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01/07 13:55 |
★ 『 時 』 のダイナミズム 「冥」 と 「顕」Category : 運命学
新年あけましておめでとうございます 2014年
![]() 今年も 宜しくお願い致します。 寂光-cosmos 今年初めての記事は、『時』を扱ってみようと思います。 ★ 『 時 』 のダイナミズム 「冥」と「顕」 もぉ~い~くつ寝るとおしょう~が~つ~♪ と云うお正月の歌がありますが、 私たちは、どこか、サンタクロースが煙突からやって来るように、 お正月が、どこかからやって来ると思っている処がありますね? あは。 もう幾つ寝ると、お正月の日が巡って来るのだろう? この主語は、「もういくつ寝ると」= 『時』なのです。 『時』が我々の前で、現象に幕を引いたり、開けたりします。 それが意識に映るのが、「冥」、「顕」です。 「冥」とは? 暗い。見えない。知らず知らずのうち。 ものごとが、はっきりとした形になる前の状態。 「顕」とは? 明示。はっきりとした外見。 ものごとの実在、存在が、姿形を伴った表現化、具体化。 もしか仮に、「冥」が、「無」であり、 「顕」が、「有」であるとなれば、こんな簡単な事はないのですが!? そう云う意味ではないのです。 「無」と「有」の二元論は、無意識を知らない意識のキャパ、テリトリーに おける概念であって、近代に至る西洋哲学の狭い概念ですね。 この奥が、東洋の領域、東洋の神秘が広がっています。 西洋哲学の追従を許さない処なのです。 ほほほっ。 「冥」と云えば、見えないから無いのかと云えば、無いのではない。 有るけれど見えないだけなのです。 「顕」と云えば、見えるから有るのかと云えば、有るのでもない。 見えるのは、一時的な現象そのものであって、本質はそこには無い。 つまり、「冥」と「顕」を知らなければ、本質は分らない。 「有る」も「無い」も、『陽』の偽(うそ)でしかありません。 つまりは、西洋哲学では真実を見極める事はできない。と言えるでしょう。 『陽』は偽(うそ)と云う事を例えれば、 意識・五感から見た大空にある雲を、思ってください。 大空に雲は見えます。「顕」です。 では、有るのかと云えば雲と云う現象は一時も同じではありません。 そして、必ず消えて無くなる。 「冥」です。 では、無くなってしまったのかと云うと、そうではなく、 雲を現象化していた水蒸気や天空のエネルギーは、 そのまま、形を変えて、この現象界のどこかに有るのです。 無ではありません。 ひょっとして、雨となって地上に降って、木々を潤したのかも知れません。 これが、運命学の五行学における(水生木・すいしょうもく)、 水が木を生む。 水が木を生じる。 水から木へのエネルギー転換です。 これを相生(そうしょう)の関係と云います。 この世に、エネルギーとして存在しています。 木々を潤した水は、池に溜り、翌朝の水蒸気の上昇となって、 また再び、雲になり大空へ上昇するのです。 五行には、その逆、 相剋(そうこく)の関係もあります。 これらについては、今回は省きますが、又、いつか、、、 ここで、頭に残しておいて欲しい事は、 未来を考える上で、 目で見えるのかどうかと云う事は、さほど重要ではないのです。 大事な核心は、意識では掴めない事ばかりです。 すぐに目で見えない処にこそ、宝物は隠されているのです。 だから、自分の意識・五感で判断した事でも疑ってみて、 意識中心に、100%物事を決めない方が良いのです。 自分の意識・五感は、自分を騙す事もありますしね。 ほほっ。 直感で決めた方が良い場合も多いですね。 もうひとつ、 この世は、差別の世界、現象界なのですから、 みんなに同じお正月が来る訳ではない。 『時』は、ひとりひとり違ったお正月を運んで来ます。 『時』が、命を、どう運ぶかは、千差万別。 各人の命式に表われています。 あなたのお正月は、どんな『時』でしたか? その『時』の中身が、あなたの〝運”そのものなのです。 我々の心を満たしたものが、ひょっとして不如意なものだったら? 嘆いたり、悲しんだり、逃げたりする事ではないのです。 逃げるのは、最悪ですが、、、 『時』は、次は〝倍返し!”で戻して来ますよ。 ほほっ。 それは、『時』が、我々に、何かを伝えたくて、気づかせたくて、 無意識の深層から、我々の意識をノックしているのです。 それは、あなたの一番の弱点かも知れません。 でも、 何なのか? 教えてほしいと無意識へ訊ねてください。 我々に必ず気付かせてくれます。 それには、条件があります。 意識が欲望に強く染まっていない事です。 無意識は、現実が素直に受け止められる事を期待しているのです。。 ここからが、運命学の『時』の本論です。 今のお正月は、 西洋のカレンダーでの 1月 1日を新年としたもので、 我々の運命にとって、新たな運気に入る日ではありません。 運気的には、昨年の12月31日の続き、今は去年の続きです。 中国や台湾のみならずシンガポールなどの中華圏は、 西洋式カレンダーの1月1日をお正月とせずに、 旧暦「太陰太陽暦」を使って、お正月のお祝いをする国柄です。 これが、春節です。 横浜や神戸の中華街も、春節のお祭りをやりますね。 時の節(ふし)を無事に越えたお祭りです。 この時の節(ふし)を越える事を節(せつ)入りと謂います。 なお、旧暦のお正月の日付も、西洋式カレンダーとは無関係です。 「年」は太陽の運行で決めるとしても、 西洋式のカレンダーは、時を単なる流れる数字の序列にしました。 画一的な1日の365回の繰り返しです。 意識には、、、1日1日が、画一的にしか観えないのですね。 その区別を付ける為の1,2,3 と云う順番の月名、 日も、その何日目かを知る為の1,2,3、、、と云う順序数です。 まったく、この科学的!な方法は、 ≪ 東洋の叡智なぞ露知らないままに ≫ 科学的なら最高、正確、とでも云うように表通りを闊歩しています。 しかし、これは科学的と云うものの本質をよく表わしていて よく考えれば、一年を均一で画一的な a day の寄せ集めにしたのです。 均質化した365個の a day を12個の月と云う缶詰に詰めて、 あはは。 中味は、都合によって数合わせをして分けただけ、、、 あはは。 同じラベルでは区別が付かないので12個の缶詰に異なる呼び名を付け、 ・奇麗で美しい・ ラベルをデザインし貼ったのです。 ------- 西洋のマニュアルは、ほら! TDLだって、 意識が満足する様に飾り立てる。 意識が反対しない様に、、、こう云うものばかりです。 我が国は、東洋の叡智を内包する国柄でありながら、 みすみす『時』のエキスを零(こぼ)して捨てて、 風味の抜けた滓(カス)ばかりの『時』の抜け殻 a day だけを並べて、、、 ・奇麗で美しい・ 西洋のカレンダーなどを壁に掛ける。 で、いいセンスでしょう? ああ便利になった~ ほほほっ。 スケジュールで a day を埋めて行けば、 なんとなく充実感が? あるような気になる、、、 あはは。 自分が時を支配しているような気分になる、、、 あくまで、なんとなく、、、 気分なのね。 あはは。 意識ができる事は、せいぜい 想像する。 いいセンスね。 なんとなく、ね。 いい気分! あはは。 これじゃ、ぜんぜん論理的じゃないわね! 合理性って、意識(主観)が決めていたのだったっけ? そうか、じゃ、こうなるべくしてこうなるのだわ! あはは。 そんなもので、全て意識をスルーして、パスさせて、 こんなに原発を作っちゃったのですよ。 安全と書いてある、と目で耳で知って、それで安心する程度なの。 お金が入るって欲を満足すれば、 これは、好い事だと思ってしまうのでしょうね。 あはは。 豊かになれるって! 反対する事もないんじゃない? 国民にこう思わせた政治家が、一番悪人なのでしょうが、 ----- こうして、 我々は、戦争を、いつか、又始めるかも知れませんね??? 意識って恐いです。 ついでに、日本が、暦を一挙に西洋化した事について、 1873年(明治6年)明治政府は、国民との議論、対話など全くせず、 急激に太陰太陽暦(天保壬寅暦)を廃し、 現在の太陽暦(グレゴリウス暦)を正式な暦としました。 その理由は、翌年が閏月のある年で、 国の役人へ月給を13回も支給しなくてはならないのを、 財政難であった明治政府が回避する為だったそうです。 しかも、改暦発表は、旧暦による「明治6年の暦」の発行後だったとか。 