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コメントへのお返事 16. <近代化の奈落 3.> 我々は若者の見本にはなれない!Category : 生活哲学
至仏山・しぶつさん(2228.1m) (群馬県みなかみ町)
![]() 至仏山は、尾瀬国立公園に属し、 太平洋側と日本海側の分水嶺の山です。 尾瀬ヶ原を竜宮から牛首や山の鼻へ向かう木道を歩いている時に 前方に見える、なだらかな女性的な山が、至仏山です。 〝山の天気と女心は変わりやすい” と云いますが、 その中でも尾瀬は本当に天気が変わりやすい地形です。 登山から下山までの数時間の間に、 曇り、小雨、どしゃ降り、霧、濃霧、風、強風、快晴まで 体験をしたのは、この至仏山が初めてです。 ドラマチックな? 自然を体感できる山でした。 ーーー これから3回に分けて至仏山へ登った時の写真を紹介します。 が、決して登山のブログに変わった訳ではないのよ、、、 あはは。 登山ルートは、 山ノ鼻ルートが、登山者の増加で登山道が荒れて通行禁止の為に、 群馬、鳩待峠からのルートでアタックです。 鳩待峠に着いた時の空模様は、雨を呼びそうな曇りだった為に、 もう、レインコート、防水ハット、スパッツ、ザックカバー、など、 雨具の完全装備です。 やっぱり! 登山道に入った途端、小雨が降り始めると云う、 絵に描いたような下り坂の空模様でした。 急勾配の山道に差し掛かるといよいよ本降り、ザァーザァー降り。 頭よりも高い両側の藪の葉先から流れ落ちる雨が全身にかかり、 足元は、すれ違う事ができない位細い溝のような山道を 雨が川のようになって流れて下って来ます。 その時には、まだ、 〝雨にも負けず、風にも負けず、、、“ と云う賢治の詩を そのまま実現するような登山になるとは露知らず、、、 ほほっ。 何時止むのか分らない雨の中で、 頂上に着くまで止まないかも知れないと覚悟をしていました。 悪天候のせいか、他の登山者が見当たらない?! あはは。 両脇の葉先から、したたり落ちる雨の滴を避ける為に かがむように傘をさした平身低頭の体勢で、 しかも、もう片手にストックと云う両手がふさがった状態で進みます。 登山中の雨は、これが自然なんだと思っているせいか、 雨で中止をしようと云う気持ちには一度もなった事がありません。 風雨を起す自然も、地震や津波を起す自然も、 我が身に現れる運命と云う自然も、同じ自然なの。 同じ無意識の領域・『陰』に、そのエネルギーの本源はあります。 だから安心して、 私たち達の命を生み出した本源『陰』と同じよ。 この世における自然のあらゆる現象は、必ず『時』と共に変化をします。 だから*莞爾として、突破・ブレークスルー(break through)するのです。 何も恐くは無いのです ------- 逃げてはいけません。 それを悦びとしましょう! ほほっ。 雨もよし、嵐もよし、悦びです。 あはは。 【*莞爾(かんじ) = にこにこと笑って】 雨で濡れながらでも、時として雪をかぶりながらでも、 全身は心地良い大量の汗をかきます。 これが、スポーツの醍醐味ですね。 どんな汗をかくかで、無意識が知らせてくれる事があるのですよ。 ちょっと、それを書いてみましょう。 登山中は、止めどなく汗が噴き出て来ます。 出た汗の代わりに、1リットル以上の水分補給をします。 時として、額や顔の汗が目や口へ流れ入って来るのですが、 サラサラとした何の味もしない水のような汗です。 汗はそもそも、暑くなった体が水分を蒸散させて体温調節をする為です。 だから、理想的には、体からは水分だけが出て来ればいいのです。 ところが、塩辛い汗をかく場合は、 体から必要なミネラルが出て行っているからで、 普段、あまり運動をしない人が、塩辛い汗を流すのですね。 本人の意識に関係がなく、 体が、運動をつらいと感じた時、ミネラルまで出してしまうようです。 体に必要なミネラルを、体温調節の時に流してしまうのは、無駄ですし、 体にとって良い事ではありません。 せっかく運動をして、ミネラルが流れ出れば、体に負担をかけて、 よけい疲れてしまいます。 じゃ、どうすればいいかと云うと、 継続的に運動をして、体にとって運動全てが軽いと感じるレベルになれば、 体が、体自身に負担をかけない汗の出し方ができるようになります。 つまり、継続的に、もしくは定期的に運動をする事によって、 体が、これ位の運動なら平ちゃらさ、楽勝だ、と平気になった証拠に、 塩辛くない水分だけの汗を出せるようになるのです。 また、水のような汗なら、乾いても汗臭くありません。 塩辛い汗は、乾けばミネラルが酸化をして汗臭い! あはは。 臭い汗を出している場合は、体がつらいと感じた汗か、 内臓や体調がよろしくない場合が多いので、要注意です。 塩辛い汗なら、定期的に運動をした方がいいのです。 サラサラの水のような無味な汗なら、運動は十分です。 もうちょっと体に負荷をかけてみたらどうでしょう? もしか、初めはサラサラだったのに、 運動をしている途中で、塩辛い汗に変ったとしたら、 ちょっと無理な運動をやっちゃったかな?と気づいてください。 このように、体を統合する無意識が、 汗の出方の状態で、体の状況を知らせてくれているのですね。 このように無意識に従っていたら、間違いないのですが、 意識が欲に染まると無意識のヒントに気付けないのです。 では、登山へ戻ります。 やっと草木が生い茂った急勾配の細い山道をやり過ごしたら、 次、視界が開けるはず? と期待した木道へ出る頃には、 あれだけ降っていた雨も止み、今度は霧が下から登って来ます。 おかげで視界は、まったく開けていません! 下からの風で霧が辺りをどんどん覆っていきます。 雨水で濡れて滑りやすくなった木道歩きが終わると、 次は、雨水の水たまりを避けながら階段状の登山道を登ります。 晴れなら、きっとここからは良い眺めが広がっているはず、、、 霧に追いかけられながら後を振り返っても、 濃霧で視界はゼロ、足元以外、周りは全く見えなくなりました。 いつのまにか周囲の木々が低くなって、 樹林帯をすでに抜け出したらしいのが、ぼんやり分かります。 木がない、、、これが森林限界に出た印です。 と、急に、胸や腰の高さまである蛇紋岩の大岩が、ゴロゴロ、 ゴロ石とガレ場に出ます。 (下の写真) 濃霧で、まったく向こうが見えない! 頂上までの1kmはこのような完全な岩場歩きになります。 ![]() (写真をクリックしてください。全体が、、、) この続きは、また次回へ、、、。 ------ さあ、本論へ行きます。 今日の記事は、直近の記事にいただいたコメントへのお返事です。 全てのコメントを引用したいと思うのですが、 記事が長くなる場合は、次回へ廻します。 全文は、長くなるかと思いますので、 何回かに分けてお読みになってください。 よろしくお願いします。 コメントへのお返事 16 <近代化の奈落 3.> 我々は、若者の見本にはなれない! 前回からの続き、まず、地球と日本の現状の認識からです。 2012年 4月 1日の過去の記事、 思い出の 「大地」五行学の土の徳は、『信』 で次のように、、、 近代的自我を付与されて、『地』から浮き上がった私達。 知識と意識で捉えた幻想のシゼンの中にいて、 どこから付与されたのか? その出所もわからない幻想の自由を本然的自由とはき違えて、 自然を自由にシゼンへ変える権利がある! あはは。 垢のようなウソの積み重ねを経て、 いったい、どこへ足を踏ん張ればいいのかさえ解らない位、 自己の足場を、自己意識を失っている。 意識で捉えたシゼンが、我々の周りをすっかり取り巻いて、 それで生きているのだと倒錯している現代人の我々。 はっきりと、これは偽善です。 この偽善のシゼンの中で、子を産み、育てる事は、苦だと、 『地』・母性は、もうすでに傷つき、嘆き悲しんで泣いているはず。 と、書きました。 ここの 『地』・母性 とは、 ・そのまま、母なる大地、更には地球そのものであり、 ・母となる女性の孕(はら)む性(さが)であり、 ・万物の命の母体であるこの宇宙、太陽、自然そのものです。 『地』・母性が、もうすでに傷つき、嘆き悲しんで泣いている。 その証拠に、 ・近代化以降、合理主義の下で、 あらゆる命が生れる母なる大地、この地球の限界を超えても尚、 我々の貪欲が、地球の資源を貪(むさぼ)って止まない現実。 地球は、悲鳴を上げているに違いありません。 ・近代化以降、合理主義の下で、 母となる女性の孕む性が、女性の近代的自我の自立?の犠牲になり、 不妊症の増加、少子化と云う現象を引き出し、 『陽』なる経済活動に働き手として狩り出される現実。 新たな次世代の子供らは、1歳未満から保育園で育つと云う現実。 これらは、今の50代以上の母親には、考えられない状況です。 子らは、母親が育てるべきもの、3才までの育児は特にそうでした。 真の母性は、子と引き離されて職場で働く事を喜んでいるのか? ・近代化以降、合理主義の下で、 自然との調和を失ってしまう程に行き過ぎた開発を進めて来た先進国が、 気候変動、生物多様性、チッソ循環において、 地球環境の許容限度を何倍も超えてしまっているにも係らずに、 それを未だに止める事ができない現実。 これらは、『陰』を無視する近代合理主義の思潮の下で 『陽』一辺倒の経済活動、 現代の物質文明を極めた歪みが表われて来た現象です。 『陰』を無視するから、『孝』が廃(すた)れ、 道徳の根本の『孝』が廃れているから、本質を見失うのです。 『孝』を見失った人間の足下の大地は、『地』の徳性を消失します。 『地』の徳は、『信』。 絶対の『信』を失った『地』は、『人』を守りません。 大地を命の安定の拠り所にする『人』にとって、 『地』の『信』の消失は、------- 来るべき大地震への不安です。 不動であるべき大地への不信感が、『孝』を忘れた人間を包むのです。 これが、東洋の考え方です。 人 即 天地。 宇宙 即 我。 まさに、今の日本中が、そうです、、、 大地震と津波への不安が、国中を蔽っています。 この現実は、『陽』経済や政治では解決ができるものではありません。 経済の損失をはじき出して、防災、減災に努めるしかできない。 『陰』を食い止める事は、『陽』意識にはできないのですよ! ほっ。 日本はアジアの中で、近代化に先頭を切って成功をしました。 そう、発展! 自他共に認め、先進国の仲間に入ったのだ!って、 自慢をし、自惚れて来ましたね。 それが、どれだけの値打ちなのか? さすれば、それが西洋思想史の中では解体したかに謂われる今日、 もう西洋中心の近代化などと云っていられない、 欧米に類例を見ない見事な完全な近代化をやってのけた日本です。 ここまで、『陰』を捨てたら、 もう、何でもアリの日本の状況下ではないですか。。。。。 何のことはない! 我々大人がやって来た事の実相は、 自分たちの餓鬼道の貪欲を肯定し、 阿修羅のごとく他者を押しのけ 経済大国2位と云う近代化の成功例を世界に示して いい恰好のポーズを見せて来たのです。 後進国がうらやましがるように、、、 日本を見本にして近代化を真似るように、、、 近代化を説いて、説教を垂れて来たのではないのですか? なんと罪深い事でしょう。。 。 御存知でしたか? 世界中が、日本と同じ生活水準をするなら、地球が4つもいる! 近代化に成功した!と自慢をしながら、 『陰』を捨て、『孝』を廃し、 経済大国になった! 世界第2位だ! そうして、この、 地球4つ分の浪費社会のモデルを、営々と築き上げて、 自慢しながら見せびらかして、 これから、尚且つ、アフリカへ広めようと云うのですね? もう、止めてほしい、、、、、 日本の〝地球を浪費するモデル”を、 かっての中国へ広める前に、 アジアへ広める前に、 つつましやかな、清楚な、質素な日本に戻ってからにしたかった。 なぜなら、 一度知ったこの物質欲の満足は誰しもが手放し難いものだから。 広めた相手をも苦しめる事になりはしない? もう一度、お互いが、前より苛烈な餓鬼道から這い上がるしかないのです。 日本の当座の財布を肥やす為に、 将来の重苦を、広めた相手に与えているのに気が付かなかったのか? この罪滅ぼしに、少しでも早く、 日本は、節約と禁欲と自然を尊ぶ修行を以って世界中を巡礼しなければ。 そうしないと、、、実は、もうすでに、 2009年の時点で、 地球の限界点は3分野で超えていたのです。 これに関しては、ストックホルム大学の研究機関、 ストックホルム・レジリアンス・センターのヨハン・ロックストロム所長が、 国際的に有名な科学者のチームと共に、 9項目から成る一連の地球限界について発表をしています。 2009年時点で、 ① 気候変動(大気中のCO2濃度)は、 限界点の350PPMを現在387PPMで超えています。 【産業革命前は280PPM】 ③ 生物多様性の損失速度(100万種ごとの絶滅種の数)は、 限界点の年間10種類を現在100種類以上が絶滅して行っている。 【産業革命以前は約1種類】 ③ チッソ循環(大気中から人工的に取り出されるチッソ量)は、 限界点の年間3500万トンを現在12,100万トンで超えています。 【産業革命以前は0】 そして、今が危機の上に在って安心できないのは、 地球は、変化に徐々に反応するのではなく、 ある限界点に達すれば、ある時、一気に! 人為では止めようもなく不安定化する転換点があると云うのです。 それは、予期せぬ事態を引き起こし破壊的な悪影響を与えかねない。 この限界を体温に例えると解りやすい。 人間にとっては、体温42度が生死を分ける限界点です。 だから、人は、38度になると病院へ行って治療をするのです。 ------------ 今の地球の体温は、その38度だと云うのです。------------- ですから、 当然ですが、 これからは、経済発展ではなく、「安定的な地球」を最優先にするべきだ。 と云う主張です。 その通りです! 大賛成です。 さすが、スウェーデンですね。 こう云う方は、知識人と呼ぶよりは、智者と言うべきでしょうか、 教えてくださって、ありがたい事です。 ところが、それから4年が経過し、 現状は、大国のエゴで世界はなかなかまとまらないのですね。 大悪事は、止まないのです。 あはは。 特に、① 気候変動(大気中のCO2濃度)については、 国連の気候変動枠組み条約における国際交渉では、 「世界平均の気温上昇を産業化以前を基準に2℃以内に抑えるべき」との 差し迫った科学的見解は認識されていても、 飽くなき経済発展を国是とする大国、発展途上国のco2の排出量は, 増加を続けています。 ◎ 日本も同様です。 東日本大震災と福島原発の事故以来、 日本でのco2削減ブームは退潮し、しかも原発の停止が続く為に 代わりの火力発電所の稼働によってco2排出量を以前よりも増加し、 京都議定書の第2期間(2013~2020)に参加すらしていないのです。 現在、世界の論調は大きく分れ、 ・積極派は、将来の人類の為に緊急に対策を強化し、 気温上昇を2℃以内を絶対に達成すべきと主張し、 ・消極派は、専門家の多くは2℃以内の目標達成はもはや非常に困難だと 認識をしています。 どちらにするべきか? 積極派の対策を行うなら、それの伴う≪経済コスト、社会変革に伴うリスク、 co2を地中に封じ込めるイノベーションに伴うリスク≫を覚悟する必要があり、 消極派の云う通りにするなら、将来の温暖化の悪影響に ≪人類が対処しきれなくなるリスク・例えば気温が上がれば台風の大型化、 干ばつが続く可能性、大洪水などの異常気象≫を覚悟するべきなのですが、 日本では、こう云う地球の危機が迫っている現在にもかかわらず、 その選択のリスクについて詳しく国民には説明がされていません。 さあ、日本はどうする? ここまがで、地球限界に対する世界と日本の現状です。 これらを、まず意識で理解してください。 そして、自分は、どうすれば生き延びれるのか? この意識を常に、心の奥底へ置いておいて欲しいのです。 そうすれば、徐々に無意識の中へ沈んで行くはずです。 そうすれば、必ず、何がしたいのか、するべきか、 無意識からのヒントが、意識界へ湧き上がって来るはず、、、 そう願いながら、記事を進めていきたいと思います。 此処からは、前回の記事にいただいたコメントをご紹介をします。 いつもながらのみなさまの真面目なコメント、ありがとうございました! 内容は、それぞれ一部抜粋をさせていただいております。 全部をご紹介したいのですが、長くなれば次へ廻します。 鍵コメントは、公開をさせていただく事をご了承くださいね。 まず、一つ目です。 ◎ ブログ読みながら、 近鉄ハルカスがバベルの塔とダブって見えてきましたよ(笑) あ、そうすると、バベルの塔って 世界中に一体いくつあるのだろう!なんて考えたり。 昔から人類はあまり進歩してないんでしょうかね~ バベルの塔は単なる神話、昔話と受け流す?(>_<) 自分も男ですから、陽の世界で頑張らないといけないんですが、 その方法を間違わないようにしないと。 温故知新、東洋思想を学びながら生き方を見つめなおしていかねば! と思います。 気持ちのやさしさが滲み出ているコメントですね。 西洋は、心=意識=五感=目や耳や鼻や、、、などが捉えた世界です。 意識は、五感を通じて集めた情報のリアクションですから、外界に従います。 それを知っている西洋は、宣伝や広報が非常に上手いのです。 キリスト教も世界中に宣教師を派遣しました。 良いものは自然に広まる、ではなくて、積極的に目や耳へ訴えます。 これが、今の西洋の外交であり、ビズネスであり、政治です。 高層建築も、1930年代のニューヨークのマンハッタン街区の、 エンパイア・ステートビル、ワールドトレードセンター(アメリカ同時多発テロ 事件で破壊された)などはそのハシリでした。 それまで -------- 貧しさと飢餓が、人類の敵でした。 そして、貧しさと飢餓を乗り越えたと思う人間の慢心が、 こう云う高いビルを建てて来たのでしょう。 いいえ、たとえそれが一時的な錯覚でも、誤解でも、 この自己満足を見て確かめるのには高い建物は分りやすいのです。 『陽』の現象は、 見えない『陰』などを最重要だと叫ぶ東洋より ぐ~っと分りやすいし、伝えやすい。 あはは。 東洋は豊かになればなるだけ、 何も無い方がいい! と、ワビ、サビの世界へ行きますから、 ほほっ。 ワビ、サビの究極は、豪華なお城ではありません。 平屋の簡素な作りですもの、、、 あはは。 桂離宮も、浜離宮も、、、吹けば飛ぶような? ほっ。 まったく違うのですよね、西洋とは、、、 しかし、もう、すでに、足元に、再び、 地球の限界を犯す危機から起こるかも知れない貧しさと飢餓を 乗り越えるには、東洋の出番かも知れないですね。 そう信じております。 二つ目のコメントです。 ◎ 最近は タワーマンションとやらのかなりの高さのマンションも珍しくなくなりました。 あんな雲の中に住んでいてどうなることやら・・・ どの地方も駅に降り立ったときその地域の特色が感じられず なんか画一化してるような・・・ どこへ行ってもチェーン店が目白押し。 なんかだんだんつまらない世の中になってきたような気もします。 それだけに京都みたいな街は貴重ですね。 世界中の消費が地球1.5個分 2030年には地球2個分 と聞いて本当にびっくりです。 今まで意識の中にこんな事考えてもみなかったことです。 確かに・・仕事もしない子供が大人の真似をして、 お金の使い方だけが大人以上になっただけというのも頷けます。 さてどうしよう?? そう、時代は自由に個性を目指すのかと思いきや、まるで逆ですね。 画一化の方へ進んでいます。 それは、なぜか? どこへ行ってもチェーン店が目白押し、 憧れて行く店でもない、無難なのですね、その中へ入る安心感? 差別化どころか、個性も何もない? あはは。 いつから、こうなってしまったのでしょうか、、、 少し難しいかもしれませんが、 19世紀のフランスの思想家トクヴィルが、鋭い事を言っています。 彼の事は、2012年 12月 10日に コメントへのお返事 10.(母性を喪失した家族の癖)トクヴィルの政治学 で 紹介をしましたが、 彼は、こう警告しています。 「民主主義社会は、嫉妬社会である為に人々の行動や考えは平等化し、 最終的には、平等化された多数者が、 少数者を抑圧する【多数者の専制】を生んでしまう。」 この【多数者の専制】政治と云うのは、政治だけに限らず、 あらゆる処に潜んでいる無言の平等化の押し付けなのですね。 例えばですが、極端な例として挙げれば、 貧しさは生活保護を受給できる条件ですが、 それを逆手に取れば、貧しさが保護を受ける権利を持っているのです。 国民が貧しくなり、その権利を有する人達ばかりになったら、 貧しい多数者の思い通りの政治が、国民へ押し付けられる訳です。 そう云う事はあり得ないはずですが、この事からも、 国は大多数の国民の所得を上げて、立派な納税者にするしかないのです。 そうしなければ、国が体を為さなくなります。 しかし、なんとかかんとか国民がやっている間は、 マスコミや政治にとって、画一的な国民の方が扱いやすいのです。 ひとつの号令で、皆が右にナラエ! で云う事をきくからです。 そして、国民の間に嫉妬心を増長させたくはない。 なるべく、ね! 言葉で国民を同じ様に扱っているポーズをする訳です。 あはは。 その方が、扱いやすいはずですから、、、 国民が、同じようなモノを追いかけてくれる方がいいのです。 皆が大学進学、皆がホワイトカラー、制度上の皆の機会均等、 子供は保育所へ預けるモノ、女性は働くのがススンでいる、男女平等は善、 いつのまにか、ほら、ほら、こっち! と誘導されているのですね。 その大きな波に呑まれて、 知らず知らず自分の意見を忘れて、個性がなくなって行く、、、 国民の方も、ついつい同じお店に皆が入って行く方が、安心です。 わざわざ、それに抗って、 画一化に注文を付けたくなるのは、 ほほっ。 私たちが個性的である証拠なのかも知れませんね? ちょっと、安心しましょう。 あはは。 ついでに、民主主義社会は、嫉妬社会である、について、 近代合理主義は、神や仏のような絶対的な存在を認めません。 すべてが皆平等、同じ価値である、となっています。 従って近代化以降、ヨーロッパでは、神が人間の処まで引きずりおろされ、 神の権威が失われる事により、神が禁止をしていた同性愛、堕胎が 社会的に、法律で認められるようになりました。 その神の代わりに権威を持ったのが、科学です。 社会の中に、絶対者もなく、すべてが平等である、、、となると、 人は、各々の五感から入って来る情報(環境)に頼った自分の意識を 唯一の神の様に信じます。 (自分が感じた事が真実なんだ) これが、相対化、相対主義と云うものです。 相手が自分より優れた存在であれば、尊敬の念を持つのが自然です。 しかし、相手を自分と平等な存在として見れば、 自分の上の人間を自分の嫉妬から尊敬せずに、批判して引きずり下し、 片や、尊敬する事もできない自分より下の者を庇い引き上げる事により 自分にとっての上と下の他者を民主主義と云う社会制度を利用して 尊と卑の相対化、平等化をする事で、 その中間で、自己の安定を謀ろうとする人間に具わる醜さ、卑しさを トクヴィルは、150年も前に見抜いていた。--- おどろきです。 デモクラシー社会は嫉妬深いと云われる所以は、 民衆の嫉妬から出て来る(私も他の人と同じ様に扱ってほしい)と云う要求を 常に満足させなければならないのです。 政府も大変です。 あはは。 沖縄の基地問題、放射性廃棄物の処分場問題、など、、、 何も決められない右顧左眄する政府が、立ち往生しています。 これが、愚かな民主主義です。 個々の人間関係においても、心からの尊敬や、まごころ、誠意と云った 無意識の徳性を帯びた意識が希薄になって来ています。 人間の狡さが、 平等主義の制度や法律を利用して、横行するようになるのです。 生活保護の不正受給などはその典型ですね。 自分が、不平等に扱われたと云うだけで裁判を起こす場面も出て、 法的に争うと云う事が増えて来る訳です。 人の守るべき道理『徳性』よりも法律『陽』の力を頼り、 嫉妬の思いを晴らす(相手を倒す)訴訟社会の出現です。 合理主義の行き着く処は、そこら辺の場末の刑場です。 民主主義自体が、絶対王政の王などに対する民衆の嫉妬から出発した、 その事を考えれば、それは、当然の成り行きだと言えるでしょう。 虐げられた民衆の憤怒と嫉妬が、王や王妃をギロチンに架けたのです。 そこに、民主主義の原型があると見抜いたのは、トクヴィルです。 トクヴィルが、何故見抜けたのか? トクヴィルの家系は、古い貴族だった為に、 フランス革命の時に、両親は投獄され、 祖父は、王族と共にギロチンで処刑をされています。 その時、20代のトクヴィルは目の前で、群衆の嫉妬を見たはずです。 民主主義国家が、嫉妬から解放される手段は? トクヴィルは、道徳や宗教が有効である。と、言っています。 「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てる事は出来ない。 信仰なくして道徳に根を張らす事は出来ない」 あ、日本は近代化以降、道徳も宗教も、、、捨てたのよ! 敗戦で68年前、画一化への道を選んだのです。 近代化によって、神の権威は落ちた。と云いながらも、 厳然と精神世界は、キリスト教の基盤の上に在る欧米とは ぜんぜん違うのです。 だから、近代化によって全てを捨てた日本の近代化の方が、 欧米よりも純化した近代化なのです。 世界で類例をみない原理主義的近代化を成し遂げたのは日本だけ。 と云う事は、日本人は、68年前に完全にこだわりを失った。 日本社会の中には、絶対性と云うものが存在しないのです。 この春頃、文科省が、小学生にイジメや殺人がなぜ悪い事なのか? を教えるテキストを作ろうとして、止めました。 その理由は、イジメや殺人が悪である。と云う事を説明できないからだと、 新聞で読んで知って、 なんて、文科省の役人は正直なのかと驚くと同時に、 イジメや殺人が悪と教えられない日本の社会の基軸の無さに、 呆れると同時に、救いようのない現状を観る思いがしました。 日本中の駅前を見ると、その通りだなと思ってしまいます。 あはは。 三つ目のコメントです。 ◎ 次を読んで正直落ち込んでしまいました。= 良いと思ってして来た事が、こんな結果になってしまったのですね。= >現在の世界中の資源消費は、地球1,5個分。 >未来の人類の分まで借りて、豊かさを享受するって? これはなに? >このまま2030年代まで行くと、 >人類の環境負荷は、地球2個分まで拡大します。 ほんとうにこれはなに? です。= それにしても、これに関しての情報は少ないです。= 国もアベノミクス、3本の矢とかばかりを言っていますが、展望がないわ。= 生活を縮めるとか、もっと循環型の社会へするとか、官僚は動いている のでしょうが、= 一番生活に密接な国民はツンボ桟敷です。= 地球上をおかしくするような発展なんて、経済力なんて望んでいない のですから。= 本当に、その通りです。 先ほど、紹介したトクヴィルですが、彼は、またこう言っています。 「 民主主義社会では、人々の関心は、 どうしても〝現在”と〝自分”に集中する。」 本当に、彼が鋭く見抜いていたのには、感心させられます! なぜ、意識が生みだした民主主義社会は、 〝現在”と〝自分”だけに集中するのか? 意識は、現在の環境から五感へ入って来る情報に頼っているからです。 五感の根拠は、現在の環境刺激だけなのですから。。。 見えない未来を五感は、掴む事ができない。 未来を見通す無意識を知らないから、 〝現在”にしがみつくしかない、、、現状保存です。 ほっ。 その自分の五感が感じた事は、自分一人の意識しか感じていない、、、 本質的に、意識は個々バラバラです。 自分の意識を根拠にすれば、自分中心にならざるを得ないのです。 誰もが自分中心のロジックを作ろうとします。 欲に囚われていない無意識を知らないから、 〝自分”にしがみつくしかない、、、自己保存です。 ほっ。。 家族も相性が悪ければバラバラです。 昔の様に、相性が悪くても大家族としてつなぐ基盤がない。 簡単に家庭が崩壊する訳です。 それが国対国なら、競争が発生し、戦争まで行くのですね。 物質文明では、頼るのは心より物。 国なら、資源です。 手にした目の前の経済の利便性を失う事が、命を失う事より恐い! それほど人間の前頭葉は、 現生存性と自己の満足と物に固執しています。 現状保存、自己保存と云う腐った保守性は、 危機が迫っても、今までのやり方を捨てられないのです。 放射能や地球の限界で命を失うのは、未来のある日です。 見えない未来のある日ですから、、、、、 あはは。 意識には見えない、聞けない、、、感じられないのです。 規制改革と云いながら、改革ができない政治が、 経済を思い通りにできるとは思えないですね。 その保守性にがっかりした市場が、今は株価を下げています。 ------- 最後のコメントです。 ◎ 切り捨てられる人たちのシェアハウスを建てて、 多くの物を共有したり自給自足を促進したりすればよい。 社会的弱者や孤独な方、共生を望む方達が そこで新たに家族を形成すればいい。 孤独な人たちのお金が国庫へ回収される前に、 それぞれの能力や知恵を出し合い、力を出し合い、心を尽し愛。 そんな村でもマンションでも長屋でも設計できないかな・・?! とか、小学生並みの無智な夢物語を披露してしまい・・なさけなや。 ちなみに戦前の阿倍野をご存知なんですね! (冗談 m(__)m、10年程前まで戦前の風景も残ってましたもんね) あはは。 最後に、オチまで付けていただいて、、、、、、ほほっ。。。 深く、感謝もうしあげます。 一瞬、 えっ? 戦前に生きていたかしら? と 自分で、戦前生まれだった? なんて考えてしまい、、、 つい、その気になりました。 あはは。 シェアハウス、そうですね! 地球上が、一つのシェアハウスになったらいいのですね。 先日、日本で開催された第5回アフリカ開発会議もそうですね。 アフリカの国々が民主化を成し遂げ、今の中国のようになると、 生活水準は上がり、消費するエネルギーも増大するはずです。 その時、どうするのか? 今は、日本などが消費している分を分けて、 シェアするしかないのではないか、、、そう思います。 より少ない資源で、よりよく生きる事をしなければならないでしょうね。 人類は、それを、自分の満足点として受け入れるしかありませんね。 私は、経済学者ではありませんから、 難しい事は申し上げられません。 が、これからの経済は、 際限のない我々の貪欲に基づいた経済ではなく、 世界人口と地球規模に基づいた道徳的な経済を考えるべき時ですね。 なにが、道徳なのか? それは、おのずと地球規模を世界の人口で割ると、 自分の口に入る量、肌身に付けて着れる物が決まって来るはずです。 今まで、拡大路線で人より多くを取って、人より着飾ろうとする事が、 努力であり、成功だと生きてきた大人は、 この新たな世界道徳に入って行くのは、辛いだろうなと思います。 そう云う意味で、今までの大人は、若者の見本にはなれません。 お手本は無理ですね。 早く、この世から引き下がるべきであろうと思います。 また、過去のやり方を良いと云う教育をしてはいけないと思います。 幼い子も、若者も、今の大人を見習わないでください! 10代の若者も、自分たちの為にもっと政治に関心を持ってください。 若い両親たちは、我が子の負担を考えて行動しなければいけません。 これからの大人である子供達、若者が、新たな基軸を打ち立てて、 地球をしっかり守り、大事に、永遠に続くように、 己の分に従って、しかも天下の則を超えず。 東洋の智慧を学んでいただきたい。 もっと、世界中に、東洋が広まって行くように 祈って行こうと思っています。 過去の栄光は、何の役にも立たない。 今からそう云った覚悟を決めて生きようと思っています。 みなさまはいかがなさるのか? どうか、お考えになってください。 では、今日は長くなりましたので、 今日できなかったコメントへのお返事は、 次回へ廻させていただきますね。 最後までお読みいただいた事、感謝申し上げます。 次回更新まで、よい日々をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |
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06/22 18:24 |
コメントへのお返事 17. <近代化の奈落 3.> 見事な大根は「種」を残せないCategory : 生活哲学
濃いガスに包まれる至仏山(しぶつさん)登山道
![]() 頂上をカモフラージュする岩場 (写真をクリックしてください!) ------ 至仏山登山の前記事からのつづき 上の写真のように、 頂上をカモフラージュする崖が、遠くから見れば頂上に見えて! あれが、頂上、、、、、 近づけば濃いガスのせいで騙されたんだって、、、がっかり。 こう云う事が何度あったでしょうか。。 。。。 あはは。 、、、黙々と足場を確認しながら登って行く背後を、 下方からガスを吹き上げて来る強風が、強く背中を押して来ます。 何の遮るもののない稜線に出ると、 ものすごい風で我が身が吹き飛ばされそうです。 みんな、黙って、 濃霧の中、強風によろめかないように気を張って、 最悪の事態になる前にリタイアすべきじゃない? とか、 いや、まだ前に進めるのか? (まったくわからない!) 山では、恐い! と云う言葉が禁句なので誰も言いませんが、 平らな岩盤の上で滑ったりすると、 どんな景色かさえも、まったく見えない崖下への恐怖が? あは! ちらっと、かすんで消えたり、 自分自身を含む大自然と戦っていたのです、、、、、、、ほっ。 全く同じ経験を、あの、3.11(東日本大震災)の時、 午後2時46分、つくば山に居て、震災に遭った下山道で感じました。 その時の詳しい状況は、 ⇒⇒⇒ その時の記事 人間は、自然の one of them です、一部ですから、 全体である自然には、究極、部分でしかない人間は逆らえません。 西洋二元論において、 人間は、自然を支配する、とか、 自然と共生する、とか、 自然に逆らう、とか、 自然と人間とが、いかにも対等であるかのような近代合理の言説は、 まったく*詭弁でしかなく、 どういった場合でも、自分の欲望を正当化したい人間の増上慢を 満足させるこじつけでしかありません。 *詭弁(きべん)--- 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。 それらは、単なる愚か者の劣等感の裏返しの思い上がり、 大自然に対する無礼、イジメの行為にしか過ぎません。 部分が全体を支配するなんてお門違いだし、 部分が全体と対等に共生するなんて、 部分が全体に逆らえば、全体からはじき出されるのがオチです。 だから、ほら! 今、 人間は自然からはじき出されているではありませんか。。。 でも、 自然の為すがまま、あきらめて従えと云うのではありません。 それでは、臆病な自分の意識に、唯、囚われている事になってしまう。 〝現在”と〝自分”に固執する意識に従って、今あるものを守るだけなら、 それに徹すれば徹する程、一生懸命になればなる程、 命・心身は次第に衰えます。 (運命学では、自分の欲望の為の 努力や一生懸命が、必ずしもいいことだって言えないのです!) 現在を守ると云った処で、『天』の運行、時は進む、と云う事を考えれば、 現状維持なんてありえないのです! 現在を守りながら古くなる。老いていくのです。 つまり、 現在を守ると云う事は、衰退を意味します。 真の意味で、「今」を守ろうとすれば、 「今」を捨てて、 未来へ、限界を超えて進まざるを得ないのです。 自然は、自己を助ける者を助けます。 自己の限界に置いて、生への執着とあきらめない欲を持ち、 目標を持ってまだ見えぬ未来にベストを尽くす人だけへ、 その大きな胸を与え、抱き上げ、腕(かいな)の中へ入れてくれるのです。 「天」と「地」の間にふさわしい「人」として、引き上げてくれるのです。 (こう云う欲望こそ思いっきり強く持つべきなのね) あはは。 登山では、その事を素直に学べます。 これらは、自然の寒暖を遮断して空調で快適にしつらえられた室内で、 自然の写真を見ながら、自然の美しさを歌う音楽を聴き、 ひねらないでも出て来る水道の蛇口で手を洗い、 ナチュラルだ、ヘルシーだとラベルに書いてある食物を食べた処で、 そのような五感の満足の追及では、真の進化は得られないんだって事、 それどころか、五感の満足の追及は、退化を意味するんだって事、 命の退化へと堕ちて行く事になるんだって事、 我々の祖先が進化を遂げた起爆は、そんな処にあったのではないかと、、、 大自然の腕に抱かれて、そのぬくもりから分っていくのです。 大自然の懐に抱かれながら、自分の中から力を引き出してもらう、、、 自然の中では、人間は元気になり強くなっていきます。 天の自然のありようを、見習って、学ぶ姿勢が根本です。 現代の危機は、天の自然を感じられない住・食生活環境です。 便利さを求めて、私たちから、自然の姿が見えなくなっている事です。 天とは、自然の摂理です。 自然のルールから外れれば、動植物は死んでいきます。 温度ひとつ、水分ひとつ、日照時間ひとつ、不足しても 『陽』の現象界からの撤退を余儀なくされる、 消える。 五感では掴めなくなりますが、なくなるのではありません! それが、死です。 いわゆる、自然淘汰です。 人間だって同じです。 植物と違って、手足と意識を自在に使える人間は、 天に、自ら逆らう事によって、生のリズムに乗れない。 ルールを外した処で、いくら努力をしたってダメです。 生命力が衰弱して、種の保存のための生命活動ができなくなるのです。 オスがオスでなくなり、 メスがメスの機能を失って、 メスっぽいオスや、オスっぽいメスだったり、 ほほっ。 自然にあるべき役割の摂理の中から外れる現象化が起きます。 ここで大事な事は、滅びるようになる原因は自己にあります。 天に逆らう事によって自分のなかの生の灯火を、消してしまうからです。 天を無視して無理をする事が成功への秘訣だなんて!?? とんでもない! この事を、現代の人間は忘れていますね。 至仏山頂上 ![]() 写真をクリックすると大きく見れます。 やっと本当の頂上が、目の前に現れた頃には、 もう、霧も風も、ヤル気満満!だったのが、幾分和らぎ、 『天』の繰りだす天候のオン・パレードの次は? 今度は、雪? それとも槍でも降って来るのかしら? あはは。 冗談を言う余裕が出て来ていました。 では、この続きは、次回へ -------- 今日の記事は、 見事な大根、だいこんについてです! あはは。 コメントへのお返事 17. <近代化の奈落 3.> 見事な大根は、「種」を残せない この〝大根”については、 過去の記事、カテゴリ「絶家の家族関係」の 家庭1/4 ベルレーヌの詩を思い出して言ってみたくなります に書いているものです。 全体の記事が長くなるように思います。 次までの更新に余裕がありますので、読み疲れなさらないよう、 ゆっくり何回かに分けて お読みいただければうれしいです。 ほっほ。 では、一つ目のコメントから紹介をします。 拍手コメントへいただいたものです。 拍手コメント、いつも、ありがとうございます! ◎ 「今までの大人は、若者の見本にはなれません。」 私もこう思っていました。 そして今までの大人(自分も含めて)には 間違いなくツケがまわってくるでしょう。 共感をしてくださり、感謝もうしあげます。 そう、もうすでにそのツケが廻って来ているのではないでしょうか、、、、、 あらゆる低級な思想に染まった人間の行為の結果である現象面は、 最終的には、生命の衰弱へ堕ちていくものと思います。 過っては、自然からの脅威、気候変動、氷河期など、 人類や生物の生存が脅かされた時期はありましたが、 今ほど、生物としての人間が、自分から危機的な状況を作り出し、 それらに自らをさらしている時はないのです。 その状況を、それを作り出した科学者、識者は分析できても、 それを、今は、どうする事もできない状況にいる、、、 、、、、、、その事は、間違いのない事実でしょう。 放射能なら、その危険性は周知徹底が為されていて、直ぐに除染を行うが、 放射能よりも怖いのが、 その危険性が、広報されていなくて、安全なものと云う商品に混ざって 我々の生活の隅々にまで便利で効率がいい商品として売られている物です。 具体的には、日々の歯磨きやシャンプー、ボディシャンプーを通して、 しかもそれには、いい香りと云う人工の化学的芳香剤もご丁寧に添加をされて、 (人工の化学的芳香剤こそが、 鼻の粘膜から吸収される環境ホルモンを多く含む! ) 男性の生殖機能に影響を及ぼすと指摘されている環境ホルモンです。 詳しくは、過去記事の、カテゴリ・いのち/ふしぎなるもの いのち(自然と健康)を脅かすもの 3 経口吸収より恐ろしい経皮吸収 1 いのち(自然と健康)を脅かすもの 4 経口吸収より恐ろしい経皮吸収 2 をご覧になってください。 どうしてだか? 特に、生殖機能のカギを握る男性がターゲットになっている。。 。 としか思えない現象ばかりが目立ちます、、、、、 それはそうでしょう。 男性からオスらしさが無くなれば、子供は作れない。 もう一つの例が、牛乳です。 牛のメスホルモンが、毎日の学校給食の牛乳を通して、 育ち盛りのこれから男としての性徴を顕す男児の体の中へ吸収されています。 女性は、牛のメスホルモンを追加されても、女としての性徴が早くなる、 女らしい体に早く成熟すると云う位の事でしょうが、 ほっ。 男児が、牛のメスホルモンを毎日与え続けられると、 男性としての性徴が妨げられ = 女々しくなる、草食系男子になる、 ほっ。。 ニューヨーク市の学校給食など、ごくごく少数を除いては、 業界などの圧力団体の力が強いからか、 日本においては、誰も学校給食から牛乳を止めさせようとはしません。 それどころか、 たばこの様に健康被害が具体的に実証されていないと云う認識から、 牛乳自体の健康被害を広報する方向性は、まったく見えません。 詳しくは、過去記事のカテゴリ・いのち/ふしぎなるもの いのち(自然と健康)を脅かすもの 6 牛乳 (癌とオスのメス化 ) を、ご覧になってください! これらの現実は、誰が作ったのか? これらの悪魔の粉を命の営みである人間の生活圏へ入れたのは誰だ? すべて、人間自身です。 ただ飢餓から逃れたい -------- から次は効率を求めて、 人の欲望である、楽に、便利になりたい。 楽になるなら、少しは毒が混じる位、いいじゃない。ですって、 あはは。 私たちの眼前に在る市場経済は、そう云う経済です。 人間の欲望を肯定して、その欲望の邪魔になる道徳を遠ざけた経済です。 真ん中に通してある表向きの筋は、<消費者主義>です。 あはは。 表向きの奥に在る本音の筋は? 言わずもがなです。。。 消費者は王様! そう云う事です。 ほっ。 でも、私が王様だから、私の為に良い商品を作ってくれるはず、 それが、民主主義、消費者主義なんだわ! って喜ばないでください。 あちら様から褒められる時は、 あちら様の主導した舞台の上だっていう事です。 まずまず、王様にふさわしい品物が、手に入るなんてないはずです。 しかし、 この市場経済は、消費者が望むモノは何でも作ります! ほ。 売れれば、開発担当者が社長に怒られなくて済みますもの、、、あはは。 ここが偽善的、政治のポピュリズムと一緒ですね。 そうそう、今に残る本物の物を作った昔の職人は、 消費者の為だなんて言って物を作ってはいなかった。 作り手側のプロの集団があって、その中で競争をして、 いかに良いものを作って認められようかと、他の集団よりも 自分の集団の価値を高めようと作っていたのです。 自分の限界に挑戦して無意識とつながっていたのです。 「私たちの明るい未来」を作る為に、 「科学技術の進歩」を信じて来たはずだったのではないのか? 私たちは、思い描いていた明るい未来にいますか? まだ、大人はいい、今の子供達は、可哀想です。 価値観が倒錯した、まがい物が本物と置き換えられている空間を この世と受け入れていくのです。 近代化がまだ達成されていない後進国の子供達に、負けるでしょう。 なぜなら、彼らの方が、真の自然を五感で知って大きくなっているからです。 とても、我々は子供たちの見本にはなれません。 真の自然を近代合理で隠し、本物に接する邪魔しているのですから... 日本だけでなく、世界を見ても、 近代合理主義の行く付く処、『陰』・無意識を排除した生命の衰退です。 今年の5月子供の日に、総務省が発表した15歳未満の子供の推計人口は、 前年比12万減の1665万人です。 統計がある1950年以降、 子供の数の減少は、31年連続です。統計以来、最少も記録しています。 総人口(1億2765万人)に占める子供の割合も、38年間連続で低下し、 たったの13%に減っています。 これは、運命学による私見ですが、 近代国家である先進国は、近代化が遅れている後進国に比較すると、 人口割合は減っているであろうと、勢いは劣勢になるであろうと、 具体的には、地球上では後進国が栄えていくであろうと、 欧米では白人の人口割合が減って行くであろうと推測しています。 それに関しては、 アメリカの国勢調査局が発表した人口推計が出て、次の事が分りました。 アメリカ国内の1歳未満の乳幼児の人種別割合で、 白人の乳幼児の割合が、初めて半数を割った。 白人の乳幼児が、全体の50%を切りました。 多い順に、 白人 ----- 49,6 (%) ヒスパニック ----- 26,2 アフリカ系黒人 ----- 15,3 アジア ----- 4,6 と云う事は、2042年(この子供たちが29歳になる)には、 白人以外の人種がアメリカ国民の大半になると云う事です。 アメリカの国内事情も変化をしてくるはずです。 これは、運命学からの私見ですが、 近代化を成し遂げた先進国の人口は衰退をして行くはずです。 『陰』自体を遮蔽していない現在の後進国は、 それだけ自然に近いと云う事です。 自然に近いと云う事は、進化を遂げる潜在力がまだあるのです。 では、二つ目のコメントです。 鍵コメントですが、公開をします。ご了承ください! ◎ 書かれている事は、その通りですが、 アジア太平洋地域の資源利用量は、今のままでは、40年後に3倍になります。 そうなのですか、、、お知らせくださってありがとう! インドも25歳以下に爆発的な人口を持っていますし、 シンガポールも、インドネシアも経済的に伸びて来ます。 ベトナムもそうですね。 日本は、いろんな意味で小さい部分になっていくのではないかと、 生き残る方途は、ピリリと辛い山椒の実のような存在になっていく。 それと、東洋的な思想をバックボーンに据えて行くようになるでしょう。 かって、笑い話みたいに、今まで記事に書いた事もあるのですが、 中国国民13億人が、日本人と同じようにトイレットペーパーを使うようになっ たら、地球上の森林資源は、見る間に無くなるでしょう。 そうならなくするには、日本人が自分たちの生活水準を下げて、 その分を譲るしかないのではないか、、、その覚悟ですね。 日本は、全国土に自然エネルギーを作ったとしても、 その表面積で発電できる量に限度があります。 日本の国力を保つ為には、一にも二にも、エネルギーです。 その時、原子力発電をどうしていくのかと云う問題がありますね。 co2の排出を考えると原子力しかないのかも知れません。 私個人は、どうもイヤだなと思いますが、 これは、次世代の人が、考えるべき事柄です。 40年後、生きていたとしても活動期を過ぎる人間が、 ほほっ。 どうこう言える事柄、立場ではないように思います! 若い方が、結論を出すべきですね、、、 まだ、大根の話が出て来ないでしょう? あはは。 三つ目のコメントを紹介します。 これも鍵コメントですが、公開します。 ご了承ください! ◎ >有用性の追求も程々にしなければ、いい加減にしなければ、 >不合理な無用性を切り捨てて計算し尽した社会など、 >希望も喜びも、歓びも、悦びもない社会になるでしょうに... 有用性の追求をしていくと、 人間として大切なものが失われていく、生命が失われていく… 近代合理主義の社会は、必ず格差を作りますね。 全てをビジネス化して、格差や貧困層を作り、 弱者から奪うやり方は、まさに弱肉強食の社会です。 自然界の弱肉強食は調和していますが、 人間社会の弱肉強食は、暴力的で破壊的で、調和とは正反対のモノですね。 現代の社会は、自然との調和を失った人間の欲望が暴走した姿なのでしょう。 >これでいいのか? 日本人? >1000年の後、日本列島に日本人は住んでいるのか? >日本人は、命懸けでここに住み続ける思想を持っているのか? 悲しいことですが、 日本人は、命懸けでここに住み続ける思想を、失ってしまったのでしょうね。 例えば、ちゃんとした思想があれば、 原発や核施設を、こんなにたくさん作ることはできなかったはずです。 現実に、フクイチの事故が起きてしまい、それを解決することも出来ず、 原発から出る核廃棄物がいっぱいで処分場も無いのに、 まだ原発推進をする、 さらに、外国に原発を売り付けて、 我が国の総理大臣が嬉しそうに、その経済効果を力説する… そんな安倍さんを持ち上げるマスコミを見ていると、 絶望的な気持ちになります。 将来、日本の美しい国土が、核廃棄物のゴミ捨て場になりそうな (もうそうなっている?)…私の杞憂だったら良いのですが。 核廃棄物という、嫌なもの、見たくないもの、厄介なゴミが、 次世代に引き継がれて苦しめていくのですね。 心理的な面でも、 自分が見たくない嫌なもの、厄介なものを無意識に追いやっていくと、 上手に隠して忘れたつもりでも、 それが両親から子供へ、子孫へと受け継がれてしまいますよね。 次世代に悪いものを受け継がせない生き方が、大切だと思います。 難しい事ですが…現実は理想のようには、なかなか出来ないですね。 これを解決するには、 やはり、東洋の教えを深く体感することしかないのでは… と感じています。 下 線 は、編集で付けました。 う~~ン 大事なテーマを出されましたね。 ここです。 次世代に引き継がれて苦しめていくのですね。 次世代に悪いものを受け継がせない生き方が、大切だと思います。 それを、守って行こうとすると、 守らざるを得ないと思う何かが、必要ですね。 えぇ、もちろん、それを教えられなくても、 生れながらに徳性を身に付けておられる方もいる。 しかし、大抵の人は、まず、自分、自分の満足を第一に考えるでしょう。 ★ 今日は、その事で、大根のお話をしたかったのです。 ほほっ。 前記事のコメントで紹介しましたトクヴィルの言葉、 「 民主主義社会では、人々の関心は、 どうしても〝現在”と〝自分”に集中する。」 民主主義下では選挙で、我々の代議士が選ばれます。 総理もその中から選挙で選ぶ以上は、多数決の論理です。 多くの賛同・数を得ようと思えば、直ぐの目の前のお互いのリスクを避けて、 今、現在、そこに居る自分達にとっての共通の利益を図る事が、 一番の争点になり、それが説得力を持つのですね。 具体的には、国民の為と云うよりも、経済団体や役人の省益の優先です。 先々、自分に関わりがない自分の死後における未来のメリットや、 自分以外の他人の得る利益は無視をする事ができる、 そう云う人間心理を見抜いたトクヴィルの卓見なのですね。 まさに、人間は、他人の為の利益どころか、 自分の身内である子供や孫の利益よりも、 自己の今現在の利得を優先する動物なのだという事を 思い知らされるような次のような記事が、先日、新聞に載っていました。 (以下の記事は、 決して世代間対立を煽ろうとする目論見からではありません。) 政府の社会保障制度改革国民会議(会長、清家篤慶応義塾長)が 会合を開き、現在65歳へ引き上げが決まっている 厚生年金の支給開始年齢を、 将来は、さらなる引き上げを検討すべきだという認識で一致した。と 又、支給する年金額を、保険料などで賄える範囲内に抑える為に、 (マクロ経済スライド)と云う仕組みを 早期に機能させる必要性でも一致とありました。 これでは、あまりにも、 現在の老人たちが受けている年金制度の恩恵を守る為に、 今の制度自体の矛盾から生まれて来る損害・「苦」を 将来の子や孫の世代へ先送りをして、そこで帳尻を合わそうとするやり方だと、 あきれて物が言えない内容だと憤りを超えて悲しい思いがしました。 現在の老人の受給者は、60歳、もしくは65歳からの支給開始です。 そして、支給されている年金の原資には税金が投入されています。 今の老人たちが長寿で、これから20~30年近く長生きした場合、 その年金を支えるのは今の40代以下の人たちです。 しかし、その人たちが年金を受け取られるのは70歳以上 になる!!! なんと云う不公平でしょうか?! しかも、これからの子供は生れて直ぐに保育園に預けられて、 母親も働けと云う社会です。 夫婦が、揃って70歳位まで働かなければいけないのに、 その世代が年金を受け取る時点になれば、 支給する年金額は、保険料などで賄える範囲内に抑えられる!?? なんと云う不公平でしょうか?! しかも、70歳からの支給で、年金はそれから何年間もらえるのでしょう? 国家の税金の為に女性まで動員をされて働かされて、 ips細胞で、医学が進歩して目や手や足や、 ブタの体の中で作られた内臓を取り出して作り替えて、 所得税を払う為に長生きせよと??? あはは。 いやあ、ブラックジョークの世界です! 一番憐れなのは、現在選挙権のない10代の世代、 また10歳未満の幼児達は、彼らこそが、 30年後、今ある原子炉の廃炉の費用の負担を強いられる世代です! なんと云う、なんと云う厚かましさでしょう! それが、分っているのだから、今の内からどうして 今の大人たちが、生活をささやかにしてでも、その費用を出さないの? その子たちが何も分からない今の内に、 その子達の将来、老後の事まで、 今の老政治家達が、決めてしまっていいのですか? これが、自由、平等、人権を謳う民主主義を目指し、できあがった社会です。 なら、子供達の人権は? 子供達がいやだ!と云う自由は? 現老政治家と10歳未満の子供達は平等ではないのですか? 10歳未満の国民と老政治家の格差のすごさ! 老政治家の 老政治家による、 老政治家の現在の「楽」の為の、 老政治家の「苦」の先送りの政治の為の民主主義社会の実現です。 ほっ。。 これこそが、『陽』に偏った繁栄の虚偽性です。 意識の自己実現の貪欲があまりにも強い為に、子孫を害する構図なのです。 世に出て、成功を欲しいだけ手に入れた男性には、跡取りができない。 よ~く、世間を見渡してみてください! 自己実現した有名人、成功者には、命の継承が恵まれないのです。 自分から、二代目、三代目は女の孫ばかり、もしくは結婚しない長男です。 これは、悪態ではありません。 これは、運命学の絶家の一つのパターンです。 これを日本は、国を挙げて名を成したご立派な方がやっているから、 --------------- 絶国ですね。 跡取りが生れる訳がない。 少子化なのです。 大根を農作物として売るには、見事な太い根にしなければ売れません。 しかし、根に栄養が行った大根はからは、種は採れません。 貧弱な、種しか採れないのだそうです。 見事な根を成した大根は、自分全体に栄養が足りていると満足をして、 次への命の準備を疎かにするのだそうです。 翌年、立派な大根になる種を採ろうとすると、もともと育て方が違うのです。 根に栄養が行かないように、全体が栄養が十分に行き渡らないようにします。 丁度の飢餓状態にするのですね! あはは。 そうすると、大根が、根を立派にする事ができないなら、 次世代へ生き延びる事へ目的を変えて、必死になる。 次はいい根が成るようにと、種に乏しい栄養を集めると云うのです。 成り上がった親は、自分の立場を守る事に汲々としているので、 (親が子供の運気までも吸い取りますから) とぼしい種が成り、 まずしい親からは、自分に賭けても仕方がないと、 捨て身の愛情を子供へ与えて次世代へ芽吹く種が成るのです。 動物も植物も、生物は、精一杯生きようとしています。 その生きる精気が、どこへ現れるのか? 今、自分なのか? 未来、子孫なのか? すべて、その覚悟で決まって来るのです。 さぁ、あなたはどちらの親でしょうか? 自分の自己実現が欲しいのか、自分の栄誉が欲しいのか、 それらは、全部、現在の自分の世の為ですね。 現在の自分に生きるとは、 自分が、 子孫が、 家系が、 国が、 人類が、衰亡へ向かうと云う事です。 しかし、近代合理主義は、人々を、現在の自分に釘付けにします。 西洋の思想には、時軸がない。 未来の為に作られた思想ではないからです。 死後の永遠の生命が、まったく説かれていない。 天国で終わりですから... 自分の五感が捉える事ができるのが、現在の自分しかないからです。 さあ、困りました! あはは。 未来に生きるとは、どうする事なのか? どうか、お考えになってみてくださいね。 長い記事を、最後までお読みいただきまして、 深く感謝申し上げます。 次の更新まで、よき日々をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |