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    カントの純粋理性批判を 理性の取説におすすめします (コメントへのお返事)

    Category : 運命学と科学
    山中湖畔の柵、降りつづく雪。









    柵の中の山中湖、昨年の夏に見た 白鳥たち。




    山中湖から川を遡って、橋から見た雪景色。 どこが川なの?







    携帯カメラは、カラーのはずですが、

    撮れた世界は、モノクロの世界でした。


    この雪の中を、装備をして2時間近く歩きました。

    自然の季節感の息吹の中にいつも居たいと云う欲求です。

    降り続く雪を浴びながら気持ちのいい清涼感があって

    火照った顔に降り落ちる雪、まったく寒さは感じませんでした。


    今日、都会に帰って来てからが、寒いのです!





    年は、改まりまして、はや、もう一月は行ってしまう――。

    でも、まだまだ昨年からの宿題を抱えております。    あは。


    いただいたコメントやご質問へ、すべてお返事をお返ししておりません。

    まだ気になりながら記事にしていないものが多くあります。

    それで、今年の前半は、

    それらのお返事を記事にしていこうと思っています。




    今日は、運命学と科学 のカテゴリーの記事になります。



    まず、最新のコメントから、

    前の呂氏春秋の記事にいただいた拍手コメントへのお返事です。




    全くその通りでコメントの余地なしですが

    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。

    岸田秀などは人間は本能が壊れた動物だと言っていますが、

    そうだとしてもこわれた理由まではわかりません。

    人間とは実に不思議な動物です。





    短いコメントですが、

    大変な内容があるのですねーー


    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。



    ここですね?





    あ、その前に、

    岸田秀などは人間は本能が壊れた動物だと言っていますが、


    ここを片づけましょう!    ほほっ。


    理性を標榜する方と云うのは、こうも、ああも、

    解ったように分からないままの言葉をおっしゃるものですねー。 ほ。


    理性そのものは、自分と云う人間も掴み切れていないのに、

    本能が壊れた? 動物?だ。 と?

    そもそも、本能が壊れるとは? なにですか?

    本能は壊れるはずはなくて、認識する主体がおかしいのよ。 あはは。




    理性的であれば、それが正論?のように思ってる?   あはは。


    イヤー、理性って何ですか?

    人間の認識能力のうち、理性と感性に分ける?

    そもそもそれが、可笑しいのよ―    あはは。


    人の精神に、真ん中に線が引かれて、

    ここからが理性、ここからが感性と分かれている訳ではないし、

    たかが、人が作った便宜上の括りでしょう?

    じゃぁ、要は、理性、感性なんて方便じゃないですか?

    方便と云うのは、一時の仮の方法、真実が現れるまでの『偽』です。




    仏経の権教(ごんきょう)と同じです。

    権教=真実の教えが説かれるまでの仮の教え




    いつまで、人の心を説明する便宜上で分割して、

    この『偽ニセ』ものの用語を使っているのでしょうか?





     
    感覚を通して「目に見えるもの」を色、大きさ、重さ、形と、分析し、評価し、

    吟味するのが「理性」と言うのですが、

    これこそが、「科学的精神」の最たるものらしいです。


    色や大きさや重さや、分析で、評価で

    科学で、人が、本能が、分かると思うなかれ! と申し上げたい―。



    そもそも、理性ごときで、

    人間たるもの、人間の本能など掴み切れると思うのがマチガイです。

    人間の五感で、その主である人や本能が分析できるなんて、うそよ!

    主の付属器官で、主をとらまえる事ができると、本当に思っているの?



    カントが、彼の純粋理性批判で言っているのは、この事です。


    ヨーロッパに勃興してきたルネッサンス以後の

    この「科学的精神」が、

    あまりにも行き過ぎであると、 

    感覚で捉える「目に見えるもの」だけを評価しがちになっていると、

    経験主義、理性偏重主義に警鐘をならしています。


    カントの純粋理性批判は、

    理性の「 取り扱い説明書 」として我々も役立てるべきだと思います。

    間抜けな理性崇拝信仰者を目覚めさせる為にも、、、です。






    まったく西洋哲学と云うのは、

    純粋理性だ、感性だ、いいや悟性だ、イヤ一番は知性だ、

    とか云うのは、人間の精神を、あちこちから切り刻んで、

    言葉のジグソーを作っているのか? と言いたくなります。


    純粋理性なんてありえないし、

    純粋な主観とか客観と云う言葉もそう、

    どうして、こう云う用語を使い続けるのかと言いたい。

    西洋式認識は、東洋と比べると子供のおもちゃです。


    東洋には、そう云う曖昧な語はない!


    西洋のそれは、どこから来るかと云うと、

    そもそもキリスト自身が、キチンと世界を説き切っていないからだと、

    その哲学教理を弟子たちに、遺さなかったからです。

    でも、仕方ありませんわ―。

    彼は、神のつもりではなかったのでしょう。

    責めては、お気の毒です。    ほ。




    だから、

    キリストの民は、それらの神の不足を補おうと、、、必死に、

    人間の感覚で、理性、感性、悟性、知性とジグソーピースを

    いじらしい位に、作為し続けて来たのだと思うわ。


    キリストの民は、意識の拡張と喧伝に明け暮れて来たのです。




    ここまで書いたのですから、

    ついでに、科学について少し書いてみようと思います。



    厳密に言えば、「科学的に物を観測する」 と云った処で、

    実験、観察においてですら、

    その観察しているのは、物自体そのものではなく、

    物自体からの光の反射という現象を捉えているだけでしょう?

    それすら、

    常に光源としての8分遅れの太陽光のおかげなのです!

    過去の太陽光で、現在の現象を感覚器官で捉えるしかないのです。


    これが、無意識からの智慧の仕組みだと、気が付かないで、です。 




    もう、 わらうしかないのでしょうか、、、?




    我々が、科学で観察すると云う事は、

    顕微鏡といい、最新の宇宙望遠鏡といえども、基本は同じです。 
     
    あらゆる科学的観測と云うのは、現象を捉えているだけで、

    物自体に迫って把握している訳ではないのです。


    そんな曖昧な認識の上に立っているのが現代科学です。



    今の科学自体にだって、

    フランシス・ベーコンの実験証明科学の応用延長で、

    実験によって実証されるならば、

    人間の理性による認識や感性に一致しなくても、

    それが正しい理論である。とする実証主義に走っているものもあり、


    ポスト現代物理学においては、

    実験的には証明されていなくても、

    数学的な計算や証明がなされれば、それが正しいとして、

    次々と発展していっている理論もあります。


    これらは、もう今さら人間の感覚の理性で捉えられなくても、

    物自体を数学と云う道具で直接捉えようとしているのです。


    物自体を8分遅れの太陽光で物の現象観察をして正しいとするか、

    数学の計算で成り立つ証明を、正しいと信じるか。





    これらは、今までの科学の常套手段である実験で証明されていないものを

    真実だと受け入れる事になります。

    つまり、見ても聞いても触ってもない世界を信じる事ですから、

    人間の五感を通して把握していない物を信じ続けるのは、

    信仰と同じなのではないか?

    そんなものは、物理学の理論ではなく宗教だと云う批判も出ています。




    要は、科学だって、

    宗教と同じように、

    究極は、神や仏のような絶対者の存在証明を

    やりたがっているのですね。    ほほっ。




    それはそれでいいのです、が、、、、、、、、




    宗教は、「信仰心」が基本にあります。

    科学は、「理性」(と云う曖昧な見えないジグソーピース)を基本にして、

    一旦、実験証明された、ある理論を、

    一時的に、次の理論が証明されるまで、(=方便)

    その理論を信じると云う実態があります。

    ある研究者の理論を信仰する。と云う状況が存在する訳です。


    その時、他の研究者のほぼ全員がその理論を信じて進みますし、

    同時に、一般社会の人間まで巻き込んで、我々も信じてしまう訳です。



    そもそも、科学的理論=『陽』=『偽』ですから、

    いずれは、時が経てば嘘になる理論、ロジック、知識をです。

    しかる後に、より信頼性のある理論が出てくれば、


    ”こっちが正しいそうよー”と、   あはは。

    皆で乗り換えて、又、一時的に受け入れる。

    と云うようになって行きます。



    政党のマニフェストが野党時代と与党時代と違うと批判をしますが、

    『陽』である科学と政治は、時と共に移ろうもの、

    同じ無常の範疇にあるのですね。   

    意識の産物は、時と共に移ろって変わるものなのです。   あはは。



    どうして、ここまで長々と書いて来たかと云うと、

    そんな科学の意識的認識の途中の知識で、

    人が生きて行く中における、結果が幸不幸に分かれる事柄を、

    簡単に、本能が壊れている、なんて十把一絡(じゅっぱひとから)げにして、

    決めつけないでほしいからなのですよ。


    十把一絡(じゅっぱひとから)げ=区別なしにひとまとめにして扱う事。



    あはは。

    まぁ、それはともかく、

    ただ一つ自分の中で引っかかるものがあります。

    それはなぜ人間ばかりがこうもバランスが悪いのか。



    でした!



    自分の持てるポテンシャル(潜在能力)と自分の欲望のバランスですね。

    または、そのバランスを取る智恵と欲望のバランスですか...?


    一般的は、そうなりますが、

    ここは、運命学のブログですから、、、   ほほっ。


    運命学で、説明を試みてみましょう。


    ●本能が強い、強くないと云う概念は、運命学にはありません。


    ○その人の、潜在能力があるかないか?は、命式全体で観ます。


    ◎どんな潜在能力か? それも分かります。


    ●バランスをとる智恵、これは、命式内の五行のバランスで観ます。


    ○命式内の木・火・土・金・水の存在と、その力、均衡で観ます。


    ◎そこでの五行の偏り、欠けている五行によるアンバランスが、


    さまざまな欠落や損傷、”本能が壊れている”状態となります。


    ●それらが、そのまま社会活動性として外に表われる力の程度、


    ○それが結果として帰って来て、手にする果報も分かります。


    ◎なにが得意で、楽に手に入り、何が欠けて、何を失うか?


    ●どんな恵みを受け、どんな縁に惑わされやすいか?




    これらは、人により全部違います。


    それによって人生に表われる現象が、違ってきます。


    人間は、本能が壊れた動物だと、言えるような人もいれば、

    そうではない人=本能と智恵の均衡が取れている人もいます。


    100万人いれば、100万の命式の違いがあります。

    それを、以前、『位相』と申し上げたと思います。



    人は、自分の位相によって、その度合に応じた運を持っています。





    この事が、近代化以降の我々には、

    実感として分からないようです。







    近代市民社会が成立する以前の時代においては、

    絶対王政の時代では――個々の人間の差別や身分の上下があったので、

    自ら固有の運命を意識して生きるのが普通だったのに比べ、


    社会契約論の系譜が、


    政治社会を人為的な産物として捉えるようになってから、

    個人の自由と社会秩序がいかに両立できるかと追及する段階や、

    政治社会は人間が意識的に作り替えられると云う市民革命を準備する背景

    があって、人間は皆、均質、もしくは意識でどうにでも同等になれる

    と云う前提が社会に出来上がって行った為に、

    個々人の差を見えにくくしているフィルターが、意識に掛かっているから、

    皆が同じ、同じ感じ方をするのが普通。


    この普通と云う感覚に横並びする傾向が現代をおおっているのです。


    自分の位相を見つめ把握するのを、それらが邪魔をしています。

    運命学の教室の生徒さんには、


    「あなたが感じているように感じているのは、あなたひとりよ。」

    「あなたしか、あなたのように感じている人は、いないのよ。」と


    あなたの感じるものが、命式のどこから出て来るのか?

    命式を見て、捜してください。 
     

                     と、常に言っています。





    たった一人の人間の尊厳性が浮かび上がって来ませんか?

    あなたひとりしかいない。


    人間とは実に不思議な動物です。



    本当にそのとおりだわ。

    その事が、今日は分かり合えてよかったわー     ほっ。




    次の記事から、


    『 命の継承と運命 』シリーズを始めます。


    おたのしみに!


    よき一週間をお過ごしくださいね。

































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

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    No title

    >政党のマニフェストが野党時代と与党時代と違うと批判をしますが、

    『陽』である科学と政治は、時と共に移ろうもの、

    同じ無常の範疇にあるのですね。


    ここを読みますと恐い感じがします。=
    政治や科学は、人間をしあわせにしないという証明でしょうか?=

    政治が人をしあわせにするというのは幻想ですか。。。=
    科学が人をしあわせにしないというのはもう、分かっています。=

    今年も、どんどん記事のレベルがむずかしくなっていきます。=
    なんども読み返さないといけません。(笑い)=

    No title

    近代化によって定められた法の下の平等意識が、
    実は、人を解放するどころか、
    それが、ドグマのように今度は、人を錯覚のなかに閉じ込めているのですね。

    ああ、なんて悲しい存在でしょうか?
    人はいつになったら、自分の存在感をつかめるようになるのでしょうか?

    前の医学を狭さを感じた記事から、
    今日は、今の社会の常識が、こんなもろい意識の上にあることを感じました。

    つねに、人は彷徨っているのですね。

    No title

    おほ、さむいーどうしたんだろう、
    山手線がいかれて、NTTドコモが通じなくなったりしたそうだ。
    太陽の磁気嵐かと思いましたよ?
    cosmosさんの大砲の音が響き渡っていますな。
    冷え冷えとした空気を破って聞こえて来るようです。
    春がまちどおしいーー。

    No title

    カントに、次の有名な定言命法があるのですが、

    「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。」

    これについては、どう思われますか?



    No title

    寒い中を自然を求めて行動される根性には脱帽しますね。
    こよなく自然を大切思う心のためでしょう。

    それとくらべると寒いと言って家の中に閉じこもる私は、、、
    はずかしいかぎりです。
    東洋的思想の素晴らしさを、
    今回も紹介くださって感動をしています。

    次からのいのちの継承のシリーズ、たのしみです。

    Re: No title

          鍵コメントさんへ       
              コメントありがとうございます!

    Re: No title

    > >政党のマニフェストが野党時代と与党時代と違うと批判をしますが、
    >
    > 『陽』である科学と政治は、時と共に移ろうもの、
    >
    > 同じ無常の範疇にあるのですね。
    >
    >
    > ここを読みますと恐い感じがします。=
    > 政治や科学は、人間をしあわせにしないという証明でしょうか?=
    >
    > 政治が人をしあわせにするというのは幻想ですか。。。=
    > 科学が人をしあわせにしないというのはもう、分かっています。=
    >
    > 今年も、どんどん記事のレベルがむずかしくなっていきます。=
    > なんども読み返さないといけません。(笑い)=


    ★あ、とっても大事なポイントを掴んでくれて助かるわー。   あはは。
    コメント、次の記事に引用させてくださいね!  
    いつもありがとうございます。  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 近代化によって定められた法の下の平等意識が、
    > 実は、人を解放するどころか、
    > それが、ドグマのように今度は、人を錯覚のなかに閉じ込めているのですね。
    >
    > ああ、なんて悲しい存在でしょうか?
    > 人はいつになったら、自分の存在感をつかめるようになるのでしょうか?
    >
    > 前の医学を狭さを感じた記事から、
    > 今日は、今の社会の常識が、こんなもろい意識の上にあることを感じました。
    >
    > つねに、人は彷徨っているのですね。


    ★あぁ、なんてうれしいのでしょう!
    みなさん、コメントがすばらしく驚いています。
    コメントを次の記事に引用させてくださいね。
    いつもありがとうございます!   感謝☆cosmos

    Re: No title

    > おほ、さむいーどうしたんだろう、
    > 山手線がいかれて、NTTドコモが通じなくなったりしたそうだ。
    > 太陽の磁気嵐かと思いましたよ?
    > cosmosさんの大砲の音が響き渡っていますな。
    > 冷え冷えとした空気を破って聞こえて来るようです。
    > 春がまちどおしいーー。


    ★春遠からじ、、、ぐっと寒さを我慢して待っております。
    まだ、大砲の音が? 聞こえますか?   ほほ。
    たまちゃんは敏感で、鋭い方ですね!
    いつもありがとうございます!  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > カントに、次の有名な定言命法があるのですが、
    >
    > 「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。」
    >
    > これについては、どう思われますか?


    ★ご訪問くださって、初コメントありがとうございます!
    記事で、お答えしてよろしいでしょうか?
    また、お読みになってくださいね。   よろしくお願いします!   感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 寒い中を自然を求めて行動される根性には脱帽しますね。
    > こよなく自然を大切思う心のためでしょう。
    >
    > それとくらべると寒いと言って家の中に閉じこもる私は、、、
    > はずかしいかぎりです。
    > 東洋的思想の素晴らしさを、
    > 今回も紹介くださって感動をしています。
    >
    > 次からのいのちの継承のシリーズ、たのしみです。


    ★さむい、寒いと言っているのは同じですよー。
    ただ、自然の中にはいつも居たいと思っています。
    いつもありがとうございます!    感謝☆cosmos
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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