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    『因果応報の源 時間を生きる』 9. 現代文明は、命に関しては、お伽の絵本のレベルなのです。

    Category : 生活哲学
    梓川

    上高地・梓川の流れ





    彦☆星による ” 輝く水 ”をお聞きください。 どうぞ~  <4分10秒>








    『因果応報の源 時間を生きる』を今日で一旦終わります。








    最近・・・祈りたくなる事がたくさんあります。


    原因は、大げさに言えば、”現代の物質文明”です。 (笑い)


    この文明は、生命の存在は、植物、動物にある。と認めています。

    だから、生物と呼ぶのでしょう。

    しかし、心は、人間の専売特許扱いです。

    身辺にころがっている物、心を込めた物であろうがなかろうが、物です。

    物には、心がない。命もない。そういう観念的論理です。

    この場合の”観念的”とは、実態のない空理空論という意味です。



    空や、海や、山も、物体扱いです。 宇宙も広大な物質の世界であると。

    物質だから心はない。という観念です。

    心のない喜怒哀楽がない対象には、何をしても良い。

    ほんとうでしょうか?  これで正しいのでしょうか?




    たぶん、今の大人が子供へ教えるニュアンスはこういうものです。

    動物や植物は生物だから命を持って生きているから、やさしくね!

    (魚や肉は食べるけれど、鳥や野良犬、猫は動物愛護で殺してはいけない。

    でも、植物はお花は大事、草は邪魔なら刈るもの。野菜と果物は食べるもの。

    なんだか、ずい分勝手な人間のやり方だ事! あはは!)

    石は鉱物だから、命があるはずがない! 心もないんだ!

    (何の考慮もなく、人間が支配、利用していいんだ。)

    野山は、生物を育むけれど、感じる心を持っていないし、命はない!

    (美しい景色は残すけれど、野山は人間が利用してもいいんだ。)




    西洋の合理主義の思想を根底に置いている今の学問では、

    物体に生命が宿っているとは見なされていないのです。

    そう! 意識で捉えられないから、無い。と、いうのです。


    そう思って生きていませんか? 当然だよ!  と。




    しかし、仏教においては、

    動植物以外でも、たとえば机や石、紙切れ、木切れ、すべての存在に

    命があるという大前提があります。

    仏教の一つの法門に、

    『草木成仏・そうもくじょうぶつ(草や木も仏に成る。)の法門』があります。

    その意味は、あらゆる生きとし生ける物を、

    有情(うじょう・心がある)と非情(ひじょう・心がない)に分けて、

    それらに亘る原理です。

    この世に有るものは、すべて含まれ何ひとつも洩れる事はありません。

    それらが、等しく皆、成仏する、仏になれる。という教えです。




    なんという広大無辺な、深い観念であろうと、知って驚いた事があります。



    日本も、以前は、そういう観念で人々は、生きていた! 

    それが、時に移ろって、人の精神も変われば変わるものです!

    これが、我々の命は、時代や民衆に染まっていくと言う事でしょう。









    現代文明は、非常に息苦しい、観念です。

    現代の息苦しさは、まず、この観念的物質文明です。


    つまり、この物質文明の観念は、

    まず、この世の存在を精神と肉体に分ける二元論。

    次は、生物以外は、物である。物には命も精神もない。

    という上に論理が積み上げられて行きます。



    これは、根本的に間違った論理です。



    これは、どうでもいい事ではなくて、一番大事な事です!

    この扇の要のような部分をいい加減にして、今の文明は成り立っています。

    これらの認識の土台の上に、今の経済や政治が成り立っています。





    この論理に従って生きた場合の提起してくる因果応報は?



    仏教の世界観のほうが深遠、広大な理論体系があるので、

    仏教でいう処の三界(色界、無色界、欲界)の言葉を借用すると、


    今の物質文明の論理に乗っかった人は、

    ”色界(物質世界)の大王”に多いに可愛がられ、

    物の豊かさの恩恵に預かるでしょうが、最後は必ず、

    心のない世界で独りで物の重みに耐えかねてコケルであろう。 

    行き詰って崩れるだろう、下敷きになるであろう、(笑い)

    と予言をしておきましょう。 あはは~!



    これをお読みなった方は、この大王に好かれず、嫌われず、

    バランスをとってうまく生きてくださいね。(笑い)

    中国雑技団ほどのテクがいるかもしれません。大丈夫ですか? あはは~!




    冗談はさておいて、


    空や、海や、山に癒される、と言うのは人間の傲慢で、

    空や、海や、山によって、生み育てられ見守られていると信じています。

    まぁ、これは、個人それぞれ、どう思おうと自由でいいのですが、


    あまりにも実態からかけ離れた存在感が、世の流れにあるものですから、

    空や、海や、山に対して、申し訳ない。 ごめんなさい!

    宇宙や自然に、謝る。心からすまないと思う。

    それで、祈りたくなる事がたくさんあるのです。



    そう思っていた矢先、次の知らせがありました。


    動物と植物の「3億年の闘い」という副題で、

    「英国科学実験講座」が、明日から(9月4,5日)東京の有明で開かれます。

    精緻な自然な美しさを持つ植物も、自分の身を守る為に、

    時には悪知恵を働かせている。というのです!


    植物と動物の不思議な相互作用を研究しているスー・ハートリーという

    英サセックス大生態学教授が、植物が草食動物から身を守ってきた歴史を

    実験を交えて解説をするという事です。 


    なんと神秘的な、又、植物にありそうな?話です~ 

    やっとここまで合理的意識中心の科学が、少し気がついて来たのか・・・・・、


    どの分野もそうですが、科学というのは後になって、そうだったのか! 

    と新たな真実で塗り替えられるものです。


    現在は、そうだけれども、実際、あとどの位経ったら変わるのだろう?

    という懐疑的な留保的な態度というものが大事と思っています。

    そう思って新事実を受け入れるようにしています。




    新しい真実が、古い息苦しい嘘を暴いてくれれば、こんな良い事はないわ。



    学問の世界でも、解剖学や地理学など、新しい事項は加わっても、

    基本の概念がもう先々変わる事のない学問と、

    化学や経済のように時の推移と共に価値が移ろっていく物を、同じ学問体系

    の中に置かないで、分けるべきなのではないかと思っています。

    科学の目的が、実証的実験や意識的論理性で、真実を追究するものとするな

    らば、特に、経済学など、何が真実なのか?純粋に学問と言えるのかしら? 

    実に大いに疑問があります。(笑い)




    脳死論争」をここでするつもりは、まったくありませんが。

    最近マスコミで伝えられてくる脳死の人から内臓を提供をしたニュース。

    本人からの臓器提供の意思表示が無くても、遺族が、家族の死後、どうする

    か選択できるようになって俄かに臓器提供が増えているそうです。

    改正臓器移植法の全面施行後、3週間で最多の脳死提供があったそうです。


    改正臓器移植法が、海外へ移植の臓器を求めて渡航する日本人が多くなり、

    外国の趨勢が、移植の臓器を自国内で、という動き、牽制から、

    日本も国内でまかなわなければならなくなった世界の事情があって、

    急がされたという側面があって成立をしたものですから。。。


    病気の人へ臓器提供をという事の前に、

    まず、脳死が、人の死でいいのかどうかという決着が非常に曖昧のままです。





    人の死とは、意識があるのかないのかにこそある。

    だから、脳の働きが止まれば「人の死」と規定する。

    この観念が、今の改正臓器移植法の前提になっています。




    これに対して、脳死反対論者の主張は、

    たとえ脳は止まっても、体は生きているのだから、脳死は「人の死」ではない。

    この両派に分かれて、いまだ論争が続けられています。



    この論争の双方とも、

    「精神と肉体」は分離している存在である。という前提が共通です。

    「精神と肉体」の分離という西洋的価値観に対する批判は、

    このブログでもずっと書き続けて、貫いてきたテーマですが、

    これは、「我思う、ゆえに我あり」デカルトの有名な言葉から、発しています。

    思うものにはすべて「精神」が宿っているが、思わないものはすべて「物体」。

    このように「精神と物体」とを切り離してきたのが、「近代の歩み」でした。

    それも、人間が作ってきた一つの観念です。



    問題は、それが真実の観念だとジャッジをしたその決定者です。

    思う・思わない”を決定するのはあくまで人だったという事です。

    特に、山、川、海、空、植物、

    その他雑多な物に成り代わって世界を眺めたのか?

    いいえ!、

    一度も植物や大地の立場、目線に立って決められたものではないのです。

    人が独自に、もしくは勝手に、判断をしてきた。

    それは間違いありません。


    意識がなくなる、脳死は、死である。

    基本的に、東洋の日本人には合わない論理性を孕んでいるのは事実です。

    私たちのDNA中に連綿として宿り繋がれてきた生命に対する畏敬。

    命に関する事を人間が決めるという事への”おののき”です。



    東洋には、できるだけ人の主観を脱して、自然界に判断軸を求める。

    そういう自然観、生命観、智慧がありました。


    声を発しないから、心がない。 本当でしょうか?

    同じ生物でも、猫や犬は愛護団体があり、守る法律まである。

    しかし、植物は、土もタネも、作物も、全部精神のない「物体」ばかり?

    作物が苦しむ声、土がうめく声は、種が泣く声は、聞いたことがないから、

    だから、農業では、どれだけ農薬を振りまこうが構わない。

    泣き叫ばないから? どれだけ痛めつけようとも、おとなしいから?

    いくら収奪しようとも、植物には一切の配慮は存在しません。


    では、植物をどう扱えって言うの?


    扱えって、つまり、それは、植物をそれだけにしか見ない因果応報が、

    「食の安全」を脅かす問題となって私たちの子孫に良くない結果が、

    跳ね返ってきているという事実です。



    主観が客観へ為したことは、必ず、客観から反動が返ってくるのです。

    植物も、扱われたように人間を扱う。寡黙な野菜の反逆です。




    また、今世紀は「生命科学の世紀」といわれているそうです。

    永遠の生命、老いることのない皮膚、体、病気にならない肉体の実現。

    失った手指が、元通りになる。 

    こうした人類の夢を実現するものとして、

    又、これらを実現するノウハウの産業化で経済を成長させる?

    その分捕り合戦が国益の為になされています。

    お国の経済力の為にという大義名分で多いに期待されている現状です。



    真理が発見され、新たな技術が出てくる事は、奨励するべきでしょう。

    しかし、

    どこまでそれを生命倫理的に統御できるルールを持っているのか?

    精神の要は、外れたままで、利のみを漁る。賎しくはないですか?

    まさに、『色界の大王』が手を叩いて喜んでいるはずです。


    「 皆が、精神を捨ててくれた!喜ばしきかな!」と。(笑い)


    問題は、国策的に開発されたノウハウを、産業の育成の為に煽られて

    是が非でも消費する側に自動的に廻されるのか?

    私たちがそれを本当に≪どこまで≫望むのか? 望まないのか?です。

    産業の為に踊らされる必要はありません。

    あくまで、自分の主体性です。


    ある意味、「生命科学の世紀」とは、

    死への恐怖や不安が、それを避けようとする欲望が、

    それが、今世紀のターゲットなのです。

    欲望を煽って、ぶつける! 売れるに決まっている!

    マーケットリサーチはすでに終わっています。




    生命に終わりがある事は本当に悪いことなのでしょうか?

    終わりがあるからこそ、今が大事に感じられる訳ですし、


    老いていく事は、そんなに醜い事なのでしょうか?

    弱るからこそ、生命にハリを実感でき、人は努力を続けようとするのだし、


    病は人生をあきらめさせる不幸の根源でしょうか?

    終わりがあるからこそ、かけがえのない日々を知るのだろうし、


    死ぬまで若さを保ち、死ぬ時期を伸ばして伸ばして選べる事が、

    経済力次第だなんていう未来が来たら、新たな苦が始まるのよ!


    ( あはは。笑うしかないわ。)


    私たちはこうした問いを重ねて答えを求める必要があると思います。


    今の文明は、永遠という意味が「形の滅びを避ける」事であるかのように、

    私たちを物としてだけ永遠に残そうとする欲望が強すぎます。


    それは、今の文明が生命の本質が何かが解っていないからです。



    蝉(セミ)の死骸が、

    アスファルトやコンクリートの上にたくさん転がっています。

    踏み付けそうになって、ハッと気がつく事は、

    もう、秋! (笑い)


    そして、

    蝉の命は、どうなったの?

    この問いに、現代文明はまだ、解答を出せません。


    老いや死への恐怖を乗り越えようともせずに、

    反って不安を煽って、メシを食べようという、たかが知れた程の文明です。




    目に前の蝉を物として扱うだけで、

    抜けていった蝉の命の詮索もできない。た・ぶ・ん『天国』だって!!


    あまりにも、子供じみていて、笑ってしまいます! あはは。



    そのようにずっと、今の文明は、肝心要を極めていない。

    誤魔化しているだけでしょう?

    現代文明は、命に関しては、絵本のレベルなのです。

    まだまだ、おとぎ、お伽のレベル。




    天国だなんて、クリスチャンしか行けない所らしいわよ。 あはは。



    おやすみなさい。

    ^^良き夢を見ましょう~。 

















    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。




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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    深夜便になりました。

    今晩は、幾分か外が涼しい感じがしました。
    せみのお話、何か涙が出てきました。
    今日の記事は、裸にされた気がして何でしょう? あまりにも浅はかな自分に気がついたからでしょうか?

    中国雑技団へ入門しなければいけません。(笑)
    もう、翌日ですが、これから寝ます。おやすみなさい。
    引き続きお体を大切になさって下さい。

    物質世界の大王に多いに気に入られたら、まるで地震に会ってしまうようです。=
    こわ~い~=
    空に聳えているビル群を見ても、ふだんそういう気持ちを味わっています。=
    自然の視点を失っているという事がおそろしい結果を生みそうです。=

    やっと9月で、秋になりました。本当に今年の夏は暑かったですね。=
    ミャンマーから帰った友人が”日本の夏はじっとりしているので我慢するのが大変”とか。=
    日本の夏は東南アジアより暑い気候だったようです。=

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    植物に音楽を聴かせたり、語りかけると育ちがよくなるという話を思い出しながら読んでいました。
    また、醸造中の酒に音楽を聞かせると、味がまろやかになるそうです。
    これは麹菌が反応しているのでしょうか・・・。

    科学の進歩が遅れ、証明されてはいませんが、実践している人たちはいるのですね。

    Re: 深夜便になりました。

    > 今晩は、幾分か外が涼しい感じがしました。
    > せみのお話、何か涙が出てきました。
    > 今日の記事は、裸にされた気がして何でしょう? あまりにも浅はかな自分に気がついたからでしょうか?
    >
    > 中国雑技団へ入門しなければいけません。(笑)
    > もう、翌日ですが、これから寝ます。おやすみなさい。
    > 引き続きお体を大切になさって下さい。

    ★深夜便! ご苦労様です。今年の夏は暑かったですね。
    こちらも、その暑さが静まったような季を感じております。
    今の文明に毒されないで、本当の生を生きたい、ぜひ生きてくださいね。
    いつも、ありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    > 物質世界の大王に多いに気に入られたら、まるで地震に会ってしまうようです。=
    > こわ~い~=
    > 空に聳えているビル群を見ても、ふだんそういう気持ちを味わっています。=
    > 自然の視点を失っているという事がおそろしい結果を生みそうです。=
    >
    > やっと9月で、秋になりました。本当に今年の夏は暑かったですね。=
    > ミャンマーから帰った友人が”日本の夏はじっとりしているので我慢するのが大変”とか。=
    > 日本の夏は東南アジアより暑い気候だったようです。=

    ★地震ですか、、、そうですね。それもあるかもしれません。
    今の文明は、人間を自然から隔離していく働きがありますね。
    そうですか! ミャンマーより過ごしにくい夏なのね~ 来年は40℃になるとか、、、
    いつもありがとう!感謝☆cosmos

    Re: タイトルなし

    鍵コメントさんへ
     コメントありがとうございます。

    Re: タイトルなし

    > 植物に音楽を聴かせたり、語りかけると育ちがよくなるという話を思い出しながら読んでいました。
    > また、醸造中の酒に音楽を聞かせると、味がまろやかになるそうです。
    > これは麹菌が反応しているのでしょうか・・・。
    >
    > 科学の進歩が遅れ、証明されてはいませんが、実践している人たちはいるのですね。

    ★そうなの、よくご存知ですね。
    いろいろな事があります。私も梅干、お味噌などを仕込む時には、厳かに対峙してやさしく感謝をしながら作業をするようにしています。また他にもあります。次回の記事に少し、紹介をしますね。
    科学は、いびつですね。ここまで来るとその弊害を追求する学問が出てきてもいいような気がするわ。(笑い)
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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