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    『因果応報の源 時間を生きる』 5. 因果応報と永遠のいのち、これは『時空』にわたる永遠性の別名です。

    Category : 呂氏春秋の世界
    葉桜

    梅雨空の葉桜




    ちょっと、今日は前置きを、、、


    『因果応報』という古い仏教的な言葉を、

    できるだけ現代の意識的な言葉で種明かしをしてみたいという衝動から

    このテーマを書き始めたのですが、

    思っていたよりも簡単に終われそうもなくて、、、(笑い)


    いただくコメントに導かれながら、

    だんだん深みに入って行っているような気がしています。 あはは。




    実を言うと、なぜ、『因果応報』なのか?



    現代のすべての面における閉塞感は、

    表面的には経済の行きつまり、地球資源の有限性、

    社会的には少子化など、の現象として現れてきていますが、

    その奥の問題点は、

    理念や哲学、思想の欠如による

    生活レベルの道徳の崩壊と思っています。

    そこが、私達の深く豊かな創造力の表出を奪っているのです。




    道徳のその奥に、ふたつの扉があります。

    ひとつは、”因果応報”の扉。

    もうひとつは、”永遠のいのち”の扉。


    この二つは、『時空』にわたる永遠性の別名です。


    このふたつの扉の後ろには、またひとつの扉があります。

    それには、今、触れる余裕はありませんので、省きます。





    『時空』にわたる永遠性の別名、”因果応報”と”永遠のいのち”

    この、もともとの東洋的な叡智を失念、捨て去って来た事が、

    現代文明の病につながっているのではないか?



    いろいろなご相談を聞いて、運命鑑定をしている間に、そう

    確信するようになりました。



    つまり、

    自己の存在の永遠性の喪失は、今だけに生きる生き方になります。

    刹那的で、表面的な快楽、

    今だけ楽しければいい、後の事を考えなくなる。

    目の前の世界に生きるのですね。

    それはつまり、難しい事を言うと、

    人間のなかの、仏性や神性を壊し、限りなく畜生系に近くなる。

    いいえ! そう言ったら、

    畜生(犬や猫、動物等)に失礼かもしれないですね~ (笑い)

    畜生以下、石ころ以下、この地球上に立っていられなくなる存在です。。






    "因果応報”感の喪失は、『空間、場』における自己責任感の喪失で、

    本当の自分を見失う事です。

    自分を見失う事、それは、同時に客観性を失って相手を無視して、

    そして自分も社会から消える事です。



    ”永遠のいのち”感の喪失は、『時』における自己の存在の瑣末性です。

    ささいなつまらない自己に限りなく堕ちて行くのですね。



    こうなれば、

    人は何をしても自己を評価できなくなります。

    逆に、突然、

    通りで何十人の人間を刺し殺したとしても悪いと思わない。

    全てを他人のせいにして、逃れられると、、、

    傲慢の極、もっともまずしい命。


    なぜなら、それはこの宇宙のリズムを無視し、

    『天の道』に反逆し、自己の命のよりどころを失っているから、

    虚勢を張って威張らずにはいられない。



    素直になれない

    その威勢の行為が、他の命を殺傷する。

    殺傷しないまでも、平気で他を傷つける。

    そうしてまでも歪んだ自己の存在の証明をしようとする。


    たしかに、今の世は、

    ”因果応報”と”永遠のいのち”の存在を忘れて、迷っている・・・・・





    過去に

    いろんな時代がありましたが、

    こんなに自ら進んで自己を矮小化し瑣末に考える時代があったかしら?



    知識を知れば知るほど、自己が矮小化していく。 なぜ?

    進んだ科学が、増えた知識が、人間を有限化したのかもしれません。




    知識ではないものを、信じるな! 『因果応報』なんか、うそっぱちだよ!

    数字で計れないものを、信じるな! 『永遠のいのち』なんてあるわけが

    ないだろう! 人は死ねば土、石ころになるんだよ。 無だ!


    それか、なんとなく、(てんごく)へいくんだって?  



    あははっ~! 大人がこう言っているのを聞くと笑うしかないのです。





    今、人は人間性の瀬戸際にいるような気がしています。







    あ、ぁ、前置きが長くなりました。






    さて、記事本文に戻ります。


    前回の陰徳の視点から観る『因果応報』のテーマの記事に

    次のようなコメントをいただきました。


    ピンチのあとにチャンスあり!ではなくて、

    慶事のあとに凶事ありなのですね。

    慶事の前には、貯金の限度額は決まっているようですが、

    「徳」を積んでおかないといけないのですね。

    これは命式によって決まっているようですが、

    善行を行うことによって積み立てられるものなのでしょうか。

    今からでは遅いかもしれませんが、陰徳貯金の必要性を感じました。




    このコメントに、誰もが共感されると思います。


    今日、なにか参考になる事が書ければと思っています。







    この地球上で生きる以上、

    『天の道』=大宇宙の存在=大自然の懐から飛び出すことは、

    どう考えても、私達には不可能です。



    この宇宙の片隅の太陽系の中の水惑星。

    46億年前に誕生した地球。

    太陽から3番目の近さ、その適当な距離を保って太陽を回る。

    その条件が、多様な生物の生命活動を可能にしている。



    これらの事は、もうすでに、

    意識の額縁のなかである科学が、証明をして来た事です。

    これらは、人間の意識を通して科学が証明をする事です。


    しかし、なぜに、こういう惑星があるのか?

    そこにどうして我々が生存しているのか?

    この謎は、科学では解明できないでしょう。

    科学が網羅する範囲を超えているからです。

    意識の及ぶことではない、そう思います。



    これらは、おそらく哲学、宗教が答えなければいけないわ!



    同じく、科学では、

    地球の1日や、月の満ち欠けなどのリズムにあわせた生理現象が、

    私たちの体の中にはある事も証明しています。



    私達の生命は、それらの生理現象に拘束されています。

    理性が私達を拘束する前にです! 


    脳の視床下部という、

    私たちが自分で意識する、しないにかかわらずに

    私達の生命の保全を司っている

    自律神経である交感神経・副交感神経機能

    及び内分泌機能を全体として総合的に調節しているところがあります。


    視床下部には、

    体温調節中枢、下垂体ホルモンの調節中枢、

    浸透圧受容器、摂食行動、飲水行動、性行動、睡眠などの

    本能行動の中枢、及び怒りや不安などの情動行動の中枢が

    あります。


    それらは、

    体温、血圧、心拍、睡眠、

    ホルモンや消化酵素等の内分泌機能、食欲、

    細胞の新陳代謝の現象など、一日の中で一定のリズムを持っています。

    つまりは、体の持ち主である本人の意識とは関係なく、

    これらの生きる本能的な機能は、

    直接、地球の1日や、月の満ち欠けなどのリズムに合わせて

    機能する生理現象だという事です。

    私達の体、命は、

    自分の命であるようでも、自分の意識のままにはならない。

    自分の命は何の指図で働いているかというと、

    大宇宙のリズムの影響で機能をしている。

    そういうことなのです。

    自分の命は私の物ではない。

    私物ではない。

    命は『公』=『天下』のものである。

    という思想が出てくるのですね。




    『呂氏春秋』の

    天下は一人の天下に非ず。

    天下の天下なり。



    命は自分だけの一人の命ではない。

    すべての命は、大宇宙の命から生まれた命なのだから、

    =大宇宙の命なのだ。

    大宇宙のリズムに合わせて生きることが長生久視を叶える事だ。

    と言うのです。



    これが『天の道』です。

    『天の道』に順じることが命を謳歌できる事であり、

    それを邪魔するのが自分の欲である。

    自分の欲の満足の為と言って結果は『天の道』に逆らって生きる。

    その事を「私欲」と言う。



    「私欲」を去って、「公」に生きるとは、


    あくまでも、宇宙をひとつの生命体と見て、

    そこから生まれ出る事を可能にした地球の恵まれた状況、

    命をはぐくむ条件を満たしてくれる太陽と地球の恵まれた状況、

    その命を今現在のあなたまで継承してつないでくれた恩人、

    それが、直接的には両親。 

    それ以前の両親の親達。 先祖と言う事になります。

    お分かりになりますね。

    いのちの継承の筋です。


    それが、『孝』に、道徳の最高価値を置く理由になります。



    単に、親孝行、何かをプレゼントをすることが親孝行、

    そんな目先の行為をさせる為だけの、『孝』ではありません。

    それでは、幼稚園レベルと変わらないではありませんか? (笑い)


    小学生に教科書で教える道徳とは、

    困ったお年寄りに席をゆずりましょう。等が道徳という事に

    なるのでしょうが、

    それは、ずっと先のほうで派生する枝葉であって、

    根本的な本質は、この『天の道』から、『孝』へと導かれる

    中にある筋であって、ここを外してはいけません。




    孝を知っている。孝とは親孝行だ。親を大事にすることだ。

    私は、親孝行をしている。その事に十分満足をしている。


    あはは。


    これでは、単なる主知主義(知識や知性を重要価値とする)です。

    これが、まじめな勤勉な日本人が陥りやすい穴凹(あなぼこ)ですね~



    すぐにすなおに学んで覚えるいい子ちゃん! 

    偏差値教育をすぐにマスター優秀児! 


    実を言うと、

    これが、今の民主党の政治家に多いタイプなのです!

    彼らに任せておくとどんな日本になるのか、

    見えてこない!

    権力者の謙虚さがない! 

    不安ですよ~

    彼らは、学んだ知識が最上のものだと思っているだけで、

    そういう教育を受けてきた自分を間違いないと思っている。

    それ以上の高みを知らないように思う。

      


    たしかに、たしかに、日本人は、

    外来文化を学んで覚えて素早く身につける天才ですよ!



    しかし、ついでに言っておきます。

    江戸時代の元禄文化という緩みきった(今の日本と極似している)

    文化のなかで主知主義に陥った朱子学のせいで、

    黒船に対抗できない、どうにもできない非力な日本人を作り、

    現代につながる明治維新の本質的ゆがみをもたらした、

    元凶なのではないか?



    この事については、また別の機会に記事にしようと思います。





    孝経に、夫れ孝は徳の本なり。とあります。



    陰徳とは、太陰にそなわるエネルギー、創造力のことです。

    天のエネルギーに対する大地のエネルギー。

    太陰にそなわるエネルギーに相対するものが

    地球にとっての天そのもの=太陽そのもののエネルギーです。


    太陰に相対するのが太陽です。 太陰:太陽(お天道様です)


    太陽から守られるあらゆる生物の命の存在に最高の価値を置いて、

    その事実を感謝し、その心で『天の道』に順ずる生き方を守り、

    命への感謝から親から子へ、

    また子へと継承して行くことが、陰徳です。


    太陽への感謝=命への感謝=大地に積もる徳なのでしょうね。

    命への感謝を、身近な具体的な行為として挙げれば、

    先祖に、我の命の誕生までつないでくれた事へ感謝をする行為。

    その感謝の報いとして、先祖に自分の善行為を以ってお供えをする行為。

    まず、生きている親への孝の前に、

    死者であるご先祖のお墓参りをなさるようにお勧めします。


    宗教や宗旨がどうのこうのではなく、

    子孫としての振る舞いとして、

    感謝の心を持って行かれるだけでもいいと思います。

    お墓参りの行為以前に、死者に感謝の心を持つという事がいいことよ!


    ちょうどお盆も近いし、

    ご両親のお供をしてご先祖さまのお墓へ

    あるいは、一家の主として墓地の祭祀権者として、

    ご無沙汰のお詫びに伺うのもいい時期ですね。


    お墓参りは、貴重な陰徳を積む行為です。


    つづきます。

















    参考文献 『 生物時計はなぜリズムを刻むのか』 日経BP社

     著者 ラッセル・フォスター / レオン・クライツマン


    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    科学の限界-視床下部の存在-大宇宙のリズムの影響-『天の道』-命の継承の筋
    →道徳の最高価値に位置する『孝』。

    今まで、例にもれず主知主義という大きな穴凹でもがいていたようです。
    ただひとつの救いは、理由が「ご先祖様が守ってくれる」、と異なっていますが、
    毎年墓参りを欠かしていないということです。
    その中には寺子屋の先生の墓もあり、その周りには教え子たちがわざわざ富士山の麓から
    持ってきたという石がいくつか積んであります。

    今年は、感謝の心を強くしてお参りをしたいと思います。


    =追伸=
    元禄文化から明治維新のお話・・・楽しみにしています。

    おぉ~分かりやすく「孝」について記事を読ませていただきました=
    どうして、今までこういう知識を得る事ができなかったのでしょう=

    cosmosさんに感謝です!
    また、続きを楽しみにしています。

    おはようございます!

    夜勤明けの空は、晴れで太陽の光が眼にしみました。

    死をどう扱うかという事で全てが見えるのかもしれません。
    それだけ、私たちは浅はかな文明の中に生きているのですね。
    永遠という言葉は、最近は絵本にすらあまり出て来ないですね。
    『孝』が最高価値とすれば、他の徳性は此処から出てくるものなのでしょうか?

    ”天は人の下に人を作らず”とか言う所の天は、此処から来たもんでしょう。
    天下と言えば、天下布武とか、信長が云いましたが、
    天下と言えば、今は政治の用語で国とか、国民の事の意味らしいが、狭い意味になっております。
    天下の天下なり。
    われらの命は宇宙生命として、一つという、壮大な命の平等論というか、
    いかがでしょう。

    Re: タイトルなし

    > 科学の限界-視床下部の存在-大宇宙のリズムの影響-『天の道』-命の継承の筋
    > →道徳の最高価値に位置する『孝』。
    >
    > 今まで、例にもれず主知主義という大きな穴凹でもがいていたようです。
    > ただひとつの救いは、理由が「ご先祖様が守ってくれる」、と異なっていますが、
    > 毎年墓参りを欠かしていないということです。
    > その中には寺子屋の先生の墓もあり、その周りには教え子たちがわざわざ富士山の麓から
    > 持ってきたという石がいくつか積んであります。
    >
    > 今年は、感謝の心を強くしてお参りをしたいと思います。
    >
    >
    > =追伸=
    > 元禄文化から明治維新のお話・・・楽しみにしています。

    ★やはり、さすがですね! ”毎年墓参りを欠かしていない…”
    生きている人間になら、目先の見返りを当てにする行動へつながるでしょうが、さもしさ=偽善です。
    死者のためなら、それらを期待するのは無理です。それでも行う行為という所が、とうとさに通じると。
    私も、墓参を特別に大事にしています。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    > おぉ~分かりやすく「孝」について記事を読ませていただきました=
    > どうして、今までこういう知識を得る事ができなかったのでしょう=
    >
    > cosmosさんに感謝です!
    > また、続きを楽しみにしています。

    ★頭のいい方は、悟りが早いわ~
    あなたに期待をしています。精進をなさってください。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: おはようございます!

    > 夜勤明けの空は、晴れで太陽の光が眼にしみました。
    >
    > 死をどう扱うかという事で全てが見えるのかもしれません。
    > それだけ、私たちは浅はかな文明の中に生きているのですね。
    > 永遠という言葉は、最近は絵本にすらあまり出て来ないですね。
    > 『孝』が最高価値とすれば、他の徳性は此処から出てくるものなのでしょうか?

    ★そうですね~
    視床下部よりも、前頭葉に血を巡らせる方が利益があると言う文化です。
    ね!知識だけで生きるなんて、物よ。このままなら人間が物になりますね。
    そう、絵本も前頭葉で書くからだわ~ 
    他の徳性は、そう、思っている通りです。またね!
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    > ”天は人の下に人を作らず”とか言う所の天は、此処から来たもんでしょう。
    > 天下と言えば、天下布武とか、信長が云いましたが、
    > 天下と言えば、今は政治の用語で国とか、国民の事の意味らしいが、狭い意味になっております。
    > 天下の天下なり。
    > われらの命は宇宙生命として、一つという、壮大な命の平等論というか、
    > いかがでしょう。

    ★おっしゃるとおりですわ~
    古代中国哲学では、宇宙や人生を貫く根源的理法を「天」と名づけて、天子や天命などと言いますね。
    あとは、いろいろ、 
    ”おれの天下だぁ!””かかぁ天下”とか、あります。 あはは。
    このコメント、次回の記事に使わせてくださいね。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos 
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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