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05/31 21:46 |
コメントへのお返事 22. 近代家族 M家の場合 *離婚 *女の徳性Category : 陰と陽〈女性の生き方〉
涸沢の夜明け・モルゲンロート(奥穂高岳・涸沢岳に朝日が当たる) 昨年 10月 2日 早朝5時57分 ![]() 写真をクリックしてみてください。 涸沢は、素晴らしい自然の聖域と云ってもいい所です。 奥穂高岳・涸沢岳に朝日が当たるのをモルゲンロートといいます。 涸沢全体は、この穂高連峰の影になって朝日は当たりません。 ちょうどこの奥穂高岳・涸沢岳の穂高連峰の向う側が上高地です。 上高地の大正池から見える北アルプスを後ろ姿としたら、 涸沢から見えるこれらの穂高連峰が、表の顔です。 山小屋での相部屋2泊目も眠れぬまま、あさ4時起床。 ストーブは、昨夜の9時の消灯と共に消されています。 手が凍えそうな水で洗面、まっ暗な外へ朝食の為に出る。 冷気の中、ヘッドライトを手に石段を照らしながら食堂へ下りて行く。 ホワ~っと朝餉の湯気が立ち込める温かな食堂では、 大勢の登山者がテーブルの空席を待っている光景が目に入って来ます。 待つ事しばし、、、午前4時30分、100人近い登山者と共に朝食。 朝餉を済ました後に仰いだ空には、 晴れを予感させるような空気の明るさがありました。 しばらくすると、すっかり夜が明けて、 まぶしい朝日のモルゲンロートが! 【上の写真】 昨日の到着時の天気は薄暗い曇りで、損をしたようで残念でしたが、 この日の涸沢は、良い1日になりそうでした! 今日の記事は、 コメントへのお返事 22. 近代家族 M家の場合 *女の徳性 今日、ご紹介するコメントは、昨年の11月頃に、 ある一人の読者から寄せられましたメールや拍手コメント、鍵コメントです。 その方をM家の奥様、Mさんと呼ばせていただきますね。 コメントをいただいてから、もうすでに6ヶ月が経過をしています。 Mさんが、御主人との離婚を、 心から望まなかったにせよ、あるいは、望んだにせよ、 コメントの中で係争中だとお書きになっている離婚裁判は、 もうすでに、その結果が出てしまっている頃でしょう。 もうすっかり、新たな生活の中で頑張っている、、、、、 そう想像をしながら御返事をさせていただきます。 私がMさんへのお返事を慌てなかったのは、 賢明なMさんが、私のブログに出逢って運命学を勉強されたとの事、 その事で、意識では捉えられなかった世界の存在を知る事で、 それなりの感慨をお持ちになっているようなのを、安堵したからです。 私が携わる東洋運命学と云うものは、 それだけでも東洋3,4000年の歴史を持つ東洋学の結晶ですが、 奥の深い東洋思想を学ぶ入り口としても、非情に役に立つものです。 ここで、はっきり申し上げておかなければならない事なのですが、 東洋思想と云っても、その中には捨て去るべきものが多くあります。 しかし、運命学は、いつまでも残しておきたい東洋の叡智ですね。 遠くは天文学、暦の為であった五行陰陽学、十二支の組み合わせの 仮借形容詞で、構成されているものです。 初心者の方でも、正確な鑑定力が伴わなくても、 学び始めれば、近代合理主義下では意識する事すらない 無意識界・意識できない世界がある事を まず、我々に示唆してくれます。 その事が、合理主義からはうさんくさいと! あはは。 云われる所以なのですが、 そここそが、東洋学の入り口ともなるものなのです。 そして、それは、身の回りで起こる些細な事柄までを 現象として観る視点を与えます。 そして、その奥に、 無意識界のエネルギーを読み解こうとするものです。 実は、まだ、これは、無意識界の中の浅いレベルに過ぎないのですが、 それでも、我々に、 その深遠さをうかがわさせる慄(おのの)きを与えるものです。 あるいは、日常において、 意識ではどうにもならない環境の変化に対応する時に、 とかく右往左往してしまいそうになる意識中心の自己自身に それなりの落ち着きをもたらしてくれます。 例えば、 離婚と云う悲しい出来事に泣いている自己の意識の奥に、 相手の夫と、悲しむ自分と云う2人の登場人物を凝視する -------- ------------- もう一人の自己を自覚する事へ進んでいきます。 ------------- それが、さらに、無意識界を基点にして、 現象界すべてを観つめる自己の誕生に、つながって行きます。 運命学は、無意識の世界を身近に自覚をさせてくれます。 運命学は近代合理主義の対極の存在だと言えるでしょう。 このブログを日本語以外でお読みいただいている読者へ、 まず、日本における東洋学が、今がどう云う状況かと言いますと、 東洋思想を含む東洋的言葉は、 未だ現代の日本で発行されている辞書には載っています。 が、 ですよ! 『時』に淘汰される意識の無常の世界には、 もともとその実体はありませんでした。 東洋が目指す無意識界の世界にしか、その実体はないものでした。 その事を、近代化以前の日本人は、文化の中で知っていました。 そうそう、口に昇らせる言葉ではないと。 それは含蓄があるからです。 日本人は本音を言わないのではないのですよ。 真実こそは、言葉にできない。 言葉にしたら、それは、もう、そこで嘘になる。 言葉にできない世界の存在を知っていたのです。 しかし、今の日本における、近代合理空間はどうでしょう? 今の近代合理主義は、それを、うさん臭いと退けたまま、 辞書にかろうじて載っている東洋の言葉群の内実は、 日本人の心の中(意識)から、消えかかっています。 しかし、言葉とは勝手なものです。 無意識界を否定しておきながら、 我、知ったり、、、と、 近代合理主義の言葉で東洋を述べる人は多いのです。 我、賢し、、、と、 思う人は、堂々と無意識を否定した意識の言葉で、 神とは云々、、、 (意識の言葉で説明できるものではないでしょう?) 仏とは、、、である。 と説明本も出ております。 そう、本、 ほほっ。 仏を本の上で近代合理主義の言葉で説明をするとは? はてさて、 仏を説明できる方とは? 仏よりも、偉い人に違いありませんわ! (まったくもって近代合理の意識は、この調子です。) こ~の、お調子者! あはは。 西洋の観念的言葉が、東洋の言葉の実体モドキを語る。 実体から浮き上がった知識として語る。。。 二元論の観念の中、天国を最上の目的とする観念の中へ、 宇宙大の東洋的言葉を砕いて引き入れようとしています。 近代化から147年、 実に気持ちの悪い行状が、繰り広げられています。 近代合理主義の思想圏に、東洋思想の言葉の実体は無いのです。 モドキなんて! 騙されて、この詐偽空間で一生を終わりたくないものですね。 