、つまらないですね。 鑑定する現実の方が小説より奇なり、です。 ほ―。 石原慎太郎氏は、選考委員の時、「共喰い」について、 ”読み物としては一番読みやすかったが、 (中略) 「お化け屋敷」のショーのように次から次へ、 安手でえげつない出し物が続く作品〝 と。 今回、私にとっては異例なのですが、確認の為に文芸春秋で読みました。 確認? なにの、、、 彼の住む胎内世界が描かれているだろう! と云う点でした。 えー、胎内世界が! その通りでした。 ほっ。 テレビで、田中氏のお姿、お顔を見た時、そう思いました。 もう、鑑定の慣れで、お顔を見たら、 特徴のある命式は、すぐに分かります。 今の小説家にはこう云う命式が多いのです。 あ―――、こう云う人達が、小説界へ入って行く時代なんだ―――。 ひとつの感慨でもあります。 ちょっとクイズです。 田中慎弥氏を、五行に例えると、木火土金水のうち、何でしょう? テレビ、マスコミで伝わった映像から受ける印象で、 お答えになってみてください。 あなたの直観力のテストです。 答は、記事の最後にあります。 運命学的に、ピーンと来たのは、 田中慎弥氏は、 典型的な女系の男子でいらっしゃいますね! ほほっ。 (それで、取り上げようと思った訳です。) 前々回の記事で書きました多大なる母を命式に持っている方だなぁと。 マスコミの話題の中で、 田中氏は、石原氏に対して、「もらってやる」発言をしていましたね。 あれは、当代随一の父性を感じさせる相手(石原氏)に対して、 田中氏がどう云う位置にいるかを自ら証明する象徴的な言動でした。 父性の対極 : 母性側、 父性 : 子 この子とは、 児童や幼児ではない、胎児であろうと、ピーンと来ました。 非常に、この事から田中氏の命式に興味を持ちました。 そしてまず、田中氏の顔相に社会性で鍛えた痕跡がない。 (あーごめんなさいね~。) 自己追求型、自分の内面の中を始終見ているからでしょう。 幼くして父親を失っています。(父性縁が弱い。) 事実、高卒以降、働きたくなかったので、一度も働いてない、と。 母親の働いた生活費で今まで生きてきた、とか。 自己の主観世界の外=社会へ出る必要がなかったのです。 なぜなら、 母に守られ、未だに母親の子宮の中に、胎内に居るのです。 現実、物理的に、そこに居ると云う事じゃないのですよ。 ほほ。 その本質をもっている命式だと。。 。 体のしなりや表情、目つき、全身から、 ⑨ 生まれたままの幼さ、青さ、自己へのこだわりが伝わって来ます。 そのこだわりは、ダダっ子、無心に赤ん坊が泣く程の強さがあります。 ⑨ やさしそうなのですが、自己中心で頑固で、わがままです。 多大な母って、ちなみに何人の母なのだろう ? あはは。 命式の中に、最低7人。 7人の実母と継母が彼を守っています。 この人数は、それだけ母性の守りが厚い運命である象徴です。 具体数の場合もあります。 正母(実母)、継母の大群が命式を占めているので、 その代わりに、父親、妻、子供、兄弟の居場所がありません! 正母(実母)、継母の大群が、運命を動かして行く命式です。 ⑨ この母達は、 命式の本人を守る代わりに、同時に息子の精気を吸い取ります。 こう云う命式の人は、実際に身体が大きくなれません。 田中氏は、細身、痩せているでしょう? 一人っ子は、男子と云えども、やはり女系です。 父親がいません。父性の恩恵が受けられないのです。 その代わり、自分を守る象(かたち)が強い命式です。 唯我独尊ですから、強い自己主張が活かせる仕事が合っていますね。 絶家の最後の途絶する孤独に強い運命を活かすには、 孤独なんかヘイチャラで記録を伸ばす、競争に勝ってピークに立つ、 その道のエキスパートになるのが向いています。 小説家は正解です。 血統や身内に恵まれない代わりに、 『陽』の産物=競争や選別に勝ち、誉賞なり褒称に恵まれます。 出来得ることなら、 人類の為に、世の為に、 家系の最後を飾って生きるのが最高の人生でしょう。 人物的には、この位が、表現できる限界かと思います。 次は、作品の中へ、 色濃く、彼の本質が表われている内容です。 先ほどの胎内世界を内側から見られるかどうか、確認です。 題名「共喰い」とは、ひとりの女性を、父と息子で犯す意です。 ともぐい? ものすごい表現ですね。 エサですか? 女は? ほほっ―――。 17歳の高校生が主人公で、ひとつ年上の女子高生がその女性です。 自分の相手の女性を、実父が騙して犯します。 (これだけでも、もう、うんざりだわ――― ほ。) その巡り合わせの運命の処理を、父親との葛藤も含めて、 過去にいろいろあって別居している実母が、事を察知して、 息子に黙って実父を殺し、すべての罪を被ります。 息子は、大雨の中、実母が実父を殺める現場を見てしまいます。 実母の犠牲あっての自分と彼女と云う結末を迎えるのです。 母親が献身的に罪をかぶり、息子を庇って救う。 スジ書きは、古典的です。 母性の美談? まっ! ひとつ年上の彼女は、都合のいいだけのバカ娘として書かれています。 いわゆる意志や顔を持ったキャラが描かれていません。 父親も暴力的、偏執的に書かれていて、 毅然としているのは母親だけ、母親だけが存在感のある人物ですね! あ、もう一人、 実父が同居していた女性、この人の性格もリアルに描かれています。 主人公の食事等の世話をした女性です。 命式中の継母です。 実母、その代わりになる継母、 こう云う対象だけが、存在感を持って書かれていますね! 田中氏は、母、母性だけに興味を強く持っているようです。 しかし、 継母は実父を捨てて蒸発をし、実母は刑務所の中です。 これは、暗示的です。 その母の為に慟哭する訳でもなく、感謝する訳でもなく、 母の類に依存をして生きている自分の生に気が付かないまま、 主人公は、年上の彼女と居ます。 それはそうです。 