![]() 2014
10/31 21:27 |
comment mix 2. 我々の中の智と云う自然を覚知して. . . / 法界Category : Comment mix
過ぎし日、、、夏の日の思い出
![]() 今日は、グッと東洋的に行きます! あっ。 今日も ? あはは。 上の写真、 地球と云う大地、 その『地』の上に青いベンチがおいてあります! どうぞお掛けになってください! あの暑かった夏の日々の思い出を、、、 ほっ。。。 もしか、 よろしければ、 海の波の砕ける音 (←ここを クリック) をお楽しみください。 Youtube を後ろに隠せば、BGMとして、 波の音だけが、60分つづきます。 ほっほっ。 我々は、『天』 に浮かぶ地球にいます。 太陽からの距離、、、 暑からず、寒からず、の中庸の処。 命が存在でき得るバランス、を保つ位置にいる地球。 これらを、あなたの意識にどう映るかは、さまざまでしょうが、 近代合理主義的科学の物的に偏った観点、 数字で表わす距離や大きさ、その組成と云う 『陽』の人工的に分析されたセクトを感じさせる知識を捨ててみると、 地球が、太陽系に位置する場所と云うのは、 実に妙! 妙としか言いようのない思いがします。 これは、誰がそうしたのだろう? ほほっ。 不思議、 そう思われませんか? ここが肝心中の肝心なのです。 この肝心こそが、 真の東洋の叡智、 仏教哲学の肝心なのですが、 今日は、そこまで追いかける余裕はございませんの。 ほほっ。 また、いつか、、、 でも、この事だけは書いておきますね。 ほっ。 この宇宙全体そのものを、仏法では『法界』と謂います。 仏の法が律動して存在する世界です。 仏教では、あらゆるものに命の存在を認めます。 我々の地球も、そうです。 飽くなき、自転と云う生きざまを続ける地球。 この地球と云う存在は、 命と云う座標軸からみれば、 我々の命を守る役割である(用法)事は、間違いがないでしょう。 この事実を受け止めれば、 近代合理主義のシャワーを浴びて、 完全に無意識を捨て去った人間になっていなければ、 そう受け止める事で、 お陰様、、、と感謝の心が湧いて来る事が自然でしょう。 水があるから、太陽の恵みがあるから、 地球の資源があるから、生きていられるのです! ほっ。 ありがたい、の気持ちですね。 その対極にある ◆ 西洋の近代合理主義では、 地球と云う資源を支配し、生かしているのは人間である。 その人間の意識こそが偉大なのである。 それこそが人類の進歩である! 、、、、、、、 でしょうか? あはは。 自分(人間)を中心に、この世界を物と観る西洋哲学、 そこまで偉大な人間の意識が、 近代化を成し遂げたのである! あは! 我を飾る物の追及に明け暮れ、ゴミは地球上に溢れています。 それでも止められない我々の欲望は、 地球の五行(木火土金水)の調和を狂わせ、 ついには、地球の自然のリズムを破壊する処まで至っています。 それでも止められない利益の追求とは、 はてさて、誰の為に ? その西洋の近代合理主義に踏みつけられて存在感のなくなった ◆ 東洋においては、いにしえから次のような心を培って来ました。 我々が、自己の存在の存続に, 安定と「信」を置く事ができるのは、この『地』のおかげである。 大地の安定への信頼こそが、『地』の徳である。 地球の お陰さまなのです! ほっ。 この真実が、どうして胡散臭いとか、オカルトだと言われるのでしょう? ほほっ。 そのあらゆる生の現象化を支える大地。 それが、仮に、この世では地球です! ほっ。 かように、4000年前の東洋人の洞察力は、 それを、『地』の徳性は「信」である。 と覚知したのです。 この優秀性を失ってはいけませんね。 それが、五行学です。 このブログの記事の中に頻繁に出て来る『陰』と『陽』の淵源は、 古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出した陰陽学です。 五行学と陰陽学を合わせて、 五行にそれぞれ陰陽を付して、5×2 = 10 で、 甲、乙。 丙、丁。 戊、己。 庚、辛。 壬、癸。で十干となります。 十干(じゅっかん)で、大地を表わしますと、 大地は、戊(つちのえ)になります。 東洋は、むずかしい? あはは。 西洋の表音文字とは違って、 漢字ひとつにも、哲学がこもっていますから、、、ね。 ほっ。 『天』の雲の下は、海。 どこまでも広がった青々とした水平線。 海は、五行学で、壬(みずのえ)と謂います。 『天』と『地』の間を、気となって自在に動く「水」です。 「水」の性は、自在変化、水平、浄化清明です。 「水」を自在に動かすエネルギーは、太陽エネルギー。 大陽は、五行学で、丙(ひのえ)と謂います。 「水」は「火」の熱で蒸気となり霧となり、『天』へ昇って雲となります。 我々『人』の身体を満たしている「水」も同様に、 我々の命の熱で汗となり、『天』の気へ混じります。 水は、『天』に上る時に、浄化清明になります。 これらの蒸気や霧や雲となった水を、五行学で、 癸(みずのと)と謂います。 ◆ 壬と癸の違い、お分かりになりますか? ほほっ。 ・ 壬は『陽』の水、動かし難い現象としての大海。 ・ 癸は『陰』の水、移ろいやすい現象としての湿気、霧、雨、雲など、、、 壬は『天』に昇って癸になり、 そして、ふたたび『地』に降り来たり、壬に還ります。 そう、ベンチに座って眼の前に見える 広い海は、「水」の陽の姿です。 「水」の役は本来、 命を生み守る智、 その清明さで邪知や欲望で汚れた命を浄める智となり、 機に従う柔軟性は、命をはぐくむ智そのものの働きです。 生れるまでは我々の命を外から守り、 生れてからは我々の命の中から守ります。 そして、体内の「水」は、 絶えず『天』の水と入れ替わって命を保つのです。 つまり、智と云うものは命の中に在るものです。 決して、体外に在るものではありません。 我々の智は、常に新しく、自然にある智と入れ替わります。 この事は何を意味するのか? 我々の智恵は、我と宇宙法界を結ぶ無意識界、 我と一つである自然から、 我の体内の無意識層から 湧いて来るものです。 智は、あなたの五感で捉えられる意識界の現象の中には無く、 あなたの外(環境)には無く、 あなたの内にあるものなのです。 智は、あなたと無意識界とをつなげるものです。 あらためて 「水」の徳は、智。 「水」の徳性・智は、 『人』が『天地』の間で中庸の生活を営む限り、 その性、冷厳さで、『人』の欲望の熱を冷やし、中庸ならしめ、 その性、清浄さで、『人』の意識の汚泥を洗い流し放流するものです。 地球上の『陽』の現象界の汚物は、すべて海へ流れ入り、 海の壬の浄化力で、無毒化されるのです。 その無限の浄化力のとどろきが、 yuotubeのBGMの波濤の音からあなたへ届きませんか? 『人』は、この自然の浄化力を超える悪事をしてはならないのです。 それは、悪です。 我々の命を守ろうとする自然に対する反逆です。 『孝』を滅多打ちにする事です。 取り返しのつかない不孝です。 近代化以前の『人』は、ここまでの事はして来なかった! 『人』同士で殺し合おうとも、幾度の戦争をしようとも、 自然まで犯す事はなかったのです。 あくまでも、自然を変えず、自然を畏れながら、 あるがままの自然の中での『人』の愚かな行為だったのです。 しかし、今はどうですか? 自然を犯す技術を手にしたのは、近代科学の成果です。 原子爆弾、放射能、 化学兵器、 環境ホルモン、遺伝子組み換え、クローン技術、 それらを食品へ取り入れさせた利益追求の資本家たち。 日常的に、それらがスーパーで売られ、食べている現実! 我々は、『孝』どころか、 『孝』への反逆の時代に生きているのです、、、 けっして、江戸時代の人より便利だなんて得心しないでください。 比べようもない命の本源に逆らう時代に生れているのです。 我々の不孝の行状が、 自然からどう還流して来るのか? 覚悟するべきです。 東洋の観点からは、宇宙即我、 地球をないがしろにしたエネルギーは、即、 自己の命へ為したと云う事、 我々の命がどうなるのか? 『時』をかけて、『天』は現象化させるはずです。 ただ、もう、恐ろしいのです。 さすれば、 福1で起こってしまった事は、どっちなのでしょう? 被災者と云う『人』への賠償金で済む次元ではありませんのよ。 被災者が住める町を復興する、、、 経済的な、それだけの物理的な問題ではありませんのよ。 これは、あくまでも意識中心の現象界だけのくくりの解決法です。 これらはすべて、 近代合理主義の浅はかなロジックの便法にしか過ぎないのです。 取りあえずは、現実を優先して、そうするしかないだけですわ。 これで、納得をしてはダメです。 目で見える世界だけを見ているのでは、 その現象の本質は見えないのですから、、、、、、 この事を『智』から、述べてみましょう。 『人』が『天地』の間で、さも賢(さか)しらに調和を破る場合には、 「水」の智の徳は、愚(おろか)の悪徳へ変容します。 そして、その『人』の住む国土においては、 愚かは、あらゆる命に刃向かい、破壊し尽します。 その『人』の住む国土、その大地の徳性・信は消え、 植物・「木」の徳性・仁も、消え失せててしまうのです。 今夏8月の広島市の土砂災害では、例年の3,7倍の雨が降り、 9月の北海道の大雨の特別警報時は、例年の2,4倍の雨が降りました。 近畿や中国地方でも、平年の3倍を超えました。 この原因を、気象庁は太平洋とインド洋での水温が高く、 気圧配置のバランスが崩れた為と説明をしています。 しかも、変化をしたのは、 雨量が量的に多くなっただけではなく、雨が強くなった為だと、 木本昌秀、東京大教授は指摘をしています。 その証拠に、1時間に50㎥以上の雨が降る回数が、 70年代は、年に180回位だったのが、 昨年の2013年には、237回に達したと云うのです。 同時に、自然界の変化は、これだけではなく、 大量な雨が降る代わりに、 まったく雨が降らない場所、日も増えている事です。 大雨か、干ばつ、気象が極端化して来ていると云うのです。 7月、アメリカのカリフォルニア州のヨセミテ公園で起きた山火事は、 3年連続も、深刻な干ばつに見舞われている上に、 昨冬の降水、降雪量が平年の約2割に止まり、 地表が太陽光にさらされて土壌中の水分が蒸発し、 夏場に大気の乾燥が進み、 山火事が起きやすくなっている環境であった訳です。 亜熱帯と中緯度の地域は乾燥し、干ばつや、山火事を起こし、 中緯度の湿潤な地域は、豪雨や大雨が増えています。 世界的にみても、 死者10人以上を出した洪水、渇水、土砂災害、暴風、熱風は、 2001年からの10年間で3496回、 それ以前の10年間の1,5倍です。 I PCC(気候変動に関する政府間パネル)は、第5次報告で、 石油と石炭を大量に使う人間が、 地球温暖化を引き起こしている可能性が極めて高いとし、 その影響は「全ての大陸と海洋に表われている」と指摘をし、 また、今世紀の中(2050年ごろ)には、 平均海洋水面が、最大82cm上昇すると予測を出しています。 これは、当然の如く、地形の事だけではありませんわ! すべての現象が、食糧難へ向って行っていると思います。 『人』の命へ不孝のエネルギーが還流するとなれば、 そうなるのが至極、当然です。 悔しいのは、今の大人の所業で、 未来の孫子たちが苦しむのです。 悔しいですね。 よく、覚えておいてください。 自分の所業の結果は、三代先へ現象化すると云う事です。 とにかく、日本全国、食糧自給率を上げるべきですね。 さあ~みな、帰りなん、いざ! 自然へ! 田舎へ、田畑へ! ほほっ。 東洋の我が国の、元々あった種を植えましょう。 モンサントのF1種ではなく、自家採取の種をですよ! モンサントは、びる・げいつが大株主の多国籍企業です。 日本は、TPP以降は、この会社から 遺伝子組み換えやF1種の種を買わされる事でしょう、、、 日本は、車を売らせていただく代わりに、 日本人の命をダメにする食品を買って食べるのですね! これも、あれも、戦勝国の戦略と思えば、くやしいですね、、、 これらの事から、 近年、我々が、この気象現象をみて、 『天』の異常気象、『地』の大地震の恐怖、 自然界である『天地』に恐れを抱くようになって、 これからどうなるのか不安を持つようになったと云う事は、 自然・『天地』が一方的に不穏になったからではなく、 我々、『人』の愚こそが、 『天地』の中庸を破り、 『天地』の不穏さを引き出したと云う事に気が付かねばなりません。 もっと端的に云うならば、 我々、『人』が、『天地』の無意識界の道理を忘れ、 自分の貪欲を満足させる事だけが、楽であると云う、 意識の合理性だけを求め続けた結果であろうと云う事に、 立ち止まって反省をしなければいけないのです。 楽ばかりに、我を忘れてはだめなのですね。 いいですか! 楽の追及は、自己の権利ばかりを要求する意識が強まり、 自己が旺ずる事を求め続けます。 それは、『陽』の現象界に、熾烈な競争社会を現出させます。 これこそが、人間のモノ化、画一化なのです。 みんなが、自己の意識の満足だけを求める、、、 みんなが、CMに踊らされて、 同じものを食べ、同じ服を着たいのです。 同じものを憧れる、その流れは、 熾烈な競争社会を現じ、物は限られているのですから、 手に入る者、手に入れない者の、格差が生じます。 それは、そのまま、 敗者にとっても、勝者にとっても餓鬼道の具現です。 そして、餓鬼道の下は、地獄界、 人間を石ころのように扱う、、、 まったく、近代合理主義の思想の具現化そのものです。 この流れに入ってはいけません! いいですか! ここを、注視していただきたいのです。 第一段階 この競争社会の中で、 一番に踏みにじられるのは女の本質『陰』であり、 それによって起こる子供の犠牲です。 第二段階 女が、その徳性を失うと云う事は、未来の崩壊です。 子供は、未来そのものなのだから、、、 今、現在、日本は、第一段階です。 近代合理主義と云う意識中心の物質文明における 経済活動は、物に充足をした天界を目指すものです。 あろうことか、 その天界は、魔王の棲家なのですよ。 ほっ。 天国に天使がいるなんて、 ほほほっ。 あまりにも奇麗すぎ! 絵に描いた様な光景! ほっ。 事実、絵に描いた光景なのですよっ。 あれは、人間の意識が作り上げた絵本の如き空言、 根も葉も無い他愛ない空想、憧れです。 こうであったらいいなぁ~ 音楽や絵画、映画、歌、芸術の程度です。 ほっ。 なぜなのか? キリスト教は、いまだ天界の魔性を見抜いていないのです。 自己と他者に亘る魔性です。 これからも、見抜けるはずがない。 キリスト教理は、天国以上の場所がない! ほほっ。 欲望の満足を、最高と置く、教理哲学なのですから、、、 それと比較すると、東洋には、 天界に魔が住む。 好(慶)事、魔多し。 天人の五衰。 等の天界のもろさ、危うさを謂う諺や故事熟語があります。 こう云う点も、東洋の洞察力の素晴らしさを感じます。 狩猟民族ゆえの、 獲物を狙う精神から生まれた西洋合理主義は、 とことん地球を破壊する処まで、 自己の欲望の実現には頑張るのです。 あはは。 獲物を取るまでは、頑張るのです。 その為に、森や、その木々や、あたりを荒らしてでもです。 後は野と成れ山と成れ、、、 あはは。 自然相手の東洋の農耕民族とは、まったく違う! そう、その後のロジックがない、、、のです。 たらふく獲物を喰らった満足をして、 その天国で、欠伸(あくび)をして昼寝です。 あはは。 欠伸が出るのは、天国以上の目的がないからです。 その欠陥を生み出しているのは、、 自分の意識が、まっ先に、楽を目指す教えだからです。 他者をも天国へ連れて行こうと云う観点が漏れています。 愛や奉仕や慈善と云う言葉はあっても、 他者を救うと云う事は、自己を救うよりもむずかしいでしょう。 自己と他者の中に巣食う魔性も見抜けずに、 ほんとうにできると思ってか? あはは。 だから、今の世界が現出している訳です。 すべてキリスト教教理を根底とする 近代合理主義の歪みが生み出した産物です。 みにくいものは、みにくいものをうむ。 近代合理主義が地球のすみずみにまで広まって、 その正体が、おおいなる善だったのなら、 世界は、善の兆候に包まれているはずです。 どこに、ぜんのちょうこうがうまれていますか? ぜんが、せかいちゅうにひろまりましたか? どうでもいいことは、ぜんにんぶって、きょうりょくをしますが、 かんじんかなめのことは、きょうりょくどころか! えごをむきだしのたいこくどうしではないですか? そう、 まさに天国、諂曲(てんごく)なる天国ですね。 ほほっ。 < 諂曲 = 自分の本心を隠して従順を装うこと > 詰まるところは、 旺ずる極みは、衰。 もう、読者のみなさんは、耳タコですね、、、 ほほっ。 もっと、書きたい事は、湯水? のごとく溢れて来ますが、 あはは。 なにしろ、前書きのつもりが、 まるで第1部の記事のようになってしまいました、、、 では、ようやく本論です。 ほほっ。 今日の記事は、comment mix 2. 我々の中の智と云う自然を覚知して. . . / 法界 久しぶりの comment mix (コメント ミックス) です。 2013年 10月14日から丁度1年ぶりの同カテゴリの記事になります。 ここからは、 読者の皆さまにいただいたコメントで構成した記事です。 すばらしいコメントの数々をいただいております。 どのコメントにも、心を打たれるものがあり、 それらを紹介させていただきたいと思ったのがきっかけでした。 鍵コメントで送られて来たものも含めております事を、 ご了承ください! 都合により、編集、割愛させていただく場合があります。 また、必要な場合、私の返事を付けています。 (お返事は、◆と◆で挟んであります。) どうも、ネットの中での私のブログの評判は、 ”難しくて、長い、、、” のだそうです。 ほほっ。 それでも、なんとなく分かったような気になりながら、、、 読んでいると、、、ようです! 心より感謝申し上げます。 長くてお疲れの場合は、 訪問をし直して、続きをお読みになってくださいね。 では、1つ目は、 最近いただいた初コメントです。 紹介しましょう! “ 初コメントです! ブログを最初からアバウトに見させていただきました! これからまたじっくり読んで行きたいと思います。 質問なのですが、 女性は働かない方がいい。 それが本来の生き方っていうのは私もそうであると思います。 江戸時代みたいな生き方が本来あるべき日本の姿なんですよね。 でも時代が変わり 女性が社会進出するのが当たり前になってきていますよね。 時代がそうなってくると 時代に合わせなきゃいけないような気になってしまうのです・・・。 自然の生き方に反するのが良くないのは分かっているのですが、 時代の流れに逆らうっていうのは大丈夫なのでしょうか? 女性が就職したり起業したりっていうのはよくないのでしょうか? これからもブログの更新楽しみにしてます!” ◆ ご訪問いただきまして、ど~も! きれいに並んだ文章から、頭のいい方だなと云う感じを受けました! そして、私の中を盗み見た様な? ほほっ。 ご質問をなさって来られて、、、、、驚きました。 と、言いますのは、 “ 質問なのですが、 女性は働かない方がいい。 それが本来の生き方っていうのは私もそうであると思います。 ・・・・・・・・・ 女性が就職したり起業したりっていうのはよくないのでしょうか? ” 実は、こう云うご質問を前から受けております。 これに類する、立場はさまざまですが、 女性が働くことについてお尋ねをいただいています。 これに関しては、 今度きちんと記事を書かねば、と思っていた処でした。 ① 女性としての自立心から、 ② 能力もあれば、 時代が時代で、もう、世界を上げて女性!女性!なのですから、 迷われるのは当然ですよね! しかし、もう、ここまでで、 ① 自立心とは? ② 女性の能力とは? と云う大きなテーマが出て参ります。 現代は、 地球史上始まって以来の空前の物質文明の爛熟? 中で、 ほっ。 人間やこの世の存在を物質的観念で説明したロジックばかりが、 横溢している物質文明社会です。 特に近代化以降は、 意識が作った無意識を無視する幻想に包まれています。 ほっ。 近代化第3世代、若い方は、 完全にそう云った物質文明社会の中で生まれ育っていますから、 自立心とは? にしても、 女性の能力とは? についても、 物質文明的側面で判断をしてしまうようになります。 その危険性を、このブログで訴えているつもりですが、 まだまだ力不足なものですから、、、 ほほっ。 と云う事で、、、今回は、お返事ではなく、 いただいたコメントのご紹介だけにさせていただきますね。 非常に大事な内容になりますから、、、 これは、一人ひとりの命式、運命に係る事ですので、 きちんと、この問題だけを、 単独の記事で、 1回分の記事で、きちんとお返事をさせていただきましょう。 もう、しばらくお待ちいただきますか? 初コメント、どうもありがとうございました。 今後も、引き続き記事をお読みになってくださいね。 ◆ 2番目のコメントです。 “類ネットからこちらへ来ました。 東洋的教育法で、紹介されていました。 西洋と東洋ではこんなに違いがあるのだと驚かされます。 それを知らずに、 現代の人間は元々日本はこうなのだという受け取り方です。 近代化の歴史の前に、どう云う日本があったのか、 知る事は大事ですね。 そして、もっと大事な事は未来でどうなのか?です。 新たな東洋文明を築き上げてほしいと願っています。” ◆ ありがとうございます。 類ネットさんには、 拙ブログを何度かご紹介していただいているようです。 東洋的教育法は、絶対に失くしてはいけないものです。 私が知っている限りでは、 現在は埼玉県の嵐山の安岡正篤先生の記念館の 子供の論語教室のみかもしれません。 その前の日本を教えるべき、 と云う御意見ですが、ごもっともだと思います。 でも、日本の昔はよかった。と云うのとは違うのですよ。 ほほっ。 ああ、あのころは、 人々も善良でマネーを追いかけていなかった、、、 あはは。 あの頃の文化や伝統をもう一度! でもないのですよ。 文化や伝統は博物館の陳列ケースに飾って ケースの外から眺めるものではありません。 自分の趣味に合わせて昔の日本を復興させようとする事は、 危険ですし、あまりにも観念的過ぎます。 また、東洋思想がすべて良い、とは言い切れません。 儒教も、仏教も広まりながら通俗化しました。 一般庶民に受け入れられるという事は、 過去からの、もっとも身近な法に混じると云う事です。 過去のもの、捨て去るべきものへ、混じって行くのです。 仏教や儒教の輝かしい光が消え、純粋さを失っていく過程です。 それが、広まると云う一つの側面なのですが、 そして、形骸化し、本質 = 力を失っています。 それを仏教では釈迦が見越しています。 仏教の末法とは、釈迦の法の効力がなくなると云う事です。 それから言えば、今の既成仏教の寺院や仏像は、 仏力、法力のモヌケの殻なのです。 失礼! ほほっ。 常に、本質はどうなのか? 信じるに足るものなのか? その法の本質を求める事が大事ですね。 それと同時に、 元祖とか、教祖とか謂われる立場は、不変でなければなりません。 それが、過去に置いては、政治の権力で、 仏教の中に、神道が入ったりしています。 もう、グジャグジャ、混沌、化け物のようになっています。 本来、菩薩は仏の弟子でしかないのに、 ある宗旨においては、本尊が○○菩薩だったり、 釈迦が門番のような扱いを受けている? ほほっ。 素人目の私でもワカッテルのに~ どうして? と、驚くばかりです。 身近な亜流や異端ばかり、残骸が残っている状態です。 そこの隙間に、近代合理主義と云う雑草が、 蔓延(はびこ)る原因になったのではないか? まったく恐ろしい現場です。 “新たな東洋文明を築き上げてほしいと願っています。” その通りです。 鎌倉時代に、日本の仏教界は刷新が起こりました。 私は仏教に期待を寄せています。 近代国家である日本が、 自国の批判をする歴史を教科書で教える訳はないでしょうから、 これからの日本を背負う若者や子供達には、 日本の近代化は、良い面だけではない事を知ってほしいですね。 近代合理主義の本質を見抜いてほしいですね。 そして、今の骨の髄まで西洋化された日本人は、どうなのか? そして、新たな東洋文明を築き上げてほしいと願っています。 ◆ 3番目のコメントです。 “ リンク先のサイトも拝見しました。 最近、歴史というものに対して体全体が身を乗り出すが如く、 知りたいと内なる鼓動を感じる事があります。 知識を付け足すものでなく、 今という実相がきちんと過去と繋がっていること、 自らを以って 自分の川上に遡り、先代の人々との無意識での交わりをなす、、、 もっと昔の事を知りたくなりました。 特に調べれば調べる程、 明治から国を挙げての近代化には憤怒を覚えずにはいられません。 思想がこれほどまでに人の様を変えてしまう事実に そら恐ろしいものを感じます。 人の有り様や人としての宗たる教え、を伝える人がおらず、 結局は老いも若きも個々に都合のよいロジックを醸し、 好き嫌いでしか自らの生き方を体現することしか出来ない、 要は卑しく下品な人間が量産された、 全くの堕落に至っていると思います。 リンク先の「降りてゆく生き方」を拝見して、そう気付かされました。 お陰さまでようやく、 命式やそれぞれ五行の特性、星の意味が体に馴染んできました。 東洋の教えの深遠さを少しばかり覗けたような気がします。 自分の吉方から体質、苦手な季節、色まで、、、 自分を見つめる素晴らしい学問ですね。” ◆ 運命学の深みを徐々に認識して来られたようで、 非常にうれしい感じがいたします。 今の時代、物が溢れ、たいした何の挫折も無く、 時代の恩恵を受けてうまく行っていると思っている人達が心配です。 物質文明のまっ只中で、欲望する物を集める事に忙しく、 また、欲しい物を思い通りに集める楽しさで、 それが、しあわせだと思っている人達です。 こう云う生活をおかしいと思わないのは、自分中心だからです。 自分の意識の中に埋没しているからそうできるのだと思います。 そうではなく、自分の意識を中心に置くのではなく、 何を核心に置くのか? その核心に到達されるように、祈っております。 自分を成長させようと思ったら、 あなたの事を指摘し、批判をしてくれる人に近づいて行ってください。 あなたの命式から、それを感じました。 そうそう潰れるようなヤワな命式ではありませんから、、、 ほほっ。 今後の精進をお祈りしております。 ◆ 4番目のコメントです。 “夫の姉が不妊治療で妊娠しました。 男の子と女の子の双子でした。 男の子は生まれた時から小さくて、しばらく集中治療室に入って入院していたようです。 後でわかったのが、otintinがちゃんとなくて、女の子のような性器だったということ。 生殖能力がないんじゃないかと思います。 半陰陽のようなものなんだと思います。” ◆ 大事な情報をお知らせくださいました。 これも、私が一番心配をしているジャンルの問題です。 つまり、現代科学の医学における進歩? は、 【夢の実現】 あるいは【不妊を救う】等と、 美辞麗句を並べて、その技術を礼讃しています。 しかし、多くの人の運命を鑑定していて思うのは、 『天』は、決して決して、 人間の欲望から来る意識の思う通りにはならないと云う事です。 コメント下さった例は、その一例だろうと推察いたします。 他にも同類の事例が上がって来ています。 運命学として、これに関しては、 何時か記事にしなけれないけないと思っています。 貴重な情報をありがとうございました。 ◆ 5番目のコメントです。 “私達は、二元論で物事を分けて認識しているから、 道理に外れたことや残酷なことを平気でしてしまうのですね。 皆さんのコメント、とても勉強になります。 私も、オリンピックが日本に決まった時は、 木が倒れる前に必死に花を咲かせようとする姿が思い浮かんで、悲しい気持ちになりました。 山口百恵さんのことも、命式や家族関係を見ていくと、いろいろな面が見えてくるのですね。 東洋の教えは、本当に目に見えない本質的なことを教えてくれるのだなぁと、感動しました。 そして、厳しさも感じました。 ありがとうございます。” ◆ その通りなのですよ! 『天』は、意識の求める便利や効率の中に価値を置いてはいません。 命の尊さを求めて、感謝し、謙虚に生きる中にこそ、徳があると、、、 競争社会の中で、自分の欲望の満足だけを実現しようと、 自分だけを際立たそうとするなんざ、滅びの前の姿なのです。 ほっ。 それと、一番大事な事は、 何事にも節度があると謂う事です。 科学文明の進歩? まったく節度も何もない状態です。 それと、心得て行かなければならない事は、 いくら、【陽】の現象界の法律が、我々は自由平等なのであ~る、 と規定した処で、 一列に並んで、画一的なしあわせを求めても無理なのです。 自分らしく、周りの人と調和をし、自然と調和をする事が大事です。 自分らしくとは、近代的自我の自己主張とは違います。 賢明なるあなたは、お分かりの事と思いますが、、、 ◆ 6番目のコメントです。 ” 此方のコメントは、読み応えがありますね。 二元論のゆがんだ生命観が人をゆがめ、 時代を歪めているのでしょうか? では、教育も、政治も、医学も、あらゆるものが 二元論で歪められていることになります。 そら恐ろしい時代に生きているのですね。 毎回の記事がたのしみでもあり、深く考えさせられます。 ” ◆ よく記事を読んでいただいているようですね。 お返事の書きようがない位! ご質問そのままが、私からの書きたい内容になっています、、、 ほっ。 読者の方達が、すばらしいコメントを書いてくださるので、 自然と、私も、まるで記事のような? ほほっ。 長いお返事を、コメント欄に書くようになります。 コメントのお返事は、次の記事の更新翌日に書くようにしています。 理由は、次回の記事で取り上げてお返事する場合もあるので、 記事の更新を終わらないと、その事の予定が立たないからです。 新しい記事がアップされたら、その翌日に、 前の記事のコメント欄をご覧になってください。 記事よりもコメントのお返事の方が、 かなり突っ込んだ話題になっている場合もありますから。 ほほっ。 ◆ 7番目のコメントです。 “>この現実の世界が、そのまま常寂光土なのです。 この常寂光土の教えは、初めて知りましたが、 とても、感動しました!! 本当に、目が覚めるような、 希望の光が射し込んできたような、感じを受けました。 昔、スピリチュアルなセミナーなどへ通っていた時には、 周囲に「アセンション後の高次元の世界」を信じている人達が、 たくさんいました。 でも、私は、「高次元の世界」は綺麗事っぽいし、 現実逃避だと感じていました。 「天国」に通じるものがありますね。 (というか、言葉を変えただけなのかも?) >末法とは、釈迦の説いた仏教の内実が抜けて行って法力を失い、 >教えが形骸化して仏力を失った仏だけになる。 >名前だけの仏群が残る。と云う事なのです。 仏の名前で思い出しましたが、 高速増殖炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」、 インドの核実験「微笑むブッダ」と名付けられたのは、 末法の世だからなのでしょうか。 核実験や核施設に、仏教の名前を付けるのは、違和感を感じますね。 >自分と云う位置付けを、 >誰の意識にも捉えられない処に置いてある訳です。 >自分すらも犯せない、 >まして他人などが、この人物をどうしようとしても >決して犯す事ができないのです。 >------ それを、貴と云う。------ >実は、これが、『陰』の働き、女性の本分なのです。 和光同塵を実践している人とは、 最初はなぜか悟りを開いて飄々と生きている「高齢の男性のイメージ」 が思い浮かんだのですが、女性の本分だったのですね!! とても感動しました。 これから死ぬまでの間に、 少しでもこのような生き方ができたらいいな… と思いました。ありがとうございます。” ◆ 常寂光土について、 格別に何かを感じていただきましてうれしくなりました。 キリストの天国もそうですが、浄土宗などの極楽浄土も、 この世とは別の世界にある設定ですね。 架空のパラダイス願望といいますか、 現実を救う力が無いので、目の前の苦にあえぐ衆生を慰める為に、 苦に満ち溢れた現実を忘れさせあきらめさせる意図があります。 ひとつの衆生を導く方法、方便の教えとも言えるものです。 方便の教えが説かれる目的は、 それ以上の解決のステージを解く為なのですが、 それが、次の契機に説かれた場合は、 その時だけの仮の教え(権教・ごんきょう)になります。 しかし、 それ以上の法が説かれないままだと、 方便の役ではなく、それらは、ただのダマシの説にしか過ぎません。 つまり、邪教になるのですね。 スピリチュアルの事は、時々、少しですが、記事にしました。 近代合理主義が捨てた無意識界の現象面だけを、 意識が、意識の能力で必死に埋めようとしている。 それが、スピリチュアルですね。 近代合理主義が捨てた部分を、 意識が必死になって埋めようとしている、 だから、近代合理主義の範疇の物です。 意識の知識や言葉で説明をするのも頷けますね。 和光同塵は、女性の為の指針ですよ。 『陰』そのものの力を信じないとできない事ですよね。 ◆ 8番目のコメントです。 “こんばんは。 丁寧なお返事とコメントを、 拍手記事のお返事まで頂きありがとうございます。 一度、目を通しただけでは私は理解できておりません。 改めて読みに訪れます。 映画「降りてゆく生き方」の記述まであり、驚きました。 2010年夏、◯◯芸術大学の一般公開講座にて、 香山リカ先生と一般市民で、◯◯の映画資料館での 上映会がありました。 当時、頭の中でうまくまとまらず、記事にはしておりません。 内容はよく覚えてますが、結論部分がハッピーエンドとは違い、 映画にありがちな曖昧な終わり方と感じたのでした。 確かに結論のなかなか出せない問題です。 宇宙船「地球号」に乗っている一員、運命共同体である限り、 一人一人が自分自身の問題として考える事から始まるのだと思います。 現在、私自身も裕福ではないにしても、何不自由ない生活を享受していますが、 人間、努力だけではどうしようもないこともあるかもしれません。 それでも、何か方法はあるはず、と信じて、 真面目に考えて毎日を送ることが大切だと考えます。 ここに記したからには、私は前向きに努力する所存です。 改めて訪れます。ありがとうございました。” ◆ あ、やっぱり、そう云う事だったのですね。 無意識でシンクロしていたのですね。 ほほっ。 何の記事を書こうか? 考える事もあるのですが、 どこかから引っ張られるように、突如記事ができる事があるのです。 映画「降りてゆく生き方」を、取り上げようと思ったのもそうです。 前々から、企画をしていた訳ではなく、 いただいた拍手コメントを読んで, お返事を書く段階で決まったのですね。 フワ~っと、誘われるように決まりました! 既知の話題を取り上げる事でお返事が書けてよかったです、、、 “人間、努力だけではどうしようもないこともあるかもしれません。 それでも、何か方法はあるはず、と信じて、 真面目に考えて毎日を送ることが大切だと考えます。” 全く共感です。 私も、日々の生活の中で目立たなくとも心を尽くす事が大事だと 何項目か、生活の仕方を変えてみました。 こうでもしなければ、気が済まないものですから、、、 あはは。 今後ともよろしくお願いします。 ◆ 9番目のコメントです。 “台風一過、強風だけが残っていたのも静まりました。 これでいいのかと毎日かんがえるところです。 経済も消費が低迷しているとかで、諸費税の後だからだけではない 様な気がしています。 間をおかない天候の異常ですから 誰だってこれはおかしいと思うのでしょうね。 溢れている物を自由に買って無駄に使う事に罪悪感を感じています。 これらの私たちの自由を謳歌する行動の寄せ集めが、 欲望の拡大につながって自然のバランスまで狂わせる? 大袈裟かもしれませんが、二酸化炭素を削減できない現状では、 現在の経済よりも地球を守る方へ心は傾きます。 これでいいとは思えないのです。 昨年12月に成立した特定秘密保護法に対して、 県、市町村の議会が廃止や慎重な運用を求めて可決して、 衆参両院が受理した意見書が、約200を超えたらしいのです。 日本中が、政府に対する根強い不信感に覆われているようです。 どこかでブレーキを踏むかしないと、 このまま進むのは怖い気がしています。” ◆ 切々と書かれた文章に、ただうなずくばかりです。 きっと、日本中が、こう云う気に包まれているはずです。 あらゆる事が、皮相的な解決方法で進められて、 それでいて、他に方法がない状況なのです。 追い詰められているとは、こう云う状況なのでしょう。 前書きで、 I PCCの第5次報告に触れましたが、
よく、分っていらっしゃるじゃないですか! 意識が、現在と、現在の自分だけしか守らない。と云う事を、、、 ヨルゲン・サンダース教授は、正直な方ですね! ほほっ。 これは、今の地球上の気象変動は、 西洋哲学では手に追えないと言う事です。 このままでは、手遅れになると. . . つまり、行き詰っているのです。 さあ、どうしましょう? もう、東洋しかないな、、、 ◆ 10番目のコメントです。 “こんばんは、いやはや天のスケールは 人間の感覚からすると大きすぎて分かりづらいですね~ 幽霊の話を読みながら、 その昔テレビで、UFOを見たとか霊魂を信じている人と そんなものの正体は科学で証明できるという科学者の対決する番組を 思い出しました。 その時の感想はというと「完全には証明できてねーじゃん!」でしたが(笑) ☆ 地球の今迄を1年間に例えると、 ホモサピエンスが出現したのが大晦日の午後11時37分! ☆ よくもまあ、こんな短時間に地球の資源を貪りつくせるものだと 感心してしまいます。 陰の存在?見えない、感じることのできないものだけに 恐怖心を覚えていたのでしょうか? 今は、cosmosさんのブログに目を通しているからか 見えないけれど存在する何か? を感じれないけど有ると思うことで恐怖心は薄れております。 さて、科学や経済というお化けをいかにしてやっつけるか、 智慧を絞らにゃならない時代が来ています。” ( ☆ ☆は、編集で付けました。 ) コメントの中のこの部分ですが、 “☆ 地球の今迄を1年間に例えると、 ホモサピエンスが出現したのが大晦日の午後11時37分! ☆” 地球誕生から現在までの46億年の歴史を 1年365日のカレンダーで表したものがあります。 これを御存知で、コメントに書かれたものと思います。 実は、これも、私とシンクロしていたのですね!! ほほっ。 このコメントをいただいた時の記事に、これを引用していたのです。 記事を急遽変更した為に、 更新したブログ記事にはアップしなかったのですが、 このコメントをいただいて、 同時に同じ事を考え付いていたんだなぁって、 あはは。 思わず!こんなシンクロに驚いてしまいました! この際、いい機会ですから詳しくご紹介をしますね。 もっと詳しくは、ここへどうぞ! ・ 地球が誕生した時を 1月 1日 とします。 ・ 最初の原始生命が誕生したのが、 2月25日 39億年前、 ・ 大気中の酸素が増えて来たのが、 7月18日 21億年前、 ・ 魚類が出現して来たのが、 11月20日 5憶年前、 ・ 鳥類が出現して来たのが、 12月19日 1億年前、 ・ 哺乳類が繁栄して来たのが、 12月27日 ・ 類人猿から分かれた最初の猿人 であるトゥーマイ猿人が登場したのが、 12月31日 午前10時40分、 ・ 現生人類(ホモ・サピエンス)誕生が、 12月31日 午後11時37分、 近代化の幕開けとなった産業革命は、 12月31日 午後11時59分58秒 と、なっています。 地球が出来たのが、1月 1日として、 で、人類誕生は、 12月 31日 午後11時37分なのです。 つまり、今、現在を次の 1月 1日とすると、 地球が生れてからは、365日×24×60=525600分ですが、 私達人類は、現れて、まだ、 23分しか生きていないのに、、、 その上、、、、、、、 近代化からは、たったの2秒です。 2秒、、、、、 地球が出来てから今までを、1年間とすると、 近代から現在までの時間は、たったの2秒なのです! この2秒の間に、 我々は、なんてことをしているのだろう? そして、地球上の領土を取り合いして、、、 その代償に、地球資源を大量消費してまでも! と云う事は、2秒前までは、 我々の祖先、人類の歴史の 99,99999999、、、、、% は、 人間が造作物が乱立していない、 プラスティックがない! ビニールがない! あっは。 自然の中、森の中で生きて来た歴史だったのです。 森の中で、我々の先祖たちは、 人生を楽しもう! とか、 すばらしい! とか、 生きがいがないと生きていけない! とか、 何の為に生きるのだ? 自己実現だ! カッコイイ生き様を! とか、 こんなセリフを、言わなかったはずです!!! あはは。 食べる事に余裕ができて、 有り余った自己顕示欲のはけ口に、愚かしい言葉を吐くよりも、 命が置かれている自然の中の自分の生を ありのままに受け入れ、 生も、死も、一体であると受け入れていたはずです。 我々の先祖達は、 現代人のように、 生きる事を、わざとらしく、むやみに飾りたてて、 為に作ったようなロジックで目立たせようとはしなかった! 考えてみれば。。。 。 。 現代人は、臭いヤツなのですね! ほほっ。 その上、今の物質文明で有頂天になった我々は、 物質=物で作った道具立てで自己を飾れば、どうにかなると思っている。 運命はそんなものでは変わらないのですよ! あはは。 地球の歴史からすれば 2秒!と云う、 このまばたきの瞬間に、 この東洋の地は、西洋二元論に汚されてしまった、、、 そして、この日本列島にも 精神と肉体をバラバラに引き裂かれて、 『天』も『地』も恐れない人間が住むようになったのです。 これは、我々の事ですよ。 ほほっ。 『天』からも、『地』からも、守られない民の出現です。 故に、天変地異は日本中に起こり、 四方の海では、領土問題で脅かされているのです。 これらの原因は、ひとつです。 もう、お分かりですね! ◆ 最後、11番目のコメントです。 “最近のニュースを見て思ったのですが 先祖の運命が繰り返されること、 家系から来る運命を乗り越えるには、女性が『陰』の役割を果たすこと、 『孝』について・・・ 今回も、とても大切なことを教えていただき、ありがとうございます。 『孝』については、自分はまだまだ、 記事に書かれているような境地には程遠いです。 でも、このような『孝』の境地になれば、 経済や一時の楽のために、自然を破壊する行為はできないですね。 経済優先、環境汚染や中間貯蔵施設、児童虐待などの ニュースが毎日流れている日本は、 本当に『孝』が失われて危機的な状況なのですね。 それから、 秋葉原通り魔事件から6年ということがニュースになっていましたが、 犯人の加藤智大の弟は、最近自殺してしまったそうです。 男性二人兄弟でこのようなことになるのは、 絶家の家系?と気になり、加藤智大の生い立ちを調べたら、 母親に厳しく管理され、日常的に暴力を振るわれて育ったそうです。 (多大なる母か?) 父親は信用金庫に勤め、一見悪い人ではなさそうですが、 母親が息子に暴力を振るっても、見てみぬふりをしていたそうなので、 父親としての威厳が無いですね。 この両親は、事件の一年前に別居、その後離婚しています。 彼と弟の生い立ちを読んでいると、悲しくて涙が出てくるのですが、 なぜ、このような犯罪が起きて、 何も関係のない人達が犠牲になったのか? 運命学的には、 ・男性二人兄弟だが、絶家運の家系だった ・家系に、犯罪者が出てしまうような、悪い因があった ・絶家になる家系は、家庭道徳が崩壊していて、 陰陽のバランスも崩れている 。 ・他人の命を奪う、自分の命を断つ、ということは、 命が大切にされていない、『陰』が欠けている家庭だった。 ・被害者には、その事件に巻き込まれてしまうような内因があった ということでしょうか? もちろん、 近代合理主義と現代社会の影響も深く関係していると思います。 1つ前の、4月13日の記事に、 「現代の近代合理主義の世界には、 一人ひとりの生・人生を価値あるものとする哲学がない。 人間を物としてみなす。 人間を道端に捨てられている小石と同じに扱う思想なのです。」 と書かれていますが、とても恐ろしく、悲しいことですね。 このような犯罪者が出てしまうと、 その家族や親族は、 マスゴミに追われたり、 世間から嫌がらせを受けたりして、 普通の社会生活が送れなくなってしまうのですね。 これも、家系の徳が消滅していることの現れなのでしょうが・・・ このような事件が起きる前に、気がついて自覚していたら、 悪いものを止められたかもしれないのに・・・ などと、考えてしまいました。” ◆ 非常に、物事を深く捉えられているのに感心をしましたよ。 私のブログをよく読んでいただいているようです。 その事に、感謝申し上げます。 まず、家系の重要性、そして、『孝』について、 女性が果たす役割は、もっとも大事な事柄ばかりです。 “『孝』については、自分はまだまだ、 記事に書かれているような境地には程遠いです。 でも、このような『孝』の境地になれば、 経済や一時の楽のために、自然を破壊する行為はできないですね。 ” そうなのです。 一人一人がそうなって欲しいと思って、このブログを書いています。 真の自然観、真の人間観をお持ちになってください。 そうすれば、かならず『天人地』の素晴らしい三才が揃います。 これこそが、必要なものが望まなくても恵まれる吉瑞なのです。 “経済優先、環境汚染や中間貯蔵施設、児童虐待などの ニュースが毎日流れている日本は、 本当に『孝』が失われて危機的な状況なのですね。 ” その通りです。 『陰』を無いとする近代合理主義の思想性が跋扈している状況です。 『陰』は、すべての命の本源地です。 それを無視すると云う事は、自己の命へ刃を向ける行為です。 “彼と弟の生い立ちを読んでいると、悲しくて涙が出てくるのですが、 なぜ、このような犯罪が起きて、 何も関係のない人達が犠牲になったのか? ” まず、一般的なお答えをしますね。 何も関係がない人達ではないのです。 分かりやすくする為に、物理的な例で説明をしましょう。 手で机を叩く。 そうすると手が痛いですね。 我が身から外に出したエネルギーは、 かならず、外の対象から帰って来ると云う事です。 手で机を叩くような事は、時間の経過がなく即、ですが、 人の重い所業は、何百年? ほほっ。 掛かるようですよ。 もっと、掛かるのではないでしょうか、、、 犯罪の加害者、被害者の場合、 生命は永遠ですから、遠い過去からの因縁浅からぬ関係があった、 そう解釈をします。 今世、殺すと云う事は、過去のいつか、殺されたのかも知れない。 また、殺されると云う事は、過去のいつか、殺したのかも知れない。 殺したから、殺されると云う現象化が、あったのです。 同じ、相手同士で、です。 もっと、複雑な入り込んだ理由が潜んでいるのですが、 簡単に言うと、そう解釈をします。 それが、内因になります。 自己の内因が、外因を引き寄せるのでしょうね。 相手の内因もそうです。 お互いが、外因になるのです。 喜ばしい事も同じ原理ですから、 どうすれば、慶事が起こるか? その内因を積んでいくように努力をなさってくださいね。 “・絶家になる家系は、家庭道徳が崩壊していて、 陰陽のバランスも崩れている 。 ・他人の命を奪う、自分の命を断つ、ということは、 命が大切にされていない、『陰』が欠けている家庭だった。 ” その通りです。 家族間の不道徳性に尽きます。 そうすれば、現代が、どれだけ絶家を量産しているか? 怖い位です、、、 家系の徳が消滅して行っている、、、その通りです。 秋葉原通り魔事件の犯人の加藤智大と、その弟について、 調べられたのですね。 男二人兄弟でも絶家の家系なのです。 こう云う家系の場合、父権が弱く母権が強いのです。 今後、 命の継承と運命シリーズで記事にしようと思っていますが、 男兄弟4人であっても、5人であっても 絶家の終末家系と云う例は他にもあります。 母親が、どうして強く生れているのかを知るには、 その3代くらい前の家系を調べてみる必要があります。 一人娘だったりとか、跡取りだったのにお嫁に来ているのです。 あるいは、お墓の問題ですね。 現代に置いて、そのどちらも大事にされていないものばかりです。 現代のこの風潮が、 今後、良い事はもたらさない。 それを思うと、背筋に冷感を感じてゾ~っとします。 それゆえ、近代合理主義を撲滅したいのです。 ほほっ。 非常に異様な思想です。 無意識を無視させる思想です。 永遠の生命から、過去と未来を切り捨てて、 現在だけの命に収縮させる思想です。 この罪は深いですね。 最後に、 我々は、生まれ来た家系の川の流れの中にいます。 その恵みも淀みも、それぞれ固有のものです。 そして、 自分の為した事は消えないのです。 永遠にです。 それであるならば、 この世に生きる我々の役割は、 今、いる川の恵みに感謝しつつ、 後に続く子孫の為に少しでも淀みを浄化するしかありません。 さあて、どう生きるか? 貧愚下賤の身である、占い師如きの私にはお答えは出来かねます。 見聞きした実相を、なんとかお伝えをしたい、 そして、どうしても東洋の叡智を、この日本から失くしたくない。 その願いで、このブログを綴っておりますが、、、 後は、みなさまが深く思索をしてくださいね。 長~い記事にお付き合い下さって、 ほほっ。 おつかれさまでございました! 最後までお読みくださった事に、感謝申し上げます。 次の更新まで、どうかお元気で! よき日々をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |