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    〔近代化の奈落 5.〕   我々の中の東洋的世界観の崩壊から来る   混乱

    Category : 運命学と近代化
                              陰陽太極図


                  太極図


       

    上の図は、有名な易学の陰陽太極図です。






    どこかで見た記憶がありませんか?





    現在の韓国やモンゴルの国旗の中に使われています。
    あぁ、、、と気が付かれた方もいらっしゃる事でしょう。






    易学の陰陽太極図と謂うものは、


    いわゆる古代中国において【東洋的直観で見出された世界観】、
    宇宙観と謂ってもいいものです。
    我々が生きている、この世界の存在の本質を説明している図です。





    えっ!?  
    宇宙って、、、、、本質って、、、、、 
    言葉だけ大袈裟ね! だから、東洋ってうさんくさいのよ、、、 って
    思われませんように、、、   あはは。


    陰陽大極図について詳しくは、後ほど. . . . .













    今日は、2014年 3月 6日以来の
    久しぶりの〔近代化の奈落〕のシリーズの記事でございます。



    同シリーズで近代家族に付いて書いてから早、1年が経っていますのね。


    シリーズが久しぶり、って言いましても、
    もう、記事の更新自体が4ヶ月ぶりです!     ほほっ。





    早いもので、前回の更新の暮れから
    アッと云う間に桜花爛漫の春になってしまいました、、、  あはっ。
    読者のみなさまにはお待ちいただいて申しわけなかったのですが、
    多忙な上に、こんな事情がありました。




    と、云いますのが、
    今年第1回目の記事は、
    女性の読者の方々からのコメントへのお返事を書く予定でした。
    女性が、働くのをよしとするか、どうかと云うご質問をベースに、
    もう一つは、シングルマザーの方から、家系の絶家の問題と、
    ご自身の生き方を含めた今の社会のお尋ねでした。



    それが、こんな事を唐突に云いますと
    言い訳がましく聞こえるかも知れませんが、
    どうも、私の無意識が、それを書かせないのです!    ほほっ。



    どう云う状態かと云いますと、
    PCに向ってキーボードを打つ手が、
    なかなか予定稿へ行けないような文章を書いています。    ほほっ。
    私の意識と、手が一致していない!





    実は、私には、運命鑑定と云う意識の奥を見つめる仕事柄、
    よく、ある普通の事なのです。 が、
    今回は、重症、且つ極端に出てしまいました。。。


    こう云う事がありますので、
    お返事に関しては、次に書きますと云うような、
    時期はお約束はしないようにしていますが、、、
    またか、と思いつつ、、、困っちゃうのですね。    ほほっ。


    意識は、良く云えば責任感、社会性と云うものを身に付けていますから、
    こうしなければと云う事が、当たり前に、
    自分の行動や予定を縛るものとして在ります。
    女性の生き方についてのコメントへお返事を書こう! 
    私の意識は、そう捉えて、その切り口から書こうとします。
    それが、普通の行動、常識です。
    私の脳(意識)は、読者の方へのお返事を書くつもりなのです。




    しかし、それをしようとPCへ向かうと、
    手や体の方が、脳より奥から操作されている!    ほほっ。
    ダイレクトに無意識の指示を訊いている、、、
    、、、そのようなのです。     あはは。


    無意識は、その時、その場の条件には縛られませんから、
    意識が捉えているよりももっと奥の真実を知っているのです。
    それを、手がキーボードを叩こうとしている、、、





    それは、どう云う事かと云いますと、
    脳(意識)が自分の健康上のトラブルに気が付く前に、
    体はずっと前から、その兆候を知らせてくれるのと似ています。
    我々は、体がおかしいよ!とシグナルを何か出してくれているのに、
    忙しくて今、病気になったら困ると云う都合から、
    わざと気にしないように放置してしまう事があります。
    その間に、病気が進行をしてしまい、
    意識が無視しようにも無視できない症状になってしまって、
    やっと病院へ行く、、、が、もう手遅れになってしまっている。



    又、身に危険がふりかかって来た時に、
    脳(意識)よりも早く、とっさに身をかわす事ができるのも無意識です。
    意識が気が付いてからでは、遅いのです。 
    後から、一部始終を脳(意識)が気が付いてぞ~っとする、   
    あれですね!




    これが、意識よりも先行して分かっている無意識の賢さです。
    それに比べて意識の馬鹿さ加減は、
    五感にとってどうしようもない位の現象にならないと認識できない、しない
    と云う事でしょうね。





    意識には、いろいろ都合があるからです。   ほほっ。
    大きく言えば、時代の雰囲気、流れや、
    自由とは言いつつ国の法律だって無視をする訳にはいきません。
    国法を犯そうなどとは考えもしないでしょうが、
    自分や相手の立場、見栄や外見もあるでしょう。
    あえて解かっていても、そう思い込みたくないとか、、、  あはは。
    つまり、意識は、真実を見つめる事ができないのです。
    人とは、そう云った物にガンジガラメにされて生きているものです。
    要するに意識は、欲望を離れて独立する訳には行かないのです。


    これで、よく分かりませんか?
    意識中心の近代合理主義が、自由を特別扱いするのが?  あはは。
    自由でない意識が自由に憧れている、、、


    その点、無意識は自由そのものなのですよ。   ほほっ。




    身体の生命維持装置は、
    血圧や呼吸、内臓なども自律神経系で無意識に統御されています。
    だって、五感からの情報で意識が生命維持を統御していたら、
    意識が忘れていたから呼吸を止めていたなんて!
    命がどうなるか分かったモノではありません。    ほほっ。
    何者にも支配されない無意識は、
    我々の意識に関係なく、第一義に生命を守っています。


    異論はあるかも知れませんが、
    私は、直感的に分かる方が、
    脳(意識)より早く事実を掴み、
    また非常に本質を捉えていると思う節も知っています。
    運命鑑定など、まさにそうですから、、、
    本に文字で書けない事だらけなのです。





    しかし、記事を書くと云う行動の場合は、
    手は、意識で動かす随意筋です。
    それを動かすのは、主に脳(意識)だと思っていたいのですが、
    どうも違うようです。
    私が書きたいと云う脳(意識)を手が無視をするとは、、、?
    誰の手なんだ?
    何度も自分の手に向って叫びたい気持ちになりました。
    ずっとそんな状態で、
    意識の計画や予定などには無関係な文章を、
    どんどん手が、キーボードを叩いて来るのです。
    後、どうまとめるのか収拾がつかないまま、、、
    毎日、書く文章の焦点が変化をして行きます。
    そうして、2カ月くらいがあっと云う間に過ぎて行きました。    
    自分の意志で行動を決められないって云うのは、
    本人はとっても不幸なのです。     
    これが、自分のブログ内の事ですから、狭い影響で済みますが、
    締切などがある作家だったら、どうなんだろうと思います。







    毎日、記事にできない下書きを書いた後、
    ーーーーーーー  こう自問自答するばかりでした。


    (私の無意識へ向かって)
    一体、何を書かせようとしているのか?  ほほっ。





    毎回、私の場合は、書こうとするものよりも、
    こうして降りて来るもので記事ができあがっています。
    書き上がればテーマが全く違うものになっている事などザラです。


    しかし、今回は、降りて来るモノが多すぎて!!!
    PCのキーボードの前では、あらぬ方向へ記事が膨らむのですね。
    もう、記事にしたら10回分の更新できる分量を書き終えているのに、、、



    じゃあ、毎日キーボードで書いたものをアップすればいいのでは?
    と思うのですが、
    毎日ポイントが広がって、多すぎて、、、
    仕方ないから、テーマを無理やり決めてまとめようとすると、
    その下で、またもや違う文章が湧くように出て来て、
    手は、キーボードを、そっちへ向いて叩いている、、、   あはは。


    無理やりまとめようとすると、余計に無意識を刺激するようで、
    どんどんそっちへ、そっちへと広がるばかりなのです。  ほほっ。
    これじゃトコトン、
    無意識が書きたいと思っているものを全部吐き出させるしかないなぁ~
    今度は、もう勘念をして毎日、少しづつですがキーボードを叩いて、
    こうして、3ヶ月目が過ぎた頃でも、
    無意識の指図を受けている手は叩き終えていませんでした!
     

    いつ終わるのか?
    これじゃ、切りがないと思って、
    一時、ブログの原稿を書く事から離れて見たりしましたが、
    集中力を途切らすと、
    読み返せない位に増えた膨大な下書きの量の多さに、
    今度は、どのあたりに、何を書いたのか捜すのが大変なのです。


    もう、
    これは、ある種の地獄だな?    あはは。
    自分の手が、勝手に打ち出した記事の原稿の大波の中で、
    方向を見失って溺れかけているのですから、、、
    大袈裟ではなくて、ほんとうに、これで向う岸へたどり着けるの?


       あはは。
    なんだか、たかがブログなのに命懸けになっていましたのよ。
    もう、この頃は、自分の意識で “こう書こう!”
    などと期待する事を諦めていました。      ほほっ。





    いつになったらまとめられるように落ち着くのか?
    もう、これ以上、管理できない程の下書きを書くのを止めようと、
    それで、
    今度は、全ての下書きを内容に応じて分類し、
    名前を付けてインデックスを作るという作業へ、、、
    将来記事を書くときに役に立たせないと無駄と云うのか、
    もう、何をしているのかしら? 
     この忙しいのに、、、と、    トホホッ。


    それにも、すごい時間がかかってしまいました。  あはは。
    詰まるところ、すべてを資料化してしまいました。




    しかし、
    今までの経験から無意識は信頼できると云う事は分かっていました。
    もうこうなったら、無意識に謙虚に向き合ってみるしかない、
    そう思った時、
    無意識からの便りが届きました!     





    それを無理やり言葉にするとしたら、
    次のようなものになるはずです。


    これを認めたくなかったのですよ!
    だって、認めたら書くしかないじゃないですか。  ほほっ。
    やはり、私の意識は「苦」から逃げようとしているのですね。
    まったく覚悟ができていないわ!?       あはは。




    東洋の真髄を理解するには近代合理主義が邪魔になっている。
    近代合理主義の概念を含む言葉を区別し、
    その実体のない言葉の空虚さを明解にさせた方が良い。
    そして、東洋的世界観の崩壊から来る混乱が日本の底流にある。
    近代合理主義の限界と、その空疎から来るニヒリズムが世界にある。
    そこから今の世界や社会の混乱が起こっている。 






    ーーーーーーー と、まあ、こんなものでしょうか。。。
    しかし、これは深刻です。


    近代合理主義の限界と、その空疎から来る、、、 
    って、、、、、これって、実は、 う~~ん!
    ★飴と理科の国に関する事じゃないですか!


    あはは。




    いやぁ、手におえない!
    世界政治なんか、私のテリトリを超えています。
    しかも、、、、、、、



    はーー   世界観っ!  



    そこから、書かなくてはならないのか!
    とも思いましたよ。      あはは。




    もともと、拙ブログは、運命学のブログですから、
    運命学の内容を書くのが目的なのですが、
    なかなか、そうばかり言っては居られない状況なのですね。   ほほっ。



    それで、無意識の重い御託宣?に従って、
    世界観から書き始めようかと、
    イヤがっている重たい腰を上げた次第です。
    このイヤがっているのは、私の意識ですね。  あはは。
    その気持を押して、覚悟を固めるのに、2, 3 週間かかりました!
    世界観をテーマにするなんて、これは、大変な事なのです。
    まず、何処からはじめようかと、、、
    男の本質と、女のあるべき姿と云うテーマは、ぶっ飛んでしまいました。  


    あはは。


    この後、書きたかった運命学の記事も後回しにするしかないようです。





    以上の様な、実に困った経緯があって、    
    それで、今回、〔 近代化の奈落 〕の記事を、
    書かなければならなくなりました。   ほほっ。
    そうなのです、我々は地獄に落ちているのですよ~って、    あはは。


    今回の予定稿だった男性の本質から女性の働く事の良し悪し、他、
    すべての事象は、
    根本的には、世界観の相貌(そうみょう)から現ずる事だったのですね。
    女がどうのこうの、男は? それらの諸事は、すべて、
    どう云う世界観に属しているのか?
    そこから出て来る現象でしかなかったのです。



    これが、
    今回、無意識が私の手を通してキーボードで、教えてくれた事です。
    諸事を書くな、 根本を書け!
    そう云う事だったのですね。








    今、振り返って思うに、
    昨年から今年にかけて
    無意識が私の中へ意識化させようとしたものが多過ぎたようです。
    世の中のうわべの情報は、大差ないみたいに流れているけれど、
    実は、このうわべの平静さを装った情報の下に、
    渦を巻いている混乱が隠されているのです。
    そう気が付いて、無意識が私の手に書かせて来た内容を見ると、
    それは、戦慄が走るような事柄が含まれています。


    何時か、これらを少しづつ記事としてアップしようと思っていますが、
    どうなることやら、どこまで公開していいものやら、
    又、悩む事になると思います、、、
    ほんとうに、 今回の更新は、、、  とほほ。 と云う気分でした。





    ああ、やっと、本題に入れますわ。











    今日の記事は、
    〔近代化の奈落 5.〕    
            我々の中の東洋的世界観の崩壊から来る  混乱






    はっきり申し上げますと、
    【本質】を見失う処に、混乱が生れます。


    【本質】の存在する場所、
    【本質】の住所である『陰』を無視した近代合理主義に、
    【本質】は元々なかったのですから、
    いまさら、見失うなどと云うのは、おかしな表現なのですが、   ほほっ。



    ーーー もうすでに、今の世界は混乱しています。
    これは、後から少し書きますが、ニヒリズムです。
    近代合理主義がもたらしたニヒリズムです。




    ニヒリズムについて詳しく知りたい場合は、ウィキへどうぞ! 







    願わくは、なにも西洋を排斥したいのではありません。
    求めるものは、この世界の本質であり
    求めるものは調和なのです。
    西洋と東洋の調和です。
    今は、西洋の一人勝ちですから、
    せめて地政学的には東洋の地であった日本くらいは、、、
    東洋的世界観でやったらいいと思うだけです。   ほほっ。




    せめて、我々の祖霊の住むこの地だけは守りたい。
    それは当たり前の願いではないでしょうか?







    読者のみなさまが、本当に日本人でいてよかったと思うなら、
    本当の日本人になりたいと思うなら、
    その為には、みなさんが、
    ひとりひとりが、東洋に付いて通(つう)にならなければなりません。





    東洋の通になるーーーーーこれは日本人である限り当り前です。




    なんと、今は、西洋の通の貌をした日本人が多いのでしょう。
    それが、誇らしい、威張れる、自慢できる、そう云う時流なのですね。
    その時流に意識が迎合している。
    賢い人の意識ほど、時流に乗るのが上手なのです。
    時流と謂えども、それは現象でしかありません。
    【本質】ではありません。
    必ず、時によって淘汰されるものです。
    こう云う時流は終わらせなければなりません。




    そして、
    真の意味で、東洋と西洋の融合を成し遂げなければなりません。


    よろしくお願いしますね。      ほほっ。





    その為にも、
    まず、気が付いていただきたい点は、



    今の日本は東洋的世界観とは一かけらの妥協もない
    自然を人間以下の物質にしか見ない西洋のキリスト教理の世界観の中で
    成り立っています。


    まず、先に、これに気が付いてもらわないと、
    近代合理主義の正体を暴く事にはならないのですね。


    それは、つまり、
    東洋的な世界観が分からないという事と = なのです。






    分からないという、失礼な書き方を致しましたが、
    近代合理主義的には理解できるが、
    東洋的にはお分りにならない。と云う事です。




    解かると、分かるの、違いです。     
    解かるとは、合理的に理解する、、、
    分かるとは、合理ではなく、物の立て訳ができるようになる。
    【本質】か、方便なのかの分別ができるようになる事なのです。




    東洋は、東洋の意味内容を持つ言葉で表わさないと、
    東洋の心身を持った人間を通さないと分からないものなのです。



    ああ、めんどう!    あはは。




    とにかく、間違いないのは、
    どうか、体の血管の中には東洋の血を流してください! 

     
    近代合理主義の幻想のロジックの中で我を見失わない為には、
    なにが近代合理の災禍なのか、
    見極めなければなりません。
    その拠り所に、東洋的大きな世界観を知っておく事は大事です。





    と云う事で、まず、
    この、おおいなる東洋的世界観を知っていただきたいのです。
    その結果が、
    大いに東洋の優秀性に自信を持っていただけたら幸いです。
    その懐の奥の深さと広さをお感じになられましたら、
    東洋の復権にご協力を、、、、、、    あはは。
    どうぞ、どうか、
    東洋のこの日本に生まれた誇りをお持ちになっていただきますように、









    我々の世界観の混乱 o。.。o○o。.。o○o。.。o○o。.。o○o。.。o○o。.。o○ 






    ところで、現在の日本に、
    確たる世界観があると思われますか?







    我々は、約、148年前、  まだ、たった148年前です。
    和服を洋服に変え、和食を洋食に変え、
    家宅も何もかも近代化で生活様式を変えました。 
    それからの日本は、ただ一本道、
    我先にと、日本の伝統を忘れようとしているようです。

    それらは、我々のDNAに刻み込まれた文化と伝統を失った事なのです。
    こう云う生き方をしていると云う事は、
    何かあった時に、
    我々は自らの内のDNAに逆らうと云う結果になります。
    せっかく、蓄えて来た体内の蓄積を無駄にすると云う事です。


    我々が、何かあった時に、
    我々の中に眠るDNAは我々を助ける事ができないでしょう。
    現在の我々が、内なるDNAに記憶された世界観とは、
    懸け離れた世界観の中で生きているからです。
    そして、
    それが、内なるDNAに記憶された世界観を否定しているからです。


    さほどに、
    文化と伝統は重要で大事なのですよっ。



    しかし、それ以上に、一番の欠陥は、
    この世界をどう捉えるかと云う
    我々の存在の価値を決める世界観を、
    まったく変えて生きていると云う事にすら、普段気が付いていない事です。
    その変化が、我々の深い所で起ったものだから、
    無意識界で起こった事だから意識ができないままに、
    その事に、気が付かないままに生きている事です。




    気が付かない ・・・・・・・・・ これが意識の最大の欠点です。





    無意識を無視をし、
    『陰』のなんたるかを知らない近代合理主義に騙されて、
    我々は、近代化を受け入れたと同時に、
    いつのまにか、、、、、、
    東洋的世界観を西洋的世界観にすり替えてしまったのです。
    西洋はカッコいい~     あはは。
    それに比べ、昔の日本ってカッコ悪過ぎよ~      ほっ。
    ただ、その意識の満足性の為だけに、
    東洋の真髄を捨ててしまったのです。
    それに、まだ気が付いていない。




    現代においても、近代化の洗礼を浴びても、


    西洋、キリスト教圏においては、
    彼等の世界観は、歴史的にも地理的にもずっと、変らずのままです。 




    しかし、
    アジアの日本列島に住む我々の世界観は昔のままではありません。
    グチャグチャになっています。
    グジャグじゃです。 
    ぐジャグじゃです。
    グじゃ愚邪です。           ほほっ。



    西洋、キリスト教圏の人々がした事のない、
    そこまでの犠牲を払ってまで、
    自前の世界観をグチャグチャにしてまで、
    近代化と云うのはする価値があったのだろうか?




    いち早く、西欧化した日本がアジアの勝ち組なのだろうか?
    飴と理科のロジックに抵抗し、
    独自のロジックを構築する支那と半島の北がおかしいのか?
    飴と理科のロジックの中には、
    これからも入らないイスラムが不健全なのか?


    よく、考えてみる必要があるのではないですか?
    これから、300年単位で眺めて、日本は勝ち続けられるのですか?
    これから、1000年後、日本列島に日本民族はいるのでしょうか?





    現実に、
    もうすでに、


    ーーーーー 空間的に
    地理的には東洋に住む我々が、
    必ずしも東洋的世界観の中で生きている訳ではないのです。


    ーーーーー 時軸においても
    歴史的には東洋的世界観の中で長く生きて来た我々日本民族が、
    現に、東洋的世界観の中で生きている訳ではないのです。






    そう云う状況下で、
    日本人である我々が、
    東洋的世界観を知る事は大変に難しい環境になっています。





    東洋的思想は、非合理の烙印を押されて打ち捨てられております。








    我々は、どう云う世界観を持っていたのか?
    我々は、どう云う世界観を失って来たのか?
    我々は、どう云う世界観を踏み付けているのか?


    そして、その上に、


    現在、我々は、どう云う世界観を生きているのか?





    我々にとって、今、最重要な事は、
    我々の生きている社会の
    近代合理主義の持つ世界観の相貌、癖を知る事なのです。





    なぜなら、



    その世界観の相貌、癖が、
    我々の人生の相貌、癖となって現象化しているからです。








    ーーーーー ★ 我々が使っている言葉一つをとっても、
    今の世界観から、その世界観を反映した言葉の意味が生じて、
    我々は、その言葉の意味に自分の人生を賭けてしまっているからです。






    ほんとうに、近代化以降の、この言葉群で大丈夫なのですか?





    近代化以降の我々が、
    金科玉条のように信じて体を張って守ろうとしている
    自由、平等、人権等の
    言葉の持つ概念の空々しさ、
    それに気が付かないと、
    あらゆる問の答えは見つからない、分からないはずなのです。



    ロジック(方便)と真実を見分けられなければいけません。





    そう云う意味で、
    キリスト教理的な西洋思想の言葉になってしまっている
    現代の日本語の意味内容にも、注意をしなければならないのです。





    現在の日本に置いては、
    西洋合理主義の世界観の下での教育が為されております。
    我々が、学校教育で身に付けさせられている知識は、
    西洋的世界観から派生した概念や言葉でございます。


    つまり、『陰』を無視した近代合理主義の教育大系の中には、
    『陰』そのものを無視した教育しかない訳です。
    『陽』ばかりの知識を教えるしか能がない主知主義的教育を
    それを親から子へ孫へと三代続けるとどうなるのか?
    まず、足が消えて、、、
    生殖機能のある下半身が消えて、
    次は、、、
    知識のみを詰めた肥大した頭だけが、、、  あはは。
    戦慄を感じています。       ほーっ。



    日本列島に、日本人の魂を持った日本人はいなくなるでしょう。
    その前に、
    空き家が増えているだけではなく、
    【本質】が、無くなっているではありませんか、
    家の中味が、、、家族が、、、子孫が、、、
    人間がいなくなっているではありませんか、、、
    絶家が、おびただしく増えている現状を御存知ですか?












    間違いなく
    キリスト教理に基ずく西洋近代合理主義が、我々の常識でございます。





    もうすでに、近代合理主義の合理的な思考が、
    我々が、あらゆるものを判断する物差しになっていますね。


    もうしっかり我々のツールになっているのです。
    イヤ、道具どころか、規範? ルール?
    我々にとって命懸けの杖!になっているかも知れませんね。  あはは。


    我々が使っている言葉は、キリストの神の世界観から生まれた言葉です。



    何から何までがそうです。
    キリスト教理の世界観の中で
    我々は、キリスト教理が分割した物質と精神の世界、
    見えない世界は排除し、精神は置き去りにされたままです。
    片一方の物質の世界をたどりながら研究すると云う科学、
    到底、神には成れない人間の肉体と物質だけを、
    その対象とする科学、
    置き去りにされた精神、心。
    なのに、人間の五感を頼る意識だけは認めると云う!
    この近代合理主義の身勝手さと幼稚さに辟易とします。

    その幼稚な2元論の空間に閉じ込められているのが我々です。
    そこで、方便の自由と平等に命を賭けさせられて!
    ポイントを集めるように物を買って集めて、経済に貢献して、
    それが、真実生きると云う【本質】だなんて?
    馬鹿馬鹿しくって、
    ゲームじゃないのだから、
    そんな処?


    そう、それが、
    キリストが創ったと云う神が支配する世界観の中です。
    ええ、今の近代合理主義では、
    人間の意識が、神に代わって物質である地球の支配権を持つとか、
    物質的欲望を叶えた人間が成功者だとか、
    もう、もう、ボードゲームの人生ゲームそのもの。
    でも、
    これが、我々の人生を考える時の間違いない土台なのですよ。








    それでいいじゃない。
    日本人がインターナショナルになれたって事だよ。
    世界人、地球人に進化したって事だよ。   



    と開き直ってしまえばそれはそれで終わりなのかな?  ほっ。
    たぶん、その辺に普段の我々は居るのでしょうけれど。
    それらを全否定する訳ではありませんのよ。
    お昼寝のうたた寝の寝言は、その辺ですね。    あはは。



    でも

    ほんとうにそう?  これでいいのか?
    それがそれだけじゃないから、
    それがそれで終らないから、こうクドクド書いている訳です。  ほほっ。






    かって、【東洋的世界観】の言葉だったものが、
    近代合理主義の中で中味の魂を抜かれて、
    近代合理主義を擁護する言葉になっている。
    例えば、【寛容】と云う言葉だって、
    我々は、簡単に心が広い事だって使っていますが、
    仏教でいう寛容と、西洋合理主義の中で使う時は中身が全く違うのです。


    つまり、智恵の言葉が、合理のレベルに堕ちているのです。
    それを発見するのは悲しいですね。


    ああ、東洋が、心の追いはぎに遭ってしまった、、、と。   ほほっ。




    、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、



    我々が頼りにし、信じて受け入れている西洋的世界観とは、
    言わずと知れた近代合理主義の世界観です。
    それは、すなわちキリスト教理の世界観なのです。




    、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、





    我々は、どう云う風に
    東洋的世界観を踏みにじり、その土台の上に
    西洋的世界観を積み上げようとしているのか、
    148年前の明治の賢人たちは、
    積み上げられると思ったのでしょうか?


    西洋の上に東洋の世界観は積み上げられません!



    大は小の上に積み上げられない。
    小さい世界観は、大いなる世界観の上に積み上げられますけど、



    『陰』を無視し、排除した近代合理主義の上に、
    『陰』に【本質】を置く東洋的世界観は、乗せられないのですよっ!


    積み木で遊ぶ子供だって、直ぐにわかる事ですよっ!





    キリスト教理にいかに支配されているか、
    それをおかしいとも思わない例を挙げてみましょうか、、、





    ーーーーー ★ 例えば、本屋さん、図書館などへ行きますと、
    東洋の事を扱った内容の本も確かにあります。


    が、


    キリスト教理の世界観の中に立って、その中から生まれた
    【権利】や【所有】や【契約】や【自由】や【平等】や
    その他さまざまなキリスト教世界観から生まれた概念を持つ言葉で
    合理主義的な学問大系の中で論じられています。



    それらはつまるところ、
    いくら東洋を語った処で、
    東洋的世界観を知らないまま、
    西洋合理主義の頭で、言葉で、東洋の事を語ったものです。


    それらはイミテーション東洋でしかないのです。





    現代の近代合理主義の言葉の意味では、
    東洋を正しく言い表す事はできません。
    キリスト教理の枠組みの中である西洋的世界観からできた言葉では、
    東洋を正しく伝える事はできないのです。




    しかし、世間には、
    近代合理主義の言葉で解説した東洋が溢れています。
    この世においては近代合理主義的な方法論が、
    一番真理に近づく方法だと言わんばかりにです。




    こう云えば、次のような反論が出て来るかもしれませんね?
    学問が東洋をどう切り刻もうと、それは勝手でしょう?  
    それが、学問の自由なのだから、、、と。     あはは。


    このように、何事も自由と平等で仕切ってしまうから、
    本質が失われて混乱が起こって来るのです。






    頭がいい人達がどうしてわからないのでしょう?


    キリストの神の言葉で東洋を説明されても、
    我々の東洋を汚す事になるのが分からないのでしょうか?



    これらは、近代合理主義が東洋に対して無知だからです。
    西洋の哲学者は、
    東洋などに哲学があるなどとは思ってもないはずです。
    哲学はキリスト教理だけ。
    それだけが唯一思想なのだ、と。
    それほど、強い矜持を持っているはずです。


    『陰』を否定する近代合理主義が、
    『陰』を本質にもつ東洋的世界観を分る訳がないのです。


    無知ゆえに、許される事もあるかも知れないが、
    はたして、これは許される無知でしょうか?


    地球が壊れてしまったら、無知だったから?
    許される事ではありません。








    我々の問題点 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::




    それは、こう云う事です。




    何度も同じ事を書きますが、
    今、我々が物事を判断する物差しに使っている合理的な思考と云うのは、
    すべての部分が、キリスト教理だと云う事です。







    myものさしがキリスト教製?   とほほ。




    その上、今の日本の現状は、
    myものさしが、まさか、元祖キリスト教製だとは? 
    みなさん、自覚があるのでしょうか?
    それどころか、
    若い世代にすれば、これは国産?だと思っているかも?    あはは。





    つまり、我々の一生、人生、命を懸けた my ものさしは、
    近代合理主義だと云う事です。
    近代合理主義が行き詰れば、我々も道連れですよ?


    じゃ、もう、そろそろですよ。    あはは。







    世界観の重要性:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 








    どんな世界観を自分の常識とするか、と云う事は、非常に大事な事です。
    何故かと云うと、
    知らず知らずに、その世界観に合わせて物事を観てしまうからです。
    そう、あなたは、それに沿って人生を決定していくはずです、わ!
    個人なら、自分の枠内で済みますが、
    これが、政治家や科学者なら、どうなるの?    ほほっ。



    そういった例を一つ紹介しましょう。
    前回の記事に書きましたヨーロッパにおける17世紀の科学革命以降、
    科学者は、
    キリスト教理から独立して学問的真理を追究する事になっています。
    近代合理主義では、そうでなければならないのです。
    しかし、本当にそうなのかしら?      あはは。
    近代合理主義の枠組み自体が胡散臭いものなのに、
    そんなにきれいさっぱりキリスト教理を断ち切れるものかしら? 
    当然、疑っておりましたら、
    やっぱり、こんな事があったのだそうです、、、
    それを、紹介する前に、、、




    西洋のキリスト教圏は、ある意味、単一世界観です。
    キリストの神が、この世界を創った、、、ここから始まります。
    西洋の人々は、いまだに、、、
    キリスト教理以外の世界観を知らないでしょう。
    というよりも、他に世界観があるとは思っていない!  ほほっ。
    東洋に、まず哲学はないと思っているはずです。
    だから、知ろうとしない。
    というよりも、他の地域の文化文明より、
    自分たちのものに優位性をたっぷり感じているからこそ、
    他に学ぶ必要はない!
    この世界は、キリスト教理の通りだと、
    キリスト教理こそが真の哲学だと思い込んでいるはずです。
    キリスト教理は真実であると、疑わずに思い込んでいる。
    だから、ずけずけと自分たちが正しいとロジックを押し付けて来るのです。
    そのつもりはなくても、そう感じられますね。
    日本人は奥ゆかしい、遠慮ばかりをしているし、    あはは。


    だから、科学者であっても、
    この世界は神が全て創造したと云うキリスト教の世界観を、
    本当にいじらしい位に信じているのですね。
    疑わずに、、、非常に純粋培養な、、、井の中の西洋蛙、 あはは。




    その点、日本人は何でもござれ、です。
    昔から、古来の神道。
    儒教、道教は、中国から。
    仏教は、インドから。
    日本こそ、島国で井の中の蛙と言われておりますが、
    日本は古代から、非常にインターナショナルな思想圏です。
    今は、おまけに、西洋のキリスト教理に根ざした近代合理主義まで、
    慌てふためいて取り入れてしまってめちゃくちゃです。   あはは。


    おまけに仏教は、小乗から大乗までの種類があり、
    経典における教えの程度も、五時八教と謂われる立て訳があり、
    始成正覚(しじょうしょうかく)から久遠実成(くおんじつじょう)まであって、
    あるいは死後の世界も極楽から寂光土まで、さまざまです。
    このように、仏教の説く世界観は、
    縦にも横にも、奥行きもさまざまなバージョン展開があります。 ほほっ。
    それを、どれが一番なのか?
    知恵のない凡夫が迷いながら選択しなければいけないなんて!
    それに誤りがあったら仏に成れる処か、地獄へ落ちるなんて!
    実にハードでドラマチック、階段状に重層的な教えです。
    一番イージーな解釈ですが、
    時折、仏教は他力だ! なんて云うのが繰り返し出て来ます。、
    そう云う本、沢山書かれていますね。      あは。
    西洋的に単純化したいのでしょうが、
    そもそも、他力自力と分ける事自体が仏教的じゃないのです。
    西洋の二元論に通じるロジックを感じさせます。
    本物は他力も自力もあったものじゃないのです。
    仏教は、他力だーっ! と言っているレベルでは、
    まだまだ方便のレベルなのですね。    あはは。



    運命学の鑑定家が言うのもなんなのですが、
    どの宗派に出逢うかって、運命そのものですよ、、、   ほほっ。
    それに比べれば、
    イスラムも、キリスト教も、単純単色単一でよろしいようで、、、  ほほっ。


    そのように、日本人は豊富な思想圏に生きて来たおかげか、
    我々は、唯一なものを信じる事に畏れと、たじろぎを持ちます。
    それを曖昧さで表現する節があると思っています。
    イミシンなのを知っているから、島国だし、みんな仲良く!  ほほっ。
    だから、八百万と云う言葉は便利なのです。   ほほっ。
    差別を付けないで、皆を認めようと云う魂胆なのでしょう。


    なんでも受け入れる日本人は、
    キリスト教一本の西洋人にすれば、
    主体性のない意思のない曖昧さそのものでしかないでしょう。
    そう云う点では、西洋人の方に分がありますね。    
    だから、近代合理主義に舐められているのですよ。   
    でも、日本人は舐められているとは思っていない?   あはは。







    では、ここで、ご紹介するのは、
    自分の世界観に振りまわされた科学者の話です。




    日本で学問をする時には、
    科学者は、自己の世界観と謂うものをどうしているのか、
    八百万と云う建前と曖昧さで、脇に置いて忘れているのでしょうか?
    西洋は、
    個人の信仰をはっきりさせていますので、
    当時のヨーロッパの学者たちは、そうもいかなかったようです。
    (以下は、Science Secrets より)
    心にキリスト教理を信じ、その世界観を抱え、
    現実の学問的事実に、それをどうしようかと悩んだのだそうです。
    学問的事実と、聖書の中のキリスト教理の整合性です。


    地質学者が、
    古い地層から、現在の生物ではない化石を発見すると、
    これらは神が造った生物であるが、
    現在まで生き続けていないのはどうしてだろう? と疑問を持ち、
    それについては、
    過去に大災害が起こって全てが死滅したに違いない!
    と考えたのだそうです。   ほっ。


    こうして、キリスト教理の世界観の中で学説ができ上がる訳です。
    今、いない生物については、それでいいのですが、
    その反対に、
    神が、この世界を創る時に創造した今の人間や哺乳類が、
    古い地層に化石となっていないのはおかしい?    あはは。


    これは、大変な疑問ですよね。
    キリスト教理では説明するのが無理なのです。
    そこで、こう考えたと云うのです。
    当時の博物学者たちは、
    「大災害が生物を全て死滅させる度に、神は新しい種を創造したのか?」
    と、頭を悩ませたのだそうです。           あはは。


    これがサイエンティストですか?  
    科学的な追求が、普遍性の無いキリスト教理とぶつかる訳です。
    人間としては悩むのでしょうね。    ほほっ。
    キリスト教の世界観をまるっきり真理だと信じている信仰者としての
    思い込みが、科学者を、こうさせるのです。


    科学者でさえ、社会の一般常識や
    信仰の世界観の外には出られないのです。
    科学者と云えども、キリスト教理に合わせた説明をしたがる。
    合わせると云うよりも、その世界がそうであると信じている訳ですから、
    その世界観をはみ出た発想ができないのです。


    つまりはキリスト教理の世界観に問題があると云う事なのでしょうが、
    信仰者である科学者は、そうは言わない。
    神へ合わせる。
    これは、神の世界観に縛られていると云う事です。
    さように、科学者と云えども人間です。
    科学者の意識は、その世界観に縛られてしまいます。


    この後、ダーウィンの進化論が出て、
    生物は大災害で死滅したのではなく、
    生物は徐々に変化をして行くと云う説で落ち着きます。
    ダーウィンの進化論を証明する物的証拠、化石等は何もありません。
    それらについては以前の記事で取り上げたばかりなので、、、
    さように、意識はおぼつかなく、、、   ほほっ。
    まるで幼子、小児性まるだし、、、
    されど、権威に包まれれば誰も文句は言いません。
    まして、これでご飯が食べて行ければ、、、  ほほっ。
    それを、守るのも『陽』でございます。
    『陽』は、さように世界観と権威に縛られている、、、あはは。



    しかし、我々は、
    こんな科学が、あるいは、
    この程度の世界観しか持っていない近代政治が、
    我々の未来を何とかしてくれると思っていませんか?


    難問を解決してくれるのではないか? 

     
    と云う期待を持っていませんか?



    無意識を無視した意識の集積体である政治や科学の世界観が、
    創造的に未来を指し示す事は無理です。


    科学や政治がダメだと言っているのではありませんわ。
    その属している世界観、基盤にしている世界観が、ダメなのです。
    このままじゃ、テクノロジーの未来は、人類の明るい未来ではありません。
    原子力がそうです。
    原子力を管理できない世界観しか持ち合わせていない政治もそうです。    
     ほほっ。


    これは、人類の限界ではないのですよ。
    あまりにも、我々人間と自然を結ぶ世界観が無い
    キリスト教理を母体に発達した近代合理主義の限界なのです。






    真の普遍性を持った世界観を持つ事、それが一番強いのです。














    西洋的世界観の限界 ーーーーーーーーーーーーーーーー----ー☆







    これは、もう書く必要がないかも知れませんね。    ほほっ。



    西洋近代合理主義の世界観は、意識で解る範囲です。
    それが、陰陽学で謂う『陽』の世界です。





    東洋の世界観は、その『陽』だけでなく、
    意識が掴まえられない『陰』の世界も堂々と認めております。
    そこにこそ、存在の本質があるのだと。




    ここが、西洋と東洋の隔絶した世界観の違いです。




    西洋近代合理主義は、『陰』を否定していますが、
    科学は、未知の世界があると言っています。
    この表現は、意識から見た言い方であって、
    東洋にとって、それは未知の世界ではないのです。





    『陽』の現象を生み出す本体として『陰』を、
    東洋的世界観は取り込んでいます。





    強いて謂えば、
    科学が謂う、その未知の分野が『陰』に通じるかも知れません。
    しかし、科学は、
    人間の意識が合理的に解らない限り無い、と言う。
    非常に意識側に偏重したロジックです。


    まさに、方便そのものです。




    その、たかが方便のロジックで、
    人間の命や地球と云う大自然を支配しようと言う!??


    近代合理主義とは、なんと!
    とんでもなく!意識に限りない傲慢を許したロジックですね!







    東洋で云う処の「天」、
    「天」をここまで馬鹿にし、逆らったロジックを掲げていれば、
    「天」自然は、決して人間の味方にはならないでしょう。
    それゆえ、我々の地球号の危機が起って来たのでしょう。


    もう、西洋的世界観では、地球を救えない処まで来ているようです。




    近代化にも功績と言われる面も確かにあります。
    前回の記事に書きました17世紀の科学革命と呼ばれるものから、
    近代科学の発展による18世紀半ばから19世紀 にかけて起こった
    工場制機械工業の導入による産業革命、
    これらが、近代化の功績と呼ばれるものです。
    また、現代の科学文明を生んだのは、西洋近代合理主義です。


    この300年間、その科学文明が生んだのは、
    人類が【意識の楽】を求めて築き上げた物質文明です。
    現代の物が溢れる有り難さは、そのお陰です。


    しかし、ほぼ21世紀までの2000余年の歴史の中で、
    そのたった300年間の、お陰のせいで、
    地球を絶望的だと云われる状態までにしてしまったのです。



    ーーーーー これは、人間が自然界に起こした混乱です。








    紹介したいのは、気候変動についてです。


    ・ アメリカの研究チームによると、地球温暖化によって、
    気温が高いと大量に汗をかいて体内から水分が奪われるから
    尿路結石などの結石患者が増えると云う報告がありました。


    ・ また、2050年代になると
    熱中症で亡くなる人が現在の倍になるそうです。


    ・ 米科学誌「原子力科学誌会報」が、
    世界終末時計を2分進めたと発表しました。
    終末時計とは、
    日本が広島、長崎に原爆投下された2年後の1947年に、
    注意喚起の為に終末時計のプロジェクトが始まったのです。
    それ以来、
    世界が核戦争の危機的状況になれば針を進め、
    核戦争の心配事が減れば針を戻すと云う事を繰り返して来ました。
    近年、核戦争だけでなく、
    気候変動が判断基準に取り入れられ、
    今回、2分進めたと云う事は、気候変動で危機的状況が迫り、
    人類の滅亡を示す午前0時まで残り3分と云う状況になったと云う事です。


    PPCの第5次報告書では、
    農業分野で適応策を講じなかった場合には、
    世界的に主食の穀物の収穫が落ち込み食料不足になると言っています。





    2050年と云うと、後35年です。
    今、12才の小学6年生が、47才の働き盛りになります。
    今、生れたばかりの女の赤ちゃんが、母親になっている年頃です。







    それなのに、、、、


    現代の政治、経済が、
    地球の現状である、地球温暖化、地球資源の枯渇等々に対して、
    それらを止める事ができないようなのです。




    これらは、間違いなく現代文明の行き詰まりと破綻を証明しています。













    東洋的世界観 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::




    では、いよいよ東洋的世界観へ
    それが、冒頭の陰陽太極図です。


    易学の陰陽太極図は、
    古くは、道教などにおいても重視されたものですが、
    今さら、易経や道教をお勧めしたいのではありませんわ。   ほほっ。
    我々の忘れ去られた東洋共通の世界観を表わしているものとして、
    我々東洋人の先哲の智恵による遺産として掲げさせていただきました。



    と云うのは、
    易学の陰陽太極図は、西洋的世界観とは全く違う東洋的世界観を
    文章で説明を読むより、ずっと分かりやすく明示しています。






    易独特の世界観を知る事は、東洋的な世界観に近づく事になります。 







    東洋的な世界観に近づく と云う言い方?





    これは、
    我々は日本に住みながら、
    東洋的な世界観に近づく、、と云う事は、     ほほっ。
    我々は、現在、東洋的な世界観から遠くにいるという事です!



    このように、
    東洋的世界観は、東洋人の我々にも存在を忘れられて、
    とうとう地球上から無くなりつつあります。
    特定の個人や団体をのぞいては、ね。


    たとえば私の様に東洋的運命学を職業にしている場合、
    運命学の属している世界観を正真正銘信じておりませんと、
    鑑定依頼者を裏切る事になります。
    そう云う意味で、
    私は、東洋的世界観を保持し信頼しています。


    それ故、近代合理主義のボロが見えてしょうがないのです。





    個人の信条で東洋的世界観を持っている人間でない限り、
    日本に住んでいると云っても、
    東洋的世界観を持っているという訳には行かなくなっています。




    その反対に、近代合理主義の世界観の中で生きていれば、
    まったく近代合理主義の西洋的世界観を外側から観ると云う事は
    不可能だと思います。






    この事実から、日本は東洋の地に在りながら、
    もうすでに、その国体は東洋ではなくなっているのです。














    現在の我々の世界観:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





    今まで何度も書いて来ましたように、
    我々は、148年前、
    西洋のキリスト教理の世界観を強制インストールされて
    ただ今、さらに近代合理主義のソフトをバージョンアップ中です。
    我々の頭の中で、
    東洋の民の世界観は、西洋のキリスト教理の世界観で上書きをされて
    まったく無いのも同然です。
    我々は東洋の地に住みながら、
    頭の中は、西洋のキリスト教理の世界観のゲームソフで動かされ、
    まるっきしクリスチャンモードの仕組みになっています。







    それでは、易経の世界観へ入って行きましょう。






    易経の世界観 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::






    易学の占術とは、
    全宇宙の森羅万象の有為転変を観ずる占術ですから
    その元になる、我々を含むこの世界を知る事から始まります。 


    この図をご覧になってください。
    白と黒の巴(ともえ)の模様に、
    それぞれ反転した小さな丸の点があって、 
    古来より、魚の目に似せて見て取れる処から陰陽魚とも謂われますが、
    なんと! この図柄はタダの模様ではなくて、
    この中に、
    科学も解明していない全宇宙が描かれていますのよ!    ほほっ。  



    えっ?  
    見てもなんのことやら?  ですか、、、    ほほっ。





    この図柄の外側の◯、
    ◯が、、、、、太極 = 全宇宙 !   



    正円◯を一つ画いて、これが全宇宙だなんて!    




     あはは。    なんとも痛快です。







    近代合理主義の現代科学の知識が常識である今の社会では、
    宇宙とは、
    膨大で不可解で何やら捉えられないものの代表になっています。
    その不可解を東洋では『陰』と見抜いた訳ですが、
    近代合理主義は、意識では分からないモノは無い!
    のだそうです。


    ほっほっ。


    それを科学の目で探索をして少づつ理解をして行く、、、
    そうなっていますが、、、
    こんな方法で、何時か全てが分かるのでしょうか?
    科学が分かるのは部分にしか過ぎません。
    部分は部分なのです。
    皮膚や毛や爪や大きな鼻をくっ付けてもゾウにはなりません。
    しかし、
    そう云う近代科学の帰納法的な考え方に慣れている身には、
    それらをすべて飛ばして、



    ◯ が宇宙。    


     こう、云い放つ
    東洋の洞察力の大胆さとアングルの広さ!    


    これが東洋の演繹法と謂う凄みですね、、、







            ◯









    易経の謂う全宇宙である◯の中にある二つ巴(ともえ)模様、
    それは、
    太極の中を二分する白の『陽』と黒い『陰』が生じている様である。




    生じている、、、    静止図ではありませんのよ。  ほほっ。
    常に動いている。 エネルギーの動態図です。
    そう云う図でございます。





    中国、明の時代、趙撝謙が著した『六書本義』には、
    陰陽太極図と云う名前ではなく、


    「天地自然之図」という名前が使われています。
    東洋は人工的なもの、
    例えば、人間の意識(大脳)が造った人工的な概念や工作物と
    大宇宙自然と云うものをはっきりと区別をします。



    そう云う意味では、「天地自然之図」の名前の方が、
    分かりやすいかも知れませんね!
    分かりやすいって?   
    それでも、なんだか、わからない?    あはは。






    上の図を、もう一度、ご覧になってください。



    単純、率直にこの図を説明しますと、
    黒い勾玉の形の部分が、  『陰』
    白い勾玉の形の部分が、  『陽』 です。





    今まで、何度も記事にして来た事ですが、
    『陰』と『陽』の、
    それぞれの範疇について、簡単な説明をしましょう。


    『陰』と『陽』の下が、それに属する要素です。
    また、たとえば、
    『陰』の下の自然本体に相対峙するものは『陽』における現象と云う風に、
    『陰』の下の死に相対峙するものは『陽』における生と云う風に、
    『陰』 : 『陽』の組み合わせとなっています。




    『陰』                :   『陽』


    自然本体                 現象


     死                     生


    天然・自然                 人工物、言葉、技術、法律、
    (大地、山、川、海など)          概念(自由、権利など)
                            国家、権力機構、権威、
                            社会機構、


    暗闇 ・ (黒)                光 ・ (白)

       
    無意識                    意識


    女                       男


    絶対性                    相対性


    真理                      偽


    創造性                    破壊性


    内包的(含蓄)               分裂(分離)


    太平                     戦争


    結び(協力)                  解く(競争)








    ざぁっと、これ位でいいでしょう。
    いかがでしょうか?








    ーーー まず、東洋は、どう云う世界観かと謂いますと、
    まず、「見える世界」と「見えない世界」で成り立っていると云う事です。





    そして、それが、


    ーーー 一つである。と云う事です。




    仏教的な大きなテーマに、我即宇宙と云うのがありますが、
    我と宇宙が一つ。


    東洋は、すべてが一つになるのです。
    だから、我々凡夫が、仏に成れるのです。





    キリスト教では、決して人は神には成り得ません。
    神は神。  
    人間は人間。
    あくまでも、別々なのです。


    これが、
    キリスト教理の西洋的二元論における
    無関係にバラバラにされた存在同士の関係です。
    この事を肝に銘じておいてください。




    なにやら、哲学的な概念を説明するには、
    頼りない表現でしかないようですが、
    東洋的な真実は、『陰』ですから、
    そもそもが、『陽』である言葉で説明すると云うのがおかしいのです。




    陰陽太極図は、
    東洋思想が、その事を直感で洞察している事を示すものです。





    具体的には、この図の
    黒い勾玉の形の部分が、「見えない世界」 ・ 無意識界 ・ 『陰』
    白い勾玉の形の部分が、「見える世界」  ・  意識界  ・ 『陽』 


    この黒と白の抱き合ったような関係を、相対峙するといい。
    ーーー 西洋二元論のように、別々に存在すると云うのではなく、
    相対峙するとは、相対的、お互いがなくてはならない、
    片方が欠けたら存在はないと云う事です。











    つまり、易経の陰陽太極図は、
    この全宇宙と云うのは、
    『陽』と『陰』の世界の調和する事で成り立っている。
    と謂う東洋的世界観、存在の【本質】を表わしている図なのです。






    この【本質】を見失う処に、混乱が生れます。








    近代合理主義は、初めからーーー 混乱主義だったのです。





    すべてを、合理で図ろうなんて、狂っていたのです。



    ほぼ21世紀までの、人類の2000余年の歴史の中で、
    そのたった300年間で、地球を絶望的だと云われる状態までにした
    これは、
    人間自身の住む領域を混乱に陥れた思想そのものです。

















    世界観の混乱から起きる混乱 
    :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::









    我々は、自覚をしなければなりません。



    現在の我々の体内には、東洋ではない西洋の血が流れ通っています。
    それは、キリスト教理の血、そのものなのです。









    しかし、
    我々は、キリスト教徒ではありませんから、
    死後は天国へも行けないイミテーションキリスト教徒です。   ほほっ。


    東洋の世界観の代用に西洋の世界観を使う
    イミテーション東洋人でもあります。 



    日本民族は、行く当てのない、安住の地のない民に成り果てますか。




    この現実にふと我に返る時、こう叫んでみたくなるのですが、、、




    いったい、日本はせいようなのか?     
    日本は、とうようなのか?          ほっ。 
    にほんは、なになのか?      あは!
    いかに西洋化しても、西洋にもなれず、、、
    もはや、東洋でもない、、、






    自らの魂を踏みにじって近代化を成し遂げて、
    いったい、日本は、どうなりたいのか? 
    素顔を厭うて、整形をして厚化粧を塗った女のようです。


    あはは。







    さほどに、
    世はイミテーションな東洋が溢れています。
    イミテーション西洋先進国ぶって、    ほほっ。
    知らない間に、東洋の我々が、
    彼の十字軍の行進に加わっているのが分からないのでしょうか。




    近代的知性と云うフォークで刺し抜かれた東洋、
    我々の東洋の智恵と云う宝が、、、
    無慚な姿で粉々になって!
    捨てられたゴミ箱の中でしか見つけられないのでしょうか?!
    それらを思うたびに、悲しくなります。





    これは、間違いや、過ちなどではありません。
    混乱なのです。
    オーバーではありませんよ。      ほっ。




    これらは混乱なのですよ。
    これから始まる混乱ではありません。
    もう、始まっている、、、混乱が、、、、、






    日本が努力をしても、
    判断や見通しが混乱していくのではないかと恐れております。






    苦しむのは、我々国民です。
    その原因は?






    日本が持っている現在の世界観が混乱しているからです。






    日本人が一生懸命考えてやって行ったとしても、
    ますます混乱していく、、、何が何やら分からなくなる、、、







    なぜか?


    我々日本人は、
    主体的立場に立てる、自前の魂を持っているのか?  
    その答えは、 no! です。



    日本は、キリスト教の神のロジック(近代合理主義)の中では、
    主体的に応用する立場に立てません。
    首から下の役割、その重労働に耐える役割です。
    具体的云えば、相手の価値観を補強する奴隷になるしかない。。。
    近代化以来、その道を歩んで来たのです。









    どこの国にも、その国独自の価値観、
    風土や土壌に根を持った文化と云った物があります。


    我が国の歴史において、我々の先祖たちが為して来た事です。
    東洋の『陰』の智恵を積み上げて来た我が国は、
    それらをすべて捨ててはいけなかったのです。








    我々は、その東洋の『陰』に根ざす文化を捨て
    キリスト教を畑として成った物質文明を受け入れました。







    文化に比して、
    文明自体は、『陽』の集合体です。
    風土や土壌を持ったものではありません。



    ですから、物質文明はどこへでも、日本にも上陸し、
    アジア全域へ、これからはアフリカも巻き込むはずです。




    我々は、古来からの日本民族が積み上げた『陰』の文化を捨て、
    『陽』のキリスト教文明を選択したのですよ。
    それは、飴と理科から持ち込まれました。


    どう云う事かと謂いますと、
    飴と理科の建国の理念であるピューリタン的思想です。
    御存知のように、
    自らの責任において自らの力を最大限に発揮し成果を上げる。
    その為に、
    自由経済で市場競争を拡大し、競争によって自立と自助をはかる。
    個人の自由の大きな意味を与えたのが飴と理科の建国精神です。



    ケッコウナ事ではありませんか!     あはは。
    自立と自助を見習って、それの何が悪いの?
    って言われそうですが、      ほほっ。


    日本は、これだけを見習って追従した訳ですが、
    実は、飴と理科には、聖書中心の原理主義的なキリスト教の力があって、
    中絶絶対反対、進化論反対などを主張している
    反近代合理主義的な勢力が存在します。
    その上、
    地域における人々の連帯と、
    キリスト教会における人々の暮らしの絆、
    いくら自由と平等と云いながら、
    日本の様に何もかも失って、ふわふわと舞い上がる個人だけじゃない、
    飴と理科の社会で最低の個人生活の道徳的規律を保っているのですね。
    つまり、西欧と飴と理科にとれば、
    近代化によって、自らの文化を捨てた事がないのです。


    その上で、飴と理科は、近代合理主義の旗印の基軸として、
    自由主義、民主主義、市場経済などを絶対と見なしています。
    絶対的価値!とみなしているのですよ!
    (日本にその覚悟はあるのでしょうか?    あはは。)




    その上で、
    それらの絶対的価値観の世界展開をしよう!
    と云う意図を持っている訳です。
    そして、それを広げて行く先に起る脅威に対しては、
    積極的に戦争で以って対決して行こうとする用意があるのです。
    (日本にその同じ道を歩む覚悟はあるのでしょうか?)






    ーーーーー それに、引き比べ、
    日本は、文化を捨てた丸裸で個人主義、自由主義をやっています。
    個人生活の道徳的規範は、どこやらに忘れて、、、   ほほっ。
    東京の様な近代的大都市を作り上げる事に集中して来ました。
    近代的大都市なんて、物質文明の極(きわみ)です。
    『陽』の極みなのです。





    旺ずる極みは衰。
    一極集中で、日本中のエネルギー吸って滅びの現象化です。








    飴と理科の理念は、その絶対的価値観を拡大する事です。
    それが、キリスト教理から照らして絶対的正義なのです。
    飴と理科にとって先の大戦の大義は、その正義の為の戦争でした。


    そのロジックにおける日本の立ち位置は、
    飴と理科が絶対的価値観を世界展開しようとするのを邪魔した脅威、
    先の大戦を起こして正義である飴と理科に対抗した悪者、です。
    ですから、
    支那や半島からの日本への断罪は、
    飴と理科の正義を宣揚する為には、絶対に必要な事なのです。
    将来において、これは決して変わる事はないでしょう。
    つまり、
    飴と理科を中心とする西洋的世界観において、
    日本の、その役割とは?
    飴と理科の正義を永遠に支える役割なのです!


    これで、承服できますか?  ?  ?











    日本が先の大戦を詫びれば詫びるほど、
    飴と理科の正義が宣揚される構造です。



    この構造に、日本は自ら、選択して、
    東洋的世界観を捨てて飛び込んで行ったのですよ、、、




    これが、日本の近代化の実体です。






    これから日本の進む道は?
    この現実の解決策を志向する論調も出て来てはおりますが、
    その頭の中の回路は?
    やはり近代合理主義なのです。


    これで、真の日本の良さを発揮する事が出来るのでしょうか、、、



    これでいいのですか?
    これが、どう云う事を意味するのか?
    ここが一番大事な点なのです。





    これが、一体我々の人生に、これからの日本に、
    どうかかわって行くのか、
    いいえ!
    もう、未来形ではないようですよ。
    今まで、心身共に近代化を取り入れて、見た目、こう変わったと、、、
    分かる範囲の変化を問題にして来ましたが、
    これからは、それが、我々が身の奥まで取り入れた近代化の世界観が、
    これから、我々をどう云う風に苛(さいな)むのか?
    と云う問題になっていると云う事です。


    もう、『陰』を無視した近代合理主義病は身の中へ入り込んでいます。
    熱を出して、高熱です。
    体中にどんなひどい爛(ただ)れが出るのか、
    もうすでに、そのサイクルの時が至っています。






    物質文明が栄えると云っても、
    物質自体が、地球上の限られた資源なのです。
    その限界は、おのずと身近な処に表われて来るはずです。


    その欲望の満足を得られる人は、限られるはずです。




    「物質」で欲望の満足を得ようとする文明の中で、
    その物質的満足が得られない人間は、
    他人が豊かさの中で意識の充足を得ている横で、
    孤独な飢餓を感じるでしょう。
    そして、餓死しなければならない。
    それ程の「苦」があるでしょうか?


    これが、自由と平等、人権を目指した近代合理主義の
    物質文明の行き着く先です。






    また、それらの究極的な差別は、
    尊厳と卑猥の区別を付ける品位を失わせるはずです。


    尊厳を毀損し、卑猥を尊ぶ狂気が当たり前の社会になるでしょう。
    具体的には、
    自己の意識の都合で、他者を殺める事が悪ではなくなるのです。
    なぜなら、
    自己の意識よりも尊い存在を知らない人間は、
    自己の意識の尊厳が、あらゆるものに優先するからです。




    これらは、すべて『陰』を無視をし、
    自らの文化を疎んじて捨てて、物質文明に走り、
    目に見える価値だけを重んじ、感覚器官の満足だけを追いかけて来た
    近代合理主義の悲惨な結末として起こります。


    これは、日本に重く起るはずです。
    なぜなら、少なくとも西欧はキリスト教文化を温存しています。
    後進国だったアジアも、自国の文化を温存しています。




    日本だけが、丸裸なのです。
    恥ずかしくありませんか?
    公衆の面前で、丸裸だなんて!      あはは。








    『陰』を無視した近代合理主義病の病原菌を、
    我々の中からひとつひとつ毛抜きで抜く様に取り出して
    中味を入れ替えて行かないと、日本が、東洋が蘇らないのです。
    かなしいですね、、、、、   ほほっ。




    さぁ、どうしよう、、、






    その為には、近代合理主義をひっくり返さないといけないのです。



    どこで、ひっくり返すのか?   
    我々の意識の中で、近代合理主義を信じる事を止める事です。
    自らのDNAに潜んでいる東洋の智を思い出す事です。






    人間は、生まれ落ちた国土の人達が信じている世界観に染まります。
    言い換えると、人はいずれかの世界観に頼って生きるのですね。
    だから、いい加減ではダメなのです。





    もっと、詳しく言いましょう。






    東洋の智恵は、意識で説明できるものではありません。
    それらは、すべて、日本民族の無意識の中にありました。








    近代合理主義を受け入れた時、
    無意識を無いとするシステムチェンジで消されてしまったのです。


    どんな事も全て、簡単に【意識】で放棄するべきではないのです。
    本心命懸けで、先達たちが生きてきた歴史を捨ててはいけないのです。
    今、現代の我々が、
    我々の先祖たちが知りもしなかった近代合理主義を知ったからって、
    知識者ぶって、それを以ってして、
    先祖たちが為して来た事を、非合理であるとか、
    合理においては過ちであったとか、
    西洋の神のロジックに染まった我々の意識で、
    批判をし、簡単に捨ててはいけないのです。






    よく、考えてください。


    異教の神のロジックで以って、
    我々の先祖を、鞭打つ事になるからです。
    金縛りで、吊り下げる事になるからです。






    先祖たちが築き上げた伝統や文化を打ち毀す事は、
    我々が、立ち直る時の土台を失うと云う事です。
    西洋と比べるとカッコウが悪いとか、ダサいとか、論外です。
    日本がとことんダメになって社会を組み立て直す時、
    我々から力を引き出してくれるのは、そのカッコウ悪さなのですよ。

    ほほっ。





    ここまで、お読みになって、
    飴と理科の国との問題は、外交問題だと思っていた、って?   ほほっ。
    互いの世界観の混乱の問題とは思っていなかったでしょうね。




    何もかもが、文章で書き表せたり、目で見える世界だけではないのです。
    書類で書き表せる問題と、そうでない問題と、
    きちんと分けるべきでしょうね。



    目前の現実的な交渉で、
    相手の要求を受け入れざるを得ない利害問題と、
    我が国の伝統に関わる思想の問題とは、
    きちんと分けるべきなのです。


    利害問題に置いて、
    相手の無理やりな要求を受け入れても、
    自分の生命線は、断固として譲ってはいけないのです。





    もっと、具体的に言いましょうか?






    自由主義、民主主義、市場経済のリーダーシップをとる国と謂えども、
    その価値観に無条件に従う事は止めなければなりません。
    日本を国足らしめている根幹からが揺らぎ、混乱していくからです。
      








    我が国が大事にして来た文化や東洋的価値観は、
    合理的には説明できないからです。





    なし崩し的に、我々の世界観を捨て、
    異教の世界観を受け入れて来た事のズレは、
    これからどんどん大きくなっていくばかりです。
    信念を捨てた人間が、どうなっていくのか?
    信念のない人間は、どんなに愚かか、子供に教えませんでしたか?



    子供には教えられても、自分では実行できないのです。  あは。








    日本は、非常な窮地を越えて行かなければならないでしょう。
    なにしろ、自分の魂を捨てた罪を償わなければなりません。





    それを、失地回復するのに、又どれくらいの苦労があるのか?
    これから大人になった時に、
    その対応をしなければならない今の子供たちに、、、
    申し訳がない事をしている、と云う思いがあります。





    つまり、西洋的世界観の中で、
    日本は、
    自国の存続を賭けた生き方を全うする覚悟があるのか?
    今、
    そう自問自答しなければならないのです。







    その時に、西洋的世界観の中で全力が出せるのか?
    全力が出せない様なら、日本はその時に終わってます。  ほっ。





    そして、飴と理科の国と、真に対等な関係になるには、
    わが国が、西洋的世界観から抜け出なければならないでしょう。
    それは、同時に、
    飴と理科を旗印とする近代合理主義のロジックから外れて
    近代合理主義における絶対的価値観から解放される事です。
    そうしなければ、わが国の真の失地回復はできないのです。


    その時、初めて
    先の戦争は何だったのか?
    飴と理科の正義のロジックを外れて初めて、
    問い直さなければならないでしょう。




    そうしなければ、わが国の歴史は続きません。



    捨ててはいけないモノを捨てたと、
    それは、失敗などではなく、混乱を引き起こしていると、
    そう自覚して、日本に起っている事をもう一度よく見まわしてください。




    何時か必ず、
    我々は、自分の元の東洋的世界観に戻らなければならない、と
    反省するときが来るはずです。



    それが、我が国の『陰』なのです。





    時、はや遅し。   と云う事もあります。
    革(あらた)むるに、憚(はばか)る事勿(なか)れ。 
    と云う事もございます。








    日本の、今の危機は?
    これから将来に起って来る危機は?
    危機は、根本的な根の所から起こって来るものだから、
    これらの根である、歴史的に見ても東洋的世界観を無視をして
    解決する事はできないはずなのです。




    よく、お考えください。
    個人の人生の諸問題において、
    避けられない問題の根は、辿れば自己の中にあるものです。
    最終的には、自己の中でどう対処し、どう覚悟していくか、
    過去の自己との対決からしか前へは進めない様になっています。





    そして、倒れそうになった時、
    立ち上がる為に、我々が杖にするのは、
    今までの自らの内へ積み上げた『陰』の智恵です。
    それを、決しておろそかになさらないようにしてください。




    西洋的世界観と東洋的世界観の、
    その違いを知る事が、非常に大事になって来ます。


    余りに長くなりましたので、
    近代合理主義が熾(おこ)して来るニヒリズムについて、
    書くことができなくなりましたわ。




    また、次回?    



    ほほほっ。




    無意識に任せて、書けるようでしたら書きましょう。








    では、次の更新まで、ごきげんよう!



    お元気でいらしてくださいね。



    最後に、
    長い記事を最後までご覧いただきました事に


    深く、感謝申し上げます。






























    参考 : Science Secrets  青土社  アルベルト・A・マルティネス


    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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