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    ***** 無意識の不思議 7  天台の『九識』/無意識の普遍性 (因果応報)

    Category : 仏教のことば



    参照 : NASAプレスリリース






    うわぁ~! なに? これ?  の第7弾です。  あはは。


    ハッブル宇宙望遠鏡が撮った小マゼラン雲の中で、

    超新星の誕生した時に飛び散った星の残骸たち、


    星屑たちです。



    非常に綺麗な宝石を思わす星の色と光ですね。 


    超新星残骸E0102と云います。 

    E0102は近傍(地球から近く、地球の傍らにある)銀河です。 


    我々の太陽系から小マゼラン雲までは、約19万光年あります。


    ○○億光年と比べると、たしかに近傍ですが、

    光が到達するのに19万年!!

    19万光年が、近いとは!?!  宇宙的なものさしですねーー。


    ですから、


    超新星の誕生と云いながら、19万年前の出来事です。

    その爆発の残骸から発した光が、それだけの時間を経て、

    地球に到達したのです。



    太陽の光だって、今の光は過去のもの、、、

    8分前の光です。

    私たちの今を、8分前の太陽の光が照らす。


    私たちが、現在だと思い込んでいる今の瞬間は、純粋な『今』ではない。

    多くの過去が入り混じって構成されているのが真実です。

    今と云う『現在』は、過去に因っているのです。




    この事実が、今日のテーマ(因果応報)の実相です。





    我々が過去に、無意識に隠して貯めておいた意識が因となって、

    無意識から湧き起こったエネルギーが、『時』を得て、

    私たちの意識できる範囲へのぞいて出た結果が、今なのです。


    何を無意識に隠したり、貯め込むのか?

    その癖が、あなたの運命を作っています。





    さぁー、今日の記事は、仏教哲学の世界の、お勉強ですよ!  ほほ。

    ばっちし! いくわよー!      あはは。

    聞きなれない、初めての事ばかりと思います。

    覚悟して、およみくださいね!    あは。






    今日は、無意識の不思議 7 

    天台の『九識』/ 無意識の普遍性 (因果応報) です。 






    前回の記事で、

    無意識は、ご本人から押し返された反応を受け入れ、貯めていきます。

    ショウガナイやつだなー。 

    とかなんとか云うのかどうかはわかりませんが、、、 ほほっ。

    無意識は、無限大ですから、貯める所は、無辺にあります。   ほっ。





    さぁ、これが、??  なにを意味するのか?

    これは、次回へ譲るとして、、、、、



    と、書いておきました。

    覚えていただいているかしら?





    今日は、そこからですが、

    そのお答えは、上に書いた事で、お分かりですね。   ほほっ。



    大丈夫ですか?


    あはは。   今日は、最初からムズカシイ?

    そうなのです。 最後まで? ムズカシイかも知れません。

    ちょっと、ご用心ですね。    ほ ほ 。






    現代の西洋合理主義に基づく現代科学は、無意識を無視をしている。

    と申し上げました。

    フロイトやユングが、せっかく探り当てた心理学の無意識の存在は、

    実験証明が不可能で、座礁に乗り上げたまま、進展が見られません。



    これ以上の無意識の世界の奥は、仏の智慧に頼るしかないわ。




    『因果応報』と云うのは、仏教から出た言葉です。


    (因果応報)このテーマの記事の過去記事、 

    『因果応報の源 時間を生きる』のテーマで、1~7よりも


    今回は、格段にレベルアップした内容になる予定です。  ほ。

    なるべくわかりやすく記事にするつもりですが、、

    仏教の多分耳慣れない言葉が出て来ますので、

    難解?かもしれないわ!       あはは。

    だから詳しくは書きません。 簡単に!       ほっ。



    しかし、ある意味、わが国が、一時は、国教にもした

    2,300年前からある仏教の智見を知る事は、

    その仏教有縁の東洋の国土に生まれた人にとって大事です。

    歴史上から云っても、我々は、知るべきでしょう。


    あ、でも仏教の智慧を知る。なんて言ってはいけないのです! 


    仏教は、知るものではありませんから!

    知識ではないのです!



    (エラそうに)参考にしようと思ってもいけない。


    取るに足らない我々が、6つのちいさな窓から眺めるだけで、

    仏の智慧を参考にする?!

    そんな事、できるわけがないのですーーー。


    傲慢と、慢心と、驕慢さを捨てて、謙虚に、、、

    仏の智慧は、信を以って。そして、

    一番重要な事は、、、、、、、

    修行で体得するしかないのでした。 



    みなさまも、これを了解の上、お読みくださいね。   あは。





    それは、われわれ凡夫のつたない意識では掴む事のできない

    東洋の叡智である仏教の、

    無意識の世界における深い智慧ともいえる法理です。


    無意識の世界と、

    我々の人生の運、生活が、どう結びつくのかが大事な点です。  

    と、まず、仏教の歴史の前置きにおつき合いくださいね。





    そもそも仏と云うのは、だれ?    あはは。

    それが、大問題なのです!??

    宗教は、何を根本尊崇するかと云う本尊論が、きわめて重要なのに...


    そもそも、仏教は、釈迦が、創めたので、

    仏とは、お釈迦様? に違いない。と?    あはは。 





    しかし、キリストも、そうなのですが、

    釈迦自身も、自分が本仏とは言っていないのです。

    後々の弟子が、キリストもそうですが、神と云い、

    釈迦も、仏と云われるようになったのです。

     

    その上、釈迦自身が、説法をした経の中で、

    釈迦以外のいろんな仏の名前を取り挙げています。



    これが、後世の我々を迷わす事になろうとは?

    お釈迦様も知らなかった?ーーーイヤ、きちんと予言をしています。



     ほーっ。




    釈迦は、一つの経を終えて、次なる新たな説法をする時には、

    今まで聞いた事もない新しい仏の名前を出して来ます。

    たとえば、この大千世界(だいせんせかい)=大宇宙には、

    数々の国土があって、どこそこには○○の役割で○○の仏がいる。と、


    まるで、おとぎばなしのようにです。   あはっはー。

    私は、初めて、これを読んだ時に、

    釈迦は、非常にクリエイティブな方に違いなかった!

    と、感嘆した記憶があります。




    どれだけの仏がいるかと云うと?

    釈迦自身の過去世(生まれる前の生)の修行時の姿だったりとか、、、

    それは、それは、いろいろ覚えきれない位です。。 。


    時間軸では、過去の千仏、現在の千仏、未来の千仏、とか、

    ものすごい数の仏がいるらしい。

    空間軸では、宇宙のあらゆる彼方(十方)にいる仏群。

    十方とは、東西南北、その間の北東、東南、南西、西北に上下の方向を

    足したら十になるでしょう? あらゆる方向と云う事です。

    その中の代表的な有名なのが、たとえば、

    東西南北、中央に居る4人について書いてみましょう。  ほっ。 





    ① 方位の中央。

    大毘盧遮那経と云う経典の中に出て来る毘盧遮那(びるしゃな)如来 

    これは、東大寺の大仏さんです。

    毘盧遮那とは、サンスクリット語の音訳ですから、意訳にすると、

    毘盧遮那=日で、大日経となり、大日如来の事です。

    誰もが聞いた事のあるポピュラーな名です。


    ② 東の方位へは、

    維摩経(ゆいまきょう)、大宝積経などに出て来る阿閃仏(あしゅくぶつ)

    阿閃とは、サンスクリット語の音訳ですから、意訳にすると、

    阿閃=無動。   (聞いた事がないはず、、、)

    閃の正字は、門の中の人の下に、更に人を2つ並べて、人人と書く。


    ③ 西の方位へは、

    阿弥陀経と云う経典の中で出て来る阿弥陀仏

    阿弥陀とは、サンスクリット語の音訳ですから、意訳にすると、

    阿弥陀=無量寿。この方位から、西方極楽浄土が出て来る訳です。

    非常にポピュラーな名です。


    ④ 南の方位へは、

    金剛頂経と云う経典の中に出て来る宝性仏(ほうしょうぶつ)

    (まったく聞いた事がないでしょう、、、)


    ⑤ 北の方位へは、釈迦如来  

    こうなるのですが、

    釈迦が、どうしてここにあるのか、   ほほ。

    それには、後から、まぁ、いろいろな意味があって、

    ②東と④南は、初めて?  聞いた事がないはずです。


    よく知られている仏の名前と、知らない名前、

    まぁ、流行った仏と、流行らなかった仏と云う事なのですが、

    その理由は、いろいろな事が、考えられます。


    遣隋、遣唐使が持ち帰った経典に、伝播の後先があった。

    また、その経典を中国から持ち帰ったのかどうかさえ?

    持ち帰ったとしても、それが、一般受けしないので、

    その経典自体を拠り所とする宗派を開く開祖がいなかったとか。

    そして、開宗したが栄えなかった? 

    広まらなかった?  とかでしょうね。



    つまり、ここで理解をしておいて欲しいのは、

    釈迦の説いたすべての教説(一切経、大蔵経と云います)を

    すべて読んだ事もなく、他の教説を知らないまま、

    ある部分の経典だけを学んで、日本へ持ち帰った状態だった。

    無理もありませんわーー。

    遣隋使等で行った際に、中国で出会った経典、書き写した巻物の、

    それぞれの部分、部分を仏教全体として受け入れてしまった。

    それが、現在の○○宗という源になっていると思います。



    釈迦の説法順と伝播の順にタイムラグが、生じたのです。


    その上、ある宗派が、政治的に利用されたり、

    仏教以外からの力が加わって、時代とともに流され、そのなかから、

    民衆が受け入れやすかったりした宗派が、信仰として残った。



    それは、仕方がなかった事です。

    その事もすべて、釈迦は予言をして入滅をしています。

    それ故、

    日本の仏教界は、開祖によって、さまざまな宗派に分かれてしまい、

    それぞれが、本尊にする仏は、さまざまに違っている現状です。


    そもそも、釈迦が経典の中で、何の目的の為に説いた仏なのか?

    と云う処から、観ていきますと、

    すべての仏が、横並びと云う訳ではあり得ません。

    実は、仏に高低浅深が、あると云う事です。



    そう云う事を、中国の天台大師と云う方が、云っておられます。




    飛びますが、人もそうです。同じ位相の人はいない。

    あなたは、たったひとりなのです。

    オンリーユーの存在なのですよ。  

    これを、よく自覚してくださいね。       ほほっ。




    天台が、出て来るまで、どうしてきちんと峻別されなかったのだろう?





    約2300年前に、インドの釈迦が説いたその教えをまとめたのが、

    釈迦の入滅後すぐの、第一回仏典結集です。


    第二回結集が、その100年後、

    第三回結集が、その100年後です。

    また、第四回、、、と続いていく訳ですが、


    第二回結集自体が戒律上の異議が生じた事が、契機だったとか、

    第三回、四回では、南伝と北伝では伝承の内容が一致していないとか、

    いろいろあったと、伝わっています。
     
      

    当然でしょうね。        ほほ。


    その上、中国へ伝えられる時も、それが日本へ伝わる時にも、

    説かれた経典の内容や教義などがバラバラに、伝えられました。



    それは、そうでしょう。

    すべての経典を巻物にしたら、膨大な荷物です!


    ラクダか、馬に乗って、移動をしたのでしょうが、

    インドから中国へ伝わる時に、砂漠を越えて伝える側も、

    日本のように海を船で渡って持ち帰る側も、

    学んで持ち帰るのは、一切経(すべての経典)ではなかったはずです。



    しかし、だれもがそうだったと思うのですが、

    伝えようとした経典、持ち帰った経典が、”The 仏教”だと。

    そう信じないと、やっていられないのも判ります。

    なぜなら、空海は私費で渡航しましたが、

    大多数の仏教を学びに行った人は、国費です。

    帰国する時には、天皇や朝廷へ手柄や成果として、

    これこそが仏典である。と、

    持ち帰った巻物をお見せしなけばならない訳です。

    少々見栄を張ってでもそう言わざるを得なかったでしょう。



    つまり、

    中国も日本も、そのような騒然とした状況の中で、

    受け入れた仏教が、広まったのはいいけれど、

    出来上がった仏教界が、清濁混沌とした状態だったのです。


    たとえば、釈迦の経典と云うのは、釈迦の説法の時期によって、

    インドの民衆の受容力にもよるのでしょうが、

    ① 初期に、戒律で煩悩を抑圧するような教えが説かれます。

    ② それから、徐々に、反対に煩悩も大事である。とか、   あは。


    ① 女は、極楽へいけない。地獄の使いだ。と云う教えから、

    ② 女も、男へ変身をしたら、極楽へ行けるようになる。から、

    ③ 女も、そのまま女で成仏ができる。へ変化をして行きます。


    悪人や知恵者、などもその扱いは変化をします。



    その真意は、

    当時のインド民衆の日常のなかで性風俗が非常に堕落していた為に、

    まず、男性の修行者から、その煩悩を抑える為に、

    女性を遠ざける必要が、あったのです。

    だから、女は地獄の使いだと、遺棄するわけです。

    女性は、二の次と云うよりも、男性が正常になれば、(あは!)

    自然に女性はしあわせになると云う事なのでしょう。


    そのように、初期の頃は、

    民衆に高度な仏教を受容させる為には、

    まず、道徳的な戒律を持たせ、

    民度を上げるのを目的にした教えが主なのです。



    この事を、

    仏が、衆生の機根(きこん)を調える。調塾する。と言います。



    仏教の経典は、時間の推移に従って、いわゆる“上書き”が、

    されていったものなのです。



    つまりは、説法が、時の経過によって変化をする。

    前の説教よりも優れた新たな経が説かれると、

    前の説教の内容とは、数段レベルアップした内容になっているので、

    以前のそれまでの教えは、無用=「方便」になる訳です。

    いわゆる、2階へ上る梯子のように、上れば、梯子は必要がなくなる。



    次なる真実が現れたら、前の真実と思っていたものは「うそ」になる。

    その「うそ」は、次なる真実へ至るステップに過ぎなかった。

    その役割を終えて、捨てるべきものになってしまう。



    そう云うことなのです。 

    おわかりですね!      ほっ。

    パソコンなどでは、上書きすれば、前の情報は即消去されるのですが、


    そのころは、人の記憶ですから、     あはっは。

    せっかく覚えて修行中だったものを、パッと捨てて、

    いくら優れていると云っても、事新しいものを覚えるなんて、

    たいへん難しかったでしょうね。      ほー。




    そのステップが大きければ、衆生は受容をしないわけですから、

    事細かに、たくさんの教説が説かれたのです。


    信仰心と云うものは、そんなに軽々しく変えられないでしょう。

    未だに、女が往生しないお経を、ありがたいお経だと

    思っているおばあちゃんもいるはずです。  



    お気の毒ですが...



    そりゃそうでしょう。

    私たちだって、

    一度、信念に持ったものは捨てるのは困難です。

    信じて来た事を無駄にしたくなくて、

    どうしても固執するものです。




    しかし、

    執着、我慢偏執、我こそが正しいと云う我見、

    それらが、真実を追求するのに邪魔になると云うのも、事実です。

    だから、釈迦は、そう云う時、弟子に向かって、

    “ 止善男子”= だまらっしゃいー!”と、言っていますよ。  あは。

     
    まぁ。そんな、いろんな理由で、


    説かれた経典の順番が整理・体系化されないままであり、


    説かれた経典の内容の分類が未整備だったのです。





    アジアで、世界宗教になっていた仏教は、

    その国々で、てんでバラバラに発展をし、

    仏教の教義を外れるような宗派も出て来ていたはずです。

    日本も、奈良平城京の仏教界が、

    聖武天皇の庇護から、ある意味では朝廷よりも権力を持ち、

    桓武天皇は、天武天皇系列の断絶の後、

    天智天皇系列を立て直す時、まず、奈良仏教の勢力を排除する為にも、

    都を、平安京へ遷都をした訳です。



    桓武天皇も、奈良の既成仏教界を抑える必要を感じていたのです。




    ちょうど南北朝の時代の中国でも、同じ状況でした。

    隋の煬帝から命を受けた天台大師が、

    インドから伝わった仏教の中の、

    どの経典がもっとも優れた教えなのか?を判断する事を行いました。



    それを、教相判釈(きょうそうはんしゃく)と云います。 


    それぞれの教えの順、対告者、教えの目的、などを分類したのです。

    釈迦の全ての経典を五つの時に分け、経典の内容で八つに分けました。


    これが、五時八教(ごじはっきょう)です。



    詳しくはここをごらんになってください。



    これは、仏法の法理=仏の智慧、悟りを理論体系化したものであり、

    天台の業績として有名なのが、

    仏法法理の『理』の集大成としての著書、

    『大智度論』、『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』です。



    世界史で、覚えた記憶ありませんか?



    天台大師(538-597)は、

    中国の僧侶で名は智(ちぎ)。

    南朝陳の同族で、皇帝に近く貴族出身(日本の最澄=伝教大師と共通)

    浙江省の天台山に登って天台教学を確立したので天台大師と呼ばれた。

    「大師」号は、隋の煬帝から「智者大師(だいし)」の号を賜わった。



    ついでに、

    これを伝え聞いた桓武天皇が、奈良の既成仏教界を整備する為に、


    最澄に、中国の天台宗を学び伝える為に、遣隋使を命じた訳です。

    最澄=応神天皇の時代に日本に渡来した

    後漢の孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)の末裔。


    19歳で、大蔵経(釈迦の全ての経典で481函5048巻と新訳経典40巻)

    を比叡山で読破したという。

    ものすごい秀才だったのでしょう。

    中国の天台山に登り、天台教学を学び持ち帰った人物、伝教大師です。






    中国の天台は、『九識』と云う法理を展開しています。

    簡単に言いますと、無意識の世界を9層に分けた仏教の法理です。






    あー、これでやっと前置きが終わりました!    ほーーー。

    いよいよ、仏教の法理『九識』論へいきます。








    『識』とは、仏教用語で、生命が物事を認識する働きの事です。

    対象を認めてその異同を知り、

    分別領解する心の作用と云う意味の他に、

    認識によって表われる表象をも意味し、

    また認識の主体を意味する事もある仏教の語です。



    人間の表面的な五感の『識』から、深く九段階の構造を説いています。


    『九識論』は、詳しく記事にするとそれだけでも、長過ぎて、、、

    今回は、簡単にします!   あは。 




    実は、無意識の世界は広く厚く、何層も重なっていると思ってください。


    精神、心を大きな海に例えますと、

    海の表面、波が立っている所が、意識です。




    意識よりも深く、海面からすぐ下の海の中を無意識層の始まりとしたら、

    意識の変化や癖に染められた無意識層が、その辺りです。







    『九識』の簡単な解説をします。

    第一識、二、三、四、第五識は、 

    眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五感に加えて「意」の認識。

    いわゆる心の働き。


    第六識は、五感で得た認識を内面的に捉え直す思考、感情などの働き。

    夢を見たり、過去や未来を想像するなど。

    第五識までの働きとは関係なく自立的な作用も含む。

    ...........................................................................................

    ここまでの識は、深海の海面に波立つ波だけを見ているように、

    表面的な現象だけを捉える認識しか働いていないので、

    天台大師は、「凡夫の識」と名付けている。 =迷いの心。

    ...........................................................................................


    第七識は、意識的であれ無意識的であれ、

    その奥の第八識を自身=我と執着し続ける根底の自我意識。


    第八識は、自身が過去から積み上げて来た善悪の業を蓄積して、

    その果報としての苦楽を生じさせる源泉となる識。

    (深い処にあるこの無意識が、事の善悪を覚知しているのですね!)


    第九識は、根源的な生命の領域として、清浄で真理と一体である識。

    仏の悟りの境地そのもの。 

    あらゆる生命に本来的にそなわる仏性。

    天台は、=仏識と名付けている。



    以上ですが、

    6世紀に生きた天台大師、日本の伝教大師の両師の目的は、

    経典の判別の迷いを整理し、法華経を宣揚する事でした。

    それぞれが時の最高権力者である皇帝や天皇の信頼を得て、

    厚い庇護を受けました。



    その中身は、ザッと書いただけでは伝わらないかも知れませんが、

    それから1500年後の、21世紀の科学が、

    未だ解明し尽くしていない人間の心理の奥底と、

    片やこれも未解明の宇宙が、つながっていると云う法理です。

    私見ですが、

    天台の業績は、仏教の『理』におけるピークだと思っています。



    これで、いかに東洋が、西洋に引けを取らないか、

    精神的遺産において優れているか、

    誇るべきそのレベルの一旦をお分りいただけたと思います。







    最後に、苦楽について少し...



    西洋文明が、席巻する今の時代、

    周りを見回してごらんになって!


    ほとんどの人間が、苦を避けて、楽ばかりをさがしています。

    なぜ? でしょう?



    その理由の中の、ひとつは、

    意識を中心にして、

    理解する事を大事にすると、どうしてもそうなるのです。

    ならざるを得ない。




    理解は、意識がする行為です。

    この意識がする理解は、過去に縛られています。

    過去に縛られるのが、意識の限界でした。



    過去にあった苦しい事、悲しみ、悔しくて我慢をした事など、

    意識は、それらを土台に感じたり、決めたりします。


    だから、意識の答えは、いつも、苦から逃げたい。

    まず、避ける事しかできないのです。

    西洋合理主義が入ってからを、振り返ってごらんなさい。




    便利に、簡単に、楽に、安く、手間を省いて、、、、、

    に最大の努力を払って来たのです。

    それが、

    あたかも善であるかのように...?





    それで、人間がどうなるのか影響も考えずに、

    いろいろ道徳的に、初めは言っていても、

    最後は嘘をついてでもスタコラサッサと、楽の方へ、

    逃げまくります。    あはは。





    その見本が、政治です。




    そして、

    すぐ手に入る『楽』を求めて彷徨(さまよ)います。

    すぐ『楽』を手に入れて、苦や悲や怨を、消したいのですね。



    五感の浅い処での『楽』ばかりが、繁盛します。

    世の中、安っぽい楽が、売れる状況です。



    なぜなら、

    『意識』=『心』だから、 意識は、お馬鹿だから、

    何でも、『心』=『五感』で感じたいのですね!   あはは。



    『楽』を求めて感じたい!!!   

    主観で“気持ちいい~!”と感じたい!


    これが、自己満足を追求して、気が済むレベル、

    意識を中心にした主観の限界。  

    ここです。     

    その程度が(心)のレベルです。



    よく行ってもそこまで。 

    そのあたりが、第七識あたり。

    この辺をウロウロしているのですね!


    これで、楽が、感じられないと、

    対象を、お馬鹿だと切り捨てて無意識の中へ隠すのです。



    はぁー?  実は、意識、お前が、お馬鹿なのに! あはは。





    でも、まだ善悪を意識できる余裕のある内は、いいのです。


    第八識の善悪のどちらの方へ、自身の業が、積み上がっているか?

    それがビンビン分かるようになると、


    楽でも悪なら、その楽を捨てる強さが出て来ますし、

    苦でも善なら、その苦を喜んで受け入れられるようになるのですが、


    さぁ、それもどうだか? 

    釈迦が、仏教を説き始めた頃のように、道徳は乱れています。 




    こうなったら、

    無意識と意識の

    人生の幸せと言う山を登る為の地図は、そもそも違うと云う事です。


    大きな違い、大きなギャップです。


    この事を、今日は、お心に御留め下さいね。










    次回は、

    意識と無意識の本当の素敵な関係は? と云うテーマで、

    このシリーズは、一旦、最後になります。


    ここまで長い記事をお読みいただいた事に、

    感謝申し上げます。



    良き一週間をお過ごしください。


































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。


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    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

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    こんばんは!

    いつもよりほんとうにむずかしい? 内容だったのですが、
    でも、それ以上に、
    むずかしい仏教の歴史を、こんなに身近に感じられるように書いてくださって感謝します。
    御苦労がわかるような気がします。
    教科書で年代だけを覚えた勉強よりも、ずっと身に入って来ます。
    仏教のことなど普段は考えたこともないのです。
    これだけの知識にしておくのはもったいないと思いました。


    きっと、それは次のことを考えさせるためにあるのでしょうね。

    >楽でも悪なら、その楽を捨てる強さが出て来ますし、

    >苦でも善なら、その苦を喜んで受け入れられるようになるのですが、

    気が付けば、
    常に楽でたのしくて、気持ちがいいことをよしとする価値観になっているのでした。
    たしかにそうでした。
    苦しいから嫌だとか、楽だから好きだとか、まるで子供のような判断をしているのです。
    一段とレベルアップをしなければいけないなと思っています。

    No title

    仏教といえば、2300年という長い時間が経っているのですね。=
    お寺といえば葬式仏教、仏像などを公開をする所、美術的な価値という感じでいました。=
    九識論そのものも、よくまだ分かったとは言えない程度ですが、=
    今から1500年も前にあったのかと思うと、その頃の人の精神の方が上ですね。=

    真面目に生きようとしていた人々の、真摯な思いがつたわります。=
    昔の人は、いくら楽がよくても悪であれば捨てた。=
    よく苦に耐える人だったのでしょう。=
    それを支える仏教などの土台があって、できたのかもしれませんね。=

    個人の心は、いくら真面目でもその時代の影響をゼロにすることはできませんし、=
    今の時代に苦を避けない心を育てるにはどうしたらいいのか?=
    楽の中で甘んじる子供たちを育てながら悩んでしまいます。=

    No title

    えっーなにー

    意識は、お馬鹿だから、
    意識は男だから、おバカだから、

    今日は大砲の弾丸じゃなくて、
    強烈なビンタを張られて痛い感じだね。
    よく行っても第七識あたりをウロウロしている、
    はぁー  実は、意識、お前が、お馬鹿なのに! 

    強烈ですなーcosmosさんの苛め、、、
    早く帰って安もう。  

    ありがとうございます。

    いつも、拝見させていただいています。
    目の保養とはこういう事ですね!
    毎回の宇宙の素敵な写真、ありがとうございます。
    ところで、仏教の話とは思えないほどの、親近さ!
    ここまで噛み砕いた記事にびっくり致しました!これからのご活躍を、お祈りします

    秋らしい毎日になりました。

    夕方の日が暮れるのもはやくなってきました。

    今回は、仏教のお話しをくわしくお書きになっておられますね。
    最後の第九識で、仏識ともいうと、

    >あらゆる生命に本来的にそなわる仏性。

    のことだそうですが、ここが、仏教のえらいところであります。 すごさですね。
    あらゆる生命の平等が保証されているところなのでしょう。
    子供のころから教えられたのを思い出しました。

    Re: No title

    鍵コメントさんへ
            コメントありがとうございました!

    Re: こんばんは!

    > いつもよりほんとうにむずかしい? 内容だったのですが、
    > でも、それ以上に、
    > むずかしい仏教の歴史を、こんなに身近に感じられるように書いてくださって感謝します。
    > 御苦労がわかるような気がします。
    > 教科書で年代だけを覚えた勉強よりも、ずっと身に入って来ます。
    > 仏教のことなど普段は考えたこともないのです。
    > これだけの知識にしておくのはもったいないと思いました。
    >
    >
    ★たいそう、褒めていただき感謝です!
    我々の先祖が、培ってきたものを大事にする、伝統を尊ぶ事が、必要ですね。
    それが、軽んじられているのが魂までの西洋化へ傾いて行っているのでしょうね。



    > きっと、それは次のことを考えさせるためにあるのでしょうね。
    >
    > >楽でも悪なら、その楽を捨てる強さが出て来ますし、
    >
    > >苦でも善なら、その苦を喜んで受け入れられるようになるのですが、
    >
    > 気が付けば、
    > 常に楽でたのしくて、気持ちがいいことをよしとする価値観になっているのでした。
    > たしかにそうでした。
    > 苦しいから嫌だとか、楽だから好きだとか、まるで子供のような判断をしているのです。
    > 一段とレベルアップをしなければいけないなと思っています。


    ★そうですか、、、
    共感をしていただけてうれしいですね。
    後は、個々の人生観の問題になりますが、ご自分の為に、どうか深い東洋の智慧を取り入れてくださいね。
    いつも変わらぬ友情に感謝申し上げます。   こころ☆cosmos

    Re: No title

    > 仏教といえば、2300年という長い時間が経っているのですね。=
    > お寺といえば葬式仏教、仏像などを公開をする所、美術的な価値という感じでいました。=
    > 九識論そのものも、よくまだ分かったとは言えない程度ですが、=
    > 今から1500年も前にあったのかと思うと、その頃の人の精神の方が上ですね。=
    >

    ★そこなのですよ!  ほ。
    時代が進んでも、人格や精神が進んだとは言えないのです。
    やはり、いい所は、昔の人たちの向上心を見習いたいものです。



    > 真面目に生きようとしていた人々の、真摯な思いがつたわります。=
    > 昔の人は、いくら楽がよくても悪であれば捨てた。=
    > よく苦に耐える人だったのでしょう。=
    > それを支える仏教などの土台があって、できたのかもしれませんね。=


    ★そう云う生き方が、本当に陰徳を積む生き方になるのでしょう。
    そうして生きて来られた先人の、あるいはご先祖の陰徳の上に、私たちは守られているのです。
    感謝をしましょうね。  ほほほ。



    > 個人の心は、いくら真面目でもその時代の影響をゼロにすることはできませんし、=
    > 今の時代に苦を避けない心を育てるにはどうしたらいいのか?=
    > 楽の中で甘んじる子供たちを育てながら悩んでしまいます。=


    ★そうですね。
    考え出すとキリがないのですが、まず、ご自分がそう生きてみようと思われる処からでいいのです。
    子供さんも、必ずそれを吸収される事でしょう。
    いつも、変わらずにお心配り、感謝申し上げます。    こころ☆cosmos

    Re: No title

    > えっーなにー
    >
    > 意識は、お馬鹿だから、
    > 意識は男だから、おバカだから、
    >
    > 今日は大砲の弾丸じゃなくて、
    > 強烈なビンタを張られて痛い感じだね。
    > よく行っても第七識あたりをウロウロしている、
    > はぁー  実は、意識、お前が、お馬鹿なのに! 
    >
    > 強烈ですなーcosmosさんの苛め、、、
    > 早く帰って安もう。


    ★あ、はははー、冗談と風刺がお上手ですね。  あはは。
    おなかを抱えて笑ってしまいましたよ。
    ビンタを差し上げたつもりは、まったくありません。心に誓って、、、  ほっ。
    苛めただ、なんて...  あはは。
    もし、そうお感じになられたのなら、ごめんなさいね! 
    いつもお疲れにもかかわらず、お立ち寄りくださり感謝申し上げます。  こころ☆cosmos  

    Re: ありがとうございます。

    > いつも、拝見させていただいています。
    > 目の保養とはこういう事ですね!
    > 毎回の宇宙の素敵な写真、ありがとうございます。
    > ところで、仏教の話とは思えないほどの、親近さ!
    > ここまで噛み砕いた記事にびっくり致しました!これからのご活躍を、お祈りします


    ★初コメント、ありがとうございます!
    また、NASAの写真を気に入ってくださって良かったです。
    そう、仏教はもっと身近にならなければなりませんね。
    また、是非、お立ち寄りくださいね。    感謝申し上げます。    こころ☆cosmos

    Re: 秋らしい毎日になりました。

    > 夕方の日が暮れるのもはやくなってきました。
    >
    > 今回は、仏教のお話しをくわしくお書きになっておられますね。
    > 最後の第九識で、仏識ともいうと、
    >
    > >あらゆる生命に本来的にそなわる仏性。
    >
    > のことだそうですが、ここが、仏教のえらいところであります。 すごさですね。
    > あらゆる生命の平等が保証されているところなのでしょう。
    > 子供のころから教えられたのを思い出しました。


    ★伝統的な仏教の町にお暮しになって、また、感じる処もあったでしょうね。
    そう、あらゆる生命の平等観が、仏教にはあります。
    今回は、趣旨が広がるのでそれには触れませんでした。
    さすがですね! 子供のころからの教養ですね。
    いつも変わらぬ友情に感謝申し上げます。    こころ☆cosmos

    文字の配色に関するお願い

    興味深い記事なのですが、出来れば文字は単一色にして頂けないでしょうか。
    色弱の方への配慮を、ほんの少しして頂けたら、幸いにございます。

    Re: 文字の配色に関するお願い

    > 興味深い記事なのですが、出来れば文字は単一色にして頂けないでしょうか。
    > 色弱の方への配慮を、ほんの少しして頂けたら、幸いにございます。


    ★ご訪問、そしてコメントありがとうございます!
    お願い、と書かれているのを読みまして、
    正直、木にもしていなかった自分の程度に、驚いてしまいました。。。

    そうですねー。
    せっかく興味を持って読んでいただけるのですから、なんとかしたいと思っています。

    私が、記事の中で色を変えるのは、
    ① は、いろいろな内容の記事が長く続きますので、その気分の切り替えの為。
    ② は、ブログの題名の通り、現在の西洋文明に圧倒されている日本を、東洋へ回帰させたいからです。
    その為には、東洋的な素養のない若い人たちには、まず慣れている西洋的な説明から始める方が、分かりやすいので、一つの事を、西洋的観点から記事を書いて、
    ③ 次に、同じ内容を東洋的な観点から分析し批判をする、
    ④ そして、最後に東洋的叡智からの結論を導き出す。そう云う手法を採っています。

    ③④ の部分は、黄色、オレンジ、赤色を使うのが多いですね。
    要注意、大事ですよ。と云う部分になるのです。

    ⑤ その上に、世界の哲学者の思想も、必要なら加えていきます。

    この部分は、青や緑を使うのが多いです。

    哲学と云うものを、今までお読みになった事のない読者もいらっしゃる。
    実は、そう云う方を中心に書いていこうと思っていますので、噛み砕く文章の挿入は不可欠です。
    その段階は、ややこしく複雑ですので、無色のだらだらとした文章だけを読んでいただいて、頭の中で区別をしてもらうと云うのでは、読み手が疲れる場合が多いと思っています。

    いろんな方が読者でいらっしゃるので、必ずしも文章を読みなれている人ばかりではないのです。
    女性、または、主婦、わかい方もいらっしゃって、どう理解をしていただくかと云う事を大事に考えています。
    また、ここには書けない動機などもありまして、
    無色の記事に一挙にする訳には行かないのですが、何か、変えていけるものがないか検討をしようと思います。

    ★此方からのお願いなのですが、何色が読みにくいとか、何色は大丈夫とか、
    具体的な例を、記事の文章で言っていただければ幸いです。
    公開がお望みでないなら、鍵をかけたコメントでおしらせください。

    今までの記事への対応ですが、読みにくい処がありましたら、
    これは、一つのやり方ですが、ワードでページを作って、そこへ記事をコピーペーストしていただくと、
    白地に黒の記事にして、それをお読みいただけたらと思います。
    読み終わったものは、即、削除していただくと邪魔にもなりませんので。

    ★の部分をお知らせくださったら、変えていけるのではないかと思っています。
    今後とも、何かありましたら、御知らせくださいね。 よろしくお願いします。
    教えてくださってありがとうございました!    感謝☆cosmos

    「Re: 文字の配色に関するお願い」への返信

    ご回答、ありがとうございます。

    僕個人の話しに限れば明暗の区別がつき辛い色はNGですが、
    人それぞれの症状によって見え辛い色、見易い色は異なります。

    従いまして、此方のブログが万人を対象とされておられるならば、
    尚の事、一概に「この色なら見易い。この色にしてくれ。」とは、
    申し上げかねます。

    寂光さまなりに、工夫してみて下さい。
    どうぞ、よろしくお願い致します。

    Re: 「Re: 文字の配色に関するお願い」への返信

    > ご回答、ありがとうございます。
    >
    > 僕個人の話しに限れば明暗の区別がつき辛い色はNGですが、
    > 人それぞれの症状によって見え辛い色、見易い色は異なります。
    >
    > 従いまして、此方のブログが万人を対象とされておられるならば、
    > 尚の事、一概に「この色なら見易い。この色にしてくれ。」とは、
    > 申し上げかねます。
    >
    > 寂光さまなりに、工夫してみて下さい。
    > どうぞ、よろしくお願い致します。


    ★まぁ、さっそくのレス、ありがとうございます。
    どの位まで、今回の記事が変化できたか?  ほほ。
    どう思っていただけるか、分かりませんが、努力を少ししてみました。
    まだまだだと、思われるかもしれません。
    これから、徐々に、変えていこうと思っている次第です。
    よろしくお願いします。
    また、記事に関しても、何でもお知らせください。 ありがとうございます!  感謝☆cosmos
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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