この気持ち悪き世の中で、 東洋の言葉の内実を透かし観る事ができるもの、 それを確認し、我々の生き方で確証できるもの ------ それが、東洋的運命学ではないかと、自負しております。 しかし、今を生きる近代合理主義の内実の無い荒波の中では、 結婚の破たんにおいて、広く一般的に我々の取れるべき方策は、 やはり、やっぱり、あくまでも意識の範疇です。 つまり、それは、 主観、五感の及ぶ範囲に限られると云う事になります。 一般的には、民法に従ってケリをつける、それが、離婚裁判です。 しかし、この近代法の秩序に従って離婚をしたからと云って 裁判の判決を受け入れるにした処で、 我々が従う近代法に、人の運命を救い、変える力はありません。 それで、全て過去が、チャラになる訳でもありませんのよ。 それは、あたりまえですね。 無意識界の存在を認めない近代的自我意識が作った法律で、 人間の全存在を掬い取れる力があろうはずがないからです。 哀しいかな、 いわゆる近代合理主義下の近代国家の定める近代法は、 便法にしか過ぎません。 便法とは、ノウハウです。 根本的に人間を救ったり、しあわせにする法ではありませんね。 いわゆる民法による離婚判決は、 民法による婚姻関係を、民法で解く処置、方法であり、 人の意識が作り上げた民法下の<婚を解く>処置です。 方法論の範疇です。 故に便法です。 しかし、人は方法論では、しあわせにはなれません。 具体的に云えば、人は権利や義務でしあわせにはなれないのです。 そして、文字上の自由や平等論でもしあわせになれません。 それゆえに、離婚を求めた夫の側の要求通り、離婚が確定しても、 人生で、夫が勝利した事にはなりません。 人間が、自分の意識で思い通りにする ------- それが天国と云う処らしいのですが、 あはは。 それがしあわせなのか? 甚だ疑問でございます。 Mさんのご夫婦は、医院の開業を成功させると言う 望みをかなえてから不幸が始まったのです。 ですから、Mさんの夫が、離婚と云う思いを叶えたとしても、 それは、決して幸せな因を作った事にはならない。 更に自分勝手な行状を無意識界に積み上げただけなのです。 『陽』の現象界の本質は、見える姿にはありません。 だから、Mさんも、仮に望まない離婚をやむなくされたとして、 その事が、Mさんの不運を証明する事ではありませんよ。 貴女が、最後まで、あるいは、これからも、 女の徳を守る事を貫くのであれば、貴女の勝ちです。 女の徳については、本論で詳しく触れます。 Mさんは、ご自分で命式を、お立てになってみたようです。 それで、よく、お分かりになられたようです。 なるほど、 Mさんからの御相談の真の中身は、 離婚を通して観えた家系の運命そのものについてでした。 そしてこれからのご自分の生き方が、運命学的にどうあればいいのか? 深く無意識を覗き込んでおられます。 よくぞ、そこまで、このブログをお読みいただけたと感謝申し上げます。 Mさんのように、離婚を契機として、 ご自分の家系を覗き見ると云うような行動はめずらしいですね! 女性は、感情的になって夫を恨むとか、損な事をするものです。 それは、こういう事です。 近代合理主義下における一般的な個人の行動、意識においては、 喜怒哀楽に振り回される自分が、意識の表層的な自己です。 この自己は、怒哀よりも、喜楽を、望みます。 これが、一般的な人間の欲望、行動、でしょうね。 自然、この表層的な自己を追いかければ、 人間の心理としては、怒哀を避け、喜楽を求めると云う 短絡的な行動をする人間が増え続けて行く事になるでしょう。 便法が定めた、個人的人権に基づいた権利と義務、 自由だ平等だと法を盾に、 自己主張に転じるのが普通です。 そして、便法内の権利と自由と平等を手に入れて、 どうなると言うのですか、、、、、、 ほほっ。 運命とはそんな低次元の事柄ではないのです! ほっ。 もう、読者の方には、 便法上の権利を認めてもらったからしあわになれるなんて、 運命学が、そんな浅い次元の事柄を扱っていない事だけは、 お分かりになりますね? 我々は、権利を手にして、自分の役割を捨て去るのです。 あはは。 女と言う役割、 男と言う役割、などなど、、、 それこそが、画一的な人間の創出です。 ほほっ。 自己の全存在の役割の自覚を捨てた、、、 画一的な人間です。 近代合理主義が排出する人間は、もうこればかりですわ。 ほほっ。 東洋運命学においてはどうなっているのかと言いますと、 一人ひとりの命式を鑑定させていただいていますと、 その中には、実にさまざまな人がいるものだと驚かされます。 ----------- 分かりやすい単純な例を挙げますと、 喜楽を求めずとも、満たされる人の運、 喜楽を他者の為に与え続ける人の運、 喜楽を求めても、手に入れる事はない人の運、 怒哀ばかりの人も、「時」によって喜楽が恵まれる運、 さまざまです。 それを、 画一的な近代合理主義の採点方法で、 点数を付ける事はできません。 少し、むずかしいですね! 運命学では、 自分の意識に映ったモノを、 あるいは、刺激を受けたモノを、 五感の感受性の範囲に終らせません。 ただ、喜怒哀楽で表現するだけに終わらずに、 自分の命式を観ると云う作業をします。 それは、だれでも最初は、<主観的>です。 それでいいのです。 分からないながら、自己の運命を表す仮借形容詞である命式中の 東洋の暦の文字の意味を考えたり、凝視します。 ------ どうなるのか ---------------- もう一人の自己が生れます。 <主観>を仮借形容詞の意味に転化をして行く。 ここで、<主観的>自己と、 仮借形容詞の文字が持つ意味の間を ウロウロする自己が自覚されるはずです。 ほっ。 中途半端な自己の<主観>が残っていますと、 自己の運命が、観えて来ないのです。 ほほっ。 どこかで、<主観的>自己を切り捨てるようになります。 運命学を学ぶ一番の効用は、ここです。 ついには、命式のメッセージを素直に受け取る自己になれます。 これが、一番重要な事です。 自己のスタート台を知る事、そこが始点なのですから、、、 この積み重ねは、 他者の歩み寄りを受けずに、自らが真実へ歩み寄って行く謙虚さ、 自惚れを捨て、謙虚に生きる自覚が生れます。 それを自覚する事から、自己の自律性を得るでしょう。 他者や自己の喜怒哀楽に影響をされない真実の自律性を 得る事が最重要です。 ゆくゆくは、現象界すべてを公平に、できれば公正に、 観る事ができる自己の誕生につながって行きます。 この結果は、 怒哀を避け、喜楽を求めると云う行動だけではない人間の誕生です。 足元の怒哀を、進んで受け入れられるようになります。 ここが、私が運命学へ期待をする大いなる点なのですが、 それは、運命学が 意識では掴む事ができない無意識界を相手にしているからに他なりません。 無意識界は、絶対に譲歩をしてくれませんから、 無意識界は、真実だけを突き付けて来ます。 あなたを導くものは、あなたの意識ではない、あなたの無意識なのです。 ◆ これが、近代合理主義下で巧く隠蔽された自己なのです。 隠蔽? そう、近代合理主義は、隠蔽が本質です。 ----------- 真実の隠蔽です。 科学が出して来るモノは、真実ではありません。 意識が切り取って来た切片(せっぺん)にしか過ぎない。 ------ 切片をいくら寄せ集めても、真理にはなりません。 やればやるだけ全体を隠蔽するだけです。 事実、近代化以降の学校教育では、あなたの無意識を、 これを教える学科はありません。 近代化以降の教育内容は、 専門教育と云う目で見える世界(物質世界)をどうするか? どう支配するかと云うノウハウばかりです。 その後ろに何があるのか? 前の記事で書きました第6天の魔王です! このことを、よ~くお考えになってください。 つい先日、これからの教育カリキュラムを、産業界が決める、 と云う報道がありました。 要は、キレイに言えば、国益の為、経済の為、 産業界で必要とされる事を、教育する、と云う事です。 さもありなん! まさに、経済が、これらかの国を作って行くらしい、、、 この奥に、 第6天の魔王の存在を観じられるセンスと云うのは、 東洋の叡智を学んで行く為に役立つ重要なファクターです。 さ、そろそろ前書きをまとめましょう。 ほほっ。 運命学で啓かされる、もう一つの自己。 意識だけでは儘にならない現象世界の奥、 これを意識するか、、、 しないか、、、 知から、智への転換、 このラインが、西洋文明からの脱却なのです。 天界のもろさ、危うさを知った人間、Mさんです。 こう云う人は、欲望には支配されにくくなるでしょう。 今回の離婚は、いい機会です。 天界の喜びのはかなさを知る事から、智恵の門へ、 どうか、無意識の領域へ入って行っていただきたいと思います。 では、本論へ Mさんからいただきましたコメント、メールは、複数回分ありました。 今回、記事にさせていただく為に、 一つにまとめ、構成編集を致しましたので御了承ください。 〝 寂光様いつも興味深く読ませていただいております。 ブログの記事を少しずつ読ませていただいておりますが、 今回は、絶家の家族関係を読ませていただきました。 私は、現在、夫に不倫されているのですが、まだ離婚はしておりません。 夫から離婚と財産分与を求めて裁判を起こされています。 今は、夫から生活費として婚姻費用をもらっていますが、 裁判は、今高裁です。 夫は、私と離婚して愛人と結婚すると裁判でも主張しています。 どちらにしても、今の裁判所は積極的破綻主義なので、 別居が長引けば、離婚判決による強制離婚は時間の問題だと 言われています。 夫と私は国立大学の医学部1年の時、 同級生で知り合い、ずっと同棲していました。 妊娠に備え、私は自由の利く大学院に入学していました。 私はすぐに妊娠・出産しました。 お互いに専門医をとってから、出産のタイミングで入籍しました。 妊娠してから、夫と姑に退学を強要されましたが、 仕事は、してもやめてもどっちでもいい、という約束で結婚していました。 夫の両親は結婚相手として専業主婦が希望だったようです。 最低限の仕事を条件に復学を許されました。 その後、夫の診療所の開業の手伝いをしました。 開業は大成功しました。 数年後に年収は夫婦で億を超えました。 収入が増える直前に 夫が短期間勤めてすぐに退職した従業員と不倫を始めました。 それは、私が2人目の赤ちゃんを妊娠中のことです。 夫が、息子を連れて不倫をしていたので、 息子が反抗挑戦性障害、という不良のようになってしまったのです。 息子が不倫に同伴させられたのは4歳のころから7歳までの頃です。 息子が7歳・小学1年生の終わりに私が子供を連れて、 夫の外出中に夜逃げし、転校・別居しました。 別居後、第2子の娘は場面緘黙症になりました。 (二人とも今も児童精神科医に遊戯療法を受けています。) 今後は私も開業してフルタイムで勤務するつもりです。 うちの実家の墓は、家族で毎年お参りに行きますが、 夫は3人兄弟。 姉と妹がいる中間子です。 夫だけは父親から特別扱いで高額費用のかかる塾などにも 通っていたようです。 夫の実家は、家庭も崩壊していて、 ■ 夫の母は離縁されて、 ここの の処ですが、 この記事をアップした(5月31日)の3日後、6月3日に、 記事をお読みになったMさんご本人からメールがございまして、 この部分を次の様に言って来られました。 夫の母(義母)は、離婚はしていないのです。 夫の父(義父)はDVで経済的dvも行っていました。 義父は、妻から離婚を切り出された時には、 長男(夫)の大学の学費・仕送りを止めたりしていました。 結局、子供達が片ついてから、義母が家を出て、別居中なのです。 夫婦は完全に破たんしていますが、離婚はしていないのです。 ( 以下、この変更に従って記事中に変更した箇所があります。 ★印 ) ■ 夫の祖父の位牌は、何処にも祀られていないのかもしれません。 夫の父は長男ではなかったこともあり、財産も継がなかったようですが、 ■ 家は、勝手に売却してお金は独り占め、 ■ 墓を建てたりもしていないので、何もないのです。 ■ 夫の父親はDVで妻を殴ったりしていたそうです。 ■ 経済的DVもひどく、冬は灯油を買うお金もなくて、 妻子は寒さに震えていたりしたようです。 このことを私が知ったのは第二子妊娠中で、 夫の母が、夫にあてた手紙を見つけたからです。 夫の母方の祖父は、空襲で亡くなり、 祖母と母親は創◯学会の信仰はしているようです。 私自身、罰当たりといわれそうですが・・・ 墓参りがなぜ重要なのか、理解できずにいます。 運命学のブログを読んで、 不倫の原因も少しわかったような気もします。 夫の事業が成功しすぎて、 陰徳が消えた、陽の極みになってしまった、という気がします。 私と別居してからは、家業も落ち気味です。 自分で、運命学の命式を作ってみました。 私と夫の命式は強く、愛人のものは弱かったです。 愛人に運を吸い取られているように感じました。 夫と私と愛人の命式などからみて考えますと、 夫と私の運は非常に強く、 絶家になる運勢だったのではないでしょうか。 本来絶家になるはずが、 私が自分の仕事を断念し、 1男1女に恵まれてしまったのでしょうか? 夫は無意識に絶家を求めて、 女の連れ子を連れた、運の弱い女性と不倫した ということなのでしょうか? ということは、 夫の絶家の希望を立てるべき、ということなんでしょうか・・・ 私は娘と息子を連れて家を出ましたが、 夫の家の墓守を誘拐した、ということなんですね。 