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    《近代化の影 8.》    『陰』を殲滅する近代国家の相貌(そうみょう)

    Category : 運命学と近代化
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    美ヶ原牧場
    美ヶ原牧場

    写真をクリックしてみてください!

    変った牛さんでしょう? 色が、、、黒じゃなくて茶色、、、

    何時行っても(今年は、春、夏、秋、)この位置で草を食んでいて、

    牛の世界も牧草地の縄張りがあるようです。







    おだやかな秋の夕暮れと虫の鳴き声、静かな秋を味わう、、、、、

    なあんて秋が、今年はどこかに吹き飛んでしまって、この一か月は、

    大型台風の襲来、

    大島の土砂災害、

    27,28号の双子のタイフーンの襲来、

    夏以来の異常気象を起す『天』の現象を目のあたりにする日々でした。




    一日おきに暑さと寒さで三寒四温ならぬ三暑四寒?

    さすがに11月に入ってからは、もう訪れる冬を感じさせますね。

    最近は遠出が多く、

    とうとうジムには一度も行けずじまいで一か月が終りました。

    今年もあと1か月余り、ますます時間が駆け抜けていきます。


    みなさまも、体調にはお気をつけて !





    福島の原発は、4号機が燃料棒を取り出す作業に入るとか、

    人類存続がかかっている過去未体験の作業だそうです。

    作業員の方々の安全が気になります。

    どうか、無事故で。

    ヒューマンエラーが起きないように、、、祈りましょう。





    大雨をもたらした台風が来ている間は、その話題で持ちきり、

    TPPも脇に追いやられ、

    福島原発の汚染水もどこかに消えてしまいました。   

    そして、世界一になった上原投手の話題に湧き、

    その次の週末は、日本シリーズの優勝、楽天の優勝でしたね。

    またまた、TPPも福島も小さな扱いです。

    どこかに忘れられるでしょう。






    今、列挙した出来事を、意識は、全て同時に認識する事は無理です。




    五感は、今、現在の限られた範囲の事しか掴めませんし、

    しかも、空間的にも限定されています。

    意識が、さまざまな事を同時に意識しようとすると、

    それは、気が散漫だ! と云う事で、良くない事になっています。


    意識の能力として求められている事は、  まったく逆、

    目の前の事に集中して! 気を散らさないで!

    他を排除して、一つの事にどれだけ集中するか、なのです。

    一点集中!

    他を、堂々と無視をして捨てる事なのです!   あはは。



    ホントにそうだ! って思いませんか?


    このブログでず~っと言って来た、

    意識だけのキャパで作り上げた近代合理主義が

    無意識のゾーンを平気で捨てている、、、、、

    意識は、ほんとうに! 気が付いていないのかも知れませんよ!

    あまりにも眼前の現象に囚われた五感に集中し過ぎて!


    この状態は、

    まさに、意識の得意中の得意の事なのですよ。




    意識は、他の関心を捨ててのめり込む能力が要求されます!


    のめり込む・・・・・この同じ状態を追求するのに、

    無意識の存在を認める東洋と、

    無意識はない! 意識で十分! とする西洋では、その結果は違います。


    昔の武士道の剣術や茶道、◯◯道を修行しますと、

    修行した道は違えども、道を究めた者ならではの境地があります。

    それは、東洋的な道を究める修行と云うやり方は、

    ◯◯道の技術習得を無意識までの浸透による勘を養い、

    同時に人格の陶冶と云う功徳が顕われたからです。

    そこが、『陰』の智恵を認める東洋の深みなのですが、


    意識で追及する近代科学、西洋二元論に立脚する学問において、

    自分の専門をやり続けますと、、、

    やがては、専門バカと云う言葉が、、、失礼!     ほほっ。

    自分の専門以外の領域は、まったくダメ! な人間になるように思います。

    他の分野でも、 スポーツバカ、理系バカ、役人バカ、先生バカ、、、、、

    あっら、ごめんなさいませ!

    ほんとうのバカ!  (あらっ、はしたない事を、、、あはは。)

    が、できあがるようでございます、、、、、、、

    この中で、先生バカは、よく分ります!    あはは。

    たかが20代で進学塾を成功させた私は、

    威張る気はサラサラなくても御父兄の皆さまから〝先生”と立てていただき、

    進学や教育の知識などは思った事を述べて来ました。

    その時の御父兄は賢い方ばかりで、非常に盛り立てていただきました。

    丁度、10年位経った頃、まだ30代の華の頃でございます!   ほほっ。

    なんだか、年齢にそぐわない立ち居振る舞いをする我に気付きました。

    そう、世間知らず、、、

    たちどころに、穴があったら入りたい!!!

    そう思って、真剣に天職だと思った仕事を、畳もうと思った次第です。

    こんな事をしていたら、カタワになる!

    人間として不具者になると、、、

    (こんな言葉、使っていいのかな?  ほっ。)

    じわ~っと自分がバカだと気づく事は、ツラいものがありますわ。

    今も、なにやら先生と呼んでくれる職業ではありますが、

    人生の荒波の羅針盤を指し示すのは、進学技術を教えるより大変、

    人生の喜怒哀楽のお相手をしていますので、鍛えられますの。 ほっ。

    今は、教師や医師と云う職業の人を見ると、

    過去の私の同病に罹患しているのが、よく見てとれます。  あはは。

    先生と呼ばれるその安定感の中で安住をしていますと、

    全体智に疎くなりますね。

    これも、命式の五行の周流と関係があるようです。


    現代学問の世界は、専門が細かく多岐に渡っていますから、

    隣の研究室は何をする人ぞ?  解らないそうです。    ほほっ。

    狭い専門領域で一つの新説が出たとしても、

    他の専門からでは、それはおかしいと思いながらでも言えない。



    しかも、なお、、、

    すべての事象は、『時』と共に移ろって行きますから、

    あらたな刺激が五感を捉えると、もうそれだけ、

    専門性だって、すぐに古くなる。

    あれよ、あれよと移ろって行く、、、虚ろって行く、、、。





    意識の実態とは、自分の五感の今の現実に縛られ続ける。

    不自由な身の上、なのです。。。  
            ほほっ。


    下線部を、よ~くご記憶くださいね!)





    逆に、意識は、本質が分からないから、つれづれの歌や詩が詠めるのです。

    人間は、楽を欲しさに錯覚をし、快を求めて誤解をし、

    そして直にそうした我すらも忘れる動物なのです。

    ええ、認知症ではない健常な人間の日常ですわ。     ほほっ。




    今まで何度も意識の癖について書いて来ました。



    この意識の癖は、意識が作り上げた最高の権力機構である、

    近代合理主義を基盤にした近代国家の癖でもあると云う事です。






    ★ 意識の欠陥が、そのまま近代国家の根幹的な欠陥として現れる。




    当然、立法される法律の精神や、

    制度の仕組みに反映され、

    司法の判決に、近代国家の意識の欠陥が、相貌として現れる。

    これが、今日のテーマです。

    その事を、今日は、昨今の時事から取り挙げてみたいと思います。 







    本論に入る前に、

    今日の記事では取り上げる余裕はありませんが、

    近代国家に関する疑問を書いておきましょう。





    その不自由な意識が作り上げたものが、

    現代科学の学問全体、政治、経済、司法、etc.

    意識グループの『陽』の現象界の現象達なのです。


    それらを牛耳る最高権力機構、、、、、、、近代国家なのです。





    まず、国家、国民、権利などなどの言葉、

    これらは人間の意識が作り上げた諸概念です。

    どう云う人間が作ったのか?

    次の2ステップです。


    1.西欧で近代化思想を築き上げた人達の前頭葉です。


    それを、日本の近代化をする時に、

    2.西洋のそれらの諸概念をどう受容するかと云う時に、

    当時の知識人達の思い描く近代国家像に従って、

    西欧の国家や国民と云う言葉を翻訳と云う作業で日本語へ移植したのです。

    その翻訳作業は、知識人の前頭葉の創造性に掛かっていたのです。

    もともと、東洋の思想の中には、それらの緒概念は無かった!!!為に、

    新しい概念を込めた言葉を作り出さねばならなかったのですから、、、



    そう云う2つのステップを経て、

    例えればエスカレーターとエレベーターと云う人間の意識を乗り継いで、

    欧米の思想の諸概念が、日本の今、我々の人生を捕獲している訳です。

    近代国家、国民、権利などの諸概念、言葉群に、

    我々の存在は、捉えられているのですよ。




    確認の為に言っておきますが、これらは全て意識が作った現象群です。

    かならず、いつかは消える。

    エネルギーが無くなれが衰微するモノです。


    もっと、厳密に云いますと、

    『陽』のこれらは、『陰』の息吹が吹き込まれなければ滅ぶものです。




    むずかしいでしょうか?


    ですから、近代国家自体が、壮大な現象なのです。

    不自由な意識に概念化された作りものです。

    いつか、壊れるでしょう。

    その人為的な不自由な意識が前頭葉で作り上げた組織が、

    『陰』に本源を持つ生身の自然体である国民の我々を幸せにするとは?

    自由と平等を与えるとは? 

    どう云う事なのですか?

    『陽』の偽物、

    意識の作り物である近代国家が、

    『陰』の創造力の本体である命ある我々に、そんな事、

    言える立場なのでしょうか、、、

    いい加減な事を言わないでほしい!



    明治の人は、恐らく近代化とは、真にどう云う事か、

    分からないまま取り入れたのでしょう。


    無意識を捨てた意識が作り出したロジックで出来た法理論が、

    無意識の当体である我々をどうやって近代国家の国民にするのか?

    矛盾の矛(ほこ)と盾(たて)より、矛盾な関係とは思いませんか?

    なんだか、近代合理主義の世界は、欺瞞渦巻く世界ですね~!     


      あはは。




    もう一度言いましょう。

    この奇妙さは、

    近代国家の規定する国民や権利と云う言葉。

    国民ってだれなのですか?

    その実体は?


    もっと、言いましょうか? (しつこいかな?)  あはは。


    西欧から、近代化を受け入れて、日本を近代国家にしよう!

    では、それにふさわしい国民をどう作り出すか?

    では、こう云う国民にしよう。

    と云う前提があっての近代国家の我々なのです。

    我々は、近代国家にはめ込まれた国民なのですね?    あはは。

    実際の東洋思想に淵源を持つ我々の生身の人間の集団と、

    『陰』を蹴飛ばした近代国家が国民と呼ぶ人間の集団とは、一致しません。

    ここで、近代国家における国民とは、だれの事ですか?

    近代国家にふさわしい国民と云う幽霊は、どこに?

    その実体はどこにあるのか?


    この方程式の解は、まだ出ていません!



    ちょっとムズカシイのですが、いい機会ですから続けて書きましょう。



    つまり、この国に住むと云う事は、

    近代国家にふさわしい国民として振る舞う作法がいるのです。  ほほっ。

    誰が決めたのか?

    明治、当時の社会的影響力のあった知識人、

    代表的な人物が、福沢諭吉、中村正直、、、

    彼らの前頭葉が作った近代国家にふさわしい国民と云うロジック、

    そのロジックに閉じ込められた我々が、21世紀に存在する。

    我々は、真の国民で居られる国が無いのです。



    それだけが、現実の中で真実です。



    真の国民でいたいのに、仮の国民の扱いしか此処にはないのです。

    此処とは日本です。

    ニセモノからはみ出した苦しみが出て来始めたのです。

    原発もその一つです。

    脱原発は、近代国家にふさわしい国民の仮装を脱ぐ時かも知れませんね。





    ロジックに閉じ込められて、そのふさわしい役割をする我々、

    もう、原発の放射能まで付き合わなくてもいいのではないですか?

    これ以上、付き合っていたら全員、死の灰を被らなくてはならなくなるわ。




    ロジックと言うのは、仮の、権(かり)の、方便ですから、

    方便の方便による方便の為のウソに我々がハメ込まれて在るのです。

    近代国家が製造する『陰』が抜けた人造人間に少しづつ追い込まれて行く。

    しかし、我々の生きている存在は、方便ではない生身ですから、

    それは、きっと苦しい過程なのですよ。


    これらの問いについても、

    いつか、近代化の奈落シリーズで記事にしなければと思っています。


    そもそも、近代国家と云う概念は、おそろしいと思っています。

    西欧の、たった数人の男たちが考え出した方便の上に、

    我が国の、当時の数人の知識人の前頭葉が翻訳した言葉の方便の上に

    我々の命を、先祖を、子孫をゆだねる訳にはいかない。





    よくよく、そこの処を考えて為政者は政治をなさらないといけない。

    司法もそうです。 

    意識が作為した最高権力を背景にしても、決して思い上がってはイケナイ。

    そう、思います。





    『陰』は、この意識の作った最高権力と、最後、戦う事になるでしょう。

    武器を持った?

    いいえ、もっと熾烈な、思想戦、ですわ。


    『陰』は、武器を使いませんが、

    意識は、あらゆる武器を使うでしょう。


    チベットや、今新たにウイグルが、

    大国の意識による、少数部族への弾圧と云う形で出て来ています。

    これが、道徳を持たない国家権力の正体です。

    これを克服しないと、真の意味の『陰』の回復はできません。

    人間は人間らしく生れない、生きられないのです。








    さあ、話の筋を元に戻しましょうね。    ほほっ。

    しかも、意識にとって、

    今と云う現実は、自分も環境も、常にクルクルと変化し続けるのです。

    そう、意識は常に一つの事(今の現実)にしか夢中になれない。


    意識は、長期的な展望、もっと言えば永遠、や

    物事の本質、真実を、捉える事には不向きなのです。



    できないと断定してもいいでしょう。






    ああ、そんなバカなオロカな

    クルクル変わる今と云う刹那にがんじがらめで不自由な近代国家に、

    『陰』を捨て去った近代国家に、

    我々の命を守らせるとは? 

    命は、いったいどうなるというのでしょうか?








    では、これらを前提にして、本論へ行きます。


    もしや、ここまでで読むのにお疲れになられたら?   

    また、訪問し直してくださって、

    後日、本論をお読みになってくださいますように、、、

    よろしく、、、











    今日の記事は、

    《近代化の影 8.》  『陰』を殲滅する近代国家の相貌(そうみょう)  




    ちょうど 1年ぶりの近代化の影シリーズになります。







    佐伯啓思京都大学教授の「反・幸福論」に、


    とにかく「縁」や「しがらみ」という面倒なものを

    断ち切ろうとしたのが戦後日本だったのではないでしょうか。

    戦後の民主主義にせよ、個人主義にせよ、都市化にせよ、、、、

    「近代市民社会」なるもののしごく当然の結果が、

    「無縁社会」なのではないでしょうか。




    とあります。


    あっら、今日は、お断りいたしますが、

    「無縁社会」がテーマではありませんのよ。  ほほっ。

    「無縁社会」自体は、そんなに難しい事じゃない。

    我々の身近に起こっている眼前に展開されている身の回りの社会の事です。

    一般庶民が、近代化の合理主義の下で、

    自分の生活や人生を変化させて来た卑近な事象の究極の姿が、

    「無縁社会」と云うものです。



    昨今の未婚率の問題、

    離婚の増加、シングルマザーの増加、親や目上を尊敬しない子供達。

    いわゆる家族や家族道徳の崩壊の問題です。

    それらは、このブログで取り上げて来た、これからも取り上げるだろう

    無意識界からの創造性そのものの命の継承の問題、

    それが、昨今衰弱して来ている証拠としての絶家の問題です。




    そう、その前に、こんなデーターが出ています。


    日本性教育協会の「青少年の性行動全国調査」によりますと、

    大学生のデートやキスの経験率が男女とも減って来ているそうです。

    おやおや、今の世の雰囲気では、昔より簡単に御盛んそうですが、

    現実はそうではないのですね!       あはは。


    余計なおせっかい、いらぬ心配は結構だよ、と言われそうですが、

    これは、生きる力が弱って来ている証拠ではないでしょうか?

    それと、今の世の中は、男性にキツイですね!

    あるいは、受験などの社会の締め付けが強いです。


    また、男子の自立の問題もありますね。

    母親に心配はかけてはいけませんが、

    母親のお気に入りの息子になってはダメですよ!     あはは。

    多大なる母に飲み込まれてしまいます。

    さすれば、結婚もできなくなりますよ!

    この事はいずれ記事にする予定ですが、

    これも、合理の世界を突き詰めていくと生命力の衰微に行き着くのです。



    これが、国家レベルで起こるとどうなるのか?

    近代国家による『陰』の殲滅の問題です。

    国家の最高権力が、立法や行政や司法を通じて『陰』を殲滅する。

    いよいよ、

    近代合理主義の思想としての『陰』を殲滅する相貌(そうみょう)が、

    国家の法律として顔を出し、手足を出し、口を出して、

    『陰』を苛め虐げる局面に入って来た観をゾクゾク肌身で観じております。





    もう一度、先ほどの佐伯啓思京都大学教授の「反・幸福論」の、



    戦後の民主主義にせよ、個人主義にせよ、都市化にせよ、、、、

    「近代市民社会」なるもののしごく当然の結果が、、、、、



    いまの、あらゆる現実の問題を呼び起こしたのではないか?

    今は、あらゆる事柄が問題です。


    そもそも戦後の民主主義、個人主義、中心へ中央へと云う限りない都市化、

    地方を置き去りにした中央集中化、

    国民? 消費者? これらの言葉も正体を見極めないと、


    再び! 気になって仕方がないのです!   あはは。


    国民、 民衆って、そもそも誰のことなの?   

    お人好しで、ぼんくら、奴隷を意味する現代語ですか?   ほほっ。





    知らぬ間に、物質至上主義が、意識至上主義が、言葉の中身を盗みます。


    真面目な日本は、近代化のマスターに血道をあげて142年です。

    いやはや、

    我が国は、

    近代化先進国の欧米をしのぐ近代化の応用局面に入ったようです。

    前にも書きましたが、純粋近代化は世界広しと云えど日本だけです。


    欧米では、キリスト教会自体が、まだ国民の中に影響力を持っています。

    あまりに近代合理主義へ傾くと、宗教性がブレーキを掛けますが、

    日本には、そのブレーキがない。

    ないのです。。。




    ノーブレーキで近代合理主義を走る、爆走する日本。


    日本は、近代国家です。


    近代国家と云うものは、人間の意識が作り上げた最高の造形物です。

    近代国家では、国家に、国民が絶対に逆らえない「国家意識」、

    国家権力が存在します。

    現実的に我々の命や財産を守ってくれる代わりに、

    我々が国の統治者に与えたのが最高権力です。


    それを与えられた地位が、大統領、国家元首、総理大臣です。

    いわゆる最高権力者です。



    近代国家は、無意識を国家経営から排除しているのが特徴です。


    それは、あれよ、あれよと虚ろって行く意識に、

    我々は最高権力を与えて、

    我々の全てを託して生きていると云う事ですよ、、、



    ほんとうに、意識と云うものは、

    幾ら危険だと言っても云う事を聞こうともしない。

    未来どうなるかが見えないのです。

    最後、絶滅する危機でもあって頭を打たなければわからない。

    誰かが、もっと犠牲にならなければ法整備が進まない。

    まったく『陽』の権化である行政の癖もそこからです。









    そう、『陰』を捨てた近代国家がもたらす害悪です。

    『陰』・自然、命に刃向かう近代国家の本質が、

    それが、やっと無意識界から、この意識界へ現象化し始めた、、、、、



    そう思う事象が、続けざまに出て来ています。





    この事は、わが国が近代化を取り入れる努力をし始めてから、

    おそらく、もうすでに近代合理主義をマスターしたと云う事でしょう。

    日本が、この思想を自分の物にしたと云う証拠なのでしょう。

    我が国が、欧米から近代合理主義を学ぶ立場から、

    近代合理主義の完全なる履行者になったと云う事です。

    近代合理主義者として一人前になったのです、、、   あはは。

    そう、近代合理主義の免許皆伝。

    そして、国の運命を掛けてその思想を実践し始めたと云う事なのです。


    この事は、3.11の福島の原発事故以降、

    日本人の我々が、少しは変わるのではないか? と思った事が、

    その期待が、見事に木端微塵(こっぱみじん)に砕けたと云う事ですね。


    まったく困りました!




    3.11以降の日本の在り方として、

    もちろん、国の在り方を批判、反省する論調は出て来ていましたが、

    近代合理主義を外から観る言論はなかった!

    ず~っと捜しましたが、

    3.11を起した原因側と同じ思想の中での論調でした。

    要は、方法論に終始していたと云う事です。

    すべてが、近代合理の狭い井戸の中で吐く息ばかりでした。

    そんな息は、吐けども吐けども、

    国民の持って行き場の無い気持ちのはけ口に利用されただけ、

    選挙などの結果は、どうせ矛盾のある社会なら、

    その手練手管で上手の、そう云った意味で大人の自民党へ戻った。

    脱原発よりも科学技術で安全を保障させる方を選んだのですね。

    狭いお盆の中で、もう、出し殻になったお茶っ葉で、

    もう一度、お茶を入れ替えようと!    あはは。


    安全を科学技術で保証できるのか?

    それすらも確信を持てないまま、

    結果、原発を産み出した近代合理主義を推し進めるしかなかった。


    ついに、ミイラ取りが、ほんもののミイラになったのですね!  ほっ。





    ここに近代合理主義の伝道者としての安倍総理があると思っています。






    彼が世界中に原発セールスへ出かけるのも、

    その使命感からです。

    まさに、近代合理主義の伝道者としての振る舞いであり、

    それが、彼の戦後レジームから脱却の実践、為せる業なのです。

    これからは、アメリカを近代化のお手本としないで、

    日本、自らが、世界へ近代化を実証して行こうと云う自立を目指している。

    そう理解すると、非常に分かり易いでしょう?   



        

    しかし、近代化の実践者として一人前を目指すとは? 


    ――――― 恐い事ですね。 

    ――――― 日本は悪路へ踏み込んだのです。 


    なお、ポストモダン、超近代と云う言葉がありますが、

    いずれにせよ世界の現中心思潮は、意識中心である事には変わりがない。

    真のポストモダン、超と云うからには、意識中心を克服するべきです。

    世界的に意識中心思想が続く限り、

    このブログでは、依然として〝近代化”で通していくつもりです。











    ここで、ちょっと異次元な話を挟みます。

    運命学的な見解から少し述べてみます。

    ここが、私には政治の話よりも専門です。 ほほっ。


    安倍さんは、後継ぎ運がありません。 子供はいません。

    幹事長石破氏も御子息はなし、東電勤務の一人娘さんだけです。

    三役の一人、総務会長の野田聖子氏も、

    もう一人の三役、高市早苗政調会長も、明確な後継ぎ運がありません。

    政権与党の中軸を担う人達が、命の継承運が弱い、無い。

    と云うよりも、絶家の家系の人たちだとお見受け致します。 



    これは個人情報暴露の批判でも、悪口でもありません。

    公人の立場で知れ渡っている情報です。


    こう云う話題は、おおやけ、特に合理の為には排除する事柄です。

    思想とは別、個人的な事と切り離す話題なのでしょうが、

    運命学に取りましては、ここが、根幹、最重要な要因です。

    『陽』である現象界に出ている現象の原因は無意識界に存在します。

    同様に、我々一人ひとりもしかり。

    この事について詳細を述べる余裕はありません、が、

    読者のみなさまは、もうすでに、その見識をお持ちだと思っています。




    ここのポイントは、

    福島をアンダーコントロールと世界を煙に巻いて、

    その口で、他国へ原発セールスをする日本、

    近代国家として一人前に脱皮した、、、、、不幸ですね。

    これでいい訳がない、、、、、、






    そして、もう一度、思想と云うものについて書きます。


    ここでも、肉体と精神を別物と捉える二元論の時空に生きる我々には、

    思想は思想と、我々の存在から切り離す癖が付いていますが、

    これは、*注東洋の知見の方が、はるかに上、上物です。

    東洋の生命観、色(肉体)心(精神)が一体である、と云う事から、

    思想性は、人間の在りようを全て規定するとします。


    *注(仏教においても初期の発生段階の思想の中には、

    肉体と精神を切り離す学派、宗派があるにはあるのですが、

    後に原理的には、それらは、方便、権教として切り捨てられています。

    しかし、信仰として拠り所・宗派として、依然残っているのもあります。)





    思想の影響とは、概念や観念の領域だけに止まらず、

    ひとつの思想に抵抗する事もなく≪疑いもなく≫進んで染められた人間の

    人生そのものの上に、強く影響を与えます。

    その思想の本質が具現して来るのが、約、30~60年後の姿です。




    これは、一般的に教育学で云う処の、

    一人の人間がどう云う親に、どう云う育て方をされたのか、

    環境そのものを吸収して、その結果が20才を過ぎて人格として出来上がる、

    と云う事と全く同じです。



    運命学では、それとはちょっと違う、

    もっと、深い処の関係性を命式上で観る事ができます。   ほっ。




    いずれにせよ表層的には、次の様に云う事は間違っていませんね。


    我々は、知らずに空気のように吸っている思想によって意識が染まり、

    知らずに剪定をされ、思想の規定に沿った姿に育てられるのです。

    さほどに、思想と云うものは恐いものです。








    人間とは、思想に漬け込まれた〝漬け物”状態だと思ってください。

    どんな思想に漬け込んだら、どんな人間ができ上がるか?   


    みなさまは、どんなお漬物になりたいですか?   あはは。


    赤カブの酢漬け、 野沢菜の漬け物、 はりはり漬け、 

    はては、京の千枚漬け、 あ、奈良漬けもありますよ!  

    あっ、そう、ヌカみそ付け?      あはは。









    物質文明が、日本に根を下し、

    我々がそれを謳歌するようになって、

    人の意識が、知らずに、人を物と扱うようになっています。


    自分の意識が満足しないのは、他人のせいとばかりに、

    他人の命を、自分の欲望を満足させる道具にならなかったと云うだけで、

    役に立たない道具を捨てるように傷つけ、殺め、

    物のように切り刻み、捨てられた死体が見つかる事件が、

    それも、肉親、親子、職場の人間関係で頻繁に起こっています。



    これは、社会の基軸となる憲法、法律、社会機構の中から、

    『陰』が排除され、合理性だけを求めた結果ではなかろうか?


    合理性のシャワーを浴びて社会を構成して来た我々の業態の中に、

    『陰』を重んじる生活実態そのものが消えて来ている結果ではないか?


    文字や言葉では、

    だれもが、生命の尊厳、人権の尊重と云いながら、

    意識の特徴である、今、目の前に在る危機だけを回避する事に堕し、

    命に報恩感謝する実践としての『孝』の徳目が消え失せた証拠ではないか?


    と、、、運命鑑定をする中から感じる日々です。





    ますます、便利になって効率的になって近代化が進んで行く!

    進んで行く! と云うのは明るい兆しを感じる言葉なのですが、

    これが、まったく暗い。

    近代合理主義下では、まったく先が見えません。








    進むとは、命が脅かされるのが深刻になる事だったのか?

    どうも、命の継承が困難になると云う事だったようですね。










    ここで、

    東洋的な知見から、一つのアンチテーゼを書いておきます。




    『陽』が『陰』を踏みにじり感謝も報恩も蒸散した国土には、

    災害が起こるようになります。

    徳性になんの価値も置かなくなった人の住む大地は、

    不徳の人間にとっては、安定感を得るものではなくなるでしょう。


    全ての事は、我即宇宙ゆえに、

    我の色心の業態が宇宙『天地』へ感応するからです。



    大地とは、『陰』そのもの。

    天から降る『水』は『陰』そのもの。

    『陰』と一体に生きようとしない人間の不穏さが宇宙に響くのです。


    宇宙即我、 です。

    我即宇宙、 です。


    それを前頭葉が理解しようがしまいが、です。


    感謝をしない人間の傲慢な業態が、『陰』の本体に感応をして、

    傲慢さそのものの本質を『陽』・現象界へ表出、現出するのです。

    『陽』である現実世界は、

    すべて此方側の『陰』無意識界に貯めた業因の合わせ鏡です。


    これを西洋二元論の言い方を借りますと、

    無意識界の業因が、心身両面に亘って『時』を経て実現するのです。


    故に、災害は、『孝』を失った国土に起こって来ます。







    これは、オカルトでもスピリチュアルでもなんでもありません。




    西洋は、二元論。

    自然と人間は別々、切り離して存在するとしますから、

    人間と、自然の関係ががバラバラなのです。

    二元論に囚われている意識には、理解不能な真実の姿です。


    前頭葉を幾ら駆使して科学が探究しようが、

    この宇宙は、合理な世界ではありませんから、

    五感の情報しか集められない意識には、分からない事なのです。

    醜い偏狂な二元論の谷間を這い上がらなければ見えない景色です。









    近代国家は草原の虎に非ず。机上のハリボテの虎です。

    氏素性を、しっかり見極めてください。

    思想の影響と我々、  

    我々の体から、近代合理主義の埃を払い落してください。

    東洋からのアンチテーゼ、

    我々は、どうしなければいけないのかお考えください。

    できれば、東洋からのアンチテーゼの中に身を置きながら、、、

    それこそが、東洋人としての矜持であると、、、




    その意識の癖が表われている最近の時事を、二つ取り上げてみます。



    ひとつは、政治。




    ★安倍総理が言い放った、under control アンダーコントロール






    あれには、あきれました。  ほほほっ。   


    オリンピック欲しさに、あれだけのウソが言えるのですね!

    欲しいものはどんな事をしても手に入れるボンボンのお育ちなんだな、


    オリンピック誘致を成功させる為には、

    コントロールしていると見栄を切る!

    欺瞞の言葉を口にしてでも欲しかったオリンピック!

    非常に脆(もろ)い身震いを感じる世界です。




    この人は、何が何をコントロールするって分かっているのか?


    いわずもがな、人間様の意識が、原発の汚染水をです。


    意識が汚染水をコントロールできるのか?



    安倍総理が解っていて、そんなウソを言っているとは思えない。

    と云う事は、本気で次の3つを信じているのでしょう。


    1.意識学問・科学技術が、汚染水をコントロールできる。

    どんなものだって科学がなんとかしてくれる。


    もうひとつ、東電には任しておられない。

    2.自分は総理だから、国会で過半数を取った与党自民党とともに、

    国家予算を投入すればできない事は無いはずだ。


    3.国権の最高権力を以ってすれば国会と行政府の長である自分が、

    できない事は無い。


    意識のこの疑似自然空間の中で醸成された、

    この3つの驕りからでしょうね。

    もう、どうしようもない近代合理主義の伝道者です。  とほほっ。



    人間の意識が作った現象達(科学、経済、政治)で、

    自然『陰』をコントロールすると云うとんでもない発想!


    それは、

    汚染水タンクから漏れ出る汚染水なら何とかなるでしょうが、

    そもそも、その汚染水タンクを満たしているのは、

    メルトダウンした燃料棒が落下して、

    高濃度の放射線物質が浸潤する原子炉直下の地盤を、

    核燃料の大量の放射線物質を含んで、

    海へと流れる山側からの地下水ではありませんか?




    地盤の中を伏流水でながれる ―――――― 地下水


    2013年 2月 17日の記事、

    ( 命の継承と運命 10.)  陰陽の波打ち際 (女ばかりの孫)


    にも、書きましたが、

    地中から湧き出る地下水こそが、五感で捉えられる陰陽の波打ち際、

    『陰』そのものの創造力から湧き出ているもの、

    意識が為す人為的な営みではないのです。


    たとえれば、『陰』そのもの、

    その無意識界がコントロールしている『陰』を源に発する地下水を

    現代科学の知識が、コントロールする?     あはは。   

    ( できる訳がないでしょう?)




    近代合理主義の思想自体をよく分っていない。

    近代の世界の中に居ると云う事は、

    本当の自然を遠ざけ、疑似自然の中にいると云う事すら、

    気が付いていない一国の総理大臣!

    近代合理主義を信じて疑わない我が国の総理大臣!



    おそらく、科学技術を以ってして、国家予算を注ぐ覚悟をして、、、

    近代国家日本は、

    安倍総理の虚の言葉を補完する為に、国家予算を投入するはずです。

    さすが、近代合理主義、物質文明、資本主義下の近代国家日本の総理ね!


    まさに、東洋の中庸を忘れた、近代意識、近代理性、近代科学を信ずる

    近代的自我に裏打ちされた政治家の薄っぺらさです。




    しかし、合理主義社会の中で、ある程度の地位を持ち、

    その優秀な意識のおかげでメシを喰っている人たちは、

    これでもダメとは言わないはずです。

    さすが総理だ! 国が責任を持ってやると云う決意なのだ、と、、、


    日本が肩に背負い込んだのは、東京オリンピックだけではない。

    欺瞞や嘘は、必ず地獄へと打ちのめされる日が来ると云うのに、

    この軽はずみは言葉で、どれだけの重い荷物を日本は背負った事か、

    日本が潰れなければいいのですが、、、祈るのみです。






    もうひとつは、司法。




    ★9月4日最高裁大法廷で非嫡出子(婚外子)の相続分の違憲判断



    これは、難しい話ではありません。 簡単に書きます。



    非嫡出子に、正規の婚姻関係のなかで生まれた嫡出子と同じ

    財産分与をする事が、おかしいと云うのではありません。

    財産をどう分けるか?

    そんな事は、どうでもいいのです。


    最高裁大法廷と云う処は、財産分与を決める処なのか?

    まさか、家庭裁判所がするような判断を下したからです。


    最高裁大法廷が、法的に平等か不平等かを判断する処だとすれば、

    ただ、単純に相続財産の分け前を同じにすれば、

    それで平等を認めた事になると云う、方法論がおかしいのです。


    平等でないものを平等であるようにする方法論が、

    相続財産を同額にする事であるとは思えないからです。


    あるいは、別の言い方をすれば、

    嫡出子と非嫡出子の相続割合が同じではないのが、

    憲法の規定に反すると云う訴えを、そのまま平等か不平等かと云う

    言葉の二者択一のまな板に乗せる事が正しいのかと云う状況判断です。

    その上、揃いもそろって全員の裁判官が、

    それはおかしい(違憲)と判断をした。

    その事も異常ですね。



    揃いもそろって、裁判官全員が、安倍さんと同時期に、

    近代合理主義の免許皆伝をしたような?意識偏重の判断を出し、

    実に妙な気分になります。      あはは。


    実に哀れです。 そう判断した意識機関が哀れです。


    司法も尊敬できない。

    国民は、そう思ったと思います。

    そして、即、仏法で云う処の地獄だと直感したのは、

    尊敬できない司法の決定に従わざるを得ない我々の弱い立場です。

    国家権力とは、そう云うものです。





    平等とはすべてが均等と云う事ではない。

    平等とは、外から見える姿が、同一の事ではない。

    平等とは、画一性でもない。

    今回の違憲判断を知って、最初に思った事は、

    ついに日本は、知らない内に共産国家を目指すようになったのか?    


     あはは。


    分配を同じくする事を目指そうとするのか?

    ソビエトが失敗したのを知らないのか?     ほほっ。


    できない事をしようとする暗愚。

    なんでも、同じ。

    なんでも、、、、、なんでもとは、なになのか?

    同じ、、、、、どうあることがおなじなのか?

    また、それを誰の意識が決めるのか?

    こう考えると、

    非常に曖昧模糊としたどんよりした空気に包まれます。

    そう! 意識がマヒしたような?      あはは。

    賢明なる明晰な真実ではないからでしょう。 あはは。




    平等と云う答えが2としたら、 1+1しか知らないのか?


    -3+5=8-6=-7+9=157-155=・・・・

    限りなく2と云う答えは出て来る。


    1+1と云う幼稚園のような算数でしか満足できない社会と云うのは、

    社会全体の幼児後退です。

    また、世論に迎合しようとする最高裁も、しれたもの。

    これで天下が治まると思ってか? 

    智慧の無い悪世、世も末です。

    財産額で、平等を証明する世とは、金権主義、物質主義そのもの、、、

    嫡出子と同額の遺産分与を受けて非嫡出子は本当に満足なのか?

    非嫡出子が、平等に与えられなかったのは資産ではないはず。

    その父の愛情そのもの、その生まれの不遇さを埋める何かが、

    欲しかったのではないのか?

    そう考えると、もしや非嫡出子の友人がいたとして、

    あなたは、友人の為に、その同額の資産を手にした満足を、

    喜んであげられるか?

    その友人を生涯の友として尊敬できるのだろうか?



    人を裁く場所での真の平等とは、

    人の前後、左右、上下を見回して普遍性を帯びた智恵でなければ

    ならないはずが、それらを感じられません。

    普遍性の方途をリードできない司法の「理」のなさ、

    知はあっても「智」のなさ、

    『陰』の喪失を、『陽』の偽性を露わにした限界を観じました。



    本来の人間が定める法と云うものは、

    限りなく自然法に沿ったものでなければならないと思います。


    時代や場所によって変化しない普遍性、
    人為では変更できない不変性、
    影響を受ける人間に与える合理性など、

    相続額を同じにする事で、皆がしあわせになれるのか?




    この違憲判断において、
    なぜ、平等がそこまで注目されなければならなかったのか、

    婚姻外の男女関係は生まれた子供には無関係だと言い切る司法は、

    本当に正しいのか?


    それらの問いに出した近代国家の無意識を捨てた司法の答は、

    納得が行かないままの処を残しています。


    『陰』を切り捨てた意識の造作物だけの程度、

    司法の程度が知れた値打ちがないモノでした。


    この程度の司法が、死刑をも宣告するのですよ?

    こんな事で、反省する事はないのだろうか?

    非常に、大きな疑問、 この国ではもう何も頼れない。

    それを自覚しただけでした。   あはは。


    もう、これでは、


    道理を信じて自分の思う正しい生き方をするしかありませんね。








    だが、注目しておかないといけないのは、

    このように、近代合理主義に染まった人間や国家の所為は、

    真に人間としてまっとうに生きた人間を深く疎外をし、傷つけます。         


    おそらく、この判断で一番深く傷つくのは、

    これから、この判決通りの遺産相続が行われる事で、悲惨なのは、

    女道楽で愛人に子供を産ませた夫に、黙って我慢をし、

    子供達を育て、家を、家業を守って来た正妻です。


    正しく妻として母として不幸な女を乗り越えた正妻です。

    つまりは『陰』たるべく生きなければならなかった女性です。

    それをやり遂げた一人の女性です。

    その事を考えると、やりきれない思いになります。



    資産を残すほどの稼業なら、

    夫の勝手を我慢し家業を手伝った正妻の内助の功、

    その母を見ながら反抗もせずに父の仕事を盛り立てた子供達です。

    時には、自宅が資金繰りの為の銀行の抵当になった修羅場も潜り、

    こうした目に見えない正規の家族たちの苦労があっての資産でしょう。

    夫の死後、子供夫婦と一緒に暮らすべく正妻の老後の家は、

    婚外子へ渡す財産の為に処分をしなければならないようになるはずです。

    ここで、苦しむのは、

    若き日に愛人を作って子供を産ませた夫ではなく、

    全てをひき受けてひた向きに苦労を受容した『陰』である正妻なのです。


    道理を踏み外した夫が資産を残せた陰徳は、だれが積んだものなのか?

    一番、苦労をしたのは誰なのか?



    ーーー 意識の傲慢な所作は、必ずこの貴重な『陰』を殲滅します。






    我々のような、ほとんどの庶民の場合は、

    夫は婚外の女に子供を産ませるような余裕はなく、

    しかも、死後、分ける程の資産も残さないはずですから、   

    関係ありませんが、、、     あはは。



    いずれまた、( 命の継承と運命 )シリーズで、

    不倫の結果生まれた子供がどう云う運命を持って生れて来るのか、

    その母親はどうだったのか、書こうと思っていますが、

    不倫をする行為自体が、

    『陰』の創造性を阻む女系化への結果であり原因なのです。





    東洋的智慧で、何が正しい判断なのかは、

    真の意味のお裁きは、「天・地」の道理が行います。      ほほっ。






    運命学で云いますと、

    嫡子か非嫡子か、きちんと運命上に違いがあるのですよ。

    冷たい言い方のようですが、

    道を外れた親の子と、そうでない親の子と、

    厳然たる違いが、その後の家系に違いが出ます。

    違いがなければおかしいでしょ?







    意識が作った法律には、それに適応する智力がないのです。

    意識自体、それに対応する能力を持っていない。

    人間を司法で裁く事はできません。



    なぜなら、近代化から生れた言葉群をいくら並べ立てても、

    ロジックを構築して法律や制度を作ったとしても、

    それらにそもそも真実は宿ってはいないのですから、、、

    人間を幸せに導く力は無い。




    しかし、無視をしてもいいと云う事ではないのですよ!

    この国に住む以上は、人法に従うのが、仮に方便であれ道理です。



    そう云うものであると云う自覚をした方が良かろうと云う事です。









    意識に真実が宿っていない事に、まだ気が付かない方が多いですね。


    気が付いた方は、人が良い、正直な人が多いから、

    まともな人は苦しいはずです。

    言葉の中身が抜けている事を薄々感じて腹を立てて苦しむはずです。



    目の前にあるものが、実際の生身の心身から遊離した感覚を覚え、

    頼るべきモノの存在自体が、

    破たんから出発しているのではないかと云う疑いの為に、

    天地の間に生きていると云う人間の一番必要な安定感がないのです。

    ここが、善を説きながら、悪法たるゆえんなのです。






    そう云う不適応を起こすだけでなく、

    そのストレスによってなだらかな感情や、平安な気持が続かない。

    『陰』を無視する近代国家の害毒は、

    我々の心身の拠り所、根源を無視する制度となり

    人が善意や正義に信頼を置く道理を軽んずる法律となるはずです。






    地球規模の、目の前の浮き沈みの現象に乗せられて、

    人間の観念から生れた泡のような情報に右往左往し、

    便法を本質と取り違え、今の大事な時をつぶし、

    いつのまにか、そんな事に自分の(命)を賭けている我々、、、、、

    薄氷の上を歩くと云う表現がありますが、

    それどころか、我々は、

    今にも砕け散る他人の意識が作った情報の切片の上を歩いているのです。



    意識の目指す、近代的自我意識の作った近代国家。

    当然ですが、近代国家の限界やひずみや矛盾は、

    意識が持つ欠点と同様、国家レベルでもっと大規模に出て来るはずです。


    そこから、

    自分の心身が、信じていた言葉や頼るべき法律や制度からの

    深い疎外感が生れているのを感じるでしょう。


    この怒りにも似た言葉にできない苦しみを、

    仏教では、 瞋(じん)と謂います。

    深く怒って苦しむ事です。






    苦しむ人のいる場所を地獄と謂います。



    地獄の境涯を持つ人の住む国土には、災害が襲って来ます。

    これは、東洋独自の観点ですが、

    環境と我(自分)とは同じ根。

    我も環境も、同じ根から出た現象です。



    災害が、頻繁に襲う国土に、とうとう日本は堕ちたのです。









    先祖から受け継いだ太陰の土地を放射能で汚したのは、

    誰でもない、近代化で自国の徳性を捨てた我々ですよ。








    最後に、もう一度、この事を繰り返しておきます。


    2011年 5月 28日の記事、
     (東洋的教育法) 学問の知識で人生を考えてはいけない 13 


    にも書きましたが、

    全ては、

    日本の国土から『孝』が抜けて行っている過程で起こっている事です。


    うさんくさいと思われるでしょうが、  

    東洋的見地から云うとそうなるのです。


    「孝」を国土から失う。

    現実を表わすのに、的確な表現です。

    時代はひとを蝕んでいます。

    そろそろこの思想に幕を引かなくてはいけません。 





    その為に、今、一番するべき事は、

    意識の傲慢さを反省するべきです。

    意識(政治、経済、科学、司法)グループの傲慢さですね。

    『陽』の世界の最高権力者、

    それが『陰』を潰す元凶になるのですよ。


    チベットしかり、ウイグルしかり、アラブも、、、、、






    今日の記事はむずかしかったでしょうか?      あはは。

    読み飛ばしてくださいね、、、    ほほっ。


    読み飛ばしたら読む処がない!?         あはは。





    個人として、今の近代合理主義下において我々ができる事は、

    意識の傲慢さを反省する事です。

    『陽』への偏りを糺すのは、反省、内省です。

    謙虚さ、感謝、反省、内省は、『陰』そのものなのですよ。

    中庸に戻るとは、そう云う事です。

    特に、女性が反省をしなければいけません。

    なんだか、結論は修身になってしまいましたけれど、、、あはは。





    反省なら、一介の人間は、だれでもできる事です。

    しかし、権門のやからには、守るものが多くてできないのです、ね。 


    あはは。  


    素直さがあれば実行できる事です。   ほっ。




    反省と内省で、新しくなっていくご自分を意識してください。

    いままで、丸いと思っていたのものが球体だったなんて、

    分かったりする事もあるのかもしれませんが、

    それもそれなりにいい事ですね。      ほほっ。



    次の更新まで、お元気で!

    素敵な毎日を、、、ど~ぞ!
































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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