![]() 2010
07/06 22:22 |
『因果応報の源 時間を生きる』 4.運命学では、東洋の叡智、陰徳の提起をしなければなりませんCategory : 家系の興亡
![]() 大江湿原から尾瀬沼と、燧(ひうち)ケ岳 今日は、”因果応報”について、 陰徳の視点からすこし記事にしたいと思っています。 まずは、 前回の記事へいただいた拍手コメントの中の 次のフレーズへ、 公開でお返事を致します。 とっても貴重な事象をご紹介いただきました。 私の近所では 家を建て替えると必ずその家の誰かが亡くなります。 そういう運気だったのでしょうね。 折角のコメントですから、 そういう運気だったのでしょうね にこだわって、運命学の一端をご紹介します。 これは、実は、カテゴリー(家系の興亡)の初めての記事です。 深くは、まだ、、、、、、。 いくらか、その端緒だけでも記事にしたいと思います。 おそらく、 このコメントをくださった方のご近所は、 若い核家族家庭ばかりのご近所ではなく、 昔ながらの伝統的な大家族で2~3世代の家族が同居、というよりも、 いわゆる屋敷内という同じ敷地内に母屋、離れが建ち、 それぞれが別棟にお住まいになっている旧家タイプの家の 集落の中ではないかと思います。 私が、遠くまで訪問鑑定に出かけるご家庭の多くがそうです。 都会で、核家族で住んでいる場合は、 田舎で誰かが亡くなっても自分と関連付けて考えないし、 また、いちいち情報が入って来ないのでなかなか気がつかない事象です。 ご家族の中で、誰かが家を新築すると、誰かが亡くなる。 禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し 「 史記 」 人間万事塞翁が馬 「 淮南子 」(えなんじ) 不幸なでき事が他人事であるなら、 人生の禍福は、予測できないという喩えを出して、 ”そうなんだよ~” ”人生はそんなものだって!”とシタリ顔で片付ける事も 傍観者としては、できるかもしれません。 でも、当事者だったら、そんな単純なものじゃないのね~ なぜ? どうしてこんな目に? そう思うのが、ごく自然な気持ちです。 昔の人は、 どことなく直感で、分かっていたはずです。 今の私達は、西洋文明的な合理性の癖で、 科学的じゃない、目で見える理屈で説明できないものを嫌って、 心にzawa~ザワっとしたものを感じながらも、 事に関連付けて考えるのをためらい、無視をし、 邪魔な事、めんどうだと、避けて通っているのが普通です。 さて、 家の新築のように、何か慶事が実現する時、 ”魔が入る”とか、注意を喚起する言い方をします。 その喜びが大きすぎて、気持ちがゆるみ、それが油断を生む、 たとえば、宝くじに当たったら慢心に陥って、不幸になるとか、、、 これらは、表面的には油断や慢心を諌めるためが目的であろう と思います。 慶事の後の、凶事が起こる事については、 運命学で説明するには、 東洋の叡智、陰徳の提起をしなければなりません。 陰徳とは、陰の徳です。 表だって見る事のできない徳です。 徳とは、表だって福を帯びる現象が現れる時の(それを起こす本体)です。 陰のエネルギーが陽の祝福された現象を起こす本体です。 陰徳は、しあわせの種なのです。 大事な事は、 福を起こす種がなければ、福の状態にはなれません。 しあわせになる、しあわせを引き寄せるには(本体)が、 なければ、、、ダメです。それが、陰徳です。 種が、幾らあるか? が非常に重要です! 陰徳をいくら、あなたは持っていますか? (笑い) しあわせを引き寄せる(本体)をいくら貯めていますか? 陰徳の定期預金はありますか? あはは。 どこに貯めていますか・・・・・ しあわせ・福のなかの一番は、 望まなくても、向こうから飛び込んで来る福です。 ほしい、ほしいと欲深く欲しがらなくても、飛び込んでくる福の現象です。 網を張らなくても、魚が陸地に飛び揚がってくる! そういう状態ですね。 このしあわせの中にいる人は、 ”頂いた”とか ”恵まれた”とか ”さずかった”などと、 心境を話すかも知れませんね。 しかし、 今の世の中は、 資本主義の経済性の効率化から、 お金を廻して、動かそうとするエネルギーが強いですから、 煽られて、扇動されて、欲望を引き出されるような仕組みですから、 向こうから飛び込んでくる福を待つなんて、 こんな安閑としていては幸せにはなれない、と思う人が多くいて、 どんな場合も、自分から強く望んで”ほしい!”と欲望を膨らまさないと しあわせになれないと、思い込んでいる人ばかりでしょうね~ あはは。 だから網を張る、努力をする、悪いことではない、いい事だ、 そういう肯定で今の世の中の価値観は成り立っています。 なせば、なる! ほんとうでしょうか? だれでも網を張れば儲かる? あはは~ 努力をすれば同じ結果が出る? ほんとう~? 因果応報によって報われるとしても、かならず差が出ます。 それは、ひとつは持って生まれた運・命式の違いがあります。 自分の命式にあった努力は結果が出やすいのです。 努力がなくても、恵まれるというような事です。 反対に、自分の命式にない事は、大変です。 いわゆる、努力をしても な・か・な・か、渋滞いたします。 掘っても掘っても水脈に突き当たらない井戸掘りの様です。 この差はなになのか? しあわせを引き寄せる(本体)陰徳が、あるか、ないか? つまり積善があるかないか? それが、どのくらい? たとえば、 私達は、しあわせな現象である陽の現象に恵まれるのは、 その元の、しあわせを引き寄せる陰徳の力を消費します。 つまり、陰徳の力がなければ、しあわせな現象は現れて来ない。 つまりしあわせな現象に恵まれるという事は、 積んだ陰徳の貯金を崩すのです! 福の大きい陽の現象を出すのには、 大きな陰の本体の力を使うのですね。 陰徳がげっそり、痩せる。 あはは。 陰徳が、なくなってくれば、 陽の福である現象は出て来なくなる。。。 つまり、福でない陽の現象が出てくるようになります。 つまり、禍(わざわい)が起こるのです。 おおきな幸せを望んで、それを達成した時は、 おおきな陰徳を使ってしまった時なのです。 そのように、 積まれた陰徳は、限りがあるものですが、 陰から陽へと転化されたエネルギーは、運命そのものから見ると、 運命の質量保存の法則、 運命のエネルギー不変の法則が成り立ちます。 積んだ陰徳の分だけ、福がやって来るのです。 これらが、陰徳の観点から見た 慶事のあとは、凶事が起こりやすい理由のひとつです。 他の視点から見るのは、今回は省きます。 最後に、 気がついて欲しいのは、 今、私たちが意識する範囲内 (見たり、聞いたりできる範囲内という事ですが) その範囲内で、物事というものは、成り立っている訳ではないという事。 その狭い範囲内で、早急に結論を出してはいけないという事です。 カール・マルクスの古典的著書 『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』から 有名な言葉を引用します。 人間は自分自身の歴史を作る。 だが、それを、自分の好きなように作るわけではない。 自分の選択した状況の下で作るのではなく、 過去から与えられ、伝播された、すでに存在する状況の下で作るのだ。 私たちはうぬぼれる程、自由ではありません。 自分の意識が好きなようにしていると思うのは、勘違いです。 たかが意識は、そこまでの力はありません。 過去から与えられ、伝播され、すでに存在する状況の下こそが、 自分の過去からの因果応報、運そのものなのです。 今、まさに日本の政治自体、 ”時の権力者カ~ンさん”が口で言うほど楽じゃないのです。 すでに存在する状況の下で、どこまで、なにが、できるのか? カ~ンさんご自身も解かってないかも? 陽の象徴、だから政治は偽というのです・・・・・ 今日は、このくらいで。 どうか、幾多の幸がみなさまへ、 降り注ぎますように。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 |
Comment |
管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
燧ケ岳 に登山した思い出があります。学生時代、ゼミの仲間と登山をしたのですが、楽しい思い出です。
標高が高く、たしか2,000メートル級でしたね。 高い山、静かな沼、ひっそりと咲く水芭蕉、きっと今頃はニッコウキスゲの出番ですね。 誰も訪れなかったら、誰も知らずに咲く花たちです。 「時」をめぐり、いろいろな記事を読ませていただいていますが、 時の不思議さ、意味の深さ、質について考えています。 今日、不在者投票を済ませたら、今日は七夕^^星空を見あげる余裕?
銀河は雨か、涙か、あっ、宇宙には雨はない! 陰徳、古い言葉が妙に新しく響きました。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
ピンチのあとにチャンスあり!ではなくて、慶事のあとに凶事ありなのですね。
慶事の前には、貯金の限度額は決まっているようですが、 「徳」を積んでおかないといけないのですね。 これは命式によって決まっているようですが、 善行を行うことによって積み立てられるものなのでしょうか。 今からでは遅いかもしれませんが、陰徳貯金の必要性を感じました。 身内に不幸があって、当分留守をしていました=
間に合ってよかった~= 今日の記事は、なかなか他では読めないものです= 暗闇の中を、探るような、でも、やっぱり前に進みたいような気がします= 続き記事を楽しみにしています= Re: タイトルなし鍵コメントさんへ
コメントありがとう! 感謝☆cosmos Re: 燧ケ岳 に登山した思い出があります。> 学生時代、ゼミの仲間と登山をしたのですが、楽しい思い出です。
> 標高が高く、たしか2,000メートル級でしたね。 > > 高い山、静かな沼、ひっそりと咲く水芭蕉、きっと今頃はニッコウキスゲの出番ですね。 > 誰も訪れなかったら、誰も知らずに咲く花たちです。 > > 「時」をめぐり、いろいろな記事を読ませていただいていますが、 > 時の不思議さ、意味の深さ、質について考えています。 ★あらっ!そうなのですか~ 有名な場所なので、登られた方も多いでしょうね。 私は、6月の初旬だったのでニッコウキスゲは、まだ、、、今が盛りかもしれません。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> 今日、不在者投票を済ませたら、今日は七夕^^星空を見あげる余裕?
> 銀河は雨か、涙か、あっ、宇宙には雨はない! > 陰徳、古い言葉が妙に新しく響きました。 ★私も選挙は、済ませました。何があって行けなくなるか判らないですから、、、 七夕は、残念! 空には何も見えなくて! あはは~ 雨のない宇宙には、川もない? 昔の人の方がロマンがありましたね。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし鍵コメントさん
コメントありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> ピンチのあとにチャンスあり!ではなくて、慶事のあとに凶事ありなのですね。
> 慶事の前には、貯金の限度額は決まっているようですが、 > 「徳」を積んでおかないといけないのですね。 > これは命式によって決まっているようですが、 > 善行を行うことによって積み立てられるものなのでしょうか。 > > 今からでは遅いかもしれませんが、陰徳貯金の必要性を感じました。 ★あはは、本当に~陰徳の無駄使いをしないようにして貯めなければいけませんね。 masumienさんは、普段の行いがいいから着々と積み上がっているでしょう。 詳しくは、又、記事にして書きたいと思います。前のご質問も忘れないで覚えています。道徳の本でした、 それもまとめて書きます。いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> 身内に不幸があって、当分留守をしていました=
> 間に合ってよかった~= > > 今日の記事は、なかなか他では読めないものです= > 暗闇の中を、探るような、でも、やっぱり前に進みたいような気がします= > 続き記事を楽しみにしています= ★そうですか、大変でしたね~ 無理をなさらないでくださいね。天候が優れないですからお疲れがでませんように、、、 いつもありがとう! 感謝☆cosmos 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: Re:陰徳の定期預金鍵コメントさんへ
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >福を、起こす種、きっとその種子は、自分の心の中にあるので有って・・・ ・・・と思いますが、如何なもんでしょ? >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★そうです!そのとおりですね。 自分の心と言っても、青空ぐらいの無限の広さと、遠い遠い距離まで自分の心ですから! そこに種がしっかりとある。もう、心配いらないですね。 コメントありがとう! 感謝☆cosmos |