夫と子供達は、婚家を守って行かなければならない役割なのですね。” 以上が、複数回いただきましたコメントやメールを まとめた内容になります。 文脈は、分かりやすいように変えてあります。 Mさんとご家族の誕生日は書かれてなかった為、 あいにく命式は立てられませんでした。 離婚については、 何時か記事にしようとは思っていましたが、 これは、結構大きなテーマなのです。 今日は、女性の徳性の面から書いてみましょう。 また離婚と云う言葉についての私見ですが、 厳密には、結ぶの反対語は、解く、のはず。 結ぶ ⇔ 解く 結婚(婚を結ぶ)の反対は、解婚・かいこん(婚を解く)が 正しいはずですが、 どうして、離婚と言うのか? 婚姻関係を離れるとは? ほっ。 いろいろ考えてしまいます、、、、、 ほほっ。 とりあえず、離婚で進めましょう。 運命学的に云いますと、離婚自体は、 『陽』の現象界の事象にしか過ぎません。 その根は、無意識界にあります。 今日は、その点は省きます。 そして、離婚は、命の継承の観点から言いますと、 しない方がいいに決まっております。 絶対にするなと申し上げる訳ではありませんのよ。 せざるを得ない状況下と云うものも、確かにあります。 しかし、離婚と云う事は、家族、家庭、 人間として生まれてきた主目的の命の継承の場を破壊する事です。 そのあらゆる行状が家系共通の無意識界に残ります。 それが、家系の川下で繰り返される因を作る事ですから、 子々孫々に継承される事を考えれば、しない方がいい。 慎重にする必要があると云う事です。 そもそも、人生の不如意の原因は、大きく分けて、 ① ひとつは、先祖家系から来るものが大半です。 その根は、気が付かない間に深く張り巡らされています。 この『陽』に顕われている現象を、それで説明できる位のものです。 我々は財産も相続致しますが、先祖の運命を、 生きている我々が、分担をしてすべてを引き継ぐのです。 それが、誰に出るのか? ここが問題です。 ② そして、二つ目が、時代や思想、社会的環境から来る影響です。 この影響は、意識の癖によって違ってきますから、 命式が良ければ、本人の修養によって躱(かわ)す事ができます。 具体的には、このブログで毎回糾弾をしている近代合理主義です。 この思想の影響で、絶家になる家系が増えて来ています。 Mさんの場合も、それは顕著ですね。 まず、はっきり直ぐに分るのは、 離婚の連鎖です。 御主人の家系は、夫の父(義父)が祖母を離縁した、、、、 夫が妻を離別する家系とお見受けいたしました。 ★ ここの の部分ですが、 上記でおしらせしたように6月3日にいただいたメール内容から 次の様に、書き改めますのでご了承くださいね! 夫婦関係の破綻の連鎖です。 御主人の家系は、義父のDVや経済的dv で夫婦関係が破たんをし、 その結果、義母が家を出たまま離婚はしていないけれど別居中である、、、、、 夫婦生活、家庭生活の崩壊する家系とお見受けいたしました。 先祖の生き方自体が、そう問題がないと思われるような、 その社会の規範で受け入れられる常識的な離婚再婚でさえも、 そうした先祖がいれば、それは幾代にも亘って繰り返されます。 社会規範から逸脱した男女関係の乱脈は、 これは、Mさんの夫の不倫などですが、 これまた、この後に続く子孫へ悲惨な生き姿として顕われて来ます。 ゆえに、Mさんが、ご自分は何の咎はないはずなのに、 不倫をしている夫から逃れる為に家を出た。 そして、不倫をしている夫側からの離婚の申し出、裁判、、、 この事は、 夫婦関係における『仁』『義』『礼』の無視から『信』の喪失に至った、、、 夫婦関係、家庭生活の破壊 ------ この運の再現ですね。 つまり、『陰』の創造性の場を失うのです。 一度、先祖が犯した過ちは子孫に、必ず再現されます。 それと同時に、先祖が培った陰徳も、必ず継承されます。 運命は、連鎖をして、代々の子孫に繰り返し出て来ます。 それぞれのご家庭で、どう云う運が家系の川上から流れているのか? 調べる必要があります。 これらの背景には、家族道徳の崩壊が先行をしているものです。 コメントの中では、■ 印の処。 絶家の原因になるのは、以前、五徳の消失だと書きました。 家族の間に、仁、義、礼、智、信が、失われて行く訳ですが、 その基本は、夫婦の関係性から出発をします。 一言で云うと、仲がいい事、これが一番大事ですよ。 ほっ。 う~ん、それだけでもダメなのね。 あはは。 そこは、中庸。 現在と、過去と、未来のバランスも大事です。 ・ 現在の我のみの「楽」を求めていなかったか? ・ 過去の家系の人々にも、感謝を届けていたのか? ・ 未来の子供達の為に我が犠牲になる事を厭わなかったか? 要は、家庭道徳を壊すほどの何があったのか? 夫からの夫婦別れをしなければならなくなる、、、 こうなる過程において、 いつのまにか、家庭道徳と云うようなものが、 生きている人間を中心に、なって来てはいないか? 目先の損得を中心にして行くのが当たり前になって来てはいないか? これが、今の近代合理主義の世の中に染まって行くと云う事です。 そして、家庭の中まで、経済優先! にならざるを得ないのです。 そして、マスコミの流す情報に乗せられて、 快適な生活をしないとしあわせになれないと、 買いものばかりに走り回り、 ほほっ。 今、在る自己の命がどこから来たのか? 後を振り返る事を忘れています。 両親やご先祖に感謝する事は忘れて、 「楽」を与えてくれる科学文明を、礼讃、信奉をしている我々なのです。 先祖と云う、自分の命の出処を無視をする ----- 過去の切り捨てです。 ---------------------------------- 未来の切り捨てはいくらでもあります。 日本の借金 1000兆円、 これは、今の我の「楽」の為の借金です。 いつか、国民へ徳政令を出すしかない状況です。 もっと、あります! ほほほっ。 例えば、消費税、8%に上がりましたが、来年は10%とか、 こんなものでは毎年3~4兆円増え続ける社会保障費は調達できません。 社会保障費を、消費税で調達しようとすれば、税率 30%以上が必要です。 そんな事を、きちんと聞いて我々は、納得をしたのだろうか? のほほ~んと、 美味しい物が目の前にあれば忘れてしまう呑気さよ。 ほほっ。 消費税を、10%で、年金の開始年齢を送らせて間に合わせようとすれば、 全員が、75歳以上になるまで働いて、開始を待つしかないのです。 全員が75歳まで、働き続けられると思いますか? これからの若い人は、哀れ!です。 なんともはや、申し上げる言葉がないくらい、、、、、、 そんな事を、きちんと聞いて我々は、納得をしたのだろうか. . . 。。。。 これは、いつも繰り返し書く事ですが、 今から生れて来るだろう、我々の子孫たちを想えば本当に心が痛みます。 実に恐ろしい事は、 働きながら支払う年金の保険料と、受け取るであろう年金額の差額です。 なんと! これは、 今の老人最優先なのですね! 老人の為の、老人による、老人が決めて来た年金制度なのです。 1940年生まれの、現在74才の人にとれば、 自分が支払った保険料より受け取る年金が、5000万円多いのです。 しかし、2010年生まれの、今4歳の幼児は、 自分が支払う予定の保険料より受け取る年金が、3500万円少ないのです。 この事を、学習院大学の鈴木亘教授は、(社会保障論が専門) 「財政的幼児虐待」と言っています。 いいえ! 虐待どころではありませんわ! 完全なる奴隷化です。 年金受給者である65才以上の人たちは、 自分達にとっての年金制度を守る為に選挙には必ず投票に行きます。 政府与党は、この大勢の支持者を無視をする年金制度改革はしません。 だって、投票率の高い支持層を手放したくないからです。 いつも思います。 4才の幼児にも選挙権を与えてあげてほしい、と。 4才の我が子の代わりに、両親が投票をすればいいのです。 我々は自らの命の出処を忘れて無視をし、 自らの使命である命の継承者を、自己の為の奴隷にしているのです。 この罪は、深い。 これで、どこに日本の未来があるのか? たしかに、大人はずるいのです。 近代合理主義の社会は、意識のテリトリに縛られていますから、 意識が意識できるのは現在の五感の領域に限られます。 この五感の満足に固定する限り、 老人や政治家には、現在しか解りません。 これが、必然的に、 まだ生れぬ子供を、若者を、未来を潰していきます。 現に、今がそう云う風潮が蔓延した世の中になりつつあります。 よ~く、お考えになってくださいね。 ほほっ。 実は、『孝』において、過去は未来なのです。 ??? ほほっ。 『孝』について簡単に書いてみましょう。 我々は、『陽』の現象から生れたのではありません。 科学から生まれたのではありません。 木 → 火 → 土 → 金 → 水 の五行が齎(もたら)すエネルギーで、 男と女と云う『陰』と『陽』の合一、父と母から生まれたのです。 この命の中庸を外しては、命は生れる事はできないのですよ、、、 我々が生まれ出た事がどんなに不思議な事か! かけがえのない『陰』から『陽』への現象化であるのか! あなたを生みだしたこの宇宙の壮大なる慈悲に、 深く感謝を捧げなければいけない事なのですよ。 これが、『孝』です。 だから、個々の状況について、 私の母親は、どんな女だった、、、 父親は、ああ云う男だった、、、関係ないのです。 親の批判はしてはいけませんよ。 どう云う親であれ、親は親です。 その親の存在を通してしか自分は生れる事ができなかった。 でも、親らしい親とは思えない? そう云う親にしか出逢えなかったのは、 親のせいではありません。 『天』のせいでもありません。 あなたのまったく個人的な運です。 その運の因は、あなたの無意識にあります。 どう云う親であろうと、それをそう認識する主体は、あなた、 あなたの五感ですから。 あなたの五感が、そう捉えるのなら、 命式はあなた固有のものですから、自己責任です。 つまり、不足を言う側に、その原因があります。 これは、親子の間、 夫婦の間、 他人との関係でも同様です。 あなた自身の親運、子供運、配偶者運、社会運のなさ、弱さ、 不徳の致すと処だと受け止めるしかない、、、 ほっ。 これで、全てが解決しますね! あはは。 運命学では、事実をどう捉える癖のある意識であるのか、 その為に命式を作り観ます。 どう捉える意識であるのかと云う事が、そのまま運命です。 真に自律するとは、こう云う事ですね。 『天』は、我々を真に自律させたがっているのです。 そうでないと、『天』『人』『地』の三才の徳を享ける 『天地』にふさわしい『人』にはなれないのです。 とにかく、そこからがスタートなのです。 無意識からのあなたへの送り状です。メッセージなのです。 自分のスタートが気に入らないと今さら言った処で、--------- --------- これを愚痴と謂います。 いくら愚痴を言っても、もう、取り返しはできません。 ならば、どんな親でも喜んで引き受けて行こうとする事が、 こう受け止められる事が、『孝』です。 『天』に対する『孝』と云う謙虚な姿勢が、賢明になります。 ------------------------------------------------------- それに反して謙虚に成れないのが、近代的自我。 キリスト教由来の近代合理主義における近代法の精神は、 人間の“我尊し”とする自尊の意識を極端に引き出します。 個々の自己の意識より尊い存在は他には無いと云う、 (ある意味、神よりも尊いのです。) それはそうです。 神の束縛を振り切って自由になろうとした精神が脈打っています。 裏返せば、人間の意識はどんな存在からも自由で、平等であると、 人間の意識を神殿へ祀り上げた思想ですから、 我の意識が、正しい。 我は我の感じる処によって、一人尊し。 こう云う近代的自我が、横溢する思想が近代的合理主義です。 この意識があなたの周りのすべてを破壊します。 我々は大変です。 自由だ平等だ、自分には権利がある、相手には義務がある、 あはは。 それだけ幸せから遠くなるのですよ。 これが、先に挙げた、人生の不如意の原因② です。 時代や思想、社会的環境から来る影響です。 ◆ 女性としての特質 それに関連をして、特に大きな原因は、 女性としての『陰』の素養に無知であった事でしょう。 まず、Mさんは、時代に合った有能な女性とはお見受け致します。 が、その価値観を否定するような言い方になるやも知れませんが、 次の点は、はっきり申しあげなければなりません。 ・ 時代は、個人主義、個人の人権思想が社会の底流にあって、 男女平等観に守られているようですが、 人間の生き方にとって、これらは決して良くは作用をしません。 その価値観自体が、自然の中には存在しない概念だからです。 ・ 自由な職業選択、これも、必ずしも幸せを決定づけるものではない。 ・ 頭の良さ、知識を身に付ける事も、しあわせの必要条件ではない。 こう云った事を実現しようと企てる強い女性は幸せになりにくい、 と申し上げておきましょう。 でも、個人が、結婚もせずに一生独身で、 自分だけの幸せを考えると、上の3点で自分を守る事は可能です。 しかし、それでは、 配偶者も子供も、居ないのが前提になりますね。 女性の本来の役割から云うと、結婚もし子供も生んで、 しあわせな一生を送りたいのであれば、 自然は、『陰』と云う役割を果たす事を求めています。 ここなのですね! 男女は等質ではなく、平等でもありませんのよ。 社会制度としたら、そうあるべき事と、 分けて考えなければいけません。 ・ 無意識の力に恵まれていると云う点において、 女の方が上位であります。 ・ また、逆に意識の力において上位なのが、男の方です。 男が真に人間足らんとするなら、女の智恵が必要であり、 女が真に女足らんとするには、男の力が必要なのです。 『天』は、女の愚かさを抑える力と能力を男に与えています。 『天』は、男の愚かさを見抜く知恵と能力を女に与えています。 近代合理主義の画一性に染まった挙句に、 男女お互いが、等質平等な人間である、と云う事こそが、 不幸の始まりなのですよ。 邪念に囚われていると申し上げていいと思います。 大学教育までの学問は幾ら学んだ処で、 人間としての自己を鍛錬できるものではありません。 学歴と人間としての価値は、必ずしも一致してはおりません。 近代合理主義は、ここを無視していますから、 学校でも社会の中でも、この肝心が教えてもらえなくなっています。 ◆ さあ、いよいよ 女性特有の能力について、 女性だけが持っている能力についてですが、 女は、自分の幸せを守る為に鋭い勘が働くのですよ。 それを、いのちを守る絶対観と言います。 特に、夫が浮気をしようとしている時などに発揮をする。 あはは。 夫が浮気をすると云う状況は、 女性にとれば、自分と我が子の命を守ってくれる力を失う危機、 そう云う前提があるからですが、、、 2009年 7月 4日の記事を是非、お読みになってください。 陰陽学 その3/5 我々は、今、意識に偏重した思潮の時代に生きています。 妻が寝入り端に、夢を見ます。 ラブホテルへ向かって行く夫の車を付けて行く夢です。 驚いて起き上って直ぐ様、そのラブホへ行ってしまった女性のお話です。 ある意味、男性にしたら、背筋が凍る女性の能力ですよ。 ほほっ。 この続きは、上の記事のタイトルをクリックしてお読みください。 この女性のいのちを守る絶対観が、 その危機だと無意識が悟った時にフル回転致します。 子供を守る時にも、女性のこの能力は役に立ってくれます。 他の場面で活躍する例としては、 これは不動産の営業をする人から聞いた話ですが、 家の下見に来て、何千万円もする住宅の契約をする時に、 当然ですが、夫の方は心配そうな顔をするそうです。 それを、決断させるのは妻側、 圧倒的に、気持ひとつで即断をする。 新居の営業は、夫側へではなく、 その奥様へする方が効果的だと伺った事があります。 これも、さもありなん! あはは。 女性はお金の計算より、ロジックより、 自分の本能で臭いをかぐ、と云う能力が強いのだと思います。 Mさんも、 夫の浮気の初動の時に、この能力が全開すれば、 長男さんを精神的な病気にせずに護れたのではないかと、 切に思います。 残念ですね! 今の社会のあらゆるシステムは、男性が男性用に作ったものです。 これは、ある意味、このままでもいいのです。 変えるべきではないと思います。 これは、ある意味、『陰』を守る防波堤なのです。 これでは、女を平等に扱っていないとウーマンリブや フェミニストは言うのですが、 あはっは。 男性に負けない能力がある女性が、 自分も、『陰』を守る防波堤になりたいと云うのは、僻みですよ! 自分の役割が自覚できない、『陰』に生きる事ができない、 女系の家系に生まれて来た運命の女性は、そう言いたいのです。 男性に守ってもらえない運を以って生れて来ている故に、 一人で生きれるように自我が強く生まれついています。 そうして、男と対等に、防波堤になろうとするのです。 それはそれで自然な事です。 それはそれで運ならば、よしとするしかありませんが、 一旦、そのシステムの中に入ってしまうと、 ますます、女性本来の能力はスポイルされるのですね。 Mさんが、多難な人生になったのは、ここの原因が大きいのです。 もちろん、家系から来る遺伝的な運自体が原因でもあります。 しかし、家系から来る運命を乗り越えるのに、 まず、第一に必要な事は、あなたが『陰』の役割を果たす事でした。 しかし、ご自分の鑑定で、命式が強いと言われていますね。 それは、警戒するべき事だったのですよ。 『陽』の防波堤に守られない運を持っているがゆえに、強く生まれた。 そう観るべき運です。 夫の成功の後の不倫と離婚裁判、 諺の「天界に魔が住む」が、そのまま実現したような現実です。 人間と云うものは、一度、欲望の達成を味わったら、 また次の欲望の満足を求める動物であると云う、 深い人間観なり、人生の機微における生活知を、 近代家族以前の伝統的家族の時代なら、 母親や祖母からMさんへ口伝されていたかも知れません。 それなら、事態はここまで酷くはならなかったのではないか、 と、悔やまれます。 近代家族において核家族では、生き方や、文化、生活の知恵が、 まったく継承されていないのです。 若く離婚をしシングルマザーになった女性にお尋ねしても、 〝何も母は教えてくれなかった、、、”と云う方が多いので、 驚いてしまいます。 教科書にも、他人様にも、教えてもらえない事を、 親だからこそ、口に出して伝える、それが廃れて来ています。 近代家族の親子関係は、仲が良くてもその辺はダメですね。 また、娘や息子も、親の云う事に、そんな重きを置いていない。 まったく、家族全員が自分の立場と役割が分からなくなっています。 結婚や夫婦と云うものは、両親、親族関係の中の関係です。 その中の人間関係で夫婦と云う単位は、守られ、 役割を果たして行く事で夫婦と云う形ができ上がって行くのです。 結婚をしたのに、核家族で、二人だけの世界で生きると云うのでは、 それは、もう、夫婦と云う形を守って行く事は難しいはずです。 犬や猫の野合と同じですよ。 ほほっ。 あ、犬や猫に失礼ですか? あはは。 犬や猫は、堕胎や子供への虐待をしないですものね! あはは。 ***************************************************************************************** Mさんは、、 夫が、成功したらどうなるか女の勘で見えなかったのですね。 ここが、全てですよ。 まだ、現象化していない、これから現象化するものを、 まだ無意識下に有るモノの気配を、感じる能力です。 もしくは、今、隠れて見えないけれど、次の瞬間に勃興する現象を 自分の眼前に引き出して来る能力の事です。 女性特有の。 昔の女は、これで自分のお腹の中に居る赤ん坊を観ていた。 医学の発達していない時代はそうするより他、ないからです。 今の産婦人科では、超音波等で写真まで撮って見せてくれます。 サービスのつもりでしょうが、こんな事をしない方がいいのです。 女の力が、どんどん退化していってしまいますから、、、 これが、非常に重要な能力になります。 女性特有の。 これが、女が、『陽』の現象世界に目を奪われれば、 女の内側から消えて行ってしまう能力の事です。 だから、女性は働かない方がいい。 この能力は、命の継承、いのちの絶対観 --------------- あらゆる、いのちの保存を全うする使命をもつ『陰』に根ざします。 女性は、誰もがこの能力を持っているはずなのですが、 『陽』の価値観に染められる事によって、『陰』の力を失って行くのですね。 もっと、具体的に言いましょうね。 男は自己保存の為に、社会へ出て生産活動をするのが使命です。 その中には、ちょっと危険な言い方になるのですが、 人を殺す。 場合も含まれます。 ① 人を殺す事は絶対にしてはイケナイ。 これは正しい。 『天』の道です。 分かりやすく西洋的に謂えば、こうあるべきと云う理想、理念です。 ② しかし、人を殺さなければいけない時もある。 そう云う現実もあります。 『地』の理です。 これも、西洋的に謂えば、現実そのものです。 まず、自分が、殺されそうになった時、戦うのが普通でしょう。 それが、国対国になった時、戦争ですが、 国を守ると云うよりも、あなたの大事な家族を守る為に戦うしかない。 しかし、それを究極、避けなければならない。 いわゆる『道理』を実現しようとする苦しみが、正しいのです。 それを『天』と『地』の間で、苦しみながら実現するのが『人』なのです。 この現象界で戦わざるを得ない男に代わって、 苦しみを請け負うのが『陰』の役割、命を守る女の使命です。 だから、女性は苦に耐えられないといけませんね。 ストレス耐性がある女の方が、いいに決まっています。 ほほっ。 女は逞しいのが良いのです! おほほっ。 これが、『天』と『地』の間で、生きる『人』たる所以なのです。 この①と②の二つの道理の間で、人は苦しむように出来ている。 それを行動するのが『陽』、男の使命ですが、 そのバランス・中庸を取る為には、 『陰』の絶対的生を守護する絶対観の保障が要るのです。 それが女の使命です。 ★ここで、女にとっての先天福分の良し悪しを知る方法を、 お教えしましょう。 どう云う女が、生まれつきの陰徳を持っているのかと云う見分け方です。 第一に、 子供ができる年齢で結婚している事。 第二に、 子どもを産んでいる事。 第三は、 夫の稼ぎで食べていける事です。 女性は、五行が揃って、周流している命式が良いのです。 命式中で、日干(自分)が強いと、バリバリと稼ぎます。 夫なんか、眼中にないのですよ! あはは。 結果、仕事運や金銭にはついていますが、確実に家庭運に問題ありです。 いわゆる、女系の女性と云う事になります。 このように、 女は、『陽』の価値観に染まらない方が良いに決まっています。 あらっ、 大変な事ですね! あはっは。 夫と、同じ意見ではいけないのですよ! ほほっ。 『陽』も、決して『陰』を否定してはいけないのです。 『陽』からみると無駄に思えるのが、いのちの絶対観です。 この処が、3.11 の時の放射能に対応する男女の違い、 夫婦の間でも、意見が食い違って離婚へ進んだケースが出て来る、 男女の決定的な差異なのです。 『陰』である女性の役割は、子供を孕み、産み、育てる、 これらは膨大な無駄と思えるエネルギーの消費です。 子供が字を書けるようになるまでの、書きなぐる膨大な落書き! 書いては捨てる紙! 成長をするまでの衣類の量! 買っては壊し、ゴミになるオモチャの山! あはは。 子育てそのものは、 『陽』の経済性やお金に換算する効率の価値観を捨て、 経済性を離れなければやっていられません。 子供の遊びに付き合う事自体が、時間は無駄に過ぎていく?? あはは。 そのように、『陽』の生産物を無限に消費する中で、 命は、守られ、成長をして行くのです。 これを、投資と観るのは間違っているでしょうね。 膨大なムダを心から願って惜しみなく与えられるのが、『仁』の徳性です。 これなしに、人は、人らしく成れないのですね。 それを、掛け値なく守り、命を張る存在こそが母なのです。 それは、『陰』そのものの創造性に根ざす無限の力です。 この役割が、女の徳性であり、全ての母体なのです。 究極の絶対観は、 『陰』の次元では、どの命も、絶対に殺してはならないのです。 これは、究極の真実です。 ここは、男と女が対立する一点でもあります。 これが、物事の体です。 女にとっては、どの命が失われる事も、深い苦しみです。 泣き叫び、苦しむ、女の姿は、 命の絶対観を守れなかった時の苦悶の現象化としての姿形です。 ----------------------------------- その対極にあるのが、『陽』です。 矛盾するようですが、『陰』のいのちの絶対観の実現の為に、 『陽』の働き、用があります。 その用の中には、他者を殺さなければならない用法も含まれます。 この体と用の、役割を弁え無ければいけないのです。 この世界が成り立っているのは、 なんとか命を守りながら生き続けていると云う事は、 生き馬の目を抜く『陽』の現実とは裏腹に、 意識はできないけれど、目には見えないけれど、 『陰』の世界の存在が厳として存在するからなのですよ。 誰の後ろにも母がいるのは、その事の証明です。 唯一、いのちの絶対観が現実の中で生きている場所、 それが、命の血肉を分けた関係性の家族、家庭です。 本来、家族や家庭が、無意識の創造性を実現する場なのです。 男性が戦って得た『陽』の生産物を、惜しみなく与える場が、そこです。 家族や家庭こそ、『陽』の現象界で浴びたストレスを回復する場なのです。 『陽』の競争原理や損得の概念から家族や家庭を守るのが『陰』、 女性の使命なのです。 しかし、女性が、『陰』の持ち分を忘れてしまったら、 近代合理主義の思想に染まる事によって、 女性がその役割を捨てて男性と伍して全くの『陽』の世界へ同化したら、 『陽』たる男性と対等に働き手になると云う事は 『陽』の現象界の価値観に染まってしまうと云う事は、 一家の命の継承に『陰』の守りが無くなると云う事なのです。 実際、女が、家族、家庭の中へ、 『陽』の世界で浴びた競争原理や効率や損得の勘定を持ち込めば、 家庭や家族は、どうなるのでしょう? 血縁関係の家族が憩う家庭と云う場が、 効率を追求する『陽』の損得の追及の場と変り果てます。 命の再生、命の継承の場とはなり得ないのです。 この時に、この場の最大の犠牲者は、子供達です。 近代合理主義の犠牲は、未来であり、子供たちです。 意識は、意識のテリトリである〝現在”と、〝自我”を守ります。 その二つを、意識が過去に出合った経験則で守ろうとします。 意識には、それだけの情報しかないからですが、、、 ほほっ。 故に、意識は、自分以外を必然的に犠牲にします。、 意識は、過去と現在を除いた未来を必然的に犠牲にします。 この事を、よく、吟味してくださいね。 M家においても、子供達が最大の犠牲者になります。 大人は、なんだかんだと云っても、自分を守っています。 だから、大人が苦しむのは、それは当たり前の事です。 Mさんが、これから専心しなければならない事は子供たちの事ですね。 どうか、子供達の事を中心に生きてあげてほしい。 ◆ ◆ 最後に、ご質問にお答えしましょうね。 〝 夫と私の運は非常に強く、 絶家になる運勢だったのではないでしょうか。 ” そのとおりですね。 〝 本来絶家になるはずが、 私が自分の仕事を断念し、 1男1女に恵まれてしまったのでしょうか?。 ” それだけではないはずです。 あなたに元々の子供運がはっきりあるからです。 絶家だから子供は生れないと言う事はありません。 だいたい、3代かかって絶家になります。 その過程には、 これは鑑定例ですが、男の子が4人も5人も 生れていながら、 絶家と云うケースもあります。 〝 夫は無意識に絶家を求めて、 女の連れ子を連れた、運の弱い女性と不倫した ということなのでしょうか? ということは、 夫の絶家の希望を立てるべき、ということなんでしょうか・・・ ” おっしゃる通りに、絶家に向う運命の流れの中で、 あなたのご主人は、その流れに飲み込まれていますね。 しかし、その夫の希望を立てるべきではありません。 〝 私は娘と息子を連れて家を出ましたが、 夫の家の墓守を誘拐した、ということなんですね。 夫と子供達は、婚家を守って行かなければならない役割なのですね。” その通りです。 貴女が連れて出た子供の事は、 あなたの夫のご先祖の方へ、心からお詫びをなさってください。 ご先祖には罪はありませんからね。 あなたの息子さんは、今の処、夫の家のお墓守りです。 そう思ってお育てになってください。 しかし、夫の再婚相手の女性が、将来、男の子を生んだ場合、 その役割はなくなりますが、その子が丈夫に育つかどうか、 きちんと見極めてから決めるのですよ。 まとめますよ! 要は、『陰』と『陽』は、その使命は全く違います。 状況に拠れば、 男と女は、その守るべき価値観はすれ違うのが普通です。 ご夫婦が、同じ目的の為に、どう云う用法を使うかは、 違って来るのが自然です。 だからと云って、そのたびに大喧嘩をなさらないでくださいね。 喧嘩をしたとしても、完全に相手を潰してはいけません。 相手が潰れる事は、あなたが潰れる事だからです。 あはは。 多少の食い違いは、あって当然。 それぞれが相手を倒すことなく、ほどほどに、 ほほっ。 同じ家庭の幸せの為に、違う役割を果たす事です。 その為には、『信』の徳性の根をしっかり家族の中に張り巡らせる事です。 五行学の徳性における中庸が家庭に置いては大事です。 これについては、又詳しく記事にするつもりです。 この『信』の徳性を、結婚をした当初から、 お互いが持つと云う事は、今時の結婚では難しいのです。 何故なのかは、今回、長くなるので省きますが、 特に女性の生き方として、大事だと思うのは、 特に女の子の育て方として、お姫様のように育てる事は、 「楽」を感じる感覚だけをフィーチャー(feature)させて、肥大させても、 本当の幸せからは遠のくだけだと云う事です。 女性が男性と一緒に、社会の中で働くという事は、 先ほどの経済第一と云う意識の世界に埋まってしまう事で、 本来の女性が発揮しなければならない徳性が希薄になって行く。 女性がその本質を失いつつある、、、非常に危険な兆候であると、、、 今は、 ヒエラルキーでは哲学や思想より下部である政治そのものが、 人間や女性を規定するのが当たり前になっています。 もっと恐い事は、 国民の我々がそれに抵抗を感じなくなっている事です。 悲劇的なのは、 政治よりも下部ヒエラルキーに位置する経済が! 人間の道具であるべき、たかが経済が! 人間や女性のあり方を無視をして、 用法、方便の為に、利益優先のレールに乗せる事を、 誰も、道理を無視する事なのだと疑問を持たない事です。 あなたは、 この経験を、お子さんへ、今後に生かしてください。 『陽』の世界は、知識のロジックの仮のウソで競う修羅場ですから、 男は知識で喧嘩をするゆえに、知識は武器になります。 ------------- 武器ですよ。 本質ではありません。 しかし、女は和を持つ智恵を持つ方が人生の勝です。 貴女は、男たちと同様に『陽』の世界で武器になる知識を身に付ける為に 大学院を卒業するまでの自分の人生の時間を費やしました。 それらは、社会へ出て生きる糧を得る為には役に立つでしょうが、 貴女を女としてしあわせにする知恵を身に付ける期間をmissingしたのです。 教育とは、あるモノを得る裏で、あるモノを捨てる事なのです。 学校教育が、人類をしあわせにする全てではないと云う事を ご自分の体験から学ばれたと思います。 20代までの教育とは、その後の人生の展開の原理になりますね。 命は大事であると云う事を、生き方で示して行くのが女性です。 『陰』そのものです。 どうか、読者のみなさまにおいては、 執拗に蔓延(はびこ)る黒や赤いカビのような西洋近代合理主義よりも、 どうか、ご自分の中の東洋を大事になさってください。 ご自分の中の遺伝子が、一番知っているはずなのです。 どうか、東洋の血を、思い起こしていただきたい。 そして、少しづつでも、 東洋の智恵に近づいてくださる事を祈っております。 これは、私の経験知ですが、 先祖が儒教等に深く縁をした人がいたりすると、 多くは孫、あるいはその係累の中から、 早くから東洋的目覚めを持つ人間が出て参ります。 強いて教えるとか、そうする必要がないのです。 自らが、自分の中からの東洋智を見出していくようです。 これは、運命学教室の生徒さんの体験でも証明されています。 いろいろですが、目に見えない血脈がつながっているようです。 そう云う場合、東洋学を始めると、非常に分かりが早いのです。 わざわざ、どこだどこだ? と捜さなくても、 ほほっ。 目で見えない世界・『陰』 が手に取るように広がるようです。 これが、縁です。 長文の記事を最後までお読みくださった事に、 深く感謝申し上げます。 このブログを通じて、 東洋智の縁がつながって行きますように、、、 東洋智の継承を途切れさせてはいけませんね。 よろしくお願いします。 次の更新まで、良い日々を抱きしめて! お過ごしくなってください、、、、、 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |