![]() 2011
01/07 23:20 |
国の成り立ちの歴史について/記紀への疑義 (コメントのお返事)Category : 運命学と歴史
あけましておめでとうございます!
伊勢神宮の外宮から内宮へ至る道の両側に立てられている無数の石灯篭。 そのひとつひとつに、ユダヤの紋章である「ダビデの星」が刻まれている。(写真参照) 詳しくは、ここへ ![]() 今年も、宜しくお願いします。 今日は、昨年中にいただいたコメントが溜まっておりましたので、 そのお返事から始めたいと思います。 まずは、 日本の国の成り立ちに触れる次のコメントからです。 天皇家の歴史を振り返ると、我が国でなぜ哲学が生まれにくいのか、 弁証法的ロジックが理解されにくいのかというのがわかりますね。 中国大陸からの影響ではなく、インドの影響をもっと強く受けていれば どうなったのでしょうね。 歴史を記す中国の影響を強く受けた結果が「記紀」であったのは 間違いないところでしょうね。 その通りですね! このいただいたコメントの中には、大変な広い問題が提起されていて 一度に全部お答えしようと思っても、長くなって無理のようです。 ☆ 我が国でなぜ哲学が生まれにくいのか、 歴史を記す中国の影響を強く受けた結果が「記紀」であった。 に絞らせていただきます。 丁度、この記事を書き出した昨日、新聞紙上に、 大きく! ”天武天皇が、「列島改造」か ” の文字が、踊っていました! 白村江の戦いの後に、群馬から熊本までの道路が造られたと言う、 駅路(軍用道路か?)の遺構の写真と共に、 まるで、天武天皇が存命中であるかのような記事に、びっくり! いつもそうなのですが、 ブログの記事を書いていると、 その時に、記事に関連した人物の話題が新聞に載ってくる。 いつも何か不思議な時を、感じさせられます。 昨年の最後の記事に、 人は、自分や、自分の周りの事象について、 好き嫌いや、感情に依るだけでなく、 真実のありのままを観ようとする姿勢が大事です。 それをいい加減に扱って、事実を知ろうとしなければ、 それ自体が、自分を迷いの中に閉じ込めると言う事です。 迷う自分に馴れて、いい加減に扱うのは決して良い事ではないワ! 周りを軽く扱うという事は、自分を軽く扱うと言う事ですよ。 人の個人的な問題の根っこは、社会の諸問題の根っこに通じている。 そして、それは、時間軸をたどれば、 古い母国の歴史の中に同じ根がある。 と書きました。 一年の初めですから、 個人の問題も国の問題も、根っこはつながっています。 今と言う時は、過去、昔につながっています。 コメントにもあるように”我が国 ”の視点で、その昔の日本を、 歴史を正しく認識をする試みをやってみたいと思います。 なにが、正しいのか?は、解かりかねま~す。 あは! 真実を追究する試みだけは、失ってはいけませんから。 探偵になったつもりで、歴史を推理する。 たのしみましょう~! あはは。 どの位の長い記事になるのか? 見当もつきません! どうか御覚悟を! (笑い) ●わが国民性を振り返ると、 何にでも右往左往してしまう日本人。 領土問題には、カラキシ駄目で、形だけの抗議をしたのか、しないのか、 判らないまま、うやむやにして、怒りを表すマナーさえ解らないみたい。 教科書問題もそう! 対外的に自己の主張ができないですね! 対外世界に接する行動の訓練が、からっきし駄目です。 原爆を落とされても、怒りを相手国に訴えられないまま、 もう60年も、いやだ~もういやだ~と言ってるだけ。 何時まで経っても幼児性の内語の世界です。 国を追われて奴隷になって、世界を放浪して、それでも 自分の国を作る為に必死になったユダヤ人とは、大きな違い! 日本は、たった一回の大戦に負けて、 自分の誇るべき何もかもを捨ててしまっている。 考えようによったら、こんな順な扱いやすい国民はいないでしょうね。 疑いもなく、誰にでも付いていく。お人よしなのでしょうか... あ、ユダヤ人と言えば、 日本がいわゆる大和朝廷として統一されるよりも前、 古代イスラエルの「失われたユダヤの10支族」が、 日本に来たという説があります。詳しくは、こちらをどうぞ! 日本人とユダヤ人は、 共通の先祖を持つ兄弟民族であると言うのですが、 それについては、 冒頭の伊勢神宮のダビデの星の灯篭の写真の所から ご覧になってくださいね。 少し簡単に触れておきますと、紀元前1世紀前後、 皇室は、扶余、高句麗、百済系と同じように 大陸北方アジア民族・ツングース系民族に 出自が求められる氏族であるとしたら、 失われたユダヤの10支族が、 大陸北方アジア民族・ツングース系民族になって、 朝鮮半島を越えて日本列島に入って来たのと重なるのです。 皇室・物部氏・尾張氏・出雲臣氏・天若彦神族・中臣氏・大伴氏・忌部氏 などは九州島に入り、 山陰の出雲に入った者が、スサノオ神族・アジスキ高彦神族などです。 『記紀』の国生み神話とは、 イスラエルの失われた支族による倭国侵略(国取り)、 又は、倭国騒乱の歴史である、と言うものです。 たしかに、皇室の天孫降臨説は、 もとを糾せば、天神が高山に天降りすると言う、 ツングース系神族としては、ごく普通のことなのです。 たとえば、高句麗の始祖スム王は、 天帝の子孫に相応しく忽本の西城山上に都を立て、 『三国遺事』の駕洛国(後にも出てきます)記では、 六伽耶の始祖たちが天降りした地は亀旨(くし)の峰だと言う。 シルクロードは、紀元前ローマ帝国と秦漢帝国の時代から、 ありますから、 東西交易でのシルクロードの終点としての日本には 様々な勢力が、やって来たのでしょう。 ロード(道)があれば、文化や人もやって来るでしょうが、 あらゆる侵略にも便利だったはずです。 シルクロードの西端であるイギリスは、 アングロサクソン系のエグバートが829年に統一、 その後のデーン系(デンマーク系)や、1066年のノルマン系の侵略が あった事が歴史上分かっています。 シルクロードの東端である日本も、 朝鮮や中国大陸を経て何らかの侵略があったとしても、、、 何の不思議ではない、あったとする方が自然です。 Joseph Eidelberg氏は、イスラエルが語源と思われる大和言葉が 日本には3000語もあるという。 音も意味も同じものには、 ばれる、たべる、映える、凍る、枯れる、曲がる、傘、物、蜜、辺り、壁、 火傷(やけど)、匂い、許す、憎む、商う、書く、被る、住む、訛る、困る、 どけ、何時(いつ)、ありがとう、 よいしょ、どっこいしょ、等。 少し変化、大和風に訛ったと思われる言葉には、(イスラエル語:和語) マツァ:餅、ミガド:帝、ナギ:禰宜、ハデクハシェム:辱め、ハルク:歩く、 カム:神、エフォダ:お札、ハカシャ:拍手、ハヤ:早い、ホレル:掘る、 ナシ:主、コメツ:供物、ナハク:泣く、ナケル:除ける、 ユルシュ:許す、等。 また、日本人もその意味や語源が理解出来ない掛け声など、 エッサ、エッサ、エンヤラヤー、 弘前ねぷた祭りの「ヤーヤードゥ」、 青森のねぶた祭りの掛け声「ラッセラー、ラッセラー」、等。 イスラエルの人々には理解できるのです。 諏訪神社の大祭、祇園祭のルーツ、聖書に隠された神道のルーツなど。 川守田英二博士は、 東北地方に広く伝わる夏祭りの踊りの歌「ナニャドラド」の歌詞は、 全てイスラエル語だと断じています。 非常に興味深い情報ですね! ふたたび、日本の現実に戻ります~! (笑い) 老若男女を問わずに、自分に自信が持てなくて、、、 外国大好き! 金髪・青い目が、やっぱりいい!! デッカイ二重の目や大きなおっぱいになりたい! プチ整形だなんて。 TDLやサンタやハーロウィンは大好きだけど、 本物の自然の海や山は恐い、、、 そんな子供に育ててしまって、 誰が、命がけで母国を守るのでしょうか? 精神が、浮かれ遊んでいる原因はどこから? 占領軍の監視と宣伝で作られた「歴史」からと言えば言いすぎかしら? そう! 歴史は侵入する覇権者によって都合よく改竄される。 削除されるのです。 かように歴史は、勝者の言い分である。 その事を、頭のどこかへ置いておいてください。 哲学が生まれる土壌がない...のは、 これらは、ほとんど、 国の成り立ちの真の弁証法的ロジックを持たないからだと思っています。 実は、 あるのに、知らされていないからです。 ヨーロッパと同じ侵略の戦いの歴史があるのに、 それらが消されて、 元から、今の国があったように錯覚をしている。。 。 させられている。 今日の日本国家は記憶を 失って漂っている。 五体が受け止めた記憶を 喪失している国家に正しい現実感はない。 リアルな世界の出来事として 侵略の傷を負っている歴史を抱き、忘れないからこそ、 その傷みを癒す為に国家戦略が生まれるのであって、 何もかも隠蔽し、廃棄した歴史を守っていて、 それで、どうして国境を守り、国家を守る戦略が生まれるのですか? おめでたい”裸の王様”?! あはは、 笑うしかないワ~! 歴史というものは、 誰の命令で、 どこの誰が書いたのか? その中で誰が一番偉そうに書かれているか? 等を、精査しながら読まないと、騙されてしまいます。 また、いつの世も成り上がった国は、国の威信の為に、 いろいろなデフェンスを構えます。 それに加えて、時代背景です。 その時代の権力者である利害関係者が 生存している時に書かれた歴史は、真実が書かれる事はありません。 現に、今、日米安全保障条約と占領軍が作った 日本国憲法が効力を持っている段階で、 すべてを明らかにする事はできないでしょう。 たとえば、 今の日本では、140年以上経っても、 まだ、明治維新を美化した本が商売になる世の中らしいので、 明治維新の思想的欠陥を総括するのは無理です。 維新の思想的な力となった主知主義的朱子学の総括を するべき人が、なさるべきと思っていますが、 まだ、 その時は至っていないようです! 勿論、 明治政府の国家神道の核心部分は、 いまだタブーが残っています! 国の成り立ちの歴史、 特に我が国の古代史は、タブーの塊です。 戦前のように日本書記や古事記に書かれている事を、 そのまま受け入れると、 天皇は現人神で、国家は神国であり、 日本民族は古代から変わらず続く単一民族であるとなっています。 日本列島に土着した縄文人に、 大陸から弥生人が渡って来て、今の日本人の原型ができた、 と言うのが、歴史の常識です。 その常識を覆す事は、 皇室の血統や、その出自についても、 従来の定説を覆すような事になるやも知れません。 だから、これまでの専門的な先生方は、 古代について意見を言い出す事をはばかり、 学校教育では無難な表現しかできない。 と考えられます。 古代日本において、 皇室の先祖も現在の日本も、 その基礎は渡来人のお陰であるなんて言う新説は、 長らく封印されて来たのでしょう。 事実は、どうなのか? それは分からないにしても、もしか、そうだったとしたら、 何か不都合でも、あるのでしょうか? 世界の国々には、 そういう(民族の寄せ集め)建国の歴史はいっぱいあります。 宮内庁も、やっと古墳の考古学調査を実施しようかとか? しないとか? あははっ~! あらゆる重い権威が、 逆さ吊りになって 我々の頭上にぶら下っていますワ! 【ダモクレスの剣】となって頭上に落ちてくるまでに、 間に合うのでしょうか? だから、そういう方面は当てにしないで、 ご自分の良心のモチベーションで頑張っている在野の研究者の本、 ブログで公開をしてくれている情報を 丹念に読みながら、 原典を紐解いて、 自分で古代史観を作り上げるしかないように思います。 国民ひとりひとりが、 自学自習! 自立自尊! しかないですね。 もう、如何なる権威の誰にも教えられたくな~い。 『日本書紀』も書かれて1500年ですか、 やっと、、、 戦前の権威的な人々がお亡くなりになってしまい、 そういうチェックが、 そんなにうるさく入らない時期になっていますので、 調べる側もそういうシガラミのない戦後世代に移り、 個人においては、 この辺の事は、まったく自由に、 研究できるようになっているようですね~。 古代史が、本当の裸体を見せて来るのは、これからなのです。 楽しみが残っています。 かならず、 いつか古代史の封印が解かれるでしょう 我が国でなぜ哲学が生まれにくいのか、と言うと、 ひとつには、”万世一系 ”という建前を守るロジックが ドーンとあるからです。 それは、 つまり他の国にはない伝統でもあります。 アメリカなどは、 それがきっと羨ましいのでしょうね。 古い伝統がありませんから... しかし、伝統がないだけ、 守る物も、失う物がない訳です。 何でも言えるのかも? ヨーロッパもそうですね! 王朝が変わっていますから、 前政権の権威は、いともたやすく次の征服者に 破壊をされて来ました。 その度に、新たな思想が入り込み、 正当性を認めさせる為に 征服した民族の神が、 征服された民族の神を壊してきました。 アテネのアクロポリスの丘、 神殿の大理石は完璧な修理をされないで、壊されたままです。 それが歴史です。 立派なままを復元をする? あはは、似非の歴史ですよ! 紀元前424年、 戦いで常に勝利を願うアテネの市民は、 勝利の女神がどこへも行けないようにと 翼を切り落として、この神殿に祀った(閉じ込めた?) と言われています。 そのパルテノンの祭神・10代の美しかった女神像は、 どこへ? 彼女を飾っていたルビーやサファイヤと一緒に持ち去られたままです。 キリスト教もそうです。 王権が新しい神を造ったり、、、あはは。 これが、この世の人間界の当たり前の姿です。 過去に侵略されなかった国家なんて、 あるものですか! ヨーロッパには、 基底に堂々たる「無神論」があるのですよ。 え! キリストは? 神でしょうって? あはは。 無神論の上のキリストです。 ヘレニズムの神々の上のキリストの存在です。 ヘレニズムの神々は、キリストによって侵略をされた。 その事実のままですよ。 その事実のままが、重要なのです。 征服をしたからといって、過去がサラになるわけではない。 過去の時が、厳然と存在した事は、誰人も消せないのだから。 日本は、建前上、 王朝の交代も何も無い事になっています。 武士が征夷大将軍になっても、 天皇は変わらず存在しましたから。 これは、普段思っている以上に、とても重い存在です。 だから、 それ以外の思想を、哲学を造る必要がなかったのでしょう。 守っていさえすれば良かったのです。 裏を返せば、それをはみ出る哲学を造る事が、できなかったと思います。 それが、1000年以上も続けば、習い性になって。。。 五体や五感に響かない建前を持たされ、 感じた事を秘匿する性分。 本音と建前との解離性を、うまく混ぜ合わせたワっの精神? あはは。 今日の日本国家は、 遥か生い立ちの記憶を失って漂っています。 五体が受け止めた記憶を喪失している国家に 正しい現実感はないはずです。 故に、相手を見据える外交ができる訳がないのです。 それについて、「倭国の謎・知られざる古代日本国」の中で、 相見英咲氏が、次のように書かれています。 「 4世紀、10代崇神天皇の時、 皇室はついに〈倭国=日本国)の主人になった。 この皇室=大和朝廷の考え方は一風変わっていた。 前代の王朝の非を鳴らして自らの正当性を主張するのではなく、 自分の氏以外の<倭王=日本国王)など一切存在しなかった、 という考えを展開した。 即ち一方では、 前代の王家邪馬台国の情報を後に伝える事を禁止し、 また一方では、 倭王ではなかった九代開化天皇までの事業を廃棄し、 これらの伝承も許さなかった。 そのために、7,8世紀の人々、 日本書紀の編集者たちは、 『魏志倭人伝』の卑弥呼が誰やらさっぱり分からず、、、」 「皇室・朝廷にとって大事なことは、 〈倭国=日本国〉は、これまで唯一皇室が統治してきたし、 今後も唯一皇室が統治し続ける。 という考え方を疑問の余地のないものとして 普及徹底させる、ということであった。」 それ以来、我々は、藤原不比等も含めて、 現代に至る国民みんなが、 「4世紀の皇室・大和朝廷の術中にものの見事にはまったのである。」 この建前の骨格をライブで生きて、解っていながら、 藤原不比等は「記紀」でそっくり踏襲し、 そこへ新たなる改竄を加えて、 前以上に国の生い立ちの根幹を分からないようにした。 それを、後世に残したのです! 何と言う罪つくりな..... それが、「日本社会」の原型になってしまった。 彼と仲間が加えた改竄は、出自・百済の威信を守る哲学止りで、 残念ですが、 後世の我々の事なんかは、眼中になかったはずです。 唐に対する国体を繕うだけで、手が一杯だったのでしょう。 おそらく、きっと、 後世が、ここまでグローバルになるとは、 彼は、思っても見なかったのだろう。 それ故、いまだ、 我々は、彼の仕事に縛られて、この煉獄にいます。 運命学的に言いますと、 そのゆがんだ認識が、 正常なリアルな五感の感受性に誤差を生み、 その齟齬が堆積した坩堝の中で醸成されたクサヤのような香りが、 現在の日本の国の運命を形作って来たのです。 いいにおいですね~! まるで天上を模したような! あはは。 この世のものとも思えない現実離れした平和憲法を背負わされて、、、 天使が守ってくれると思っているのでしょうか? (爆笑) 自分は、自分が守るしかないのですよ。 運命とは、 自己の過去の認識の集積と 現在の瞬間の自分を受け止める認識、 自己の瞬間、瞬間の出した認識の問いに 返される認識の答えなのです。 透明な見えない神から、与えられるものではありません。 自分が発した認識=問に対する自分の認識=答えです。 確かに、天武の血を全く受け継がない桓武天皇が即位をし、 100年ぶりに天智系が復活した時点から今上天皇までは、一系の流れです。 しかし、桓武天皇以前については、どうなのか? 疑って見ると言う事が、意識の持つ重要な機能ではないのか! それが、学問の使命なのではないか? 「記紀」の問題についてですが、 「古事記」は、天皇や関係者に見せるための本で、 「日本書紀」は外国、特に対中国=唐の皇帝に対抗する為に、 中華世界の柵封体制からの独立宣言書として書かれた『国史』です。 藤原不比等や白村江の戦いの亡命百済貴族が紀の最終編纂者である、 と云う立場に立っていますが、 書紀編纂の思想は、九州の倭王朝の否定です。 いわゆる大和朝廷が列島の唯一の王朝であると言う 近畿王朝支配説が、明治以降支配的になっています。 これにより、 倭国の王が「天皇」という称号を使う事を、唐に「黙認」させた、 と言う点において、 努力の甲斐があったと言えるのかも知れません。 日本が、初めて日本と名乗りだした頃、唐は、どう見ていたのか? 『旧唐書』倭国・日本国伝の原文を、ここからどうぞ! 『日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。』 日本国は、倭国の別種なり。 その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。 あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、 改めて日本と為した。 あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。 そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、 中国はこれを疑う。 また、その国の界は東西南北に各数千里、 西界と南界いずれも大海に至り、 東界と北界は大山があり、限界となし、 山の外は、すなわち毛人の国だという。 古事記は、 平安時代には、宮中深く保管されて閲覧禁止の書でした。 禁止をしたのは、桓武天皇であると考えられています。 「日本書紀」の問題点を挙げてみます。 ● まず、不自然なのは天智天皇の墓所が書かれていない事です。 持統天皇の父ですよ! 分からないはずはないのに、どうして? 天智天皇の墓は、京都の地図で、山科に現存します。 「扶桑略記」に三井寺伝承として、 「天智天皇は、ある日、馬で狩に出かけ、いつまで経っても帰らないので 探した所、山科の山中に天皇の靴が落ちていた。 そこで、そこを天智天皇の墓とした」と言うものです。 この事から、 天智天皇は、誘拐され、殺された事になるが、遺骸は出なかった。 ● 日本書紀が、歴史書として欠けている大事な点は、 1. 「日本」と言う国名の起源 2. 天皇の起源、 3. (注★)倭の五王(宋書倭国伝)、 邪馬台国(魏志倭人伝)の歴史が破棄されている事です。 (注★) 413~502、東晋、宋に「倭国王」として冊封された倭国の五人の王 478年、倭王武・雄略天皇が、 日本を統一した先祖の事を書いた中国南朝宋の順帝に対する上表文は 立派な漢文だそうです。 だから漢字伝来はそれ以前と言う事になります。 と言う事は、 当時もそれなりの歴史書が書かれていたはずですが、残存していない。 倭の五王のような重要な事象も、 記紀のどこにも記載がありません。 それは、つまり、 ● 紀記の編者達は、これらの事を知らなかったか、 知っていて無視をしたと言う事です。 ● 日本書紀の編者達は、 前方後円墳、銅鐸文化についても伝承を何ら持っていなかったようです。 謎が、多いのです。 前方後円墳が作られた時、 日本書紀の人々は大和には居なかったのか? 大和は銅鐸圏ですが、 その大和にいながら銅鐸圏を知らないという事は、 銅鐸祭祀が廃止されてかなりの時間が経ち、 それ以後の渡来者であるか、 知りながら都合が悪いので記述しなかったかの何れかです。 なぜ?都合が悪いのか? 蘇我氏滅亡後の祖先の歴史をあれほど詳しく語る編者達は、 考古学発掘の結果と全く異なっています。 編者達は、銅鐸祭祀廃止後に渡来して来た人々と考えざるを得ない。 奈良に元々居た人々と、つながっていない。 土中から発見される状況によりますが、 誰かに破壊されたのか? 破壊される前に恐れて隠匿したのか? 稲荷山鉄剣などの銘とも日本書紀の記載は無関係です。 やはり、編者達は大和での歴史を持っていない人であろう。 代わりに、自分達の権威付けとして各種神話を創作したのだろうか? 書紀の編者達は、 倭国の以前の伝承と自分達の伝承を一つにつなぎ合わせ、 あるいは、天武天皇系列の正当性を取り繕う為に 周辺の歴史を素材として利用し取り込み、 それまでの国や外交を殆ど知らない人が、それまでの国の歴史 や政治に長けた古い人々を追い出して権力を奪取したのではないか? なぜか、天武以前の歴史書は、全部破棄されたようです。 日本書紀は全31巻ですが、 現存する日本書紀は全30巻であり、 神武から持統天皇までの系図が載っている31巻がないのである。 なぜか? 桓武天皇が、 「過去においては、臣が天皇になっているので正しくない。 したがって、日本書紀の31巻を焼き捨てよ。」 という命令を出し焚書させた。 しかも、日本書紀の何箇所かを変更・削除したと言う事です。 桓武天皇は、772年に天武の孫や聖武の娘を捕らえ流罪として、 天武系の血筋を根絶やしにしています。 平安時代、桓武天皇が天皇家の菩提寺とした泉涌寺でも、 歴代天皇の中で 天智天皇の次は、光仁天皇、桓武天皇となり、 天武系の天皇は完全に皇統から外され祭祀をされていません。 天武天皇の経歴、年齢だけが はっきり書かれていない。 おそらく、 日本書紀の編者達は、天武天皇の誕生日を知らなかったのでしょう。 編者たちが集めた皇室に残る資料の中に、 天武天皇の誕生日を書いた物がなかった? それより、もっと素朴な疑問を、あげてみましょうか。たとえば、 ● 聖徳太子への疑問 ① 本当に実在したのか? ② 優秀な人物が、どうして天皇になれなかったのか? ● 645年の大化の改新の疑問 ③ 蘇我入鹿を殺しただけで、そんなに世の中が変わるのか? ④ 中臣鎌足は、当時の世の中でそこまでの力があったのか? ⑤ 大化改新は、本当にあったのか? ⑥ 藤原鎌足は、本当に実在したのか? ● 663年に白村江の戦いの疑問 ⑦百済の任那、そんなちっぽけな領土の為に、 わざわざ負けに行くような戦に、なぜ行ったのか? これが、私の白村江の戦いに対する長年の疑問です。 ● 「壬申の乱」って、わからないなぁ? ⑧ 我が国の歴史は、 すべて、天皇家の血の争いによったものである。 という認識が、正しい事になっていますが、 そうでしょうか? ただ、皇位の奪い合いで戦争になったという捉え方は納得できないワ。 この辺りの事になると、学校教育で習ってきた物では歯が立ちません。 時系列で言えば、縄文、弥生から、突然、急に出てくる 「大和朝廷の統一」、「聖徳太子」、「大化の改新」などの 事項を無自覚的に教え込まれていますね。 それが20世紀の歴史教育でした。 このまま、 21世紀にも、 このような扁平な歴史教育が続くのなら、 日本の常識、世界の驚き、となってしまうでしょう。 これじゃ、 ほんとうに、りっぱな”井の中の成人蛙”に成長しますね! あはは。 今の日本史には、なにかが、隠されて誤魔化されている? 戦争をするには、 なぜ 戦争をするのかという理由が必要です。 大国は、目先の戦いだけを考えて戦争をしないはずです。 その先の事までを読んだ企みがあったはずです。 なにか、こう言う軸をもって見ていかないと 記紀の編集者達の欺瞞のベールに騙されそうな恐怖を感じています。 今のままの歴史では、何故か、現実感覚を失いそうになります。 井の中の蛙シンドローム? そのシンドロームに浸って、私達はノホホンと構えていますが、、、 大きな事件は、かならず流れがあります。 流れを見失ったまま、単なる事件として見てしまう。 この認識の甘さが、国の不運を呼び込むのです。 645年の大化の改新、663年に白村江の戦い、672年の壬申の乱は、 一連の物として捕らえた方がいいのではないでしょうか? 一番、不可解なのは、やっぱり『白村江の戦い』です。 大国、唐の企みを見据えていなかった我が国は、 百済救援の為だけに?(そう教えられていますね?) あはは。 白村江で敵軍が待ち構えている所へ攻め込み、 逃げ道も塞がれて、ろくに戦わないで、 全滅に近い状態であったにもかかわらず、 不思議なことに帰国する船は、ちゃんとある! おまけに 百済の亡命王族、貴族、高級官僚をいっぱい乗せて帰って来ます。 負けたと云いながら、船に乗って帰国をする。 おかしくは、感じませんでしたか? 彼等は、戦勝国唐の要求で、 日本の戦後賠償の敗戦処理の結果として、 大和朝廷の高級官僚として雇われる為に日本へ、 亡命させられた人々です。 当時の天智天皇は、その為に階位を増やし対応しました。 その後、彼等は、 記紀編纂の重要な人材として不比等の下で活躍するわけです。 日本書紀の記述を信じるとして、白村江の戦いは、 659年~661年 にかけて 第4次遣唐使を派遣した後、 660年、にすでに、唐と新羅の連合軍に百済は滅亡している。 にもかかわらず、 斉明天皇が、筑紫に朝倉宮まで建てて,子供の皇子、皇女を連れて 逗留をして、計5~6万人の兵力を、3回に亘って、3年を費やし、 任那を奪還をする為に、戦争をします。 (いくら船でも奈良盆地から九州へ本当に行ったのか?これは書紀で否定をした北九州倭王が戦ったのではないか?と言う疑問がある) 661年、日本軍は、三派に分かれて朝鮮半島南部に上陸します。 5月第一回目●1万余人を投入。☆船舶170余隻で、朝鮮半島に 上陸をします。7月24日、斉明天皇は、そこで急死(毒殺?) にもかかわらず、その翌年、 なぜ? 諦めずに百済を救援に行くのか? (このモチベーションの高さに、呆れるくらい納得できません。大和に帰れば反対派が待っていて自分達が失脚させられるのに!) 662年、3月第二回目●2万7千人を投入。 (ここまでやると、もう要請を受けたからの救援とは思えない。それならモチベーションの高さが続くかしら?) 663年、白村江の戦い 第三回目 ●1万余人を投します。 (ここまでやるのは、自分たちの本貫地を守る為だと言うのなら、納得できます。) 663年、8月28日 唐と新羅の連合軍に、百済と日本軍は敗れます。 663年、9月24日 日本軍は撤退します。 百済国は、もう3年前に滅亡しているのに、これは、何だったのでしょうか? 国を奪回して、再建するつもりだったのか? 日本書紀の「軍船。☆170隻を、、、」とありますが、170隻をそろえるのは 大変! 造船したのなら、随分前からの準備が要ります。 戦いの前に、3、4次の遣唐使派遣をしながら、 一方で、戦争の準備をしていたのか? それなのに2年後、また、第5次遣唐使を行っています。 以上の事から、余裕も、国力もない日本が、 百済まで戦争に出掛けた理由の説明が、つかない。 第5次遣唐使! おそらくこの遣唐使は、朝廷が中国に派遣したのではなく、 船の建造や航海術に長けていた中国人が、 主体になって行ったものでしょう。 私たちは、白村江敗戦後の動乱は、教育で詳しく教えられていない。 日本書紀に最も多く登場する「郭 務ソウ」と言う 唐から敗戦処理の為に日本へ派遣をされた人物ですが、 裏づけに唐の記録(資治通鑑)を見ても、 これだけの人物が、全く記載がない。 これも創作なのか? また、百済人を全国、秋田の方まで受け入れ入植させます。 日本の領土のあちこち、対馬等に、百済人の手で、 唐が使う城を作らせます。 唐から、日本に派遣されていた軍人が、 日本占領軍司令官として戦後処理を行います。 その軍人が、後の天武天皇と考えられます。 鈴木 治氏は、「白村江」の著書の中で、 日本は、唐・中国側に翻弄され、 唐の戦後処理の目的は、天皇の傀儡化だったと??? その時の、 傀儡政権の天皇が、天武天皇だった!と書いています。 また、中大兄皇子が5人の娘を 大海人皇子・天武天皇へ嫁がせていますが、 本当の兄弟ならば、これほど兄が弟に気を遣うでしょうか? また、藤原鎌足も2人の娘を大海人皇子に妃に出しています。 これは、中大兄皇子と大海人皇子は、兄弟ではなく、 663年、白村江の戦いの予兆の緊張した状況における 大海人皇子と言う人物を慰撫し、 機嫌取りに差し出した人質ではないかと言う説もあります。 その時の大海人皇子の本当の身分は、 新羅の王族、または軍人であろう、と言う説です。 そもそも、 朝鮮三国の力を背景に 大和朝廷を傀儡にしていた豪族の蘇我氏が、 百済の王族である斉明天皇と、高句麗の王族である舒明天皇を担いだ? と言う説もあり、 中大兄皇子は、九州にいた百済王の子の余豊璋だと言う説もある。 その理由は、7世紀のそういう蘇我氏の権勢に対抗し、 中大兄皇子は反蘇我、親百済派で復権を狙う立場であったのと、 同時に、当時、 日本に倭・百済同盟の人質として、 百済の王子、豊璋(ほうしょう)が来日中であった、 この両者の立場が重なってもおかしくはないと言う説です。 すべてを、大和朝廷を中心に考えると不自然さが目だって来ます。 いずれにせよ、 斉明天皇の大和朝廷の本貫地が、百済国だったとすれば、 百済派が、後々、朝廷において失脚をするかも知れない事を恐れずに、 「白村江」を戦ったという理由が見えて来ます。 『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い― 「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠』東京図書出版会の 藤井游惟氏の言葉を借りると、 『日本書紀』α群を書いた人物の固有名詞は解らなくても、 それを書いたのは中国語ネイティブスピーカーであり、 それ以外の「上代特殊仮名遣い」が現れる借音仮名文書を書いたのは、 朝鮮語のネイティブスピーカーであった、 ということは 言語学的・音声学的に完全に証明できます。 ということです。 以上「日本史の宝石箱」オリエントの都アスカへの道列島古代史学より引用 中国語ネイティブスピーカーと、朝鮮語のネイティブスピーカーが、 書いた『日本書紀』とは、なにぞや? あはは。 とに角、白村江の戦いから壬申の乱までは、 大唐の帝国主義が、朝鮮三国と日本を巻き込んだ流れであり、 日本からのベクトルとしては、 唐の属国から抜け出ようとする百済派の動きではないのか? それに失敗したのが、「白村江」であり、 その大陸・半島勢力図を、 属国であった日本国内の勢力図に写したのが、「壬申」ではなかったか? その結果が、 新羅は、唐を主宗国とする柵封国に入り、 倭は新羅の属国になった。 と言うより、唐が新羅を使って日本を統治したのです。 柵封国は、主宗国の年号と、漢字を用いるのが義務つけられる。 その証拠として、 栃木県那須にある「那須国造碑」とも呼ばれている物があります。 その碑文には、冒頭3行に漢字を用いた和文脈で 永昌元年(689年)とある。 それは、日本国の持統天皇3年にあたります。 「永昌」は、 唐の高宗の皇后、中国史上唯一の女帝である 後周則天武后の元号です。 我が国の天武天皇を経て、持統天皇3年において、 唐の元号が、大和から遠い栃木の那須で使われていた! と言う事です。 故に、以下のような仮説が成り立つ。 天武天皇の血統は、親新羅正統王族で、 本貫は新羅任那王家、王族の名は金官(カシ‐パラ)伽耶の 「金庾信」の系図が出自であり、 金官伽耶とういう国名は、駕洛国の新羅法興王の時代の名前です。 この王族の名前が、日本初代天皇神武が即位した宮を 『日本書記』で橿原宮(カシハラ)、 『古事記』可之波良(カシハラ)と言うのに通じる。 また、倭王朝と駕洛国の両国は、その通婚図が似ている。 女帝を平気で認めることなど 新羅任那王家と倭国王家は同じような傾向があって 天武天皇系の朝廷は、駕洛国系の国家であった。 日本(天武朝)の本貫は明らかに、 金管伽耶=加羅=駕洛国とも言う別名任那であると言う仮説が 成立する。 ●また、大化の改新が、 新羅の歴史『眦雲(ビドン)の乱』にそっくりである為に、 大化の改新は、創作である、という説があります。 ①日本 : 新羅の登場人物6人が同じような位置にいます。 皇極(後に、斎明) : 真徳(王が死去した後、善徳とした。) 斎明女帝 : 善徳女帝は同じように皇子たちに助けられた。 斉明女帝の死後、 天智(中大兄皇子)即位 : 真徳女帝の死後、金春秋(武列王)即位 斉明(皇極) : 金春秋(武列王)の治世期間654~661とぴったり重なる 中大兄皇子(日本) : 金春秋(新羅)は、それぞれ天皇・帝になり、 日本の「中臣鎌足」 : 新羅の「金庾信」は天皇の支えとして大活躍する。 ⑧ 4者の出会いもそっくりである。 ・「中臣鎌足」は、蹴鞠会で中大兄皇子に接近 = 「金庾信」は、金春秋と 自宅前で蹴鞠をした。 ・「金庾信」の系統の方々の系図をそれと悟られないように命名の際に記 したのだと思います。 ・「金庾信」は倭王朝の任那付近の同族なのです。 ・「金庾信」の父は、「金舒玄」 : 「中大兄皇子」の父は、「舒明天皇」 ・「金庾信」は、ひどんを誅殺して真徳・善徳女帝の下で、唐にならって律 令制度を導入し国を整える。 : 「中大兄皇子」は、皇極・斎明女帝の 下で、唐にならって律令制度を導入し国を整える。 中国語ネイティブスピーカーと、朝鮮語のネイティブスピーカーは、 彼らが知っている事を利用する事しかできないのですから、 おそらく、彼らは日本書紀を編纂する時に、 国から持ち出した新羅任那王家の歴史書を参考にしたに違いない。 聖徳太子、中臣鎌足、は言うに及ばず、 その当時の天皇の名前も例えば、 舒明、皇極・斉明=宝皇女、孝徳などは、 状況証拠からも新羅の王族の書き換えである、と言う説です。 天武天皇がまとめた「帝妃及び上古の諸事録」にも、 駕洛国の初代の王から「金庾信」家と 婚姻関係になった金春秋の記録まで載っている。 つまり天武朝は、 外見は、大和にいた天孫族として朝廷の正統派を装い、 本質は、唐を主宗国とする柵封国・新羅の属国である。 朝廷の中は、金管(カシパラ)伽耶=加羅で、駕洛国の手法を取り、 日本書紀や古事記を編纂していたのは、 大陸や半島に出自を持つ、中国語ネイティブスピーカーと、 朝鮮語のネイティブスピーカーの亡命貴族や官僚である。 天武天皇の出自の金官(カシパラ)伽耶と言えば、 新羅に併合された滅亡国であり、 百済とは敵対し戦闘も行った歴史もある。 と言う事は、天武朝を支えていた政府官僚は、敵対していた2つの派、 1.新羅から派遣をされた元金官伽耶=駕洛国派と、 2.白村江敗戦で母国を失って後、大唐が占領政策によって日本の朝廷 へ押し付けた、その時に階位を授かった亡命百済国派である。 学会の定説は、 新羅との関連は伏せられ、潤色であるとなっています。 しかし、大化の改新の詔で、 日本の律令制が導入されたとなっているのは、 大化の改新の諸政策は後世の潤色であることが判明しており、 この事は、史学会でも常識です。 もうひとつ、 日本書紀に、日本の初めての年号を「大化」であると創作している。 実際は使用されていなかった。 「大化」は、編者が、朝鮮語のネイティブスピーカーが、 同時期の新羅の元号「太和」から引っ張ってきたのだろう。 「大化」も「太和」も、韓国語の読み方は同じである。 日本の初めての年号は「大宝」701年である。 ●それらを含めて、書紀の改竄について考えてみますと、 「天武天皇から命じられて、 書紀を編纂をしたのは、藤原不比等の下に上記の2つの派の人達です。 編纂を始めた時期においては、新羅、唐寄りの記述が当然多い。 目的は、対外的には、唐に対して九州の倭王朝の否定。 いわゆる大和朝廷が列島の唯一の王朝であると言う宣言です。 今では、当たり前になった近畿王朝支配説です。 国内的には、天武天皇系に皇統の正当性を与える為。 国造り等の古くからの伝説(ユダヤが入って作った?)を利用をして、 この国の歴史として書き換えた。 『古事記』の神話に結実させたのではないか? 686年、しかし、天武天皇が崩御した後、 720年、日本書紀の完成までの34年間に、 藤原不比等や亡命百済貴族の末裔達が、 自分達の百済出自の保身の為に、 古くから親百済派による大和朝廷であったかのように 改変捏造していったのではないか? 新羅寄りから百済寄りへ傾いた記事が多くなる。 天武天皇朝を批判した外交記事などがあるのは、そう言った事からだろう。 ● 最後にもうひとつ、中臣鎌足に大織冠や藤原の姓が与えられた怪。 白村江の戦いで、百済派は壊滅し劣勢のなかで、 中臣鎌足に大織冠や藤原の姓が与えられることは考えられない。 中臣鎌足の存在自体が捏造であろうと言う説があり、 父親が大織冠と藤原の姓を賜ったとしたのは、 藤原不比等の出自に箔をつけるための創作ではないか? と言う説もある。 その程度の事は、不比等自らが日本書紀編纂の過程で、 いとも簡単に書ける事ではないのか? 何よりもまず、この頃、不比等は、最高権力者になっていたのだから... 白村江の戦いに、今の日中間の問題がそのまま見えるような気がしています。 白村江の戦いとは、どんなものだったのか? 唐は、白村江や、百済が欲しかったのではないでしょう。 おそらく百済の次は高句麗で、次に朝鮮半島全域、そして、 日本侵略を目的に入れていたと思われます。なぜか? 傀儡政権を樹立したかったのだと思います。 では、傀儡政権を作ってどうするつもりだったのでしょう。 全国いたるところに中国人が住んで、日本の絹を買っていました。 シルクロードを経て西域で売る絹です。 外貨獲得、経済の為です。 中国にとっては、日本の良質な絹が、無くてはならなかったのです。 今の中国の、アフリカなどへ資源を求めて外交をして行く姿に重なります。 それに引き換え、我が国は、 何の戦略もない外交は、大国のエゴに取っては、池に浮かぶ木の葉の ように翻弄をされるはずです。 唐は、倭国を占領をするまでもなく、 自らの手を煩わさないで、 日本国内を、滅亡百済国人を手先に使って、 唐の思いのままにしたようです! その方が、唐にとっても楽なこと、この上ないでしょう? 半島の敵や、かっての味方の国の人間を編者に迎え入れさせられて、 大唐に日本を認めさせる為の歴史書を、編纂した。 また、唐の律令を全面的に取り入れる事で、 戦後、国を作り変えた事です。 えっ! つい、60数年前、同じような記憶がありませんでしたか? 過去の歴史を書き換えられて、 国を新しく作り変える為に、 何を取り入れる事で民主化をさせられたのでしたっけ? 手に握らされたのは、何でしたっけ? だいたい、大国と戦争をして負ければ、こうなる。 こうさせられるのです。 あは! 白村江の後、日本の絹は唐を経て世界中へ広がりました。 60数年前、やはり、日本は経済で立ち直ったのでした。 大国は、単に戦争をするだけではない。 先の先を見越して、戦争をすると言うより、世界観を持っています。 拠り所にしている思想の普遍性に、最初から負けているのですね。 あらゆる展開のなかの一部に戦争を位置づけています。 単に向かってくる相手がいるから戦争をしているのではないのです。 ところが、日本は、窮して戦争をしてしまう。。 。 拠って立つ思想もなく、戦略もなく、 外交で攻められるから戦う? 食べていけないから侵略をした。。 。 餓鬼道で、戦争に入って行く訳ですから、 これでは、初めから、戦争をする前から負けなのです。 大国にとっては、兵器だけでなく、思想と言う武器もあります。 日本の多神教の神道よりも、 一神教の方が、分があったと言う事です。 そこのロジックの詳細な、 哲学的総括も、分析も、精査もしていない。 まだ、その時が、できる時が来ていないと言う事なのでしょうね。 そもそも、「白村江」を動乱として捉えていたか? そう捉えていたら、もっと、学べる事が多かったのではないか? 自国の歴史として、あらゆる事を、きっちり教えるべきですよ。 形だけのノッペラボウな建前の羅列と年代では、 過去の反省も、未来への戦略も生まれません。 当然、国を思う土壌も、国を守る覚悟も生まれないでしょう。 TDLの人造物のなかで感じる悦楽と同等の、 それくらいの程度の知識が残るだけです。 人間は、理性でどう認識するかで、行動が違って来ます。 それによって未来を決める事ができます。 さぁ、過去を、歴史を、どう認識するかです? 翻って、現在の天皇制を確立をして日本国誕生を果たしたのは、 実に、「白村江」後からです。 非常に重要なポイントだったと思います。 それが、たとえ、唐や、新羅の写しのような出発であったとしても、 万世一系でなくても、構わないのです。 桓武天皇以来の今に至る天皇制を維持し、 ここに、今の日本の姿があるのは間違いがありません。 その時から我々日本の先人の方々が歩んだ艱難辛苦は、 想像を絶します。 私達は、それらと、もうひとつは日本の運が良かった事へ、 心からの感謝をしなければいけませんね。 その苦難のありのままを知り、学ばなければ未来はないですね。 相変わらずの「井の中の蛙」のままでいる事は、 日本を、柵封で囲われた国、傀儡化した国家にさせるかもしれません。 リアルな国の攻防の歴史を知らずに、放っておく事は、 身近で起こりつつある危険の前兆を、前もって感じられない。 感受性が鈍磨になると言う事ですよ。 すばやく、正しく認識できないのです! そして、リアルな国防の意識を持てないのです。 正しい歴史認識が、本当に必要です。 いずれ日本も自らの武力で持って自衛するべきでしょう。 この世は、自立独立できない存在は、自然淘汰される掟です。 植物も動物も、国も、存在する理由が無くなれば、同じです。 その時、隣国の傀儡になるか、大国に吸収されてしまうのです。 革(あらた)むるべきは、現実感のない欺瞞的な歴史です。 自然は、いかに華美豪華であっても、欺瞞な生であれば滅ぼします。 自然は、いかに質実か、真実かを試して、その生を育みます。 日本の、この馬鹿さ加減を何とかしなければ... 今年も挑戦して行きたいと思います。 お正月気分も抜けてしまったかしら? あはは。 長い記事にお付き合いくださってありがとうございました。 おつかれさまでしたぁ~! 次回は、”女性の生き方・陰 ”について、 身近な内容のコメントにお返事をさせていただきます。 よき一週間をお過ごしくださいね。 おたのしみに... 参考文献 :記事の中で紹介をしたものは省く 「歴史とは何か」 岡田英弘著 中公新書 「皇室の真正系図と記紀神話」 「倭国の謎・知られざる古代日本国」相見英咲氏著 講談社選書メチエ 「日本の中のユダヤ文化」 久保有政著 「大和民族はユダヤ人だった」 Joseph Eidelberg著 「『三国史記』の原典的研究」 高 寛敏著 雄山閣出版 「倭の正体」 姜 吉云著(カンギルウン比較言語学) 参考資料 :『倭国、大和国とヘブライ王国』:『新説・日本の歴史』 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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あけましておめでとうございます。冬らしい、さむい日がつづいています。
澄み切った空、空気がきれいだからか、職場の屋上から遠くの山々がよく見えます。 富士山も見えますよ。 正しい現実を知らないでいると、感受性が鈍磨するという指摘はそのとおりだと思います。 昨年からマスコミが中国人や外国人による日本の不動産、とくに山林買収を伝えていますね。 とくに上海系の投資会社がおおいようです。 でも、それに対する日本の政府、国会議員はどう考えているのかしら?なにも伝わってきません。 日本人は平和ボケだとか、いろいろいわれるのですけれど、根本的な原因は歴史上の事実を知らなさ過ぎる、そこが問題なのですね。 きまりきった歴史の認識では良くない。疑問を追及するべきなのでしょう。 深淵な歴史の裂け目をのぞいたような目が覚めるような記事でした。 お風邪など引かないでお過ごしください。 いやぁ、おどろいた!さすがと言うか何と言うか、新年の気分が抜けていくようなドでかい大砲ー!音はしなかったけど。
今年は、生まれ変わって生きるのよ~あっははは。 そう掛け声をもらったね! 既成概念を払って往きましょう。 今年も、コメントをレギュラーで頑張ります。新年明けましておめでとうございます! =
格調の高い記事から今年は始められ、これからがどうなるのか期待されます。= 最近のメールの挨拶、ご存知ですか? あけおめでことよろ~なんだそうです!!!= 日本語の使い方も移り変わりが激しいですね。= 自由に移り変わる応用展開もいいのでしょうが、なにごとも原点を忘れてはもともこもありませんわね。= 認識の仕方が違えば、結果は違って当たり前、それを歴史から論じられることに脱帽です。= ことしも、飛躍の年になりますようにお祈りしております。= 一年間、よろしくお願いします!= No titleあけまして おめでとうございます。
長い記事だと知っていましたが、ここまで長いとは・・・。 眠たい目を擦りながら読ませていただきました。 確かに、白村江の戦いへの執念は、友好国、朝鮮半島の拠点というだけで、 そこまでやるの?尋常ではないのでは?と感じてはいませんでしたが、 いろいろな説があるのですね。 また日本の古代とイスラエルとの関係・・・興味深い内容でした。 今年も降り落とされないように追いかけたいと思いますので、 よろしくお願いいたします。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: あけましておめでとうございます。> 冬らしい、さむい日がつづいています。
> 澄み切った空、空気がきれいだからか、職場の屋上から遠くの山々がよく見えます。 > 富士山も見えますよ。 > > 正しい現実を知らないでいると、感受性が鈍磨するという指摘はそのとおりだと思います。 > 昨年からマスコミが中国人や外国人による日本の不動産、とくに山林買収を伝えていますね。 > とくに上海系の投資会社がおおいようです。 > でも、それに対する日本の政府、国会議員はどう考えているのかしら?なにも伝わってきません。 > 日本人は平和ボケだとか、いろいろいわれるのですけれど、根本的な原因は歴史上の事実を知らなさ過ぎる、そこが問題なのですね。 > きまりきった歴史の認識では良くない。疑問を追及するべきなのでしょう。 > 深淵な歴史の裂け目をのぞいたような目が覚めるような記事でした。 > お風邪など引かないでお過ごしください。 ★今年もよろしくお願いします! 北国の方は、雪で大変のようですが、東日本はずっと良いお天気が続いていますね。 そう!毎日、新聞の方には外国人が日本の山を買っているのが報道されています。どうするのでしょうか? 鈍感ですね~! 今年一年中、また、色んなことがあるわね。 さむさ厳しき折、十分お体に気をつけられてよき日をお過ごしくださいね。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: いやぁ、おどろいた!> さすがと言うか何と言うか、新年の気分が抜けていくようなドでかい大砲ー!音はしなかったけど。
> 今年は、生まれ変わって生きるのよ~あっははは。 > そう掛け声をもらったね! > 既成概念を払って往きましょう。 ★今年も宜しくお願いします! どデカイ大砲?あはは。長い大砲だったようで、、、最後までお読みくださって、、、感謝申し上げます。 生まれ変わって! 生きるのよ~。笑いが似てきました? (笑い) さぁ、新しい道を探して迷いながらも、前に進みたいと思います。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: 今年も、コメントをレギュラーで頑張ります。> 新年明けましておめでとうございます! =
> 格調の高い記事から今年は始められ、これからがどうなるのか期待されます。= > 最近のメールの挨拶、ご存知ですか? あけおめでことよろ~なんだそうです!!!= > 日本語の使い方も移り変わりが激しいですね。= > 自由に移り変わる応用展開もいいのでしょうが、なにごとも原点を忘れてはもともこもありませんわね。= > 認識の仕方が違えば、結果は違って当たり前、それを歴史から論じられることに脱帽です。= > ことしも、飛躍の年になりますようにお祈りしております。= > 一年間、よろしくお願いします!= ★今年も宜しくお願いします! あけおめでことよろ~ ですか~?あは。簡単で楽ですが、でも長いのを心を込めて言う所が大事ですね。 原点を忘れずに、自由に移り変わる。 そこを理解してくださっていたら、もう、大丈夫ですよ。 歴史は、大事です。私も大人になってからそう思うようになりました。 今年もいろいろあると思いますが、飛躍!ですね。 あはは。 いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: No title> あけまして おめでとうございます。
> > 長い記事だと知っていましたが、ここまで長いとは・・・。 > 眠たい目を擦りながら読ませていただきました。 > > 確かに、白村江の戦いへの執念は、友好国、朝鮮半島の拠点というだけで、 > そこまでやるの?尋常ではないのでは?と感じてはいませんでしたが、 > いろいろな説があるのですね。 > > また日本の古代とイスラエルとの関係・・・興味深い内容でした。 > > 今年も降り落とされないように追いかけたいと思いますので、 > よろしくお願いいたします。 ★今年も宜しくお願いします! 眠たい目を擦りながら、お読みいただいて申し訳ありません! (笑い) 本当は、古代に関しては、もっと書きたい事があるのですが、 あはは。 めったに書きませんし、この位が限度だろうと思って、それでもかなり、割愛したのです! 日本は、はっきりしない国です。yesとnoが、国として決まっていないのですね。 でも、ゆくゆくは、どうなろうと、 中国も、韓国も、実は兄弟の国なのだと言う事を、さらけ出していくしかないように思います。 ユダヤも、ね! その辺はまだ、分かりませんが、、、あは! いつもありがとう! 感謝☆cosmos Re: あけましておめでとうございます。鍵コメントさんへ
今年もよろしくお願いいたします。ありがとう! 感謝☆cosmos 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
No title記事のご紹介ありがとうございました。
拝読しました。 コメントいただいた、記事に書いたお返事に少し書き加えて、こちらにも。。。 やはり・・・って感じですよね。 日本書紀は、対外的つまり唐に日本が独立国であることを主張するための文書で、古事記は、国内の征服民に日本という国の成り立ちを説明するための「劇」の台本だという説を聞いたことがあり、かなり、面白くまた、あり得るな~と思いました。 (どこで、読んだのかが、分からないのですが・・・) 歴史は勝者の都合のよいように書かれている、というのは、そのとおりだと思います。 その前提で、いろいろと疑う必要があるのだと、思います。 日本がこれから、どのような道に進むかは、古代の検証も大切ですが、まずは、明治維新と戦後の検証でしょう。。。 日本の西欧化は明治維新から始まったわけですし、それも国家事業のように・・・。 その裏にある隠された意図をもっと読み取らなくてはいけないと思います。 それから、西洋諸国の大半の宗教であるキリスト教も、ベースには、大地信仰など物質文明に毒される前の古代信仰が、組み込まれています。 先住民を征服したは、いいけれど、彼らの信仰を完全に変えることはできず、キリスト教を布教する際に、先住民の信仰をどんどん取り入れた結果なのではないかと言われています。 たとえば、地中海沿岸では、マリア信仰が根強いです。 各地で、黒マリアが発見されたとして、祭られています。 ある意味、東洋的な感覚があるなぁ~と常々思っています。 私が住んでいる山の中の村もマリア信仰が強い地域なので、特にそう感じるのかもしれません。 マドリッドに住んでいたとき、子供達が通っていた学校も、マリア信仰系の学校でしたし・・・。 キリスト教は、一神教とはいっても、かなり、自由度が高いような気がします。 イスラム教も、前にイスラム教徒の方と話したときに、神を信仰するというよりは、真理を求める という、傾向にあるようなことをおっしゃっていました。 私は、現代は、宗教や民族、国などの枠を超えた、新しい世界の枠組みへの移行の時期だと 考えています。 そのために、日本人が果たす役割は大きいはずなのですが・・・現状を見ると、時々悲しくなって しまいます。 とはいっても、数年前までとは、徐々に変化してきているので、希望の光はつよくなってきている ので、その意味では、今後がとても楽しみなんです。 Re: No title> 記事のご紹介ありがとうございました。
> 拝読しました。 > ★あーやっぱり、ひろみさんの行動力はすごいですね! 長いのに、おつかれさま! あはは。 ありがとうございます。 > コメントいただいた、記事に書いたお返事に少し書き加えて、こちらにも。。。 > > やはり・・・って感じですよね。 > 日本書紀は、対外的つまり唐に日本が独立国であることを主張するための文書で、古事記は、国内の征服民に日本という国の成り立ちを説明するための「劇」の台本だという説を聞いたことがあり、かなり、面白くまた、あり得るな~と思いました。 > (どこで、読んだのかが、分からないのですが・・・) > > 歴史は勝者の都合のよいように書かれている、というのは、そのとおりだと思います。 > その前提で、いろいろと疑う必要があるのだと、思います。 > ★そう、今を生きる為に、今のリアルにつながっている事だから、必要ですね。 あやふやな歴史を受け入れて置くのは、大いなる欺瞞を認める事になります。 欺瞞は滅亡のコースを行く電車のチケットです。 このまま下り坂を下るのがいやなら、欺瞞と云う古着を脱ぐしかないわね。 内なる和を重んじる狭い島国根性が、足かせになっていますね。 それと万世一系と云う皇室の重みです。 > 日本がこれから、どのような道に進むかは、古代の検証も大切ですが、まずは、明治維新と戦後の検証でしょう。。。 > ★川の源流(古代)において、 国の正しい認識が欺瞞に満ちているねつ造だから=頭と背骨がないまま溺れて手と足で 泳ぐように生きて来たから------国の主体性を失ったまま、明治以来の川下で、 (意識を当てにならないモノとして無意識の領域にある真理を探究する東洋哲学より、 無意識から生れた現象でしかない意識を主体としていると云う幼稚さを持つキリスト教哲学、 を母体とする)近代合理主義を、おぉーありがたいと受け入れたのですよ。 未だに、近代合理主義の障害性に気が付いていないのですから、、、 あはは。 おそらく、 明治の元勲や知識人、福沢諭吉などは、意識下か、無意識下か、 そこまでの東洋と西洋の思想の違いを知らなかったから、西洋思想に飛びついて、 まったく東洋哲学を否定したのでしょう。 心から、西洋が勝れているとそう思ったようです。 クリスチャンに簡単に洗礼を受けて改宗をしています。 要は、宗教哲学のレベルではなくて、向う側の交渉相手に認めてもらいたいだけに キリスト教になって見せただけの要素もあります。 吉田茂など、当時の政治家は訪米した時に、数多くフリーメイスンに入会していますね。 それが、どうなのか? 深くは思慮する事もなく、ただ相手に認めてもらいたかった、 それはまるで、倭国が唐に認めさす為についた欺瞞性、 その欺瞞性を帯びた日本書紀の中の皮相的な努力? あはは。 と同じ臭いモノだったのではないかと思いますね。本質を知らない猿真似ですね。 島国根性は、やっぱり同じ過ちをするのですね! あはは。 それは、愚か。 無知です。 この知は、知識じゃないわよ。知識はあっただろうに智恵がなかったのね。 その結果が、民衆レベルで100年後、どう影響をするか本質を観る洞察眼がなかったのです。 思想や宗教に対して、あまりにも無知です。 しかし、福沢諭吉が捨てたかった東洋学と云うのも、分かるような気がします。 江戸末期の東洋智と云うのは、幕府の安泰の為に主知主義的朱子学オンリー、 幕藩体制を守る御用朱子学派、ただ一色に染められていたのですから。 主知主義的朱子学は、内部からの改革ができないのです。中国の清もそうね、 外圧から滅びるのです。 あーーあですね! > 日本の西欧化は明治維新から始まったわけですし、それも国家事業のように・・・。 > その裏にある隠された意図をもっと読み取らなくてはいけないと思います。 > ★そうですね。 でも、まだ関係者が生きているので無理のようです。 150年位では、、、 あはは。 過去にあった意図と云うより、 今、目の前にある近代合理主義を、一人一人が、きちんと批判できないとだめですね。 その為に、私はブログを書いているのですよ。 > それから、西洋諸国の大半の宗教であるキリスト教も、ベースには、大地信仰など物質文明に毒される前の古代信仰が、組み込まれています。 > 先住民を征服したは、いいけれど、彼らの信仰を完全に変えることはできず、キリスト教を布教する際に、先住民の信仰をどんどん取り入れた結果なのではないかと言われています。 > たとえば、地中海沿岸では、マリア信仰が根強いです。 > 各地で、黒マリアが発見されたとして、祭られています。 > ある意味、東洋的な感覚があるなぁ~と常々思っています。 > ★ここが大事なのですが、 東洋的、西洋的を区別するのに、次の点を踏まえないといけないのです。 西洋全体は、人間の意識=『陽』意識=感覚を発展させた文明です。 いわゆる人間の掴める範囲の世界です。 この場合、人間と云っても厳密には男です。 キリスト教自体も男性の意識が作り上げた宗教といっても良いでしょう。 だから、欧米は、父権社会です。 この辺りは、私のブログで繰り返し記事にしている処です。 意識が、天国といい、悪魔と言ってくれても、意識で 掴めませんね。 ほほっ。 だから、東洋は、その軸足を、完全に無意識層へ置いています。 無意識から、意識は生れて来ます。 この辺の処は、むずかしいでしょう? あはっは。 私のブログがムズカシイと読者に言われる所以ですわ! この辺は、http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-101.html から始まる無意識の不思議シリーズを、8までありますから、、、 ヒマを見つけて読んでください! ほほっ。 2だったか、意識の欺瞞性・中邑彌孫ですね。 人間の意識自体にある欺瞞性です。 この事を、どう処理するかと云うのが、近代合理主義を乗り越えるカギです。 > 私が住んでいる山の中の村もマリア信仰が強い地域なので、特にそう感じるのかもしれません。 > マドリッドに住んでいたとき、子供達が通っていた学校も、マリア信仰系の学校でしたし・・・。 > ★まず、本来、元キリスト教は、偶像崇拝を禁止しているのですよ。 イスラム教も偶像は禁止していますね。 キリストの絵姿、十字架さえも、崇拝してはいけないとなっている。 そして、キリスト教では、 イエス自身が、自分が神とは言っていないし、 自分の磔の十字架を本尊として拝めとは一切言っていないのですよ。 今のキリスト教が、どれだけ真実から離れているのか? 測りがたいわ、、、 さらに、父権社会である、男の意識が作った西洋の思潮の中で、 マリアがどう云う位置に置かれているか? これも、重要です。 これに関しては、 http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-227.html に書きました。 よろしければ、また読んでください。 > キリスト教は、一神教とはいっても、かなり、自由度が高いような気がします。 > イスラム教も、前にイスラム教徒の方と話したときに、神を信仰するというよりは、真理を求める > という、傾向にあるようなことをおっしゃっていました。 > > 私は、現代は、宗教や民族、国などの枠を超えた、新しい世界の枠組みへの移行の時期だと > 考えています。 > そのために、日本人が果たす役割は大きいはずなのですが・・・ ★そうであろうとは願っています。そうでなければならないわね! 移行すると云う事、観念的には解かりますが、物理的には困難を極めるでしょうね。 まず、アジアが一緒になるには、日本の天皇が障害になるはずです。中国や韓国ですね。 その時、天皇家をどうするのか? 日本にとって大事な事です。 まず、お互いの国の歴史観が邪魔になるでしょうから、、、 『天・時』=無意識しか、解決をする事はできないでしょうね。 200~300年経たないと世代の記憶から消えないと云う事もありますね。 >現状を見ると、時々悲しくなって > しまいます。 > とはいっても、数年前までとは、徐々に変化してきているので、希望の光はつよくなってきている > ので、その意味では、今後がとても楽しみなんです。 ★そうですね! 悲しいと云うより苦しいですね。 相当な免疫力(智慧)を持たないと悶死するかもですね? あっは。 苦に打ち勝っていく武器は智慧です。知恵でも智恵でもありません。 ほほ。 目の前にある光が、どう云う光かは、ご自分の智恵力で見極めるしかないのですが、、、、、 光りか? きつね火か? あはは。 実は、これらに関しては今まで何度も書いてきたのですが、 今度、記事にすると云うお約束をしております。 それを読んでくださいね。 ひろみさんのコメントと、此方のお返事が、コンタクトしたかどうか? すれ違いの部分もあると思いますが、今後それも解消していくと期待しています。 よろしくお願いします。 ありがとうございました! ![]() No titlecosmosさま
コメントのお返事なのに、まるで記事のように長文でいただいて、恐縮しております。。。 私の好き勝手な考えにお付き合いいただき、ありがとうございます。 もちろん、コンタクトしていると思います! というか、私が中途半端に書いたことを、きちんと纏め上げて他の方々が読んで分かりやすいように書いていただいて、さすが、cosmosさんと思いました。 日本に関して、まずは、大元から質さなければ、元も子もない、というのは、もちろん理解しています。 ただ、一般の方々には敷居がただ過ぎるので、分かりやすいというか、身近な近代から、過去にさかのぼっていくという手法もありなのでは。。。という気がしているんです。 もちろん、まだまだ、関係者が生きていらっしゃるので、難しいのは承知の上です。 一昨年だったか、白洲次郎氏のドラマ、昨年は吉田茂元首相のドラマがありましたよね。。。 あれで、戦後の検証が終わり、とするのではなく、始まりとなる、きっかけになるのでは、という気がしました。 あえて、この時期にする意味は・・・?!と考えたわけです。 また、明治維新前後の話も、大河ドラマで続けて、取り上げられていました。 主人公が違うので、視点が違ったので、面白い試みだと思いました。 某放送局も、一枚岩ではないので、大っぴらにはできないけれど、ドラマなどの中に、いろいろな議論の種をちりばめているような気がするのです。 先日から、BSで「火焔・北の英雄 アテルイ伝」が始まりました。 ヨーロッパの日本語衛星放送でやっていたので、早速見ました。 東北を舞台にしたこの時代のそれも先住民を主人公にしたドラマを、今という時期に放映するのは、すごい意義深いことだと思いました。 4回で終わり、といわず、大河ドラマでもやってほしいくらいです。 昨年でしたっけ・・・、沖縄を舞台にした、テンペストもやっていましたよね。。。 日本という国の成り立ちを考えるとき、大和政権ができる前、できてからも、大和政権の前にいた人々は、消えたわけではなく、征服され吸収されたわけです。 現代の私たちは、ほとんどの人が、混血によって、どちらのDNAも持っていると思います。 どちらの特徴が強くでるか、という、そういうことなんだと思っています。 ヨーロッパ、特に地中間沿岸の諸国にも同じようなことがいえます。 特に、スペインは、ユーラシア大陸の西の端っこの国ですから、日本と同じように人種の坩堝のような国です。 表面的な社会では、父権が強いのですが、内面的な個人生活では、母権のほうが強いのではないか、という印象を持っています。 日本のように、対外的には亭主関白、実情はかかぁ殿下という感じ。。。(笑) だから、スペインという国が居心地がいいのかもしれません。。。 スペインはいい意味で、産業革命に乗り遅れ、さらには、第2次世界大戦には参戦せずに内戦をやり、その後、鎖国のようなことをしていて、自由になったのが、1970年代なので、ヨーロッパの中でもちょっと、時代錯誤的な部分が残っている感はあるのですが、アングロ・サクソン系とは、一線を画した文化・伝統を今でも大切にしている良さがあるんです。 すみません。 話が日本からずれてしまいましたが・・・。 cosmosさんのブログにお邪魔するようになってからの記事は、全部拝見させていただいているのですが、過去記事は読みきれていないものがたくさんあり、コメントで同じようなことの繰り返しをお書きになるのも大変でしょうから、今回のように、過去記事のリンクを入れていただいたら、拝見させていただくチャンスになりますので、私としてはとてもうれしいです。 また、何度でも繰り返して記事にしたほうがよい内容なのであれば、記事にしていただいてさらに説明を加えていただければ、私以外の読者の方々にとっても、学びのチャンスとなると思いますので、cosmosさんが、よいと思われる方法をとっていただければ幸甚です。 今後もどうぞよろしくお願いいたします。 Re: No titlecosmosさま
> > コメントのお返事なのに、まるで記事のように長文でいただいて、恐縮しております。。。 > 私の好き勝手な考えにお付き合いいただき、ありがとうございます。 > > もちろん、コンタクトしていると思います! > というか、私が中途半端に書いたことを、きちんと纏め上げて他の方々が読んで分かりやすいように書いていただいて、さすが、cosmosさんと思いました。 > > 日本に関して、まずは、大元から質さなければ、元も子もない、というのは、もちろん理解しています。 > ただ、一般の方々には敷居がただ過ぎるので、分かりやすいというか、身近な近代から、過去にさかのぼっていくという手法もありなのでは。。。という気がしているんです。 > もちろん、まだまだ、関係者が生きていらっしゃるので、難しいのは承知の上です。 > > 一昨年だったか、白洲次郎氏のドラマ、昨年は吉田茂元首相のドラマがありましたよね。。。 > あれで、戦後の検証が終わり、とするのではなく、始まりとなる、きっかけになるのでは、という気がしました。 > あえて、この時期にする意味は・・・?!と考えたわけです。 > また、明治維新前後の話も、大河ドラマで続けて、取り上げられていました。 > 主人公が違うので、視点が違ったので、面白い試みだと思いました。 > 某放送局も、一枚岩ではないので、大っぴらにはできないけれど、ドラマなどの中に、いろいろな議論の種をちりばめているような気がするのです。 > > 先日から、BSで「火焔・北の英雄 アテルイ伝」が始まりました。 > ヨーロッパの日本語衛星放送でやっていたので、早速見ました。 > 東北を舞台にしたこの時代のそれも先住民を主人公にしたドラマを、今という時期に放映するのは、すごい意義深いことだと思いました。 > 4回で終わり、といわず、大河ドラマでもやってほしいくらいです。 > 昨年でしたっけ・・・、沖縄を舞台にした、テンペストもやっていましたよね。。。 > > 日本という国の成り立ちを考えるとき、大和政権ができる前、できてからも、大和政権の前にいた人々は、消えたわけではなく、征服され吸収されたわけです。 > 現代の私たちは、ほとんどの人が、混血によって、どちらのDNAも持っていると思います。 > どちらの特徴が強くでるか、という、そういうことなんだと思っています。 > > ヨーロッパ、特に地中間沿岸の諸国にも同じようなことがいえます。 > 特に、スペインは、ユーラシア大陸の西の端っこの国ですから、日本と同じように人種の坩堝のような国です。 > 表面的な社会では、父権が強いのですが、内面的な個人生活では、母権のほうが強いのではないか、という印象を持っています。 > 日本のように、対外的には亭主関白、実情はかかぁ殿下という感じ。。。(笑) > だから、スペインという国が居心地がいいのかもしれません。。。 > > スペインはいい意味で、産業革命に乗り遅れ、さらには、第2次世界大戦には参戦せずに内戦をやり、その後、鎖国のようなことをしていて、自由になったのが、1970年代なので、ヨーロッパの中でもちょっと、時代錯誤的な部分が残っている感はあるのですが、アングロ・サクソン系とは、一線を画した文化・伝統を今でも大切にしている良さがあるんです。 > > すみません。 > 話が日本からずれてしまいましたが・・・。 > > cosmosさんのブログにお邪魔するようになってからの記事は、全部拝見させていただいているのですが、過去記事は読みきれていないものがたくさんあり、コメントで同じようなことの繰り返しをお書きになるのも大変でしょうから、今回のように、過去記事のリンクを入れていただいたら、拝見させていただくチャンスになりますので、私としてはとてもうれしいです。 > また、何度でも繰り返して記事にしたほうがよい内容なのであれば、記事にしていただいてさらに説明を加えていただければ、私以外の読者の方々にとっても、学びのチャンスとなると思いますので、cosmosさんが、よいと思われる方法をとっていただければ幸甚です。 > 今後もどうぞよろしくお願いいたします。 ★お返事がおそくなり、ごめんなさいね! 毎日が、孫悟空のように、 あはは。 空を飛んでいるが如く忙しい。 明日から、一泊でまた、出かけます。 今晩、これを書かないと、とんでもなく遅くなってしまう! と思って取り急ぎ書きますね。 一番の気がかりは、この近代合理主義が、無意識の領域を捨てて現代を走っている事です。 それを、あまり知らないのね。 でも、 近代合理主義の哲学的な内容を知らない人も、 おそらく、この事をだれもが、現代の時空の中で、どこかで感じている。 -----どうしてかが分からないままね。 スピリチュアルなども、その間隙を埋める為に、そこここで利用されていますね。 分からないながらもそうせずにはいられないのでしょう。 それは、どうでもいいのですが、 危惧する事は、無意識に憧れながらも、-----憧れている間は、いいのですが、 それを分ったように思い込み始めた頃、分ったつもりになってから、-----ココが問題です。 自分の感覚=意識で、無意識を分ったと錯覚してしまう事です。 無意識が深い大海なら、意識は海面に湧き出す波にしか過ぎないのに、 波は、大海から生んでもらった立場でしょう。 しかも、波は≪陽≫ですから、忽ちに消える存在です。 そんな波に、大海が分る訳がないって! と云う事が分らないのね。 でも、自分の感覚で、深い大海が分ったと! 分る訳がない事を、分ったと、、、 そりゃ、意識にだってなにかが引っかかるでしょうが、藻屑とか海のゴミとか、 あはは。 無意識は、言語で表せないし、言葉などで伝えられない事なのですよ。 だから、記事を書くのがムズカシイと、毎回思っています。 なにやら、今、書いている事が、ひろみさんにお分りいただけるのかどうか自信がありませんが、 そのあたりが、とても問題だと思っています。 今度の記事には、この問題点を書こうかと思っています。 いつも、バイタリティ溢れるひろみさんに感心をしながら、ありがとう! ![]() はじめまして。眦雲の乱と大化の改新の関係性について調べていたら、こちらに辿りつきました。
とても興味深く読ませていただきました。そして勉強になりました。 いい記事を書いてくださって、ありがとうございます。 Re: はじめまして。 鍵コメントさんへ
> 眦雲の乱と大化の改新の関係性について調べていたら、 こちらに辿りつきました。 そうなのですか! 記事を書いていてよかったですわ。 その頃の時代に興味は尽きないですね、、、 記事をお読みいただきまして、 ありがとうございました! ![]() |