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    『呂氏春秋』 5   異宝 ・ 何が宝か?     (受け取らないのが宝)

    Category : 呂氏春秋の世界
    中国の楼


    中国の楼










    今日は、2012年 1月 12日以来の『 呂氏春秋 』の記事です。


     異宝 ・ 何が宝か? (受け取らないのが宝)





    もしか、あなたが、こう云われたらどうしますか?


    畑を耕していたら玉(ぎょく・宝石)を見つけました。

    これは、私の宝物です。

    それを、あなたに差し上げたいので、受け取ってください。








    あなたの宝は、なにですか?














    《 孟冬紀 》・ 異寶(宝)         (町田版 冬の節113から)



    宋之野人、耕而得玉、獻之司城子罕、子罕不受.

    野人請曰 :「 此野人之寶也、願相國為之賜而受之也. 」

    子罕曰 :「 子以玉為寶、我以不受為寶. 」

    故宋國之長者曰 :「 子罕非無寶也、所寶者異也. 」  





    宋の野人、耕して玉を得、之を司城の子冠に献ず。


    子冠受けず。
       ( 冠の正字はカンムリの中が、ハに干 )



    野人請いて曰く、「 此れ野人の宝なり。


    願わくは相国、之が賜(たまもの)と為して之を受けよ。」


    子冠曰く、「 子は、玉(ぎょく)を以って宝と為すも、


    我は受けざるを以って宝と為す。」


    故に宋国の長者曰く、「 子冠は宝なきに非ざるなり、


    宝とするところのもの異なるなり。」





    宋の国の農民が、畑を耕していて宝石を見つけ、

    その宝石を役人の子冠に献上しようとしたが、

    子冠は、受け取らなかった。


    農民は請い願いながら言った。

    「 これは私、農民の宝です。

    どうか之を宝として受け取ってください。」


    子冠は、答えた。

    「 おまえは、宝石を宝としているが、

    私は、それを受け取らない事を宝としているのだよ。」


    そこで、宋の国の長者は言った。

    「 子冠は、宝がないのではない。

    宝だとするものが一般普通の人と違っているのだ。」





    子冠 = 実在の人物で、春秋、宋における賢大夫。

    「春秋左氏伝」の魯の襄公6年と9年(紀元前567、564年)に登場し、

    姓が楽、名が喜、字が子冠という宋の賢者。廉潔な人物として知られる。



    廉潔の意味……(私欲がなく、心や行いが正しい事、 清廉潔白 ) 





    廉潔な人物として知られる子冠という宋の賢者は、

    農民が自分の畑で見つけたと云う宝玉を、手ずから献上されても

    それを受け取らなかった。


    おまえには、それが宝なのだろうが、

    私は、それを受け取らない事を、宝としているのだよ。


    宝とする物=大事なものは、人によって異なるのだ。




    それぞれ、異宝(異なる宝)であると云っているのですね。

    いかがでしょうか?

    さて、あなたにとっての宝は ? 何でしょうか ?





    同じ「 異宝 」のこの後の段に、次のようにあります。




    今以百金與摶黍以示兒子、兒子必取摶黍矣.

    以龢氏之璧與百金以示鄙人、鄙人必取百金矣.

    以龢氏之璧、道之至言以示賢者、賢者必取至言矣.

    其知彌精、其所取彌精 其知彌觕、其所取彌觕.



    子供に、百金と大きな黍団子のどっちが欲しい?と見せたら、

    子供は、必ず黍団子を取るだろう。

    田舎の人に、和氏の璧玉と百金を見せたら、百金をとるのだろう。

    賢者に、和氏の璧玉と道徳の至言を示せば、

    賢者は必ず道徳の至言を取るものだ。

    その知が彌(いよい)よ精なら、その取る所も彌よ精であり、

    その知が彌よ觕(粗い)なら、その取る所も彌よ觕くなるものだ。





    このように、

    人の知の、精( 邪気が抜けた )の度合いによって、

    欲しいもの、手に入れたいモノが変わって来るのだと云うのです。


    現代文明における知とは、

    人間の意識が作ったロジックを理解する事や、その知識を持つ事です。

    しかし、

    以前にも書きましたが、中国古典の知とは、「矢」と「口」。


    「矢」は、自分に嘘があれば自分の命を断つ武器です。

    「口」は、「天」への誓詞(誓いの言葉)を入れた箱です。


    「知」とは、自分の命を懸けて真実の言葉しか言わないとの意味です。




    真実に命懸けなのですよ!   ほほっ。




    どこやらのイジメで真実を言わない教育委員会とは大違い!

    どこやらの原発事故で反省ができない電力会社とは大違い!


    もう、これらは、「知」以下なのですね!





    意識を最上とする学問体系では、

    単に知らなかった(意識しなかった)知識を耳で手で口で、

    聞き、書き、言え、憶える事が、知でもあります。

    習う側は、それでも良いにせよ、

    それを教える教師、学問の先生、学府の教授、

    命を懸けた「知」を頭に置いていらっしゃるのでしょうか?

    今の〝知”は、いにしえの「知」と比べれば、

    比較にならないシロモノですね !   あはは。





    その知が彌(いよい)よ精なら、その取る所も彌よ精であり、

    その知が彌よ觕(粗い)なら、その取る所も彌よ觕くなるものだ。





    彌よ精( いよいよ精)の「精」についてです。

    「精」とは、神のお供えをする米を選ぶ、と云う意味です。

    神前に汚れのない傷の無いお米を備える為に、一心に良い米粒を選ぶ。


    大変な、集中力と注意力がいる作業です。



    ● 『呂氏春秋』 では、 人間の気を


    「天・人・地」の三才における「人」の精気と云うものは、 

    天と地の間を上ったり下ったり活動して 巡り回り止まる事がない。



    と、述べています。



    ● 『呂氏春秋』 では、 天・地の気を


    「天・人・地」の三才における「天」と「地」の精気と云うものは、

    一年の季節の移り変わりの「気」として表現します。





    ●● その「天・地」の移り変わりの「気」と、

    「人」の精気は、結合をしている、 ≪ 我 即 宇宙 ≫ です。

    だから、「人」は、その季節にあった生活をして、

    政治も行わなければならないと、時令(時に合う規定)がされています。


    ●●● 「人」が、時令に従って生活し、適合した政治をする時にだけ、

    人や国は栄える。と述べられています。



    ●●● 時令に反し従わない時は、個人も国も災害が起こると述べられています。






    これは、

    後々の 『 天人相関説 』と云う考え方へつながって行きます。


    自然と人間との「気」を通しての「感応・かんのう」が行われる。 



    つまり、人間相互の気の交流と、

    人間界と自然との間の気が影響し合うエネルギーの交換、 交流相互作用

    が行われると云うのです。





    その知が彌精なら、その取る所も彌よ精であり、


    その「知」が、いよいよ精とは、


    あなたを含む人間界全体と、

    『天』の「気」との感応(エネルギー交流)が行われた時、

    『天』の気を享けた人の精気と云うものが形成されて行った時、


    その取る所も彌よ精であり、


    人は、何が一番大事か?

    何を一番最高の価値に置くか?

    が、

    その基準が、おのずと分かって来ると云うのです。

    そして、それに応じた『天恵』があると云うのです。

    それを知る事を、「知」と言うのです。





     


    喧(かまびす)しい政争の明け暮れの、

    政治が、時令に合っていない為に起こるさまざまの軋轢、

    『天』から降る未だ経験した事のない風雨、

    『地』が蠢(うごめ)く災害、



    消費税、社会保障、一体改革と言った処で、何が一体なのか?

    それは、「知」と言えるのか?


    原発、反原発、ウラン燃料の廃棄処理、


    どれもこれも国の「あるべき姿」が無いから、

    定まっていないから生じる漏ればかりです。



    漏れがある事を、「精」とは言わない。




    子供に百金と黍(きび)団子を見せれば、

    子供は、百金を捨て、かならず黍団子を取るだろう。


    田舎の人に、璧玉と百金を見せれば、

    田舎の人は、璧玉を捨て、かならず百金をとるのだろう。


    賢者に、璧玉と道徳の至言を見せれば、

    賢者は、璧玉を据え、かならず道徳の至言を取るものだ。



    この国は、子供なのか?

    田舎人なのか?

    賢者なのか?


    国と云えども、我々一人一人の集団であるからには、

    私たち一人一人が、どれを取るのか心で決めなければ...


    子供のままか、、、

    田舎人でいるか、、、

    いやいや都会人になって子供のよさも味わいたい?  あはは。



    意識が真っ先に感じるのは、まず苦ですか?  あはは。

    快と楽を抱えて、道徳を見習えないモノかって???   あはは。






    その知が彌よ粗(あら)いなら、その取る所も彌よ粗くなるものだ。



    楽を求めれば、五感の奴隷になり

    苦を避ければ、意識の餌食になってしまうのです。

    意識の餌食になれば、苦を避け、楽を求めて、鬼になれますよ!

    自分の楽の為には、他者の苦は平気になるのね!



    不器用な近代合理主義の国家は、

    経済の為に!、原子力発電を!

    原子力発電の為に、国民が我慢しなさい!    えっ?

    仕事が、雇用がなくなるんだよ。って?

    どこかで聞いたフレーズ ???


    8月になれば、思い出す。

    はるか60数年前、何の為に我慢をしなさいって言ったの?

    その時も、経済の為ではなかったの?

    あの時も、エネルギーを求めて、

    大東亜共栄圏を作るんだって、



    意識の作った絵空事の為に、国民を駆り立てて、

    国家への『大義』を押し付けて来て、

    もう、国民をおどかしながら、おびえさせながら、

    今、同じパターンに入っているって気がしない?


    もう、いい加減にしておかないと、

    意識の行きつく先は、『陰』の無視、命の殺戮です。



    今は、兵器を使わない殺戮戦です。



    まさにそうでしょう?

    今は、平和と言いながら、

    平和なりの殺戮と云うものが出来上がっているでしょう?

    兵器や銃を向けられるより抵抗ができないのよ。


    最愛の我が子に与える食べ物を求めれば、

    近代学問の作った化学毒で汚された食べ物を買うしかない、、、

    日本は、EUやアメリカよりもヒドイ!

    家畜のエサのような食糧を、平気でスーパーで売っている。



    遺伝子組み換えの商品を

    食べ続けると3世代目は、どうなるか分からないのだから、

    蝶の実験では、3世代目は幼虫の段階で、発育しないまま

    死んだそうです。


    こんな怖いものを、味噌や醤油や納豆に作らせ、

    毎日食べる物にして人間が食べているのは日本だけです。

    他国は、輸入禁止か、家畜のエサとしての利用だけです。




    これを、二元論的に云うと、

    精神が、偏狭な思想で汚されるのを放置する事は、

    肉体に、取り出せない毒を入れる事になるのですよ。



    つまり、下級な思想は肉体を汚す事が気にならなくなり、

    毒で汚れた血液からは、神経がやられ、堅実な希望が持てないのです。



    学校でのイジメと云う暴力事件、脱法ハーブ、未成年の性病


    仏教の経典で云う処の、

    『 毒気深入 』 そのものの姿です。

    何が尊いのか? 分からなくなっているのです。






    異宝


    さまざまな宝




    その中から、どの宝を選ぶか?


    その知に感応して、自然界からの現象が起こって来る。

    それが、災であるか、禍であるか、

    恵であるか、福であるか、

    感応によって自然界から引き出される同値エネルギー交換なのです。





    各々の知をいよいよ精にして、

    何も受け取らない宝を持って、

    この国を変えて行かなければいけないわ。


    広島、長崎原爆記念日、 敗戦記念日







    長い記事を最後までお読みいただきまして、

    感謝申し上げます。


    暑い日々が続きます。

    よき一週間をお過ごしください。































    参考文献 : 「呂氏春秋」 町田三郎 講談社学術文庫

             百家諸子 中國哲学書

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 哲学/倫理学
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    不思議な命式のお話し 1.   ③ 衣食住の運命 1  コメントへのお返事  

    Category : 運命学
    大正池から見る穂高連山


    これでも、まだ正午過ぎ、、、雨が降りそうな空模様、、、 

    滞在中、ずっと雨雲りの穂高連峰だったけれど、もうお別れです。



    大正池から見る穂高連山


    写真をクリックして左の端までご覧ください。

    大正池の6月初頭の姿、春遠からじ、の草木が、、、、、














    「不思議な命式のお話し」このシリーズは、今回から始まります。




    今日は、不思議な命式のお話し 1.   ③ 衣食住に関する運命の1.   

    以前、いただいたメールへのお返事を兼ねています。



    実は、いつもコメントをしていただく方に限定をして

    ご希望の人の命式をお教えした事があります。

    それに対する次のようなメールでした。



    命式を教えていただきましたが、

    それを自分を知る為に役立てたいと思います。

    命式に関して記事をお願いします。




    そうでした!

    うっかりしていました。

    命式への理解が、少しでも深まるようにするべきでした!

    と、そう云う事で、

    このシリーズをさっそく作りました。

    命式になんら知識をお持ちでない方にとりましても、

    日常の中で、運命とはこう云うものかと、

    腑に落ちていただけるような、

    物の見方が深くなって、人生の機微に役立つような記事に、

    したいと思っています。



    もうひとつ、メールでいただいたコメントです。


    コメント等、書きたいと思ってはいるのですが

    cosmosさんのブログへのコメントはいい加減な気持ちでは書けないので

    あれこれ考えてるうちに、あっという間に時間が経ってしまって(--;

    先日のメールでご連絡頂いていたので、次回の記事を、

    楽しみにしていました^^
     
    でも、どんな内容の記事でもcosmosさんの書いてる記事は

    とても勉強になるし、色々考えさせられる事も多いので

    ちょっと難しい~ですが(笑)毎回、楽しみにしています。
     
     
    命式については、詳しく知りたいのは山々ですが^^;

    そぉ簡単にはいかないと思いますので

    ひとつひとつ、ゆっくり・・・理解?出来ればいいな・・・

    と思ってます^^ 





    では、さっそく始めましょうか!


    今日は、 ③衣食住に関する運命の1.です。



    “③衣食住”の③と云う数字ですが、

    記事中の①~⑩の数字もそうですが、

    命式中の10種類の数字に当たります。

    あらっ! 私は、自分の命式を知らないから、、、

    と云う場合でも、そう云う読者の方がほとんどですから、

    関係ないわ! と思われないで...     あはは。

    どの数字の後の記述が、自分に当てはまるかな?

    と、思いながら読んでいただくだけで結構です。

    ある数字で始まる記述内容が、自分に当たっているようなら

    当たっていると思う番号を、いくつか覚えておいてくださると、

    このブログを続けて読んで行く内に、すこしづつ、かならず、

    いつか、自分の命式がおぼろげながら掴めて来るはずです。


    そんな事は、どうでもいいや、と思われるのでしたら、

    すべて無視をして、お読みになってくださっても結構でございます。







    どんな時に役に立つか?





    彼(てき)を知り、己(おのれ)を知れば、百戦危うからず


    これは、「孫子」と云う書物の中の最も有名な格言です。

    そのままの意味は、

    相手を知り、自分を知って戦えば、百回戦っても負けはしない。


    自分を知り、相手を知る為には、

    運命学の命式は非常に役に立つのです。





    なぜなら、意識だけで生きようとすれば、意識は真実を隠してしまいます。



    だって、意識は五感で分かる範囲の事だけでしょう?

    それ以外は、まったく分からないのですから。。。

    自分の事が分かったと思う瞬間は、

    それは、意識が真実を隠しているのを忘れた瞬間ですわ!  あはは。

    意識だけを信じていたら、騙されますわよ。  ほほっ。



    意識は、真実を隠す。


    自分の事すらそんな程度です、、、相手の事など解る訳がないのです。


    孫子も完全に知りなさい!と、言っている訳ではないの。

    まず、相手を、自分を、知ろうとすれば、冷静になるし、

    自分の能力を過信する事もなく、

    気に食わない相手でも、彼の能力を認める余裕が出て来ると、

    無駄な戦争をしなくなるんじゃないか?

    その為には、

    人ができない努力をして、負ける因から抜け出なさい!


    いよいよ、自分と相手を研究したければ、

    運命学の命式が役に立つと云うものです。

    本当に東洋運命学は、その人の事を見事に言い当てています。 



    たとえば、普通、私たちは、

    自分の経験範囲から、人間と云うものは、、、とか、 

    男と云うものは、、、とか、  または、 女は、、、とか、 

    自分のたった一人の母親を見て、親と云うものは、、、とか、

    夫婦と云うものは、、、とか、 子供と云うものは、、、とか、


    人、すべてを一枚の板の上に乗せて論じる事が正しいような?

    ひとまとめ的な言い方をしますね。

    それは、そうしておく方が、楽だからです。


    楽を選び取るのは、意識の癖でした!!!  あはは。



    ちょっと前の世代のお祖母さまたちは、

    子供の事を話すにしても、知恵がありました。

    子供は、最低3人産んで育てないと、子供は分からないものだ。

    一人くらい産んで、子供は大変だ、云う事を訊かないと云うものじゃない。

    3人産んで、初めて母親として一人前になれる。

    母親が一人前でないから、子供をうまく扱えないのだ。

    子供は、3人産みなさい。

    そう言っておられたのですよ。    あは。

    自分の思い通りにするのが子育てではないと。

    3人育てて、一人ひとりの個性を見る母親の目が養われる。

    そこから一人前の母親と言えるのだ、そう云う事なのでしょう。

    だから、最初の子、長男、長女は失敗作なんだと、、、!

    三男、三女がやっと成功するのでしょうか。。。?  あはは。



    でも、最近の世間においては、なかなかそう云った

    役に立つ苦言を言ってくださるお年寄りはいらっしゃいませんね。

    今は、近代的自我に付随する当然の権利のように、

    皆が、全ての存在を画一的に扱い、見る事が平等だと云う

    間違った観念が行き渡っています。

    何でも概念で見てしまうのですね。

    それが、理性的で頭がいい事だと勘違いをしている。

    これこそが、『陽』の大過の弊害であります。


    経験深いお年寄りを、自分と同じ立場で見てしまう、、、、、

    だから、

    自分の意見が一番と、主張する若い人たちには逆らえない。

    若い人の言葉には負ける。 黙っていよう。 と、

    ご自分の意見や知恵を披歴なさらなくなってしまわれました、が。



    ほら! ここにも意識文明が知恵を隠す弊害が表われています。




    まさに、今は、自分の五感で感じた物こそ真実だと、 

    それが尊重される事が、何よりも正義なんだと牽制する時代です。 



    一億総国民が、価値観の多様化と名付けて、

    それぞれ自分勝手なロジックを正当化する事が当たり前、

    これが真実、自由、平等であると、

    実は、迷いの宮に入り込んでいるのが現文明です。



    ★ しかし、特に人を、

    論理性で括ったり、モノの様にひとまとめに扱ってはいけないのです。





    この迷いの宮から抜け出るには、

    運命学の命式論が一番手っ取り早いのです。



    なぜなら、命式は非常に明快な客観性の図式です。


    目で見える図式に、確実に一人の人間の特徴が表われています。

    第八識から浮かび上がった業から来る無意識からの傾向性が、

    固有の癖を帯びた意識の敏感性が、文字で示唆されているからです。



    それを、できれば誰もが、自分の命式を意識できるように、

    自分の大昔から来る無意識のベクトルを読み解けるように、

    迷いが晴れて、すっきりするように、   ほほ。

    このシリーズを始めたと云う次第です。


    一気に分かろうとしてもムリです、ダメです。

    すこしづつ、確実に、無意識下へ、です。




    では、③食や衣食住全般にわたる敏感性の傾向についてです。



    それにちょうどのコメントが、

    4月29日の記事、いのち(自然と健康)を脅かすもの 4   

    ○ 経口吸収より恐ろしい経皮吸収 2 へいただいておりますので、

    紹介をしましょう。 



    長いですが、お読みになってください。

    コメントの文と文の間から、今日のテーマ、

    ③衣食住に関する運命の強いオーラ-が炸裂していますよ。  






    経皮毒について、洗剤やシャンプー、歯磨きのことなど

    知ってはいましたが、まぁ大丈夫だろう、って感じで、

    ついつい便利さと安さにかまけて、使ってしまっているんですよね。。。

    でも、シャンプーとボディーシャンプーはもうやめて、

    石鹸だけにしています。

    私はロングヘアーですが、リンスなしで全く問題ないです。

    髪を洗うのも毎日ではなく、週に1,2回です。

    その方が髪の毛の調子がいいです。

    台所も合繊洗剤から、固形石鹸を使うように、やっと替えました。

    これも、想像していたよりも問題ないです。

    洗う前に新聞紙とかである程度脂汚れを落としてからにしたら、

    水を使う量も減らすことができますし・・・。

    あとは、洗濯洗剤と柔軟剤です。

    これがなかなか、やめられないんですよね。

    すすぎは、プラスアルファー時間をかけてますが、脱水もですか・・・。

    重曹を使った洗濯に替えたいのですが、

    今住んでいる場所では安価な重曹が

    手に入れられないので、ちょっと面倒なんですよ。

    だから、ついつい、身近で買えるものを使ってしまいます。

    インスタント食品は基本的に食べません。

    ただ、ビスケット、シリアル類、ですね・・・。

    お砂糖やお塩その他添加物が気になりつつ、自分で作るのは面倒なので、

    ついつい、買ってしまいます。

    生活全般を見直さないと本当にいけないですよね。

    便利だという口車に乗せられ、何も考えずに手に取って、時間が経ってから、

    病気になって後悔・・・って嫌ですからね。

    実際、もう既に私は乳がんで手術をしましたし、夫も亡くしましたから・・・。

    子供が大きくなるまであと13年は生きないといけないので、

    気をつけたいと思います。

    微生物との共生がこれからの課題ではないかと思っています。

    手作りお漬物、お味噌などなど・・・。

    昔は各家庭で作っていたんですもんね。。。




    ありがとうございます!

    乳がんの手術をされた経験もあっての事か、

    命や健康に非常に高い関心を持っていられるのに驚きました。





    昔からの年寄りの知恵なのでしょう。

    こう云う言葉が、言われておりました。


    子供は、自分の録(ろく)を持って生まれて来る。

    (子供は、それぞれ自分の食い扶ちを持って生まれて来るから、

    親が心配しなくても、大丈夫、子供は育つよ。)




    子だくさんで、もうこれ以上、子供が出来たら、どうしようと、

    家計も大変だから育てていけないかも知れないと、

    妊娠してしまったお腹を抱えて、産むか産まないか、迷っている母親に、

    頑張って産みなさい。と云う励ましのお祖母さんの智恵の言葉です。

    父親の経済力に関係がないと!

    子供は、自分が成長する食い扶ち分位は、自前で持って生まれて来る。



    人間は一生の内に食べられる質と量が、決まっているのですよ。


    えっ、 信じられない!??     あはは。


    どんな程度の、質で、 どんな美味しさの、 どれ位の量を、

    食べる事ができる運なのか?

    おおよそ、決まっているのですよ。

    ひとりひとりが、自分の運を持って生まれて来る訳ですから、

    一応(いちおう)は、親の運と関係がない訳です。    あはは。




    これらは、③が命式の中にあるのか、ないのか、で観ます。

    ③は、あまり努力しなくても衣食住に恵まれる運ですから大事です。

    そして、命式の中で調和をしているのか?

    たとえば、良い食事に恵まれたとしても量が、問題です。

    子供の内から、暴飲暴食を続けるのは、

    ③ が命式中で調和をしていないのです。、

    好き嫌い、野菜キライなど、偏食と云う象(かたち)で出て来ます。




    しかし、再応(さいおう)は、親の運と関係があります。

    それは、どう云う母親の所へ生まれて来るのか?

    と云う運でもあります。

    その母親である女性が、どう云う夫運を持っているか?

    どう云う男性と「縁」を持つ「因」を持っているか?

    そのように母親の命式が、深く係わっている訳です。



    母親が子供の将来の健康に深く係わっている事は、

    現代科学でも、立証されています。

    母親の子宮内に、胎児でいた時に、

    母親が、栄養的に充足をしていなかったり、

    妊娠中も、体重が増える事に注意をしてダイエット気味だったり、

    少食にして、栄養が不足がちだった胎児期を過ごした場合には、

    生まれてから、肥満や成人病になる確立が高いのだそうです。


    これは、運命学でも納得できる話です。

    と、云うのは、

    ⑨ 今日のテーマである食や健康などに対する敏感性よりも、

    どちらかと云うと、⑨気分にウェートを置く傾向の女性は、

    食べ物と云う目に見えるモノよりも、美容やおしゃれ、雰囲気において

    自分が、どれだけ心地いいか? 自分の心の中しか見ない傾向から、

    物全体を粗末にする癖、体や健康に集中できない運もあります。

    それで、インスタント食品や外食にもあまり抵抗がないようです。

    そう云う女性の場合、

    結果的には、妊娠期を健康的に過ごしにくく、子供運もよろしくないので、

    あとあとの出産や育児にも苦労が出て来ます。







    A.親よりいいものを食べる運の子供もいれば、

    B.親よりもヒドイ食事をする運の子供もいます。


    A.は、たとえ親は貧しくても、

    ③あたたかく子供を庇護し、健康や発育を見守る事ができる

    犠牲的な愛情を傾ける親に恵まれる運です。



    B.は、その気はないのだけれど、無意識的な癖として、

    ⑨健康や食生活が、なぜか生きる為に最も重要とは思わない親に

    産み育てられてしまう運です。




    A.と B.は、両極端な例で、

    実際の人生は、A.と B.の間の無数のグラデーション(段差違)の中に

    あって、決して同じ位相、位置、姿と云う訳ではなくて、

    ひとりひとりが、全く違う位相に存在しています。

    (実際の命式では、①~⑩の10種類の関連性も重要です。)





    命を産み育てるのは、『陰』の徳性です。

    『陰』の徳性が無い処に、命は出生しません。育ちません。

    『陰徳』の力があるから、

    妊娠をし、命が産まれて来るのですよ。

    そう云う事から、なぜ日本が少子化なのかお分かりですね?

    と同時に、栄えていた家が、絶家にどうしてなって行くのか?

    それらは、同じ「因」と「縁」です。 




    この事は、『陰』の智慧です。

    『陰』の創造性の本体です。



    しかし、近代から、日本を大波で洗っている近代合理主義の濁流は、

    『陰』を無視すると云う本性を持つロジックです。

    『陰』の抹殺を、この地球に実現しようと、

    『徳』を捨てた先進国から先へ、まず日本へ、

    実現しようとしています。





    『陰』の現場を根絶やしにされても、気づかずに、

    『陽』の価値観を押し当てられて、

    それを良い事だと受け入れた日本は、

    教育費がかかるから子供は産みたくない。 産まない。

    子供の為に夫婦が犠牲になりたくない。 産まない。

    結婚自体を、自分が好きな事ができないからしない。

    この大罰当たりのロジックを、価値観の多様化と云う虚構を築いて、

    正々堂々とまかり通らせているのですから。。。



    これが、近代化に成功したと云う日本の現状です。

    真に調和の取れた③を、命式内に持つ子供が生まれにくく、

    命式内に③の無い子供の出生が増えているとしか思えません。


    『陰』を捨てた恩知らずな日本の国土には、

    自分が生れて来た『陰』への感謝・報恩を忘れて

    エゴイスティックな欲望を好きにさせる現文明が暴れ狂っています。

    そう云う国土を、我々が安穏に暮らせるようにと、

    『天』や『地』が守るでしょうか?



    今後も、ますます、

    『陰』を萎縮させ、埋没させ、

    生れ出ずる方途を閉じる『陽』の暴挙が、荒れ狂うでしょう。

    その出発点が、今、地球を席巻している近代以降の合理主義なのです。

    その大過した『陽』の殺戮が、

    生きている我々をも標的にしている事を忘れてはいけません。




    グルメと飽食をする事が、③が調和した良質な命式ではありません。

    どんなにグルメ的に贅を尽くした食事であっても、

    本当に心からの愛情が、思いやりが込められているかどうか?

    一見、御馳走に見えても、その中身の本質は、味わいのないエサなのか?

    物質的な満足を求めて、我々は一体何を食べているのか?


    私たちが、捨てている食糧が、年間1940万トンと云う数字が、

    それを物語っています。



    しかもです! 

    年間 5800万トンの食糧を輸入しながら、

    その1/3を捨てています!!!



    この廃棄量は、

    世界の食料援助総量740万トンをはるか、3倍近く上回り、

    先進国の3000万人分の年間食糧に匹敵しています!



    それは、途上国の5000万人分の年間食糧に匹敵しています!


    しかもです!

    全食糧全体に占める食糧の廃棄率では、

    世界一の消費大国アメリカを上回っています。




    日本は、廃棄率では、世界一なのですよ。

    日本は、こんな事では、アメリカを上回って、

    さすがと云うか、馬鹿と云うか、、、愚か者そのものです。


    命の冒涜とも言える、この経済循環を守る為に、

    原発の再稼働をしなければならないとは.....!??



    もう、この狂気を、止めなければいけません。




    一見、粗食であっても、命の糧になる人間蘇生の本当の食事を、

    取り戻さなければ.....

    私達の徳性を取戻さなければ.....





    このテーマで、次回もコメントを取り上げて行きます。

    長い記事を最後までお読みいただきまして感謝です。



    次回更新は、

    お盆の墓参、登山等の都合により不定期になります。


    ご先祖様への追善供養をなさってくださいね。




























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    テーマ : 命式の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    不思議な命式のお話し 2   ③ 衣食住の運命 2  命式に従う意識の作るロジック

    Category : 運命学
    岩礁の波





    海の砕ける波の音を、どうぞ!  

    よろしければ、Youtube を後ろに隠して、聞きながらお読みください。

    ちょっと、うるさいかな?   あはは。


    Relaxation Meditation (Sunset Over the Ocean)  (22分)








    熱帯の気候とも思える暑さが、晩夏に、まだ残っているような気候です。

    ところで、みなさまの夏は、いかがでしたか?

    私は、最近は、山へ行くばかりなのですが、

    夏の終わりの海もいいものですね!





    今日の記事は、

      
    不思議な命式のお話し 2   ③ 衣食住の運命 2  

    命式に従う意識の作るロジック です。








    命式に従う意識の作るロジック
    が今日のポイントです。




    海と云えば、どの海も世界中の海へつづいています。

    目の前の海から、ずっとつづくその南海の島々で、


    命の出所、『陰』の徳性に背を向けて、

    敵兵の命に武器を向けざるをえない『陽』の殺戮の世界があった。





    その現場が、この海のつづきにあった。 



    たった67年前ですよ!

    一世紀も経っていないのです!




    いつ終るのか、いつ日本へ帰れるのかも知れない戦いの中で、

    今の日本よりも暑い熱帯雨林気候の中で、

    水もなく、食料もなく、祖国を思って死んでいった先祖たち、




    その苦しみの海。 悲しみの海。


    それを忘れて、その犠牲の上に、あたりまえの如く立って、

    なおもなおも、

    安楽だけ、気持ちのいい事だけを求めようとする現代の我々の意識。


    いいえ、

    我が国の指導者達、上層部、関東軍(大日本帝国陸軍)も、

    エネルギー資源のない我が国は、

    それらを求めて満洲へ踏み込んで行きました。


    エネルギー資源のない我が国は、依然変わっておりません。




    日本は、1868年明治維新後、( 144年前です。)

    西洋式の近代国家を志向し西洋を見習って富国強兵を行い、

    1945年の第二次世界大戦終結までの、いわゆる「大日本帝国」時代、

    軍国主義、植民地主義、覇権主義、膨張主義などの政策・体制を以って

    さまざまな戦争をして来ました。

    その77年の間に、日本なりのロジックを構えて4回も戦争をしています。

    その事自体、決して、威張れる事ではない。

    おまけに、その戦争の結果は、頼ったロジックのお粗末さもあって、

    御存知の様に、最後に日本は大敗、惨敗を喫しました!




    『陰徳』のバックアップなしのロジックは、張子の虎です。

    必ず、その上位のロジックに破られます。

    お互いのロジックが違えば、どんな事になって行くのか? 

    最近の例からいいますと、


    韓国の李明博(イミョンバク)大統領の、

    竹島訪問、天皇の訪韓時の謝罪要求、親書の受け取り拒否と返還、

    韓国と我が国との“喧嘩”がニュースで報道をされています。

    いろいろなご感想をお持ちの事と思いますが、

    韓国、朝鮮とのこう云うやり取りは今に始まった事ではないのですよ。


    明治元年、1868年、明治維新を成し遂げた日本の明治新政府は、

    朝鮮に、王政復古を伝える書契を渡そうとします。

    明治新政府を国として認めさせ国交を開こうとしたのです。

    しかし、その時も受け取りを拒否されています。

    理由は、書契の文中に「皇」と「勅」の文字が書かれてあったからです。

    (今回は、親書の中に竹島の文字があったからです。)

    日本側は、明治天皇に対してこれらの文字を使った訳ですが、

    従来の形式では、

    これらの文字は、宗主国である清の皇帝だけが使える文字だったのです。

    朝鮮にとって、日本は宗主国ではない。と云う事でしょう。

    そう云う朝鮮なりの立場のロジックがあった為で、

    その後、1876年(明治9年)日朝修好条規が調印されるまで、

    明治新政府は朝鮮との国交交渉が進展せず、国内的にも余波があり、

    8年間、新政府を認めさす事ができなかったのです。

    途中、1871年(明治4年)

    日本と清国の間に日清修好条規などが締結された機に乗じて、

    清が宗主国である朝鮮に対し国交交渉に臨んでも駄目だったのです。

    朝鮮との国交交渉に進展が見られないまま、

    1873年(明治6年)明治天皇の裁可で朝鮮遣使が無期延期とされた時、

    責任をとって、遣使賛成派の西郷と板垣退助と江藤新平など5人の参議

    および約600人の官僚・軍人が辞職する事態となっています。

    1873年(明治6年)朝鮮で起こった宮中クーデターの政変を利用して

    1875年(明治8年)日本は、国交交渉団を再度、朝鮮に派遣します。

    しかし、

    今度も、交渉役の森山茂が西洋式大礼服を着用していたと云う理由で、

    書契交換の前に、外交儀礼をめぐる意見対立により交渉が再び中断します。

    朝鮮側は、江戸時代の和装を求めていたのです。

    7か月後、日本は、軍事的圧力で局面の打開をはかりました。

    軍艦2隻で朝鮮沿岸を測量させ、

    軍艦「雲揚」が首都漢城防衛の最重要拠点江華島に接近した事によって、

    朝鮮側が発砲をし、それから2か月間の戦闘の後、

    特命全権大使の黒田清隆が、軍艦3隻を伴って朝鮮に派遣されます。

    その結果、日朝修好条規が調印された(砲艦外交と言われています)。


    なんともはや、外交と云うものは、それぞれのロジックの激突なのです。

    今の日本は、軍艦の派遣など不可能ですが、、、   あはは。

    同じ東アジアの韓国と日本でも、こうも違うのです。



    国と云えども、動かすのは人間です。

    人の集まりの国は、人の意識が作るロジックで構築されたものです。

    この『陽』の世界におけるロジックを生み出すもの、

    これらは、違う五感から生み出される意識が作り上げるものです。



    だけれど、その認識はあまりにも薄いですね。   ほっ。

    日本人は王朝の革命等を経験していませんから、

    自分が善意であれば、相手に通じると、、、

    相手を自分と同じだと思う傾向があります。


    これは、今でもそうです。 一つの迷妄ですね!





    私達は、人間は、皆おなじだと、どこかでそう思っていますね。

    まして、東洋古来の人間観を失い、知恵を捨ててしまって、

    近代化の物差し、皆、自由、平等、人権、権利ですか ?   あはは。

    皆は、同じ人間。 平等であると、     

    だから、序列を作ってはいけない。     

    ちょっと飛躍し過ぎですね。    あはは。

    生れた時は、皆真っ白で、後々育った環境や教育で違って来ると、、、

    本当にそう、信じているのでしょうね?!


    運命学では、

    私達人間は、皆おなじではありません。

    生れた時は、皆真っ白ではありません。

    育った環境や教育で違って来る訳ではありません。





    そもそもが、生れたての赤ん坊の感覚器官は、

    ひとりひとり肉体的な個人差もあって全部違います。

    実は、生れたての赤ん坊の感覚器官は、大人よりも鋭いのです。

    その感覚教育で有名な特徴を持つモンテッソーリー教育は、

    0歳から幼児の間に、感覚器官の敏感期と云うものを見抜いて、

    その敏感期にあった遊具を与えて五感の能力を伸ばします。

    平方、立方、ルート、二乗などの概念を、

    感覚的に捉えられるように原初的な練習になる遊具がある程です。

    その“子供の家”で遊具を自由に遊ぶ事ができると云う条件下に、

    幼児たちをおくと、自分の感覚に合った遊具を選んで遊びます。



    人間は、その人固有の感覚器官の癖、感性の違いから来る意識の癖、

    それら独特の癖のある五感で、自分の環境を習い覚えて育ちます。


    絵を描かせても、一枚として同じ絵はありません。

    自分の五感(センス)が集めた言葉や、

    欲望の満足を得ようとして意識が作り上げるロジックは、

    人によって違って来るのが普通です。




    それは、どこから出て来るのか? と云うと、

    運命学から観れば、

    命式の癖を100%帯びています。



    どの哲学であろうと、芸術作品であろうと、

    造り上げた人間の命式の癖が、色濃くそのまっま滲み出ています。




    2012年 3月 3日の記事、

    ( 命の継承と運命 9.) 胎内世界 / 芥川賞 『共喰い』 田中慎弥

    の中で、田中慎弥氏の命式の中には、7人の実母がいると書きました。

    そして、

    彼の命式の中にある五行で、一番強いのは、『水』だと書きました。

    つまり、彼の命式は、多大な水の母に守られている事になります。


    それで思い出すのが、『共喰い』の中の描写です。

    主人公の育った地元の川の描写です。汚れた川の水。流れる川の描写。

    川の中に捨てられた自転車など、非常に印象的に書かれていました。

    そして、雨。

    雨で全く見えなくなった川にかかった橋の上。

    クライマックス、実母が実父を殺める時に降り続く雨。

    雨の中でそれを眺める主人公。

    足元を川の様に流れて実際の川に注ぐ雨です。

    小説の中に溢れる水、水、水の描写。

    田中慎哉氏の無意識下の水が、溢れていました。

    水に親しみと救いを見ているのですね。


    水のある風景が、彼の心象風景なのだろうと思いながら読み、

    それから彼の命式を観た時、幾度となく体験した事ですが、

    命式の的中に鳥肌を覚えたものです。




    同じく滲み出るモノに、

    遺伝学のDNA(遺伝子)の影響があります。

    我々の肌の色、髪の質、背の高さ、容姿などに、

    遺伝子の影響を認めない人は、もういないでしょうが、

    私達の性格、知能、能力までが遺伝の結果なのだそうです。

    パーソナリティへの遺伝子の影響は、60%だそうです。

    この60%と云う数字は、今の処の数字だと思っています。

    いつかすべて解明されたなら、100%になるはずです。


    その100%の上に乗っかって来るのが環境因子。

    そう云うバリエーションの展開になるはずです。




    しかし、

    伝統的な教育学では、こうは思いたくない傾向があるようです。

    なぜなら、理想は、人のあらゆる可能性を否定したくないのですね。

    人間は、生まれた時には真っ白で、皆同じであると、、、

    環境が、その人を決めるのであるから、

    そこに、教育の可能性が重要であると、そう云う主張です。

    人は、教育でどうとでもなると、そう思いたいのです。  あはは。

    教育次第で、人間の内面は変える事ができると信じたいのですね。

    これを否定しないのが、愛だとか、やさしさのような ?

    命は、どんな延命治療を施しても長生きさせるのがいい。と云うのと

    似ています。

    どこかに、死や、理想の通りでない人間を厭うネガティブ性がある。

    そして、そのネガティブ性を隠すのに使うのが、

    そう信じる事が、道徳ではないかと云う感傷です。


    分かるような気がしますが、でも、それでは現実は変えられませんね。

    それでは、正しい現状認識が掴めないからです。


    進学塾で、多くの生徒を教えた経験からですが、

    子供の能力は、背丈や顔つきと同様、見ただけで違っています。

    基本は生まれつきですね。

    能力を点数で云うのは矛盾していますが、

    例として分りやすいので、、、誤解を恐れずに言いますと、

    20点の生徒を50点取れるようにする事は難しくはない。

    が、98点以上の点をいつも取る生徒にするのは、無理です。

    人間の能力は、ゾーンのような限界が、はっきりありますね。

    遺伝と云っても、そんなに単純ではありません。

    父親が大学教授、母親が熱心でも、子供は優秀児になるとは限らない。

    職業では、ありません。

    父親がサラリーマンでも真面目で、ご夫婦が非常に仲がいい。

    そう云う普通のご家庭で、優秀児の子供を多く見ました。

    能力と云うのは、点数だけではありませんから、

    いろんな側面がありますが、これらは運命そのものになるのでしょう。


    この事に関しては、

    2009年10月1日の記事、

    家庭 2/4 川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。 

    に書いております。



    西洋から起こった近代学問は、

    五感で捉える意識の範囲でデーターを積んでいきますが、


    東洋は、癖を帯びた意識の現象としての虚偽性を透過し、

    その奥に見えるモノを探します。 

    そこが、無意識の領域になります。



    運命鑑定は、命式と云う目識で触れる文字記号の中に、

    無意識のサジェスチョンを読み取るものです。



    ここに、運命学からの現代文明へのアンチテーゼがあります。



    現代文明は、

    見えるモノ、聞こえるモノ、感覚で捉えられるモノが全てです。

    それが、全てだとなれば、なんと騙しやすい世界でしょうか?



    皆がおなじと云う思い込みは、捨てた方がいいですね。

    しかも、意識『陽』の作為したあらゆるロジックは、

    どうしたって『時』の経過でその価値は消えてしまうのです。

    そう! つまりは、現象そのものなのだから

    何時かは、必ず消えるモノ。

    だってそうでしょう?

    喜びも悲しみも、時と共に虚(うつ)ろって消えます。

    五感は、環境の刺激に支配されるモノです。



    環境の刺激に支配されるモノを根拠に作られたロジックなど、

    趣味や好みの程度ならともかく、

    真実を表している対象としてとか、

    実は、そうやすやすと信じてはいけないのです。



    同時に、また自分のロジックに固執する必要もないのです。



    では、運命はそうやすやすと信じてもいいのかと云うと、

    ③に関しての、

    さして努力をしなくても衣食住に恵まれるという運命は、

    言い換えれば、

    生活全般にわたる感受性が豊かである。

    命を守る智恵に長け、生活力が旺盛な敏感性を持っていると。

    そう解釈をしていただければ、よろしいと思います。


    ただ、運がいい、と云うのはないのですね。

    きちんと裏があると云う事です。

    ただ、生まれつきであるから、努力をするのに苦労がない。

    そう云う良い報いが出て来る素性を持って、此の世を生きる事ができる。

    そう云う能力の事なのです。


    報いって?   


    そう、生れたばかりの赤ちゃんの誕生命式から鑑定できる事を考えれば、

    運命鑑定の命式は、

    生れる前からの積善、もしくは積悪の結果としか思われません。




    これは、私の体験でもありますが、

    自分の命式の中に、自分では考えもつかなかった深い意図、

    前世から申し送られた一筋の光を感じられたなら、

    今、生きて行く事の意義が骨の髄まで分かるはずです。

    生れて来た事に納得をし、全てを受け入れられるかもしれません。



    もしや、自分の運命学の命式、遺伝的差異の影響を知ってしまったら、

    その先は、どうなるのか不安ですか?

    これらを、これから先の生きる事への制約とみなすのではなく、

    これらの方法で分かる自己の特性を、役立てる方向で、

    もうひとつの教育を役立てるべきです。

    教育で、運命や遺伝の支援をしていくようになる事が、

    正しい捉え方ではないかと思っています。

    分かった以上は、後は自己教育、に没頭なさってください。







    次回の記事では、

    婚活殺人の木嶋佳苗容疑者の命式を

    取り上げたいと思います。



    初秋に迎う折々の日々を味わいながら、


    良き八月後半の一週間をお過ごしください。




























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    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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