![]() 2014
09/29 13:26 |
《近代化の影 9.》 天変地異の原因論 東洋の生死観 /イスラム国Category : 運命学と近代化
涸沢から下山、3時間で横尾通過
![]() 屏風岩の向こうに前穂高岳のピークが見えます。 もうすでに、奥穂も、涸沢岳も、北穂も見えなくなって、、、 梓川の上流、横尾大橋からは、 前穂(前穂高岳)のピークだけが、くっきり見えます。 前穂高岳は、涸沢では一番左に位置していますが、 今までの写真には一度も写っていません。 ----------- 名残り惜しい、 また、いつか! かならず、、、 穂高に逢いに来よう、、、、、、 後髪を引かれながら前穂のピークを見上げます。 山は、生きているのです、、、、、、 穂高は生きている、、、 その息吹、その神秘的な実感を全身に浴びながら、 ふるさとの年老いた爺様に甘えたような思いを抱きながら 名残惜しい心境での下山でした。 横尾大橋から見る前穂高岳と梓川の上流を上高地の方へ向かって ![]() ありがとう、 穂高! 穂高よ~~ さようなら~ この梓川の左岸を一路、上高地へ、 途中、温泉に寄って、約4時間バスターミナルまで歩き続けます。 この辺りの森の中は、まだ夏山、、、、、紅葉の前でした。 周りは、普通の山の景色になってきます。 穂高が見えなくなる地点を境に、 涸沢で止まっていた時計が動き出します。 、、、、、横尾、徳沢、明神、上高地、、、新宿、、、 新宿につく頃には、 下界をすっかり忘れていた事に気が付きます。 ほほっ。 今日の記事は、 《近代化の影 9.》 天変地異の原因論 東洋の生死観 /イスラム国 下界 ーーーー この言葉を自覚的に使うようになっていたのは、登山、 それも登山からの帰路の途中でした。 ■ 五感で感じたことを賢(さか)しらに主張し合う現象界、 まず、一番に気がかりなのは、 上位の意識の自己中心性に翻弄される現象界のありさまです。 なにが賢いのか? 分らなくなってませんか? この原因の一つは、マスコミじゃあない? ほほっ。 マスコミと云っても、人間のする稼業ですから、 従軍慰安婦や、福一の撤退の「朝日」を筆頭に、 我こそが、正しいのだ! と、それぞれが言い続けています。 正しい事がゴマンとあるような? 書きっぷりです。 マスコミとは、今のジャーナリズムとは、 『陽』の現象界の『偽性』の最たるものでしょうね。 欲が引っぱる一片の意識に拘り、 意識 対 意識の闘争が繰り広げられる世界です。 意識と意識が束の間、くっつきあって、そしてまた、乖離する。 自分の意識を、今、どう守ろうか? 近代的自我は、その一点だけを一番大事にしています! 今まで何度も書いて来ましたが、 意識は、現在と自分、それだけを守ろうとするのです。 過去の経験を力にして、 だから、意識には経験が大事なのです。 特に、意識を力にする男にとっては、体験が大事です。 絶対的真理の存在を捨てた近代的自我は、 いわゆる自分の意識以外の信じられるものを失っています。 自分が自分の絶対者になるしかないのですね。 ほっ。 自己の意識を絶対正しいと思い込んでしまう、、、 、、、、、、 思い込むしかないのですね。 ほとんどの人が唯我独尊に陥っています! 自分の行動を絶対的に肯定する強い自我構造です。 これは、命式でも簡単に観て取れます。 しかし中には、強い自我構造を持っていない人もいる。 もちろん、五行周流のバランスを持った命式の人もいる。 これは、運と云う無意識界の次元の差別です。 今の若者は、そして、今の子供達は、 幼少の頃から、自主性を育む教育と云う触れ込みで、 ほほっ。 あなたは、どう思うの? どうしたいの? と訊かれ続けて、、、 子供のつぶやきの段階から尊重されて来ます。 でも、本当に子供を尊重している社会なのか? 大いに疑問を持っております。 母親が自分のキャリアを継続して働く為に、 生まれてすぐの赤ん坊を保育所に預けるのが当たり前なんて、 考えられない時代もあったのですよ。 保育所へ子供を預ける事自体が、 育児を大切に考えていない母親だと見られてしまう時代、、、 同じこの社会の中に、あったのですよっ。 ほほっ。 時代が変われば、価値観も変遷していくものなのですね。 しかし、育児の中に占める母親の値打ちは不変だと思うのですが、、、 さあ、どちらが正しいのか? 時代と云うものは、無責任に、こうも人間を翻弄するのですね。 その影響や結果が我が子に出てから親は気が付くものです。 我が子の人格に、どんな影響があったとしても、 その時の為政者が、遡って責任を取れる訳ではないものを、 よくも、指揮棒を右の端から、左の端へ振り子のように振れるものです。 