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    ***** 無意識の不思議 6  無意識に対する科学の限界/生と死への東洋の洞察

    Category : 自然の力



    参照 : NASAプレスリリース

    写真をクリックしてください。欠けている左の全部が見えます!






    うわぁ~! なに? これ?  の第6弾です。  あはは。


    ハッブル宇宙望遠鏡が撮ったタランチュラ星雲です。


    画像の右下の部分、光る星が集まっている部分が、 


    ホッジ301(Hodge 301)と呼ばれている明るく輝く大質量星の集団です。 

    ホッジ301は、大マゼラン雲中のタランチュラ星雲の中にあります。 



    ホッジ301の中には、現在、赤色巨星が3個あり、

    いつかは分からないけれど、

    超新星爆発を起こすと思われています



    その中の一つの巨星、SN1987Aと呼ばれる青色超巨星が、

    1987年2月24日に、超新星爆発を起こしましたが、

    その爆発の星の重さは、


    太陽の約20倍、直径は30-40倍もあり、

    爆発時の明るさは太陽の約2億倍にもなったというから、


    どんなに凄い爆発だったか想像できない位なのです。



    大マゼラン雲は、地球から16万光年の彼方にあり、

    この大マゼラン雲の中には、散開星団、球状星団、星間分子雲などが

    存在しています。

    その中の散光星雲であるタランチュラ星雲は、とても美しいのです!


    ☆の死 この星雲には星の一生の最後の姿である巨星が沢山あります。

    星の一生は、爆発という形で終るのですが、



    ☆の生 その時、飛び散ったガスや残骸が集まり、

    また新たな星が生まれます。 

    その場所が、上の画像のホッジ301の先、中心の付近、

    小暗黒星雲にある濃密で小さい胞子とチリの筋がある所です。 

    ここで、今、この時、この中で新しい星が生まれています。





    実は私達の太陽も、

    今から50億年前に、近くで起こった超新星爆発による衝撃で、

    ガスや残骸が吹き寄せられて誕生したものと言われています。





    星の「生」と「死」


    この全く相反するものが、

    ひとつの場で同時に起こっている不思議。

    --------- 宇宙のその姿の深遠さ、

    生と死は、別々のものではなく同時に同空間に存在しているのです。















    さわやな秋の日がつづいております。



    これをお読みいただいているのは、土曜日の夜ですか?

    日曜日の朝ですか?


    秋のさわやかな空気の中で、よろしければ音楽を、 新緑の朝 です。


    秋なので、少しロマンティックに、いきましょう。
    ほんとうは春向きの音楽なのですよ。  あはは。

    まぁ、いいでしょう、、、

    お耳障りの方は、どうぞ飛ばしてくださいね。













    今日は、

    無意識の不思議 6 

    無意識に対する科学の限界/生と死への東洋の洞察  です。 






    えっ! 科学は万能と言いながら、無意識に限界なんだって?  


    そうなのですーーー!    


    こんな事、お考えになられた事、ないでしょう?  あは。


    それに引き比べれば東洋の叡智の深さーーー   

    東洋は、何千年の遠い昔から、無意識の世界を追求して来たのです。

    しかしながら、

    その視点が、現代の私たちには生かされていないように思います。

    東洋の無意識の世界を追求した智恵と伝統と歴史が、

    どのような、どの程度の深さなのか、少しでも知って頂きたい。

    そう云う記事になると思います。





    今日も、まず、前回の記事にいただいたコメントから始めます。 

    今日は、一つだけです。 

    編集省略をしています。 ご了承ください。     ほ。




    『 >女性は? 同じ物差しでいいのでしょうか?

    この言葉が胸に迫ります。


    今は、女に生まれた重みを突きつけられて耐えられるかな?とまた、

    (考え)てしまっています。

    こういう(考える)のは、意識的過ぎてよくないのかと思ったり、

    自分の意識に都合のいい事なのかと思ったり複雑です。


    今の社会の中で女性が女性の特質を自覚するのは難しい感じがしています。

    やはり、結婚して家庭を持たないとわからないことがあるのかもしれません。


    無意識を(自覚していない)という風に取ったら、

    病気の原因を積み重ねている間は、無自覚な方が多いですね。

    何か症状があって病院に来られて検査の結果などをみられると

    自分が病気だと自覚されます。

    自分の生活のなかで、

    病気の原因になる因子を積み重ねている間を無意識の範囲として、

    症状が出るのは、痛いとか、痒いとか、疲れるとか倒れるですが、

    それで初めて病気という自分の体を知る。

    意識できるのですね。


    自分で解らないと思っているけれど、本当は、どこかで病気になるのに、

    そう思いたくないから自分で解らない振りをしていることなど、

    意識のずるさかも知れません。

    ずるさを重ねると、病気という結果が出てしまう。

    人は病気なるとは思わなかったと言いますが、

    じつは心のどこかで解っているはずです。  ここですね。


    秋になって、寝るのがとても気持ちよくなりましたね。^^

    お風邪を引かれませんように。 』





    実は、今日の記事には、”未病と病気”または、”生と死”について

    書こうかと思っていました。  

    このコメントをくださって、ちょうどよかったのです。







    いままで、無意識と簡単に書いて来ましたが、


    本当は

    「無意識の領域=私たちの意識で掴めない領域=無意識の世界」と

    書いた方が、今後の記事を進めていくのには合っていると思います。






    一番の重要な、無意識の世界が起こして来る事象は、


    「生」です。

    そして、「死」です。


    つまり、わが身の「生」以前の事象と、

    わが身の「死」以後の事象は、この世の私たちの意識では掴めない。


    でしょう?





    「生」の前も、「死」の後も、観念的には、想像はできます。

    しかし、五感で、臭いを嗅ぐように、

    手で触れるようには掴む事はできません。


    ごくまれに、生まれる前の記憶を持っている人の話は聞きますが、

    一般的な事ではないですね。


    たちと言わず地球のすべての「生」を支える、あらゆる機能、

    そして、それらの「死」の姿も、無意識の世界からの力です。



    「生」も「死」も、無意識の世界のダイナミズムです。 


    星の「生」と「死」のように、

    この全く相反するものが、ひとつの同時空で起こっている不思議。

    宇宙のその姿の深遠さ、

    すべての生と死は、別々のものではないのです。



    コメントに書いていただいように、病気もそうですね。


    私たちは、病気へ向かう体調の変化に対して、

    症状が出るまで無自覚に過ごしている事が多いです。

    その間、西洋医学的には、異常がない。健康であるとします。

    つまり、黒か、白です。二元的に物事を捉えるのです。 

    病気と健康、 病気でないなら健康となるのです。


    ここが、油断、見誤る原因の出どころです。





    しかし、東洋の伝統ある中医学では、 

    西洋医学で病気と云う状態を、「既病・きびょう」と言います。

    「既病」とは、既(すで)に症状が五感で判る位、体の外に出ている状態です。


    それに対して、症状が体表面に出ていないけれど、

    病気(病原因)が、体内に存在する状態で、もしか治療をしなければ、

    早晩、発症してしまう状態を、「未病・みびょう」と言い、

    意識する世界では手がかりがない状態ですから

    五感で病根を掴む事はできないのですが、

    無意識の世界に病根がある状態です。



    中医学の目的は、

    「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあるように、

    病気になってから治療をするのではなく、

    未病の段階で、病気の原因を断つ事です。



    つまり、無意識を、どう扱うか?

    無視するか? 重要と見るか? の違いが医学の中身でも、

    西洋と、東洋では、こんなに違ってくるのです。





    東洋の深さは、ここなのですね。

    意識で捉えられるだけが存在ではない、

    五感で捉えられない存在にも言葉を与え、注目している事です。

    そして、観察をします。





    「未病」(みびょう)という用語は、

    『黄帝内経・こうていだいきょう』と云う中国最古の医学書に出て来ます。


    『黄帝内経』は、前漢代に編纂され『鍼経』と『素問』の18巻から成り、

    『素問』は、理論的で、その内容は、医学にかぎらず、

    易学、天候学、星座学、気学、薬学、運命学と広くさまざまな分野に及び、

    医学書というより科学書と呼ぶべきであるというものです。




    ここで、大病になる可能性を探ってみましょうか、、、


    西洋医学では、

    体と云う肉体の部分に症状が出ていなければ異常なしです。

    心と体を二元論で分けて考える西洋らしい、捉え方です。


    私たちが、体の奥の変化に気が付いて、病院へ行くとします。

    現代の医学の診断は、原因不明、何も悪いところはない。

    せいぜい、

    不定愁訴という診断をされて他の診療科へたらい回しされるだけです。


    これは、無意識を無いものとして発展して来た医学の限界でしょう。

    心が、いくら訴えても、物理的に細胞の分子レベルの検査の結果が、

    何もなければ、異常なしとなる。


    これが油断を生み、未病を発見できない科学の限界です。



    命を、肉体と精神と一体のものとして捉えていない西洋的概念が、

    医学を、正しい認識の上に立たす事ができないと云う事でしょう。



    本来、命は肉体と精神に分けられるものではなく、

    生と死と同じように、根源は一緒のもの、

    二つのものではないと云うのが、

    東洋の仏教の根本の考え方であり、卓見であり、真実です。 









    他の面から、もうひとつ、ここで分かる事は、

    病気になりかかっている本人の側の問題があります。


    体内に内在する病気になる異常を、

    無意識のレベルでは、気が付いていたはずですが、

    またまた、いつも都合の悪い事は気が付かない振りをする本人の意識が、

    ”病気になどなっていられないんだ”と云う抑圧の気持ちの下で、

    何もないことにしよう、大した事じゃないさ!と片付けて来た、、、

    その癖が、病気のサインを見ないようにして来た結果でもあるのです。 




    『 じつは心のどこかで解っているはずです。  ここですね。』


    その通りですね。

    すばらしいコメントをありがとうございました!




    これを、運命学で、言ってみましょう。


    どんな状況下でも仕事をやらなければならない! と云う縛りや

    病気になんかになったら失業しちゃうよ! 等の不安で、

    意識が、本人を縛ってしまう。


    何事にも、そう云う強い癖のある命式を持っていたとしたら、


    それも、頑固に、”自分は正しいのだーー!。”と思い込んでいたとしたら、

    ”○○がおかしいよ?” と 云う無意識からの気付きを、

    それも本人にとって良い気づきを、いつも無視してしまう。 

    それが、その繰り返しが、その人の運命ですね。

    いつも、なぜかやる事がうまくいかない。と云う運命です。





    悪い、損をする運命とは、


    無意識が、せっかく本人の為に、本人の意識にSOSを送っているのに、

    いつも本人の意識が、拒否をして押し返してしまうのです。

    無意識が、あなたの家来なら、”あ~ぁ~、いつも聞いてはいただけない。”

    と、無意識に我慢をさせてあなたは済むのでしょうが、、、

    無意識は、あなたの家来ではありません。   あはは。


    えっ?

    それどころか、あなたの命を生まれさせ、支え、保ってくれている本体です!

    あなたの生の根源、源、親のような、親より大きな存在? 

    ちょっと、やさしそうだがこわい?  あはは。

    そうして、

    無意識は、本人の意識が押し返した反応を受け入れ、貯めていきます。

    ショウガナイやつだなー。 とかなんとか云うのかどうかはわかりませんが、、、

    無意識は、無限大ですから、貯める所は、無辺にあります。   ほっ。








    さぁ、これが、??  なにを意味するのか?

    これは、次回へ譲るとして、、、、、、あはは。






    この無意識が貯めていく無意識のゾーン(層)についてですが、

    西洋的現代科学も、フロイトやユングがその一端を見つけています。

    それと、東洋的叡智、仏法における智慧の一端をお借りして、

    その双方から見て行きたいのですが、

    長くなっておりますので、今日の記事は、

    西洋的合理主義科学の限界と、

    ぶざまなその現実をみなさまへ、開陳した所で終わろうかと思います。






    まず、西洋からです。



    そもそも、20世紀前半ごろに、

    フロイトやユングが心理学で想定した理論における

    「無意識」の構造の存在は、

    結果的に実証されないものであることが判明しました。

    つまりは、科学的に実験証明できなかったのです。 




    それは、そうでしょう。   あはは。



    無意識を実験したり? それを意識で証明しようなんて! 

    本末転倒です。



    ここで、本来は、科学が気が付くべきなのでしょうね。

    なにって?  あはは。

    科学が、命に関しては、あほらしくも愚かだと云うことを、です。



    まぁ、意識は自分に都合の悪い事は、言わないでしょうから..。。

    無意識の立場から、言うしかないのでしょうね。   っほっ。





    今の科学では、

    意識の網にかかる(五感で捉えられる)ものしか、

    実験証明できないのですから、、、

    無意識が、意識で捉えられる訳はないのです。
     あはは。


    数値化や計測不能な「無意識」は、

    幽霊や霊魂などと同じ扱いになっています。



    無意識は、ゆうれいですか??   んっまぁ!




    しかし、フロイトやユングが、心理学で想定した「無意識」の存在は、

    文化的・思想や芸術に大きな影響を与え、現在もなおそうです。



    「意識でない状態・領域」を潜在意識やサブリミナルなどの言い方もします。





    要は、科学においては、

    個々人の主観的な把握しかできない、

    仮説的要素の大きい無意識の存在は、実証性困難である。と、

    現在は、疑問のまま放置されていると云うのが、現実です。


    これが、科学的と云うものさしの限界だと理解をしてください。

    科学で、この世のすべてを解き明かす事は無理なのです。

    まして、「生」や「死」は、いかにいわんや、です。


    これが、意識の限界です。


    この意識の世界だけを研究実験証明するのが、科学です。

    科学は、無意識を扱えません。



    なのに、

    現代科学は、時代と科学者の欲望の充足の為なのか?

    体外受精臓器の製造、生命の人工製造へ手を付け入っています。

    部品をいくら入れ替えた処で、

    運命を変えないまま臓器だけを入れ替えても、

    その運命が、先送りされるだけなのだと云う事が見えないのですね。





    「無意識」については、

    現代の合理的学問の心理学では、たったの2層

    =個人的無意識層と集合的無意識層、の構造となっています。



    本当に、西洋思想は、2がお好きなようです。 

    二元論とか、対比させる手法しかないのかな?




    次は、東洋からです。


    これは、東洋における叡智である仏法の捉え方と比べると、

    あまりにも大まか過ぎます。

    と云うのは、


    仏法哲学においては、それは幾重にもあると説かれています。





    と、これ以降は、次回へ、、、

    長くなりすぎますので、、、

    今日は、このあたりが限界のようです、、、   ほほ。

    すこし、むずかしい記事だったと思いますが、

    最後まで、お読みくださった事に、心より感謝申し上げます。

    また、次回も、お楽しみになさってください。


    記事の中の何かが、

    あなたの人生の深遠を探検するのに、

    少しでもお役に立てさせていただければ、幸甚です。





    良き一週間をお過ごしくださいますように。




























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    あまりにきれいだったので、立ち止まって見ました。

    壮大なイメージが浮かんで広がっています。
    ありがとう!

    No title

    タランチュラって、あの、、、クモみたいな、、、ですよね。
    可愛いって、飼育している人もいるそうですが、私はダメです。
    その名前が付いているって、どうしてかな。こんなきれいな星雲なのに、不思議だな。

    生と死について、やっと記事を書かれました。
    じつは前から期待をして待っていたのです。
    どの記事も、そのすれすれの所まで行くのに、すっと遠ざかるようで残念でした。
    cosmosさんが、死をどういう風に考えているのか知りたいと思っていましたから、
    今の世間で一般化されている死というものを良いとは思っていません。
    うまくは言えないのですが、死を生に対して極端に扱いすぎると思うのです。

    医学にたずさわる者として耳が痛かったです。
    西洋医学の欠点は、言われるとおりの点ですが、これは、医学だけの問題ではないのですね。
    現代をとりまく西洋思想の欠点であるということが、よくわかりました。

    いろいろ考えることばかりが多くて、悩み多いです。
    今後とも、勉強をして行こうとおもっています。

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    No title

    なんとか12時前目指してダッシュして、
    今日中に来れたのだが、考え込むんだな。
    cosmosさんは、
    情け容赦なく機関銃を打ち放してますな。

    新緑の中で、という     軽快な音楽ながら、
    記事は膨大な複雑な深刻な内容ですなー
    ついていけない人も多いだろうに、


    どこでこの弾を?
    これからタランチュラを目に焼き付けて、
    頭に大きな弾を受けたまま寝ます
    おやすみ。

    No title

    病気になるということは、最も分かりやすい<無意識からの>サインだと思います。
    我慢したり無視したりはもちろん、薬に頼り過ぎるのだって、ある意味本質に向き合うことにはならないような気がします。
    無意識からのサインを無視していたら、体や心を壊すのは当たり前、そのうち取り返しのつかないことになりますね。

    お勉強ができる人は、言い訳が得意な人が多いと思います。
    見えることだけでああだこうだ言ってるだけなので、むしろ薄っぺらく見えてしまいます。
    自分自身が満たされ幸せであるのはもちろんのこと、身近にいる人と仲良くできない、一緒に幸せになれない行為は、どうしたって「嘘」だと思えます。

    No title

    >この全く相反するものが、ひとつの場で同時に起こっている不思議。

    >宇宙のその姿の深遠さ、

    >生と死は、別々のものではなく同時に同空間に存在しているのです。


    こういうことを、普段考えたことがありませんでしたから、おどろきました。=

    生と死は、別々のものではない、これを感じる土台には、無意識がいりますね。=

    こちら側、意識の側に立ったら分からないことですね。=

    なにげなく記事にしているようで、深い意味が底にあるからこその表現ですね。=

    と、いうことは、、、どうなるのでしょうか?=

    あまり死をおそれなくてもいいということですね!=


    やっぱりわからばくて心配というのが正直なところです。=


    無意識を無視した現代科学がこのまま行くと、将来に病気になってしまうような結果が表われるでしょう。=

    それが、死よりもこわい、感じがします。=

    No title

    急に、寒くなってきました。
    ご無沙汰していました。コメントを一回書かずにいましたので、久しぶりな感じがします。
    暑さがまったくなくなりましたね。
    これから少しずつ寒くなるのでしょうね。あと3か月で今年も終りです。
    庭は、いつもと違う秋の風景です。

    いつも、感銘を受けますが、今日のは殊更です。
    今の時代の進み方をブレーキをかけるものは、なにもないですね。
    憂えていても仕方がないのですが、秋と同じ、寂しい気持ちがします。
    年金の案が、出ていますでしょう?
    あれは、若い方たちがかわいそうですね。

    バラが咲き出しましたよ! cosmosさんのお宅は?





    Re: あまりにきれいだったので、立ち止まって見ました。

    > 壮大なイメージが浮かんで広がっています。
    > ありがとう!


    ★ご訪問、初コメントありがとうございます!
    宇宙は、壮大です。見習っていきたいものです。
    今後とも、よろしくお願いします。     感謝☆cosmos

    Re: No title

    > タランチュラって、あの、、、クモみたいな、、、ですよね。
    > 可愛いって、飼育している人もいるそうですが、私はダメです。
    > その名前が付いているって、どうしてかな。こんなきれいな星雲なのに、不思議だな。
    >

    ★そうですね!  どうしてかな? あやしげな美しさ?   あは!


    > 生と死について、やっと記事を書かれました。
    > じつは前から期待をして待っていたのです。
    > どの記事も、そのすれすれの所まで行くのに、すっと遠ざかるようで残念でした。
    > cosmosさんが、死をどういう風に考えているのか知りたいと思っていましたから、
    > 今の世間で一般化されている死というものを良いとは思っていません。
    > うまくは言えないのですが、死を生に対して極端に扱いすぎると思うのです。
    >

    ★え? 待っていたのですか? 
    難しい問題でしょう。だからあまり簡単には書けないので...
    今は、科学に分からない分野は無視されているか、通俗的な表現が勝手にあふれていますね。
    >


    医学にたずさわる者として耳が痛かったです。
    > 西洋医学の欠点は、言われるとおりの点ですが、これは、医学だけの問題ではないのですね。
    > 現代をとりまく西洋思想の欠点であるということが、よくわかりました。
    >
    > いろいろ考えることばかりが多くて、悩み多いです。
    > 今後とも、勉強をして行こうとおもっています。


    ★これからの若い人たちが、どう変えていくのかが課題ですね。
    頑張ってください。見舞っております。
    いつもありがたいコメントをいただきまして感謝です!   心☆cosmos

    Re: No title

          鍵コメントさんへ 
               コメントありがとうございます!

    Re: No title

    > なんとか12時前目指してダッシュして、
    > 今日中に来れたのだが、考え込むんだな。
    > cosmosさんは、
    > 情け容赦なく機関銃を打ち放してますな。


    ★久しぶりに聞きました? めったに最近はやらないので..... あはは。


    > 新緑の中で、という     軽快な音楽ながら、
    > 記事は膨大な複雑な深刻な内容ですなー
    > ついていけない人も多いだろうに、
    >
    >
    > どこでこの弾を?
    > これからタランチュラを目に焼き付けて、
    > 頭に大きな弾を受けたまま寝ます
    > おやすみ。


    いつもユーモアに満ちた?  あは! コメントをいただきまして、
    心から感謝申し上げます。
    お体をご自愛なさって、お仕事にお励みくださいね。   心☆cosmos

    Re: No title

    > 病気になるということは、最も分かりやすい<無意識からの>サインだと思います。
    > 我慢したり無視したりはもちろん、薬に頼り過ぎるのだって、ある意味本質に向き合うことにはならないような気がします。
    > 無意識からのサインを無視していたら、体や心を壊すのは当たり前、そのうち取り返しのつかないことになりますね。
    >

    ★そのとおりです! 
    いつも気づきが的確ですね~
    この記事の続きがあるのですが、天災も、そう。地震や津波だって無意識からのサインなのですよ。



    > お勉強ができる人は、言い訳が得意な人が多いと思います。
    > 見えることだけでああだこうだ言ってるだけなので、むしろ薄っぺらく見えてしまいます。
    > 自分自身が満たされ幸せであるのはもちろんのこと、身近にいる人と仲良くできない、一緒に幸せになれない行為は、どうしたって「嘘」だと思えます。


    ★いいところへ、玉が転がりますね~   あはは。
    いわゆる、知識が『陽』で、学問は『偽』に通じるってお分かりになりましたね。
    でも、今はもう、それしかないって云う状態でしょう?
    まったく、極楽トンボ、ス~イ、ス~イ、  あはは。 どこかで落ちちゃうわね。
    本当に、考えれば深く悲しい時代です。
    よく読んでくださっているのが分かるコメントをいつもいただきまして、感謝申し上げます。
                                  心☆cosmos

    Re: No title

    > >この全く相反するものが、ひとつの場で同時に起こっている不思議。
    >
    > >宇宙のその姿の深遠さ、
    >
    > >生と死は、別々のものではなく同時に同空間に存在しているのです。
    >
    >
    > こういうことを、普段考えたことがありませんでしたから、おどろきました。=
    >
    > 生と死は、別々のものではない、これを感じる土台には、無意識がいりますね。=
    >
    > こちら側、意識の側に立ったら分からないことですね。=
    >
    > なにげなく記事にしているようで、深い意味が底にあるからこその表現ですね。=
    >
    > と、いうことは、、、どうなるのでしょうか?=
    >
    > あまり死をおそれなくてもいいということですね!=
    >
    >
    > やっぱりわからばくて心配というのが正直なところです。=
    >
    >
    まぁ、そこまで行かれましたか? すばらしい感性ですよ。
    今度また、生死は、反響が大きかったので、また記事にしたいと思っています。



    > 無意識を無視した現代科学がこのまま行くと、将来に病気になってしまうような結果が表われるでしょう。=
    >
    > それが、死よりもこわい、感じがします。=


    ★ 無意識を無視した現代科学を信じている人が多くなれば、逆に、災害が増える。
    そう思っています。これは、コメント欄にしか書けないことですが、、、、、  ほ。
    無意識が、偏りを気づかせようと自然を動かしてくるのですね。
    いつもよくお考えになられたコメントで、感心させられるわ!
    いつもありがとうございます!    感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 急に、寒くなってきました。
    > ご無沙汰していました。コメントを一回書かずにいましたので、久しぶりな感じがします。
    > 暑さがまったくなくなりましたね。
    > これから少しずつ寒くなるのでしょうね。あと3か月で今年も終りです。
    > 庭は、いつもと違う秋の風景です。
    >

    ★自然は、実りに満ちた姿になりました。自然は賢いですね。
    人で云えば、老年期でしょうか。
    時に従って生きれば、自然に実る運勢を持ちたいものです。



    > いつも、感銘を受けますが、今日のは殊更です。


    ★あら、そうですか、、、ありがとうございます!


    > 今の時代の進み方をブレーキをかけるものは、なにもないですね。
    > 憂えていても仕方がないのですが、秋と同じ、寂しい気持ちがします。
    > 年金の案が、出ていますでしょう?
    > あれは、若い方たちがかわいそうですね。
    >
    > バラが咲き出しましたよ! cosmosさんのお宅は?


    ★政治というのは、『陽』の典型、うそばかりですね。
    結局、エゴイズムを乗り越えていないのですから、仕方がないのですが、
    これからの人が、希望を持てるようにならなければいけませんね。
    バラが、咲きました。我が家は、黄、赤、薄紫、あと、野ばらです。
    いつもさわやな話題で、ありがとうございます!   感謝☆cosmos
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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