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    ☆  東洋的視座・陰陽相対の世界観から見る智恵   1    数霊   

    Category : 東洋的視座・陰陽相対の世界観
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    早朝の鳥海山

    早朝の鳥海山



     

    新たな年が明けました。


    北の極みの地は北極で、
    南の極みの地は南極です。

    東洋の極みは、東洋の叡智の仏教が生まれたインドではなく、
    日本に漢字や儒教や仏教を伝達した中国では決してありません。


    東洋の極みは、インド、中国ではなく日本です。

    これは、地理的な事だけでなく、
    地理的な環境が醸成する独特な文明形成における
    そう、政治や軍事や 経済へ与える影響を含めて極みと謂えるものです。
    イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーは、
    中央アジアを大きく蛇行しながら東西の文明を結んだ
    中国と地中海世界の間の歴史的な交易路 、シルクロードのもたらした
    東西相互の文明の昇華は、
    その途中の地域に当たるシルクロード周辺の国々ではなく、その両極、
    西洋文明のエッセンスはフランスにあり
    東洋文明のエッセンスは日本にあると言いました。


    これを私見ですが、踏み込んだ言い方で言いますと、
    その途中の地域における東西文明の昇華は、
    その間のグラデーションでしかないと言えると思います。


    地政学的に巨視的に、複眼的に視て、
    東洋の極みは中国ではなく、韓国ではなく
    仏教の発祥の地、インドでもなく
    東洋の極みの大地は日本人の住むこの日本列島です。

    この事は、現代においてのこれらの国々のありよう、
    現在の政治や宗教、あらゆる状況を鑑みて、
    理屈ではなく、その現象面において多くの方が納得をされるのではないでしょうか。


    その日本列島の大地の上に、意識しなくとも
    その東洋の極みを受け継いで、我々日本人は生きています。




    2019年の初めての記事は、
    昨年までの近代合理主義の批判の記事ではなく、
    東洋的視座から見える世界観について、
    東洋学の智恵についてです。





    東洋的視座・陰陽相対の世界観から見る智恵 1. 数霊 




    数霊について、簡単に。


    数霊(すうれい)?
    数字とは違うの?

    近代合理主義下での教育で学んで来た数字と云うのは、
    算数や数学で順序やその集合体を表す記号でした。
    つまり、1,2,3という記号を用いて、ある大きさや量を知る為です。



    言霊(ことだま)の方は、御存知かも知れませんね。
    でも数霊と謂いますと、
    初めての方もいらっしゃるかも?

    言霊とは、
    言葉に宿ると信じられた霊的な力の事で、言魂とも言って、
    言葉が内包するものを現じる不思議な力の事です。

    それに倣って言えば、
    数霊と云うのは、1,2,3 の数字に宿る霊的な力とも言えるのですが、
    それよりも本質的な特徴を言えば、
    東洋における数霊と云うのは、
    その数字は必ずしも、その規則正しい順序や
    ある一定の集合体を表す記号ではなく、
    その集合体の種類や本質までをも意味したり、
    ある時は概念までをも包括した象徴であったり、
    その表す数の奥にある現象を起こす力を無意識から受容し、
    そのエネルギーそのものを発現する智慧なのです。



    数霊は、
    直感と洞察力でこの宇宙の森羅万象を解釈していきます。


    たとえば、
    東洋的視座・陰陽相対の世界観から見た場合、
    地球上のあらゆる森羅万象の生命活動は、
    『天』と『地』の間の空間を舞台としています。


    この概念は、紀元前372年? - 紀元前289年に活躍した
    中国戦国時代の儒学者である孟子の
    『公孫丑章句上』の一節、
    ーーー天時不如地利 地利不如人和ーーー
    (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)
    の慣用句の省略形に由来します。




    『天』と『地』が具わって、その間に置かれた『人』で
    『天地人』の三才が揃うと謂います。

    この三才の三、3についてですが、
    天・地・人のそれぞれの生命活動が揃っていて、万物の生成を意味し、
    非常に吉兆な言葉です。
    この含意は、『天』の1から、『地』の2を生じ、
    『人』の3で万物を成すと謂う宇宙観の完成形を意味します。
    だから、3はめでたいのです。
    3(三)の数霊は、
    この世界を形成する要素をすべて言い表し、
    宇宙間に存在する万物を表しています。






    ここで、もう一つ、ついでですから、
    東洋の根本的な大事な事を確認しておきます。
    2は1から生じます。
    逆に言うと、1は2を生成するわけですが、
    その2は3を、万物へと生成をしていきます。
    そこまでは、先に説明しましたね。


    西洋的哲学の思考エリアはそこで終わりなのですが、
    東洋はそれだけでは終りではありません。


    万物である3は、元は1から始まったのです。
    3である万物は、元初は1だったのです。
    万物の生命活動は、元は一つのエネルギーだったのです。


    日本はキリスト教の一神教とは違う、と。
    多神教である。八百万の神である。
    と謂いますが、
    八百万の神、万物に宿っている神も、実は元はと謂えば、
    一つの根本の力から出て来ている化身、万物の神々なのです。


    宇宙を起動している力、
    仏教では、宇宙を法界(ほうかい)と謂います。
    仏の法の力が及ぶ世界の意でしょう。


    どんなに冗談でも、
    東洋では、
    どこかの神が、誰かさんが、この世を作ったんだなんて、
    創造をしたんだ、、、などとは言いませんわ。
    これって全然、合理的じゃない。 と思いません?
      ほほっ。




    この東の極みの列島、我が日本列島を西へ西へと行くと
    韓国、中国、インド、中央アジアへと続いて、
    そこをずっと越えて西へ西へと進むと大西洋へ出ます。

    その大西洋を越えるとアメリカ、
    つまり現代の地政学的な文明の西の極みはアメリカです。
    自由、民主主義の旗を掲げる近代合理主義の権化です。
    権化とは、仏になりそこないの位、
    ただ威張るだけの修行者です。
    ほほっ。

    同じような語彙で、権門(ごんもん)と云うのがあります。
    権威と名誉だけで、豪壮な邸宅に住む中身のない偽善者を
    褒め称えた(皮肉?)輩の事を指します。

    仏教って、痛烈!   ほほっ。



    近代合理主義は美辞麗句です。  ほほっ。
    アメリカは自由だとか、平等とか、美辞麗句がお好きです。
    それだからと云う訳ではないのでしょうけれど、
    中国語では美国と書いて、アメリカ合衆国の事です。

    ほほっ。

    たしかに、
    言葉と云うものは、
    その文字の形象と意味と音とが深い処で三位一体のようです。

    あっ、三位の三も、一つにまとまった意、
    元来は一体であるという含意です。


    シルクロードの東の起点が日本だった。
    現代の資本主義、民主主義の西の極みがアメリカなら
    東の起点は日本でしょう。
    日本は、シルクロード、現代文明のいずれも地政学的な東の極みです。

    現代、
    西洋の極みの地がアメリカで、
    東洋の極みの地が日本と言えるでしょう。


    アメリカが西洋の極みで、
    その旗印である近代合理主義が美辞麗句でしかないなら
    日本は東洋の極みの本地を生かして
    美辞麗句のからっぽの中身を込める役割をして行くべきですね。

    それはどう云う事かと言いますと、
    自然を改変し支配しようとする意識中心の西洋の考え方では
    今のアメリカはどこかで必ず行き詰ってしまうはずです。
    もうすでにそうなのでしょうが、
    これから先、必ず日本のパワーを必要とする時が来ます。
    日本の見えないパワーです。
    『陰』の世界は見えない。
    本質は、目では見えません。
    真実は、感覚では捉えられません。
    東洋の、
    あらゆる命を生出する元々の自然には従う。というパワー、考え方です。
    万物のあらゆる現象は、
    元は一つのエネルギーから生じているというパワー、考え方です。

    そして、宇宙は単なる「物質」ではなく、生出するエネルギー体、
    その宇宙の法則には従うと云う生き方です。
    それが我々の命、八百万の神に従う事になります。
    一言で表現するならば自然の「あるがまま」を受け容れると云う事です。

    そうすれば、自然災害の被害も少なくなっていくのではないでしょうか。


    すでにインドや中国が失ってしまった東洋の極みの力を
    アメリカは、日本の存在の中に再認識するはずです。




    そして、その時、日本は、西洋の言う美辞麗句だけではない、
    中身を携えていなければなりません。

    西洋を追いかけて、
    その美辞麗句にうつつを抜かしている場合じゃないわ。

    ほほっ。



    昨年までの2018年において、

    ― つくづく、近代合理主義は邪教であると思えてきました。 





    思えるとは思念、これは意識のする働き、機能ですから、
    私の意識が、こう捉えるられるようになったのには、
    私の意識の奥底の無意識から浮き上がって来つつあったものを
    私の意識が、こう捉えるようになったと云う事なのでしょう。


    数年前から
    無意識の蓋が開いて、蠢(うごめ)きがあったのです。
    それは、のどに痞(つか)える「大きな塊」のようなものでした。
    その「大きな塊」は、
    私の意識の思念のゾーンに突然表れて、
    それを言葉にすると、

    そうか、、、近代合理主義は、邪教なんだ、、、、、

    と云う受容が起こったのです。

    もう、近代合理主義の相貌をシカと見定めた訳ですから、
    もう、どんなメッセージが来ても驚きはしないのですが、
    不思議な事に、その瞬間、
    近代合理主義は、邪教なんだ、、、と云う感慨自体には、
    何の形も臭いも具体的なものは何もないものなのに、
    つまり、見る聞き臭う触って知覚的に捉えられないのに
    私の体は吐き気を覚えました。


    そう、

    意識が受容した事で、体がこんなに反応するとは?
    まったく、心と身は一体なのでした!    

    ほほっ。

    まさに、その通りなのです。
    我々の心と身は一体そのもの、不可分のまま、、、

    近代合理主義の西洋哲学が基盤にするキリスト教理の
    (精神と肉体は別々であるという)2原論などではない
    我々の精神と肉体は一体でした。

    東洋における色心不二(しきしんふに)論の通りでした。


    今年は、近代合理主義の枷が外れてしまい、
    私の意識が自由になったようなので、
    かってのように運命学の記事を度々?
    アップできればいいと願っています。



    最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。


















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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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