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07/01 15:59 |
.。.:*:.。..。 思い出の 「銅屋根」 .。.:*:.。..。.: 五行学の金の徳は、『義』Category : 東洋思想
今日は、たくさんの建物の写真を楽しんでくださいね! まずは、これから。 さてどこでしょう? 銅板葺きの屋根、さびた緑青(ろくしょう)の色がきれいでしょう? ![]() 大阪市公会堂 (旧中之島公会堂)です。 中国の古代からの考え方に、 陰陽学と同じ位に古く重要なものが『五行学』です。 今日は、五行の中のひとつ、金の徳・『義』についての記事です。 金・金属の景色、その思い出の中から 記事を始めたいと思います。 金属に限って思い出と言えば、、、 やはり《 銅葺きの屋根 》でしょうか? 今までの心に残っている屋根をご紹介しましょう!!! 写真は、大阪の中之島公会堂(現名称:大阪市公会堂)です。 この中之島と云う名称は、琵琶湖から流れ出る淀川の中洲で出来た島で、 現在は、堂島川と土佐堀川とに挟まれた中之島にあります。 パリのノートルダム寺院のあるシテ島も、セーヌ河の中洲です。 建築は、国会議事堂や東京駅、さまざまな国内の洋館建物に関わった 辰野 金吾氏が、設計を行っています。 街の中で、どこからでも目立つ美しい緑錆(ろくしょう)色の 銅の屋根を持った建物です。 緑錆のエメラルドグリーンの色は、 どこか気品があって、心をくすぐられる処がありますね。 先日のニュースで、 大阪の橋下市長が、維新塾の入塾式を、ここで行っていました。 ![]() 写真をクリックすると右端まで見られます。 ![]() 丸い塔の屋根 ![]() 正面入り口のアーチにも。 写真をクリックすると右端まで見られます。 ![]() もう一度、正面の裏側、川からです。 さぁ、これは、どこでしょう? ![]() これは、京都文化博物館の別館 (これもいわゆる辰野式建築です。) 屋根自体はスレート葺きですが、その継ぎ目、避雷針、窓枠、屋根のテラス、 細やかな銅板による装飾が施されています。 京都には、旧日本銀行、中京郵便局、旧日本生命、旧不動貯蓄銀行など、 銅板葺きの屋根を持つ歴史ある建物が残っています。 (京都も、青春の街でした!) 現在は、東洋、東洋と、東洋一辺倒! なのですが、 20代の初め、まったくのフランス一辺倒でしたの ! ほほ。 フランスへは何度も、パリへ、ルーブルへ通いました。 パリに着くと、若者の安上がり旅行、スーパーで食料品を買い込みます。 トマトや、牛乳、パンやチョコレート、チーズやハム、リンゴにオレンジ、 それをホテルの冷蔵庫へ入れて、朝食だけホテルでとります。 プチバケットとコーヒーの簡単なものです。 そして、地下鉄の回数券を持って、 昼食用のりんごかオレンジ一つと、パンを持って出かけます。 歩き疲れると、それをセーヌ川の川べりの石畳に座って食べます。 地下鉄と徒歩で、パリの街の中を歩き回りました。 パリ市内は、狭いですから地下鉄と徒歩で十分なのです。 帰りに、街角のパイ屋さんへ寄って、壁という壁のショーケースの 何十種類もの美味しそうなパイを2つ、3つ夕食用に選びます。 ホテルに帰って食べるのです。毎日、次はどれを食べようかと? あはは。 青春のたのしい思い出です。 パリのスーパーは、買い物にコツがあるのです。 買い物の金額で消費税が変わります! 初めての日、沢山の買い物をしました。 消費税が25%以上もあったかな? 思ったより多額な買い物になって驚いてしまって、、、 後日、トマトと牛乳だけを買いましたら、ほとんど0% ?の消費税 ? あぁ、そうか!と気が付きました。 食料品の豊富さ種類は、日本とは比べ物になりませんね。 韓国のソウルのスーパーも、パリ並みの豊富さですが、 なぜか、日本は、野菜、果物でさえ、1~2種類ですね。 例えば、大根類は、青首1種類だけですが、 ソウルは、丸いの、角いの、黒いの、赤いの、いろいろ20種類位が並び、 それも、3束~5束位づつまとめてあるのも多いのです。 卵も、そう。 10個づつのパックは、日本だけだったみたい、、、 パリでも、すべて種類が豊富なのですが、特にチョコレートなどは、 店内の一つの陳列の両側が、長い通り全部がチョコレートばかりなのね。 その列が、次も、又次も、チョコレートばかりなの! きっと、数えれば、何百種類もあるのでしょうね! スイス、ベルギーなど名産地がありますから、豊富で、価格も安かった。 牛乳なども、1000mlが、60~100円位だったと記憶しています。 パンもそう、陳列の一部だけがパン売り場ではなくて、 パン売り場だけで一つのスーパー位の広さなの。 そして、お昼時になると、街路で道路工事をしている男達が、みんな、 握る所だけを紙で包んだ、チーズを挟んだ長いバゲットを手に持ったまま、 パン屋から現場に向かって帰って行く姿が、あちこちで見られて、、、 バゲット一つで、お腹がもつのかしら? あはは。 パリは、まったく飾らない庶民性がほのぼのとしている町です。 シャレた町の中に、農業国の人の生活と芸術が一緒に溶け込んでいる、 そう云う印象でした。 ここで、老後を暮らそう、、、あはは。 本気でそう思っていました ! パリ市内の建物の落ち着いた雰囲気は、大好きでした。 ルーブル美術館の屋根 写真をクリックすると右端まで見られます。 ![]() ベルサイユ宮殿の屋根 ![]() 「ヴェルサイユ」とは「耕作のために焼いた野」という意味で、 パリの南西22キロにあって、バロック・ロココ時代の建築の代表作です。 広大な園庭にある噴水にセーヌ河から水を引いてあるのです。 ちなみに、 ヨーロッパの古い建物の屋根の色は、空の色に合わせて、 そして、とんがり帽子風の屋根の形は、 樹や山脈、その形に沿わせているのだそうです。 現代建築の建物は、真っ直ぐのタテ、ヨコの線ばかりですね。 自然を阻止する形。 自然には一番なじまない造形だそうです。 金属を屋根に葺くと云うのは、豪華であり、高価です。 その中で、銅板葺(どうばんぶ)きは、板金屋根のトップに君臨します。 金属は、案外、薄く伸ばしたりできるのですね。 しかも軽いのだそうです。 五行(木、火、土、金、水)の中で、 『木』と、『金』だけが、切る、焼く、削る、、、と人為で加工できます。 『金』は打たれて薄く伸ばしたり、火で焼かれたり、 熱せられたかと思うと、水を浴びせられたり、鍛えられるものです。 鍛えを受けて真価を表す事ができるものなのですね。 鍛えられないと、只の山の中の鉱石、石つぶてでしかありません。 そして、美しい細工を施されると、宝物にまでなれるものです。 自己を磨く為にストレスに耐えるのが、『金』です。 鍛えに耐える事を「苦」とは受け止めない性です。 「苦」によって、自己を高め価値を作り上げていくのです。 まるで屋根そのもののようですね! 太陽の熱さ、冬の寒さ、雨、風を「苦」とも思わず、逃げず、しのぐ。 我々がその下で生きているのを守る。 まるで、男、 父親の役割のようでもあります。 ですから、 『義』と云う字は、 羊・ヒツジと、我・ノコギリの形、との組み合わせです。 ヒツジの毛並や角や、ひづめなどに欠陥がないだけではなく、 内臓にもすべてひとつの病気もない事を、示す為に、 ヒツジをノコギリで、二つに切り離して生贄(いけにえ)として 神に供えました。 ( 中途半端な人間が、純粋性を求めると云う事は、むごいですねー。 自分は、どうだか? 分らない人間の思い上がりが、、、 これが、このまま、原理主義的な極端なイデオロギーとして 純正な忠義を至上とする幕藩体制を支える朱子学へ受け継がれます。) つまり、神などに供える犠牲としての傷のない完全性。 犠牲としての条件において合格した! 犠牲として神へ差し出すのにふさわしい(正しい)生贄である。 それを、『義』と言ったのです。 絶対性に対する自分の偽りの無さ。 偽りのない私心のない無欲さ。 絶対性への我欲を犠牲にした真実性。 『義』の本来の意味は、そこまでです。 それが、 「 それでよい。ただしい。」の意味に使われるようになります。 義憤・・・・・・・正義の為に憤ること。 正義・・・・・・・正しい道理。 『義』がある・・・正統性がある。 このように、あるものの正統性を表す時に使われるようになります。 その正統性とは、何だったのでしょうか? あるいは、そう思わせる為装の言葉として利用されるようになります。 『陽』の現象界は、生きる為には、何でも利用をする現場です。 陰徳の徳性である『義』を“正義の大系”として、 極端なイデオロギー化したのが江戸時代の朱子学です。 それまで儒教では、最高位の徳性は、『孝』でした。 しかし、幕府の権威の正統性と統治支配にとって便利である事から、 『孝』よりも『忠義』を上に置く思想が権力側に必要だったのです。 徳川幕府ご用達の林羅山(はやしらざん)と云う御用学者が、 「孝」よりも「忠義」」が大切だという思想を公的な見解とし、 教育思想体系を作り上げました。 それを、全国の藩校、寺子屋で教育をしました。 そのゆがんだ思想の名残が、まだ現代も残っています。 朱子学の罪、大罪です。 これについては、又、いつか必ず記事にしたいと思っています。 このように、 権力者が、権威の正統性を示す為に利用したのが、『義』です。 