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08/29 22:11 |
『因果応報の源 時間を生きる』 8. 天の道への反逆 西洋の観念性Category : 生活哲学
![]() 上高地・田代池 『因果応報の源 時間を生きる』に戻りました。 8です! なかなか、終わる事ができないテーマのようです。(笑い) 取り上げたいコメントが溜まっています。 宿題ですね。 宿題は、すぐその日に済ませましょう^^ あはは。 まずコメントから紹介しましょう。 私達は、自分のしたい事の為に生きるのが正しいのだと思って来ました= 自己の都合の前に、何を優先しなければいけないのか= 昔の人は、もう少し自然と調和をして生きて来た= 今のように個人の満足の優先と言う意識がなかったのかも知れません= 何度読んでも、目が覚めるようなコメントです! 個人の人権の尊重から、個人の満足の優先が当たり前の世の中です。 私たちは、自分の満足を優先させるあまりに、 公=天の道=宇宙の運行=時=自然=命、を軽視し、無視して、 犠牲にしてしまっているのでしょうね。 これでは、陰徳の積める生き方ではありませんね。 深く反省をしなければと思います。 今日は、そういう間違った観念の恐さ、その影響についてです。 『因果応報の源 時間を生きる』 3.の記事のなかで、 この地球上で生きる以上、 『天の道』=大宇宙の存在=大自然の懐から飛び出すことは、 不可能のように思えるにもかかわらず、 西洋文明に染まった現代人の私達の意識は、 自然からかけ離れたって生きていける。 と錯覚している。 と書きました。 なぜ、西洋文明に染まった意識は、自然からかけ離れたって生きていける。 と錯覚するのでしょうか? 東洋の「天の道」の観点と、西洋の「二元論」の観点を比べてみましょう。 東洋においては、主(観)客(観)が合一と捉えます。 人間は自然の一部というより、もっと高次元の捉え方、 人間と自然は一体であるとします。 自然をコントロールする事は、自分をコントロールする事です。 つまり自分がコントロールしているつもりでも、 結果は、廻りまわって自分を含む自然からコントロールされる事です。 つまり、 「天の道」に為したものは、つまり自らに為したものと同じなのです。 それは、因果応報の原理そのものなのです。 自らを生んだ宇宙生命を、コントロールする事など 所詮は、できない事なのです。 それをできると思って来た人間にとって、そう錯覚させる程に、 人間の為す事と比べれば、自然の懐は大きい、 それ程までにスケールが途方もないという事でしょう。 よく、主客の相互関係という言い方をしますが、 相互というのは、元々別々である2者の間の関係が前提ですから、 東洋での自然と人間の関係はそうではなく、 元より一体不二の関係です。 それは、妊婦と、その胎内にいる胎児を思い描いてください。 そのあり様は、自然そのものです。 直接的には、母親が胎児を出産するのを目にし、 我々も、母親が子供を生む、生んだと言います。 が、しかし、 実は、自然の営みとして自然自体が、命を生み出しているのです。 妊娠、出産こそは、まったくの自然の営みそのものです。 胎児が胎内にいる時には、母子は、一体不二の存在です! それに近い感覚で、 あらゆる命と自然の一体不二感を捉えてくださったらと思います。 しかし、 西洋における、二元論においては、 主観と客観がバラバラです。 しかも対立しているとします。 それゆえ、 主体である人間「自分」が、客体である自然「天の道」のエネルギーを、 コントロールしなければ自らが、されるという強迫観念があるようです。 何の為に? 生存の為、生きる為にです。 狩猟民族の生存の戦いの中には、食料の確保という切実な目的の為に、 どんな手段でもいいと言う過酷な戦い、戦争をしてきた経験が、 歴史上あった事は事実でしょう。 それゆえにコントロールしても良い。 自然は、征服するものだ。 この肯定感は、あくまでも人間中心です。 一人称の I (私は)の世界です。 対立する相手 you(あなたは、あなたを) の世界に対して、 つまり、征服しなければ、征服される、という行動原理が働きます。 I が you を征服して we になっても、その中に自然は入っていない! 東洋的な考え方からみると、西洋式合理主義は、 あまりにも一方的、片側だけの真理です。 これを、部分観として見たら、一部の知見でありますが、 しかし、この一部の知見を、 自然全体、宇宙全体、人間存在全体に及ぼす事は、いかがなものか? 人間を含む全生物の命を生み出す自然の機構・秩序を無視している 結果にならないのか? その上の、西洋合理主義における、もうひとつの誤りは、 自然や命に臨むのに、人間の意識という断崖からの景色だけを見る事です! 意識で引っかかった物だけを”ある”とする。 自分の意識が”こう捉えている”というあくまでも主観世界の中にしか過ぎない ものを、客観世界へ当てはめようとする欺瞞性・傲慢性に気がついていない。 自然を征服するという事は、自然を犠牲にしている事なのだと、、、 これが、今の地球を覆っている”理性万能・合理主義のもたらした物質文明” です。この観念をなんとかしないといけません。 なんとかしなければと言ったって、私たちの生活には関係ない ? いいえ!何故こういう地球や宇宙、理性や合理主義の問題を挙げるのかと 言うと、身近な私たちの生きる上での問題点と、密接不可分だからです。 現在の私たちを取り巻く思想の問題と、私の運命鑑定へ相談に来られる方の 悩みの内容とは本質的には同じなのです。 それはどういうことかと言うと、 どんな偏頗な論理の観念であっても、 意識で作る主観的な論理やイメージの世界=観念の世界の中にある限り、 その論理は【観念の中】では、破綻する事はありません。 あくまでも【観念の中】ですよ! 個人の考えの中だけなら、他人に束縛されるものではありませんから、、、。 しかし、 それが、【現実の中】へ表出した時に、問題(悩み、困難な事)を生みます。 自己満足の世界、自己の中に閉じ込められた論理であっても、 あらゆる形で私たちの生活の場面に表出します。 たとえば、本人が、出口のない観念を捨てられないで鬱病になる、、、 それだけでも身近な悩みとして周りに影響を及ぼしますが、 それだけでなく、 個人的に密接な人間関係=夫婦、親子、家族の中に表出します。 家庭は、自己をさらけ出す場であり、自己が休む場であるからです。 それゆえ、避けて逃げられない家族という人間関係において、 一人の勝手な独善的な観念が、家族を巻き込み傷つけ、家庭を破壊します。 それが、悩みや喜び・個々の因果応報による受け継がれる運命の問題を もたらすのです。 一に、個人の内面に持つ観念が、どういったものか? 何に影響をされてその観念を持つに至ったか?(ココが重要です) 恐い事に、個人の観念は、たやすく社会の観念に染められている状態です。 だから、大きな観点からの思想を知る事は、大事です。 また、何を信じていくのかと言う事も、最重要です! それは、自己と家族を守るためにも。。。 その観念の中身次第で、それに応じて現実の中へ諸現象が現れるわけです。 観念は観念だけでは終わらない。という事実です。 精神と肉体が不二である限り、その観念に応じた喜び、悲しみ、苦しみの 感情によって、表情、病気で表れます。 詳しくは、中医学をご参考に。 特に、政治的な権力者が、どういう観念を持つかは重大な事です。 そのいい例が、 太平洋戦争下の日本において、欧米列強の植民地支配に代わって、 日本を中心とした東アジアの民族の共存共栄圏を作るという御旗を掲げて、 軍部が、日本のアジア支配を正当化し、聖戦とまで謳い戦争をしました。 国民は軍部の大東亜共栄圏の観念的な論理に騙されたわけです。 その当時の大多数の国民も、失礼ですが、”おバカ”だったのです。 それは、国民が軍部の観念の虚構性を見抜けなかった。 一部の人々を除いて、見抜ける思想を国民が持っていなかったのです。 それが、現在の日本の『因果応報』の結果をもたらしたと言えるのでしょう。 哲学や思想は、難しいからと遠ざけてはいけません。 せめて権力者が、どういう思想で持って何を為そうとしているのか? それを見極める知恵(知識ではありません)を持たなければ。 学者や一部の人間が知識として知っているだけでなく、 哲学は、生き生きと民衆の中で生きていないと値打ちがないのです。 民衆の血肉の中で脈動するエネルギーにならなければ、存在価値は無い。 そう思っています。 果たして、日本の転換期は、そうだったのか? 人はつい、その理想的な論理を聞くと酔って信じてしまい、 現実の世界に通用する論理であるかどうかを検証しないまま、 観念的な美辞麗句で飾られた空理空論を、 ”こんな理想的な論理はない!”と錯覚をして騙されるのです。 子曰く『甘言令色、仁少なし』と。 耳に心地よい、あまりにも理想的な事ばかりを言う事を信じるのは、 結果、仁の報いはない。くやしい情けない惨めさに終わるという事です。 意識で作る主観的な論理やイメージの世界において、 どんなに理想的に見えた論理であっても、 真の人間観や自然観に立脚していない論理は、かならず破綻をします。 その破綻をした時の悲劇性、多くの犠牲を考えると、 【観念的な論理】というものは、必ず見破らなければいけないのです。 つまり、この観念、観念的というのは、実に困ったものなのです!! いつも、最近口癖のように記事に書いてきました、主知主義に陥った朱子学。 観念的な朱子学。・・・・・・・・・・あのフレーズです。 観念的な思想の導き出す現実は、常に”負け”の現実です。 なぜなら 観念性の欠点は、意識で作る主観的な論理やイメージですから、 客観性の現実世界において、存在しない論理なのです。 ほら! 子供のヘリクツ、分かりもしないのに生意気な! (笑い) お前が言うのは10年早いよ! あれといっしょです~ あはは。 子供の屁理屈を好きにやらせたらどうなりますか? あはは~ それが日本そのもの~ 政治の世界というのは観念の激突! 観念の闘争の場です。 あまり大した観念じゃなかった? あはは。 でも、その当時は、見破れなかったのです! 冗談は、さておいて、 ここまで、OKですか? 次へまいります~ 米国国防総省・国防科学局において、 「知的能力・身体能力とも高いレベルを維持したまま睡眠の必要性をなくす事 ができれば、戦闘方法や部隊展開が根本的に変わる。」という報告があり、 米国国防総省・高等研究計画局(DARPA)で、 24時間あるいは7日間連続で戦闘できる兵士「代謝に優れた兵士」を 作る研究プロジェクトがあるそうです。 まったく、理性が観念のなかに作った造作物ですが、 SFの世界、おとぎ話なら、たのしい思い付きじゃないですか? (笑い) パワーに溢れた発想というのか、何事も力で成し遂げようとする、 実現しようとする処が、アメリカらしいです。 パワフル!! (これ皮肉ですよ~) あはは~ 戦争にとって睡眠や排泄を邪魔なもの、マイナス要因と捉える思考方法。 戦に勝つ為には、兵士の生理的リズムすら無視しようする発想。 これこそが、効率主義です。 効率は善なのか?真理なのか? 要は、人間は意識の力で『時』の支配から脱出できると言うのでしょう。 大自然の『時』ですら、自らの意識で支配をしたい!という、 何がなにでも欲しい物は手に入れる、人間の欲望の肯定化。 その為の道具になった現代の理性の肥大化と言えるでしょう。 確かに、むかし西洋の人々が、 狩猟をする中で見て学んだであろう自然界における弱肉強食の姿、 確かに自然界における表層部分は、まさにその通りです。 人間が生き残るには、強さのピラミッドの頂点に登らなければと、 そう思った。そう実践してきた。 その征服の歴史そのものの論理です。 しかし、その奥に、東洋の叡智は、調和を観ているのです。 生きとし生けるものの弱肉強食の殺戮の奥に、 因果応報という調和と秩序の法の存在を。 もう、400年あまり、 近代合理主義の理性は、天=無意識に、挑戦状を叩き続けています。 やれば何でも支配できる。と! 人間の意識は万能である。と! それこそが、善である。と! 近代合理主義のいう部分観の観念が、巾を利かせています。 その気が、厚く垂れ込め、この美しい地球上を覆っている現状です。 今、地球は、均衡を失った不調和な状態です。 将に、今、西洋と東洋は、 お互いの血の中に流れているそれぞれの観念の違いを認め合い、 西洋の近代合理主義を抑えて、この困難を乗り越えるしか 私達は地球上で生き延びる事はできないでしょう。 イヤ、今、日本人の中からだって失いつつある東洋的な観点を、 心ある人が、それを抱きしめて大事に守っていかなければ、 日本人が、この日本列島に生き延びるすべはないと思って不安です。 世界中へ出稼ぎに行く経済難民、流浪の民になって、 帰るべき故国というものを失うのではないかという悪夢を見ます。 経済や政治の問題の前に解決するべきものがあるでしょう? 道徳の崩壊が、すべてを国が制度で保障をしなければならない国にし、 予算を使わなければならない非効率な国にしているのではないか? 国を挙げて本末転倒の姿です。 なぜそうだって分かるのって? たくさんの人の事例を否応なく見させていただいているからでしょう。 国力の衰えには、その数十年も前から人の生きる力の衰える姿があります。 その前に、人間を支える道徳が、心身から消えて行くのが見えます。 陰徳のない、徳を積まない人が集まったって、栄えるわけがないでしょう。 それを思うと、ほんとうに、ため息が、、、 今日は、うっかり本音を書いてしまいました。。 。 しかし、希望を持って、つよく息を継ぎましょう。 Never give up ..... 参考文献 『 生物時計はなぜリズムを刻むのか』 日経BP社 著者 ラッセル・フォスター / レオン・クライツマン -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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”自然に、、、”という言葉があります。=
何気無く普通に使っていますが、実はこんなに深い意味があったとは知りませんでした。= 昔の人が”自然に”と使っていた感覚を取り戻さないと、、、いけませんね。= 現代は、これ以上の欲を出して何を得ようとするのでしょうか?= 欲望優先の現代社会はこのまま続くわけはありませんね。= cosmosさんへ コメントを取り上げてくださり感謝申し上げます。= きのう、つくつく法師の声を聞いたような気がしました。
庭の花や樹は、もう夏の疲れが出ていて、秋に立ち直れるかしらと心配なのも多いです。 その姿を見ると、なんと凄い夏だったのだろう、植物も必死で生きたのでしょう。 秋の花群に季節は移っていきます。 壮大なブログの記事を読みまして、このパワーに感嘆しております。 この夏の暑さにも負けない根性を見た思いでおります。 人間は自然の一部。
自然を征服しようという発想は、 自然の脅威を体験したことがないからできるのではないでしょうか。 遭難とまではいかないまでも、命にかかわるような体験をしていれば、 そのような傲慢な考えは生まれてこないような気がします。 子どもの屁理屈なら社会に影響はありませんが、 政治家や官僚にそれをやられてはたまりませんので、 少しでも知恵を働かせたいと思います。 おはようございます~今日も暑い日のようで~す!
どうしたんでしょうね? 地球全体が。 出勤前のコメントです。いつもより遅くなりました。 観念的な空虚さがただよう世の中で、ますます政治の空洞化を感じています。 議員は居るけれど、政治家はいない。悲しい現実を毎日テレビから教えられます。 枝葉の問題を大義のように言う言葉が溢れています。本当に本末転倒です。 Re: タイトルなし鍵コメントさんへ
ありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> ”自然に、、、”という言葉があります。=
> 何気無く普通に使っていますが、実はこんなに深い意味があったとは知りませんでした。= > 昔の人が”自然に”と使っていた感覚を取り戻さないと、、、いけませんね。= > 現代は、これ以上の欲を出して何を得ようとするのでしょうか?= > 欲望優先の現代社会はこのまま続くわけはありませんね。= > > cosmosさんへ > コメントを取り上げてくださり感謝申し上げます。= ★言葉の軽さですね!総理の言葉だけではなかった、、、(笑い) ”自然”の中身が分からないまま使っているということですね。 文化がざるの目からこぼれ落ちているような日本を、よく表していますね。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> きのう、つくつく法師の声を聞いたような気がしました。
> 庭の花や樹は、もう夏の疲れが出ていて、秋に立ち直れるかしらと心配なのも多いです。 > その姿を見ると、なんと凄い夏だったのだろう、植物も必死で生きたのでしょう。 > 秋の花群に季節は移っていきます。 > > 壮大なブログの記事を読みまして、このパワーに感嘆しております。 > この夏の暑さにも負けない根性を見た思いでおります。 ★そうですか! こちらはまだですよ。あ、セミの死骸がたくさん落ちています。 なつも終わりなんだなぁと気づきますが、お花や庭木は疲れ気味です。 人間もですが、環境の移り変わりに付いていくのは大変なのですね。 お花をいつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> 人間は自然の一部。
> 自然を征服しようという発想は、 > 自然の脅威を体験したことがないからできるのではないでしょうか。 > 遭難とまではいかないまでも、命にかかわるような体験をしていれば、 > そのような傲慢な考えは生まれてこないような気がします。 > > 子どもの屁理屈なら社会に影響はありませんが、 > 政治家や官僚にそれをやられてはたまりませんので、 > 少しでも知恵を働かせたいと思います。 ★そうですね。 でも自分に力(科学力に自信がある、それを実現する財力がある)があると自負する人間にとったら、命にかかわる程の恐い目にあった経験から、自然に対してもっと余計に防御体制を作ろうとするでしょう。 その方が商売になるからです。相手国に負けまいとして国家もそれを奨励している。 また、自然の脅威を煽って商売の種にしようと考える商人も、それを待っていますから。 今の経済学は、そういったエネルギーを持った人たちの利用できる程度の経済学でしょう。 バイオエタノールなどもそういう芽だったのではないかと思います。今のアメリカの政策もね。 この循環を変えるには、人間や経済学の後ろにあるそういった観念自体を見据えて打ち破れる哲学を持たなければ、いけませんね。また、いつか記事にしたいと思っています。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: おはようございます~> 今日も暑い日のようで~す!
> どうしたんでしょうね? 地球全体が。 > > 出勤前のコメントです。いつもより遅くなりました。 > 観念的な空虚さがただよう世の中で、ますます政治の空洞化を感じています。 > 議員は居るけれど、政治家はいない。悲しい現実を毎日テレビから教えられます。 > 枝葉の問題を大義のように言う言葉が溢れています。本当に本末転倒です。 ★いそがしい合間に、コメントしてくださって、、、。 観念的であるということは、実現不可能という事なのに、今は皆が、その見分けをしなくなっています。 耳や目に心地よい言葉だけをほしがるのです。 だから、鳩山さんのような感受性が強ければ、ああいう言動が出てくるのでしょうね。あはは! 彼を擁護しているわけではありませんよ! いつもありがとう! 感謝☆cosmos |