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    栄枯盛衰の理   東洋の『陰』の体得 / 西洋の神は、いったいどこにいるの?

    Category : 西洋と東洋の違い 
     ここはどこか、わかりますか?


    美ヶ原の鐘

    どうぞ、写真をクリックしてください! 青空と白い雲が、左側へ広がります。






    ここは、どこ?


    音楽を聴きながら、考えてみてください!    あはは。


    ≪ 静かな午後 ≫ ここをクリック!


    音楽が要らない方は、そのまま、、、   ほっ。










    答は、美ヶ原の鐘の塔 です!


    この鐘の塔は、

    標高2000m級の平坦な広い台地状の地形である美ヶ原(うつくしがはら)

    (長野県松本市、上田市、小県郡長和町にまたがる高原)に、

    1954年(昭和29年)、登山者が、濃霧で視界がなくなった時に、

    この鐘を鳴らして居場所を知らせる遭難防止の為に建てられました。





    うまく誰も写っていない写真になっていますが、

    実は、ハイカー数人が、塔の向こう側に行って、見えなくなった瞬間に、

    もう貴重品?のガラケイのカメラのシャッターを押しました!  ほっ。


    この日 7月29日、盛夏でありながら、

    標高2000mの高原のさわやかな風を感じる午後でした。










    上の美ヶ原の写真をご覧になっていただくとお分りの様に、

    ここは、やはり観光地ですから、人間の手が入っています。

    塔は人工物、草原も牧草地ですから整備されています。

    すべて、自然のままではありません。

    でも、間違いなく自然そのままなのは、青空、緑の牧草、そして白い雲です。




    こう云う風景を見ると、我々の心や体は、心地よさを感じて満足します。

    呼吸がおだやかになって来るのを感じていただけますか?




    ちょっと唐突なのですが、

    東京ディズニーランド(TDL)のような完全な人工物の中にいる時に

    感じる心地よさと比較してみてください。





    東京ディズニーランド

    ここは、東京一部上場企業が、

    企業生命を挙げて「楽」を製造し販売している工場です。

    そう云う企業のもくろみは、開園以来ずっと成功しています。

    プロの集団が、「楽」を求めて来る来園者へ、

    求められている以上の「楽」の満足を提供している現場です。

    五感を通して意識が掴み得る全ての「楽」が、集約されています。

    視覚、聴覚、触覚、味覚、心・意識を満たす「楽」です。


    ディズニーランドは、

    「楽」を感じさせるツールが完璧に配置され調えられていますね。

    それらを求めて人は、TDLへ行くのでしょうね。


    しかし、何事も過ぎるは危うし、、、

    自分の工夫ではなく、他人が、企業が利益の為に工夫し、

    意図して作ってくれた場所に行く事によって得られる「楽」や、

    お金を払えば手に入る「楽」に、馴れてしまうと、

    それは、麻薬の様に脳に習慣性を学ばせてしまうのではないかしら?


    1.準備され、用意され、計算された「楽」、、、、、(依存性で得る「楽」)

    2.お金を払って買う「楽」、、、、、、、、、、、、、、(物質文明らしい)

    3.完全に快適な環境を求める欲求が強くなって、、、(少しの「苦」もダメ)

    4.自己の五感の「楽」の追求が、しあわせなのだと、、、(ほんとう?)




    一番根本的な誤りは、4.の意識が、しあわせを実現すると云う勘違いです。


    人生の本当に重要なしあわせの器は、

    無意識の領域で用意されているモノだからです。




    どんな器でも、その中に自分の幸せを盛り、

    どこででも、そこを自分の「楽園」に変えて行ける能力がないと、

    人生はつまらないものになりますからね。

    買えば手に入る「楽」を得る事に馴れてしまったら、

    しあわせの絶対条件が、金銭になります。------ 拝金主義

    また、無粋な自然や、何もおもしろくない環境に行った時、

    そこから、本当に、自分なりの「楽」を生み出せるのかしら?

    自分の不幸は、そのせいだと不平を言うようにならないかしら?

    と心配になったりします。




    そう云う心配をしなければいけない程、

    ディズニーランドは、

    人間の意識についてよく研究され、完全に操作された成果と言えます。



    又、世界中に、ディズニーランドを作る時に、

    ディズニー社のマニュアルには、現実感を呼び起こさない為に、

    立地している外の景色が園地内から見えないように、

    まわりを高い樹木で囲わなければいけないのだそうです。

    ランドのどの位置からも、ランドの外の景色が望めない様に目隠しをする。


    そして、来園者が、自分の姿を鏡で見ると現実へ戻るので、、、 あは!

    ディズニーの意図した世界にどっぷり浸ってもらう為に、

    トイレには、鏡も置かないそうです。          あはは。


    それはそうだわ! 

    誰だって、シンデレラ姫やミニーの顔をしてませんもの、   あはは。


    それらの工夫は、何の為かと云いますと、来園者に現実を忘れさせる為、

    実際の生活感を完全に拭い去るマニュアルなのだそうです。

    アメリカの本社には、ディズニーランドを世界へ展開するセオリーがあって、

    東京にディズニーランドを開園する時には、

    そう云う細かな条件をクリアするのに大変だったと、

    今年が、TDLの30周年と云うテレビの記念特集番組で、

    (株)オリエンタルランドの重役が開園当時の苦労話を語っていました。





    自分の顔は、「楽」には似ても似つかないので、

    誰もが自分の顔を見たら、現実に戻ると云う事ですか、、、 あはは。

    こう云うシビアな計算までされて、

    「楽」の完全追求には、自分の「顔」すらも、、、

    来園者に否定させなければいけないのですね?    ほっ。


    ーーーーーこれは、詰まる処、苦あり楽ありのありのままの生存の否定です。



    命が生存している現実から「楽」だけを抜き取って、

    「苦」を覚える部分を見せないようにして、

    自分の五感だけを「楽」に浸すのが目的なのです。    あっー



    すべてが隔離された夢の「楽」園としての完璧性を保つ為なのです。





    ( これって、そっくり、、、!   気が付かれましたか? )

    もし気が付かれないなら、こう考えてみてください!



    差し詰め、

    樹木で隠す外側の世界や、自分の姿を映す鏡が『無意識』、

    苦も楽もある外側の現実や、鏡に映る自分の姿が『陰』です。


    『陰』の存在を排除する為に、鏡や外側の世界『無意識』を無視をする。




    もう、おわかりですね?



    ディズニーの思想は、近代合理主義の思潮そのものです。


    なにやら、このディズニーのマニュアルを聞いた途端、

    真っ先に、近代合理主義の特徴を頭に、思い浮かべてしまいました!

    意識が掴む事ができない無意識を無いものとして、

    意識中心の意識が満足をする「楽」園、天国を目指す、、、、、。。 。

    本物の自然から隔離した人工空間に科学技術で快適空間を作る、、、、、、。。 。




    ディズニーランドは、

    近代合理主義が目指す楽園を先んじて、完璧に実現させたものなのです。




    ディズニーランドの運営マニュアルには、

    そこまで、我々の意識を騙す為のマニュアルがあるのですね!  ほっ。

    あ、いいえ! 我々を騙すとは言っておりませんのよ。

    我々の意識を騙す、、、と、、、     ほほっ。

    これは、我々にも責任がある事ですので、、、    ほほほっ。


    騙すと云う言葉が不適切であるならば、

    継続的な企業利益の為に、破綻をさせない事業計画に基づく、

    人材教育も含め、人為的に配慮された緻密な道具立て(環境)で

    我々の意識を「楽」で満たすマニュアルが企業戦略としてある。 のですね!

    これなら、よろしいでしょうか?    ほほっ!



    現実感を排除して、現実の「苦」を避けて失くす為に工夫する事で、

    happy 感だけを抱かせるエリアを作ろうとする意図ですね。

    そして、そこで〝おたのしみごっこ”をしようとする。

    東洋的観点から観たら、〝天国ごっこ”にしか見えないのですが、、、

    でも、ディズニーランドの企業にしたら真剣なのです。 

    そのエネルギーたるもの、凄いのです。    ほほっ。



    この近代合理主義と云う

    自前の思想をスミからスミまでズズ、ズイと行き渡らせて、

    余すところなく我々の眼前に現象化させて、

    それで来園者を有頂天にさせる、、、

    喜ばせてお金を稼ぐ手際の良さと云ったら、

    もう、文句のつけようがないわ !     ほほっ。

    それを企業利益の追求の手段とするとは、さすが!


    近代合理主義の応用編の成功例のナンバーワンです。

    人間の意識が何を欲しがっているのか? よく御存知です、、、


    サルに芸を仕込むように、条件反射で「楽」を感じられる装置!

    「楽」を資本主義へ直結させて、利益に昇華する処などは、

    もう! 近代合理主義の華でしょうか?     わはは。

    近代合理主義がなかなか捨てられないのは、この華やかさ! 

    我々ジミな農耕民族にとっては、赤子の手をひねる程もなく、

    簡単に、その狩猟の罠の穴に堕ちるのです、、、

    もう! 「楽」の罠にかかった獲物になってしまうのですね!  あは。




    少しは、日本も見習ったらいかがでしょう?    ほほっ。

    しかし、これは、【見習って】できる事ではないのですね。   あはは。


    どんな思想であったって、その思想のトップの応用例を具現できるのは、

    源流、本家本元、源を独占している人には敵わないのです!

    近代合理主義の深化、応用、展開においては、

    アメリカには、とてもとても、どこも絶対に敵わないでしょう。

    本家本元だからできる業(わざ)と云うもので、

    それを真似て、東洋の川下の方で同じ事をやった処で、ムリなのです!


    キリスト教の神を仰ぐ≪近代合理主義の本家≫の

    心行一致の教祖に、一介の信者でもない我々が到底敵うはずがないのです。


    我々は、ずっとはるか下座、末席に連なる属性でしかありえません。

    そもそもが異教の土壌に実った近代合理主義で、

    その果実を競う限りにおいては、我々は無能に決まっています。

    日本が、いくら純粋培養型近代化を益々純化して行った処で無理です。

    なぜ?  どうして?

    我々、日本人には、近代合理主義の元祖からの血脈が流れていない。

    先祖から受け継いだDNAにはないでしょうね。   あはは。

    キリスト教の神からの血脈相承がないからです。

    それでも、咀嚼消化するだけの吸収力があれば、別ですよ! ほほっ。

    仏教には、日本のそれまでの在来の思想を融け込ませて来ました。

    それだけ仏教の器が大きかったと云う事なのですが、

    う~ん、今の処、近代合理には、そんな器はないようです。

    ただ、日本は魂を失って、敵に食べられているだけですものね!  あはは。


    異教徒の従者に徹すれば徹するだけ、自分の源流を見失うだけです。


    自分の命の源流の穴を、異教の土礫で埋めたからには、

    命の源水が枯れ、創造性の本体から命は湧き出て来なくなるだけです。




    日本人が、自らの立場の思想に置いて一流になり、

    誇りを持って、近代合理主義の一流の相手と互角に渡り合うには、

    どこにもない自らのオリジナルを持つ必要があります。


    自らが、自分の元々の源流を守り元祖になるしかないのです。

    日本人が、自らの血脈を守り、それを継ぐ事しかないのです。

    それが、オンリーワンの存在になるたった一つの道です。

    東洋思想圏のエキスパートになるしか生きる道は残っていない。



    いいですか?


    目で見える世界の決着は、見えない無意識界の勝敗の反映です。

    すべての物理的戦争は、する前から、もうすでに、、、

    無意識界、『陰』において、すでに決まっているのです。

    それが、見えるようになるのに、多少の物理的エネルギーがかかるだけです。

    究極は、見えない世界にある内因が、この現象界に具現するのが、

    この世に、初めて起こったかのように意識には捉えられるのです。

    無意識界の「内因」が、

    『天』の道・『時』が運ぶ「縁」を介して『地』の理に沿って、

    そのまま、、、、、意識界に具現するのです。 


    それを、『道理』に沿うと云います。


    『道理』によって導き出されたものが、我々が受け止める結果。


    -------- あらゆる因果応報の結果です。

    それを、我々の五感が捉える。

    -------- 我々の五感は、もう過ぎ去ったものを見ているのです。

    すなわち、今に拘ると、それは、過去に拘る事になります。






    もっとも、重んじないといけないのは、見えない世界、無意識界です。

    そこには、未来が横たわっています。





    運命学とは、そこを観るものです。




    東洋には、目には見えないけれど、

    その見えないものを観、予感し、滅びさえも予知する文化があります。

    それを、西洋は、東洋の神秘と云う表現でしか認めません。

    この世に、あっても、無くてもいい? 神秘ですか?     あはは。


    近代合理主義の合理には当てはまらないオカルトっぽいと?


    まるで、意識の偽性そのままの言葉の飾り、お世辞ですね!  ほほっ。

    イミテーションの真珠のネックレスをプレゼントされたような気持わるさ!

    そんな賛辞は、引きちぎって捨てましょう!

    西洋は、なにも分っていないのね! 

    東洋も、東洋の神秘と言われて、お褒めいただいたって?    あはは。

    お人好しに喜んでいる場合じゃありませんわ!  ほほっ。


    あちらは、すこしもこちらを理解なさってない、、、

    キリストの神でいっぱいいっぱいなのよ、、、    ほほっ。

    まるでおとぎばなし。



    人が、知識を持てば持つほど分からなくなるのが、そこです。

    東洋の神秘と云われる、これこそが本体なのだと云う事です。

    東洋の真価とは、

    『陽』の偽性の飾りで埋め尽くされたディズニーランド、  あっ、失礼!

    そんな、壊せば廃墟になるゴテゴテなんかではないのです!   あはは。



    東洋の神秘は、壊そうにも形がない。

    捨てようにも掴めない。

    意識では、絶対に理解できない。


    西洋哲学はシミのようなもの、、、小さくても目立って見える。  あはは。

    五感に訴求する目立ちの効果はあるのね。

    その事の為だけに、四苦八苦しているロジックですから、、、、、 あはは。




    では、本論へ、









    今日の記事は、

    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)をあるのか? 見抜けたのか?







    お答えを先に言っておきましょうね。    ほほっ。

    答 : それは、東洋は『陰』の体得をしたからです。






    これが、前回の記事で紹介をしたピエール・デュピュイの著書、

    『経済の未来−世界をその幻惑から解くために』への反論になります。




    西洋から折角もらったお世辞ですから、東洋の神秘について、少し、、、


    西洋のキリスト教の世界観は、

    この世の全ては、神が作った【もの】です。

    ですから、作った順番はあるでしょうが、その一つ一つはバラバラです。

    それを、 男:女 、 精神:肉体 、 正:悪 などの様に
     
    あらゆる物事を、《対立》する2つに分けます。 二元論です。

    《対立》とは、人間が頭の中で作り上げる思考領域にある抽象概念です。

    相対的概念です。

    たとえれば、我々の意識が、これが〝 ~である ”と一つの概念に集中すれば、

    反対に、〝 ~でない ”と否定する対立概念を生み出すように、

    思考する時に、一番、《対立概念》は、頭の中で概念化しやすいものです。


    言葉も解りやすい、意識で捉えられるままです。


    ・意識は、自然の本質を捉える事ができませんから、

    真理の一歩手前の言葉(権利、義務、自由など)を多く作り出している。


    ・意識は、真理が掴めない状態ですから、

    考える、思う、感じる等の意識の状態を表わす言葉が多いのです。


    考える、 考える事が一番いい事みたいになっていますね!  あはは。

    思う、 自分の思う事が正しい、本当である等、思い込みが強い。  あはは。

    感じる、どう感じるかと云う事で、争いも起こります。    あはは。




    それと較べれば、東洋は、

    バラバラに見えるこの世の存在は、

    たった一つの統一体からの合一性の表れとして体験する。と云うのが、

    東洋の神秘と云われるものです。


    なにやら、分からないでしょうね?      あはは。


    この体験する。と云う処が、

    体得する。と云う言い方でもいいかも知れません。


    外の存在を、自分の内側の存在であると全身で受け入れるのです。


    -------- もっと、分らなくなった?   あはは。


    ここが、西洋の様に、頭の中で、単に思考する理解する、ではないのです。


    このブログの記事に於いては、

    西洋的意識で行う場合を、〝理解する”、〝解る”

    東洋的無意識で行う場合を、〝分る”、より深い場合を〝体得する”

    と使い分けています。



    意識界、この世で、バラバラに目で見える存在が、

    無意識界、目で見えない世界においては、

    同じ一つの統合体となってつながっているのです。

    でも、そうだからと云っても、バラバラのもの全てが等しいから、

    つながっているという意味ではなく、

    バラバラの物事が、それぞれの特質、差異をそのままに、

    その全てが、たった一つになって統合体に包括されている。

    が、そのままでお互いが相対的なのです。



    余計なにやら、さっぱりわからない?      あはっ。


    善と悪、 苦と楽、 生と死、 などの

    現象世界では、対立している言葉、概念ですら、

    今まで、何度か書いて来た事ですが、

    東洋では、善悪不二、 苦楽一如、 生死不二、と統合されています。

    善と悪も、無意識界では、同じエネルギーであると表現してきました。

    これを西洋的に、意識で解ったと、理解する事は無理です。

    しかし、これが、東洋的思想の根底をなす物事の捉え方です。


    もっと簡単に言いましょうか?

    あなたと私、あなた方同士は、皆が、一つの命から生まれ出た命です。

    それぞれの個性や特質を持ったまま、その差異があったとしても、

    元はと云えば、帰る処も、同じ一つの命なのです。

    それは、草木も物も、全ての動物も、皆がそうです。


    これは、難しいですね!     ほほっ。

    もっと余計に難しくなったでしょう!   あはは。

    これは仏の悟り、我々凡夫には分る訳はないのですから、パスしましょ、、、

    分ったように近代合理の理屈を書き連ねるのは、罪悪です。 ほっ。

    分からないままで、放置してください。 結構です。




    ひとつ言える事は、

    東洋の本質は、多様性の尊重どころか、

    多様性を際限なく生み出す続ける本体なのです!








    中国の古(いにしえ)の智者達は、栄枯盛衰の理(ことわり)の智恵を

    どうして、獲得して行ったのでしょうか?


    アジア特有の四季の移り変わりの繰り返しの中で農耕を営みながら、

    自然の摂理について、おそらく気が付いて行ったはず、、、

    おそらく、果実を割って食糧とする時、古代人は自然に教えられたはずです。

    そう ------

    秋の実りの恵みは、恵みの刈取りで終わりと云う訳ではなく、

    木々の恵みの収穫が終わった時から、次の実りの収穫は始まっている!

    今年の「果実」には、翌年の「種」が孕まれているのです。



    過去の「因」で成った現在の「果」の中に、未来の「種」がある。

    木々の春の芽生えの準備は、秋の収穫の後、冬から始まっているのです!

    木々は、冬になる前から翌年の花の蕾を準備して冬を越します。




    農耕民族は翌年の実りを叶えようとすれば、 

    まず、今年の『陽』の現象である「果実」の中の「種」を

    『陰』の創造性である「土」へ戻す処から始まるのです。


    『陽』を滅して『陰』・大地へ戻すのです。


    「土」の中へ埋められた「種」を「果実」へと成らせる「火」「水」の徳性、

    「木」そのものの徳性、「土」の徳性、

    それを刈取り料理をする道具「金」の徳性を見出していきます。



    肝心は、「種」が「果実」に成るまでの四季の巡りで『時』の体得です。


    『陰』の創造性が、『時』を経て『陽』として現象化する。

    これが、知識ではない智恵の獲得です。


    これを、西洋は、〝東洋の神秘”と云うが、

    簡単に、そう云って片づけないでいただきたい。






    東洋にとっての肝心は全て見えない世界にあります。--------- 『陰』


    この見えない『陰』を『陽』の現象から体得して行ったのです。


    五感で捉える事はできない『陰』に、

           『陽』のすべて(幹、枝、花、実)が具わる




    これを、東洋の民の祖先は、体験・体得して行ったのです。



    ------ 『陰』は、表われ出る『陽』の本体である。

    ------ 『陰』に何を準備するか? それに重点を置く。

    ------ この世界の姿は、『陽』五感だけで見極める事はできない。

    ------ 『時』を経て、『陽』の「果」が『陰』の本体へ戻る。



    西洋の痩せた大地、過酷な天候と云う大自然とは全く違う! 

    東洋は、恵まれた自然に育まれ、

    農耕を通して自然と共に生きる中で命を守られ、感謝をする。

    自然へのすなおな感謝をする。

    その感謝をささげた刹那に、

    大自然の無意識からの智恵が流入し我々の意識の表層へ届いたのです。




    現代人の我々は、

    植物や農作業の事を知識で知ってしまっている上ですから、

    感動は無く、なあんだ! と思うかもしれませんが、

    決して、自然のありようを『苦』や『楽』と選別しない、

    自然のあらゆるものを受け入れる一体感から生み出されるものです。


    自分の意識に固執する現代人には、もう、真似の出来ない事ですね。


    『苦』はいやだ、『楽』がいい!   あはは。

    と云う意識を持つ事を恥とも思わないまでに自己意識を発達させ、

    自分を生み出した自然を厭う意識を捨てようともしない、

    ここまで傲慢になってしまっては無意識の智恵の流入は無理ですね。

    近代合理主義の罪ですね!



    豊かな自然に恵まれて農耕を経た東洋の民は、幸せでした。

    この洞察力を以って、

    東洋のいにしえの智者、賢人は、

    見えない、聞こえない、触れない、匂わない、心で思惟する事すらできない

    無意識の世界の存在を、察知、覚知したのです。




    -------- 『陰』の世界の覚知です。



    この『陰』と『陽』の対立・統合による森羅万象の変化法則を説くのが、

    ------- それが、『易』であります。


    『易学』の中心思想は、

    変化の予測を体系化した古代中国の哲学と宇宙観です。





    これは、『時』と云う基軸を、

    その思想の中に織り込んでいない西洋には、

    絶対に追従を許さないものです。




    このように、東洋の運命学を貫くものは『時』です。



    ちなみに、西洋占星術では、

    星々の移動を観察して占星する訳ですが、

    見えない『時』そのものが主体と云うよりも、

    見える星の移動による変化、その位置が、観察の主体になっています。




    この比較からもお分かりの様に、


    東洋智は、五感で捉えられるこの世界の奥へ、洞察をして入って行く。

     入って行った中で、現象を貫く『時』を発見しています。




    西洋智は、五感で捉えられるこの世界を、精緻に観察するのです。

    五感による意識を生きる為に鍛えて出来たのが、狩猟民族の西洋文明です。 



    これが、現代の(意識による科学)へそのまま引き継がれているようです。

    近代合理主義が基盤の現代の科学は、五感で捉えられない対象を外します。

    心理学ですら、実験証明できない= 科学的でないと云う事で中途です。

    でも、量子物理学など、そうは云っていられない状況になっています。




    とにかく、東洋は、見えない部分に力点を置く。  ------ 無意識下

    それに比較すると、西洋は、見える部分だけです。 ------ 意識下




    東洋は、

    この自然の恩恵のリズム(法)を信じ、

    その繰り返される眼前の徳性の現象化に感謝をしながら、

    智恵として体験、獲得して行ったのでしょう。


    この智恵の獲得に、

    先に書いた「自然へのすなおな感謝をする事」は、非常に大事です。


    これは、感謝する心を持った人間であれば誰しもが、

    感謝をする相手を、尊崇し、決して相手をダメにするはずがないのです。


    自然、地球に感謝をする人間は、

    決して自然を破壊し、地球を破局へ追い込む事をしないのです。




    自然へのすなおな感謝がないキリスト教理を根底とする

    近代合理主義こそが、地球を破局に導く元凶なのです。





    その事を確かめる為に、

    近代合理主義の母体であるキリスト教理の矛盾を挙げてみます。


    一緒にお考えになってください。




    自然に感謝をしないで、神へ感謝をする。

    自然は、人間が支配する「物」と云う世界観は、

    神と自然とが、関係が無い。 自然の力と一体ではない、と云う事です。 



    神が宇宙自然と云う無意識界と一体でないと云う事は、

    神は無意識界にいない。無意識界の存在ではない。と云う事ですね。

    キリスト教の神は、無意識界に居ないのか ???



    これは、えらい、こっちゃあ~ですよ。  あはは。


    これを書きながら、少し、こわくなりました、、、では、どこに?

    一体、キリスト教の神の所在は、どこなのでしょうか、、、



    普通は、

    神や仏は、現象ではない訳ですから、意識界の存在ではないのね。

    神や仏は、我々を生み出す本体なのだから無意識界の存在なのです。


    疑問① キリスト教の神は、無意識界と一体でないとすると、

    意識界の存在・我々と同じ現象としてこの『陽』の世界にいるのか?
     



    無意識界に居ないとしたら、

    まさか! 我々と同じ、この意識界に?

    意識界のどこに?

    キリスト教の神は、どこにいるのか ?





    ◎◎クリスチャンは、何事も、その恵みを神へ感謝します。

    しかし、神への感謝が、自然への感謝にならないのは、

    神が自然と一体ではないからです。

    だから、

    神への感謝が、自然、地球、宇宙への無意識界への扉にはなっていない。

    キリスト教は、自然や地球の資源を欲望のままに収奪できるのです。



    疑問② 自然である天上に神は、いないはず。 そう疑いたくなりますね。


    天の神、天上の神と云いますが、空の上空でしょうか?

    そこは宇宙・自然の一部ですが、そこは自然・無意識界です。

    でも、無意識界に居ないのだから、天上にもいない。




    ◎◎◎キリスト教では、この世界と人間は神が創った物、神の所有物です。

    一方で、自然は、人間にとって邪悪なもの、山は悪魔の住処と云います。

    だから西洋のアルピニストは、山を征服すると云います。

    (ちなみに日本では山は信仰の対象でした。富士山もそうです。

    身を清めた白装束の男性だけが入山できました。)

    キリスト教では、自然は、人間が欲望で支配する物なのです。 



    疑問3. 神が創った世界と云うのなら、神がそれを所有すると云うのなら、

    どうして、宇宙・自然を、人間が欲望で支配をしてもいいのだろうか?




    宇宙・自然を、神が創った「物」とみるキリスト教理では、

    人間が欲望で支配をしてもいいと云う資本主義を生む土壌があります。


    また、こう云う宗教を生む土壌と云うものは、

    食べる獲物を追いかけるのに明け暮れる狩猟民族の生活です。

    狩猟民族にとって、生きる事とは、

    過酷な自然に対して自分の食欲を満たす為に五感を研ぎ澄ませ、

    耳をそば立て、目を凝らし、鼻を利かす事だったはず、

    そして、我と家族が餓死しない為には、欲望を掻き立てる必要があった。

    頼りは、今で云うモチベーションをどう持つか?にかかっている。

    欲望を肯定しないと生き残っては行けなかったのでしょう。


    つまり物欲です。

    獲物が欲しいと云う生きる為の物質欲です。





    キリスト教と云うのは、神だ、精霊だ、愛だ、天使だ、と云う事から

    精神的に高度な教えなのだと云う思い込みがあるかと思いますが、

    思想性自体は、まったくの物質追求の教理なのです。


    この世のものを、物と精神に分け、

    自然を物と観る、キリスト教の二元論が、

    地球の資源を枯渇するまで搾取、奪取、収奪する原理です。


    人間の意識を中心とした観念的な西洋哲学の世界においては、

    自然と云うものを物としてしか取り入れていないのです。



    この思想が、学問全体そのもの、経済学の根底にも存在し、

    西洋の哲学自体が、地球の破局と云う事態を招いたと云えるのです。



    その証拠に、

    人間の観念が作り上げたロジックであるが故に、

    自然の中に存在しない、自由や平等、博愛、奉仕、愛、人権等の

    実体の無い概念を生み出して来た近代合理主義の言葉群、

    これらの言葉は、自然の有り方から、浮き上がっています。



    近代合理主義は、人の営為の、自然の摂理のなんたるかを知らず、

    その結果は、その浮き上がった空っぽの言葉通り、

    愛を唱え、自由を宣伝し、安全とラベルを貼り、平等を幾ら謀った処で、

    便利な食品と云いながら人の命を破壊する化学物質を平気で混ぜて、

    経済の為と云いながら作った原発の廃炉費用に四苦八苦している、

    繁栄の為と言いながら、多くの人々は貧しくなって行き、

    世界で紛争地域を増やして行っているではありませんか?






    そして、次に、気が付いていただきたい事は、更なる破局です。


    近代的意識は「苦」「楽」を分けて誤解していると前回まで書きました。

    近代的意識は「生」「死」も分けて、誤解を犯しています。



    「生」と「死」について犯している誤謬については、又、いずれ、、、

    今日は、簡単に。




    正しい生死観を知らない意識は、「死」を「苦」の塊の様に捉えます。


    「死」 = 「闇」 = 「苦」として、

    あらゆる「苦」の向こうに恐れる「死」を嗅ぎ取ります。

    そして、五感の窓口から嗅ぎ取った「苦」の扱いを、

    意識はどうするのか?   




    「死」の存在は、その向こうは、完全に無意識の領域です。


    意識にとれば、闇。

    意識が、五感のセンサーも、手も、足も出せない不可能な領域です。


    だから、意識は徹底的に「死」の「闇」を無視します。

    そして、「生」の現象に表われる「死」の片鱗を避けようとします。



    こうして、正しい健全な「死」を知ろうとしない意識は、

    ますます、「生」をも歪(いびつ)にして行くはずです。

    ええ、もうすっかり、歪にしていますよ。




    近代意識は、「死」の闇を認めませんから、

    今世紀の文明、医学は、不老不死を目指して行くはずです。

    そして、人間のクローンを作り出す衝動と危険を孕んでいます。




    西洋文明から生れた近代合理主義の行き着く先はそこです。


    そうしないと、近代合理主義が完結しない。

    意識が偏頗だって云う事になるでしょう?

    一応、真理を追究する科学! と云った以上は、

    トコトンやるしかないじゃないですか?

    意識はトコトンやると思いますよ!   

    意識は全てを欲望に従ってやって行くでしょう。

    どうだ! 人間の意識は自然を支配し凌駕したんだ! 

    と言いたいはずです。  



    なんとおそろしい!


    それを、消費者の欲望なら何でも叶えて商売にする資本主義は、

    それすらも商品にするはずです。



    〝天国ごっこ”も、地球の資源があっての事、

    地球温暖化や資源の枯渇がもっと進めば、

    〝天国ごっこ”が、できなくなる処か、

    避けて避けて嫌って来た「苦」の集積が、溜っていた無意識の世界から

    大挙押し寄せて、今までにない「大苦」の現象化が起こるはずです。


    「楽」が欲しければ「苦」を避けて逃げるのではなくて、

    「苦」を「楽」に変えて生きるしかないと云う自然の摂理の中の

    ほんとうの自己存在性すらを否定して、

    「楽」だけを求めて、「楽」だけに飛びついて来たからです。

    もう、「苦」に耐えられない若者が、老人が、溢れています。

    どうするのですか?

    地球の資源を枯渇するまで使い果たしても、

    原発の代わりの火力発電用のガスや重油を世界中から買い集めても、

    これら「楽」に馴れた国民には、満足は与えられないかも知れません。

    国会議員は、どうウソで言いくるめるつもりなのだろう?


    何て悲しい人間の意識の性(さが)なの!    

    なんて哀れな人間の意識の性なのだろう!






    西洋哲学には、無常観がない。

    『時』が経てば、先でこうなる? と、云う無常観が、

    西洋どころじゃない。 

    日本人にも、なくなっている!

    西洋化された思想の中で、五感の満足ばかりを追いかけて、

    その世界に閉じ込もってしまえば、意識には未来が分からないのだったわ、、、

    おそらく、きっと

    衰えや滅びを、突然、起こった〝悲劇”で片づけるのでしょうか?  あは。



    科学も、当てにはならないでしょう。


    同様に、科学にも本質は掴めません。

    近代的自我の意識が働く範囲での機能しかないからです。

    知識はあっても、無意識界の智恵がないからです。




    意識とは、

    戦争はイヤだ、してはいけない。

    と云いながら、資源も食糧も外国が売ってくれなくなったら、

    戦争をしてしまうロジックを作り出す器官です。


    意識とは、

    原発はイヤだ、脱原発だ。

    と云いながら、電力不足の不便な生活や貧乏な後進国のような生活の「苦」も

    イヤなのです。



    このように、我が身の「苦」が受け入れられない。のが、意識です。

    どっちの「苦」もイヤ、少しでも「楽」な「苦」がいい、、、あはは。

    あらゆる「苦」の場面で変節します。

    これが、個人の欺瞞。


    その国民の欲に乗じて、

    国会議員は選挙民に「苦」を押し付けられない都合があります。

    議員は、資源の獲得や、便利な生活を国民に保障すると約束をします。

    その欲望に、我が国の為と云うロジックの熨斗(のし)紙を張ります。

    これが、国家の欺瞞、


    個人の欺瞞と国家の欺瞞が抱き合えば、戦争はできます。

    各々の立場の「楽」を求める国家国民の為の戦争です。


    どう云う状況でも、自己が「苦」から逃げる事ばかり・・・・・

    それを健康の為、日本の為、平和の為と偽り・・・・・

    自己を正当化するのが、それが意識です。


    意識の事を、けっして良い子だなんて思われませんように、、、 あはは。




    意識が「楽」を求めて「苦」を避ける力を付ける為に行くのが学校、

    その為の高度な技量を磨くのが、大学

    これは、あながちブラックユーモアではないのですよ。

    国を挙げて、、、地球の収奪に励み、

    自然の中庸を犯す事に熱心になり、

    地球資源の奪い合いの社会の実現に精力を傾ける、、、あはは。



    社会に、規範と道徳と、『徳性』を尊ぶ『陰』を失えば、

    こう云う社会へ転落するのです。

    日本は、今、もう?   大丈夫ですか?

    日本は、『陰』を軽んじて、もうすでに68年、、、、、

    丸裸で、異教の毒をドクドクと飲み続けています、、、、、


    『徳』を『得』に換え、

    経済力で世界中から「楽」をかき集めて来て築いた「楽園」、

    我が丸裸を観る鏡を隠し、     あはは。

    もう、自分の顔を忘れているのではないですか?

    あ、そうか、見ない方が「楽」なのでした、、、っけ?  あはは。

    それが、ディズニーのセオリーでした。    ほほっ。

    えーっ? 日本ってディズニーランドを見習っているの? あはは。





    繰り返します!


    西洋には、無常観がない。




    東洋には、『 常住 』と云う真理があります。

    無常は、真理ではありません。  

    権教のレベルでの仮のウソの教えでしたー (あっかんべー!)


    あはは。


    でも、東洋の真理『 常住 』を出すまでもない!

    無常も知らない西洋の意識哲学のレベルでしょう?

    まず、西洋人には、特に賢明なる西洋人であるデュピュイには、

    まず、無常観からマスターして欲しいと思います。    



    『 常住 』は、最上級編!   それからですわ! 





    これらは、理論ではありません。

    真理は、理論ではありません。

    覚えておいてくださいね。    ほほっ。

    詳しくは、東洋の思想シリーズで、、、

    今日は、超長大作な記事になってしまいました。    あはは。



    前々回の〝原発”

    前回の〝経済”

    今回のキリスト教理そのままの破局の実現を、

    東洋の薀蓄で解釈してみました。

    いかがだったでしょうか?


    今の日本の2大病根は、網羅できたと思います。

    あとは、一人一人が何を自分の魂とするか?です。





    意識<愚王>を、王位から調査員位へ引きずりおろし、  あは。

    経済の近代合理魔神を、

    帳場を守る番頭へ格下げしなければなりません。


    そして、我々は、意識や経済を手足の道具としなければなりません。

    その為には、東洋智へどうか、近づいて学んでください。

    あなたの体の中を流れている血脈は、キリストではないのですから、、、


    頼みますね!


    では、次回の更新まで、よい日々を、お過ごしください。





















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    家系・個人の運命鑑定
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