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    藤原不比等 / 天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学。その7

    Category : 運命学と歴史
    久高島の巨大渦潮



    沖縄、久高島の北約3キロの海上で直径約5.5キロの巨大な謎の渦を

    第11管区 海上保安本部が9月1日午前9時半ごろに発見。


    これが、ある意味、膨大な無意識のエネルギーの表出、のひとつの現象です。








    今日は、藤と橘のお話です。


    藤は、藤原氏。  橘は、橘(たちばな)氏。




    藤と、橘は、天皇に奉仕する集団の呼称である姓、「氏」です。

    もともと皇族でない臣下へ、天皇が下賜(臣下へ与える)された四つの姓

    の内の二つです。あとの二つは、平氏と源氏。 






    なんとなく、今日は”藤”だけで終わりそうな予感がします。(笑い)






    教科書的な藤原不比等は、面白くないでしょう? 



    中臣鎌足の一族はおそらく百済系の渡来人です。

    不比等は、中臣鎌足の次男です。




    鎌足の長男は、不思議な死に方をしています。

    それについては、また。





    「製鉄集団」、鉄器を製造する技術を大陸から持ち込んだ集団です。

    「中臣鎌子」や「鎌足」という名前からも、鉄と中臣の関係が,

    うかがわれます。




    砂鉄の産地であった常陸の国(今の茨城県)の

    鹿島出身の中臣氏と言う説があり、

    「製鉄に必要な火」の関係から「神と人の中を火で取り持つ者」

    「祭祀を司る者」としての中臣氏の役割が見えて来ます。






    例えば、京都の伏見稲荷神社を開いた「秦氏」などと同じ渡来人です。

    新羅系の帰化人である秦氏は絹織物の技に秀でていました。


    その秦氏が築いた朝廷での立場を

    「中臣氏」が横取りしたと考えられます。


    後の世、桓武天皇が長岡京に遷都を行いますが、

    その地は、秦氏が開拓していた山城国です。




    我々は、学校の教科書的歴史教育によって、

    「朝鮮半島からの渡来人が文字や宗教などを持ってきた」程度の

    認識を、日本人の一つの常識であるかのように

    受け容れて信じていますが、





    「古事記」、「日本書紀」には、

    それ以上の驚くべき真実が隠されています。





    たとえば、古事記の最初の方に、

    あの有名な伊邪那岐(イザナキ)命と、伊邪那美(イザナミ)命の

    結婚の話があります。


    二人で柱のまわりを反対側から廻って、出会ったところで

    イザナキ(男の神様)の方から先に、イザナミ(女の神様)に向かって

    【変体漢文・日本語】で『鞅奈珥夜(アナニヤ)』と言って

    二人は夫婦になった。 とあります。


    日本書記では、

    【正格漢文唐代北方音・語】で『妍哉乎(あなにや)』です。  


    誰も、意味は、さっぱり解りませんから、  あはは。

    普通の口語訳は、「ああ、なんていい女なんだ」 と、 (プーっ)


    あはは~! 訳されていたりする処です。    

    (なんか~いい加減ですね~!)

     


    おそらく、誰だって日本語ではない感覚を感じるでしょう? 


    これを見たユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグ氏が、

    「イザナミとイザナギの結婚は、

    古代イスラエルから今のユダヤ人も行っている結婚式の伝統である。

    立っている花婿を天的な柱に見立てて、

    花嫁が花婿のまわりを廻って

    「アナ・ニーサ」(Ana-nisa)と言う習慣がある。



    この古事記の「アナニヤ」は、

    もしヘブル・アラム語が変形したものなら、

    「私は結婚する」の意味なのである。」と指摘しています。



    この事から、記紀の編纂された飛鳥時代には、

    ユダヤの習慣が伝わっていた事が、わかります。


    もうひとつ、陶棺という陶器でできた棺おけが、

    岡山県の久米郡に限ってたくさん出土しています。

    倉敷考古館長の間壁忠彦・葭子夫人共著の

     『吉備古代史の未知を解く』に

    「焼き物の棺は、その7~8割に当るものが、岡山県下で発見され

    しかも、県下発見例の中の7割以上が、吉備の中でも美作となる地域

    に集中していることは、あまりにも異常な事なのである。」と述べておら

    れるように、久米町の糘山遺跡や佐良山に多いのが判ります。

     
    たくさん出土した中の一つが国立上野博物館に納められています。

    棺桶の側面に一人の人物が刻まれています。

    問題はその人物が両手で触っている羊です。

    羊は神の使いですが、

    その刻まれている尾の先が太くなっているそうです。

    この羊のことを寒羊といい、中国でも見つかっています。

    ユダヤ人が中国を通って、美作まで連れてきた証拠だと、

    田村誠一氏は著書で述べています。

    川瀬勇氏は、著書「日本民族秘史」の中で、

    この寒羊はイスラエルが原産であり、この羊の毛で作ったフェルトが

    正倉院の御物の中にあると述べています。


    田村誠一氏によると、

    朝鮮の北のほうからやって来たスサノオ、

    月氏国からきたツキヨミ、中山王国から来たイザナギとイザナミ、

    呉の国から来た天照大神らとなります。



    興味深いですね!


    古代の日本には、

    中国人も、朝鮮半島の人も、ユダヤ人もたくさんやって来ていました。





    ある意味で、飛鳥は、オリエント都市、「アスカ」だったのです。


    古代も今も同じです。


    人は、生きていく為に、皆が欲しがる物を求めて日本へ来ます。


    国が滅びた時は、生き延びる為に、逃げて来ました。


    今より、国境も定めが弱く、出入国管理事務所もない!  あはは。 


    出入り自由です。


    倭国の『絹』を求めて、来たのでしょう。

    世界相場で日本の『絹』は金よりも高かったらしい。

    絹と交換の為に、いろいろな物が持ち込まれました。

    金より絹の方が運びやすいのです。

    その絹を、天皇家側と、日本に住んでいた中国人が取り合いました。



    毎年、正倉院展で見る御物を、

    『わが国の文化』という表現をする事に、非常に抵抗を感じている。

    と先のブログに書きました。


    展示されている御物は、本当に、この時代の日本人が作ったの? 

    いぶかしく思いながらいつも帰って来ます。大いなる疑問でした。


    だって、現在の技術で造ろうと思っても難しいのではないか? 


    そして教科書で習ったように、いくら交易のおかげと言いながら、

    それだけの物を手に入れる為の物々交換の文物が、

    当時の日本にあったのか? 






    正倉院には9000点以上の聖武天皇が使ったと言われる物が

    納められている、そうですが、


    そう、実は、正倉院御物のほとんどは、外国産だったのです。


    ご存知でしたか?


    由水常雄氏の『正倉院の謎』(中央公論社)によると、

    7~8世紀の御物は、150点ほどしかないと指摘しています。 



    非常に納得をし、腑に落ちた経験があります。

    学会は、これらを完全に無視をしています。

    今更、訂正をしたら困る方が、大勢いらっしゃるのでしょう。





    日本の歴史はすべて天皇家の血の争いによったものであって、

    皇族間の皇位の奪い合いと云う日本史が正しい事になっていますが、



    天皇の身内間と云う後から作った虚構を作り上げて、

    実は、さまざまな渡来人同士の権力の奪い合いが隠されている。

    東アジアを巻き込むもっと広い権力闘争が繰り広げられたのです。



    日本を巡る近隣国家との外交を見れば、今の世も同じです。



    日本人の癖は、本音と建前を使い分けて、

    真実を覆い隠して、奇麗事で済ますと言う点ですが、

    『なにでも奇麗事で済ます日本』の大元は、歴史からかもしれません。 



    歴史があまりにも奇麗事で済まされています。




    自国の歴史を、奇麗事で済ます国が、

    自国の安全保障を、本気で考えられる訳がないのです。





    藤原の姓も、鎌足からという事になっていますが、


    663年に白村江の戦いがあって、


    わが国は、反曽我、百済派の鎌足と中大兄皇子、斎明天皇以下、

    大海人皇子までが九州まで行って百済への急援軍を指揮をしています。

    そして負けています。

     


    斎明天皇が中大兄皇子、大海人皇子の母親という歴史の教科書的建前

    を受け入れてみても不思議なのは、

    女性天皇が自らと我が子、それも大事な跡継ぎを2人も連れて

    九州まで行くでしょうか? 

    百済の為にどうしてそこまでするのか? 

    戦果のはかばかしくない結果、九州で立ち往生をし、

    命からがら帰朝をしてしまうまで百済の為に援軍を出した理由は、

    何の為なのでしょうか? 

    全く、この動機が、教科書的歴史では説明がなされていません。


    この行動は当時の朝廷の一丸となった政策ではなく、

    朝廷の百済派の暴走と受け止められていた雰囲気の中で、

    中大兄皇子は九州から逃れる様に近江へ行き、ようやく即位をします。


    そういう政治情勢の中で、中臣鎌足は藤原を名乗れなかったでしょう。

    唐・新羅連合国に敗れた倭国の親百済派は失脚をしたわけです。





    天武朝(新羅国の傀儡政権)がやまと国を奪取し、天皇制度を確立、

    初めて天皇と名乗ります。

    こうしてしばらくの間、半世紀は、

    親新羅勢力による日本建国が行われました。




    藤原を名乗ったのは、持統天皇の庇護の下の不比等からでしょう。 




    こういう政治的な日本史を書き出したら、きりがないですね。(笑い)



    政治的、文化的に歴史を見る事は、意識の上からの理解です。

    意識が作り上げるものは、都合よく嘘が言えます。

    意識というものは、『陽』である限りその範疇から逃れられません。


    ウソをコテコテに塗ったくるのが、『陽』の本質です。


    世の中の政治が、そうです。

    経済さま様も、その通りでございます。  あはは。





    しかし、


    運命学的な見方とは、

    クルクル変わる現実の奥にある無意識の世界を観る事です。

    人為で操作ができないゾーンなのですよ~ 

    恐るべき、尊ぶべきゾーンです。

    私も、そこまでしか分かりません。  


    つまり、ウソを付きたくてもつけない。

    付こうとしたらいけないのです。







    では、本筋へ、 前置きが長くなりましたが~~、(笑い)


    物部、蘇我、中臣氏などが、ルーツは朝鮮だったかも知れないが、

    日本の豪族として根を張り、彼らが倭人国家の形成をした者です。





    そういう激動の飛鳥時代に、藤原不比等が出て来ます。



    まず、言える事は、前置きに書きました

    朝鮮半島の皇族の力を利用しないと倭国を治められなかった現実、

    この倭国以来の歴史を分かっていたのが蘇我氏であり、

    だから天皇を傀儡にしたのです。

    その傀儡ともいえる現実の天皇の流れを、すべて隠蔽して、

    あたかも一つの流れのように作り上げた人物こそが、

    天武天皇の正妃、皇后であった持統天皇です。




    その持統天皇に見出されて、その能力を買われ、

    天武、持統天皇系流の我が天孫、皇孫の正統性を確立し、

    後世の為に残すと歴史をねつ造する事を託された人物こそが、

    『古事記』、『日本書紀』の編纂に深く携わった人物、

    藤原不比等であろうと思っています。


    そこまで、天皇家の裏の裏まで知った不比等が、

    天皇家に迫る権力を実現するのは、楽なゲームだったでしょうね。







    前回、

    聖武天皇は、いろいろな理由で政務をしなかったと書きました。

    元々の役割は、祭祀者であり、実際の政務は豪族が行っていました。、

    そのように直接天皇が政務をしないこともあったのです。

    そういう場合は、


    政権は、天皇の血縁関係、皇族、王族に限られていました。

    いわゆる皇親政治です。


    皇族ではない藤原不比等は、持統天皇にいくら重用されたとしても、

    政権は担当する事はできませんでした。






    それで、


    なんとか


    政治権力を握る為に天皇家と姻戚関係を持とうと、

    天皇の周りの豪族は、自分の娘を天皇が関係する女性にしようと

    やっきに

    なったわけです。





    藤原の全盛時代を築いた藤原不比等は、

    659年、父・鎌足が中大兄皇子と為した大化の改新の14年後に誕生、

    10歳で父を亡くし、3年後の壬申の乱では負けた近江朝廷側とされ、

    一人、山科の田舎へ預けられ静かに目立たぬように潜んでいました。

    もしか、

    父・鎌足が生きており、壬申の乱の勝者、天武天皇側だったなら、

    朝廷の重臣の御曹司として恵まれたスタートをしたはずです。



    しかし、まさに、老子58章「禍福倚伏」の通りです。


    彼が青年期に至るまで田舎にかくまわれ、政治的に排除され


    不遇だった事が、非常にラッキーだったのです。



    なぜラッキーか?



    若い頃の苦労は買ってでもと謂いますが、その苦労が、まるで只!

    で手に入った訳ですから。    ほほっ。  

    『天』の配慮、 『時』の仕掛け、  ”運 ” の力の物凄さです。


    そう! 父親を失って、最上の成長期をすごしている事です。


    そして、権力の渦の完全な外側に居た事です。




    その間に、他者から使役された我慢ではなく、

    自然に対する辛抱を覚え、忍耐が身についたはずです。


    虚飾や虚言のない逆境の中で、身に着けたものを持って、

    (これが陰です。) 都に戻ったら、どうだったでしょうか?


    恵まれた中で、誉められ、甘言に馴れている同年代の貴族や豪族の

    御曹司たちが、不比等の目にどう映ったか?




    不比等が、『陽』である人間の造作の世界に入って行って、

    頭角を現すのは当然でした。

    田舎に付して隠れていた時の『陰』の蓄積があったからです。

    おそらくですが、持統天皇にいくら寵愛されても、

    調子には乗らなかったはずです。

    努力も、時を待つ辛抱も、惜しまなかったはずです。

    なにより、その後得た自らの地位を失うような行動はしなかった。

    親の力で与えられた地位ではなく、

    自ら這い上がって手にしたものだからです。 


    そして、おそらく藤原という血縁に、生まれた事を感謝したはずです。

    なぜなら、田舎から戻る場所を与えたのは、藤原という家だからです。


    持統朝でやっと、31歳で判事に昇ります。






    これが、運命というものです。


    運命という力が、ここまでの人を生み、育てるのです。 


    果たせなかった父親の執念も強かったはず、


    それらの無意識の陰徳が、彼を上へと押し上げて行ったのです。


    田舎の山河が、彼の揺りかごとなり、心身を守ったのです。


    価値は、無意識にこそ存在します。 




    決して、目や耳で意識できる母親の言葉や、

    偉大な先生がいたからでは、ありません。


    そういう『陽』の営みの存在は、

    その人の運命(無意識なる陰徳)が、『天』たる『時』を選び、

    必要な環境を引き起こすだけに過ぎません。 



    父親がいない方が運が開ける。そういう運の人もおります。

    子供は、誰もが理想的な環境で、力を出すのではありません。

    誰からも援助を受けない方が、伸びて行く運もあるのでます。 






    ちょうど、ここまで書いて、気が付いたのは、




    今の中国で、2年後の2012年秋、第18回党大会で


    党総書記に選出されることが確実視されている習近平・国家副主席


    の生い立ちによく似ています。




    習近平・国家副主席は、

    新中国建国に大きな功績を残した元副首相、習仲勲氏の息子です。


    それだけを聞くと、

    あ、アッソウさんや鳩ぽっぽとおんなじ御曹司?と思いきや、


    父親が権力闘争に巻き込まれて文化大革命で失脚した為に、

    彼が10代、一家は離散し、習氏も農村送りになります。


    当然、親から離れて一人でです。


    「下放」された田舎で、自分で崖をくり貫き竪穴式住居を作って住み、

    井戸掘りなどの重労働をしながら、

    夜は、ランプの光で本を読んだそうです。

    勤勉な働きぶりで村人に信用を得て入党を認められ、

    20歳で村の共産党支部の書記になる。



    習氏は、田舎で困難に打ち勝つ根性を得た。と述懐しているそうです。




    非常に、不比等と似ていませんか?


    生まれと育ち、権力の移行による社会からの切り捨て、

    親の失脚、 家族と離れた不遇時代。

    成人するまでの自然の中における育み、普通にはない苦労。


    彼らの揺籃期において、


    両親の助けは、不思議に受けていないのです!




    意識世界においては、ある意味、ゼロからの出発に見えますが、


    無意識の世界においては、豊穣な陰徳に守られていたのです。




    それが、見えますか?


    見えない? そうでしょうね~   あは!


    あなたに、それが見えるようになってほしいので、


    このブログを書いている訳です。





    本筋に戻ります。


    習氏は、お世辞にもハンサムではない(オ~、ソーリー!)のですが、

    女性にうまくアタックする所も、不比等と似ています。 あはは。


    彼の奥方は、国民的歌手の彭麗媛、大スターですし、

    「尊敬している」と言って、約半年でスピード婚だそうで、

    ゴシップでは、元愛人とされるテレビキャスター・夢雪もやはり

    美女なのだそうです~。


    これは、習氏が単身赴任の時期に起こった事で、発覚した時、 

    奥方の方から、「私が仕事を止めて、貴方の傍にいるから」と言って、

    おさまったとか。  賢い奥方をお持ちのようですワ! (笑い)



    いろ男、金も女も、ありにけり~、ですか。 (笑い)




    ついでに、申し上げますと、 (笑い)


    ここが、子供を育てる大事なポイントですよ!

    可愛い吾が子は、シュガーハウス(甘い家)や

    ハニーホーム(蜜の家)で育ててはいけません!  

    父親の失脚などで田舎へ預けられるのが良い運です? あはは。 




    ちょっと、これは衝撃かもしれませんが、



    それと、もうひとつ、大事な事を。


    少・青年期に母親と遠ざかるという事も、重要なことです。



    これに関しては、また記事にする機会があるかと思いますが、

    母親と甘えた関係になる事は、人間という生物にとって、


    害こそあって利は何もないからです。


    命と言うものは、一が単位、それで充足されているものだからです。





    藤原不比等も魅力があったのでしょう。
     

    たくさんの妻と子供がいたようです。

    不比等の時に、まず蘇我系の女性たちとの間に四人の息子を作り、

    藤原氏の基礎を作ったと言えます。




    天智天皇の近江朝廷から、 天武天皇の飛鳥へ、 そして平城へ、 


    それから平安へと、


    権力の中心で確たる磐石な体制を築いていったわけです。






    こういう不比等が、どうして?

    縣犬養連(あがたのいぬかいのむらじ)美千代に出会ったのか?




    古代における最強カップルといえば、★天武天皇と持統天皇★です。



    しかし、橘三千代と藤原不比等もそれに劣らぬ ☆最、☆最強! 


    カップル、凄まじいまでの御夫婦ですね。  (笑い)


      




    次回は、美千代。


    これだけの不比等に嫁しながら奥方としては納まらず、

    男性顔負けの活躍で最高地位に上り詰め、

    娘を皇后にまでした女傑です。


    彼女は、3代先が無くなる為に、努力をした訳ではないのでしょうが、


    結果、彼女の孫の代で、最後の大仕掛けの大花火が消えていきます。


    人は、自分の孫の代で、自分の因果が見えるようになると言います。


    わが身が栄える事だけに囚われていてはだめなのですよ。


    あなたの3代先に、あなたがどうだったのか? 



    その答えが出るようです。




    自分の為の欲望を満たす努力というものは、

    このようにはかないものなのです。




    、、、、、。





    よき日をおすごしください。





















    参考文献:由水常雄著  『正倉院の謎』  中央公論社

         『常陸風土記の史的概観』  河野辰男・著

    参考: 井上友幸氏による新説・日本の歴史


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    Comment

    No title

    渡来人、『古事記』・『日本書紀』、ユダヤ人、正倉院、白村江の戦い、中国・国家副主席。

    話題の豊富さに、久高島近海で発生した渦の中をグルグル回っているようですが、
    視野の広さ、見識の深さ・・・とても勉強になります。

    こんばんは!

    ぼぉ~として夢中になって3回、読んでしまっていました、、、。=
    頭のなかで古代と今との時がごちゃごちゃに溶けてしまったようで、=
       ?    ?    ?    ?    ?
    cosmosワールドのふしぎのアリスみたい? (わらい)=
    子供にとって、親が必要条件ではないという事が一番の衝撃でした。=
    なにか、明日から一歩一歩考えながら生きるのが楽しくなりそう! 次の美千代も楽しみにしています!=

    No title

    建前と本音を使い分ける日本人のルーツが、歴史の改ざんとは、鋭いご指摘です。
    何事も真実を知ろうとしなければ、正しい未来は描けないはずですから、
    安全保障といわずに、何事によらず展望はないはずなんですね。
    国自体の歴史の認識を正さなければ、前に進めない所まで来ているようなきがします。
    こんなこともあるんだぁ~、いろんなことをいろいろお勉強をいたしました。ありがとうございました!

    夜回り

    今日は日曜日、いや~もう!月ようだよ。
    休みがなく、昨日もいい天気、汗もかかず寒くもなく、
    コsモsさんは、最近微妙に静かだ。
    歴史のおさらいを?そうですかぁ?
    目からウロコ、いやいや全身からウロコがボロボロ、これから掃除、そ~じ。

    No title

    長い御無沙汰でございました。
    実家の三重の方へ行っておりまして、奈良は留守にしていました。
    三重の方も肌寒くなってきまして、なばなの里などもイルミネイションが付けられていました。
    留守中、庭の花は、そっと冬支度をしていたらしく、さびしい感じになっています。
    もっと寒くなりましたら、いろんな花が咲いてくれるのでしょうが、
    今は、名残惜しいバラだけが元気です。
    話題が、飛鳥、一度おいでになってください。

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    Re: No title

    > 渡来人、『古事記』・『日本書紀』、ユダヤ人、正倉院、白村江の戦い、中国・国家副主席。
    >
    > 話題の豊富さに、久高島近海で発生した渦の中をグルグル回っているようですが、
    > 視野の広さ、見識の深さ・・・とても勉強になります。


    ☆じつは私の無意識が、ポコッ、ポコッ、と、「あれも、これも!」って、湧き出すように、
    いろんな事を意識上へ出して来ます。とうに忘れていた事まで。。。。。
      
    楽屋裏では、私の意識がそれらを削除するのが大変な仕事なの! (笑い)
    ま、いろんな切り口がある方が、きっかけがたくさんあっていいだろうな、と、思って
    無意識の言う事をすなおに訊いて書いています。  あはは。
    また、どんなご感想でも、お寄せになってくださいね~。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: こんばんは!

    > ぼぉ~として夢中になって3回、読んでしまっていました、、、。=
    > 頭のなかで古代と今との時がごちゃごちゃに溶けてしまったようで、=
    >    ?    ?    ?    ?    ?
    > cosmosワールドのふしぎのアリスみたい? (わらい)=
    > 子供にとって、親が必要条件ではないという事が一番の衝撃でした。=
    > なにか、明日から一歩一歩考えながら生きるのが楽しくなりそう! 次の美千代も楽しみにしています!=


    ☆ うわぉ~!ですね。 あはは。
    なんだか楽しい結果になられて良かったです。
    何事も、目の前の現象に惑わされないで、~~しなければなんて捨てて良いのです。
    自分の中から、本当の自分の価値のようなものを捜してください。真剣に!
    女性は、それが得意のはずですから、ね。
    いつもありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 建前と本音を使い分ける日本人のルーツが、歴史の改ざんとは、鋭いご指摘です。
    > 何事も真実を知ろうとしなければ、正しい未来は描けないはずですから、
    > 安全保障といわずに、何事によらず展望はないはずなんですね。
    > 国自体の歴史の認識を正さなければ、前に進めない所まで来ているようなきがします。
    > こんなこともあるんだぁ~、いろんなことをいろいろお勉強をいたしました。ありがとうございました!


    ★そう、日本は地理的に島国だからだなんて、勝手な受け取り方をしていますが、
    事実は、小説より奇なり。ですね~
    勘のいいnatyururuさんは、すぐご理解をしてくださったようで喜んでおります。
    お仕事、冬場は大変ですね。がんばってくださいませ~。
    いつも ありがとう! 感謝☆cosmos

    Re: 夜回り

    > 今日は日曜日、いや~もう!月ようだよ。
    > 休みがなく、昨日もいい天気、汗もかかず寒くもなく、
    > コsモsさんは、最近微妙に静かだ。
    > 歴史のおさらいを?そうですかぁ?
    > 目からウロコ、いやいや全身からウロコがボロボロ、これから掃除、そ~じ。


    ★ようこそ~~!! 夜回りお疲れ様です!
    そう!歴史のおさらいを、あはは。
    静かでしょう? あはは。 その内、大きな音を立ててご迷惑をお掛けするかもしれませんが、、、。
    うろこ? あは! 想像をしました。 そうじ、一枚一枚を手で拾われたのですか?
    それとも、掃除機で? 
    私が思いますのには、一枚のうろこがお皿ほどもあるような、そんな気がしましたよ。

    いつも ありがとう!  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 長い御無沙汰でございました。
    > 実家の三重の方へ行っておりまして、奈良は留守にしていました。
    > 三重の方も肌寒くなってきまして、なばなの里などもイルミネイションが付けられていました。
    > 留守中、庭の花は、そっと冬支度をしていたらしく、さびしい感じになっています。
    > もっと寒くなりましたら、いろんな花が咲いてくれるのでしょうが、
    > 今は、名残惜しいバラだけが元気です。
    > 話題が、飛鳥、一度おいでになってください。


    ★そうですか?なばなの里、菜の花がいっぱい咲くからかしら?
    イルミネイション、そう、もうそういう季節なのですね。
    ご実家で、ゆっくりなさってよろしゅうございました。
    また、お邪魔します! 飛鳥、ああ、行きたいです。いつもそう思っています。
    来年の春は、吉野へ行きたいと思っています。桜です。飛鳥も、ゆっくり行きたいですね~。
    おかえりまもなくお疲れの所、ありがとう! 感謝☆cosmos
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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