安倍さんは、生れたら直ぐに保育園に預けられたのか? 岸元首相の娘である安倍さんの母親は、 息子を生むと直ぐに、働きに行ったのでしょうか? ほほっ。 なんでも、経済の御為なら! あはは。 何でも言い換え、やってしまうものですね! とにかく、一応今は、社会全体で、 個人の尊重と云う錦の御旗の下で、 表向きの建前で、それを認めるフリをしています。 振り、です。 中身まで、そうなのか、どうなのか、知りません! ほほっ。 とにかく、とても本気だとは思えないもの! あはは。 的を外れていると思う事が多すぎるのです。 学校と云う組織も難しい対応をさせられている、、、 そう感じています。 モンスターペアレンツ、いろいろ人権団体が、ありますからね。 で、生れた当初から、赤ん坊は、 自由に自分が何がしたいのか?を意識して大きくなります。 近代国家の中では、自由と云う言葉が躍っていますね、、、 たしかに、その恩恵はあります。 近代国家である以上、意識で規定できる部分においては、 中国や北と比べれば、恵まれているに違いありません。 近代国家の枠組みの中で、制度では、実現をしています。 しかし、意識が関われない無意識の領域に根があるもの、 それこそが、『陰』が司る、生れながらのもの ------- それが運と云うものに当たる訳ですが、 その領域に置いては、我々は、まったく自由ではありません。 生れた場所、生まれた家、両親、選べないものばかりです。 運命学的に観れば、個々の命式の違いによって、 慮ってやらないと自主的に成れない人もいれば、 自由にさせようとしても誰かに従う事しかできない人もいて、 自我が強くて何でも自分で決める子もおります。 あは。 そう云った違いを無視をして、十羽一絡げ! あはは。 人権とは、現場では、 全員を画一的な同質な人間として見なすと云う事です。 そうして、 両親も先生も誰もが子供の人権を尊重して、子供を叱らなくなっています。 叱られ馴れている子がいないのですね。 こうして、近代化以降の社会は、 自分の意識を尊重すると云う片側だけの面を伸ばしています。 その長所、短所は、あらゆるところに出ています。 昨今、建設会社の人手不足が問題になっていますが、 最近、その業界の経営者にお話をする機会があって、 原因は何なのですか? 福島の復興? オリンピック? と尋ねました。 答は、高齢化を埋める若者が続かないのだそうです。 怒られたら、叱ったら、それで辞めて行くのだそうです。 命に係る危険がある建設現場では、 それを防ぐ為に、先輩や上の者が大声で怒鳴る事だってある、 それに耐えられない者ばかりで、、、 一声、怒鳴れば逃げて行きます。 その社長は笑いながら言っておられました。 韓国などでは2年間の徴兵制にも耐えられない若者や 入隊後に問題行動を起こす若者の兵士が多いのだとか、 一言で云えば社会性の欠如なのですが、 自分を支えている膨大な社会の厳愛の手が見えないのです。 他者を意識をして感謝をした事がない! いわゆる、これが『孝』の欠落です。 自己の意識には敏感なのに、 肝心のもう片方、他者の意識を意識すると云う経験が未熟のまま、 社会へ出て行って、それでダメなら、親に養ってもらえる、 先進国の中流意識の親に育てられた、こう云う若者達が増えています。 しかし、日本だから甘んじていられますが、 経済成長率の低い国ではとても生きてはいかれません。 ほっ。 自分がなんとか生活できれば、それでいいじゃないか、、、 おいおい。 社会自体は、まだ男性社会であるのに対して、 家庭や教育現場は厳愛の父性が欠如しているようです。 女系の家庭なのでしょう。 ここにも多大なる母性が、しのびよっています。 男性・性を潰す女、母親の中の太母です。 この現象が起こるのは絶家の女系に男児が生れた時、 ほぼ最終章の姿なのです。 男性の『陽』の力 ・ 社会における生産性が滅失して行っているのです。 『天』の道? 『地』の理? 道理なんて古くない? 何言ってんだか? 東洋ってさ~ 知らない。 そう云う日本人が増えています。 それはそうです。 自分の外部、遠くかけ離れた『天』や『地』に関心は持てないのです。 近代化とは、自分が、どう思うのか ? ---- 自分の内面、それだけを確かな拠り所にして、 あらゆる基準にしている人格の大量生産です。 つまり、それは 自分以外には関心がない! まして、資本主義下ですから、自分の利益しか関心がない。 --------------------- 公が抜け落ちている。 私的なワタクシが、充満している世界なのです。 宇宙大まで膨張しているのです!!! あはっ。 ほら! あの号泣した兵庫の県会議員の方も、 公的な立場に居ながら、まったく公の存在が分っていなかった、、、 何かに守られて甘えて、 頭を打ったことが無く、壁にぶち当る処まで行った事も無く、、、 ただただ、 この社会の一かけらの責任も負おうとはしないのです。 これは、絶家に生まれた呑気な男の特徴でもあります。 ほほっ。 守られた状況は享受するが、 自分はあらゆる責任から逃れようとする。 先進国の人間が辿る一つの崩れゆく途中の姿なのですよ。 ■ もう一つ、大事な意識の欠点は、 意識ばかりでは連帯ができないのです、、、 夫婦、親子、家族、 これが、ひどい。 親族、家系、 これは、もっとひどい。 これが、これからは、地域、国、、、国家へ現れて来るでしょう。 連帯とは、本当の処、命懸けと云う事ですよっ。 命と云うのは、絶対性の裏付けの要るものです。 無意識を排除して、絶対界を捨てた意識中心の今の社会の中で、 本当の命懸けって、ありえないのです。 今は、資本主義ですから、かろうじて利益の為には寄り添って? 纏まってはいるような? これもフリですか、、、、、 ほほっ。 意識は、狭い一点だけが得意です。 いわゆるセクトを作って行くものなのですね。 ワイドでしようとすれば、漏らす、取りこぼしが出る事が欠点ですから、 漏らされる、取りこぼされる、場所や人が間違いなく出て来ます。 意識だけでは全体の連帯は到底無理と云うものです。 近代合理主義の世界は、無意識の無視ですから、 近代合理主義に染まると云う事は、 無意識からの括り、我々の中心部分、絶対界、命の根源、自然、 家系、家族を、我々は無視するようになります。 今、近代国家に置いては、単位は個人です。 一人の人間の意識を基礎単位としているのですね。 人間は、個人で成り立っているが如き風潮が、現代の常識です。 親なんて! 家族? 先祖なんて! 家系って! 古き封建的因習深い言葉のように、合理主義からは弾かれています。 かろうじて個人の自由意思でする婚姻と、その制度、 その結果の単一夫婦と子供だけの家族単位は明確ですが、 この単一夫婦と子供が、それからどこへ行くのか? 近代国家の合理主義下では、未来が明らかにされていません。 これは、明らかにしてほしいと願って、、、 ここで、苦情を言っているのではないのですよ。 ほほっ。 無理なのは分かっていますので、近代合理主義に期待はありません。 なぜなら、意識にとって未来は見えない。 と何度も書いて来ました。 哀れな意識は現在と自己しか見えない。 それ以外を守ろうとしないのです。 そこが、五感の限界、テリトリなのですから、 近代合理主義では、明らかにできないと云うのが正直なのです。 あは。 大事な事は、 近代合理主義が無意識を排除した結果が、 どう云う現象を我々の人生に顕して来るのか? その影響です。 今、それを問題にしているのです。 意識で操作できない無意識界の先祖や家系を放置し、曖昧にしている、 その近代合理主義の相貌(そうみょう)が、その事実が、 人間の誰もが望む家系継続の本質を失わせ、 どうでもいいもののようにカモフラージュして、 合理主義下では先へは続かないのだと云う事を確認してほしいからです。 それを避けるにはいかにするべきか? それは、又、別の機会に致します。 何分、長くなり過ぎていますので、、、 ほほっ。 繰り返します。 今の近代合理主義下での結婚と云うイメージには、 自由な個人の婚姻と云う規定以外、 生を受ける時に人間として付きまとう無意識界の縛り、絆が、 意識上で排除され、これらの社会での役割が欠落しています。。。 これが、意識の得意技! 漏れと取りこぼしです。 ほほっ。 無意識界の本来の使命を帯びた家族や先祖の意義を漏らしたまま、 それで十分と云うのでは、 近代国家の枠組みの中で、生きている我々の人生において、 本質を捨て去った思想に染められた結果、 無意識に本源を持つ血縁や家族の絆は、分解、消滅するでしょう。 近代化した先進国の実際を見れば、寒気がします。 これも近代国家の欺瞞なら、次も欺瞞です。 表向き女性を社会化して出世させるのは女性の為と云いながら、 実は経済の為に女性を働き手にしなければ経済がモタナイ、 そのウソ、カラクリ、欺瞞の中で、 ますます、この本質は滅失され翻弄されて行くはずです。 この風潮は更に、脱家族化へ進んで行くはずです。 本来、社会とは男をしっかりさせないとダメなのです。 命懸けで国土や家族を守れるのは、男です。 その役割が男に在る。 力ある男をどうしたら増やせるのか? その事の方が大事です。 女が働くなくても十分、子育てに専念できる、 そう云う環境を作るべきなのです。 これからの国や世界の指導者が、 『陽』の旺じた首都東京や、先進国の中から出て来るとは思えません。 やはり、次の人材陣は、『陰』を潜在的に残している地方から、 世界的には後進国から、生まれ出て来るはずです。 人間は、飢えから立ち上がるのです。 人間が強く育つには自然のありのままの貧しさが必要です。 貧しさを逃げて、ウソの繁栄の都会へ来てはいけません。 そのいい例が、徳川です。 家康は、江戸の将軍家の胤が尽きたら、 尾張や、和歌山の海べりから将軍を連れて来るように、 諮って御三家を地方に置きました。 将軍家の血筋の予備としての性格が御三家の役割でした。 徳川家が、田舎にサブ(分家)を置くと云うのは、正解でした。 将軍を生んだ女たちは、みな素朴な自然な健康美だったはずです。 そう云う女が、強い子を産むのですよ。 ほほっ、 家康は、賤しい身分の庶民の女を多く側女にしました。 公家の娘ばかりを集めた秀吉とは違いますね。 ほほっ。 徳川家が京の公家から迎えた御台所は、子を為していない。 田舎の自然な女の生命力が、血筋を繋げたのです。 しかし、徳川幕府は、それよりも田舎者に滅ぼされています。 山口や鹿児島や高知と云う日本の国土の端っこ! その向うは海と云う、大洋に接した岸辺を持つ、 最果ての土地から、次の時代の力が芽生えたのです。 御三家のあった土地よりも地方です。 ほほっ。 我々も、将来を見越して、よりもっと遠くに I ターンしますか? 最果ての海辺や、山の奥へ、分家を置きますか? ほっ。 日本の若者たちよ! 東京になぞ出て来ないで! 滅びる因ですよ! ほほっ。 地元で地元の飾らない娘を嫁にして丈夫な子を育ててください。 日本の柱になるように育ててください! ほほっ。 いいですか? 意識『陽』を強調し過ぎると滅ぶのですよ。 旺ずる極みは衰 と云う事は、衰から始める事が肝要かと? ほほっ。 その内、意識で作り上げた近代国家という括りもあやしくなるでしょう。 最低、国家として纏まる、と云う事すらが失われかけている、、、 そう云う現象が、現れて来ました、、、 多くの欧州の若者たちがイスラム国に参戦しています。 今や、構成員は3万人を越えています。 そこでは、男たちは、イスラム国への忠誠をを誓うらしいのです。 忠誠、この言葉を日本の若者は、どう受け止めるでしょうか? これは、ある意味、絶対界の復権です。 兵士と結婚をする女たちは、ニカブと云う目だけを出す衣装を着て、 誘拐された娘たちや10代で欧州から駆け付けた娘たちです。 集団で生活をし、子供を育て、、、 兵士である夫とは、遠距離恋愛で結ばれた訳でもない、 ほほっ。 なにやら、全てが、近代化の逆、旧習へ、復古へ、 なにやら、近代化で失ったものを拾い集めているような、、、 なぜ、なのか? 欧州の先進国と云われる豊かになった国には、 恵まれた現状を守ろうとする意識が上位に存在します。 ゼロから新たな危険を犯して挑戦をしたい冒険心を持つ若者の意識を 封じ込めて潰しているのでしょう。 苦しかった過去を振り返りたくない欧州の老人、大人は、 若い冒険心に逸(はや)る彼らの為に、 もう、これ以上は自らの危険を冒したくはないのです。 ええ、もちろん言葉にも、意識にも、それらは出てはいないはずです。 そう、無意識の本心を偽善で隠して、 しかし、一切の深い動きは無意識が決します。 無言で伝わるものこそが本当なのですよっ。 ほほっ。 無意識は、若者へ伝わるはずです。 当然、これが、社会の底流に流れて、 経済や政治の社会全体の閉塞感となって強く現れているはずです。 経済格差、人種格差、教育格差、社会への不満や疎外感、 欧州は、近代化の先鞭をつけた国家です。 その近代国家は、自由、平等を保証する彼らの母国です。 しかし、現実、若者が入り込む自由も平等もないのですよ。 意識の作り上げた思想が、意識以上になる事はない。 事実としての自由と平等を意識が生み出せる訳はないのです。 自分の意識が、花! と云えば、目の前に花が現れますか? そう云う奇跡は起こらないはずです。 ほほっ。 初めから人間の意識の観念的な言葉だけの自由と平等です。 しかし、意識はセクト、部分的には意義があるのです。 確かに、制度としての自由を我々に与え、 平等で安らぐ人々も生まれたはずです。 しかしそれは、誰かが犠牲になって支えているものかも知れない。 あなたも、隣人が自由を味わう為に我慢をした経験があるはずです。 ほら! 人の智恵がなければ、制度は生きないのです。 母国に、自由と平等が自分たちにはない、と見抜いた若者達にとれば、 ” 母国は腐敗している。” と映り、 近代国家の絵空事の言葉だけの自由と平等よりも 自分達を救うかも知れない ” イスラム法に則って生きる。” と云う心情を生む事になったはずです。 自棄(やけ)っぱっちも無いとは言えない。 先進国に住みながら意識的高等教育を受けられない若者に取ったら、 先進国でまともに結婚をして子供を育てようとしたら、 高学歴でなければ社会が受け入れないでしょう? その為に、キライな勉強をしなきゃいけないけど、できない! あは。 こんな先進国から逃げたい! と切実に思ったら、 兵士になって戦って死ぬかもしれないのに、 それしか生きる道はない、、、家族まで連れてイスラム国へ、 と広がっているようです。 世界中から3万人も参加しているイスラム国の何が魅力なのか? それについては、 インドネシアのある若者は、イスラム国を支持する地下組織から、 妻2人(一夫多妻です)と8人の子供の生活費、渡航費の支援を受け、 シリアに渡ったと云う記事が載っていました。 実に、男が男たらんとする甲斐性を叶える条件を与えるのですね。 先進国の生活保護とは、どっちがいいのでしょう? ほっ。 (イスラム法)に則って生きる。 ーーーに則って、 ーーーのここが、近代国家において、最大に欠けている処なのですね。 ここが、人間が、根底から欲している処なのです。 無意識の領域、 宗教性、絶対性の世界なのです。 自己の死までを任せられる、自己の絶対性の獲得です。 真に、命を賭けて何をなすべきか? これが、本当に手に入るのなら、 近代合理主義社会で得られるサクセスは安っぽいですね。 ほほっ。 が、このイスラムの神の絶対性が、真実なのか? 仏教徒である私には、疑いこそあれ確信がまったく持てませんので、 イスラム国へ行く事には共感はできないけれど、 近代合理主義社会にウンザリしている心境は理解できますね。 決して、残忍なイスラム国を肯定できる立場にはありませんが、 今の近代国家だって、国として成り立つ為には、 多くの敵国の人間を犠牲にしています。 中国だって、毛沢東と蒋介石の内戦において、 イスラム国以上に多くの自国民を殺したのです。 先の大戦でも、日本が被った広島、長崎の市民への原子爆弾、 あれ以上の残忍性はないと思っています。 東洋的『陰』の世界を本質と観る観点から、 こうも観られるのではないかと云う事を記しておきます。 イスラム国への世界的な若者の参加は、 無意識を捨て去った近代合理主義による近代国家の醜さ、 その命の本源、無意識に関わる欠落を補おうと、 人間の本来の無意識的エネルギーが生んだ これは、『人』界における 近代合理主義へ対する必然的なエネルギーだと解する事もできます。 それに対する老獪な先進国が、 みずからの国家を成り立たせた時に、 どれだけ人民を殺戮したか? 自国の過去の悪事は、サラリと忘れて、 ほほっ。 イスラム国が、自国民のジャーナリスト等を処刑し、 アフリカで住民をテロで殺したからと、 イスラム国を空爆をしていますが、どっともどっちなのですよ。 ほっ。 意識は、いつも、こうなのですよ、、、 オオゴトの悪事の後は、素知らぬ顔をして、 些細な事で善人ぶるのです。 あはは。 脛(すね)に傷ある大国同士が、 こぞって空爆をして、イスラム国を殲滅させようとしても、 それで、我々の属する近代国家の欠点が、 帳消しになって無くなってしまう訳ではありません。 あはは。 地球上で先進国である近代国家とは、 さほどに醜く幼稚で、 イスラム国と同程度に見えてしまうのです。 あはは。 占い師ごときが、口を挟む事ではありませんが、 ついつい、意識の欠落部分が見えてしまうものですから、、、 ついでに、言ってしまいましょう! あはは。 私が仏教の智慧に少しは縁をしているから、 こう思うのか? 分からないのですが、 他より先進と云う自負があるからには、 先進は経済だけではない、智恵も度量も先進であってほしい、 相手も救い、自分をも救う、 そう云う方法が取れないものでしょうか? あくまでも近代合理主義下の意識は、自分を正当化しようとします。 敵を悪と決めつけるロジックを構える近代合理主義、 愛と慈善を説きながら、その裏腹な歴史ばかりを刻んで来た、 その母体であるキリスト教の好戦的な教理。 いつまで経っても、 自前の哲学の狭さに気付かない西洋の自惚れの強さ、 近代知性に飽き飽きとしています。 もう、 ゲップ! が出そうです! お行儀が悪くて、、、ごめんあそばせ! あはは。 ーーーまだ、あります! 下界の事、、、 『人』界の事は上で書きましたね。 ほほっ。 あと、『天』、『地』の事を。 あはは。 地球上のそれぞれの国の意識が、 何んとしても我こそは上位の意識たらんとして角を突き出して、 下位の意識を飲み込む事に躍起になっている地球上の世界、 武器や兵器がなければ平和に暮らしていけないとは?! とほほっ。 その『人』界に呼応するように『天』の気は激しく狂い始めている。 近代合理主義の虚構性、偽性に気付かず、 その思想性で以って、地球、自然へ挑もうとする我々の歪みを 無意識界が、糺(ただ)そうとするエネルギーが、 『天』の気、天気の狂乱、 気候不順、です。 『地』には、 大地震、大津波、大雨、洪水、河の氾濫、山崩れ、火山噴火、 これらの原因は、東洋的見地からは分っています。 自然に反抗をする? 自然を支配する? これらの観念を西洋が近代化と共に地球上に押し広げました。 これを前提とした人間活動が、当たり前のように行われています。 経済も、政治も、この観念を実現する為に正当化されています。 我々の意識を染めたこれらの西洋の観念が正しいと思われますか? いいですか? 意識『陽』を強調し過ぎると滅ぶのですよ。 工夫も開発もいい加減にしないと! 便利も効率もいい加減にしないと! 枝葉が盛んになると、樹木は枯れます。 工夫や便利と云う枝葉ばかりを求め続けると 本質が消えて行って、ウソになるのです。 これって、日本の白物家電がアジアで売れなくなりましたね? いろいろ便利にし過ぎて、価格が安くできなくて、 韓国の安物に敗けたのです。 あはは。 ウソは存続できません。 これは、いくら便利だって説明しても、 消費者が求めているのは、その家電の役割と安さです。 説明しなければいけないと云うのは、余分ですから、ね。 まず、実質。 これが、本当です。 付加価値を付けて高く売るなんて、いつまでも続きません。 飽きるのです。 どうせウソなのですから、、、 ほほっ。 これで、ホッとなさる方が、いらっしゃるでしょう? あはは。 ああ、馬鹿正直でよかった!って。 ほっ。 そうなのですよ。 馬鹿正直で行ってください。 その果報で、あなたの孫が栄えます。 ほほっ。 企業理念と云うものがありますが、 企業がどんなに発展をしようとも変るべきではないのです。 企業の骨格となる理念が工夫で変り、便利な言葉に変れば、 その企業の目指す本質が変ったと云う事です。 だれも信用をしなくなります。 工夫を兎(う)がち、便利に媚びた方便の中には、本質はありません。 企業が、その存在の本質を失うと、社会に存続する理由がなくなります。 社会が必要としなくなった企業は滅びます。 ウソをつく、真に役立たずは、滅びるのです。 『陰』の徳性を失った『陽』の現象は消失します。 これは、まったく家系の原理と同じです。 大雑把に例えれば、 『陰』は、真っ黒な炭、石炭、原油、エネルギー資源です。 燃える物が無くなれば、炎と云う現象『陽』は消失します。 世界中の大国が、エネルギーを求めて国益を図る。 それが、根本だと重々、分かっているからです。 -------------- ここから、ちょっとムズカシイ事を書きます。 ムズカシイ! と思われたら、 読み飛ばしていただきますように、、、、、、 ほほっ。 できればあなたの無意識へ入れておいてください! そもそも東洋的見地は、 この『天』も宇宙もあの世もこの世も一つのものです。 ほひっ。 これら、すべてが、 この小さき身の中、我の中にすべてがある。 これが、分かれば、 東洋の智恵の中であらゆるものは観えて来ます。 --------- そう、死すらも --------- 次なる生として、、、 死は生と不二になります。 そこでは、 詩(うた)や詞(し)では表現し切れないものがあります。 文字や芸術などでは表わし切れないものが溢れています。 -------- 自己保存の為に間断なく環境に振り回されて、 泣いたり、笑ったり、喜怒哀楽に飲み込まれている意識が、 想像する事すらできない叡智が溢れています。 この地点から観ると、 我々が一般的に当たり前と受け入れている常識が、 実は、近代合理主義の幻想による蜃気楼なのだ、と云う事が ヒシヒシト分って来ます。 そもそもが生と死、 あるいは、時間と空間、 このように分けて考えると云う思考方法は、 近代合理主義の産物なのですよ。 そして、有と無、 そもそも、 有ってなによ? 現象を見て有と云うのかしら? あはは。 無って、意識にとって無でも、無意識の領域では有るって事、 西洋哲学は、ぜんぜん分っちゃないんだわ! あはは。 これらを生み出した西洋思想の概念のチリや埃にまみれて、 東洋の叡智はどこへ行ったのか? 分からなくなっています。 もう、危機的な状況なのです。 えっ? なにが?って、 それが、地球の状況に現れているはずです。 近代化以降の人間は、 この一点、これが分らない故に、 目先の意識が囲った世界だけを見るエゴが捨てられないのですね、、、 自分に都合よく、ね。 ほほっ。 その結果が、天変地異、気象の極端化と云う 今の現実を招いている事を知らなければなりません。 ーーー下界の事、 気になる問題点を洗いざらい書いてみました。 振り返れば、やっぱり、涸沢は特別だったのです。 涸沢のように自然の気が、 そのままの自然の気が満ち満ちている場で、 人の意識ではどうしようもない自然の力が暴露しているような場で、 人間は本当に、何もできない。 その事が実感として分かる場所です。 意識が空想するように、鳥になって飛ぶこともできない、、、 熊に追いかけられても全力疾走で逃げられない、、、 ほほっ。 あんな岩場では、ゴツゴツした岩盤の上で、 転倒しないようにバランスを取るしかないのですから、、、 あはは。 頼りは、自分の体温と足、 リュックで自分が運び上げた食料と水だけです。 そのどれがなくなっても、命の危機です。 この山は、いつ騒ぎ出すのだろう? どうか、ここにいる間は、おとなしくしていてください! そう、心で祈っている瞬間もあるのですよっ。 あはは。 その絶妙のバランスの中で生かされているのです。 ありがたいなあ、って だから、今回の御嶽山の噴火のように、 不安定な登山道では逃げる事もできなかったはずです。 あくまでも、自然とは人間を凌駕する存在なのです。 人間はどうしたらいいのか? いつも自然に対峙して考える事です。 今回も、無事にお帰りになった方は、本当に良かった! 不幸にも死亡が確認された方が、多く報道をされています。 おケガをされた方も、大勢いらしたようです。 心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。 火山灰に覆われた山頂をテレビで見ながら他人事ではない! 思わずテレビ画面に手を合わせてしまいました、、、 でも、遭難した方は、誰も山を恨みはしないと思っています。 山は、それほど素晴しいのです。 が、必ず登山保険を掛けて覚悟をして行きます。 それほど危険なのですね。 息子や夫や家族を失われた家族の方の心を思えば哀しみで、 やるせない気持ちが一杯になります。 自然の一部である人間は、本来、どう振る舞えばいいのか? それを、登山では学びに行っているつもりです。 涸沢は、自然における人間の本来の位置を知らされる場でした。 ええ、自然の中の人間の正しい立場です。 人間の意識の軽薄さ、傲慢さ、自惚れや不遜に気が付いて、 それらをすっかり拭い去った立場です。 ほほっ。 それを平凡な人間に、気付かすほど、山は偉大です。 単に、山容の威容さ、峻厳さに打たれただけではありません。 惰弱な我が身を、ひ弱な筋肉しか持っていない我を、 ほほっ。 ここまで引き寄せて、全力で登らしめる山の魅力! ほほっ。 山を登る時には誰だって生真面目になります。 山が引き出す、この生真面目さがいいですね! ほほっ。 そうせざるをえないからですが、、、 あっは。 一瞬でもふざけておりますと、 急峻な崖を滑落してしまうのですから、、、、、 ほほっ。 危機に対応するのは無意識です。 今の目の前の難関や危険を越えて、 なんとしても生存させようと必死に助けてくれるのは、無意識です。 無謀な冒険をしたがって逸(はや)る意識を、 必死に無意識がバックアップしているのが分かります。 どんな事に出逢っても、なんとか私の命を生存させようと、 無意識が、普段の私の力以上のもので支えてくれているのが分かります。 これが、潜在能力と云うものなのでしょう。 普段、眠っている脳の部位が活性化して、 自覚をした事のない未知なる自分が、生まれ出て来るようです。 この無意識に支えられた意識との一体感が、登山の醍醐味です。 西洋二元論で、精神と肉体をバラバラにされる近代まで、 ―――――― その西洋の観念を当たり前の如く受け入れて、 ―――――― 近代的自我が楽ばかりを集めるようになるまでは、 本来、人は、こうして生きて来たのではなかったか、、、 意識がエラそうに無意識を遠ざけることなく、 生のみを異常に賛美をして、死をことさら厭(いと)い隠す事なく、 生は死だと、自然の中で全てを受け入れていたはずです。 長い長い年月、 人類は、こう云う空気を吸って生きて来たのだと分かります。 PM2,5や排気ガスを吸って生きて来たのではないのですよっ! あは。 我々の意識が、自然の中で自然の一部となって自然と対峙する時、 一瞬の意識が瞑滅(めいめつ)する事によって、 我々の意識が無意識界に浸れます。 自己意識に振り回されない我の実現です。 そして、あらゆるものが一体になります。 その深い息吹きに触れるのです。 つまり、原初、人の意識は無意識に直結していたはずです。 無意識に直結した意識が、人類を進化させたはずです。 この意識と無意識の関係が、本来あるべき姿でしょう。 まさに、意識と無意識のバランスです。 これが東洋の叡智、 中庸と云うものです。 東洋の古来からの智恵、 人間は自然の一部でしかなく、 無意識の領域であらゆるものは一つである、 と云う実相を覚知するならば、 自然に調和する事は、 = 我自身に調和する事になります。 欲望の我が、我の中の無意識ゾーン『陰』に向き合うのです。 そして、調和しようとする。 これが、東洋の謂う我即宇宙、宇宙即我です。 西洋にはない叡智です。 地球温暖化、地球資源の枯渇、資源の奪い合い、、、 人類が生き延びようとするなら、この叡智を受け入れるしかないのです。 自然に調和する・・・・・・・これが唯一の正義です。 ならば、今の世が、どれだけ悪に満ち満ちているか. . . お分かりなりますね? あはは。 あなたも私も、、、どれだけ大悪人か。。。 とほっ。。 本当は笑いごとじゃないのよ、、、 『天』は、絶え間なく動いています。 『地』は、我々『人』を乗せて、絶え間なく自転をしています。 『地』の神は、『天地』の道理を弁えない不孝者を乗せたくはないと、 不孝者が集まった『地』を大震動させて、 不孝者を『地』の上から振り落そうとするのだそうです、、、 遙か昔ですが、東洋に関心を持ち始めた頃、 手にした、私が信じる仏教書で読んだことがあります。 不孝者には安定、安楽と云うものがないのだそうです。 これは、いくら真実の教えと信じていても、 東日本大震災の後には書けませんでした、、、 ほっ。 現実が、、、あまりにもお気の毒で、、、 不孝者とは、両親を大事にしないと云う事ではありません。 無意識界を見通して捉えれば、 我々の親とは、命の本源である『陰』そのものです。 あらゆる命を生み育む宇宙根源の力です。 陰徳を無視した我欲優先の経済活動は、不孝な業ですね。 近代合理主義自体が、大不孝者だと言っている訳です。 うまく表現した言葉が、 ほら! あれ、 石原前環境相の発言の! あとは ”金目” の問題、、、 あはは。 ご記憶がありますでしょう ? ”金目” を与える方も、貰う方も、不孝者です! 双方が、 陰徳を無視している欺瞞に気が付いていない、、、 ”金目”こそが、不義であり、不孝なのに、、、 あらゆる矛盾を、金目で解決しようとする人間の貪欲は、不孝です。 『孝』に反逆する業が、不孝です。 おわかりですか? ほほっ。 『天』も『地』も、物理学では、物質扱いですが、 東洋に置いて、それらは、決して物質ではなく、 『人』の気に感応をすると中国では考えられていました。 御嶽山の突然の噴火、 地球は、単なる物ではありませんわ。 生きているのです。 生きもの、、、、なのですよ。 我々人間より無意識界の根源の力を直截的に顕す生きものです。 よろしくおねがい致します。 ほほっ。 そんな事はないさ! あはは。 そう思われるのも一理一考ですが、 しかし、昨今の『天』の気、 『地』の気を観る限り、 我々『人』の所業の報いと、科学的にも考えられるようになっています。 二酸化炭素と地球温暖化、 人間の貪欲が自然のバランスを破壊しているのです。 そこまでは解った科学も、 しかし、色界の中の科学には、それ以上が分らないはずです。 解決策については、どうしようもないのですね。 科学者が、頭のいい人だと認識されるこの世界の価値観は、 かなり色界(物質界)に偏っていると謂わざるを得ません。 あ、いいえ、科学者は頭のいい方ばかりと云うのはその通りですね。 近代合理主義は、その色界を従える欲界の主ですから、、、あはは。 この現状を変える術は、能力は持ち合わせていないのです。 困った事です。。。 これからの地球を守るには、真に、東洋的な智恵が要る。 その事を書く事が、このブログの目的でございます。 ほほっ。 是非、少しでもご自分の故地、なつかしいふるさとの東洋です。 日本人が復権しなくて、誰が東洋を気にするものですか!? 世は、キラビヤカナ西洋へ、西洋へ、草木もなびく、、、 あはは。 どうか、東洋の叡智へ、心を止めていただきますように、、、 そして、全世界へ東洋の良さが広まりますように、、、 次の更新まで時間はたっぷりあります! ご自分の中で深く思索を、巡らせていただきますように。 では、ごきげんよう! -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |