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12/03 16:26 |
コメントへのお返事 9. (牛乳)から脱原発まで 毛沢東の「矛盾論」Category : いのち/ふしぎなるもの
吉野山 豆富処 林とうふ店
奈良県吉野郡吉野町吉野山2353 HP ![]() 奥千本から吉野山駅への帰り道、左手に見つけたお豆腐屋さんです。 豆乳が美味しかった事! まるでやわらかいゼリーのような濃さ! ブログへ載せたいから、と女将さんへ声を掛けると ポーズをしてくれました。 大将は、屋台の後ろで豆腐ドーナッツを揚げていたのですが、 ほら! うつむかれて隠れてしまわれました。 あはは。 右手の工場で、息子さん夫婦が製造を取り仕切っているようでした。 交通至便な都会と違って、大手スーパー、個人スーパーなどがないので こう云う個性的な個人商店さんが元気なのですね。 山に囲まれた山上と云う流通に不便な条件は、 本来は商売には不利でしかないのですが、地の利の悪さが反って、 近代化の大量生産、遠方からの流通と云う波に呑まれない状況を作っています。 遠くから運んで来たり、遠くへ運び出す事が大変だった、、、 昔から、地域内での自給自足をしなければならなかったのですね。 町内で生産されて、消費されるのであれば、結果、保存料は不要です。 この時代、本来の自然が、そのまま残っているのですね。 これが、『陰』の精気の溢れた姿です。 しかし、反対に、 いわゆる便利と云う都市、地域は、便利なだけに不幸ですね。 便利だから、あらゆる商売に利用されやすい訳です。 良いモノも入って来るだろうが、反対も入って来やすいのです。 悪貨は、良貨を駆逐する。 質が悪い安いモノは、質が良い高いものを排除してしまうのです。 ついには自然な食べ物が入って来なくなるのですね。 ニセモノばかりが、本物の顔をして集まって来るのです。 質の悪いモノが、良い顔をして高く売られています。 『陽』の持つ『偽』の現象化です。 こうしてニセモノばかりになった処は、『陰』の精気が消えます。 そうして、人の命も都市も滅びて行きます。 これが、都市や家系や人類が滅びて行く原理です。 運命学的にもっと詳しく言いましょう。 『陰』の創造力で渦が起これば、中心ができて、そこが中央となります。 かっての栄えた都や四大文明の都市などです。 生れてばかりの中心や中央には、そこへ良いモノが集まります。 これぞ本物、創造性の溢れる力が集まっているからです。 が、その内、それに憧れる多くの人々が集まって来る事によって、 その人たちへ多くのモノを売って儲けようとする商人が集まります。 中心は人ばかり、『陰』の創造性をめがけて人の欲望が集まります。 モノは、遠く地方から調達しなければ中央にはありません。 次第に、交通網や流通が栄えて、もっと人びとが集まって来ます。 その次に、商人は、本物らしく作ったニセモノでも売れると分かれば、 せっせと本物らしい偽物、混ぜ物を入れた品物を売るようになります。 いわゆる真似と模倣、擬(もど)き商品が流行る訳です。 最近のスーパーは、擬き商品ばかりです。 人々が、そう云う見せかけだけを追いかけているレベルに停滞すれば、 『陰』の創造性は無意識の領域へ押し込められたままですから、 人々の心から精気が消え、命の誕生も、再生も、失われて行きます。 最後は、火山の爆発や天候、気温の変化による自然災害です。 人の心と体は一体、人と自然とは一体であると申し上げましたね! 人がウソばかりで生きるようになると、徳が消えます。 五行の陰徳のない処には、命は生きる事ができません。。 過去の文明や都市が滅んだ原因は、それです。 モノの世界(意識・現象界)が亡び始める前に、 もうすでに、その時点で、心の世界が亡び去っているのです。 内実の崩れが現象化するには物理的に時間がかかります。 子供だって、10月10日かかるでしょう? あはは。 急に『陰』が亡くなったわけではありません。 徐々にです。徐々に意識が捉えられない間に時が経っているのですね。 始まりは、人々が『陰』を尊ぶ心を失い、忘れた処からです。 その逆を、輝きを、林とうふ店さんに感じました。 伸びるな! ひさびさにうれしい精気に出会った喜びがありましたよ。 前置きは、ここまで! あはは。 今日も、いただいたコメントへのお返事の記事です。 以前の記事へいただいたコメントへ遡っていく予定を変更します。 前回の記事の反響が大きかったようです。 コメントへのお返事 8. (牛乳)その2. 『陽』の痣(あざ)とさ へのコメントの中から4編を紹介させていただきます。 中には、鍵コメントの一部を公開したものも含まれます。 ご了解ください。 ◯ まず、一つ目のコメントからです。 本日の記事で レンダリングプラントという言葉を初めて聞きました。 読んでいくうちに何も知らないで日常的に使ってるものに使用されてるな んて驚きです。 ・・・病気で死んだ牛、腐りかけの動物の死体、癌など病気に罹った動物、 安楽死や処分されたペット、動物管理局に捕獲された野良犬や猫、・・・ 考えただけでもぞっとするようなものが 我々の口から入って来てるなんて!! 率直な感想、ありがとうございます! そもそもの五行の循環、自然の循環ではなく、それどころか! 人の技術が作り上げた人工のモノの循環です。 こう云うシステムこそが、近代は自然を失っていると云う実態なのですね。 我々は、自らの意識が作り上げた技術成果の囲みの中に居ます。 だれもが、この支配を受けています。 これこそが、近代化の工業化した技術世界、大量生産、、、 学問の恩恵だと云うのでしょうね。 困ったものね! なるべくこう云うものは、次世代の人へ食べさせたくないモノです。 ◯ 二つ目です。 ぼくたちは、 自然界ではない人工的な世界の中に生きているのでしょうか? 自然を失った喪失感が襲って来ました。 その通り! 私たちは自分の意識が捉える人工的な世界を、 いつのまにかこれが自然界だと思って来ているのです! こわい倒錯ですね! 無意識を排除した、意識が作り上げた幻想世界です。 この影響は、幼児、赤ちゃんに強く出るでしょうね。 彼らは、自然を心から知らないまま育つでしょう。 それは、道徳の放棄まで行くかもしれません。 学問が決めた事が、道徳の代わりだと受け止めるかも知れません。 それは、 私たちの五感が意識できない自然の広大な世界を無視して、 五感で感じられる世界の中だけを、 感じられる = 存在する = 合理 だとする文明の中にいるからです。 そのロジックを積み上げたものが学問です。 そのロジックを覚えて試験を受けなければならない教育が、 生れた子供たちに課せられています。 それをどれだけ知っているか、それが、この世の学問の権威者です。 自然界ではない人工的な世界の仕組みを作る事が、研究です。 それらの成果をすべて否定したくはありませんが、 それは、=(イコール)本当の自然を失う事です。 現代人は、 そのことをわきまえて自分の立ち位置を客観視しているだろうか? ショックですか? この場合、喪失感を感じる方が正常なのよ! ほほっ。 ショックを受ける事が大事です。 本当の自分を失わないでくださいね! あはは。 ◯ 三つ目です。 現実の医療現場で働いていると、 未だに、牛乳は入院患者さんへ欠かさない飲み物なのです。 癌患者さんに対しても牛乳を出している処は多いですね。 これらをどうするかと考えると、どうすればいいのかわかりません。 日本は変化をするのがとっても難しい国です。 正しい事を少数の人が言い出しても、権威者が認めるまではほとんど ないようです。 これも、外からの外敵と戦って常に権力者が交代してきた外国と違って、 いつも変わらぬおなじ内部の人間たちだけで納得する世界を保ち続けて 来た日本独特の歴史では無理もないかなと思います。 日本は、世論調査などに右往左往して国民に迎合する政治家ばかりなの もそうですね。 アメリカのように自由と独立の建国精神がある国民性と比べると、 こういう時のものごとの進め方に差が出て来るのでしょうか。 職業柄一番いい事を患者さんへしているつもりだったのですが、 一番いい事というのは、 結局は、その社会の枠組みの中での良いことになってしまうのですね。 今の情報化された世の中では、逆に操作された情報の中にいるというこ とになってしまうのですね。 だれかにとって都合の良い情報がシャワーのように降り注いでくる社会で すね。 こわいことですね。 やはり、日本は外国へ出て行って、外から日本を変えないといけないのか な? と思ったのですが... あぁ、 苦しんでいますね! ほっ。 この苦が、実は、現実なのです。 我々が立っている足場なのです。 ここより楽な所を求める事は、それは幻想になってしまうのよ。 だから、ココから逃げないようにしてくださいね。 今となっては、そうする事が生きる事になるのでしょうね。 現代の文明は、この苦を無視した処へ立脚しています。 そう、感じる事さえできないのです。。 。 だれかにとって都合の良い情報がシャワーのように降り注いでくる社会 だれかって? だれ? ほっ。 自分以外の人を捜すより、自分の中に在る内因を捜して! シャワーにすっかり囲まれないように、 巻き込まれる運命にならないようにしましょう! こう言えば、なにか、オカルト的に聞こえますが、、、 あはは。 ◯ 最後、四つ目、鍵コメントから抜粋です。 『陰』に支えられていない『陽』が社会に蔓延しています。 『陽』における苦は、自分勝手な苦。 もちろん言葉では、 「子どものため、人のため、国のため、地球のため」 或いは「未来のため」と言えます。 