『陽』である = 人が作った法律、 その法で国を治める統治方法を( 法治・ほうち )と言います。 法治国家です。( 近代国家はみなそうです。現在の日本もそうです。) 国民を支配し、従える為の国家に対する犠牲と忠義の純正性、 それを求めるのに、『義』の徳性を利用した訳です。 そこには、<『義』の大過の姿かたち> が隠されています。 『陽』にすれば、 『陰徳』の最高価値『孝』やそれを実現する徳性で、 国が治められるとは信じられないのですね。 これは、『陽』が本縁的に持つ“意識の懐疑”です。 生死の問題を解決していない意識が抱えている蒙(くら)く深い迷妄、 “死が恐~い”と云うダークゾーンから湧き上がる懐疑です。 ちなみに、徳を以って国を治める事を( 徳治・とくち )と言います。 ★ 『陽』の権化 = 国家権力が、 『陰』の徳性である『義』を悪用したらどうなったのか? 最後に少し書いてみましょう。 『義』があるとか、ないとか、 なにが、正義か、正統性があるのか ? 政治の場で論議をする事は、おそろしい感じがします。 だって、政治そのものに、正義なんてありえないからです。 しかし、江戸時代の朱子学以来、先の敗戦まで、 正義かどうかを、国家権力が決めて来たのですよ!?! その為に、国家神道をねつ造し、正当化を図って来た訳です。 そんな正義は、ウソに決まっていますし、 そんな所に真の正義なんてある訳がなかったのです。 かように、 時代、思想が違えば、コロッと違ってくるものを、 ほ。 『陰』のバックアップもないまま、これが、絶対的な正義だ! と言い張ったらどうなるのか? 目の前に死体が積み上がるだけでしょう。 そう云う殺戮の歴史を、人類は過去にいくつも持っています。 今だって、シリアなど、権力が正義を決める処はそうなります。 正統性でも何でもないモノを、正統な大義名分だ! 正義だ! と見せようとすれば、 そこには、必ず『偽』の矛盾のしわ寄せ、欺瞞、無理が出て来ます。 ウソをついて無理をしないと絶対性のポーズは、守れないのですから、、、 国家権力の闘争の場に引き出された見せかけの『義』は、 もうすでに『陰徳』でもなんでもなく、<『義』の大過の姿かたち> = 政治の道具に成り果てた殺戮の武器になります。 いかにも、いかにも徳性に見せかけた悪徳の『義』は、 他の仁や礼や智や信の徳性を根絶やしにして、 それでもなお、 『義』だけを、権力の絶対性の為にウソの正義を貫くと云うのであれば、 その姿、その現象界での表われ方で、際だって来るのが 『義』の徳性を生じる『金』そのものの ヘンシーン!の姿です。 あはは。 『金』はヘンシーン!をして、何になるの? <『義』の大過の姿かたち> は、 剣(けん)、刀(かたな)、刃(やいば)、弾丸、戦車、ミサイル兵器など の姿かたちになって、まともに命へ刃向かって来るようになります。 恐いですね!。 まさに、これら命の殺戮の道具になるのね。 そして、 さらに『陽』は、『偽』に『偽』を重ねなければなりません。 この現場を、日本人は、物も言えず見て聴いて体験をして来ましたね。 生贄、 処刑、 切腹、 特攻隊、、、、、、 これらすべてが、いのちの殺戮の現場の具現化でした。 どこかで、“ 正 ”の字をつけて、 愚かな我々は、正義だと思わせられて、 尊い命が、『大義』の御為に、名誉だと奉られて、 結果は、命は潰されて来ました。 その事が、どこかで分かっているから、 日本人は、『義』を胡散臭いと思っているのでしょうね。 今の若い人も、年寄りだって、 あっは。 『義』などに見向きもしなくなっています。 それは、それでいいのです。 どうせ、偽物の『義』なのですから。 本当の『義』は、ありふれたコンビニなどには売っていないわ。 あはは。 無意識・『陰』を無視する近代合理主義の時空観には、 『義』は、ありえないものなのですから、、、 胡散臭い、、、正しい感覚ですね! どの五行も、名だけ悪用されればそれはそれはおそろしい事になります。 『陽』の悪用を見抜く智恵、 それをお持ちいただきたいと五行学から記事にして来ましたが、 『金』で、終わりになりました。 実は、 『金』の徳性である『義』を、最後にしましたのは、 『陽』に利用されて、命に及ぶそう云う危険性のある事を、 最後にしつこく? あはは。 書かねばならないと思ったからです。 よ~く、おぼえていてくださいね!!!!! 『義』があると云う事は、此の世に、この世界に、そうそうないのですよ。 絶対に、 『陽』である政治や経済の現場にあるはずがありません。 正確に言えば、『孝』を実現する処にだけ、『義』はあります。 『陰徳』の宝庫である『陰』をつぶし、 無意識を排除した現代文明に、『義』はない。 正義もない。 知識だけがあって、陰徳の智恵のない所に大義はないのです。 『義』の徳目は、 無意識界、『陰』の徳性を実現する中にこそあるからです。 これは、痛烈に言っておきます。 現代文明の科学の進歩によって、 今、我々は、『陽』の横溢、大過によって、またまた、 命の殺戮の囲みの中におります。 いまだ、安心はありません。 どうぞ、御無事で! それを真剣に言える時代に生きていますね。 あっは。 五行に関する記事は、 次より、相生相剋(そうしょうそうこく)関係に入って行きます。 東洋の智慧をお楽しみに、、、 あ、そうだわ! ベルサイユの薔薇、マリー・アントワネットを 処刑したギロチンも、金属製でした! 五行の中で、『金』は、大過の時が恐ろしいものになります。 その事を、おぼえておいてください。 では、 よき、一週間をおすごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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07/08 15:16 |
コメントへのお返事 5. (あれから一年 2.) Powers of 10Category : 東洋思想
高村光太郎が、智恵子を迎えに登ったと云う徳本(とくごう)峠へ
![]() ニリンソウの群生がある山道を登って、、、 徳本峠(2140m)から見る明神岳(2931m)、前穂高岳(3090m) 「明神岳」は、上高地から見える穂高岳連峰の稜線の並びの、一番右側にある1峰~5峰の峰々です。 ![]() 写真をクリックしてみてください! 左側が、もっと見られます。 雨だと云う天気予報で、今にも降り出しそうな雲。。。 今日の記事は、 コメントへのお返事 5. (あれから一年 2.) Powers of 10 今回は、日本の科学者の言葉を、紹介しましょう。 分子生物学の学者、青山大学教授の福岡 伸一氏の本の題名からです。 本の題名、 『 科学者たちは、なぜ見誤るのか?』 副題が、 世界は分けてもわからない 顕微鏡をのぞいても生命の本質は見えて来ない!? 世界は分けてもわからないとは、 この世界(宇宙)を〇〇学、○○学と、分けて研究したとしても、 たとえ、それをつなぎ合わせても、全体は、わからない。と云う事です。 今日のヒントは、この本の中に書かれてあります Powers of 10 (パワーズ オブ テン)です。 10のn乗と云う意味です。 つづきは、後ほど..... 今日は、前々回の記事のつづきから、、、 ”あれから一年 2 ”の記事の中で、 天災、災害には、外因と内因があると書きました。 その内因について、 コメント ① の処からでした。 “ ① 被災された方々みなさんに、 同じ内因があったとは考えにくいのですが・・? ” 我々の五感で捉える世界は、たしかにその通りですね ! そう簡単に片づけられれば、、、、、 その方が、楽だわ! あはは。 また、同じ内因があった と云うのも、微妙な表現ですね。 あはは。 五感では“同じ”と捉えられるのでしょうが、 同じ花、同じ人間はいないように、 自然は、決して同じ存在を、作りません。 実は、自然は決して手を抜かないので、個々別々! あはは。 ≪同じ≫と感じられた意味を汲み取るならば、 運命学の★位相・いそう = あらゆる差別のグラデーションが、≪近い≫のですね。 ★位相について詳しくは、 右下の方に、ブログの「検索フォーム」があります。 位相と入れて検索をクリックすると、位相を説明した記事が出て来ます。 よろしければ、それらをお読みになってください。 (近代化以降の思想下に生きる) 私たちが陥る錯覚は、 我々の感覚 = 意識で捉えられるだけが、この世界のすべてなのだ! あるいは、 我々の感覚 = 意識で、この世界の真実は捉えられる! と云うのが、現代人の誰もが陥る錯覚です! 自然が、自分の意識の中にある感覚です。 近代化は、我々が自然を失った事である。と云われるゆえんです。 その結果、我々は自然への畏敬の念を失いつつあります。 近代の思想である「自然は支配するもの」と云う二元論から来る私たちの 思い上がりが、とうとう、行きつく処まで来たのですね。 そう!、これは、とんだ錯覚なのです。 我々の感覚器官では、ごくごく狭い世界しか捉えられません。 福岡 伸一氏の本から引用して、 Powers of 10 (パワーズ オブ テン)を説明しましょう。 家具のデザインで有名なチャールズ・イームズとレイ・イームズが、 1977年、実験的な映像を残しています。 ある晴れた日、公園に寝転ぶカップルを映し出します。 次の瞬間、カメラは上昇をし始め、どんどんズームアウトします。 彼らの住む家、街、都市、国、大陸、そして地球、太陽系、銀河系、 そして、きらめく星の洪水の宇宙にまで、、、 息を飲んで見ていると、一度静止したフレームは、 逆にズームインを始めます。 銀河系、太陽系、地球、大陸、国、都市、街、家、カップルへと、 しかし、ここでカメラは止まらないでミクロの世界へ侵入します。 カップルの一人の臓器へ、細胞、遺伝子、遺伝子を構成する分子、 原子、素粒子、● 核の周りを周回する粒子へ、 それは、さながら宇宙の恒星を周回する惑星と同じに見えます。 このようにフレームの倍率が切り替わるごとに、その倍率が、 10のn乗で表示されていて、たとえば、 都市全体を俯瞰できるのは10の5乗m(100km)、 太陽系が見えるのは、10の11乗m、 逆に、細胞は、10のー(マイナス)5乗mから見え始め、 ー8乗mでは、遺伝子が見え始め、 素粒子の世界は、ー16乗mで見え始める。 この映像は、You Tube に公開されていますので、ご覧になってください。 気が付く事は、我々のこの世界には階層構造(●の__部分)がある。 マクロを形作るミクロな世界に、マクロな世界と同じ構成原理が 無限の入れ子構造( ロシアの マトリョーシカ人形のような構造 ) として 内包されている。・・・・・・・・この示唆が、 以降のさまざまな表現や思想に大きなインスピレーションを与えています。 もう一つ! 大事な事があります。 チャールズ・イームズとレイ・イームズのトリックを見抜いてください! 何だか解りますか? 明るさです。 我々の視覚は、光がないと役立たずですね。 この映像は、作られたCG映像だから、どこまで行っても明晰な画面ですが、 実際の宇宙は、撮影するのに必要な程、どこまでも明るくありません。 それと同時に、ーn乗(ミクロ)の場合、 顕微鏡の倍率を10倍上げれば、明るさは100分の1になる。 つまり、解析度を上げて対象を拡大すればその視野はより暗くなる。 拡大をしていけば、やがては暗闇で見えなくなるのです。 と云う物理学的事実を映像では捨象してあったのです。 と云う事は、 我々の感覚器官の目で見る事には、限界があって、 この世界のすべてを掴む事ができないのです。 望遠鏡で宇宙を見るのも、顕微鏡でミクロの世界を見るのも、 それは、すべて見られるだけの明かりがあっての事、 その上、見えるのは、すべて、モノの部分なのです。 その部分と部分をつなぎ合わせても世界の丸ごとは分からない。 つまり、 見る事さえできない。聴覚も触覚も届かない世界なのです。 その限界の向こう側へ = 無意識の世界が無限に広がっているのです。 例えれば、東京ドームの空間が全宇宙とすると、 その空気中に浮かぶ、見えない位のチリひとつ、 それが、我々の意識で捉えられる目で見える世界です。 我々の五感では、この世界をすべて掴む事はできません。 この世界の真実は、我々の五感で、感じられないモノです。 つまり、感覚・心・意識で解るようなものではない。と云う事を、、、 是非、体得なさってください。 そうなられるように祈りながら、記事を書いております。 ほほ。 この壁を突破しないと“内因”のお話は分かりません。 今までの記事に書いて来た意識の目的を確認します。 我々の感覚器官の発達の目的は、如何にして生き抜いていくか? その為に、我々人間は、前頭葉を発達させて来たのでした。 猿との違いはそこです! あはは。 食べ物を手にしようと生き抜いて行く時、その瞬間、必死なのですから、 余分なものは見る余裕がない。集中とムダの排除が行われます。 この世の正義より真理より、何より食べ物が大事! あはは。 目の前の現象(食べ物)を手に入れなきゃ死ぬだけですから、、、 衣食足って、礼節を知る。 あはは。 それが、『陽』の世界です。 此の世は、無常の世界ですから、現象は、瞬く間に消えます。 掴まえなければ逃げていく獲物を追いかけ、 手にした食糧は、食べたらすぐに無くなってしまい、 満腹になったお腹も、すぐに又、へってしまう、、、 あはは。 また、食べ物を探さなくては、、、それが意識の役割です。 効率と、競争が、当たり前になるはずです。 ほほ。 ★ これこそが、『陽』男性の役割、生産性の向上と持続です。 これなくして人類は生きる事はできません。 しかし、これだけでいいとは、誰も思いませんわ! ね。 『陰』を忘れてはいけませんわ、、、。 意識が成し遂げたものは、 火の獲得から、その炎、大地、流れる水、樹木の枝葉、果実、鉱石、 これらが、五行と云われるものです。 それらを利用した道具、畑、家、船、車、武器、携帯、人工物すべてです。 これらは、大雨の濁流に流され、竜巻のような強風で吹き飛ばされ、 火事で燃え、地震と津波で木端微塵(こっぱみじん)になってしまう物、 失ってしまうものです。 すべて壊れる物です。 つまり、『陽』・意識・我々の五感は、 滅び、破壊され、流され、燃え尽きる物を対象にするのです。 永遠に不滅な真理を対象にはしていません。 なぜなら、目の前の状況からどう生き延びるかのセンサーですから、 その光が今、地球上に炸裂している。 地球のバランスを崩すほどにです。 それはそうです。 近代合理主義が地球を蔽って、無意識を排除した為に、 意識が『陰』の領分・真理を追求し出したのです。 科学とやら、、、学問とやらで、、、真理を追究すると! それも、経済発展の為ですって!!? ちょっと、待って! PLAY BACK! あはは。 これが、とんだ倒錯、大間違いです ! 意識の大暴走です !!!!!! 意識は、意識の役割だけなら立派なのに、、、 意識の悪口を言わなきゃならないのは、このせいなのです。 意識は、放っておいたら何でも、 自分の欲のネタにしてしまうのですね――。 ウソの真理を本に書いて、売ろうとする ?!! まず、真理は、文字で書けない事すら分かっていないし、 言葉、知識、で表現できるほどヤスイものじゃないのが分かっていない。 そうです! 臓器どころか、卵子や精子まで取引をするのですから、、、 いいえ、お金は介在していなくても、心の取引はやってますね。 実は、 ★ 真理や重要な事は、五感では掴めないようになっています。 意識の習性を知り尽くした『陰』の智慧が、真理を悪用されないように、 無意識下に秘しているからです。 だから、私たちの五感で、目を皿にして探しても、 内因を見つける事はできません。 ほっ。 これから先は、 五感の届かない世界へ行くつもりで、お読みになってくださいね。 つまり、、、それは、無意識の世界へ行くつもりで、、、あはは。 無意識の世界の事は、まあ、窺(うかが)う、程度なら、 こうではないかと窺う程度ならできるかなと思います。 お互いに窺いながら、、、です。 あはは。 では、具体的に、 内因がある。と云うが、どこにあるのか? その場所です。 内因は、意識で捉えられない場所にある。 つまり、無意識下の世界です。 無意識下のどこに ? これについては、2011年 10月 23日の記事、 無意識の不思議 7 天台の『九識』/無意識の普遍性 (因果応報) に書いております。(クリックして、記事の中程あたりをご覧ください。) 天台の『九識論』には、 第一識、第二識、第三、、、、、と来て、 8番目の第八識の中に、 自身が過去から積み上げて来た善悪の業が蓄積されてあるとあります。 私達の悲しむ声、心、行為も、 喜ぶ声、心、行為も、 憎しみの声、心、行為も、、、、、 すべて、、、 身口意の三業となって、第八識へ蓄えられて行きます。 蓄積された善と悪の業を「 因果 」として、 それが善業なら「 因果 」の果報として楽を生じさせ、 それが悪業なら「 因果 」の果報として苦を生じさせる源泉となる識が、 『 第八識 』です。 自分が、事の善悪を意識できないまま為した行為も、 無意識の深い処にあるこの第八識が、事の善悪を区別、覚知しています。 私たちが、普通、環境の中で、情報を見て聞いて触って、、、 私は、、、好きだ、、、キライだ、、、辛い、、、考える、、、思う、、、感じる と云うのは、第五識なのですね。 その次の第六識は、自分の五感に振り回されない自己認識です。 やや自立した自分を意識できるようになります。 でも、この程度では、第八識の無意識下の自己の為した行為の善悪を まだ、恐くて直視できない状態です。 エゴイズムが自己防衛をして自己に不利な事を直視させないのです。 だって、自分が悪業をしたなんて自覚をしたら、 自分は、もう、耐えられない! 死ぬかもしれない! あはっは。 なんとか、誤魔化そうとする意識が、 自分が悪業をしたなんて云う自覚しそうな意識を捨てます。 あはは。 普通の人間が、意識できる自我意識は、この辺までです。 そうして、悪業をした事は、(第八識へ)隠れてしまうのです。 つまり、悪い行為の事実は無くならないままです。 あはは。 悪業を為した上に、無自覚にその悪業を隠して、また悪業を重ねる。 その隠した悪業の積み重ねが、内「 因 」となって行く訳です。 どの位、悪業が積み重ねてあるのか ? どの位、善業が積み重ねてあるのか ? そもそも、いつからの悪業や善業が、カウントされているの ? 無始以来です。 ( 始まりの無い初めからです。 ) えっ! 生れる前からの、その前からの、その又前からの、、、 キャ――っ、 もう、止めて鬱になりそう ! あはは。 意識は、内心は臆病だから、 直ぐに計算をしたり比較をして、耐えられないのです。 あはっは。 そこが、意識の能力の限界です。 それもあって、意識できるのは、その辺りまでになっているのでしょうね。 ――― ほほっ。 この場合の災害は、昨年の 3.11 地震と津波の天災に、 福島の原発事故が重なったものでした。 被災地の人々が主に、その内因を持っていたと思うのはどうでしょうか? たしかに、その運命の位相を考えると、濃いグラデーションかも知れません。 しかし、同じ日本に同時期に生きている我々も、 グラデーションの差こそあれ、同じような内因を持っています。 大きな広がりで言えば、 原発や放射能の恐怖を他人事と思えない地球上に生きている人々もです。 この同時期に、生まれ合わせている事も、因あっての事です。 これから起こるとされる南海トラフ地震の予想ですが、 内閣府の作業部会の代表でもある関西大の河田恵昭教授が、 7月6日、大阪市の講演で明らかにしたのは、 静岡から高知にかけて、死者数が40万人に上ると云う試算です。 津波の死者数は、静岡、愛知、三重、和歌山、徳島、高知で36万人。 地震では、大阪、兵庫で47000人。 教授は、「40万人は、絵空事ではない。」と話しています。 内因が、それを実現する外因と出会うのは、「時」の問題です。 それと、もう一つは、場所の問題です。 地震や津波が起こる土地に、 その土地に住んでいなければならなかったと云う内因です。 なぜ、そこへ住み着いたのか? なぜ、そこに住んでいる家族の所へ生まれて来たのか? 一言で言うと、『縁』があったのです。 なぜ、『縁』があったのか? それは、もう、それぞれの第八識に訊かなければ分かりません。 『内因』の積み重ねが、ある量まで達すると、 コップが一杯になると水があふれ出るように、 あなたに対応する自然の『外因』が呼応し、報われるのです。 報われるとは、良い事も、悪い事にも通じます。 科学的に言えば、エネルギー不変の法則。 質量保存の法則。 三業が環境に放出したエネルギーは、消えません。 必ず次は、そのエネルギーは、あなたへ向かってやって来ます。 これが、この『陽』であるこの世界での現象化です。 本人が、意識もしていないし、忘れていてもです。 それが、幸運なのか、不運なのか? 調和を求めるエネルギーが、意識界、現象界へどう現れるのか? 運命学は、命式からそれを読み取ろうとするものです。 自然界で起きる災害は、そのように、 今までのあらゆる私達の道理に反した意識の積み重ねが、引き起こします。 儒教には、災異説があります。 董仲舒の災異説ですが、 古代中国では、 自然の恵みを「天賞」と言い、自然災害を「天禍」と言いました。 自然の摂理を、皇帝が遵守すれば国政は正しく機能し、 天はそれを祝福して「天賞」を下す。 逆に自然を無視する国家には, 天は災害や異変という「天禍」下す。 すなわち、自然現象を善政か失政かのバロメーターとしました。 (『尚書』の「洪範九疇」の第八「休征」及び「咎征」) 周公載紀には、 「天下太平にして、国に夭傷無く、歳に荒年無し。此の時に当たり、 雨は塊(つちくれ)を破らず、風は條えだを鳴らさず。旬にして一たび雨ふり、 雨、必ず夜を以てし、丘陵・高下と無く皆な熟す」 (水旱第三十六) 徳性のある政治が行われると、 陰陽が調和をするので天体の運行は狂わず、 風も雨も時節を得てちょうどの時に吹き、雨は夜に降る。と言うのです! 大地では、高地であろうと低地であろうと、すべて豊作になると。 内面の個人的善行が必ず外に漏れ出て聞こえるように、 天が地上の善政に感応して幸いをもたらす。と言うのです!。 このような考え方は東アジアの儒教文化圏では今なお生きています。 仏教においても、 大小の三災(水災、火災、兵災)が起こる原因について、倶舎論巻12に、 どこに起こるかまで書かれてありますよ。 正法を謗(ぼう)ずる=批判する事によって起こる7種類の災難については、 仁王経巻下、薬師経、金光明経巻三、法華経観世音菩薩普門品第二十五、 天台大師の観音義疏巻上に、詳しく書かれてあります。 いわゆる、我々の心が自然に感応(かんのう)すると云う原理ですね。 現代人は、このような智恵を失っています。 現代人が最高の価値をおく意識では、 掴もうとしても掴めない。 そこが、『陰』の世界です。 知ろうとしても知る事ができない。 そこの存在をうかがうようになる。 うかがうとは、知るとは違います。 前回紹介したニールス・ボーアや福岡 伸一氏は、 自分の専門性の中から、その専門の限界線をみきわめて、 人間の感覚器官の矮小性に気が付いた科学者の中の先駆者です。 つまり、 自分の命を産みだした、この世界の広大さ、奥深さ、無限さに 頭を垂れるようになるのです。 しかし、 西洋文明、西洋哲学、近代合理主義を信じ、頼っている 経済界や政治家の遅れている人々は、 この世界が、人間の意識では掴めない事がまだまだ解からないのです。 つまり、まだ、自分の感覚で世界を知る事ができると思っているのですね! この前の記事で、 近代合理主義の大きな咎(とが)は、 この生命の出処である無意識の領域を、理性の思考から外した事です。 と、書きました。 この咎(とが)を、 社会的に証明するような大失敗が福島の原発で起こった。とも、書きました。 この事故は近代合理主義の敗北です。 なぜなら、 大自然を無視して、人間の意識だけで勝手にロジックを作り その中での「安全」だなんて ! 言って来た訳ですもの、、、 人間がコントロールできない力がある事を無視をして、 その力が、土地や海を司っている事は、事実であるにもかかわらずです。 人間の意識による近代理性の合理性が、自然に敗れたのです。 生死の問題(自然)を乗り越えていない意識は、 敗れた事も認めずに、何も変わった事がなかったかのように、 分らない処は無視したまま、 今回も≪政治的に≫安全だと言い切りました! こんな程度の低い意識に囲い込まれた意識中心の学問や政治に、 我々が、人類の未来を預けると云うのは、いかがなものか?、 意識は、意識の能力の範囲で止めるべきです。 この意識の思い上がりを止めなければ、、、、 量子物理学の世界から、なんと遅れている事か...??? 災害に遭われた人々の心の深層の処では、 さまざまな葛藤が生まれているだろうと想像をするしかないのですが、 それは、建物を復興する事よりもむずかしい、、、 それでも、生きなければならない現実の表層を抱えて、 痛む心の深層は、、、いかばかりか、、、 この結果をもたらした、 意識の思い上がりを止めなければ、、、、 量子物理学の世界から、なんと遅れている事か...??? 今回の災害時には、被災地にいなかった我々も、 わずかな時間差で被災者になる可能性はゼロではありません。 今の時に生きるすべての人間に共通なのは、 共に、近代合理主義のロジックの中に閉じ込められている事です。 本当の自然『陰』・無意識を排除して、 意識の囲みの中だけで、安全、と判断する事とは ???? これは、いったい? どう云う事を意味するのでしょうか ? 1995 年(平成7年)1月17日(火)に発生した阪神大震災で、 大阪や神戸の数ヶ所で、 あるオーナーの所有するビルだけが、全部倒壊しませんでした。 ふしぎな事があるものだと思った事があります。 何事があろうと、 みなさまに、不思議な事が起って、 不幸中のさいわいに恵まれますように祈っております。 コメントの最後の部分、 “ ② 人生の不公平には 因果(無意識)が正しく働いているようには思えないのです。” は、次回へ廻したいと思います。 なお、来週末は、連泊で登山へ行く予定です。 申し訳ありませんが、次回の更新は不定期になります。 ご了承ください。 では、よき一週間をお過ごしくださいね。 参考:『 科学者たちは、なぜ見誤るのか?』 著者:福岡 伸一 (講談社現代新書) -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : 文明・文化&思想 Tag : ニリンソウチャールズ・イームズとレイ・イームズ
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![]() 2012
07/19 23:26 |
コメントへのお返事 6. (あれから一年 2.) 東洋の 「因」と「縁」Category : 東洋思想
上高地の 一位 (イチイ)の木
![]() その昔、天皇など高位の人が手に持つ笏(しゃく)を作った木 江戸時代、江戸で度々の大火があり、各藩の大名屋敷が焼けました。 大火の後の各藩の大名屋敷再建ラッシュ時には、 その建材である良質の材木の供給地として、 松本藩の藩主が、高級銘木材の植林をした為に、 現在でも、その名残りで珍しい銘木の樹木が残っているようです。 先週の金、土、日で山登りに行きました。 東京では、7月にお盆をしますから、 翌日からは、毎日、静岡、関東近県の墓参へ行っておりました。 暑いですね~! 中央道も、先日は30km渋滞に遇いました。 また、先週は、訪問鑑定で長野にも行きました。 その時、美ヶ原に寄って、きれいな青空を写真に撮って、、、 もう、いつ、どこへ行ったのか ? 分からなくなりそうですが、、、 連泊の登山から帰りますと、身も心も、頭の中は特にですが、 ホーホケキョ 沢の水、サワサワと揺れる葉の音、雨から霧から青空、 目の奥にも、耳の奥にも、自然の中で過ごした余韻が残っていて、 現実の都会の中の生活に違和感があります。 10日間位は、まだまだ山の記憶の中を彷徨っています。 さあ、今日の記事は、 コメントへのお返事 6. (あれから一年 2.) 東洋の 「因」と「縁」 前回の記事のつづきから、、、 ”あれから一年 2 ”の記事にいただいたコメントの中で、 ② のコメントの処でした。 “ 人生の不公平には 因果(無意識)が正しく働いているようには思えないのです。” なるほど ! たしかに、 意識で捉えられる範囲内では、それはそうですね! この意識は、第五識までの意識ですよ、、、 でも、それを不公平と思う、、、意識の為せる業ですね! 心でそう意識しても、そのままにしておけば、 その疑問を何時か忘れてしまい、いつのまにか意識しなくなります。 どうでもいい、と、脳の前頭葉がめんどうくさいと無視をして、 つまり、無意識の領域のダスターシュートへ捨ててしまいます。 そう! 第八識にその意識は埋もれてしまうところを、 ・・・・・・・・・・ それを、このように因果はおかしい ? とコメントくださると云う事は、 ご自分の意識が、 第五識から、より深い第六識の方向へ潜行しようとしているのですね ! いい事です。 さすがですわ ! あはは。 真理の探究者。 なんだか、今日もややこしい ? むずかしくなりそうです。 記事が難し過ぎてコメントができない。 そう云う苦情を、よくいただきます。 ほほ。 本当に申し訳ありません。。。 むずかしいのは、まったく当たり前で、 なにしろ、五感でつかめない無意識の世界を窺(うかが)う、なんて事を やっているのですものね。 でも、これを窺うとは、すごい事 ! すばらしい事です。 東洋哲学の境地に立てれば、 現代文明は、あなたの両手に抱いた小鳥のようなものです。 では、ぼちぼち、 行きまひょか ? あはは。 まず、前回の“『陽』の世界の現象は、内因と外因の一致で起こる。” と云う事について、今日の記事と関連がありますので、 運命学的に説明をしましょう。 運命学的に、ひとつ例を挙げます。 あのう、冒頭から、痴漢の話などを、、、、、致しますが、 お許しくださいね。 一番、見ず知らずの人間同志が、事を起す単純な構図なのが、 例として分かりやすいのです。 あはは。 ビジネスや恋愛、結婚の出合いのたとえでもいいのですが、 それらはちょっと複雑過ぎるので、、、ご了承ください。 痴漢と云う事件が起きるには、 痴漢をする人間と、される人間が出会わないと起こり得ません。 どう云う事かといいますと、 痴漢をする人は、誰彼なく出会った全ての女性を相手にする訳ではなく、 また、 被害に遭う女性も、誰彼なく出合った相手から被害に遭う訳ではない。 痴漢をする人は、 深くは第八識の自分の業に染められた無意識的な衝動に駆られ、 その無意識の衝動を実現する為に、意識が周りの状況を把握しながら、 それなりに状況、人、場所を選んでいると思います。 そして、その機会というのも探っているはずです。 被害に遭う女性と云うのは、 被害に遭うべく運を持っていた、、、 その状況( 痴漢をしようとする男性 )にちょうど、合って、近くにいた、 その時と、場所との巡り合わせが、合致してしまったのです。 なぜ、その時と場所に居合わせたのか? 居合わせる内因を持っている。 それを「縁」が、「外因」に結び付けるのです。 運命学の災難、遭難運は、 災害に遭う運命、あるいは短命、怪我運、事故運、命の危機、手術など、 病気の発病、両親に縁薄い運命、家族運の衰亡、財(妻)を失くす運命、 性的トラブルに巻き込まれる運、いわゆる男難、女難の相、浮気運、 元々の孤命(一人ぼっちである運命)が実現する運、 これら、命式の中に表われているサインを読み取る事です。 どう云う運を持っているのか ? それは、どれほど可能性があるのか ? それは、いつ? 大事なのは、時なのです。 そして、それらを、未然にどう避けていくのか ? 避ける為には、どうするのか ? それを観るのが、運命鑑定なのですよ。 つまり、痴漢とは、運命的に、 ① 二人の命式において、起こりうる『時』の巡りが合っている。 ② 痴漢を為す可能性と、される可能性のある運命が出合った場所。 それらの諸条件が揃う時空間が実現して、その内実が惹起するのです。 つまるところ、当事者は、そうなる内因を持っていたとも言えますね。 それぞれの命式の中のサインが、もっとも具現しやすい「時」に、 お互いに、その相手になる外因に出会って意識化(実現)するのです。 その時、双方に内在するそれぞれの運命が、 ちょうどの相手の助縁によって意識界へ具現するのですね。 これが、運命が実現する仕組みです。 つまり、目には見えないが「内因」として持っていた運が、 我々の五感で意識できるように 姿・形を伴った物理的現象となる。 見て聞く事ができる = 意識で捉えられる世界へ出て来る訳です。 願いや思いが叶う。 目的を達成する。 そのシステムです。 ものごとが動く。 その全てがこの仕組みです。 ここが、大事です! 双方に何もなければ、内因がない時空間には、何も起こらないのです。 恋愛、結婚、人の出会い、すべてそうだと思います。 たとえ痴漢行為者の内因を持った相手であっても、 万が一、同じエレベーターに閉じ込められたとしても、 ほほ。 自分の運命が良好であれば、何も起こるはずはないのです。 結論を言いますと、 上で、紹介した運命学の遭難運のサインが 命式の中に、ない場合は、 たとえ、大災害地に居住し、遭遇したとしても、 そこが本人個人の死地、害地とはなりません。 前もって、災害を逃れられるような行動をとるものです。 しかし、家族と云えども、運命は、各自違いますから、 ご家族が、いつも、皆、同じようになる保証はありません。 前回の記事に、次のような鍵コメントをいただきました。 (一部編集、省略をして公開します。) 友人の話ですが、 阪神大震災の時に住んでいたマンションが全壊しました。 築年数自体相当古かったみたいですが、むしろそれが自慢で、 「昔、異人さん向けに建てられた由緒あるマンションなんだ」と話していま した。 震災の前日から、上の子どもの体調が悪かったことで、 友人は子ども2人を連れて実家に戻っていたそうです。 また、ご主人は、東京に出張中でした。 住まいも家財も「全部」使い物にならなくなったけれど、家族4人は無事で した。 マンション住人には怪我人が多く出たと聞きました。 この話を聞いたとき、「こういうこともあるんだ」と思いました。 当時、私は大阪に居ました。 自宅はかなり揺れましたが、被害は全くありませんでした。 前日の夜まで、関東にある主人の実家に泊まりに行っていました。 一日ずれていたら家に戻れなかった。と話したのを覚えています。 私は父が転勤族なので、今まで数回の引っ越しを経験しています。 あの土地に住まなかったら経験できなかったこと、 また、あのタイミングで引っ越ししたから逃れられたこと、 沢山のエピソードがあります。 「その時どこにいるか」「あのときああしていたから」など... 大きなことですね。 年を重ねていろんなことを経験するにつれ、 あらゆることが 「“偶然” じゃないのかも...」と思います。 そうですね! すべて必然なのですよ。 貴重な体験をどうも、ありがとうございました。 『天』の為す事に、一つの無駄もありません。 東洋哲学の最高峰、仏教では、これらの説明はこうなります。 よく、「因縁・いんねん」がある、とか、 これは「縁起・えんぎ」がいい、わるい。とか言います。 「因縁」も「縁起」も暗い古臭いイメージがありますね。 本来の意味は、次のようになります。 「縁」とは、「因」が「果」を生じる時に助ける要因です。 花で譬えると、花を咲かせるのは、まずその種が、あっての事です。 種がなければ、芽も葉も出て来ないし、結果の花を咲きません。 花の種 = 「因」になります。 しかし、種だけでは、花 = 「果」は咲きません。 そこには、土、日光、水がなければ育ちませんね。 これが「縁」です また、重要なのは、「時」です。 種を植えて、土、日光、水があって、「時」が経って、花は咲きます。 この「因」と「縁」が出合って和合をして、「時」をかけて、 初めて「果」が実る。 花が咲く訳です。 それぞれの内部に持つ「因」が、その「因」にふさわしい相手に出会う。 それが、「縁」です。 そして、「時」が、「因・縁」にふさわしい「果」を 運(はこ)んで来る。 「時」が運んで来るモノが、運(うん)です どう云う花になるのか? それは、第八識に積み上げられた、『業・ごう』次第です。 ここで、さまざまの差が、違いが生れます。 これが、因果応報の仕組みです。 人間の意識自体は、透明でも純粋でもありません。 また、一人一人が持つ五感・意識は、同じではありません。 それまでの過去のいろんな欲望の業に染まっていますから、、、 清浄な状態ではなく、歪み、癖、いびつさを帯びているものです。 実は、その個人の五感の違いは、 命式の違いから生まれて来るのが分かっています。 これが、さまざまな運命に違いが出る理由です。 どういう花になるのか? どういう花になったにせよ、その姿は、 自分の作った業に因って、そうなるしかなかった正解の存在です。 因果応報の答としての姿形は、間違っていないのです。 どんぴしゃの正解です!!!!! あはっは。 それはつまり、 存在の一つ一つを他と比べてどうだと云う次元のものじゃない。 これは、他と比べる物ではなく、それぞれが絶対的な存在です。 人と人とは、比べられる存在同士ではない。 比べるのなら、同じ人の過去と現在、又は未来における違いです。 因果応報のルールに則った姿形を表している訳ですから、 そう云う意味では、 だれびとにも絶対的な公平さが貫かれています。 その因果律のルールにおける扱いは、全ての人間は平等なのです。 これが、『陰』の世界における本質論、平等です。 近代合理主義の平等観と、一緒にしないでくださいね! ほほ。 『天』は平等で、依怙贔屓(えこひいき)はありません。 しかし、 現れ出た姿形は、あらゆる位相においての差別相があります。 この差別相が現れる世界を、仏法では「世間」と言います。 それが、中国の陰陽学で『陽』と云う現象世界・この世です。 この現象界・『陽』は、あらゆる差別相が現れる世界です。 この差別相を以って、この現象界で、競争をしてしまうのって ? なんなの ?????? この差別相を以って、この現象界は、不公平と言うのかしら ? しかし、ちょっと、考えてみてくださいって ? ここで、 ★ カール・マルクスの古典的著書 『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』から 有名な言葉を引用します。 人間は自分自身の歴史を作る。 だが、それを、自分の好きなように作るわけではない。 自分の選択した状況の下で作るのではなく、 過去から与えられ、伝播された、すでに存在する状況の下で作るのだ。 いかがでしょうか? 私たちは自分で思う程、自由ではありません。 自分の意識が好きなようにしていると思うのは、勘違いです。 たかが狭い意識の能力では、そこまでの力はありません。 過去から与えられた「因」と「縁」、業から伝播された意識の癖、 生れた時にはすでに存在した家庭家族状況の下こそが、 自分の過去からの因果応報、運そのものなのです。 もしか、私たちが、この差別相に囚われたら、 何も真実は見えなくなります。 意識に偏ると、現象の表面を真実だと五感が受け取るのです。 これが、近代合理主義そのものの癖です。 五感は、現象で騙しもしますが、楽に騙されやすいのです。 だから、今の文明で頭がいいと云うのは、問題です。 学歴が高くても、何が真実か? まったくお分かりになっていない御仁が、多すぎですわ! あはは。 人間の意識は、真実を蔽い隠します。 これは、原発の安全性の問題、滋賀のイジメの問題、みなそうです。 しかし、自然は、日常の中に、真実を暗示しています。 それを読み取るか、どうかは、 あなたが日常に馴れた五感の意識を捨てられるかどうかです。 海の沖の方から寄せ来る波立つ白波を見ても、 きれいだな、でも、波は波なんだ。 と、 そう思ってしまえば、そこまでです。 あはは。 そうすると、 海の底が見えないまま、もう次の波に囚われて、、、、、、、 囚われて、波に翻弄されるだけです。 囚われる自分に疲れると、波が悪いのだ! と。。。 あはは。 これでは、永久に、 寄せ来る白波は、大きくは月の引力が海の水を引っ張っている、からだ なんて、気が付かないままでしょうね。 あはは。 何が、その波を起こしているのか...? 何の為に、そこに月があるのか? ただ、『天』の目的は、調和です。 あなたと『天』との調和だけではありません。 あらゆるもの、すべてとの調和です。 それが、見抜けていない科学者達は、 地震などの予想を聞いていましても、 どうも、自然は勝手に動くと捉えているようです。 学問からしたら、人間にとって自然は、勝手なのでしょうね。 あはは。 この受け取り方こそ、西洋二元論、自然に対決しようとする観点です。 どう勝手に動くのか? それを知らない今の科学は、 電子望遠鏡や顕微鏡で部分を覗いて、それが、自然なんだ、 自然を解明した、としますが、とんでもない! はっきり言って、自然に対して、無知なのです。 まだまだ ”分かっていないと言う事”すら、一般的ではありません。 科学に疎い我々は、一般人は余計に、 科学は、自然に勝っているイメージを持っています。 だから、フクシマの人たちも、原発を自ら誘致したのです。 無知なら無知で、自然・『天』に従うしかないと思う方が、まだ、マシ。 救われる要素があるのですが、 近代合理主義の現文明は、隅から隅まで、、、ズズ、ズイと、 自分の意識で分かった範囲を、”解った”とする傲慢さが悪です。 あぁ、この乖離を、どうしたら埋められるのでしょうか? 意識で認識したものを知識とするなら、 知識で、未来など、解るわけが無いのです。 当たり前のことですが、未来は五感では捉えられないのですから。 未来は見えないし、手で触れませんでしょう? それが、どこかで、科学は人類の未来が解ると錯覚をしている。 この意識の思い上がりを止めなければ、、、、 今、この時代に、一番叫ばなければならないのは、 近代合理主義による『陰』の抹殺です。= 時代の最大の悪です。 近代合理主義は、男女平等と云うだけあって、 女性から母性を剥奪して男性と同じにしようとしている。 そうでしょう? 家庭は電子機器にまかせろ! 料理は、チンでいいんだ! 味付けは、レトルトがあるじゃん! あはは。 社会へ出て働け! 子を預けて働け! 男と同じ『陽』の価値観の中で競争をして生きろ! 社会で一番重要なのは、命よりも経済なのだ! 誰もが逆らえないこのリズムが、近代合理主義なのです。 ある意味、軍国主義の靴音に似ていませんか? 男女の結婚、子孫が栄える訳がない! 経済が伸びる程、命が衰亡しているのが分からないのかしら? この中で潰されるのは、子供です。 教育の現場が、『陽』の大過、命を守るイニシアチブが全然ない! 『陰』の存在しない教育現場には、 『陽』の警察権力で抑圧するしか方法がないのでしょう。 いじめの自殺から、もう気が付かなくてはいけないわ。 女性の中から、『陰』の本質を奪う。 それは、生命を生む母性の退化であり、自然の破壊であり、 命の誕生の消滅です。 それは、男性にとっても日々の生命のみずみずしさの喪失です。 この『陰』の衰弱が、『陽』の大過につながり、 『陰』と『陽』のバランスが危機的状況になっています。 その『陰徳』を無視し、存在を否定する今の文明は、 生命誕生の仕組みを、無視する憎っくき文明です。 ここが、あらゆる悪の中で一番手前にある悪ですね。 奥には、もっとすごい悪が隠れていますよ! はっは。 本質的平等など『陽』の世界にないものを、 自由・平等を実現したなどと平気で言う。 なんと、軽薄な!!!!!! 身震いがします! 本質的自由と平等は、『陰』の世界にしかないのですよ。 現文明、近代合理主義は、 此の世の真実を覆い隠す、人心を迷わせる悪鬼です。 最後に大事な事を二つ、 痴漢などは一時的な事件ですが、 恋愛、結婚となれば、一時的な関係ではありません。 その時に、彼、彼女が、運命の人かどうか、それらは枝葉の事です。 あなたがその時、運命的にどう云う時なのか? これから、どう云う時に向かっているのか? あなたの生涯の運命はどうなのか? その事こそ、大事です。 ★ すべての「因」は我にあり、です。 もう一つ、 たしかに、誰しも運の得意、不得意の領域があります。 それを知る事は、とっても大事です。 それを知って生きる力にして、余裕を持つ。 あるいは、知る事で、災難を避け、凶事の起こる事から逃げる。 悪「縁」を断って、謙虚に善「縁」に近づいて行く。 それは、ずるさではなく、 自分の役割を知って、他と比較をせずに、 自分固有の運に自信を深める事です。 そして、すこしでも誰かの役に立とうとする心地を取り戻す事です。 たとえ、悪い環境に在っても、その中で、 どう云う「因」を、積んでいくのか? それが、生きている意味、チャレンジですね! 是非、孫子の代まで幸多かれと、 伝えて行けるような「因」を積みたいものです。 それこそが、あなた固有の運命の中から、 あなたが掴む、本質的自由です。 この自由は、過去現在未来に亘って、 だれ人からも犯されるものではありませんわ! あ、そうだわ! 一番大事な事を忘れていました! 自分の積んだ業からの因果応報は、 自分の一生に報われるとは限りません。 これは、善悪に通じる事ですが、、、 最良なもの程、より最悪な因果応報ほど、先の子孫へ伝わります。 祖父の女道楽が、愛孫娘の人生に影を落としてしまう。。。 取り返しのつかない事になってしまうのですよ! それを、折々の鑑定経験から見聞きして記事にしたのが、 ( 命の継承と運命 )シリーズです。 次々回くらいからのこのシリーズの記事等もお読みになってください。 まあ、大変長くなりました! 最後までお読みいただきまして、感謝です。 コメントのお返事は、今回で一旦、最後とします。 また、機会を見て、続けたいと思います。 次回は、別のシリーズの記事に、 更新は、来週の週末の予定になります。 よき、一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
![]() 2012
07/29 21:21 |
いのち(自然と健康)を脅かすもの 5 F1種 (モンサント社の種子支配 )Category : いのち/ふしぎなるもの
早朝の明神岳
午前5時頃、明神池から見上げる、朝モヤの明神岳 ![]() 写真をクリックください。明神岳が左端まで見れます。 明神池 ![]() この明神池の畔から明神岳を見上げたのが、上の写真です。 写真をクリックください。明神池が左端まで見られます。 ★ 今日の記事は、このお知らせの下から始まります。★ 「食」に関する映画上映会のお知らせです。 「モンサントの不自然な食べもの」 ☆ 9月1日渋谷アップリンクより全国公開となります。☆ どのような映画なのか? は、配給元のHPをご覧ください。 自然界の遺伝的多様性や食の安全、環境への影響、 農業に携わる人々の暮らしを意に介さない 米国の多国籍企業モンサント社のビジネスの実体を撮った映画です。 農業大国フランスで150万人の人々が観た。 生物の根幹である「タネ」を支配し、 利益を追求する現在の「食」の経済構造に強い疑問を投げかける。 「世界の食料支配、それはどんな爆弾より脅威である・・・」 日本が、TPPに入れば、モンサント社のGM農産物が 大量に日本に入って来る恐れがあります。 (アップリンクHPより参照) ....................................................................................................... ここから、本記事です。 今日の記事は、映画の上映会のお知らせに合わせて、 現代の物質文明論、 陰陽学の『陽』が『陰』を侵(おか)している現象の一つを取り上げます。 いのち(自然と健康)を脅かすもの シリーズも、5になります。 このシリーズは、 本来、『陰』・命を守るべき『陽』の活動性の政治・経済が、 現代の『陰』を捨てた近代合理主義の思想の下では、 その役割を果たすどころか、 結果は、逆に、 命・自然を脅かし支配し、命の衰亡と云う弊害をもたらそうとしている。。。 その現実を、食や生活の面から観ようと思って書いています。 近代合理主義の申し子、政治や経済や学問は、 理性では、意識の正当性を繕う為に、 宣伝文句では命、生命は大事と言います。 政治も、命を救う為に、と~か ? 言うわね 。 あわれ~悲しいかな ? あはは。 そう、意識の範囲内で、常識として、、、 知っているつもりなのでしょう。 これは、おおいなる皮肉なのですよ――、 あはは。 なぜって ? だって、その思想の根幹では、 『陰』・自然を排除し、無意識の世界を認めないのですから、 本質的には、人の中に、命の尊さを認めた思想ではありません。 命は大事と云うが、その実体がない。 実現する方法を持っていない。 宣伝文句だけなのです。 折込チラシ程度の常套文句です。 閉店、閉店セール!!!!! 見破ってくださいね! 人を物として見なす、近代合理主義はそもそも野蛮な思想です。 今回のF1種もそう云った思想から生まれたシロモノです。 モノがあふれているだけでも、じゅうぶん幸せだ! なんて、 あはは。 そんな事を言っている間に、ほら! 物質充足の魔王は、あなたを捕えて、あなたの手足を縛って、 あなたを、魔王の生贄にするでしょう。 なぜなら、あなたの命を尊いとは、認めていないからです。 魔王は、あなたをモノだと言っています。 魔王の配下になったら、 自分が、自分の欲望の満足を得る為に、 他人の命を犠牲にしてまで満足を得ようとするらしいわ。 まったく、これは、鬼ではないですか? 鬼は、絵本の中だけに居る架空の存在ではありませんわよ。 人面鬼心 (人の中に居ます) さあ、だれが鬼なのか ? 最後まで、記事をお読みになってくださいね。 自分が満足するまでのキリがない経済的利益が、欲しい鬼。 この利自(自分の利益)を貪(むさぼ)る愚かさが、 『陽』の世界・此の世を席巻しています。 『陰』は、無視され捨てられています。 それは、まるで仏教で云う処の餓鬼界が現出しているようです。 この状態を冷静に捉えて変えない限り、 我々の命の価値は、経済・金融よりも下方に置かれ、 経済と政治に使役されるモノです。 物質文明の道具のひとつにしか扱われません。 ほら! やっぱり、経済が主役で、 人の命はそれを支える脇役、 原発がなければ経済が成り立たないと政治は言っている。 モノが溢れていて何不自由ないから幸せだ! なんて、 どれを捨てようかと迷っている位だから、、、 あはは。 そんな事を言っている間に、ほら! 知らずに、鬼の作ったタネで成った農作物が、我々の体の中へ、、、 私達の体を作る細胞まで入り込んでいます。 鬼が、繁栄のカギを握っている。 こんな時代が続くわけがない。 こんな世の中が、これからも長く続くと思われますか? 必ず、歴史に残る大罰が、当たるはずです。 当たる側に、立つのか ? ほっ。 無意識界から観た、この状況に気が付いていただきたい。 鬼の陣地から一人でも逃げてほしい ! その願いを込めて、、、 今日の記事を書きたいと思います。 いのち(自然と健康)を脅かすもの 5 ○ F1種 です。 F1種(えふわんしゅ)とは? 農家が畑にまくタネです。 ハイブリッド種とも言い、「雑種一代」を意味します。 雑種一代とは、交配によって作られた新品種の一代目ということです。 現在、流通している野菜や花のタネのほとんどが、F1種です。 家庭菜園をしようと買ったタネの袋に「○○交配」と印刷されていたり、 「F1」と書かれていたりします。 一番意識してほしいのは、 私達は、知らず知らずにF1種の野菜を食べているのですよ。 と、云うより、食べている野菜は、すべてF1種でしょう。 昔から普通、農家は、「固定種」と云うタネを蒔いていました。 「固定種」は、農家で収穫時に翌年のタネ用に自家採取されたタネです。 ところが、最近は、F1種が、それに代わって ほとんどの農家は自家採取をしていません。 どうしてF1種が生まれたのか ? 近代合理主義の効率追求一辺倒の思想から、 真の命の尊厳を無視した科学成果と、利益第一の経済が作り上げました。 昔から自家採取して来たタネを蒔いて採れた農作物は、 それぞれの親の代から受け継いだ遺伝子的要素が、多種多様ですから、 その結果は、丸いの、長いの、短いの、太いの、いろんな形が出ます。 そう、キュウリと云っても形がバラバラだったのです。 昔の八百屋さんの店頭には、個性豊かなそれらが並んでいました。 これが自然であるタネの多種多様性です。 それを都合が悪いと嫌う近代合理主義の科学や経済や政治が、 企業の求める効率、利益追求の経済性を追求する価値観が、 大都市近郊の農地が住宅地や工場に変わって行く中で、 九州の産地からトラックに載せて、遠くの阪神や京浜の市場に運ぶ時、 バラバラデコボコの農産物だったら、 箱詰めから大変で無駄が出ると、 その上、スーパーのパック詰めに形が揃わないと、 消費者が嫌がると、、、 そう云う、新たな市場性での不都合を乗り越える為に、 まるで規格に合わせた工場製品のように大きさや重さを揃える事ができて、 段ボールの大きさに縦に3コ、横に2コ、2段に並べるキャベツの大きさ、 縦に4コ、横に6コ並ぶ画一的なトマトの栽培、 それを、可能にするように品種改良を望んだ結果が、F1種なのです。 市場性に都合のいいもの、大きさ、長さ、箱詰めに丁度の 1.同じ個体が揃うタネ、 2.工場生産のように一斉に発芽し一斉に収穫できるタネ、 3.間違いなく成長が早いタネ、 4.多くの収量があるタネ、 5.促成栽培の為に施す大量の化学肥料の効果が表れやすいタネ、 6.病害虫に強いタネ、 7.病害虫を駆除するのに使う大量の農薬に強いタネ、 これらは、生産者の都合ですが、 8.見た目きれいで、大きさが整っている作物の実るタネ、 9、甘い、柔らかいといった消費者の嗜好に合致する性質のタネ、 これらは、売上アップを願う販売者の都合です。 こんな人間の都合にぴったりのタネは、自然界には存在しません。 このような人間都合にいいタネを作る事が、品種改良なのです。 品種改良は、決して、自然の為ではない。 すべて、人間の欲望をかなえて、人間に都合よくする為です。 ほら! これが、人間の意識を中心にした近代化の姿そのもの! その上、 近代合理主義の自然を排除した現代科学のあらゆる技術を使えば、 こんなタネを作り出す事は、いとも簡単!!!!!!なのです。 さすがだわ! さすが近代合理主義の学問ね!! あはは。 これら驚くべき事には、 自然界において、決して交じり合うことのない品種同士を掛け合わせて、 まったく新しい品種を作りだす事もできます。 例えば、3.4.の多収穫のタネと、促成作物のタネを作るには、 多収性の植物と、早く実る植物を人工交配します。 人工交配方法には、 昔ながらのピンセットを使う方法から、 放射線による突然変異をさせる方法、 細胞同士を無理やりくっ付ける細胞融合の方法、 ハウスの中で二酸化炭素の濃度を上げて行って、 植物たちの生理を狂わせる方法、 バイオテクノロジー、遺伝子組み換えの方法などです。 ここで、注目しておいてほしいのは、 自然界には掟があって、決して異なった種の間では、生殖ができない。 