それを知らされないで旧暦を大量に作った印刷業者は、 紙屑同然になった暦を捨てるしかなかったそうです。 詳しくは、ここをご覧になってください。 今のように、印刷業者の損害を国が補償なんてする訳がないし、 そう、国を挙げて、まるで詐欺師まがいの事をしたのですね。 そう云う点は、日本の国民は大人しくて従順なのですね。 誰も文句を言わず、黙って従ったのだとか、 明治政府に、自国の文化を重んじるなんて気風はとんでもない。 おそらくですが、 東洋学を御存知なかったのではないでしょうか、、、 欧米に比べれば、自前の古い物は捨ててしまおう、、、 それこそが、近代化!? 急げ! 急げ! と焦っていたはずです。 自尊を失えば、文化を捨てれば、 民族や国は亡ぶ、と云う認識が全くない御仁ばかりだったのかしら? いい加減な国柄で、お恥ずかしい限りです、、、 実は、 運命学での新年は、まだ、、、、。 運命学の新年はいつなのか?と云うと、 西洋式カレンダーの節分会、 あの〝鬼は、外~!”の日とほぼ同じ頃、 今年の運命学の新年の節入りは、正確には 2月 4日午前 7時 3分、 この時点からが、東洋の暦の新年、 事実上の、甲午(きのえのうま)の年が始まります。 この日が東洋式運命学の元旦です。 どうかお見知りおきくださいませ。 この新たな年が、我々に、一様に巡り来ますが、 我々に及ぼすエネルギーは、一様ではありません。 例えばですが、 今年の 甲午(きのえのうま)と云う干支ですが、 上の干、甲(きのえ)は、上にあるので天干(てんかん)と云い、 『陽』の木を表わします。 下の支、午(うま)は、下にあるので地支(ちし)と云い、 午は、十二支の中で『陽』の火に当たる干支(えと)です。 これを合わせれば、 『陽木』を天に、『陽火』が地にある年になります。 天に木を、地に火を置けばどうなるか? 天の木が燃え盛ります。 火だらけ、炎ばかり、火焔地獄のようです。 こう云う場合は、火生土と云いまして、火は燃えて焦土と化す。 焦土とは? 焼け焦げた大地です。 また、その多すぎる大地は、土剋水(どこくすい)といいまして、 水を堰き止めてしまいます。 水の徳は、智です。 智が、流れなくなる。 イメージですが、砂漠の様な大地が広がる。 木は、午の火で燃やされますから、樹木はない。 『仁』の徳が消えるのですね。 火が燃えた結果の大量の土が金を生じる。 土生金(どしょうきん)です。 金は、財貨とも、武器ともとれます。 この金は、火焔地獄では、トロトロに熔けますね。 溶ければ流れます。 どこへ流れるのでしょう。 この熱い金を冷やし固める水が、ない! 水がなければ木は生じませんから、火焔だけの大地の上に、 水が、水がない、、、 その内、木が無いので燃えるものも無くなり、 多大な大地だけの上に、金がゴロゴロと晒されている、 そう云う風景を思い浮かべざるを得ません。 ほっーー。 さあ、今年は、どう云う年になるのでしょう? 個人の年運は、各人の日干支、命式の内容に拠ります。 このように、東洋的暦は、5種類の五行の陰陽、計10種類を「天」に配し、 十二支の動物を当てはめた干支(えと)を「地」に配する組み合わせで、 上下に順に組み合わせる事で毎年の呼び名が決まって来ます。 一番最初は、十干の一番初めの甲と、十二支の一番初めの子、で甲子。 次は、乙丑、丙寅、、、 こうして組み合わせて行くと、全てで60種類の組み合わせができます。 一番最後は、、、、癸亥。 60年で、全ての十干と十二支の組み合わせが一巡します。 そして、又、最初の甲子へ戻ります。 ------------- これが、還暦です。 暦が60年で一巡して、初めの干支へ戻る。 つまりは、生れた年の干支へ60歳になると戻るのですね。 そのお祝いが、還暦祝いです。 運命学では『時』が一番、重要なのです。 どれほど重要かと云いますと、 運命学では、『時』においては◯分と云う処まで、正確さを期します。 根拠は、地球上の全ての命の源である太陽の位置、 位置と云っても、太陽は動いていないのですよ、、、 ほほっ。。 動いているのは、地球の方です。 ほほっ。 仮に太陽が動いているとして天体上に定めた太陽の通る道 = 黄道、 太陽の黄道上の正確な位置を計算で、節入り日を決めます。 これは、国立天文台の天文観測に従って計算された時間に拠ります。 計算の結果、◯分と云う端数が出て来るのですね。 東洋運命学は、*地学と謂われるものそのものなのですね。 *地学 = 地球の内部,表面,および周辺空間の現象を研究対象とする学問分野。 地球科学とほぼ同じ意義内容です。 今のように科学が進んでいない3,4000年前において、 数字を用いないで、仮借形容詞である十二支・十干の漢字を組み合わせ 60通り(60進法)を完成させていた事は、驚いてしまいます。 古代文明においては、天文学は今よりも身近であったと思います。 現代は、天体の星の数、その大きさ、距離を問題にします。 いかにも意識らしいキャパ、認識のマニュアルです。 ところが、 古代では、意識と比較をすれば、それよりも、 無意識的な、空にある星の意味を探る方へ興味があったのでしょう。 表記も意義内容を持つ漢字で表しました。 特に東洋は、表音文字ではなく、表意文字ですから、 「太陽」と書く方が、丸飲み、それがどう云うものなのか分かります。 ただし、「太陽」の意味を分るには、 「太」と「陽」の字の意義を知っておく必要がある。 漢字を作った人間の方が、知の構造は複雑ですね。 あはは。 SUNだなんて! お空の太陽と直ぐに解るかしら? ほほっ。 たしかに! 陽光は燦々(サンサン)と謂いますね。 あはは。 なぜ、細かく◯分まで拘るのか? 我々の運命を観る命式を作る時に、それは大事なのです。 我々の誕生年・月・日・時に、太陽がどこに位置していたのか? それが根拠になります。 これは、あなたの誕生年、月、が、 それぞれの節入り時間の前か、後か、が非常に重要になります。 だって、それで運命が違って来るのですもの。 ほっ。 それほど、『時』は重要なのです。 当然ですが、運命学の今年の新年、2月 4日午前 7時 3分前に、 生れた赤ちゃんは去年の生まれになります。 巳年生れです。 巳年の性格、運気を帯びている訳ですね。 そう云う事で、 現在の世の中、この地球上は、未だにまだ、癸巳(みずのとのみ)年、 五黄土星の運気が続いております。 2月 4日午前 7時 3分まで、まだ予断を許さない時が続いていますのよ。 五黄土星については、丁度一年前の2013年 1月 27日の記事、 ★ 合理主義へのアンチテーゼ・東洋の暦 「五黄土星」「二十四節気」 に詳しく書きましたので、そちらをご覧になってくださいね。 東洋運命学は、時の学問です。 『時』は、『天』の運行そのものであり、 自然宇宙の『陰』の世界にあなたが溜め込んだ「冥」なるものを、 『天』の道と、『地』の理に沿って、「顕」じます。 『陽』の現象世界へ現象を「顕」わす力なのです。 東洋運命学における暦に置いては、 本来、年も月も日も、あらゆるものが、分単位で、 一つ一つが意義を持っています。 しかも、個々人において、その一つ一つの意義は違って来ます。 命式の内容において、個々人は、本質的に オンリーワンの存在です。 それを現在の近代合理主義における時と比較すれば、 西洋とは、考えようによれば、 本質を削り落とした文化、文明と言えると思います。 この論は、いつか詳しく記事にしたいと思っています。 『時』の意味を重要視しなくなり、 数えるだけの機能に扁平化した西洋式カレンダーは、 まさに、自然のありのままから隔離した空間で生きる我々が、 こう云った智恵を失っている証拠物件になると思います。 智恵の代わりに知識を駆使して、 居心地のいい空間を実現するのが、現代科学、技術なのだ! 最新のテクノロジー、イノベーションに次ぐイノベーション、 便利な道具を作りだせば、 人間がしあわせになるとでも思っているようです。 『陽』とは、分化、枝分かれですから、 もっと、枝の先端へ行けば、人間は満たされると? 本気でそう、思っているのでしょうか? ほほっ。 余りにも人間を知らない無知、無知過ぎます。 知識を身に付ければ、ますます無知になるとは? これ、いかに? あはっは。 『陽』のあらゆる成果で、自然の脅威から我が身を守れると 信じる近代的自我にすれば、 こうも、言いたいはずです。 科学の進歩が人間を守ってくれるのよ。 自分の好きなしたい事の為には、自然も「時」も、関係ないわ! 時代のイノベーションを利用すればいいのだし、 お正月? それをどうするかは、私! 私がどうしたいのか? 決めるのは私の意識、心だわ! あはは。 本来なら、しっかりしているのね、とホメてあげたいけれど、、、 自由と平等を纏(まと)った近代的自我は、 自分の意識の中にどれだけの快適さがあるのかだけを見ている 単純さと狂った思い込みに当てられて、ホメる事すら、、、 ほほっ。 忘れてしまうのです。 要は、感傷(意識)が飛んでしまっているのです。 ------- 後で書く空亡時の現象の崩壊、に通じますね。 余りにも無意識から外れた意識は、意識である事もできなくなる、、、 枯れた意識とでも云うのでしょうか........。 近代的自我のペルソナをかぶった自我は、 自然の移り変わりより、 時の意味の移り変わる様よりも、 自分の移り変わる意識が、どう感じているのか? その一点だけに関心を置いている。 TDLが、顧客のありのままの客観性を消す為に、 鏡を置かないようにしている、共通するサインが観えて来ます。 我の欲が満たされる事だけに没頭したい意識に取れば、 自然も、それこそ『時』の意味なんて、煩わしいに違いありません。 自然も時も、都合で動かそうとしても、 自我ではどうにもならない物ばかりです。 自我が、従わざるを得ない客観的事物、本質なのです。 さあさあ、これで少し、分って来たかな? 自我の性分が! ほほほっ。 これを貫くのが、近代合理主義なのです。 ----- 自分の意識に貼り付く事は、 常に、環境に振り回される事だって、 ここが東洋思想の第一歩なのに、まだ、気が付かないようです。 ------ ひょっとしたら、アフリカへ住む時にはエアコンを完備して、 快適室温を保った涼しい部屋で過ごすつもりなのでしょうか? もっと、ひょっとして? 地球上の亜寒帯や亜熱帯は云うに及ばず、 全ての人類は、快適室温に設定した巨大エアコン付の都市空間の中で 生きるようになるのでしょうか? その快適さを保つ為に、どれだけのエネルギーがいるのか、 それを享受する為に、北極にも、南極にも海流発電所を作り、 一番効率が良いと云ってアフリカ中に、 安倍さんが原発をセールスに行って、 原子力発電所を林立させるのでしょうか? こわっ。 意識の満足を追求したら、地球はどうなってしまうの? 邪魔臭いものは、無視すればいいのですよね! ああは。 ああ、その邪魔臭いものを暦から排除したのが、カレンダーなのだ。 もっと、自然の『時』を意識しましょう。 この世の事は、 私たちの意識だけで、かたちつくるものではありません。 その事を、現代文明は忘れている。 それを、我々は、自分の意識でどうにかなるものだと錯覚している。 自分の意識を全開して目で見て、耳で聞いたものに頼ります。 他に頼るモノがないからです。 この五感を意識し、移ろう現象に囚われ過ぎて、 五感に入って来るものばかり、そればかり気にしているので、 この『時』や自然の存在自体を、意識しなくなっているのです。 すっかり忘れてしまっていますね。 こう云う群衆を騙すのは、簡単だと思います。 自分の廻りに心地いいものを求めているからです。 デザインされた・奇麗で美しい・もの。 それを並べたら、そこに行列を作る群衆です。 最後に、『時』の威力をお示しします。 昨年末に、都知事を辞任された猪瀬氏は、 自分が都知事に就任した一年後に、辞めるようになるとは 彼の意識は想像だにできなかったはずです。 彼のカレンダーは、オリンピックまでのスケジュールで 埋め尽くされていたはずです。 そのスケジュールを埋め尽くしたとしても、 彼は、未来の時を、支配していたとは言えないのです。 意識の認識できる限界は、そこまでなのです。 御気の毒なのですが、 彼の命式から分る事を、少し参考にしながら、 運命学の空亡と云う『時』の怖ろしさを書いてみましょう。 空亡とは、運命学の暦にある60干支表で、 自分の生まれ日の日干支の一番下に書かれてある干支の事です。 猪瀬氏の空亡年は、辰年、巳年でした。 ドンピシャ、この空亡辰年に都知事に就任。 前知事の石原氏から禅譲されて、理想的じゃないですか、 しかも、得票数も、大量でした。 好事魔多し、とも謂いますが、 滅びの前の空前のエネルギーの放出、 しかも空亡に気が付かないなんて、 自分が、そんな普通じゃない境遇に成れるなんて、 本来、警戒するべきなのですね。 でも、そんな、もったいない! って、 手を出してしまうのが普通、凡人ですよ。 個人差はありますが、 空亡年には、本人にとってウットリする様な目くるめく、 あはは。 まるで蜃気楼のような現実が出現します。 手に入りそうな状況が出て来るのですね。 ほほっ。 例えば、欲しかった家よりもっといい家が手に入りそうとか、 素敵な異性に出会って恋愛関係になれるとか、、、 あはは。 なにか、得な仕事に誘われて契約をするようになるとか、 いつも云うのですが、 空亡時は、飛び付いてはダメなのよ。 飛び付いた途端、 消えちゃうのね、、、、、、、 空亡時に手にした成果は、 まるでゼロに回帰する様に崩れると謂われています。 ゼロなら、まだマシかも知れません。 もう、回復不可能な位のダメージを遺してしまう。 一年前の都知事になったと云う現象など、瞬時に消えます。 都知事を辞任されたのも、翌年の空亡年、巳年でした。 すべてが、空亡の期間でケリが付き、 後には、大穴が空いてしまって、 特徴的なのは、余りにも見事にゼロになるモノですから、 感傷が残らないのです。 そう、狐やタヌキに騙されたような、、、 しかも、『天』のお裁きによって空亡時に、 それ以前の悪事が、必ず、ポロッと露見します。 これは、不思議です。 何年も盗みを働いていた人が、その人の空亡時にバレます。 『天』の欲望の清算が行われるのでしょう。 たしかに、『天』は見ているのです。 これが、 空亡時に、欲望の論理で生き得た現象の行く末です。 くれぐれも、空亡時には、 蜃気楼の様な夢を掴まないようにしてください。 無事に過ごそうと思うなら、 その時は、欲を慎んで捨てるように、、、。 得や益を、人に喜んで譲ってください。 徳を積むしか、その時の生き延び方は無いのではないかと思います。 そもそもが、12年の巡る『時』の中の2年の空亡の意味は、 10年間の欲の原理に生きた反省と、 それで手にした成果への感謝です。 それを知る事、その『時』に従う事、 10年間、放置していた『陰徳』に徹する時なのです。 ほっ。 『陰』も知らず、『冥』も知らず、『時』の違いも知らず、 『陽』の現象界で、欲望の原理に従って、 意識のキャパのまま、 平和だ、命の尊厳だ、男女共同参画社会だ、と 賢げな言葉を広めても、 それを拾って見て、感動して、声に出して泣いたとしても、 この世の中は、変りません。 それらは、冷たいようですが、 現象は、現象を起しますが、本質まで変らないでしょう。 五感、意識の感動では、本質は変わりません。 無意識まで動かす事はできないからです。 ただ、お金を移動させる? ほほっ。 (消費活動)の経済効果は、あるのでしょうね。 ほほっ。 今の近代合理主義の世界は、そう云う状態です。 お金の儲かる人が楽しい世界です。 だって、空前の人類開闢以来の地球資源が消費されている 物質文明の爛熟腐敗! おっとっと! あはは。 余裕がある人は、それらに浮かれるのもいいと思いますよ。 ほほっ。 『陽』は『偽』ですから、虚無は虚無です。 元(はじめ)から分っている事、 しかし、東洋はその奥です。 意識の虚無を踏み越えて、奥へ入らなければ分からない。 奥座敷。 ほっ。。 東洋の叡智に取っては、意識の虚無こそが当たり前。 東洋は、その気配を感じさせます。 しかしなのですが、 どれもこれもカッコウ付けたがりの権力に利用されたのです。 その慣れの果てが、残っている。 我々は、その残滓を眺めている人々です。 ほほっ。 これから、どうするかですが、 だから、なぜに、 ほほっ。 大学院や外国の留学経験がある頭の良い人がたくさんいるのに、 すべてが関連している現象だって、分からないのか? 以前書きました、老子の〝科”、 その〝科”にとどまる頭の良さでは、 これを救う全体智は、分らないのかも? この ”分からない ” と云う言葉自体が、 『陽』である枝が伸びて伸びてもうこれ以上枝分かれする事ができない と云う意味からできた言葉なのです。 とどのつまり、みんな、枝の先へ行ってしまうのですね。 ほほほっ。 偉くなりたいから、お金持ちになりたいから、 人の為になると云う夢を叶えたいから、 生れて来た生きがいを感じたいから、 人類の為と、どう聞いてもビッグマウス? あはは。 見栄を切った発言が、当たり前のように報道される、、、 あまり、枝の先へ登っちゃうと折れて落ちますわよ! ほっほっ。 正直な処、自分の運命に翻弄されて、 耐えて生きるだけで一生を送られる方も一杯います。 それでいいのだと思いますよ。 ヒトそれぞれでいいのです。 『陽』の現象界はビッグマウスさんへお任せして、、、 全体を見通す役割は、『陰』の役割なのですね。 やっぱり! これは、またいつか、脳の機能から説明しようと思います。 まとめます。 なぜ、現代は、社会で起こっている問題が、 すべて関連する事柄なのだと分からないのか? ――― それらを一つに束ねる『陰』を失っているからです。――― 『陰』は、無いのではないのです。 『陰』は、意識には「冥」、有るけれど見えないだけです。 だから、意識のキャパの中で泳いでいるだけでは駄目なのです。 現象に溢れた環境に、振り回されてオド・オド・踊らされているだけです。 あはは。 「顕」・・・・・『陽』の世界へ見える現象化 「冥」・・・・・『陰』に存在するが、『陽』の世界からは見えない。 しつこく繰り返しますと、 この世の人に例えますと、人が生れる事が「顕」。 いなかった人間が、この現象世界へ顕われるのですから、 生れたばかりのあなたは、間違いなく赤ん坊でした。 ほほっ。 それが、20年も立てば大人だし、70年も立てば老人です。 20才のあなたは? もういない、、、「冥」です。 人の死は、その人の「冥」です。 あの世を「冥界」とも謂いますね。 すべてこうして「冥」は「顕」になり、「顕」は「冥」になります。 「冥」は、 人間の意識・五感では見る事ができないと云う事ですね。 あなたの存在を、「顕」から「冥」へ変化させるのは、なに? あなたの意識などでは、ありませんよ! あはは。 あなたの欲でもありません! あなたを生から死へ運ぶのは、『時』です。 時が命を運ぶ ----------- 運命 ここが、近代合理主義下では、 意識に見えない、分らない死を無視したまま、 意識にとって、命を生から死へと運ぶ『時』そのものも「冥」ですから、 意識には、『時』の見えない部分は、 二元論下では無いのと同じなのです。 『時』の見えない部分を落としたまま、無いとした。 それで作ったカレンダーが壁にある。 とってもウザイって、感じています。 その『時』の残滓を、 意識のキャパである計測できる『時』だけを、 抜き出し、均一化、画一化して、 扁平に順序数としてカレンダー上に並べたのですね! つまり、Timeです。 「顕」= 計測できる『時』だけを、『時』全体から取り出して、 これが、『時』のすべてだ! とした。 つまり、『時』さえも、 無意識の中へ沈んで見えない部分を無いとしたのです! これを、一つのロジック(部分知)と知らずに、真理とした! 壮大なる意識の大間違い! これが、近代合理主義の誤謬の核心です。 「死」を捨て去った残りの「生」、 その「生」の主体を意識で割り切ろうとして、割り切った。 そこから、この誤謬から、すべての捩(ねじ)れが惹起しているのです。 その捩れを、 近代合理主義下の「時」の醜さを、真理を隠す邪悪さを、 壁に掛けてあるカレンダーを見るたびに、 私の無意識が、ほら! ほら! っと気づかせるので、 ウザイ! ってなってしまうのですよ。 ほっ。。 ブログをずっとお読みなってくださって、 運命学の独習書を学んでいただいている読者の方たちには、 ちょっとでも共感をしていただけるかな? あなたの運命は、『時』の中に沈められている、、、、、、 この事を気が付いて、それを読み取って、 少しは意識の参考になさってくださればと願っています。 今年も、現代の巷には無いとされている『陰』について、 小難しい記事を、果てしなく、、、 あはは。 書いていくつもりでおります。 どうか、よろしくお願い致します! 昨年、お約束している老子の『和光同塵』の後半の記事は、 次回、アップする予定でおります。 では、次の更新まで、よい毎日を! あなた独自の貴重な時を抱きしめて! お過ごしになってください。 あなたが、あなたの時を大事にする事が、 あなたが、自分の運命を受け入れた事になるからです。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |