![]() 2010
09/17 22:58 |
敗戦記念日を振り返って 蔓延する相対主義 今を蔽う退廃という雑草Category : 身近な物質文明
![]() 上高地・白樺の林 先月、今年の終戦記念日が、ありました。 おぼえていらっしゃいますね! まだ1ヶ月前のことなのに........ もう何ヶ月か過ぎたように感じる......... 過ぎ行く時、の速さを感じています。 毎年のことですが、 暑さのピークの時に行われる終戦記念の行事を、 暑さのせい?(笑い) かどうか? あはは! 只、報道や行事を見守るだけで精一杯という精神状態で終わってしまい、 その間に、 戦争や平和について深く考える事なく過ごしてしまった後悔の心が、 いつもこの頃、秋が近づいて涼しくなった頃、 ああだった、こうだったと、思い出しては、 これで戦争はなくなるのだろうか? という気持を自分の中で、反芻し始める癖があります。(笑い) 秋は、人が物思いに耽るような、そうさせる力がありますね。 夏の激しさの緊張から解き放たれて、 体中が、ゆるむ、落ち着く時なのでしょう。 これが、緩急のある四季をめぐる幸せでしょうか、、、 今回は、前の記事のつづきで、 私たちの命が、外界の全てのものに有機的に密接につながっている、 と云うよりも、事実は、本当は一体である! その事について書く予定をしていましたが、 何しろ前置きに書いたように、 夏の疲れを解さないまま、秋を越せない?! あはは。 あの終戦記念日が頭を離れないものですから、 予定を変更します。 これは、また次回をおたのしみに・・・ 夏から秋への、わたしの重たい疑問。 本当に戦争を、解っているの? これで、本当に次の戦争を食い止められるの? この疑問を、 今の時点の私のつたない運命学の知恵で、記事にしたいと思います。 毎年8月15日に、繰り広げられる反戦平和の報道。 行事と化したイベント。 過ぎ去る時の中での扱いは、 スーパーの安売りのイベントとどこが違うの? 日本における8月15日の終戦記念日! 終戦? ”日本人は顔がない” ”はっきり物を言い表さない”と よく言われ、 おだやかに、どっちでもいいみたいな顔をするのが得意ですが、 戦争に関しては負け。 負けた事を、はっきりさせるべきでしょうね。 これは意識的に負けたという自覚がないと、 本当に立ち直れないです。 敗戦記念日でしょう? 敗戦を終戦だなんて言い変えて、中途半端な!! いつもそう思いながら、毎年の8月をやり過ごして来たわけです。 溢れる報道は、目や耳から入って来ます。 ”戦争は悲惨だから反対です。 ””空襲の遺品を見て、苦しくなりました。 ”””こんな悲惨な事があったらいけない。 ””””特攻隊の人は、かわいそう~。 (なんと失礼な!) 祖国を思い命を掛けた気概は、 今の私達には及びもつかないわ!・・・・・ 今年、印象的だったのが、 『はだしのゲン』の作者であり、 家族が広島で被爆をして自分だけが生き残った中沢啓治氏が、 ”未だに、原水爆禁止運動にも参加する気持ちにもならず、 平和記念公園で被爆者へ祈りをささげる気にもなれない。” と、 原爆やアメリカへ対し、未だにおさまらない憎しみの感情や 持って行き場のない怒りの表情を抑えながら言っていた事です。 中沢啓治氏は、もう60代の後半の年齢です。 氏が携わった一生の仕事の目的が、 原爆の怖さを訴える漫画を描く事だったからか、 戦後のプロパガンダに汚されずに、 現実を誤魔化そうともせずに、 世の移ろいの流れに妥協していないというのか、 原爆投下時のそのままの感情を客観的に留め置いている。 というのか、 敗戦と原爆が氏のなかで中途半端な処理をされていない。 被爆のリアルな感覚を持ち続けている稀有な人だ という印象でした。 世の物事を憎む、 恨む感情を肯定する訳では決してありませんが、、 非常に、氏の言葉を自然な感情として受け入れる事が、できました。 奇妙な言い方ですが、 素直に、 氏の立場に立って原爆や戦争を憎む感情が出て来たという事です。 本来は、 私達、国民は、もっと対戦国に対して、 赤裸々な心情として、 あらゆる政治や外交を抜きにして、 もっと直接的には、原爆を投下した国を、 市民まで無差別爆撃をした相手国を憎むべきだったのです。 もっと、怒りに心を熱くするべきだったのです。 これは、感情に拘るという事ではないですね。 何が、悪かを、心に刻み込むために!! その悪を、あらゆるものから峻別する能力を保持するために、 悪の正体をはっきりさせるべきなのです。 今も、、、 目の前のパンとは、別次元で、、、、、、 たとえば、 未だに韓国や中国が日本に過去の謝罪を求めるように。 他から、周りからどう思われるかという考慮を捨てて、 自己の核心を確立する必要があったのです。 それが、真の意味で過去を今と一体化し、 未来を今へ引き寄せる事になるからです。 次へ進む自分自身の為への、”溜”です。 "陽”から“陰”へのエネルギー転換です。 そうしないと 国力の興隆への真の創造性のvividさは、出て来ないからです。 ”もどき”は、 あくまでも”もどき”でしかありません。 リアルな現実の周りをぐるぐる旋回しているだけで、 幻想の中の国の繁栄でしかないのですから、、、、、 日本はリアルに生きなかった、、、 今を見る限り、それは、なかったのです。 国の道徳や文化が生活レベルで崩れて行っている姿を見る限り、 真の自国の主体性の為にリアルな選択をしなかったと言えるでしょうね。 親の過保護のせいで 足が現実に着いていないモラトリアムなマザコンのように、 甘えた選択をしてしまった。。 。 アメリカに抱きついた?! あはは。 あまりにも連合国側の3S政策や、 一連のプロパガンダが成功を奏して、 日本国民は、 アメリカに親愛と許しの感情しか持たないようになっています。 この世界で、 表面のカッコウ良さだけを選んでうまくやって来たのが、 日本です。 友好的な感情だからいいのではないか? それは、結果論。 あまりにも偽善的ではないですか? ぶさいくでも、泥臭くても憎しみを経る必要はあります。 その姿が、醜くても、 カッコウが悪くても、 周りから笑われても、構わないから、 そういう自分の姿を、 客観性の世界へさらけ出す事は、絶対に必要なのです。 中沢氏のように、 ”被爆を経験した者が、確実に今を生きるという事は、 これ以上の悪はないという核の世界を乗り越えないと、 本当の未来はない。” 被爆で知った悪の力を、全部吸収して、 その力で悪そのものの存在へ、反撃する体勢を作る為です。 悪そのもの=アメリカへという事ではありません。 人間の奥にある悪の根源、それを征服するまで許さない。 真に悪を叩くという事は、そういう事です。 ある意味、 自分自身の未来の実存の証明を賭けた行為になるのでしょうか。 次の一歩が、また悪の繰り返しにならないように、疑う。 見張る。 中沢啓治氏の眼光は、光ってみえました。 過去からの今を確認をしないと、戦後をスタートしてはいけないんだ!! 実際、 戦争の感想論、結果論の感想をいくら述べ合っても、 おセンチなメンタルだけでは、 次の戦争は食い止められ無い。 それだけでは、本当に、戦争を無くす事はできないでしょうね。 戦争は、また、繰り返される。 巻き込まれれば、結果は、亡国しかない。 65年も感想を述べ合って来て、、、、、、、、、 もう、そこまで、背後まで、 亡家、亡国は忍び寄って来ていると思います。 仕事で、亡家の姿を、あまりにも多く見ていますから、、、、、 亡国も、同じ原理です。 それが、いつか? という事だけです。 そして、どう回避するかという事です。 だからこの際、悲しみを追悼するだけではなくて、 感情は、いろいろ役立てたらどうですか? たとえば、悪を憎む高ぶる感情がありますか? たとえば、祖国を守る高ぶる感情がありますか? 今の日本は、”気が済む”文化ですね。 ただ感じた心の、”気が済む”追求をやっているとしか思えない。 気が済むだけでは、未来は何も変わらない。 そう思いませんか? 気は済まなくてもいい。 未来の戦争を絶対に止める事ができさえすれば。 気が済まなくてもいいのです。 それが、 ”気の溜 ”なのです。 戦後、もう十分な時間が過ぎたでしょうから、 もう、はばかる事なく、 どうか、戦争の起きた原因論の議論を始めてください。 それを始めなければ、次の戦争に間に合いませんよ! だれが、どこで、間違ったから、 戦争が始まったのか? なぜ、 間違ったのか追求しなければ、、、 それには、 どういう思想が、いつから、どういう影響をしてきたのか、、、 制度や法律の欠陥はなかったのか、、、 あれば、それはどこか、、、 なぜ、そういう法律を作ってしまったのか、、、 あらゆる角度から、それこそ研究してください! その結果を、 今度は、どういう風に生かすのか、、、 国がそうだったけれど、国民はどうするのが良かったのか、、、 良いと思う事が、なぜ、どういう邪魔で、できなかったのか、、、 人の心は、その時、どう動いてしまうのか、、、 国は、国で、 個人は個人で、敗戦処理をしなきゃ! 今度は、絶対! 巻き込まれたくはないでしょう。 ほんとうに国はいい加減~!! 100歳以上の高齢者の戸籍だって、 いい加減~!! 家庭だってそうでしょう? 夫が、仕事を倒産させて、無一文になったと知ったら、 かわいそうと思いながらも、 これからどうするの? と言う前に、 どうしてこうなったの? と問い詰めるでしょう? あは。 夫が、どんなに嫌がったとしても、 そこを聞かなきゃ、理解できないと、 ちゃんと話してくれないと離婚だわ! と女房は言いますよ。 なぜなら、 最悪の亀裂を避けるために。 そこで理解し合って、一緒の足場を作らないと、 そこから先へ、もう、一緒に進めない。 そういうものでしょう? 【今】が、判らないと、この先、信頼関係が築けないからです。 日本の国は、その時、どうだったのか? そういう思いが、8月15日以来、心にあって、 上田 和哉氏のブログで、出会ったのが、 米ハーバード大の元教授、 アーサー・シュレージンガー氏の「アメリカの分裂」 「記憶を失った個人が、どこにいたか、どこへ行くのかも分からずに、 まごついて呆然とするのと同様に、 自らの過去についての観念を持たぬ国民は、 自分たちの現在を、そして将来をも、処理することができなくなる」 以前に読んだ記憶を反芻しながら物思いにふけっていましたら、 秋の真夜中に、 前の記事に対する次のようなコメントが入って来ました。 自分の過去を客観視できない者は、 自分の未来において、”我”の存在を持つことは不可能。 ”我”の未来は無いと思え。 果たして日本は自分自身で過去と現在を分かっているのかどうか。 日本は、瀬戸際ですな。 不思議なシンクロ(共時性)を感じた訳です。 この事は、上田氏のブログへも書かせていただきました。 心は、光のように、すぐさま飛んで行く事ができるのですね。 どんな物質も通過する、まさに暗黒物質そのもの、みたい。 ブラック・マターとは、心を乗せる物質でしょうか? あはは。 自分の過去を、 かなしいとか苦しいとかの主観ではなく、 なぜそうなったのだ? という自然な問いの発露に対して、 自己の責任においての自分の現実を客観視して、 答えを出さなければ、 そこで、自分を見失うという事になる。 これは、種々の悩みにおける原因においても同様です。 相談にこられる方のお話のなかで、一番欠けている要素でもあります。 感情は重要ですが、 感情を乗り越えた所にあるものがもっと重要です。 感情は、目的ではなく、頂上へ至る谷間、峠なのでしょうね。 自らの過去の整理が正しくできない人は、 未来に自分自身の存在を積み重ねる事はできない。 嘘には、嘘が積み重なり、 欺瞞の”賽の河原”ができます。 そして、 本質的な立場において、自己の記憶を失うという事は、 自分という存在意義を自ら消去するBack space なのです。 自らの存在を抹殺する事に通じるわけです。 これは、人間一人の事だけではなく、 一家も、一族も、国も同じです。 私の運命学のテーマである、『家系の存亡』そのものです。 つまり命の消長そのものの姿。 原理は、同じです。 国の過去を、自国の歴史の機軸において、 厳しく整理、断罪できなければ、 (つまり、嘘で固めた妥協をして国の魂を、他国へ売った時) 国を取り囲む環境、周辺諸国から抹消されると云う事になるでしょう。 この時、周辺諸国を恨んではいけません。 責任は自国、日本自身にあります。 日本が自分で自分の位置を瑣末なものだと 位置づけた道を選んだせいです。 周りの目というものは、 本人自身が本人の事をどう自覚し扱っているかを見て、動くのです。 犬と見たら、犬の扱いをし、 恐い者と見たら、恐い者の扱いをします。 自らの誇りを捨て、自分の事がよく判っていない言動をする者に 対しては、 私達だって、真正面から相手をしないでしょう? ちょっと横に行っててほしい。 対等な相手にするには無理だってどこかで認識する。 これは子供だって、解ってます。 わが国において、 自国の機軸を倒し、動かし、筋を通す事を避けて来たから、 それは、為政者が、国民のひもじさを恐れたからでしょう。 しかし、これは、『天の道』への反逆、道理への反逆です。 いくら弁解したって、欺瞞は欺瞞なのよ。 家族を養う為だって言っても、他人を詐欺すれば許されません。 善行と悪行は、相殺できないのですから、、、、、 確かな事は、 日本の過去の選択は、絶対に自慢できる選択ではなかった。 事ですよ! 黒船以来の開国から、数えて幾つ目の間違いなのか? あはは! 又、わが国が、反省する事が増えた事は、間違いないわ~ 大きな間違いです! 間違いを犯した記憶を忘れてしまっていませんか? 欺瞞の上に、働けど働けど、努力をすれどすれど、 暮らしは、一向に豊かになるはずがない! 当たり前でしょう! 因果応報よ! 欺瞞の塗り重ねにふさわしい 欺瞞の繁栄しか手に入らなかったはずです。 それより、もっと怖いのは、この繁栄の本質の中で、 『本気の衰退』が、始まり、『命の退廃』が進んでいったのです。 (ここの命とは、西洋二元論の精神と肉体です) 料理に手を抜けば、おいしくない料理ができる。 当たり前でしょう。 「本気」がなくても、そこそこのお金や物が手に入る気楽さ、 人と人との関係も、希薄になり、 他人にそんなに真剣に本気を出さなくても生きていけるようになった。 だって、物質文明の魔王が後押ししていますもの~~~! 色界(物質界)の魔王が、 人間の心が萎えるのを喜んでいるでしょうね。 〝皆が、自分の配下へなるのも、もうすぐだ!” と。 手を叩いて喜んでいることでしょう! あはは。 魔王の目的は、あらゆるものの心が萎えた退廃の姿の顕現です。 歴史を見れば、ローマ帝国をはじめ、物質主義を謳歌した社会は、 一時の物質の豊かさの繁栄を享受し、傲慢で不遜な享楽を経験した後、 かならず一転して衰退に向かい、没落、滅亡の運命をたどっています。 現代の日本が、それらと違うと、誰が言えるの? これは、引き止めようが無い、 個々の思想自体に備わった、思想がその本質を顕現する力学ですから。 哲学や、思想は、それほど重要な事なの! 今は、その少し手前、 真理の絶対的な妥当性を認めないいい加減な価値観が大手を振るい、 人間の認識や評価はすべて相対的であるとする相対主義の台頭を許し、 なんでも、平等が一番という観念の固定化が、 人々の心に巣くってしまっています。 これらの思想は、真の創造的な活力を我々の命から奪って、 命の底に退廃の雑草が芽を出し、はびこって行きます。 物質文明の競演のさなか、私達は、思想に鈍感になっています。 色界の魔王の思う壺だって! ほら! 総理大臣が、何が変ったってうれしくないでしょう? 喜びも、希望も感じない。 これを、政治の退廃 と言わずして何と言うのか? 真の悲しみとは、こういう事を言うのでしょうね。 ”あたしたち国民も、あの程度なのね。” そうね、馬鹿なのね。 そういう悲しみもあります。 (笑い) これは、自分の過去を正直に見つめないで、反省をしないで、 甘えた楽な道を選んで、辛い事を逃げて、乗り越えて来なかった日本の 罰あたりです。 楽をしようと思ったら負けです。 生死を賭けて生きぬく時は、そうしないと後が、立たないのです。 敗戦の時、日本は良いチャンスを逃しましたね! ピンチは、チャンスとは、この事だった。。 のに。 日本は海洋国家ですから、 周辺の国からのゴミが海を流れて日本へ辿り着きます。 それと同じように、 西洋思想を根底とするこの物質文明は、 日本の海岸へ、相対主義と退廃の種を漂着させています。 そして、日本列島を”退廃”の雑草が蔽い尽くしたころ、 色界の魔王が、天から、凱旋の銅鑼を鳴らしながら、 大喜びでやって来るでしょう。 ”おぉ~! わしの配下にするのに142年かかったわい!” 今、ローマ帝国の人がいないように、その時、日本人はいませんわ。 みなさま、ご注意を~! あはは。 あらゆる出会いに感謝を、 アメリカへ感謝を、 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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スタンスお久しぶりです。
数年前ですが「終戦で何を思ったか?」という質問を戦場に行かなかった(行けなかった)当時の技術兵に投げかけたことがあります。 正確に言うと戦後の機械技術の革新や発明で発展を支えた経済人へのインタビューでしたが、驚かされたのは誰もが「なにくそと思った」「もう一回戦争してアメリカに勝ってやる」「次は負けない」などなど。 ちょっと違和感がありましたが、この気概が戦後の日本の技術を支える原動力のひとつになったと思っています。 勝ち負けは冷酷に結果を未来を決定します。 敵国憎しは当然かもしれません。 臥薪嘗胆もしかり。 ですが耶律楚材もまた歴史の中で必要な存在だったのも確かでしょう。 スタンスとして戦争をどう捉えるかによってだと。 個人的には非戦ですが、家族を殺されたらまず間違いなく戦います。 墨家十論を守りたくありますが戦います。 ただし、戦闘の部類です。国家的なものではなく。 井上有一の残した詩編を。 その客観をもって戦争を否定したく。 乱筆失礼いたしました。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
ありがとうございます料理の話も出ていましたから、少しだけ述べさせていただくと、今身の回りにあるものの多くは自然発酵したものではなく、無理に(化学的に)それに近い形にしたようなものが蔓延り、下ごしらえという部分にすらお手軽が肩で風切る世の中になってきていますからね。
本物を知る機会があらゆる面において少なくなって、まさに形だけの世の中になってきてしまっているように感じます。でもいったんその本物の味を知ってしまうと忘れられなくなるように、本物をまずどこに行けば手に入るのかという情報を求めるようにすべきでしょうね。 その味が、自然のものよりも化学調味料の味のほうがおいしいと感じる前に。。 船の位置を確認するのに灯台というものがあるように、このブログが多くの人の灯台となることを願っています。(現在位置として) そのうえで、自らの港はどこなのかを探すことでしょうね。アメリカ人と同じ格好をしても所詮日本人なのだと意識すれば変われると思うんですけどね。 その方法論として堕落論としてのさらなる堕落が必要なのかもしれませんが。。。 いまやわが国は難破船のごとく羅針盤は壊れ、海図もなくただただ漂流しているような状態かもしれませんね。 楽をしようとは思わないつもりではいますが、
自然と楽を選んでしまっているかもしれません。 自分の過去を見つめ直し、反省するところは反省し、 自分に必要な「誇り」や「自信」を持てるようになりたいと思いました。 秋です~!9月になって、ものを思う。本当に、暑いと集中できないです。
いつも、いつも、目が覚めるような記事ですね! どこか違うなって読んでいます。 思想とか、哲学とか、遠い存在でしたが、 cosmosさんのおかげです。解かるようになってきました。 今の文明は、なにでも簡単だと、いうイメージを先行させていますね。 そして、哲学や歴史や思想は、本だけの上にあるわけじゃないと真に思うようになって来ました。 秋を少しずつ感じられる今日この頃、、、お彼岸をどうお過ごしですか? 家族でお墓参りに行って、今日、帰ってきました。=
心で思うことは、以心伝心と言って通じるものです。= 思いは、周波数を合わせるようなエネルギーですね。^^= それが、ブログを通じて結びつくところがすばらしいです。= 相対主義というのですか、今の若い人は、神や仏を見下ろしているようにとらえています。= 特に上下関係、親の世代、年長者を区別しないで、自分とフラットに考えているようです。= 自己の価値観、システム中心で生きていますね。= 現実は、流されて行くこともある生活ですが、自分の中ではきちんと反省、整理をする。= そこで(自分に対しては厳しく、)この言葉の意味がよみがえりました。= Re: スタンス> お久しぶりです。
★御久し振りです! 少し前ですか、吉野にお父上と行かれた回想録、読ませていただきました。 > 数年前ですが「終戦で何を思ったか?」という質問を戦場に行かなかった(行けなかった)当時の技術兵に投げかけたことがあります。 > 正確に言うと戦後の機械技術の革新や発明で発展を支えた経済人へのインタビューでしたが、驚かされたのは誰もが「なにくそと思った」「もう一回戦争してアメリカに勝ってやる」「次は負けない」などなど。 > ちょっと違和感がありましたが、この気概が戦後の日本の技術を支える原動力のひとつになったと思っています。 ★時代の流れに関係なく、自己の中にうそ偽りのない感情を持って誤魔化さない人間は、たとえそれが負の遺産であっても、そのエネルギーを何かを創造するエネルギーへと転換をすることができるのですね。 > 勝ち負けは冷酷に結果を未来を決定します。 > 敵国憎しは当然かもしれません。 > 臥薪嘗胆もしかり。 > ですが耶律楚材もまた歴史の中で必要な存在だったのも確かでしょう。 > スタンスとして戦争をどう捉えるかによってだと。 ★そうですね。耶律楚材は、チンギスハンと対でしか考えられないです。 お互い反対の素質を持っていたから生かし合えたのではないかと、、、 将は脇士を見ると判るといいますが、耶律楚材を取り立てたチンギスハンも、 頭と手足が運に乗っていた人物だったのですね。 > 個人的には非戦ですが、家族を殺されたらまず間違いなく戦います。 > 墨家十論を守りたくありますが戦います。 > ただし、戦闘の部類です。国家的なものではなく。 ★墨家十論ですか~! かつさんは、純粋潔白な方ですね。 何か清らかなものを、いつも大事にされていますよね~? あはは。 そこに何か、なつかしさを感じます。なぜかな? (笑い) > 井上有一の残した詩編を。 > その客観をもって戦争を否定したく。 ★あ、悪というものが、それを覆い隠すために纏う物を、憎み、嫌い、すべて捨てて生きた感じがします。 何を、得ようとしたのでしょうか? 戦争は、憎まないといけない、憎悪の対象にするべきものですね。 > 乱筆失礼いたしました。 ありがとう! 感謝★cosmos Re: タイトルなし鍵コメントさんへ
ありがとう! 感謝☆cosmos Re: ありがとうございますこちらの方こそ、ありがとうございます。
> 料理の話も出ていましたから、少しだけ述べさせていただくと、今身の回りにあるものの多くは自然発酵したものではなく、無理に(化学的に)それに近い形にしたようなものが蔓延り、下ごしらえという部分にすらお手軽が肩で風切る世の中になってきていますからね。 ★どうしてこの話題が出てくるのですか~?? あはは~。 今回記事にするつもりだった、次へ廻した内容が、まさに指摘された事柄なので! おどろきました・・・ またもやリンクしているので、 不思議発見!です。 (笑い) 次回予告、千葉、香取郡の創業1673年の酒蔵、寺田本家の寺田啓佐社長の本物の菌を使った酒造りから記事を書こうと思っています。 > 本物を知る機会があらゆる面において少なくなって、まさに形だけの世の中になってきてしまっているように感じます。でもいったんその本物の味を知ってしまうと忘れられなくなるように、本物をまずどこに行けば手に入るのかという情報を求めるようにすべきでしょうね。 > > その味が、自然のものよりも化学調味料の味のほうがおいしいと感じる前に。。 ★そのとおりですね。男性なのに(失礼!)関心がおありなのですね。(笑い) これも運命学的になるのですが、どういう食べ物を食べるようになっているのか、運命的に決まっているようです。寿命とか、命、健康に対する感受性の強弱、質のいい衣食住に恵まれるかどうか、これが、人によって運命学の命式でみると、はっきり分かります。 知識として知っているという事と、実際選んで、食べる、続くかどうか、は、違うのですね。 まぁ、すべての分野において、さまざまいろんな方がいて世間ですから、仕方がないのですが。 具体的に、言えば、 寿命とか、命、健康に対して運命的に強い感受性を持っている人は、本物を!という強い感受性が吸引するのか、そういう霊的観念(こういう西洋的言葉はあまり好きではありませんが、)の高い人は、常に本物の食べ物が近づいて来るようです。捜さなくても手に入る、情報が飛び込んでくる、などです。つまり恵まれるというのか、付いているというのか、私も20代から種々のこういった運動をしてきましたが、(広めようとか、いろいろです。)そう感じています。 今のこういう世の中という事は、なかなかそういう感受性が弱まって来ていると思っています。 健康や命に対する運に恵まれない赤ちゃんが生まれる傾向が私の身近でも出て来ています。 命名の仕事の時などに感じる事などから、将来は、もっと世の中が、困難かも知れない、と運命学の信奉者としましたら憂慮しております。 > 船の位置を確認するのに灯台というものがあるように、このブログが多くの人の灯台となることを願っています。(現在位置として) ★あら!仰っていただいたお気持ちはうれしいのですが、こそばゆい~ あはは。 私のブログへそこまでの役割ができるのかしら? (笑い)大いに疑問ですわ、、、 東洋の事は、学びながら伝えて生きたい、運命という深みも知っていただきたい、その願いは強くあります。 > そのうえで、自らの港はどこなのかを探すことでしょうね。アメリカ人と同じ格好をしても所詮日本人なのだと意識すれば変われると思うんですけどね。 > > その方法論として堕落論としてのさらなる堕落が必要なのかもしれませんが。。。 ★私たちは、哀れですね。 覚悟はしていますが。 大きな時の篩(ふるい)に掛けられているのでしょう。本当に時こそが主役と思います。 個人に取りましたら、力の範囲は、自分、自分に続く者が生き残れるかという事を警戒しないといけない。 できれば周りの者もできるだけ守ってやりたい。そういう思いです。 防空壕にも入れない、生身のままの戦ですね。 > いまやわが国は難破船のごとく羅針盤は壊れ、海図もなくただただ漂流しているような状態かもしれませんね。 ★力がないのではない、力は、どこから出てくるのか?を忘れているような気がします。 力は、自分の体からしか出せないし、感受性が受け入れたものからしか返せないのに、 明治維新と敗戦と、感じる事を誤魔化してきたから、外のエネルギーを生かすことができない。 振り回されているのを、対応しているのだと錯覚しているように感じます。 本来の自分を見失って、どう評価されるかだけに関心を持っていますね。 特に、政治家はパターンで行動するように感じています。マニュアル化ですね。古いのです。 だから、マスコミに見透かされてしまうのですね。 あはは。 ありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> 楽をしようとは思わないつもりではいますが、
> 自然と楽を選んでしまっているかもしれません。 ★あ、これは同じですよ! あはは。 この害を少なくするのは、できるだけ目的観を高~く掲げるしかないか、と思っています。 あ、それと、プロ意識でしょうか、、、? (笑い) > 自分の過去を見つめ直し、反省するところは反省し、 > 自分に必要な「誇り」や「自信」を持てるようになりたいと思いました。 ★そう、何を代償に積み上げられても、ダメは、駄目です! そういう我侭は大事にした方が、いいと。 自分の満足ではなくて、『天の道』の満足を、その為には自分なんぞどうなってもいいと、我慢を。 我慢も我侭も、大事ですね。 ありがとう! 感謝☆cosmos Re: 秋です~!> 9月になって、ものを思う。本当に、暑いと集中できないです。
> > いつも、いつも、目が覚めるような記事ですね! > どこか違うなって読んでいます。 ★そうですか~? ? 気になってしょうがない事が多いのです。(笑い) > 思想とか、哲学とか、遠い存在でしたが、 > cosmosさんのおかげです。解かるようになってきました。 うれしいわ~! 何よりの励ましです。がんばります~! あはは~。 > 今の文明は、なにでも簡単だと、いうイメージを先行させていますね。 > そして、哲学や歴史や思想は、本だけの上にあるわけじゃないと真に思うようになって来ました。 そう、本の中や、机の上にあるものじゃないわ。 生活の中で、自分を守るためにあるものだと思いますよ。 うそと、本当を見極める目を持つためですよ。 ありがとう! 感謝☆cosmos Re: 秋を少しずつ感じられる今日この頃、、、> お彼岸をどうお過ごしですか? 家族でお墓参りに行って、今日、帰ってきました。=
★お彼岸ですね。入りは20日、明けは、26日でしたか。 一足早く、18日から私も家族で墓参を済ませました。 清清しい気持ちになれました。お彼岸は満月ですよ。 > 心で思うことは、以心伝心と言って通じるものです。= > 思いは、周波数を合わせるようなエネルギーですね。^^= > それが、ブログを通じて結びつくところがすばらしいです。= ★そうですね。ありがたい事ですね。感謝を! > 相対主義というのですか、今の若い人は、神や仏を見下ろしているようにとらえています。= > 特に上下関係、親の世代、年長者を区別しないで、自分とフラットに考えているようです。= > 自己の価値観、システム中心で生きていますね。= > > 現実は、流されて行くこともある生活ですが、自分の中ではきちんと反省、整理をする。= > そこで(自分に対しては厳しく、)この言葉の意味がよみがえりました。= ★いろいろな空気がありますが、匂いを感じていく、気配を読んでいく、 マスコミは信じられませんから、自分で嗅いでいくしかないようです。 大人が教えるという事を避けているので、今の若い人はかわいそうです。 身近な人たちは、守ってやらないといけません。今は、そういう時代ですね。 今日は、静かな日です。しずかに過ごそうと思っています。 ありがとう! 感謝☆cosmos |