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    〔近代化の奈落 2.〕    近代的自我が落ちた穴 --------- 感覚礼讃

    Category : 運命学と近代化
    iいちご


     
    最近は一年中、苺が食べられるようになりましたね。

    苺が、本当は何時が旬な果物なのか ? 分らなくなっています。

    こう云う形でも、我々は自然を失って行っています。


    いつでも食べたい時に食べられるように便利にする、、、

    本当に、私たちの為を思っているのかどうか?さえ疑わしい、、、

    なんともお節介な!時代に生きています。

    これが止まらない経済、商業性の追及です。


    I can't stop it !  ですね ――――――  あはは。


    これこそが、

    感覚器官・意識を満足させる欲望を中心に据えた世界観です。

    感覚・意識を中心に据えた合理主義下の世界観が実現された姿です。

    実体は、飽くなき欲望の満足です。




    それとは反対に、


    苺の旬を過ぎれば、苺の盛りの名残りを惜しみ、

    一年後の苺の旬を心待ちにする。

    欲望を抑えて、『時』に調和をする。

    これが、『天』・自然を中心に据える世界観です。

    結果は、『陰』・自然に調和する中庸の生き方に通じます。





    どちらの世界観がいいの ?




    このお答えになる鍵コメントを、11月 7日にいただいておりました!

    11月 4日の記事

    いのち(自然と健康)を脅かすもの 6  牛乳  (癌とオスのメス化)

    へいただいたものです。

    一部ですが、公開をしてご紹介をします。 ご了承くださいね!






    >2003~2004年のたった2年間の情報量が、

    >人間が歴史上作り出して来た文書の情報量を超えてしまった、、、

    、、、とか。


    情報が溢れかえっていることにも嫌悪感のような違和感のような感じを

    持っています。

    実際には、ネットで助けられたこともあるし、cosmosさんとの出会いも

    ネット上ですから、完全否定するつもりはないのですが、

    どう考えても行き過ぎの様な気がしています。

    一番恐ろしいのは、

    この流れは人間の手では止められないだろう、と感じられることです。

    資本主義も原発も同じですが、人間の手で生み出されたものなのに、

    手が届かなくなってしまった。

    こういうもの達は、コントロールできないところまで突っ走ってしまうのが

    本当に恐ろしいです。

    限界に挑戦するかのように生きて来た人間達ですが、

    <出来るけどやらない。知っていても言わない。届くけど触れない。>

    こういうことがあって良いと思います。

    引く勇気、隠す美、留まる智恵、とでもいいましょうか。

    例えば、「悪」が明るみに出て来ることは悪くないと思うのですが、

    全てがクリアになることが良い訳ではないと思うから。

    そう書きつつ思ったのですが、

    知らなくていい事がどんどん出て来る一方で、正しい情報が出て来ない。


    何が悪で何が善なのか?

    更にいえば、「何を明らかにし、何を隠すのか」

    その線引きは誰がするのか、等...。

    ・・・難しいですね。

    難しいですけど、その中で「如何に」生きていくかが、

    まさに命を繋いでいくことですね。

    これは本当に意識(陽)の範囲では語り尽くせないことだと思います。

    だから今こそ「東洋の世界」に帰らなければならないのだと思います。



    ・・・・・・・・・



    いつも丁寧なコメントをお送りくださってありがとうございます!

    最近は、コメントに教えられています!  ほほっ。



    もうひとつ、前回、取り上げましたコメントをくださった方から、

    そのレスポンスが届きました。

    これも鍵コメントなのですが、一部、ご紹介します。



    こんばんわ。

    お忙しい中、小生の質問にお答え頂き大変幸甚にございます。

    本当にどうもありがとうございました。

    日に日に東洋哲学の物の見方が体に染み渡っていくのを

    感じております。

    小生の感覚ですが、要するに、

    東洋哲学の中心を貫くのは「時のめぐり」なんだと思います。

    それは個人の人生や国家まで、森羅万象を司る自然の摂理であり、

    全ては「時のめぐり」の産物だと感じます。

    同時にこれを成り立たせているのは「陰徳」に支えられた、

    「調和」なんですよね...


    ところが、西洋哲学のように「陽」、つまり「理性」や「ロジック」

    のような意識上で、分析し体系づけて世界を捉えていると、

    昨今にみられるように「~主義」や「~論」、卑近な例では、

    「こうすれば~が出来る!」、「人生を幸せにする~メソッド」、

    「努力すれば~」や「何でもなりたい物に~」など、

    ◯◯のようにしたいから × × という方法論を導入すればいい、

    のような一直線的な人生観に行き着いてしまい、

    東洋哲学のような「時のめぐり」、「陽徳や陰徳に支えられた調和」という

    境地には辿り着かないんですよね。


    社会的な地位、学歴、努力、外見や意思が、

    必ずしも人を幸福に導かない訳が分かったような気がしました...

    私事ではありますが、不思議なことに最近は今になって、・・・

    ・・・・・・数年前では考えられない位の体の変化に驚いています。

    本当にご縁と言いましょうか、「時のめぐり」とは不思議なものですね。

    どうもありがとうございます。

    厚かましいお願いとは承知ですが、今後とも宜しくお願い申し上げます。



    ・・・・・・・・・・・


    いや~! 大学生で、大したものですね!   あはは。

    ここまで東洋に習熟されましたか、、、

    脳の能力は、若い方が良いのかも知れませんね!

    先が楽しみですね。 一応、、、、、『時』で大丈夫です。

    しかし、まだ奥が、その奥があります。    ほほっ。

    と云うのは、『時』すらも、人間の意識が取り出した概念です。

    たぶん、こうであろうと、人はこの世界を観察中だったのね、、、あはは。

    その成果が『暦』だったのです。

    しかし、現代人は、その『暦』すらも投げ捨てて、『時』の意味を失い、

    体に開いた5つの穴 ――― 五感から入る情報に我を忘れています。

    それが、意識です。

    5つの穴から我欲を出してこの世界を覗いて見ているだけです。

    意識に夢中になって、その寄せ集めの学問で、いくら外を覗こうと、

    まだ、IPS細胞を見つけてもその応用は、、、まだ、

    まだ、まだ、、、、、


    肝心の『時』すら意識・西洋哲学は、解き明かせていないのですよ。


    人間の意識は、まだそこまで!


    ただ、分らないまま『陰』・その恩恵に浴しているだけです。

    『陰』への感謝も忘れてです。      あはは。


    それどころか、近代合理主義は、その『陰』すら無視をして、、、

    なんたる事かと!呻吟(しんぎん)をしている処です。

    無意識と比べると、

    意識のなんとちっぽけな事か!

    それを再確認して、謙虚に、生きて行かざるを得ない状態ですね。

    こちらの方こそ、どうかよろしくお願いします。

    --- 呻吟 = 苦しんでうめくこと。




    前置きが長くなってしまいました。

    いよいよ、これからが本論です。    





    今日の記事は、


    〔近代化の奈落 2.〕 近代的自我が落ちた穴 ----- 感覚礼讃




    まず、奈落、 これは、地獄の事です。  あはは。

    近代化で落ちた地獄のありさまについての記事です。  ほっ。



    次は、近代的自我。

    日本人が、太古の昔より心の中に温存して来た我ではなく、

    もう、西洋的意識が小麦粉を練ってこねくり回したような自我の事です。

    その影響が、キリストに何の関係もない東洋に生まれた我々にも、

    すっぽりカブセられていると云う、おそろしさ! 

    奇妙奇天烈感! この上なし。

    押し付けられた西洋製の借り衣装です。


    願いは、このピエロの様な近代的自我と云うお仕着せを脱ぎたい!

    脱いで、元の、本の、素の私に戻らなければ、、、  あっはあ。

    それが、本当の自我の回復であろうと信じております。  ほほっ。





    前の記事に書いた事ですが、

    西洋における神と人間との事件に巻き込まれて、

    こんなドサクサの旅姿? になってしまったのです。 あはは。

    もとはといえば全部、西洋の事情です。






    我々は、狩猟民族の東洋遠征の狩で生け捕られたヒツジでしょうか?

    サルなのですか?




    もちろん我が国の内的要因もあります。

    これについては、別の機会に、





    ヨーロッパにおける近代化の土台になったデカルトの言葉

    ” 我想う故に、我在り ” に象徴されているように

    それまで、

    キリスト教の全知全能の神中心の世界観に対して、

    誰もが自我を中心にして世界を見る事ができなかった時代に、

    (私・自我)こそが、世界認識の起点である!

    その私の実在を疑う事はできないだろう!

    " 明晰な知の基礎 " としての(想う) = 近代理性の出発点として

    導いた『方法序説』のデカルトのこの命題は、

    当時のキリスト教の中世暗黒的風土に取りましたら、

    間違いなく、衝撃的な、天地をひっくり返すような発想の転換でした。


    これは、神に縛られて自由ではなかったキリスト教思想下の人間が、

    神の云うなりではなく、人間自体が考えて行動を決めたい、

    もっと、神の下から抜け出して自由になりたい、

    その足場として、人間だって想うんだ!

    これを出発点にしよう! と、した訳です。

    発想は、斬新なような? しかし、、、


    これが、デカルト第一の勘違い!

    " 想う " ―---- 意識を引っ張り出した大間違いです。





    前回、笑った処です。


    デカルト第2の勘違い、失敗は、後で、、、  あはは。
      


    ずっとブログを書いて来ていますと、

    同じ言葉ばかり書いていて、少し食傷気味になっています。

    近代化、意識、感覚器官、、、  あはは。


    すこし、違った言葉を使いたいなあ、と思うのですが、

    そうも行かない現実があります、

    世の中に溢れている合理主義的な思潮が気になって。


    気になる・・・・・・私は足場を東洋に置いております。

    そのおかげで、かろうじて濁流に流されないでおります。

    それゆえ、東洋的なものには敏感です。

    で、見逃せない事がありました。


    同じF2ブログの中で、相互訪問をしている友人のブログの中に見つけた

    次の言葉でした。




    知識や教えだけでは越えられない

    感覚的体験をとおして歩む道





    普段、スピリチュアルな詩と外国の美術的なブログだったので、

    ちょっと普段とは違う、感じを受けました。


    東洋?

    このかすかな東洋の匂いは、

    ヘルマン・ヘッセの「シッタルーダ」がkey word だったので、

    合点が行きました。

    西洋的な中に、(★注)キメラの如く東洋のフィーリングがありますね。


    (★注)キメラ = ギリシヤ神話に出て来る

    ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴をもち、口から火を吐くと云う怪獣。

    生物学で、異なる遺伝子型の細胞が共存している状態の一個体。







    でも、感覚的体験をとおして は、東洋とはちょっと違うな? 


    まさに、現代感覚。


    いい機会だから、

    この記事の感想を記事にする了解を、去年いただいておりました。



    このブロガーの方ではなく、他のブログでも、

    普段、気になるのは、

    今の合理主義的な思潮の蔓延する社会の中で、

    明らかに脱原発や経済偏重の社会や政治を批判している側の

    個人が発している表現や立ち位置の問題です。


    どう云う事かと云いますと、

    近代国家の政府や資本主義下の企業は、合理主義あっての存在です。

    骨を切られても合理主義を否定する事はしません。

    近代合理主義下の知識でメシを喰っている人たち、

    学問で権威を与えられている学者たちもそうでしょう。

    しかし、個人の立場は、ある意味自由に物が申せますから、

    この社会をこのままにしていたくなくて、

    脱原発、経済偏重、政治の無能さを克服した社会にしようとするなら、

    自分が、まず合理主義下にいる自分を客観視できる立脚点を持って、

    合理主義の外へ出ないとダメだ


    と、云う事に気が付かれている人は少ないのですね。


    ちょっと、くさ~い例えですが、、、  ほほっ。

    自分は、合理主義と云う便利なお風呂に浸かりながら、

    " このお風呂は、どこか汗臭い!!! " と文句を言っているような!

    自分も汗を出しながら、、、臭いのはイヤだ! と、、、 あはは。

    原発はイヤ、非正規労働者はイヤ、

    経済偏重はイヤ、などなど、

    目先の現象群に文句や注文を付けた処で、この思想から出なければ、

    それらは、無理だって云う事に気が付いていない。


    そもそも、我々現代人の念頭には、まず、

    心と肉体はバラバラで別々の物と云う思い込みがあって、


    ちょっと、臭いけど体には影響はないって、   あはは。

    物は不足していないから、まだ大丈夫だって、   あはは。

    それは、それで、このお風呂が快適なのね。  あっは。


    リモコンで便利だし、経済的で安いし、飢餓から守られているし、

    ツイッターフェイスブックで世界は一つ!   あはは。

    それこそこのお風呂が無くなれば大変だし、、、   ほほっ。


    みんなが、大概居心地のいい合理主義を

    改めようとは思っていないのね。

    それで、眼前の不満だけをああだこうだと言っている。

    つまりは、キリスト教製の合理主義の手の平の上で、

    自分の5つの穴で、眼前の苦と楽の仕分けに夢中で、

    なぜ、この苦が生れて来るのか掘り下げる暇がない!


    ! 合理主義の手練手管に踊らされているのが分らない???

    自分の、、、、、感覚の満足の追及をさせられているのよ。

    これが、今の文明の正体! 

    個人個人が、ある意味の感覚主義に堕とされているのですね!  




    このように、


    思想を取り入れると云う事は、

    心も体もその思想の通りになる、と云う眼前の光景に唖然とします。



    心より体に現れる現象の方が、

    我々の感覚器官・目で捉えられるようになるには時間がかかります。




    体に現れる時は、もうすでに手遅れなのね。

    病気と同じです。―------- 近代化の自己喪失病と云う

    全身転移には、約3世代に亘って、 約100~150年位経って、

    爛熟の合理主義の時代で生まれた赤ちゃんが大人になると完成します。

    なにが完成って?   
     

    『時』を無視して快感追求の感覚こそが、真理だ――――っ?! 

    『陰』を捨て去った意識こそが、全知万能の神だ――――っ!?

    と云う近代合理主義製の人間の完成です。



    丁度、日本は、今から怒涛の様に、そう、津波の海の様に、

    合理主義を体現した生っ粋の人間ばかりになるはずです。




    うれしいですか? 

    かなしいですか?




    思潮(心)が、それを体現した人間(肉体)を創造するのです。


    つまり、合理主義の具現化、現象化のプロセスが、今の世の中です。


    原発や経済偏重や非正規労働者の出現(肉体現象)など、

    あらゆる今の社会現象は、

    都合のいい事だけを見ようとする意識を神の位置に置いた過ち、

    その合理主義(心)の世界観が実現している結果(肉体)なのだと、

    誰も気が付かないのでしょうか????、、、?



    それどころか、人類は進歩をしていると得をしている人達は言います。


    合理主義下の専門家が言う事だから、信用できなくて、

    意識が知る範囲の、正しいって事でしょう?

    本当に、正しいとか、安全ではないのよね??? !


    そう! 感覚や意識は、個人でバラバラなんだから、

    誰の意識が、正しいなんて言えないでしょう?


    無意識を捨てた段階で、我々は、絶対性を捨てた訳だから、

    これが当然の帰結なのです。



    こう云う社会が、到来するのではないかと危惧しています。




    ここからが、我々にとってのデカルト第2の勘違いについて。



    そもそも、近代合理主義は、

    キリスト教に " 臭い " と文句を言いながらも、

    キリスト教のお風呂から出ないまま生まれ出た思想です。

    お風呂から出ないままとは、

    デカルトは『神の存在証明』によって

    究極的な存在と知識の基礎を神に求めると云う事をしました。

    つまり、自分の命題の箔をつけるのに神の保証を付けた訳です。


    おそらく、想像に難くないのは、

    教会の承認がなければ彼の命題は世に認められなかった。

    神の御名の下の意識、

    神の許したもうたお墨付きの意識、

    人が " 想う " の格上げを神殿に奉納する代わりに、

    神に忠誠心を示し、教会・神と取引をし、和議を結んだのです!

    当時のヨーロッパにおける状勢の影響に染められている意識。

    意識を中心にする世界観とは言っても、

    聖書の世界観の中にお行儀よく納まったキリスト教的意識です。

    私たちが受け入れたのは、キリスト教的意識だった!

    それに、どれだけの日本人が気が付いていたでしょうか、、、

    そんな事、どうでもいい! じゃないのですよ。




    ――――― ここからは、日本人の軽薄さが招いた奈落への転落です。


    東洋の世界観から余りにもかけ離れた ――――――――

    驚天動地のキリスト教的世界観を背負った意識を受け入れた日本人。

    故に、直接キリスト教の神を信じる人間ではないのに、

    国が、産業富国強兵で近代化を急速に受け入れたとしても、

    国民である我々が、見えない放射線の照射のように

    キリスト教の神が持つ全ての性質の影響を受けざるを得ないのです。


    ここが、思想のおそろしい処、意識もなく染まって行きます。

    思想は想念ですから、無意識下へ入り込むのですね。

    我々の意識は、イヤでもキリスト教の枠内で生きさせられている。

    神が創ったこの世界と云う二元論を骨の髄まで沁み込ませて、

    いつのまにか、自然と人間とはベツベツだと云う観念に染まって、

    自然と我とは一体と云う東洋の知恵を失くしている。

    平気で自然を物として扱い、経済の為なら自然を破壊しても平気になり、

    心と肉体は不二であると云う生命観を忘れ、

    心と離した肉体を、物のように感じて生きている。

    もうまるで、どっぷり浸って漬物の出来上がりですね。 あはは、




    こう云う状況下で、

    近代合理主義の外に出るとは、どうすればいいのか?

    まず、近代合理主義の思想を知る事、そして、

    その影響を、客観的な観点から見られる立ち位置に立つ事です。



    ーーーーーー




    客観的な観点に立つとは、

    前回の記事で、山岳ガイドさんから聞いた西洋と日本の自然観、

    登山観の違いを書きました。

    まず、受け継いだ処の信念としての伝統的な登山観を持つ事が、

    この山岳ガイドさんにとっては、わが身を守る事になっています。

    近代化とは、どんな事なんだ、と云う事が身近な事から分るのです。

    無制限に近代化を受け入れて西洋化すると云う事が、どう云う事か、

    自分の大事な山を守ると云う観点から観えて来るのですね。

    キリスト教的自然観では守れない事が分るのです。

    そして、自分の中で、近代化を食い止められるように努力をする。

    それを、身近な処から実感を伴って他人へ伝える事ができる。

    それで、自分自身を自己喪失から身を守る事になるのだと思います。

    この効果が、どう人生に出て来るのか?

    次回からの記事で、少し書いてみようと思っています。


    今日は、演劇と云う芸術の観点からヒントを一つ書きましょう。


    昨年襲名した四代目市川猿之助氏が、

    現代演劇についての中で、こう述べています。

    「現代劇の限界は、

    ① 歌舞伎に登場する魑魅魍魎(ちみもうりょう)や怨霊などを

    近代的な合理主義で切り捨てたところ。

    ② 現代劇の登場人物は、一幕から三幕まで同じ性格ですが、

    歌舞伎は全然違ったりする。

    自分自身も昨日と今日では違うし、そっちの方が本当。

    現代劇は逆に浅いですね。」



    ①、②、は編集で付けました。

    ① はその通りですね。

    人間の存在の無意識の部分です。言葉で表せない部分です。

    それが、日本の古典では怨霊や幽霊、亡霊として出て来ます。

    現代劇は、無意識を排除した合理性の上に作り上げたものですから、

    摩訶不思議な部分をそぎ落とし言葉に力点を置くのですね。


    ② もそう。西洋の思想には『時』の要素がありません。

    合理主義の『時』を知らない性質、癖のままに、

    『時』が止まった空間の中で人物が蠢(うごめ)くのです。

    筋書きが読める。予想できてしまう単純さがあるかも知れません。




    このように、『時』を経て伝統を守り続けて来た歌舞伎役者ならではの

    近代化後の演劇を観る目があるのですね。 

    おもしろいなと思いました。


    近代化以前の伝統を受け継いで守っている人には、

    近代化の姿のいびつさが、喉に小骨が引っかかるように気づく。


    ちょっと待てよ!  と、

    近代化って、西洋化って、良い事ではないな!  私も同様です。

    自分が何がしかの東洋的な伝統に足場を持つ事が大事ですね。






    現在の我々を取り巻く " 意識・感覚礼賛 " の合理主義を責めずして、

    自分の中の合理主義を反省せずに、

    目の前の現象だけを追求しても、それはつぶやきにしか過ぎず、

    そう! ほんとうにツイッター

    本質を観ずして目先の文句を言うだけなら、

    敵もさるもの!

    どんどん現象が誤魔化されて、尻尾が掴めなくなって行くだけです。



    まさに、念仏で響く哀音。

    このぬるま湯に浸かって " 南無ゲンパツハイヤダ!" って、

    念仏を唱えても現実は変わらないでしょう。

    " 南無ケイザイノタメニサイカドウスル!" と云う政治家の方が

    徹頭徹尾、合理主義を貫いている点では、余程、理は通っているし、

    それは、間違いなく実現、現象化するのですよ。





    たぶん、これに気が付かないのは、

    その大前提には、我々一人一人の

    自己の感覚への(大)肯定感があるのですね。

    つまり、自惚れと、言っておきましょうか、、、


    お互いの感覚を認め合う事と、それが正しいと認め合う事とは違う。



    時代の相対化の風潮と共に、そこの勘違いがある。

    私の感覚こそが ! 純粋なんだとか?   あはは。

    私の感じている中に、真実がある!   あはは。

    ありえない。 アリエナイ! 感覚が純粋なんてありえないのですよ。

    我々の脳が、本人に快適なように操作しているから、  

    私達は、自分の脳に騙されているのです。   あはは。




    これを、運命学から云いますと、

    それぞれの命式から出て来るのは、個々の人間の意識の違いです。

    運命とは、意識の癖が積み重ねた選択の結果の集大成なのです。

    先天的に感覚は、癖を帯びているモノだと思います。



    生れたばかりの新生児も、もうすでに癖を持っていますね。

    なにかお祖父さんのような智恵を持った目付きをした男児もいれば、

    なにか大人を見透すかすような表情の姉御肌の女児もいるわ!


    あはは。



    2011年 10月 30日の記事、


    無意識の不思議 8   意識と無意識の本当の素敵な関係は?


    に、意識の願いは、楽になる事、と書きました。

    意識は、徹底的に苦を避け現代文明を作り上げた訳です。

    感覚器官を通した楽の追及が、意識の使命です。

    意識は感覚器官を通した情報を、自分に都合よく脳で修正する事が、

    分っています。

    その意識の欲望の満足を達成すると云う使命感のせいで、

    マグロもウナギも絶滅危惧種になりました!

    次は、ハマグリもみたい? 

    原発でエネルギー不安から、CO2の問題は棚上げです。

    それでも止められない意識になんか、   

    とてもじゃない! 真理など任せられませんね!



    そもそも、仏教における感覚器官の扱いは、

    五感に意を加えて6つの識 = 六根(ろっこん)と言い、

    我々衆生が、この六根で感じた事に囚われ執着する事は、

    「我」に固執して仏教の智慧が入る = 悟りの邪魔になる、と説きます。

    それで、まず迷妄や惑いで汚れた六根を清浄にする必要があるのです。





    決して、感覚的体験をとおして歩まないようにしてくださいね!







    近代化以降、日本人は、

    人権と云う概念を受け入れ、平等と云う観念を飲み下した頃、

    自己の五感の感覚器官からの情報を、神や仏の位に祀り始めたのです。

    人間が中心で、その中でも感覚に楽を与える事が生きる目的になった。


    あはは。 誰もが苦を遺棄するようになったのです。


    『天』と『地』の間で『人』は生かされている事を忘れ、

    『陰』と云う自然を捨てたのですから、

    当然、社会の中から道徳的規範が希薄になったはずです。

    道徳規範を捨てる事が、自由の実現だったのか?

    それが、個人の尊厳なのか?

    ブータンのように、自国の仏教の世界観の上に、徐々に、ゆっくりと、

    国民の幸福度を測りながら近代化をして行く方が、賢明であったのか、

    その答えは、これからの社会現象として惹起して来るはずです。

    いいえ、もうすでに、起きているではありませんか!





    国と云い、社会と云っても、

    男女の健全な結婚、子孫の繁栄、

    幸福な家の継承失くしてはありえません。

    家庭、家族がなくなり、これらの機能のすべてを国や税金で賄う時、

    私達は、どれだけの税金を払わなければいけないのでしょう?


    そこまでの国力を、経済力を持ち得るのでしょうか?








    2月4日から新年が明けました。

    宇宙の時が、新たな巡りに移って行きます。

    感覚より、もっと上等なもの、それを今年は手にしてくださいね。



    次回の記事から、( 命の継承と運命 10.)のシリーズになります。

    ほぼ、1年ぶりかな、、、    ほほっ。

     

    毎週末は、ほぼ山梨に行っています。

    しばらく更新は、不定期です。

    よろしくおねがいします。



    よき一週間をお過ごしください。



































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    ( 命の継承と運命 10.)    陰陽の波打ち際      (女ばかりの孫)

    Category : 絶家の家族関係
     忍野八海・銚子池 ( 山梨県南都留郡忍野村忍草 )

         
          冬枯れの景色の中で、湧水の清らかさがひときわでした。 


    忍野八海


    写真をクリックしてください! 全体が見られます。 


     

    ひさしぶりに、音楽をどうぞ、、、

    音楽はいらない! と思う方は、どうぞパスを!


     
    新緑の朝〜リラクゼーション〜 癒しの音楽



    過去に、もう何度も紹介をしている音楽です、、、 ほっ。


    現在の時節、

    野山を歩いておりますと、

    目には冬景色なのですが、春の新緑の息吹きが感じられて、

    野山が、春の歓びの準備をしているのが分かります。








    昨年の3月 3日以来、約一年ぶりに( 命の継承と運命 )の記事です。

    今日の記事は、


    ( 命の継承と運命 10.)  陰陽の波打ち際   (女ばかりの孫)  







    もう、今回で10になるのですね。


    このシリーズをみなさまへ読んでいただく事が、一番大事です。

    他の記事は、すべてこのシリーズを理解していただく為に

    書いていると言っても過言ではありません。

    ***************

    このシリーズは、このブログのサブテーマのひとつである、

    近代化による無意識・『陰』の喪失が、

    命の継承の喪失へ、つながって行く。



    運命鑑定の事例から警告のつもりで書いている記事です。

    みなさまは、一つの仮定としてお取りくださって結構です。

    ご自分の周りの事例を観察をなさって理解を深めてください。

    何よりも、そう云った関心を持つ事が、自分と云う自然、

    自分の中の『陰』に気づく事だと思います。

    まずは、ご自分の自然回復を! そこからですね。  あはは。 



    今日は、『陰陽の波打ち際』もしくは『陰陽の結界』についてから始めます。



    突然ですが、


    ....


    上の写真の光景は、無意識界と意識界の波打ち際、結界の姿です。 
     



    えっ、忍野八海の銚子池の写真でしょう?

    あはは。 それはそうなのですが、ムズカシイかな!?  あはは。


    これでピーンとお分かりになる方は、

    意識界だけに囚われていない。  

    『陰』と『陽』との中庸のバランスを掴みかけていますね。




    すこし、解説しましょう。




    この景色の中で、どこまでが人間の力が入っている範囲なのか?

    そのラインを、しっかり引いてみてください。

    ヒントは、地下水をくみ上げるのは人間の技であっても、

    地下水脈を人間が引く訳にはいかないでしょう?





    自然・『天』から富士山に降った雨雪が富士の伏流水になって、

    人間の意識とは関係がない地下水脈の湧く力・・・・・・『陰』が、

    起した池の波紋と云う現象・・・・・・・・・・・『陽』です。




    つまりは、図式のように書きますと、





    池の囲み石、それを眺めている我々がいる世界が、意識界『陽』です。


    ーーー池の水ーーーーーーーーーー『陰陽』の波打ち際、結界ーーーーーーーーーー


    『天』自然 ~ 富士山 ~ 地下水脈 ~ 池の波紋までが、無意識界『陰』です。




    繰り返します。


    五行の「水」を押し出してくる湧水力 = 無意識界の力です。

    我々の目に見える水面の波紋 = 湧水力でできる = 意識界の現象です。

    これで、次の事が確認できます!


    意識界の現象は、無意識界の力によって顕われる。




    では、次です。






    ◯ 地下水脈と池の波紋の関係が、よ~く分ったら、、、   

    次は、我々人間の意識と無意識の関係に例えてみますよ。 


    大丈夫かしら?



    例えれば、目で見える景色において、

    この池は心。 意識『陽』です。

    水面に浮かぶ景色、これが五感で捉えた意識・心です。

    この景色が、どう映るかは水の質、量、意識の癖で一人ひとり違います。

    この景色(心)は、環境と共に、『時』と共に、クルクル変わります。

    そう、我々の心・意識は、環境と『時』に支配され、

    『天』の道、『地』の理、自然の道理に束縛をされ従うものです。 


    池の水は、我が心。

    池を囲む周りの石積、それは我々の体です。

    石積あっての池、池があっての石積の用役です。

    石積が無くなれば、池の水は地に吸い込まれて形を失います。

    水が湧くのを止めれば干上がり、石積は土と埃で埋まるはずです。

    これが、心と肉体は一体と云う東洋的な哲学です。


    波紋でしか想像できない、目で見る事ができない

    この湧水力を吹き出す水脈をたどって行けば、

    富士山から『天』までが無意識『陰』です。

    それは、雨雪を降らす自然の地形、天候による変化すべてです。

    宇宙の摂理に入るすべて、自然の為したものです。

    ---- 無意識界は、ただ自らの道理に従って変化をして行くだけです。


    無意識界は、ある意味『時』そのものですから、

    道理に従う五行のエネルギー転換そのものですから自在です。





    西洋哲学では、無意識である『陰』の世界を対象としていません。

    そして、次の下線部分を捉えていないのですね!  あはは。

    『天』の道、『地』の理は、自然の道理です。 



    西洋は、人間が自然の一部分とは思っていない。

    傲慢にも、その自然と戦うのが人間だと云う認識です。


    全ての西洋的ロジックは、そこから生れています。

    最近は、環境保護、共存する、とか言っていますね。

    人間が、自然を保護? ウソでしょう?

    人間が、この宇宙で地球と云う自然に保護されているのですよ!!

    共存だなんて!??  どこまで思い上がるのでしょうか?

    人間は、自然の中で生かされているのです。







    池と波紋の例えに戻りましょう。



    ◯ 『陰陽の波打ち際』、結界についてです。



    結界の水を湛える池の存在は、

    無意識界からの恵み・湧水がなければ無理です。


    その恵みを受けている標(しるし)が、波紋の存在なのです。

    この波打ち際で何が起こっているのかと云うと、


    『陰』の力が、無心に『陽』を動かし、

    『陽』を通して『陰』の徳性の現象化を働きかける場、

    陰陽の出会う波打ち際、結界なのです。

    この『結界の陰』の力の上に『陽』の現象化があります。
     




    自然と人間とが抱き合って生きている場所はみなそうです。

    海もそうです。

    砂浜と海のはざ間、そのラインが、結界、波打ち際です。

    この海岸線を人為的に変える事は無理でしょう。

    海を埋め立てて変えた処で、いずれ津波や隆起でどうなることか?

    海岸線も、本質的には『陰』の支配下です !   あはは。





    ◯ もうひとつ、『陰』には、" 含蓄 " と云う意義があります。

    地球が含蓄している ------ 『結界の陰』


    地下から噴き出る温泉、各種金属の鉱山、金やダイヤモンド鉱山、

    ウラン鉱山、石油や石炭、天然ガス、今話題のシェールガスなど、

    地球が埋蔵するエネルギー資源そのものです。

    風力、海洋、太陽エネルギーそのものも!


    我々人間の生命活動に絶対必要なエネルギー資源、

    『陽』の生産活動に欠かせないエネルギー資源、

    それが、地球埋蔵の『結界の陰』なのです。

    これらは、埋蔵量と云う限界を持った『波打ち際の陰』です。

    昨日、ロシアへ落ちて来た隕石と同じ、宇宙からの贈り物です。 ふっ。


    遺跡の貝塚などでも、

    人は、海や川の傍で暮らしていたのだと云う事になっていますが、

    もっと、厳密に云えば、

    人間の意識『陽』は、自然『陰』の力を利用できる「結界」の傍で

    生き延びる事ができた、、、命が存在できたのですね。


    命は、自然との瀬戸際で生き延びて来たのです。    

    だから、近代化以前は、

    人間が住んでいるすぐ横で、こう云う光景は、いくらでも見る事ができました。

    近代化以降、人間は便利と効率を求めて『陰』自然から遠ざかりました。

    今の子供たちは可哀想です。

    どこから命が力を得ているのか大人だって分っていない。 

    この自然を奪ったのが、近代合理主義です。



    この事を、強く感じたのが、

    今から紹介をするWKさんの鑑定でした。



    60代で工務店を経営するWKさんのご家族とは、

    10年以上の長いお付き合いでした。

    工務店の御商売は、運気隆盛、バブル崩壊後も順調発展をしていました。

    このように仕事面で順調な方は、家族や家庭面で不調が多いのです。

    長男Lさんも長女Mさんも、父親の会社を手伝ったり、継ぐ気はなく、

    Mさんが24才で相手が19歳でできちゃった婚で入籍をした後は、

    19歳の彼をWKさんの会社で雇い、彼の仕事ぶりには不釣り合いな35万円

    の給料を娘夫婦の生活費として与えると云う事もやっていました。

    まあ、御商売が順調な内はどうって事はない金額なのです。

    Mさんの第一子の女児は、命名の際の誕生時の鑑定で告げた通り、

    1歳未満で水頭症で入院をし、第2子も女児。

    この2人は、目鼻立ちは、例える女優が見当たらないほど美人で、

    古い例えですが、フランス人形のような愛くるしい女の子ばかりでした。

    そうこうしている内に、晩婚だったLさんの第一子が、女児でした。

    しかし、3人の女児が全員、実家に居つかず結婚縁がない!

    これは、どうした事なのか? と案じていましたら、

    その頃、WK氏から、話を聞きたいと云う申し出があって伺いました。

    さすがに言葉は少なかったのですが、お孫さんが3人も女児が続いて、

    ショックを受けているご様子。



    私: WK氏か、その父親が、お墓を捨ててはいないか?


    WK氏: 女房が一人娘だったものだから、私が養子なんです。

    当時、母親は相当反対をしたんだが、父親が亡くなっていなかったし、

    私が自分で決めた事です。



    WKさんは、長男だったのですね。今、お墓はどうなっているのですか?


    私が、家を出たから、今は弟が、、、


    お二人で結納の前に、自分の御先祖のお墓に御挨拶に行きましたか?

    家系の大事な後継ぎをいただくと云う事でお詫びに行かれましたか?

    できれば、奥様のご両親も行かれた方が良かったのですよ。


    奥様: いいえ、何も分からなかったものですから、

    これからどうすればいいのでしょうか? 



    他家の長男を御養子にいただくと云う事は、それもご先祖に無断で!

    そのご家系のお墓守りを盗む、どろぼうの行為です。


    神頼みではダメです。宗教がらみでお祓いとか、お塩を撒くとか、

    私の鑑定では、そう云う商売がらみの事は一切関係なしですから、

    どうか心から、家族全員で御主人の御実家のお墓へお詫びに行く事です。

    亡くなった人は無ではないのですから無視をしてはいけないのです。


    私よりも年上で、世の中の成功者に向って言い難い事を言って、

    随分緊張をしました。    ほほっ。


    恋愛は確かに切っ掛けではありますが、人間の結婚とは、

    犬や猫の子を貰うような事ではないのですよ。  あはは。


    『陰』の存在の無視が、家系にどんな波乱を起こすのか、

    本当に恐いような現代社会です。


    この後、お嫁に行った娘さんには、無事長男が生れました。

    これは、娘さんの婚家の家系の運ですから、順当です。

    仕事を継いでほしい息子さんの処は、二人目も女児でした。

    これは、もう一度、将来、養子を貰うかどうかで、

    やり直せ、と云う『天』の采配でしょうね。 あはは。


    ちょっときつい事を申し上げますと、

    滅びる寸前の家系の娘は、

    何よりもお金儲けを第一に考える男性に縁があるとも言えますね。





    池だけをどんなに大穴を掘っても、湧水がなければ、、、 あはは。

    湧水があっての池の造作でしょう。


    日本の国は、政治は、我々は、今、こう云う事ばかりやっています。

    『陰』を失った時、『陽』の現象は必ず亡びる、偽性です。

    これが、自然淘汰の姿そのまま、自然の摂理です。


    そうとは、露知らずに、

    湧水の根源の力・『陰』の池底の湧出口をふさぎ、

    命を守る事は、池の水を石積で守る事だと勘違いをして来た日本。



    明治維新以来、西欧列強に負けまいと、

    必死で、一目散に、合理主義による近代国家の建設を目指して、

    科学技術、大量生産の工業化で、アジアの近代化成功一等賞!

    弛まぬ努力で立派な営みを作り上げたはずの我が国の姿。

    その姿を、

    いつの間にかWK氏の中に観ているーーー。



    今の世の中で、人々が、どのような流れに身を浸しているのか?

    個人の生活においての個々の事案については、

    大きな事件や出来事にならない限り社会へは表われない事柄ばかりです。

    国は、経済の指標ばかりを追いかけるに必死です。

    経済の為の少子化対策であり、女性の雇用です。

    その最大公約数が、保育所の増設ですか...?   あはは。





    ゆくゆくは、東洋の『陰』の存在が、

    読者のみなさまの意識の奥底にある無意識の世界へ沈んで行って、

    響き合って、その塊(かたまり)が、大きくなる事、


    そして、塊を自覚した人間同志の無意識の出会いが、

    地球を取り巻き、いつか地球を蔽いつくし、

    地球の『陰』を守るハーモニーになりますように、、、

    そう祈っております。



    読者の方々には、それぞれの周囲の現実からの観察によって、

    記事の再確認なり、ご批判なりをなさってください。



    全ては、忌憚のない現実からの学びしかありません。

    また、重要なお気づきは、ご遠慮なくお知らせくださいね!



    寒さ厳しき折、どうぞ、ご自愛を。

    次の更新まで、ごきげんよう!































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 家系・家族の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    ( 命の継承と運命 11.)   意識の満足の果て...    不妊//非婚

    Category : 絶家の家族関係

    山中湖への散歩の途中、富士山  2月18日



    山中湖フラワーパークから富士


    写真をクリックして下さい! 全体が見られます!


    本当によく富士山の見える処へ行くものだなあ、

    そう思って、数えてみたら、今月は、もう3回、富士に逢っています。 

    休暇や山登りに、毎週、静岡や山梨へ来ているので、、、 

    その中でも山中湖は、富士五湖の中で一番標高が高いせいもあって、

    一番、近かくに見えて好きな富士です。



    富士の写真ばかりが、増えて行きます。  ほっ。


    ・・・・・・・・・・・・・・・









    今日の記事は、


    ( 命の継承と運命 11 )  意識の満足の果て...不妊//非婚




    実は本当の処、

    ≪ 大ばか者の意識が人類を滅亡させようとしている!!!≫

    とか、、、書きたいのですが、

    それじゃあまりにも、何なので、、、  あはは。



    今日は、

    最後に読者のみなさまへ質問をさせていただこうと思います。

    その節は、どうか良しなに...    ほほっ。




    では、本題へ入る前に前回の記事にいただいたコメントを、

    4つ、ご紹介を致します。

    それぞれ、鍵が掛かっているコメントなのですが、、、  ほほっ。

    公開をさせていただきますので、どうかご了承くださいね。





    まず、一つ目、メールでいただいたコメントです。


    ごく最近、運命と言う言葉に引っかかり、ネットを検索していたら

    こちらに出会いました。

    以来手当たり次第に読み漁っては目から鱗どころではなく、

    何か体の芯から湧き上がるような震えを時として感じながら拝見しています。

    恥ずかしながら、40代後半にして未だ独身という自分でして

    ブログを拝見するようになってから、

    ご先祖様に申し訳ないな!と忸怩たる思いを強くしています。

    まだ間に合うなら時代に繋ぐ子供(男の子?)を授かりたい、との思いを

    強くしています。

    まだまだ寒い日が続きます。ご自愛くださりますよう。



    拙ブログを読み始めてくださったようで、、、

    率直な感想をありがとうございます !

    このブログは、文章、表現で分かりにくい処があるはずです。

    無意識は、本来、文字などで表せないのです。

    それを意識が作為した言葉で綴っている為に、(ムリムリにです!)

    なにやら分らなくなる処があるはずです。

    目で読んだ時に読者の方々の五感・意識では、

    何を書いているのか、" 解らない!" と思われるはずです。

    でも、私とみなさまの無意識は★深層の無意識でつながっておりますので、

    私が、読者のみなさまの無意識層へ届く様に記事を書いていますから、

    みなさまの無意識は、意識するしないに関係なく分っているはずです。


    ★深層の無意識については、***** 無意識の不思議 7  天台の『九識』に、

    詳しく書いていますので、どうぞそちらをご覧ください。




    そう、、、、、そして、、、不思議な事が起こります。

    ご自身の意識で理解できる前に、

    無意識の方が早い! ―――――――― 体に出て来ます。

    無意識系統の統合である体が変化を出して来るのですね!      


    いろんな気づきをされるようになる。成長されるようです。

    また、これもいつかご紹介をしますが、

    男性でヒゲが濃くなったり、

    女性は、生理がきちんと28日おきに来るようになったり、  あはは。

    異性に関心を持てるようになったり、、、ご自身の変化を感じられるようです。



    何か体の芯から湧き上がるような震えを時として感じながら


    = これがご自身の『陽』・意識に抑圧されていた『陰』・自然の発露です。




    無意識の気づきと云うのは、   

    意識の裂け目から、    ポッ!  と弾けるように

    意識・五感などを無視をして、我々に気付かせます! 

    (理解、理で解するとは違います。)


    我々は、理によって生れ出た合理的存在ではありません。

    ロジカルな存在ではない。

    ロジック(理)でわれわれを掴もうと思う勿れ! です。

    あらゆる主義は、自然を動かす事も表わす事もできないのです。

    合理主義者が、意識の言葉を並べて本を著した処で、

    そこには真実はありません。

    真実は、あなたの心身、命がどよめいて感じなければ嘘です。



    我々は、この無意識からの気づきに疎くなっています。

    それは、目の前を生きる為に、他に為すすべもなく現代社会を生きる為に、

    その底流に流れる現代の雑多な思潮を呼吸します。


    近代国家の価値観、資本主義に迎合するマスコミから流される情報、

    あたかもそれらが真実であるかのように錯覚をして馴れてしまう、

    無意識を排除した近代合理主義が我々の無意識を覆い隠してしまうのです。

    まるで中国の汚染物質PM2.5の様に我々の命の深奥まで入り込んで、

    いつのまにか近代合理主義に汚染をされてしまう、、、

    この合理主義・『陽』が、固く閉じ込めていた我々の中の自然ーーー

    『陰』が、命の底でどよめいて! その存在を知らせているのでしょう。




    我々は、自然の一部、自然そのものの存在です。

    自分の中の『陰』・自然に目覚めてくださいね !









    一週間後、同じ方から、次のコメントをいただきました。



    池の例えで陰と陽を説明されていて何となく理解できたような

    出来ないような(笑)

    理屈で何とかしようという時点でまだまだなんでしょうね。

    話はそれますが、

    このブログを拝見するようになってからやけに夢を見るような?

    気のせいだとは思うのですが、これまで稀にしか夢を見なかったはずなのに。

    目が覚めたらほとんど内容は覚えていませんけどね。 




    この夢を見ると云うのは、そうですね。

    ご自身の無意識が、こちら(意識)と交信がしやすくなったのでしょう。

    『陰』を覆い隠していた『陽』の蓋が割れて隙間が開いたのです。

    それで、たびたび訪れるようになった!   あはは。

    無意識がいろんな事をあなたに伝えに来るようになったのです。  



    夢を憶えている必要はありません。

    無意識よ! どうぞ~  と招き入れてください。 あはは。

    もっと楽しい夢をみせてくれよ~

    役に立つ話を見させてくれ~ と信頼感を抱いてください。

    これから素敵な結婚相手を連れて来てくれ~    あはは。

    後継ぎがほしいいんだ~   と、

    (実は、59歳で後継ぎをもうけた男性がいます。又記事にしますね。)


    無意識は、あなたを自然な状態へ回復したいのです。

    あなたが自分の無意識すら気にもしなかった間、

    なんとかして意識中心の生き方からあなたを引きはがそうと

    ハラハラしながら今まで見守って来たはずです。

    あなたには、『陰』からの守りがあったはずです。

    母上か、だれか、ずっと心配をしてくださっている人がいませんか?


    今後は、ご自身の中を『陽』の天下にしないように、

    もともとあった『陰』の命を守る力がチューンアップするように。 ほほっ。

    そうすれば、本来の生命力が沸き起こって来るようになりますよ。

    これは、精神力を含めた体力にも表われて来ます。


    ちなみに、私は今冬は暖房をほとんど使わずに過ごせました。

    体の中から、熱が沸き起こっているかのようです。

    登山のせいもあって、脳がサバイバル的に活性化しているようです。

    これも、無意識がフルに脳へ指令を出しているのでしょうね。 

    私は、私を守ると云う事において意識よりも無意識を信頼しています。



    あなたは男性、子孫の繁栄、命の継承を守る生産力が使命です。

    現代文明は、これを阻害します。

    この事を考えると、

    近代化の先進国である日本において、

    小学校から繰り返し繰り返し刷り込まれる近代合理主義的価値観を、

    知らず知らずの内に、これが真理だ!当たり前だ!と受け入れさせる事は、

    いかに我々の生命・『陰』を阻害し、生命力を減退させている事か?

    本当におそろしい教育が行われていると云う事です。

    確かに、これは現代社会を生きて行く為には目先の処世術かも知れないが、

    幼児の段階から、真理よりも処世術で染められていく教育を受ける

    先進国の子供たちは、次の世代を産む生命力を保持できるのか?

    生きる手段でしかない『陽』である近代合理主義と云う思想を、

    ーーーーー 何の批判力もなく、客観視する事もなく、

    人間が生きていくのに正しい思想であると思い込む事は、

    まったく間違いであり、止めなければいけない事なのです。




    命の継承は、経済力やロジックの上に顕現するのではなく、

    『陰』と『陽』の中庸、調和の上にだけ顕現します。
     


    この事は、次回でまた書いてみようと思っています。



    では、3つ目の鍵コメントです。


    銚子池の写真と陰陽についての説明が、分かりやすくて面白かったです。

    今までの人生で、先祖の意識を感じた出来事がありました。

    家族が集中治療室に入って命の危機にあった時と、

    恋愛で苦しい思いをした時です。

    その時に、言葉で表現できないのですが、先祖の思いというか、

    先祖の意識のようなものを感じました。

    自分はひとりで生きているわけではないのだ…と強く思いました。

    それまでは、「先祖の因縁」は、霊能者がお金儲けのために、

    人に恐怖心を与えるための言葉だと思っていましたが、

    本当に、先祖の因縁と言われているものはあるのだと、

    実感した出来事でした。

    cosmosさんのブログを読んでいると、先祖の意識を強く感じるので、

    どうしてだろう?と思っていましたが、

    なるほど、それが陰だったのだ!と、理解が深まりました。





    大事な事がお分かりになっていますね。

    ひとつは、自分はひとりで生きているわけではないのだ・・・ です。


    詳しくは、長くなるので書きませんが、

    家系と云うタテの流れに中に流れている癖です。

    家系の癖、とも言えるものですが、これは無視できません。

    その中で、我々一人ひとりの運命が在る訳ですね。

    ある意味、自分が生きている癖の中に先祖が生きているのです。

    我々の血肉は、両親、その両方の先祖からの遺伝子情報を受け、

    自分の生きる癖は、先祖の中の人物に呼応するようになっています。

    又、別の機会で詳しく記事にしようと思います。


    もう一つは、

    なるほど、それが陰だったのだ!と、理解が深まりました。 です。


    死者は、この世の現象世界の存在ではなく、無意識界の存在です。

    そして、お墓はその無意識界への結界です。

    お墓を建てるのは人間の意識ですが、意義は無意識界として扱いますね。

    肉親を亡くして、初めてあの世を実感する、信じるようになる訳です。

    いわゆる『波打ち際の陰』の奥へ『陰』への方向性を見るのです。

    ですから、お墓参りと云うのは、

    意識界で生きる我々が、束の間、無意識界を信じる行為です。

    現代文明に染まり切った人たち = 合理主義の恩恵で権威を持った人たち

    = 日本人の科学者や西洋の哲学を研究する方たちには、

    往々にして死後は無に帰すからお墓を作ろうとはしない人達がいますね。

    彼らは、無意識を排除する近代合理主義に染まり切っているからです。

    また、詳しくは別の機会に、、、、、





    最後に、拍手ページへいただいたコメントを紹介します。


    最近は80代の年寄りでも、自然を感じていない人が多い事に驚いています。



    そうですか、、、

    戦後68年ですから、80代と云えば、丁度終戦時に10代だった人達です。

    10代まで受けて来た戦前教育を敗戦によって軍国主義教育として否定され、

    目の前で母国が戦争に負けるとはどう云う事か、を味わった人たちです。

    10代まで、正しいと教えらえた母国日本の伝統的な思想が、

    戦勝国連合軍の占領政策によって悪と切り捨てられ、

    日本の民主化の下に、怒涛のような洗脳を受けた世代です。


    昭和30年代の不景気な時期に結婚、家庭を持ち、子育てをして

    昭和40年代からの経済の高度成長時代と云われる時に、

    現在のアベノミクスよりも強烈な高度経済成長政策があったのです。

    その結果で、


    1.所得倍増政策ーーお給料が2倍になって良い思いをされた世代、

    いわゆる日本が近代国家になる為に貢献をした世代ですね。


    この世代が、

    良かれ悪しかれ自然を排除した合理主義を、それとは知らずに受け入れて、

    戦後の近代化の恩恵を受けて来た事を考えると、


    2.キリスト教母体の物質文明の合理主義を肯定した世代ですから、

    3.今では当たり前の学歴社会のまだ初期の頃、

    親として、初めて我が子を学歴社会の入口へ立たせた世代ですから、

    1.2.3.の状況から、いくら年寄りとは云っても、

    戦前派、大正、明治の生まれの人達と違うでしょう。

    この世代からですよ。

    山を崩して、田畑を埋めてマイホームを建てて来たのは、、、

    その建て替えの年数も考えずに後先も考えずに、

    一挙に大型公共事業で大きなダム、橋、高速道路を造り、

    今、そのメンテナンスに膨大な予算が、、、いるそうです。


    自分の欲望の満足の方が優先順位だった。

    欲望肯定の後ろ姿を見せて来た親世代と言えると思います。



    ――― 自然を感じていないのが当たり前なのかもしれません。





    合理主義のなんたるかも知らずに、闇雲に何でも、前へ前へ、

    どちらが前?  そりゃ所得倍増!!!    あはは。


    都会の工業化の波へ乗っかって、前へ!

    田舎を捨て、故郷を捨て、都会へ、学歴だ、進学だ、就職だ、

    結婚したらマイホームだ、次は我が子の塾だ、、、

    なんでも競争だ、、、『陽』の競争の世界が現出しただけです。


    ほっ ――― 。


    今の世の人が口にする " ポジティブ " もそうですね。

    ポジティブ と云う英語がなにやら新しい感じで、、、 あはは。

    何も計る物差しのない、あふれる物質文明の中で、

    欲望を叶える事が、 " ポジティブ " なの? 



    ―――――― と云う社会を作り上げて来た世代です。   あはは。 



    その後塵を拝して戦後教育をまるまる受けて来た世代が、団塊の世代。

    彼らも60代を迎え、 その子の世代が社会の中核になっています。


    この3世代で受け継がれて来た事は、

    新しいものが良くて、古いものは無駄で、

    ヨーロッパやアメリカ好きが日本では優れて進歩的?であり、

    日本語より英語の方が優れているという価値観です。

    一流企業では物足らない親は、

    長男がドイツ留学のままドイツ銀行へ職が決まってずっとドイツ暮らしになっ

    てドイツ人の嫁がいる事を自慢する、そう云う人心、世情ですね。


    自国の文化の恩恵を自覚しないまま、

    自己を人間として成り立たせる根っこを無視し、

    自国の伝統を、西洋に比べると恥ずかしいと遮蔽する根性です。


    なりふり構わぬこう云う生き方を3代続けるとどうなるのだろう、、、





    今日の鑑定事例をご紹介しましょう。


    自然が分らなくなった初代である80代の方々の子供の世代、

    SWさんは60歳過ぎの御婦人です。

    一昨年の震災津波の被災地の港町に生まれ育ち、

    今から42年前、長兄が家業を継ぎ、地元に残る替わりに、

    女ながらも、家族の期待を一身に背負って地元の高校を出て

    東京の大学へ進み、就職も国家公務員として、そして結婚、マイホーム、

    親の望む通りに、都会へ出てあらゆる競争を勝って来た方です。

    ただ、夫とは離婚しています。

    これは、年代から行って彼女が現代で云う自立した女性のはしりであったと

    云う事になろうかと思います。


    SWさんご自身は、退職後も旅行やハイキング、

    退職金で買った小別荘で菜園作りに気を紛らわしている様子で、

    そのバイタリティ溢れる容姿からは想像がつかない思いを抱いていました。

    御相談は、4人の子供さんたちの事でした。


    男2人、女2人、それぞれが立派に社会人になったにもかかわらず、

    長男は結婚をする気はなく、二男は中国人と結婚をしてシカゴに住み、

    そこに辛うじて女児の孫が一人生まれたけれど、

    姉娘は、地方の大きな商家の嫁になっているが未だに子供が生まれない。

    不妊治療も効果がないようで諦めている様子だと云う事でした。

    妹娘は、役所でキャリアを積んでいるが異性にも興味がないとか。

    4人も子供がいて孫が一人とは、やはりどこかおかしい。

    結婚をしない子供が一人ならまだしも、二人もしないとは、おかしい。

    SWさん自身は、今まで思い通りにならない事は少なかった人生で、

    うっかり子供の将来は、勉強をさせて大学へ入れればいいと思って来たが、

    自分の子育てが、何か欠けていたのかと気が重い。と、、、

    それぞれの子供の運命を知りたいと思った。との事でした。

    しかし、いろいろお話を伺っていると、

    この4人の御兄弟はとっても母思いで仲が良いのです。

    離婚後の母親が仕事をしながら育てた姿を見て来たからでしょう。

    数年前にSWさんが富士登山をしたいと言った時は、

    シカゴにいる二男さんを除く3人が東京の自宅へ帰り、有給などを取って、

    2泊の登山旅行に4人で一緒に行かれたそうです。




    頭のいい高学歴のSWさんが意識の満足を得た果てに手にしたものは、

    我が子の非婚率50%。不妊率50%でした。いや100%かな?


    日本政府が、少子化だ、保育所の問題だ、と言いますが、

    保育所だけで解決が付くのは、ある一部だけであろうと思います。

    一番解決をしなければいけないのは、SWさんの家のようなケース、

    非婚軍団の増加、不妊であろうと思います。


    さて、ここまでお読みいただいた読者の方にお願いなのですが、

    このSWさんの家系の運命や如何に?    ほほっ。

    どのような原因でこうなったのか?

    どう云う判断をされますか?


    よろしければ、無能な政府に成り代わって考えていただきたいのです。

    あはは。


    コメントと一緒に、御意見をお寄せください。

    今日は、これで、、、

    御意見を楽しみに待っております。

    最後までお読みいただきまして感謝でございます。





    次の更新まで、よい毎日をお過ごしください!





























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    テーマ : 家系・家族の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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