種の壁が厳存している事です。 その自然のルールを無視して、種の壁を破って、 自然界ではアリエナイ異種間の新しいタネを作りだす技術こそが、 バイオテクノロジーなのです。 このような人為的な生命操作技術の先端が、遺伝子組換え技術であり、 この遺伝子組換え技術を使えさえすれば、 植物の遺伝子と動物の遺伝子を合体させる事もできます。 それが、我々の食品としてスーパーに並ぶ、、、悪夢です。 しかし、もうすでに我が国においては、 アメリカ産のクローン豚や牛が既に日本に入って流通しています。 驚くほど安い価格の米国産の豚、牛肉が売られています。 ずっと以前の情報ですが、 アメリカ政府は、クローン豚を業者が輸出をする規制をするつもりはなく、 業者に任せてあるとか、、、、、 それなら、後は日本の対応次第なのですが、日本は駄目ですね! なにの対応も規制もありません。 それに引き比べると、EUでは、 ドイツなど13カ国が、人体への影響や、環境上の問題を理由に、 アメリカ産の遺伝子組み換えトウモロコシの輸入をしていません。 豪州も、2003年に狂牛病が発見されて以来、 アメリカ産の牛肉や牛肉加工食品の輸入を禁じています。 横道にそれましたが、、、本論に戻ります。 そのように、 近代科学の粋を集めて、 この人間の意識都合の為に、 自然をねじ曲げてでも品種改良されたのが、F1種なのです。 自然をねじ曲げる..... ねじ曲げた?などとは思ってもいないでしょう。 人間の都合、 イヤ、人類の夢を実現をした! そう思っているはずです。 これらは、みんな、 『陰』を無視をする。 『陰』を捨てた。。 。 『天』をも恐れぬ近代科学あってこその業績ですわ。 この自然界と云うものは、 人間を見れば分かるように、 自然は、多種多様性が真実なのです。 あらゆる多様性の可能性が秘められているのです。 1950年代、世界的に主食である穀物にF1種が導入されて 収量を増大させ、農業の近代化を達成した成功例だと云われたりした 「緑の革命」と呼ばれる農業改革がありました。 私たちはその恩恵を受けてはいます。 が、 その事だけで、これを許す事はできません。 緑の革命は、結果的には失敗でした。 F1種を導入した農地では、短期的には穀物の収量が増えたとしても、 思わぬ落とし穴があったのです。 それを、これから述べていきます。 F1種の特徴は? 人間の望む、都合の良い作物が収穫できます。 F1種は、多収穫、多肥料、多農薬が前提の農法の為に作られたタネです。 化学肥料は、多く投入すればする程、作物はよく成長します。 同時に雑草も育つので、除草剤の量も増えます。 F1種は、子供を採る事ができません。 だから、一度、F1種を蒔き始めた農家は、 毎年、植え付け時期になると、タネを買い続けなければなりません。 F1種の何が問題なのでしょうか? まず、F1種と、それと同時導入された化学肥料と農薬の問題があります。 近代農業には、 ①F1種、②化学肥料、③農薬、この三点セットが必須です。 この農法を長く続けると、 長期的には、土壌が化学肥料に汚染され、土壌の劣化が起こります。 化学肥料のある農地には、それを餌にする害虫や病原菌が集まります。 ついには、栽培ができない農地になってしまうのです。 F1種が、畑に蒔かれると、その畑の側のF1種でない野菜も 種が作れなくなる危険性が、あるといわれてます。 一番の問題は、F1種からは、次世代のタネが採れません。 それは一代限りの優秀さで、F1種から採れたタネを蒔いても、 F2の世代は、それはそれは劣悪な作物に変わってしまう為に 農家は、永久に F1種を買い続けなければならなくなります。 膨大な肥料と農薬代もかかります。 このように近代的農業を取り入れた国や地域では、 農薬散布での家族の病気、化学薬品の土壌汚染、多額の支払いを抱えるよ うになり、思ってもなかった深刻な事態に陥っています。 と、同時に、 これが世界的多国籍企業の種子支配をも進ませる結果になりました。 種子支配とは? 近代農業で、農家にF1種が普及してしまうと、 農家は毎年、F1種を種子会社から買わなければなりません。 その結果、その地域での地場野菜、固有に存在していた伝統的なタネが 見捨てられ、放棄され、消滅して行っています。 ウハウハと、儲かるのは、種子会社だけです。 農家が、タネを種子会社から買う限り、利益がありますから。 そして、そこには、様々な利権が生れ、 たとえば、新たな品種を開発して特許をとれば、 そのF1種には、特許料が発生しますし、 どんどん開発して特許を持った会社が、世界の農業を支配できる訳です。 この事は、 農家と種子会社の利益や経済問題だけに止まらずに、 農作物の作付けや流通にまで大きな影響を与えています。 種子会社が特許を握っているF1種の販売や、その流通を支配する事で、 農家の作付け管理から、 私達、消費者の口に入る食べ物までを、何を幾らで売ると云う処まで、 種子会社の支配を受ける事になるのです。 これが種子による支配、 種子支配です。 スーパーのレジの横などに、タネの販売ラックがあって、 いろいろな季節物のタネが並べられていたらご覧になってください。 野菜のキュウリやシュンキクやダイコンのタネの袋、 原産国はどこか? 大抵の袋の原産国は、アメリカになっているはずです。 日本でしか食べない種類の野菜であっても、原産国はアメリカです。 そのF1種の特許を持っているアメリカの多国籍企業のモンサント社は、 F1種を販売する世界シェアを90%近く持っています。 そのモンサント社の大株主がビル・ゲイツ。 モンサント社のF1種は、同社が持つ特許農薬とセット売りされます。 その農薬こそが、あの悪名高き「ラウンドアップ」で、 ベトナム戦争で使われた「除草剤」そのものです。 モンサント社は、自社のF1種と自然に虫などが交雑した作物にも モンサント社の知的所有権が及ぶとして、 その作物の地主である零細農民に対し、巨額費用のかかる訴訟を提起した りして、「悪魔の企業」と呼ばれています。 我が国においても、 日本の種苗販売会社の90%以上が、 モンサント社やカーギル社などに経営権が買収されている状態です。 と云う事は、 日本の種苗会社は、実質的にビル・ゲイツやロックフェラーの会社なのです。 F1種 を扱っていると見られる日本企業には、 タキイ、トキタ、日本農林社、みかど、カネコ、サカタ、武蔵野種苗園 埼玉県の「野口種苗」だけが、従来種のタネを扱っていますよ。 「野口種苗」のタネは、ネットからでも買う事ができます。 このように私達は、タネを通して他国から支配をされています。 私達が、口にし、血肉を作り、命を守る食糧が、 他国が特許を取ったF1種を蒔いて作付をされています。 そのタネには、農薬が塗られています。 タネが、赤や青や茶色の色で染められています。 それは、病虫害を防ぐと云う理由で、農薬液に漬けられたタネです。 今後、いつか、モンサント社が、 F1種を遺伝子組み換えタネに取って代えれば、 私たちが、望もうが望むまいが、否応なしに、 遺伝子組み換え種子の作物しか口にできなくなるでしょう。 我々の子供たちのその子供たちは、どうなるのでしょう? 『陰』の世界である自然の掟、種の壁を越えて突き進んでいく科学技術を 私たちは、尊敬する事はできません。 どう扱うべきなのでしょうか? 『陰』を捨てた近代合理主義の思潮が大手を振ってまかり通る現代社会に 人類は、いまだ倫理的な原理原則を持ち合わせていません。 今の我々は、思想を、そんなに大事とは思っていない。 精神が、どんな思想に染まっても、 体には、関係ない、命には関係ない。 変化をしないと思い込んでいますね。 これこそが、精神と肉体は、べつべつ、 命を、二つに切り離した西洋二元論の弊害なのです。 現代の日本においては、 過去の伝統的な仏教の教え、思想や道徳が、蒸発散失してしまい、 人々の心に影響力を失っていると云うのが現実です。 これは、だれにでも当てはまるでしょうが、 自分が、知らずに浸されている思想が、 どんな風に、自分の心身に影響を与えているのか 我々は、あまりにも無頓着すぎます。 今日の記事で、それが間違っている事、 思想の見当違いが、体、命までをも蝕(むしば)む。 思想そのままの現状に、命が臨んでいる事に気づいて下さったかしら? ゆえに、心と体は、一体なのですよ。 3.11のような果報が来るなんて、 いったい、何を私たちは、やったって言うの? いったい、我々の先祖は、何をやったって言うの? 今、私達が近代合理主義に流されている事で、 将来、我々の子孫は、 いったい、どんな果報が来るの? 魔王の配下になったら、 自分が、自分の欲望の満足を得る為に、 他人の命を犠牲にしてまで満足を得ようとするらしいわ。 まったく、これは、鬼ではないですか? 人面鬼心 (人の中に居ます) さあ、だれが鬼なのか ? 最後までお読みになって、分かりましたか? あはっは。 長い記事を最後までお読みくださった事に感謝です。 暑い毎日、お元気で、 よき一週間をお過ごしください。 参照: 「 地球が生き残るための条件 」 ヴッパタール研究所編著 「 いのち運転 ”即実践”マニュアル 」 山田博士著 WAⅤE 出版 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |