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    不思議な命式のお話し 3   ③ 衣食住の運命 3   婚活詐欺  木嶋佳苗容疑者   

    Category : 運命学
    8月19日 午前5時 雲海 (富士山)

    富士山雲海


    写真をクリックしてください! 左側全部が見られます。


    携帯の画像なので雲の輪郭が甘くて、くっきり見えませんが、

    プリン!とした艶っぽい雲全体がモコモコと動いています。








    内閣府が行った「国民生活に関する世論調査」が、8月25日発表された。

    「物の豊かさ」を重視すると云うのが、30,1%

    「心の豊かさ」を重視すると云うのが、64,0% で、過去最高だった。


    充実を感じる時は、

    「家族団欒」が、51,3% で、これも過去最高。


    一方で日常生活に不安を感じる人は、69,1% 。

    不安の原因は、「老後の生活設計」で、55,3% で10年連続トップ。



    「物の豊かさ」では、「老後の生活設計」が安心できなくなっているのですね。

    「家族団欒」が、「心の豊かさ」の象徴のようになっているようです。






    これは、当たり前の姿でしょう。

    個人、個人が、自分の五感の満足だけをそれぞれ求めていたら、

    家族の意識がバラバラになって行くだけ、、、

    自分の欲望を満足させる積み重ねは、

    決して、「老後の生活設計」の安心には結び付かない。

    その事に気が付いて来たのかも知れません。


    いい傾向ですね。     





    前回、


    皆がおなじと云う思い込みは、捨てた方がいいですね。


    と、書きました。

    その根拠は、命式にあると書きました。


    命式は、無意識から浮上した意識を動かす癖です。




    意識は、環境の刺激を五感が受けて作り出されるモノです。

    と云う事は、環境に支配をされているのですね!

    だから、

    意識で、環境を乗り越える! 

    なんて、大変な事なのですよ。    ほっ。

    われわれの心・意識は、周りの悲しみや喜びにも染まります。

    相手を殺戮する事を許すほど、憎悪に染まる事もあります。

    殺戮を正当化しようとするのも意識です。

    つまり、

    意識・心は、自己都合ですから勝手なのね。

    それが、『偽』性を持つ『陽』の働きです。




    自己都合の癖が強い場合、どうなるのかしら?




    どう云う自己都合の癖があるのか?

    その癖の地図が命式です。



    一億人がいれば、一億種類のあらゆる地図があります。



    その地図を見れば、

    五感の感覚器官での感じ方、その出し方、行動原理が観えて来ます。

    命式から、あらゆる「位相」が、手に取るように眺められるのです。


    それはまるで富士山から雲海を眺めるようなものですわ。  ほっ。







    今日の記事は、

    不思議な命式のお話し3. ③ 衣食住に関する運命 

    婚活詐欺 木嶋香苗容疑者




    このテーマを見て、 

    どうして衣食住に関する運命に、

    婚活詐欺、殺人容疑で死刑判決を受けた木嶋佳苗なの ? 

    分からない――!  と思われるでしょうね?  あはは。  



    ③ 衣食住に関する運命も、

    時と場合によってさまざまな現れ方をする。

    ピンからキリまでの運命の「位相」があると云う事です。

    木嶋佳苗は、そのキリ。 そう思ってくださったら...





    まず、その前に、

    質問をいたします。   ほほ。

    あなたの直感的力量の訓練かな?   ほほ。



    木嶋佳苗に関して、

    マスコミ報道の情報の中から、あなたが受けた印象を、


    彼女が、一番多く命式に持っている五行は?  なあに?

    欠けているとすれば、どの五行?  どれ?

    木・火・土・金・水のどれか? 

    一瞬の集中力で感じるものをお答えください!


    分からない?

    間違ったとしても、(当たるとは思っていませんが、、、) あはは。

    この作業が、あなたの無意識と意識の回路になります。

    無茶ぶりで、申し訳ございません!


    正解は、記事の後半に...


     おたのしみに!






    「人」は、「天」の恵みを享け、「地」に支えられて立つ。


    決して、人間は、天地=自然を支配しているのではないのですよ。

    人間は、天地=自然によって支えられているのです。


    常に、このイメージを大切にしてください。

    ここから、あらゆる道徳、道理が生れて行きます。




    では、具体的に、

    その天・地から生命を生かそうとする「気」が溢れています。

    五行、木・火・土・金・水です。 ・・・・・・・5の数の根拠です。


    これに、それぞれ陰陽があるわけですから、

    陽木ー陰木、陽火ー陰火、陽土ー陰土、陽金ー陰金、陽水ー陰水

    ・・・・・・・・これが、10の数字の根拠です。


    これらが、『陰陽五行』です。



    「人」を取り巻く陰陽の五行からのエネルギーは、10種です。

    それを、①~⑩の運カテゴリーに分けているのですね。 




    その10種の運の一つが、③苦労なく衣食住に恵まれる運です。


    恵まれると言うのですから、これは良い運ですね!

    ③は、本来、良い果報をもたらすものです。





    しかし、自然は多様性が本来です。

    なぜ、多様性なのか?

    多様性を以って、調和を求めていると言えると思います。


    一つとして同じ因果を持つ生命はないはずです。


    10種類に分けた運命のカテゴリも、

    全ての人間が、この10種類に入ると云う浅い狭い概念ではありません。

    このたった一つの「衣食住の運」においてすら、

    その両極端の間には、

    限りないバラエティな「位相」の展開があります。

    ピンからキリまでの運の表われ方とでも言いましょうか、、、

    いつも云う、グラデーションです。


    その中のある極端の例として、まず、木嶋佳苗容疑者です。






    彼女の罪状、容疑として浮かんでいる事件性についての詳細は省きます。


    まず、分りやすくする為に、

    マスコミなどが、彼女を演技性人格障害(演技性パーソナリティ障害)と

    言っている点から入って行きましょう。



    ウィキペディアには、演技性人格障害について次のようにあります。

    1.自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。

    2.他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的または

    挑発的な行動によって特徴づけられる。 

    3.浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。

    4.自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。

    5.過度に印象的だが内容の詳細がない話し方をする。

    6.自己演技化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現。

    7.被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。

    8.対人関係を実際以上に親密なものとみなす。





    いつも思うのですが、

    心理学的なこう云う分析の表現は、ご苦労さま! と言いたくなります。

    と、云うのは、

    ある人格の表出現象から、その差異を捉えようとする努力が分かるからです

    が、要は、『陽』・現象からの細かな分析なのですね!

    カテゴリーのない所から、観察によって導き出すわけです。




    それに比べると、運命学は反対です。

    命式と云う『陰』の表出としての手がかりにする文字があります。

    その運カテゴリーの意義内容から読み取るきっかけを与えられますので、

    此方は楽なのです。





    東洋運命学における


    ①~⑩の運命カテゴリーは、

    元々が、命式中に、それぞれ一つ(一位)であれば吉運なのです。 



    具体的には、

    ③生活面の感受性が豊かで、食べ物、健康、体に関心が強い。

    その結果が健康に恵まれ、活動的で積極的です。

    主婦なら、家計が大変と思えば、自分でなんとかする位の行動派です。

    ポジティブで明るい性格は、親しみやすくおおらかです。

    楽しいおしゃべりが好きですから、友人も多く作れます。

    お嫁さんにぴったり、ふっくら色白美人の女性です。   あはは。

    男性なら、気取らない気さくな人物、どんな事をしても家族を守ります。

    不思議と食品関係の勤め先が多いのです。

    食欲旺盛で食べっぷり、飲みっぷり、体格もいい。

    命式中、一位で障害がない③でしたら、人生を謳歌する姿に出て来ます。




    それが、


    命式中に一位以上あって大過する場合は、凶運へと変化をします。



    具体的には、恐い女性に!??     あはは。 

    おそろしい妻へ!?? 変化をします。   あはは。

    感受性において、女性でも男性的です。

    自分よりも運気的に弱い男性と縁があり、

    夫を頼るより、自分が社会へ出て活躍する事を好みます。

    社会で男性顔負けの活躍をし、外で活動する方が合っています。

    デスクワークよりも、フットワークが合っています。

    家庭では夫を差し置いて、やる気を挫く妻です。   ほほっ。

    多少は、例外もありますが、産むのは女児、圧倒的です。

    男性は、男らしくなくなり、おばさん的な雰囲気を醸し出します。

    結婚縁や子供縁が弱い。  または恵まれません。


    ③もともと生命や生への原始的執着心が強いわけですから、

    大過の場合は、その奥、生の衝動・性的な本能が露出して来ます。

    エロい事が何故悪いんだ? と言った感じになります。

    上の演技性人格障害についての2.にあるように、

    他人との交流の手段に、しばしば不適切なほどに、非常識にも性的に

    誘惑的または挑発的な行動を当たり前の如く用いる行動をします。

    いわゆる、品がない。 品行方正ではないのです。





    ★では、木嶋佳苗容疑者の命式の鑑定へ進んで行きますね。

    まず、飛び込んで来るのは、とにかく人生の最後が良くないのです。


    まず、仲間、家族がおりません。

    孤命(こめい)です。(孤独なひとりぼっちの運命です。)

    当然、結婚縁、子供縁はありません。 

    孤命とは、善意や愛情を受けても、それがつながりにはならないのです。

    自分から断ち切って行く判断や、行動を繰り返します。



    年々、時に連れて孤立を深めて行く。

    その上に、木嶋佳苗容疑者の命式中には、五行の『火』が弱い。 

    まったく無いと言える位です。

    『火』の徳は、『礼』でした。

    『礼』に欠ける。礼儀がないのです。

    恩顧に『礼』で返さない。 恩を仇で返す。 恩知らずの人格です。



    だから、嘘をついて大金を援助してもらって、、、も罪の意識はない。


    その上に、

    木嶋佳苗容疑者の命式は、③が強すぎるのが特徴です。

    ③の大過によって

    ③の良さが消えて、具体的には、上で書いた、恐い女性に!?? と云う

    ③の凶運の姿へ変わっている癖を持つ命式なのです。




    その癖の結果が、上の演技性人格障害についての2,3,4,8の特徴に

    当てはまります。

    つまり、

    2.他人との交流は、しばしば不適切なほどに

    性的に誘惑的または挑発的な行動によって特徴づけられる。 

    3.浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。

    4.自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。

    8.対人関係を実際以上に親密なものとみなす。



    読者の方たちには、今現在、③以外はお分りにならないはずですが、

    ついでに、木嶋佳苗容疑者の命式中の他の運カテゴリーを当てはめますと、

    1.は、①の特徴です。

    5.は、②④⑨が、

    6.は、①④⑦⑨が、

    7.は、⑨が当てはまります。 

    ①②④⑦⑨とも、彼女の命式の中にピッチリ揃っています。



    特に、犯罪者になるトライアングルのひとつ、①③④、が揃っています。

    そして、又、女性の犯罪者の多くが持つ⑨も強いですね。

    ③以外については、またいつか、記事にします。






    さぁ、初めにした質問のお答えですよ。    




    彼女が、一番多く命式に持っている五行は?   

    ③に当たる『木』です。 衣食住としての『木』です。

    まさに、木は植物。 我々の食の糧、料理、食べ物です。

    彼女は、セレブ生活に憧れているとは言え、

    食べ物に関しては、外食や豪華なグルメではなかったようです。

    グルメが手に入る程の③が、命式中では働いていませんから、、、

    彼女は交際を始める頃、手料理を男性たちに作っています。

    作為的にした行為と云うよりも、料理が好きだったのでしょうね。

    ブログにも手料理を載せていたようです。


    そして、『木』の徳は、『仁』。  慈しむ心です。

    一見、慈しむ心が溢れているように相手には見える。

    あの顔は、男性を切るようには見えません。

    (男性を切る運カテゴリーもあるからですが、、、)

    しかし、実体では無かった。



    手料理を作り、気さくな馴れ馴れしさを以って、

    それが慈しむ心、情が深い女性だと、

    一人でいる男性達に感じさせたのかも知れません。

    そして、性的なアプローチ。

    それは、見せかけの『仁』でした、、、




    欠けているとすれば、どの五行?

    先にも書きましたが、『火』です。

    それは、礼儀知らずの厚顔無恥の人格として現象化します。



    もっと豊かに暮らしたい、

    そう思うのは人間として自然の意識の持ちようなのですが、

    身の程知らずに、セレブな生活を好んで、

    幾人かの男性から金銭を騙し取った木嶋佳苗容疑者は、

    当然の事ですが、夫縁は、ありません。

    奇妙ですが、男縁(異性縁)はあるのですね!

    ここが、困った処なのです。

    自分の衣食住への、見た目セレブ的な強い執着、欲望の強さ、

    それを満足させてくれ、押さえてくれる男性を求めても得られない命式です。

    哀れ、非常に哀れな命式です。


    孤命に生まれ、命式の中の凶運に囲まれて育った彼女は、

    普通の人が、悩み苦しむように生きて来たのでしょうか?

    これだけの孤・苦・凶運の命式を持って生れると、

    普通に生きる事は、どうしようもない。

    その上に、欲望を肯定、解放した現代文明の空気の中では、

    なにでも自由! 五感の満足が規範だと曲解しやすい環境です。

    そう! 猛獣を檻から出したようなものです。


    この猛獣を、誰が、檻から出したのか ?

    私達、社会を含めて、過去からの構成員の罪でしょう。




    彼女が、真に、死刑の判決で言い渡された罪を全部犯しているとしたら、

    これらの罪は、重大です。重罪です。

    人間としてあるべき行動であろうはずがありません!

    これだけの罪を犯したなら、反省をしてしかるべしだ!


    これは、彼女が、皆が、同じだったらと云うのが、前提です。

    なぜ、罪を犯したのか?

    深く洞察をする物差しを、社会は持っていません。

    心身、精神異常、病的人間として片づける方法しか今の社会にはない。



    そう、まるで、ガンの病巣の切除だわ!

    外科的手術で、社会が良くなるとでも?




    直接的な証拠はないまま、あくまで状況証拠の積み重ねで、

    本人は否認のまま、死刑判決を受けました。

    上からの司法の裁きで心から反省をするのでしょうか?



    冷静に彼女の命式を眺めて観ると、

    彼女は、命式に表われている行状をそのまま生きただけ、、、

    そう云う心境が、心の中に満ちているのではないか?

    その事において、罪の意識は無いだろうと推察します。



    こう云う彼女の命式で、彼女の気持ちを推し量ると、

    死刑なんて国の都合だ。

    自分こそ国民の処罰感情の犠牲者なのだ、、、と。

    私だって、自分の都合で生きて来ただけよ、、、と。

    不公平よ。私だって思うように生きたかった、生きただけよ。

    そう思って、ますます被害者意識に陥っているのかも知れません。。  。




    こう想像をするだけで暗澹たる気持ちにさせられますが、

    これを気付かせるには、時間的にもっと過去にさかのぼって、

    彼女が生れた時、この社会に公正な基軸が存在していなければいけません。

    社会が一体になって守ろうとする道徳が確立されて、

    謙虚な家族の中で、自分を冷静に客観視できる躾がなされている事が、

    必要でしょうね。




    死刑という極刑が、真に、人間を更生させるのだろうか?

    反省もできない人間を、この世から抹殺するだけで、

    死刑と云う刑罰は、果たして適切な処置なのだろうか?

    死刑は、結局見せしめに過ぎないのだろうか?



    誰の為の見せしめ?




    生きている我々を、満足させる為に?   まさか!

    ああ、



    我々も、おぞましい罪を犯しているものですね!

    ここまでも、我々は自分の満足が大事、意識に支配されている。

    我々が、生きているこの社会は、

    死刑犯を、死刑に処しても反省もさせられない。。 。

    この社会は、どう云う社会?


    これが、法治国家?? ?


    そりゃそうでしょう!

    欲望の節制をすると云う美徳を隠したまま、

    勝組になれと、子供すら煽って育て続けながら、

    セレブになりたい、セレブ生活に憧れるミーハーをゴマンと作って、

    我慢は古いの、パーッとやらなきゃ、なんて、宣伝、広告に乗って、

    余計な欲望を煽って、消費行動を煽って、売れる処から取ろうなんて、

    経済効果が幾らだと学歴の勝者である学者や専門家が勘定をしている社会で、

    (子供たちは、その為に勉強だ、勉強だと追いやられているのに)


    普通の命式の人でも、何が正しいのか、何が正しくないのか、

    訳が分からなくなりそうな処へ、

    間違いなく邪曲の癖の命式を持つ人間の意識が、

    ゾクゾク生れているって云う事に気が付いていないじゃない。


    勝ち組の為の画一化されたこのプログラムに付いて来れない人間は、

    そんな人間は、罪を犯せばいい。

    死刑にすればいいんだ、、、

    そんな声が聞こえて来そうな、社会です。


    いわゆる、社会に公正さが、ない。 深みがない。

    正しい人間観がないのです。



    「人」は、

    「天」の恵みを享け、「地」に支えられて それぞれの立場に立つ。  



    これが、分からなくなっているのですね!

    これが、合理の果てに、たどり着いた時空間です。

    なにやら周りがゆがんで見えませんか?

    我が身も、真っ直ぐに立てない感じがありませんか?   あはは。



    一生懸命生きるのに、人並みな幸せが手に入らない。

    この渇望感から、ゆがんだ欲望が大きくなって来るはずです。

    この歪みを正せるのは、周りの社会の公正さです。


    今の物質文明が人間の欲望を肯定、解放し、

    物質的満足を追い求める画一的な社会では、無理でしょう?



    遺族の方たちも、

    自分が、鬼にはなりたくないはずです。

    死刑の執行を心から望むより、

    罪を犯した人の謝罪の言葉と反省を望んでいるはずです。





    皆が、自分を冷静に客観視できる、

    その姿を、誰もが素直に受け入れ合える、、、


    そう云う啓(ひら)かれた社会にしたい。


    残暑の残るあつぼったい空気の中で、

    懊悩しながら願う毎日を過ごしております。   あはは。


    富士山頂で足元に眺めた空が、

    下界に戻って気が付いたのは、


    空って、頭の上にあったんですね!   あはは。





    よき、一週間をお過ごしください。

    季節の変わり目、体調にお気を付け下さい。






















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


    テーマ : 命式の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    不思議な命式のお話し 4   ③ 衣食住の運命 4  神田うのさんの命式

    Category : 運命学
    雲海の向こう、ご来光 (富士山) 

    御来光をバックに5時10分 (2)


    写真をクリックしてください! 右側半分が全部見られます。





    御来光をバックに5時10分 (1)


    ご来光を背にして、、、私!    ほほっ。 









    秋の気配と、熱帯の気候とも思える夏の名残りが、まだら模様に

    日々、まだつづいております。






    今日の記事は、


    不思議議な命式のお話し 4  ③ 衣食住の運命  神田うのさんの命式



    ③ 衣食住の運命の最後の記事になります。


    前回の記事へいただいたコメントから紹介しましょう。





    こんにちわ~~♪

    富士山に登られたんですね。

    凄い!! 雲の上ですね。


    日常生活の不安の原因が老後なんですね。

    確かに今のような核家族化がすすんでしまってはどうしようもない!

    と言う感じでしょうか。

    老人一人を見るのには本当は大家族で皆で出来ることを手分けして・・

    というのが理想なんでしょうね。

    誰も歳をとる訳だから皆でいい知恵を出し合って

    老後の不安が取り除けるといいのだけど・・・・

    命式は難しいですね。

    何度も何度も読み返さないと・・・それでも??が・・・

    そのうちわかるようになるのかしら??(。^p〇q^。)プッ 






    そうですね ! 命式の導入部は、難しいですね~。    

    特に、お勉強で優等生だった人は、殊更そうみたいですよ !

    なぜなら、

    意識のお勉強に馴れた頭(前頭葉)にとって、

    五感でつかめない無意識の領域は、合理的ではありませんから、

    フワフワとして捉え処がないのね。



    目で見える世界ではないし~ 理屈でも捉えられないし~

    意識には、むずかしい。 ですね! 







    あ、でも同じことを教室の生徒さんへもお伝えするのですが、

    難しいと、意識が捉えた !  これがラッキーなのです。


    ある意味、意識の限界が、無意識への入り口なのです!








    今の近代化以降の私たちの癖は、

    意識中心、意識で此の世は全て解る。と云う枠内にいる事です。

    その前提で、意識で解った範囲の中での知識、学問です。

    知らない間に、無意識の領域を排除してしまっている。  










    ですから、、、西洋的合理主義のお勉強の(解る)と云うのは、

    意識が捉える範囲の世界の中を、解るのが得意と云う事です。


    お勉強の頭は、

    無意識の世界は、無い。として捨てていますからね。

    無意識の領域にある運命学は、むずかしゅうございます。。 。



    無意識は、どんなに意識に無視されようと無くなるものではありません。

    意識は、無意識から生じた爪楊枝(つまようじ)のようなものだからです。

    無意識は、樹齢何千年の大樹。

    意識は、その小枝から作られて、使えば捨てられる爪楊枝です!



    あはは。






    また、学問やお勉強は、意識の範囲だから、

    すべて、目で見える文字に表せて、記号に表す事ができます。

    目に見えて、聞こえて、触れて、味わえるモノが対象です。



    だから、意識が作った知識は(教える)と云う事が、可能なのです。




    西洋の知識は、外から、教えられて自分の頭に取り入れるもの。

    東洋の智恵は、自分の内側からあふれ出るモノなのです!

    西洋(意識)と東洋(無意識)はここまで違う !!!





    -―――ちなみに、無意識の領域の事は、(教え)られません。-―――


    言葉にも記号にもできないモノは、(教え)られません。








    意識で取り入れた知識は、最後、覚えます。

    憶えたか、どうか? 意識・前頭葉の能力検査が、テストです。

    解ったかどうかを、記憶したかどうかでチェックするのね。

    100点取れば、解ったとなる。  ???   あはは。

    解ったとしなければ、先へ進めないし、、、

    これは、(教えている)先生都合でもあります。

    先生も、自分の生徒の理解度を、意識、目で見えるモノで捉えたいのね!

    0点。 62点。 100点。 数字で比較する訳です。

    しかし、実態がどうなのかは先生もわからない。  あはは。




    こうしてみると意識の世界の教育とは、

    思えば、なんと単純な画一化のレールでしょうか?



    そう! すべてを画一化する、 これが意識の害悪です。

    と云うよりも、意識は画一的にしか対象を掴めないのですね!  あはは。






    ★ 私達の意識が、この画一化に染まれば、

    学歴や収入や持ち物で、人を見る。値打ちを測るようになったりします。



    明治維新後、我が国の近代化を進めた浅はかさは、

    人は皆、平等である。と云う自然における真実・真理でもない、

    西洋の人が作ったロジックでしかない価値観を取り入れて、

    人は皆、等質である。人間は、皆同じである。と、錯覚した事です。


    真実の自然は、異質な存在の種の多様性で構成されています。




    同質だから学問をするかしないかで値打ちが違って来るんだ。

    と云うゆがんだ人間観を知らない間に、持ってしまっている...

    それで自分の人間性を醜くしてしまっている。


    学歴偏重、 知識偏重、 

    男と女は平等であるから、学問をした女はしない男に勝てる。とか、、、

    もう、笑うしかない男女同質論です !!!?



    真実の自然は、オスとメス、男女は異質の存在です。

    男女の役割は、違いますね。





    学問、勉強で、高学歴で、高額年収で、物質的満足なら、 人として幸せ ??

    人生判断をゆがんだ基軸において、

    そうでなければ、負け組のような ??? 

    そうならないようにと云う意識を振りかけながら、

    次世代の子供たちを育てててしまっている。


    そうならないようにと避けながら、

    子供にそう云う意識を押し付けて染めているのですね。 

    なんて恐ろしい事でしょう!!!

    これは、ひとえに、

    意識の作った近代合理主義には、正しい人間観がないからです。

    また、

    これは、近代化の先駆者・福沢諭吉の「学問のススメ」の影響もありますが、

    これこそが、わが国を近代化の毒素で汚してしまったものです。

    福沢諭吉が、功利主義であると言われる所以が、ここです。





    現実の世の中で、人の幸せは、そんなものでは実現できないし、測れない。

    大学で経済を学んだからと云って、財運に恵まれる現象は出ない。


    運命学で云うその人の命式に(財)がなければ無理な事です。

    経済学を学ばなくても、強い(財)を持てば、必ず発福(現象化)します。

    運とは、宇宙の運行『時』をかけて運ばれて、

    無意識の世界から湧き出(いで)て、

    姿形の現象として身に付いて来る事です。








    全ての創造性は、無意識からです。


    意識などに運命学が、分かるはずもないのです。



    頭(前頭葉)では、しあわせにはなれませんわ。

    運命学は、そう云うものです。







    つまり、運命学は、

    解るものではなくて、おのずと、分かるもの。




    おのずとは、

    自分の中から、思い出すように納得できるようになる事です。






    分かるとは、もつれて玉になっている糸が、分かれて分かれて

    長い一筋の糸になって、元の姿がはっきりと見えるようなる事です。





    もの事のありようが、ああ、こうだったのか!

    と、得心でき、自分の立ち位置が、足元が見えるようになる。





    無意識の中にあるものを(あるはず)と思いながら、探す態度です。

    本来、自分の無意識にとったら、分かり切っている事ばかりなのですよ。






    運命学は、初めは知識のような感じを受けるのですが、

    それは、意識と無意識をつなぐ連結部のようなものなのです。


    毛穴から、体の中へ入って行くもの....。 あはは。



    馴れれば ! 必ず分かるようになりますよ~!

    ご自身の無意識の中にあるものだからです。






    それより、物事の本質は、

    見えない世界に積んだ原因に動かされている。 それを知ってください。



    今の目の前の現象は、遠く過去の原因から起こっています。

    『天』・『時』・宇宙の運行によって目に見えるようになっただけ..。

    植物を見れば、当たり前の事ですが、

    将来、『時』を経て、良い花実を成らそうと思えば、

    花の咲く枝の先端に、水や肥料をやりませんね?  あはは。

    見えない地中の根に向って、未来に咲く花実を信じて水と肥料を施します。




    これから秋ですが、

    来年の春に備えて、冬を耐えるように肥料や植え替えをします。

    来春と云う『時』に向って、見えない根・『陰』へ水と肥料ですね。

    後は、『天』の太陽エネルギーと『時』です。


    今の我々の現実の姿の原因は、見えない時空で作られて来たのです。

    これを、意識に入れて置いてくださったら真実は近くなります。  ほほ。









    さあ、それを頭に入れて、神田うのさんの命式です。




    なぜ、彼女の命式を選んだのかと云いますと、

    実は、

    前回の記事、殺人容疑で死刑判決を受けた木嶋佳苗の命式に似ている。

    そっくりではありませんよ !    あはは。

    似ている。  

    五行「木」である③衣食住に恵まれる運が、

    木嶋香苗容疑者よりも、大過している。  3つもあります。

    五行「火」が弱いのも同じです。

    「木」の徳・『仁』の大過も同じです。


    それなのに、神田うのさんは、知りうる限りにおいて、

    木嶋香苗容疑者よりも邪悪、悲惨では、ありません。


    当然ですが、孤命ではなく、犯罪者のトライアングルもない。

    夫運も、目立つ見せる処にきちんとありますし、、、  ほっ。。。



    昨年までに、海外へ行って豪華結婚式を9回もしている! とか、、、

    昨年お産みになった娘の咲良(さら)さんに、

    数千万のティアラを作ったとか、、、この手の話題、

    彼女の個人情報は、ネットに溢れておりますので、

    興味がある方は、検索をしてそちらをどうぞご覧になってください。


    「うの」は、持統天皇の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」の

    鵜野(うの)から両親が名付けられたそうです。

    おそらく、娘の咲良(さら)さんも、讃良(さらら)からでしょう。

    パリにある全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)の卒業です。

    彼女の父親である神田 淳氏は、東大工学部、大学院修士課程修了後、

    通産へ入省し、平成10年原子力発電技術機構理事をしていた人です。

    「持続可能文明の創造―エネルギーからの文明論 」と云う本を著しています。


    彼女は、③衣食住に恵まれる運命を、姿形に体現している好例です。

    ほとんど障害もなく、

    いわゆるセレブ、桁違いに豊かな生活が生れた時からある運、

    あふれるような良質なモノに囲まれる運、

    それが天界の喜びとともに恵まれる運です。 

    彼女が生れてからの努力の成果とは、とても思われない! あはは。

    間違いなく持って生まれた運です。


    どうして、こうなの?

    ③衣食住の恵まれる運の大過の邪曲の灰汁(あく)を抜き、浄化し、

    ③本来の良運を守り支える最高の吉星が2つも燦然と輝いているからです。



    この吉星が命式中にあれば、あらゆる方向からの災難から逃れられます。

    たとえば、仮にお財布をどこかに忘れたとしても、必ず戻って来る人です。

    やる事なす事、周囲、目上からの引き立て援助あり、困る事がない人です。

    地に落ちると云う境遇にならないばかりか、

    あまり努力もしていないのに、  あはは。

    社会的地位(職位)が向上したり、試験に受かったりします。

    本人も、どこか自分の運が分かっているので努力家ではない。

    競争も、喧嘩も、人を騙す事もしません。   

    必要がないからです。 

    心根はきれいです。 

    富命であり、同時に貴命ですから性的トラブルは起こしません。

    おのずと、自分の周りに邪悪なものは寄せ付けません。


    でも、神田うのさんには、③の大過の臭いが、、、

    やはり匂うでしょう?

    ご主人の事をマスコミにぞんざいに言う事など、平気 !   あはは。

    とても、夫を立てている日常とは思えない。   あはは。

    夫を差し置いて、やりたい事をするでしょう。    あはは。

    社会の中でのフットワークが止まらない。






    生まれながらどうしてこんなに格差があるのでしょうか?






    その命を取り囲む生れた時の『天地』の気が違うからですが、


    『時』も違います。

    宇宙の運行における『時』すら、いつも同じではありません。

    清明なる気もあれば、邪濁なる気もあるのです。





    野の植物だって同じです。



    植物すら、

    根を下ろした場所も違えば、タネが風に運ばれる処も違う。

    そのタネのDNAには、タネとなった草が生えていた土の情報があります。

    そして、今度は、新たな根付いた土の情報が取り入れられて行きます。

    その土の情報をDNAへ完全に取り込むのには、数年の『時』が必要です。

    その土の情報を取り入れて、姿形自体が独特に変化成熟したモノ、

    それが京野菜やその土地の野菜と呼ばれるモノです。



    人間は皆同じ。

    そう捉えるのは、意識のレベルです。

    意識にしたら、それは仕方がないのです。

    意識・前頭葉は、シナプスが結ばれていないものは、判断ができないのです。

    シナプスは、何度も経験したものしか結び付きません。

    どんな人間がいるのか、すべての人間を経験をしていませんから、

    だから、人間は皆同じ、そこを基定にするしかないのです。

    アバウトどころか、画一的です。



    意識は、人を、(種)において一括りです。

    あとは、目に見える白人、黒人、など、、、あはっは。




    ある意味、人間は皆おなじと云う意識の認識は無邪気なのですが、

    これは、無知蒙昧に通じるので、困るのです。


    無意識では、人間は皆違います。

    真実、人間は固有の命を帯びています。

    個々の意味や、役割があって存在していますから、

    お互いが、

    うらやんだり、ひかくしたり、うぬぼれたり、しっとする存在ではないのです。



    本来の自己の役割、使命に生きるならば、そんなヒマはない訳で、


    運命学を知りますと、その事が、よく分かって来ます。

    東洋学の、その一旦である運命学は、

    現代文明の歪みをクラッシュする力を秘めている。

    と思っています。







    今回の③衣食住に恵まれる運、は、

    これで一旦終わります。

    不思議な命式のお話し シリーズは、

    いつかまた再開したいと思っています。





    よき一週間を、お過ごしくださいね。























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    テーマ : 命式の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    〔 近代化の奈落 1.〕   画一性 ・ みーんなおなじ   コメントへのお返事  

    Category : 運命学と近代化
    富士吉田登山道  8合目付近の岩場 (標高3040m)

    富士山富士吉田9合目


    写真をクリックください。私のすぐ後ろに登山者が続いています。

    中央右寄りの下界の白い所は、河口湖です。




    登山道の鎖は、掴まっては歩きません。

    いつ抜けるか分からないので危険なのです。


    黙々と、富士山の頂上を目指して溶岩の固まった岩場を登っていると、

    時々歩みが止まります。

    先の方が、一人しか進んでいけない狭い岩場にさしかかって、

    前の一人が登りきるまで後続全員が立ち止まって待つからですが、

    そうすると長い登山者の渋滞ができます。


    その時、手早く携帯を出して写真を撮る!     

    登山列が前に動き出さないうちにです。  あはは。


    渋滞で写真を撮ろうと振り返ると、

    空には、毎回違った雲の景色が広がっていました。

    早朝、山小屋を出発した頃は、濃霧がかかっていたので、雨 ?

    雨具をザックの上に出しておいたのですが、

    瞬く間に、まっ青な空に変わり、

    次の渋滞の時には、入道雲が背後に広がっていたり、

    この『天』の気の素早さは、豹変、疾い、と云うスピード感だと、、、



    たとえば、風林火山の

    「疾如風」 疾(はや)きこと風の如く、の疾(はや)とか、


    又は、『易経』革卦 の

    「君子豹変」 君子は豹変し の豹変を、



    富士登山中も思い出すなんて、我ながら東洋的だと! あはは。






    「君子豹変、小人革面」 

    君子は豹変し、小人は面を革む

    くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ


    出典は易経の革の卦で、時局が行き詰った時の革新の方法。

    君子(行いが正しくて徳のある人)が過ちを改めて善に移るのは、

    豹の毛が、夏や秋頃になると一新されるように突如としてすばやい。

    小人は、君子豹変に従って感化され、自然と面を革(あらた)める。

    時期の宜(よろしき)を得て果決断行することの重要性。 







    『天』自然は、一時も休んでいない。

    刻々とエネルギーの循環を全(まっと)うしているのですね。

    現実生成に没頭して、徹頭徹尾、生き生きとしている。



    ところで、富士登山の消費カロリーは、いくら位だと思われますか ?

    ザック等、装備品重量を含んで、全重量が70kgとすると、

    7677kcal なのだそうです。

    ちなみに、フルマラソンの消費カロリーは、約2400kcal だとか、、、









    今日の記事は、


    〔 近代化の奈落 1.〕  画一性 みーんなおなじ  


    いただいたコメントへのお返事の記事になります。



    今までの 《 近代化の影 》シリーズが終わった訳ではありません。

    《 近代化の影 》は、どちらかと云うと、

    西洋的思想に駆逐された東洋の復権、いわゆる思想的な記事です。




    今回から始まる〔 近代化の奈落 〕シリーズは、

    もっと身近な、我々の生活や心が近代化によって陥った落とし穴 = 奈落、

    その具体的な現代の問題を書いていきたいと思っています。



    奈落?  地獄ってことでしょう?

    そうですよ!  今、我々は奈落の何丁目にいるのでしょうか?

    地獄と思えば、ここから何としても這い出さなければいけません。

    でも、天国と思えば、このままでいいと思うでしょう。 あはは。

    ほら、これだけ意識の知覚(認識)は違って来る訳です。


    あなたは、どちらだと思うのでしょうか?






    前回の記事で

    すべてを画一化する、 これが意識の害悪です。

    と云うよりも、意識は画一的にしか対象を掴めないのですね。

    それに反して、無意識の領域から見る我々は、

    ひとりひとりが、違う。

    まったく違う立場と役割を持って生まれて来ているのが

    運命学からは見える。

    無意識では、人間は皆違います。

    真実、人間は固有の命を帯びています。 
     


    と書きました。



    それにいただいた拍手コメントを紹介します。


     

    >人間は固有の命を帯びています。


    「こりゃ、違和感あるなあ」 などということをしようとしても

    ぎくしゃくして全くうまくいかないのも

    こんなところから来ているんでしょうねえ。





    なるほど、「こりゃ、違和感あるなあ」ですか、、、 あはは。




    無意識の閃(ひらめ)きが我を襲う、

    それを違和感と感じるって事なのかしら?


    本来の自然な「自分」だと思っている自我意識があって、

    これが、天台の九識の第六識なのでしょうが、

    五感の感覚器官に囚われている自分を見張っているのですね。


    第六識は、五感で得た認識を内面的に捉え直す思考、感情などの働き。

    夢を見たり、過去や未来を想像するなど。

    第五識までの働きとは関係なく自立的な作用も含む。



    2011年10月23日の記事、

    無意識の不思議 7  天台の『九識』/無意識の普遍性 (因果応報) より




    その第六識の自我に断わりもなく、

    第五識の「偽りそうになる自分」がいる。

    第六識が、五感に振り回されている第五識・いわゆる意識を突っついて

    〝 おいおいそれはおかしいだろう?” と教える。    あはは。

    それで、意識が気が付いて、ぎくしゃくするのですね。




    「偽りそうになる自分」とは、

    五感の感受性のままに

    周囲の環境に支配されそうな自分です。


    変化をして止まない現象世界『陽』に振り回される自分。

    つまり、我々の環境とは、『時』と共に移ろう現象世界です。



    その 環境の刺激の『縁』に支配されて、

    いつのまにか自然な自分を見失ってしまう。



    『陽』の現象世界の中に、

    五感に拠る意識の画一的な世界の中に、埋もれて行くのです。





    そこは、みーんなが同じ世界です。

    みーんなが、物として扱われる、確かに平等な世界です。

    みーんなが、平等だから安心みたいですが、



    上位の意識が、下位の意識をあやつる欲望の熾烈な競争世界であり、

    意識が作る見えない格差が絶えず生まれる世界なのです。



    画一性なのに、格差が生まれる?

    そう、画一的だからこそ、格差をつける必要があるのね!

    我こそ勝った!と自己満足したい意識があるからです。



    そこは、偽善で作った皆が平等と云う地獄でもあります。 






    このコメントのように、

    ぎくしゃく と感じる事ができると云うのは、

    その『縁』に接して自分を見失うどころか、

    自己確認をしてしまうのですね! この感受性は、すごいですね。




    この前提には、

    自然な「自分」の状態が、常態化していないとダメだわ。



    ぐっと難しく言うと、

    第六識より深い無意識に根を下ろした「自分」の存在がないとダメですね。

    それを不断に保つ自我意識の強靭さ。

    ある時は、環境に支配されてしまう『縁』を、

    自分の本来じゃない姿に染めようとする『縁』を、

    自分を取り巻く環境から、自分に合わないとして拒否し、

    捨て去る勇気と知恵があるって云う事です。



    少なくとも、自己欺瞞の状態 = 酔っ払い状態、 では無理と云うものです。



        あはは。


    酔っ払いは、酔っているのに、おれは酔っていない! と言うでしょう? 

    あれです。 あはは。

    = 五感の刺激に振り回されて、

    自然なありのままの自分を、「偽ってしまった自分」がいる。

    「偽ってしまった自分」が、自然なありのままの自分をウソまでついて隠す。



    何の為に ?  隠すの?


    あはは。 勝ち組の中で皆と同じだと思いたいから。

    思いたいから?  ウソでも思いたいから.....



    それか、一人が恐いから!?!    あはは。


    この状態を、自己欺瞞の状態と言います。


    逃げているのね。 真実から逃げている。


    真実から逃げて、

    酔っぱらった自己欺瞞状態を、一度「健全」だと思い込んだら

    その上に、もっとウソを重ねて重ねて行くしかない訳です。

    -――――― これを、不幸とも、言います。


    この不幸の中にいると、無意識とは断絶します。






    つまり、

    自己欺瞞状態では無意識からの閃きは無いと云う事ですね。






    -――― つまり、しあわせにはなれない。

    しあわせとは、『陽』の世界の有名やお金持ちや贅沢の追及ではない。

    自己欺瞞を排して、ありのままの自然な自分の状態で安定する事です。



    しあわせは、『陰』で決まります。 

    汲めども尽きない『陰徳』が、本人になければ、

    どうか、家系に『陰徳』の井戸が掘られていますように、

    井戸は、嫁が、母が、祖母が、女が掘るのですよ!

    それが、女の役割と云うものです。


    正しい事が、目先、必ずしも勝つとは限らない『陽』の世界で、

    仁義なき?  あはは。  

    現象を追いかけて生存競争をするのが、男性の役割です。



    このお互いの役割の分担こそが、画一性を抜け出す一歩です。   ほほっ。





    平等もそう、自由もそう、民主主義もそう、

    皆、幻想なのに、

    私達は、おとぎ話を信じて、ここまで来たのですね!  あはは。

    軍国思想にだまされ、今度は近代合理主義にだまされですか?

    西洋思想は、頭の中で、本の中で作られただけのものです。

    『陽』である西洋思想の意識が仮設した民主主義ロジックを成熟?

    させると、 みーんなが、画一性の中で横一列に並びます。


    国民目線の御前では、専門家の見識も、国民の批判にさらされます。


    玄人を引きずり降ろして、素人と並べ、 

    尊き貴さを引きずりおろして、卑しさに並べるが如くです。

    玄人と素人の境、

    尊き貴さと卑しき我々の境が、

    物事の境目が、限りなく分からなくなって行くのが、

    これが、成熟した民主主義の姿なんだって ? 

    御存知でしたか ?   あはは。


    尊敬語や謙譲語も、どこかに消えてなくなって、、、

    身内や自分の事を言う時に使う言葉だったの ?    あはは。

    いいんですよね! みーんな同じだって学校で言っていたし、

    えらそうな人だって、大した事ないって!

    大人はずるい人ばかり、

    うちも、お父さんより、母親の方が威張っているし、

    尊敬に値する人って世の中にいるのですか?


    尊敬語ってどう云う時、使うのですか ?   あは――。




    人権としたらみーんなが同じ権利。

    選挙も一票づつでしょう。

    国民目線、おおいに結構な事ですが、

    これは、気楽な批判者、傍観者としての立場をかこつ事もできます。

    最後、責任を取るのは、されど、専門家、玄人なのです。



    その事を、尊敬しなくてもいいのかなあ?


    無責任に国民が、批判する事ができるようになるのが、

    それが、民主主義だったのだろうか?



    ★ なお、もっと悲惨な結果になるであろうと思うのは、

    無意識を否定した近代合理主義の

    意識のロジックの中には、

    『時』と「地政学的な要素」= 「国土」の役割が入っていない事です。

    西洋の哲学は、頭の中で作っているから、皆そうです。


    客観世界、「国土」の役割を明かしていません。


     キリスト教は、『時』を重要に説いていません。

    『時』の概念が抜けているのは、何度も指摘しています。



    『時』を重大に扱うのは、易経をはじめ、東洋の思想の方です。 




    五感から生まれた意識は、

    五感の過去の経験が集積した現在しか捉えられないから、

    それは、無理もないのですが、思想の欠点そのものです。




    それが、そのまま我々の現在における苦となって具現している

    現状は困ったものなのです。 

    一生懸命生きても、どこか苦しくなるのね。


    意識の偏波さ、偏狭さからです。


    意識は、自分の感覚器官の情報を拠り所にするだけあって、

    厳密な意味での客観性がない。

    ゆえに、客観世界の「国土」の役割など解ろうはずもないのです。

    まったく、理性そのものが、一人間の感覚器官に拠っている訳ですから、

    純粋理性などはないと。






    感覚と前頭葉の空間の中だけにある意識は、

    地政学的な要素をロジックに取り入れる事すら感じなかった!



     
    あー、なんと単純な、ロジックの中で現代人は生きているのか?

    呆れるばかりです。

    そう云う世界観を取り入れたのが近代化だった!   あっはあ。



    そうでしょう?

    沖縄や、地方が問題になっていますが、

    おなじ国民として、その人間の権利を主張するのは論理的にはいい。

    しかし、「国土」、どの地域も全部を同じように扱うのが平等ですか?


    アメリカも、アフリカも、アジアも、どの地域も同じなのか?


    具体的な現実の世界情勢の中で、

    どこも、同じようになろうとしたらどうなるのか ?

    沖縄と北海道は、同じに扱われる正当性は、どれくらいか ?


    国の特殊性、沖縄の特殊性、地方の個性、地政学的特徴があるはずです。

    それらを無視して、無いものとして、

    東アジア情勢や、世界の資源の争奪戦、日本の置かれている状況、

    その上で、平等に扱う事が今の時に、適正なのかどうか?


    これは、今までのロジックでは乗り越えられないかも知れませんね。

    本来の民主主義は、それぞれの立場を自覚した人間が、

    そこでの自らの苦役を避けずに、愚痴も言わずに、

    その役割を果たしていく事が前提であるべきでしょうね?



    それが、どこの地域であろうと、どこの誰の真似もせずにです。



    それらは、

    これからの政治が、決めなければいけない事ですが、

    どう決めるのでしょう?

    決められない。

    みーんなが同じと主張しながら、誰も何もひき受けようとしないからです。


    戦後、67年経って、振り返ってみて、

    第二次世界大戦直後のアメリカによる日本占領政策は、

    3R・5D・3S政策などがありました。




    3R政策、3つのR、

    Revenge(復讐)、アメリカへ対する復讐心を日本人から摘み取る。

    Reform(改組)、日本の社会構造を組み替える。

    Revive(復活)、改革したうえで独立させる。




    5D政策、5つのD、

    Disarmament(武装解除)、日本軍の解体。

    Demilitalization(軍国主義の排除)、国家神道の解体。戦争の放棄。

    Disindustrialization(工業生産力の破壊)、軍需産業工業力の解体。

    Decentralization(中心勢力の解体)、財閥、内務省の解体。

    Democratization(民主化)、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除。





    3S政策、3つのS,

    Sex(セックス)Sport(スポーツ)Screen(スクリーン)産業を流行らせる事で、

    日本国民の大衆の関心を政治に向けさせない為の愚民政策のひとつ。



    SEXは、性風俗の奨励、自由恋愛の奨励、見合いを止めさせ恋愛をさせる。
    SPORTSは、神道の武道を止めさせ野球などのスポーツを流行らせる。

    SCREENは、映画、テレビ、音楽の娯楽を奨励し、安楽を与える。




    ああ、この時から、すでに画一性の網は、張られていたのですね!

    この占領政策は、アングロサクソンのアメリカ白人が、

    奴隷制度から解放された黒人にした政策と全く同じだそうです。

    彼らは、まず、相手を骨抜きにする為に、喜び、安楽を与えるのです。




    安岡正篤先生が、


    「日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、

    日本人はむしろ喜んで、これを受け入れ、これに応じ、これに迎合した。

    あるいは、これに乗じて野心家が輩出して来た。

    日教組と云うものがその代表的なものであります。

    そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、

    こういったものは皆、この政策から生まれた訳であります。」



    『運命を創る-― 人間学講話』 1985年 プレジデント社より




    まさに、アメリカの手の内に嵌まって、

    その結果もたらされた日本の現実、

    その事に気が付かない、知らない世代も多いでしょう。


    戦後民主主義の育て損ないなのか、 

    西洋合理主義のロジックの持つ元々の欠陥なのか?

    これらが、破たんをして行く様を見せつけられているようです。



    何事もそう、初めは、そうとは思わなかったでしょう?



    日本は、歴史や伝統を捨てるように仕向けられてきました。

    そこまでの、前頭葉の中のシナプスを切ってしまったのですね。


    民族としての意識の継続が為されていない。



    意識は、前頭葉でシナプスがつながっていない事は、気が付かない。

    あるのに無いと云う認識をするのですね。

    つまり、何度も頭をぶっつけないと分からないのです。  ああは。


    原発、資源、領土、、、、、、


    竹島問題も、尖閣問題も、北方領土問題も、領土問題と言いますが、

    領土の取り合いの前に、それぞれの国の意識の問題です。


    それぞれの国の、無意識や意識の伝統の継承が勝負なのです。

    いずれ正義が勝つ?

    馬鹿な事を言ってはいけません。

    ある意味、どちらが正義かなんて !

    そう云う問答は、『陰』の領域の価値観であって、

    『陽』は、それで勝負がつく世界ではありません。

    『陰』を無視する『陽』の世界に、正義はありません。

    『陰』のバックアップがある『陽』意識だけが正義で勝つのです。




    さぁ、相手国、韓国と中国はどうなのでしょうか?




    『陽』の世界の掟は、弱肉強食の原理です。

    いいですか、弱肉強食です。

    自然は、そうです。 

    草も虫も動物も、『天』に従った方が生き残り、弱者は淘汰されます。

    『陰』、『天』に逆らった者は、淘汰され行くのです。



    人間ですら、そうなのですから。。 。

    『陰』を捨てた国が、どうなるものか...






    自国の過去の歴史や伝統、神話を語る事もせずに、

    陰徳を捨てて置いて戦後67年間、

    自国の歴史に対してどう意識して来たのか?

    それを、徹底して国民の意識に、教育して来たのか?

    前頭葉にシナプスをつなぐように努力をして来たのか?

    どう云う認識を67年の間に意識させるように歴史を教育して来たのか?


    その結果が、『時』を経て、現象として現れるのだから、

    都合の悪い現象が出てから、過去を消す事は無理なのです。




    日本は、軍事でも負けましたが、

    それは、意識があまりにも劣悪だったからです。

    国家神道の劣悪さを、今でも本当に反省をしていません。

    朱子学で行った明治維新の反省も行っていない。

    いわゆる思想的な総括が終わっていないのは、

    まだ思想として国の中枢で生きているからです。


    さほどに、一度、国の中枢に取り入れた思想とは恐いものです。

    占領軍だって、それを完全に排除する事はできなかったのです。


    -―― 日本は、自己欺瞞の臭さが立ち込めていますね。-――




    国にも、家にも、企業にも、

    それぞれの歴史や伝統に基づいた意識があります。

    その意識が潰えた時こそ、国も家も企業も、その存在理由を失います。

    国は亡び、家は絶家になり、企業は整理されます。



    跡形もなく、、、です。


    個人にとって、

    なぜ、家の継承、お墓の継承、いのちの継承が大事か?

    お分りになりますね?




    その背後にある無意識の継承、

    表に表われる意識の継承がなければ、

    それに支えられた他者との戦いでは、負けるでしょう。


    負ける事はかまいません。

    しかし、子孫が荊(いばら)の道へ、

    困難の泥沼へ入って行く事だけは避けてやりたい。

    個人の負けの集積が、国の負けにつながります。



    個々の家庭が、最少単位です。

    どうか、しっかりと『陰徳』をお積みになってください。


    それも画一性の中で、泳いでいたら無理と云うものです。

    しっかり、家庭と云うものを、家族と云うものを守ってください。


    運の向上とは、そこが原点です。

    自分だけの欲望の満足など、運を壊す事の方が多いでしょう。


    目に見える『陽』の世界を追いかけるより、

    見には見えない『陰』の徳分をしっかり積み上げてくださいね。


    長い記事を最後までお読みいただきまして、

    感謝申し上げます。



    暑さが、まだ異様に残っております。

    ご自愛のほど、よき一週間をお過ごしください。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    ☆ 易学       《 水火既済 ・ 火水未済 》   ー 成功 ・ サクセスとは ー

    Category : 易学
    8月20日 午前4時30分  2回目のご来光 (富士山)

    <下山途中の写真3枚>


    8月20日2回目のご来光


    八合目の稜線の向こう、勾玉のような形が山中湖です。

    富士登山3日目、

    いよいよ、下界へ戻らなければなりません。

    前日とは打って変わって、墨絵のようなご来光でした。







    写真をクリックください。 




    富士吉田下山道 

    下りの所要時間は、

    頂上から5合目まで2時間。


    下山



    雲は、地上から湧いて来る ―――――――


    ご来光の光りが、

    天空を染めはじめて、

    太陽の熱が『天』を温めはじめると、

    『土』中の水、  山や森の地中深く蓄えている水分と、

    『木』中の水、  木々の葉や木肌に蓄えている水分と、

    『水』中の水、  湖や川や海の水分と、

    あらゆる処の水が、水蒸気となって『天空』に湧き上がって来ます。


    ヴェールのような靄(もや)が、かかった景色を目の前にして、




    水が作ったこのヴェールの下に、

    どれだけの命が生かされているのだろう。

    『天』の気と、

    『地』の気の、エネルギー交換。

    東洋の叡智、感応の妙と云うものを思い出していました。  






    この天地の間で起こる五行の上下のエネルギー交換。

    宇宙天体の『火』太陽エネルギーが、

    『天』の気と『地』の気を、『道』と『理』に即して還流させる。

    木々や土中の水分が、液体から気体へ変化を遂げ、対流を起し、

    『天』へと昇りはじめる。


    上下の気流のちょうどの処に、水は雲となってとどまる。

    ちょうどの処とは、調和点なのです。




    このおびただしい『水』に守られて生きている、

    ― その命の中、

    ― その細胞の奥、

    ― その見えない感じられない、無意識の領域で、

    命を新たに代謝する触媒として微量な『金』ミネラルが働いている。



    その『金』は、水や植物と云う食物から取り入れられたものだった。

    我々の肉体は、自然にある五行の材料で日々作られているのです。




    仏教では、この肉体を『仮体』・けたいと言います。

    かりのからだ、、、 そう、

    自らの過去世からの業因である『因』と『縁』により、

    自らの今世の現象としての命の入る器(うつわ)、

    永遠の仏の命を宿す法器(ほうき)、

    この自分にふさわしい宇宙の素材を集めて仮和合(けわごう)したもの、

    これが、仏法的肉体観です。



    東洋は、肉体的な事実からも、我 即 宇宙なのです。





    昔からの東洋人は、

    意識が、うわっつらを撫で上げただけの皮相の西洋・キリスト教的学問、

    意識が、自然を切り刻んで知識化したパーテーションの寄せ集め学問、

    天文学、気象学、栄養学、物理学、などがなくても、

    あるがままの自然をダイレクトに命の内奥へ受け入れる事で、

    無意識から湧き上がるように、

    宇宙と我が、一つの全体である事が分っていたのです。




    これらの全体として統一された自然の有りようが、

    ある時は、豪雨、台風、竜巻、津波、農作物の被害の現象と現れて、

    ある時は、慈雨、そよ風、陽光、農作物の豊作の現象として、

    我々の眼前に『陽』の世界へ現れて来るのです。

    現在の、海水温の上昇、回遊魚の異変、旬の魚の不漁も、然りです。

    この事ですら、今は、科学が多少、説明をするようになっていますが、

    まだ、全体観には及んでいません。



    これらの現象と我々の『陽』の活動は密接に結びついています。



    この事に数千年も前に気づいた東洋の叡智、宇宙観は、

    自然・環境・宇宙と共に我々の生存はあると言っています。

    ともに生きている。

    死して、現象世界からそこへ還って行く。

    東洋的叡智は、見極めていたのです。

    東洋的宇宙観は、自然を傷めつけません。

    なぜなら、我々は、宇宙そのものなのです。






    それに比べると、現在の地球を蔽う西洋、キリスト教哲学においては、

    自然の造作は、神の御手に係るものですから、

    自然は、神の所有する物です。

    自然の変化は、神の御意志。 思し召しです。

    自然は、我々の存在とは、かけ離れた処にあるものです。

    故に、神の思し召しにゆだねる。

    神とは、あなたと私以外の他者、第三者なのです。

    西洋の言葉は、人称代名詞が独立性を帯びていますね。

    一人称のI、二人称のYOU,特に三人称のHE,

    こう云う処からきているのかも知れませんね!    あはは。




    余談になりますが、

    自由主義経済の拠り所は、この神の思し召しでした。

    ★ アダム・スミスの思想によれば、

    勝手に利己的に行動する人間同士が、

    それぞれ、市場において自由競争を行う事によって、

    人間が意図しない結果として「見えざる手」= 神の思し召しの

    おかげで公正で安定した社会が成立すると考えた訳です。


    それが、どうですか!  

    リーマンショックで破たんしました。

    その結果が、

    実体経済を越えた処の金融資本が、地球上を席巻しています。

    我々の生活が、金融の魔手に握られているようなものです。

    この結果を惹起させた思想的背景が、キリスト教思想なのです。

    そもそも神の思し召しと云う、

    この宇宙に実在するかどうかさえ分からない観念的なロジック。

    西洋の意識文明は、いつもこうです。

    これでだめなら、また新たな◯◯主義を作る訳です。

    単なるパーテーションにしか過ぎないロジックを、

    真理のように全体に当てはめようとする過ちです。


    資本主義は、

    もうすでに敗れ去った共産主義と同様、

    キリスト教と云う母体から生まれたロジックです。



    ご注意あれ !  我々をしあわせに導くものではない。


    同様に、キリスト教哲学を根底にした近代合理主義による

    今の学問では、人間と宇宙と自然が見事にバラバラにされています。

    東洋的学問では、一つの全体で捉えられる宇宙観が、

    西洋的学問では、もののみごとに辺々に切り刻まれています。


    意識が、真理を追究できるなんて、以ての外です。


    神性や仏性を凌ぐほどの知性を人間は獲得をしたのだと

    どこまでうぬぼれたらいいのでしょうか?





    現代知性が自然をバラバラに解体したのではないのですか?

    近代合理主義の云う学問の中の自然は、

    もうすでに、ほんものの自然ではなく、

    合理=理的に解剖され尽くした自然のバラバラ死体の標本です。


    私達がテレビで見るシゼンの映像は、すでに自然ではありません。

    私達が雑誌で見るシゼンの映像は、すでに自然なんかではない。

    カメラマンの意識を通したシゼンと云う一つの概念にしか過ぎない。

    学問が、いかに綿密に知識を使って自然はこうだ、と説明をしようと、

    それは、全く自然の部分観でしかない ―――――

    真の自然ではなくなっている ―――――

    説明すればするほど、概念化され、真の自然からは遠ざかる ―――



    自然は、人間の意識が作った概念で成り立っているものではなく、

    合理=人間の意識が作り上げた観念的な論理の上にあるものではない。

    自然は、もと、もと、もと、もと、

    前頭葉が意識する以前、

    意識が概念を作る以前、

    意識が、脳のシナプスに観念的論理性を結ぶ以前に、

    人間が出現する以前に存在していたのですよ!



    そのように考えると、

    私達は、誰かの五感・意識が捉えたシゼンの概念に囲まれてしまっている。

    シゼンを自然だと認識をしてしまいそうになったら、

    我々は、自分で、自分を、

    ほんものの自然から隔離してしまう事になってしまうのです。

    お気づきですか?



    さように近代化は、人間を自然から、隔離した。

    近代化で、人間は、ほんとうの自然を失ったのだ。

    たしかに、そう言われる所以です。

    別の言い方をすれば、

    便利さは、その原意、原型、真実ありのままを失う事なのです。

    自然本来の不便さを厭う事は、我々の退化につながって行く。

    便利なグッズを揃えれば揃えるだけ、、、お分りですね ?






    さあ、ここからが本記事になります。


    今日の記事は、


     ☆ 易学 《 水火既済 ・ 火水未済 》







    近代化は、人間をほんとうの自然から、隔離した。

    その結果、我々はどうなってしまったのか?



     That's a question . ahaha !!!


    この問いを、

    易学の、「水火既済 ・ 火水未済 」と云う二つの卦から

    考えてみたいと思います。





    まず、本当の自然を自分の感覚の中から失ってしまったら、

    それまで、自分と一体であった自然観が薄れていきます。

    自然を見ながら我を振り返り、我の為すべき事を『天』を仰いで窺う。

    いわゆる「お天道様」が見ている、と云うような感覚がなくなる。

    「お天道様」に調和をして行く生き方の喪失が始まります。


    それは、何に変わって行ったのか?


    「お天道様」を窺う代わりに、日本人の物差しになったモノ?

    何だったと思われますか?



    いろいろな言い方があるかも知れませんが、

    西欧的な暮らしが出来るようになる欲が出て来た。

    美しく云えば、憧れです。

    それらを手に入れる為には、自然との調和なんて、どうでもいいわ! 

    自分の欲の節制なんて、とにかく、目標に向かって突進をする。  

    ある時は、

    電化製品、マイホーム、マイカー、など、

    あるいは、英会話、留学、海外旅行、高学歴、LOVE、恋愛、など、

    キリスト教文明の上澄みである物質文明の満足、

    功利主義による経済的利益の欲求、高給取り、豊かな財産、


    これらは、いわゆる戦後のアメリカンドリームへの憧憬、

    映画のサクセスストーリーを真似て、その実現、

    ここで、戦後施策の3S政策などが利いて来る訳です。


     あはは。




    キリスト教の説く天国の現世版の実現、

    欲望肯定の自己実現、生きざま実現、

    そう、成功。 サクセス!なのだ!    あはは。

    成功こそが、人生の目標になって行ったのです。



    目に見えない無意識の世界の調和より、

    意識で感じる事ができる成功こそが、今世紀最大の人間の夢。



    日本人は、真似が巧いですから、すぐ真似できるのですね!


    世界の思潮の流れは、欲望の拡大から消費の奨励、

    経済成長への熱望、 功利主義の台頭、

    はっきり言えば、「苦」を避け「楽」だけを求める意識です。

    意識の絶頂感を、見たくて聞きたくて味わいたくてたまらない、

    他人が、そうしているのをうらやましくてたまらない、

    ムラムラと餓鬼道の心をむき出しにして、   あはは。

    他者に勝ちたいと云う修羅道をまっしぐらに、   あはは。

    歩むことになった訳です。


    ああぁぁ ――― 、深淵なる学問の精神もどこかに吹き飛ばして、

    あくまでも成功を実現する道具に化した学歴の為に、

    功利的に、イソイソとお勉強に励むようになった訳です。

    日本は、上昇志向の中間層が一杯いるのですね。

    しかし、これじゃ、他人の真似しかできないわね。



    アメリカは、ここが違う。

    すごい天才がゴマンといるのです。

    誤解を恐れずに言いますと、

    アメリカは、人間の能力でヒエラルキーの最上部と最下層に、

    人間が分かれているような気がします。

    当然、アメリカの最上部は、世界の最上部になります。

    そう云うトップのアメリカを目指して、憧れて、やって来た。


    福沢諭吉の「学問のススメ」が後押しをしました!

    あ、福沢諭吉先生には、好かれないと、、、

    ご機嫌を損じたら困りますよね!     あはは。  

    こうして、いつか、つつましやかな自然への調和感が、

    自然をシゼンに造り替えてでも、我の夢の実現を!

    情報社会で、言葉もかなりのテクを身に付けた結果、  

    いつのまにか、欲望が、「夢」と言われるようになっています。

    成功を追い求める畜生道へ、ヘンシン! マイシン! あはは。



    いいのですよ、 あはは。

    このエネルギーは、経済推進には必要なのですから、、、



    近代化以降、日本は武道が廃れつつありますが、

    餓鬼道、修羅道、畜生道、と三悪道が流行っているようです。  ほ。


    あとは、地獄界の実現するのを待つだけの身なの?  こわいわー。

    我が身が、悪道に落ちても構わないほどに、

    左様に、成功とは、

    「男もすなる、成功といふものを、女もしてみむとて、するなり」

    男がすなるように、おなごもしてみたい、と、

    成功をしてみむと思うおなごも増える程に、

    成功とは、すばらしきものなのであろうか ???      


    人間の意識が熱望する「成功」とは、なんぞや?

    いかに?    あはは。







    『易』に、

    A.「水火既済」・すいかきせい 

    B.「火水未済」・かすいびせい   と云う卦(け)があります。



    この二つの卦が、現代文明の「成功」と云う概念の

    空虚さを暴いているのです。





    ・Aは、水が上で、水が燃え盛る火を消す。 

    既済=すでに終わった。

    あるべきものがあるべき処に納まった。

    形としたら正しいのです。

    既に窮まった完成、成功の姿です。


    水が火を消す努力をした結果、成功した。

    ここまでなら、成功が目的の西洋的捉え方と同じ程度です。

    西洋においては、完成や成功が最終的な目標であります。


    これでは、あくまでも時間軸の上での認識が欠けています。


    時間が把握されていない西洋のキリスト教思想は、

    最後のあがりとしての天国の提示で終わりです。


    天国に行ったら、ずっ~とそこで暮らすの?

    成功の後は、どうなるの??? 
        あはは。

    西洋は、そこまでの定理がない。


    ここで、東洋における易、

    易が時間軸の学問と言われる知恵を外すわけにはいきません。



    東洋の叡智は、時は巡り、成りあがった成功は、

    必ずボロが出始め、次は「乱れ」を予感させる卦として、

    易経63卦目に「水火既済 」があるのです。




    事実、絶家する家系の最後に、

    世間的な成功者が現れる事が多いのです。


    成功者の子孫運は、まったくないか、

    女児のみの事が多いですね。

    有名な所では、アメリカ大統領、ブッシュジュニアも、クリントンも、

    オバマさんも、子供は全員が娘だけだったはずです。

    惜しい事に、イチローも、子供はおりません。

    彼のDNAは、息子に遺してほしいものだと思うのですが、、、

    成功をした女性は、結婚をしても子供がいない例が多いですね。


    成功者だから、経済力があるからと言って、

    息子が、5人もいるなんて、めったにないですね。

    小泉さんは、3人の息子です。

    しかし、お孫さんはまだ一人も生まれていません。

    野田さんも息子が3人です。 彼は恵まれていますね。




    ここが、非常に東洋的と言いますか、成功が終わりではないのです。

    東洋では、成功が目標ではない。

    東洋的双六は、成功が上りではないのです。

    東洋の易は、完成や成功が整った後には、

    その形が崩れる乱調を読み取り、その後の時間軸を示唆します。



    なにしろ、時間軸は永遠なのですから.....

    その為に、63番目「水火既済」の後に、64番目「火水未済」。





    ・Bは、火が上で、火が燃えて水を沸騰蒸発させる。 

      未済=未だ済まず。

    いまだ終らず。 未完。 終りなき変化。

    これからの未来へ向かっての 無限の歩み と云う卦です。

    「火水未済」は易経64卦の最後の卦です。



    実は、ご来光が魅力的なのは、

    ご来光の光は、未だ日が昇らず(未済)ー(未完)ー(無限) 

    への時空を示唆する象徴として無意識に通じるからでしょう。




    乱調を予感させる「水火既済」の卦の後、

    64卦の最後に未完の卦の「火水未済」が来る。

    太陽が全ての地上の水をいまだ蒸発させていない未完である。

    それで、易経は終わります。 


     


    ここに、 易の真骨頂、易の説く時の本質が滲み出ていますね。



    易経63卦から最後の64卦へ至る二つの卦は、

    成り上がりの後のほころび、乱調、衰亡への予感から、

    無限への第一歩。 歩みの始まりへの切り替えるリセットが、

    易の説く『時』の極意ではないのか。





    自然の時間設定は、永遠なのですね。


    これは、この世界の『時』のルールです。

    成功を目的にする事が、この世のルールではない。
       あはは。


    永遠のつもりで今の一歩を歩みなさい。

    目先の成功に振り回されてはいけない。

    その覚悟を求めているのです。



    しかも、『時』は、いつも同じ『時』ではない。







    現代文明の欺瞞、自由で平等の幻想を抱き、

    その錯覚の中に居れば、

    欲望を出さない方がソン!のような ?    あは。

    そうなれば、だれしも、自分の欲望を正当化したいですから、

    他人の欲望を認めて、自分が我慢を強いられるのはイヤですから、

    そこで、派が生まれ、論争が合こり、正義でさえいろいろバラバラです。

    そこから戦争が生まれるのです。


    現文明を作り上げた前頭葉の能力にしたら、

    自らの主張の「成功」の為には、

    欲望肯定の都合のいいロジックを作る事なんて簡単な事です!



    シリアがそうです。


    アフガンがそうです。


    アメリカの作った映画に反発をするアラブがそうです。


    日本の国内だって、そんなものでしょう。  あはは。



    尖閣も、今、アメリカとの安全保障の範囲であると云う国防長官の

    発言で中国側との均衡を保っているかのようですが、

    日本と中国が、いつそうならないとは言えない。






    人間の意識は、人間が人間を殺戮する事すら、

    都合のよいロジックを作り上げてまでも正当化して来ました。




    その先は、どうなるのか?


    自然から遠ざかった部分から滅びるのです。

    この当たり前の事が、ここまで意識が作り上げたシゼンの中にいると、

    分からなくなるのですね。



    シゼンを自然と間違って受け入れて、

    意識主体で、無意識の自然との均衡を失う事は、




    あなたが、あなたの愛しい子孫を失うと云う事です。


    これが、近代化された現代の先進国の少子化の原因です。

    つまり、人間の営みが、自然ではなくシゼン的になっているからです。


    運命学の基本は、あらゆる均衡を尊びます。

    均衡は、バランスです。



    命の為には成功より、調和です。


    これは、間違いありません。

    自然には、成功と云う止まった時は存在しない。



    意識に騙されてはいけません。

    あなたよりも上位の意識が、あなたの意識を使役しようと、

    ほら! 成功の匂いをちらつかせて騙そうとしている。




    あはは。 ご用心なさってくださいね。



    長い記事を最後までお読みくださって、

    感謝申し上げます。

    何かの岐路に、ご参考になさってくださいね。   ほほっ。




    やっと、秋らしくなり雨も降って来ました。

    『天』に見放されていないのですね。   ほっ。


    よき一週間をお過ごしください。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    『老子』44章「止足の戒」   意識に囚われない生き方 2 ・ ご相談へのお返事

    Category : 孔子・老子・他
        中国山水


        中國山水

















    暑さ、寒さも彼岸まで、

    肌寒い時もあり、めっきり秋らしくなりましたね。

    今年の夏は、熱帯の気候とも思える気温が続いたので、

    この秋が、待ち遠しかったと思います。

    でも脅威は、台風です。

    『天』は、いろんな便りを出してくれますね。

    次の便りは、なんと書いてあるのかしら。。 。









    今日の記事は、


    『老子』44章「止足の戒」   意識に囚われない生き方 2 



    久しぶりに、老子を書きたいと思っている処へ、

    コメントでご相談がありました。

    内容的に、今回の老子とリンクしていますので、

    ご本人の了解の上で引用し、そのお返事と致します。

    ご了承ください。




    では、『老子』44章「止足の戒」原文と書き下し文。


    1. 名與身孰親    名と身と孰(いず)れが親なのか?

    2. 身與貨孰多    身と貨と孰れが多(まさ)れるのか?

    3. 得與亡孰病    得ると亡(うしな)うは孰れが病(うれい)あるのか?

    4. 是故甚愛必大費 是故に甚だ愛(おし)めば必ず大いに費(つい)え、

    5. 多藏必厚亡    多く蔵(ぞう)すれば必ず厚く亡(うしな)う。

    6. 知足不辱      足るを知れば辱(はずか)しめられず、

    7. 知止不殆      止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず。

    8. 可以長久。     以(も)って長久なるべし。





    1. 評判と云う虚像である名と、この生活をしている実像である身、

    どちらが血族の血が通っている私なのか?
    (注)

    2. 命と財産は、どちらに多くの価値があるのか?

    3. 獲得と損失は、どちらが憂(うれい)いになるのか?

    4. 惜しむ心は、必ず過度の浪費につながり、

    5. 多く貯蔵すれば、必ず損失も大きくなる。

    6. 満足の中庸を知る事は、屈辱から我が身を守る事になる。

    7. 欲望を止める事を知っていれば、危険に遭う事もない。

    8. それで、持ち堪えて永らえられるのだ。




    (注)..............................................................................


    1. 名與身孰親 の現代語訳では、

    名誉と身体は、どちらが切実なのか?

    とする訳が一般的なのですが、


    を「切実」と訳すのは違和感があります。

    あまりにも現代的な訳に過ぎると思うのです。

    本来、 は、古代において「うから」と読まれ、

    親族、血縁の人々の総称、血族の意味だったのです。


    どちらが、血縁、血族なのか? と聞く場合、

    名は、世間での名、評判。 身はこの生きている実像である私の体。

    と云う解釈から、上記の様な現代語訳にしました。
     

    .....................................................................................



    1. ~ 2. は、

    世間の虚像のような自分の名を惜しむより、我が身を惜しみなさい。

    お金や利益よりも命を大切に思いなさい。 

    つまり、一番大事なものは、命だ。 


    この段階で、

    命の為には、世間の虚像であるうわさや評判を捨て、

    お金である利益も捨ててもいいんだ。 と言っているのですね。


    <  はげしいですね! >    あはは。





    3. になって

    今さら、命が一番だと分かったからには、

    世間の虚像である自分の評判を良く言ってもらおうとか、

    誰もが欲しがる利益であるお金が、

    増えていく事と、無くなって行く事と、どちらが憂いが増える事なのか?



    普通の一般的な常識では、

    名も評判になり、利益とお金が増える方がいいに決まっているじゃない。

    と言いたくなるのですが、反対なのです。    あはは。

    さすがと云うか、

    ここで、老子は、一般的な常識を覆(くつがえ)します。


    自分の名の評判など、利益やお金も無くなる方がいいんだよ。

    決まっているじゃないか! と言っています。    あはは。




    4, において、

    我々は、自分の世間での評判を落とさない為に、ムダなお金を使う。



    5, において、

    たくさんの財産を貯めれば、増やそうと思って大きな損をするだろう。

    (その為に、悩んで憂えて、命を粗末に扱って寿命を縮める位なら、

    初めから、そんな害のあるものは持たない方が良い。)




    6, ~ 7, は、中庸を説く有名な一節になります。


    「 知足不辱、知止不殆 」 

    足るを知れば辱(はずかし)められず、止まるを知れば殆(あや)うからず




    むやみに評判を気にしないで自分の分を知って、足元を固めて、

    実像で生きていれば、メッキが剥がされて恥をかく事もない。


    欲を止める事も知っておれば、危ない目に遭う事もないのだ。



    (A)オレが、オレが、と出しゃばるような態度とか、

    私が欲しかった物よ! と自分の欲を全面に出したり、      

    自分が得! と見れば、見境なくトコトン追求するような、

    意識全開の他人の迷惑など考えようとしない態度を戒めているのです。



    だからと云って、


    (B)決して消極的に生きた方がいいとか、

    控えめに欲を持たない方がいい。

    と言っている訳ではないのです。


    これも、ある意味、自分を守ろうとする意識全開です。


    欲に拘るのも、欲を否定するのも、

    実は、欲に支配されている状態は同じだからです。


    (A)はその通りですが、だからと言って、

    (B)の生き方に、

    拘(こだわ)ってはいけないのです。

    囚われてはいけないのです。


    そう云う意識に囚われてはいけないのです。

    要は、強い思い込みを持ってはいけない。






    もっと高みから言い換えますと、

    強い欲を持つのなら、それを完璧にコントロールしなさい。

    完璧にコントロールできないのなら、危険だから持たない方がいい。

    欲とは、自分の五感が見て聞いて集めた情報発信です。

    つまり環境から得た情報に影響された五感の営みです。


    自分が損をしているから取り戻そうとか、

    他人に勝ちたいとか、

    今より楽をしたいから、手に入れようとか、

    なにより自分が損をしたくないんだとか、

    自己満足のプライドに拘るのは、

    自分は大した人物であると思ってほしい、(本当はそうじゃないのに)

        あはは。

    自分の価値を証明したいとか、

    自分の優位性を示したい、見栄を張る自分がいるからです。


    要は、自信のない(ちいさな自分)がいるのですね。

    (ちいさな自分)を、正直にさらけ出せない弱虫の自分。

    たとえば、

    見栄を張るとは、自分を実際以上に良く見せたいから、

    いずれにしても、酔っぱらった状態=自己欺瞞があるのです。


    自己欺瞞があれば、正しい現状認識が出来ていない訳ですから、

    先で必ず、破綻をする。

    それで、恥をかき、危険にも遭う。と云うのですね。


    (ちいさな自分)が大きな自分になりたいと云うのはいいのです。

    それは、OK なの。

    が、(ちいさな自分)は、大きな自分になれる知恵を知っているの?

    知らないから、(ちいさな自分)なんだから、

     (ちいさな自分)の云う事を訊いてはいけない。


    身を誤るような事になるよ。 

    昔からの智者と言われる人の知恵を参考にして行きなさい。 

    自分に合った中庸をさがしていきなさい。と云う老子の注意なのです。


    (ちいさな自分)の意識の奴隷になってはいけない。

    それはそのもの環境に支配されている事になるからです。

    それでは、同じところをグルグル回るだけになるからです。


    なにの云う事を訊いていけばいいのか?

    それは、知恵なのですね。


    『天』の道に沿った、『地』の理に沿うと云う事なのです。



    そうすれば、

    8,  以(も)って長久なるべし。


    長くしあわせで暮らせる。 長寿で生きられると云うのです。






    ここで、今回のご相談に移ります。




    お久しぶりです。腎不全で三児の母の***です。


    私が迷ったときは、ここに来て、読み返して、

    考え直すようにしている、大事な道しるべにしています。


    ちょっと今、迷っていることがあって大事なことだと思うので、

    どうかまた道しるべになっていただきたく、書き込みます。



    先週、義父が台風のための養生をしていて二階から落ち、

    脊髄損傷の重症で、一生車椅子生活になりました。

    今、実家から二時間以上かかる脊髄専門病院に入院しており、

    半年はリハビリなどしっかりしてからの退院になるようです。

    主人は男三人兄弟の長男です。

    職業は、外科医師で、医局に所属しており、転勤は一生続きます。

    夫の地元の近郊を転々としておりましたが、

    おそらくあと二年ほどはいるのではないかと思っていた処、

    昨年より実家よりも遠い◯◯県に来ました。

    次男は、独身で、主人の実家に同居です。

    三男は、昨年結婚、まだ子供はいません。

    会社勤務で、今後転勤のある職業です。


    現在、義父のめんどうは、同居の次男の弟が、入院している病院まで、

    お母さんを連れてよく行き来してくれています。

    三男も、1時間ほどかかる自宅から土日には顔を出してくれています。

    義母は、もともと精神的に弱いところがあり、

    私たちが結婚したのをおばあちゃんに反対されたのがきっかけで

    精神安定剤を飲むようになったと10年間ずっと言われてきたので、

    私の病気にも心無い言葉をかけられたことが多く、

    正直、距離をおきたいな、と思うことも多かったです。

    私が病気判明したときも、義父は、困ったときはお互い様だからね、

    と子供を預かってくれて入院することができました。

    実際よく面倒見てくれたのはお義母さんですが、

    お義父さんの言葉があってお義母さんも見てくれた処があると思います。


    主人の両親はつつましく暮らしていて、あまり財産もありませんでした。

    義母が同居してきた姑、主人のおばあちゃんですが、

    ちゃきちゃきと働き者で頭のいい人でおばあちゃんのおかげで、

    うちの主人は医者になれたのだと思うところがあります。

    認知症になってからは、老人ホーム代はうちの主人が長年支援しておりま

    した。我が家も子供が三人になり家賃も高く、中断したところでした。


    実家は、かなり古く変に建て増しを繰り返していて、

    ここを車椅子仕様にリフォームするというのが難しい感じです。

    10年の恩返しのためにも、私たちが近くに戻って、

    中古の家でも購入してリフォームして、なども考えます。

    そのあたりに異動をお願いすることは一度きりでは可能ですが、

    2,3年で夫は転勤になります。

    単身赴任はしないと決めて10年間で7回も引っ越して来ました。

    夫と一緒の生活は大事にしたい気持ちがあります。

    ただ、夫の仕事は、実家から通勤できる場所にはありません。

    次男の仕事は地元で転勤はありません。


    今後、どうしていったらいいのでしょうか。

    やはり基本は長男の考え方でいったほうがいいのでしょうか。

    その場合、仕事を変わるということまで考えるべきなのでしょうか? 

    ゆくゆくは、お墓を継いで守っていくのはやはり我が家というふうに

    考えていったほうがよいのでしょうか。





    大変な事になりましたね。

    まず、大事な事、お伝えしなければならない点を書きます。


    ・まず、あなたの一家を守ること、これを一番大事になさって。

    ・単身赴任はさせない。その覚悟をあなたが持つことが大事ですよ。

     どこまでも、付いていってください!  あはは。

    ・御主人のお仕事は、止めないように。全うさせる事です。

     すべて、今のままを維持する事が第一です。

    ・当座は、実家で同居の二男さんへ任せるかたちがいいでしょう。

     信頼して任せる、二男さんの親との縁、運命の問題でもあります。


    ・家をどうするかは、

     二男さんからご相談があってからでも遅くはないはずです。

     実家は、義母上と二男さんの生活の場ですから、

     別の場へ引っ越すなど慣れない土地での生活は無理でしょう。

     一番、いいのは今ある家の一部を壊して、義父の寝室、水回りを

     バリアフリーにリフォームするのを地元の工務店へ相談なさって。

     とにかく、二男さんと義両親の生活の場を守る事です。

    ・兄弟で、誰が何を負担するのか?

     それぞれの運命もありますから、平等とはいかないのが普通です。

     直接面倒がみられない長男、三男が資金的な面倒を見て、

     二男さんの結婚が決まるまでは、直接面倒を見るのをお願いするとか、

     3人兄弟さんの話し合いの上で、ですね。

     そうすれば自然に、ご長男のあなたの御主人が頼られます。

     その応援をする事があなたの仕事ですよ。

     これは先の事ですが、二男さんが最後まで同居をしてくれたら、

     実家は、二男さんへ差し上げるとか、

     先々、施設へ義父を預ける事も選択肢、

     そう云う事も含めて、3兄弟で相談をしてもらう事が大事です。


    一番重要な事は、これは、

     父親を守り、母親の世話をする3兄弟の『孝』の問題です。
     



     三兄弟に立派に親孝行を成し遂げてもらうように見守りましょう。


    これが、『陰徳』です。

    あなたの家系の基礎を固める事になります。

    でも、決して無理はなさらないように!

    生真面目なあなたは、無理をしそうですね?   あはは。


    あなたが、御主人のご実家の事など、

    ありのままを正直にお書きなので、申し上げますね。


    財産もない家庭から、

    男系の新たな初代継承運のある男児が生れます。



    貴方の御主人のご実家、3兄弟、からですが、 

    命式を観ないと決められませんが、そう思います。



    例えば、現在の総理、野田さんは、一自衛官の息子です。

    父親も農家の6人兄弟の末っ子。

    母親も農家の11人兄弟の末っ子です。

    おそらく貧しかったであろうと思います。

    真実は、貧しさから芽生えます。


    野田さんは、松下政経塾に第1期生としての最終面接時に、

    松下幸之助塾長に笑顔で迎えてもらったそうですが、

    塾長の目は笑うどころか射抜くような怖い目つきで

    〈キミの身内に政治家はおるか?〉と尋ねられ、

    「まったくいません」と答えると、

    〈そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?〉

    「どちらかというと貧乏です。」と答えると、

    『なお、エエな』と松下幸之助氏に言われたそうです。


    いわゆる、貧乏育ちの方が我慢強い。忍耐ができるのですね。

    楽を求めない。苦労が当たり前なのです。


    貧乏と云う事は、男性の生産性がない、弱いと云う事ですから、

    『陰』の衰微と共に、『陽』も弱っている家系なのですね。


    弱い夫や父親の代わりに、妻や娘が働くと云う家系になります。

    これは、そうした方が経済的には、解決が早いようですが、

    家系としたら『陰』がますます衰微します。


    終には、絶家します。

    国も同じです。

    『陰徳』がなくなれば、形(現象)はなくなる。

    家が、家系が、国が、消えるのです。

    しかし、女性がしゃしゃり出ないまま、

    そのまま苦労の中を『陰徳』を積む事で貫き通すとすると、



    家系が、絶家の寸前で止まった段階で、

    何代か辛酸を舐めた後に、新たな初代男系が生れます。

    『天』・時の淘汰に耐えた姿です。



    御主人の家系もそうだったのではないか?



    周りよりも貧しく、それでも真面目に生きた家に、

    決して要領や嘘で生きなかった我慢強い家に、

    ご褒美としてこれから家系を盛り返す力を持った男児が生れて来ます。



    初代になる長男は決して楽な人生ではありませんが、

    さまざまな困難を逃げず、耐えて真面目に努力をし、乗り越えて行けば

    長く苦労に耐えた家系が、彼の代で勃興するのです。


    自分の病気を押してでも子供を産んだあなたは、ふさわしい妻です。

    絶家の家系を観るのは、辛さを感じずにはいられませんが、

    男系の出発の家系を観るのは、まさに、ご来光を見るようです。

    歓びがありますね。






    あなたの御主人が、復活男系の初代なら

    あなたの息子は2代になります。

    家系が大事なら、絶対に子供に贅沢をさせてはダメです。

    自分の五感の満足だけを求める人間になります。

    これは、『陰徳』を引き出して使うだけ、

    直ぐになくなってしまいます。

    ここが、要注意ですよ。



    1. 名與身孰親    名と身と孰(いず)れが親なのか?

    2. 身與貨孰多    身と貨と孰れが多(まさ)れるのか?


    身は、『陰』です。

    名や貨は、『陽』です。

    身よりも、名や貨を大事にして、

    それらが家系の宝になってしまえば、

    そこで、家系は女系へと移って行きます。

    男系は、貧しい方が良いのですよ。   あはは。


    国でも、まだ貧しい方が、ハングリーで国民が団結しますね。

    後進国の方が、未来があります。

    先進国は、女系の国に成り下がっているとも言えます。

    女系の家系が溢れている日本より、

    まだ中国や韓国の方が、ハングリー、

    男性が家族を養おうと一生懸命で、男系ですね。   

    日本の若い男性は、年増の女性と一緒になって食べさせてもらおうと?

    あはは。




    お墓の事は、また、記事にする事もあります。

    墓石屋が占師と組んで吉相墓と言って、

    一千万、二千万、とか吹っかける業者には騙されないように。  ほほ。


    占師もそれぞれの人間性です。

    何かと組むと云うのは、何にせよ半端ですわ。










    「 知足不辱、知止不殆 」 

    足るを知れば辱(はずかし)められず、止まるを知れば殆(あや)うからず




    恥をかかないで、危険にも遭わないで、永らえて行こうと思ったら、


    自分に丁度の処で、つつましく生きて行きなさい。

    中庸と云う生き方を求めて行きなさい。



    あれこれ世間(現象)を見聞きした自分の五感の満足を求めても、

    満足と云うのは、有り得ないのです。

    それよりも、

    周りの他者の満足を、おもんばかっていきなさい。

    そこに、あなたの価値観を置いていくように、

    と云う事なのですね。




    身体、命、を大切にして、

    名を惜しむ心、多く貯蔵する事、を避けていきなさい。

    満足の程度をどこに置くのか?

    それに合わせて自分の欲望を止める事を知っていきなさい。 




    環境に染められる五感の変化を自由にコントロールして、

    過去を振り向く意識に左右されないように、

    自分の意識にこそ囚われないように、

    それまでの経緯(いきさつ)、

    今までの前提をすべて消去して生きるように。



    老子は、そう言っているように思います。

    僭越ながら、私なりに解釈をしてみました。   あはは。


    昔の老子も、古くはないのですよ。

    何かのお役に立てられれば、、、幸いでございます。




    よき一週間をお過ごしくださいね。
































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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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