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10/02 16:37 |
✖ 西洋の世界観は、”バラバラ観 ” ○ 東洋の世界観は、” トータル観 ”Category : 西洋と東洋の違い
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蓼科山 たてしなやま <八ヶ岳連峰> 長野県茅野市・北佐久郡立科町 ![]() ちょっと富士山を思わせる、この山容は、 典型的なコニーデ型火山です。 この蓼科山は、 日本百名山の中でも、大好きな山の一つです。 山頂まで標高2,531mありながら、比較的、容易に登れます。 よろしかったら、こちらも!ご覧ください ↓ われわれの日常的なスケールを疑いたくなりますよ! メコン川の体長4mのエイ 思い返せば、日々の意識に、 ヒョッコと湧いてくるように現れて来るものがありました。 それが、頻繁になって、無視できなくなり、 ” 何だろう? これは? " という問いかけを持ち続け、真剣に対峙しようと、 そう思った矢先に、待っていたとばかりに 私の意識へ挙がってくる深い無意識からの気づきが、 あったのです! 無意識からの便り、と以前から言ってきたものです。 無意識からの便りは、こうささやいて来ました。 『地球上をリードしてきた先進国といわれる国々の西洋の価値観 それが、その力を失いつつある。』 と、、、 西洋の文明の寿命が尽きかけているんだな。 言い方を変えれば、 ” あの毒を出す嘘つき文明が! やっと終わる!” 歓声を上げたかった位です。 あははっ。 毒 ・ 西洋毒 ・ こういう視点を持てたのは、 私が、 常に100%東洋的価値観で西洋式のものの見方を裁断し、 その偽善性に辟易し、幼稚さに飽き飽きしているからです。 ほほっ。 西洋文明には、そこから生まれた科学にも、 確かに利は、あるでしょう。 一部の理も、あるでしょう。 その利理の一部に浴している我が身ですが、、、 しかし、 真理の本質はないように感じています。 基本、すべては部分観、部分知だから、 粉々の部分知を寄せ集めて、 これが全体なんだと、勘違いはしないでおこう。 そう言い聞かして、用心はしてきたつもりです。 そして、その部分知が、あたかも、常に、 全体知をまとっているように思わせる振る舞いに、 思い上がりと偽善臭が鼻に付いていましたね。 これは、東洋を希求するこその視点であると思っています。 その無意識からの直感が確信になって、 少し前の記事から、このテーマで記事を書き始めたわけです。 驚くことはないのですよっ。 あのピラミッドのエジプト文明だって、 古今東西、生まれては滅びるのが文明です。 ここで、確認したいのは、 西洋文明が力を失いかけているのは、 決して東洋が、西洋を駆逐しているからではなく、 西洋文明自体の限界点、それ故の自滅です。 西洋文明自体が孕む欠落部分が、 その姿をそのまま具現しているだけの事、 なんです~! ほほっ。 西洋の正義や価値観は力を無くし、 西洋のいう事を、誰も訊かなくなるでしょう。 あっら~ もともと、 西洋に、真の意味での本質的な正義があったのかしら? あはは。 西洋文明の骨格は、東洋と比べれば、 その理論はあまりにも幼稚、 おとぎ話のお体裁のような骨組み、、、 と、言いたい放題? お気を悪くなさらないでください。 あはは。 それでは、その根拠となる、東洋と西洋の世界観について、 今日の記事を進めていきたいと思います。 今日の記事は、 ✖ 西洋の世界観は、”バラバラ観 ” ○ 東洋の世界観は、” トータル観 ” 一回の記事で、 それぞれの世界観を網羅するわけにはいきませんので、 今日の処はそのさわりから、 ところで、 今年は、春先からうんざりした天候ばかりで、 今夏は、まさか、日本は亜熱帯?と思う日々でした。 そして、台風の日本列島の縦断で、、、 皆さまのところは、被害はいかがでしたか? 自然、「天」気候もそうですが、 何もかもが、何かおかしい 「人」 も 「地」 も、何もかもがおかしい。 東洋には、 この世界を構成する要素すべてを指す言葉があって、 天地人(てんちじん)という言葉です。 この3文字で、宇宙全体を表す事ができます。 出典は、孟子『公孫丑章句上』 その中の一節、「天時不如地利。地利不如人和」 (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず) この孟子の意は、 天体の運行=【時】が絶好のチャンスに恵まれている事よりも、 土地柄の立地条件に【利】がある事の方がよく、 しかし、その土地柄に恵まれている事だって、 人の和合・団結の力に及ぶ事はない。 つまり、事を為すには、 ―― 人々の心が一つになっている事が一番重要なのである! おわかりでしょうか? ほほっ。 物事を成就する時に何が一番大切か? 和合である。 これに由来する(天の時)(地の利)(人の和)をまとめて 三才(さんさい)とも謂います。 これら三才全てが一体になって、物事は成り立っている。 が、その根本は、人心であると、言うのですね~ ここまでは、うんうんと、納得ですね。 ほほっ。 ここが、東洋の強みと云うのか、 「天」と「地」という大きな要素を説きながらでも、 「人」の存在の重要性を決して諦めないのです。 「人」の存在の重要性を決して諦めないのです。 この宇宙全体の、全ての存在のポイントとして人の心を置く。 ここが、東洋の叡智というものです。 ーーー ここで、西洋の批判を その点、西洋の近代合理主義はどうでしょうか? その学問の究極はどうでしょうか? すべてを数理化し物質として観る 人心を見ようとしない、 あくまでも過去のデーター、数、統計で掴もうとします。 それらは過去。残滓。 未来じゃないでしょう? 多少の知見は得られるかも知れないけれど、 やはり、それらは部分知。 部分を寄せ集めたって、全体ではないでしょうが。 あはは。 東洋の究極は、 民衆(ひとびと)の心が一つになっていると、 「天」をも動かし、「地」をも動かすっていう事なのですよっ! このように、東洋では、 「天」「地」「人」という関係性から、 人は、天をも轟かし、地をも揺るがす存在であると、 その視点がすばらしいでしょう? 部分知の寄せ集めではない、全体知が発散する! ダイナミックな力を感じます。 東洋の究極の世界観の特徴は、 この宇宙にある存在全ては一つである。 大宇宙も、太陽系も、われわれも、一つの大調和の存在なのです。 だから、天、地、人、 この宇宙の存在すべては、=(イコール)です。 また、仏教においても、 原理的には、全ての存在が仏と同じに成れる存在です。 これについては、またいつか詳しく、 ★★★ 尚、内容的に関連した過去の記事を紹介します。 よろしかったら、ご参考までにご覧ください。 2012年 3月 11日の記事、 あれから一年 1. 天・人・地の三才 『中庸』をめざして ★★★ ーーーーー このトータルな東洋智に反して、 西洋においては、全てがバラバラである。 いわゆる西洋での「天」、「地」、「人」に当たるものについて、 西洋文明の基盤に当たるキリスト教理には、 どのように説かれているのか? それが、見事にバラバラなのですね! ・ 「天」は、神や天使が存在する目に見えない領域。 あるいは、神自身を指します。 ・ 「地」、この世界は、神が創造した物、物質です。 ・ 「人」も、神が創造した物、神の創造物です。 そもそも神と人との関係は、 作った側(主)、 作られた側(従)という関係です。 ほら! 「分断」の根源が、ここにある! あはは。 そして、キリスト教理において、 究極、神と、他のすべての存在とは別物で、 誰人も、なにものも、神にはなることができません。 これって、差別社会、階級社会の原型でしょう? あはは。 また、ちょっと踏み込みますが、 「死」について、 キリスト教は、「死」を人間の原罪がもたらした刑罰だと! あはは。 よくも、こんな冷たい神を信じますね?! ーーー ここからが問題なのですが、 東西の理屈の違いについて、ぼんやりと分かったとして、 じゃ、今の現実において、 「天」の気候はメチャクチャで、極端すぎです! 「地」には、疫病が流行り、戦争まで! これを、東洋ではどう説明するのか? 西洋ではどう説明するのか? 東洋的には、 これらは、ひとえに、「人」の心が、バラバラ、 一つに成れない現実が、「天」「地」に現象として現れている! そう、東洋の叡智では、 すべて一体のものとして知見するのです。 でも、このすべては意識では捉えられない次元の事象ですから、 そう、無意識界での本質における事象ですね。 ここで、大事な点は、 大調和を乱しているのは、「人」だ! と知見する事です! 原因は「人」、にありと、 原因は我にありと。 あはは。 ここが、西洋にはありません。 西洋は、原因を他者に求めます。 原因は、自然であり、敵であり、ある時は仲間なのです。 これでは「分断」が生まれるはずです。 あはは。 2020年のアメリカ大統領選以来、 何かあれば、「分断」だと、 その解決策も提案できずに、 分断と断ずるマスコミも愚か。 現今のマスコミの愚かさに比して、 先でご紹介した孟子『公孫丑章句上』 その中の一節、「天時不如地利。地利不如人和」 (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず) に通じる、 わが国の聖徳太子の十七条憲法の第一条、 「和を以て貴しとする」 を 思い出してみましょう。 聖徳太子は、決して古くはありませんよっ。 かのフェノロサは、聖徳太子の事を ”東アジアの偉大な創造的な諸聖賢に伍して 優れた精神を持った非凡な人”と評価しています。 釈迦や孔子や孟子に並ぶという評価です。 「和を以て貴しとする」 この大調和の精神こそが、そもそも民主主義の根本原理でしょう? われわれにとっては、民主主義は西洋に教えてもらったものですが、 その根本的な智恵は、西洋にはない。 あるのは、見かけ、言葉のみじゃない? この天・地・人の大調和の精神を失ったまま、 選挙制度だけをやればいいという形骸化があるから、 今回のウクライナのロシアが行った不正選挙が堂々とできるのですよ。 言葉のみ、制度のみ、見せかけのみ、 美辞麗句の言葉で飾った制度で見せかけを設える。 それが、西洋の幼稚さ、偽善性でしょう。 この西洋と東洋の根本的な違いは、 日本列島に人が住み始めて以来、 食べる物が豊富で水に恵まれた自然に囲まれて、 食料とする動物の殺戮や食べ物の奪い合いの紛争を ほとんど経験したことがない日本の強み、運の良さです。 無意識下の抽象性をも引き出した日本が誇る言葉群。 そこには、 西洋の近代合理主義下の意識偏重の言葉や、 学問的知識の造語群などをいくら積み上げようとも、 決して、追い付かないところまでの文化が、 縄文時代の文字を必要としない日本人の自然道からの文化が、 日本にはあるのですよ。 決して、それらは西洋にない、 この自負を持って、 もう西洋近代合理主義の従僕のような生き方は止めませんか? それを止めない限り、 日本の自立はあり得ないんじゃないか? 経済力なんかじゃない! マネー主義に席巻されているから卑しくなるのです。 日本はマネー主義で頑張った処で勝てる訳はないのです。 世界にはもっと巨大なモンスターがいるから、 まず、自らの精神の根拠、歴史、道徳からです。 これらを捨てて、経済第一の道化をやっているから、 世界からのリスペクトを失い、 大国からポチの扱いを受けるのですよっ。 相手国が悪いのではない。 自国の品格が、余りにも無さすぎるからです。 そう、自国の道徳を自ら進んで捨て去った愚か、バカですね? ほほほっ。 そう思われませんか? 長い記事を最後まで、お読みいただき、感謝申し上げます。 次回も、世界観の続き、もう少し掘り下げます。 お楽しみになさってください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。 |