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    道徳の本と、主知主義、現代ヨーロッパの思潮について

    Category : 生活哲学
    maron2

    冷たいサラダ







    暑中お見舞い申し上げます。


    外へ出て、空を見上げると、

    夏らしい青空に白い雲が、まるで綿菓子のように、

    ふわふわと浮かんでいますね。





    『因果応報の源 時間を生きる』 は、まだ続く予定ですが、

    今日はインターバル、


    主知主義と、現代ヨーロッパの思潮について、

    記事にしたいと思います。



    あ、その前に、近況を少し、、、

    この夏は、何時もよりもまして忙しく、更新もなかなかの状態です。

    来週あたりまでが、出産予定日の命名のご依頼等、重なっています。


    順調に赤ちゃんがお生まれになる良き時期が重なっているという事で、

    うれしい事には違いないのですが、

    決まった通りにお産があるわけでもなく、、、

    命名の根拠になる誕生命式は、日と時間が重要なファクターな為に、

    依頼者の方は、産まれたら即、日と時刻を連絡して来られます。

    携帯が何時鳴るか?  あはは~。

    産院はお産の前ですが、こちらは産後に連絡が来ます。


    夜中はまさか!ありませんが、朝、早くだったり、夜でも気になります。

    予定日前後には、留守にはできなくて、

    今年は、全員の命名が終わってからです。 夏休みは、、、。



    まずは、

    前々から、いただいているコメントから、


    「道徳」に関する入門書みたいな本はございますでしょうか?

    できましたら、ご紹介していただきたいのですが・・・。




    何か挙げようと思えば、本屋さんを開業する位、たくさんあります。(笑い)


    いま、一番、だれにでもお勧めしているのが、

    安岡正篤先生の「天地にかなう人間の生き方」 致知出版社

    もう、絶版になっているはずですから、古書でしか手に入らないでしょう。


    文は簡潔で少ないですが、じっくり取り組むのにぴったりです。



    というのは、あまりにも簡単にさらさら読めるというのは、

                         どうでしょう? (笑い)

    ”道徳”というテーマは、さらさらと分かるはずのものではない? あはは。



    『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』


    分かったら死んでもいい位の、命と同じ貴さがあると云う道とは?

    さら~さら~と読んでしまうのは、、、

    それは、如何がでしょうか ? あはは。


    さら~さら~と読んで、

    さら~さら~と解るのが良い?のは、知識です。

    知識は、その程度のモノ? 

    読めば判る。  イヤ、解る。  あはは。


    だから、読んで道徳は解ったけれど、解かっていない。

    やっぱり、難しい。

    そう思うのが我々凡人の理性の限界、癖です~  あはは。


    ここポイントですよ!

    西洋的学問における知識教育は、

    意識的な理性と感性を分かつ二元論故に、これでいいのです。 

    理性で解ればOKというレベルです。

    だから学校のテストは、理解、暗記で100点がもらえるのです。



    東洋的学問においては、点数はつけません。

    東洋的学問における知恵の取得は、

    存在を二元論で捉えない故に、

    体を含む命(無意識)全体での把握を必要とします。  

    全身行為なのです。

    いわゆる、

    体全体をともなう時間をかけた習得、修行、体得が必要です。

    東洋は、皆そうですね。   なになに道、然りです。

    西洋でも、宗教教育はそうですね。修行です。



    それ故に、道徳の本などは、さら~さら~と読めない本が、

    読んで直ぐには、分からない位の本の方が、良書だと思います。



    いわゆる道徳には、ハウツー本は要らない。

    ハウツーで判ったと思う道徳は、もう、そこで主知主義に堕ちてしまう。

    道徳を知識として捉える主知主義は、

    人を、道徳という”まがいもの”の奴隷にして、

    その”まがいもの”の牢獄へ入れてしまうのです。





    本来の実学(自分を陶冶し生きる事に実に役立つ、、)とは、

    読んで、知って、なんぼのものではなくて、

    生きて変わって実績が残って、なんぼのもの。


    自己の内側と、客観世界との響きあいを聴く。

    そういう態度がいいのではないかと思います。



    私なども、まだまだそのレベルとは言い難く、

    一冊の本も、分かったとは言えません。ね~。


    一生、自分で行動思索をしながら読むつもりで、

    死ぬ前に分かる位でいいのでは?と、思っています。 (笑い)



    知識として得たつもりでも、確信や力にならなければすべて無駄です。

    それを学んだと言うのなら、結果は、雑学でしかなくなります。

    道徳が、雑学へ堕落すれば、偽善になります。



    偽善的な道徳が広まることは、

    道徳がなかった社会よりも、もっと劣悪な社会へ進みます。

    人間のエゴが道徳の仮面をつけて、

    人間を縛り、だまし、利用する道具として使われるのですね。

    道徳を盾にして、上下の身分とか、そういう制度を作るのですね。

    人為的な制度を、いかにも天の道のように、、、偽って、、、



    たとえば、


    幕藩体制を支え、士農工商の身分制度を正当化したのが、

    朱子学でした。

    孔子、孟子の儒教を、朱子が、アレンジしたとも言えるでしょう。


    日本では、朱子学派を大成した徳川幕府の御用学者、林羅山です。

    今風に言えば、

    西洋二元論に似た万物は理と気から成るという(理気二元論)で、

    天地自然に高低尊卑の差別があるように、

    人間社会にも差別がないと国が治まらないという。

    これを林 羅山の(上下定分の理)という。

    その理論を社会に客観化した規範こそが、礼(礼儀)お作法です。



    天地自然に高低尊卑の差別があるように? ? ???

    人間社会にも差別がないと国が治まらない? ? ???

    その為の、礼だったのです。

    あははっ! 凡人には理解できない説が多いです。



    太平が続いた江戸時代において、

    戦のなかった元禄時代に、暇を持て余した武士階級が、

    理に偏り、観念的になった朱子学の【窮理】=

    = 知識を極める事を重視する。

    封建的秩序を正当化するためだった羅山の考え方は、

    幕府の官学であるという事自体が、その限界だったのです。

    【礼】【儀】を偏って重んじれば、どうなるか?


    【義】は【仁】を斬る刀です。そして、

    【仁】【義】のバランスが大事なのです!


    【義】を極端に尊大化、最高価値の【孝】より

    上位の価値だと拡大解釈をした。


    【義】というのは、本来、命の継承を守るはずのものなのに!

    【義】のために、命を捨てさせる、そういう使われ方をしたのです。

    【義】のための死を美化したのです。 ☆



    それは、そうした方が都合がいい権力者がいたからです。

    今の我々の他人を重んじるという礼儀の概念より、

    封建制度を守る為の、上から押し付けた矮小化した【礼】【儀】。

    大いに抵抗を感じてしまいます。




    その流れが、明治維新の支柱的思想へと変貌し、

    その流れで、ほら! お馬鹿な戦争を、お国の為だと言って、、、

    有能な若き人材を説得し、死を望むようにと駆り立てる為に、

    ”まがいもの”の道徳が作り上げられ、国家権力でそれを利用行使した。


    (詳しくは別の機会に譲りたいと思います。)



    ”まがいもの”道徳は、最悪、

    人のいのちを支配し、殺し、貶め、手段化します。



    邪悪性を帯びた道徳を美化しすぎると、そういう穴凹へ堕ちます。






    その過程で、主知(知性や知識を重んじる)主義という怪獣は、

    恐ろしい、恐ろしいエネルギーで襲い掛かって来ます。


    人間の意識が作った知識や知性が、無意識の自然を統括するなんて!

    意識は、無意識の中から生まれた滴(しずく)ですよ!

    それが、立場が転倒して! それで正気だって言うの?

    今の思潮が、気違い沙汰だって! !!



    識字レベルが低いのも、文盲というのも問題だけれど、

    意識に偏重して理性が理解する知識に重きを置き、

    理性や知性を自然や道理より上位に扱う、

    ある意味、神仏以上に頼りにするのはもっと、困った問題です。


    困った! 困った、由々しき問題なのです。




    そのことについて、

    いい例を、

    バチカン大使の上野影文氏の新聞のコラムから、

    現代ヨーロッパの思潮について、ご紹介しましょう。



    キリスト教文明の本場である欧州において、次の2つの事で、

    人間の知性の膨張が、神を押しのけ始めたという記事です。


    ベネディクト16世が就任して今年で丸4年になりますから、

    昨年の3周年の時、

    今の欧州で広まりつつある「科学主義」と「相体主義」に

    悩まれるローマ法王の姿が浮き彫りになるような

    メッセージをお出しになられました。

    そのうちの一つ目は、「科学主義」=科学至上主義の科学に対して、

    法王庁は受精卵を破壊するSE細胞実験や人のクローニングは

    神聖なる人の命をもてあそぶものだと非難をされ、

    許し難い暴挙であると、

    別の機会にも、繰り返しメッセージを出されました。

    だから受精卵を使わない山中京大教授の研究には

    大いに期待をされている。



    二つ目は、「相体主義」と云われるもの。

    スペインで同姓婚が認知され、ポルトガルで妊娠中絶の禁止が解かれ、

    イタリアでは事実婚の認知を求める運動、

    尊厳死の非処罰化を求めて活発化する運動に対して、

    法王庁はキリスト教の生命倫理観や家族倫理観を逸脱した

    相対主義」として

    再三非難をして来られています。




    あらゆる事に、”人間が選択権を持つか? 神に従うか?”の対立です。


    デカルト以来の理性中心の思潮=近代合理主義は、理性を暴走させて、

    科学信仰、人間中心思想を異常なまでに育て上げてしまっている。



    近・現代西欧の思潮は、人間が超えてはならぬ境を越えて、

    『神を押しのけた文明』を生みつつあり、

    現実の社会の中に、深刻な対立と摩擦を生んでしまっている。



    ”人間の意識による人権擁護もここまで来たか!”という

    驚きとあきらめの気持ちで、悩んでいらっしゃるローマ法王のメッセージの

    内容に大いに共感です。




    あるがままの無意識である自然を見ようともせずに、

    人間の理性が作り上げる”意識で切り取った母なる自然”を絶対視し、

    合理性を追求する人間の理性が神聖視する『環境信仰』。


    あらゆる表現の自由を神聖視する『表現自由信仰』。


    こういう人間の意識が作り上げた新たな『神なき信仰』。


    これ等が、ぞくぞく世界のあちこちで作られ、対立を生み、

    その流れの傲慢さがイスラム教への侮辱、法王の非難などを生む。

    それらをものともしない「われわれは、絶対に正しい」と譲らない人が、

    増えて行っているとか、、、。



    鯨の調査捕獲が、シーシェパードによって妨害を受けるなどの、

    これらの調和を破壊する行為が、正義の主張で罷り通ろうと、、、



    無神論を内に孕むキリスト教徒にとって、

    神に代わる「人間の原理」を模索するヨーロッパの人々、

    そして、法王のなやみ。

    キリスト教の世界だけの事ではなく、

    私たちだって傍観者ではいられない状況です。

    ヨーロッパは、キリスト教というせめてもの物差しがあるだけ、

    未だ随分マシです。

    家にこわい長老、お祖父さまがいるという存在感。

    うるさいけれど、こわい親父、それで保っていると言う事もあるでしょう。

    それに引き換え日本は、

    家を壊して、うるさい親父を追い出し、

    各家庭に恐いお祖父さまが居ない!

    若い者が自分の考えで放縦にできる天国?という有様です! ほほっ。





    だから、これは、所を変えて、規模は極小さいけれども、

    核家族の夫婦関係、親子関係、人間関係において、

    似たような事が起こっているのではないでしょうか?


    男女平等である人権を宣言する妻。

    家事の手助けや育児休暇を取るように社会から圧力を掛けられる夫。

    教科を止めて時間のゆとりを与えれば、ゆとり教育ができるなんて! 

    あはは。


    義務教育をくるくる変えてしまって、、、

    ゆとり教育こそ、総合教育こそ、基礎学力が一番いる教科なのよ~

    だって、自分が考えなければいけないのですから、、、



    それが、失敗だったなんて、、、国を挙げて、

    よく子供に聞こえる所で、言える事! 

    それこそが、賢い大人が、賢い教育者がいなかった!って事じゃないの?


    子供の自主性で決める食事!

    食べたいものは?で決めれば、毎食が菓子パン! になるわね~



    社会問題化している事柄の本質は、みなそういった類でしょう。


    それを、

    現代は、《 価値観の多様化の社会 》であるとか、なんとか、

    評論家や権威筋のご都合に乗せられて、コメントを聞かされて、

    こんなもんなんだなぁ~と思わせられて、

    どうでもいい周辺の事で、説得されたような風になって、

    本質を、かっ飛ばされて行く、、、


    ・・・・・・・・・・・

    目の前の現実を軽く眺める癖がついて、、、、、



    (いなさ)れて流れて、いませんか?

    いなす=相撲で、急に体をかわして、攻撃して来る相手の体勢を崩す。

    あしらう。

    真剣に向けられた追及を冗談やはぐらかして言葉巧みにかわす。




     
    私達こそ、しばし、

    自分で考える”ゆとり教育”が必要かもしれませんね! (笑い)


    私達を取り囲む現在の思潮の渦が、どこから流れて来て、

    私達をどうしようとする思潮の流れなのか?


    因果応報に無関係な個人がいないのと同様、

    今の純粋な『時』の中に、国民は存在しません。

    過去の国の因果応報のプロセスの只中に、

    私たち個人も、国民も存在しています。



    日本の中の濁流にも押し流されず、

    西洋の平原を席巻する竜巻にも飲み込まれないよう、、

    どちらにも、巻き込まれてはいけません。




    これが、人が人であろうとするサバイバルゲームです。



    あの ”トイストーリー・3”のように、

    溶鉱炉に落ちる直前までも、おもちゃたちは、あきらめなかった。

    仲間から一人の落伍者を出さないで、おもちゃたちは頑張った。


    希望を持っていましょう~ (笑い)

    暑さ厳しき折、ご自愛を。


























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。





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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    話題のつながりにびっくりです。命の誕生、道徳の本、ローマ法王、林 羅山、、、=
    どうして、頭のなかでこう結びつくのでしょう?=

    そして、落ちは”トイストーリー”なあんて!=
    cosmosさんならではの構成です。共感しました=
    毎日が猛暑です。ご自愛ください。次が、たのしみにしています=

    道徳の本『天地にかなう人間の生き方』のご紹介ありがとうございます!
    まだ主知主義レベルの道徳しか知らないので、どうにかして購入して、
    修行、体得レベルまで高めたいと思います。

    また、朱子学、明治維新、昭和初期の歴史などについても学び直したいと感じましので、
    別の機会の記事も楽しみにしています。
    権力者発のまがいものの道徳は真っ平ごめんです。
    そのために、目の前が曇って、曇って真の姿が見えない状態になってしまいますから・・・。

    「価値観の多様化」などの言葉にいなされないようにして、入り身で立ち向かっていきたいと思います。

    暑中お見舞い申し上げます!

    大きな流れを掴む事ができないままに、右往左往している自分の有様が見えてきます。
    思潮という難しいもの、判らないもの、という捕らえ方が個人を無能にするのでしょう。
    何もかもが、手の中にあった時代は、何時の事?
    物が溢れている今、手の中には何も無い?

    いなされて流されて往かないようにしなければ・・・

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    Re: タイトルなし

    > 話題のつながりにびっくりです。命の誕生、道徳の本、ローマ法王、林 羅山、、、=
    > どうして、頭のなかでこう結びつくのでしょう?=
    >
    > そして、落ちは”トイストーリー”なあんて!=
    > cosmosさんならではの構成です。共感しました=
    > 毎日が猛暑です。ご自愛ください。次が、たのしみにしています=

    ★仕事もプライベートも慌しくしています。長くお返事を書けなくてごめんなさい。
    日常は、色んなことがつながってあります。
    生きている事は、一面の真理だけでは片付けられないです。まさに、そうですわ! あはは。
    もう秋です。おだやなか天を仰ぐ季節になります。お元気で~
    いつもありがとう!! 感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    > 道徳の本『天地にかなう人間の生き方』のご紹介ありがとうございます!
    > まだ主知主義レベルの道徳しか知らないので、どうにかして購入して、
    > 修行、体得レベルまで高めたいと思います。
    >
    > また、朱子学、明治維新、昭和初期の歴史などについても学び直したいと感じましので、
    > 別の機会の記事も楽しみにしています。
    > 権力者発のまがいものの道徳は真っ平ごめんです。
    > そのために、目の前が曇って、曇って真の姿が見えない状態になってしまいますから・・・。
    >
    > 「価値観の多様化」などの言葉にいなされないようにして、入り身で立ち向かっていきたいと思います。

    ★これは、あくまでも私見ですが、
    本当の道徳は、いわゆる庶民から出て来ないといけません。
    学者や、知識で今、現在”飯を食っている”人から聞こうとは思いません。
    だから、本当に考えている人は、言いませんね。
    知識を売ったり、ヒケラカス事で、なんぼ?というそろばん勘定が成り立つ人の言葉は用心!用心!です。
    まだ、死んでしまった人の言葉の方が、信用できるかな? (笑い)
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: 暑中お見舞い申し上げます!

    > 大きな流れを掴む事ができないままに、右往左往している自分の有様が見えてきます。
    > 思潮という難しいもの、判らないもの、という捕らえ方が個人を無能にするのでしょう。
    > 何もかもが、手の中にあった時代は、何時の事?
    > 物が溢れている今、手の中には何も無い?
    >
    > いなされて流されて往かないようにしなければ・・・

    ★今は、知識から分かる様になると思っている人が多いですね。
    知識は解るけれども、判らないですね。
    そう、知識は、そうなんだとその知識を理解はできるけれども、何が正邪か判別できないでしょう?
    その上に、それを実行しようなどと思わない、軽い知識が溢れていて、右往左往してしまう。
    その知識の出所が、問題ですね。誰が、何を意図して流した知識か? それが、questionですね。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    鍵コメントさんへ 
      コメントありがとう!
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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