胎児にすれば、100%が受け身で、保護される事はあっても責任はない。 ほっ――。 ここら辺が、意識中心の現代文明の限界なのかも知れません。 今回で、芥川賞選考委員を降りられた石原都知事は、 「新文学の刺激がほしかったが、なにかちいちゃいんだね。 自我が非常に薄っぺらになったね。 ただ、今はもっと本質的な人間の崩壊が始まっていると思う。」 と。 運命学的には、 巨大化した母性が、ゆがんだ父性を殺める作品でした。 以上、運命学の仕訳で、むずかしかったかも知れません。 ほほ。 記事中の田中慎弥氏のクイズのお答えですが、 彼の命式の中にある五行で、一番強いのは、『水』です。 なにか、どこか怜悧な感じが? ヒヤっとする感触をお持ちです。 このシリーズは、一旦終わりになりますが、 また、いつか..... その時まで、おたのしみに! ほほ。 あ、今日は、ももの節句! 桃の花が、似合う日でしたね。 ![]() 桃の木 よき一週間をお過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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03/11 11:07 |
あれから一年 1. 天・人・地の三才 『中庸』をめざしてCategory : 運命学と科学
![]() 一年前の今日、2011年 3月 11日、 東日本大地震が起こる1時間前に、撮った写真です。 その時、ちょうど筑波山に登っていました。 眼下に見えるのは男体山ルートで登った頂上からの関東平野 ( 白い部分は雪 ) まず、登頂の岩場から、一緒に登ったメンバーと代わる代わる景色を撮って、 その後、女体山へ登って、女体山下山ルートを降りている時に 地震に遭いました。 その時の記事 そう!今日(2012年3月11日)は、 東日本大震災からちょうど一年です。 その間、日本中が世界中が大変でしたね。 今日も又、 日本各地で、また、世界各地で追悼の行事が行われます。 政府も哀悼の意を表するため、 弔旗を掲揚する事と、 午後2時46分に黙とうを捧げるよう協力を要望しています。 被災地の方たちと共に、 その時刻には、哀悼の意を込めて、黙とうを捧げたいと思います。 今日は、私たちが、今、どういう運命の転換点に立っているのか? 東洋的に、又は、運命学的に掘り下げる記事になります。 あれから一年 1. 天・人・地の三才 『中庸』をめざして 9か月前、2011年の6月7日にいただいた 次のメールコメントから始めたいと思います。 ネットの中を通りかかって、 興味を持って読んで来ました。 東洋的な思想を運命学を通して語る中に、 今回の津波の予言をしたのか? と思う箇所があります。 ここは、どうなんですか? そのつもりで読んでみると興味深いです。 これは、予言でしたか? ( 元の文を、編集で短くしています。) ご指摘の2010年、6月13日の記事は、 ↑ をクリックしてスクロールしますと、 右端にメールフォームがあり、その下の検索フォームの辺りに、 おそらくですが、この文章がると思います。 津波の予言ですか? とおっしゃられた部分、 ” これは、完全なる倒錯ですよ。 この矛盾の波形は、 いつか大きな津波となって社会を押し流すに違いありません。 現代は、 人間は自然の一部と言う東洋の思想を置き忘れたまま、、、 人間は自然の外で、自然を人間の外部のものとして眺めている、、、。” ここですね !! この文の中身は、今も変わらぬ私の思いですが、 我ながら驚きました。 と、云うのは、 すっかり忘れていたからです。 あはは。 人間が、本質的に、この意識の過ちに気が付かないまま、 反省をすることもなく、出直さないのであれば、 今後も、無意識(自然)の力は、いつでも、何度でも、 意識の作った此の世の驕りの現象世界のすべてを、 無常の瓦礫の世界へと還してしまうだろうと確信をしています。 なぜなら、 津波や地震が残した世界のありさまを、 瓦礫と云う言葉で表現するのは、人間を中心にした価値観です。 人にとっては瓦礫としか言いようのない世界のありさまでも、 この大自然、宇宙から見れば、 地球のもともとあった原状復帰、元々のあるべき姿であり、 人間の意識には、”瓦礫” にしか見えない現状だって、 地球が、宇宙にあっての元始のありのままの状態を回復した姿、 それを実現したエネルギーの痕跡なのです。 人間は、自らの快適さを追求することが正しい正義? それこそが幸せを追求する欲望の肯定? 権利なのだと? あはは。 こういう風に、人間の意識中心でこの世界を見ている限り、 人間を、意識を持った存在として、特別な存在として、 自然よりも上に置く傲慢さを捨てない限り、 人間の意識で作った = 学問で、自然を切り刻んでいく限り、 それらは、自然からみると、あくまでも砂上の楼閣でしかない。 また、同じ事が繰り返されると、思っています。 そもそもが、人間が自然に勝てる事などないのですよっ。 元初から、人は、自然に従うしかない存在だった。 それは、科学がいかに進んでも変わらないはずです。 だって、人そのものが、自然の仕組みから命を与えられた存在。 これが、東洋の自然観であり、人間観です。 長い時間のスパンで観れば、人は自然から淘汰される存在です。 科学なんかで、自然淘汰を避ける事はできないのです! ほっ。 逆に、科学や知識を重んじる事は、 『陰』の価値を無視する事になり、『陽』に偏り過ぎて、 反って、人類の生存を脅かし、 淘汰を早める効果はあるでしょうね。 ほほっ。 もともと、『天』ありきです。 =宇宙の運行 = 自然 = 時、ありきなのです。 『人』が、先にあったのではありません。 『人』が、宇宙や地球を造ったのではありません。 ほほっ。 その『天』に畏怖、畏敬の念を持ち、 『人』は、『地』の上に生まれ立つのです。 『人』は、『天』と『地』の 間で、いか様に生きるべきか? 『天』『地』の 都合 に合わせて生きるしかないのです。 『天』の都合=『道』を求め、 『地』の都合=『理』を覚る。 この『道理』を知るを『智』と言います。 『天』から『地』へ、『人』が、 その営みを通して『智』を実現する際に、 『地』の上に立つ『人』を、『天』と『地』は、固く守るのです。 それが、天・人・地 の中庸の姿。 『人』の行いが、『天』と『地』の道理を実現する時、 宇宙のすべての運行が、人の為への、篤い恵みとなります。 その際、大地は微動だにもしないで、 人間の営みが倒れ乱れないように足元から支えるのです。 それが、天・人・地 の中庸の姿です。 それがいつの間にか、我が国は、国全体に、 その東洋の智恵を捨てさせて、 現代文明の意識の満足=五感の安楽、快楽、安易さを最上に掲げて、 それを追求、実現する事を科学学問の目的に据え付けて、 それ欲しさの欲望を掻き立たせる情報をマスコミに垂れ流れさせ、 国民を、安易な消費行動に駆り出す事が、経済の為だと? そう云う愚かさの上に成り立つ税金を当てに国家経営をすると云う! なんと愚かな! 国民に欲望のままに勝手気ままに生きる事を習い覚えさせました。 そして、 科学の恩恵で、自然から隔離した過保護で快適な空間に住み、 それ程に、 やすい知識で自分の周りに楽ばかりを並べておきながら、 自然に対しては、被害者然とする立場から少しも進歩しないのですね。 この構図は、 親に依存しながら反抗をしている若者の姿にそっくり、 自分の分をわきまえない愚かな人間が、 自然と云う親に反抗している姿そのものです。 これでは、自然災害が起こるのは当たり前です!!! もっと人は、草や虫や動物を見習ったらいいのです―――。 草や動物は、人間のように、 意識と云う後天的な機能を肥大させるような不調和を起こさずに 草は踏まれても自然に従い、子孫を残し数千年も生き延びている。 動物も、狩りや異常気象で淘汰されながら生き抜いて来たのです。 自分の欲望とその満足の為に自然の調和を乱す動物は、人間だけです。 自己の都合だけを満足させて生き延びれる生物は、 この宇宙中に、どこにもいない。 それで、人間が自然から淘汰されない訳がないでしょう? 自然の脅威から、科学で身を守ると云うけれど、 意識の学問、科学は、いのちと一体の自然や宇宙を守る知恵ではない。 何度も言います。 無意識の存在を無いものとした上に学問体系を作り上げているからです。 それが、現代文明を作り上げている近代合理主義の本質です。 そのもっともひどい罪科は、 近代合理主義を、我知らずに、空気のように吸い込み肯定する事は、 命ある人としての心の奥にある無限、永遠性の破壊に通じる。 そこから生じるあらゆる徳性が消滅するのです。 ことは、さほどに重大です。 御上(おかみ)が決めた事だから、 自分は、知らなかった。 それでは、済まないと、前に、申し上げました。 もう、何にも頼らず、 現代文明からも自立をして、 現代の思想からのわが身の自由を、まず確保しなければいけないわ! そして、 みずからの自然に近づき、 自然と共に永遠にあろうとするにはどうしたらいいのか? 自然から学び、気づかせてもらわなければ、、、、、、 本当の体と心を、永遠の命を養おうと云う気概を持つ時です。 自分の人生の判断の指針を自然に求めてみてください。 ちょうど季節の変わり目、この自然の歩みを見つめてみてください。 そして、功利でもなく、 観念で固めた近代的自我のウソウソしいペルソナを脱いで、 人の観念が作った法律に書かれた自由や平等レベルが真実だと 錯覚して満足するちいちゃな自我で騙されるべきではありません。 垢にまみれた近代合理主義の衣服を脱いで、 自然の姿に沿って生きてみようとしてください。 今、そう変わらなければ、、、、、、 それが運命の、分かれ道 ! あっは。 自然の営みは、変える事はできないのだから、 人が、変わるべきなのです。 ちょうど一年目が、今が潮時。 祈りたいと思います。 次回は、 あれから一年 ② 「フクシマ」論です。 おたのしみに。 よき一週間をおすごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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03/18 17:20 |
あれから一年 2. ー 「フクシマ」論 開沼 博ー 災害の外因・内因Category : 運命学と科学
![]() 朝焼けの那須岳 今日の本題の前に、ご理解いただきたい事があります。 このブログをお読みくださって、 私の主宰する運命学をご理解してくださり関心をお持ちになる方が、 増えて行く事は非常にうれしく思っています。 それが、特に、私達の目には見えない心の価値である徳性や、 東洋の叡智のすばらしさに目覚める事が、 今の物質文明の社会へ抗していく力になれるとしたら、 これ以上の喜びはありません。 私のこのブログの目的は、そこにあります。 そう云う私の目的に従って、 このブログ内の活動で『陽』の価値を追求する気は全くありません。 いろんな欲は捨てております。 以上のような理由で、 真に申し訳ないのですが、 このブログを通しての一切の鑑定依頼のお申し込みを、 お受けしておりません。ご理解のほどよろしくお願いします。 では、今日の本記事に参ります! ー フクシマ論 開沼 博 ー 災害の外因・内因 でした。 去年の9月7日にいただいたコメントをご紹介します。 日本はなぜ原子力村ができたのか、 その選択のところから戻って反省するべきです。 やっぱり国なのか、国が一方的に押し付けたからそうなったのか? 仮に押し付けられて、 そこまで東北の人たちは従順だったのかどうかは解りませんが、 その原因を追究していって公開してほしいと思っていました。 日本は、内輪もめを避ける傾向があります。 でも、今回の原発の事故は そんなことでいい加減にできる限界を超えていますよね。 なにか、自然が怖いということや東北の人たちに同情することだけで 済ませていいのかどうか、いろいろな疑問がわいて来ていましたから、 復興と言いながら、何か、 損をする方向へ進んでいっているような気がしてならないのです。 それがcosmosさんの言われる陰徳の消去ということなのかと 思いますが、東北へ医療ボランティアで行って、 これだけでいいのかなと感じました。 そうですね。 復興、復興と言いながら、 情報が飛び交うのは、何百億、何兆と云う桁の違うお金の事ばかりです。 そして、絆だ、絆だと言いながら、 自分は、放射能の被害者にはなりたくない。 瓦礫を受け入れて何かあったら、次は、賠償! あはは。 何をしても賠償、賠償してくれるのか? 一億皆が、~~をよこせ! 物の欲しい人ばかり、、、 こう云うのは、運命学ではこう言います。 欲しい、欲しいと言うのは、力不足だと云うのです。 だから、欲しいものが逃げて行く。 あはっ。 冨むとは、いらないと言えども待ち伏せして集まって来る事です。 お、恐いストーカーのようですが、 欲しいものには、追いかけさせましょうねー。 逃げればいいのです。もっと、追いかけて来るから、、、 あはは。 日本中が、国の中でお金を奪い合っている構図です。 せまい桶の中で、奪い合ったらどうなりますか? 国力と云うパイは決まっているのですよ。 まぁ、最後は国が責任を取ればいいのか、 でも、それだって結局は、国のお金=国民の税金でしょう? 我々の負担が増える事であり、年金医療福祉と同じでしょう? ゆくゆくは、この付けは子供や孫へ廻って行くのではないですか? 今、2歳、3歳の子供たちが、30年後、 自分たちと、自分の家族と、親世代の老人の面倒を見ながら、 返していかなければならない重い借金になる訳です。 現の目の前の被災地の方々もお気の毒ですが、 原発ができる事に何も関わらなかった今の幼い世代が、 ゆくゆくの廃炉の費用まで負担をするのですよ!、 将来に、一方的に負担を背負わされる今の子供たちの方が、 現在の誰よりも、一番、もっともっと憐れです。 これは、国の運命も、個人の運命も同じだと云う事です。 意識の為したものは、すべて、 時を経て、間違いなく、咎も徳もすべて受け継がれていくもの。 親の世代がごまかし、無意識に知らずに隠したものは、 必ず、必ず、無くなる事なく次世代へ答案が返されて来ます。 此の世で、我々が為した業は、寸分たがわず無くなることはありません。 今日の記事は、 東京大学大学院に在籍中の社会学を専攻する開沼 博氏(27歳)が著わ したフクシマの検証本『「フクシマ」論 』 青土社 からです。 ここで、注意していただきたいのは、 意識と云うものが、どんなに身勝手で、都合の悪いものを隠すのか、 よく見ていただきたいのです。 ★印のところ この本の中身は、 昨年1月に、彼の修士論文として提出されていたそうで、 彼は、福島県いわき市の地元出身だからこその、 福島を思う郷土愛、その悲しみを持って書いている。 一か月の1/3を地元で放射能と共に生きる生活をすごし、 だから、ここまでの事が書けるのか、と感じさせる本です。 この本のサブタイトルの「原子力ムラはなぜ生まれたのか」 から分かるように、 二つの「原子力ムラ」について考察を加えた内容になっています。 「原子力ムラ」のひとつは、 電力業界・学者・行政・政治家・マスコミ。 もうひとつは、原発を受け入れる事で、原発交付金や雇用、 労働者の流入によって潤った「地元の原子力ムラ」。 この「地元の原子力ムラ」= 福島県双葉郡は、県内で最も貧しい地域で 「東北のチベット」「福島のチベット」と呼ばれていた地域です。 この二つのムラとムラの関係は、 原発のリスクを押し付ける国 対 その抑圧に耐える地元と云う 決まりきった構図のイメージで思い込んでしまいがちです。 まして、関東に住み東電の電力を使って来た首都圏にとっては、 関東の人の為の電力の犠牲になった、と言われれば、そうかと、 何も言えなくなるのですが、、、 開沼氏は、違うと言う。 「 」の中は、開沼氏の文章そのままです。 彼が、学生時代に青森県六ケ所村やフクシマや新潟で 目のあたりにしたのは、 「原子力関連施設のおかげで生活できるという幸福感」だった。 この幸福感が、どうして形成されたのかを知る為に、 5年間、フクシマへ通い、住民への聞き取りを重ねながら 掘り起こしていった検証本です。 経済成長を目指す国に連動するように、「ムラ」=福島県双葉郡では、 出稼ぎのない豊かな暮らしの夢を原発に見出した。 「ムラが原発を能動的に受け入れ、抱擁した。」 そして、二つのムラが、お互いを抱擁し続ける中で、 ムラの人間たちに、「絶対安全だという”神話”が生まれた。」 「この”神話”の信心こそが今回の大事故の底流にある。」と表現します。 ★ここですね! 双方のムラが、都合の悪い事(=原発は危険である)と云う意識を各自の 無意識の底へ隠し捨てたのです。 無意識の中に隠された意識は、決して無くなりません! かならず、『 危険なのだと云う事を見据えなさい!』と、出して来ます。 約30年後、原発誘致を決めた人々の子と孫の代に、 今回の事故として出して来ました。 これが人の運命として、 親の生き様の間違いを、子供が受け継ぐと云う事です。 そして、 今回の事故の内因として、 経済性を優先する為に原発の危険性を見ようとしなかった住民の意識、 そして、東電や国の安全性の意識の甘さがあります。 事故の外因として地震と津波の想定外の大きさがあります。 このように、 人間の内面の内因と、宇宙における外因が合わさった時に、 その無意識に隠された動機にふさわしい物理的現象が、 『陽』の世界に、五感に捉えられるように起こる訳です。 現象と云うものは、 内因、外因のどちらか一方が欠ければ、成立しません。 開沼氏は続けます。 ムラは、言われるがままに原子力に乗せられた訳ではない。 町議選や国選における推進派と反対派の対立さえ、 「ムラの利害」という見地から見れば「郷土愛ある対立」であり、 「反対派あっての安定した秩序」を構成したのだ。 なぜなら、反対派を存在させることで、 国や電力会社に、「地元懐柔の必要性」を強く感じさせ、 つまりはより多額のカネがムラに落ちる事になるからだ。 具体的には、反対派のリーダーだった議員が、 次選挙には、推進派の町長として当選するなど「転向」も当たり前。 1957年、福島県選出の参院議員・木村守江が、 まだ手を上げる自治体がない中で、 「後進県からの脱出をめざして」と、いちはやく原発誘致に動き出す。 後の県知事となり「原発知事」と呼ばれた人です。 1962年当時、双葉町・大熊町・浪江町・富岡町などは、 県民一人当たりの所得水準が県内最低水準にあったのが、 70年代になると原発を誘致した双葉町・大熊町・富岡町が、 県内最高レベルに踊り出て来る。 90年代後半になると、最高レベルになった自治体も 原発からの税収の低下や、 交付金で建設したハコ物の維持費増大などで財政が苦しくなり、 新しい原発施設の誘致や建て替えを要請する事になった。 「ムラ」にとって、原発は、 「一度はまると抜け出せない麻薬のようなもの」となって行った。 開沼氏は、更に次のように書いている。 「国道6号線をただひたすら北上すればよい。 『国土の均衡ある発展』を目指した挙句に誕生した田畑と荒地に パチンコ屋と消費者金融のATMが並ぶ道。 住居と子どもの養育費以外に費やしうる可処分所得をつぎ込んで デコレーションされた車。 郊外巨大『駐車場』量販店と引き換えのシャッター街のなかには 具体例をあげるのも憚られる あまりにどうしようもないネーミングセンスで名づけられた再開発ビル。 その中で淡々と営まれる日常。 例えば『ヤンキー文化』『地域○○』といった あらゆる中央の中央による中央のための意味づけなど空虚にひびく、 否、ひびきすらしない圧倒的な無意味さ。 成長を支えてきた『植民地』の風景は『善意』ある『中央』の人間にとって あまりにも豊穣であるはずだ」 「福島において、3.11以降も、 その根底にあるものは何も変わってはいない。 私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、 フクシマに向き合わなければならない。 さもなくば、 希望に近づこうとすればするほど 希望から遠ざかっていってしまう隘路に、 今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう」 開沼氏が、現地で見たのは、 「3.11以前の福島は思いのほか『幸福』に満ち、 3.11以後も彼らはその日常を守ろうとしている。」 更に、昨年の11月25日 読売朝刊(論点)で、 貝沼氏は、”福島県議選と原発”と題して、 次のように書いています。 「11月20日に行われた福島県議選挙で、現職44人の内、36人が当選。 脱原発か否かは、住民にとって争点にはならなかったと云えるだろう。 震災後の多大な被害の根源にある「原発」に対する反感は極めて強い。 しかし、原発を失くすべきか否かを論じる意識に必ずしも結びつかない。 原発立地自治体を含む双葉郡選挙区では、 原発を推進して来た2人の現職が勝ち、 同日行われた大熊、双葉両町議選は、東電出身の候補者が議席を確保した。 背景には、非常事態だからこそ電力会社をはじめとする「お上」との パイプを維持しようとする、地元住民のリアリズムも見える。 民主党県連の最大支持母体である連合福島は、 選挙前に「脱原発」を掲げないとする運動方針を決めた。 原発立地自治体の選挙で、軒並み原発推進・容認の候補が勝ったのは、 原発を「簡単には手放さない。」姿勢が今も変わらぬことを示す。 原発立地自治体に限らず、 「今ある食いぶち」以外に有効な生存手段を見いだせない地方の窮状を、 私たちは知るべきだ。 ここで言いたいのは、そうした地方の現実の善悪ではない。 疲弊からの出口を見いだせずにいる立地地域への無理解、配慮の不足 が「現状維持」の構造を強化しているということだ。 震災を経ても変わらない、 地方と中央との関係や構造を問い直す必要がある。 その先に日本の「明るい未来」が開けるだろう。 そう、その通りです。 地震も津波も、内因もない人の処に、意味もなく襲うのではない。 天災も災害も、内因もない人の処に、驚かす為に起きるのではない。 天から、外から、偶然にやって来るのではないのです。 少なくとも、内因を積み上げた自分の心が呼ぶのです。 その事が解った上で、 もう一度、開沼氏の言葉を、フクシマの人と共に、、、 福島において、3.11以降も、 その根底にあるものは何も変わってはいない。 私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、 フクシマに向き合わなければならない。 さもなくば、 希望に近づこうとすればするほど 希望から遠ざかっていってしまう隘路に、 今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう」 戦後、国民の為と言いながら、 まず国が自分の欲望を満たす為にアメリカ追従し、 国民のまずしさを利用して有無を言わさずに来た歴史。 そして、その国の中央に「服従」したように見せかけて、 自らの欲望を果たす為に国の欲望を利用して来た各自治体、 イヤシイ。 それぞれが盗賊団の一味ですか? まあ、 戦後、表看板「民主主義」と云うものが、実態は何だったのか? あはは。 そんな事を書く余裕は、もうありませんが、 それが、戦前や、そのもっと前の幕藩体制の政治と それぞれの民衆との関係はどうだったのか? 比較をしてみたい、非常に興味があります。 いままで、上手く行っていたのが、 今回の地震と津波で、こうなった? 軋み出した? のではないだろう? 全部、想定外の天災のせいにしてはいけません! 国も幼稚なら、国民の私達も幼稚だったと云う事です。 もともと、民主主義って、 選挙民が自覚しない限り、政治体制がどう変わろうと、 その政治から受ける恩恵や悪弊が、変わるわけないだろう? 制度変われど、法律変われど、人はやはり、まずしさに弱い。 貧すれば鈍する。 それを国を挙げてやって来た、今もやっている。 まずしさを、もっとまずしさに弱くしている。 いそがばまわれ。 その正体が、物質文明です。 もろ手を挙げて、徳分を捨て、道徳を捨て、 物で、その代わりは充当できるとやって来た功利主義です。 まずしさには、物をあてがうのではない。 もっと、乞食根性に貶めるだけだと云う事を忘れたのでしょうか? まずしさには、智恵をあてがうしかないのですよ。 まずしき我々に、物よりも、智恵を!!! そう思って開沼氏のこの本を読み終えました。 3.11以降、どう変わったのか、 原発は安全と言いたいようですね。 あはは。 安全と言いたい意識のかかった近代的合理主義的な ロジック上では、安全でしょう。 しかし、 そのロジックを運営するのは、だれですか? 貧した鈍したままの原子力安全委員会、保安院の人間ですか? それは、それは、相変わらずですね。 あはは。 原発は、危険極まりないわ! ほほっ。 あれだけの人材と時間とデーターばかりのペーパーを積み上げて、 それで安全が成り立つと思っているのですか? さすが、今回は、手がワナワナ震えているでしょうね? これが、物質文明の理論の究極の体現です。 仏法でいう処の”第六欲天に住む魔王の欲望の具現化”です。 物とは、有限の象徴ですから、無常です。 物が常に求めるのは「得」、分配どころか、略奪です。 収奪です。 あなたと私を、同じ状態にしたら(出来もしないのに) 平等に幸せになれるような政治をしようじゃないか、 いや、しあわせだと錯覚して生きなさいという押し付け、 これが、物に偏った近代国家の本質のメッセージです。 まだ、近代国家が豊かなお金が回るうちはいいのでしょうが、 そのうち、ウソは、嘘。 嘘の平等と自由の保障を国民に与えられなくなった時、 お金が切れた時、有無を言わさずに収奪、略奪です。 奪い合いです。 その証拠が、 世界は、まさにその具現そのものの実態ではありませんか? この調子でやって行くと、 常にこの近代と云う意識のみを存在とする砂上の営みの下に、 隠されたままにある無意識が、 どんな訂正をするように過去からのテストを返して来るのか? 自信がない人は、恐いでしょうね―――。 無意識が、壊そうとする意識の造作物は? 意識の作った”意識を最上”とする意識の驕(おご)りの現象世界。 ≪意識そのものの満足=感覚の満足≫ を最上位に置く、 現、近代合理主義による物質文明であり、 命よりもモノを優先し、精神と命を経済の奴隷にする仕組みの事です。 そして、 誰にも束縛されない自由を生まれながらに持ち、 他のどの存在とも、平等であり、 ある時は、神より仏の存在よりも尊く、エライと自惚れる 人間の理性と云うものが作り上げた近代的自我です。 これらの近代の嘘を、必ず叩きに来ますよ。 無意識が、、、 なぜなら、近代のこれらの大嘘がのさばっている限り、 無意識の出番はないのです。 無意識は、近代合理主義の意識と云う看守によって、 牢獄へ閉じ込められて鍵を架けられています。 なぜ、この事を、この運命学のブログで取り上げるのか? と云うと、 この現状が、運命自体の劣化を増幅するからです。 どうか、みなさまにおかれましては、 自らの無意識を強めて、無意識からのレターを読み解けるように、 日ごろから、準備をなさってくださいね。 ちょっと今日は、むずかしかったかも? あはは。 次は、あれから一年 最後の記事、楽な記事になります。 あは。 良き一週間をお過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : 文明・文化&思想 Tag : 青森県六ケ所村双葉町・大熊町・浪江町・富岡町
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03/25 10:47 |
あれから一年 3. ー 男女でなぜ、放射能に対する感覚がここまで違うのか-Category : 運命学と科学
![]() 福島原発のホールアウト事故 今日の記事は、あれから一年 3. ー 男女でなぜ、放射能に対する感覚がここまで違うのか- です。 この一年間、 放射能の影響を受けた様々なニュースを報道で見聞きしながら、 一番興味深かったのは、この男女差でした。 皆様は、いかがでしたか? 放射能と云う、命の存在を脅かす負の力をもつ物質。 この恐さに対しては、女性はダイレクトに反応しました。 女は、感情の動物だとか、情緒的に反応するサガなんだ等、 男性側からの言い分も分からないではありませんが、、、 ほほっ。 それに対して、 男性は当然ですが、現状の世の中があっての自分ですから、 社会的な体制の枠組みの中で、放射能を捉える。 ある意味、冷静に、大騒ぎをせずに、、、 あはは。 仕方がない..... と受け止める態度が顕著でした。 今後の事も、 女性は、放射能は絶対にダメ! 脱原発! 男性は、経済だ、電力が、と社会の枠組み優先? の思考をします。 おそらくですが、 日本中の家庭でこの態度の違いで、ご夫婦の言い合いが起こった! 真剣にまじめに問題意識をもって話し合えば話し合うほど、 夫婦喧嘩になったご家庭も多かったに違いありません。 あはっは。 この男女の差から、今の社会の現状までを、 東洋の陰陽学から考えてみたい。 今日は、そう言う記事になるはずです。 ひょっとしたら男と女が、お互いに相手を理解し合ういい機会かも? あはっは。 思想文化論の西谷修、東外大教授がおっしゃるには、 生物は、地球上に放射性物質がほとんどなくなってから 初めて登場するようになったのだそうです。 太古には、あらゆる元素が地球上にあったのですが、 ウランより重い元素は崩壊した後、つまり放射能が無くなってから、 その結果、地球上に生物の生きる環境ができたのだそうです。 この地球の歴史的事実から、 生き物が放射線を「恐れる」事には、 計算や理屈を超えた「理」がある。と云うのが氏の指摘です。 この太古の記憶は、人類の共通無意識の中に残っています。 そして、男性よりも、女性の方がこの無意識に近い存在です。 『陰』の存在である女性の徳性、 放射能 = いのちを脅かす存在として捉えてしまう恐怖の直感。 もう、計算などではない! ヒステリックに! あはは。 いのちの殺戮に対しては、わが命を懸けてでも守り抜こうとする。 無我夢中の力です。 母は、強しです。 ほひ。 命を孕み生む性として、その位の強さを『天』が女に与えているのですよ。 いい面ばかりじゃないけど、これが、母性です。 女性は、命の底から放射能の排除を望みます。 それは、絶対平和を望むのと根は同じです。 母親である自分が放射能から我が子を守りたいと思う気持を 夫である我が子の父親が、無関心や無理解な態度を示す時には、 離婚にまでなったケースを報道でも見聞きしました。 あ、あ――、 女は、自分が作ったものではないからでしょうか?、 社会の仕組み全てを否定する事だって平気です。 あっは。 反対に、男は、自分の属する社会を維持しようと、 その為には、放射能を含めた現体制を守ろうとするのですね。 ほっ。 国家や法律、経済や知識を作って来たからでしょう。 そして、国家や会社や仕事の為に命を捨てるロジックを構築します。 これを優先させるのが、父権であり、父性社会です。 そして、男は、自分の作り上げた虚構のロジックの為に死ぬ。 そうせざるを得ないロジックを作り上げるのも男です。 組織を固める為に、命を懸ける価値観を構築するのです。 本来、我が家族の命を守る手段だったものを、 いつのまにか目的にすり替えて? 美にまで高める? あは。 意識は、洗脳、倒錯がお得意なのね! きゃー、あはっは。 武士道などそうですね。 本来の孔子の儒教の『義』や『忠』を肥大化させて、 その虚のロジック構築の為に利用しました。 意識は、なんでも利用をするのね! あはは。 又、男性は、現象を捉えるように意識・五感で命を捉えます。 その体系的な成果が、多くの学問群です。 女性も女性なら、男性も男性だわ―――その時代を振り返れば、 男女双方とも愚か、阿呆な面を持っていますね? あはは。 敢えて訊きたい。どちらが正しいのか? あは! 『陰』が本体である以上、女性の衝動が基本にあるべきだと思います。 が、『陽』の生産性がないと生命活動は維持できないのですよ! どちらが優先するべきなのか? ほほ。 結論から云いますと、『陰』があっての地球上のいのちです。 『陽』だけなら、地球上の命はとっくの昔に死に絶えてますね。 あ。 女は、地球上がもう一度荒野になっても、 命は、また産めばいい。 そう思っていると思います。 あはは。 一番嫌なのは、命が育たない汚れた地球です。 地球を放射能で汚さないでほしい。 それさえなければ、、、再生は可能ですから... ほっ。 こう云う時、西洋的には、男が正しい、いや女が正しいのよ。 ほほ。 それに比べ、東洋の叡智が、いつもすばらしいと思うのは、 『陰』も『陽』も、相手の存在を必要不可欠としつつ、 それぞれどっちかが負けもせず、勝つと云う事でもなく、 対立しながらも役割を失わずに力を発揮して中庸を探りなさい! と云う処に結論がある事ですね。 ほほっ。 『陰』が真っ(黒)な石炭の塊とすれば、 『陽』は、それを燃やして出る炎(白)そのものです。 『陽』の本質は、『時』と共に移ろうもの、 いつかは消える炎、無常の存在です。 だから『偽』と云い、 うそつきであります。 あ、 あはは。 長期的な流れる時間軸で測れば、 学問も政治も経済も、真っ赤なウソばかりです。 あはは。 男は、それでも、その為に自己を賭けて生きざるを得ない。 その為に、 『陽』は、男性社会においては、自分を正当化する必要があって、 その為に、どんな嘘の正義のロジックでも作る。 その自分たちの作り上げた社会機構、法律、知識を、 間違っていても正しいと守り抜きます。 あぁ、我が国において、その意識の倒錯が、 放射能を判断する際に起きませんように。。。。。 いつのまにか、命を守る手段だったものが目的になって、 もう、倒錯しているとしか見えないな、これって。 国家と国家の外交の現場は、 その為に競争をし、闘いをし、命を殺戮する。 ですから、他を倒す、その力を欲します。 『陽』の力の結晶が、軍備であり、兵器なのです。 北朝鮮やイランが核を作る事を止めないのも、そうです。 それをすべて嘘だから悪だと消す事はできない。 炎『陽』を消せば、石炭『陰』の存在の意義が『地』から消える。 『天』の『智恵』を『人』が『地』上に実現できなくなる。 何の為の炎か? 陰徳が炎の根源にならないといけないのです。 が、現状は、『陰徳』のコントロールを失った『老陽』の暴走です。 『陽』=意識=科学が、捉える自然は、 自然をそのままでなく、それどころか! 意識は、自分が意識できた所も、蔽い隠しますよ―――。 都合の悪い所は、言わない、書かない、隠すのです―――。 ある強調したい意識に都合がいい所だけを抽出しているのです。 これは、今まで何度も書いてきました! 現に、一年前からのマスコミ、政府、東電、 三者三様に、自分の立場を嘘をついてでも守り通しています。 最後に、 私が、去年の5月の時点(震災から2か月後)で受け取っていた、 メールマガジンの抜粋をお読みになってください。 このメールマガジンは、無肥料無農薬の農産品を通販している (ナチュラル・トラスト)から会員へ送られて来るものです。 3月15日のホールアウト(原発の水素爆発)の後、 トラストのメンバーが、佐藤さんと云う農家を訪れた時のレポートです。 ” 先日、2011年5月18日(水)福島県郡山市に行ってきました。 東北自動車道を北へ、白河あたりで0.5マイクロシーベルト/時。 そこを自衛隊のジープが救援という名の旗をつけ走っていました。 自衛隊員の方は、ホロの中で、空気に触れて走っていました。 郡山は原発から60kmの立地。 場所によって放射線量の数値は変わっていました。 同じ地域でも川を渡ればまったく数値が違ったり、 浄水場の近くは汚泥に蓄積しているらしく、 2.7マイクロシーベルト/時 と数値が高かったりと現地に入ってみて初めて解る事もあります。 佐藤さんのご自宅の前も 2.7マイクロシーベルト/時です。 佐藤さんのガイガーカウンターでは、 中性子線も危険数値近く飛び交っていることを示していました。 佐藤さんいわく、 家にいても窓の近くは呼吸がしづらいといいます。 その付近の路上で、小学生になるかいかないかくらいの女の子が、 口をあけてあくびをしながら微笑んでいました。 それでも佐藤さんは、自分自身の生活スタイルをしっかりとしていく事で、 自分自身がどうなるのか、自然栽培や天然菌によるライフスタイル、 人間の生命力に賭けていて、生き抜いてみたいとおっしゃっています。 「まさに人体実験なのだと思うが、そうする覚悟だ」と、 柔らかな笑顔を浮かべながらおっしゃっていました。 〈 中略 〉 関東東北の人口は2010年度国税調査によると60,805,360人です。 全国の人口が128,056,026人なので約半分にあたります。 放射性物質の厳密な影響を考えれば、 この地域の人々は避難が必要だとさえいえるのかもしれません。 事実、放射性物質は関東の茶葉からも検出されています。 それはその地域にそれだけ放射性物質が存在している事を 意味しています。 しかし、関東東北の地域の人口6千万人を移住させることは不可能です。 この地域の農家・漁師の職を絶つことも不可能です。 なだらかに何十年も時間をかけるのなら移住もできるのかもしれません。 しかし移住したとしても、日本においてどこでも地震がおきる可能性があ り、そして原発も存在しています。 そう考えると、子供への配慮はあったとしても、 私たちは汚れの中で、最大限自分を守りながら、 最大限、自分自身が関わるものの汚れを取りながら、 新たな時代のライフスタイルを築きあげ、 次世代に渡していく責任と使命があると思えてなりません。” いかがでしょう? 国やマスコミが、隠していた事が書かれていますね。 もうひとつ、、 3月16日号の週刊朝日の アメリカの原子力技術者アーニー・ガンダーセン氏と、広瀬隆氏の 対談等によると、今、一番恐ろしいのは4号機のようです。 4号機は、 建屋の骨組みの間から格納容器が見えるほどバラバラに壊れています。 地震の時は、運転停止中で、 原子炉から取り出された大量の燃料棒が核燃料プールに入っています。 対談の中で、ガンダーセン氏は、 「4号機の核燃料プールは、 今も日本列島を物理的に分断するほどの力を持っています。 地震時、 このプールには炉心数個分もの使用済核燃料が入っていたのです。 大気圏内で行われた過去の核実験で放出された燃料に匹敵するほどの 放射性セシウムが眠っています。」 「現在もなお大量の放射性物質が放出されています。 まず、この状況をきちんと把握しなくてはいけません。」 と語っています。 日本は、国民をしあわせにしない国になりましたね。 近代化によって道徳や徳性を軽んじたまま、 キリスト教的父権社会を見習って、移行完了しています。 自国の事を、そんなに悪くは言いたくはないのですが、 こう、言わざるを得ないですね。 政治が、いのちを一番に考える事は難しいようです。 現在、政治の言葉を信じる訳にはいかない。 『陽』の意識の造形である国家や報道は、『陰』の対極を向いている。 真実、命を守ろうなんて本質的に無理、不可能な状況になっています。 覚悟を持って、余談を許さない状況を見守るしかありません。 命がどうなるか? 福島原発の直下型の地震が来たらどうなるのか? 関西電力大飯原発3、4号機の再稼働は、大丈夫なのか? なにかがあったら、 首都圏と福島より近い関西圏と大飯原発の距離、 琵琶湖の水は、それよりもっと近い。 その客観的状況とそっくり同じ状況が、 男と女の間の意識の変化に横たわり、 社会においては、父権による母性=『陰』の排除が進み、 自らのいのちと子供のいのちを盾にして働く女たち。 女たちに『陰徳』を捨てさせる父権社会の欲望がある。 その時代状況が、生み出した一つの現象が、 今のフクシマ、なのです。 これらが、あれから一年後の状況です。 根底には、 無意識を閉じ込め、徳性より金権を尊重する社会がある。 金権に巻き込まれては、いのちの継承の負けだと云う事。 キラキラ、メラメラは、無常だと云う事。 東洋の叡智で見抜いて生き抜いていってくださいね。 男性は、男らしくでいいの、だけれど、 女性は、あくまでも女らしく、貴女が陰徳を積むかどうかが これが、一番重要です。 日本の運命は、そこに掛かっていると思っています。 はっは。 このシリーズは、これでおしまいです。 良き一週間を、≪ご無事に≫お過ごしになってくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : 文明・文化&思想 Tag : 関西電力大飯原発3、4号機の再稼働
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