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10/09 15:16 |
《近代化の影 7.》 永遠の生命観の欠如 ② 現代の幼稚な時空観Category : 運命学と近代化
薄暗い照明の中で、携帯カメラをかざす人、何をする人ぞ? ![]() 10月2日、家系鑑定の訪問先、北九州、博多のK氏宅から東京駅に 新幹線で帰った日の夕刻の事です。 帰宅ラッシュで込み合う東京駅の構内です。 実は普通なら、そのまま駅舎の外には出ないで、 自宅方向の乗り換えへ行ってしまうのですが、 07年5月に開始された東京駅舎の5年間の復元工事が完成して、 10月1日に開業とテレビなどが、2,3日騒いでいた事もあって、 昨日の今日でしょう、 見てみよう! あはは。 心なしか、丸の内へ急ぐ人の波が出来ていました。 ![]() みなさま、やじうま? ヤジ馬根性、ここにもあり! あはは。 物珍しく新装になった駅構内を歩いて丸の内出口へ急ぎ、 出ようとした手前で、 出合った光景が、上の写真でした。 まあ! すばらしき野次馬の仲間たちよ! あはは。 わたくしも、同じく一枚! パチリ。 ![]() 撮ったら、なんだか ? ほほっ。 まあ、いいやいいや、 あはは。 レリーフには、方角を示す干支・えとや、豊臣秀吉の兜(かぶと)などの 飾りなどもあって、和を感じさせる装飾が施されているようです。 でも、葬祭セレモニーの会場の天井のような? 奇妙な? ほ。 あるかどうかも分からない天国風の無国籍空間? あはは。 振り返れば、東京駅が開業したのは、98年前の1914年(大正3年)12月。 日本が近代化をして、明治元年から46年経った時です。 駅舎の設計を担当したのは、 以前の記事で紹介をした事もある辰野金吾氏。(1854~1919) その駅舎は、1923年の関東大震災では、無傷でしたが、 終戦直前の1945年5月、米軍機の空襲でドーム屋根と3階が焼失します。 ![]() もうすでに、夜のとばりが下りた丸の内出口を外に出ると、 ほら、緑色の出口の処、 携帯カメラを天井に向けて手を挙げた人の影が、見えるでしょう? そう云えば、空襲の応急手当の工事では、3階部分が破壊されたまま、 今まで見慣れている東京駅の姿は八角形の屋根だったのですもの、 この外観では、なつかしいと云う気持ちにはなれません。 左右300mもある駅舎全体の姿を見ようとしても、 東京駅舎のすぐ傍まで迫っている超近代的な高層ビル群が邪魔をして、 もう精一杯、後ろに下がっても駅舎の端から端が、一望できない! 全体を観る展望が、都市計画の最初からないのですよ! まったく、この支離滅裂さ、 丸の内広場にも、たくさんの野次馬さんが、、、あはは。 ほ―――― っ。 東京駅開業の1914年は、第一次世界大戦の開戦の年です。 日本は、これからが正念場。 国内的には、経済の為には脱原発なんて非現実的と云う論調に加え、 対外的には、何よりも安保の同盟国のリーダーアメリカから、 脱原発をしないように止められた事は、あらたな事態です。 ここ100年単位の 日本の勢いや先に進んだ事などは、 永遠と云う時から見れば、実に取るに足らない事です。 今日の記事は、《近代化の影 7.》 永遠の生命観の欠如 ② 前回2012年 4月 15日の 《近代化の影 6.》 永遠の生命観の欠如 ① / 米国の研究から はや、半年が経ってしまいました! この続きの記事になります。 もう、お忘れでしょうが、その記事の中で次のように書きました。 東洋的である。 その事が、日本においては特殊であると認識をするーーー 今の日本の、不可思議なる現実です...。 そこまで、私達の足元が無くなっている。 どうしても、ブログの中の主張の軸足が、 今の社会の一般的な価値観=西洋合理主義による近代化以降の 考え方と本質的に違います、、、。 これは、やっかいな事なのですよ。 あは。 今の社会のゴミのような雑多な意識のホコリを押し分けて、 東洋の地面が出るまで掘り下げねばなりません。 しかも、 そのゴミだと認識する概念に、多くの日本人はすがっている!! 心地いいものを感じたくて五感でさすらっているのですね!! 心地よくない対象は間違いだって云う認識すらあるでしょう。 心地よい快感が得られる現象を求める、追いかける。 あらゆる『陽』の全盛です。 ツイッターやネット上は、今も、今、今、今の意識が溢れています。 これだけの意識に囲まれながら、 永遠が取り出せない、 ない。 もっと、この傾向は強まって行くでしょうね。 目の前の苦を避け、不便を厭い、イヤな事を遺棄する。 そして、楽だけで、この世を過ごしたいと思っているみたい。 まさに、観念の中にしかない天国の追及です。 前頭葉の中、意識が楽だと認識をする天国の追及です。 なぜなら、西洋文明には、無常観はありません。 この世を無常だと認識する客観的立ち位置(常住観)がない。 キリスト教哲学には、完全な永遠と云う時観がないのです。 日本人も、こう云うタイプの人間が増えて来ましたね。 刹那、刹那に、五感の楽を味わって、無常観などどこ吹く風です。 快感が正義で、傷つける事や差別が悪になっていますね。 本当の正義が分からなくなっています。 永遠の時 = 常住(じょうじゅう)から見れば、 『陽』すなわちこの世、現象界は、必ず壊れ、無常をさらします。 それはすなわち、 この世『陽』がもたらす「楽」の裏には「苦」が張り付いていると云う事です。 現象の本質は、多様性です。 その多様性には、苦楽共が含まれます。 苦の後ろが楽、苦の無い楽などあり得ないのです。 その事が西洋文明であるキリスト教哲学には説かれていない。 苦は、試練としては説かれていますね。 キリスト教史学者であるバード・アーマンは、 その著書『破綻した神キリスト』(柏書房 松田和也訳)において、 原題 「God's Problem--How the Bible fails to answer our most important question=why we suffer」 現代人に納得ゆくようには、聖書はこの苦の問題に答え切れていない。 と言っています。 なぜ、キリスト教は、苦の問題に答えきれないのか? 永遠の完全な『時』が提示されていないからです。 『苦』の真の解決は、永遠の『時』があってこそ可能なのです。 『時』も『苦』も半端な哲学が、現代文明の特徴です。 我々日本人は、東洋でありながら、 東洋の叡智である常住観(永遠の時)の立場を捨てて、 永遠の時からしか眺められない無常観の景色も知らない西洋の キリスト教的教理の時空観の中へ捕えられているのですよ! おわかりですか? 要は、キリスト教の方には申し訳ないのですが、 東洋の叡智、仏教の方が時空観においては、数段優れている。 問題にならない位、話にならない位に勝れているのです。 と、云うことは、 我々は、大学の数学を捨てて小学生の算数の世界へ落ちた! あはは。 例えて言えば、そう云う事なのです。 そもそもが、わが国が近代化をしようとした時、 取り入れる西洋的思想が、 どう云う死生観をもつ思想なのか? 人間と自然をどう、枠に入れる思想なのか? それすら確かめもしないで、いそいそと西洋化した我が国。 我が国の、政治家と知識人の愚かさです。 今までの記事で、 私達の住まう時空観は、 キリスト教哲学を根底にする近代合理主義の下だと、 我々は、西洋的自然観の中に在る。と書いてきました。 西洋では、人間や自然は神が創ったモノ。 近代合理主義を受け入れた日本においても、 我々は、東洋的自然観を失い、好むと好まざるとに係らず、 このキリスト教宇宙観の『空間』の中に生きています。 『時』も、そうです。 現、キリスト教文明の申し子である近代合理主義の『時』は、 意識が捉えられる範囲の『時』です。 過去の思い出から現在に至るだけの『時』ですね。 つまり記憶力と想像力のタマモノが、西洋の観念的な『時』です。 なぜなら、未来は目の前にない。 現象化していないものは、 我々の五感で、意識では捉えられませんから、 未来への想像力、実感が湧いて来ないのですね。 その証拠は、今の現代の地球的行き詰りを見れば分かるはずです。 近代化以降のキリスト教時空観、 近代合理主義の政治や経済や学問で、この世を大系化し、 それを生きる事によって 我々は、どう云う世界を現出してしまったのか? 地球を席巻するキリスト教西洋文明の影響により、 自然を、人間とはかけ離れた存在、コントロールする対象にしました。 意識が作り上げたあらゆる『陽』の成果を以って、 自然をコントロールする機械文明を最優先するという立場です。 ある意味、道具を開発した人類の延長上です。 その結果が、 生産力の増強、所得水準の向上、 『陽』の現象のみを追求するようになって来ました。 成長と云えば、何かが多くなって増える事ばかりなのですね、 これが、増え続けるとどうなるのかと云う苦を受け入れる素地がない。 意識は、解決できないモノを無視する癖がありました! イヤなモノは見ないのです。 これが、福島の原発事故の本当の原因でした。 ・原爆や水爆を、どこかの国が使用すると地球はどうなるのか? ・このままCO2を出し続ければ、地球がどうなって行くのか? ・先進国が当たり前に使っているトイレットペーパーを、 中国やアフリカや未開な奥地の部族までが使いだすと、 紙を作るパルプの為に地球上の森は、何年で無くなるのか? 実は、この事を中国人の知人に言った事があるのです。 あなたの国の13億の人が皆、トイレットペーパーを使うようになると、 地球は砂漠になるけど、これはどうしたらいいだろうか?って。 そうしたら、人種差別でしょう? って、 あはは。 ・インターネットの発達のお陰で、世界中の人が皆、東京やニューヨークの 生活を知って憧れて、同じようにすると地球上の水はどうなるのか? これは、人種差別ではありませんよ。 皆がそうなりたいと思う事が、 夢や欲望を実現させる努力が、 地球自体を、非常に危険な状態に陥れる事に直結するのです。 と云うか、人類が総絶滅の危機に陥ってしまう。 西洋流の経済発展が成功だなんて!??? もう、止めるべきです。 ―――――― こんな事やっていて、 伝統を残しながら部分的に近代化をしていくブータンの方が、 やっぱり1000年先まで生き残るのではないだろうか? ―――――― これは、すなわちキリスト教理の偏り、癖、未熟な哲学が生んだ 苦を直視しない意識文明。 西洋機械文明、物質文明の限界点なのです。 東洋には、「中庸」と云う、 自然と調和する為に、人間の欲望を後ろへ引く平衡感覚があります。 そして、その平衡感覚こそが = 道徳です。 これが、これからの生活レベルの道徳ではないか? 実は、この道徳と云うその奥に、ふたつの扉があるのね。 ひとつは、”因果応報”の扉。 もうひとつは、”永遠のいのち”の扉なのです。 この二つは、『時空』にわたる永遠性の別名です。 このふたつの扉の後ろには、またひとつの扉があります。 それには、今、触れる余裕はありませんので、省きます。 『時空』にわたる永遠性の別名、”因果応報”と”永遠のいのち” この、もともとの東洋的な叡智を失念、捨て去って来た事が、 現代文明の病につながっているのですよ。 また、詳しくは、機会を見て、、、ほほっ。 最後まで長い記事をお読みいただいて、感謝でございます。 よき一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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10/16 14:43 |
★姓名判断 緊急! 『陰』を無視した名前は付けてはいけません。 (1)Category : 運命学
月の光を浴びて... ![]() 今まで、少し難しい哲学の記事が続いたものですから、 今回は、運命鑑定日記のカテゴリーで記事を書くつもりでいました。 それが、ここ一週間の事件やニュース記事で、 子供の虐待記事の多い事に背筋の寒くなる思いをしています。 ああ、やっぱりこうなるのだな、、、と心が重くふさがる節があるのです。 被害者の子供たちの名前です。 あまり、ブログ上で、”ああしたらいけない”などと 読者の方の行動を束縛するような観念は、書きたくはないものですから、 今まで文字にせずにおりました。 (私の無意識界に留め置いたままでした。) 書いてしまいましょう! ほほ。 (意識界へ出す = 言葉として表す。) 誤解をはばからずに言うには、決断と勇気が要りました! こんな名前を子供に付けてはいけません...! 最近の例では、 千葉県柏市で、母親に餓死させられた ![]() 神奈川県葉山で、母親が女児二人を刺した事件の ![]() ![]() 広島県府中町の、母親に虐待されて死亡した ![]() 2010年、大阪市の幼児2人が置き去りにされ死亡した事件。 ![]() ![]() 2010年、大阪市の母親と内縁の夫に遺棄されてベランダで衰弱死した ![]() ごめんなさい! ここまで、書いて来てお名前を見ただけで泣けてきそうです。 他にも事件で目に触れる名前はいろいろあったのですが、 これらは、たまたまメモ等で取り置いてあったものです。 ![]() 折角生まれて出た今世で、越えられない苦を負ったでしょうが、 あなたたちは、幼くして自分の運命を果たされたのです。 この世は、現象界です。 絶対界ではありません。 現象界の意識は、どのような心であろうとはかないものです。 次、ふたたび現象界へ生じる時には、 かならず幸多かれな因縁に恵まれるように 強くご冥福をお祈り致します。 すべてを許し、 どうかやすらかに... この子たちの生年月日は公開されていませんから、 命式を立てるのは無理です。 その両親、その祖父母たちの生年月日、名前も分からないので、 家系自体の運命を論じる事はできません。 間違いないのは、絶家に向う家系であったはずです。 そして、身近に良質の大人が一人もいなかった。 が、名は体を表す。 と言います。 命式が意図する運命と、姓名の暗示する運命は同じです。 私達は、自分の運命を名札に付けて歩いているのですよ。 ニュース記事に出ている子供たちの名前に、 我々が臨んでいるこの現代と云う問題点が滲み出ていると思います。 今日は、 ★姓名判断 緊急! 『陰』を無視した名前は付けてはいけません。 私も運命学の仕事をしていますので、 赤ちゃんの命名に関わらせて頂く機会は多いのですが、 これは、本当に責任重大な内容を含んでいます。 お生まれになった赤ちゃんの良き縁になれればと願いながら、 なかなか依頼主の祖父母の思い通りに、良い名前が付く事は稀です。 なぜなら、 若い両親になるべき夫婦は、世間知も深謀遠慮の知も知らず、 自分の意識(心)の満足する名前を付けようとします。 もう、まさに『陽』の行為です。 今の時代の自由と権利の御旗の下で育ったおかげで、 個人の嗜好(好き嫌い)を優先させる若い世代の今の風俗に流された、 今様な名前が命名される事が多いからです。 これで、陰徳が反映される訳がありません! 両親がどんな人間か、それが匂って来るような名前です。 自己愛に溢れた名前からニオイ立つものは? エゴイズムの臭気でしょうか、、、、、、 現代では、 命名さえ無意識を無視する、自分の五感を中心にした業になります。 ひたむきな家族の祈りが感じられる名前は少なくなりました! こうする事が、すべて悪いと云う訳ではありません。 家系、ご家族、ご夫婦の運の良い場合は、 結果的に、よい名が付く事もあります。 名付け親の運次第と云う処でしょうか、、、 多くの場合、凶運が強調された名前が付けられてしまいます。 それらは、すべて命式に表われる運命と、 その行運(宇宙の運行)で確認する事ができます。 行運 : 日々刻々、月々年々、『時』に応じて変化する運です。 生れた瞬間までは、先天運と言います。 どうする事も出来ない決定的要素が織りなす運です。 科学の云う処のどのようなDNA(遺伝子)を持って生まれて来たのか? まず、男か女か? どのような国に、家系に、家族に、 どのような良質の大人に囲まれて生まれて来たのか? 手相、顔相、耳相、鼻相、足相などなど、、、です。 これから以降は後天運になります。 後天運(生まれた後に本人の努力、陰徳で、変化する運です。) どう云う名を付けるのか? これが、一番大事です。 どんな地方、地域で育つのか? どんな家相の家に住むのか? 印相、墓相、、、 これらは、変化をさせる事ができます。 これを逆手に取って、商売に利用する御仁もいらっしゃる訳です。 非常識な金額の悪徳商法には、乗られないように! あはは。 後天運の最初の選択が命名になります。 我々は、命名によって、ある運を確定する事になるのですね! それに関しては、2010年 9月 10日の ★姓名判断 命名から見る自前の文化を失う姿 運命の不可思議さ に、書いてありますように、現実は実に悩ましい状態です。 その記事を、引用します。 この色の文字の部分が引用です。 今回の新たな記事を挟んで行きます。 若いご夫婦が、初めての赤ちゃん誕生で、 命名の時に誰もが抱く喜び、期待、ワクワクした心で、 その気持ちを込めて、どんな子になるように、どんな名前をつけよう! と、それぞれの知恵を持ち寄って悩んで約、14日間。 いろいろ工夫をされるのですが、結論から言いますと、 その子の運命命式に沿ったぴったりの名前が結果的に付いていきます。 分かりやすく言いますと、 生まれ出た一人の人間の運命にふさわしい名札、看板です。 名は体を表す。とは、まったくその通りです。 あらゆる角度から、その運命の中身をすべて表しているものです。 誕生生年月日時から鑑定をした命式の運命と、 名付けられた名前の姓名判断の運命は、 本質的には同じものです。 この世にあるものは、偶然もなければ、一切の無駄もありません。 すべてがなるべくしてなった、因と縁により、果を結んだ姿です。 ある意味、非常に美しい条理にかなった方程式の解です。。 生れた子の運命が呼び寄せたような、ぴったりの名前になります。 具体例を出しましょうか? 運命学の教室で、命式を鑑定できるようになった生徒さんへ 姓名鑑定を教えます。まず、自分の名前を教材にします。 すると、「これ、私の命式とまったく同じですね!」という反応が出ます。 そして、次は自分の家族全員の名前を並べて書いて、 それぞれ姓名鑑定をするように言います。 そうすると、、、 これは、父が、主人が付けたと言いながら鑑定をしていますが、 また、驚きが出てきます。 家族の姓名鑑定から、家族の運命の癖、傾向というものが一致してい るのが分かるのです。 「 気持ちがわる~い!」 「不思議~!」 なにか意識では説明の付かない世界を覗き見るような気持ちになります。 自分の命式に表われる運命と、 名前が示す運命と云うものが、我々の内外に漏れなく、 精密に張り巡らされた目に見えない網でからんでいるのが実感されます。 それまで、遊び心でお勉強に来ていた人が、真面目になって行き、 我々の意識する心で捉えられない存在を感じて、 非常に、おごそかな真剣な気持ちになられます。 なにかがある!?? これが、無意識と云う領域を察知し出す出発点ですね。 一般に、姓名判断として普通に広まっているのは、 1、漢字の画数から来る数の霊意です。 これは、初めて親になる若いご夫婦が、 自分たちだけで子供の名前を付けようと、 簡単な命名の本などを買って来て二人で楽しみながら名前を考える時に、 一番の気にする項目です。 画数というのが分かりやすいのですね。 また、最近は、初心者用にも、 2、陰陽の配列なども載せている本が出ています。 --------- 引 用 中 略 ---------- 今の人が、どんな名前を好むかというと、 深慮遠謀したもの、そうでないもの、そのどちらをとっても、 ディズニーランドのアトラクションのように、パーとはっきりと、 字を見て、絵のように形や意味が分かる名前を付ける傾向です。 さすが、ヴィジュアル時代の申し子世代なのでしょうが、 今までの使われて来た漢字の意味は捨てる。 使われてきた意味をそのまま使うのは、 古いと思っている感覚的な嗜好が強いようです。 具体的には、誠、義、正、豊、覚、恵、厚、などは古いと受け止め、 その代わり、心、愛、などという字は使いたがりますね! 誠、義、正、豊、覚、恵、厚と云う漢字は、 複雑な精神的経験がなければ使えないのと、 そういった複雑な精神的経験に価値を置かない現代の世相、 マスコミ?の影響もあるのでしょう。 美愛、愛華、あま~い砂糖菓子のような名前! を父親の側も付けたいようです。 これって、なんなのでしょう? パラダイス、バラエティ嗜好でしょうか? あるいは、漢字を、英語音を表現する記号としてだけ使う。 漢字の意味は捨ててしまいたいようです。 そうですから、自然と、従来の漢字の意味が、 欠落して来ているように思います。 この事自体が、非常に憂慮しなければいけない事態です。 先人からの知恵を積み上げたものが漢字の意味です。 文字の中には、言葉で言い尽くせない意味、―---これは『陰』です。 長い時をかけて先人たちが命を込めて来た漢字の力がある。 それらを無視する。 そして、読みと云う音表記として使う。 ----これは『陽』です。 言霊(ことだま)と言われるもの、 それを無視する。 ―――『陰』の無視です。 因果応報の理論から言えば、 『陰』を無視した業は、 次は、『陰』から自分が無視される番です。 残念なのは、運命学的に見れば、 名前に対しての嗜好、あんな名前がいい、こんなのはイヤだ、 それぞれの都合が出て来た時、すべては振り出しに戻ります。 おわかりになりますか? 赤ちゃんに良い名を? じゃなくて、 大人たちが好きな満足する好い名、、、が目標になるのですよ。 お分りになりますか? ステージが変化しているのです。 自分の五感が満足する名前が、= 良い名前になっているのです。 結局は、親の自己実現・自分の追及・自己陶酔です。 そうして、 名付け人の運命が、そのまま乗り移る名前になります。 もう、この時点で赤ちゃんに良い名を付けるのは、不可能になります。 あとは、こういう名前を付けたいと思っている人の満足を追求する事が 目的になっていきます。 吉運名を付けるという目的からずれてしまうのです。 吉運命をつける目的が、両親が満足する名前探しになるのですね。 これに案外、気が付かれない、、、、 若夫婦が自分の好みを入れて満足する為に、 使いたい漢字や、好みの音を選んで命名するという流れになります。 ここで、私は関与を避けます。 この流れの中では、私が、何かを言う事によって、 若い両親の自己実現の邪魔になります。 運命的に良い名を付けると云うステージは、終った訳です。 ある意味、両親の満足を邪魔立てしたくはありませんし、 子供の名づけを借りて、 自分たちの自己満足を追求する因果に加わろうとは思わないからです。 命名と云うのは、 夫が指輪を買ってくれると云う奥様に、好みをお聞きして 似合う指輪を捜してあげるようなアドバイスとは、まったく違うのです。 これは、マイホームの設計を依頼された建築家が、 クライアントにいい家の本質を理解されない場合に似ていますね。 あはは。 自分たちの好みを犠牲にしても、 赤ちゃんの為に良い名をと云う祈り = 『陰』ではなく、 大人の欲を実現すると云う、意識の満足コースになるのですね。『陽』 なるべく吉名になるようにその条件を伝授し、 できるだけの協力は致しますが、 ご両親へ条件6~8(前記事を参照)を理解していただく事は、 その辺は、きびしい物があります。 両親が満足して付けたいと思う名前が、凶運名ならどうするか? たぶんにその可能性120%です! あはは。 その結果、つく名前は、先ほど申し上げたように、 先祖の癖のある運を受け継ぐ、自分のカルマから這い出せない、 誕生命式の運命そのままを持った名前が付いてしまうのです。 これも、ある意味、自然の力なのです。 運命のエネルギーの力ですね。 生まれた子の運命が、どうしてもその運命にふさわしい名前を望む。 そうとしか思えない体験を、何度も見聞きしています。 生まれた赤ちゃんは、無力どころではなくて、 運力は大人より強いのです。 赤ちゃんの運命が、この世に現象化を起すのです。 運命を良い方へ導く名前を付けたいという意識だけでは、 如何ともしがたい、新生児の持つ強い運力を感じる時です。 生まれた赤ちゃんに良い名を付けたいと思っても、 それに関与する両親などが、 自己の好みや満足を追求する程、凶運の方向へ運気を強めてしまう。 そう、 原動力は、あくまでも私欲、欲望ですから、、、 私欲を強く持てば持つほど、 なにもしなかった方が、よかった。 そうなります。 今の日本には、特に若い世代は、 非常に、人間のエネルギーの枠が狭まって、 恋愛も結婚も出産も育児も老後さえも、個人的事柄になっています。 自分の為、自分が所有する為に、自分の心と云う意識の満足の為に、 と云うのが当世の人間気質ですね。 ほほっ。 欧米は、なんだかんだ言ってもキリスト教の理念に基づく社会観、 コスミック教育に根ざした社会教育という基盤があります。 外国における人の名前は、 近代化を受け入れた日本のようには、変化をしていないと思います。 欧米は、日本が近代化で受けた変化がありません。 元々が、キリスト教思想ですから立っている大地は同じなのです。 特に、先祖代々から受け継いで来た命名の仕方が変わる! その使用する文字が変わる! そう云う変化を受けていないのですね。 例えば、 エジプトのクレオパトラ、女王の名前ですが、 あれは、ギリシヤ人の女性の名前です。 プトレマイオス朝は、ギリシヤ人がエジプトで開いた王朝なのですが、 現代でも、ギリシヤのある地方へ行くと、 クレオパトラと云う女性が、赤ちゃんからおばあちゃんまで居るそうです。 それに引き比べ、 日本人の名は、流行にさすらい、風俗化していますね! あはは。 ”歌は世に連れ、世は歌に連れ”という言葉がありますが、 娯楽や嗜好は仕方がないにしても、 命の根幹、生きる基軸までが世に連れ、 世はすべてに連られてしまって揺らぐ日本は、 つくづく哀れ、 日本人はかわいそうだなぁ~ と思います。 日本は馬鹿正直ですから、近代化をそのまま受け入れ、 個人でしか生きられなくなっている傾向が社会で強くなっていますね。 それで、当然の如くに、 今は、自分の幸せが人生の最大目的で、親もそう育てて行きます。 だから、 深く文化を伝えるという事などに、及びもつかないのだろうと思います。 赤ちゃんの名前を決めるという一大事において誰にも相談をしない。 若い夫婦が、風俗として行うようになっています。 風俗と云えば、ほら! あれと同じだわ。 パチンコ。 あはは。 同じ程度で名づけをやってしまうのですね! その自分の姿に気が付けない。 規範がないから。 基軸がないから。 昔からの道徳が廃れているからです。 政治や経済もその程度ですから、、、ね。 あはは。 命名を、 命の継承者と文化のつながりと言う事から考えれば、 もう、そのつながりは途絶えているのが多い。 若い世代が、もう、自分の命が継承された川上を見ていない。 もう、陰徳がない人が増えて行っている! そして自助自律が出来なくなっているのですね! これらの、抜け落ちていった間を、政治が制度で、 社会保障で埋めようとしています。 埋められるのでしょうか? それは、無理であるという 一つの証明が、 次々と出て来る、現実離れした子供の名前。 漢字の意味を無視した名付け。 これは、何千年の時の遺産を文化を無視した行為です。 目には見えないけれど、伝えたいものが秘められている文字。 それらが全く伝わっていない名前が、その証拠でしょう。 まさか、先人の祈りや徳が、 無意識があるとは思ってもいない所作、業です。 名前自体が実体のない空虚なイメージを放っている。 その子の名前に会った時に、名付け親の願いが伝わって来ない名前。 何を意図したのかが、さっぱり人の心に伝わらないのです。 私達の心の中から、タネのような物が抜けて来ている。。 。 こう言う名前は、 大事な我が子には付けてはいけない名前です。 個と個のほころびを、政治でなんとかしようとする!?!?? その政治は、経済の番頭をしていると云うのに??!?? そもそも、社会とは何ですか? 孤人、孤人となった、人の集合を社会というのですか? 同じ文化を持つ人間が集まって、 初めて社会の一体感は醸成されるのです。 文化も道徳も持たない人間が集まって、 どういう風に社会を営むのでしょうか? 支えは、介護、育児、医療、それらを買うお金ですか? 生活保護、年金、奨学金の返済、社会を弱くした分、大変ですね~ 権力者は、萎えた国民に、 親や、子や、身内の代わりになり、隣人や、友人や、知人の 代わりになる人を雇えるお金を支給するのですか? 個人主義では、もうこの先へ進めない局面に、出ます。 ある崖っぷちに出ます。 今、明らかに社会にある流れは、 東洋的な思考は、古い。 合理的じゃない。 東洋を排除する事が、知的であると認知される世間です。 約100年前から、 それはゴミのように扱われ捨てられて来たのですから、、、 まるで、保護者から遺棄されて、ベランダに寝かされた、 凍えて餓死させられた子供の様に、 東洋の叡智は、日本人に扱われて来ました! それで、今度は、我々が、あぶないのでは ? 捨てられた東洋の叡智と、 っざたい!と嫌われた我々の漢字の意味と、 先人の血や涙が込められた文字の意味を、 拾い集め、再び自分の血肉とし、骨の髄として肉化し、 今、世の表層に流動する、あふれこぼれる西洋化した思考の断片を 批判し、選別する物差しを持たなければ、 今度は、私達が、危ないのですよ ! 持ち堪えられないのではないかとさえ、感じています。 あまり言いたくないのですが、 男をさげすんで、自分の経済力に頼る、できる女に なれる赤ちゃんが、 今、女の赤ちゃんがたくさん生まれて来ています。 家庭運も、配偶者運も、子供運も弱い、しかし財運に恵まれた、 孤独に強い美女です。 どうしましょう? ? いま、保護者から遺棄され、 虐待され、餓死させられる子供たちが沢山生れています。 どうしましょう? もう、人の心に響かない名前を付けてはいけません。 言葉が指し示す日本民族の血が通った『陰徳』を引き出す漢字の意味を、 無視してはいけません。 捨ててはいけません! 一目、その文字を見れば、 その子の名付け親の厚い陰徳が伝わって来て、 誰もが、その子を抱きしめて大事にしたくなるような名前を その子の命のお守りになる良き名前を、 付けてあげてほしいと切望します。 子供の名前を、両親の見栄や飾りで付けてはいけません。 よろしくお願いしますね。 命名について、 禁止観念が、たくさん出て来ましたけれど、 よくよく、ご理解いただきますように、 何らかの道しるべとして、 みなさまがお役立てくだされば、幸甚でございます。 長い記事を最後までお読みいただきまして感謝です。 よき一週間をお過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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運命鑑定日記 6 . 《母性を喪失した家族の癖》 西洋父権社会の本質Category : 運命鑑定日記
夏の思い出 (忍野八海・おしのはっかい) ![]() 強い日差し、8月の暑い日、 忍野八海で会った カエル君! 「 ねぇ、ぼくが、だれだか知ってるのかい? 」 携帯のレンズと睨み合って... カメラ目線でしたよ! もう、キミは冬眠してしまったのかしら? 来年の夏、また会えたらいいね! あはは。 ![]() 忍野八海は国の天然記念物、山梨県忍野村にある湧泉群。 富士山の雪解け水が80年の歳月をかけ濾過し、湧水となって八つの湧水池 から成っています。 山中湖からは、車で15分の処です。 今日の記事は、 2011年 12月 25日 以来の運命鑑定日記です。 運命鑑定日記 5 .《母性を喪失した家族の癖》 西洋父権社会の本質 冒頭から、 また、むずかしい事を書いてしまいます。。 。 命の源の『陰』を無視する癖を身に付けて、 『陽』の現象界に右往左往する『人』の営みは、命の源の破壊です。 難しいと思われたら、スルーしてくださいね。 あはは。 ヒント、『陰』を母性。 『陽』を父性。 と読んでいただければ、 命の源の『母性』を無視する癖を身に付けて、 『父性』の現象界に右往左往する『人』の営みは、命の源の破壊です。 いかがでしょう? ちょっと前置きが長くなりそうですが、我慢をしてお読みくださいね。 今の日本の現状が掴みやすくなるはずです。 ★1. 日本を含む東アジアは、もともと母権社会の国柄です。 ★2. キリスト教思想を根底にした欧米は、もともと父権社会です。 現代の日本社会を理解する為に、 ★2.の西洋父権社会の本質について書いてみましょう。 まず、キリスト教自体の神は、「父」と呼称される天地の創造主で、 その息子なる神イエス・キリストは、 父・天地の創造主の独り子として万物に先立って生まれたと云う設定で 父子の関係性=父から息子へと云う縦軸が教理の骨格です。 だからと云うか、母性、母の影は薄いですね~。 えっ? 聖母マリアがいるではないか って? あはは。 キリスト教の父権主義を理解するには、 母権をどう扱っているのか? 聖母マリアを研究する事ですわ! 彼女には、女性としての完全なる母性が与えられていません。 処女のままキリストを産んだ事になっていますから、、、 我々人間の女に連なる同じ足元が、ない のです! その頃、IPS細胞で精子を人工的に作る技術があったのか? あはは。 冗談はさておいて... マリアは女と云う単性で、子供を妊娠したと云うのですから... まるで、シュタイナーのアカシャ年代記より の記述のようです。 人類のそれも半数を占める女性の模範として 崇める神性の女として母性としての姿形でなければならない聖母マリアが、 わざわざ、どうしてそうなのか? ? ? ? これは、『陰』の本体を踏まえる東洋的な観点から観ると納得できません。 まさか、生物としての生命体では有り得ないし、 もしか、それは、神性の属性だから単性で生命創造ができると云うのなら、 尚更、殊更、処女懐胎と云う表現をする事もないのです。 処女と云うのは、俗世間の処女ではない女に対比した言い方です。 俗に比して聖なる価値観を与えたいから、わざとそうしたのか? しかし、聖母マリアが、真の神性の属性の女性なら、 ことさら、処女か処女でないかを断る必要はないのです。 敢えて言うなら、 処女のまま懐胎したとする母性を、 東洋の『陰』の立場から見れば、母性としては『偽』、未完です。 なぜ、キリスト教理はマリアの母性を未完のままにしたのか? なぜだかわかりますか? このキリスト教の教理の骨子の中から見えて来るのは、 要は、キリスト教が成立した時代、その社会では、 父性に比べて、母性は最重要ではなかったと云う事です。 マリアの女性としての人格、母性を描いて見せる必要がなかった。。 女性として一人前の相貌(そうみょう)を与える必要がなかったのです。 つまり、それでも信徒を納得させる事ができたからです。 煎ずれば、西洋の社会は、無意識に到達していなかった。 『陰』の存在を知らない社会だったのです。 実は、今の『陰』を捨てた日本社会と同じかも知れません。 『陰』と云う本質を知らないからこそ母性を飾って見せる必要があった。 飾る、と云う所業は、『陽』意識の為せる業(わざ)です。 『偽』に通じます。 『陰』の本体そのものであれば、飾る必要はないのです。 真の『陰』を知らないが故に、マリアを処女と言い、飾ったのです。 マリアは、処女と讃え飾られた! キリスト教のこの部分は、非常に俗っぽいですね。 だから、世界中の大衆に受けやすいのかも知れません。 あはは。 あからさまに言えば、西欧の根底に流れる思潮の骨格は、 この世は、父子で治まる。父権を頂点とする主義です。 東洋学、運命学の『陰』に支えられた男系とは違います。 もうひとつ、 父子と云う父から息子へと云う継承軸を、この世界の中心線にすれば、 父にとっては、息子がどの女から産まれようと構わないのです。 誰が産もうと、自分の息子には違いないのですから、、、 母親の顔は、誰だっていいのです。 これは、権力者にとっての後継ぎの考え方です。 底流に母権が存在する日本でもそうでした。 これを強烈に、神の存在までに取り入れているのがキリスト教です。 キリスト教社会とは、父性の権力を頂点にした構造の社会です。 『陽』のヒエラルキーの最高頂点が、最高権力者です。 それを維持、守る為の手段が学問であり、知識、制度、法律です。 その構造体こそが、キリスト教父権社会そのものなのです。 その中に東洋の『陰』に匹敵する母性は、見当たりません。 その事から、当然ですが、 そう云う原意を含むキリスト教思想を母体とする近代合理主義を 取り入れた日本は、技術や学問を取り入れただけのつもりが、 実は、我が国の社会の底流にある母権社会の母性を暗に否定をして、 必然的に、キリスト教父権社会そのものへ移行をし始めたのです。 国全体、為政者や国民に、その自覚が、ある、なしに係わらずに、 このキリスト教的父権社会の構造が、近代化と共に日本にも具現しています。 その中に東洋の『陰』に匹敵する母性は、見当たりません。 もう、おわかりですね! 今、恐れるのは、 『陰』母権の世界であるべき家族や家庭の世界へ、 このキリスト教父権社会の論理性が、侵入して来てしまった事です。 現象界の狩猟民族の狩りの勝ち負け、闘争本能をむき出しにして 家庭を、効率や競争の現場と化し、 その罪悪に目覚める気配も失くしています。 もう一つは、 父権社会の権威『陽』である制度や法律、学問の力が強まれば、 『陰』を守るべき女性が、これらを身に付けて『陽』の現場へ赴きます。 それは、女性本来の母性の軽視、『陰』の衰退を加速します。 『陰』の衰退が加速すれば、母性『陰』が力を失い、 それに支えられている父性『陽』が衰える。 日本の国柄の『陰陽』のバランスが壊れ、 社会の中の母権が駆逐、抹殺され、社会の中の母性が危機にさらされます。 近代化された日本の現状と云うのは、 西洋の父権力によって、日本の母権力が打ちのめされている状態です。 おおざっぱに言いますと、そう云う構図、時軸に当てはまると思います。 元々が、母権社会であった日本で、 明治維新からの日本の女性解放運動や、戦後の男女平等思想は、 的外れな部分があったのではないか? と云う所まで、実は掘り起さなければならない話なのですが、 今日は、それらには触れる余裕はありません。 今日のポイントは、次の点です。 社会が、その母権の柱を破壊され、 個々の女性がその母性を衰弱させてしまったら、 その社会、家族、家系から母性が失われて行きます。 そうなったら、 家系や家族は、社会は、国は、一体どうなるのでしょうか? 我々日本の社会は、どう云う弊害の現象が、現れて来るのでしょうか? ちょうどこの記事を取り上げようと思っていた頃、 2012年10月17日(水)放送のNHKクローズアップ現代で、 女性が日本を救う? と題して、 IMF(国際通貨基金)トップのラガルド専務理事と、 そして経済同友会の長谷川代表幹事らが出演していました。 日本の経済を立て直すには「女性をもっと活躍させるべきだ」という 今月発表されるIMFの緊急リポートの内容について 視聴者がメールやツィッターで参加をすると云う番組を、 ご覧になっていた方も多いと思います。 日本は、先進国でも突出して女性が活躍しにくい国で、 これからは、女性が家庭と仕事を両立しながら能力を発揮する事で、 人口減の世の中の労働力の減少を補うだけでなく、 新たなイノベーションを生み出す事ができると云う内容でした。 まぁ、耳触りのいい表現をしていましたが、 要は、働かない年寄りが増えて、国の税収が落ち込む分、 女性が働けば、納税者が増えると云う訳ですね! あはは。 将来、税収に、女性は期待をされていますわよ! ほほっ。 たしかに、一利はある。(経済的現象における利益はある。) でも、その現象を追いかけた後は、どうなるのだろうか? 誰も、この疑問を持たず、その先まで考えようとは、思っていないようでした。 番組中で参加をしていた視聴者のツイッターやメールは、 「女性をもっと活躍させるべきだ」という内容に賛同をして、 すぐさま、女が働くのに不都合な日本の保育施設や夫の無理解や、 職場の就業規則の低さに批判が集中していました。 どこから? 女性が日本を救う? な~んて? 毎度おなじみ! 『陽』の現象界の、いつ色褪せるとも知れないロジックです。 ―――― ある意味、最終の女狩りが始まったのです。 ほっー では、やっと、本記事でございます! 前回から記事にするつもりだったRさんのご相談の内容の中には、 西洋キリスト教父権社会の価値観が日本の家族の中へ入り込み、 家庭をグッザグッザに切り裂いているのが見れます。 ご相談の中身は、Rさんの三人姉妹、長姉RRさんについてです。 Rさんのお話をなるべく細かに書いていきます。 私は、三人姉妹の一番下で、その下に弟が一人います。 弟は、私達姉を頼っていて何もしようとはしません。 長姉RRは、面倒見のいい活動的なやさしい姉です。 若い頃から自分の夢を追いかけて東京の大学へ入り頑張っていました。 学資も、自分で働いて用意をした人で、親思いです。 結婚をした相手とは直ぐに離婚をして、娘を二人を一人で育て、 二人とも嫁がせて末娘は近くに住み、孫もいます。 姉娘とは音信不通です。 ”あなたのような母親になりたくない。会いたくない。来ないで。” と言われるそうです。 RRは、母親としてこんな悲しい事はないと、 ”私はここまで一人であなた達を育てて来た。家も買った。” と云う気持ちが強いのですが、 娘たちに、”そこまで頑張ってほしいと言った覚えはない。 もっと、家族と家庭がほしかった。” と、言われたとか、、、。 姉は一人で自宅も買い、社会的には申し分のない自立をした女です。 去年、田舎にいた両親が二人とも痴呆気味になった時には、 ちょうど体調を壊して仕事を休んで家にいた為に自宅へ引き取り、 両親と同居をして世話をしてくれました。 その後、体力の限界が来たからと、両親を施設へ預けると言いだした時、 身内の誰も反対をしませんでした。 将来は、末娘と一緒に暮らすつもりのようです。 理由は、末娘は家事ができないとRRは言うのです。 料理はもちろん、子育て、片付けができない。 家中が、ゴミ屋敷同然で、時々行っては手伝っているが、 それでは追っつかないそうです。 一緒に住んで、家事全般をやってやりたいと云うのです、、、 末娘は、相手の実家で子供2人と、夫の父親と一緒に暮らしています。 実は、RRは、両親を施設へ入れてから、 末娘の夫が、どうぞと云ってくれたので同居を始めたのですが、 一緒に住み始めてみると、末娘がなにかと母親を邪魔に扱う。 それで今現在は、元の自分の家へ戻っているのですが、 いつか、また末娘の家へ同居する為に戻る気でおります。 それで、本当によいのかどうか? 今まで離婚を除けば順風満帆で来たかのように見えるRRが、 自分の老後と、子孫の事で悩み、どこが間違ったのか? cosmosさんへ訊いて来てほしい。と言うのです。 ご覧のように、人が、人生に望む事は、ほぼ同じです。 しかし、実際の幸不幸の現象は個別的であり、個性的です。 しかし、それとは反対に、 近代化以降、合理主義の人間の扱いは、mass(集積)です。 マスコミのマスそのものです。 いわゆる、人間を大衆として捉え、ブームを起して総動員する! ブームと云うのは、個人に光を当てているように見せかけてはいるけれど、 社会としてどう利益が出るか? 国として経済戦力の為には国民をどう道具として使うか? です。 男女平等、女性上位、離婚の自由、自立した女、経済的自立、 その時々のブームに乗ってうまく生きて来たかのように見えるRRさん、 その総決算が最後、人間的な悩みの壁に突き当たったのです。 そう、人生が、四コマ漫画で終りならいいのですが、、、 四コマ目で、成功! 笑って終わり。 あはは。 しかし、人生は続きます。 続く、五、六コマ目以降は、 あらゆる多面的に亘って、重層的に、 途方もない予想もしなかったおつりを受け取らなければいけないのです。 RRさんの間違いが始まったのは、そもそも今流の自由な離婚からです。 ブームに乗っかって父権社会に適応したRRさんは、 当然の如く女性本来の母性を喪失していきます。 いわゆる女性の陽化、男性化ですから、 家の中に『陽』男は、二人はいりませんから、夫を追い出す。 夫が出て行くのは当然の成り行きだったのでしょう。 その後、気丈なRRさんが働いて来たつもりなのでしょうが、 それを冷静に見ていた姉娘がRRさんと義絶しています。 こうして、姉娘は、自分の人生のバランスを取ったのです。 片方、主婦として母として自立ができない妹娘の家に、 RRさんが同居をして家事全般をしてやる事は、どうなのでしょう。 主婦や母として自立をしようとしない妹娘に育てられる孫たちは、 これから先どうなるのでしょう? この癖が、2代、3代と受け継がれて行く間に、 最後は、母性の消失した家系は、活力が失われて行くはずです。 『陰』の消滅した女系は、絶家に向う過渡期の一つの形です。 実は、Rさんの子供も娘が二人なのですが、 姉の方は、十代で男性に走った果てに二十歳前に離婚をしています。 妹の方も高校を卒業すると間もなく、家を出ると云うパターンです。 真ん中の姉の家庭でも、娘、息子とも家に寄りつかない、 よく言えば自立をしていると云う事なのでしょうが、 家族としての相互連帯感がなく、母子の関係が薄いのです。 他の例では、 社会的には小学校の校長をしている女性ですが、 毎日の家計のやりくりができない方もおります。 自分の洋服を買う時も、必要な生活費を夫からもらっています。 社会で自立的に働き、地位や収入があると云う能力と、 人間、男、女としての自立する力とは、無関係なのですね。 まさに、女性の内実が崩れてしまっているのではないか? 日本の国柄の奥底にある『陰』に支えられた父性の悲鳴が聞こえる!!! 母権社会の父性を守る夫は、支えを失っているのです。 これが、日本の男性がぐっと踏み止まり堪えている処でしょうね。 このように日本は、 近代化でなだれ込んで来た西欧の父権の論理性に、 西洋の征服と支配と欲望を肯定した近代合理主義の『陽』の論理性に 140年間、染められ続けて、 我々、現代の日本人は、 とうの昔に失ってしまった社会道徳や家庭道徳の崩壊のせいで、 今や将に、 我が身や我が家を守る事も出来ずにいるようです。 これを、 余程しっかり、それを客観的に捉えるようにならなければ、、、 食い込んでくる父権社会の論理と 戦う事もできないのではないか? 元々の日本の『陰陽』のバランスを見据えた母権社会の構造が、 西洋父権社会の制度や法律、学問によって破壊されている。 この現状が、 今の日本社会の無力感、行き詰まり感でしょうね。 道徳は、めんどうなものですが、 『陰』の存在を知らないキリスト教父権社会の論理を 唯一、食い止める事ができるのが道徳性なのです。 家庭、家族を守るのも、自由ではありませんよ。 道徳なのです。 目に見えない徳性を重んじる心です。 命が最上と云う価値観の『陰』の現場を守らなければいけません! 家庭には、権力が最高と云う西洋父権社会の論理は侵入させないで! 効率や競争は、外でおやりになってください、と。 最終リミットのデッドラインを模索しなければいけませんね! では、、、 長い記事を、最後までお読みいただきました事、 感謝申し上げます。 今日の記事は、むずかしい部類に入りますね。 あはは。 いつも読んでくださる方には、スーッと入ったかしら? 鑑定が立て混んで、PCの前に座る時間が少ない為に、 更新が不定期になっております。 ご了承ください。 よき一週間を、お過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |