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『呂氏春秋』 6 天下非一人之天下也、天下之天下也 (東洋の平等観)Category : 呂氏春秋の世界
![]() 中国の楼 今日は、久しぶりにカテゴリ ”呂氏春秋の世界 ”の記事です。 前回より、8か月ぶりかな? もっと頻繁に書きたいのですが、いろいろあって、、、、、 あはは。 呂氏春秋は、非常に好きです。 呂覧(りょらん)とも言います。 中国の戦国時代末期、秦の始皇8年(紀元前239 年)に 秦の呂不韋が多くの食客を集めて共同編纂した書物。 26巻160篇からなり、儒家・道家を核に、名家・法家・墨家・農家・陰陽家 など諸学派の説が幅広く学べます。 孔子の言の次の行に、老子の言が普通に出て来る思想空間です。 いわゆる雑家の代表的書物で、当時の思想全般を知る事ができます。 1年12ヶ月を春夏秋冬に分けた「時期」の12期の構成から鑑みれるのは、 我々『人』が、『天』と『地』の間で栄えるには 『天』の恵み、『地』の安定を得るには、 ーーーーー 決して私欲に従うのではなく、 『時』に沿って行く事が重要であると云う示唆です。 これは、繰り返し繰り返し述べられています。 『時』こそが、 『陰』そのものの『陽』・現象界へ与える表現であると云うような 『陰』の創造性を『陽』の世界に現象化する力、エネルギー、 我々を生から死へ、又生へと運んでいくものであると云うような、、、 そう云う示唆に富んだ内容と思っております。 『天』の道、『地』の理(ここから地理と云う言葉ができた。)= -------- これが道理と云う言葉になる訳ですが、 これら『時』・道理を無視をして、 自分の欲・私欲だけに囚われ従って生きる事を強く戒めています。 それは、自分の欲すらも叶えられない、 自分の足場を失くす生きざまに陥るしかない。と、言うのです。 まさに、現代人の病理を言い当てているようです! 今も変わらぬ人間の欲を、どう裁き、どう旨い永遠の料理にするのか? これが、東洋の英知の追及でした。 ここが、欲望の満足境(天国)を渇仰する西洋と違う処です。 ◎ 東洋は、欲にまみれた意識を疑う処から出発しています。 直感的に、東洋は見抜いていたのです。 意識が欲望を適切にコントロールできない事を!!! あはは。 言い訳ばかりをして、へリクツばかりを作るのが上手なのを!!! ったく! あはは。 だから、自己の欲望をコントロールする規範を 自己の中に求めずに、 欲にしがみつく自分の意識を信用などしないで、 『天』や『地』の調和の姿にそれを求め、宇宙の摂理を探究したのです。 ーーー その結果、 自然、宇宙に具わった摂理が、自分の中にも在る。 宇宙即我 ・・・・・その事を発見したのも東洋の叡智です。 これらの方向性は、西洋哲学、思想にはまったく無いものです。 現に近代合理主義が爛熟した21世紀の今、 我々の目の前にあるのは、 我々を欲に狂騒させる欲望の肯定の上にある経済至上主義と、 その為に弱き意識を脅す為に持つ大国の大量破壊兵器、 今は、その論理に則って北朝鮮など経済的に弱小な国まで、 自国の存在をなぎ倒されない為に、核武装を着々と進めている。 それをどうしようもできない大量情報伝達・マスコミ、知識偏重社会。 宇宙自体を意識で探査する物質の世界としか見ない科学。 知識は膨大に膨らみ殖えるけれども、その中に智恵は一つもないのね! あはは。 たしかに、彼らを知識者とは言うわね! 知恵者とは言わないわ、、、 われわれを包む濃霧は、 自然のありのままの中に生きる我々の存在を無視して、 無理やりに我々を意識で作り上げた人工疑似自然空間に隔離幽閉した キリスト教的自然観、人間観を根底にする近代合理主義社会です。 呂氏春秋の思想空間は、それらとは、全く違うと云う事ですね。 呂氏春秋の言葉や語句を見れば、堅苦しい? と思いきや、 それらが志向するのは私欲から解放された普遍的な自遊空間、 (自由ではありませんわ!) ほほっ。 それらが志向するのは私(わたくし)しない平等観です。 どうか、「呂氏春秋」の世界の中に身を浸して、 現世の灰汁にまみれた我が身を洗い清めてくださいませ! あはは。 では、本論へ進みます。 《 孟春紀 》・ 貴公 (町田版 春の節11から) 天下非一人之天下也、天下之天下也。 陰陽之和、不長一類。 甘露時雨不私一物。萬民之主、不阿一人。 --- 中略 --- 天地大矣、生而弗子、成而弗有、 萬物皆被其澤、得其利、 而莫知其所由始、此三皇、五帝之德也。 天下は一人の天下に非ずして、天下の天下なり。 陰陽の和は、一類を長ぜず、 甘露時雨(かんろじう)、は一物を私(わたくし)せず。 万民の主は、一人に阿(おもね)らず。 --- 中略 --- 天地は大なり、生じて子とせず、成して有せず。 万物皆その沢(たく)を被(こうむ)り、その利を得るも、 その由りて始まる所を知るなし。これ三皇・五帝の徳なり。 天下はだれか一人の天下と云う訳ではなくて、万人の天下である。 陰陽の調和は、(生き物の)一種類だけを成長させるものではない。 時節に叶って降る雨は、(生き物の)一物だけに恵みを与える事はない。 万人の上に立つ君主は、一人だけを依怙贔屓するものではない。 --- 中略 --- 天地は偉大である。 物を生み出しながら私物化せず、作り出しながら所有しない。 万物は、すべてその恩沢を受け、その利益を享受しながら、 それがどこから始まってもたらされた恩沢や利益か考える事もない。 いにしえの三皇・五帝の治世が、そうであった。 過去、2010年 7月13日の記事に次のように書きました。 『呂氏春秋』の 天下は一人の天下に非ず。 天下の天下なり。 命は自分だけの一人の命ではない。 すべての命は、大宇宙の命から生まれた命なのだから、 =大宇宙の命なのだ。 大宇宙のリズムに合わせて生きることが長生久視を叶える事だ。 と言うのです。 これが『天の道』です。 『天の道』に順じることが命を謳歌できる事であり、 それを邪魔するのが自分の欲である。 自分の欲の満足の為と言って結果は『天の道』に逆らって生きる。 その事を「私欲」と言う。 「私欲」を去って、「公」に生きるとは、 あくまでも、宇宙をひとつの生命体と見て、 そこから生まれ出る事を可能にした地球の恵まれた状況、 命をはぐくむ条件を満たしてくれる太陽と地球の恵まれた状況、 その命を今現在のあなたまで継承してつないでくれた恩人、 それが、直接的には両親。 それ以前の両親の親達。 先祖と言う事になります。 お分かりになりますね。 いのちの継承の筋です。 それが、『孝』に、道徳の最高価値を置く理由になります。 単に、親孝行、何かをプレゼントをすることが親孝行、 そんな目先の行為をさせる為だけの、『孝』ではありません。 それでは、幼稚園レベルと変わらないではありませんか? (笑い) 小学生に教科書で教える道徳とは、 困ったお年寄りに席をゆずりましょう。等が道徳という事に なるのでしょうが、 それは、ずっと先のほうで派生する枝葉であって、 根本的な本質は、この『天の道』から、『孝』へと導かれる 中にある筋であって、ここを外してはいけません。 全ては、これに尽きるのですが、 『孝』の普遍性は、自分の両親、先祖だけにとどまりません。 全人類で、、、 大きく出ましたでしょう? ほほっ。 『天』の恩恵を受けている生物皆、 『天』の恩恵を受けて生じた物皆、 と云う事になりましょうか、、、、、 あはは。 大変な深いお話になりますので、今日は簡単にします。 また、機会がある時に、記事にしたいと思っています。 今日は、ついでですから、 『天下』と云う言葉について、世間にさまざまな曲解があるようですから、 それらをここに、書き留めておきましょう。 たとえば、 ◎ 「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」と云う言葉を、 徳川家康の言葉として紹介している場合があります。 又は、 ◎ 「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」と 吉田松陰が主張していたと紹介をしている場合もあります。 これらは、徳川家康、吉田松陰が始めた言葉ではなく、 紀元前3C、呂不韋によって編纂された『呂氏春秋』を原典とする言葉で あろうと思われます。 おそらく、彼ら二人も中国の文献として『呂氏春秋』を学んでいたか、 学んでいた師匠についてそれを会得していたと思われます。 ◎ 福沢諭吉の「学問のすすめ』の 「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という一節の 「天」と云う言葉についてです。 まず、その前に「云ヘリ」は、天が言ったというような意味ではなく、 どこそこでこのように「云われている」という引用の意味です。 この有名な言葉全体も、実は福沢諭吉の言葉ではなく、 アメリカ合衆国の独立宣言からの引用であれば、 この場合の天とは、キリスト教の神であろうと思います。 また、諭吉が1871年(明治4年)に、2人の息子たちの道徳教育に書いた 「ひびのをしえ」と云う小冊子に、 -----「てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがふべし。 ただしここにいふてんとうさまとは、にちりんのことにあらず、 西洋のことばにてごっとといひ、 にほんのことばにほんやくすれば、ぞうぶつしゃといふものなり」。 ・・・・・中略・・・・・・ 父母のいきしにはごっどのこころにあり。 ごっどは父母をこしらえ、 ごっどは父母をいかし、また、父母をしなせることもあるべし。 てんちばんぶつなにもかも、ごっどのつくらざるものなし。 こどものときよりごっどのありがたきをしり、 ごっどのこころにしたがふべきものなり」------- と書かれてある処からも、 キリスト教の神を受け入れていたのが分かります。 諭吉は、世間的にはキリスト教排撃論者として知られていました。 が、後に、 キリスト教を一時的とはいえ排撃した事は誤りであったと自己批判し、 日本の独立の地位を保つ為には、キリスト教という欧米文明と同じ 色の宗教を盛んにする事が必要だと述べています。 諭吉の天は、東洋的な天とは明らかに違います。 キリスト教のGod です。 今後、区別をしておいてください。 実は、この事を知って腑に落ちた読者も多いのではないでしょうか? 日本の近代化が、現在の状態のように完璧に行われた本当の理由です。 単なる国の政策、制度上としての近代化ではない、 命の底から遺伝子レベルから近代化に犯されている日本を知るにつけ、 これは、タダならぬ気配・・・魂からキリスト教的な社会を憧れ、 真にそうなろうとした人間がいたからこそ! 現在のような日本の近代化が完成しているのです!!! 近代化の事を考えるたびに、そう思ってきました。 随分前から、そう思ってきました。 それは、だれなのか? 当時の為政者、知識者、近代化推進者たちが、この諭吉のように、 本音の処で、キリスト教へ改宗をしている位の傾倒をしていたからこそ、 現在の近代化の完成された姿に日本がなっているのです。 当時の知識者たちは、本気で近代化を成し遂げたのです。 それがどうなる事か、思想を吟味もせずに、、、です。 そう云う意味において、 日本には思想家がいなかったのですね! ほほほ。 近代化が、欧米以外で、完成されたのは日本だけです! 実は、これで私の長年(中学校で諭吉の学問のススメを習った時以来)の 諭吉に対する不信感が腑に落ちたのです。 東洋がなんたるかを知らないレベルの10代の私の心には、 人の上、人の下と云う言い方はイイ事を言っていると受け入れるには、 当時なぜかは分りませんでしたが、違和感がありました。 日本人ではない? この言葉に、東洋的でないニオイを嗅いでいました。 心に影を落とした福沢諭吉と云う人物には、 この時から?が付いていたのです。 得体が知れない、と言った方がいいでしょうか。。。 東洋的でないというはっきりしたニュアンスではなく、 生活の中で漏れ聞いて来た普段の両親や周りの大人の言葉の端から 感じるモノとは違う!! どこかおかしい? 人を扱う言葉として、人があるべき道理を言い当てるのに、 上や下と云う表現を用いる事すらが不適切と、 体のどこかが受け止めていたと言った方がいいのでしょうか。。。 頑固に、受け入れられなかったのです。 なによ! と反発を感じていた、、、 今、考えれば無意識の便り、皮膚感覚で痛い!と感じていたのです。 長年、この事を誰にも言う訳ではありませんでしたが、 その点を確認するまでは、 諭吉をどんなにエライ人だと世間が言おうが、 私の心の中では、それに迎合する気はありませんでしたの。 ほほっ。 東洋学をするようになって、諭吉に対する疑いはますます濃くなり、 最近、諭吉がキリストの神を受け入れていたこの事実を知った訳ですが、 納得すると同時に、なぜ、私の子供心に違和感があったのか? 今更ながら不思議な思いがしています。 私の前世が教えてくれた? あはは。 この事から再確認したのは、 物の在り様や言葉に対する疑問や不信は、決して曖昧にせずにいれば、 何時かは、必ずその実体が観えるようになるのだと言う事です。 しかし、現在、学校教育においてさえ、「学問のすすめ」の天の意を、 未だに東洋的な天の意で解説している教師の方も多いと思います。 間違いは、訂正されなければいけません。 個人的な宗教の自由は、認められてはいる問題ですが、 政治家、公人性の強い場合は、それも考慮しなければいけませんね。 ちなみに、自民党の石破氏、麻生氏はクリスチャンです。 他にも、大勢いらっしゃいますね。 なぜ、自民党の政治家にクリスチャンが多いのか? 興味がある方は、ここへどうぞ! 本論へもどりましょう! ここからが、大事です。 むずかしいかもしれませんが、読むだけでも、、、 『人』=『天・地』と云う自然観や宇宙館は、西洋にはありません。 『人』=地球・自然・宇宙と云う世界観は、東洋の叡智です。 『地』の形態が、『人』の為すすべを生み、 『地』の様相が、『人』の従う則を決めるのです。 『地』の『理』が、『人』の『紀・き』を定める。 『地の理』が、『人の紀』へ通じて幸いが実現されます。 ここで、『地』と『人』とは、一体なのです。 『天』もそうですが、『人』は、『天・地』自然と一体なのです。 東洋の、我即宇宙と云う叡智は、 西洋の意識・観念が作文する”自然と一体感を持つ” ”自然と共生をする”などと云うような 意識に心地よい、耳に聞き良い、美辞麗句でもなく、 表現上の言葉のアヤなどでもなく、 見て綺麗な幻想のおとぎ話の挿絵でもありません。 実在の『天・地』から『人』の存在までを一体と観る叡智です。、 実在の心と身体に、その行動へ作用する『天・地』の力を観じた 東洋的な智恵なのです。 その根は、無意識にあります。 意識では、感覚器官では捉えられない真実とでも言いましょうか? 東洋は、わざわざ自由だ平等だと概念で区切りませんのよ。 あはは。 区切らなければいけない事こそが、幼稚、稚拙だと思うのですが、、、 誰かの自由は、その隣にいる人の不自由かもしれませんし、 すべて平等だというのは、 愚かな尊卑相対化と人間の均質化を進める蛮行でしかありません。 選挙権が平等にある。と云うの等はOKですよ。 あはは。 天下は一人の天下に非ずして、天下の天下なり。 陰陽の和は、一類を長ぜず、 甘露時雨(かんろじう)、は一物を私(わたくし)せず。 万民の主は、一人に阿(おもね)らず。 西洋的平等感のようなものは、東洋にはワザワザありませんが、 強いて言うなら、この上段の部分は、東洋的平等観とでもいいましょうか、 そして、また、 その下段の部分、 天地は大なり、生じて子とせず、成して有せず。 万物皆その沢(たく)を被(こうむ)り、その利を得るも、 その由りて始まる所を知るなし。これ三皇・五帝の徳なり。 ここは、束縛、支配、所有から解き放たれた東洋的自由観でしょうか、 西洋的概念、人間の意識の中にしかない、人間の観念で作った言葉、 実体のない絵空事の自由、平等とは全く違う -------------- 無意識・『陰』--------------------- あたりまえのように存在する 自然そのものを受け入れれば ------------------ すぐそこに実在する ----------- 誰もが知らない内に恩恵を受けている。 これは、圧倒的な平等ですよ! あはは。 無駄に使おうが、役立てて使おうが、まったく自由です! あはは。 ただし、ただしです! 『陰』におけるありさまは、そうですけれど、 一旦、欲を帯びて『陽』の現象界へ生産性を具現すると、 そこは、厳しい差別の世界なのです。 動機も不平等なら、得る結果も不平等です。 不自由です。 いかに、不平等か? いかに、不自由か? は、各々の陰徳の蓄えに由ります。 『陰徳』の蓄えは、各々の『陰』を尊ぶ業に因る訳ですから、 まったくのごまかし、要領、依怙贔屓はききません。 どれだけの『陰徳』を積もうとするのか? それすらも、まったくの各自の自由です。 ただ、その結果は掛け値なく、差し引きなく、あなたの業の果です。 この法則において、摂理において、われわれは平等に扱われています。 『天』は差別をしません。 『天』は依怙贔屓をしません。 『天』は狡さを見逃しません。 『天』は『陰』を尊ぶ業も見逃しません。 全きの平等な天下です。 さあ、安心をして生きていきましょう! 『天』を信じて、、、 東洋的叡智ともっと仲良くなってくださいね。 ほほっ。 長い記事を最後までお読みいただきました事を 感謝申し上げます。 次の更新まで、よき日々をお過ごしください。 今夕より、奈良へ参ります。 吉野山の桜が携帯カメラでよく撮れるといいのですが、、、 ほほっ。 参考文献 : 「呂氏春秋」 町田三郎 講談社学術文庫 百家諸子 中國哲学書 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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04/21 18:14 |
コメントへのお返事 13. (★姓名判断 1 ) 紀子さま/名の音霊についてCategory : 運命学
吉野山 (奈良県吉野郡吉町吉野山)
願はくは花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月のころ (願う事なら、花の下で、春の満月にこそ死にたいものだ) 西行法師「山家集」 一目千本(ひとめせんぼん)と言われる桜の山景色 ![]() 4月に入って日本列島を襲った低気圧のせいで花びらが散ってしまい、 葉桜ばかり、例年よりさみしい山肌でした。 いつもは、下のような幻想的な桜の山になります。 ![]() 4月11日 10時すぎ吉野山着、 地元の人によれば、 早朝には雪が降り、積って、日の出と共に瞬く間に溶けたとか、 おかげさまで、道中、足元は、程よいお湿りで土ほこりも立たずに、 下(しも)から中(なか)、上(かみ)、奥へと 桜を求めて登って行く事ができました。 吉野山 下千本(しもせんぼん) 花は散っているのが多いですね。 吉野山3万本の桜と云いますが、実は下だけで3万本あるそうです。 ![]() 吉野山 中千本(なかせんぼん) 花がまだ残っていました。 ![]() 昨年の11月には、持統天皇の面影をさがして紅葉の吉野山へ行きました。 その時の様子は、ここをご覧になってください。 「日本書紀」の巻の第三十の持統天皇紀に記録が残っている、 天武天皇の皇后 ・ 讚良皇女(さららのひめみこ)、後の持統天皇が、 九年間に、3~17日間の吉野への逗留を30回以上もされていたと云う 史実に肖(あやか)って吉野山へ行ったわけですが、 関西への仕事の合間の限られた時間の中でしたので、 上(かみ)まで行くのが精一杯、奥までは足を延ばせなくて、、、 それから、約半年ぶり、 その心残りと、冒頭に挙げました、 桜に魅せられた西行法師の辞世の句に誘われて、、、 ほほっ。 お花見に的を絞って奈良へ赴き、桜の吉野山へ参りました。 西行法師の事を少し、、、御存知の事とは思いますが、 本名・佐藤義清(のりきよ)。家柄が藤原の鎌足の流れをくみ 鳥羽院の北面武士と云う身分でしたが、23歳で家督、家族を捨てて出家。 出家の際に、彼を慕って裾に取りついて泣く娘(4歳)を 縁側から蹴落とした! と云う逸話が残っています。 まあ、そんな不埒な父親と思えなくもない男が出家をしたのですから、 どんな行く末、死にざまかと思いきや、 彼は願い通りに、桜の咲く満月に亡くなったそうでございます。 あはは。 この事を当時の貴族達は、こぞって賞賛をしたのだそうです。 23歳の若さで俗世間を捨てて出家をした動機には、 彼の失恋説があります。 そのお相手は、鳥羽天皇の中宮待賢門院か、あるいは 鳥羽天皇の譲位後の寵妃、近衛天皇の生母美福門院とか、、、 その為に、裕福な暮らしや官位、家族も捨てて遁世した彼が、 死ぬまで断ち切れなかった執心の的が吉野の桜の美しさでした。 花にそむ心のいかで残りけん 捨て果ててきと思う我が身に (花に染まり執着する気持ちが、どうしてこんなに残っているのか 俗世の事は捨て切ったと思う我が身であるのに) ----------------------------- 今日の記事から、しばらくの間、 過去記事へいただいたコメントへのお返事の記事になります。 今日のテーマは、 コメントへのお返事 13. (★姓名判断 1 ) 紀子さま/名の音霊について 2012年 10月 16日の記事 ★姓名判断 緊急! 『陰』を無視した名前は付けてはいけません。 へいただいたコメントからになります。 今日、引用させていただくコメントは、 ◯ 紀子様の場合、 読み方が『きこ様』と『のりこ様』では運勢は違ってきますか? 名付けた名前の読み=音の違いにおける運命の表われ方ですね。 よく深い処まで、お気づきになりましたね! そうなのです。 名前は、それが持つ音によって運の象徴は、まったく違ってきます。 秋篠宮 紀子様の場合、「きこ」さまと読むのは珍しいですね。 一般的には、紀子と書けば、「のりこ」と読みますね。 姓名鑑定では、「あ~わ」までの一つ一つの音に意味があります。 少し説明をしますと、 言葉には、言霊、 音には、音霊があります。 音霊には、母音と子音、その組み合わせの音霊があります。 「のりこ」の初めの「の」の母音は、お。 「きこ」の初めの「き」の母音は、い。 ◎ 母音の「お」は、すべてを受け入れる体勢を意味します。 外界を受け入れて、自己と一体になっている口の形です。 自分の口の中に外界を含み入れて包むように、 口の奥を大きく膨らませて、こぼれないように口をすぼめる。 おーー お の音がする言葉は落ち着くイメージの言葉です。 (納まる、修まる、桶、置く、起きる、、、) ◎ 母音の「い」は、外界と自分の境界線をはっきりさせる体勢です。 言い換えれば、外界を知って受け入れるかどうかの自己認識、 ひとまずは外界を拒否する口の形です。 口を閉じるように横に引き締めて、少しの隙間から息を吐きますね。 いーー い の音がする言葉は、意志、確固としたイメージの言葉です。 (いや! 意志、言う、行く、家、石、意味、、、) 「のりこ」と「きこ」の音の違いについてです。 ☆ 「のりこ」なら、 Nの子音の霊意も合わさって、 おおらかな知能型で、自分を伸ばしていこうとするタイプです。 ☆ 「きこ」なら、 Kの子音の霊意と強い自我意識「い」の母音が合わさる事により、 あらゆる外界に対して対面的に相い対して行きます。 名の音霊からの暗示は、自立的、孤独的。 紀子さまの場合、 それが、やわらかな従順さで包まれているのは、 知恵と他者に尽くす命式との調和です。 = 他者の為に努力ができる方でいらっしゃるのです。 人は、決して見た目ではありません。 でしょう? 嫋(たお)やかに見える紀子さまが、実はしっかりした方なのです。 コツコツと単独で自分の周りを運気旺盛に以って行ける人です。 紀子と書いて、「きこ」と読ませる。 そう決まった時から、今の運命が定まっていたのでしょうね。 天皇になられる人はもちろんですが、 天皇の妃になる人も、天皇の母になられる人も、 頑丈な自我意識を持っていないと潰れてしまいますよね。 発福する自我意識は、見えない処で『陰徳』に根ざしています。 よい果報を得る生き方と云うのは、 年柄年中、まるでキャンペーン? のような情報の濁流を放出する 近代合理主義社会の自然から浮いた囲みの中の現象に囚われる事なく、 唯一、依りかかれるものが『陰徳』と云う生き方です。 これが、最善最強なのです。 皇室にお入りになられたから、人は幸せになれるものではありません。 皇太子妃の雅子さまの例もあります。 ついでに雅子さまの音霊をさぐってみましょう、、、 「まさこ」の初めの「ま」の母音は、あ。 ◎ 母音の「あ」は、外界に気付いて驚く体勢を意味します。 口の形は、外界に対して無防備に開いた形です。 あーー あ の音がする言葉をさがしてみてください。 何か、あざやかなモノ、事が始まるイメージがあります。 (朝、明るい、遊ぶ、秋、あるいは、暑い、、、) 外界を受け容れるも拒否するもない、前駆的緊張状態です。 その緊張状態を周囲に及ぼします。 私に付いて来て! 生来のリーダーです。 仕切り屋さんでしょうか? あはは。 新しい事に気付くのが早く、それをマスターしようとします。 学芸技芸に興味を示し、常にトップを目指します。 その為には全身全霊を打ち込む人です。 ☆ 「まさこ」の名の音霊は、 Mの子音の霊意と、「あ」のリーダーシップ性が合わさって 静かだけれども女性らしさの中に、強烈なトップを目指す意志です。 あなたが一番よ、そう認められて大きくなって来た方ですね。 皇太子に見初められて、初めは固辞していた雅子さま、、、 それは、あなたが一番だと認められた事だったのですね、、、 しかし、皇太子妃と云うお立場は、 トップのままでいいと云う訳にはいかない。 ◎ 「あ」の音霊を持てば、 誰かに従う事は得意ではありません。 誰かに自分を犠牲にして尽くす事など性に合っていないのです。 自分の上に、目の前に、だれかが居る風景には馴れていらっしゃらない。 自分がトップランナーなのですから、、、ね。 人の適性と云う観点から観ると、 雅子妃殿下は、外務省のキャリア外交官のままであれば、 世界的に大活躍をなさった有能なキャリアウーマンだったのでしょうね。 人が怯む問題にも、既成概念に囚われずに、まず一番に挑戦し 先陣を切って必ず母国日本の為に何かを築かれたでしょう。 雅子妃殿下は、女系である三人姉妹の長女の出自でした。 兄も弟もおられません。 明らかに、女系の家系のお出になります。 将来、天皇になるべき男児を産まなければならないとするのであれば、 そこまでの見識を以って諮らなければならない事だったのではないか、 雅子さま、お一人の責任にしてはならないと思います。 ーーーーーーーー紀子様の事にもどります。 秋篠宮 紀子さまが、婚約中の記者会見ですが、 結婚式を終えて落ち着けば、学習院の大学院生に戻って、 心理学の研究を続けたいとおっしゃっていました。 当時、ひやっとしました。----------ーーーーあぶない! 事を言う、まだ若いな、と聞いておりました。 その当時、自己実現 と云う言葉が流行っていて、 何の為の自己実現か、分らないまま... あはは。 皇室がいかに開かれた皇室になったとしても、 近代家族のような、男女の役割が曖昧で均質化した夫婦でない事は はっきりしている訳ですから、、、 、、、、、、覚悟がない、と云う印象を受けていました。 周りにだれも、知恵を授ける人間がいないのか? なんと、合理主義的な、まわりも近代家族そのものじゃないか? 心配をしていました。 ほっー。 結局は、紀子さまは余裕がなかったのか、それをなさらなかった。 非常に、その事がよかったと思っています。 正確に云えば、約20年間、なさらなかった。 1989年(平成元年) 学習院大学院進学、 婚約内定 1990年(平成2年) 6月29日 結婚の儀 1991年(平成3年) 10月23日 眞子内親王が誕生 1994年(平成6年) 12月29日 佳子内親王が誕生 (この間、学習院大学院へ通われていたが) 2006年(平成18年) 9月6日 (39歳)悠仁親王を出産 2009年(平成21年) 4月 (42歳) お茶の水女子大学で研究活動を再開 2013年(平成25年) 3月 (46歳) 今年の春、お茶の水女子大学から博士の学位を授与される。 その間に、葛藤やお悩みがおありだったはずですが、 それで、よかったのです。 見事な生き方です。 悠仁親王さまが、御茶ノ水女子大付属の幼稚園に通っている間、 ご自分も、通っておられたのですね。 自分の本来の大きな役割に気付く。 こう云う女性(嫁)が、女系化した絶家の家系(皇室)を救い、 こう云う嫁が、息子、孫の嫁と、3代続けば家系は盤石になります。 自分の役割の為に、ある選択をする。 見えないもっと大きな何かを手にする為に、見える手の中の物を捨てる。 捨てるか、ある時期、我慢をする。 我慢や忍耐を経る事によって、 意識より、無意識の方へ重心を置く生き方へ入れるのです。 なぜなら、我慢と云うのは、 自分の五感が求める意識の満足をーーーーー見据えると云う事です。 自己の欲望をいぶし、虫干しをするようなものです。 あはは。 自分を苦から逃げさせようとする意識を潰す作業になります。 まるで、モグラ叩きのように、ね。 強欲な意識よ! えいっ! えいっ! ほほっ。 ここまですれば、惰弱な意識は潰れます! あはは。 忍耐は、人を作ると申しますが、こう云う事なのですね。 『時』が、人を鍛える、のですね。 我慢は、『時』を信じる智恵です。 陰徳から出て来る智恵です。 『時』を信じる事は、『陰』を信じる事に通じます。 無意識は、自分の欲を解かなければ見えて来ません。 無意識は、苦を避けていては見えないのです。 目に見えないモノが見えるようになる。 その事から、 意識が急(せ)かす狂騒に勝った満足境(天国)よりも、 無意識界から湧き出るもっと広い深い喜びに包まれるのです。 我々は、この現象界において、 自分の運命を示唆するさまざまな衣服を着ております。 その内の一つが、姓名の音霊です。 我々の存在は、精緻で精巧な作りをされているようです。 体のどこを切っても同じ血が出るように、 あらゆる方向から我々を占っても、それらの答えはほぼ一致しています。 そこには、なにか統一された設計図があるように思え、 そのルールは、普遍的な何かに貫かれているようです。 最後に少し、 最近の西洋批判を、、、西洋は、未だに『陰』を知らず。 アントニオ・ネグリ、 マイケル・ハートと云う現代の思想家が せいぜい〈共〉・コモンと云っているようなレベルです。 例えば、人々は大地や海洋、空気や生命を共にしている。と云うのです。 大地や海洋、空気や生命が、〈共)・コモンだそうです。 コモンウェルス(共通の財産)と云うのだそうです。 人々の(共通の財産)だから、資本家や国家の独占から、 それらを取り戻そうと〈帝国〉の革命を目指す。と云うのですが、 どこか、縦と横の次元が混乱しています。 まず、そもそも、 〈共〉の概念の中身、大地や海洋、空気は分るのですが、 それらと同列に、命を並べる事自体が、まったく奇妙です。 その上、大地や海洋、空気や生命を結ぶ何かが見えていないのです。 それらが、陰陽学の『陰』とかぶる概念かなと思うのですが、 彼らは、大地や海洋、空気や生命を、バラバラに提示するだけです。 宇宙観、自然観の未完成さ、未整備なのを感じます。 そして、現代新進の思想家が、相手にするのは資本家と国家とは?、 これでは、あまりに直接的な目の前の相手しか見てないのか? 子供が文句を言っているような浅い議論にしか思えないのです。 資本家、国家、そのどちらも個人にとったら大変なものですが、 新たな思想が相手をするとしたら小さ過ぎる観があります。 このように、西洋は、どこまで行ってもロジック 対 ロジックです。 キリスト教的宇宙観、自然観から一歩も出ていない。 共産主義、資本主義、合理主義の弟のようなレベルです。 だから、相手のロジックをも、包み込もうとする普遍性がない。 これでは、単なるロジックの置き換えにしか過ぎない。 そう思われませんか? ほほっ。 彼ら西洋人は、随分前に仏教の禅を理解をしたようですが、 禅では、まだ東洋を理解するには無理なのですね。 禅に、はじめて「空」観が説かれる訳ですが、 まだまだ、般若心経の「空」は、半端な空観しか説かれていないし、 禅を理解したと云っても、物事の存在の全貌が分っていないのです。 西洋は意識の中をグルグル廻って迷っているステップです。。 。 今後、西洋から大した思想は出て来ないと思っています。 それで足元を見れば、その程度で作られた近代合理主義のお仕着せで、 日本は晴れ着を着て舞台へ上がった気分でいるのでしょうが、 意識にダマし生きさせられている現代の日本は、寝言のレベルかな? はやく目覚めてほしいものです。 実に、『陰』の存在を知り探究をした東洋に生れて幸いです。 しかも、その『陰』のはしくれでもかじっているのは幸いです。 ながい、ながい記事を最後までお読みいただきました事、 感謝申し上げます。 おつかれなきよう~ ほほっ。 次の更新まで、よき日々をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |