![]() 2010
10/16 11:30 |
毘盧舎那 /天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学。その1Category : 運命学と歴史
![]() 過ぎ去った 夏の日の思い出 川面 先日、東京国立博物館の平成館へ 光明皇后1250年御遠忌記念特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」 を見に行って来ました。 館内は、年配の人たちは、もちろん思った通りでしたが、 若い男性が一人でぷら~っととか、小中校生の親子が多かったですね。 もっと、女性が関心を持ってもらいたい。 そう思いました。 なぜ? 女性が幸せになれるかどうかというテーマなのですから。 まず、いつものように、いただいたコメントを紹介します。 教育のおはなしを興味を持って読みました。 何事も、お体裁ではいけない、そこで差がつくのでしょうか? 今日の記事もさりげなく、 気がつかないくらいに運命学を教えてくれています が、最後は、運命学は家族や家庭なのですね。 いまの時代はまるで反対の方向へ進んでいるような気がします。 家から出て、家族から離れて、 血縁と関係ない事が大事という様な感じです。 その通りですね。 運命は、個人や、家族や家庭に表れるものです。 個人もそうですが、家族というものは、意識で選んでいるようで選べない。 家族との出会いは、無意識の運命そのものなのです。 だから、自分の意識で、家庭や家族のお体裁を取り繕う事は無理です。 どんなに取り繕っても、子孫が2,3代経る頃には、 『天=時』が、すべてをまる裸にします。 嘘はつけないのです。 そして、重要なのは命の継続です。 その決定は無意識の領域で為されます。 丁度、前回までのブログ記事の内容が、 宇宙、地球と天上へ広がっていましたので、(笑い) 今回は、運命学によって、人間界へ降りて行きま~す。 あはは。 よろしいでしょうか? 過去に学びましょう。 天武天皇流の天皇の女系化、系流の断絶に観る運命学。 過去から現在に至る記事になると思います。 私が、こういう展覧会を見に行くのは、 日本の美術、歴史だけを見たいと思うのではなく、 歴史の中に展開される人の運命の縮図、それを確認するためであり、 運命学の正しさのための研究のひとつと思って行きます。 数年まえから、気になっている題材、 『女系化による絶家』 毎年、正倉院展に行くのも、そのひとつです。 今回のメインテーマである ”奈良の大仏さん”は、 よく知っておりますので、 大仏さん(関西では大仏さまと言わないでこう言います。)が、 目的ではなくて、( 大仏さん、ごめんなさい! あはは。) 目的は ”光明皇后 ”と天武天皇系の天皇の周辺です。 この辺りは、日本史のなかでも非常に人間くさい、 ドラマチックな人間模様があって、 運命学にとっても非常に参考になります。 また、日本の地に建ったあの大仏さんが、 どうして華厳経の盧舎那仏であったのか? 仏教上の意義、社会的な意義の両面に疑義が、あります。 なぜなら、このような大規模な建設工事は膨大な国費を浪費させ、 国内の財政事情を悪化させるという事実を突き付けたはずです。 当時はやはり、貴族や寺院が富み栄える一方で、 農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、 租庸調の税制が崩壊寸前になる地方も出るなど、 律令政治の大きな矛盾点を浮き彫りにしたのです。 関西大学の宮本勝浩教授らが、 平安時代の『東大寺要録』を元に行った試算によると、 創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると 約4657億円と算出されたそうです! この部分は、ウキィペディア参照 統治者として、そこまでする社会的意義があるのか? まったく、現在の政治家、今の日本の現状と瓜二つではないですか? 社会的には、まったく破綻をした事業であったとしても、翻って、 仏法上の意義において、 毘盧舎那仏を、ここまでする真の意義が、あったのか? 本当にあったのか? ずっと、疑問に思っていました。 こう言うと、不思議に思われるかもしれませんが、 実は、釈迦は一生の説法の間に、 さまざまな名前の仏の説話を残しています。 初めて読んだ時に、 一体、これらの仏群は、どういうこと?! と思って読むのを止めようかと思いながら、、、(笑い) 、”おもしろくない!” 西洋の観念的な哲学の本を読む時に 脳細胞の全体が休止してしまったように感じる、あれです。 いわゆる、知る事に体が喜んでいないのです! あはは。 その中の、どの仏が、本当なの? 本当に実在したのか? 実証できない、、、 中には、譬えの説話の中で釈迦自身の過去世の修行時代の姿を、 別名で語っている場合もある。 東西南北、中央に5種の仏を配置しています。 まるで将棋の駒じゃないのだから、、、あはは。 その必然性は? おとぎ話を知りたいのじゃないのだから、、、 毘盧舎那仏は、5種の中のひとつになるわけです。 説法の上での便宜上とか、方便として? 釈迦の観念の中だけに存在する架空の仏を説いたのか? 大疑は、大悟へ通じるといいます。 何事も、そのままを受け入れずに、自分の命で消化しましょう^^ 疑っていいのです。 哲学、思想には厳密な正確性を! 真実を! 生活には闊達な柔軟性を! です~!” 経文上の事が、事実であるならば、 理論的にも証明されて、 尚かつ、現実に証拠がない物は信じられないという、 観念論大嫌い!(笑い)の実証主義の私にしたら 我慢できない! 点なのです。 あはは。 まぁ、そういう事などを、 今回から、何回かに分けて、日本史の中を、運命学的に観ながら 記事にしたいと思っています。 歴史を少し、わかりやすく詳しく書きながら進めていきます。 面倒がらずにお付き合いくださってお読みください。 天皇の家族関係、家系の流れが主題です。 なぜ、光明皇后なのか?は、 後、記事の中でお読みいただくとして、 その前に、関西人が親しみを込めて ”大仏さん ”と呼ぶ 盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)と、 当時の仏教についてから始めますね。 サンスクリット語のVairocana( ヴァイローチャナ ) 音写(音をそのまま表した訳)が、毘盧舎那です。 毘を頭につけて毘盧舎那(びるしゃな)というのが正式かな? 意訳では、光明遍照、浄満など他、いろんな意味になるようで、 宗派によってさまざまであり、一様ではありません。 だから、 あたり障りのない音訳の”びるしゃな ”を普段使いするのでしょう。 さまざまの宗派において、 毘盧舎那という仏は、格付けも扱いも違います。 要は、仏としてのステータス(地位)が違う。のです。 ある宗派では、仏ではない。 そういうのだってあるのですから。 簡単に言うと主格、脇格、古仏(もう、役に立たない仏)扱いなどです。 ある宗派では、本尊になっていると思えば、 ある宗派では、排斥されている。 どうなってるの~? と初めは思いました。 同じ仏教と言っても、宗派によって真実が違うのですね。 それも、また、おもしろいです~! なぜ、違いが出てくるのか? 仏が、いろいろ~ではないの。 人間が、いろいろ~なのです! (笑い) そういう宗派同士が、現実の世界では寺領を隣同士になって仲良く? か? どうかは判りませんが、 東京の谷中に行きますと、 あらゆる宗派のお寺が集まっていますね。 ご近所でもう、何百年もやっているのですよ。 それが、世間というものでしょう。 だから、どうでもいい事のようですが、 人間が認識すると言う事は、どんなに不確かなものか、、、 認識の不確かさから来る”災い”も多いですから注意しなければ、 根本はなるべく見極めて、慎重に行きたいと思います。 大事な事ですね! という事で、この続きは、 次回へ廻したいと思います。 これは、目で見える世界の、もっと奥の 見えない世界の事です。 現実を制する為には、その奥を、 もっと億を? あはは~! もっとも、億円なんていう物質文明から遠い事象です。 現実の世の中の物質文明のホコリを、払いたいのなら、 丁度いい按配のものです。 おたのしみに。。。 今日は土曜日、 明日は日曜日ですね^^ よき休日をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 |
Comment |
こんばんは!秋の虫の音が、耳に染み入るような夜です。=
暗かったトンネルの先の方が、ポンと抜けて光が見えたような、そんな衝撃です。= 哲学をするとは、こんなに明らかに物を言ってもよかったのですね。= こんな授業なら、きっと倫理哲学も楽しかったでしょう。= 考えることが楽しくなりますね。= いつも新鮮な記事をありがとう。= おっ!これから・・・と思いましたら、「よき休日を・・・」になってしまいました(笑)。
運命学からみる日本史・・・楽しみにしています。 「仏が、いろいろ~ではないの。人間が、いろいろ~なのです!」に妙に納得しました。 秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し <ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine) 上田敏訳>
古い詩ですが、今頃になると思い出します。 今それを、今日の記事を読んで、なぜか、ひたぶるにうら悲しい 気持ちといっしょに思い出しました。 秋なのですね! 秋にピッ足しの考えさせられる話題でした。 何か、自分の持っている知識の薄っぺらさに気がついたからかもしれません。 学びの秋、反省の秋です。今日一日、大事に過ごしたいと思いました。 いつも、ごくろうさん。間に合ったか? cosmosさんの返事はまだだね!
いろいろ都合があって夜回り中に、 又復大きな大砲を撃つ準備ですか?エネルギーが余っているんだ? Re: こんばんは!> 秋の虫の音が、耳に染み入るような夜です。=
> 暗かったトンネルの先の方が、ポンと抜けて光が見えたような、そんな衝撃です。= ★何かわかりませんが、良かったこと! 何事も、解決しない事ってないのですよ。光はありますから、、、 > 哲学をするとは、こんなに明らかに物を言ってもよかったのですね。= > こんな授業なら、きっと倫理哲学も楽しかったでしょう。= > 考えることが楽しくなりますね。= > いつも新鮮な記事をありがとう。= ★そう、北朝鮮や中国ではないのですから、あはは。 思った事は言いましょう! 倫理哲学は、何のためにあるのか? それは、私達の為にあります。学問は学者の為や、学問の為にあらず。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> おっ!これから・・・と思いましたら、「よき休日を・・・」になってしまいました(笑)。
> 運命学からみる日本史・・・楽しみにしています。 > > 「仏が、いろいろ~ではないの。人間が、いろいろ~なのです!」に妙に納得しました。 ★あはは~! 申しわけありません。 面白くない事を、読み易く書くって難しいでしょう? ”できるだけやさしい簡単な言葉で、短く”が一番だと思いまして、、、 ポイントを、あまり多く入れても理解が分散してしまうし、、、いろいろ考えてひとつづつのテーマに絞ろうと心がけた結果でございます。つぎは、長くなる予定です。(笑い) というのは、ひとつのテーマを途中で切るというのも、全体が掴みにくいでしょう? いつもありがとう!! 感謝☆cosmos Re: 秋の日の ヴィオロンの> ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し <ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine) 上田敏訳>
> 古い詩ですが、今頃になると思い出します。 > > 今それを、今日の記事を読んで、なぜか、ひたぶるにうら悲しい 気持ちといっしょに思い出しました。 > 秋なのですね! 秋にピッ足しの考えさせられる話題でした。 > 何か、自分の持っている知識の薄っぺらさに気がついたからかもしれません。 > 学びの秋、反省の秋です。今日一日、大事に過ごしたいと思いました。 ★その詩は、私も大好きです。秋になるとふっと、出てきますね。 最近美しくなられました? あ、元々美しい? あはは~! 言い方を間違えました。 とっても、心が前向きで素直に新しい事を吸収されるようになられた気がします~! お仕事も、進んでいくでしょう。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: いつも、ごくろうさん。> 間に合ったか? cosmosさんの返事はまだだね!
> いろいろ都合があって夜回り中に、 > 又復大きな大砲を撃つ準備ですか?エネルギーが余っているんだ? ★夜回り、ご苦労様でございました。お疲れなきようになさってくださいね! エネルギーが溢れているとは、よく言われる言葉ですが、ブログを読まれてもそう感じられるようで、、、 本当にそうなのだなぁと、我ながら驚いております。 でも、最近は年のせいか、幾分無く来ていると自覚していますよ。(笑い) いつもありがとう! 感謝☆cosmos |