でも表面的なものや現象しか意識しないのだから、 どこかで必ずひっくり返ってしまう。断ち切れてしまいます。 『陰』における苦は、命を守る苦、命をつないでいくための苦、 だと思って来ました。 未来に繋がると思えば、どんなに苦しいことでもその先に光を感じます。 誇りを持って引き受けられます。 「出来るけどしない。 可能かもしれないけど手を出さない。」 今一番強く感じていることです。 現在、来たる衆議院選挙の各党の主張がたけなわです。 言葉だけが踊っていますね。 踊らにゃ損とばかりに、、、 聞いていると、ウソ! ウソって直ぐに分かる事を言ってますね。 そんな事を言って、国民は見破れないとでも? もしそうなら、本当に私たち国民は、見くびられているものです。 『陰』に支えられていない『陽』が社会に蔓延しています。 その通りです! 言葉だけは(命の為)と言いながら、『陽』そのものなのですね! 政治に限らず、社会全般が政治と経済で成り立っているような状況です。 原発は恐いと云う国民の弱みに付け込んで、 これさえ言えば、票が増えるとでも思っているのか? 猫をカツオ節でだますような? あはは。 私たちは、お腹の空いた猫でしょうか? ほほっ。 カツオ節をぶら下げられて、、、 選挙テクニックとしての脱原発、卒原発が叫ばれています。 そもそも、各党党首は学識も経験もお有りの方たちばかりのはずなのに、 池の金魚ばかりを捕まえようとして、池の奥が見えていないようです。 と、云うのは、 原発は、近代のもたらした最高学問、工業技術の粋、成果そのものです。 原発とは、近代化と云う人間の意識だけを確かな物差しとする思想から 生れた学問が産んだ申し子、 出来の良い愛息子なのです。 近代合理主義がなければ、自然を支配すると云うロジックは生れず、 その下での学問の体系化がなければ、技術も生れず、 研究もされなかっただろうし、資本主義の下で、 物質文明でなければ原発は生まれなかったのです。 はっきり言うと、我々のモノを強請(ねだ)る欲望から 生れさせたモノが、原発なのです。 脱原発を主張すると云う事は、近代を否定し追放すると云う事ですよ。 我々の欲望が間違っていた。 脱原発は、それを反省する事から始まるのです。 そう云う事ですよ。 分かっているのかしら? しかも、しかも、調子いい事に、 そもそもの日本における近代化の矛盾をそのまま放置して、 見たくないモノは見ないように避けて通りながら、 身勝手にも、近代の経済の繁栄と云うメリットだけは、 そのままにしてほしいって、ちゃっかりと受け取ろうとしている。 まるで、おセンチな女心、悲劇の主人公にでもなったように、 感傷に浸っているレベルです。 あれがイヤなの、、、これが欲し~いの、、、 イヤ、イヤ、イヤなの~、 あはは。 無知です。 各党の党首レベルがこの程度の日本です。 本来、本質的な論戦が沸き起こるレベルではないのです。 分かっているのかしら? 、、、ぜんぜん分かってはいないのですよ。 あはは。 このブログの読者の方が、分かっていらっしゃいますね! 原発を廃炉にするだけで、カタが付くものではないでしょう? 廃炉費用は? 放射性廃棄物は? だれが、どこが、引き受けるのですか? なにの始末もつけないで、またもまたも、おねだりですか? 気位だけは、箱入り娘と御曹子だけはあるのですね! あはは。 原子炉の廃棄の前に、 母国の近代化そのものの矛盾点から反省を、間違いを総括しましょう。 そうしなければ、次もまた、 形は違っても、かならず、また、 命を殺戮するロジックを平気で採用するからです。 そして、また、イヤ、イヤ、を繰り返すのですか? もちろん、 矛盾に満ちた日本の近代化を否定し再考するのなら賛成だわ! そこからの論争が巻き起こるのなら、本気でしょうが、、、 政治家の人たちの本気度は、、、恥ずかしい ーーー。 ただただ、次期もまた、議員でいたいだけでしょうに、、、 都合の悪い近代の象徴・原発を追放したい、 卒業したい、脱したいと云う言葉をコートの様に装いながら、 近代のもたらした繁栄だけは享受しようとする。―---- それこそが、又、新たな矛盾・複雑な問題点を産む事が分かっていない。 次世代へ、今よりモツレタ糸のカタマリを渡すつもりなの? まったく、無責任な、思想に無知な人たちです。 毛沢東の「矛盾論」にあったと思うのですが、 解決がむずかしい厄介な物事・問題点の背景には、 目の前に見えている矛盾・(従属矛盾)よりも、 その奥、背景に、更に見えないけれど巨大な矛盾・(主要矛盾)があると。 この『主要矛盾』への認識がお互いになければ、 目の前に見えている矛盾・(従属矛盾)を 正しく理解する事さえできず、解決する事なんて到底できない。 と云うものです。 つまり、近代化と云う本質的な矛盾(主要矛盾)を認識する事を避けて、 その歴史すらも忘れ、触らない仕草で、いい恰好をしているだけじゃ、 その派生的な事物である原発すら解決する事はできないでしょうね。 今の、局面で、かなり率直で本気を出しているのは、 石原氏だけ、そう思っています。 彼は、”脱原発は、願望だ。” と言っていますね。 たしかに願望以上の、以下でもありません。 選挙の公約にするようなものではないでしょう。 どう、この願望を叶えるのか? 党派を超えて国民みんなで、議論をし、話し合うべきなのです。 そうしなければ、 近代化の矛盾点、自然観、人間観を見直す事なしに、 人間の欲望を放し飼いにした合理主義の見直しをする事なしに、 合理主義がすべて人間を幸福にするのか? その見直しなしに、 私たちは、脱原発以降の世の中の激変に耐えられないでしょう。 「出来るけどしない。 可能かもしれないけど手を出さない。」 今一番強く感じていることです。 現状の世は、我こそは、と云う我欲を主張する事が正しいみたいな? 「できる事はやらなければ損だ」という風潮さえあるようです。 その時に、どのように自分は、対処して行くのか? するかしないかによって、自分と子孫の人生に大きな影響を与える事に なるのですから、「成らぬ堪忍、するが堪忍」と云う中国の有名な故事を 紹介しましょう。 漢の統一の頃、功労を立てた大将軍韓信についての逸話です。 彼の家は、貧しくて食べるものにも事欠き、 釣りをして空腹を凌いでいたそうです。 気の毒に思った老女に飯を恵んで貰った事さえありました。 ある時、町の無頼の者が「お前の長剣で、おれを斬ってみよ。 できないならおれの股の下をくぐってみよ」と嘲ったのでした。 韓信は、しばらく相手を睨んでいましたが、やがて這いつくばって、 その無頼の者の股の下をくぐったとの事です。 「韓信の股くぐり」と言います。 公衆の面前での侮辱を受ける事に耐えられたのは、 公衆の面前での侮辱より、 もっと深刻な困難に耐えようとする自分があるからです。 自分の見栄より大切な、目標があるからです。 その希望から出て来る自分に対する自負であり自信からです。 こう云う「堪え性」なしに、物事は成し遂げられないですね。 欲望を堪(こら)える堪え性。 これを身に付ける事なしに、 脱原発も、卒原発も、幻想でしかありません。 牛乳を学校給食からなくす事もできずに、 そうそう、簡単に原発がなくなるとは思えません。 現実の暗雲のような困難性の中、 韓信のような堪え性をもって臨んで行きましょう。 拙い私のブログの記事をよく読んでいただきまして、 みなさまのすばらしいコメントに感謝申し上げます。 寒さ厳しき折、ご自愛のほど、、、 よき一週間を、お過ごしになってくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : いのち(自然と健康)を脅かすもの |
![]() 2012
12/10 18:23 |
コメントへのお返事 10. (母性を喪失した家族の癖) トクヴィルの政治学Category : 絶家の家族関係
冬の薔薇(フリージア)
![]() 蕾をもってから早一か月、もうダメかも? と思っていたら この寒さの中で咲いた薔薇です。 今日も過去の記事へいただいたコメントへのお返事の記事です。 今日は、 運命鑑定日記 5.(母性を喪失した家族の癖) 西洋父権社会の本質 の記事へいただいた中から次のコメントを紹介します。 カエル君の可愛い顔を見ると、あの暑かった夏が なつかしい気がしますね!= 青ガエル君の目が、じっとこちらを見ているのが不思議です。 逃げないのですね、、、= >ブームと云うのは、 >個人に光を当てているように見せかけてはいるけれど、 >社会としてどう利益が出るか? >国として経済戦力の為には国民をどう道具として使うか? です。 その国の上に、 もっと恐ろしい力が加わっているような気がします。= 私達は自分で生きているようで、 実はもっと狭い道を歩かされているのではないでしょうか?= 目先の安楽を求める私たちが愚かなんだろうな! と どっか上の方から眺めている私がいます。= ほんとうに、あの暑かった夏が、なつかしいですね。 ココの処、冴えていますね! 国の上に、 もっと恐ろしい力が加わっているような気がします。= 私達は自分で生きているようで、 実はもっと狭い道を歩かされているのではないでしょうか?= 最近は、みなさんのコメントで、学ばせていただいておりますよ。 近代合理主義の幻想を見破るような表面的ではないモノの見方に 目覚められたようで感心しております、、、 今日は、なにやらこれから先、 ちょっと! 政治談義になるやもしれません?! ほっ。 決してこのブログは政治的なブログではありません。が、 しかし、今、丁度、衆議院選挙の真っただ中でもありますし、 みなさんの関心がそこへ集まっている時期ですから、、、 すてきな方をご紹介しましょう。 彼の名はトクヴィルです。 衆議院選挙の候補者などではありませんわ! あはは。 アレクシ=シャルル=アンリ・クレレル・ド・トクヴィル Alexis-Charles-Henri Clérel de Tocqueville、 (1805年7月29日 - 1859年4月16日) フランス人の政治思想家。 実家は古い貴族です。 ![]() 初め、裁判官、後に国会議員、次に内閣外務大臣まで務め、 3つの国権(司法・行政・立法)全てに携わった政治家です。 『陽』の現場を、つぶさに知ろうとすれば、 ある一面で、『陽』・意識が作り上げた力組織(権力組織)= 政治の正体を知る事が、一番手っ取り早いでしょう。 知ると云う事は、無意識から自分の意識上に置く事です。 意識と云う机の上に置いて、『陽』の偽性をジロジロ眺めて見てください。 その為に、トクヴィルを紹介しましょう。 フランス革命の当時、25歳であった彼は、 祖父が革命派によって処刑されると云う経験をしています。 自身が巻き込まれるのを避けてアメリカへ9ヶ月間の旅行をします。 その時、アメリカの経済・政治体制、社会のあらゆる面を観察します。 日本が、黒船も知らず、まだ近代化を始める33年も前に、 今から、177年前に、もうすでに、 民主主義が将来どうなるのか、その著書で未来を予測しています。 近代合理主義の思潮の中で、 『陰』の存在を打ち捨てている『陽』の本質を机上に置いて見る事は、 非常に、大事な事だと思います。 ----------------それは、 この地球上にある近代以降のあらゆる人間の意識『陽』が作ったモノ= 今ある政治形態だって、都市機能だって、学問そのものも、 すべて良い事なんだと、鵜呑みにしてはいけないからです。 それらが、どんな欠点を持っているのか? これから先、どうなって行くのか? それらと同じ近代合理主義で眺めていたら分からないのですが、 近代化以前の人間の目や、東洋的な智恵を借りて眺める事は大事です。 マスコミに振り回されないで自分の考えが持てるように、 自らの周りの諸問題を自立して眺めていけるようになる為に、 トクヴィルを知る事は、楽しい事です。 ほほっ。 今あるモノになんの疑いも持たなかったら、 我々は、『陽』の偽性をほんものと見間違い、 理想がそこにある!などと騙され続けているばかりでしょう? 明治維新からさかのぼる事33年前、トクヴィルは、30歳の時、 1835年に『アメリカの民主政治』を著しています。 なんと! 日本は、刀を差してちょん髷を結っていた頃です。 ほー。 この著書は、 政治学・社会学を専攻する学部生に対して課題図書に指定される程の 政治学・社会学・歴史学の入門書となっている古典的著書です。 彼は、その中で多くの予測をしていますが、 たとえば、奴隷制廃止で南北戦争が起こることを予測し、 ロシアがアメリカのライバルの超大国として台頭する事を予測し、 後年、その通りになっている事が高く評価されています。 彼は、アメリカの民主制の将来について推測し、 民主制自体が、人間にとって危険なものとなる可能性について論じ、 民主制自体が、 「ソフトな専制政治 (soft despotism) 」へと悪化する傾向がある。 多数派の専制政治を生み出す危険性もある。と言っています。 他には、 ・ 当時のアメリカは近代社会の最先端を突き進んでいると見て、 近代社会における先駆的役割を担う事になるだろうと予言をし、 ・ その先、経済と世論の腐敗した混乱の時代が待ち受けていると予言、 ・ 民主政治とは「多数派の世論による専制政治」だと断じ、 ・ その多数派世論を構築するのが新聞、マスコミだと予言をしています。 このように、 ・ 現代のメディアの台頭と民主主義政治との密接な関わり合いを いち早く予想していたのです。 ・ 彼は大衆世論の腐敗・混乱に伴う社会の混乱を解決するには、 宗教者や学識者、長老政治家などいわゆる「知識人」の存在が、 重要であると考えており、 ・ 民主政治は大衆の教養水準や生活水準に大きく左右される事を 改めて述べています。 (参照:ウィキペディア) 下線部は、まさにその通りですね。 新聞、マスコミが、政治の側に付いて世論操作をして、 経済と世論の腐敗した混乱の時代になって行くのが 民主政治だと言っているのです。 現在の世情を見越していた感がありますね。 更に、政党や選挙について次のように言っています。 民主政治における政党とは我欲が絡んだ必要悪だ。 自由な政治に付き物の一つの悪弊である。 トクヴィルのロジックは、こうです。 民主主義の政治形態では、人民が主役です。 しかし、全員が集まって議会を開くのは無理です。 そこで代理人を選ぶのに選挙を行う事になるのですが、 多くの候補者がバラバラの意見を云うと選びにくいので、 パーティ(党)ごとに、まとまってもらった方が解りやすい。 しかし、誰だって無欲で人民の代理をしたい訳でもできる訳でもない。 誰が、わざわざ大変な選挙をしたいと思うか! 苦労の引き替えに我欲に合う利益を見極めて代理を行うのである。 その為に、政治家は、まず初めに自らの利益を見極め。 それをはっきりさせると同時に、 自分の利益と見合う周囲の利益がどんなものであるか見極めて、 我欲をどう取り繕い、周囲の利益に隠せば票に結び付くか? その為には、詐称、詐術さえ駆使し、マスコミを利用する。 と、予測をしていました。 また、トクヴィルは政党についても、次のように言っています。 大きい政党は、天下国家について新しい理想を掲げたがる。 掲げた理想も話が大きいだけに国家の存亡までのリスクがある。 政治家の我欲は、大きい政党の云う政策(マニフェスト)の公益の看板の 下に巧妙に隠されている。 まさに、このとおりです、、、 小さい政党は個別的な政策を全面に出し、 その政策は、あからさまに出ている我欲が色取り取りに見え、 言論は激しいが、臆病でとりとめがない様子だ。 と、言うのです。 なにやら、12も政党ができた日本の状況が分かっていたような? 私たちは、とりとめもない選挙を、やっているのですね! ほほっ。 しかし、その原因は、 民主政治は、大衆の教養水準や生活水準に大きく左右される故に、 「民主主義国家は、自分達にふさわしい政府を持つ」と。 耳が痛い話です。 あはっは。 今の12の政党がある取り留めもない選挙の原因は、 我々一般大衆、日本人の教養、生活水準のせいだと言うのですね! どうしましょう? あはは。 これは、どこか、仏教的な知見にそっくりですね。 仏教では、人は自分に合った丁度の処に生れている。と言います。 自分が生れた環境は、自分に一番似つかわしい場所だ。と説きます。 運命学でも、そうです。 凹の親の処には、凸の子供が生まれて来ます。 凹の子供は、凸な環境の処に生れて来ます。 要は、ぴったしの相合う運命の出会いなのですね。 あはは。 実際は、凸と凹の2種類などではなく、 運命は、無量大数くらいの差別があります。 しかし、不思議な事に、家系は川のような物で、 川上からは、同じ運命が繰り返し、繰り返し、流れて来ます。 ここでも、東洋的叡智は、宇宙即我を貫いています。 環境即我なのです。 トクヴィルの名言に、どこか東洋的な知恵を感じます。 「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。 信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」 「平等と専制が結合することになれば、 心情と知性の一般的水準は低下の一途をたどるだろう」 「生きて活動し生産するものは全て、どんなに新しく見えても、 新しさの背後には古い起源を有しているものである」 アメリカは、建国が1776年ですから新しい国です。 王室とか皇室、守るべき古い権威とか伝統がありません。 そう云う古い価値観を引きづった権威社会と無縁な----------- ----そう云う意味で自由な精神にあふれたアメリカだからこそ、 自分が正しいと思った事は、ひるむ事なく主張をし、できる社会。 正しくて、創造力があれば古い権威から足を引っ張られる事もない。 それが、前回のテーマだった(牛乳)の害悪についても、 自由活発に研究や著書が発表される土壌があるのでしょう。 トクヴィルも、 アメリカ人の重大な特徴は、欠点を自ら矯正する能力を持っている。 と述べています。 民主政治の将来に、 社会的紐帯や共同体の分断を懸念し多数派の専制 を予感しています。 これは、 民衆が主体であると云う形態をとる民主制であるにもかかわらず、 平等思想が、あらゆる人間が皆平等と云う相対化の結果が、 人と人の結びつき、社会共同体などを切って分断をするだろう。 そして、個人個人がバラバラになった上での、 マスコミや利権にもとづく企業や官僚が、多数派を形成したら それらの思うつぼの制度となって、それらが専制政治を行うだろう。 そして、民主主義でも、人の命や尊厳が苛まれる社会になるだろうと云う トクヴィルの予感です。 この予感も、現実に当たっていると思います。 みなさん、どうでしょうか? 要は、人の欲望に根ざした力で作ったモノ『陽』の現象は、 それより大きな欲望の力でかき消され利用されるのが常です。 絶対性はありません。 つまりガラスの花瓶と同じ、落ちれば壊れるものなのです。 落ちて壊れるモノに、 継承すべき命を生み育てる役割の女性が頼ったらどうなりますか? 命の継承に難が出て来ると云う事です。 男性は、別です。 男性には、男性の徳分があります。 今日のテーマ・(母性を喪失する)とは、どう云う事なのか? 世の中が、母性を喪失して、どこへ行くのか? 身ぐるみ、『陽』の呪縛の中へ沈んでいくのですね。 その『陽』の呪縛とは? いずれはかき消されるムードに一生を縛られると云う事です。 呪縛されるなんてこれっぽっちも思いもしないで、 きっと、それは、 もっとがんばろう! と健気にも思ってしまう、、、 大いに自尊心をくすぐり、力を発揮できる、、、 そんな単純志向へ舞い上がれる仕掛けなのでしょう。 そんな装置、本当にこの世にあったんだっけ?? ? あると云うのは、時代に乗ったマスコミが作る幻想でしかないでしょう。 もう、これは、くるくる変わる『陽』の仕業なのね。 男だって、家庭を犠牲にし、命さえ、ある意味捨ててやっている事を、 女だけが、夢の中ばかりに居られるはずもない、、、 夫よりも私の方が能力は高いと思うのよ、、、って、 それはそうでしょう、女系ならでは、そう云う夫婦のパターンだもの。 女が社会的に恵まれ、その夫や息子は何らかの障害があって、 力を発揮する事ができないのです。 それが、家系( 決して個人ではありません、)における 男女の正常な関係性や陰徳の積み重ねがなかった標(しるし)、 夫婦の陰陽のバランスが狂っている先祖がいた標、 無意識界からシグナルとして表れ出た標が、 生きている貴女に教えてくれている現象だって、分からないのね。 そこまでの深い読みができないペラペラの思想にダマされて、 バラバラの個人主義で、家族と関係ないって見ようともしないで、 夫より能力がある事を、しあわせなんだって片づけて、、、 あ--- その上、男女平等のニセのベールを張り巡らされて、 皆平等の相対化の中で、上下、尊卑の別もなく、錯覚したまま、 人生の表面(おもてづら)だけで、仕切って行く。 徳分よりも得分を重んじる社会に、 いつの間にかすっかり染まって、 物質欲や欲界の魔王の手下になるのです。 女を狂わせる近代化と云うものは、何んと罪が深いのだろう、、、 意識中心の近代合理は、命の断種をする思想なのです。 それはそうです。『陰』を無視する思想ですから。 こう云う人間の生き方を根本から迷わせて狂わせてしまう世相を、 仏教では『濁り』と言います。 『陽』が、本来の『陰』の徳性を実現する力として発現しなくなり、 『陽』の偽性が、強く命を苛(さいな)むものとして現れて来るのですね。 そして、罪深いのは、『陰』の女が、命を苛む手助けをするのです! そして、命を継承する役割を犠牲にし、捨て去って、 自分の『陽』における能力の評価だけを求めて、 『陰』の場であるべき家庭をないがしろにする事は、 たとえ、いっ時、『陽』の世界で成功をした姿を現じたとしても、 根の腐った山の木々が、最後の種を残そうと花を乱れ咲かせる姿に、 そっくりなのです。 運命学のリズムは、帝旺の次は、衰。 旺ずる極みは衰えます。 欲望の力を出し過ぎたら、衰えるしかないのです。 やり過ぎは、ダメ。 これが、東洋運命学の智恵です。 自由と平等と云う安っぽい似非真理を信じて、 民衆が主体と云う観念をロジックにした民主主義と云う政治形態、 すべてが、人の意識の作ったロジックではありませんか。 そこには、命の尊厳と云う言葉はあるけれど、 どこにも、それは、平等と言いながら、 平等に、その中味は実現されていません。 あはは。 現象でしかない『陽』には、それは無理なのです。 『陰』の徳性を以ってしか、実現はできません。 それが、意識で理解しようとする人には、分からないのですね。 近代化とは、人間が考えついた、方便の理屈です。 それをロジックと言うのだと、受け止めてくださって、 せめて、女が『陽』の現象に命を懸けるのは、やめましょう。 ほほっ。 後は、みなさまが、よしなに、、、受け止めてくださいね。 寒波が襲っているようです。 日本中が、『天』から叱られているようです。 ほほ。 では、よき一週間をお過ごしください。 ---------------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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12/18 22:22 |
コメントへのお返事 11. (母性を喪失した家族の癖) 離婚の本質Category : 家族関係
一ノ倉沢 新潟県南魚沼郡湯沢町土樽 (10月20日)
![]() 写真をクリックしてください! 色づく秋の気配の岸壁が見えます。 岸壁の中央下部の白いのは、夏を越えた雪渓です。 一ノ倉沢でR291は終わり、 幽ノ沢へ行くにはおだやかな小春日和の山道へ入ります。 ![]() 写真をクリックしてみてください! 写真が大きくなります。 山道の奥には、誰も訪れない場所にこんな紅葉がありました。 ![]() 写真をクリックしてみてください! 今日も過去の記事へいただいたコメントへのお返事の記事です。 今日は、前回と同じ 運命鑑定日記 5.(母性を喪失した家族の癖) 西洋父権社会の本質 の記事へいただいた鍵コメントなのですが、 一部編集し、抜粋したものを公開させていただきます。 ご了解くださいね。 記事が長くなるようであれば、途中から次回の記事に廻しますね。 なお、しばらく更新が不定期になると思います。 よろしくおねがいします。 では、今日のコメントの紹介です。 前回は、『陽』を政治の面から覗いてみました。 今回は、『陰』の役割を忘れて『陽』との調和を失った『陰』を 見つめてみましょう。 ①~⑤ は、編集で付けました。 まず、今日は、① の部分についてだけで十分長くなりそうです。。 ”カエル君のカメラ目線が、かわいいですね。 うちの庭で、雨が降るとケロケロ鳴いていたカエル君達も、 冬眠に入ったようです。 今回の記事を読み、まだ心が揺さぶられる感じが続いていますが、 感じた事を書いてみます。 >娘たちに、”そこまで頑張ってほしいと言った覚えはない。 >もっと、家族と家庭がほしかった。”と、言われたとか、、、。 ① これは、私が母に対して持っている気持ちと同じです! 母は、私の父と離婚後、しっかりと社会で働いて、私達を育て、 家まで建ててくれました。 母が負けず嫌いだからそうなのだと思っていましたが、 近代合理主義に染まった社会の影響でもあるのですね。 社会(国)の問題と自分の問題・家系の問題は、つながっているのですね。 母と一緒にいるのが苦しいので、 学校を卒業後に実家を離れましたが、現在は戻っています。 ② 私は母のようになりたくない、幸せな結婚をしたい! と思っていましたが、いまだに未婚です。 結婚に憧れながらも、心の奥に、 結婚と男性に対する恐怖心のような苦しい気持ちがあり、 心理学の本を読んだり、カウンセリングやセミナーを受けましたが、 いまいち解決しませんでした。 心理学などの「意識」では、解決できないのですね。 ③ わが家の陰徳は、かなり失なわれているようです。 今まで、見るのが辛かったけれど、今回の記事でわかりました。 家系の陰陽のバランスが崩れて、母性が失なわれ、命が育たない… 自然淘汰へ向かっている。 ④ でも、現実を見ないでこれ以上、無自覚に陰を失ってしまう事こそが、 この先にもっと辛く、もっと苦しい事として還ってきてしまう。 cosmosさんのブログと出会い、 今、気付く事ができて、本当に良かったです。 >目に見えない徳性を重んじる心です。 この心を、取り戻さないといけないのですね。 命をモノとして扱う近代合理主義の嘘を、見抜く目を持って、 周囲に流されず、 社会や他人が悪いと責めずに、 ⑤ 女性である自分が苦しみを引き受けていく… 現実生活で、どこまで実行できるかわかりませんが、 そのように生きたいです。 本当に大切なことを、 ブログを通じて教えてくださり、感謝申し上げます。 ありがとうございます。” まず、個人的な事を、ありのままに書かれている事に敬意を持ちます。 わたしの方こそ、 拙いブログを真剣に読んでくださって、ありがとうございます! いつもいつもの長い記事を書いて来た甲斐がありましたわ。 ほほっ。 >”もっと、家族と家庭がほしかった。” と、言って家を出て、母親と義絶をしてしまう御相談のRRさんの娘さんと 同じ気持ちだったのですね。 これは、RRさんの娘さんや貴女だけに起こったものではありません。 母親が働いて忙しい現代の家庭で進行している事です。 この部分を覚えておいてくださいね。 次の記事のテーマになりそうです。 世間を見ても、 団塊の世代の親と、現在もうすでに大人になってしまったその子供、 その親子関係がおかしい? と云うのは、一般的によく聞く事です。 また、その子供へと、続いて行くのではないかと注目しています。 世の中で、耳目に伝わる社会問題化している現象としては、 成人後も親の年金で養われる引きこもりや、非婚化、少子化です。 でも、これらは、 おかしい親子関係全体の現象の一部分で、氷山の一角です。。 。 見える氷山の一角の下、には、 見えないけれど、おかしい親子関係の現象が隠れています。 社会的に問題化はしていないけれど、男性側においては、 親子の義絶、その反対の母と息子に起きるマザコンの問題、 高学歴・高収入であるにもかかわらず実家べったりで結婚しない長男、 バツ1、バツ2の子連れの年上女性と結婚をする初婚の男性。 もしくは、母子家庭に転がり込んで同棲をする年下男性。 いずれの男性も、男兄弟が多いと云う訳ではなく、 二人兄弟のうちの一人か、一人息子か、姉か妹がいる一人長男です。 ま、いいか? って? あはは。 相手がいるだけでも良い方だと、、、 あはは。 親御さんは、あきらめているのでしょうね。 こう云う男女の年齢の逆転現象や、過去には不釣り合いだとされて来た 結婚が、目立つようになって来ました。 これはこれで問題点大ありなのですが、今回、詳細は省きます。 女性の側だって、親子の義絶や、 経済力を持って自分のマンションや家を持つ事を目標にする女性、 結婚より、資格を取る為に海外留学へ行く女性の晩婚化、 母と娘に起きる「友だち親子」や「一卵性母娘」の問題があります。 あ、これらは、男性側についてもそうなのですが、 個人の問題としたら、お好きになさればいいのです。 世の中には、いろんな人がいてよろしいのです。 それが、世間(差別相の現象世界)と云うものです。 それぞれの因果応報の姿なのですから、、、 個々をこれがダメ、あれがダメと申し上げたいのではなくて、 しかし、どんな事も、本質を見極める必要がありますね。 自分の人生の為にはそれなりの判断力を持つ事は大事なのです。 男女を比べますと、幾分女性の方が勇ましくて、 あはは、 男性の方が、母親代わりに年上の女性を求めているのかしら? あらっ、 え、でも「友達親子」や「一卵性母娘」って仲のいい事じゃないの? そう、いい感じでマスコミは伝えていますよね! ほっ。 いいえ、 これらは、 家族、家庭に起きている『陰』の欠如の問題であり、 又は多大なる母、『『陰』の過剰の問題なのです。 つまり、夫婦の、陰陽の調和の問題から起きています。 親子の義絶や、「友だち親子」や「一卵性母娘」もです。 これらについては、次回にくわしく、、、 多大なる母は、どう云う時に派生してくるのでしょうか? 運命学的には、家系的に『陽』の生産性が失われている家系です。 家庭内では、女性が決定権を持ち、男性が軽視されている家庭です。 男が頼りないのですね。 結果、女系になっている家系です。 社会的に見える現象は、夫婦の離婚などから出て来ます。 離婚と云うのは、陰陽の決裂ですから、 『陽』の存在がなくなった = 父権のない家庭なります。 運命学的には、 夫婦の離婚だけでなく、親子関係の問題が起こって来るのは、 もはや、家庭が『陰』の場ではなくなっている証拠です。 『陰』の場ではないのだから、継承運に障害が出ます。 子を産む産まないと云う個人的な事象が、 国の未来を左右する少子化として問題化するのは、 国を挙げて、 『陽』ばかりの成果、現象ばかりを追いかけて来た因果応報です。 『陰』の徳性の価値を、利益にもならないと無視して来た罰です。 これは、『陰』が、”こらっ!”と怒って、 私たちにバチを与えたもうた。 じゃないのよ! あはは。 『陰』の価値を認めない私たちの命には、 『陰』の徳性の智恵が出て来ないから、 『陰』のバックアップする力強い『陽』の現象が現れなくなった、、、 失くなった、、、と云う事なのです。 これが、罰・バチなの。 ほほっ。 ① ”母が負けず嫌いだからそうなのだと思っていましたが、 近代合理主義に染まった社会の影響でもあるのですね。 社会(国)の問題と自分の問題・家系の問題は、つながっているのですね。” そう、そうなのよ。 よく理解をなさったわね、、、 私たちは、自分がしっかりしただけではダメなのです。 時代の思想に染められますから、 時代の思想を見極める目を持つ事。 時代の思想の上を行く思潮を掴む事です。 『陰』の存在が、つかめたようですね! 『陰』の存在を認めないと、 意識で、日本が閉塞状態だとか、少子化とか、経済が成長しないとか、 それぞれの現象を、言葉で書いたり言ったりして解ったつもりでいても、 あくまでも、政治や経済、学問的な『陽』の立場からの取り上げ方なので、 みんな、バラバラの問題のようにしか思えないのです。 地下茎『陰』があるって云う事に気が付かないのです。 親子関係、家族の崩壊、少子化、経済、すべて関連をする問題です。 そう、福島の原発の問題もそうです。 すべて、『陰』の欠如、あるいは過剰から出た現象なのです。 本当は、もっと前々から、家族や家庭の問題は、 本来は道徳や教育や文化的な面から、 これではいけないのではないか? って、、、 各自が問題意識(まさに意識!)を持たなければいけなかったのに、 まず、その物差しである社会的な規範が、無くなっているのです。 おなじく、私たちの中、心の中でも、規範はゆるくなっています。 やはり、それらの因果応報なのですね! 私たちは、社会的な規範に守ってもらえないのです。 転がり出したら、どこまでもゴロゴロと転がって行く球のように、 この現象は、どこかにぶつからないと止まらないのかもしれません。 『陰』については、2012年 2月 20日の記事、 ( 命の継承と運命 7.) 功利と近代的自我の残骸 2./ 人口減少 ・ 多母 に命式中の母なるもの(命式NO) ⑨ ⑩ について次のように書きました。 運命学の命式中においては、多大なる母は、害があって一利なし。 子供の運を吸い尽くすのです。 害、と云っても、 私たちは、西洋文明の洗礼を受けていますから、 精神的に溺愛して甘やかす事ね、と云う程度にしか考えない傾向が あります。 心と体を分けて考える癖です。 東洋的は、心の影響は体に、そのまま現れると云う思想です。 今は、心理学においても、 母親の恐さは、体の奥深く入り込むと云う事が解って来ています。 恐いですね ―――! 「友達親子」や「一卵性母娘」と云われる母娘関係では、 娘の体の中へ、母親の影響があると云う事が解って来ています。 だから、息子の母殺しと云う事件はあるのですが、 娘の母殺しは、母娘一体感があって有り得ないのだそうです。 それだけ母娘の一体感は、マザコンより深刻なのです。 この母なる害について、中山千夏さんと云う子役から芸能界で頑張って 来られた議員もした事のある人ですが、 自分と母親の分離について『幸子さんと私―ある母娘の症例』 (創出版)と云う本を書かれています。 その本の帯に書かれているタイトルは、 「率直に言う。生まれてこのかた「母に会いたい」と思ったことがない。」 中には、母親の刺激的な悪口が書かれてあるそうです。 ほほっ。 同じく、母親の悪口を書いた佐野洋子さんの『シズコさん』(新潮社) と云う本もあります。 母親の悪口を書いたら、すっきりして幸せになれたと、、、 あはは。 よろしければ、お読みなってみたらどうですか? 子供の運を吸い尽くす多大なる母の害 は、単なる精神的な害ではないのです。 息子の場合は、誰とも親密さを持てない性格になったりします。 結婚相手さえにも無関心になり、寿命まで生きないで夭折をするとか、 母性に男として去勢され、生命力を吸い取られた結果です。 娘の場合は、もっと深刻です。 母親が真に女として自立できていない未熟さ = 母親の自己愛が、 頼れる夫を持てなかった自分の淋しさとなって、無意識のうちに、 娘に、母親である自分と同じ不幸になって自分の気持ちを解ってほしい と云う願いを持ってしまうようです。 娘だけが幸せになるのが、さみしいのですね。 信じられない母性とでも言いましょうか、、、 夫に愛されない妻は、子供を道連れにする... あー ! 男性の読者の方達も、お気を付けになってくださいませ! 結論、 母親の自己中心性の自己愛が、自分を愛するがゆえに、 自分の不幸へ娘を引き入れてしまうのですね。 多大となった母性と云いましょうか、 母性のエゴイズムは、巨大なエネルギーで娘や息子を飲み込みます。 娘の方も、 やさしい心の持ち主ならなおさら、自分の母親の為に、 母親の全てを肯定してあげたいと云う心から、 母親が無意識層に持っていた、例えば、男性に対する不信感などをそっくり 母親に同調をして母親の無意識層から無意識に受け入れてしまうのです。 その結果が、 子供の方も、結婚をしなかったり、結婚をしてもすぐに離婚をしたり、 最後は、独身を通して生きる。そう云う象(かたち)になります。 そして、母を恨む心が出るのが自然です。 中山千夏さんもそうですね。 ”母と一緒にいるのが苦しいので、” よく耐えられましたね。 女性の普通の幸せを夢見る貴女の前途を塞ぐような重石として、 感じられたのかも知れません。 すべては、母親から、真の母性が喪失している問題です。 母と娘、母と息子の間に入ってこの癒着を解消できるのは、 母の夫、息子や娘の父親である信頼に足る男性だけができるのですが、 女系の場合、夫、父親がいないのですから、、、 母子家庭の場合は、この解消が不可能になっています。 離婚をする時は、これで幸せになれると思ってするのでしょうが、 離婚自体は、もう取り返しのつかない女系へ、 自分が、母親として孤絶の立場に追いやられる事になるのですね。 その中で、経済的自立だけでなく、精神的に自立をして行く事は、 至難のわざです。 そのしわ寄せが、子供に向いて行く事を、 よくよく、その事をお考えになってくださいね。 また、父がいる場合であっても、 夫婦が、親子が信頼し合っていなければ父親の介入は無理なのです。 子孫繁栄の為には、夫婦の信頼 = 『陰陽の調和』が、 まず大前提なのですよ! まず、お母様と自分を分離なさる為に、 貴女が求める真の母親の母性とは? 貴女が母親から本当に欲しかったモノは? これを自問自答しながら、貴女の御母上と比較してみると、 客観的に冷静にお母様の事が解るようになるやもしれません。 全てを過去のモノとして捉えられるようになるかも知れませんね。 ここには、絶対的な無意識層の『陰』に触れる ものすごく現代にとって重要なエレメントがあって、、、 これは、根源的なエレメントです。 ほほ。 根源的なエレメント? 我ながら、矛盾をした言い方だと思いながら書いております。 根源的って、全てが纏まっているモノです。 それを、エレメント=要素や成分に付けておかしくない? ですが、『陰』は、言葉にできないし、 普通、『陰』は木の根っこに例えますよね。 例えるしかないのが、『陰』。 次回は、真の『陰』は? ここを、次回は突破しないといけませんから、 ちょっとどころか、相当ムズカシクなりそうな予感がします。 あ、エレベーターに乗って! 地上階から131階へ行くように、難しいかも知れません! 時代の濁った間違った思想にゆがめられる事なく、 此れからは、一人の女性として自立を目指してくださいね。 お返事は、次回へつづきます。 次回が今年最後の更新の予定となります。 更新は、当分の間、不定期に行います。 よろしくお願いします。 よき、一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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12/26 17:02 |
コメントへのお返事 12. (母性を喪失した家族の癖) 『陰』の守護人Category : 家族関係
一ノ倉沢から幽ノ沢へつづく山道 (新潟県)10月20日
![]() 10月20日とは思えないさわやかな青空が、、、のぞいています。 不思議な事に、、、 気が付けば、山道の曲がり角へ女の子が歩いているの、、、 たのしそうなポーズでしょう? 確か、前には誰も歩いていなかったはず、、、 人がいない事を確かめて携帯のカメラをかざしたのですが、、、 こんな山奥、女の子が軽装で来る処じゃないのよ、、、 まさか、、、 今日の記事も、 過去のいただいたコメントへのお返事の記事になります。 今回が、今年最後の記事、更新になります。 今日は、前回、前々回と同じ 運命鑑定日記 5.(母性を喪失した家族の癖) 西洋父権社会の本質 の記事へいただいた鍵コメントへの、お返事のつづきになります。 今日のテーマは、 コメントへのお返事 12. (母性を喪失した家族の癖) 『陰』の守護人 『陰』の守護人は、当然ですが、女・母親ですね! これは、男性もお認めになるでしょう。 認めるどころか、そうなってほしいとお望みでしょうね! あはは。 ポイントは、次の3点です。 ポイント1. これは、RRさんの娘さんや貴女だけに起こったものではありません。 母親が働いて忙しい現代の家庭で進行している事です。 ポイント2. これらは、 家族、家庭に起きている『陰』の欠如の又は過剰の問題なのです。 男女の、陰陽の調和の問題から起きています。 親子の義絶や、「友だち親子」や「一卵性母娘」もです。 ポイント3. 真の『陰』は? に、要約できると思います。 では、コメントの②~⑤についてのお返事です。 あ、そう云えば、 前回のお返事へ新たな鍵コメントをいただきました。 どうもありがとうございます! レスポンスが早いと、記事が書きやすいので助かります。 ほほっ。 おそらくこのケース(多大なる母)は、 当事者も気が付かない内に、世間に増えているはずです。 というのは、母子が密着する家庭が増えているからです。 特に、日本中が核家族化しており、その上、開かれた家庭と云うよりも、 閉じた空間としての家庭が増えているからです。 他者からの無関心で孤立する家庭群です。 それはそうです。意識を中心にするとそうなります。 シングルマザー、離婚後の親権者争いから子供の取り合い、 仕事を優先せざるを得ない母親の下で育つ子供たち、等々です。 その中の誰かが、いつか同じ悩みでこのブログへ立ち寄ってくださって これをお読みになり、少しでもお役に立てたらと云う願いを込めて、 この鍵コメントも、要点のみになりますが公開をさせていただきます。 御了解をしてください。 今、我が国において、多勢は、 国の上から下まで、絶家に向った因を積み上げていますから、 このままの日本は、少子化どころか、国が危ういと思っています。 経済、経済! とさわぐ割には、働き手の問題でも、 女に働け! と女を頼る事くらいしか手を打てていない状態です。 畏れ多くも、皇室の宮家のお悩みもそうです。 天皇家自体もまず、皇太子家が女系となるようです。 これを、誰も、おかしいとは思わないのか? こう云う時代なのだと、言い訳をして済ますお考えなのですね。 では、これからどう運営するかと云う現象面の思案ばかりをして、 そう、全くの『陽』の現象ばかりを追いかけるだけです。 ほっ------- こう云うエライ人になる為に、子供たちは勉強をさせられる訳ですか? まぁ、こう言っては、おしまいね、、、 ほほっ。 なぜ、こうなるのかに思いを巡らす事はないのですね。 そう、現代の理性を標榜する学者たちに期待をしても無理でした! 地下茎『陰』を、探る手立てを持っていないからです。 意識、意識! バラバラの意識で、自分の五感に引っかかるモノだけ、 自分の意識が、間違いないと信じて疑わないのですね------ ---------なんと云うゴウマン。 呆れるよりここまで狂えるのかと、人間の恐さを見るようです。 悩みを悩みとも思わないで、問題点が大きく広がってから気づく、、、 もしくは最悪の場合は、自然の中の人間の生と云う存在を忘れて、 近代合理主義の不自然ささえ、気づかないままに、 子孫が絶え、家が絶家に向う事すら関心がなく人生を終わってしまう。 その時は、国家がIPS細胞で子供を作っちゃえばいいんだ、とか? それを、商売にする人間が、かならず表われて来ます! もう、その狂気の行き着く先は見えるようです。 年の瀬に、こう云う不安を抱えながら過ごす、、、 とても平穏な時代とは思えません。 では、本論へ参ります。 先日いただいたばかりの鍵コメントです。 ”こちらのブログの過去記事を読み、 「多大なる母」が気になっていたのですが、 やはり私の母はそうだったのですね。 >東洋的は、心の影響は体に、そのまま現れると云う思想です。 >今は、心理学においても、母親の恐さは、体の奥深く入り込むと云う事 が解って来ています。 今回の記事に取り上げていただいたコメントを書いた後に、 母に対する思いや、子供の頃を思い出し、 苦しくなって混乱してきたので、 親子関係の問題について書いてある本などを読んでいました。 その本によると、心理学やカウンセリングよりも、 自分の体と対話するほうが、問題解決の効果があるそうです。 確かに、私の体は緊張しているし、どちらかというと体が弱いほうです。 過剰なダイエットや、拒食症と過食症、自傷行為なども、 母親の恐さが、体の奥深くに入り込んだ結果のような気がします。 私自身は、20代まで過食症の傾向がありました。 紹介してくださった二冊の本も、読んでみますね。 >子供の運を吸い尽くす多大なる母の害 は、単なる精神的な害ではないのです。 >息子の場合は、誰とも親密さを持てない性格になったりします。 >結婚相手さえにも無関心になり、寿命まで生きないで夭折をするとか、 >母性に男として去勢され、生命力を吸い取られた結果です。 私の弟は、20代後半で亡くなってしまいました。 多大なる母の害…と思うと、本当に悲しいです。 弟が亡くなり、母の老後の面倒や、将来は家のお墓を私が守っていくこと になったので、実家に戻ってきたのですが、 母と一緒に住んでいると自立ができない気がするので、 いずれまた実家を出なくてはいけないかも…と考えています。 >娘だけが幸せになるのが、さみしいのですね。 >信じられない母性とでも言いましょうか、、、 >夫に愛されない妻は、子供を道連れにする... そのとおりだと思います、とても納得できます。 母は、口では私に、 早く結婚して幸せになって欲しいと言っていますが、 本心では、私が幸せな結婚をするのを嫌がっているのだろう、 と感じていました。” 今日は、以上を含めてのお返事になります。 まず、前回の ② からです。 後は、順番に、、、 ”② 私は母のようになりたくない、幸せな結婚をしたい! と思っていましたが、いまだに未婚です。 結婚に憧れながらも、心の奥に、 結婚と男性に対する恐怖心のような苦しい気持ちがあり、 心理学の本を読んだり、カウンセリングやセミナーを受けましたが、 いまいち解決しませんでした。 心理学などの「意識」では、解決できないのですね。。” その通りです。 カウンセリングについてですが、よく、そこまで理解しましたね! 私に、カウンセリングの仕事をしている友人がおりまして、 お互いが、まだそれぞれの分野で駆け出しの頃、 ちょうど、私が東洋運命学に自信を持ち始めた頃の事ですが、 友人が私へ打ち明けた話しが、あります。 ------ カウンセリングの先輩や先生方は、なぜか、 最後に、易、陰陽学へ辿り付いてしまうのよね。 ------ これが、ずっと心に残っております。 当時、二人でどうしてだろう ? と不思議がるだけで、 うまく説明ができずにいたのですが、 その時に、私の心の中を、フットとよぎったのは、 やはり、東洋学の方が本質を掴んでいるに違いないと云う事でした。 それ以来、東洋の叡智には絶対の確信を持っています。 ”心の奥に、結婚と男性に対する恐怖心のような苦しい気持ちがあり、 ” これは、そっくりそのまま貴女のお母上が立ち止まっている意識です。 ご自分の結婚生活の失敗から得た"夫である男性への不信の意識"から いまだに抜け出せないでいられるのでしょう。 これは不幸ですし、とってもお気の毒な事です。 ご自分が不幸だけならまだしも、 父、母、を両親として慕うべき子供の貴女に、 父の面影を通して男性不信を子供の心に投影する、、、、、 頑なに娘の貴女を、そこへ引き留めている、、、、、 本来なら、我が子には、 男性不信の汚れた意識を抱えたままの状態で、 立ち往生しているご自分の中途半端な迷いを見せるべきではなく、 我が子が傷付かないように、自分の中で正すべきものです。 ----------- しかし、人は過ちを犯します。 これが、≪ 離婚をするのは勝手でしょう!≫ の 一番こわい、最悪の避けなければいけない影響であり結果です。 現時点で、この影響を受けている子供たちの将来の事を考えると、、、 あぁ、泣き叫びたい気持ちに駆られます。。 。 今、ここで、貴女が気が付き、自覚をしなければならない事は、 ① こう云う母上の意識は、間違っている、と云う認識。 ② 貴女の心の表層は、母上の意識にそっくり染められている。 本当の貴女の心は、その母親の意識に染まった下にあると云う自覚。 あるからこそ、きちんと当たり前の自分の結婚願望を意識できるのです。 だから、母親からの分離をしなければいけないと、 そこまでは悩む事ができるようになられたのよ。 ③ その事を、はっきり自覚をして、自分を回復をするまでは、 一切、母上の云う事を、自分の「母」が言っている事だと 受け止めない方が良いのです。 そう云う事から、前回紹介した本を書いた女性たちは、 自分の母親の事を母とは呼ばずに、名前で~さんと呼んでいますね。 哀しい事ですが、心情的なものはこの際、断ち切った方がいいでしょう。 ④ 母上の意識は、間違っている = 欺瞞を帯びた心であると云う認識。 欺瞞を帯びた心 = 自分の言い訳だけを正しいと自己正当化する心。 それ以外は、認めようとしない狭い心です。 それゆえ、貴女の心を認めたり理解する事をしない。 だから、貴女が苦しくなるのだと、自覚し、認識する事です。 ⑤ 母親のやさしいお世辞の言葉に乗ってはいけません。 心情は汲み取れても、貴女をしあわせに導く方向性ではないからです。 お世辞とは、本音で会話ができなくなっているからです。 ⑥ 母親の云う事をそのまま訊いてはいけません。 貴女の自己責任の上で、自分で判断をした行動だけをする事です。 ”母の老後の面倒や、将来は家のお墓を私が守っていくこと” についてもそうです。 貴女が、母に染められた意識を完全に払いのけ、自分を回復できて、 母親と本音で会話ができるようになってから、 自分の考えで、そう言った事に心から取り組める思いと力が揃って いるのなら、その時に、決めればいい事です。 できるかどうかわからない、、、と放置して置けばよろしい。 これは、親不孝にはなりません。 現実問題として、養子を取るなりするのなら別ですが、 嫁に行った女性が、実家のお墓を守るのは無理な話です。 婚家の理解と、経済的な負担も担えなければ不可能です。 心の問題としても、婚家の先祖の許しもいる事です。 こう勝手に決める母上もおかしい所がありますね。 親不孝をさんざんして、母親の死後、心を入れ替えて墓参をする。 それだって、ありですよ―――。 あはは。 大事な事は、御体裁で見込みのない事を取り繕って言わない事、 できないかも知れない事を約束をしない事です。 大事な事は、心からでもない事を簡単にYESと云ってはいけないのです。 自分ができる事を自分で決める。それが、貴女の尊厳です。 自分の尊厳は、自分で命懸けで守るように。 ⑥ たとえそれが、母親と対立するような事であっても、 ひとつひとつ対立を恐れないで、きちんと反抗をして、 時には本音で母娘の大喧嘩をして、言い合いをして、 そのあげくに、貴女は勇気を持って自分の行動をとる事です。 母親を振り切る勇気、最低、自分の尊厳は守るのです。 自分に正直に! 悪い子と評価を受けても気にしない!!! それ位の自分の根太さを鍛えあげる事です。 目標は、母の顔色、母親の満足ではありませんよ。 自分が満足できる自分、それを掴まえて行く事です。 貴女には、反抗期がなかった? 母親と徹底抗戦で、戦った事がないのですね? 反抗する子供は、良い子じゃない、と思い込んでいませんか? もしくは、そう教えられて、母親の枠の中で大きくなった? 少しは、反抗をしたけれど、強い母親に押さえつけられてしまった? それで、負けを意識して、おそらく、いい子過ぎるのですね。 ⑦ 母親に逆らう自分を知る事で自分が大きくなっていくのです。 その為に自分の本当の気持ちでぶつかって行く、 反抗期は絶対になければいけないのです。 親子喧嘩は必要なのです。 これを通過しないと、貴女のように自立の問題で苦労をします。 親が、正しければ、、、とか、関係ないのです。 意識に正悪はないのですよ。 どうロジックを張るかです。 それこそ、意識は、人それぞれ、親子だって、夫婦だって違います。 その違いを知る為にも、どこまで対立をし、どう和解するか? そのテクニックを知る為にも、まず子供は反抗をさせる事が大事なの。 その自分に丁度の処を知る為にも、母の胸を借りて練習するべきでした。 母を傷つけてもいいのですよ! 真の母性は、子供に傷つけられるなんてありません。 子供からすると、あらゆる大人と対立したっていい訳です。 本人も周りも大変だろうけれど、勉強になると思います。 諺の、" 可愛い子には、旅をさせろ。" これは、いろんな意識と出会って経験を積ませる為なのです。 それが、可愛い我が子のお守りになるよ。 そう云う意味です。 最初にぶつかるのが、母親の意識です。 母親は、一番にノックアウトしなければいけない相手なのです。 母と娘は、口げんかがもの凄い! と云うのが相場です、、、あはは。 私の周りには、自分の娘について、生意気だ、素直じゃない、 まったく云う事を訊かないと、嘆いている母親がたくさんおります。 俗に、母親と云うモノは、貴女の母上のように、 娘が、素直で、なんだって母親の味方をしてくれるのを願ってはいます。 しかし、貴女のように自分の自立を犠牲にしてまで母親に付き合ってくれ る健気な娘は少ないようですよ。 あはは。 私が、世の母親から耳にした娘から言われたヒドイ言葉の中には、 " お母さんのような専業主婦なんかに、なりたくないー!" " キャリアウーマンだったらよかったのに、なれなかったの? " " こうなったのはあなたの育て方。あなたが産んだ娘でしょう。" " あなたがそう云う結婚をしたからよーー!" などなど、、、 こう云う言葉を育て上げた娘に言われながら、、、 あはは。 女としての繊細な心は傷つきながら、、、泣きながら、、、ほほっ。 母親と云う強者は、黙って娘のお弁当を作っているのですね。 ある時は、鏡の前でいつまでもお化粧をしている娘に向って、 " あなただって、いつかは お母さんみたいなおばさんになるのよ。今の内、しっかりね! " あはは。 時々は、小槍で突っつき合っているそうです。 ほほっ。 息子たちは、異性である母親には、やさしいのですが、 同性である娘たちは、母親には手厳しいですから、、、 そう、お陰様で、弱かった母達は、娘の " 針のむしろ " で鍛えられて、 ますます、自立をして強くなって行く、、、 良い事ですね。 ほほっ。 娘は母親に負けてはいけないのですよ。 母親は、娘に負けて初めて未来に希望が持てるのです。 これが、健全なる母娘の関係でしょう。 しかし、 ⑧ 多大なる母の意識の特徴は、 自分は正しいと云う自己執着が強い事と、自我の自立性の脆弱さ故に、 自分の存在の自信のなさを補強する必要性から、 我が子との一体感で、いたいけな我が子を騙して、 子供を認めようとしないで、自己補強に利用をする処です。 それは、つまり 多大なる母の意識の世界は、完全なる自己中心性の世界です。 これにはこれの理由があるのですが、今は省きます。 だから、我が子が、自分の云う事を訊かない位なら、 そんな大人にならない方がいいとさえ思っています。 永遠の少年、永遠の少女のままにいて欲しいのです。 それは、母親のお気に入り娘、息子のままで、母親に反抗をしない、 母の望みのまま、自分を支持し、正しいと認めてくれる相手として、 息子や娘を利用します。 特に性的に男や女の特徴が出て来る事を抑えようとします。 母親のエゴイズムによる我が子への支配です。 まるでストーカーのような、この多大なる母と子の関係は、 子供の側が、彼女や彼氏を作る事なく、 恋愛や結婚をしないまま、大人への脱皮をしないまま、 永遠の少年、永遠の少女を振る舞っている限りにおいては、 何事もなく時間は過ぎて行きます、、、 そして、いつのまにか母も年を取り、娘や息子が白髪頭になっても、 この関係は続くものです。 ある意味、周りの目には、仲のいい親子、お母様が体が弱いから、 結婚もしないで、お母様の世話をする孝行息子さん! ご近所さんや世間からは、そう見られます。 これが、今の非婚化の現象を生みだしている一つの原因だと思います。 そして、親子が共に年を取ってからは、 生き生きとした精気の途絶した年老いた親子だけが暮らす家、、、 目立たない親子が、、、と云う風景に収まってしまいます。 そして、こう云う場合の子供の方は、いくつになっても、 どこか少年らしい、少女らしい雰囲気を持っているものです。 それはそうです。 子供の側も、強過ぎる多大な母性の倒錯した世界の中に閉じ込められ 直接の現実に向き合っていないからです。 多大な母性が支配する二人だけの仮想空間に生きているからです。 直接の人生、ある意味の自然そのものへ立ち向かっていないからです。 これこそが、『陽』だけの疑似世界を作り上げた近代合理主義そのもの、 『陰』を失って『陰』の創造性が立ち消えた『陽』の成れの果てです。 つまり、人生へ立ち向かう気力、生産性が乏しくなった親子です。 なぜなら、家庭内で『陰』の崩壊が進むと、 『陽』の生産性が、跡形もなくなるからです。 当然ですが、このような家には子孫は生まれません。 子供が結婚をすれど、孫が生れないのです。 たくさんこう云う家庭をお見受けします。 ----- これ自体が、少子化、不妊症の増加の根本原因です。 家族が朽ち果てる。と云う表現がぴったりです。 こう云う風景が、ご近所にも目につきませんか? 今、全国的に増えているようです。 この風景が、当たってしまいましたね。 ”私の弟は、20代後半で亡くなってしまいました。 多大なる母の害…と思うと、本当に悲しいです。 ” 貴女の家だけではなく、長男を失くす、長男が結婚をしない、 長男がおかしい家が増えています。 これについては、また、、、 ⑥ 貴女が、結婚を叶えるには、 まず、親離れが、結婚の前提です。 母上に支配されている現状では幸せな結婚はできません。 例として、宮沢りえ、とその母(りえママ)の関係もそうですね。 彼女の家系も絶家運です。父権が見当たりません。 やはり娘を産んでいますが、りえママが原因で離婚をしました。 りえさんも、風貌が永遠の少女タイプです。 ここが、多大なる母の意識の特徴です。 多大なる母は、娘が結婚をした後も支配を止めません。 口出し、手出し、時にはお金も出して、 娘の支配権を ------- 娘の夫と、争うのです。 社会的に弱い夫の場合は、母親に敗けてしまいますね。 母親が、手出し口出しができない相手でないと結婚も続かないのです。 その点で、親と同世代の重厚な男性と結婚をして、 両親の支配から抜け出たのが吉永小百合さんです。 結婚をうまく自分の両親からの自立に利用をし成功をしました。 結果は、両親の支配が及ばず、小百合さんの結婚は続いています。 宮沢りえさんより、少し賢い選択だったのですが、 絶家運、残念ですが子孫運に恵まれていらっしゃいません。 ほら、やっぱり、永遠の少女、乙女のままです。 貴女の件へ戻りましょう。 気になるのは、弟さんの件です。 相当強い多大なる母権のようですね。 そう云う先の事も考えると、RRさんの娘さんの様に、 貴女も母上とは義絶をするしかない、かも知れませんね。 まず、母上から自分の体を完全分離をする事です。 影響を受けない処まで、親から逃げる事ですね。 逃げる? そうです、 これは、もう逃げるしかありません。 --------- この意味をよく考えてくださいね。 親子で話し合って解決できる問題ではありません。 でしょう? 最終的な解決は、無意識へ任せるしかないのです。 貴女ができる事は、 母親と、自分の心身を分離させるには、どうするか? 母上の意識が届かない、 ほら! 携帯の圏外! 母上の意識が届かない位、アンテナが立たない処まで、 母上の意識が届かない圏外へ、物理的に逃げ切る事です。 それなら、今までの云いたい事を、胸に溜まったものを全部出して。 連絡も取らない覚悟で、実家へも帰らない覚悟で、 そうであっても親子ですから、、、 RRさんの娘さんのように、母親に拒絶の態度をどう取るかです。 実家は、本来、出たい時に出て、 本当に母親に会いたくなった時に帰ればいいのです。 帰りたくなければ帰らなくてもいい。----------- 実家の近所で信頼できる身内とか、話ができる人に、 何か、あったら貴女に知らせてくれるように、 貴女の連絡先を言って置ける処があれば、好都合ですね。 貴女は、もっと、自由に、自分のペースで生き直す事です。 これは、親不孝ではありません。 貴女の母親が、貴女が反抗する必要がある時期に、 反抗をさせなかった、、、その埋め合わせをする為ですよ。 子供が思いっきり反抗をしても潰れない母性とは、 どういったものなのだろう? もう、数年も前になる新聞記事でしたが、 オウム事件で、死刑判決を受けた息子を持つ母親が、 被害者の弁護士一家のお墓参りに来て、帰り際、 当の弁護士の母親が墓参に来たのとすれ違うのですね。 お互いに、相手が誰かは知らないで、、、 その一部始終を目撃していたのは、 死刑囚の母親の取材をしていた記者です。 そして、彼が書いた記事だったのですが、 母と云う言葉の中には、いろいろな母がいて、その立場こそ違え、 こんな両極端な立場の母が、片方の息子の墓地ですれ違うのです。 すれ違う二人の母の心の中は、お互いに、我が子の事を、 どんな我が子であっても我が子と認めるいとおしさで、 それは同じであろうと、、、書かれてありました。 『陽』の社会現象の世界では、片や死刑囚の母、 片や、その被害者、殺された弁護士の母なのですが、 『陰』においては同じ心なのだと。 死刑囚の息子だから、、、いとおしくないとか、 殺害をされた息子が哀れで、、、いとおしいのだとか、 評価によって左右されるものではないと、 両方とも、尚更、子を思う母親の心は、悲しいと、、、 それが、『陰』の発露なのだと痛切に思った事がありました。 どの子も受け入れて認める事ができるのが、母性なのだと その時に、その記事を読んで感動をした事があります。 しかし、今の世は、 娘や息子を過剰な期待で束縛する母はいるけれど、、、 彼氏の事や大学の進路の選択にまで介入する母はいるけれど、、、 この母は、『陽』の価値観にすっかり染まっている女ですわ。 これらは、本当の母性ではないのです。 真の『陰』とは、 いつも全てを受け入れるものですよ。 まるで無意識の領域の際限のない広さと深さのようにです。 本来の母性は、 貴女が、どんな反抗をしようと、母親を無視をしようと、 母親にとったら貴女はいとおしい存在のはずです。 こうしたら母親に嫌われるのではないか? 言い返えす事は良くない事ではないか? そう云う恐れを捨てて、 まず、自分の主張を強く母親へ出せるように訓練をして、 もう、貴女もいい大人なのだから、、、 年齢的に母親に負けてはいけないのです! あはは。 そして、もっと重要な事は、 貴女の行動の裏は、お母様の自立を計る為でもあります。 母上が、貴女の自立の邪魔をして来たのは、 シッカリはしていても、ご自分が自立をしていないからです。 貴女の方から、この関係を動かさないと変わりません。 貴女の今までのような対応では、 母上の心の問題の真の解決にもなっていない。と、云う事です。 心の問題の真の解決は、最後は誰の助けも借りてはいけないのです。 その為には、 母上が、一人で、自分の問題に向き合う事が必要なのです。 そして、母上が、ご自分で自分の意識の下にある無意識に気づき、 そこからのメッセージに耳を貸さないと、、、 此の謎は解けないでしょう。 母上も一人になって、ご自分を見つめ反省をし 謙虚にならなければいけないのです。 当然、貴女が助ける事もできません。 ある意味、母上を一人にする事ですね。 一人で修行をしてもらいましょう。 あはは。 貴女が、貴女の心の問題を解決するのに、 母上が、傍に居たら逆効果なのと同じで、 最後は各自が自分一人でやらなければいけない問題です。 と云う事は、 貴女が、もし、母上に寄り添えば寄り添うほど、 母上の云う事を訊いてあげればあげるほど、 貴女の母上が、自分の間違いに気付くどころか、 貴女との嘘の共犯に甘えてしまい、 母上が、ご自分の間違いに気づかないようにしているようなもの。 つまりは、母娘二人がダメになってしまう、、、 その事に気が付いて、後は行動をする事ですね! 無意識の真実が、浮かび上がって来るまで 『時』をかけて待つ事です。 ”③ わが家の陰徳は、かなり失なわれているようです。 今まで、見るのが辛かったけれど、今回の記事でわかりました。 家系の陰陽のバランスが崩れて、母性が失なわれ、命が育たない… 自然淘汰へ向かっている。” その通りです。 ここが、出発点です。 これからが、どうなるかは、すべて今からですよ。 そして、これは貴女ばかりではありません。 国を挙げて、母子が病気のような状態ですから、、、 ”④ でも、現実を見ないでこれ以上、無自覚に陰を失ってしまう事こそが、この先にもっと辛く、もっと苦しい事として還ってきてしまう。 cosmosさんのブログと出会い、 今、気付く事ができて、本当に良かったです。 >目に見えない徳性を重んじる心です。 この心を、取り戻さないといけないのですね。 命をモノとして扱う近代合理主義の嘘を、見抜く目を持って、 周囲に流されず、 社会や他人が悪いと責めずに、” そう、その通りです。 徳性、まず信の徳性で、貴女の本当の心を、母上へ伝える事です。 母親の真の母性を引き出すように、貴女が変わる事ですね。 ”⑤ 女性である自分が苦しみを引き受けていく… 現実生活で、どこまで実行できるかわかりませんが、 そのように生きたいです。 本当に大切なことを、 ブログを通じて教えてくださり、感謝申し上げます。 ありがとうございます。” 一番大事な事は、 自分の心に嘘をつかない事です。 母親に合わせて生きる事を止めましょう。 最低、自分の尊厳を守る事です。 そうでなければ、母上を騙している事に通じますよ。 瞬く間に『信』の陰徳が消えて行きます。 これを機会に、東洋学をお勉強してくださいね。 まあ、長くなってしまいました! お正月休み、お暇を見つけて、 何度かに分けてお読みになってくださいね。 ほほっ。 やれやれ、年も押し迫って、26日も暮れて来ております。 本年は、拙ブログをご訪問下さり、熱心に読んでいただき、 その上に、拍手やコメントをいただきました。 本当にありがとうございます。 深く感謝申し上げます。 また、来年! ふふっ。 みなさま、よいお年を、、、お過ごしになってください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |